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有 田 辰 男

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(1)

過 剰 資 本 の 諸 形 態 と 中 小 資 本     − 中 小 企 業 の ﹁ 過 当 競 争 ﹂ に 関 連 し て −

有 田 辰 男

一 中 小 企 業 の

﹁ 乱 立

﹂ と

﹁ 過 当 競 争

− 問   題   提   起 1

日本の中小企業は︑今まで︑不況のたびごとに倒産が激増するという現象をくり返してきたが︑昭和三〇年代の

﹁高度成長﹂.期以降は︑好況のさなかにも中小企業の倒産は増加の一途をたどり︑昭和四三年は﹁いざなぎ景気﹂と

いわれる好況にもかかわらず︑戦後最高の倒産をみるにいたった︒こうした﹁繁栄のなかの没落﹂は︑いまや︑中小

企業問題が好不況にかかわらず慢性化していることを物語っていそ

ところで︑このように中小企業の倒産が激増すると︑今までそのたびごとに︑いくつもの原因が列挙されてきた︒

それは﹁放慢経営﹂であり︑﹁設備投資の行き過ぎ﹂であり︑﹁過当競争﹂であり︑﹁人件費の高騰﹂であり︑﹁在

庫増加﹂であり︑﹁支払遅延﹂であり︑﹁金融難﹂であった︒これらの中で︑戦前戦後をとわず︑常に中小企業倒産

の原因として挙げられてきたものは︑﹁金融難﹂と﹁過当競争﹂であった︒第一次大戦後からの連続的な恐慌期に︑

﹁異常な没落﹂といわれた中小企業の急速な分化分解過程が進行し︑これに直面した中小企業政策は昭和初期から主

に二つの方向が出てきた︒その一つは︑預金部資金の融通による伝統的な金融対策であったが︑他の一つは︑工業組

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経 営 と 経 済

一 三

合法(昭和六年法改正)の展開であり︑それまでのような単なる金融政策ではなく︑いわば産業政策としての中小企

業政策の登場であった︒乙れは問屋を除いて中小工業のみを対象とし︑従来のように輸出産業のみでなく中小工業一

般を対象とした点で︑中小企業合理化政策の出発点であったといえる︒ここでは︑中小工業の困難が︑乱立・無統制

‑資金不足・売買組織の不能率に起因するとして︑問屋を除外して︑工業者のみの協同化が志向されたのであった︒

第二次大戦後の中小企業政策は︑産業政策としては︑中小企業分野を独占禁止法除外例として認めて﹁過当競争﹂を

改善しようとする不況カルテル政策が中心であり︑また最近では︑中小企業部門の構造改善政策︑グループ化再編成

政策を中心として︑協業化による﹁過当競争﹂排除の政策が推進されている︒

これら諸政策の基礎になっているものは︑ 一貫して︑中小企業の困難が﹁乱立│←過当競争﹂にあるという発想で

ある︒中小企業の﹁乱立﹂が﹁過当競争﹂を生むという乙とは︑その限りでは︑もちろん誤りであるとはいえない︒

だがそれは﹁犬が西向きや尾は東﹂という程度の正しさであって︑中小企業問題の本質的理解の上に立つものとはい

いがたい︒中小企業問題の問題性の視点からは︑

﹁ 乱

立 ﹂

と は

何 か

﹁ 過

当 競

争 ﹂

と は

何 か

﹁乱立﹂や﹁過当競争

﹂が何故にくり返しくり返し発生するのか︑という乙とこそが問題とされねばならない︒この問題の理論的解決を試

みようとするのが︑本稿の目的である︒

従来の中小企業論では︑との問題は主として︑中小企業が何故にかくもおびただしく残存するかという︑ いわば中

小企業残存の視角からとらえてきた︒そしてその残存条件は︑第一に︑大土地所有と零細耕作の矛盾をもっ農村の地

主制度から︑都市工業の発展につれて絶えず渉出する低廉で豊富な労働力の存在であり︑第二は︑これらの低賃金労

働力を基礎として成立する中小企業を下請制下に編成し︑低賃金労働を間接的に利用する独占資本の存在であるとし

た︒戦後︑農地改革により地主制度はほとんど潰滅して︑最近は若年労働力不足︑賃金格差縮少の傾向もあらわれて

(3)

きた︒だが︑かつてのように﹁印度以下的﹂と評されるほどではないが︑世界に冠たる低賃金国としての伝統は依然

として保持されており︑下請制も中小企業の重要な存立形態であることは今日でも変りはない︒その限りでは︑これ

らの事情が今でも中小企業が多数残存する条件を形成しており︑またその限りで中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂

の原因となっていることも事実である︒にもかかわらず︑それはあくまで中小企業の残存という視角の範囲を出ない

ものであり︑その視角から問題視される残存条件は資本が自らの論理で展開するにあたっての外部的条件にすぎな

したがって︑中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂を生み出す要因としては︑重要ではあるが︑副次的︑消極的な要

因であるにすぎない︒積極的で︑またその故に基本的要因は︑ ﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂が資本の本来もっている内部

矛盾の結果として絶えず生み出され再生産されるものとして︑ つまり︑資本の論理そのものからとらえられなければ

な ら

な い

資本構成の高度化と価値変動

中小企業問題を下請制における従属形態に限定して考えるのではなく︑従属形態にあるか独立形態にあるかを間わ

ず︑中小企業が何故に問題性をもつかという視点からみるならば︑大資本と中小資本との聞の下請関係にみられる前

期性の残存という点にではなく︑市場における大小の個別諸資本の競争の結果として︑中小企業にどのような資本法

則が強制されるかという点に基本的な問題をみなければならない︒かかる点からみた場合︑大資本による中小資本収

奪の基本的メカニズムが二つある︒中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂の問題の理論的解明も︑乙の問題が資本の法

則によりたえず生み出されるものである限り︑乙のメカニズムとの関連から出発せねばならない︒乙のメカニズムに

過剰資本の諸形態と中小資本

一 三

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経 営 と 経 済

一 一 ニ ム

ついてはすでに別に論じてあるが︑要約すると次の通りである︒

大資本による中小資本収奪のメカニズムの第一点は︑同一部門内部の個別諸資本相互の競争による市場価値形成作

用にある日商品はそれを生産した企業の生産条件が相違するにしたがって︑それぞれに異った個別的価値をもってい

るにもかかわらず︑ひとたびその商品が市場に投げ出されれば︑その種の商品はすべて一様な市場価値をもつものと

みなされる︒したがって︑部門内競争は個別的価値を市場価値に転化する役割を果し︑その結果として︑優れた生産

条件下で生産される企業の商品の個別的価値は市場価値以下となり︑したがって個別的価値以上での販売が可能とな

り︑超過利潤を獲得する︒反対に︑劣悪な生産条件下の企業の諸商品はその個別的価値が市場価値以上となり︑個別

的価値以下での販売を余儀なくされる︒かくて︑部門内競争による市場価値の形成によって︑同一部内内の諸企業に

おいて生産された剰余価値が再分配され︑劣悪な条件下の小資本の下で生産された剰余価値は︑大資本に超過利潤と

して吸収される結果となる︒

大資本による中小資本収奪のメカニズムの第二点は︑異種の諸部門相互間における諸資本の競争による平均利潤率

形成作用にある︒資本主義の発展は部門別に不均等であるから︑資本の有機的構成はそれぞれの部門によってさまざ

まに異る口いま剰余価値率を一定とすると生ずる剰余価値額は部門によって異なり︑したがって利潤率も各部門それ

ぞれに相具るものとならざるをえない︒こうして︑同等量の資本投下によっても相異る利潤が生まれるとするなら

ば︑より利潤率の高い部門へ資本が移動する︒だから︑各部門は資本の有機的構成が異るにもかかわらず同一の利潤

率が形成されるようになり︑同一額の資本投下に関しては同一額の利潤がもたうりされるようになる︒かくて︑商品は

その費用価格に平均利潤をプラスした生産価格を中心に売られる乙とになり部門間競争を通じて総資本の各部門への

配分がおこなわれ︑平均利潤率の形成を通じて部門間の利潤の再分配がおこなわれることになる︒すなわち︑小資本

(5)

の支配的な資本構成の低い部門において生産された剰余価値は︑大資本の支配的な︑資本構成の高い部門によって吸

収される結果になる︒

こうして競争は同一部門内においては資本構成の具るにしたがって異る利潤をもたらしたのであるが︑異種部門間

では︑各部門の資本構成の呉るにもかかわらず均等な利潤率を形成させるのである︒これにより中小資本は独立形態

にあると従属形態にあるとを問わず︑資本そのものの論理によって体制的に収奪され圧倒されるのである︒こうした

基盤の上にこそ︑諸条件の変化につれて異った従属形態が発生しうるのであり︑従属形態のゆえに従属性が生ずるの

で は

な い

さて︑この部門内競争および部門間競争からは︑二つの重要な結果が生まれてくる︒

そのひとつは価値変動であ

り︑もうひとつは資本の有機的構成の高度化である︒

部門内競争において︑資本構成の高い企業のもっすぐれた生産条件下でつくり出される個々の商品は︑その個別価

値が市場価値より低く︑したがって超過利潤を獲得するが︑このことはそれぞれの部門内の上層の諸企業聞における

超過利潤獲得をめぐる競争を激化させる︒この過程を通じてすぐれた生産条件は次第に一般化し︑すぐれた条件下で

生産される商品量が市場で一般化するにつれて︑その商品の個別的価値が市場価値を形成するようになり︑価値変動

が生ずる︒ここで超過利潤は消失し︑再び超過利潤獲得のための競争が展開されることになる︒おくれた生産条件下

で生産される商品のなかには︑その個別的価値が市場価値に比較して具常に高くなり︑おくれた生産条件の企業はよ

りすぐれた生産方法の採用が要求される︒それが不可能な場合にはもはやその部門には留まりえなくなる︒乙とに下

居諸企業問の残存のための競争が展開される︒かくて︑上層の諸企業による超過利潤獲得のための競争によってその

部門の企業規棋の上限がひき上げられ︑価値変動を通じて︑下層諸企業の残存のための競争が生じ︑企業規模の下限

過剰資本の諸形態と中小資本

(6)

U

がひき上げられることになる︒つまり︑企業規模がゾ l ン ( N O D O )

としてひき上げられることになる︒その結果︑

経 営 と 経 済

一 三

資本の有機的構成がひき上げられ︑乙の部門の利潤率は低下する︒

ここに︑この部門と他部門との聞の利潤率の不均衡が生じ︑部門間競争がひき起され︑利潤率の平均化作用が生ず

る︒他部門では以前よりも低い利潤率が強制されることになるから︑生産条件の改善による個別的価値の低下への努

力が生じ︑資本構成の高度化が促される︒そしてもし利潤率が均等化されないならば︑より高い利潤率を求めての資

本の移動が促されることになろう︒その結果︑部門間競争はこの資本の移動によって他の部門の部門内競争に転化さ

れる︒資本の移動により︑新たな資本が他部門から流入した部門では︑部門内競争がそれだけ激化することになる︒

したがって︑乙こでも前述の部門内競争の原理が展開され︑ ここでも市場価値の変動と資本構成の高度化をもたら

し︑利潤率が低下する︒こうした部門内競争と部門間競争の過程を経て︑利潤率の低下は特定部門についての傾向だ

け で

な く

一般的傾向となるのである︒

乙の利潤率低下傾向の法則を︑生産力向上←資本の有機的構成高度化←利潤率低下︑というように抽象的に理解す

ると種々の問題が生ずることになる︒まず︑生産力の向上ということは使用価値視点の問題であり︑同等量の労働が

より多くの生産手段を生産物に転化することであるから︑使用価値量の変化であり︑生産手段と労働力との比率の変

化である︒つまり︑そのままでは生産手段の価値表現たる不変資本と︑労働力の価値表現たる可変資本との比率を変

化させることにはならない︒利潤率を変化させる資本の有機的構成は︑技術的構成と価値構成との統一であるから︑

生産力の向上が直接に資本の有機的構成を高度化するというのは速断である︒また︑同じことではあるが︑生産力の

向上は商品価値の低下をもたらすから︑生産力向上をもたらす資本の技術的構成の高度化がそのまま利潤率低下をも

たらすとは限らないという議論も生まれてくる︒利潤率低下傾向を生ぜしめる過程は︑生産力向上←資本の有機的構

(7)

成高度化←利潤率低下︑というような抽象的なものではなく︑前述で明らかなように︑部門内競争における市場価値

形成作用と︑部門間競争による利潤率平均化作用とを通じてのみ︑必然化するものであり︑さらに︑利潤率低下をも

たらす資本の有機的構成の高度化は価値変動と不可分なのである︒

円 ︒

ロ l ゼンベルグは﹁競争が利潤率を低下せしめるーーー元来の││原因であるというのは間違いである﹂といってい

るが︑資本主義社会において競争によらずに資本構成が高度化するとは考えられない口マルクスも乙れと同じような

ことをところどころでいっているが︑その意味は﹁利潤率は︑資本の過剰生産の結果たる競争の故には低落しないで

A

あ ろ

う ︒

(傍点筆者)ということであって︑競争への反作用の面を論じているのであり︑それを﹁元来の﹂として

一般化するのは誤りであろう︒

F hυ  

なお︑利潤率の低下法則に関してはスウイージーはこれを司

H K C l A ) と定式化している口剰余価値率

H H M O  

( ω

︑ Hb 川│)を不変と仮定すれま︑利潤率(同

U H i l l ‑ )

ま資本の有機的構成(門

M u l i

‑ ‑ )

乙反比例して変化する

ー の +

︿ l o +

︿ ー

ということである︒そして﹁もしも資本の有機的構成と剰余価値率とが両者ともに変化すると仮定するならば││そし

ロ U てわれわれはそうすべきだと思うーーー︑利潤率の変動する方向は不確定のものとなる︒﹂とする︒乙の不確定論はこ

の限りにおいては︑相対的剰余価値の生産を是認する限り認めなければなるまい︒だが︑利潤率の変動する方向が不

i 確定であるということは︑傾向的法則としての利潤率低下を否定する論拠になりうるとは考えられない︒

拙著﹁日本中小企業分析﹄ (日本評論社刊)第三章を参照されたい︒

乙 の

l ンの概念については同拙著の第三章および第六章を参照されたい︒

ロ l ゼンベルグ﹁資本論註解(第三巻)﹂淡・一向井訳四二一頁︒

過剰資本の諸形態と中小資本

一 三

(8)

経 営 と 経 済

一 四 O

同 町

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︒ ロ

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長谷部訳

三 六

六 頁

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都留訳

八 四

頁 ︒

戸冨・ ω 巧

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呂 ∞

利潤率変動方向が不確定であるとする乙とを︑傾向的法則としての利潤率低下の否定として考えると︑過剰資本や資本の過多

一 二

四 頁

( M 6 

U F F 2 m )

の問題が果して理論的に必然化するであろうか︒印当

B N

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川 名 目 仲

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Z の な か で ︑ 現

代資本主義を巨大株式会社の自己金融︑余剰の増大とその吸収という形で解明しようとしたが︑過剰資本の問題との関連で乙の

経済余剰概念の採用は彼の利潤率不確定論と重要な理論的関連があるように思える︒

利潤率の低下と企業規模

競争は部門内においては市場価値形成作用を︑部門聞においては利潤率平均化作用を通じて︑資本の有機的構成を 高度化し︑市場価値を低下せしめ︑これにより一般的利潤率の低下傾向を生ぜしめる︒ところが︑乙の利潤率低下傾 向は︑社会的総資本についてはそのままあてはまるが︑各部門における資本規模の異る個別資本に対しては︑均等に

作用するとは限らない︒

マルクスが資本論第三巻で述べている﹁利潤率の傾向的低落の法則﹂というのは︑

一般的(平均的)利潤率に関す

るものであることはいうまでもない︒乙の平均利潤率は部門間競争によって生まれるものであり︑さらにその部門間 競争は部門内競争のいわば結果なのである︒だがこの二つの競争は全く同質のものであるとはいえない

D

部門内競争は市場価値をめぐる競争であり︑したがって︑各個別資本によって生産された商品対商品の競争である︒

(9)

とこが︑部門間競争は部門という使用価値別のワクを超えた資本対資本の競争なのであり︑より抽象的な競争であ

る︒したがって︑部門内競争の場合には市場価値をめぐる各個別資本の個々の商品の個別的価値の問題であり︑︒+

︿+BIヨとして︑つまり︑不変資本 c は商品価値 w に移転される価値分量としてのみあらわれる乙とになるが︑資

本対資本の競争である部門間競争の場合には︑ c は可変資本 v と結合して剰余価値 m を生産するのに必要とされる投

下資本の全量の問題となる︒問題はいわばフロ l

・ ベ l スからストック・べ l スに移行する︒だから︑利潤率の傾向

同 ロ

的低落を考える場合の利潤率lll乙おける c ま︑まず最初の段階としては全投下資本量として考えなければならな

︒ +

︿ l l

︒ ぃ︒各個別資本はそれぞれに資本規模の十︿が異なり︑したがって当然乙資本の有機的蒔成

1 1 1

の相違を内包する

‑ 1 0 +

︿

H H

から︑資本の有機的構成の一品︑大資本の利潤率

l i

‑ まトさく︑茸成の丘︑ト資本の利閏率は高い乙とになる︒

! の 十

︿

l f t q f

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j

ところで︑平均利潤率を形成せしめる部門間競争は︑部門内競争による市場価値形成作用のいわば結果であるが︑

部門内競争が部門間競争に転化したからといって︑それにより部門内競争が消滅するわけではない︒かえって激成さ

れる︒競争はかかる二つの競争の相互作用の上に両者の統一として把握されねばならない︒したがって第二段階とし

ては︑両者の作用と反作用の面を︑つまり平均利潤率を再び市場価値と関連させて考えなければならない︒資本の有

機的構成の高い大資本の利潤率は相対的に小で︑構成の低い小資本は相対的に大であるという乙とは︑市場価値と個

別的価値との差︑ つまり超過利潤の問題を度外視したときのことであり︑もし超過利潤を考慮した場合には︑必ずし

もそうはいえなくなる︒超過利潤の大きさは各部門における市場価値の水準によるが︑ 一般に︑資本の有機的構成が

高いほど利潤率は低くなるが︑その反面︑超過利潤は大きくなる︒したがってそれだけ利潤率の低下は阻止され︑場

合によっては︑逆に利潤率が上昇することもありうると考えなけばなけならない︒そしてその程度は企業規模ゾ l ン

の上限と下限との聞の巾の広さ︑および市場価値の水準に依存することになるだろう︒

過 剰

資 本

の 諸

形 態

と 中

小 資

(10)

i マルクスは﹁小利潤率の大資本は大利潤率の小資本よりも急速に蓄積する﹂といっているが︑以上述べた乙とか 経 営 と 経 済

ら︑こ乙のと乙ろは﹁超過利潤を度外視して︑かりに大資本の利潤率は小で小資本の利潤率は大であるとしても:::

:﹂という仮定をおいて解すべきではないだろうか︒また︑ マルクスは資本論の第三巻第三篇第一四章では︑利潤率

低下の阻止要因として︑労働の搾取度の増大︑労働の価値以下への労賃の切下げ︑不変資本の諸要素の低廉化︑対外

商業︑株式資本の増加等をあげているが︑資本全般についてではなく個別資本︑とくに大資本の場合には︑超過利潤

をもつけ加えるべきではないだろうか︒

利潤率低下を阻止し︑あるいは利潤率上昇をもたらす超過利潤はもともと小規模資本によって生産された剰余価値

の吸収︑つまり︑市場価値形成を通じる剰余価値の再分配であるから︑大資本がその利潤率低下の影響を中小資本に

転稼することである︒したがって︑資本の有機的構成の低い中小資本は︑利潤率が大資本にくらべて本来高いにもか

かわらず︑その利潤率は平均利潤率の水準あるいはそれ以下の方向に低められる傾向が生ずることになり︑中小資本

はその生産物の個別的価値の大きさや︑市場価値の水準如何によっては︑利潤率ゼロあるいは負となる場合も生じて

くるであろう︒

だから︑平均利潤率の低下により︑各部門の上層諸企業はさらに資本の有機的構成を高度化し︑その悩別的価値を

より低めることによって︑市場価値との差を拡大して超過利潤を獲得することにより利潤率を拡大しようとするにち

がいない︒だがこうした努力は資本の有機的構成をいっそう高度化するから︑平均利潤率をさらに低下させる原因と

なるという矛盾をもっているのである︒

かくて︑各部門における下層諸企業は一定の利潤量を確保するためにはもちろんのこと︑没落を免れてただ存続す

るだけのためにも︑生産条件の改善を余儀なくされる︒この生産条件の改善は︑資本の有機的構成を高めることによ

(11)

って個々の商品の個別的価値を低め︑生産された剰余価値の実現をはかることであり︑ その結果︑必要資本量が増大す

ることになる︒また同時に︑生産条件の資本主義的改善は︑ 一面では︑与えられた労働量のうちできだけ多くを剰余

価値に転化させ︑他面では︑投下資本との比率においてできるだけわずかの労働一般を充用することに帰着する︒し

たがって︑労働の搾取度の増大をゆるす同じ諸原因が︑同じ資本量をもって以前と同等量の労働を搾取することを禁

止することになる︒必要資本量はやはり増大せざるをえない︒かくて部門内︑部門聞の競争は︑市場価値の変動と資

本の有機的構成の高度化を通じて利潤率を低下せしめることにより︑事業をその標準的条件のもとで営むに必要な個

向 ︒

別資本の最低分

R E ‑ ‑

個々の資本家の手で労働の生産的充用に必要な資本の最低限ーーを増大せしめるのである︒こ

れは各部門における企業規模の下限がひき上げられたことであり︑もとはといえば︑超過利潤をめぐる上層諸企業の

競争によって︑各部門の企業規模の上限がひき上げられた結果である︒こうして︑利潤率低下は各部門の企業規模ゾ

ーンに上方移動をもたらす乙とになるのである︒

この企業規模ゾ l ンの上方移動はゾ i ン下限の中小資本の残存のための競争を激化させる︒乙の競争にうち勝つた

めには︑資本の有機的構成を高度化させるための資本量の増大をはからなければならない︒乙こに個別資本の蓄積力

が問題となる︒ところが利潤率低下が蓄積力に及ぼす影響は︑かりに︑平均利潤率低下の個別資本への影響が均等で

あったとしても一様ではないのである︒

A

せ 利潤率低下と蓄積の促進とは︑両者が生産力の発展を表現する限りでは︑同じ過程の表現の相違にすぎな刊︒両者

は相互に作用し合う口利潤率の低下は利潤量の増大を排除するものではなく︑利潤率が低下しても投下資本量が増大

h u

すれば利潤量は増大する︒利潤率低下にもかかわらず以前片岡じ利潤量を確保しようとするならば︑利潤率低下以上

円 ︒

の累進的速度をもってする投下総資本量の増大が必要となる︒かくて︑利潤率の低下はいっそうの蓄積を促進する乙

過剰資本の諸形態と中小資本

一 四

(12)

経 営 と 経 済

一 四

と に

な る

ところが︑このような利潤量の増大による利潤率低下の補償は︑社会的総資本についてのみ︑また個別資本の場合

t には大資本についてのみ妥当する︒というのは︑利潤率が高くても投下資本量が少なければ利潤量は少く︑利潤率が低

くても投下資本量が大であれば利潤量は大きく︑したがって︑資本の蓄積は利潤率の高さに比例してではなく︑資本

がすでに占めている重量に比例して進行するからである︒こうして︑特定の限界をこえれば︑かりに大資本が小利潤

率で小資本が大利潤率であるとしても︑大資本は小資本よりも急速に蓄積することになるのである︒まして︑大資本

の超過利潤の獲得による剰余価値の再分配がおこなわれた結果︑大資本も小資本も資本の有機的構成が具るにもかか

わらず︑利潤率は均等化傾向にむかい︑あるいはさらに︑大資本の利潤率が大で小資本の利潤率が小となった場合

は︑小資本にとってその影響は致命的である︒

利潤率低下をもたらした資本の有機的構成の水準の高度化は︑すでに個々の資本家の手で労働の生産的充用に必要

な最小限を増大させ︑企業規模ゾ!ンの下限をひき上げているから︑少量の利潤では貨幣資本とし之蓄積されること

はあっても機能資本としては蓄積されず︑したがってゾ l ンの上方移動に追いつかなくなる︒そればかりではない︒

企業規模ゾ!ン内部では︑どの水準の規模でも機能資本として運動することが可能なわけではなく︑通常いくつかの

断層を含んでおり︑ゾーンの上方移動は漸進的なものではない︒したがって小資本がそれに追いつくには︑断屈をと

び乙えるに必要な多量の資本を必要とすることになり︑小資本は残存のための絶望的な斗争を強いられることになる

の で

あ る

かくて︑利潤率低下を利潤量増大によって償いえず︑そのため必要最低資本量の増大による企業規模ゾ!ン下限の

上昇に追いつきえない群小資本は︑過剰資本として部門外に排出されるととになる︒この群小資本の過剰化は︑資本

(13)

の生産過剰 l 畜積過剰の結果としての社会的総資本または各部門の投下総資本の過剰化によって生み出されたもので

あり︑群小資本は︑蓄積が之しく個別資本として過小資本であるが故に︑総資本の過剰蓄積の結果としての過剰資本

に転化するのである︒利潤率低下と蓄積促進との相互作用により︑利潤率低下をその量により償い︑あるいは超過利

潤によって低下を阻止するための大資本による蓄積の促進が︑さらに利潤率を低下せしめる原因となり︑それがさら

に蓄積を促進するため︑資本制生産のよって立つ相対的に狭隆となった市場とますます矛盾するようになる︒乙の矛

盾の一時的解決として︑群小資本が過剰資本として部門外に排出されるのである︒

この群小資本過剰化は競争なしではおこないえない︒小資本は残存のための蛾烈な斗争のなかに投げ込まれ︑いわゆ

る﹁過当競争﹂が展開されることになる︒生き残るためには︑必要最低資本量の増大による企業規模ゾ l ン下限の上

昇に追いつくための追加投資が必要となる︒この追加投資は蓄積力の之しい群小資本には極めて困難であるが︑かり

に追加投資をおこないえたとしても︑それだけでは残存の保障にはならない︒この追加資本はただでさえ投資(蓄

積)過剰のなかでおこなわれるのであり︑追加投資が機能するかどうかは競争戦によって決せられるのである︒もし

この競争にたえることができず︑追加資本が市民権を獲得することができなければ︑追加資本は旧資本ともども価値

を喪失するか︑遊休化した過剰資本に転化するであろう︒いわゆる﹁近代化倒産﹂である︒もし生き残ることができ

たとすれば︑その資本は資本の遊休化を競争者に転稼したのであり︑生き残る機能資本よりもより多くの遊休過剰資

本を生ぜしめることになる︒また︑競争はこのような個別資本についての追加資本のみでなく︑部門全体にとっての

追加資本︑つまり︑新たに参入し機能資本としての市民権を得ようとする部門外の遊休資本との競争によってさらに

激化されるととになる︒

以上述べた乙とから明らかなように︑中小企業相互の﹁過当競争﹂は中小企業自体の﹁乱立﹂の問題ではなく︑中

過 剰

資 本

の 諸

形 態

と 中

小 資

一 四

(14)

経 営 と 経 済

一 四

小企業を相対的に﹁乱立﹂状態に至らしめるところの資本の過剰化過程の現象形態なのである︒そして乙の過剰資本

は︑基本的には大資本による中小資本収奪の二つのメカニズム││部門内競争による市場価値形成作用と部門間競争

による利潤率平均化作用ーーーに根ざし︑さらに︑そこから生じる利潤率低下と蓄積促進の相互作用によってもたらさ

れたものである︒したがって︑中小企業の﹁過当競争﹂は企業の絶対数が減少したからといってそれで消滅するもの

ではない︒資本そのものの論理からたえず生み出され再生産されるものとして捉えなければならない︒中小企業は

﹁過当競争﹂にあるが故に過剰資本として部門外に排出されるのではなく︑総資本の過剰蓄積による資本過

﹁ 乱

立 ﹂

剰化の故に﹁過当競争﹂が生じその中で中小企業は過小資本なるが故に過剰資本となって部門外に排出されるのであ

る︒低賃金労働に依拠する中小企業の下請形態も︑過剰資本の非自立的機能資本形態による残存であり︑したがって

中小資本の過剰資本への転化に対する阻止要因となり︑そのため中小企業の﹁・乱立﹂と﹁過当競争﹂を助長すること

は確かである︒だが︑下請形態による残存の故に中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂が生じるのではない︒下請形態

がかりに全く消滅したと仮定しても︑ ﹁過当競争﹂は資本そのものの論理からたえず再生産されるであろう︒

ところで過剰資本はその存在形態如何によって異った様相をもっている︒つぎにそれをみよう︒

同 ‑ z

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前掲訳

六 回

頁 ︒

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三 四

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(15)

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8 ・

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黒松訳

四 一

頁 ︑

一 四

O 頁 ︒

巨 日 過剰資本の機能資本形態

﹁過剰資本の機能資本形態﹂というのはひとつの形容矛盾のようにみえる︒だが︑中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競

争﹂はまさにこの形容矛盾さながらに現存しているのである︒

過剰資本はまず大きく二つに分けて考えられる︒そのひとつは絶対的過剰資本であり︑もうひとつは相対的(一般

的)過剰資本である︒絶対的過剰資本は労働人口に比して資本が過剰化する場合である︒労働人口にくらべて資本が

増大し過ぎた時は︑絶対的剰余労働時間も相対的剰余労働時間も拡大されなくなり︑したがって︑増大した資本が増

大前と同量またはむしろより少量の剰余価値しか生産しなくなる︒労働需要の増大により賃金は騰貴する︒かくて可

変資本の貨幣価値は増大し︑剰余価値はそれにより減少する結果︑利潤率は急激に低落する︒この低落は︑追加資本

投下の意味を失った低落であり︑利潤量の増大によって償うことのできない低落である︒追加資本投下は︑資本の増

殖と利潤の取得を目的とする資本制生産にとっての意味を失って︑ゼロとなる︒資本の絶対的過剰化はこのような場

合 に

生 じ

る ︒

乙れに対し︑相対的(一般的)過剰資本は資本が労働人口に対してではなく市場に対して過剰化する場合であり︑

H

﹁失業資本は一方にあり︑失業労働者人口は他方にある﹂といった人口過剰のもとでの資本過剰である︒利潤率の

過剰資本の諸形態と中小資本

一 四

(16)

一 四 八

低下は資本蓄積を促進するから︑資本の蓄積街動はいっそう強められ︑敵対的分配関係の上に成り立つ消費力を規定

経 営 と 経 済

してこれを最小限に圧縮しようとする口その結果︑生産力の発展はますます消費関係がよって立つ狭隆な基礎と矛盾・

3

するようになり︑剰余価値の生産条件と実現条件との矛盾が増大する︒資本の相対的(一般的)過剰化はこのような

矛盾によって生ずる過剰化である︒絶対的過剰資本は資本それ自体の内部における不変資本の可変資本に対する過剰

であり︑追加投資が意味を失ってゼロとなるような︑いわば資本の極限状態における過剰である︒これに対し︑相対

的過剰資本は資本にとって外部的である市場に対し相対的に資本が過剰となる場合の過剰資本であるから︑過剰資本

A

の一般的な形態は相対的過剰資本であると考えてよい︒したがって︑以下︑過剰資本を相対的過剰資本として考察す

ることにする︒

資本はその循環過程において転態をとげる︒いうまでもなく︑︒│巧!司ld司︑

1 1 0 ︑はその資本の循環範式であり︑

︒│巧は貨幣資本の商品資本への転態を︑巧lHUは商品資本の生産資本への転態を︑日Uld︿︑は生産資本の商品資本へ

の 転

態 を

︑ 巧

︑ l O ︑は商品資本の貨幣資本への転態を示している︒したがって資本はその循環過程において三つの

形態︑すなわち︑貨幣資本形態︑生産資本形態および商品資本形態をとることになる︒資本がかかる三形態をとると

するならば︑過剰資本もやはりこの三つの形態において考察されねばならない︒

ところで︑資本の三形態といっても︑そのなかで貨幣資本形態は商品資本形態や生産資本形態とは異った性質をも

っている︒貨幣形態にある資本は︑いままでと同じ生産部門に再投資する乙ともできるが︑そればかりでなく︑その

資本規模さえ適合するならば他の部門への投資も可能である︒つまり︑特定の商品の特定の使用価値から解放されて

おり︑特定の生産部門に緊縛されていない︒これに対し︑商品形態にある資本はその資本価値が特定商品の使用価値

と不可分に結合しており︑使用価値を離れて資本の商品形態は存在しえず︑したがって特定の産業部門に緊縛されて

(17)

いる︒生産形態にある資本も可変資本(とくに単純労働力としての)を別とすれば︑不変資本は特定の商品の使用価

値生産のための生産手段としてはじめて不変資本たりうるのであるから︑やはり特定の使用価値あるいは産業部門か

ら解放された存在形態ではない︒

しだがって︑商品資本形態と生産資本形態における過剰資本は貨幣資本形態におけるそれとは区別されねばなら

ず︑乙の二形態における過剰資本を機態資本形態にある過剰資本として一括できる︒前にも述べたように︑これはひ

とつの形容矛盾のようにみえるが︑乙れは群小資本が過剰化過程にあることからでてくる現存の矛盾であり︑乙れこ

そがまさに中小企業の﹁乱立﹂と﹁過当競争﹂の本質にほかならない︒以下過剰資本の各形態についてみていこう︒

( 1 )  

過剰資本の商品資本形態

資本主義的生産過程において生み出された剰余価値はひとまず資本の商品形態のなかに包含され︑その実現を通し

てのみはじめて利潤として取得されうるものとなる︒ここに論じている過剰資本は労働人口に対して資本が過剰化す

る絶対的過剰ではなく︑市場に対して過刻化する場合であるから︑過剰資本はまず最初に商品資本形態で︑

資本の過剰生産が商品の過剰生産として現象することになる︒

つ ま

り ︑

ところで︑商品を過剰ならしめる市場の広さは社会の絶対的消資力によって規定されているのではなく︑敵対的な

分配関係によって規定され︑資本の剰余価値生産の規模を拡大するために大衆の消費を最少限に縮少しようとする資

本の蓄積街勤によって制限されている︒ことに部門内競争と部門間競争を通じて生ずる資本の有機的構成の高度化と

利潤率低下は︑その利潤率低下を利潤量の増大によって償おうとする資本規模の拡大を促し︑単に滅亡から免れて存

続するためだけにでも生産の改良と規模拡大が必要となり︑蓄積街勤をいっそう刺戟する︒

過 剰

資 本

の 諸

形 態

と 中

小 資

一 四

(18)

経 営 と 経 済

一 五 O

こうしてい蓄積の強行は一方における社会的消費力の圧縮と︑他方における市場拡大の必要という矛盾を生ぜしめ

戸 ︒

ることになる︒ところで︑資本主義的生産は欲望の満足ではなく利潤の生産が目的であるから︑社会的に必要な生産

円 ︒

量に生産の規模を適応させるのではなく︑逆に︑拡大された生産規模に生産量を適合させようと努力す引︒かくて︑

資本の過剰生産は商品の過剰生産として現象し︑剰余価値の生産条件と実現条件との矛盾を増大することになる︒こ

の生産条件と実現条件は同一ではない︒時間的︑場所的に異るばかりでなく概念的にも別ものである︒前者は社会的

4

生産力によってのみ制限され︑後者は敵対的分配関係の上に立つ社会の消費力によって制限されている︒ところが︑

生産された商品は不変資本と可変資本を補填する部分も︑剰余価値を表示する部分も販売されなければならない︒か

くて︑商品の過剰生産を競争者に転稼し︑自己の商品の実現をはかろうとする個別資本相互の競争戦が︑とくに︑各

部門の企業規模ゾ l ン下層にある群小資本相互の︑存廃をかけての泥沼のような競争が展開される乙とになる︒とい

うのは︑資本の有機的構成の低い︑したがって商品の個別的価値の高い群小資本がこの影響をもっとも強く受けるこ

とになり︑商品形態における資本の過剰化が群小資本の過剰という形をとる乙とになるからである︒乙の商品資本形

態における資本過剰化過程の競争こそが﹁過当競争﹂にほかならない︒商品は売れないかもしれないし︑あるいは一

部分しか売れないかもしれない︒剰余価値の実現どころか︑不変資本や可変資本の補填さえできなくなる口いつか

は市場が拡大されるかもしれないというあてのないのぞみをあてにして︑剰余価値の部分的実現︑あるいは全くの非実

現を一時的に甘受しても︑投下資本の補填だけは確保して生産の継続をはかろうとするため︑競争は普通値引き競争の

形をとることになる︒市場価値以下での︑さらには費用価格以下での販売を余儀なくされる︒その結果︑商品形態にお

ける資本の減価が生じ︑単に生産された剰余価値が実現されないばかりでなく︑資本の部分的あるいは全部的な喪失を

n o  

もたらすことになる︒商品資本形態における総資本の過剰化過程は︑このようにして中小資本の過剰化として進行する︒

(19)

( 2 )   過剰資本の生産資本形態 過剰資本の生産資本形態とは同じ資本の生産過剰ではあっても︑単なる生産手段の過剰生産ではない︒生産手段の 過剰生産は過剰資本の商品資本形態であり︑過剰資本の生産資本形態は不変資本の︑とくにその固定資本部分の過剰

として現存する遊休生産設備である︒

乙の生産設備の遊休については︑

n u  

スウイージーとパランがストリ

l ヴァ!の資料にもとづいて︑

一 九

二 O 年から一

生産能力の利用度 1920‑39 年

(%) 

第 1 表

6 6  

5 3  

6 0  

7 2   P

.

  A.  Baran  &    P . M.  Sweezy. 

Monopoly    l . a t p i a C Chapter  8

‑ 3 .

    . 4 Table    1   . . 1 2 1

九三九年までのアメリカの場合を表示している

(第一表)︒これによると︑

一 九

二 0

年代の生産能 4 2  

8 3  

5 2  

5 8  

6 8  

8 0   1 9 3 0   1 9 3 1   1 9 3 2   1 9 3 3   1 9 3 4   1 9 3 5   1 9 3 6   1 9 3 7   1 9 3 8   1 9 3 9   8

3   1 9 2 9  

力利用度は最高の九四%から最低六五

M m を示して

おり︑三 0

年代に入ると︑最高でも八三%にすぎ ず︑最低では実に四二%を示しており︑独占段階

に・おける設備遊休の慢性化を示している︒

過剰資本が商品資本形態にあるとき︑商品が実 現されないか︑あるいは一部が実現したにすぎな らなくても︑滞貨の増大は投下資本の補填を不可能にする︒とくに不変資本の流動部分と可変資本を縮少せしめる︒

いとすれば︑

たとえ販売価格が費用価格以下にな

9 4  

8 3  

8 2   結果として労働者の解雇と生産設備の遊休化が生ずる︒こうした状態は資本家が商品の過剰生産に対処するため︑投

6 5  

8 0  

8 4  

9 1  

~4

8 9   下資本の喪失を恐れて︑本来生産規模に適合させるべき生産量をかりに自己規制して減産体制をとった場合も同様で

1 9 2 0   1 9 2 1  

1 9 2 8   1 9 2 2   1 9 2 3   1 9 2 4   1 9 2 5   1 9 2 6   1 9 2 7  

過剰資本の諸形態と中小資本

一 五

(20)

経 営 と 経 済

一 五

ある︒そしてその結果も多かれ少かれ同様となる︒

不変資本たる生産手段の遊休化は生産手段の資本としての属性の休眠であり︑したがって利潤率の低落を招来す

るロ乙の低落は︑資本の有機的構成高度化によって低下する平均利潤率の低下ではなく︑ それ以下への低落である︒

平均利潤率の場合は利潤の分配であり︑投下資本に比例して均等に分配されるが︑生産手段の遊休化による利潤率の

低落は損失の分配であるから︑個別資本相互の︑損失を他に転稼しようとする競争戦によってきまり︑均等ではな

い︒かくして︑この生産手段の遊休化による利潤率の低落は︑部門内競争において︑個別的価値が市場価値にくらべ

て高く︑したがって商品の価値実現性の之しい群小資本に集中的に現われる乙とになろう︒かくて損失を他に転稼し

ょうとする競争は企業規模ゾ l ン下層の群小資本の﹁過当競争﹂として現象する︒さらに︑この生産手段の遊休化に

よる利潤率の低落は︑絶対的過剰資本の場合と同じように︑率の低下を量の増大によって償いえないような状態にお

ける利潤率の低落であり︑そのため率の低下はそのまま利潤量の低下とならざるをえない︒乙れは群小資本にとって

はまさに致命的である︒

そればかりではない︒生産手段の遊休化は生産手段の価値喪失をもたらし︑さらに︑物質的な資本実体の絶滅にも

及ぶことになる︒これは単に遊休時間による生産手段の物質的・価値的侵害のみでなく︑均衡が恢復しない限り遊休

資本は機能資本としての性質を失い︑ その資本価値が減価したものと見なされ︑あるいはスクラップ化による物質的

絶滅をもたらすだろう︒均衡の恢復は大なり小なり資本のこうした絶滅によって行われる︒このことは絶対的過剰資

本の場合を想定すればいっそうはっきりする︒いかなる追加資本も同量の旧資本を犠牲にしてでなければ機能資本た

りえない︒競争により︑︐追加資本か同量の旧資本かのいずれかが遊休化する︒ そしてその遊休化は利潤率を低落さ

せ︑遊休資本の絶滅なしには均衡の恢復は得られない︒

(21)

乙の資本の絶滅を︑ いかなる個別資本が他人に転稼し︑いかなる個別資本が負担するかは︑利潤率低下の場合と同

様︑競争によってきまる︒かくて︑生産資本形態における資本の過剰化は︑商品資本形態の場合と同様︑企業規模ゾ

ーン下限の群小資本の資本喪失をもって終ることになるであろう D

中小企業の下請形態は過剰化過程にある中小資本を半自立的形態で温存し︑過剰化を緩慢にする役割を果してい

る口そのかわりに︑下請中小企業は︑下請単価の高低はもちろん問題であるが︑それよりも︑最初から低単価でも発

注が継続し︑ともかく生産が継続することそのものが問題となる水準につねに置かれ︑平均利潤率以下の低利潤率が

常態となっている︒その意味で過剰化過程にある資本であるといえる︒そして元方資本による生産手段遊休化の転稼

により︑過剰資本へ転化する危険をつねにはらんでいる︒したがって︑下請形態にあるか独立形態にあるかを問わ

ず︑貫かれている資本の論理は同一なのである︒

同 ・ 冨 旬 以 ・ 巴 何 百 同

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匂 ・

∞ ∞

前掲訳

六 五

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六 四

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回 目

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∞ 芯

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・ 三 五 五

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頁 ︒

高木幸二郎氏は景気循環の視点から︑絶対的過剰資本の場合の利潤率を︑労働力の価値でなくその価格次元の騰貴によって低

訳 下 す る も の と し て ︑ 循 環 的 利 潤 率 と さ れ ︑ 筆 者 の 呼 ぶ 相 対 的 過 剰 資 本 の 場 合 の 利 潤 率 を 体 制 的 利 潤 率 と 名 付 け て お ら れ る ︒ 4 

( ﹁

恐 慌

論 体

系 序

説 ﹄

三 三

六 i 九 頁 ︒ )

同・冨

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三 五

六 頁

同日︼町内凶・

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∞ ∞ デ 訳

三 七

一 頁

過 剰 資 本 の 諸 形 態 と 中 小 資 本

一 五

(22)

経 営 と 経 済

一 五

四 7  8  F E ‑

訳三五五頁︒ ロ

o ロ

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句 史 川 町 仲 山

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1 0  

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ロ と

ω 当 2 ミはこの生産設備の遊休を過剰資本の生産資本形態としてではなく︑経済余剰の増大とその不十

分 な 吸 収 と し て と ら え て い る ︒

1 1  

同・沼

R u n ‑ U S

関 与 問 同 巳 ・ ロ 巳

Z 同

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2 1

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訳 三

六 七

頁 ︒

五 過剰資本の貨幣資本形態 商品資本形態および生産資本形態にあった過剰資本は厳密には過剰化過程にある資本であって︑企業規模ゾ

l ン下

限の上昇によるゾ!ン下層諸資本相互の残存のための競争の結果として︑過剰化過程にある資本はあるいは完全な資 本喪失をもって終るかもしれないのである︒したがって終局的には︑過剰化ししかも現存する過剰資本としては︑商 品の使用価値から解放されず特定の産業部門に緊縛されている機能資本形態ではありえないのであって︑貨幣資本形 態でのみ存在しうるであろう︒マルクスが︑資本の過多

( 2 2 5 5 )

﹁ 貨 幣 資 本 に つ い て だ け 用 い ら れ る 表 現 で

n L  

ある﹂といっているのは︑まさにこの意味においてであろうと思われる︒

機能資本形態にある過剰資本は︑その過剰化過程において︑群小個別資本相互の残存のための競争を究極まで継続

すれば︑結局︑資本の全部的喪失をもって終ることになる︒この資本喪失を避けてできるだけ多くの資本の保全をは

かるためには︑資本を機能資本形態から貨幣資本形態に転態せしめ︑商品の使用価値から解放される必要がある︒こ

れは競争者による買収・吸収・合併・合同等に応ずることによって︑投下資本を貨幣形態で回収するという方法でお

(23)

乙なわれるのが普通であろう︒こうして部門外に押し出された資本は︑もはや︑同一部門へ機能資本として復帰する

乙とはきわめて困難である口それはもともと資本の過剰化(蓄積過剰)が最低必要資本量の増大(資本の有機的構成

高度化と利潤低下)とともに生じたものであり︑

れたのだからである︒ そのために︑社会的総資本の過剰化が中小資本の過剰となって現わ

かくて︑機能資本たりえなくなった貨幣資本は︑小規絞の資本でもまだ機能資本たりうるような他の小規模部門へ

再び資本の全部的喪失の危険をおかして突入するか︑あるいは︑金融市場(貨幣市場・株式市場・債券市場等)に流

出して︑利子または利子化された配当を得る以外に道はない︒ 一方では小規模部門の﹁過当競争﹂を招来し︑他方で

は中小資本家のレントナ l 化が進行することになる︒企業合同による中小資本家のレントナ l 化は︑歴史上では二九

世紀末イギリスの独占成立過程における産業再編成に典型的にあらわれている︒とくに一八九七 i

一 九

OO

年のトラ

スト創業時代における繊維産業を中心とした横断的企業合同は︑大カタン糸製造業者であるア待出・の

g z

商会の

株式会社への改組を契機に︑多数の企業の広範な合同による産業再編成に進展したのである︒そしてこれら企業合同

は︑暖策の資本化による創業者利得の先取りと︑株式発行額の増大による利潤配当の利子化を生ぜしめ︑ 一 方 で は 擬

制資本の過大化をもたらすとともに︑他方では多数の中小資本家の産業界からの隠退とレントナ i 化を促進したので

あ 円 ︒

る ︒

このように金融市場に流れ込む貨幣は過剰化した機能資本が転態したレントナ l の貨幣資本ばがりではない︒貨幣

形態における新生資本の滞留がこれに加わる︒部門内競争と部門間競争にもとづく資本構成の高度化は企業規模ゾ i

ンを引き上げ︑機能資本としての最低必要資本量を増大せしめるとともに︑利潤率を低下せしめ︑それを利潤量の増

大によって償うために必要な資本量も増大するから︑新たな自立的資本の形成を緩慢にし︑形成されつつある新生資

過 剰

資 本

の 諸

形 態

と 中

小 資

一 五

(24)

一 五 六

A

本が機能資本たりえず︑生まれながらの過剰資本として貨幣形態での滞留を余儀なくされる︒

経 営 と 経 済

品"

'‑

ふれふHN

l 化した過剰資本はつねに レントナ ν ントナ!としての地位に留っているわけではなく︑機能資本への自己 ︑ ︑

eA

転態の試みをくり返すことになる︒景気変動や部門間不均衡による一時的な市場拡大や新生部門の形成等︑ただ機会

さえ与えられれば︑長期的な見通しゃ成算もなく︑冒険的投機的に機能資本形態への復帰・参入を試みるであろう︒

なかには完全な自立的資本でなくとも︑極度の低利潤でもただ機能資本としての存続のみをさしあたりの目標とし

て︑半自立的な下請形態にもぐり込もうとする試みもたえずおこなわれるであろう︒残存する中小機能資本はたえず

こうした失業資本や半失業資本との競争にさらされることになり︑中小企業のいわゆる﹁過当競争﹂を再生産するこ

とになるのである口機態資本として残存している競争者に代って︑失業資本が新たに機能資本としての席を獲得する

乙とももちろん皆無ではない︒だがいずれにもせよ資本過剰化のもとでは︑多くの群小資本はまた完全な資本喪失

か︑運がよくても貨幣形態への逆もどりと滞留に終るであろう︒中小企業の出生率が高いと同時に死亡率も高いとい

う世界的傾向は︑ とこから生ずるのである︒

中小企業の高い出生率と死亡率については︑ アメリカにおいてもみられる︒ スタインドルはマーシャルの﹁代表的

企業﹂論を批判して︑﹁小企業のばあいには大企業よりも損失がひんぱんでかつ重大であること︑および︑事実︑死滅

nhd 

率が大企業よりも高い乙とをしめす証拠がある︒﹂として︑アメリカ合衆国の製造会社の統計やアメリカ商務省の調

査統計を示している(第 2 表)︒そして︑小企業の大部分は成長するに十分な時間をうるまでに死滅し︑それに応じ

た新しい企業の参入によって補われ︑小企業家の供給はきわめて弾力的であり︑大企業の供給はマーシャルが仮定し

たように︑もし大企業家がより小規模な企業家から成長したものとすれば︑非弾力的でなければならない︑と論じて

a u  

い る

参照

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