天台山の詩歌︵其七︶
︱︱盛唐︵中の下︶
薄井 俊二
埼玉 大学教
育学 部国語
教育 講座 キーワード:天台山
︑天台集︑漢詩︑仏
教文学︑道教文学 はじ
めに 本稿は︑天台山に関わる
詩歌につ
いて 検 討を加 え ること を 通し て︑当時
の 人々 の天台山に対するイ
メ ージ とそ の変 遷 を考察 し よ う とする
もので
ある
︵ 1
︒今回は︑盛唐︶
期の詩とし
て李白の作
品 七点
︵2︶
と魏 万の 作品一 点を 取り 上げ る︒
●凡例
・ 凡例は︑先
稿に同じ
︒
八
天台山
の 詩︵其
七
︶︱︱
盛唐
︵中 の下︶
B
李 白以外の人間が
天 台山 を訪れることに
関 わる もの︵一部︶
︻
︼送王屋山人魏萬還王屋
︹并序
︺
44
王屋 山の人 魏 萬の王 屋 に還る を送 る
︹并びに
李白
序︺☆前集 巻上
★ 全唐詩巻一七五
︑宋本巻
一四︑王注本
巻一六
*長文なので
︑﹁ 序﹂
︑そして﹁詩﹂を六段に分け︑それぞれごとに 記述す る︒詩全体の解説は最
後に記す︒
﹁序﹂
■本文 王屋 山人魏萬云︑自嵩宋沿呉︑
相訪數 千 里︑不 遇
︒乘 興遊 台越
︑ 經 永嘉︑觀謝公石門
︑ 後於 廣陵相見
︒美 其 愛文好 古
︑浪跡 方 外︑
因 述其行
︑ 而贈是 詩︒
■訓訳 王屋 山の 人 魏萬云ふ︑嵩宋より
呉に 沿 ひ︑相 ひ 訪ぬ るこ と數 千 里なるも︑遇はず︒
興 に乘 じ台越に
遊び
︑ 永嘉を 經
︑謝公 の 石門 を 觀る
︒後 に 廣 陵において
相ひ 見 ゆ
︑と︒其の
文を愛し古
を好
まみ
み
︑方 外に 浪 跡するを
美 す
︒因りて
其の行を述
べて︑是の詩
を
よみ
贈る︒
埼玉大学紀要 教育学部, 61(2):73-98(2012)
■ 文字の異同と校
勘 宋本は︑題に
︹魏詩 附︺と注する︒
全唐 詩・王注
本は︑右記
の文に次
を続ける
︒﹁一做
︑見王屋山
人魏萬 云︑
自嵩 歴兗
︑ 遊梁入
呉︒
計程 三千里
︒相 訪不遇
︒ 因下江
東︑尋 諸名山
︑ 往復 百 越︒後於廣陵
一面︒
遂 乘興︑
共過金
陵︒
此公 好奇 愛古︑
獨出物 表
︒因述 其行︑
李遂有此作
﹂︒
﹇訪
﹈宋本作
送︒
■語 注
○王屋山⁝河南
省王屋 県 にある
︒三十
六洞 天の 第一
︒玄宗
が司馬 承 禎のた めに︑麓に陽
台宮を 造 営し彼
を住ま わせた
と ころ︒
○魏 万⁝﹁
唐詩 紀事
﹂ 巻二二に記事
があ る︒
それ によれ
ば後の 名は 顥︑
上元年 間︵
七六○
〜七 六 二
︶に 科挙 に及第
して いる
︒そ れ以前
に李白 と 会って
意気投 合し
︑李 白か ら詩文集の編纂
を依頼 さ れたと いう
︒詩集
本体 は伝 わらな
いが︑
宋 本巻一 に
﹁李翰
林集序
前進 士魏 顥﹂
を 収録 する︒李
頎
に﹁
送魏萬之京
﹂︵
﹁ 全唐 詩﹂巻一
三四︶が
あり︑劉長卿
に﹁歳 夜喜魏萬成郭夏雪中相
尋
﹂︵ 同巻 一四 八
︶︑
﹁ 題 魏萬成江
亭
﹂︵ 同
︶︑
﹁ 春 日宴魏萬
成湘水亭
﹂︵ 同 巻一五○
︶ があ り
︑ 宋 本巻 一四 に 魏万 の
﹁金陵 酬 李翰 林謫仙子
﹂ を掲 載する︵本稿︻
︼︶
︒
○
45
嵩宋⁝嵩山が昔の宋 の 地︵河
南省商 丘︶
にあ った のでか く言う
︒○
謝公 石 門
⁝謝霊運に﹁
登石門 最高頂﹂がある
︵﹁ 文 選﹂巻 二二
︶︒
■口語訳 王屋山の人であ
る魏 万 殿がおっし
ゃ った
﹁嵩 山よ り 呉の地 に 沿 ってお 尋ね す ること数千里であ
ったが
︑ お会い で きな かっ た︒
そ こ で興に任せて台州・越州ま
で足を 伸ば し︑
永嘉 を 経て謝 霊 運が
遊んだ 石門山を観た︒のち広陵
におい て ようや く お会 いで きま し た
﹂と︒私李白は︑魏万殿が
文学を 愛し
︑ 古を好 み
︑俗世 間 の外 を自由に遊ばれる
のを す ばらしいと
思う
︒ そこ で彼 の行 動を 記 し て︑
この 詩を 贈る︒
﹁詩﹂
■本文並びに
訓訳
︻ 僊人東方生 第一段︼
僊人 東方 生
浩蕩弄雲海
浩蕩 とし て雲 海を 弄 ぶ
沛然來天遊
沛 然とし て 天に來 りて 遊び
獨往失所在
獨 り往き て所 在を 失ふ
魏侯繼大名
魏侯 大名 を繼 ぎ
本家聊攝城
本と 聊 攝 の城に 家す
も
巻舒入元化
巻舒 して 元 化に入 り
跡與古賢并跡
古 賢 と 并 す
あは
十三弄文史
十 三にし て 文史 を弄 し
揮筆如振綺
筆を 揮へ ば
綺
を 振 ふが 如し
あやぎぬ
辯折田巴生
辯 は 田巴生 を 折 き
くじ
心齊魯連子
心は 魯連 子に 齊 し
ひと
西渉清洛源
西の かた清 洛 の源に 渉 り
頗驚人世諠
頗る 人世の 諠 なるに 驚 く
採秀臥王屋
秀 を 採りて 王屋 に臥 し
因窺洞天門
因り て窺 ふ洞 天の 門
■文字
の異同と校勘
﹇ 來
﹈宋本・
全唐詩・王
注本作乘
︒﹇初四句﹈宋本・全唐
詩・王注
本は﹁
一 作︑東 方不辭家︑獨
訪紫泥海
︒時人少相逢
︑往往失
所在﹂を注する
︒
■語 注
○東 方生⁝前
漢時代の滑稽
︑東方 朔
︒﹁ 漢武内伝﹂に
﹁東方朔︑
一旦乘 龍飛 去︒⁝⁝大霧
覆之︑
不 知所適
﹂とあ る︒○
魏 侯繼大 名⁝
﹁春秋
左氏 伝﹂
閔 公元年に﹁晉
侯⁝
⁝賜 畢萬 魏︑以
爲大夫
︒卜 偃曰
︑畢萬 之後 必太︒
萬︑
盈 數 也︒
魏︑
大名也
﹂と ある
︒戦 国魏の
万とい う 名の人
物と唐 代の 魏万 とを 重ねている︒○
聊攝⁝
山 東省聊 城︒
○巻舒
⁝屈 伸︒
○元化
⁝天地 の 大化︑
道︒○田巴・
魯連子
⁝
﹁太平
御覧﹂
巻四 六四 に見え る︒
どちら
も戦 国時 代 の弁舌家︑遊
説家
︒○
清洛 源⁝清
洛は洛 水︒
洛陽 など中 原を 表す︒
○ 採秀
⁝
﹁楚辞﹂
九歌・山鬼
に﹁採三秀
兮山間﹂と
ある︒秀は霊
草︑芝草
︒
■口語訳 仙人 である 東 方朔は ひろび ろと
︑雲 海を自 由 に弄び あ っとい う 間に天 を往 来し その 痕跡 も分 からな く なった 君はま
さに その 大名を 継 ぐもの であ り
もと は聊城 を出 身と され 自由に 世間 を出 入りさ れ
︑つい には 大い なる 道に合 一さ れ そ の痕跡 は 古人賢 者と 同じ く消え 去 ってし まっ た 君は
十三才 で文 章や 史書 を駆使 さ れ 筆を執 れば 綾絹 の様な 美し い文 章を 作られ た そ の弁舌 は あの田 巴を も打 ち負か すほ どで あり その 心意気 は 魯連子 に 匹敵す るほ どで あった 君は
西の かた 中原 ま で来 られ 人 の世の 騒 がしさ に驚 かれ た そこ で霊草 を 採ろう と 王屋山 に入 って 起居さ れ 仙界に 通じ る洞 天を捜 さ れたの で ある
■解説 韻字は︑
第一 段は﹁海
・在﹂
で
︑ 上声一
○賄の韻
︒﹁名
・城・
并﹂で︑下平八庚の韻
︒﹁史
・綺
・子﹂で
︑ 上声四紙
の韻
︒﹁ 源
・ 諠・
門﹂
で︑上 声一 三元 の韻︒
魏万を紹介した
部分
︒ 隠士の東方
朔に 並 ぶ仙 気を 帯び てお り
︑ 若い頃 から 才 気に溢れており︑王
屋山 に 隠棲し た こと を述 べる
︒
︻第二
段︼
朅來遊嵩峯朅
り來り て 嵩峯に 遊び
さ
羽客何雙雙
羽客 何ぞ 雙雙 た るや
朝携月光子
朝 に は携ふ 月光 子
暮宿玉女牕
暮に は宿る 玉 女牕
鬼谷上窈窕
鬼谷 上に 窈窕 とし て
龍潭下奔潨
龍潭 下に 奔潨 たり
東浮汴河水
東に 浮かぶ
汴
河の水
訪我三千里
我を 訪ふ こと 三千 里
逸興滿呉雲
逸興 呉雲 に滿ち
飄颻浙江汜飄颻
たり 浙江の
汜 ほとり
揮手杭越間
手を 杭越 の間 に揮 ひ
樟亭望潮還
樟亭 にて 潮の 還 るを 望む
濤巻海門石
濤 は巻く 海門 の石
雲橫天際山
雲 は 橫たは る 天際の 山
白馬走素車
白馬 素車 を走 らせ
雷奔駭心顏
雷奔 心顔を
駭
かす
おどろ
■文 字の異同と校勘
﹇牕
﹈ 全唐 詩
・王 注 本作窗
︒﹇ 浙﹈
全唐 詩作
淛
︒﹇ 雲
﹈底 本・宋本作雪︑倣 全唐 詩・王注本改
雲︒
■語 注
○月光子⁝嵩山
の仙 人︒
○玉女
牕
⁝ 嵩山に
あ った神 仙に関
わる 場所
︒○鬼 谷⁝嵩山のあ
る登封 県 の東南
︑告成 鎮に あっ た場 所で︑
戦国時
代の 鬼谷 先 生 の 居所と 伝える
︒○
龍潭
⁝嵩山
の東に あっ た河 川︒
○浙江
⁝銭塘 江
︒○
樟 亭・海
門
⁝浙 江省の 地 名︒○
白馬・
雷奔⁝
枚 乘﹁七
發﹂
に﹁觀 濤 乎廣陵
之 曲 江︒⁝
⁝其少
進也
︑浩 浩 溰溰
︑如 素車白 馬之 張︒
凌赤岸
︑簪扶 桑
︑横 奔 似雷行﹂
とある
︒︻
︼に既出︒
40
■口語訳 さて 君はそ の後 嵩山 に遊 び なんと 仙人 達と 一緒に 楽し まれ たと か 朝 には月 光 子と手 を携 えて 出かけ られ 夕べ には玉 女牕 にお 泊 まりに なる その上 では 鬼谷 が美し く あり そ の下 には 龍潭 が盛ん に水 音を 立て ている やが
て東に
汴
水 に 浮かば れ 三千里 をか けて 私を訪 ね てこら れ た そ の秀 逸な る興趣 は呉 地方 に満ち あ ふれ 銭 塘江の ほと りで 飄々 と漂わ れた 杭州・
越州 のあ たりで あ ちこち を 指さし なが ら遊 覧し 樟 亭で は遙 かに潮 流が 溯る のを眺 め た 波 濤は海 門の 石に 逆巻 き 水し ぶきが 雲 となっ て天 との 境目 まで立 ち上 って いる その様 は白 馬が 白絹の 車 を牽い てい るか のよ うで 雷 が走る か のよう な大 音響 には︑
心 も顔も 驚 くばか り
■解説 韻字は
︑﹁峯・雙
・牕・潨
﹂ で
︑上平 二冬 の韻
︒﹁水・
里・汜
﹂
で︑
上声四 紙の 韻
︒﹁ 間・還・
山・
顔﹂
で︑
上平一 五刪 の韻
︒ 内 容は︑魏万が李白を訪ねて
嵩山か ら 呉ま でや って きた が
︑会 えず︑彼の地を歴
訪し た 様を描く︒
銭塘 江 の大 溯流 を描 写す る
︒
︻ 遙聞會稽美 第三段︼
遙か に會 稽の 美を 聞 き
一弄耶溪水
一に 耶溪 の水 を 弄ぶ
萬壑與千巖
萬 壑と千 巖 とがあ り
崢嶸鏡湖裏
崢嶸た り 鏡 湖の裏 に
秀色不可名
秀色 名す べから ず
清輝滿江城
清輝 江城 に滿 つ
人遊月邊去
人 は 月邊に 遊 びて去 り
舟在空中行
舟は 空中 に在 りて 行 く
此中久延佇
此 の中に 久し く延 佇し
入剡尋王許剡
に 入りて 王 許を尋 ぬ
笑讀曹娥碑
笑み て讀 む曹 娥の 碑
沈吟黄絹語
沈吟 す 黄絹の 語
天台連四明
天 台 は四明 に連 なり
日入向國清
日入 りて 國清 に向 か ふ
五峯轉月色
五峯 月 色 を轉じ
百里行松聲
百里 松聲 を行
る や
靈溪恣沿越
靈溪 恣 に沿越 し
華頂殊超忽
華頂 殊に 超忽 たり
石梁橫青天
石梁 青天 に横 たはり
側足履半月
足 を側し て 半月 を履 む
■ 文字の異同と校
勘
﹇一弄
﹈全唐詩作且
度︹一作
一弄
︺︒
﹇恣
﹈全唐 詩作咨︒
■語 注
○萬壑・千巌⁝
﹁世説 新 語﹂言 語に﹁
顧長 康従 会稽 還⁝⁝
云︑千 巖 競秀︑
萬壑爭流﹂と
ある︒
○ 鏡湖⁝
浙江省 会稽山
麓 にある 湖︒
○王許
⁝書 聖王 羲 之と道士許邁
︒○
笑読 二句
⁝﹁太
平寰宇 記﹂
巻九 六に︑
曹娥 は漢代 の孝 女 で
︑父 がお ぼれ死 んだ のを 痛み
︑屍に
抱きつ い て死ん
だ︒県 令が 顕彰 の碑 を立 てたとこ
ろ︑そこを訪
れた蔡
邕
が碑銘 を 読 み
︑﹁黄絹
幼婦﹂を
含む八 字 を題字として
記した
︑ という
︒さら に﹁
世説 新語﹂
捷悟 に︑曹
操が その 碑 の題字を
読み
︑﹁黄絹﹂とは
﹁色﹂の
ついた﹁糸
﹂ であり︑そ
れを 組み合わ せ て一 字に すると
﹁絶
﹂と なる
︑など
と読み 解 いた︑
という
︒○
天台 連四 明⁝︻
︼に﹁天台隣
四明﹂
とある︒
36
■口語
訳 君は遙 かに 会稽 の山水 の 美を聞 き及 び 耶 渓を楽 し みにや って こら れた そこ には 数え 切れな い くらい たく さん の渓谷 や 渓流が あ って 鏡湖 の湖面 に
︑険し い峯 々を 映し ている
その すばら しい 景色 は名 状しが た く 清らか な光 が河 べりの ま ちに満 ちあ ふれ てい る 人 々は湖 面 に映る 月の 側に 遊び 船も 空に 浮か んでい る かのよ うで ある その世
界に しば らく滞 留し やが て剡 渓 を溯っ て王 羲之 や許邁 のよ うな 清流 を尋ね る
蔡邕
が記し た 曹娥の 碑 銘を読 み 曹操 がやったように﹁黄絹﹂な
どの謎 か けの言 葉 を楽 しく 解読 し たり され た 更に
奥深く 天 台山に 進 まれる が︑
そこ は四明 山に 連な ると ころ 日の落 ちる 夕べ
︑国清 寺 に向か う 月 が寺 を囲 む五峯 を順 々に 照らし 百 里もの 間︑
松の 梢を 鳴らす 風の 音が 流れて い くばか り 霊妙な
渓流 が縦 横に流 れ 華頂 峯が 忽然 と 聳え 立つ 石 梁は青 空に 横た わり 半月 ばかり の わずか な足 がか りに 足をか けて 渡る
■解説 韻字 は
︑﹁美・
水・
裏﹂
で︑上 声 四紙の 韻
︒﹁名・
城
・行﹂
で︑
下平 八庚の 韻
︒﹁佇・
許・
語﹂で
︑ 上声六 語 の韻
︒﹁明
・清・
聲﹂
で︑下 平八 庚の 韻
︒﹁越・
忽・月
﹂ で︑入 声 六月の 韻︒
内容は
︑ 魏 万が李白を尋ねて︑
更に 足を 台州
・ 越州 に伸 ばし て 遊歴し たこ とを 描く︒
その中に︑台州の
景 勝を 代表する
もの と して天 台 山が登 場 し︑
その描写
に 八句 が費やされている︒
ま ず﹁
天台
﹂と 総 称し
︑次 い で山中の名
勝を あげてい
く
︒﹁ 國清﹂
寺とそれを
﹁五峯﹂
が囲ん で いることや︑孫綽も伝え
る松並木
を﹁
百 里行松 聲
﹂とし て 表現 する︒さら
に﹁靈溪
﹂﹁華頂﹂
﹁ 石 梁﹂をあ
げ︑青空
に聳え
る峯 やそれに
懸 か る明月︑風や渓流の
音な どを 駆使 し てお り︑
天台 山 を鑑 賞に堪える名山として描い
ている
︒ ただし
︑ 先稿 で見 た李 白 自 身が訪れ
たとき に作っ た作品
︵︻
︼など︶
のような︑遊
仙的な
35
雰 囲気は あ まり感 じら れな い︒︻ 眷然思永嘉 第四段︼
眷然 とし て永 嘉を 思 ひ
不憚海路賖
海路 の
賖
な る を 憚らず
はるか
挂席歴海嶠
席を 挂 げて 海嶠 を歴 し
かか
迴瞻赤城霞
迴 り て瞻る
赤城の 霞
み
赤城漸微没
赤城 漸 く 微没し
孤嶼前嶢兀
孤嶼 前に 嶢兀 た り
水續萬古流
水は續 く 萬古 の流
亭空千霜月
亭は 空し 千霜 の月
縉雲川谷難
縉雲 川谷 難く
石門最可觀
石門 最も 觀る べし
瀑布挂北斗
瀑布 北 斗に挂 り
莫窮此水端
此の水
端を 窮む る莫 し
噴壁灑素雪
壁に 噴き て素 雪を 灑 ぎ
空濛生晝寒
空に 濛 として
晝な ほ寒 きを 生 ず
却尋惡溪去
却っ て尋 ぬ 惡 溪に去 ら んこと を
寧懼惡溪惡
寧ん ぞ懼 れん 惡溪 の惡 しき を
咆哮七十灘
咆哮 す 七 十の灘
水石相噴薄
水石 相 ひ噴薄 す
路創李北海
路は 創ま る 李北 海
巖開謝康樂
巖は 開く 謝康樂
松風和猿聲
松風 猿聲 に和 し
搜索連洞壑
索 を 搜して 洞 壑に連 なる
徑出梅花橋
徑 は出づ
梅花の 橋
雙溪納歸潮
雙溪 歸潮 を納 る
落帆金華岸
帆 を 落とす
金華の 岸
赤松若可招
赤松 招く べき がごと し
沈約八詠樓
沈約 八詠の 樓
城西孤岧嶢
城西
孤
り岧
嶢たり
ひと
岧嶢四荒外岧
嶢た り 四荒 の外
曠望群川會
曠 し く望む
群川 の會 す るを
むな
雲捲天地開
雲捲 き 天地 開け
波連浙西大
波 連 なりて
浙西 大な り
亂流新安口
亂流す
新安 の口
北指嚴光瀬
北に 指す 嚴光 の瀬
釣臺碧雲中
釣臺 は 碧雲の 中
邈與蒼梧對邈
かに 蒼 梧と對 す
■文字の異同
と校勘
﹇眷﹈全
唐詩作忽
︒﹇ 尋﹈
全唐詩・王
注本作思︒
﹇詠
﹈王注本
作咏
︒﹇梧
﹈全 唐 詩・王注本
作嶺︒
■語注
○眷然⁝
痛切に思
う様︒○挂
席⁝謝霊
運の詩を踏ま
える
︒︻
︼既 出︒○孤
35
嶼⁝永嘉 の江 中 に聳 える 山︒
謝 霊運 に﹁
登江 中 孤嶼
﹂︵
﹁ 文 選
﹂巻二六︶の 詩がある︒○嶢
兀⁝ご つ ごつと 聳え る様︒
○濛
⁝霧 雨が降
る様︒
○ 李北海
⁝唐の 李邕
︵六 七八〜
七四七
︶︒○
搜索⁝王
褒﹁洞 簫賦
﹂︵
﹁ 文選
﹂巻 一七︶
に﹁玄猿悲嘯
︑搜 索乎 其間
﹂とあ
り︑李 善は
﹁搜 索︑往 来貌
﹂と注 す る︒
○ 雙溪⁝金
華県にある
渓流
︒
○金 華⁝浙江省
金華県
︒ 今は 金華ハム
で有名
︒ まちの東北に金
華山が あ り︑双 龍洞 などの
三 洞が有 名︒三
十六小 洞 天の最 後︒○赤松⁝
赤松子 は 仙人︒
金華山 に棲 んだ とい い︑金 華山を
赤松 山と も いう︒いま
赤松道 院が ある
︒○沈
約八詠 樓⁝
梁の 沈約 が八句 の詩を 詠 んだ と い う楼︒
○岧 嶢⁝
高く 聳え る 様︒
何晏
﹁景 福 殿賦
﹂︵
﹁ 文 選﹂
巻一 一
︶に
﹁岧 嶢岑立﹂と
ある
︒○
群川會
⁝金 華を流 れ る婺 水 は北西
して 蘭渓 で衢水 と合流し︑蘭
江とな る
︒蘭江
は北流 して 西か ら来 た新安 江と合
流し
︑富 春 江 と なる︒
富春江 は諸 川を 受け入
れなが ら東 北に 流れ
︑富陽 あたり か ら銭 塘 江と名
を 変え る︒こ れ らのど れかを
指すと い うより
は︑
これら の 河川が
合 流 してい く様を
まと めて 表現し
たも のか︒
○浙 西⁝
銭塘江 以西の 河 川︒
○ 嚴光・
釣 臺⁝
富春江 に ある名 勝︒河
沿い に高 さ七十
メー トルあ ま りの立 方体の岩山が聳
える
︒後 漢時 代に隠 者の厳
光
︵子陵
︶がこ
こ釣 りを した と いう︒李白は
じめ多 く の文人
が訪 れて詩 を作 って いる︒
○蒼梧
⁝湖 南省 の 九 疑山︒南巡
した舜が
ここで没した
という︒
■口語訳 君は 永嘉の す ぐれて い ること を思 うや 海路の 遠い こと なども の ともせ ず 蓆 旗を 掲げ て海 沿いの 土地 を遍 歴さ れた そ して海 上 から遙 かに 赤城 山に架 かる 霞を 眺め られた やがて
その 霞も 見えな く なり 孤 嶼山 が目 の前に 聳え て来 る こ の江の 水は 永遠 に流 れ続け てい くが 人が 作った 亭 舎はや が て無く なっ てし まう 縉
雲山 のあ たりは 渓谷 が険 阻なと こ ろだが そ の中で も石 門山 は最 も見る べき に足 る 滝は 北斗星 か ら懸か って いる よう で 水の出 る場 所を 見極め る ことは でき ない 石 壁から 噴 き出し て白 い雪 のよう な 水滴を 降 らせ 空に は微 雨が 立ちこ め て昼な お寒 気を 感じる ほ どであ る 更に悪
渓の 方に 行こう と する
悪渓 という 名前 など 気に はしな い そこで は七 十も の瀬が 咆 え叫び 水 が石に ぶ ち当た って すさ まじく し ぶきを 上げ る ここ へ至 る道 を開か れ たのは 李北 海様 だが 巌を 開削さ れた のは 謝霊 運に溯 る という ここで は松 風が 猿の声 と調 和し て 洞 窟や谿 谷 を往来 して 流れ ていく やがて
道は 梅花 橋へ出 る そ こに は双 渓が 海の潮 を引 き入 れて いる 金 華のほ と りで帆 を下 ろす が ここ からは 赤 松子を 招 き寄せ るこ とも できる 沈約が 八句 の詩 を詠ん だ という 楼 閣が 城 郭の 西に ひとり 高く 聳え ている その
楼閣は 四 方荒漠 た るなか に屹 立し ており そこに 登れ ば︑
遙かに
︑ 多くの 川 が流れ
︑合 流す るのが 見え る 雲 は巻 き上 がり︑
天地 は広 々と開 け 波 濤は連 なり
︑銭 塘江 以西の 川は どれ も川幅 が 広く流 れ ている やがて
新安 江と の合流 地 点あた りで 流れ は逆 巻き 北 に転じ て 厳光が 遊ん だ瀬 を目指 し て流れ て いく 厳光 が遊 んだ 釣台は 緑 なす雲 の中 に浮 かび上 が り 遙か に蒼梧 の 山と向 かい 合っ てい る
■解説 韻字は
︑﹁嘉・
賖
・霞
﹂で︑
下 平六麻 の韻
︒﹁没・兀
・月
﹂で︑
入声六月の
韻
︒﹁難・觀・端・寒
﹂で︑上平一四寒の
韻
︒﹁惡
・ 薄・樂・
壑﹂で︑
入声一○
薬の韻
︒﹁橋
・潮・
招・嶢
﹂ で
︑下平 二蕭の韻
︒﹁外
・會・
大﹂で︑去声九泰の韻
︒﹁瀬
・對﹂
で︑
去 声一一 隊の 韻︒
内容は︑魏万が李
白 を尋 ねて︑更
に浙 江 省内を 歴 訪し た様 を描 く︒天台
山 か ら更に︑孤嶼・縉雲
山・
石門 山・
悪 渓・
梅花 橋・
双 渓と たどり︑金華山に着く︒金
華のま ち の楼閣 か ら北 を眺 め︑
銭 塘江の上流の諸河川
が 合流 する様を
描い た 部分は
︑ さなが ら 高々 度から俯瞰したか
のよ う である︒思
い は遙 か湖 南省 の 蒼梧山 に ま で至っ てお り
︑空間的な広がり感
じさ せる
︒李 白 の想 像力 が遺 憾 なく 発揮された部分であると言
えよう
︒ 末句 の﹁
蒼梧
﹂を 全 唐詩
・王注本は﹁蒼嶺﹂
と する
︒そうす
ると 厳 光の釣 台 が青 い山 と向 かい合っている︑
となる︒その方が
穏 当だ ろう が︑
こ こは李 白 の 想像力 が飛 躍 しているとして︑省
を越 え た位置 に ある
﹁蒼 梧﹂
を 採用し た︒
︻第 五段︼
稍稍來呉都
稍稍 く呉 都に 來たり
やうや
徘徊上姑蘇
徘 徊 して姑 蘇に 上る
煙緜橫九疑
煙緜 九疑 に横 たはり 漭蕩見五湖漭
蕩とし て 五湖を 見る
目極心更遠
目極 まり て 心 更 に遠く
悲歌但長吁
悲歌し て 但だ 長吁 す
迴橈楚江濱
橈 を 廻らす
楚江 の濱
揮策揚子津
策を 揮ふ 揚子 の津
身著白羊裘
身 には白 羊 の裘を 著け
昂藏出風塵
昂藏 たりて
風 塵 を出づ
五月造我語
五月 我 に 造 っ て 語 り
いた
知非佁儗人佁儗
の 人に 非ざる を知 る
相逢樂無限
相 ひ 逢ひて 樂 しむこ と 限り無 く
水石日在眼
水石 は 日に 眼に 在 り
徒干五諸侯
徒だ 五諸 侯を 干 し
おか
不致百金産
百 金の産 を致 さず
吾友揚子雲
吾は 友と す 揚子 雲
弦歌播清芬
弦 歌して
清芬を 播す
雖爲江寧宰
江 寧の宰 たり と雖 も
好與山公群
好んで 山 公と群 す
乘興但一行
興に 乘じ て 但 だ一行 す るのみ なれ ば
豈知我愛君
豈 に知ら ん 我の 君を 愛す るを
■ 文字の異同と校勘
﹇徘徊
﹈全唐 詩作裴回
︒﹇ 白 羊
﹈宋本
・全唐詩作日本︒以下
の注あ り﹁裘則 朝 卿所贈︑日本布
爲之
﹂︒
﹇佁
﹈宋本 作儓
︒﹇豈
﹈宋本
・全唐詩作且︒
■語 注
○ 九 疑山⁝
前節の
蒼梧 山︒
○五湖
⁝太 湖︒○
漭
蕩⁝
水が 広 々ゆ っ たりと た ゆ た う様︒○
楚江⁝
長 江
︒○白羊
裘⁝宋本
などは日本裘
とし
︑﹁ 裘 は則ち朝 卿
︵ 阿倍仲麻呂
︶ の贈る ところにして
︑ 日本の 布もて之を爲
る
﹂ と注す る
︒
○昂藏⁝誇り
高く気 概 溢れる
様︒
○佁儗 人⁝
愚か 者︒○
五諸侯
⁝漢 の成 帝 期 に
︑外戚 の王氏
五人 を一 度に列
侯に 封建し た
︒そこ
から権 力者︑
権 勢家 を 表す︒○楊子
雲⁝漢 代 の蜀出 身の文
人官 僚楊 雄︒
諸注は
︑李白 の 友人の 楊利物 のことを
いっている
という︒
○弦歌⁝礼楽
によ る教化
︒﹁論 語﹂陽 貨 に﹁ 子之武城
︑聞弦歌
之聲
﹂とある
︒○清芬
⁝高潔な
人格
︒陸機
﹁ 文賦
﹂︵﹁ 文 選
﹂巻 一七
︶に﹁
詠世 徳之 駿烈︑
誦先 人之清 芬
﹂とあ
る︒○
好寧
⁝江 蘇省 の地 名︒李白
に﹁江寧楊利
物畫賛
﹂がある
︵ 宋 本巻二八︶
︒○山 公⁝竹 林の 七賢 の山濤の山簡︒
■口 語訳 君 はよ うや く呉都 の蘇 州に 来たり 徘 徊し︑
姑蘇 山に 登っ た そこ からの 眺 めは︑
は るか九 疑山 に連 なる靄 がか かり 眼下に は太 湖が 広々と 広 がって い る 視 線が 遠く まで広 がれ ば︑
心も遙 か に思い め ぐらし 悲 歌を口 ずさ んだ り︑
長く吟 じた りし た やがて
長江 の濱 で櫂を 廻 らし 揚 子江の 港 で上陸 して 馬を 走らせ た 君は 白い 羊の 裘を身 に 着けて おり 誇り 高く気 概 溢れて
︑俗 塵か ら傑 出して いる この五 月に よう やく私 の 所にや って きて 語り 合い
立派 な人で ある こと がよ く分か っ た 君
と逢っ て より以 来楽 しみ は限り な く 共に 山川 の美 景を眺 め て楽し んだ 五諸 侯のよ うな 権勢 家に は楯突 い ても 財貨に は全 く興 味を示 さな かっ たの である 私に
は楊雄 の ような 人 物であ る楊 利物 という 友 人がい る 彼は弦 歌に より 礼楽を 広 め︑清 廉 な香を 振り まい ている 好 寧と いっ た小 都市の 長官 に過 ぎな いが 山 簡のよ う な風雅 の士 との 遊びを 好ん でい る 興趣 に乗じ
︑ 楊の所 へ は惟一 度だ け共 に行っ ただ けな ので 私が君 を大 切に 思って い ること は 彼には 分か らな いだろ う
■解説 韻字は︑
第五 段は﹁都
・蘇・
湖
・ 吁﹂で
︑上平七
虞の韻
︒﹁濱
・津・塵・
人﹂
で︑上平
一一真 の韻
︒﹁ 限・眼
・産﹂
で
︑ 上声一 五 潸の 韻
︒﹁ 雲・芬・
群
・君﹂
で
︑上平 一二 文の 韻︒
内容は︑魏万が
李白 を 尋ねて蘇州
から 広 陵に 行き
︑よ うや く 李 白と出 会え た こと︒改めて魏万の
人柄 を 述べ︑
更 に知 人の 楊利 物 との交 友を 深め られな か ったこ とを 残念 がっ ている
︒
︻ 君來幾何時 第六段︼
君の 來る
幾
何の 時ぞ
いくばく
僊臺應有期
僊臺 應に 期有 るべ し
東牕緑玉樹東牕
緑 玉の樹
定長三五枝
定 め て三五 の枝 を長 ぜん
至今天壇人
今に 至る まで 天壇の 人
當笑爾歸遲
當に 笑 ふべし
爾の 歸る の遲 き を
我苦惜遠別
我は
苦だ
遠別 を 惜しみ
はなは
茫然使心悲
茫然 とし て 心 をして 悲 しまし む
黄河若不斷
黄河 斷え ざるが 若く
白首長相思
白首 長 へ に相ひ 思は ん
■文字の異同と校
勘
■語 なし 注
○三五⁝三から
五くら い
︑あま り多 くない
数字 を表 す︒○
天壇⁝
王 屋山の 最高 峰︒
■口 語訳 こ の次 に君 が私の 所へ 来て くれる の は何時 の ことだ ろう 君 が行か れる 仙境 の楼 台では
︑色 々と お約束 も あろう か ら 楼台 の東の 窓 から見 える 碧の 玉の 木には きっと 少し ばか り新た な 枝が生 じて いる こと でしょ う 王 屋山最 高 峰の天 壇山 では
︑そこ に 棲む道 士 たちが 貴方が世
俗 の情 にかられて帰還が遅
く なっ てい るの を
︑笑っ て い るか もし れま せん 私はと いえ ば遠 い別れ を 惜しん では
茫然 として 心を 悲し ませ るのみ 黄河の 水が 絶え ること が ないよ うに 白 髪頭を 抱 えて永 遠に 君の ことを 思 い続け るの です
■解説 第六段は
︑ 韻字は
︑﹁ 時
・期・枝・
遲・悲・
思﹂で
︑ 上 平四支 の韻
︒ 内容 は
︑魏万 が王屋 山 に帰る こ とを述 べ
︑別れ の悲し み を歌う
︒ 全体
を通 して の解 説︒
詩 形は 五言 古詩
︒ 大野 は天 宝九年
︵七五
○
︶ とし
︑加 藤はこれ
に倣う︒
安注は天 宝一
○年
︵七五一︶
の作 とす る︒
長大 なの で
︑六段に分けて記述
した
︒ 全体と し て︑
魏万 が王 屋 山に帰るのを見送る
送 別の 詩だが︑
第一 段 と第六 段 だけ をつ なげ ても︑送別の詩と
して成り立つ︒こ
の 詩の 特色 は︑
第 二段か ら 第 五段に かけ て で︑魏万が李白を追
って
︑ 中原か ら 呉越 を遍 歴し た 様を描 いた 部分 であろ う
︒おそら
く 自らの 遊 歴経験 を踏 まえ つつ
︑ 魏万がそれをなぞっ
て いる であろう
と想 像 し︑同 じ 道を 歩ま せて いる︒そ
の 間の 叙景は︑魏万の目を
通 して のも ので あ るとさ れ て いるが
︑実 は 李白の記憶から呼び
起こ さ れたも の であ る︒
この 二 重性は おも しろ い︒
ま た
︑呉 越 の名勝 を順 々に たど りつ つ紹介 して おり
︑さ ながら
︑
﹁呉 越旅 遊大 観﹂と で もいう べき もの となっ て いる︒
その中 で
︑第 三段の後半で天台
山を 登場 させ て いる
︒当 該部 分 の 解説を繰り返せば︑国清寺
・華頂 峯・
石梁 飛瀑 な どの景 勝 地を
あげて いき︑聳える峯やそれに
懸かる 明 月︑風 や 渓流 の音 など を 駆 使して描写し︑天台山を鑑
賞に堪 える 名 山とし て 描いて い る︒
た だし
︑先 稿 であげ た
︑李 白自身 が 訪れた と きに作 った 作品
︵︻
︼
35
など︶
のような︑遊仙的な雰囲気
はあまり感じられないものとな って いる︒
︻
︼金陵酬李翰林謫仙子 45
金 陵にて 李 翰林謫 仙子 に
酬す 魏萬
☆前集など収
録せず
★唐詩紀事巻
二二︑
全 唐詩巻 二六一
︑李 太白 全集 宋本巻
一四︑
王 注本巻 一六
■本文及び訓
訳
君抱碧海珠
君 は抱く 碧 海の珠
我懷藍田玉
我は 懷く藍 田 の玉
各稱希代寶
各お の希 代の 寶と 稱 され
萬里遙相燭
萬里 遙か に相 ひ燭ら す
長卿慕藺久
長卿 は藺を 慕 ふこと 久 しく
子猷意已深
子猷 は意 ふこ と已 に 深し
平生風雲人
平生 風雲 の人
暗合江海心
暗 に合ふ
江海 の心
去秋忽乘興
去秋 忽 として 興 に乘じ
命駕來東土
駕に命 じ 東土 に來 たる
謫仙遊梁園
謫仙 は梁 園に 遊び
愛子在鄒魯
愛 子は鄒 魯 に在り
二處一不見
二處 一に は見 えず
拂衣向江東
衣を 拂ひ て江 東 に向 かふ
五兩挂淮月
五兩 淮 月 に挂げ
扁舟隨海風
扁舟 海 風に隨 ふ 南遊呉越徧
南遊 して 呉越 にく徧
高揖二千石
二 千石に 高揖 す
雪上天台山
雪に上 る 天台山
春逢翰林伯
春に 逢ふ 翰林 伯
宣父敬項託
宣 父は項 託を 敬ひ
林宗重黄生
林 宗 は黄生 を 重んず
一長復一少
一は 長 復た 一は 少
相看如弟兄
相 ひ看る こ と弟兄 の如 し
惕然意不盡
惕 然 として 意 盡き ず
更逐西南去
更に 逐に 西南 に去 る
同舟入秦淮
舟 を同に し て秦淮 に入 るに
建業龍盤處
建業 は龍 盤の 處なり
楚歌對呉酒
楚歌 呉 酒に對 し
借問承恩初
借問す
恩を 承く るの 初め
宮買長門賦
宮は 買ふ 長門 の賦
天迎駟馬車
天 は迎ふ
駟馬の 車
才高世難容
才高 く
世
容 れ難く
道廢可推命
道廢 れて 命を推 すべ し
安石重携妓
安 石は重 ね て妓を 携へ
子房空謝病
子 房 は空し く 病と謝 す
金陵百萬戸
金陵 百萬 戸
六代帝王都
六代 帝王 の都
虎石踞西江
虎石 西江 に
踞り うずくま
鍾山臨北湖
鍾山 北湖 に臨 む
湖山信爲美
湖 山は信 に美 たる も
王屋人相待
王屋の 人 相 ひ待つ
應爲岐路多
應に 岐路 に多 なる が ために
不知歳寒在
知ら ず 歳の 寒に 在る を
君遊早晩還
君の遊
早晩 還れ
勿久風塵間
久し く風 塵の 間に お るなか れ
此別未遠別
此 の別れ は 未だ遠 別な らず
秋期到仙山
秋に は仙 山に 到るを 期 せん
■文字
の異同と校勘 宋 本を底本とする
︒
﹇風﹈
紀事・全
唐詩作 風
︒﹇淮
﹈全唐詩作
海
︒﹇海
﹈全唐詩作
長
︒﹇
徧
﹈全唐 詩 作遍
︒﹇ 雪
﹈ 紀事作雲︒
﹇ 託﹈
王注本・
全唐詩作
橐
︒﹇ 黄
﹈ 紀事作王︒
﹇ 對﹈
紀 事作醉
︒﹇石
﹈紀事作
丘
︒﹇踞
﹈全唐詩
作據
︒﹇湖
﹈全唐詩
作二︒
■語注
○長卿⁝前漢
の司 馬相 如︒も
と犬 子と名 付け られ ていた が︑
戦国趙 の藺 相 如の 人と なり を 慕い
︑自 ら相 如 と改 名 した︵
﹁ 史 記
﹂司馬相如列
伝
︶︒○子 猷⁝
晋の王徽
之
︒﹁ 世説 新 語﹂任誕
に︑王徽
之がある
夜ふと隠者
の戴逵 に逢 いた くなり
︑夜通し掛
けて船に乗
って会いに
行った
︑という話を
載せる
︒﹁
子 猷尋戴﹂とい
う蒙 求の 標題 にもな
ってい る︒
○梁 園⁝漢 の梁 王が造 った 庭 園︒
︻
︼既出
︒○五兩⁝風
をうかが
う器具
︒ 航海 に必携︒○
高揖⁝
両腕を
38
高く上げて会釈をする こ と︒○
二千 石⁝漢
代の 官僚 の俸給
の一段 階
︒郡守 の俸給がこれ
であっ た ことか
ら︑郡 守そ のも のの呼 称と なり︑
のち には 地 方長官の呼称
とな った
︒○
宣父⁝
﹁新唐 書﹂
礼楽 志によ れば
︑貞観 一 一年 に
︑孔 子を 宣父と 呼ぶ こと とな った︒
○項託
⁝ 項
橐
と も︒七 歳の 時︑
孔子 が彼を 師匠としてあが
めたとい
う︵
﹁ 淮南子﹂
脩務他
︶︒
○林宗
⁝郭太
︵ 泰
︶︒ 後漢の名
士︒よ く人を論評し
た
︒﹁後漢書
﹂巻六八本伝
︒○黄生⁝
黄憲︒
歳 十四で見い
だされ るなど早熟だ
った
︒﹁後漢書﹂巻五三本
伝︒郭太
が黄憲の 度 量の量り
がたさを
︑ 広 大な池に喩えた
話は
﹁ 後 漢書
﹂ 黄 憲伝に見
えるが
︑
﹁黄憲萬頃﹂と
いう 蒙求 の標題 にも なって
い る︒○
秦淮⁝
秦の 始皇 帝が作 ったと伝えら
れる運 河
︒南京
︵金陵
︶の まち を流 れる︒
○長門
賦⁝
司馬 相 如の作
︒﹁文選﹂巻
一七所収︒
武帝の寵
愛を失い長門宮に
居た陳皇
后が︑大 金 を積ん
で
︑司 馬相如 に 自らの 悲愁の
情を詠 わ せたも
のと いう︒
○ 北湖⁝
玄 武湖︒
■口語訳 君は 碧な す大 海が産 す る真珠 を抱 いて おり 私は 有名な 藍田 の宝 玉を 懐いて い る それぞ れ稀 代の 宝玉と 称さ れて いる が 万 里もの 距 離に離 れて おり
︑遠く から 照ら しあ ってい る 司馬相
如は 藺相 如を長 く 慕い続 け 王 徽之 は戴 逵の ことを 深く 思っ てい た 平 時より 風 や雲を 楽し むひ とは 遠い 江や海 を 楽しむ 心 を持っ てい るの だ そ
んな 君は
︑昨年 の秋 に︑
忽然と 興 を起こ さ れ 馬 車を走 らせ て東 の土 地に行 かれ た 地上 に降り た 仙人で あ る君は
︑梁 王の 庭園に 遊ば れ 愛し子 と山 東で すごさ れ た しかし︑
私 と君 の居る所が二箇所に
別 れて いれ ば︑
ご 一緒す る こ とは でき ない そこで 私も 衣を からげ
︑ 江東に 向か うこ とに した 風 をうか が う器具 を︑
淮水 に昇る 月 にかか げ 小さ な小 舟で 海風の ま まに進 んだ 南遊し
て呉 越の 地に普 く 遊び
地方 長官た ちと も交 わり を持っ た そして 雪の 中︑
天台山 に 登った りし たが 春 になり よ うやく 李翰 林殿 とお会 い するこ とが でき た 孔子
は自分 より 年少 の項 託を師 と して敬 い 郭太は 年長 者の 黄憲を 高く 評価 した 一 方は年 長 で︑一 方は 年少 との違 いは ある が どち らも兄 弟 のよう に お互い を重 んじ
︑慈し ん だので ある 思
いが 尽き るこ とのな いま まに 時は 過ぎて い き 更 に西南 へ 向かう こと とな った 共に 船に乗 り
︑秦淮 運 河に乗 り入 れて 金陵に 向か った が ここ金 陵の 地は 龍が蟠 る 佳地で あ る 楚
の歌を 歌い なが ら呉 の地の 酒に 向か い 皇帝 よりの 恩 寵を受 け たこと など をお たずね する 高貴な 方々 が︑
君から
﹁ 長門賦
﹂ のよう な優 れた 作品を 買わ れ 天 子は 四頭 立ての 馬車 で君 をお迎 え になっ た しか
しそう し た高い 才能 は世 俗の 受け入 れる とこ ろでは な く 正しい 道が 廃れ ている 世 の中で は命 運も 推し 量られ る 晋 の謝安 様 は常に 芸妓 を携 えて遊 び 漢の 張良 殿も 国家が 確 立した 後は 病を 理由に 隠 遁した ここ金
陵は 百万 戸の殷 賑 をほこ り