昭和十年十二月の陸軍演習令改定について (椎名慎 太郎教授コンスタンチン・サルキソフ教授退職記念 号)
著者名(日) 松本 武彦
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 67
ページ 141‑161
発行年 2011‑03‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000402/
論
昭
説和 十 年 十 二 月 の 陸 軍 演 習 令 改 定 に つ い て
松 本 武 彦
目 次 はじ めに 一 改定 の一 般的 背景 二 法令 によ る軍 制の 構築 三 改定 陸軍 演習 令の 特質 四 法令 の実 態的 背景
││ 平時 の患 者 おわ りに
││ 陸軍 演習 令改 定の 構造 的特 質
はじ めに 日本
陸軍 が︑ いわ ゆる 演習 に関 して 本格 的な 法令 で規 定し たの は︑ そう 古い こと では ない
︒統 帥権 を総 覧す る天 皇の 名に よっ て﹁ 陸軍 演習 令﹂ が制 定さ れた のは
︑大 正十 三年 三月 二十 九日 のこ と︒ 後に
︑昭 和天 皇と なる 摂政 宮 によ って
︑﹁ 軍令 陸第 二号
﹂と して 施行 され た︒ 当時 の陸 軍大 臣は
︑宇 垣一 成で あっ た︒ 演習 自体 に対 し︑ 軍は これ を教 育の 手段 と考 え︑ また 平時 にお ける 教育 の到 達点 とし て︑ 軍隊 の﹁ 練成
﹂上 最も 重要 な地 位を 占め るも のと 理解 して おり
︑演 習と いう 訓練 によ って 軍隊 にお ける 教育 が完 璧な もの にな る︑ とし て
( )
いた
︒し たが って
︑大 元帥 たる 天皇 が自 ら統 監し てお こな う特 別大 演習 は︑ いわ ば最 高最 大の 演習 とし て︑ 明治 二 十
五年 に第 一回 が実 施さ れて から
︑明 治後 期以 降昭 和初 年に かけ て︑ 日露 戦争 と関 東大 震災 の年 を除 き︑ ある 年に は三 個以 上の 師団 が参 加し
︑ま たあ る年 には 近衛 師団 も参 加す るな ど︑ 規模 と内 容を 更新 しつ つ︑ ほぼ 毎年 おこ な わ
( )
れた
︒
﹁陸 軍演 習令
﹂は
︑冒 頭に おい て︑
﹁勉 メテ 実戦 ニ近 キ状 態ニ 於テ 幹部 及兵 卒ヲ 訓練 シ以 テ教 育ノ 完璧 ヲ期 スル
﹂ こと を目 的
( )
とし
︑﹁ 至厳 ナル 軍紀
﹂︑
﹁旺 盛ナ ル士 気﹂
︑﹁ 勇往 敢為 ノ気 象﹂ を奮 い立 たせ
︑さ らに それ らの
﹁持 久力
ヲ増 進セ シム ル
( )
コト
﹂を 明記 して いた
︒以 後︑
﹁軍 の統 帥に 関し 勅定 を経 たる
( )
規定
﹂と して
︑演 習と いう いわ ば擬
似的 な戦 場に おけ る活 動に おい て︑ ある 時に は︑ 訓練 や教 育に 名を 借り た上 官に よる 下士 卒へ の理 不尽 な命 令や 要 求の 法的 根拠 とも なっ た︒
本稿 は︑ 如上 の陸 軍演 習令 の内 容︑ 構成 それ らか ら知 るこ とが でき る構 造的 特質
︑と くに 昭和 十年 十二 月に 改定 され た改 定演 習令 の
( )
特質 につ いて 明ら かに する こと を目 的と する
︒そ の際
︑改 定陸 軍演 習令 分析 の視 点と して
︑第
一に 改定 前の 演習 令の 章立 てな どの 構成
︑各 条文 の内 容と の比 較︒ 第二 に︑ 改定 の要 因す なわ ちな ぜ改 定さ れた か を明 らか にす る必 要が ある が︑ 当面
︑こ こで は︑ 第一 の点 につ いて 考察 する こと を中 心に おこ ない
︑第 二点 に関 し ては 別稿 に譲 るこ とと する
︒ 一
改定 の一 般的 背景 日露
戦後 の国 際関 係の 中で
︑大 正末 年︑ 日本 は中 国東 北地 方に 関東 軍を 維持 して おり
︑植 民地 とし た台 湾︑ 朝鮮 に置 いた 台湾 軍︑ 朝鮮 軍な どと あわ せて いわ ゆる 外地 にお ける 軍事 力を 形成 して いた
︒ しか し︑ 昭和 に入 って
︑山 東出 兵や 済南 事件 とい った かた ちで 大陸 での 作戦 範囲 を拡 大さ せ︑ また
︑満 州事 変以 降は
︑戦 力的 な規 模に おい ても 拡大 を見 た︒ さら に︑ 参謀 本部 や陸 軍の 指導 部周 辺で 演習 令の 改定 が議 論さ れ始 めた 昭和 七・ 八年 頃に は︑ いわ ゆる 上海 事変 や河 北省 東北 部に おけ る日 中の 兵力 引き 離し を約 した 塘沽 停戦 協定 の合 意に 至る まで の戦 闘な ど︑ 日本 軍の 行動 は 中国 東北 地方 や華 北に とど まら なく なっ てい た︒ こう した
︑日 本軍 の軍 事的 な活 動範 囲の 拡大
︑い うな れば 日本 の大 陸侵 略の 拡大 こそ が︑ 従来 の﹁ 演習 令﹂ を見 直し 改定 をお こな う背 景と なっ てい たで あろ うこ とは
︑容 易に 想像 がつ く︒ 大陸 侵略 の過 程で 蓄積 され た経 験︑ 戦
訓が
︑日 常的 にお こな う訓 練︑ 演習 に反 映さ れな いは ずは ない
︒ さら に︑ この 間の 軍事 の戦 術的 面か ら見 た変 化︑ たと えば 新兵 器の 出現 や従 来兵 器の 性能 の向 上な ど︒ これ らの こと も当 然演 習の 内容 の改 定に 際し
︑多 面的 に考 慮さ れた はず であ るし
︑考 慮の 跡が 見ら れな いと すれ ば︑ それ は なぜ か︑ その こと の背 景に は何 があ るの かが 考察 され るべ きで あろ う︒ 加え て︑ 演習 自体 から 得ら れた 教訓 も︑ 新た な演 習令 の内 容に 反映 され たで あろ う事 が推 測さ れる
︒演 習中 に起 こっ た事 故や 不慮 の出 来事
︒そ れら への 対策 は︑ 実戦 にお ける 同様 の出 来事 を未 然に 防ぐ ため
︑新 たな 演習 令に 組 み込 まれ たは ずで ある
︒ 以上 のよ うな 演習 令改 定の 背景 に関 して は︑ これ をよ り具 体的 に検 討す る別 稿を 準備 中で ある
︒ 二
法令 によ る軍 制の 構築 国家
制度 の一 部と して の軍 制は
︑こ れを 構築 し実 効な さし める ため に︑ 法令 によ る規 定が 必要 とな るこ とは 言う まで もな い︒ 大日 本帝 国憲 法の もと では
︑兵 役法 など の如 く︑ 帝国 議会 の﹁ 協賛
﹂を 経て 天皇 の裁 可に よっ て制 定 され る法 規と
︑兵 役法 施行 令や 陸軍 補充 令な どと いっ た︑ 閣議 を経 て勅 令と いう かた ちで 制定 公布 され るも のと が あっ た︒ ただ し︑ 統帥 の大 権を 総攬 する 天皇 のも とで
︑こ のい わゆ る統 帥権 に関 係す る事 項は
︑議 会や 閣議 に拘 束さ れず 天皇 が︑ 陸海 軍大 臣に よっ て直 接上 奏さ れた もの を裁 可し て制 定さ れ︑
﹁軍 令﹂ とい う形 式で 施行 さ
( )
れた
︒
本稿 が検 討の 対象 とす る陸 軍演 習令 改定 の時 期︑ 昭和 十年 前後 にお ける 軍制 や軍 事関 係法 規に 関す る研 究に よれ ば︑ 軍令 は︑ 次の よう な特 質を 持つ とさ
( )
れた
︒第 一に
︑統 帥に 関す る事 項に 限ら れる こと
︒し たが って
︑軍 隊そ の
もの やそ の構 成員 たる 軍人 に適 用さ れる ので ある が︑ 戦時 また は事 変の 場合 は国 民に もこ れを 適用 する こと がで き るこ と︒ 第二 に︑ 一般 国務 に関 する 法律 や勅 令と 相違 して
︑内 閣総 理大 臣な どの 副署 は不 要で 陸海 軍大 臣の 副署 さ えあ れば よい
︒第 三に
︑軍 令の なか には 公布 され ない もの もあ るこ と︒ 第四 に︑ 原則 とし て即 日施 行で ある こと
︒ しか し一 方で
︑個 々の 作戦 命令
︑兵 の運 用や 軍隊 にお ける 日常 的な 各種 命令 が定 めら れた 条規 の形 式を 採ら ぬの に対 して
︑軍 令は
︑陸 海軍 大臣 の副 署を 得た 勅定 規定 のか たち をと
( )
った
︒
さら に︑ 軍令 はそ の形 式上 四つ に分 類さ れる
︒ひ とつ は公 示す べき 軍令 が陸 海軍 に共 通す るも ので
︑発 布に 際し
﹁軍 令第
○号
﹂と され る︒ 第二 に︑ 公示 すべ き軍 令が 陸軍 のみ に関 する 諸条 例︑ 諸規 則︑ 操典
︑教 令︑ 教範 など の 発布 に際 し︑
﹁軍 令陸 第○ 号﹂ とさ れる もの であ る︒ 本稿 が検 討の 対象 とし てい る陸 軍演 習令 は︑ この 一例 であ る︒ 第三 に︑ 公示 しな い軍 令で 機﹅ 密事 項た とえ ば動 員計 画や 戦時 の編 制な どの 発布 にあ たっ て︑
﹁軍 令陸 甲第
○号
﹂と され るも の︒ さら に第 四に
︑同 じく 公示 しな い軍 令で 秘﹅ 密事 項た とえ ば平 時編 制や 勤務 令な どの 発布 にあ たっ て︑
﹁軍 令陸 乙第
○号
﹂と され るも ので
( )
ある
︒
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軍令 は︑ それ が令 達︑ 通牒 など しよ うと する 内容 のい わゆ る秘 密性 に関 連し て︑ やは り四 つに 分類 する こと もで きる
︒第 一は 令達
︑通 牒な どに あっ て﹁ 陸機 第○ 号﹂ とさ れる もの で︑ その 内容 が機 密事 項に あた る場 合で ある
︒ 第二 に︑
﹁陸 密第
○号
﹂と され るも ので ある
︒こ れは その 内容 が秘 密事 項に あた る場 合で ある
︒第 三に
︑令 達︑ 通 牒な どに あた って
﹁陸 普第
○号
﹂と され るも ので
︑こ の場 合内 容的 に機 密・ 秘密 であ るこ とを 必要 とし ない
︒第 四
に︑ 軍令 に関 係し て訓 令・ 訓示
・内 訓な どが 発せ られ る場 合で
︑﹁ 陸訓 第○ 号﹂ とさ
( )
れる
︒
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軍令 は︑ その 改定 に当 たり
︑こ れを 誰が 発議 する かに よっ て二 つに 分け るこ とも でき る︒ つま り︑ 改定 その もの や改 定内 容に つい て天 皇に 創議 する もの がだ れか によ って
︑軍 令を 二つ に大 別で きる ので ある
︒ひ とつ は参 謀総 長 によ るも ので あり
︑も うひ とつ は教 育総 監に よる もの で
( )
ある
︒前 者は 軍制 など 全般 の観 点か ら︑ 後者 は主 とし て参
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謀教 育な どの 観点 から
︑実 戦な どに よる 戦訓 を土 台と する など して 参謀 本部 や陸 軍省 にお いて 意思 形成 がは から れ たも のと 考え られ る︒ さて
︑昭 和十 年十 二月 十四 日に 改定 施行 され た陸 軍演 習令 すな わち 軍令 陸第 十七 号は
︑そ の二 年前
︑昭 和八 年末 を目 途に
︑改 定へ の陸 軍省 部内 での 意見 集約 がお こな われ た︒ 同年 十一 月二 十一 日付 けで 参謀 本部 総務 部長 から 陸 軍省 副官 にあ てて
︑提 出期 限を 同年 十二 月二 十八 日と する 演習 令改 定に 関す る意 見の 提出 が求 めら れ︑ これ に対 し 陸軍 省補 任課 から 三件 の意 見が 提出 され た︒ 第一 は︑ 師団 対抗 演習 の名 称を 改正 する など して
︑参 加部 隊の
﹁兵 力 編組 ヲ伸 縮自 在﹂ とす べき であ る︒ 第二 に︑
﹁作 戦カ 儀礼 ノ為 妨害 ヲ受 クル コト ヲ緩 和ス ル為 特別 大演 習ニ 時期 ノ 区分 為ス
﹂な どし て作 戦本 位の 期間 をも うけ るべ きで ある
︒第 三に
︑経 費節 減を おこ なう ため に︑ 各種 の演 習を 連 合し て実 施す べき で
( )
ある
︑と いう もの だっ た︒
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こう した 動き が︑ 参謀 本部 によ る関 係各 部署 への 意見 聴取 のど の段 階に あた るの かは 不明 だが
︑少 なく とも 参謀 本部 自体 の改 定意 思自 体が 曖昧 なま ま外 部に この よう な働 きか けが おこ なわ れる こと は考 えに くい
︒し たが って
︑ 参謀 本部 の改 定の 意思 は︑ こう した 動き が始 まる 以前
︑す なわ ち遅 くと も昭 和八 年十 一月 以前 には 固ま って いた も のと 考え られ る︒
三 改定 陸軍 演習 令の 特質 改定
され た陸 軍演 習令 の篇 別構 成︑ 章立 ては 以下 の通 りで ある
︒ 総則 第一 篇 演習 ノ種 類 通則 第一 章 連合 演習 第二 章 師団 演習 第三 章 特別 師団 演習 第四 章 特別 大演 習 第五 章 特別 各兵 演習 第六 章 司令 部演 習 第七 章 特種 演習 第二 篇 統監 部 第三 篇 演習 部隊 ノ行 動 第四 篇 禁制 及注 意
第五 篇 損害 賠償 第六 篇 衛生 第七 篇 憲兵 第八 篇 観兵 式 第九 篇 雑則 総則 は︑ 第一 から 第十 より なる
︒第 一に おい て演 習一 般の 目的 を﹁ 勉メ テ実 戦ニ 近キ 状態 ニ於 テ軍 隊ヲ 訓練 シ以 テ教 育ノ 完璧 ヲ期 スル ニ在 リ﹂ とす る︒ 第二 では
︑演 習実 施に あた って
︑各 級幹 部以 下の 演習 に関 する 諸規 定の 遵 守義 務を 明記 して いる
︒第 三は
︑演 習が 実戦 に及 ばな いと いう 限界 を指 摘し
︑実 戦を 意識 し︑ 実戦 に備 えた 行動 を とる よう 求め る︒ 第四 に︑ 演習 にお いて は各 級幹 部以 下は 自身 の判 断に よっ て︑ 状況 に応 じた 活動 を行 い︑ 指揮 官 はこ れを 拘束 しな いこ とが 緊要 であ ると する
︒以 下︑ 第五 で演 習の 効果 に関 し︑ 第六 で演 習に よっ て得 た教 訓活 用 の重 要性 につ いて
︑第 七で 機密 保持 につ いて
︑第 八で 本令 の適 用は 規定 され た教 練・ 演習 以外 にも 準用 され るこ と など とな って いる
︒ 第一 篇は 各種 演習 につ いて その 目的 や性 質に つい て規 定し てい る︒ 冒頭
︑通 則が 第十 一か ら第 二十 まで あり
︑最 初の 第十 一で 演習 を次 の七 つに 区分 して いる
︒す なわ ち︑ 連合 演習
︑師 団演 習︑ 特別 師団 演習
︑特 別大 演習
︑特 別 各兵 演習
︑司 令部 演習
︑特 種演 習で ある
︒各 演習 にお ける 師団 長︑ 軍司 令官
︑陸 軍大 臣︑ 参謀 総長
︑教 育総 監の 権 限や 役割 など につ いて 第十 二以 下数 項で 規定 し︑ 第十 九︑ 第二 十で は演 習参 加部 隊の 部隊 長の 任務 など につ いて も 言及 して いる
︒
以下 第一 章か ら第 七章 まで は︑ 章の 題目 から 分か るよ うに
︑各 演習 の種 別ご とに 目的 や師 団長 など の役 割に つい て規 定し てい る︒
﹁第 二篇
統監 部﹂ は︑ 第八 十一 から 第八 十七 より なり
︑統 監部 の構 成や 役割
︑審 判官 など につ いて 規定 して い る︒ 第八 十二 で︑ 統監 は演 習を 計画 し︑ 実施 を指 導監 督し
︑さ らに 成績 の講 評を おこ なう とし てい る︒
﹁第 三篇
演習 部隊 ノ行 動﹂ は︑ 第八 十八 から 第九 十九 より なる
︒演 習部 隊の 動き を審 判官 が把 握し 易く する た めの 規定 や︑ 戦闘 外の 部隊 の待 機方 法等 の規 定を 明示 して いる
︒
﹁第 四篇
禁制 及注 意﹂ は第 百か ら第 百十 九に 分か れる
︒﹁ 地方 吏民
﹂に まぎ れて の情 報収 集︑ 小銃
・擲 弾筒 の二
〇メ ート ル以 内か らの 空包 の発 火︑ 歩兵 の五 メー トル 以内 の接 近︑ 濃霧 内で の航 空機 の空 中戦
︑鉄 道の 踏み 切り 以 外を 横断 する こと 等々 の禁 止事 項を 規定 し︑ 規定 され た事 項以 外に も統 監が 禁止 事項 を設 ける こと がで きる とし て いる
︒
﹁第 五篇
損害 賠償
﹂は
︑演 習に よっ て生 じた 土地
︑耕 作物 など への 損害 賠償 に関 する 規定 であ る︒ 損害 を蒙 っ た者 との
﹁協 議﹂ を規 定す るが
︑﹁ 協議 調ハ サル トキ ハ徴 発令 ノ定 ムル トコ ロ拠 リナ ル﹂ とす る︒ 第百 十四 から 第 百十 九よ りな る︒
﹁第 六篇
衛生
﹂は 第百 二十 から 第百 二十 二の 三項
︑﹁ 患者 療養 班﹂
︑﹁ 病馬 収容 班﹂ の設 置な どに つい ての 規定 で ある
︒人 馬が 療養 を必 要と して 演習 部隊 に同 行で きな いと きは
︑中 立と みな して 療養
︑収 容す るこ とな ども 規定 さ れて いる
︒
﹁第 七篇
憲兵
﹂で は︑ 第百 二十 三か ら百 二十 六の 四項 で︑ 憲兵 の演 習参 加を 規定 して いる
︒た だし
︑﹁ 憲兵 ハ部
隊及 哨兵 ニ対 シテ ハ其 権能 ヲ行 フコ トヲ 得ス
﹂と する
︒
﹁第 八篇
観兵 式﹂ は第 百二 十七 と第 百二 十八 の二 項で ある
︒特 別大 演習 にお いて は天 皇に 対す る参 加部 隊の 観 兵式 を行 うこ とを 規定 して いる
︒ 第百 二十 九か ら第 百三 十二 は﹁ 第九 篇 雑則
﹂で ある
︒ 次に 改定 前の 陸軍 演習 令の 篇別 構成
︑章 立て を示 せば 左の 如く であ る︒ 第一 篇 総則 第二 篇 演習 ノ結 構 第一 章 演習 ノ種 類 第二 章 諸兵 連合 演習 第三 章 師団 秋季 演習 第四 章 師団 対抗 演習 第五 章 特別 大演 習 第六 章 各兵 特別 演習 第七 章 特種 演習 第三 篇 演習 ノ計 画及 実施 通則 第一 章 演習 ノ計 画
第二 章 演習 ノ指 導 第三 章 演習 ノ審 判 第四 章 講評 第五 章 行李 及輜 重 第六 章 宿営 及給 養 第七 章 通信 第八 章 演習 指導 上ノ 信号 第九 章 禁制 及注 意 第十 章 損害 賠償 第十 一章
人馬 ノ衛 生 第十 二章 憲兵 第十 三章
演習 後ノ 観兵 式 第十 四章 雑則 全体 の構 成は
︑ま ず演 習の 目的 など を定 める 総則
︑次 に演 習の 種類 別の 内容 規定
︑最 後に 演習 の計 画・ 実施 に関 係す る諸 規定 とい うか たち にな って おり
︑改 定後 もこ のよ うな 構成 は基 本的 に維 持さ れて いる
︒た だし
︑改 定前 に は︑ 演習 の計 画・ 実施 に関 係す る諸 規定 にお いて
︑﹁ 演習 ノ計 画﹂
︑﹁ 演習 ノ指 導﹂
︑﹁ 演習 ノ審 判﹂
︑﹁ 講評
﹂︑
﹁行 李 及輜 重﹂
︑﹁ 宿営 及給 養﹂
︑﹁ 通信
﹂︑
﹁演 習指 導上 ノ信 号﹂ の各 章が 存在 した が︑ 改定 後は これ らの 章が なく なっ てい
る︒ その 結果
︑全 体の 項目 数も
︑改 定前 が一 八七 項で あっ たに もか かわ らず 改定 後は 一三 二項 に減 少し てい る︒ つ まり 昭和 十年 十二 月十 四日 の改 定は
︑全 体の 構成 の上 で簡 略化 がな され てい るの であ る︒ では
︑上 掲の
︑改 定前 の 条文 に規 定さ れて いた 演習 の計 画や 指導 など に関 する 条項 は︑ 演習 令に 不要 なも のと して 切り 捨て られ たの であ ろ うか
︒そ こで 考慮 され なけ れば なら ない のが
︑﹁ 陸軍 演習 令附 録﹂ の存 在で ある
︒改 定前 の大 正十 三年 三月 に制 定 施行 され た演 習令 には
︑﹁ 陸軍 演習 令附 録﹂ 全二 八項 が付 され
︑﹁ 第一 章 戦闘 審判 要則
﹂で 火力
・士 気等 々の 優劣 の判 定法 が規 定さ れ︑
﹁第 二章
標識
﹂で 統監 部を はじ め観 戦者 や戦 闘外 部隊 の標 識な どが 定め られ てい た︒ とこ ろが 昭和 十年 十二 月十 四日 の改 定に おい ては
︑演 習令 本体 から 独立 した
﹁陸 達第 四十 一号
﹂と して 本体 の改 定か ら 三日 後の 十二 月十 七日 に﹁ 陸軍 演習 令附 録﹂ が布 達さ れた
︒そ して
︑改 定後 の演 習令 本体 から 外れ た演 習の 計画 や 指導 に関 する 規定 は︑ この 附録 にお いて 規定 され るこ とと なっ たの であ る︒ 附録 も含 めれ ば演 習令 に関 連す る規 定 は︑ 改定 前後 にお いて
︑内 容的 には ほと んど まっ たく 変更 なく 継続 され たの であ る︒ ただ し︑ それ は演 習令 その も のと は別 の﹁ 附録
﹂に おけ る規 定を 拡大 する 形で おこ なわ れた
︒そ の結 果︑ 演習 令本 体に つい てみ れば
︑改 定に よ って 内容 は精 選さ れる 結果 とな り︑ 個々 の規 定は 全体 の中 でそ の比 重を 増す こと とな った ので ある
︒ では
︑演 習令 本体 の規 定は
︑個 々に どの よう な内 容的 変更 が加 えら れ︑ また どの よう な内 容が 引き 続き 規定 され 続け たで あろ うか
︒総 則で 規定 され た演 習の 目的 に関 して は︑ 実戦 に近 い状 態で 訓練 を行 って 教育 の完 璧を 期す る こと にあ る︑ とい う点 で変 化な い︒ また
︑演 習の 方法 とし て絶 えず 実戦 の状 況を 考慮 して 行わ れな けれ ばな らな い とい う規 定も ほぼ 同様 であ る︒ とこ ろが
︑改 訂後 に出 現し たい くつ かの 規定
︑た とえ ば第 二に 明記 され た︑ 各級 幹 部以 下へ の諸 規定 の遵 守規 定︑ 第四 に規 定さ れた 指揮 官の 臨機 の対 応を 緊要 とす る条 項は
︑改 定前 には 見ら れな い
もの であ る︒ 一方
︑演 習目 的の ひと つと して の﹁ 持久 力﹂ への 言及
︵第 三︶ や上 級指 揮官 の命 令へ の服 従︑ 一身 を 犠牲 にし て全 軍の 利益 を図 ると いっ た気 概の 養成 を強 調す る︵ 第四
︶な どの こと は︑ 改定 後の 条文 には 規定 され て いな い︒ さら に改 定前 の演 習令 は︑ こと さら 項を 立て て︵ 第五
︶︑
﹁演 習特 ニ長 時日 ニ亙 ル大 部隊 ノ演 習ハ 軍隊 ヲシ テ艱 苦缺 乏ニ 耐ヘ 克ツ ノ精 神ヲ 増進 セシ メン カ為 最良 ノ機 会ヲ 与フ ルモ ノナ リ﹂ とし
︑こ うし た経 験を 一度 でも お こな えば
︑自 信を 持つ こと がで きる ので
︑﹁ 時ト シテ ハ非 常特 異ノ 情況 ヲ設 ケテ 演習
﹂す るこ とが 必要 だと して い る︒ 改定 前の 第九 章︑ 改定 後の 第四 篇﹁ 禁制 及注 意﹂ 部分 は︑ その 内容 が極 めて 具体 的に 変動 して いる
︒改 定前
︑空 包の 発火 は小 銃に おい ては 五〇 メー トル
︑機 関銃 にお いて は一
〇〇 メー トル
︑歩 兵砲 を含 む火 砲で は二
〇〇 メー ト ル以 内で のそ れを 禁じ てい た︵ 第百 四十 三︶ が︑ 改定 後は
︑そ れぞ れそ の数 値が 小銃 二〇 メー トル
︑機 関銃 五〇 メ ート ル︑ 火砲 一〇
〇メ ート ルに なっ てい る︵ 第百 一︶
︒つ まり
︑よ り近 接し た状 況で の戦 闘を 想定 して いる ので あ って
︑こ うし た内 容の 改定 は︑ 大正 十三 年か ら昭 和十 年に かけ ての 火力 の増 大や 軍事 技術 の精 緻化 を考 慮す れば
︑ 演習 にお いて もよ り実 戦に 近い 活動
︑そ れも 白兵 戦に 類似 した 戦闘 行動 への 習熟 が求 めら れる よう にな った もの と 理解 でき よう
︒改 定前 には
︑﹁ 突撃 又ハ 襲撃 ニ方 リテ ハ両 軍二 十米 以内 ニ接 近ス ル﹂ こと は禁 じら れて いた
︵第 百 四十 四︶ が︑ 改定 後の
﹁徒 歩兵 間﹂ の距 離は 五メ ート ルま で接 近で きる こと とな った
︒ 改定 前に は第 十章
︑改 定後 第六 篇と なっ た﹁ 損害 賠償
﹂は
︑演 習に よっ て生 じる 土地 や農 産品 など の損 害を 賠償 する 規定 であ る︒ 改定 前後 で大 きく 相違 する のは
︑改 定前 にお いて は損 害の 認定 や補 償・ 賠償 の内 容を 決定 する に あた って
︑﹁ 評価 委員
﹂︑
﹁損 害賠 償委 員﹂ が規 定さ れて いる こと であ る︒ 第百 五十 九に おい て︑ 軍と 損害 を受 けた
主と して 民間 や市 町村 との 協議 が不 調の 場合
︑﹁ 徴発 令﹂ など に基 づき
﹁評 価委 員﹂ を設 置し て評 定す るこ とが 定 めら れて いる
︒﹁ 損害 賠償 委員
﹂は
︑損 害賠 償を 公正 なも のに する こと を目 的に
︑統 監な どが 設置 する もの で︑ 将 校お よび 経理 官︑ 必要 に応 じて 憲兵 およ び属 員︑ さら にこ れら に地 方官 吏を 補助 とし て加 えて 構成 され た︵ 第百 六 十三
︶︒ 演習 中︑ 損害 を与 えた 部隊 が直 接損 害を 受け たも のに 賠償 を行 わな い場 合は
︑損 害の 場所 や程 度︑ 損害 が 生じ た理 由︑ 損害 が生 じた 日時 など に関 して
︑統 監ま たは 上述
﹁損 害賠 償委 員﹂ に報 告す るこ とに なっ てお り︵ 第 百六 十二
︶︑ 通報 を受 けた
﹁損 害賠 償委 員﹂ が地 方官 吏と とも に実 際の 賠償 の評 価や その 後の 手続 きを 執る こと が 規定 され てい た︵ 第百 六十 三︶
︒し かし 改定 後の
﹁損 害賠 償﹂ では
︑﹁ 評価 委員
﹂が 規定 され てい ない
︒さ らに
﹁損 害賠 償委 員﹂ につ いて も︑ その 目的 や役 割に 関す る規 定が 存在 しな い︒ 単に
︑損 害賠 償を 行う ため に統 監が
﹁損 害 賠償 委員
﹂を 設け る︑ とな って いる だけ であ る︵ 第百 十七
︶︒ 演習 中︑ 損害 を与 えた 部隊 が損 害を 受け たも のに 直 接賠 償を 行わ ない 場合 に︑ 損害 の場 所や 程度 など に関 して 報告 する 対象 とし て︑ 統監 とと もに
﹁損 害賠 償委 員﹂ を 規定 する 項は
︑継 続さ れて いる
︵第 百十 八︶
︒総 体と して
︑﹁ 損害 賠償 委員
﹂に 関す る規 定に 表れ てい るよ うに
︑改 定に よる 規定 の簡 略化 がは から れて いる よう に評 価で きる が︑ 一方 では
︑細 目に 亘る 規定 がな され た部 分も ない で はな い︒ それ は﹁ 損害 賠償 委員
﹂の 構成 であ る︒ 改定 前の 規定 では
︑将 校お よび 経理 官︑ 必要 に応 じて 憲兵 およ び 属員
︑補 助と して の地 方官 吏が 規定 され てい たが
︑改 定後 は︑ 必要 に応 じて 加え られ るも のと して
︑憲 兵の ほか に
﹁軍
︵獣
︶医
﹂が 規定 され た︵ 第百 十七
︶︒ この こと は︑ 演習 中に 生ず る損 害賠 償を 要す る事 案が
︑単 に土 地や 耕 作物 だけ でな く︑ 人や 家畜 への 補償 を伴 うも のと なっ た︑ ある いは そう した 事案 が増 加し たこ とを 示唆 して いる も のと 推察 され る︒
改定 前の
﹁第 十一 章 人馬 ノ衛 生﹂ で第 百六 十六 から 第百 七十 の五 項に 規定 して いた
﹁衛 生﹂ に関 係す る規 定は
︑ 改定 後は
︑﹁ 第六 篇 衛生
﹂で 第百 二十 から 第百 二十 二ま で三 項で 定め られ てい る︒ 患者 療養 班︑ 病馬 収容 班の 設 置な どを 規定 して おり
︑改 定前 と後 で︑ 全体 とし て大 きな 差異 は見 られ ない
︒た だし 改定 後の 条文 には
︑患 者療 養 班と 病馬 収容 班が 直接 患者 や病 馬を 収容 した とき の行 動と して
︑そ れぞ れの 所属 部隊 に速 やか に通 報す るこ とを 規 定し てい る点 は︑ 改定 前の 条文 に見 られ ない もの であ る︒ 患者 など の収 容に よっ て速 やか に治 療を 施す 体制 を整 え ただ けで なく
︑仮 に演 習中 患者 や病 馬が 出る よう な混 乱し た事 態が 生じ たと きに
︑迅 速な 情報 の共 有︑ 状況 把握 に よっ て︑ 部隊 が混 乱す るこ とを 防止 しよ うと する もの であ ろう
︒さ らに
︑改 定前 にお いて は軍 医以 外の
﹁地 方医
﹂ への 患者 の﹁ 依託
﹂は
﹁情 況已 ムヲ 得サ ルト キニ 限ル モノ トス
﹂︵ 第百 六十 六︶ とさ れた が︑ 改定 後に はそ うし た 規定 は存 在し ない
︒﹁ 地方 医﹂ への 依託 は既 定の こと とさ れ︑ その 場合 の速 やか な患 者療 養班 への 通報 を規 定す る
︵第 百二 十一
︶に すぎ ない
︒ どの よう な具 体的 な症 例が 収容 の対 象と なっ たか につ いて は︑
﹁附 表第 二 演習 患者 表﹂ が明 らか にし てい る︒ 表中 の﹁ 病症 別﹂ の欄 が﹁ 外傷 及不 慮﹂ と﹁ 其ノ 他﹂ に分 かれ てお り︑ 改定 以前 の﹁ 外傷 及不 慮﹂ 欄に は︑ 以下 の
﹁病 症﹂ が挙 がっ てい る︒ 靴傷 鞍傷 馬蹄 傷 挫創 挫傷
捻挫 過労 性筋
︑骨 膜炎 足腫 凍傷 其ノ 他 さら に﹁ 其ノ 他﹂ の欄 には 左の 如く ある
︒ 伝染 病 伝染 病擬 似 麻刺 利亜 暍病 急性 咽喉 及気 管支 炎 急性 胃腸 病 其ノ 他 表は
︑こ れら につ いて 総計 のほ か治 療日 数︑ 演習 日数
︑兵 員一
〇〇
〇人 ごと の一 日あ たり の患 者数 など を記 録す るも ので ある が︑ 改定 後も 引き 続き 使用 され た︒ 改定 前後 で異 なる 点は
︑改 定後 の﹁ 外傷 及不 慮﹂ 欄に
﹁﹃ アヒ レ ス﹄ 腱鞘 炎﹂ が加 わっ たの みで
( )
ある
︒改 定ま での およ そ一
〇年 の間
︑演 習中 にも かか わら ず演 習か ら離 脱さ せ︑ 収
14
容し て加 療が 必要 と認 めら れる 病態 はほ とん ど変 化し てい ない わけ であ る︒
四 法令 の実 態的 背景
││ 平時 の患 者 演習
令の 内容
︑た とえ ば﹁ 衛生
﹂の 規定 は︑ 当時 の陸 軍の 平時 にお ける 傷病 者︵ 患者
︶の 実態 を反 映し たも のと 考え られ る︒ 演習 令改 定当 時の 傷病 者の 存在 はい かな る状 況の 下に おか れて いた であ ろう か︒ 当時 の陸 軍に おけ る平 時の 患者 数は
︑一 日当 たり 兵員 千人 に対 し︑ 二八
・五 であ った
︒そ のう ち兵 営で 治療 され てい たも のが 一二
・〇
︑病 院に 収容 され てい たも のが 一六
・四 だっ た︒ これ を軍 隊の 所在 地別 にみ ると
︑内 地部 隊 一二
・一
︑朝 鮮軍 一一
・一
︑台 湾軍 九・ 六︑ 関東 軍一 二・ 九︑
﹁支 那駐 屯軍
﹂一 七・ 六の 比率 であ った
︒患 者一 人 の治 療日 数は
︑兵 営に おい て治 療し たも の五
・二
︑病 院に 収容 され 治療 を受 けた もの 三三
・四 とな って いる
︒ま た︑ 部隊 の所 在地 別に 見る と︑ 内地 部隊 五・ 三︑ 朝鮮 部隊 五・ 二︑ 台湾 部隊 四・ 四︑ 関東 軍五
・一
︑﹁ 支那 駐屯 軍﹂ 五・
〇と なる
︒兵 営お よび 病院 での 治療 日数 を合 算す ると
︑患 者一 人当 たり 内地 部隊 で一 一・ 一で あっ た︒ 各師 団 の一 日千 人に 対す る患 者数 をみ ると
︑近 衛師 団二 一・ 八二
︑第 一師 団一 七・ 四〇
︑第 二師 団一 五・ 七八 など とな っ てお り︑ 最も 多数 なの は北 海道 の第 七師 団で 三五
・五 九で あっ た︒ 兵営 にし ろ病 院に しろ
︑収 容さ れ治 療を 受け る にい たっ た原 因は
︑お そら く消 化器 系の 病気 であ る﹁ 栄養 器病
﹂に よる もの で︑ 平均 一日 人員 千に 対し て三 七五
・ 一八
︑次 いで
﹁外 傷及 不慮
﹂一 四六
・四 四︑
﹁外 被病
﹂九 七・ 四八 など とな って いる
︒大 正三 年か ら昭 和三 年ま で の病 死︵ 自殺
︑他 殺︑ 不慮 死を 含む
︶者 数は
︑大 正三 年か ら六 年ま でが 平均 三五 九人
︒大 正七 年は スペ イン 風邪 の 流行 によ って 六一 九人 に増 加︒ 同八 年は さら に増 えて 一〇 一四 人︒ 同九 年が 最も 多く 一七 二四 人︒ 翌十 年か ら十 二
年ま では 平均 三九 七人 に減 少︒ 以降 は二
〇〇 人台 を続 けて
( )
いる
︒
15
おわ りに
││ 陸軍 演習 令改 定の 構造 的特 質 昭和
十年 十二 月の 陸軍 演習 令の 改定 は︑ 次の よう な構 造的 特質 を持 って いた
︒ まず
︑改 定前
︑演 習の 目的 など を定 める 総則
︑次 に演 習の 種類 別の 内容 規定
︑最 後に 演習 の計 画・ 実施 に関 係す る諸 規定 とい う構 成に なっ てお り︑ 改定 後も これ は基 本的 に維 持さ れて いる
︒た だし
︑改 定前 には
︑演 習の 計画
・ 実施 に関 係す る諸 規定 にお いて
︑﹁ 演習 ノ計 画﹂
︑﹁ 演習 ノ指 導﹂
︑﹁ 演習 ノ審 判﹂
︑﹁ 講評
﹂︑
﹁行 李及 輜重
﹂︑
﹁宿 営及 給養
﹂︑
﹁通 信﹂
︑﹁ 演習 指導 上ノ 信号
﹂の 各章 が存 在し たが
︑改 定後 はこ れら の章 は﹁ 陸軍 演習 令附 録﹂ にく りこ ま れ︑ 項の 数は およ そ五
〇項 減ら され
︑全 体と して 簡略 化し
︑個 々の 規定 の全 体に 占め る比 重を 高め よう とい う意 図 がう かが われ るも のと なっ た︒ また
︑個 別に 規定 内容 の変 化を 見る と︑ 総則 にあ る演 習の 目的 に関 して
︑実 戦に 近い 状態 で訓 練を 行っ て教 育の 完璧 を期 する こと にあ る︑ とい う点 で変 化な い︒ また
︑演 習の 方法 とし て絶 えず 実戦 の状 況を 考慮 して 行わ れな け れば なら ない とい う規 定も ほぼ 同様 であ る︒ しか し︑ 改定 後の 項の 第二 の規 定︑ すな わち 各級 幹部 以下 への 諸規 定 の遵 守規 定︑ 第四 の︑ 指揮 官の 臨機 の対 応を 緊要 とす る条 項は
︑改 定前 には 見ら れな い︒ 一方
︑演 習目 的の ひと つ とし ての
﹁持 久力
﹂へ の言 及や 上級 指揮 官の 命令 への 服従
︑一 身を 犠牲 にし て全 軍の 利益 を図 ると いっ た気 概の 養 成を 強調 する など のこ とは
︑改 定後 の条 文に は規 定さ れて いな いの であ る︒ さら に改 定前 の演 習令 は︑ 第五 で︑
﹁演 習特 ニ長 時日 ニ亙 ル大 部隊 ノ演 習ハ 軍隊 ヲシ テ艱 苦缺 乏ニ 耐ヘ 克ツ ノ精 神ヲ 増進 セシ メン カ為 最良 ノ機 会ヲ 与 フル モノ ナリ
﹂と し︑ こう した 経験 を一 度で も持 てば 自信 を得 るの で︑
﹁時 トシ テハ 非常 特異 ノ情 況ヲ 設ケ テ演 習﹂ する こと が必 要だ とし てい る︒ 改定 前の 第九 章︑ 改定 後の 第四 篇﹁ 禁制 及注 意﹂ 部分 は︑ たと えば
︑改 定前
︑空 包の 発火 は小 銃に おい ては 五〇 メー トル
︑機 関銃 にお いて は一
〇〇 メー トル
︑歩 兵砲 を含 む火 砲で は二
〇〇 メー トル 以内 での それ を禁 じて いた が︑ 改定 後は
︑禁 じる 距離 が小 銃二
〇メ ート ル︑ 機関 銃五
〇メ ート ル︑ 火砲 一〇
〇メ ート ルに なっ てい る︒ より 近接 し た状 況で の戦 闘を 想定 して いる ので あっ て︑ こう した 内容 の改 定は
︑大 正十 三年 から 昭和 十年 にか けて の火 力の 増 大や 軍事 技術 の精 緻化 を考 慮す れば
︑白 兵戦 に類 似し た戦 闘行 動へ の習 熟が 求め られ るよ うに なっ たも のと する こ とが でき よう
︒そ のこ とは
︑改 定前 には
︑﹁ 突撃 又ハ 襲撃 ニ方 リテ ハ両 軍二 十米 以内 ニ接 近ス ル﹂ こと は禁 じら れ てい たが
︑改 定後 の﹁ 徒歩 兵間
﹂の 距離 は五 メー トル まで 接近 でき るこ とと なっ た点 にも あら われ てい ると 言え よ う︒ 改定 前に は第 十章
︑改 定後 第六 篇と なっ た﹁ 損害 賠償
﹂に 関し ては
︑改 定後 の﹁ 損害 賠償
﹂で は︑ 損害 に対 する
﹁評 価委 員﹂ が規 定さ れて いな い︒ さら に﹁ 損害 賠償 委員
﹂に つい ても
︑そ の目 的や 役割 に関 する 規定 が存 在し な い︒ 単に
︑損 害賠 償を 行う ため に統 監が
﹁損 害賠 償委 員﹂ を設 ける
︑と なっ てい るだ けで ある
︒総 体と して
︑﹁ 損 害賠 償委 員﹂ に関 する 規定 に表 れて いる よう に︑ 改定 によ る規 定の 簡略 化が はか られ てい るよ うに 評価 でき るが
︑ 一方 では
︑細 目に 亘る 規定 がな され た部 分も ある
︒そ れは
﹁損 害賠 償委 員﹂ の構 成で ある
︒改 定前 の規 定で は︑ 将 校お よび 経理 官︑ 必要 に応 じて 憲兵 およ び属 員︑ 補助 とし ての 地方 官吏 が規 定さ れて いた が︑ 改定 後は
︑必 要に 応
じて 加え られ るも のと して
︑憲 兵の ほか に﹁ 軍︵ 獣︶ 医﹂ が規 定さ れた
︒演 習中 に生 ずる 損害 賠償 を要 する 事案 が 単に 土地 や耕 作物 だけ でな く︑ 人や 家畜 への 補償 を伴 うも のと なっ た︑ ある いは そう した 事案 が増 加し たこ とを 示 唆し てい るの では ない だろ うか
︒
﹁衛 生﹂ に関 係す る規 定は
︑改 定前 と後 で︑ 全体 とし て大 きな 差異 は見 られ ない が︑ 改定 後に は︑ 患者 療養 班と 病馬 収容 班が 直接 患者 や病 馬を 収容 した とき の行 動と して
︑そ れぞ れの 所属 部隊 に速 やか に通 報す るこ とを 規定 し てい る︒ 患者 など の収 容に よっ て速 やか に治 療を 施す 体制 を整 えた だけ でな く︑ 仮に 演習 中患 者や 病馬 が出 るよ う な混 乱し た事 態が 生じ たと きに
︑そ の混 乱が 部隊 全体 に波 及す るこ との 無い よう
︑そ の防 止策 を企 図し たも ので あ ろう
︒さ らに
︑改 定前 にお いて は軍 医以 外の
﹁地 方医
﹂へ の患 者の
﹁依 託﹂ は﹁ 情況 已ム ヲ得 サル トキ ニ限 ルモ ノ トス
﹂と され たが
︑改 定後 には そう した 規定 は存 在し ない
︒﹁ 地方 医﹂ への 依託 は既 定の こと とさ れ︑ その 場合 の 速や かな 患者 療養 班へ の通 報を 規定 する にす ぎな い︒ 演習 への 民間 人の 介入 につ いて
︑﹁ 衛生
﹂問 題に おい ては こ れを 許容 しよ うと いう 意図 とも 理解 しう るの であ る︒
︵ 注 ︶
太田 公秀
﹃陸 軍法 規︵ 軍事 科学 講座 第七 篇︶
﹄文 芸春 秋社
︑七 一頁
︒
︵
︶ 桜井 忠温 編﹃ 国防 大事 典﹄ 一九 三二 年︑
︵国 書刊 行会
︑一 九七 八年 再版
︶五 六六 頁︒
︵
︶﹃ 陸軍 演習 令﹄ 大正 一三 年三 月二 九日
︑第 一︒
︵
︶ 同上
︑第 三︒
︵
︶ 池田 純久
﹃軍 事行 政﹄ 常盤 書房
︑一 九三 四年
︑二 二頁
︒
︵
︶ 昭和 十年 十二 月十 四日 付け で改 定施 行が 命ぜ られ
︑﹁ 軍令 陸第 十七 号﹂ とし て公 布さ れた
︒陸 軍大 臣は 川島 義之 であ った
︒
︵
︶ 山崎 正男
﹁陸 軍軍 制史 梗概
︵昭 和二 二年 五月
︶﹂ 第一 類軍 令︵ 森松 俊夫 監︑ 松木 一郎 編﹃
﹁陸 軍成 規類 聚﹂ 研究 資料
﹄︹
﹁陸 軍成 規類 聚﹂ 資料 集成 ︺ 緑陰 書房
︑二
〇〇 九年
︑所 収︶ 参照
︒
︵
︶ 池田
︑前 掲書
︑二 二~ 二三 頁︒
︵
︶ 同上
︑二 三~ 二四 頁︒
︵
︶ 同上
︑二 四頁
︒
︵ 10
︶ 同上
︑二 四~ 二五 頁︒
︵ 11
︶ 同上
︑二 四頁
︒
︵ 12
︶ 昭和 八年 十一 月二 十一 日付 け参 謀本 部総 務部 長か ら陸 軍省 副官 あて
﹁陸 軍演 習令 改正 意見 の件
﹂﹃ 大日 記 甲輯
﹄昭 和九 年第 13 四類 第一 冊︒
︵
︶ 厳密 には
︑改 定前 の﹁ 其ノ 他﹂ 欄の
﹁急 性咽 喉及 気管 支炎
﹂が
︑改 定後
﹁急 性咽 頭炎 及気 管支 炎﹂ とな って いる
︒
︵ 14
︶ 以上 の平 時患 者数 およ び死 者数 など に関 する 記述 は︑ 桜井 編︑ 前掲 書︑ 五四 四頁 によ る︒ 15