奈良教育大学学術リポジトリNEAR
弥生の村―小・中・高の関連をふまえて(小学校)
―
著者 西浦 弘望
雑誌名 高円史学
巻 5
ページ 33‑49
発行年 1989‑10‑01
その他のタイトル On How to Teach the Village Life of the Yayoi Period in Elementary School
URL http://hdl.handle.net/10105/8676
弥 生 の 村
− 小・ 申・ 高の 関連 をふ まえ て
︵小 学校
︶
− 西 浦 弘 望
一総 論 − 小・中・高の発達課題をふまえて −
近年︑弥生時代の目立った実践が報告されていないように思︐㌢弥生時代研究は︑考古学の分野において︑日進月歩の
勢いで成果があがっており︑われわれ授業をする者がその進歩についてゆくことが困難となっている︒その反面︑教科書に
おいては︑大きな進歩がみられず︑学問の最先端と教育の現場が︑あまりに懸け離れていると言わざるをえない︒
教科書における弥生時代の記述には大きな特徴がある︒すなわち︑稲作から︑村落構造︑大陸・半島との交渉︑そして階
級発生まで︑という非常に広範囲にわたっており︑網羅主義に陥ってしまっている︒その上︑視点をはっきりさせていない
ため︑網羅しているにしては︑弥生社会が見えてこない︒
特に階級発生に関しては︑その説明のために弥生時代が存在するかの感がある︒言葉をかえると︑弥生時代が階級発生の
説明のために利用されているのである︒こういった事実は︑石母田正︑宮原武夫らが︑一様に﹁生産力の発展と生産の変化
とを階級闘争の発展にすりかえるべきではない︒﹂と説いてい私ことに反する︒そして︑無理矢理取り組んだ結果は︑理屈
ー33−
が前面に出た内容となり︑具体性にも乏しいものになっているのである︒
今回の実践は︑以上の様な問題点を是正するための試みであり︑さらに小・中・高の発達段階も考慮したものである︒ま
た︑授業目標を設定するのみにおわらず︑授業目榎にあった教材を提示することができたと考えている︒
川 小・申・高に共通の視点は次の通りである︒
① 弥生村落の実像復元を袖にして︑弥生社会を学ぶ︒
② 教材にする弥生村落は︑適切なもの一つに限定することによって︑より弥生社会を鮮明にする︒
③ 弥生社会の基本概念は︑表1のように考えている︒
砂 各段階における主目榎は︑以下の通りである︒
○小学校 なぜ米を作るようになったのか︑どうやって水田を作ったのか︑弥生人はどのようにして米作りをしたのか︑
などを米・水田・農具などの生産にかかわる要因を通して学習する︒
弥生時代が農耕社会であることを生産を学ぶことで深める︒
○中学校 小学校の段階をふまえ︑さらに弥生村落間の結びつきを中心に内容を深める︒
﹁唐音・鍵遺跡﹂を通して見た︑実物大の弥生社会︵弥生村落の実像︶を復元しながら考え︑弥生時代の共同
体を
学ぶ
︒
○高 校 小学校・中学校段階をふまえ︑古墳時代まで見通した上で︑弥生時代の共同体を学ぶ︒そしてそれは︑古墳時
代の政治権力を生み出し︑階級社会の基礎になったことを学ぶ︒
㈱ この実践に用いた教材は︑次のような長所をもつ︒
34
表
縄 文 時 代 弥 生 時 代 古 墳 時 代
食
◎ ドング リ 米 (年間の半分) ∋(増)
動物 (シカ ・魚 介類 ) ドング リ (非常食) (減)
動物 (イ ノシシ) ヨ(減)
水田
無 し 小区画 小区画(大区画 も増加 )
(ただ し、原始農耕 は 乾湿田 渡来 人の技 術で水 田開
あった) 発 (収穫量増加 )
土器
縄文土器 =鉢 弥生土器= 3 点セ ッ ト 土 師器 = 3 点 +か まど
(壷 ・蛮 ・高杯 ) 須恵器 鉄器
(農具)
(銅器)
無 し 鉄器 は工具 が主流 中期 までは
支配者 の所有物
居住環境
竪穴住居 (キ ャンプ) 竪穴住居(セツルメント)
※定住で きる理由を 他の条件 か ら導 く
(略 )
墓 首長
共同墓地 共同墓地 共 同基地
シ ャーマ ンの存在 a 王墓 (聾棺 ・支石 基)
b 方形周溝墓
※副葬品 ・マ ウン ドか らa b に意 義の差 異
古墳
共同体 部族 (≒世帯共同体) 世帯共同体 (ム ラ) 氏族制 (クニ もしくは
共同体間 住み分 け している ム ラ×α=小共同体 陛 国 が単位)
(国造 の レベル) 1
クニ (交易 はある) 小共同体×α=大共同体
大共同体×α=クニ
クニ ×α=連合国一一一一一一一一・一一一− 」
(邪馬台国 ・吉備 ・ヤマ トの レベル)
l
−35−
①﹁
唐音
・鍵
遺跡
﹂
地域の教材であり︑生徒も馴みやすい︒しかし︑ただそれだけで選んだのではない︒この遺跡は︑前期から後期にわ
たる歴代遺跡である︒大量の出土遺物や大和盆地の弥生遺跡研究の成果により︑水系による周辺の遺跡との結びつきを
明らかにすることが可能である︒それに基づいてクこの実体を明らかにできる︒そして︑弥生社会が古墳時代の基礎に
なったことを示すことができることなど︑実物大の弥生社会を学ぶには︑この上ない教材であ私︒︵小・中・高︶
②﹁
纏向
石塚
﹂
大和政瞳発祥の地における︑古墳時代最古の古墳が発掘された︒弥生社会から古墳時代への移り変わり考えるには︑
㈲
絶好
の教
材で
ある
︒︵
高で
使用
︶
こ 各段階の実践の概略
高 校 (出 口 晴久 ) く第 2 時 〉 唐 音 ・鍵ム ラの
人 び と 0 森 本 六爾
0 発 掘 の 歴 史
く第 1 時 〉 稲 作 の は じま り 0 弥 生 人 にな ったつ も り
で考 え る。
→ 水 田を つ く−る と した ら、
どん な水 田 ? ど うや らて水 を ? 0 弥 生 の 水 田 (小 区 画 )
の写 真
(第 2 時 のつ づ き) .
。 「追 跡 の平 面 図 」 を 読 み取 る。 なぜ こん な 巨大 集 落 に な った ?
・食 生 活 ・外 観
・防 御 機 能 (環境 と分村 )
・祭 祀 ・交 易 0 ム ラの 人 々 は何 を 守 ろ
うと したの か ?
→ 初 瀬 川 流域 に お け る、
唐 音 ・鍵 ム ラの意 味 く第 3 時 〉 ム ラ か ら クニ へ 0 大 和 盆 地 に お け る弥 生
遺 跡 の 分 布図 か ら 一斗水 系 に よ る 結 び っ 皇
(ク ニ)
0 「倭 国大 乱 」 と ク この 統 合
。 唐 音 ・鍵 ム ラの終 ・と その 意 味
く第 4 時=古墳時代第 1 時〉
石 塚 の 築 造 政 治 権 力 の発 生 につ い て考 え る。
0 石塚 ・方 形 周 溝 墓 ・箸 墓 を 紹 介
・ 方形 周 溝 墓 と石塚 と の 間 に あ る断 層 は何 ?
・ 石塚 の被 葬 者 =大 和 の 支配 者 は、 どん な 力 を持 って い た ?
・ そ のカ と弥 生 の首 長 の カ の違 い は ?
各段階の実践の概略
小学校 (西浦 弘望) 中学校 (石橋源一郎 ) 唐
古 く第 1 時〉唐音 ・鍵遺跡の く第 1 時〉2000年前の祖先
発見 のム ラ
鍵 0 唐 古 ・鍵追跡の位置そ 0 弥生土 器を見る
遺 の他発見 0 位置の確認
跡 0 弥 生土器 ・や じり ・も 0 教師の体験 (発掘 ) の み ・木 くわ ・す き ・わ ら 0 足の下 に想像 をめ ぐら 紹 たば ・銅鐸の意味や使い す。
介
弥
方を考え る。
く第 2 時〉米つ くりの く第 2 時〉唐古 ・鍵ム ラの は じま り 4 つの顔 一第 1 の顔 (農耕 0 赤米試食 ・農目 (くわ) のム ラ)
生 の
′ ヽ フーく
・(米づ くり実習)か ら、 0 木製 くわの実物一十稲作 弥生の米づ くりを考え る。 の実際を想像 する。
稲 く第 3 時〉唐古 ・鍵ム ラの 人々 0 広 さ ・人 口 ・水田 ・農 作業を補足 しつつ、唐古 ・ 鍵 ムラの景観 にせ まる。
0 稲穂 東→収穫 はどれ く 作
唐
らい ?
※ 米に こだわ り、米 を食 べつづけた弥生 人 く第 3 時〉第 2 の顔
(交易するムラ)
0 石包丁の材料 はどこか ら ?→耳成山や紀 ノ川流 域か ら
古 第 3 の顔
鍵 ム
(銅鐸を作 るムラ)
0 作 った銅鐸は どこへ ?
ラ 。 銅鐸の まつ り
の ※ 唐古 ・鍵 ムラは初瀬川
様 流域の結 びっ きの要 だ っ
子
( 実 物
た。
く第 4 時〉第 4 の顔
(環濠め ぐらすムラ)
大 0 クこの大 きさは ?
の ・唐古 ・鍵 ムラの属 す ク
/ t.−...
生 ・クニの王の シンボル
社 ノゝ コミ
)
政 治 権 力 の 発 生
→銅鐸
0 唐古 ・鍵 ムラの環 濠は 何 のため ?
何 を守 ろうと した ?
→米 ・銅鐸石材 に代表 さ れる 「豊 かさ」
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小学校は︑全三時間で計画した︒
第一時 唐古・鍵遺跡の発見
第二時 米づくりのはじまり
第三時 唐古・鍵ムラの人々
三 指導の実際
第一時 唐古・鍵遺跡の発見
ねらい 唐音・鍵遺跡から発掘された遺物を観察し︑弥生社会の特徴に気付かせる︒
︵概
略
︶
教 師 の 動 き 1 遺跡発見の話をする︒
プリント‰6を配る︒
2 遺物を紹介する︒
・弥
生土
器︵
破片
でツ
ポ.
・カ
メ・
高杯
︶
・矢
じり
︵実
物︶
▼
・赤
米の
穂︵
実物
︶
・木
製の
鍬︵
実物
︶
・わ
らた
ば︵
実物
︶
・銅
鐸︵
複製
品︶
︒唐古・鍵ムラの人々のくらしぶりを︑考え
るこ
とを
意識
づけ
る︒
児 童 の 動 き
︒地図帳で遺跡の場所を確かめる︒
︒遺
物に
触れ
︑感
想を
発表
する
︒
︒分かったこと︑思ったこと︑疑問を書く︒
○子ども達の疑問
・縄文時代に比べて︑弥生時代は土器や食べ物の米をつくるようになってだいぶ進んだけれど︑どうして竪穴式住居から
は変わっていないのだろうと思った︒
・縄文人から︑弥生時代になるまでどんなふうにかわっていったか知りたい︒
・米はどうやって見つけたのかな︒見つけてもすぐに食べなくて︑植えたのはどうしてだろう︒
第二時 米作りのはじまり
ねらい 唐古・鍵遺跡をもとにして︑弥生の米作りを考える︒
授業展開T むかし作られていた稲の穂を見せたら︑食べたいという意見がありました︒これが赤米なんです︒︵子ども達に配る︶
C ︵食べてみて︶かたい︒
C おいしい!
C 松の実よりおいしいよ︒
T 唐古の人達は︑そのまま食べたのかなあ︒
C
焼い
た︒
C
炊い
た︒
T 炊いてみたらどうなるかというので︑朝から職員室で炊いてきました︒︵炊飯器をとり出し︑炊き上がった赤米を子
−40−
T ども達に配り試食させる︶
C あまいような味がする︒
C あんこのような味がする︒
C 白米の方がうまい︒
ここで︑先の縄文時代の学習で松の実を食べているので︑その味を比べて︑どちらがおいしいかを問うてみた︒結果は︑
松の実より赤米がおいしかった 二三人
赤米より松の実がおいしかった 八人
で 学級の三分の二以上の人が︑赤米がおいしい方に手を挙げました︒おそらく唐古の人達も︑いろんな人がいて︑おい
しくないと思う人もいただろうけど︑だいたいとしては︑こうではないだろうか︒
おいしいというのは︑大切ですね︒
●唐古の人々が米を手に入れるまで
T まず︑唐古の人達はどうやってこの米を手に入れたのかな︒
C 拾ったんや︒
C だれかが持ってきた︒
C 交換したんや︒
C 中国南部や朝鮮から伝わって来ました︒
T 元々米というのは︑日本になかった︒中国やインドあたりにあったのが︑日本に伝わってきた︒どうやって伝わって
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来たんだろう
C 人が船に乗って日本に持って来た︒
C 日本が中国を探りに行ってぬすんできた︒
C 交換︑米を作る人が日本に来て︑日本の何かと交換したんや︒
C 作り方わからへんやん︒
C 米をもらっても︑これ食べれるって分からへんかも︒
︒¢ 手本見せる︒こうやって作るんだって︒
C 中国の人が日本に来て︑植えたりしてて︑それを日本人が見てたんや︒
T 分かっていることは︑日本には元々なくて︑大陸から人が伝えた︒このことだけは︑はっきりしているようです︒
T 九州に伝わった︒九州に伝わったお米を︑唐音の人々はどうやって知ったんでしょうね︒
C 九州を調べに行った︒
C 移動とかして見つけた︒
C 他の人から︑米を食べさせてもらって︑おいしいともらってかえった︒
C ぱちって帰った︒
C ちょっとずつ伝わっていった︒
T これも人によって伝えられた︒唐古の人達は︑赤米を手に入れることができたのです︒
●田をつくる
42
T C C− c T
C
T
C
CC
T
T
C
C
T
C 米をつくろうと患ったらまず最初にしないといけないことがありますね︒種
をま
く︒
苗を植える︒
田おこしをする︒
田おこしをする前は︑
田をつくる
田はないよね︒田をどこにつくるか︑考えないといけないね︒
川の
近く
︒
日が当たるところ︒
低いところ︑川の水が引き易いところ︒
これだけの条件があったら田を作り易いかな︒奈良盆地の立体模型を見てごらん︒︵唐音のある田原本の地形の話や︑
七年前の台風の被害を話して聞かせ︑選ばれた土地であることを確かめる︒︶
川の近くで日当たりもよさそう︑低いから水もよく集まってくる︒これだけで十分かな︒
寒く
ない
︒
地面がやわらかい
道具は︑木の鍬だっ七よね︒
土がやわらかくないと掘られへん︒
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●一年間のどのくらい食べられたか
T いよいよ秋になりました︒収穫です︒去年はどうやった︒
C 鎌︑のこぎり鎌使ったよ︒
T ところが唐古からは︑こんなものは出てこないのです︒石包丁というものが出てきています︒
ダンボールで作った石包丁を配り︑実演しながら︑石包丁の使い方などを説明する︒
T とれた米で︑一年間のどれくらいたべられたのかな︒
子ども達の意見を整理すると
三〇日は食べられた 〇人
六〇日は食べられた 六人
一八〇日は食べられた 六人
三六五日は食べられた 〇人
で 二ケ月から︑よくて七ケ月ぐらい食べる分の収穫だったようです︒
C その他には︑どうして食べてたのかな︒
C ドングリ︒
C 狩りをしてた︒
C 漁をしてた︒
T ドングリやイノシシを食べていたね︒
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C T
C C
C T
C
T
C
C
C
C
T
C
T
C
C
カエルも食べてたよ︒夏に洪水が来て︑せっかくの水田がだめになってしまっても︑米を作ったのかな︒作ったと思うよ︒イノシシの肉とか︑いつまでもつかわからへん︒くさっちゃうもの︒米は長持ちするの?持つよ︒持たなかったら田植えができないもの︒米は︑保存ができるんだよね︒ピンチのためにとっといた︒お米を毎年毎年ちょっとずつとっておいた︒とられへん︑なくなったときに食べていた︒残しといて︑少しずつ貯金した︒使う分はとっておいて︑とれたからといって食べたりしない︒ふだんはドングリを食べておいて⁝︒米は︑どんなことに保存してたの?資料集にのってるよこれこれ︑高床式倉庫って書いてるよ︒45
C
守っ
てた
︒
T 弥生土器にモ︑︑︑を入れて保存しておいたようです︒時間が来てしまいました︒今日の授業で︑分かったこと思ったこ
と︑疑問をノートへ書いておいて下さい︒
第二時の後の子どもの感想をいくつか紹介する︒
先生にもらった赤米は︑炊いた方が松の実よりも︑生よりもずっとおいしいと恩いました︒でも︑やっぱり今の米の
方がおいしいです︒はじめて作るのは︑田を作るとこからしないといけないから大変だったと思う︒田を作るのに︑い
い場所は︑もし条件がそろってなかったら︑やっぱり住む場所を移動したのかなと思った︒でも︑移動するのは大変だ
からどうしたのか分かりません︒石包丁は︑今よりもずっと疲れて︑陳が痛くなると思った︒米は保存がきくので︑冬
などに残しておいたのではないかと思う︒
高田さゆり
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ずっと前に︑ただ米を作ってるだけと患ったけど︑よく考えてみると︑どうゆうふうに伝わってきたのか分からなかっ
た︒今日の授業で大陸から人が伝えたと言っていた︒今日の赤米は︑炊飯器で炊いたけど︑昔はうまく焼いて︑炊いて
るみたいにおいしくしたんだなあと患った︒萩原 絵美
第三時 唐古・鍵ムラの人々
第二時を終えての子ども達の疑問に答える形で計画をたてた︒
ねらい 唐古・鍵ムラに住む人々のつながりやくらしを知り︑弥生時代のムラを考える︒
とし
た︒
授業は︑ムラの大きさを確かめるところから入り︑弥生の水田︵橿原四分遺跡出土︶の大きさやつくる工夫を考える︒次
に田の世話︵除草︶について話しながら︑人々の計画的な共同作業に気付かせる︒最後にプリント‰10を配り︑弥生のムラ
の景観をイメージさせた︒
四 実践を終えて
弥生時代を小学校で学習するのに︑生産と労働を重視する立場から︑米作りに焦点をあてて授業を構成した︒鉄器につい
てどう扱うかは不十分さは残ったが︑田づくりと草とりという労働の場面に絞りこんだことで︑子ども達は︑自分達の経験
.︵五年生での米作り実習︶とも照らし合わせながら︑弥生のムラと人々をイメージしていったと考えている︒
この実践は︑総論ででも述べたように新しく試みたものである︒次の各項について批判していただければ幸いである︒
① 小・中・高の発達段階に応じた授業目標の設定になっているかどうか︒
② 小学校の授業内容としては︑米作りが理解されればよいとするのかどうか︒階級の発生を教えるための前提﹁階級社
会の実態﹂は︑教えるべきなのか︑どうなのか︒
③ 実物教材の有効性と限界︒
④ 小学校全体で︑米作り︵農業︶をどう教えていくのかのプランが必要ではないか︒
−48−
中学校は︑石橋源一郎先生︵田原本中︶が︑高校は︑出口晴久先生︵奈良学園高校︶が実践をしています︒レポートとし
てまとめられています︒西浦が持っていますのでご覧になりたい方は連絡して下さい︒︵凪
一九八〇年以降︑﹃歴史地理教育﹄に弥生時代・階級発生に関して報告されたもの 大阪歴教協日本史部会﹁日本史学習をどうすす
めるか用﹂三〇八号
大石文子﹁米づくりの始まり−子どものわかり方を大切に﹂三四一号
石井郁男﹁驚きと発見の授業−古代国家の発生をめぐって−﹂三五〇号
宮原武夫﹁なぜ生徒は原始社会を理想社会と見るか−敗北史観克服のために﹂︵﹃歴史地理教育﹄ ハ五号︶
川本治雄・勝山元照﹁子どもの社会認識の発達をどうとらえるか﹂︵﹃月刊どの子も伸びる﹄ 二一〇号︶
﹁埋もれた二〇〇〇年の遺産唐古・鍵遺跡﹂田原本町教育委員会
﹁弥生の巨大遺跡と生活文化﹂雄山間
49
︵生駒市立壱分小学校教諭︶ ㈲ ﹁桜井市堪向石塚古塚墳丘部範囲確認調査概要﹂桜井市教育委員会