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(1)

協同組合における労働問題 (2) : 協同組合労働者 の経営参加, 利益分配, 労働組合運動をめぐって

その他のタイトル Employees' Problem in the Cooperative (2)

著者 生田 靖

雑誌名 關西大學商學論集

巻 15

号 3‑4

ページ 238‑258

発行年 1970‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021174

(2)

238 (44) 

協同組合における労働問題 (2)

ー 一 協 同 組 合 労 働 者 の 経 営 参 加 ,

利益分配,労働組合運動をめぐって—

生 田 靖

は し が き

協同組合労働者の地位に関する原初的問題の発生_ロッチデール公平 開拓者組合における労働問題について

(1)  ロッチデール消費組合の発展

(2)  ロッチデール組合店舗経営の発展と当初の労働問題

(3)  協同組合生産工場の発足と労働問題の進展(以上第14巻第5 II  協同組合組織の発展と労働問題

(1)  その後の協同組合の発展—ィギリスの卸売組合の成立に関連して_

(2)  協同組合労働者の増大と労働問題の深刻化 (3)  協同組合経営への組合労働者参加問題(以上本号)

(4)組合労働者への利益分配問題 (5)  協同組合の労働組合運動 わが国協同組合における労働問題

II  協 同 組 合 組 織 の 発 展 と 労 働 問 題

(1)  その後の協同組合の発展ーーイギリスの卸売組合の成立に関連して一一 一般に協同組合組織が成立し,発展していくパクーンしま,おおよそつぎの ような筋道をたどる。まず各都市および郡部の一部の労働者,農業者,中小 商工業者による協同組合の組織化とその地域的点在化。協同組合組織の地域 的,全国的な拡大。参加組合員数の増加と協同組合経営体の一層の充実,発 展,強化。さらに組合員のための購買事業面では,組合員が必要とする生活 必需物資の若干の種類を自己生産し供給する組合生産工物の設立と組合組織 によるその生産物の供給体制の確立=その生産物の組合店舗経営への結合。

(3)

協同組合における労慟問題(2)(生田) (45)  239  協同組合店舗経営体の増加にともなって発生する商品の共同仕入体制の整備 の必要性の増大=安価で純生な商品を仕入る地域連合的な共同仕入機関の設 立。この共同仕入機関の機能充実と再編,統合による,より広汎で強固な卸 売組合連合体への発展。つぎに阪売事業面では,組合員の生産する生産物を 加工,貯蔵,調整,包装して有利に販売するための共同利用施設の完備ある いは有利な販売市場を開拓するための販売出先機関の共同出資による設立。

さらにより有利な市場対応をめざす販売組合連合体の設立と販売機能の一層 の拡大充実。また金融事業面では組合員相互間や協同組合相互間の生活,経 営資金の過不足をより有効に調整しうる,あるいはその資金の運用を一層効 率化しうる上級金融機関の設立と体制整備。

協同組合組織の発展と主要な事業たる購買,販売,金融面の発展とを簡単 に図式的に描けば以上のとおりである。このような発展の系路を歩むことに よって,協同組合は,地域的にも全国的にも,最終的で完成された協同組合

(1) 

の水平的,垂直的な結合を強化しつつ,系統協同組合体制を確立していくこ ととなる。

このような協同組合の発展パクーンを消費組合的タイプにおいて典型的に 示したのがイギリスの協同組合運動であった。したがってここで,われわれ

(2) 

は,まずホリョーク (Holyoak)の紹介によりつつ,「消費組合の消費組合」た るイギリスの卸売組合の成立過程をごく簡単に記することからはじめよう。

「消費組合による消費組合」すなわち各地域に組織された消費組合(以下

「単位消費組合」と記す)の組合店舗に対して,組合員の必要生活物資を 供給しつつ,卸売商人よりも有利な卸売機能を果しうる(小売機能と同様 その中間利潤をとりもどし流通費用を節減する)卸売協同組合の設立を最

(3) 

初に企図したのは,キリスト教社会主義者といわれる人たちであった。つ まりニール (Neale)モーリス (Maurice)ルードロー (Ludrow)キソグスレ

(4) 

‑ (Kingsley) などである。彼らは一方でほ, 1840年代後半のロッチデー

(1)  本田位祥男「消費組合運動」p.195  (2) 本田位,同書, p.201 

(3)  ホリヨーク「ロッチデールの先駆たち」 pp.297  2 98. 

(4)

240 (46)  協同組合における労慟問題(2)(生田)

ル公平開拓者組合の店舗経営の成功と発展に覚酔,刺戟され,他方では,

この組合店舗をも含めて当時漸く増加しつつあった他の協同組合の組合店 舗の経営を一層充実,発展させるためには卸売段階を合理化する,すなわ 紹卸売商人を排除することが必要であり,そのために1850 ロンドン協、

(5) 

同組合中央阪売所を設立した。ロンドン協同組合中央販売所設立の目的ほ,

当時の小売卸売関係における商取引にさいして,ごく普通に行なわれてい た混ぜものや詐欺的な仕組を解消し,組合店舗に対して公正で信用ができ

(6) 

しかも純度の高い商品を供給していくことにあった。

しかしながら,この先駆的,理想的な試みは,その正当性と必要性にも かかわらず,わずかに1年を経ずして,結局失敗に終ってしまった。その 失敗の主たる要因は,当時まだ協同組合組織として確たる姿をととのえて いたものほ,かのロッチデールを中心にごく少数の協同組合にすぎず,ま た設立数も少なかったこと。しかも組合店舗自体もきわめて零細で,おの ずから組合店舗の取扱品目,量とも限定されていたからであった。換言す れば協同組合がその組織に独自の卸売機能をもちそれを拡大充実していく べき必要条件にはあったが,協同組合の組織的な整備と組合店舗の経営的 発展に支えられて卸売部門が独自の経営体として成り立ちうる十分条件を もたなかったからである。つまりその当時の単位消費組合の状態では,市 場競争において他の商業的卸売商人に立ちうちできなかった,と考えてよ いであろう。

しかし,このように協同組合組織内部で組合店舗に対する卸売機能をと りあげ,これを拡大,充実しようとする試みは,キリスト教社会主義者た ちの,はじめての失敗にもかかわらず,ひき続いて計画された。当時ロッ チデール組合の組合長の職にあったアブラハム・グリーソウッド(Abraham Gereenwood)に よ っ て そ の 3年後に再びとりあげられたロッチデール組 合卸売部の新設,拡充計画であった。組合店舗が市場競争関係で小売商人 (4)  キリスト教社会主義者たちの協同組合運動についてはPotter,The cooperative 

Moverment in  Great Britain,  p.  119以下を参照されたい。

(5)  ホリヨーク,前掲書, pp.297  29

 

8.  (6)  ホリヨーク,同書, p.298 

(5)

協同組合における労働問題(2) (47) 241  や卸売商人を排除し組合員により多くのメリットを与えるために協同組合 機能の中に卸売機能をとり込まねばならない,という意識がいかに強くか つその必要性に迫られていたかは,このこと一つをとってもあきらかとな ろう。

グリーンウッドのこの計画は, 1853918 ローチデール組合総会

(7) 

にかけられ承認された。計画はこの年に,まず手始めに衣料卸売部門の新 設とその機能充実からはじめられた。ところでたびたびふれるが,さきの キリスト教社会主義者たちの短期間の失敗をもかえりみずーーその失敗し た要因から考えれば時期尚早であったといえよう‑再びロッチデール組 合が卸売部を新設し,卸売機能の充実を求めたのほ,いうまでもなく,組 合員に対して可能なかぎり大量の安価で純正な商品を供給しうる体制を確 立して,自己の組合店舗をより発展させることに主眼をおいていたからで ある。とはいえ,さらにはランカツャー,ヨークシャーなどに増加してき た他の協同組合とその組合店舗に対してロッチデール組合が卸売機能を発 揮しその支えによって他の組合店舗の経営的安定に資することをも企図し ていたと考えてよい。ここには協同組合相互間の協調的関係の萌芽的形態 がうかがえる。しかしこの雄々しき企図も, ロッチデール組合と他の協同 (7)  グリーンウッドのこの計画ほ,さらにつぎのような規則に整備され, 1853年10

月23日の総会で承認されている。この規則がその後1863年の卸売組合の規約の基礎 となった。

1.  本組合の事業を,卸売と小売の 2部門に分ける。

2.  卸売部は大量に商品を需要する構成員に対する供給をその目的とする。

3.  卸売部は8名の委員からなる委員会と3名の理事によって運営される。各員は 毎週水曜日の午後 7時半に会合する。委員会は理事会が卸売部のストックとして 承認した商品の購買,販売を管理する。委員会は4月と10月の四半期会議で選出 , 4名づつ交互に退職するものとする。

4.  卸売部は理事会から貸付される資金に対して,年5分の利子を支払うこと。

5.  この部の利益は,経営費とその他の費用(前記利子を含む)を支払ったのち,

四半期ごとに3つに分けられる。その1部分は取引上の損失補償のために,一定 額に達するまで稜立てられ,残り2部分はこの部の購買高に応じて組合員に分配 される。

(6)

242 (48)  協同組合における労働問題(2)

組合店舗経営との取引関係が必ずしもスムースに進展しえなかったため,

(8) 

一時頓挫せざるをえなかった。

協同組合店舗の卸売機能を統一的に担い,各組合店舗の仕入機能とマッ チさせうるような本格的な卸売組合がようやく発足しうるのは,グリーン ウッドの企図より10年を経た1863年のことであった。グリーンウッドは,

さきのロンドン協同組合中央販売所の短期間の失敗や自からの試みの失敗 の裏面にほ,卸売組合の機能確立,充実に対応する各単位消費組合の組織 的充実の欠如が存在していたことを正しく認識していたと考えられる。し たがって,彼は,その失敗後はことを急がず,その後の10年間,各単位消 費組合の組織的充実の機会の到来を待っていたのであった。

1861年の年には,ランカシャー,ヨークシャー,チャーシャーの諸州に 存在する組合店舗数はロッチデール組合の支店店舗を含めて, 120店舗へ と増加し,組合員数も約4万余人に達する。そうして,この4万余人の組 合員が組合店舗から購入する日常必需品の消費購入量はすでに100万ポソ ドを凌駕していた。かつての失敗の反省の上に立ってグリーソウッドはす でにこの段階で,各組合店舗に供給する卸売組合を設立した場合でも,経

(9) 

営的に十分成り立ちえ,成功しうるとの予測をたてていた。が彼は慎重に 組合店舗経営の発展状況を見守りつつ,更に時期を待つのである。かくて 2年後の1863年,前記各州における組合店舗数は300をこえさらに発展を 続けていた。グリーソウッドは,この店舗数の増加を潮に,彼の綿密な調 査にかかる正確なデークーとプランを他の協同組合関係者に提示し,卸売

(10) 

組合の設立にふみ切ったのであった。

(8)  ホリヨークは,他の組合店舗との取引関係がスムーズにいかず,まずくなって いったことをつぎのように記している。 「やがて,従来のあらゆる労働者階級運動 に存在していた悪魔嫉妬がここにも忍ぴ込んできた。先駆者組合(ロッチデール組 合贅者)の卸売部と取引する組合は先躯者組合が利益をかすめていると考え,他 方先駆者組合の組合員の多くは,自分たちは他の諸組合に特典を与えているが,こ の特典は自分たちの直接の利害を考えれば与えるべき筋合のものではないと思っ た」(ホリヨーク,前掲書, p.304) 

(9)  ホリヨーク,同書, P.305 306 

(10)  グリーンウッドが他の協同組合に呼びかけた卸売組合のプランはつぎの5項目

(7)

協同組合における労働問題(2) (49)  243  以上のような経緯をたどって1863年,イギリスではじめての「消費組合の 消費組合」イングランド北部卸売組合 (TheNorth of England Cooperative  Wholesale Industrial and Provident Society,  Lited)が発足したのである。

さらに3年後の1866年には,スコットランドに,これと同様な組織と機能を

(11) 

もつスコットランド卸売組合 (ScottlandWholesale Society)が発足する。

ところで,このイングランド北部卸売組合の発足当初の数年間の単位消費

(12) 

組合の参加状況と卸売組合の卸売機能の利用状態はあきらかでない。がボッ クーによれば両卸売組合の発足8年後または5年後の1871年以降の発展状況 は第1表に示されているとおりである。この表は,発足後きわめて短期間にる。

参加組合数やその利用高が急速に伸長していったことをあきらかに示してい 以上のごときイギリスにおける卸売組合の発足とその後の発展は,一方で ほ,もっぼら卸売商人から商品を仕入れていた(仕入れざるをえなかった)

組合店舗から,それら卸売商人の卸売機能を排除して.その詐欺的な仕組か ら組合店舗経営を解放した。そうして卸売組合がもっばら組合店舗に対して 生活必需物資を供給していくという方向をたどっていった。と同時に,他方 では,.当時まだ分立,分散していた単位消費組合の零細な自己生産工湯(あ るいは2, 3の単位消費組合が連合して設立していた生産工場)を卸売組合 の組織の中に吸収して大規模化し大量生産,大量供給を行ないうる生産工場

に要約される。

1)  卸売組合は, リバプールかマンチェスターに開設されるぺきである。

2)  卸売組合のメンバーは単位協同組合であり個人組合員は参加させない。

3)  参加組合は組合員数に応じて出資金を出す。投票数もその出資金に応じて与え

4)  参加組合はその取扱商品の仕入については,専ら卸売組合を利用したければな らない。

5)  商品取引の方法は現金取引で,価格は原価に若千の手数料を加えたものとする。

(Potter,  op.  cit., pp. 93 94) 

(11)  この卸売組合はその前年に制定された (1862 Industrialand Provident Act  にもとずいて設立された。

(12)  発足初年は45組合が参加し,ロッチデール3人,マンチェスター2人,ベスト ン,オールダム,ソドルトン各組合からそれぞれ1人,合計8人の理事が選出され 運営に当った (Potter,op. cit.,  p. 94)

(8)

244 (50)  協同組合における労慟問題(2)(生田)

第一表 イングランド,スコットランド両卸売組合の発展状況 1871 1875 1880 1885 1889 卸イ 参 加 組 合 数 115  250  362  508  679 

出資金(ボンド) 24  78  146  234  342  売 グ

組 フ 借 入 金 < II  26  287  362  525  722  売 上 高 ( II  786  2,247  3,340  4,793  7,229  合 ド 利 益 ( , , ) 27  42  78  102  卸 ス 参 加 組 合 数 15  27  42  70  107  出資金(ポンド) 12  19  34  76 

借 入 金 (

 ) 

24  68  220  347  組 ラ 売 上 高 ( II  163  430  845  1, 438  2,274 

合 ド 利 益 ( I I ) 22  40  62 

Potter,  The Cooperative Movement in Great Britain, Appendix V. ‑Relative  Progress of the Cooperative Movementより

へと発展しうる契機をもつくりだすこととなった。換言すれば卸売組合の設 立と発展とは,零細で比較的効率の悪い自己生産工場を統合,合併して,大

第 二 表 生 産 工 場 吸 収 状 況

年 次 工 場 名

1903 レスタメリヤス製造組合 LeiceterHosiery. 

190411  ハツダフィールド刷子製造組合HuddersfieldBrushmakers.  190511  デズプラ,コルセット製造組合 DesboroughCorset Manufacturing 

Society.  190611  ロッチデール製粉組合RochdaleFlour. 

  オールダムのスター製粉組合StarFlour Mill, ohdham. Oldham. 

190811  キースリ製鉄組合KeighleyIronworks. 

II  ダドリ,バケツおよびフェンダー組合DudleyBucket and Fender.  190811  バートリブリキ組合BirtleyTinplate. 

191511  ハリフアックス製粉組合HalifaxFlour. 

II  サウアビプリッヂ製粉組合 SowerbyBridge Flour.  ,,  コーン,ヴァリ製粉組合 ColneValley Flour. 

II  統一刃物組合UnityCutlery Society. 

II  連合刃物組合FederatedCutlers. 

1917 II  デルフ羊毛製造組合 DelphWollen Manufacturing Society.  191811  ヘプダン・プリッヂファスチアン織製造組合

Webb, The Consumers'Co‑operative Movement., p. 260. 

(9)

協同組合における労慟問題(2)(生田) (51)  245  量生産,大量供給の体制をととのえ,協同組合組織が本来的にその目的とす る安価で純正な生活必需物資の自己生産と自己供給する道を確立したのであ る。いま参考までに, 20世紀当初の段階のイソグランド卸売組合が成長,発 展した過程における協同組合生産工場の吸収合併状況を示せば第2表のとお

りであった。

イングランドおよびスコットランド両卸売組合の設立と発展は,「消費組合 の消費組合」という表現に如実に示されているごとく,イギリスの各地域に 散在する単位消費組合店舗と自己生産工場の一層の発展,その経営安定充実 に大きな役割を果しつつ,両卸売組合を支えとする統一した協同組合組織の 結合化強固化を促し,その後のイギリス消費組合の飛躍的発展の基礎をきづ くものとなった。その一端を示すものとして, 1883年以降, 20世紀初頭まで のイギリス協同組合の発展状況を示しておこう(第 3表)。

第三表協同組合の発展状況 (単位:人,ポンド)

組合数 組合員数 出資金 売上高

1883  1,051  627,625  6,398,744  18,540,004  1885  1,  148  743,772  7,508,900  19,872,343  1887  1,  153  828,073  8,561,098  21. 358,207  1889  1.  297  932,000  9,521, 108  25,887,240  1891  1,307  1.  044, 675  11,312,806  30,599,401  1893  1,421  1,169,094  12,529,359  31,925,896  1895  1,  417  1.  273,994  14,123,685  33,900,674  1897  1,442  1,465,538  16,318,718  40,128,559  1899  1,446  1,613,461  18,934,023  45,047,446  1901  1,462  1,793,770  21,566,628  52,761, 175  1903  1,481  1.  987,768  24,217,134  57,512,917  1905  1,457  2,153,185  26,077,174  61,086,991  1907  1,4 2,323,378  29,038,649  68,147,529  1909  1. 430  2,469,039  30,804,246  70,315,078  1911  1. 407  2,640,091  33,253,757  74,802,469  1913  1,  387  2,878,648  37,275,057  83,615,175  1915  1,375  3,265,011  43, 141, 970  102,557,779  1917  1.  366  3,788,490  47,574,049  142,003,612  1919  1,357  4,131,477  65,644,968  198,930,437 

(10)

246 (52)  協同組合における労働問題(2)(生田)

(2)  協同組合労働者の増大と労働問題の深刻化

協同組合の地域的組織化の進展と組合店舗数の増加,自己生産工場の設立 数の増加,なかんずく卸売組合の発足と発展とは,協同組合組織内部で働く 労働者数を著しく増大させていった。卸売組合も一応の成功をみせた1919 には,協同組合店舗,単位組合および2, 3の組合連合による自己生産工場 およびイングランド,スコットランド両卸売組合を含めて,協同組合組織で 働く労働者数は20万人をこえたのであった。 (協同組合の商業活動に従事す る労働者数は約155千人,生産工場での生産活動に従事する労働者数は約

(13) 

68千人,合計223千人を数えた)

この協同組合労働者数の増加は,つぎの 2つの意味で,その後の協同組合 の発展と運営とにおいて,深刻な労働問題を発生させることとなった。

(イ)協同組合組織が成立発足してまだ初期の段階,したがって組合店舗数 も少なく,店舗を利用する組合員数もあまり多くない段階,しかも卸売組合 がまだ設立されるまでの当初の20年間は,当時協同組合運動の主体をなして いた組合店舗経営それ自体の規模ほきわめて零細であった。ロッチデール組 合の場合は,すでに指摘したごとく,組合員数,出資金,取扱売上高とも,

いちじるしく急速に伸長をみせたのであったか,ヨークシャー,ラソカツャ(1p 

ーに漸く群生しつつあった他の協同組合の店舗はロッチデールの当初の店舗 のごとく零細であり,組合店舗の利用者も限られ,かつ売上高もさほど大き くはなかったのである。

したがって,これらの組合店舗で働く使用人=労働者(以下「組合労働者」

という)も,はじめほ組合員やその家族が片手間に阪売,仕入業務を手伝っ たり,交代で従事するのが一般的であった。また組合員数=店舗利用者数が 増加し,その売上高も増加していき,組合員の単なる片手間仕事や交代制度 から,阪売,仕入業務あるいは管理業務にたずさわる専業的な従事者が次第 に増加してはいったが,これらの従事者は,自分自身が組合員の一員である か,あるいは組合員家族の一員であった。このような立場からすれば,彼ら

(13)  Webb, op. cit.,  p.  183. 

(14)  「商学論集」第1位唇第5号の拙稿参照

(11)

協同組合における労慟問題(2) (53)  247 

は,他の組合員の場合と同様に,協同組合を利用することで同様な利益を享 受し,さらには,彼らの仕事自体が彼らに協同組合運動の内部における中心

(15) 

的な担い手である,という意識を強くもたせたのであった。したがって,い わゆる労働者意識はまだ低かったと考えてよいであろう。このことはまた,

組合店舗を利用する組合員の範囲が一定の狭い地域に限定されていたことも 手伝って,自分たちの顔見知りの組合員仲間たちのためにお互いに手をたず

さえて協同組合運動の発展に参加,寄与していくのだといった自負心にも似 た自意識に支えられたものであったといえるだろう。

しかし年を経るにしたがって,組合員数が増加し,組合員の属する地区の 範囲も一都市全域あるいは一郡部全域にまたがるまでに拡大され,組合店舗

(16) 

における取扱品目の種類や量が増大し,これにともなって他の小売商人との 競争関係も激化してくると,店舗経営従事者は,商品の販売,仕入,会計,

管理などの分化された業務に専門化,専ー化しなければ,経営体としての組 織は維持できず,その機能も十分発揮しえなくなってくる。つまり協同組合 組織で働く組合労働者は単なる協同組合思想あるいは協同意識の中心的な担 い手であり,他の労働者とは異なるのだ,といった精神主義的な思考で彼ら をいろどることは,不可能となってこざるをえない。

これには,もちろんそれだけの物質的な基礎をもっている。以上のような 条件が整ってくると協同組合組織で働く労働者の生活基盤は,もっばら自分 たちの働く労働の生産点=すなわち協同組合経営体から受けとる賃金,であ り,この賃金以外の例えば協同組合思想というカスミを喰っては生きていら

(15)  Webb, op.  cit.,  p. 184. 

(16)  1890年には,すでに一組合当りの組合員数は約800人であり, 10年後の1901 には1,200人に達した。ウェップ夫妻によれば参加組合員数の少ない組合は,村組合 (village store)であり,小は約500人程度,大きくても1,000人程度であった(Webb, op.  cit.,  pp. 17   18)。しかし都市の組合は, 1,000人以上は普通で1万人をこえる

ものも増加していった。なお1人当りの商品供給高は,その組合活動のあり方如何

(活発か否か)で大きな格差がみられたが (op.cit.,  pp. 1920)平均的にみれば 一人当り年間約30ボンド (1901年)から50ポンド (1919年)程度であった(したが

って1,000人程度で組合であれば年間3,000ポンドに達する)。

(12)

248 (54)  協同組合における労働問題(2)(生田)

れない。彼ら組合労働者は,単に協同組合経営体の外で組合員の一員として,

協同組合組織を利用することで,若干なりとも利益を受けとる(流通過程に おける中間利澗の排除や流通費用の節減から生ずる価格上の利益を受けと る)一般組合員とは異質な協同組合組織の内部の存在として,協同組合運動 の中に位置づけられねばならなくなるからである。つまりこれは協同組合経 営体内部に単なる協同組合の組合員であるとか,組合員の家族の一員である

とか,いうことだけでは解決しない問題が提起されてくるのである。このこ とは,協同組合組織を中心として,一般組合員と協同組合組織で働く組合労 働者との利害相反する対立,矛盾としての労働問題を発生させることとなる のである。

(口)単位消費組合の上部組織たる卸売組合の設立発展は, (イ)でのべた 組合労働者の条件変化をさらに促進することとなる。イギリスの両卸売組合

(17) 

で働く労働者の数は1922年にはすでに4万人をこえた。組合労働者の5分の 1がこの組織で働いていたのである。卸売組合自体は, 「消費組合の消費組 合」であり「消費組合のための自己生産工場」であって,個々の組合員と直 接接触し取引を行なう協同組合ではない。ここでは組合店舗のように,組合 員と協同組合組織が直接的に接し合う,したがって,そこには協同組合と組 合員との間に協同組合の民主的運営原則を通じて緊張関係がつくり出される 相互関係はもはや存在しない。

卸売組合で働く 4万余人の組合労働者は,あるいはそれぞれ単位消費組合 の組合員の一員である場合もあろう。しかし卸売組合とこれら組合員である 労働者との関係ほ,組合店舗とその参加組合員との関係のごとく,直接的な 奉仕利用の相互関係は全くたち切られてしまっている。卸売組合で働く組合 労働者にとってほ,卸売組合自体が協同組合組織の一環ではあるといっても,

すでに消費者の立湯で利用する身近かな協同組合組織ではなくむしろ生産者 の立場からする彼らの労働の場であり,生産点であり,彼らの生活の糧(賃 金)を獲得する手段の場であった。彼ら組合労働者の生活基盤ほ,これ以外

(17)  1922年のReportof the Proceedings of the Congress of the International Co‑

operative Alliance,本田位,前掲書, p.291による。

(13)

協同組合における労慟問題(2) (55)  249  に存在しえないのである。

この条件は,卸売組合の生産工湯で働く労働者の場合,さらにきびしくな

(18) 

らざるをえない。協同組合の生産工場の場合も他の生産工場と異なるわけで はなく,その工場生産が発展し充実していくにともなって,生産技術の専門 化,高度化が進む(これは必然的に生ずる)。 この生産分野で働く組合労働 者を,既存の協同組合の組合員やその家族の一員からのみ雇用することは困 難となってくる。つまり協同組合の組合員ではないあるいはその家族の一員 ではない労働者が生産工場に雇用される機会が必然的に多くならざるをえな ぃ。これらの組合労働者は(イ)でのべたごとく,少なくとも単位消費組合 の組合員の一員として(あるいはその家族の一員として)卸売組合一組合店 舗という垂直的結合関係における,そのルートを流れる商品の購買利用から 利用利益を受けとるわけにはいかない。この種の組合労働者は,単位消費組 合の組合員たる組合労働者とは異なった,ある意味では協同組合組織の外部 におかれた,協同組合運動そのものからは何の利益も受けえな•い組合労働者 だといえよう。

いずれにしても,多少の差はあれ卸売組合で働く労働者は,協同組合運動 全体の発展,協同組合経営体全体の流通機能によるメリット,それに対応し た直接的な利益と即時的な関係をもつものではなくなり,彼らが働いている 卸売組合からいかほどの賃金を受けとるか,が最大の関心事となってくる。

確かに長期的観点からすれば,協同組合店舗の発展,その経営的充実,ひい てほ協同組合運動全体の隆盛が,彼ら組合労働者の労働諸条件と直接関連し ているとはいうものの(また彼らがこのことを認識しているとしても),短期

(18)  卸売組合に働く労働者の地位に関する問題は1873年にビスケットと靴の生産部 (own"productive" departments)を設けたときに発生した。それはレセスター (Leicester)とクランプソル (Crumpsall)のビスケット (buiscuitmakers)と靴工 (boatmakers)の利潤分配問題であった。 (Webb,op cit.,  p.  184)もっとも.この 問題は,彼らエ員が利潤分配や賃金の引上げを要求したことから発生したのではな く,協同組合のイデオロギー論争が火つけ役となり,たまたまこれらの労働者の地 位の問題にまで発展したのであった。しかし,単なる机上の空論として.この問題 が発生したのではなく.それなりの客観的条件をもっていたと考えねばならない。

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