︿論説﹀
﹁幕 制 彙 纂 ﹂ の 史 料 学 的 考 察
﹁伺﹂と﹁問合﹂を中心にi
「幕 制 彙纂」 の史料 学 的考察
一はじめに
二﹁幕制彙纂﹂に見る﹁伺﹂と﹁問合﹂
A文書を記録した幕府役人の理解
B差出人と提出先
三﹁伺﹂と﹁問合﹂の違い
四他﹃問答集﹄の場合
五むすび 小島信泰
はじめに
現在︑石井良助氏︑服藤弘司氏を編者として江戸時代の﹃問答集﹄が創文社より刊行中であるが︑そのシリーズの
ユ 一冊として収録される予定となっているのが本稿で取り上げる﹁幕制彙纂﹂である︒﹁幕制彙纂﹂は︑江戸時代後期
に山城国淀藩主の稲葉正謳によって編纂されたと伝えられる﹁諸例集﹂第一巻〜第八巻と︑ほぼ同一の内容を有する
ぼ 史料である︒﹁諸例集﹂は研究者の間ではその存在がよく知られ︑すでにその影印本が﹃内閣文庫所蔵史籍叢刊﹄に収
められているが︑﹁幕制彙纂﹂についてはあまり知られることはなかった︒﹁諸例集﹂についても︑これを対象とする
ら 史料学的研究はまだ十分なされているとはいえない︒﹁幕制彙纂﹂は︑享保年間から享和年間を中心とする先例集であるが︑数は少ないとはいえ慶安四(一六五一)年を
はじめとして︑文化一三(一八一六)年をおわりとする諸先例までもが収められており︑その収録された年代の長さ
という点ではほとんど他に類例を見ない先例集であるといえよう︒その内容としては︑幕府の儀式をはじめ大名の幕
臣としての勤めや武家の生活全般にわたる先例が収録されていて︑そこから幕府の法度や触書だけでは対応しきれな
い諸問題がどのように処理されていたかを具体的に知ることができる︒ここにいう先例には︑諸藩の大名等が幕府に
上申した﹁願﹂・﹁伺﹂・﹁届﹂や︑それに答えた幕府の﹁附札﹂を中心として︑その他︑﹁書付﹂︑﹁達﹂︑﹁裁許﹂︑さら
には留守居間の承合とその答え等があり︑これらは当時の武家生活にとっての重要事項を知るためばかりではなく︑
幕府法の運用の実際を理解する上でも極めて貴重な史料であるといえよう︒
ところで︑笠谷和比古氏は﹃近世武家文書の研究﹄で︑大名家から幕府に提出される上申文書の文書様式には︑基
ハ 本的に﹁願書﹂︑﹁伺書﹂︑﹁問合書﹂︑﹁届書﹂︑﹁聞置届書﹂の五種類が見られると述べておられるが︑果たしてこの分
̲̲̲.一 一
「幕制 彙纂 」 の史料学 的考 察
類は﹁幕制彙纂﹂においても妥当するであろうか︒本稿では︑このうちの﹁伺書﹂と﹁問合書﹂にテーマを絞って考 ヱえてみたい︒
笠谷氏は︑﹁伺書﹂については﹁各種案件について幕府の判断を仰ぎ︑その回答差図を求めるという機能的性格をもつ
ゑた文書類型である︒そしてその回答差図は通常(中略)﹃附札﹄によって行われる﹂とし︑﹁問合書﹂については︑﹁大
名当主の名によるものは稀にしか見られず︑その大部分が留守居役の名をもってしている︒そしてそれらは専ら幕府
の奉行・目付および評定所留役などに提出されるものである﹂として︑﹁問合書﹂は﹁伺書﹂に比して﹁一段と非公式
な意味合いのものであり﹂︑﹁法律解釈や行政規則などを対象とした専門的・実務的性格の濃厚なものであった﹂とい
うことができると述べられている︒これより先︑笠谷氏は﹃概説古文書学近世編﹄で︑﹁留守居の名でする伺書や問合
書といったものは通常は幕府の奉行クラスの者に提出されるものであり︑その対象事項の性格は基本的に幕府の内意
伺い︑見解の打診といったものである﹂のに対し︑﹁大名の名で差し出す伺書は︑幕府老中に対して公式の形でなされ むる﹂と述べられている弛これらを総合して考えると︑笠谷氏は︑大名も留守居も﹁伺書﹂や﹁問合書﹂を幕府に提出す
ることがあったが︑﹁問合書﹂についてはそのほとんどが留守居の名で幕府の奉行クラスに出される内意伺いであり︑
それは主に大名の名で老中に出される﹁伺書﹂が公式なものであるのに比べて非公式なものである︑ということにな
ると思われる︒もし︑この理解が正しいのなら︑それは﹁幕制彙纂﹂においてもいえるのであろうか︒
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↑ 注
﹃問答集﹄各巻に収録されている﹁問答集﹂と担当者︑刊行年月は以下の通り︒
1﹁三奉行問答﹂(服藤弘司担当︑一九九七年九月)
2﹁時宜指令﹂・﹁三奉行伺附札﹂(藪利和担当︑一九九八年二月)
3﹁諸例撰要﹂・﹁諸家秘聞集﹂(工藤祐董担当︑一九九九年二月)
4﹁三秘集﹂・﹁公裁集﹂(吉田正志担当︑二〇〇〇年二月)
5﹁三聴秘録﹂(大平祐一担当︑二〇〇一年二月)
6﹁青山秘録﹂(本間修平担当︑二〇〇二年二月)
7﹁幕制彙纂﹂・﹁寺社公聴裁許律﹂(筆者担当︑二〇〇四年二月刊行予定﹀
(2)﹃補訂版国書総目録﹄第六巻(岩波書店︑一九九七年︿初版一九六九年﹀)には︑﹁幕制彙纂﹂の写本は伊勢の神宮文庫に所蔵さ
れていると記されているが︑東京大学法学部法制史資料室にはこの神宮文庫蔵本の写本が現存している︒これら写本については︑
拙稿﹁寺社取扱い問答に関する一考察ー東京大学所蔵江戸幕府寺社奉行関係文書を中心にー﹂(﹃創価法学﹄第三一巻第三号︑二〇
〇二年)ですでに論じているので省くことにして︑ここでは︑本稿は東京大学法学部法制史資料室が所蔵する写本を用いたことを
述べておきたい︒
(3>﹁諸例集﹂は本文二八巻二八冊と総目録一冊より成る︒南和男﹁﹃諸例集﹄解題﹂(﹃内閣文庫所蔵史籍叢刊九四諸例集O﹄汲古
書院︑一九八九年)参照︒
(4)この点については︑拙稿・前掲﹁寺社取扱い問答に関する一考察‑東京大学所蔵江戸幕府寺社奉行関係文書を中心にi﹂で
論じた︒
(5>最近の研究としては︑笠谷和比古氏が﹃近世武家文書の研究﹄(法政大学出版局︑一九九八年)で︑﹁諸例集﹂に依拠して﹁聞
置届書﹂等について論じておられる︒
後述するように︑かつて平松義郎氏は﹃近世刑事訴訟法の研究﹄(創文社︑一九六〇年)で︑大名による奉行所吟味願について
論じるに際して﹁諸例集﹂を引用されているが︑この研究は史料学的研究としても注目される︒なお︑平松氏は︑同書で﹁幕制彙
纂﹂も引用されているが(一一二頁註1︑三二頁註6︑五五頁註8等)︑﹁諸例集﹂と﹁幕制彙纂﹂の関係については論じておられな
い︒
(6)笠谷・前掲﹃近世武家文書の研究﹄=七頁︒
(7)幕府の奉行・役所が老中や他の奉行・役所に提出した文書についてはここでは触れないが︑これについては藤田覚氏が﹁近世
幕政文書の史料学的考察﹂(﹃東京大学史料編纂所報﹄二四︑一九八九年﹀で論じておられる︒その中で藤田氏は︑﹁たとえぼ町奉
行は︑老中に対して伺書や評議書を︑他の奉行・役所に対して掛合書や問合書を頻繁に出している﹂(九頁)と述べ︑老中に対す
る﹁伺書﹂︑他の奉行・役所に対する﹁問合書﹂という区別をされているが︑この両者の違いを明確に説明されてはいない︒
なお︑旗本・幕府諸役人が︑知行所支配あるいは職務上の疑義につき幕府諸役所に問い合わせをした事例については︑服藤弘司﹃大名留守居の研究﹄︹幕藩体制国家の法と権力皿︺(創文社︑一九八四年V﹁表64﹃諸心得問合挨拶留﹄所収問答﹂参照︒
(8)笠谷・前掲﹃近世武家文書の研究﹄一二〇頁︒
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(9)同右一二一頁︒ (10)日本歴史学会編﹃概説古文書学近世編﹄(吉川弘文館︑﹁問合書﹂の区別を明確に説明されてはいない︒ 一九八九年)一頁︒なお︑この段階では︑まだ笠谷氏は﹁伺書﹂と
二﹁幕制彙纂﹂に見る﹁伺﹂と﹁問合﹂
「幕制 彙纂 」 の史料学 的考 察
﹁幕制彙纂﹂に収録された大名家の幕府への上申文書には︑﹁伺﹂もしくは﹁問合﹂と記されたものが多く収録され
ているが︑﹁伺﹂と記されているか︑﹁問合﹂と記されているかという違いから笠谷氏が分類されたような﹁伺書﹂︑﹁問
合書﹂という文書様式の違いをそこに読み取ることができるであろうか︒この問題について︑﹁A文書を記録した幕
府役人の理解﹂︑﹁B差出人と提出先﹂という観点から考えてみよう︒
A文書を記録した幕府役人の理解
次にあげる例においては︑文書を記録した幕府役人は
る︒なお︑以下の史料の傍点﹁・﹂は筆者が付した︒ ﹁伺﹂と﹁問答﹂とを特に区別して使ってはいないようであ
SS
︻史料1︼
一寛政四子年二月廿四日︑御目付桑原膳兵衛様江伺︑同廿六日御附札済
陪臣御関所通行之節︑下乗之義家柄二而代々御目見申上候者斗下乗不仕候哉︑主人家督井初而御目見等二而一
端御目見仕候者者︑其身一代下乗不仕候而罷通可然哉︑此段御内々御問合申上候︑以上︑
子二月
御附札
國 抽縫 濃 越 菱
堀田相模守家来梯内十兵衛書面之通二而可然︑併主人存念二而御目見不仕候格式二轄役等申付候得
︻史料2︼
一天明四辰年十二月︑御勘定奉行桑原伊予守様江間合
堀幸之進領分信州伊那郡飯田村二︑水車二而米其外春候而渡世仕候者多御座候︑依之運上申付度奉存候︑不苦義二
御座候哉︑右水他領江懸申義無御座候︑此段奉価候︑以上︑ト
一堀幸之進家来
瀧平右衛門
御附札
御書面︑水平稼致候者運上之義︑他領江拘り候儀無之候共︑御領内とても障有無御糺之上差支候義無之上
者︑運上御申付有之義者御勝手次第之事二存候︑運上高之義者稼方之多少二も寄可申︑兼而荒増二も難及御
挨拶候︑右之外井を御聞合之上御取斗有之方与存候︑
︻史料し民は︑寛政四(一七九二)年二月二四日に堀田相模守家来梯内十兵衛が目付桑原膳兵衛に差し出した﹁問合﹂
ハ とそれに答えた﹁附札﹂である︒ここでは︑史料の本文では﹁問合﹂と記されているが︑耳書では﹁伺﹂となってい