弘 前 医 学
35:421‑440,1983津軽地方における 「カ ミサマ」 と精神医療
一事例分析 を中心 として‑
熊
谷輝 *
抄録
1981年
4月か ら
1982年
10月の間に著者が関わ った症例 ( 一部例外 を含む)か ら, カ ミサマ ( 津軽地方 の民 間治療者) と関わ りの あ った
8症例 を抽出 し, シャーマニズ ム的民 間治療体 系 と精神医療 の関係性につ いて, 「治療導入」 と 「治療の展開」に的 を絞 って事例分析 を行 った. その結果, シャーマニズ ム的社会 ・ 文化状況の中で病者 に対す る精神科治療 を よ り効果的 な もの とす るには, 精神衛生思想の普及 とともに, 医 療 とカ ミサマ との間での役割分化 ( 病気の治療 は医療へ, 病気 の意味づけは カ ミサマヘ) を考慮す る必要 の
ある ことが示唆 された.
弘前医学
35:421‑440,1983 EEY W ORDS :Kamisama (afolk healer)mentalcaresystem
folk healing system socio‑culturalpsychiatry
HKAMISAMAHAND MENTALCARESYSTEM IN TSUGARU DISTRICT
‑‑
BasedonCaseAnalysis‑AKIRA KUMAGAI
Abstract From casestreatedfrom April1981toOctober1982,the authorselected 8 casesap・
pealingforhelpto"Kamisamas" (folkhealersinTsugarudistrict)and analysed them to reveal therelationshipbetween theshamanisticfolkhealingsystem andthementalcaresystem in Tsu‑
garudistric
t .
In thispaper,theauthordiscussedthisrelationshipfrom two points ofview of therapeutics:"
an introductionintothetherapy (the choice between the2therapeutic meansby clients)Hand"therapeuticprocessinreturning tosociety". Theauthorarguesthatthe role of psychiatristsinTsugarudistrict,where coexits the animistic shamanisticbe】iefcompatiblewith themodern medicalthinking,istobeawareofthe importance ofpatients'folk healing beliefs inordertohelpthem moreeffectively.HirosakiMed.J.35:421‑440,1983
弘前大学医学部神経精神科教室 ( 主任 佐藤時治 郎教授)
*現所属 西北 中央病院精神科 ( 院長 福 田幸雄) 昭和
58年
5月
6日受付
Dept.of Neuropsychiatry
,
Hirosaki Univ.Sch
l
.of Med.(Director:Prof. T. SATO),
Hirosaki,Japan*
Present address:Seihoku CentralHospital (Director:Y.FUKUDA),Goshogawara,Japan Receivedforpublication,
May6, 1983422
熊 谷
〔は じ め に:
か って,著者達 の臨床 的立場 を 「 私 たちの 作業 とは,病者 との 『出合 い』 の状況 におい て表 出 され る事象 を受け とめ,病者 と治療者 ( 私) との 『共感』 の世 界 とい う治療 の舞台 で彼 の 『生活史』 と 『 共時的 な関係性』 を眺 め合 うことに よって現在 の彼 を確認 してい く
1 \
ことで ある」 と述べ た ことが あ り,著者 は現 在 で も基本 的には同様 の考 え方 を してい る.
基本的 に と言 ったのは, 「出合 いの状況」 に して も, 「 共感 の世界」 に して も,治療者 の 側 に豊富化 してい く努力が なけれ は単 なる定 式化 に終わ って しまい,決 して 言 う よ うな
「 立場」 には結実 していか ない と思 うか らで ある.今 回,五所 川原市 での約 1年半 にわた る臨床 活動 を 「 津軽地方 に お け る Fカ ミサ マ』 と精神 医療」 としてま とめ るの も, この よ うな流れ に沿 ってで あ るが ,更 に,次 の よ うな問題意識 を も含 んでの ことで ある.
WHO
の第
16回精神衛生専 門委員会
(1975年) にお いて, 「発達途上 国におけ る精神衛 生 サ ー ビスの組織化」が取 り上 げ られ,その 報 告 書の 中で 「 専 門委員会 は伝承的治療者 の 行為 に対 して何 らか の制約方法 を加 える とと もに衛生領域 におけ る彼 らの教育可能性 を開
2 )
発すべ きだ と思考す る」 と ま とめ られ て い る. この提 言は,決 して発達途上 国に限 られ る ものではな く,非常 に身近 な課題 を含 んで い るよ うに思 える. とい うの も,地域的 な精 神衛生活動 を展開 してい く上 で,保健所 ・福 祉事務所 ・役場 の人達 や民生 委員 の人達 の協 力 を得 る ことは もちろん重要 であ るが,それ に加 えて当地方 では伝承的 治 療 者 に 類 す る
「カ ミサ マ」 の存在 を無視 で きないか らで あ る.
一方 , これ と関連 した内容 を荻野 は 「前精 神 医学 的治療技術 の価値 を正 し く評価 し, あ るいは これ を現代精神 医学体 系に正 当に組み 入 れ る作業 は,重要 である と同時 に著 し く困
3 )
難 であろ う」 と述べ てい る.確か に先 の提言
Scptember,1983 HirosakiMed.∫.35 (3)
と荻野 の指摘 は多少 レベルの違 う問題意識 を 含 んではい るが,臨床 家 としては,む しろ こ の 中に相補 的内容 を見 る の で あ る. 何 故 な ら,伝承 的治療者 の教化 とい う作業 と前精神 医学 的治療技術 の再評価 とい う作業 は,各 々 が別 々に行 われ るべ き質 の ものではな く,一 つ の臨床 的実践 の 中で有機 的連 関の もとに進 め られ るべ きもので あろ う.つ ま り,病者 に 対す る援助 を産点 に, カ ミサ マ‑ の問いかけ と働 きかけが生 まれ, カ ミサ マ との交渉 の 中 か らその経験 が一つ の形 を成 した もの として 浮かび上が って くるのではないだろ うか.更 に
W HOの提言 や荻野 の指摘 は, ともに前 精神 医学 的医療 と 日常的に産 してい る者 に よ って初 めて担われ,応 え られ る もので あ り, 逆 に,その よ うな場 にある者 に とっては, こ れ らの作業 を進 め る ことが一つ の責務 の よ う に も思 うので ある.
以下 では,地域精神 医療 の展 開を射程 に置 いた上 で, 自鹸例 を中心 に津軽地方 におけ る
「カ ミサ マ」 と精神 医療 との関わ りについて 検討 す る ことにす る. その際, 「出合 いの状 況」 ・ 「 共感 の世界」 を豊富化 し,その外延 を広 げ る意味 で,各 々 「治 療 導 入 を め ぐ っ て
」「 治療 の展開 をめ ぐって」の諸相 に的 を 絞 り事例分析 を進 め る ことにす る.
〔五所 川原市 周辺 の地誌〕
ここでは,病者 の背 景的 事 情 を 知 る意 味 で,地誌 について簡単 な紹 介を行 う( 図 1).
五所 川原 市の 位置す る岩木 川下流地域 は, 後背湿地が断続 的に十三湖 まで達 し,津軽平 野 の 中で も最 も開発 の困粟巨な地域 で あ った.
そのため,農村特 に新 田開発地
(16世紀後半
に現在 の五所 川原 市 ・木造町 ・金木町 の地域
が開発 され てい る) の窮乏 と生活不安 にはは
なはだ しい ものが あ った. この よ うな状 況は
間引 きに よる人 口抑制 と容易 に結 びつ き,特
別 の対策 を要す るほ どであ った ( 間引 き禁止
令 ・市子 に よる間引 き した子供 の 口寄せ,僧
侶に よる賓 の河原 の説教 な ど). しか し, こ
昭和 58年
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3号
図 1 西 北 五 地 方 .
れ らの教化策 はか え って罪悪感 を深 め,賓 の 河原 の地蔵信仰 を深 くさせ , これが現在 に も 生 き続 けてい る. また この他 に も,山岳信仰
( 岩木 山信仰)・竜神信 仰 ( 十和 田湖信仰) な ど,地域特殊性 を有 した民間信仰が現在 もさ
4 ) して衰 える ことな く信 じられ てい る.
この地域 の産業 は,海岸地帯 は半漁半農 , 津軽平野 にかか る地帯 は米作及び リンゴ栽培 を*J Lとした農業が 中心 で,第二次産業 には 見 るべ き ものが ない. また,漁業は全般 に零 細 ( 県 の全漁獲高の約
1.5%) で,農業 につ い て も専業可能 な農家は非常 に少ない ( 経営 規模別耕地面積 で
2ha未満が
72.1%).一 方 , 県 の月平 均生活 保護率
(20.64)は全 国 第
11 位 ( 指定都市 も含 め) であ り,中で もこ の地域は県内で
1‑′2位 を争 ってい る. した が って,農作業が一段落す る と人 々は県外へ 出稼 ぎに出 る ことが多い. この ことは,現 在 様 々な形 で社会 問題化 してい る. た とえは, 県 の出稼 ぎ先 の人身事 故は死亡者
53人 を含め 合計
456人 を数 える し,離婚率 (
1.52)の全 国第
4位 とも無 関係 ではない と思われ る. ま た,教育 の普及度 も低 く,県 の中卒後進学率
(91.8%, この地域 の
1市
7町
7村 中
4町
2津 軽地方 の 「カ ミサマ」 と精神医療 423 村 では県平均以下) は全国第
45位 である.以 上 の数値 はいずれ も昭和
55年 の もの で あ る が, この地域 の民度 の低 さ と生活 の不安定 さ 5 , 6 ) を示す もので あろ う.
この地域の人 口は約
25万人 で,精神科は著 者 の勤務 していた
F病院 ( 昭和
41年 開設) と 市立病 院の精神 科 ( 昭和
36年 開設)の
2カ所あるが,病床数 は人 口万対約
16床 で,全 国平 均
25.6床か らみ る とかな り不足 してい る. そ の こともあ って,地域 の 同意入 院 ・措 置入院 患者 の
80%が この両院へ 入院 してお り,一方 この両院の入院患者 の96%近 くが この地域 の 出身者 で 占め られ てい る. この地域 で精神 斗 医療が展 開 されて約
20年 にな るが,人 々の精 神衛生 に関す る理解は まだ まだ低い よ うで あ る.
〔 津軽 シャーマニズムとカ ミサマ〕
ここでは 「カ ミサ マ」 の諸相 を概観す るこ とにす る.
「シ ャーマニ ズムとは,通常 トランスの よ うな異常心理状態 におい て, 超 自 然 的 存 在 ( 神 ・精霊 ・死霊 な ど) と直 接 接 触 ・交 流 し, この過程で 予言 ・託宣 ・ 卜占 ・治療行為 な どの役割 をはたす人物 (シ ャーマ ン) を中 心 とす る呪術 一宗教的形態 である」 と定義す る ことがで き, シ ャーマ ンにつ いては地域 に よ りか な りの バ リエ ーシ ョンが認 め られ てト
7 ) る.
津軽地方の代表 的 シャーマ ンは ゴ ミソとイ タ コであるが,他 に もオ ガ ミヤ ・ギ ョウジャ
・七 ンセイ ・祈膏師 な どと呼 ばれてい る者 も お り, これ らをひ とま とめに して 「カ ミサ マ ( 民 間信仰 ・治療 の中心的担い手)ー と総称す 4 、 t ) ) ることが多 い よ うで ある. これ らの人達 の分
9 )
布 ・実数につ いては中村 の調査が あ るが ( 昭 和
35年 で, 西北五地方 には イタ コ 1 0 , l l )
15人 ,類似 者
27人 ), 西村 の報告 に もあるよ うにその実 態 を把握す る ことは非常 に難 しい。 I . : L
ここで, ゴ ミソとイタ コの定義について楠
の もの を引用す る と, 「ゴ ミソとは,一種 の
424
熊 谷
祈祷師の ことで,依頗者 の依頼 を うけて,瞬 間的に凝心 して,神仏の心意 を聞いた り判断 して, これ を依頼者 に伝 える者 と認 め られて い る老」で, 「イタ コとは,全盲 または半盲 の女性 で,客 の依頼 に応 じて死者や 自分 の体 を借す ( 依潰)状態 にお ちい る霊媒」 とい う ことにな る. しか し,生 活の改善 とそれ に伴 う盲人 の減 少,職業教育 を含 めた教育 の普及 な どの理 由に よ り, イタ コは段 々 と老 齢化 ・ 減 少化 して きてお り,それ に伴 い近年 「口寄 せ ( 悠依作用 に よ り死者 の言葉 を 語 る)」 を
8 ) 行 うゴ ミソも出て来 てい る とい う.
シ ャーマ ンにな る経緯 には,大 き く分 けて 修業 に よ り意 図的に シ ャーマ ンにな る 「修業 型」 と,神 ・精霊 の呼びか けや影響 を受けて シ ャーマ ンにな る 「召命塑」 を区別す るこ と
7)がで きる.前者 には イタ コを,後者 には沖縄 のユタをあて るこ とがで き よ う. ゴ ミソの場 合 は両者 にわた るが,後者 の場合 で も, 「召 命→ 修行‑ シ ャーマ ン化」 とい う例が ほ とん どで,岩木 山赤倉沢が行場 の中心地 とな って い る.
カ ミサマヘ寄せ られ る問題 は,結婚 ( 相性
・方 角な ど),病気,失せ物 , 農作 や漁, 運 勢, 出稼 ぎ,商売 に関す る問題,家庭 内の問 8 ) 題 な ど,生活 に密着 した ものが多い.
これ らの問題 の中で 「病気」 に関 しては, カ ミサマは 卜占し,
「悠 き もの」 と判断 した 場合 には加持 祈祷 ・お被 い ・霊 の供養 な どを 行 い,行 を勧 めた りす る. また, もみ治療 ・ 灸 ・ふ くべ を使 っての潟血 ・薬草 な どに よ り 8 ) 直接病気 の治療 にあた る者 もい る. そ して,
これ らが民間治療 の具体的 内 容 と な っ て い
る .
〔 事 例 分 析〕
以下 では,事例 を呈示 し な が ら 「は じめ に」 で述べ た論 点の展開 を試 み る.
事 例は,いずれ も西北五地方 に生 まれ育 っ た人達 で,一部 の例外 を除 き,
'81年
4月 か ら
'82年
10月 までの間に
F病院 「入 院治療」
September,1983 HirosakiMed.∫.35(3)
を受け ( 症例
5のみは
'80年 に弘前 市 内 の
H病 院で治療),その際著者が主治 医 とな り( 症 例
8は観察 のみ), なん らか の形 で カ ミサ マ
との関わ りを もった ところの症例 である, なお,病者 とカ ミサマ との連が りの概略 を 知 る 目的で,
'81年
4月か ら
'82年
10月までの 間に
F病 院を初診 し,その後 入院 とな った例 ( い ろいろな意味 で危機 的状 況 にあ った と思 われ る もの) につ いて調査 した ところ, カ ミ サ マの関与 の有無 を確認 で きた症例
は 101例 中37 例 で,その うち確実 な関与 を認 めた もの は30 例
(81%) で あ った. 内訳 は,受診前 の みの関与 の もの
18例
(60%),受診 後 の もの
4例
(13%),受診前後 にわた る もの
8例
(27%) で あ った.確認例数 は少ないが,西村 の l l )
報告 ( 関与例
75.9%)と比較 してみて も,柄 者 の精神的危機へ の カ ミサ マの関与が深い こ
1 3 ) とは指摘 で きる と考 え る.
Ⅰ.
治療導 入 をめ ぐって 症例1
.A.K.51歳 男性
北部稲垣村 出身.
7人 同胞 の第
1子 で, 家 は農業.
21歳 で結婚. 7 カ月後 に離婚.
その後 , 間 もな く再婚 し,
2子 を も うける
.Aは左 官や土工 を して冬場 は出稼 ぎに 歩 き,
4年前 か らは夏 も出稼 ぎに出る よ う にな った.飲酒歴 は
15歳頃か らで,
5‑ 6年前か ら,時 に朝か ら飲酒す る ことが あ っ た.
性格的 には, 自己中心的で支配的. ロー / レシ ャ ッノ\テス tで 「 適応パ タ ーンの プロ トタイプが乏 し く,紋切型 の反応 しか で き ない傾向」 を指摘 され てい る.
'81
年
11月, 知人 と富 山へ 出稼 ぎに出 る.
翌年
4月,知人が農作業のため帰郷.飲酒 を制す る人がい な くな り,ほ とん ど仕事 に も出ず終 日酒 を飲 み続 け る状態 とな った.
酒量 も
1日
7合 以上 とな った.
4月
5日,
朝か ら飲酒 していて,偶然親方 の情事 を 目
撃 して しま った. その場 は何事 もな く過 ぎ
たが, 夕方 ,親方が 「やれ . /」 と若い者 に
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何か命 じてい るのを聞 き, さ らに若 い者数 人が 自分 の方へ来 るのを見 て Aは 鍔然 とな った. 「昼 間の件 を挟み消すために 自分 を 殺 すつ も りだ な」 と思 った
Aは,その場か ら慌 てて逃 げ出 し,一晩 中歩 き回 った あげ く,着 のみ着 の まま翌 日の 汽 車 で 帰 郷 し た.翌 日の夕方頃か ら 「追 わ れ て い る」
「財産 を取 られ る 」 「キ リで 刺 し殺 さ れ る」 な どの被害的 な言動が 出現 し,不穏状 態が
4日間続 いた.一 旦は落 ち着 くが再び不穏 とな り,妻が カ ミサマへ連れて行 った ところ 「A の家では,大昔 は稲荷 を信 じて いたが今は信 じていない.怒 った イナ リが Aに惑 いてい る」 と告 げ られた.早速 ,お 被 いを受け, さらにカ ミサマを
3カ所 ほ ど 歩 いたが,不穏状態 は改善せず,親族会議 の結果病 院を受診す る ことにな り,
5月
5日
F病院 に入院 した.
入院時 のAは,不安 ・緊張が強 く,情動 不穏,易刺激性 ,迫害念慮 ,小動物幻視, 幻聴が認め られた.症状 は 速 や か に 消 槌 し,約
3週 間後 に退院 した. しか し,その 日の うちに飲酒 し幻聴が出現. このため別 の カ ミサマへ行 った ところ, 「イ ンネ ン様 ( 何百年 も生 きてい る古 ギツネ)が障 って い る」 と告 げ られ, さ らに 「お前,病院に かか ってい るな 」 「 被 ってや るが, 1カ月 は今 まで どお り病 院にい る よ うに」言われ た.幻聴 は消槌 していたが,
Aと家族 はた だ ちに来院 し, 「カ ミサ マ に 言 わ れ た か ら,何 とか入院 させ て欲 しい」 と入院 を求 めて きた.入 院を引 き受け, 1カ月の期 日 が来 た ところで退院 させた. その間,家族 は カ ミサマか ら指示 された とお り経唱 えを 行 い,
Aの退院 を準備 していた.
医療的 には, 7/ レコール幻覚症 を疑 い, 禁酒 を指導 した. しか し,治療 は 「イナ リ 悪 き」 とい う考 えの陰 にな り,上滑 りに終 始 した.
この症例 で注 目され るのは,幻覚 ・妄想状
津軽地方の 「カミサマ」 と精神医療 425 態 とい う非 日常 的 ・危機的事態 に対す る家人 の対応 の仕方 で ある.最初 に妻 の判断で A は カ ミサマへ連れ ていかれ,状 態が変わ らない と知れ るや親族会議が 開かれ,そ こで初 めて
「A は病気だ ろ う」 との判断が な され精神科 受診が決 め られてい る. こ の こ とか ら み て も,生活感覚上 での カ ミサマ と精神医療 との
「
距離」 を知 るこ とがで き,医療 よ りカ ミサ マへ の 「 呈 巨敵 の近 さ」 を伺 うことが で きる.
これ は,精神衛生思想の普及 の遅れ と対 をな チ,民間治療 (カ ミサマ) の侵透 とその強い 影響力の反映 と見 る ことが で きよ う.
さ らに, ここでは もう一つの問題点が浮 き 彫 りに されてい る.それ は,最初 問題 とな っ ていた幻聴 が消槌 し,入 院の緊急性が な くな った後 も 「カ ミサマに言われたか ら」 と強 く 入 院を希望 して来院 した こ とで ある. この場 令,医師 ( 精神 医療) の判断 よ りもカ ミサマ の判断が 「 権威」 を持 った もの として A や家 族 に認知 され てい ることにな る.
この ことは,病気治療 に カ ミサマが一枚加 わ る ことで,治療 関係 におけ る医師の 「 権威 ( 専門性)」が相対化 して しまい,病者 と医 療 の出合 う状況が様 々に歪 め られ る可能性 を 示唆 してい る. た とえば, この症例 では, カ ミサマは 「病院 と一緒 にな って悠 いた イナ リ をお とす」 とい う構 えを とってい る. カ ミサ マが病者 と医療 の間に介在 し,治療 の方 向づ けをす ることで, カ ミサ マ へ の 「期 待 ・救 い」 とい う陽性感情が病 院 ( 精神医療) を も 包み込 んで しまい,結果的 には病者 と医療 と の距離 を縮 め, 「出合 い」 を促 した と考 え ら れ る.ただ し,医療側 の問題 として考 えてみ る と,治療 の主導権が依然 として カ ミサマに あ り,禁酒 の指導が本人 に対 して も家族 に対 して も実効的 とな らずに終わ った ことは重大 な問題 と言 えよ う.
症例
2.S.S.34歳 男性
西都鯵 ヶ沢町 出身.
4人 同 胞 の 第
1子
で,外国籍 で ある.
Sが 中学生の頃 よ り両
426
熊 谷
親 の不仲が表面 化 し,母は
3人 の弟妹 を連 れて家 を出た. Sは A 高校の受験 に失敗 し た後 ,家 出同様 に して神戸へ行 き,身 内の もとで
2年 間働いた.その後 帰省 し,高校 を終 えて大学へ進学. しか し,
4年 で中退 し,帰省.その半年後 ,神戸へ 出て不動産 の仕事 に就 いた.非常 に競争 の激 しい業種 だ った とい う.その後間 もな く結婚 し,西 ノ宮 の妻 の実家へ 同冒
ぐ73年 ,
25歳時).
性格 的には,小 心で疑 い深 く,考 え方 は 柔軟性 に欠け,冗談が通 じない.短気 で 自
己中 b的で もあ る.
27
歳時 に長男が誕生.妻 の妊娠 中, 「自 分 の子供 でないのではないか」 と疑 い,金 銭面で非常 に心配す るこ とが あ った.子供 が生 まれて半年後 , 「 会社 の中で何人か妙 な死 に方 を してい る.黙 っていれ ば 自分 も 殺 され て しま う」 と言 って会社 を辞 めた.
その後 ,披毒念慮 ・関係念慮が段 々 と悪化 し,義 父に も 「 郷 里 に帰 って少 し休 んだ方 がいい 」 と勧 め られ,
'77年
4月に一家で 帰郷 し,実父 と同腎す る ことにな った. し か し,被害 ・関係 念慮は強弱はあ る ものの 同様 に続 いていた. そのために,た とえ仕 事 に就 いて も,対人 的 トラブルが多 く長続 きせず に終わ っていた. 父親 は休 めは よ く なる と思 う一方 で, Sに病 院‑行 くよ うに も勧 めてい るが , Sは全 く耳 をか さなか っ た
..81年
6月, Sは 「役場へ行 け」とい う 幻掛 こ従 い,役場へ職捜 しに行 くが,蔵員 が取 り合 わ なか ったために不穏 とな り,響 察が呼 ばれ た. この件以来,父親 もこの ま ま放 って置 く訳 にはいか ない と考 え, F 病 院へ相談が あ り,往診 にて入院 とな った.
入院時の
Sは,非常 に硬 い構 えで,人物 誤認 を認 め,幻聴 ,被害 ・関係妄想 ,被毒 妄 想 な どとの心的距離が全 くとれ ない状 態 で あ った.父親 は,年 に何回か 山嶺 も りの 修行 をす る人 で,
「Sに惑 いた ものを被 わ なけれ ば,病院 に入院 してい くらいい薬 を 使 って もきか ない.お被 いを して , いい薬
September,1983 HirosakiMed.∫.35 (3)
を飲 んで初 めて病気が よ くな る」 と考 えて いた.そ こで,薬 につ い て は 病 院 に ま か せ,お被 いにつ いては父親 が行 うことにな
っ た .
医療 的には,精神分裂病 を考 え,接触性 の回復 を関わ りの中心 に据 え,一方 で強力 に服薬 を指導 した. また,生活保護 を利 用
して生 活基盤 の安定化 を図 った.
症例 1では, カ ミサマが病者 と精神医療 と の間に介在 した場合 の 「治療導入」 をめ ぐる 問題 につ いて,病者 と医療 の 「距離」の変化 と医締 ( 医療) の 「 権威」 の変化 の
2点を指 摘 し,その概略 を述べ た.以下 ,症例 2 ・3
・4
では,病気治療 に関す る医療 と民間治療 (カ ミサマ)へ の一般的認識 を手掛か りに,
「距離 」 と 「 権威」 の
2点 を さらに堀 り下 げ る ことにす る.
病気治療 に関 しては, 父親 の言葉に もある よ うに,医療 とカ ミサマの両者 で初 めて よ く なる とい うのが一般的認 識 で あ る. これ に は, カ ミサマの 「病 院へ も行 くよ うに」 とい う働 きかけ も重 要だが, 「その方 が安心 だか ら」 とい う消塩 的な ものか ら, 「カ ミサマは あた る」 とい う横座 的 な もの まで期 待の程度 に差 は ある ものの,病者 や家人 の認識 ・意 向 が基盤 にな ってい る. この程 度 の差 を大 まか に分 け る と,医療 に よ り多 く期 待 す る場 合 ( 症例
6),両者 同等 の場合, カ ミサマに よ り 多 く期待す る場合 ( 症例
1,
4)を区別で き る.両者 同等の場合 は さ ら に, 両 者 の 役 割 ( 病気治療 と病気 の意味づ け) が分化 してい る場合 ( 症例
2)と役割が未分 化な場合 ( 症 例
3)を区別で きる.症例
2で注 目され るの は, 治 療 が 始 ま るまでに発病後
6年 も経過 し て い る こ とで あ
る.そ して,精神変調 に気づかれ なが ら精神
医療 との接触 は一度 も行 われず,社会的問題
行動が現 われて初 めて強制的措置が取 られ て
い る. この間,父親 は カ ミサ マ 信 心 を 頼 り
に,受診 を勧 めて も聞 こうとしない病者 をた
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だ見守 っていたが, この事態 は シ ャーマニズ ム的 「民 間治療体 系へ の滞留」 と言 って よい で あろ う.
医療 とカ ミサマ‑ の期 待が 同等 で,両者 に 役割分化 を認 め る この よ うな例 では, カ ミサ マを頼 る ことが民間治療体 系‑の滞留 と直接 に結 びつ くことはない.す なわち,医療 との
「距離」 の遠 さ とい う要素が加 わ って初 めて 民 間治療体 系へ の滞留 とい う事態が現実 的 と な る. この症例 で言 えば,父親 の強 い カ ミサ マ信心 を基盤 に,病者が外 国籍 とい う問題か ら派生す る社会的例外状 況 にあ った こ とが , 社会一般 に対す る不信 と金 銭 ‑ の 執 着 を 生 み,病者 と医療 との 「 距 離」 を広 げ,民 間治 療体 系へ の滞留 ( 信心 に よ る 悠 き もの お と
し) を促 した と言 え よ う.
医療 とカ ミサマ との間に役割分化 を認 め る 場合 ,経験 的 には精神医学 的 治 療 を 受 け 入 れ ,その後 は治療 的に精神医療 と結 びつ く
例が多 い よ うで あ る.
症例
3.N.K.28歳 男性
西郡鯵 ヶ沢町 出身. 7人 同 胞 の 第 6子 で, うち異母兄姉が
5人.母親 には難聴が あ り,構音 も不 明瞭 である. また,理解力 に も劣 り, なか なか会話 が成立 しない.後 妻 として家 に入 り,
Nら
2人 の子供 を もう けてい る .N は中学卒業後,上京 して町工 場 に就職.その後約
10年間は同 じ職 場で, 勤務ぶ りも真面 目で あ った.
性格 的には,神経質 ・凡帳面 で強迫的 な 面が あ り, 内閉傾 向が強い.
'80
年
7月に父親 が 癌 と分 り,
8月
12日 に手術 とな ったが,
10月
4日には死亡 し,
Nは
5日に帰省 した. しか し,兄姉 の集 ま りが悪 く,葬 儀 は
8日に行 われた. この と きは,見違が 「家はお前 に任せた」 と言 っ て何 もしないために,
Nが 大 体 の 準 備 を し,眠 る時 間 も満足 にな くひ どく疲れた と い う. この後 よ り,視線が厳 し く無 口 とな り,情緒 的に も不安定 とな って きた
.17日
津軽地方の 「カ ミサマ」 と精神医療
427に職場へ戻 るが
,19日には辞職 し, 「 九州 に行 く」 と言 い残 して出て しま った.
3日 後,宮崎の警察で保護,東京 に戻 され,叔 父が迎 えに行 き家へ連れ帰 った.
帰宅時 よ り独語 ・空笑 を認 め,段 々 と生 活 も不規則 にな って きた
.11月
16日か ら急 に不穏 とな り,母親 が病 院‑行 くよ うに勧 め るが 聞かず,警察 に保護 され
,18日に
F病院来院 し入 院 とな った
.4カ月程入院 し,
'81年
2月に寛解状態で退院. 退 院 後 は 全
く通院 も服薬 もしなか った. これは,
N自 身通院 したが らなか った ことと,母親 が カ ミサマか ら御札 を貰 って N に飲 ませ, 「 病 院‑行 きた くないのな ら行 か な くて もい い」 とい う態度 を取 ったためであ る.最初 は,
Nも言 われ るままに御札を飲 んだが, その後 は 「病院に入 ったか らも う駄 目だ」
と語 り,家 に閉 じこ もる生活 とな った.
'82
年
4月頃か ら, 隣家へ来 る車 の 音 を 気に しだ し再び被害 的 とな り,夜 もよ く眠 らな くな った.
13日の夜,隣家 に駐車 中の 車 を壊 し,警察 に保護 され
F病院来院 し再 入院 とな った.
入院時のNは,強制的入院 とい う事情 も あ り, 内的緊張が高 く思考 は滅裂 で,不穏 状態 を呈 していた.
医療 的には,精神分裂病 を考 え,保護的 支持的 に行 き詰 ま りの体験 を受 け とめた.
また,服薬 の動機づけを行 い, 母親 に もそ の必要性 を説 明 し,理解 と協 力 を 要 請 し
た .
ここでは, 医療 とカ ミサマへの期 待が 同等 だが,両者 の役割が未分化 な場合 の問題が示 されてい る.
この症例 は,母親 の カ ミサマ歩 きが表面化
せず初 回退院 し,結果的には治療 の中断 ・再
発 とな ってい る. これは,病者が通 院 したが
らなか っただけで な く,母親が薬 に代 えて病
者 に御札 を与 えた こ とが,結果 として病院か
ら遠 ざけ る ことにな った と言 え よ う. し
か428
熊 谷
し,全 く病院 を頼 りに しな か った 訳 で も な く,ただ母親に と り薬 と御礼が 同 じよ うな意 味 内容 を持 ち,服薬 したが らない病者 に御札 を与 え る ことがそれほ ど不協和的ではなか っ たのである. ところが,病者が御札 を薬 とし て飲 んだのはほんの短期 間で,む しろ,母親 の勧 め る御札 の中に 「病院‑ は行 か な くとも よい」 とい う承認 を見,その後は経過が示 し てい る とお り, カ ミサマか らも精神医療 か ら も離れた無為 で 自閉的 な生活が長 く続 くこと にな った訳 である. この間,病者 と医療 を結 びつ け る初期 の手掛か りが失われ た ことに よ り,母親 の通院の促 しも病者 には届かず,柄 者 と医療 の 「距離」は悪循環的に拡が り,母 親はただ病者 を見守 ることしかで きないでい た ( 民間治療体 系へ の滞留).
この よ うな例 では, 「 病 者 の 治 療 は 医 師 u) に 」 「 治気の意味づけは シ ャーマ ンに」 と役 割 を分化 させ,一方 に よる他方 の代替 を防 ぐ
ことが考 え られ る.
医療 とカ ミサマ‑ の期待度が 同等である と い う点では,前例 同様,役割分化 の作業に も 治療 的作業 に も抵抗 は少ない. しか し,次例 の よ うにカ ミサマへ よ り多 く期 待 す る場 合 は,作業 はかな り困難 とな って くる.
症例
4.T.Ⅰ.19歳 女性
五所川原市の在 の農 家 に出生.
2人 同胞 の次女 で,
4歳上 に姉がい る
.Tは小 さい 頃か ら無 口で気が弱 く, 内向的で,友達 も 少なか った.
T
が 中学
3年へ進級 した とき,姉が就職 のため家 を出た.その後家は両親 と
Tだけ にな り, 自然 に
Tは よ り無 口にな った とい う.そ して,修学旅行後か ら自分 の持 ち物 が紛失す るよ うにな り,不思議に思 ってい た ところ,友人 に 「ものがつ いてい る (T は " 惑 いている
〝のだ な と思 った
)」と言 われ,それ を契機 に被害念慮が 出現. さら に,卒業式 を前 に 「悠 いた もの」に よる被 影響が強 くな り,対人 関係 をは じめ,睡眠
September,1983 HirosakiMed.∫.35 (3)
や食事 も困難 とな ったが,高 校へは進学 し た. この被影響体験 は,強弱は ある ものの 現在 まで一貫 して続 いてい る
. '80年 と
'81年 の秋 には この体験 が強 くな り, カ ミサマ にみて もらった ところ 「罪 障 が 惑 い て い る」 と告 げ られ,お被 いを受けた.お被 い 後 2‑/3カ月間は楽 にな っていた とい う.
しか し,異常体験 のために学校生 活への適 応が困難 で,結局高校
2年 で中退 .その後 はただ家 にお り,
'81年末か らは比 較 的 状 態が安定 していた.
' 82 年 4月, 姉が結婚準備 のた め に 帰 郷 し,
6月には婿 を取 り,義兄が家 に入 る.
その後,家 に居 て も 「肩身が狭
い」「気 を 使 う」状態 とな り
,10月
3日に親 も納得 の 上 ,単独で横浜‑働 きに出た. しか し,職 場 に着 くな り異常体験が強 くな り,仕亭 も で きず,
10日後 には職場か ら送 り返 えされ て きた.帰宅後は両親 に対 して 「親 じゃな い」 と言い,落 ち着 きもな く,家か ら逃 げ 出そ うとす るため, 「頭 が お か し くな っ た」 と両親が考 え
,16日に
Tを連れ て
F病 院 を受診 し,入院 とな った.
入院時 の
Tは,強 い 自我障害 のため行動 の 自由をほ とん ど失 った状態 で,世界 の相 貌化体験 ,被影響体験,人物誤認,惑依妄 悲,体感幻覚,幻聴 を認 めた.
医療 的には,破瓜型精神分裂病 を考 え, 保護的 ・支持 的に関わ り,主治 医 との疎通 性 を育 て る ことを第
1に配慮 した.両親 は
「 親 でない」 と言われた こ とに 反 応 し て
「頭がおか しい」 と考 えたので,
Tの全体
像 を病気 と考 えてはお らず,その後 もカ ミ
サマ歩 きを してい る. これ を制す るとか え
って反発 を招 きかねないため, 卜占の内容
を
Tに伏せ てお く条件 で,当面は見守 る こ
とに した. しか し,病勢がほほ静穏化 した
段階で, も うしば ら く入院の上経過 をみた
方が よい とい う医師の説 得 に もか か わ ら
ず,家族 は カ ミサマの判断 を入れ て本人 を
退院 させ,現在 は外来通院 中である.
昭和
58年
9月 弘前医学
35巻
3号
この症例 も,発病以来
5年 を経 過 し て お り,その間に医療 との接触 は一度 も行 われて いない ( 民間治療体 系への滞留).病 者 は 強 い 自我障害 を示 し,それを 「億 きもの」のた め と考 えてお り, これは家族 も同様 である.
実際に
2回の危機 をカ ミサマを頼 りに切 り抜 けた し,来院 したの も家族否認 と俳桐 に困 っ てであ り,治療 とい うよ りは行動管理 を求め てであ った.そのため,今 回 もカ ミサマを頼 りに し,両親揃 って カ ミサマを歩 く一方,医 師 に対 しては 「点滴は しな くて よいのか」 な ど身体管理 について指示的 態 度 で 接 して き た.
同 じ く 「民間治療体 系への滞留」 と言 って ち,医療 との 「距離」が主 な問題であ った症 例 2 ・3と異 な り, カ ミサマの 「権威」が主 た る問題であるこの よ うな症例 では,入院 と い う事態が必ず しも医学的治療 の展開を保証 す る とは限 らない.た とえは,医師の指示や 説明が カ ミサマの言葉 と照 合 され て 理 解 さ れ,真意が十分 に伝わ らない ことや,症例
1や この症例の よ うに,入院や退院 とい う極 め て医学的 な判断が二の次 に さ れ る こ と も あ る.
しか し, カ ミサマ歩 きを制止す るのは,柄 者や家族 の反発 を招 き,極端 な例では治療 の 中断 を結果す るので好 ま しくない といえる.
経験的には, と りわけ この症例 の よ うな破瓜 型分裂病の場合 では,病者 との治療 関係の安 定化を優先的に考 え, カ ミサマが治療 に関 し て も権威 を持 ってい る間は,医療側 としては 治療 に脇役 として参加 し,病者か ら離れずに 時熱を待つのが実際的である. この際,病者 や家族 との間にカ ミサマ との遣 り取 りについ て話 し合 える雰囲気 を作 る こ とが 大 切 で あ る.その ことに よ り,話 し合われた内容 を, 症例
3で示 された 「 治療」 と 「 意味づけ」 に 分化 させ,治療 の動機づけを促す ことが容易
となる.
津軽地方の 「カ ミサマ」 と精神医療
429小 括
「 治療導入」に及 ぼす カ ミサマ (シ ャーマ ニズム的民間治療体 系)の影響には,症例
1で見た よ うに,病者 と医療の 「 距離」の変化 に関す るもの と,医療 の 「 権威」の変化に関 す るもの とを指摘で きる. この
2点は,各 々 が単独に現象 して くるものではな く, したが って もう一度具体的事例に戻 って検討す るこ とが必要であ った.そ こで 問 題 とな った の が,病者 の 「民間治療体 系‑の滞留」 とい う 事態である. これ を先の
2点か ら検討 した と ころ, シ ャーマニズム的社会 ・文化状況 を前 提 として,病者 と医療の 「距離」の拡大 と医 療 の 「 権威」の相対的低下が複合 して生ず る 事態 と考 えるこ とがで きた.
ⅠⅠ.
治療の展 開 をめ ぐって 症例
5.Y.Ⅰ.初診時
20歳 男性
北都 中里町 出身.
3人 同胞の第
1子.家 は専業農家のため, Y は高卒後将来の後継 ぎとして農業に従事 しなが ら,傍で祖父の 製材所 を手伝 っていた
.Yは新車購入 を数 年前か ら親 と約束 していたが,話だけで一 向に具体化せず,不満 に思 って い た とい う
.Yの考 えでは,同世代の農家の後継 ぎ は皆新車 を持 ってお り,革が なければ男女 の交際 を含 め,仲 間達か ら取 り残 されて し ま うか らである.
性格は依存的で顕示的. ロール シ ャッハ テス トで 「未熟 ・未発達 さが前景に立 った データである」 と評 されている.
'80
年の春, Yは今年 こそ車 を買 って く れ るもの と期待 していたが,話が進 まず, 自然仕事 に も気の入 らない状態であ った.
6月,Yは交通事故を起 こし,怪我 はなか
ったが車 を破損 して しま った. この時, こ
れで新車 を買 って もらえ る と思 った とい
う. しか し, 「危 ないか らハ ン ドルは握 る
な」 と父親 に注意 され,増 々不満が募 った
とい う.その後,
7月
18日の夜,友人宅‑
430
熊 谷
遊 びに行 った ところ,友人 は車 で遊 びに出 て不在 で,仕方 な く家‑戻 った.途 中,軽 トラ ックを止め一服 していた ところ,近 く の寺 の灯が急 に全部消 えたのを見て 「無精 に腹立 た し くな り」 ,車 を降 りて寺 に 近 づ き,石を投げて ガ ラスを破 り, さらに近 く の小屋 を壊 して逃 げて来 た .22 日,その寺 か ら訴 え られ,警察の事情聴取 を受けた.
事 件 を知 った父親 は警 察 ともどもYをきつ く叱 った とい う. この件以来,
Yは段 々 と 元気がな くな り,引 きこも り防 ち とな り, 食事 も摂 らな くな ったため,
8月
7日に
H精神病院 を受診 し,
11日入 院 とな った. こ の間に,親 は カ ミサマを訪ね,そ こで 「 在 祖が悪 いてい る」 と告 げ られた. また,守 の人 に 「 在祖が頂 いての ことだ った 」 と説 明 した ところ,訴えを取 り下 げて くれ,弁 償 だけで済 んだ とい う.
入院時のYは,神経衰弱状態 で, 純然, 脱 力,意欲 の低下,食思不振,不眠 を認 め
た .
医療 的には,心 因反応 と考 え,新 車をめ ぐる葛藤 を明確化 し,それ を軸 に家族 との 調整 を図 った.一 方 父 親 は, 「カ ミサ マ が,家の回 りに在祖が まだいて,
Yを連れ て来れば また惑 くので連れ て来 るな」 と言 っていた と述べ, 「 無理 して連 れて帰 り何 か あれ は 自分 の顔が立 た な くな っ て し ま う 」 「カ ミサマがいい と言 うまで病院 に置 いて くれ」 と主張 し, カ ミサ マ の 「ゆ る し」 を得 てか ら退院す る ことにな った.結 局,状態が安定す るまで約
1カ月を要 し, その後, カ ミサマか ら退院 の 「ゆ る し」が 出 るまで さらに
1カ月を要 した.
この症例 は,
'80年に
H精神病院 で 治 療 を 受 けた例 で あるが,一定 の事象 に対す るカ ミ サマ と医療 の対応 を比較 す る上 で非常 に示唆 に富 んでお り,事例 の例外的事情 を超 えて こ
こに呈示 した.
この カ ミサマ と医療 の対応 で最 もヨ立つ相
September,1983 HirosakiMed.∫.35 (3)
運 は, その事象 の原 因を何処 に求 め るか とい う点で ある. この症例 では,病者 の 「寺 の破 壊行為」 とその後 の 「引 き こ も り ・衰 弱 状 態」 を, カ ミサマは 「 在祖 ( 成仏で きない無 縁仏の霊)が悠 いた」 のが原 因 ( 原 因の外在 化) と解釈 し,他方主 治 医 は, 「未 熟 な 性 格」 と 「 新車 をめ ぐる葛藤」 をその原 因 ( 磨 因の内在化) と説 明 してい ることである.石 毛 は原因の外在化 につ いて, 「外在化 をす る ことに よって,人 々が一時的な異常か ら社会 1 5 ) 的な復帰 を大変 スム ーズにで きる」 と述べ て い るが, この指摘 は社会復帰の問題 を考 える 上 で重要 な視点を含 んでいる. この点につい ては,症例 6との比較 の 中で再度取 り上 げ る ことに し た い .
次に もう一つの問題点の指摘‑移 ることに す る.それ は,父親 が主治 医か ら前述 の よ う な 「内在化 され た原 因」 を説 明 され,十分納 得 した よ うに見 えてか らも, 「 在 祖悠 き」 と
い う理解 を捨 てず,む しろ カ ミサマ歩 きに熱 心に さえな った ことである. この父親 の行動 は, 「 治療導入」 の項 で触 れた医療 とカ ミサ マの併用 とその役割分化 可能性か らすれ ば当 然であるが,単 にそれだけでな く,た とえは
「
(カ ミサマの指示 に従 わず)無理 して 連 れ て帰 り,何か あれ は 自分 の産が立 たない」 と い う父親 の言葉 に,病者の個別的治療 を越 え た含み を感 ず るので ある.医学 的説 明や処 置 だけで安心 で きないのは,病者 自身 よ りむ し ろ家族 や身 内であろ う. これは, カ ミサマを 歩 くのが通常病者 自身ではな く, もっぱ ら家 族 や身内で あ り,時には病者 に内緒 で カ ミサ マへ行 くことや, カ ミサマの方 も病者 と直接 対す る ことに こだわ らず, しば しは病者の写 真や衣 類 だけで 卜占す ることを考 え合せ る と なお さらそ うい う感 を深 くす る.つ ま り, カ ミサマ歩 きが,病者 をめ ぐる家族 の不安や葛 藤 を解消す る一つ の回路 とな ってい るのであ
る
.
この症例 では, 「 在祖悉 き」 とい う理解が
寺の訴 えを取 り下 げ させた事情 もあ り, カ ミ
昭和
58年
9月 弘前 医学
35巻
3号
サマ歩 きや, カ ミサ マの 「ゆ る し」が家族 内 の情緒 の調整 ・統合 を生 み,病者 を迎 え入れ る上 で対 ム ラ社会的に も家族 を安定 させた と 考 えて よい.
症例
6.H.S.53歳 男性
北部乾 田町 出身. 5人 同胞の第 2子で長 男.小農家 のため,出稼 ぎが生計 の中心 で ある.
27歳 で結婚 し,
4子があ る.飲酒歴 は
20歳前か らで,量 は少な く,
1日
2.‑3合程度 である.
性格 は,′ 卜L‑ 消庵的 ・内向的. ロール シ ャ ッノ、テス トで 「 物事 を統合 的 ・合理的 に処理 で きず,柔軟性 に欠け る傾向」 を指 摘 されてい る.
'81
年
1月, ム ラの人 と横浜へ 出 稼 ぎ に 出たが,
4月頃か ら疲労が抜けず,夜 もよ く眠れ な くな り, 5月に入 ってか らは 「 酒 を飲 む とパ ッとしない」 と酒 を止 めた.そ の直後 よ り幻声が出現 し,′ 」 \さな虫が沢 山 這 ってい るのが見 えるよ うにな った.その うち,幻声 の中に 「殺す」 な どの恐 しい内 容が加 わ り,
Hは不安 にな り,無断で
6日 に帰郷.妻に よる と,帰宅後 は部屋の隅に
うず くま り, ブツブツ と独語 し,食事 も摂 らず,手 を震わせ ていた とい う. 9日には 激 しい振 戦 と発汗 を認 め, さらに不穏状態 とな ったため救急車 を使 って町立病院へ 入 院. この間に カ ミサマにみて もらってい る が, 「疲れたためだろ うか らゆ っ くり休 む よ うに」 と言われ た
.11日に町立病院か ら
F病院 へ紹 介 され,振戦せ ん妄 の診断 で転 入院 とな った.
入院時 のHは,不安 ・焦燥感が強 く,軽 い意識障害,被害,関係妄想,幻聴 を認 め た. しか し,振戦,幻視, 自律神経症状 は 改善 していた.
異常体験 が消磁 した段階で,外泊 のため 帰宅 す る と幻声が 出現. ム ラ の 人 の 声 で
「 酒飲みだ 」 「もう帰 って来 た」 と聞 こえ た
.Hは 「 町 立病院での事 を ムラの人達 が
津 軽地方の 「カ ミサマ」 と精神医療
431知 ってい る. 自分 は全 く信用 をな くして し ま った」 と受け とめ,以後 ムラの人 に対す る関係妄想に発展 した .その後一時期 , 「妻 が死んだので 自分 は再嬉 し,新 しい土地 で 再 出発す る」 とい う変身 ・回生 を主題 とし た 妄想 も出現 した.
妄想 とのJ b的距離が とれた段階 で退院 し たが,その間約
6カ月を要 した. しか し, ムラの人への緊張 した構 え は 退 院 後 も続 き, 生 活 は引 きこも り勝 ちで,' 82 年 4月, 田を 自転 草で見回 り中堰 へ落 ち危 く溺れそ
うにな り, ム ラのノ 付こ助 け られ る とい う事 故が起 きた. これ を契機 に,再び強い引 き こも り,械黙,拒食 を示 し再 入 院 とな っ た. この間Hは禁酒 していた.
Hの状態 につ いて,妻 には初 めか ら 「病 気̲ として説 明 してお り,妻 もその よ うに 考 え,現在 で も身体的検査 を強 く求 め る構 えが強 い.
医療的には,当初 は振戦せ ん妄 に対 す る 身 体管理が中心だ ったが, ム ラ社会‑の不 適 応が表面 化 してか らは心因反応 (自己の 体 面の戟損 を心 因 と考 え) として治療 的に 関わ った.各 ′ 薩の検査
(EEC,頭部
CT, 頭部 Ⅹ‑ P,ロール シ ャッ‑ テス ト, ク レペ リン作業能力検査,記銘力 テス トな ど)の 結果 は,
EEGで
slowdiffusealpllaWave (8‑9Hz)を認 め る以外,器質的障 害 を 強
く疑わせ る検査結果 は 出ていない.
この症例 もカ ミサマを訪れ てい るが,原 因 の外在化が行われ ていない点 で症例
5と対照 的 である.
診断学的には,初 回入院時 は振 戦せ ん妄 と
考 えて問題 ないが, その後の経過 を心因反 応
とのみ理解 して よいか,多分 に議論の ある と
ころであろ う.特 に,経過の 長 さ と引 きこ も
りを主徴 とした現在 の病像 は精神病 の印象 さ
え与 える. しか し,治療 的観点 と りわけ社会
復帰 の観点か らす る と,上記 の問題 を留保 し
つつ ,性格 の特徴,異常体験 の内容,家族 の
432 熊 谷
対応, ムラ社会の生活 な どを手掛か りに もう 少 し先へ論 を進め られそ うに も思 える.
病者がせ ん妄状態 を呈 したのは今 回が初 め てで ある.故 に この種の体験 を どの よ うに対 日的 ・対地 ( 対 ムラ社会)的に位置づけるか は,病者に とって重要 な課題のはずである.
ところが,意識障害 のために体験 その ものが 断片始で,その 自己所属性 とい う点で も暖昧 さを残 してい る.一方, カ ミサマには 「 疲れ たため」 と言われ,医師か らは 「 ( 酒が原 因 の)病気」 と言われ,いずれ も原因は病者の 内に求め られている.病者の性格 にみ られ る
「 物事 を統合 的 ・合理的に処理で きず,柔軟 性 に欠ける傾向」は, この よ うな体験 を同化 し,外に向 って再適応 してい くことを困難 に している と考 え られ る. そ の 後, 外 泊 時 に
「 酒飲み」 とい うムラの人 の幻声 を聞いた病 者 は, 「 体面をな くし信用 を失 った 自分」 を 実感 し,関係妄想 を発展 させた.そ して,現 状打解の一つ の方 向を示す変身 ・回生妄想 を 形成 し,その消槌 と平行 して引 きこも りの生 活へ陥 っている. また,堰‑落ちた後の引き こも りの増悪 も,体面の敦損 を心因 と考 える と了解で きよ う. この よ うな異質な体験 を 自 分 の もの として引 き受けねはな らなか った病 者が, 「どの ように」それ らを引 き受けたか を これ らの経過は示 してい る といえよう. こ の 「どの よ うに」を規定 していたのが, ムラ 以外には生活の場 を求め得ない病者 の立場, 協調性が強 く求め られ るムラの生活,′ 」 \ 心で 柔軟性 に欠けた性格,内在化 された原 因な ど であ った と考 え られ る. とくに原因の内在化 ( 外在化の否定) は,問題解決の方向性 を規 定 し,加 えて妻に 「身体的問題の重視 と心理 的問題の軽視」の構 えをつ くり,問題を こと さら病者個人へ と収束 させ た 点 で 重 大 で あ る.
これに対 し,症例
5の場合は, ムラの寺を 壊す とい う大 きな問題 を起 こしなが ら,対 ム ラ社会 的には 「 在祖浸 き」 とい う外在化 され た形で納得 され,支障な く家族 や ムラに受け
September,1983 HirosakiMed・∫.35 (3)
入れ られている. これは, ムラを騒がせた こ とが二次的に新たな葛藤 を生 み,病者の病態 や経過 を遷延 させた と考 えられ る症例
6と対 照的 と言わな くてはな らない.
症例
7.M .T.41歳 女性
北部鶴 田町 出身.
8人 同胞の第
6子.坐 家は農業.
18歳で上京 し
,21歳で結婚 し
2子 を もうけ る.夫は千葉 の人で,
Mが
24歳 時印刷所 を開いて独立 したが,横暴で未熟 な性格 のため M は随分 と苦労 した. ドル シ ョック以来,経営不振に陥 り,
'77年
3月,
Mが反対 したに もかかわ らず親会社 の不渡
り手形 を引き受け,会社 は倒産.その後, 債権者 との後始末 を夫の親 にあずけ, M一 家は鶴 田町へ夜逃 げ してきた.以来,夫の 身 内 とは親類付 き合 いが途断 えている.一 方,
Mは夜逃 げ以来サ ッパ リしない気分 と 身体不調感 をいつ も訴 えていた.
性格 は,勝気で明る く社交的な面 と,柿 経質 ・心配性で物事 に こだわ り易い面 とを 併せ持 っている. ロール シ ャッハ テス 十で
「統合能力 ・抽象能力に劣 り,情動の内的 統御の困難」な点 を指摘 されてい る.
'78
年
2月下旬, 歯痛のため歯科で抜歯 . その直後 よ りひ どい頭痛 と息苦 しさが出現
し,方 々の病院を受診す るが,異常 ない と 取 り合 って もらえず,義姉か ら紹介されて 3月 9日にカ ミサマを 訪 ね た. そ こで は
「首を吊 った仏が障 っている
」「 柁 ってい た稲荷 をそのままに してきたので,それが 悪 くな って恐いてい る」 と告 げ られ た.
'77