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国家法人と機関人格︵こ

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(1)

国家法人と機関人格︵こ

   機関訴訟論再構築のための覚書

門 脇 雄 貴

はじめに第一章 国家法人説の展開

 第一節 権利義務主体としての国家法人

 第二節 国家権力の主体としての国家法人

 第三節 止揚された国家法人

 第四節 小 括︵以上本号︶

第二章 機関論の展開

おわりに

国家法人と⁝機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二六九

(2)

二七〇

はじめに

 本稿は︑国家法人説と機関人格論に関する学説史的検討をおこなうことを目的とするものである︒もっとも︑本

稿の副題から明らかなように︑それは機関訴訟論についての包括的検討のための前提にすぎない︒以下︑本稿の目

的意識を敷桁する︒

 日本の行政事件訴訟法は﹁国又は公共団体の機関相互間における権限の存否又はその行使に関する紛争﹂である

機関訴訟︵六条︶については﹁法律に定める者に限り︑提起することができる﹂︵四二条︶として︑法律の特別の

定めを要求している︒しかし︑この規定の理論的基礎については必ずしも十分な検討がなされてきたわけではな

い︒すなわち立法論として言えば︑仮にこの規定がなかった場合に行政事件訴訟法に基づく行政事件訴訟として何      ︵1︶らかの機関訴訟が認められるのか︑という問題が生じうる︒認められないと考えるならばーそして認められないと

考えるのが多数の見解だと思われるがー︑その根拠として容易に思いつくのは︑機関訴訟は憲法七六条の﹁司法       ︵2︶権﹂または裁判所法三条の﹁法律上の争訟﹂に含まれないというものであろう︒しかしこれでさえ︑機関と国家の      ︵3︶間にまたは機関間に﹁具体的な権利義務ないし法律関係﹂が成立しないという積極的な説明はなされていない︒そ      ︵4︶れどころか︑⁝機関間の法関係を認め︑機関訴訟を認める見解も現実に存在する︒結局のところ︑日本の行政法学

は︑機関訴訟に関する行政事件訴訟法の規定を疑うことをせず︑その理論的省察を怠ってきたといわざるを得

︵5︶

ない︒

 ここであえて﹁具体的な権利義務ないし法律関係﹂が成立しないという見解をさらに探ってみれば︑その根拠と

しては次の二つが考えられる︒第一に︑法人の機関には権利能力ないし人格が欠けるという点を根拠とするもので

(3)

 ︵6︶

ある︒すなわち︑国家が法人として人格をもつ以上︑国家の分肢にすぎない機関には人格は認められず︑そもそも

権利主体ないしは法主体とはなりえないという立場である︒第二に︑︵仮に機関が権利主体たりうるとしても︶機       ︵7︶関は法人のために行為するものであって︑⁝機関それ自体に固有の利益がないという立場である︒以上のような区別       ︵8︶をしたうえで︑本稿は前者の論点を扱う︒そして︑その見解が前提としているのは︑国家が法人であるといういわ

ゆる国家法人説であるから︑本稿は最初に︑国家法人説がもともといかなる意図ないしは機能を有するものとして

主張されてきたのかを検討し︵第一章︶︑そこに機関訴訟を否定する契機が存在したかどうかを明らかにする︒そ

のうえで今度は︑国家法人の⁝機関がどのような位置づけを与えられてきたのかを検討し︵第二章︶︑機関には権利

能力ないしは法主体性が欠けるという見解の是非を明らかにする︒

 なお︑その分析のために本稿はドイツ法を検討の素材とするが︑これには以下のような理由がある︒第一に︑国

家法人説が成立したのがほかならぬドイツであるということ︑第二に︑国家法人説に基づいて機関の人格を否定す

る見解とそれを肯定する見解との間でかつて議論がなされていたこと︑第三に︑現在のドイツでは実際に機関訴訟

が認められており︑その理論的背景を探ることが比較的容易であることの三点である︒現在ドイツで認められてい

る機関訴訟のひとつは憲法上の機関訴訟︵L♪﹁庁㊤ω︾ひoり﹈∴Z門﹂ΩΩ︶であり︑もうひとつは地方公共団体における機       ︵9︶関訴訟︵民oB日巨巴く①民昂ω巨σqωオ冨σQ①︶であるが︑とはいえ︑本稿は国家法人説と機関人格論を巡る学説史研究に

とどまるもので︑直接の検討の対象は︑国家法人説の成立した十九世紀前半から論争が収束を見せるヴァイマール

期までの約一世紀間における国法学説に絞られている︒前述したような具体的な機関訴訟についてのより詳しい分

析は今後の課題である︒その意味で本稿は覚書にすぎない︒

 さて︑はじめに議論を明確にするために︑機関に人格がないことから機関への権利の帰属を否定し︑機関訴訟が

   国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二七一

(4)

       二七二

主観的権利についての訴訟ではないとする立場を示しておこう︒機関訴訟を通常の訴訟と同視することに最も明確

に反対するのはG・イェリネックである︒例えば君主に関する次の叙述が彼の主張を端的に表している︒

  ﹁君主は法的には国家の機関であり︑いかなる点でも国家の権利の主体ではない︒従って︑君主の統治権は最高位の国家機関に認       ︵10︶  められる国家の権限以外の何ものでもない︒それに関する争訟は権限争議にすぎず︑主観的権利についての争訟ではない﹂      ︵11︶ イェリネックの見解そのものについての検討は後に回すが︑ここから直ちに分かることは︑イェリネックの見解

が⁝機関論と密接に結びついていることである︒そして︑その機関論は国家法人説を前提とする以上︑本稿の検討は      ︵12︶まずもって国家法人説に向けられなくてはならない︒

第一章 国家法人説の展開

第一節 権利義務主体としての国家法人

一 一般に国家法人説の祖は十九世紀前半のアルプレヒトであると考えられているが︑それ以前から国家を法人で

あるとする言説は存在した︒しかし︑それは必ずしも君主と区別された国家という存在を語っていたわけではな

い︒例えば︑一八一七年にクリューバーは︑﹁国家自体は︑自らの目的達成のために固有の悟性と意思及び固有の

       ・ ・      ︵13︶権利義務を有する法人と見なされなくてはならない﹂と述べている︒しかし︑クリューバーの論述においては︑国       ︵14︶家の権利義務への言及は見られず︑結局︑扱われているのは統治者人格と臣民人格との間の法関係である︒さら

に︑後の時代にあっては国家法人に主権が帰属するとされるところ︑クリューバーにあっては︑国家権力を行使す

(5)

       ︵15︶るにすぎない君主がしばしば﹁主権的君主﹂と呼ばれ︑国家よりもむしろ君主が主権者であるかのような観を示し

  ︵16︶

ている︒このように︑この時期においては国家が法人であることにはいまだほとんど意味が与えられていない︒

二 国家法人説の祖とされるアルプレヒトのその学説は︑マウレンブレッヒャーの著書に対する短い書評で展開さ

れただけであり︑それ以上に詳細な見解は示されていない︒従ってまずはその書評を丹念に検討するとともに︑当

時の政治状況などもふまえて彼の学説を解釈することが必要である︒その際︑解釈は二つの異なった視角からなさ

れなくてはならない︒ひとつは︑﹁国家を法人化する﹂ことの意義であり︑もうひとつは﹁国家を法人化する﹂こ

との意義である︒そのことを意識しつつ︑まず彼の書評を見てみよう︒

 アルプレヒトが国家をはっきりと法人として位置付けたのは︑しばしば引用される次の叙述においてである︒

   ﹁﹇国家は﹈⁝個人的な目的や利益のために予定された人の結合として考えられるのではなく︑個人を越えたところにあり︑何よ

  りも︑支配者や臣民の個々の利益の総和であるだけではなく︑⁝より上位の一般的な共通利益でもあるような目的のために与え

  られた公共体・﹀口゜︒雷=として考えられる︒⁝そこでは個人︵支配者であれ臣民であれ︶の生は二つの部分に分かれる︒一つは︑

  個人が一般のためにすなわち国家の名において国家のために︑国家の長又は国家の分肢として権利を認められ又は義務を課され

  る部分であり︑もう一つは個人が独立した個人として︑自らのために権利を認められ又は他人のために義務を課される部分であ

  る︒ここで第一の領域については︑個人にはいかなる独立の法人格︵自らのために権利を与えられた存在︶も与えられないので︑

  必然的に︑この領域において支配し︑行為し︑権利を有する人格を国家自身に認める︑つまり国家を法人と考えるという結論に

      ︵17︶  至るのである﹂

 まずここで注意すべきは﹁人格︵勺巽む・9ま9①巳﹂の概念が︑自らのためにすなわち自己の利益のために権利を

認められることと結びついている点である︒そして︑﹁第一の領域﹂すなわち国法の領域においては︑個人に権利

    国家法人と機関人格︵一︶       ︵都法四十八ー二︶ 二七三

(6)

       二七四

が認められるとしてもそれは国家のために与えられるのであるから個人に人格は認められず︑国家だけが自らのた

めに行為できるがゆえに﹁人格﹂を認められるのである︒かく解することで︑国法の領域においてはたとえ君主で

あっても自らの利益のために行為することはできなくなる︒このように︑君主を君主の個人的な利益から切断し︑

国家全体のために行為すべきものとして位置づけることが︑アルプレヒトがもっとも強く意図したところであり︑

国家法人説の第一の機能がここに見出される︒

 そのことは当時の政治状況︑すなわちいわゆる七教授事件を背景として考察すれば一層明らかである︒この事件      ︵18︶は以下のような経緯をたどった︒

 アルプレヒトが教鞭をとっていたゲッテインゲン大学があるハノーファーにおいては︑一八一九年に初めて憲法

が制定された︒その憲法は二院制を採用していたが︑都市市民及び農民の政治的権利は著しく制限されていた︒こ

の不満は一八三〇年に爆発し︑市民の暴動・反乱の中︑当時の国王ヴィルヘルム四世は新憲法の制定を決意する︒

そして議会が審議し議決した憲法案がヴイルヘルム四世のもとに回付され︑ヴィルヘルム四世は当該憲法案のいく

つかの条項に独自に修正を加えて公布するに至った︒この一八三〇年憲法は都市市民及び農民に選挙権を認めるな

ど︑一八一九年憲法よりもはるかに民主的色彩の強いものであったが︑しかしヴィルヘルム四世の王位継承予定者

であったエルンスト・アウグストはこの憲法に反対し︑ヴィルヘルム四世の死後に王位に就くと直ちに攻勢に出

た︒一八三七年に王位に就いたアウグストは︑彼の憲法誓約を受けるために召集された議会を休会とし︑その後議       ︵19︶会を解散するとともに︑一八三〇年憲法が無効であると宣言したのである︒このような憲法廃止に対して抗議した

のが︑当時のゲッティンゲン大学の七人の教授たちであり︑国法学を担当していたアルプレヒトもこれに含まれて

︵20︶

いた︒マウレンブレッヒャーの著書の書評においてアルプレヒトが国家法人説を主張したのは︑まさにこの年で

(7)

︵21︶

ある︒

 以上のような時代背景から国家法人説を読み解くならば︑君主の人格とは別に国家の人格を認めるアルプレヒト

の意図が︑君主は自らの利益のためにではなく国民の利益のために行為すべしという規範を掲げるものであったこ

は一層明らかであろう︒ただ︑君主に対するこのような要請は︑中世においてすでに一般的に共有された倫理的要

   ︵22︶

請であり︑アルプレヒト自身︑国家を法人とすることは以上のような倫理的思考に法人という法学的な装い

        ︵23︶      ︵24︶︵言﹃︷°・江゜︒6冨○Φ妻き創︶を施すことであると明言している︒いずれにしても︑このように国家を法人とし︑君主を       ︵25︶その機関とすることで︑君主の行為が憲法に従うことを要求しえたのである︒

三 もちろん︑ここで国家ではなく王位そのものを人格化し︑よって君主個人の人格と切り離すという選択肢もあ

 ︵26︶       ︑りえた︒このような横⁝成をとれば︑個人としての君主が自らの利益のために行為するとしても︑王位としての君主

は個人ではなく全体の利益のために行為すべしという規範に君主を服させることができるはずだからである︒実際

にはこのような選択肢が採られなかった理由を推測するならば︑ひとつには王位と君主とを切り離すことが観念的

に困難であったことがあるだろう︒しかし︑当時の等族会議の存在を考慮するならば︑この点に国家法人説の第二

の意義があることがわかる︒すなわち︑君主と等族との関係についてウィーン規約五七条は以下のように規定して

いる︒ ﹁自由市を除いては︑ドイツ連邦は主権的君主から成るものであるから︑これによって与えられる基本概念からすれば全国家権力

  は国家元首に一元化されなくてはならないし︑ラント等族型憲法︵冨且゜・﹇ぎ合ω合6<o匡器゜・已⇒σq︶によって主権者は一定の権利の       ︵27︶  行使についてのみ等族の同意に拘束されうる︒﹂

 このように︑この条文は︑君主に一元的に主権を認めるにもかかわらずその行使の際には等族会議の同意が必要

   国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二七五

(8)

       二七六

      ︵28︶な場合があることを定めている点ですでに緊張関係をはらんでいるが︑さらに︑等族会議が国家の外にある国民の      ︵29︶側の機関であるとすれば︑王位としての君主が主権を行使する際にどうしてそこに等族会議が関与できるのかが説       ︵30︶明できない︒従って︑等族会議も君主と並ぶ国家機関として位置づけられる必要があったのである︒そこでアルプ

レヒトは︑王位ではなく国家を法人とすることで︑等族会議も君主と同様に国家機関として国家法人に包含すると       ︵31︶いう結論を導くとともに︑君主の主権の行使が実質的に制限されることをも説明できると考えたのであろう︒この

結果︑従来は対向構造として理解されていた君主の人格と国民の人格は失われ︑唯一人格であるところの国家の内      ︵32︶部に吸収されることとなった︒なお︑とりわけ後のラーバントにおいては︑この結果として主権を国家に認めるこ

      ︵33︶とが可能となる︒しかしアルプレヒトにおいては︑たしかに彼は君主主権にも国民主権ないしは議会主権にも与さ      ︵34︶      ︵額︶ないのであるが︑国家法人説と国家主権とを結びつけてはいないことに注意しておく必要があろう︒いずれにして

もこの点にこそ︑君主ではなく国家を法人化したことの第二の意義があったと言うことができる︒しかし︑この点

についても︑君主と議会とを国家の分肢と考える国家有機体説によってその機能を代替することは可能であったと

   ︵36︶

考えられ︑だとすれば国家法人説の固有の意義はさらに別のところに求められなくてはならない︒

四 その契機となるのは︑そもそも国家を法人化する必要があったのかという問いである︒この問いは言い換えれ

ば︑当時の国法学の構成において人格概念が必要だったのかと問うことである︒例えば︑当時においては国家を有

機体とする考え方がすでに存在していたのであり︑人格概念を用いずに有機体概念をそのまま用いるという選択肢

もありえた︒すでに言及したように︑君主が全体の利益に拘束されるという要請は︑法的ではないにしても少なく      ︵37︶とも倫理的な要請として一般に認められていたのであるから︑国家法人説の第一の機能は法人概念を用いなくても

果たされるはずであった︒実際︑後のゲルバーは国家が有機体であることから君主の権利行使に制限が加えられる

(9)

ことを導いて逮・にもかかわらず・アルプレヒトが人格概念を必要としたのは︑国家と臣民との間に権利霧関

係を構築するためであったと考えられる︒

 すなわち一方で︑人格概念そのものは私法のドグマーティクにおいてすでに用いられていた︒法人に権利能力が       認められるとするサヴィニーの法人論が公にされるのはアルプレヒトより後の一入四〇年であるが︑人格が権利の      ︵40︶主体であるとする見解はアルプレヒト以前から特に私法学の教科書において明らかにされていたのである︒

 他方で公法学は︑君主の有する高権ないしは支配権を︑意識的かどうかはともかくとして少なくとも一八世紀半      ばから︑それを﹁権利︵肉⑦o茸︶﹂と呼んできていた︒典型的には例えば神聖ローマ帝国末期の代表的な公法学者      ︵42︶であるピュッターは︑君主と等族との間の権利義務関係によって国法学を構成しようとしていた︒そこでは等族と       お       コ君主がそれぞれ法人とされ︑両者が対向するという図式が取られている︒たしかにピユッターも﹁国家の権利義       ︵姐︶      ︵45︶務﹂といった表現を用いてはいるが︑しかし実質的にはそれは君主の統治権に還元されている︒

 このように私法上の権利と明確には区別されない支配権が君主に帰属する場合︑そこでは君主の人格に基づく権

利主体性が暗黙のうちに前提とされることとなる︒そして︑君主の人格と臣民の人格との二つの人格を両端に有す

る権利義務関係という理解を︑そのまま国家と臣民との関係へと転化させるためには︑単に国家を有機体とするの       お ではなく︑君主の人格に替えて国家の人格を想定することが必要であった︒このような意味においてアルプレヒト       ︵47︶      ⁝の国家法人説はすぐれて法学的であったと言うことができる︒かくして国家が法人化された︒すなわち︑国法学を      ︵48︶国家と臣民との権利義務関係として構築することが︑国家法人説の第三の機能となったのである︒

 ところで第二次世界大戦後のドイツにおいては︑アルプレヒトを国家法人説の祖として理解する立場にはいくつ       ︵49︶かの観点から疑問が提示されていたところである︒例えばショイナーは︑アルプレヒト以前においてすでに国家を

   国家法人と⁝機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二七七

(10)

      二七入

法人︵§旦菖゜勺①﹃白・°§°﹃°・§§邑﹂°・︶として理解する学説があったことを指摘す㊨・しかし先に見たよう

にその時代の国家の法人格はいまだ君主の人格から十分に分離されておらず︑君主の権利義務から国家の権利義務       ロを自立させることができていなかったのである︒この点で︑法人たる国家を権利義務の主体とするという︑アルプ      ロ レヒトの国家法人説の第三の意義は損われるものではない︒また︑シェーンベルガーの批判は︑アルプレヒトの国

家法人説の第一の機能及び第二の機能に焦点を当て︑しかしこれらは国家有機体説によっても代替できるど主張す       お ることでアルプレヒトの意義を相対化するものであるが︑ここでもやはり第三の機能が十分に理解されていないと

   ︵54︶

一言

轤ヲよ・つ︒

 最後にしかし︑繰り返しになるが︑この第三の機能に関してはなお以下の点に留意すべきである︒アルプレヒト

の国家法人説のもとでは︑国家は私人と同様に私人との間で権利義務関係に入ることとなる︒ここでの国家法人は

私法人とパラレルである︒この結果︑従来は君主の高権・義務・財産と考えられていたものが︑国家の権利・義      務.財産となるのであるが︑このような国家法人説は結局のところ︑従来の君主対臣民の関係の一方の極をそのま      ま国家に置き換えただけのものにすぎない︒それは︑権利義務に結びつけて法人概念を用いてきた私法学の形式を

そのまま公法学に持ち込むことを意味したので紮・後にゲルバ|が批判したのはまさにこの点であつ︵挫・

第一一節 国家権力の主体としての国家法人

一 先に述べたようなアルプレヒトの国家法人説の構成に対してもつとも敏感に反応したのはゲルバーである︒神

聖・←帝国までの国家のあり方を︑至個人と他の諸権力との合意に基づく私法的国家として捉趨・そこからの

(11)

脱却を目指すゲルバーは︑アルプレヒトの国家法人説の問題点を的確に衝いている︒すなわち︑﹃公権論﹄におい

てゲルバーは︑君主が自己のためではなく国家のために行為することを要求するアルプレヒトの見解に賛成す

 ︵60︶

るが︑国家そのものについてはそれを法人とは考えない︒

   ﹁上述した見解︹国家法人説︺の基礎には︑客観的で独立した基盤の上に国家を置こうという努力︑すなわち私法的な形式によ

  る領邦君主個人との不自然な結びつきから国家を解放しようとする努力がある︒

   もちろん︑一見したところ︑国家における支配者の私法的な人格や﹁主権への所有権﹂を放棄した場合には︑さもなくば主無

  きものとなる国家権力を受け継ぐために新たな法主体があたかも必要となるようにも見えるし︑また︑擬制を用いて国家に理念

  的な人格を与えるのが自然なようにも見える︒しかし︑法人は自然人の再来に過ぎない︒⁝つまり︑排除したはずの支配者の私

  法的人格に替えて法人を持ってくれば︑避けようとしたところすなわち私法的な主体関係へと知らず知らずのうちに立ち戻るこ       ︵16︶  とになり︑無限の多様性をもつ国法上の素材を極めて狭く不適切な枠組みに再び押し込めることになるのである﹂︒

 このように︑君主に替えて国家を人格とすることが結局は従来の私法的国法理論の延長にあるものでしかないこ      ︵62︶とをゲルバーは見抜いていた︒そしてこの理解は︑国家を法人として認めるようになった﹃国法学綱要﹄において

も揺るがない︒たしかにゲルバーは﹃綱要﹄において︑国家において国民が人格化するとし︑国家を意思力を有す      ︵63︶       ︵64︶る法人だとするのだが︑それは私法的な法人とは異なった︑公法独自の法人であるという︒

   ﹁しかし︑国家人格という概念は独特のもので︑その独自性において把握されねばならない︒国家を私法上の法人の列に組み入

  れることで国家における国民の人格を派生的な概念として扱ったり︑国家という類型を私法上の法人に求めるとすれば︑それは︑

  人の倫理的秩序と結びついている国家の位置付けについての誤解に基づくものである︒そんなことをしたら︑私法上の制度に対

  して︑その目的とは全く無関係な要素を付加せざるを得なくなるか︑または国家が団体︵民o葛o轟﹇﹄8︶の世界に入れられてしま

    国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二七九

(12)

      二入○

       ︵65︶  うほどまでに国家からその特別の性質を奪わざるを得なくなってしまう﹂

 では︑ゲルバーが私法上の法人と国家法人を区別する分水嶺だと考えているものは何なのか︒これについては二

つの理解がありうる︒ひとつは︑私法上の法人が原則として無制限で絶対的な意思力を有するのに対し︑国家法人

は制限された意思力しか有しないという点に違いを求めるものであり︑もうひとつは︑私法上は見られない︑支配

を内容とする意思力を国家法人が有する点に求めるものである︒

 前者から検討してみよう︒確かに︑ゲルバーは国家法人と私法上の法人との違いとして︑国家法人の意思力に対

する制限を挙げる︒

  ﹁私法的な意思力とは異なり︑国家の意思力は絶対的なものでもなければ︑個人の恣意に委ねられるものでもなく︑その存在の      ︵66︶  倫理的基礎によって自らの方向性と限界を与えられる﹂︒

  国家権力は絶対的な意思力ではない・それは専ら国家の目的にのみ隻・国家の目的のためにのみ存在起L

 しかし︑ここで言う﹁倫理的基礎﹂すなわち﹁国家の目的﹂とは︑国家の法人性と直接に関わるものではなく︑      ︵68︶むしろ国家が有機体であることから導かれるものである︒ゲルバーは国家の構成員の権利義務  そこには君主の

権利も含まれるーを定める客観的法原理︵胃冒Φ︒q色を豆意思︵①︸有曇§ヨ匡と同視す範・この

一般意思こそ有機体の内在的な生活原理であり︑法人としての国家以前からすでに存在する有機体としての国家に      ︵70︶帰属するものだと考えていた︒そして国民をその基礎と考えているため︑国家は何よりも国民ために存在している        ︵71︶という結論へと至る︒こう解することで︑君主を国民の利益へと拘束するという︑アルプレヒトの国家法人説の第      ︵72︶一の機能を︑ゲルバーは法人を用いずに達成することができたのである︒以上のように︑国家法人の意思力に限定

が設けられていることは︑私法人との性質の差異に基づくものではなく︑法人の基礎に有機体があるかどうかに関

(13)

わるものにすぎない︒

 そうであれば︑ゲルバーの法人論において注目すべきは意思力の限定性ではなく︑むしろその意思力の内容であ

ろう︒つまり﹁国家の意思作用という特別の態様︑すなわち支配︵﹁﹈①﹃﹃oり6﹈口Φ口︶﹂である︒

  ﹁私は︑﹃支配﹄という単語及び概念を︑特別に国法に属するものとして主張する︒それは国家人格の意思の固有の内容を指すも

    ︵73︶  のである﹂       ︵74︶  ﹁このような︹支配する︺意思力によって︑国家という法人格は︑特に私法上の法人格と区別されるのである﹂

 ゲルバーが︑法学を意思力の体系として構成しようとし︑公法学についても同様の構成をとろうとしたことはよ       ︵75︶      ︵%︶く知られているところであるが︑意思力を有する者は人格であることが必要であった︒しかしそれだけではなく︑

ゲルバーにおいてはその意思力が︑国法学以外の分野には見られないような支配力であったことが重要である︒つ

まり︑アルプレヒトの法人説が権利義務と結びついていたのに対し︑ゲルバーにおける国家法人説は支配する意思

力と結びついている点で両者は異なる︒・言い換えれば︑アルプレヒトにおいては君主に代えて国家を権利義務関係

の帰属点として据えることに眼目が置かれていたのに対し︑ゲルバーにおいてはその主体に私法には見られない支      ︵77︶配力を与えることに力点があった︒この点は︑国家法人説の意図を正しく把握する上で注目しておくべき違いであ

る︒

 とはいえ︑このように考えてくれば︑ゲルバーは公法独自の法人格と言ってはいるが︑実のところ本当に公法独

自のものは人格そのものではなく︑人格に与えられている意思力の内容である︒支配力という独自の意思力が付与       ︵78︶されているがゆえに︑あたかも人格そのものが公法独自のものであるかのように見えているにすぎない︒アルプレ

ヒトとの差異は︑権利義務と国家権力︵支配︶とをどの程度異なったものと見るかによって定まるのであって︑法

   国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十入ー二︶ 二八一

(14)

二入二

人そのものの性質に違いがあるのではない︒

 ベルナツィクは︑ゲルバーが︑ローマ法以来財産権の主体にのみ用いられてきた法人概念を財産権ではない権利       ︵79︶の主体についても拡張したことを指摘するが︑以上から分かるようにこの指摘は正当である︒しかし︑だからと       ︵80︶いってゲルバーがおよそ権利の内容を問わずに法人概念を用いることを意図したという主張は正確ではなく︑むし

ろゲルバーは法人の有する権利の内容によって私法人と国家法人とを区別しようとしていたのである︒

二 次にラーバントを見てみよう︒ここまで︑アルプレヒトの国家法人が権利義務に結びつけられているのに対し

て︑ゲルバーの国家法人は支配する意思︵国家権力︶に結びつけられていることを示したが︑ラーバントはまず︑   一組合と法人との区別を意識しつつ︑帝国と各邦との関係において︑国家法人を法関係と結びつける︒

  ﹁﹇国家連合が法関係であるのに対して﹈⁝国家は組織化された単一体であり人格であって︑つまり法関係ではない︒だからといっ

  て︑私法上の社団とその構成員との間に法関係があるのと同様に国家とその構成員との間にも法関係があることが排除されるも      ︵81︶  のではないことは明らかである︒﹂       ︵82︶ 以上の叙述からも明らかなように︑ラーバントにおいては︑国家法人と私法人との区別は相対化されている︒こ       ︵83︶こで言う﹁法関係﹂とは権利義務関係とほぼ重なると考えられ︑その意味では︑ラーバントの国家法人はアルプレ

ヒトの国家法人の理解に近い︒

 ところが他方で彼は︑ゲルバーの国家権力論を継受して︑支配を内容とする国家権力を国家法人に帰属させるの

である︒      ︵84︶  ﹁国家という法人の本質は︑国家がその任務の遂行のために固有の支配権と独立の支配意思を有しているということである︒﹂

  ﹁国家を公法上の法人と考える考え方から︑国家権力の主体は国家自身であることが分かる︒君主や国民やそういった者たちが国

(15)

  家権力の主体や本来的な主権者であるとされれば直ちに︑国法の法学的構成や学問的完成のために国家の人格化を通じて得られ

  たものが全て再び失われてしまう︒なぜなら︑そうすることで︑国家を法的意味での人格にしていたもの︑つまり権利の主体た\

  る性質がまさに国家から奪われてしまうからである⁝︒私法上の法人を考︑えるだけで︑直ちに次のことが分かる︒すなわち︑私

  法人自身ではなく私法人の理事や総会や財産上の利益を得る名宛人をその財産権の主体とすれば︑法人としての承認は再び失わ

  れ︑論理的抽象化によって認められた人格はもはや残されていないということが︒同様に︑高権的支配権の総体すなわち国家権

  力が︑国家つまり﹁有機的公共体﹂自体にではなく諸侯や議会やその両者やあるいは国家自体からは概念的に区別される主体に       ︵85︶  対して認められるとすれば︑その高権的支配権の主体としての国家の人格も消滅してしまう︒﹂       ︵86︶ このようにラーバントは︑国家権力すなわち支配意思と国家法人とを密接に結びつける︒ただしここでも︑ゲル

バーにおいて見られた︑公法独自の法人概念への配慮は全く顧みられず︑私法上の法人概念がいとも簡単に転用さ

れている︒もちろん︑私法人が財産権の主体であるのに対し︑国家法人が支配権の主体であるという違いは意識さ      ︵87︶れているのではあるが︑それでもラーバントによれば︑法人概念自体は公法私法を問わない一般的法概念であり︑      ︵88︶       ︵89︶その法人に認められる権能が異なるにすぎないということになる︒

 とはいえ︑既に述べたように︑ゲルバーにおいても公法人と私法人との差異は︑法人そのものというよりもむし

ろその人格に与えられる意思力の内容にこそあったのであり︑実はゲルバーとラーバントの違いはそれほど大きく

ない︒ ただ︑ラーバントが国家法人について語るのは︑多くの場合がドイツ帝国の性質つまり帝国と各邦との関係が問

       ︵90︶題となる文脈においてである︒その際にラーバントが意を払ったのは︑各邦を国家としてそこに国家権力を認める

とともに︑連邦国家を単なる国家連合とはせず︑連邦国家もまた国家権力の認められる国家として位置づけること

    国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八−二︶ 二八三

(16)

       二八四

   む であった︒従ってここで国家法人概念が果たす役割とは︑アルプレヒトの検討において示した第二の意義すなわち

国家︵ここでは連邦嚢の巴性︵昏ぽ9を確保することで曇ラーバントにとっての国家法人説は・確

かにゲルバー同様︑国家権力の帰属主体としての機能も果たしていたが︑それ以上に重要であったのは複数の邦を

抱えたドイッ帝国の単亘の理論的基盤としての役割であつ︵趨・

 以上のように︑ゲルバーとラーバントとの間では︑国家法人自体の性質をどう解するかについては︑少なくとも

論者の意図において鍾隔が存在していたはずで友脳・しかし・どちらも支配意思を内容とする国家権力を体系の

中核に据えたため︑法人そのものの性質の違いは捨象され︑実際上はほとんど径庭がなくなってしまっていること

が分かる︒こうしてアルプレヒトの国家法人が権利義務の主体とされていたのに対して︑ゲルバーやラーバントに      至ると国家法人の本質は支配へと変容することとなった︒次に見るイェリネックの国家法人説は︑このような対向

軸を止揚することを試みたものである︒

第三節 止揚された国家法人

 さて︑冒頭に示した論者であるイェリネックは︑一般に国家法人説について決定的なインパクトをもった人物と       ︵97︶して捉えられている︒では︑彼の法人説はどのように位置づけられるのだろうか︒

 イェリネックはまず国家を社会的観点から観察する︒ここでは国家は実力︵ζ①o巨︶を有する存在として理解さ

れ︑いまだ法人ではない︒そして︑私人は専ら国家に対して服従するだけの存在である︒国家は事実としての実力

      ︵98︶      ︵99︶すなわち支配︵口①昌゜・合①巳ないしは支配権力︵自6ぼ白・合①偏Φ看①εを有するだけであり︑法的制約は問題になら

(17)

ない︒ では︑法的観点から国家を観察した場合はどうなるのか︒イェリネックにおいては︑およそ法はすべて法主体間        ︵蜘︶の関係であるから︑国家を法的に把捉するには国家が法主体すなわち法人として理解される必要がある︒そこで

イェリネックによれば︑掴家は私人に人格を認めて消極的地位を付与することで同時に自己拘束をする︒こうする       ︵皿︶ことで自らも法主体性すなわち人格を獲得して法人となり︑国家の支配権力が法的に制限されることで私人の場合

       ︵皿︶と同様に国家の権利義務を観念することが可能となる︒イェリネックはこのことを以下のように説明する︒

   ﹁国家とはそれ自体としてみれば実力であり︑それは服従民の人格を承認することによって法的に制限された力となる︒そして

  こうすることで︑法秩序によって定められ又制限された力は法的な力としての性質を獲得し︑また力の利益は法的な利益という

  性質を獲得するのである︒この利益としてまず挙げられるのは︑法秩序の維持発展の利益である︒国家は︑自らの利益を実現す

  るためにつまり自らの目的を果たすために︑法的に制限された人格となる︒法が個人の人格に対しては本質的に創造的であるの

  に対して︑国家人格に対しては本質的に制限的である︒国家は︑性質上は自らの力の及ぶことは全てできる︵オO己o①⇒ユ︶のだが︑

  法的には法秩序が授権したことしかできないし︑法律によって制限された国家の意思が国家に対して許容することだけしかする

  ことが許されない︒法秩序が国家に対して課す制限によって︑法的な意味において︑国家は服従民に対して権利義務を有する主         ︵301︶  体︵司﹃富2︶となる︒﹂

 このことから分かるように︑イェリッネックにおいては国家の法人格は支配力を帰属させる主体として現れるの       ではなく︑権利義務を有する法主体となることに結びついている︒ゲルバー及びラーバントにおいて国家法人と分

かちがたく結びつけられていた支配の要素は︑イェリネックにおいては社会的意味での国家においてすでに与えら

れているのであり︑法人格を有することの意義はむしろ支配力を限定する︑﹂とに曇・アルプレヒトは法人として

   国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二八五

(18)

二八六

の国家の義務を語っていたが︑イェリネックはゲルバーやラーバントに見られた国家権力ないしは支配を実質とし

て取り込みつつ︑法人概念によって国家を義務付けることを試みたと言える︒こうして国家法人説は︑きわめて権

力的なゲルバーやラーバントの時代を経て︑権利義務を有する私法人に接近する概念に再び立ち戻ったのであっ

た︒

第四節 小 括

 以上︑国家法人説について幾人かの代表的論者の言説を検討してきたわけだが︑そこから明らかになったよう

に︑国家法人説は決して一枚岩のドグマーティクではない︒アルプレヒトにおいては何よりも君主を法に拘束する

ための法学的構成として国家法人説が用いられたのであるが︑その後︑その機能にはあえて言及されることはなく

なつ︵越・また・国家法人が国家の単一性の基礎としての役割を果たしていたことも事実であるが︑それは国家の通

時的単一性であったり︑連邦国家の単一性であったり︑あるいは国家機関を包含する単一性であったりと多様な場

面で用いられてきた︒さらには︑私人と類似した形で権利義務を帰属させる主体としての国家法人説の流れ︵アル

プレヒト及びイェリネック︶と︑私人には見られない支配する意思力としての国家権力を帰属させる主体としての       国家法人説の流れ︵ゲルバー及びラーバント︶と︑二つの潮流が認められることはすでに見たところである︒

 とはいえ︑本稿の問題意識である機関訴訟論の検討のためには︑以上のような国家法人説の果たす機能を明らか

にしただけでは十分ではない︒問題設定としては︑仮に機関訴訟を認めた場合に︑それが上記のような国家法人説

の⁝機能を阻害するのかどうかが問題とされるべきであるが︑しかしその問題に答えるためには︑まずは機関そのも

(19)

のが国家法人説においてどのように位置づけられてきたのかを考察する必要がある︒これが次章の課題となる︒

︵1︶ もっとも︑解釈論上も︑行政事件訴訟法六条に言う﹁機関﹂の範囲などの問題がありうる︒

︵2︶ 例えば︑三橋良士明﹁第六条機関訴訟﹂別冊法学セミナー七三号室井力︵編︶﹃基本法コンメンタール行政救済法﹄

  ︵一九八六︶二一八頁以下︒なお︑憲法七六条の﹁司法権﹂と裁判所法三条の﹁法律上の争訟﹂とが同一の範囲をカバー

  する概念であるかどうかについては︑憲法学においては最近とりわけ議論の多いところである︵概観として︑南野森

  ﹁司法権の概念﹂安西文雄ほか﹃憲法学の現代的論点﹄︵有斐閣・二〇〇六︶一八七−一九三頁︶が︑ここでは論じない︒

︵3︶ 最判昭和五六年四月七日︵民集三五巻三号四四三頁︶の定式︒

︵4︶ 山本隆司﹁第六条機関訴訟﹂南博方‖高橋滋︵編︶﹃条解行政事件訴訟法﹇第三版﹈﹄︵弘文堂・二〇〇六︶一八二頁

  以下︒ただし山本も︑法関係の存否を機関訴訟の可否に直結させるわけではなく︑機関間﹁相互に一定の独立性・自律  性﹂が保障されている場合にのみ機関訴訟を認める︵同﹁第四二条訴えの提起﹂同書六九六−六九七頁︶︒

︵5︶ 例えば︑田村浩一﹁第六条︵機関訴訟︶﹂南博方‖高橋滋︵編︶﹃条解行政事件訴訟法﹄︵弘文堂・一九八七︶二二一  頁は︑特に理由を示さず︑﹁機関争議は︑通常は訴訟で争いうべきものではない﹂とする︒︵6︶ 例えば︑白藤博行﹁第六条︵機関訴訟︶﹂室井力‖芝池義一11浜川清︵編︶﹃コンメンタール行政法n行政事件訴訟

  法・国家賠償法﹇第二版﹈﹄︵日本評論社・二〇〇六︶九二頁︑大貫裕之﹁﹁機関﹂訴訟﹂笹田栄司11亘理格H菅原郁夫

  ︵編︶﹃司法制度の現在と未来﹄︵信山社・二〇〇〇︶一七〇頁︑同﹁機関訴訟﹂法学教室二六三号︵二〇〇二︶五六頁

  は︑機関には法人格がないことを指摘する︒

︵7︶ ﹁保護されるべき利益﹂ないしは﹁機関に固有する利益﹂の有無によって訴訟の適法性を判断する見解︵雄川一郎﹁機

  関訴訟の法理﹂︵一九七四︶同﹃行政争訟の理論﹄︵有斐閣・一九八六︶四六六頁︶は︑この点に着目する立場である︒

︵8︶ 尤も︑以上の二つの論点は相互に密接に関わりあうものである︒前者は一般的な権利享有主体性の問題であり︑後者

  は具体的な権利の帰属可能性の問題であるからここでは差し当たり区別して考えるが︑本稿の最後に︑第一の論点と第

  二の論点は決して裁然と区別されうるものではないことが明らかになるであろう︒

︵9︶ これが行政裁判所法四〇条に基づく訴えであり︑権利侵害の要件︵同四二条︶が必要となることに争いはない︒例え

  ば参照︑○<Ω民o巨①白N﹄詳色く○日ト︒ρ﹂﹂°一㊤O古乞く綱N−肉勾﹂Oま㊤切Nドイツのこの地方公共団体における機関訴訟につい

  ての簡単な説明として︑雄川・前掲註7四五〇頁︒

国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八−二︶ 二八七

(20)

二八八

︵10︶㌔ミ蕊ふ○巾○偏⁚6り司゜・甘日口隅゜・已忌爵江く窪o︑箒ロ畠o汀ロ殉6各﹇pN>⊂中﹂89㊤﹂お︹

︵11︶ 本章第三節︒.

︵12︶ 国家法人説については︑簡略ではあるが的確な指摘として︑宮沢俊義﹃憲法﹇改訂増補﹈﹄︵有斐閣・一九五二︶ニー

  五頁︒

︵13︶ 民ミ忠∨口o冨口口い巨忌ぴq⁚○はoづ昆oげoω問60宮巳①゜・冨已房合①ロbd巨口①゜・巨口口雲ロβ⇒口Φ゜りψ力声巴o戸︽°﹀自P﹂○︒︽⇔乙り金Oゆ゜ω゜引用

  文中における傍点は原文における強調である︵以下同様︶︒なお︑本稿で引用する同書第四版は一八四〇年刊であり︑順

  序としては次に述べるアルプレヒトの書評︵一八三七年︶の後のものである︒しかしクリューバーの同書初版は一八一

  七年に刊行されており︑本稿が問題とする限りでは初版と第四版との間に大きな趣旨の違いは見られない︒

︵14︶き蕊ミ>PPO◆︵﹀ロ日﹈ω二㊤Φ⑳゜ωFo︒°S°︒㎝゜Φ゜︒°この点につき参照︑蒙eき肉庄︸胃工O隅臣9<⁝匹奏房叶﹇ω合o

  oo富巴ωひ6ぴ勾ユは已巳口合oご﹃帥o力江o力口庁Φoり叶き窃bΦ屋o戸゜﹂Oω9㊤N﹂ω゜

︵15︶ 例えば︑さきoべPPO°︵﹀旨日゜﹂ω︶︑切⑩ゆ゜ρ

︵16︶5蕊災PPρ︵>5日﹈ω︶u°り゜おゆ﹂トさらに参照︑§〜§言災や出︒目日ひq﹄隅白力訂①ご尻言﹃﹄︒・緩合6℃而あ○口bOOρψN︒︒h

︵17︶﹄§災ミ︑≦巨旨巨国已曽匹⁚PN︒匿892ζ①ξ窪ぴ器合隅︒・ρ自昆゜・警N①9白り巨巴言9口6耳ω合︒ロoり吟き﹇°・苫︹宮p

  Oぴ庄昌ひQ苔プoΩ巳各詳︒﹀出NΦ蒔窪﹂︒︒ωべ゜り﹂おN°なお︑柳瀬良幹﹁アルプレヒトの国家法人説﹂︵一九六八︶同﹃元首と機

  関﹄︵有斐閣・一九六九︶五七i五八頁︒

︵18︶ 以下の叙述は︑§富S国目゜り︷男⊆巳oはOΦ已冨oプ①︿①匡器防已口σq︒力ひ9⑦切o巳o宮6°・6詳嵩○︒q⊃ヨロロ﹄︑ω◆﹀⊆戸﹂Φ゜︒°︒w㊤゜︒﹄−﹂OΦによる︒

  さらに︑§o汗口昌免O庁bO庄巨ひ⇔震Gり完ひO口s︑国︷G・9ユo力n巨Φooε合ΦpN切c◎︵冶ω﹄二〇り﹂Φ・ω鯉的さ§真男⊆匹O序Oぽ○ぴ庄5ぬ①﹃

  oり一各①昌︵這目︶﹂口⁝§員ω古鱒巴ωお合法合o>ぴげ芦巳一巨⑦q︒目巨△①ロエ隅Φ﹀⊆﹇胡障NPω゜﹀邑二q⊃口古⑭゜鵠゜︒ム忠も参照Gまた︑こ  こで扱う事実関係についての比較的詳細な邦語文献として︑東畑隆介﹁ハノーファー王国の憲法紛争︵一︶﹂史学四九巻

  四号︵一九八〇︶三三九−三五八頁︒

︵19︶ 一八三〇年憲法を無効とするアウグストの論拠は次の二点である︒一つは︑憲法制定の際に必要とされるはずの王位  継承予定者︵すなわちアウグスト自身︶の同意をヴイルヘルム四世が得ていなかったこと︑もう一つは︑ヴィルヘルム

  四世が修正を加えた条項が議会の同意を経ていないものであったこと︵勺昌①算くo日﹂°20<°﹂◎︒巽⁚↓o×二巳忠冨き国日゜・︷

  国已ユ○はOOざ目①暮oNξ口Φ已叶゜・oすo白<o昧①霧已目哨゜・oq窃口巨o巨P切ρピ這Φ庁Gめ﹄おふ日︶︒ただ︑フーバーによれば︑前者につ

  いては当時の理解からしても王位継承予定者の同意は必要とはされていなかったし︵合aこ①゜①φ○°︵﹀昌日◆﹂○◎︶︑乙り゜㊤ω︶︑後

  者については議会の黙示の同意がありかつそれで足りると考えられていたことから︵ppOこ゜力゜⇔切︶︑いずれの主張も排

(21)

  斥されると言う︒アウグストの主張が退けられるべきものであることについては︑少なくとも今日においては合意が見

  られる︒参照︑§鼻PPρ︵>5日﹈o◎︶︑︒︒﹄Oウロ・﹂ρ

︵20︶ §忠べPρρ︵﹀ロ日﹈°︒︶︑㊤り゜Φ鉾七教授による抗議文は︑合奉︑①゜PO°︵﹀目日﹂㊤︶⇒○り゜N鵠︹に所収︒

︵21︶ 忠曾べPPρ︵巨昌日二〇◎︶°㊤巳切◆

︵22︶ ﹄合さ6ミPpρ︵﹀目日゜ミ︶︑oり﹈巴Oひさ&ざさL≦①口吋o巳Ω①ωn巨9﹇①ユ隅口①已房合窪cの富巴゜・叶①o巨ω≦一゜力白りΦ5n巨鷺ロ一㊤零二品

  ︹<oqr㌔ミ甘∨﹂O古①ロロoり叶OO廿O⇒⁚ロ巳口位西ΦN已日司Φ自房n古o巨oり富巴甲已口臼ウ巴﹃乙力叶O口﹃而O巨Pミペベψωトoω︹

︵23︶ ﹄N㌻災ミ︑騨PP︵︾⇒日二や︶㊤口嵩︹

︵24︶ 以上のような共時的な拘束に加えて︑ξ守災貢ρpO︵﹀口日口や︶○り﹈お㊤汁F乙り﹈朝O︒︒−嵩﹂Nにおいては︑君主の定めた憲

  法がその後継者をも拘束すること︵通時的拘束︶についての叙述があるが︑これがアウグストのことを念頭においてい

  ることは明らかである︒さらに参照︑§〜§↑さ鼻Pロ○°︵︾出日﹈ぴ︶︑切口朝日のO°司戸や口尤も︑交替した君主が前君主の行

  為に拘束されることについては︑国家法人の概念を用いずにではあるが︑すでにクリューバーも指摘していた︵き§ミ︑

  PPO°︵﹀目﹈日二ω︶⇒㊤ω口ω⑰゜N切N︶︒

︵52︶﹄N専災貢ppO°︵﹀口日゜嵩︶○り﹈巴﹂−﹂巴Nもちろん︑アウグストの主張は一八三〇年憲法がそもそも違法無効であると

  いうものであるから︑彼が憲法に従わなかったという説明はやや正確さを欠く︒しかしいずれにしても︑ウィーン規約

  五六条は︑﹁現行のものとして承認されているラント等族型憲法は︑憲法に定める方法によってのみ改正しうる﹂︵↓①邑

  巨9↑ミ︑ρ①゜○︵﹀⇒日﹂Φ︶Qり゜°︒°︒︶と定めており︑現に通用していると考えられていた︵アルプレヒトが書いたとされる

  小冊子︑b⇔ミさ§ぷ司匡ゆ合旨廿○プ﹃芭obげ︵自﹃°・㏄゜︶⁚Uδ勺﹁9①゜力汀叶﹄O口巨画国葺冨゜力゜力巨ぬ臣め﹃°力﹄Φひ窪ΩO庄巨Φ亀2淳oh①゜り白りo器担

  一゜︒ω゜︒ω﹂①hを参照︶一入三〇年憲法を正規の手続によらずして廃止したアウグストの姿勢に対しては︑﹁これほどの不

  当かつ下劣な憲法違反はない﹂︵﹂§品p餌∋○︵﹀口日声゜︒︶℃乙︒﹄N︶として︑立憲主義の立場から強い批判が向けられたこと  は想像に難くない︒

︵26︶ 中世においては権利義務の主体として︑支配者個人ではなく制度としての王位を観念していた時期があったようであ

  る︵○貯斗ふ○茸O<O口こO廿芦昌⑦の≧庄口防ざ切巨口合①口陪ロぼO合庄O廿①白乙っ富昌ω臣①O誌①P帆§<零芦口①詳而︾=ωひ脅P古P﹂Φ切o◎︑白り゜

  ﹂讐︶︒また︑イギリスではこのような考え方が主流であったことが指摘されている曾ミミ沖Ω①自oq⁚巨匡ぬΦ日①巳ΦoQ鼠巴゜・

  庁げ﹃Pω゜﹀已中︑﹂巴袈㊤口Φω◎ミ⇔ミ跨6亡団匹日暮 ω﹇p︒昌ロロ臼oηO=<①品巳品けcdユ゜﹂二⊃べρ㊤︽や︽︶︒

︵27︶ ↓o尊日⁚§隷きppO°︵>o日゜一⇔︶w㊤Q◎◎︒°

︵28︶ ○ミ⇔其冴さ︑ppO°︵﹀口日﹄Φ︶︑ψお㊦゜

国家法人と機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二八九

(22)

一一九〇

︵29︶ アルプレヒトは︑等族会議が全国民の代表であることを明言する憲法の存在を指摘している︒ここでは等族は︑自己  の利益のために行為する存在から国民のために行為する存在へと移行している︵と㌻災貢pロ○︵﹀巨日﹈﹃二白り゜

  声切O﹂−﹂口宝︶︒さらに参照︑民ミ隷べPPO°︵﹀昌日﹂ω︶︑°り゜±Φ㊨◆ト︒ΦSただし︑アルプレヒトは等族会議を明確に国家機関  として位置づけているわけではない︒議会が国家機関として明確に位置づけられるのは︑後のゲルバーにおいてである

  ︵第二章参照︒この点につき︑⑦品§忠鑓災9緩89⁚O器勺艮①日め巳巨﹀目゜・け巴叶ω冨巴おΦS㊤窃︶︒

︵30︶ ○ミミ富品PpO°︵︾白日﹄①︶w㊤︽o︒ω尺FOo﹄⇔◎§〜§せoo戸ρρP︵﹀目日゜﹂〇二G力゜ωΦ゜

︵31︶ §〜§ミo合⇒ppρ︵﹀口日﹂〇二〇り□o◎°

︵32︶ 君主と国民の両者を人格として対置する構想については︑後註42及び43参照︒国家法人説の意義は国民の人格を失わ

  せた点にあるとする見解︵印ミき・鑓ミーppO°︵﹀昌日﹄㊤︶℃∪り゜毯︶はこの点で正鵠を射ている︒

︵33︶卜9§災勺①巳O器oり声巴゜・誘合﹇匹霧O︒耳゜︒合霧見o民巨o°・竃ロρ古切゜﹀自戸お﹂ドQり゜雷ウロ﹂°さらに参照︑尊◎ミ轟wO﹃貫⊆巳

  富げ彗画゜・白り9昌゜・ぴ巾唱昼﹂OΦべ白︒﹂NN国家法人説のこの第二の機能は︑主権の帰属主体の単一性を基礎付けることになる  のであるから︑主権の単一性を強調する立場にとってはその意義はきわめて大きい︵︿政一9〜§専8西ρpO◆︵﹀問日﹈Φ二

  Qり゜ωΦFm°四ω︹︶︒

︵34︶﹄合さひミwppO︵﹀昌日﹈ぺ︶°oり﹈摯N﹂巴ωは国民主権をはっきりと拒絶する︒さらに参照︑§N§▽さ品三゜pO◆︵﹀⇒日﹈O︶  ω口︒︒Fψ口県これに関して︑黒田覚﹃改訂日本国憲法論上﹄︵弘文堂書房・一九四〇︶二六頁は︑アルプレヒトの国家  法人説を﹁純粋に政治的イデオロギー的性質のものであった﹂とするが︑四で述べるように︑それは一面的な評価であ

  ろう︒

︵35︶ アルプレヒトが危慎していたのは︑君主の権利が憲法によって制限されることが恰も国民主権であるかのように解さ

  れることであって︵﹄N㌻災ミ︑ρρ○◆︵﹀巨日﹈や︶︑°り﹂切已−㌫﹂ω︶︑彼はそれ以上に主権の所在についての議論をしているわ

  けではない︒この意味で︑アルプレヒトと国家主権とを直ちに結びつける見解︵例えば︑き膓S§二め出゜︒⁚○①o品汀巨ロ①π

  ¢口口巳①匹霧゜・一ωoけoQり古芦けの庁冒PNOOρQり゜ω﹃︶には疑問がある︒

︵63︶ 切合ぎ忠遣03ρpO°︵﹀目日﹄⑩︶>Qっ﹈○︒︹

︵37︶ 本節一参照︒

︵38︶ 第二節一参照︒

︵39︶ c力§嘗S句﹃⁝め腎合ぴ民陪匡<oP白り竃坤①日号ω犀Φ葺﹇oq①目男O日法09昌国oo巨㊤切口﹄﹂c◎S℃○り﹄ω①゜

︵40︶ 例えば︑寒房ふΩ巾○吋oQ>日巳合○﹃⊆β貸︷°力ψ・Φ芦①゜りωぺ乙力9ヨ切庫6°りぬoBo芦ΦロΩ︿苛oo巨切ω゜﹀自戸﹂︒︒ミ︑ω﹄0句P﹂口§ミ轟−

(23)

 き鴫菖災§二〇書目Z80日⊆o屏くo巳い゜冒ぴ已各ユoω○°日Φ一昌窪Ω<庁o合鼻ヒd伜ド﹂°︒Nべ㊤零F@﹂﹂◎さらに参照︑

 §ミ§↑ささoべ国o日ΦO⁚い①げ巳ξ巨昔ω9已這①βoqΦ日①︷gロ臼①9°りOプ窪問ΦOロ件ψ力□°﹀ぴせ﹂o︒ωNoり゜﹂NOF㊤﹂Φ\

︵41︶ 例えば︑さ句ミ﹂○げ芦昌忘貯○貫○巨p午ユo力ωユ魯巨①已蒔oロむ力鼠①富く①民霧︒・已印o自江Φ︒・﹇①巨ωoげo目男⑦片庁ρべ﹀已戸﹂品古卯にN山や◎

  切ω⑦Nωやρψ嵩切ふωω戸㊤おω白﹂Φに挙げられている︑神聖ローマ皇帝や帝国等族らの諸権利を参照︒中世における法関係

  の描写として︑○ミ隷べO邑即完貸︷合<︒巳q⑦ぴ20は8法合而國8げ声﹂◎︒切NψωO尺゜

︵42︶ 例えば︑㌔ミ譜︑﹂09目Qり甘O庁芦⁚﹀巳︒巨⇒oqN巨日弓①ξω合①⇒o︒声彗留oo宮P切P﹂㊨﹂お⌒︑<o巳窪洋宮ロ㊤切④qさらに参

  昭⁝︑§弐速︑d一民oげ⁚O一①知o口廿﹇切Oo﹃ωO昌寓o巨屏o詳︵声oωoりけ①巴oω︑戸Φ口円㊤Φ﹃−O㊤口㊤o◎⇔〜︶ぶ〜o嵩曽︑06汗ppO垣︵︾口問r﹂①︶︑㊤NP

︵43︶ ㌔ミ甘バppO°︵︾目日゜☆︶w㊤Φ︽︹ゆ◆や+同様の構造はクリューバーについてすでに指摘したところである︵本節一︶︒さ

  らに参照︑○合斗♪99<︒員O器口①已け㊦合ゆΩ巴○のの巴︒︒巳昌胃①︒算bd合古﹂巴古ω゜岳︒︒°

︵44︶ ㌔ミ甘きPρρ︵︾昌日゜鼻N二乙力゜切ゆ゜◎

︵45︶ 同じことは︑一七九四年のプロイセン一般ラント法についても言える︒その第二部第十三章は﹁国家の権利義務一般﹂  という見出しを置いてはいるが︑その第一条からもうかがえるように︑そこで挙げられている諸条文は実質的には君主

  の権利義務に関わる規定となっている︵弓①図二巳≧庁ぬ①日①巨Φ゜・い①⇒昔oo巨臣﹃合o印巴巨゜・⇔匡90り鼠巴Φo<05嵩路

  ︵吋而図ξ゜・ひ亀書Φ巨ご器;巳︹嘗2品く︒巳︶﹃﹄き︒・日庁⌒窪gg﹃︶︑戸⑰﹃ρ胡゜切︒︒巴゜︶︒総じてこの時期においては︑次第に国

  家と君主とが区別されつつあったが︵団舎ぎミぽ合︑団§勿中コo一綜きσq ○品①戸○お①巳ψり日已乙・︑○お①巳留巳○戸8法一゜・合窪

  民O壱o﹃﹂巳○Φωo巨oゲ巳↑6けoΩ巨昌口ぴoσq﹃津p切P企声Φぺ○︒︑㊤切謹︶︑それはまだ十分ではなかったと言えよう︵富e§pρ○°

  ︵﹀⇒日゜﹂︽二Gり﹄OρSS§㊦︒鼻ppO°︵旨日゜戸⑦︶ψ鵠︶︒

︵46︶ ヘーフェリンは非現実話法を用いて次のように述べている︒﹁ 君主制国家理念のもとで  上下関係として秩序づ  けられた主観法的関係によつて国法体系全体を描写するこのような主観主義が︑もし仮に当時の公法学思考にとって自  明のものでなかったとしたならば︑特別の法主体としての国家が国法体系全体の支配的原点となりうることもなかった

  であろう﹂︵§§P①゜○°︵﹀ロ日゜☆︶∨°り゜°︒Sさらにo︒°°︒○︒︾昌日﹂おも見よ︶︒

︵47︶ この意味で︑アルプレヒトが国家法人を倫理的な概念として理解していたと主張する︑駕ミ誉叉pρ○°︵﹀ロ日﹄N︶°切

  ﹂謡ロ゜o﹄宗hは適切ではない︒

︵48︶ 仲野武志は公法をこのような主観法関係として把握することを批判し︵仲野武志﹃公権力の行使概念の研究﹄︵有斐  閣・二〇〇七︶ニー四頁︶︑その結果︑国家法人説に対しても否定的な反応を示す︵例えば︑同九九頁における︑マイ

  ヤーについての叙述を参照︶︒

国家法人と⁝機関人格︵一︶      ︵都法四十八ー二︶ 二九一

参照

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