奈良教育大学学術リポジトリNEAR
江戸初期俗謡の復原の試み ―特に糸竹初心集の小 唄について
著者 林 謙三
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 7
号 1
ページ 21‑44
発行年 1957‑12‑15
URL http://hdl.handle.net/10105/4892
江戸初期俗謡の復原の試み
−特に糸竹初心集の小唄についYC
林 諌
目 次
1.∴. ∴
2.糸竹初心集と小唄
.・;.撃、一節切、三味線とその書の検討 4.小唄旋律の復原について
1.前 言
5.復原以後のこと 6.補 説 7.結 言
復 原 楽 譜
ひ と つ と やひ と も え し ら ぬこ ひを して なみだ は た も と に た えや ら ぬ.
江戸初期に流行した俗謡はどのようなものであったか。当時巷間に愛唱された小唄のたぐい は、その歌詞だけは豊富に残されている。しかし、どのような旋律をつけて唄われていたのか今
日殆んど知ることができない有様である。はやりすたりの多い俗謡などと云うものは耳から耳へ と教え伝えられて行くことが多く、楽譜に記載されることが少なかったためにわずか三百年後の 今日その唱い方が全くわからないものになっているのである。当時の俗謡が例外的に楽譜化され たものも少数ある。それらは俗耳にしみこんでいる点がとり上げられて挙や一節切や三味線の初 心者のために教材とされた場合である。現存資料としてそのもっとも古いのは覚文の糸竹初心集 に見られる撃、一節切、三味線3種の譜をもって現わした俗謡である。やや遅れて現われた紙鳶
(いかのぼのや大幣(ああぬさ)が初心集の補遺の役をつとめている。
糸竹初心集に収めた俗謡の音楽についてはすでに兼常清佐博士等の研究があるが、苦楽的復原 の可能が説かれつつ、それが容易に実現しなかったのは一面理由があると思う。ここには同一曲 を撃、一節切、三味線の3楽器の譜に書いているから、それらによにてたしかに音楽の領域内の いくつかのことを知りえよう。−使用の旋法、音程、主要書、終止音等々。ところが3楽幕の譜 は相対照して正しい俗謡の旋律を求めようとする前に1つの問題に出あう。それは3楽器の当時 の音律上の疑問から覚す解いて行かねばならない上に、相対照したところがどうしても合わない 部分にもしばしば出あうことである。こんなことのために俗謡の旋律の線だけを求めるのにもー
21
苦労がいるわけである。最後に旋律の線だけはつかめたとしてもそれぞれの音に適当な首長を与 える方法が見出さなければ復原にはならない。これが十番困難なことであったために久しく待望 されながら本書の俗謡の復原が殆んど放棄状態にあったのではないだろうか。
私は近世俗楽については探く知るものではないが、滅んだ古典音楽を楽譜解読によって復原す る研究の一環として以前から本書に注目していた。本書の俗謡の一つである岡崎が殆んど今日残 る曲と一致すること一一もつとも旋法に差はあるが−から本書の曲譜を比較偵訂して当時の歌曲に 法則性のようなもののあるのを知り、数え唄1曲の復原を試んだのが十余年前のことである。当 時その他の曲については復原不可能と思いこんでいたのは今から思うと実はあきらめが早すぎて いたのである。同一署長をもって示された、数十の音群を当時唄われたような旋律に蘇らすこと は何か確固とした指針なしにはできうるものではない。当時はそのような指針が見つかるかどう かもたすねてみようともせずにあきらめていたわけである。ごく最近になって歌詞と!j楽器硯自 認の表現し方を慎重に検討して行くうちに上記の解読の指針らしいものを見つけた。そして試み
に他の曲譜を訳してみたところ案外すらすらと読めたのである。もちろん巳に滅んだ曲を今日そ の昔通りに蘇らすことは不可能であるが、三百年前の俗謡らしいものはこんな曲ではないだろう かと云う程度に読めたのである。ここに提出す る試訳に対して払ろく世の学者や古楽豪の検討を 仰ぎ、これに数段まさる原曲に近いものを再現する機会を与えられるならば、本論に注いだ私の
いささかの苦心は報いられたことになる。
この俗謡復原の是非にかかわらす、ともかく本書の俗謡の研究によって得るところは多いであ ろう。例えば江戸初期に怠ける挙、一節切、三味線の音律、その初歩的奏法の一一斑、俗謡の普楽 性−これは本書以外のものにも関連する−江戸末期の俗楽との実証的差異等々のことを知ること ができる。この点、本書は後継の紙鳶や大幣よりも資料的に一段尊重すべきであると信する。
以下糸竹初心集についての概説、収載の俗謡、本書の奪、−一節切、三味線の音律、奏法、譜字 等を考え、拳譜に硯われた旋律の妥当を述べ、曲譜の音節を判断する指針を立てて、全俗謡の復 原を試み、音楽としての俗謡の性格、特色を述べてみようと思う。
なお、本稿は糸竹初心集のテキストとして寛文本一但し後刷本−と高野博士編目本歌謡集成木 を相対照して用いた。後者は読み易い代り楽譜に所々誤り一主として歌詞と楽譜の位置のすれ−
があるために楽譜テキストとしてはそのまま用うべきでないことを指摘しておきたい。
2.糸竹初心集と小唄
糸竹初心集は一節切の名人、大森宗君(薫、勲)の門人、中村完三が覚文4年(16(う4)著わし た一節切、琴(撃)、三味線の奏法を初心者のために平易に説いた入門書である。ここには江戸 初期にごく普通に知られていた12の俗謡その他の器楽曲をとり上げているのは、特にこれらの俗 謡が人々に耳なれていて未知の楽器を始めて学ぶものに:適当な教材と思われたからであろう。序 文には次のようなことが書いてある。『抑此の菩たる事は、一節切の尺八井に、琴三味線ならは ずして吹きおぼえ、引き覚ゆる道の書なり。然りとはいへども少しも心得たる人の、用ゆるめざ にはあらす。曾てしらざる人のために、若やと記すものなり、しかし叉さらになるまじき道にも あらず、書の趣をよく考へ、声歌をそらに覚えなば、少しはなどかならざるべき。此の心を便り とし、いかなる事をも吹出し、引きいだすべ尊ものなり。よくよく心をとむべし。』
ここに云うところの声歌は証歌とも書き、雅楽の唱歌をまねたものであって、一節切の1㌢仮名 譜字、三味線の18仮名諾字による唱歌を云う。初学者は耳なれた小唄の旋律を歌詞で唱わす語字 で唱って譜字の意味する指法に従えばその小唄の曲が一節切なり、三味線で奏することができる
わけごある。隼について別に声歌を説いていない。
教材としたこれらの俗謡はもちろん当時実際に愛唱されたものばかりであるが、室町末から存 すると思われるものや慶長から覚永代に巳に存したものもかなりある。俗謡の一般名称としては 本書には単に「歌」叉は「はやりうた」と呼んでいるが、小唄C歌)と云うべきであろうか。そ れで以下小唄をもって汎称とする。その大部分を占める本来踊を伴うものは踊歌と呼んでも好小
わけである。いま3楽器用の譜に現われた小唄を表示すると次のようである。〔○印存在蛸]踊歌〕
Ⅳ0. 曲 君 等 一節問 三味線 備 考
近 江 踊 り * 小 倉 踊 り * 伊 勢 踊 り *
芳 野 の 山*
(大和踊り)
菅 笠 ぶ し 小 六 ぶ し 柴 垣 ぶ し*
囁 踊 り *
間 合 の 芋*
岡 崎*
[1つ数 え 唄
121
海 道 下 り * 0 0 0 0 0
〇
〇
〇
○
○
○
ヽ ノ ヽ l ノ
調 調 5 5
︵
︵ 0 0 0
0 11
0l o
〇
〇
〇
〇
〇
〇
(⊃
⊂)
一節切、三味線の詞 挙の詞と異なる。
歌詞相違する。
三辣練詞やや短い。
l
0 1歩の詞やや短い。
1 近 百二 踊 り
これから見れば、あふ近江が見ゆるナ、笠買てたもれ、近江笠、ヤレ、近江笠。(挙)
同
ふうらい、よ、らい、古妻いとLナ、われ古妻は、なほいとし、ヤレ、なほいとしい。(一節切、三 味線)
2 小 倉 踊 り
小倉の患んのおんのへの、一一本すむすむ薄、いつさて ははん ほほん穂に出て、乱れああんあ
(尾 上)
」あんあをいの、患たまこがれて、秋こがれつらんや。
(合はういの)
3 伊 勢 踊 り 一
あの君横は、伊勢の浜育ち、目もとに汐が、ヤレ、こぼれか上る〔ぞ〕え0 4 芳 野 山
芳野の山を、雪かと見れば、雪ではあらで、ン′こ/ヤコレノ、花の吹雪よの、ンンヤコレノ。
5 菅 笠 ぶ し
破れ菅笠、ヤンヤ、締緒が切れて、ノオェ、さらにきもせず、工イサンサ、ヤアサンサ、捨ても せず。
6 小 六 ぶ し
小六ついたる竹の枚、小六、本は尺八、中は笛、小六、末はホ、ホンか、ホンホホンホ、、ノン ヨヲ、 じよんじよ じよんじよん 女郎衆の、ノンカ、イヤカ、 カカンカカ、 ソンソレ
2三;
まことに、ノホンホホヲ、さて、筆の軸たけ、小六。(撃)
同
小六、生れは西の国小六、育ちやホ、ホンホ、ホン、ホ、ホ、ホン、ノヲヨヲヲ関東の、ノンカ、
イヤカ、カカンカ、、ソンソレまことに、ノホンホ、ヲ、さアて、武蔵野に住むな、/ト六。
7 柴 垣 ぶ し
柴垣、柴垣、柴垣ごLでなアアアアン、雪のムな、振袖、ちらと見
(ナ)
雪の、ナンナンサアン.・ホサイヨ、雪のイノムナナナ、振袖ちら LL
ア︶ななナとと︵た
た 見 ア、アン、振棟、
°ン
ヽア
アア
ヽ
− ノ
ナ
8 鹿 踊 り
宴々の、堰の清水は、夜毎に落つれど、名も立たぬ、エイソレ、夜毎に落つれど、名も立たぬ。
9 間 合 の 手
患ちよでのやきては誰々ぞ、ソリヤ、なかに明月いせていか、ソリヤ、尾の上の風にかしのい に、花がき、関寺、よし川よ、ソリヤ、よ太郎よ、よ太郎よ、よ太郎、よ太郎、よ太郎よと呼び や出だして、まふきせた。
10 岡 崎
岡崎女郎しゆ、岡崎女郎しゆ、岡崎女郎しゆは、えい女郎Lゆ、岡崎女郎しゆは、えい女郎しゆ。
11数 え 唄
ひとつとや、人もえ知らぬ恋をして、頂は決に絶えやらぬ。
12 海 運 下 り
面白の海道下りや、何と語ると尽きせじ、賀茂川白河うち渡り、恩よ、人には粟田口とよ、四の官 川原や十禅寺、関巨だ里をうち過ぎて、人まつもとに着くとの。見わたせば瀬田のから橋、野路篠
(枠本〕
原や霞むらん、雨はふらねど、もり山を打過ぎて、をのL Lゆくとよ、すりはり峠のほぞみち、
「守) (小野) (摺針)
今宵はここに革変くら、かり船の夢は、やがてさめが井、ぼんばと吹けば袖さむき、伊吹おろしノに
(醒) (番場)
不破のせきもり、とぎさぬ御代ぞめでたき。
○近江踊りはその名を冠するように近江に起った踊にともなう唄であろう。「ここから見れば」
の風を模したものがその後も現われいるし、また原歌をすこし改めて芳野山の替歌にしたもの のあることを犬幣が記している。
○小倉踊りの小倉は天和の小倉山を指すと云われている。
○伊勢踊りの先駆は巳に窒町時代に現われ、江戸時代に入って寛永12年に将軍家光の前で演じた 時の歌にも、この踊唄と同じ詞のものが入っていることから、多分本書の曲にあたるものが当 時唱われノたことを知る。萬治刊の萬黄塵の深くどき歌にも本歌を組みこんだものが見られる。
○芳野の山、一名大和踊りは本書より一一足早く吉原流行小歌惣まくりの「一よぎり」に同じ歌詞 をあげ、その流行のさまを示してる。浄瑠璃の節付に吉野山のあるは一節切の節であると云
う。
○菅笠ぶLは元祓項まで残っていた隼連ぶLの中音である。それで「隆達がやぶれすげ笠しめ留 のかつら長く伝りぬ」の英一蝶ア〕蓑があるのだと云う。苛沢の隆運節に同名曲があるが全くの 別曲である。
○小六ぶLは慶長代、西国生れの馬追小六のはじめるところで、一時天下を風靡したことがあ る。寛永1釣三将軍莞崩の時、尺八をもってこの曲を吹奏している0枚の葉に替詞がある。
○柴垣ぶLは慶安末一明彗頃や小唄で二人向い合って手拍子をうって唱ったが、天和の頃はやく も廃れたと嬉遊笑責に記している。もとは北国の下部の米つき歌で、その栴り方は大いに変つ
ていたと云う(武蔵鐙)。
〇度踊りの鹿は「し1」とよみ、獅子踊りに通ずる。紙鳶、天幣に獅子踊りの前歌としているも のはこれと歌詞は異なるが、巽は本曲そのものにあたる。このことは楽譜の対照によって明か である。したがって本曲は却って紙鳶の前歌であり、次の合の手が同じく本歌となる。この2 書に「轟々の堰の清水は」の詞を欠くた糾こ今まで誤った判 封が下されていた。
○鹿踊りの合の手として本書に掲げているものは紙鳶や大幣の獅子踊りに当るものと考えたい。
この2苦には歌詞を欠くが、曲は本書の合の手とほとんど同曲と認められるからである。本書 の時代では麿踊りと同合の手の関係は前石が主、後者が従のように見えるが、合の手が却って 長い曲であるところから、やがてこれが本歌のよりに取扱われるに至ったものであろうか。一 節切の復原曲を通じて合の手は元来は無歌詞の鹿踊用の曲であり、後から歌詞を添えたものの
ように思われる。歌曲としても他より見劣りがするのもこのゆえであろう。
○岡崎は三河の岡崎から起り、室町時代末に己に同じ歌詞の曲が唱われた。寛永代にも撃の初歩 者に好んで弾かれるほど通俗的であったらしい。稽古曲にも愛好されたことについて声由美頁葛 に「岡崎のうたは昔より今にかはらす。天和の一代男にも、やうやう此程岡崎を覚えたる手つ きして、只やかましきぼち音云々といへば、昔より初心のものかならす此唄よりならひ始めけ ん。」と書いている。踊りに六拍子と云うのは岡崎拍子であると云うのは、本曲が均等のβ句を
もち1句に1拍子一多分足拍子一一を踏んだことによる名称であろうか。
○数え唄は後世知られる唄の先駆をなすもので、この歌詞は他に全く知られていない。この可擁 な唄の第2歌以下の知りようのないのは惜しい。
○海道下りの歌詞は窒田時代にも存したもので、本書の款のうち、もっとも養いが、短い由をく り返して用いているところは和讃に似ている。承応明麿の頃、右近源左衛門が本曲によって小 舞を踊って名を馳せたと云う。
3.等、一節切、三味頒とその譜の検討
本書の小唄の旋律を正解するためには撃、一節切、三味線のそれぞれの曲語をしらべ柏対照し て異同を検し、そこから導き出された吉群に対して最適な音長を与えて最後に唄として適切であ るかどうかをしらべてみなければならない。結果から云って聾の譜がもっとも小唄の旋律を王獅っ しているように判断されたので、筆、−一節切、三味線の順に3楽器の音律と曲譜をしらべてみよ う。
撃
撃は奈良時代に唐楽の楽器として13絃制を始めて輸入し、その外形をあまり変えることなしに 後世に伝えている。その調絃法は雅楽に患いては次第に淘汰されてわすかに一越性調、大食調、
平調の3型を今日残すにすぎなレ、が、俗楽に患いては雅楽の大食調(及び水調、宮絃IⅦ)型を うけて用途を変えて用いたのが筑紫等の木調(宮絃−Ⅴ,Ⅹ)と称するものであり、これより更に 平調子を分化し、雅楽の平調から雲井調子を生み、その他多数の調綾法を生んで今[=こ至ってい る。ところで本書で用いているのは筑紫撃の木調一本調の名称は別の義と混同し易いから以下を 箪壬と呼ぶ一に限られている。当時は巳に雲井調子が出現している明証があるのに本書では本調 子Lか用いていないのは、これが当時の撃の一番普通な調按であり、また当時したしまれた小唄 の旋律をのせるにもつと軋ふさわしい調綾であったからと思われる。その調綾について云う。『凡 そいとの調べようは、ます一越を調べんと恩ふ時は、一は一旗、二は下無、三は賽鐘、四は盤渉 五は一越、六平調、七は二むうは調子、八は三のうは調子、九は四の上調子、十は五のうは調子、
25
とは六のうは調子、いは七のうは調子、きんは八のうは調子也。』
ここで注意すべき点は下無とあるのは今日の所謂双調′(g)のこと(本書下巻十二調子図参照)
で、この2律の順位を転換して用うる一説が元藤代にも存したことを律原発揮中にも言及してい るところを見ると、別に本書の著者ひとりの思い速いではないことになる。レ、ま大食調と木調一 也調とを対照すると次の如くである。
1 ∬ 紺 IV V l Ⅶ 欄 茸 Ⅹ 欝 班 別I 大食調 h e ♯f 栂 h 静cl el 鮮1 撫1 hl 者C2 e2 離2 一越調 dl g a h dl el gl al hl dl e2 g2 a2
上表のように2調舷は全く同型である。大食調は Ⅶ舐綾を調の主音に用うに対し一越調はⅤ
Ⅹ粒を調の主音に用うるのが用法の差である。したがって大食調のままの音律では俗楽の婁渉調
(h)の曲を奏することができる。
次に撃の技法としては当時、左右手とも相当進んだものがあったかと思われるが、本書には右 手については前爪(大指)、向爪(中指)、脇爪(食指)の基本的用法、向爪と脇爪を併用する打 爪とか、向爪法の用例をあげるにとど妄り、左手については、『此の中におさゆる糸は四七九八 也。但し引きならひにはあさへすしても苦しからず、爪かすばかりよく覚えたるよし。』
と述べている。推手の法はあるが初歩者は左手を使わなくても好いと云う口吻であるc楽譜の例 を見ると近江踊り中にただ一ヶ所「巾」に皐耳の注記を見るのみである。してみると本書の曲例 ではこれ以外は粒子は不用であると解して好いのであろうか、それとも上文に云うように定めら れた糸はおさえよと云うのであろうか。この点については二様の解釈ができる。すなわち
(1)ここにあげた小唄の旋律は単純であって5声のみから成立し、従って上説にあるような糸 を患さえすしても事足りる程度のものに相当していると云う見解0
(2)一節切や三味線譜との比較の未、ある音だけは推手に近い手法を用いたのであるが、但し 晋の性格としては原音で好く単に色合をつけるためそれを用いたかと云う見解。これである。後 に実例をあげて論じたい。しかし本書の倫説の曲は今日も辛うじて演奏される筑紫流の同曲と殆 んどよく一致し、ただ後者よりテクニックがやや単純であるだけである。しかるに後者も全く5 声を用うるだけであるのは、本書の小唄も同棲に取扱って好レ、ことの傍証にはならないだろう か。しハま下に倫説2曲の冒頭の一部を訳して対照してみよう。筑紫聾は村井礼子刀自の受伝する
ところによる。
恥集 ‡五五言五〇】[三‡四三五〇l一三‡四;五‡六言もO h dldllldl 臣a a h h d1 3la a h h dl h elelgl 筑紫流 四五五四 五五四 三丁四 四五五四 三五三四四五丁四五六五七
f h dldlhldl聖と a alh hdl竺旦 a聖上h h型j と聖eldlLgl一4
本曲の終りの部分だけは古今に差があり、終止書は苗は官普(d)であるのに対し筑紫撃は微 音(a)になっている。
本書の撃譜はこれを一越調で弾こうと、平調で弾こうと自由であるが、これに何者を与えるに 関せず、ⅤⅩ糠を主音舷として用いる。
撃の楽譜は雅楽用のものは披名に左右手か技法を織り込み更に拍子記号を加えているが、本書
に見るものはすこぶる単純で殆んど社名一斗為巾は仮名で表わすことが常−の羅列にとどまり、
時に右に塑I∠つ注記を附し、また「テン」(打爪の技法譜)を挿入する程度である。後世の精巧 な俗撃譜とは比較すべくもない。
一 節 切
一節切はもと尺八と称し、休漁抄(五)によると長短12管あったが、やがて黄鐘を筒音とする 1管が用いられるに至った。大森宗黄を中興の祖とする一節切がこれである。本書にはその長さ 1尺8分、但し竹の大小によって調子が異なるから寸は定まらず、筒音を賽鎧に合わすと述べて いる。かつて紀州徳川家蔵の一節切11管その他数管を調査したことがある。ここには完勲作の2 管(遅鳳、露普)等の名品があり、その長さはおおむね1尺1寸(33cm)を越しており、中に は1尺2寸を越すものもあった。1尺8分と林するのは尺八の字にちなみに輩鐘切の一節切が凡 そ1尺1寸に近いところから憧会した説であるかも知れない。
本書には使用の語学「フホウェヤリヒ上伸イクルチ」の13をあげているが、このすべてが引用の 譜に現われているわけではなく、指示された運指法にも私自身雷管にlよって吹き試してみた結果 不審に思われたものも往々あったのである。一節切は1管をもって一越、平調、双調、蓑鐘、盤 渉の5調を奏するために、同一譜字の過半は2音位に吹き分けなければならなくなっている。こ れが許されなければ1管5調を正しく秦することはできない筈である。どのような口伝があった にせよ、今日となっては一節切の譜字の律を知るには本書に提出された鍋司の芳野の山、伊勢踊 りの譜を相対照して相似形の旋律が現われるように譜字に音を与え、譜字のもつ音の幅を見きわ めることが最良の方策であろう。この際、挙の曲のように各譜字のもつ音の関係の正しいものの 譜を党す訳し、これに一節切語を配するのが誤った判断に患ちいるのを避ける艮手段であろう。
一節切の5調にはそれぞれ律と呂の2種があると説かれているが、実際はどうであったろうか。
いまは筆が律の調になっているので5調すべてを律として比較することにした。それから本書の 著者は双調と下無を反対に考え前者を妄f、後者をgとしているが、一節切の5調中の双調は下無 調より通説のように双調(g)と解した。
以上のような考えに基いてう調の芳野の山の凡そ塊を訳すると下表の如くになる。〔等語は∴一 遮調とする。〕
撃譜の旋律を中心に一節切5調の旋律を対応させると必然的に同語字にも半音程の差のある音 をあてなければならないものが生じてくる。この譜表に現われたものは「フホウェクヤリヒ神」
の9字であるが、芳野の山、伊勢踊りう調全曲や吉取の対頂酎こよって、その他「上イチル」の4 字の吉を考えうる。このうちで注目すべきは「ク」である。これは上掲訳語の平調.双調の対照 によっても見られるように一一他の部分にもはっきり現われている一一一平調では岩f、双調ではaのよ うに短3度の差をもっていることであるが、本書に示された「ク④」の指法と用法によってこの 差のありうることを認めたレ\,−一節切そのものは今日わずかに一派の伝を保存していると云われ ていても、それが必すLも三百年前の古伝と一致するかどうか疑問である。一節切の古い口伝に ついてはまだ十分乞)ことはわかっていない現状では残された楽譜を分解綜合して解釈を下す程度 で満足すべきであろう。
上記の対照譜表に現われた諸晋は一節切の5調の実際の吹奏音と異るかも知らない。多分若干の 相違があることを想像する。しかしこの場合はそれぞれの音の合矧生を認むべきである。本書で は当時の小唄の旋律が基になり、これを5調に吹きわけたのであるから、耳に聞いて5調の同じ 旋律に吹奏されるには、与えられた語字は上記のように吹きわけられねばならない。この意味に おいて上表には十分な妥当性がある。また道に−題詞の撃譜の示す旋律が5調の一節切譜の旋律 によって、その正当さを一但し一部分の相違はある−保証されることも認めなければならない。
下に示したのはこの比較によって達した13譜字の音律表である。5調を凡て律の同音程をもつ ものとしてその昔をきめた。
一節切はかように5調を吹奏できるけれど『まづ歌は−頓の調子を尊とする也』と本書に述べ ているごとく、芳野の山、伊勢踊り以外は一越調をもって編曲されてレ、る。紙鳶も同様である。
三 味 線
三味線の伝来当初の窒町末には左程の演奏技法は知られていなかったであろう。本書の作られ た江戸初期でも同末期に比べるとかなり素朴なものではなかったかと思う。本書には調綾として 所謂本調子のみをあげるにとどまっているのは、当時他の調子がなかったからではなく、撃の本 調子の場合と同様、これが三味線としてもっとも普通に用いられているところから、初心者のた めに本調子のみを説いたものであろう。少し遅れて出た大幣には二上り、三下りを明記してい る0三味線のポジションすなわち_二フ草の譜として本書には16字をあげている。同じ墾′こも撥使 いの上下の2法に対するそれぞれ2字があるが、3綾について散声(放緒)3、按糠声は1舷上に 1、∬∬絃上に各2、計8声を得るにすぎない。ところが問題となるのは各緒の第1ポジシ′≡ぎこ/一 按指第1声の位置をどこにおくかである。本書にはこの位嵩を『ちぶくらのきはにてあさへ云々』
と説明している。ちぶくら(乳袋)の際を文字どおり棉とちぶくらの境のあたりとすると、上駒 より半音程の位置となる。これが正しいならば、撃の一越調と合わすために正接を一越(d)に調 結して次のような猪首を生する。
螢 a ・ h ・・ d
⊥匝1
dl O
−
g ・ a ・ h
gl・al♭hl・
2 0 1
∬ Hl
2 −d .d2
これは等が陽旋に含うに対し三味線が陰族に叶うことを示している。してみると本書には撃や 一節切については陽旋を、三味線のみは陰族をもって作讃したことになり、かりに3種の楽器を もって同一曲を合奏するとすれば三味線だけは調子ぼなれとなるわけである。このようなことが 正当として認められるであろうか。巳に挙の調桧について論じたように撃の各絵は与えられた音
をそのまま弾けば小唄の旋律に合うようになっている。挙を弾く時に取手を用いて半音下げない 限り、三味線の旋律とは一致しなくなる。撃のlVⅥIX XI姑を各半音下げることは調紐を平 調子に変じたことになる。したがって挙の曲を平調子で奏すべきであるならば始めから本調子に 調べる必要はない。してみると問題は次の2点にしぼる′他はない。
(1)本書に云う「ちぶくらのきは」とは上駒より長2度音程のところに2壁がありとするか0
(2)上駒より、半音程のところと認めて、別に特殊な解釈を附加するかである。
(り この場合現われる5声の旋法は陽嚢である。上説したように3楽器による小唄の疏+性の 観点からすれば、このように考えることも可能である。
(2)同曲の小唄も人によっては陽麓にも唄えば陰族にも唄ったものがあり、三味線の譜にそれ が反映すると見ること、或は三味線は構造上、絃吉の上下自在性のある点、指のすり上げ、すり 下げの技法によって譜の上では聾や一節切の譜とは合わないように見えても適当に合わせたと云
う見方をすることである。ともかく、ちぶくら際のつぼの位置には大きな問題がひそんでいる か、この二様の解釈にしたがって、本書に示された三味線の披告を表示してみよう。〔∬紋を一 也とする。〕
I 汀
0 1 0 1 2 0 1 2
I l I I I 】 ………(陰旋)
1 ∬ 紺
本書に示された三味櫨の技法は甚だ簡単である。右手にもつ撥は上より引く(∩)とすくう(∨)
の二法、左手は食指を用い・べにさし指や中指も用うるが初心者には無用を説いている。近江取 りの三味線ひきように2例があげられているが、その1は尋常、その2は前者と同旋律を各音∩
)/に細く重奏している0 この引き方はむつかしいが、世上によくおぼえたるはこのようなもので あると記してレ、る。大幣になると?獲_も更に多く按指、撥弾の技法もそれに伴って一段と発達し た形述が見られる。
こうして本書の三綾の2翠の説明のあいまいさから第1ポジションに疑問点があるものの実際
29
の演奏にあたっては陽陰何れの旋法にも自由に応じうるから他の楽器と正しく合奏することも容 易であること、また本書の3楽器は必すLも合奏用を本旨としていないから3楽器それぞれに多 少の差があっても好いと云う見方もとりうることを附言しておく。
× × ×
以上は撃、−・節切、三味線の音律と譜の概額であるが、次にこの3種の楽器や撃、三味線のた めに書かれた同一曲の譜は事実どのようなものになっているかをしらべてみたい。固有音律の楽 器である一節切中、一番多く用いている調子は云うまでもなく一越調であるから、一越調として 3種の楽器を合奏する場合は撃ⅤⅩ綾、一節切「ウ上」、三味線丑綾を一越(d)として合わ せる要がある。次表は一越調の律の5声にあたる譜字を示したものである。但し三昧娘だけは2 様の説にしたがって〔〕内は各半音低い音を与えうることができることを示す。
d e g a h
為
いま対照の便宜上、三味線も陽擬の曲を奏することにして一越調における3楽器用の同一曲5 曲、撃、三味線用の同一曲5曲の譜を比較して得た結果を概括して下に述べる。
(1)原歌詞の各l字は原則的には少なくとも1個の譜を有する。1譜に歌詞の2字がおかれる ことは少ない。
(2)各楽器の譜に描かれた旋律の骨組の大部分は一致する。これは当然のことである0 この旋律の骨にあたるそれぞれの譜は前項の歌詞の1音1音に配当されるものである0 したが て歌詞をのばして唄わない部分の譜は概してよく合っている0
(3)もっともところどころに3種の譜の間に全く違った音が対立して、何れが小唄の原旋律に 近いかを確かめがたいものもある0
(4)歌詞の延音一例えば「の車」、「 ̄さ屋」をもつ譜と・これをもたない譜があり、前者はそ れだけ譜字が多い。証書にあたる譜字の位置は復原の大切な手がかりとなるものであるから、慎
重にしらべる必要がある。譜を対照するときは延音を第二として見るべきである0
(5)等譜と三味線(また一節切)譜を対照してしばしば見出される相違点は、前者のaLgl一一 elを後者がaLalTelとしていることであるCnos・1〜3,5〜10)0前者のglはVJr綾にあたる が、これを推手にして1吉あげるべきであろうか。しかし岡崎(10)の耳なれた旋律が示すよう に、前者の方が自然的である。中間的の解釈として、この場合gl音を1音上げてまたもとへも どして一種の色合をつけるのも一案である0
お か ぎ き じょ ろ しゆ ほ 肇 gl al al hl al gl el dl 三味陳 gl al al hl al al el el
上例岡崎の最後の音も撃、三味線(一節切gl一紙鳶)は違っている0
r6)聾語のa1−−g1−uel、d2−h1−alは三味線、一節切ではa1−el、d2−alと飛躍する例が多い
(nos.1〜8)。この中間のgl、hlは大抵歌詞の延音字にあたっており、旋律の骨幹外のようで あるけれども、これらの音の有無は旋律の美感の多少に関するものであることを忘れてはなら ない。
(7)全体的に眺めて撃譜の示す旋律はもっとも豊富である。寧独自の技巧的なところ−例えば 三八、五十のようなオクターブ音の便周一を歌曲風に遺尿することによって小唄の原旋律に近い
ものをえさそうな感じがする。
(8)本書の撃の手法は単純で推手を述べていても詔にはその1例を示すだけである。これも最 高音をもつ巾(aりに「おし」の注をつけてh男を要求しているだけで5声の律の範囲外に出る音 を求める拍手ではない。したがってこれ以外本書では撃譜の推手は無視しても好いものと一応考 えるが、三味線や一節切の譜との対照からしても十分このことは証明できる。
(9)凡ての譜を通じて終止音は律の官吉Cd)か微音(a)であること、また上行下行時の音の えらび方に飛躍など別に差別の存しないことを認める。例えば下行d2−hl−alに対する上行al MC九一d2の動きは全く認められす、この場合の上行はal−hl−d宝である(nos・1〜7・10.11)。また 上行e1−−g1−alに対する下行はa1−g1−elに一定している。このことは3魂i器の語の対 照によっ て確託しうる。
(10)用うるところの旋法は所謂陽族であり、官昔終止と微音終止の2つがある。これを一越調 で現わすと次の如くである。
富 商 角 徴 羽 a) d e g a h b) d e g _曇 h
4.′j、唄旋律の復原について
以上のような比較考査の末、これらの小唄の原旋律を知るには挙譜にたよるのが一番好小と云 う結論を私はえたのである。畢譜は推手の有無の間嶺さえなければ各綾は非常に正確な音を示し ているし、ここに盛られた晋も豊富である点、もっとも参考にすべきものである。本書と同じ調 綾を中心として用うる筑紫撃の曲、例えば本調子の倫説、越殿楽一所謂「ふきの曲」−は何れも 推手を用いない。覚文代では技巧的な特殊な曲は別として小唄の声をうつす程度のものに推手な どは殆んど必要はなかったと云うのが真相であろう。だからある音に特別な色合をつけるための 据手は別として推手なくしても十分小唄などの旋律を奏し得るわけであろうと判じたい。
このような判断から私は本書の小唄の旋律の復原には拳の譜を中心に、傍ら三味線と一節切の 譜を参考にして進めるべきだと云う方針を立てたのである。
本書の挙譜に写された小唄の旋律の線は上説したように、ある正しさ一尤も比較検討によって 一部分の誤記も認められるが−をもっている。それゆえにあとはそれぞれの音の長さ、すなわち 音長を推定する方法があれば当時の俗謡らしいものを復原することができるわけである。岡崎の ように追存曲のあるものを彼細に分析してみるに歌詞と旋律との酎系は案外に単純なものである ことがわかる。もっともいま替歌として用うる岡崎一姫松小桧−は平調子で奏するために陰旋に 変化しているが、その昔節だけは古の様をよく保っていると云って好い。この小唄の歌詞と曲と の関係を見るに至って単純に処理している。これは当時の歌唱法の傾向を知るに好い資料である。
をか匡き恒こ尋Llノわー=!;=をか匡れよろ恒ゆは1ぇい恒ろlLゅ一十[
、H
よく各句の字を歌詞の韻律に合わして並べている。その他の小唄は必すLもこれほど整然とした ものではなかったにせよ、このような明快簡素を旨としたのが当時の小唄の風潮であろうと考え て好さそうである。この1曲だけを根拠とするのは弊賓もあろうが、巧緻の限りを尽した江戸末 期の歌曲とは異なり、初期の通俗的なはやり唄であるこれら小唄を岡崎風のものからあまり遠く 離れない程度のものと予想することにさして誤りはないと考える。
さて本書の譜と小唄の歌詞との組み合せをよく見比べているうちに、そこに何かの歌謡苦楽と しての原則のようなものがあるのがわかった。それは前にも一言したように、歌詞の1字にはわ すかの例をのぞくと、必ず1譜字が配してあり、この譜によって小唄の旋律の骨組が大体作られ ていることである。この事実は復原への第1の目のつけどころとして忘れてはならない。全譜字 の80パーセントは歌詞の1字に対して1譜字を与えており、残りは歌詞の延音に対して与えてい るのである。延音の譜は旋律の装飾画を担うところもあり、また終止吉としての重要音を担うこ ともある。これら延音の譜に対しては2個の見方がある。1つは延音は昔長を延ばしたいために 用いたとすることであり、2つは譜字は増してはいるが装飾音的に使ったもので2譜字で1語字 の価をもつと解することである。事実これらの曲にあたってみると、この2様の見解を同時に認 めないわけには行かないことを知るのである。
それぞれの譜字のもつ音長についてはすでに判明している岡崎との比較によって、一語字は患 恵むねある楔準の1単位の音義をもち、時には2単位以上の、稀には施単位の音長を与えられて いることが推測できる。もっとも曲により、または場合により1単位の音長とは云うものの、テ ンポの遅速あるのは云うまでもない。反対に歌詞の方から云うと、歌詞の1字一延音は1字の附 属とみなす−は1、普長、またはそれ以上であっても、原則的にはそれ以下にはならないであろう ことである。岡崎は中間や終末の終止富にあたる「しゆ」に対し2音長または4音長を与える 他、すべて1字に対して1苦長を与えている。もっともこれは原則的に云えることであって、実 際の唱歌のときには2字の一方が他方の音長を侵すこともあり、歌詞2字にあたる2譜で1単拉 の音長を与えられることもありうるであろう。このような単純な歌詞と音との割り当てによって 歌詞が一段と聞き易いものになるのは当然である。
以上の考えが大体誤りでなければ歌謡としての生命を失った本書の小唄の音節も、これをさぐ り当てる紹口を見付けたことになる。以上の見解に基き、いま復原についての具体的方法若干を 要約して述べてみると−。
用 拍子は邦楽としてもつとも普通に用いられている勉、弓もまたは亀拍子を与えるべきで、う左 拍子のようなものはここでは考えないでおく。
(2)歌詞の区切りに昌をつけ、そこに位する音が旋律の1部の終止として安定的なもの−例え ば官音、微音−であれば、これをかりに旋律の区切りとして、短いのは1モチーフから1小楽節、
やや長いものは犬楽節に見立てて、それらの区切内で音の長短の配置を考える。
(3)そこで党す歌詞の一字は原則として1単位の音長一ここでは4分音符−を標準を与える0 但しこれにのみ拘泥してはならない。
(4)楽節の終りにあたる音に対しては数単位の音長を与えてもよい0
(5)歌詞の延長にあたる譜に対しては、これも原則的には歌詞の1字の附属音と考えて2譜乃 至3譜を併せて1単位の音素を与える。しかし4項に触れる場合や、歌詞を音楽的に延ばそうと 意図していると認められる場合一一これは前後関係から考えられる−は2単位、またはそれ以上を
も与えなければならないことも知っておくべきである。
(6)このようにして大小区切内の苦節を整えて行くのが復原の順序であるが、実際にあたると
つじつまの合わないことに出合って困ることも度々ある。旋律が細かすぎて2倍長の音を与えた くなることもある。この場合は他の楽器の譜を参考にすることによって道を開くことができよう し、または岡崎の例にならい、歌詞としての自然的訝律を反省することによって右の困灘から脱 することもできる。
(7)同型の旋律の練はリズムも同等であるべきよう楽節内の音節を調整すること。
(8)始終歌詞の字数に注意して旋律との対応が順当であるかどうかを検すること。例えば7言 の旬は歌詞の意味に従った時に4字3字の順もあろうし、3字4字のこともあろう。旋律もおよ そこれに伴うべきである。
(9)本書の曲譜は小唄の旋律を写したものとは云え、器楽的手法も随所に示しているから歌謡 として復原して、これを唱う場合は若干の改訂が必宴である0音の高さや音域についても同様で ある。
以上列挙したような方法は実際の復原にあたって吟味に吟味を重ねた末、わかって来たことで あり、やつと復原らしいものが大方でき上って気付いたことは、大抵の曲は岡崎のように至って 簡素な歌詞本来の韻律にしたがって作曲されていると云う事業であった。もっともはやし詞り取 扱レ、には、かなりむつかしレ、ものもあるが−。したがって始めからこの事実が判明しておれば、
歌詞を主体とし、その句の韻律に基いてこまかく区切りをつけ、音を並べて行けばあまり迷うこ となしに解読できたわけである。これらの小唄が岡崎と共通的な歌詞の音楽的取扱いを事実して いたと、していなかったとに拘わらす、復原曲がどの程度まで音楽性があるかどうかに復原の良 否がかかっていると思う。私の試みた復原曲が、それがそれなりに耳に聞き心に味うに足るもの であれば、それらの曲が岡崎と同一歩調をとっていようと、いなかろうと問題はないわけである が、今の場合は、同一歩調をとっていたことになったまでである。
小唄の復原には実際にあたって、いろいろの労苦がつきまとっている。凡ての曲について、そ れを細かに説明する十分の紙面がないので、ここではh一昔以前に復原した数え唄から臓に略説を 加えるにとゞめ、最後に掲げた五線訳語を通じて諸家の批判を仰ぎたいと思う。原語を添えるこ
とを略したのも紙面の都合によるむ
○数え唄は後世のものと同詩型で、ただくり返しがないのが違っている。本曲の復原には今の 数え唄を参考にしてその音節を定めたが、蘇った曲は歌詞にしっくり合う一種淡い愁いを含んで 捨てがたい趣きをもっている。古曲は今曲の源であり、長い年月の経過と共に次第に変貌したも のではないかと云うこと、そして、これを通して民謡が形成される途中の姿のユ例を見付けたよ うな気がするのである。
七 八 ノ\ 九 十 十
い と の じ ゃ −. I八 一 ノ\ 1L 九. ナ ・たノ 八 七
あ斗 十 カレ イ 部ノ ノ\ 九 ヰ JLナ 虹
1. ㍍ ね だ は 釆 1 ヒ ー r二. 拉 1し ヤ ー わ ね.
○近江踊り。撃と三味線、一節切とは歌詞が遣って\ハるが同曲である。木曲の季語の始め2句 は各前半は延字による譜でにぎやかであっても、これを他の2楽器の単純な譜のたすげにより整 理してその歌詞の音節を下の譜のようにあてはめることができた。
Jヽl ̄ヽ
.)J
撃の竺1glはa旦麺1と考えても好い0
0小倉踊りは尾上を「CZ〕おんの患んの患んのへ」すすきを「すんすんすすき.」のように、リズ ムをはずませているから、これにふさわしい旋律を与えなければならない。この曲は一見童謡の 感じがする0「ほにでて」の三の挙譜が塗になっているのは塾の誤りであることは旋律の比較に
よって明かである。
ヤ リ ヽ と り リヤ リ ェ ヤ リ ヤ エ ヤ エ ウ ヽ フホ
上例の後半の撃、一節切の音が互に違っているが、終止音をaとすべきことは、一節切の他の4 調の曲によって明かである。他にh終止の例はないし、唄としてもaが落ちついた感じを与え
る。なあ上例の後句を
dlhlral−Eglalglel!dldl些_LaNlp いせの−は∴ま− そだ− ち −
と訳することも可能である0「めもとに七枚が」のとの撃譜い(為)は八の誤りであると判じた い。本曲は如何にも民謡らしい趣きをたたえている。
○芳野の山。中頃と終りに2度現われるはやし詞「ン∵/ヤコレノ」には対照的に同じ長さの音 をあたえるのが自然であろう。
○菅笠ぶし。冒頭の2旬の旋律が小六ぶしのそれによく似ている。挙譜では中頃から同型の旋 律e2−g2−一a2−g2−a2−g2がくり返し現われているが、歌詞の上では違う取扱いをせざるを得な かった。捨てがたい味いを含む曲である。
○小六ぶし。第2旬、4旬の後にある「小六」ははやし詞のような役をなし、句末の形を模し ておもしろいリズム感を与える。もっとも撃の曲では第1、2と第3、4句は同じであるが、三 味線のそれは違っている。旋律としては撃の方がすぐれている。また中間のやや長いはやし詞の 旋律はリズミックでたのしい感じを与える。
この日頭の旋律は時代が下ると次のように変って行くかも知れない。
‡−Oglalal−hld2dBhld2]Oalhld当hlalglal−…glglal一
ころく ついた−る たけの 一つゑ ころく 終りの「軸たけころく」のリズム判定はむつかしい。
○柴垣。冒頭の「しぼがき」2句の詞は2倍音長も考えられるが、普通に取扱ってみた。中間 のはやし詞「ナンナンサアン ホサイヨ」以下はテンポの早目の方がふさわしく、この前後の旋 律は甚だ軽快である。
○鹿煽り0「夜毎に」以下の詞の2近日には「ェイソレ」のはやし詞がないので終結の旋律は やや拍子はずれの感じを与える。これは2倍長に唱うことによって救われるであろう。
○合の手(鹿踊り)。この曲は上説したように紙鳶、大幣の獅子踊りの本歌の部にあたる。上2 書に収めた無歌詞の譜も本曲を参考にすれば・その音節が解されるであろう。本歌詞の「去 堅 いだして」の挙譜は「±ヱ擾八六五五囲三」となっている。この車の意は不明で、刊本を字はと字 に類するから「テンと」と読むとd2e2となるが、この音では次のaleldldlhaと適がりが悪く、
別に考えるべきではないだろうか。そこで一応の解釈として「テン八」(glal)の特殊な音長を 工夫してみた。−gl・竺1al。他にもつとふさわしい解釈もあるであるかも知れない。
○海道下り。やや長い歌詞を4句または6句に区切り、4句にはほぼ一定の旋律(A)を、6 句には前者に1部のくり返しを含む旋律(A′)を与えている。三味線の譜の例によって考えるに 仝歌詞に対する旋律的構造は「AA′A」と「AA′Å′A」の前後2段からなっているらしい。(40 ページ参照)同じ旋律でも5言句と7言句との区別をしても好いならば5言旬「うち渡り」、「う ちすぎて」を:7言句「海道下りや」、「恩ふひとには」、「粟田口とよ」のhld曾eZv陣dBhld埜曇Lの 代りに
hld2e2dBdB hlidl−hlal うーちわ た り −−
とするのが効果的であろう。
以上の歌曲をこのまま昔通りのものとはもちろん主張するのではないが、これだけでもそれぞ れ岡崎にゆすらない歌曲らしいものになつはいることをひそかに信じている。唱ってみたところ
各曲それぞれになかなか好いヨ寺妹がある。全体として共通する点は簡潔明快で、それだけに歌詞 が聞きとりやすいこと、あまり技巧的でないので却ってすなおに心の奥にしみこむことである。
35
こう云うのが当時の小唄の風潮であったのではなかろうか。
5.復原以後の こ と
これら復原した楽曲を通じて判明した当時か小唄の音楽的特徴をひろつみよう。
日)旋法は−蛙調としてはdegahの5つの吉を上行下行する所謂陽族であり、官普(d)、微音
(a)が主要普となっている。そして富者終止は丁曲(nos・1・6〜11)、微音終止は5音(nos・2〜
5.12)ある。
(2)終止音の前にあって導音のような役目をもつ音は終止音の1つ下位か、1つ上位の音の何 れかに限る。
二)d(官)
(nos・1.6.9・11)
(nos・7.8.10) :〉a
(徴) (nos.2.4.5)
(nos・3.12)
(3)全曲の中間終止音またはこれに準するものや結末の終止音を表示すると下の如くである。
()内の数字は度数。
帥rOS :霊霊・徴Ca)ぐ
(5)(2)(1)(1)
OS.2 3 4 5
(3)(2)(1) (ユ)
6 7 8 11
(1)(11
両Ce〕nos.4 6 角rg)no.5(1)
これらを通じて依然官、徴2音が重視されているのを知る。
(4)人声よりはるかに広い幅をもつ撃の音域をもって小唄を訳しているから、おのずからオク ターブ音の飛躍などが度々現われていて、このまま唱うのには適しない経過旬がある。レ、ましば らく撃譜の常石である一隻のオクターブ音一例えば三八、五十一を同水準と認めて各音程をしら べてみることにする。もっとも多いのは5声を順次掩って上下するもので、ここには長2度と短 3度の2つが見られる。オクターブ以内では上下行とも完全4度が圧倒的に多く殊に下行におい て顕著である。その他、上行長6度、完全5度も珍らしくない。下行では完全3度が現われてい る。全体的にどの唄も5声としての隣接音を飛び越えることが少なく、音階を上下行しているの で非常に唱いやすい。数え唄の如きは三八、五十の手の他はすべて5声的隣接音のみから成立し てレ、る。
いままでの論述は当時の小唄の旋法は陽旋であり、嬰譜の示す旋律を妥当と判じたのであるが 三味線のように陰旋による旋律を自由にひき出せるものでは、これらの/J、唄を陰碇に容易に変え ることができる筈であり、またそのようにも奏したであろうことも考えうるのである。そこで三 味線の第1の2翠を上駒から半音々程にして陰麓として奏した場合の小唄について一言補ってみ たい。撃の一越調5声は三味娘では次のように一変する。
富 商 角 徴 羽 等 d e g a h
l L L
三味線 d ♭e g a ♭h
そこで撃の官音(d)、微音(a)に終止する曲はそれぞれ次のような終止型をとる。
影d(宮) ♭h\ッjaC徴)
× × ×
本書の小唄がここに復原したような音節に近いものをもつとすると、それらはかなり整然とし
36
たリズムをもつと云わねばならない。歌詞と旋律がこのような関係において結びつくのは、歌謡 としての自然の姿を示すものではないだろうか。歌詞の韻律と旋律化したリズムの一致する歌謡 こそ正統の歌謡と云うべきであろう。もし歌詞がよく、旋律が美しければ人を魅することは必定 である。ここに現われた小唄はすべて三百年前の多くの人々の心をとらえた歌謡である。その音 節が詩としての本来の要素を確保しているのを知って予想外のことしたのは笑は認識不足だった のである。すべての歌詞が下のように均衡よろしきリズムのわくのなかに並んでいるのを見ると 人々は、私が人為的にそうしたのであると思うかも知れないが、前にも述べたように、私は始め からこれを意識してやったわけではなく、朝考の末まとめたものが、このような結果になったま でである。〔縦棟内の歌詞の音長は均等を現わす。……線…または線は旋律の同一、または類 似を示す。a)=a)、b)=b)。
1.近 江 踊 り
∴・ ̄ ㍉
た も つ ま
れ −iあ ぶ\!
はつなを
a) \/b)
∴・∴ ㌫ ゆlる
>
な】か さ1こ て とl L な1わ れlふ る
、 \′
 ̄ ∴.二一二 ∴ み がい と
2.小 倉 踊 り
Vc) b)
さ − し −
序ぐlら の、序おんlのおん!のへIの∴棒 とlも と「すん軽んl
>a) >b) Vc)
すすlき一巨、つlさ くlほほん恒はん[ほに[でて[みだれ[ぁぁん[
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b』再ん極凄いIの−iおた上中が序んて[あき巨がI
れつらん[や」
3.伊 勢 踊 り
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極の[き 項さまIは一巨、可のほlまそ巨三ち1めも巨 にl
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Lは[が−iヤーlレー1こ 可れ」かかlるぞ1ぇ」−1
声、せ1の」は可そ可ち1−l 4.芳 野 の 山
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1よ Llの 日や可を一日多きIか と序れ恒一巨少き[ではi
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あー序で[ン ー巨 一つヤ コi−レ巨−[一!はなIのふ!
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二王∵十一「一1さあ巨−lふでトの拉くlた1
−恒一、、「ころ[く−i 拉く斥けYころ!く1 7.柴 垣
a) a) V b) V
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