三輪身の形成に関する一
考察
大
谷
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三輪身の形成に関する一考察 三輪身とは密教に於ける仏身論の一つであり、自性輪島芳(五仏)・正法輪身(五菩薩)・教令輪身(五明王)と いう三種の仏身の形態を指す G このうち、正法輪と教令輪に関しては、﹃般若理趣釈﹄や﹃仁王念講儀軌﹄等と ① いった不空(七O
五 i 七七四)訳文献に観られるのに対し、自性輪身は、不空以降の成立と考えられている﹃摂 ② ・無擬経﹄及び、伝空海(七七四 l 八三五)撰﹃秘蔵記﹄が初出とされる。しかし、これら文献にみられる自性輪 は菩瑳を示している事から、五仏と自性輪が同一と見なされる時期が従来より問題とされており、その持期につ いては現在、興教大師覚鍍(一O
九五i
一一四一ニ)の﹃受茶羅沙汰﹄を起点に、その先匠である済逗(一O
二 五 ③1
一一一五)の頃と指摘されている。また、近年では東寺講堂の諸尊、或いはそれに付髄する仁王経法といった ④ 所謂、事桔的側面から言及されることが少なくない。 かつて筆者は三輪身の形成について、主に台密の五大院安然(八四一 i 九一五?・以下安然)に於ける諸尊統 ⑤ 合の理論について言及し、その結果、安然説が三輪身の先駆思想である事を指請したが、小論ではまず、抱一碕内 容を補足した後、院政期に於ける諾尊統合の理論との関係性を示す。さらには視点を変え、覚鎮の三輪身に対す る私克を述べ、三輪身の形成に関して従来とは異なる問題点を提示したい。 S 斗 A第一章
安然説及び拙稿内容の補是
まず、安然説に関する描稿内容を補足したい。安然の諸尊統合の理論は、二種類に大別できる。第一点として、 伝空海説の﹃牟梨自由瓦茶羅呪経﹄に則り、仏・菩譲・明王の関議性を示唆していること。第二に、﹃仁王経疏﹄所 ⑤ ﹃金剛慨嘆球伽経﹄といった、不空訳文献を基盤とする五仏為本の二輪身説を展開していることである。ここヲ
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(J) で辻安然のいう五仏為本の二輪身説について、改めて指摘しておきたい。安然は﹃理趣釈﹄や仁王経軌に説かれ の二輪について、これを五仏所現と解釈している。それは﹃理趣釈﹄ る﹁正法輪(法輪)・教令輪﹂ の二輪に対 する﹃教持義﹄巻西の内容から首肯される。 開 。 給 議 界 、 金 制 界 除 一 ﹂ テ 大 ・ 三 ・ 法 ・ 掲 ノ 四 種 目 受 茶 羅 ザ 若 亦 有 ル 部 。 答 。 : ・ 中 略 ・ : 金 剛 界 一 一 存 ] 四 輪 、 二 輪 、 六 蔓 茶 羅 、 五 秘 密 日 受 茶 羅 プ 一 昌 一 一 四 輪 寸 者 、 十 八 会 一 切 如 来 真 実 摂 教 王 会 一 一 有 ] 西 大 口 問 ﹂ 一 ニ ハ 名 コ 金 制 界 ↓ 、 二 ニ ハ 名 一 J 降 三 世 斗 、 三 一 一 ハ 名 コ 遍 謂 伏 斗 、 四 ニ ハ 名 コ 一 一 切 義 成 就 ゴ 即 チ ﹃ 寿 命 経 ﹄ ニ 名 ケ テ 為 コ 金 臨 界 輪 、 降 三 世 教 令 輪 、 遍 調 伏 法 輪 、 一 一 切 義 或 就 輪 斗 。 言 一 二 輪 寸 者 。 ﹃ 理 趣 釈 ﹄ 一 一 云 ク 。 於 一 J 須弥項三転コ四種輪ザ。金制界輪、降三世 輪 、 遍 調 伏 輪 、 一 切 義 成 就 輪 ナ ヮ 。 此 ノ 四 種 輪 一 一 各 有 ユ 二 輪 一 。 一 一 一 ハ 正 法 輪 、 二 ニ ハ 教 令 輪 ナ リ 。 ﹃ 金 剛 項 稔 伽 経 ﹄ 三五ク。中方ノ昆藍舎那如来現コ二種身て若ンハ正法輪ハ現一 J 転法輪菩薩イ。若シハ教令輪ハ現ユ不動明王身て東 方ノ阿関如来ハ現コ二種身寸。若シハ正法輪ハ現コ普賢菩薩身て若シハ教令輪ハ現コ降三世身イ。南方ノ宝生如来ハ 現 一 ﹂ 二 種 身 イ 。 若 シ ハ 正 法 輪 ハ 現 一 J 虚空議菩薩身イ。若シハ教令輪ハ現ユ軍茶利身 J づ 。 西 方 ノ 阿 弥 詑 如 来 ハ 現 コ 二 種 身 イ 。 若 シ ハ 正 法 輪 ハ 現 一 J 文殊師利菩薩身イ。若シハ教令輪ハ現コ娼蔓徳迦身イ。北方ノ不空成就如来ハ現コ二種身イ。若ンハ F z D正 法 輪 ハ 現 一 J 量 空 庫 菩 薩 身 イ 。 若 シ ハ 教 令 輪 ハ 現 コ 金 剛 薬 叉 身 ザ 一 五 云 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 七 五 ・ 周 囲 六 上 i 中 ) ここで安然は両部蔓茶羅の異説のうち、金制界周囲瓦茶羅に四輪、二輪、六受茶羅があることを述べるに当たって、 ⑦ ﹃金剛寿命陀羅尼経﹄を引用し、﹃理趣釈﹄所説の西轄と二輪の関係牲について説明している。四輪とは、﹃理趣 ⑧ ⑨ 釈 ﹄ 巻 上 に よ る と 、 で は 五 仏 ) 一切如来(則ち﹃理趣釈﹄ の法輪を一不し、また、真言行を修する菩薩が無上菩提 三輪身の形成に関する一考察 を註得する為の四知日である。この西輪と二輪の関係であるが、不空訳では、西輪は二輪中に包摂されるものと説 くものの、ここでは四種輪それぞれに正法輪と教令輪の二輪があると理解し、さらにこの二輪を﹃金隣項稔伽 ③ 経﹄によって解釈している。よって安然は、不空訳文載の正法輪・教令輪と五仏の関係性を達意的に定義してい るのである。また、 このような安然の諸尊統合の理論は、他の著作にも散見して説かれており、 そこでは明確に ﹁正法輪身・教令輪身 L という呼称が用いられている。 つまり、安然に至って初めて﹁正法輪身・教令輪身﹂と いう呼称が用いられている点を看過してはならない。 次に、安然のいう五仏為本の二種輪身説が通部ではなかった事を裏付ける意味で、安然以前のムロ密諸師の説に 急点を合わせると、円仁(七九四 i 八六四) グ〉 ﹃ 金 剛 項 経 読 ﹄ 巻 一 で は 、 不 動 明 王 ト ハ 、 是 レ 中 方 ノ 念 怒 ナ ル カ 故 -一 為 ユ 大 根 本 ↓ 。 中 央 ハ 即 チ 為 コ ヵ 諸 方 ノ 本 斗 故 邑 。 金 剛 薬 叉 ト ハ 、 是 レ 北 方 ノ 菩 薩 ナ H J O 北 ハ 即 チ 黒 色 。 故 一 一 為 ユ 大 黒 ↓ 也 。 降 三 世 金 耐 え 、 為 コ 大 染 欲 づ 即 チ 是 レ 東 方 ナ ヮ 。 染 一 蚤 ス ル カ 如 来 ノ 大 菩 提 ↓ 故 。 以 テ 為 コ 大 染 欲 ↓ 也 。 軍 茶 利 金 制 ト ハ 、 名 ケ テ 為 ユ 大 楽 寸 。 是 レ 南 方 。 誌 一 抱 シ テ 衆 生 ノ 無 辺 ノ 貧 重 ザ 皆 令 叫 ル 溝忌セ世、出世間ノ大安楽ヲ故二ハ足金問ヲ為コ大方便ゴ文殊師科大智方便教令輪ナルヵ故一一、即チ西方色。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 六 一 ・ 三 三 中 ) p o
と い う よ う に 、 五大明王に関する言及は確認されるが、六足金割を文殊部利の教令輪とするのみで、安然説にみ られるような内容は確認されない。 については開題がるる。覚禅(一一回三 と こ ろ が 、 円珍(八一四 l 八九一) ー一一二三以降) ﹃覚禅紗﹄第一一六﹁仁王経上﹂裏書に辻、円珍請来の仁王経日支茶羅に関する、次のような記 グ〉 述 が あ る 。 問 。 講 堂 差 一 一 智 註 請 来 ノ 呂 田 又 茶 羅 。 何 ソ 五 仏 御 手 。 答 。 図 セ ン ニ 伺 有 レ 之 。 受 茶 羅 匂 義 有 レ 之 文 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 図 橡 四 ・ 三
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三 中 ) 円珍請来の仁王経蔓茶羅には五仏が描かれていたことがわかる。この点に関しては、青龍寺系の @ 中国密教の御藍配量に準じたという指摘が為されているが、同じく﹃覚禅捗﹄では、 こ れ に よ る と 、 五 仏 自 性 一 輪 五 菩 薩 正 法 輪 五 大 明 王 教 令 輪 。 ﹃ 軌 ﹄ 一 一 小 レ 説 一 J 五仏て ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ 自 性 輪 ヲ 菩 轟 ト 見 ル ハ 知 何 ( ﹃ 大 正 義 ﹄ 国 橡 四 ・ 三O
三 中 ) と い う よ う に 、 ﹃仁王念語儀軌﹄には五仏が説かれていないことを問題としていることから、 円珍請来の受茶羅 が覚禅の設措では特異なものであったことが窺える。また、円珍の文献全穀をみても、如来・菩華・明王といっ た一連の解粍は看取されない。以上の事から安然以前の学一匠は、五仏為本の二輪身説に注巨していなかったとい ⑬ 、 え ト 品 、 ヮ 。第二章
現政期に於ける諸尊統合の理論と五壇法
済逼、寛助、信註にみられる藷尊統合の理論 第一麓 ⑬ ﹃ 桧 尾 口 訣 ﹄ 、 観 賢 ( 八 五 三 1 九二五) さて、三輪身の成立過程に関して詫来では、実慧(七八六 i 八四七)の ⑬ の﹃五大明王義﹄が検討されており、その後は覚鎮の﹃受茶羅沙汰﹄にみられる三輪身と、道範(一一七八l一 ⑬ の﹃行法肝葉紗﹄に於ける三輪身説、そして呆宝(一三O
六1
一三六二)の﹃秘義記私鈴﹄による三輪 二五二) 身説の定着化という一連の涜れが指摘されているが、院政期の段階にみられる諸尊統合の理論については現在、 言及されていない。そこで読政期に於ける展開について指捕したい。 ﹁ は じ め に ﹂ ⑫ でも紹介したように、三輪身の成立過程の上限については現在、済逗の頃と見倣わされているが、 済遣の﹃給金秘要抄﹄﹁五部人法棺摂種抄﹂では、五方五仏がそれぞれ正法輪身と教令輪身を顕現する旨を﹃秘 ⑬ の説として理解し、さらに同﹁捧三世間異会釈抄﹂では、 蔵 記 ﹄ 問。第二間関現コルト降三世イ云フ意如何。答。﹃牟利回受茶羅経﹄ 降三世金剛云云・:中略:又タ﹃議鼠経麗﹄ 三 五 均 ノ 。 河 期 如 来 口 業 ハ 文 殊 部 利 菩 薩 。 意 業 ハ 二二勺ノ。不空三蔵所持ノ﹃金関項議伽経﹄ニ説ヵク。如来各現コ二種 一 一 一 ハ 正 法 輪 身 、 二 ニ ハ 教 令 輪 身 ナ リ 。 東 方 ノ 阿 関 ハ 現 コ 金 制 子 ・ 降 三 世 イ 一 五 云 利 司 コ 射 寸 此 等 ノ 文 ハ 皆 説 一 寸 一 リ 阿 関 (﹃続真言宗全書﹄二酉・三七下) 身 ヲ 。 仏 所 現 ヲ 為 コ ト 降 三 世 尊 寸 也 。 と い う よ う に 、 ﹃牟利回支茶羅経﹄や﹃議議経疏﹄といった安然説を根拠に、諸尊統合の理論を展開している。しかも如来・菩薩・明王をコ二身﹂と理解する点に、三輪身の萌芽が見出されると思われる。 次に、同じく仁和寺或就誌の寛助(一
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五七 io
﹃別行﹄に辻、次のような説がみられる。 一 二 五 ) 次 -一 作 ヌ ハ 無 動 明 玉 三 ﹃ 摂 真 実 経 ﹄ ニ 一 五 ク 。 金 臨 輩 唾 ハ 是 レ 毘 虚 遮 那 如 来 ノ 変 化 身 也 。 不 動 能 者 ト ハ ﹃ 議 伽 ﹄ 此 ノ 不 動 集 者 ト ハ 晃 量 逮 諮 仏 之 化 身 ナ リ 。 ﹃ 金 関 項 議 館 経 ﹄ -一 云 ク 。 毘 量 逮 努 如 来 現 一 ﹂ 種 種 身 イ 。 一 一 一 ハ 正 法 輪 身 十 リ 。 現 コ 転 法 輪 菩 薩 ノ 身 子 二 -一 ハ 教 令 輪 身 ナ HJO 現コ不動明王ノ身三﹃大日経﹄ニ金制薩埠印、転法輪菩薩印者。故一一知 エえ。 ヌ大日開蓋埠、蓮華開法輪、法輪開不動。 ( ﹃ 大 正 義 ﹄ 七 八 ・ 一 六O
下 ) 寛助も済逗と同様、 ﹃金副項議伽経﹄に依って、 昆塞遮那仏が正教二輪身を現作するとし、 正法輪身に転法輪菩 薩、教令輪身に不動明王を配当し、 さらに﹃大日経﹄を援引することでこれら諸尊が一体なることを明かしてい る。しかし﹃別行﹄ で は 、 そ の 抱 昌 弘 と 、 それに伴う菩薩・明王の関連性は説かれていない。 如来の寂静智身と相違するという疑難への返答として、 ﹃住心決疑抄﹄で辻、降三世明王の調伏桓が、すでに 以下のように述べている。 また、仁和寺西院の堀池詰証(一O
八 八 i 一 一 四 二 ) の 若 シ 電 フ ハ 何 ヵ 故 -一 以 げ 此 レ ヲ 定 ン テ 為 ユ ャ 九 地 菩 薩 所 現 能 化 他 受 用 仏 ゴ 答 。 仏 ニ 有 ゴ 二 身 一 。 令 輪 ナ リ 。 今 説 ヲ 其 ノ 中 ノ 教 令 輪 身 イ 故 ニ 現 コ 盆 怒 暴 悪 之 相 ザ 。 開 。 既 -一 有 ] 寂 静 ノ 正 法 輪 身 J 何 ソ 不 り テ 顕 一 一 説 セ 其 ノ 微 妙 栢 す 殊 ニ 顕 ユ ャ 相 違 暴 悪 之 体 ↓ 。 答 。 二 身 共 一 一 是 レ 仏 ノ 功 徳 ナ ル ヵ 故 一 一 、 雄 日 説 ゴ ト 何 ナ ル 桔 寸 不 レ 耳 け フ 有 以 通 。 何 ニ 況 ャ 此 ノ 段 ハ 専 ラ 依 ヲ 断 道 -一 一 故 -一 髄 一 J 用 ノ 勝 マ ル コ ト ニ 説 ゴ 盆 怒 相 寸 一 ニ ハ 正 法 輪 。 二 ニ ハ 教 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 七 七 ・ 五 一 九 上 ) Q J正法輪と教令輪の二身にはそれぞれ、寂静相と念怒相という相違こそあるが、所詮辻仏の功認の二面牲 を示したものに億ならないと説く。しかもここでは断道の義を明かすのが目的であるから、寧ろ、如来の勝れた つ ま り 、 ﹁勧き﹂を示現する上では、盆怒棺が相応しい事を説いている。 このように、済遣や寛助の設踏では所語、三輪身と相似する仏身形態を説き、また、信託に於いては仏と正教 二輪身の関藻及びそれぞれ役割が明確に定義されているが、ここに挙げた技政期に於ける東密の学匠の説は皆、 知来所現の二輪身説に着目していたことがわかる。特に済還は﹃摂無義経﹄と同援に自性輪の用語が確認される ﹃務蔵記﹄を依層しつつも、これを仏位と解釈することなく、寧ろ﹃牟科目受茶羅経﹄や﹃球祇経疏﹄といった安 然説によって諸尊統合の理論を展開している。さらに寛劫や告証の説も、河じく安然説を想起させる内容となっ ているのが興味深い。 では荷故、これほどまでに安然説と類桜しているのであろうか。無論、済這や語証は、台密教学に精通した学 置として知られており、それぞれの著作に於いても台密教学の影響が看取される。また、院政期の真言宗の学的 態度が、ム口密教学の超克に主観が童かれていたともいわれているから、ある意味では台密教学への対抗意動から くるものかも知れない。しかし、この問題についてはさらに、事相的側面も踏まえて言及してみたい。 第二節 五壇法の教学的根拠と、仁和寺教司との交渉 台密事相の中で最も有名な怨敵調伏法を挙げるならば、 五壇法であろう。五培一法は十註紀中頃以降から十六世 紀前学期の﹁応仁の乱﹂の勃発に至るまでの凡そ六
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年の長期に渡り、中央政治史の展開と密接に関わる形で ③ 修されたと指擁されているが、その内容は、中壇に不動明王、脇壇には降三世、草茶利、大威徳、金剛夜叉の五 A U大明王を連ね、各壇それぞれに一人の阿関梨がつき、各本尊に伴う修法を行うという、壮大な犠礼である。また、 五 培 一 法 を つ と め る 五 人 の 阿 国 間 梨 に 辻 、 東 密 の 諸 師の名もみられる。よって内実は、東台両密の阿関梨の混交による修法であった乾が窺知されよう。 五壇一法は台密の人却による発案で成立した修法とされているが、 ところで、五壇法の支柱となる教学や、或いは達壇に構えるその意団というのは一体、何を根拠としているの @ であろうか。無論、五壇法の原初形態は不動法にあり、しかもそれぞれの壇に於いて不動法、降三世法、軍茶利 法、大威籍法、金剛夜叉法が修されることを考意するならば、五大明王に関係する議軌類に説かれる思想が、五 培一法の教学的援拠となるといえるであろう。また、連壇一の形態が採用される理由については、一一港一よりもさらに @ それに応ずる形で構築されたという指掃がある。とはいえ、教事二相の双翼を標袴 高次な効験が期持された為、 する密教であるから、 それ相志の教学的課拠がなければ、連壇法としての意義が成り立たないと言えるのではな かろうか。そこで五壇法が台密独自の修法であることを考慮した上で、連壇という形態を採ったその所以、 てj
、
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ては五壇法の淵源を台密教学から探ってみたい。ム口密事相の指針である承詮(一二O
五 i 一 二 八 二 ) 撰 、 ﹃ 阿 婆 縛 抄 ﹄ 第 一O
九﹁五培一法﹂には次のような記述がみられる。 五 培 一 法 不 動 誇三世 軍茶利 金制夜叉 輪 カ ! 禾三五ク。此ノ五尊ト者。九議所変之形。五仏ノ教令O
之 身 ナ リ 。 不 つ 可 け ラ 離 ル ル 故 -一 同 会 ニ テ 而 モ 修 ス 。 其 阿 龍 架 等。東寺・天ム7
三 井 交 雑 シ テ 葡 モ 連 げ ル 壇 ヲ 也 。 円 以 一 J 不 動 イ 為 コ 中 壇 ↓ 耳 ﹃ 金 疏 ﹄ ニ 云 ク 。 不 動 明 王 ト ハ 、 是 レ 中 方 ノ 念 怒 ナ ル ヵ 故 ニ 為 コ 大 根 本 づ 中 央 ハ 即 チ 為 ユ ヵ 諸 方 ノ 本 寸 故 色 。 金 剛 薬 叉 大威諒ト ハ 、 是 レ 北 方 ノ 菩 薩 ナ リ 。 北 ハ 却 チ 黒 色 。 故 一 一 為 一 ﹂ 大 黒 ↓ 也 。 降 三 世 金 部 ト ハ 、 為 コ 大 染 欲 ↓ 。 郎 チ 日 疋 レ 東 方 ナ リ 。 染 一 一 欲 ス ル ヵ 揺 来 ノ 大 菩 提 プ 夜 。 以 テ 為 ユ 大 染 欲 寸 色 。 軍 茶 利 金 剛 丈 、 名 ヶ テ 為 ユ 大 楽 斗 。 是 レ 南 方 。 謹 一 語 、 ン テ 衆 生 ノ 無 辺ノ貧量寸皆令ヲ講一一足セ世、出世間ノ大安楽す故二ハ足金剛ヲ為コ大方便ゴ文殊師科大智方便教令輪ナルヵ故 ニ 、 即 チ 西 方 也 云 j ﹃藤誠疏﹄云。不空三蔵所持ノ﹃金隣項議館経﹄ニ説カク。五方如来各現ユ二種身ザ。 令 輪 身 ナ リ 。 東 方 ノ 阿 関 ハ 金 制 子 ・ 誇 三 世 、 南 方 ノ 宝 生 ハ 虚 空 議 ・ 軍 茶 利 ﹃ 仁 王 手 一 一 一 五 ク 金 一 割 宝 ナ リ 西 方 ノ 阿 弥 詑 ハ 文 殊 師 利 ・ 六 足 尊 ﹃ 仁 王 ﹄ 一 二 五 ク 金 一 隣 科 ナ リ 北 方 ノ 不 空 成 就 ハ 擢 伏 一 一 切 魔 ・ 浄 身 金 贈 ﹃ 仁 王 ﹄ -一 云 ク 金 廠 薬 叉 ナ リ 中 央 ノ 大 日 ハ 転 法 一 ニ ハ 正 法 輪 身 。 二 ニ ハ 教 三輪身の形成に関する一考察 輪 ・ 不 動 尊 ﹃ 仁 王 ﹄ ニ 云 ク 。 金 一 捌 波 羅 蜜 十 リ 。 云 一 五 抄 ﹃ 広 摂 不 動 ﹄ 一 一 云 ク o ﹃ 牟 利 受 茶 羅 経 ﹄ 一 一 説
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転 一 イ ァ 苓 摩 羅 議 ↓ 得 一 一 法 界 性 智 之 身 密 現 コ 毘 這 逮 郭 仏 ↓ 、 現 一 J 普賢菩薩イ、意密現コ不動金制す転一 J テ 阿 頼 都 議 イ 得 一 一 大 円 鏡 智 イ 。 身 密 現 コ 関 関 仏 寸 、 口 密 現 一 J 金関手菩 襲 イ 、 意 密 現 コ 降 三 世 金 割 イ 、 転 一 J テ 末 那 識 ザ 得 一 一 一 平 等 性 智 之 身 密 現 一 J 宝 生 仏 イ 、 口 密 現 一 J虚空蔵菩薩ザ、意密現コ 軍茶利金隈↓。転コテ意識↓得一妙観察智て身密現一 J 阿 弥 陀 仏 ↓ 、 日 密 現 一 J 文殊師利菩薩ザ、意密現コ熔霊徳迦金 測す転一 J テ 五 識 寸 得 一 一 成 所 作 智 子 。 身 密 現 コ 不 空 成 就 仏 ザ 、 口 密 口 密 現 一 J 擢一一切賓菩薩イ、意業現コ薬叉金測す文 (﹃大正蔵﹄図像九・三三九下 i 三回O
上 ) このことから承澄は五大明王が九議所変、五仏の教令輪身でるるからこそ、 ﹃ 金 制 項 経 疏 ﹄ 、 安 然 の 別離して修すること誌できないとし、 その理出として前述した円仁の ﹃不動明王秘要決﹄所引の ﹃議祇経読﹄及び ﹃ 牟 利 長 茶 華 経 ﹄ この記述から円仁の説も五壇法を支える根拠の一つといえるが、 五智転議 の相伝説を列挙している。尚、 説と五大暁王の関係、及ぴ五仏の教令輪身とするのは、安然によって初めて提示された説である。従って、 五 大 今 ム ヮ “その所依となったのは安然説とみるのが穏当である。 @ 五壇法の実例を記録した﹃五壇法司記﹄(﹃河婆縛抄﹄所収)を参損したところ、済濯や寛助、信証は皆、 ⑤ 五培一法をつとめており、中でも寛助は生涯のうち、少なくとも十四回の五清一法に携わったことが確認される。こ 明王を列挙する所以、及び五壇法の成立に当たって、 ま た 、 の事から五理一法を通じて、台密諸師と親密な交渉を重ねていたことは想録に難くない。また、詩、選については三 @ 度の五壇法を修法し、同じく信託も天治一瓦(一二一四)年、安産訴願、の五壇法を筆頭として、合計四度の修法を 数えることができる。よって請遣や寛助、信証による諸尊統合の理論は、安然教学の影響力と、このような法会 に於げる、台密諸師との交渉が相挨って構築されたものとみてよいと考えられる。しかし、ここに挙げた諸諦の 文献からは管見の限り、三輪身説を検出することはできない。そうなると何故、 これら学匠とほぼ同時期に活躍 した堂鎮の著作にのみ、突如として明確な三輪身説がみられるのであろうか。
第三章
現政期に於ける三輪身説と、覚鎮の三輪寿に対する私見
憲行、亮恵といった、院政期の学匠に於ける三輪身説 第一節 では十二世紀前半 i 中期の真言宗の学一置のうち、覚鍍以外に三輪身に言及した人物は誰であろうか。それは勝 定 一 房 恵 什(
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一 一 三 五1
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が挙げられる。覚鍍の三輪身説については後 と 亮 恵 三O
九八1
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)
述し、ここでは恵什と亮恵の三輪身について一言しておきたい。 まず、恵什の三輪身説については、心覚(一一一七 i 一 一 八O
)
撰﹃鶴林鈴﹄にみられることが井ノ上 松)徹むによって指摘されている為、ここで辻井ノ上氏の論文に従って﹃鶴林鈴﹄の内容をみてみたい。 下 円 ぺ り つ μ勝 定 房 云 ク 。 東 寺 ノ 五 菩 寵 ノ 事 。 先 年 輿 一 一 正 覚 一 房 一 有 コ 論 事 ﹂ 最 モ 秘 事 ナ ル ヵ 故 一 一 強 不 レ 被 レ 論 。 講 堂 ノ 仏 ハ 仁 王 経 受 奈羅ナリ。中ノ五仏ハ自性輪身、東ノ五尊ハ正法輪身、西ノ五尊ハ教令輪身ナ J 五 々 。 ここでは、東寺議堂の諸尊との関係で三輪身説が言及されているが、 明 確 に 五 弘 、 五 菩 薩 、 五明王のそれぞれが 自 性 輪 身 、 正法輪身、教令輪身の順に配当されていることが確認でき、しかも勝定房(恵什)と正覚房(覚鍍) との関で、東寺講堂の五菩薩をめぐる論争があったことが記されている。 そこで、この論争が具体的にどのようなものでるったのかについては、﹃覚禅抄﹄第二十六﹁仁王経上﹂所収 の﹁東寺講堂五菩藍中方菩譲事﹂をみると、次のようにある。 東寺講堂五菩譲中方菩薩事 或 人 語 云 タ 。 於 一 J 釈 王 寺 一 一 勝 定 房 関 梨 z r 正 覚 一 房 上 入 大 ィ 一 一 在 コ 詩 論 ﹂ 関 梨 一 五 ク 。 金 制 波 羅 蜜 菩 薩 色 中 略 上人云ク。中方菩襲。前方。但タ是レ金割薩謹也云 i ( ﹃ 大 正 義 ﹄ 図 畿 四 ・ 三
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八下 i 三O
九 上 ) これによると、論争の中心は東寺講堂の五菩華の内、中尊を如何なる菩襲と見なすかという点にあった事がわか り、恵仔は金樹波羅蜜菩薩とするのに対して、覚鍍は金隣薩埠と見なすのが相応しいことを述べている。また、 ﹃白宝抄﹄﹁仁王経法雑集上 L に辻、次のような記述がある。 恵什ハ云フ金剛波羅蜜↓凡ソ五如来、五菩薩、 五 大 尊 、 党 釈 四 王 。 如 げ 此 ノ 次 第 応 跡 、 ン テ 護 コ 国 土 ザ 之 仏 殿 故 。 額 一 一 A 斗 A云 一 J 教 王 護 国 之 寺 づ 鍍 輿 什 ヵ 同 道 、 ン テ 高 野 -一 参 ル 時 。 於 一 J 木 屋 堂 一 一 二 郎 議 ユ ル ナ ヮ 此 ノ 事 三 銭 汝 ハ サ ラ ハ 只 金 隣 波 羅 蜜 ト存テアレト被云待。意什云。哀哉不炉習レ物ヲ蕪力事力ナ。仁王経法ヲ不げ知シラコソアンナレトッフヤク云 1 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 図 像 一
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・ 六 八 四 上 ) これらの記述から、恵什が金鰯波羅蜜、覚譲は金識甚埠という見解を示していた事が窺え、また、 ⑧ 於いても恵什は、金隣波羅蜜の立場から、覚鍍説を批判している。 ③ ﹃覚禅抄﹄巻二七﹁仁王経下﹂をみると、次のようにある。 ﹃ 臼 宝 抄 ﹄ に 次に、亮恵の三輪身説については、 正法輪身教令輪身事 ﹃牟梨国交茶羅経﹄ニ云ク。第九阿慶頼議。法界体性智。毘慶遮部。普賢。不動。第八阿頼事議。大円鏡智。 阿関。文殊。降三世。第七末那識。平等性智。宝生。産空載。軍茶利。第六意識。妙観察智。阿弥詑。観音。 大威信。前五議。転成i
所作費。釈迦。又不空成就。金開業。金磁夜叉。云 i 取意 ﹃金融項経﹄一一云ク。毘虚遮那仏現コ二謹身ザ。若シハ正法輪身現ユ転法輪菩葺ザ。却チ金融薩唾菩薩也 G 若 シ ハ 教 令 輪 身 現 コ 不 動 身 ザ 有 レ 所 レ 立 。 依 ヲ 身 密 -一 一 哉 一 一 現 一 J 普 賢 身 ↓ 。 依 ラ 口 密 一 一 時 以 一 一 環 コ 不 動 尊 寸 。 依 ラ 意 密 一 一 一 始 以 ニ 昆 室 遮那身文 ﹃ 疏 ﹄ ニ 云 ク 。 正 法 輪 五 日 賢 。 教 令 輪 ハ 降 三 世 文 余 方 皆 准 以 之 -一 云 4 1 三 五 ク 。 五 方 五 仏 。 各 現 コ 二 種 身 寸O
正法輪身ハ転法輪菩薩。教令輪身ハ不動一五 l 余 方 准 以 之 一 一 ﹃ 仁 王 経 議 軌 ﹄ ﹃ N む忠義召し 1 f ↓ 第 三 日 ﹄ 余 方 准 以 之 三 五 h ノ 。 不 動 毘 童 遮 那 盆 怒 。 自 性 一 輪 般 若 菩 誰 私 三 五 ク 。 ﹃ 軌 ﹄ ト ﹃ 秘 記 ﹄ ノ 文 相 違 ス ル 也 。 普 通 ハ 五 仏 ハ 自 性 輪 。 菩 薩 ハ 正 法 輪 。 明 王 ハ 為 コ 教 令 輪 斗 一 五 1 F ひ っ 山﹃ 法 務 御 記 ﹄ -一 般 若 菩 藍 ハ 却 チ 正 法 輪 云 i 亮 恵 云 ク 。 五 仏 自 性 輪 五 菩 譲 正 法 輪 五 明 王 教 令 輪 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 図 像 西 ・ 三 一 七 中 ) ③ ここでまず、仏・菩薩・明王の関係性を端的に示した説として﹃牟梨蔓茶羅経﹄の相伝説が紹介され、それに続 く形でさらに五仏為本の二輪身説が挙げられているが、覚禅はこれらの説と﹃秘蔵記﹄の内容が全く合致しない ことを問題視している。ここで留意すべきなの辻、亮恵の三輪身説が挙げら紅ていることである。亮恵は醍醐三 流の一つである金隈王院流の流握、聖賢(一
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八 三 i 一 一 一 四 七 ) から伝法濯項を受けている為、付法としては三 宝探流、すなわち小野方にあたる入部であり、師の聖費はというと、東寺講堂及ぴ仁王経法に関係の深い人物で @ あったことが確認される。このようにみると、三韓身設はすべてこの時期に集中し、しかも東寺講堂の諸尊と仁 王経法との関連性から言及されるようになる。 恵行が東寺譲堂との関係で三輪身説を説いた点について井ノ上氏は、﹁恐らく恵行は、覚鎮が仏位、菩薩位、 明王柱にそれぞれ自性輪身、正法輪身、教令輪身を配当していることに、何らかのヒントを得たものと考えられ、 五菩輩、五大明王に三輪身のそれぞれを前の如く配当するにいたったのではなかろうか。 L と 東 寺 講 堂 の 五 仏 、 指播しているが、この頃、覚鍍以外の著作から顕著な三輪身説を確認することはできない為、恵什や亮恵のいう 三輪身説は、覚鏡と決して無関係で辻ないと思われる。そこで次に覚裂の三輪身説について言及したい。 第二節 覚畿の三輪身説と東大寺君 従来の検討では苦、次に示す﹃回受茶羅沙汰﹄ の文によって定義している。すをわち、 角 h v ヮ “又云。或身会、三摩耶会、羊石会、供養会、 四 印 会 、 己上ノ六会ノ受茶羅ハ自性輪身、 理趣会ハ正法 一 印 会 、 輪身、降三世・降三世三憲耶ハ教令輪身。付コテ金剛界ノ蔓茶羅一分一 J 三部す六会ノ蔓茶羅ハ云コ仏部↓、 理趣会 ハ蓮華部、誇三世・誇三世三摩事/二会ハ金剛部。 (﹃輿教大師全集﹄土・七九四) とあり、金剛界九会蔓茶羅の内、成身会
1
一印会を自性輪身に、 理趣会を正法輪身に、降三世・降三世三摩耶会 が教令輪身というように、 それぞれ配当していることがわかる。また、同じく﹃蔓茶羅沙汰﹄には、 閣 同 呂 、 五 大 院 -一 軍 茶 利 、 金 剛 夜 叉 不 レ 晃 一 五 一 向 、 一 ハ 不 レ 御 サ 五 大 技 ト 云 事 ハ 付 一 一 五 菩 量 一 名 ク ル 也 。 必 例 ノ 五 大 尊 不 レ 可 一 一 心 得 一 云 云 。 一 ハ 又 栴 ス 胎 蔵 ハ 且 ク 表 三 二 部 斗 故 、 挙 コ 三 部 ノ 主 寸 、 宝 部 、 羊 石 部 ノ 二 尊 ハ 摂 コ ル 仏 蔀 -一 敗 。 上 方 下 方 ノ 中 間 ノ 三 尊 ハ 仏 部 、 左 右 ハ 蓮 ・ 金 二 部 一 五 一 五 、 日 疋 レ ニ 取 テ 何 ゾ 主 多 ク 春 属 ハ 少 リ ト 也 云 云 。 論 議 生 ル 其 ハ 上 下 二 方 ハ 仏 部 十 レ ハ 須 ク 仏 部 ノ 尊 有 一 J 左 右 -一 逗 レ 表 二 蓮 ・ 金 両 部 一 兼 テ 仏 部 / 所 -一 如 レ 彰 一 不 一 一 ハ 之 ヲ 春 属 ハ 小 キ 也 一 五 云 民国、持明院ノ般若菩薩ハ金隣薩謹也、般若与金隣共同智恵ノ義、薩唾ト与二菩薩一又同義ト一五云。恵転ンテ成以 智ト、因受茶羅ナレバ云コ般若寸、果自由瓦茶羅ナレパ云つ金制↓車。﹃大司経﹄ノ対告衆金制手ハ即チ般若菩藍也一五一五 秘密ト与一一夜叉一党・漢ノ異名也。持明院ノ勝三世ハ大E
所現ノ不動尊云云金岡界ノ受タラハ円ニ図り之ヲ、胎蔵量 タ ラ ハ 方 -一 国 以 之 ヲ 、 諸 尊 ノ 三 味 耶 形 不 レ 過 守 一 五 輪 一 一 略 以 レ ノ 之 ヲ 摂 一 一 尽 ス ト 方 円 一 一 一 可 レ 得 レ 心 レ 之 ヲ 云 一 五 。 是 一 一 取 テ 三 角 半 月 ハ 何 ヵ 収 コ 方 円 一 云 議 知 常 大E
ノ 正 法 輪 身 ハ 被 レ 顕 一 三 金 関 瑳 唾 ↓ 、 教 令 輪 身 被 山 一 顕 一 一 不 動 -一 て 性輪身者法生法往不二惣一体、正法輪身者能化所化支ハニ相穎セル体也、教令輪身者不動降三世一教令輪ト者イマシムル義、 サ レ ハ 大 日 ノ 蔓 茶 羅 一 五 一 一 金 制 薩 埋 寸 也 、 不 動 ノ 岳 円 i q 4所 生 法 フ ヰ 一 能 先 送 歪 ぞ 一 ン テ 謁 伏 也 云 云 閃 同 国 : ・ ( ﹃ 輿 教 大 獅 全 集 ﹄ 上 ・ 七 九 四 ) というように、給議界蔓茶羅の五大誌の尊格のうち、軍茶利・金制夜叉の詞明王の所在に関する問題、及び持明 院に於ける般若菩薩と金問薩埠の同体が説かれており、それに続く形で不動の自性輪身、すなわち大 E 如来を自 性輪身と把捉する三輪身説が明示されている。また、これと桔恕した内容が﹃金制項経蓮花部心念議次第沙汰﹄ ( 又 名 ﹃ 金 剛 界 沙 汰 ﹄ ) に も み ら れ る 。 三輪身の形成に関する一考察 以 一 J 五 智 寸 分 一 一 別 ス ル 三 身 寸 時 以 一 J 大 吾 、 南 関 ﹃ づ 対 コ 法 身 -一 一 以 一 J 宝 生 、 阿 弥 陀 寸 。 配 コ 報 与 一 一 法 一 J ハ 新 電 一 一 蕗 身 ナ ザ 以 一 J 不 空 或 就 イ 配 コ 化 身 一 一 六 度 之 時 -一 ハ 後 四 破 羅 蜜 収 ユ 般 若 -一 一 云 云 自 性 輪 身 ハ 大 日 法 住 法 位 不 二 一 総 体 正 法 輪 身 ト ハ 者 能 化 所 化 共 桔 順 体 也 。 教 令 輪 身 者 不 動 捧 三 世 等 教 令 輪 者 折 伏 方 便 イ マ シ ム ル 義 也 、 所 北 違 フ 裁 - 4 出 北 y 盆 怒 シ テ 調 設 也 一 輪 ト 者 如 け 雷 ノ ( ﹃ 輿 教 大 隊 全 集 ﹄ 上 ・ 七 三
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)
ここでは金剛界五仏が、三身説に基づき、大5
・ 阿 関 が 法 身 、 宝 生 、 阿 弥 陀 が 報 身 、 不空成就が化身としてそれ ぞれ解釈されているが、 それに続く形で、大日知来を自性輪身とする三輪身と、 それぞれの性賓が説かれている。 このように、覚鎮の三輪身説は一貫して自性輪身が仏位と把捉されているが、 ここで留意したいのは、右に記 した﹃受茶羅沙汰﹄ の本文には﹁尋ねて云く・:﹂とあるように、所諸問答形式を採用している点である。そこで ﹃ 四 国 手 余 羅 沙 汰 ﹄ と は ﹃ 金 割 界 沙 汰 ﹄ 、 ﹃ 給 議 界 沙 汰 ﹄ 、 ﹃蔓茶羅沙汰﹄という資料そのものについて言及すると、 ﹃ 十 八 道 沙 汰 ﹄ 、 ﹃息災護摩抄﹄と並ぶ、所語五部作の一つに数えられ、これらテキストは覚鍍とある師匠との口 の霊前には、次のような 訣を護めたものである。そこで、この師が一体誰を指すのかというと、 ﹃ 金 期 界 沙 汰 ﹄。 。
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興味深い記述がみられる。 高野正覚房聖人、奥州東大寺君奉一一伝受一袷私昌記色、 全不可能見者也云云 ( ﹃ 異 教 大 傾 倒 全 集 ﹄ 上 ・ 七 三 六 ) つまり、これら五部作はすべて﹁臭剤東大寺君﹂なる入師との問答 E 訣書として珍重された書物なのである。こ の﹁奥州東大寺君﹂であるが、梅田良洪氏は ﹃血脹中院﹄に﹁大法師円勝東大寺公﹂ の名前がみられることから、 これは東大寺僧円務(生没年不詳) 醍醐三宝院の開桂でるる勝覚(一
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五七 l 一 一 二 九 ) この円務は、高野中践の血振をうけつつも、さらには、 ③ の付法であることを伝えている。しかし、苫米地誠一氏は、 のことを指すとし、 勝覚の付法と指捕する靖国説に対して、勝覚のどの車販譜中をみても円勝の名が確認されないことを指摘し、さ らには﹁奏州東大寺君﹂という呼称に対しては、﹁単に東大寺僧でるるというよりは東大寺を代表する思当・権 @ 別当等を指すもの内ごとくにも思われる L としながらも、誰を指すのかは不明であると述べている。しかしとも あれ、﹃蔓茶羅沙汰﹄や﹃金剛界沙汰﹄にみられる三輪身説は、覚鎮の質問に対する師日く、すなわち﹁東大寺 君﹂の応答部分に該当している。さらに﹃金隣界沙汰﹄には、 師 口 ニ 云 ク 、 東 寺 ノ 薩 ・ 宝 ・ 法 ・ 業 四 菩 薩 立 テ 不 レ 持 フ 鈴 杵 イ 、 金 剛 薩 播 一 ヲ 中 尊 一 一 奉 以 居 い 之 ヲ 羊 石 会 金 理 隆 一 理 印 忠 夫 三 ( ﹃ 輿 教 大 師 全 集 ﹄ 上 ・ 七O
八 l 七O
九 ) 之 ーヲ とあり、東寺講堂の五菩薩のうち、中尊を金隣薩唾とする見解がみられる c 従って、覚鍍に於ける三輪身説、及 び恵什との静論の擦、東寺講堂に於ける中尊の菩襲を金倒産埠と血判した理解は厳密にいうと、覚鍍自身の説で Q d 今 ' Uはなく、﹁東大寺君﹂の説を継承しているに過ぎない。しかし、覚鍵晩年の著作である﹃五輪九字明秘密釈﹄﹁第 七覚知魔事対治時﹂にも三輪身説が説かれることから、覚繍液晶私学の中で東大寺君の口訣は、非常に重要な位霊に あ っ た こ ん 叫 が 理 解 さ れ よ う 。 このように、如何なる人物であるかは不明な﹁東大寺君﹂であるが、十一世紀 i 十二堂紀に於ける、東大寺と 真言宗の関穏を考慮すると、少なくともその素性は理解される。則ち、空海が東大寺に住するに当たって真言院 @ が建立され、以捧は理源大師聖宝(八=二
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九O
九)が東高院を興して三論宗の穆学道場とした。これによって 南都は、顕密兼修の方向へと展開していくこととなるが、東大寺や興福寺といった南都諸大寺へ真言宗僧が出向 し、そこで顕教を修学したのと一同様に、醍醐寺に於いても三論宗が告持され、三論宗僧が醍醐寺に生し、密教の 研鍵に勤行したことが史実となっている。このように、当時の密教は既に東台両密の範曙を越え、各宗派に於け る重要な教義として、真撃に穆学されていたことが窺えるのである。よって東大寺の中から探出した真言学僧が @ 登場しても何ら不思議はない。その一例こそが正しく東大寺君であり、三輪身を覚鍍に伝授したこと、或いは東 寺講堂諸尊に関する言及がなされていることから東大寺君が醍醜寺を筆頭とする密教教学に精通した﹁東大寺﹂ の人間であったことが推察されるのである。また、これはあくまでも控測に過ぎないが、三輪身のうちの自性輪 の用語が確認される﹃摂無磁経﹄が、東大寺育黙(九八三年入宋、九八七年帰朝)によって初めてB
本に講来さ れた文献であり、この事と東大寺と真言宗の関孫を勘案するならば、顕密兼穆の状況下から三輪身説が創設され た、という可能性もるるのではなかろうか。 A ひまとめ
三輪身に関する従来の検討で辻、覚鎮の ﹃ 民 間 瓦 奈 羅 沙 汰 ﹄ に 三 輪 身 が 明 示 さ れ る こ と を 起 点 に 、 その成立時期を 問う論考が主流となっていた。筆者も以前論及したのであるが、向井隆鍵氏が三輪身説の思想史的経路について ﹁簡単なものではないこと﹂を指摘しているように、結果としては、﹁三輪身説がいつ、 ど こ で 、 だれによって 建立されたのか﹂という点を明らかにすることは屈難を要するものである。無論、安然による五仏為本の二種輪 身説が、三輪身説形成の一大要因となったことは道範の説からも窺知されるため、安祭教学に於ける諸尊統合の 理論が、三輪身の先駆思想であったという結論に対しては変わらない。また、ム口密側の文献では、承澄の弟子で 八大明王を教令輪身とみる説を ⑧ 挙げており、これが﹁五大院云く﹂というように、安祭の段階で既に、自性輪身の存在を認めるような説も確認 ある澄豪(一二五九 l 一 三 五O
)
が﹃総持抄﹄巻三にて、 八大菩薩を自性輪身、 さらに、準豪の説にみられるような菩薩を自性輪と記捉する理解が後世、東密側の文献(特に﹃秘蔵記﹄ の注釈書)に於いても震関されるよう ζ なる。但し、これら東密に於ける三輪身説の変容とその意義については、 さ れ 、 今後の課題としたい。 少なくとも今回の調査によって、覚裂の三輪身説自体が覚鍍祖自のものではなく、三輪身の形或には密教に靖 通した東大寺の入師が加担していることが理解された。しかしこれは醍麟寺と東大寺による、顕密兼修が一般化 の時代にあっては当然のことと思われる。とはいえ、東大寺や興福寺といった南都諸宗に於ける密教研鎮の態度 が解明されることで、東台両密の理解へと繋がる所もあることが察せられ、三輪身読も含め、 さらには日本密教 の形成と展開を考察する上では、今後はさらに広い視野から検討を試みる丹も重要なことであると忌われる。 qJ註 @﹃摂無礎経﹄の成立時期に関して向井隆縫氏は、﹁不空以後かなり後世における胎蔵系の思想を受けた人により、不 空に訳名を板託して出現したものと推理される﹂と述べている。向井隆健﹁三輪身について﹂(﹃豊山教学大会紀要﹄ 一一号・一九八三年) 争 以 一 J 五 念 怒 寸 相 一 一 宛 ス 五 智 一 一 。 不 動 尊 ハ 昆 虚 一 遜 郡 盆 怒 。 自 性 一 総 数 若 葦 経 緯 三 世 ハ 何 割 仏 念 怒 。 自 性 輪 金 一 型 経 一 種 軍 茶 利 ハ 宝 生 仏 念 怒 。 自 佳 品 諸 島 且 割 蔵 王 菩 薩 六 足 尊 ハ 無 量 寿 仏 念 怒 。 自 性 論 文 殊 萱 援 金 剤 薬 叉 ハ 不 空 成 就 仏 念 怒 。 自 性 輪 一 郎 牙 菩 薩 是 寂 静 身 也 又 以 一 J 議積金剛イ為ユ不空或就仏/ 盆 怒 ↓ 。 自 性 斡 ハ 金 剛 業 色 。 穣 積 ハ 却 チ 烏 裏 撞 墜 菩 薩 也 。 無 義 勝 ハ 釈 迦 念 怒 。 自 性 給 慈 氏 又 馬 頭 ハ 盤 山 量 寿 念 怒 。 是 正 監 視 音 ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ (﹃弘法大師全集﹄二・匝七)議、﹃秘蔵記﹄の説は、﹃摂無凝経﹄のそれと大同小異である。 ③干潟龍祥﹁四種法身と三輪身の創設者について﹂(﹃密教大系﹄巻一・一九九四年・法蔵館)及ぴ向井隆健寸前掲論 文 ﹂ ( 脚 注 ① ) @東寺講堂の諸尊についての論考は多数確認されるが、中でも原浩史氏の論考(﹁東寺講堂五大明王像の造立意図と 仁王経法 L ・﹃史友﹄三七号・二
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五年)では、今日までの先行研究を網羅し、従来の考え方に対する問題点を提示 し て い る 。 ⑤ 拙 稿 ﹁ 安 然 教 学 に お け る 仏 身 観 i 三輪身との関連を中心に i ﹂(﹃印夏学仏教学研究﹄第五五巻・第二号[通巻第二 一 号 ] ・ 二O
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七年) ⑤安然説についての詳揺は諮稿(脚註⑤)を参黒願いたい。 ⑦面同時毘虚遮部如来。於色界項第四禅或等正覚。時下須弥出項。於金期宝楼閣。尽産空遍法界一切如来皆悉雲集。前 後回繰異口同音。唯願世尊転妙法輪甚深秘密。舟謂金隣界輪。降三世教令輪。遍調伏法輪。一切義成就輪。恕是四輪 従毘虚遮那心出。(﹃大正蔵﹄二0
・五七七中) ⑧﹃大正義﹄一九・六O
七中 ⑨一切如来者。準議伽教中五仏是也。其五仏者。即尽童空遍法界無尽無余仏。豪成此五身也。 七 上 ) ⑮例えば﹃菩提心義抄﹄巻五(﹃大正蔵﹄七五・五四一中 1 下 ) に は 、 引す不空三蔵所持ノ﹃金翻項議伽経﹄ザ云ク。五方五弘各現コ二種身寸。 ( ﹃ 大 正 歳 ﹄ 一 九 ・ 六 O ﹁ 又 ﹃ 仁 王 珠 伽 ﹄ / 中 及 と ﹃ 仁 王 呉 貢 詩 薮 ﹄ -一 一 ニ ハ 正 法 輪 身 。 二 ニ ハ 教 令 輪 身 ナ リ 。 此 ノ 二 輪 ノ 名ハ 十 作 品 一 J ル ﹃ 理 趣 釈 ﹄ ノ 中 一 一 。 毘 墨 舎 那 如 来 現 コ 二 種 身 イ 。 阿 関 如 来 現 コ 二 種 身 ↓ 。 : ・ 以 下 略 : ・ ﹂ と あ る 。 。佐和隆研﹁弘法大師請来の密教美街﹂(﹃空海﹄ i 宮本名僧論集 i 巻三・吉川弘文舘・一九八二年) ⑫尚、円珍撰とされる司法華経詞雰和合義﹄(﹃智蓋大師全集﹄二七・九密七上)には﹁又タ﹃仁王経﹄ニ云ク。所レ説 7 五大力ハ又五智如来也・:﹂と為号、五大力菩護と五仏の関係が説かれるのみである。しかも本書には偽撰誌が提示さ れている為、直ちに円珍の説とすることには慎重を要する。 ⑬但し、空海の直弟子である実慧(七八六 l 八四七)の﹃槍尾口訣﹄(﹃大正蔵﹄七八・三 O 中)では﹁凡ソ一切如 来 -一 有 ゴ 教 令 輪 ・ 正 法 輪 ﹂ 是 / 二 種 ハ 摂 コ ル 如 来 ノ 聖 教 ↓ 也 。 説 コ ハ 諸 急 怒 尊 ノ 形 体 及 ヒ 其 ノ 法 イ 。 是 レ 教 令 輪 。 自 余 ハ 正 法 輪 車。﹂というように、一切如来に教令輪・正法輪の二種輪があることを明言している。また果宝の﹃理趣釈秘要鈴﹄ 巻七三大正義﹄六一・七
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五下)では﹁﹃仁王念諦軌﹄云。然是五菩薩依一 J 二 種 輪 一 一 視 す ニ 身 ヲ 有 川 異 。 一 者 法 輪 現 コ 巽 賓 身 イ 。 所 ν 修 え ん 行 頭 ニ 報 ン テ 得 す 身 ヲ 故 -一 。 二 者 教 令 輪 一 不 平 成 怒 身 イ 。 由 げ 起 コ -一 大 悲 ゴ 曳 コ ル ヵ 威 猛 ↓ 故 文 ﹃ 菩 提 心 義 ﹄ 第 五 云。又﹃仁王議伽﹄中及﹃仁王良貢師読﹄引市一子不空三義所持/﹃金剛項論併経﹄↓云タ。五方五梯各現ユ二種身イ。 一 一 一 ハ 正 法 輪 身 。 二 ニ ハ 教 令 輪 身 文 長 一 プ 此 等 文 一 一 。 菩 薩 ノ 身 ヲ 云 三 止 法 輪 づ 急 怒 ノ 身 ヲ 云 コ 教 令 輪 寸 。 嘗 段 / 盤 作 ノ 意 ロ 正 法 輪 ハ 通 一 三 億 菩 薩 一 一 敗 。 ﹃ 桧 尾 口 決 ﹄ 云 0 ・:中略:・郎此意色。﹂というように、安然の説は実慧を受けたものとして全通して いる。しかし、安然は実慧の説には一切言及することなく、専ら不空訳文献を基盤とした理論を展開している。 ⑬実慧の説について辻脚註⑬参照。 ⑮﹃五大明王義﹄(﹃弘法大師全集﹄四・八五九)には﹁菩輩に二撞の身有り。一つには転法輪身。・:中略・:二つには 教令輪身:・﹂とあり、二種輪身を説いていることがわかる。また捧三世・軍茶利・熔量徳迦・金剤薬叉・不動の五大 尊がそれぞれ、大円鏡智・平等性知7
妙 観 察 知7
或所作智・法界体性智の五智と対応し、密教の観法と転識得智とを 結び付けて解釈されているのが特設的であるといえよう。しかし﹃五大明王義﹄では如来は登場せず、また転法輪身 (正法輪身)と諸尊の関係性も不明である。 ⑬﹃行法肝葉鈴﹄巻中には次のようにある。﹁自性輪身密、正法輪語密、教令輪意-密、阿関自性輪、金期薩唾正法輪、降三世 教令輪、宝生自性虚空蔵正法軍茶利教令・:(﹃真言宗全書﹄一二ニ・二三上)﹂尚、道範の理解についても拙稿(脚註⑤) を参照醸いたい。 一 一 一 正 法 輪 身 ハ 現 コ 転 法 輪 菩 華 イ 。 一 一 -一 教 令 輪 身 ハ 現 コ 不 動 金 制 す っ d つ d⑫向井氏は﹁済逗自身が本書で﹃秘蔵記﹄を引用しながらも、自性輪身を用いることなく、二輪身を以て教令輪身を 説明していることから、三輪身説は顕著に窺えない。しかし﹃対弁鈴﹄には﹃分別聖泣経﹄に山引用される﹃梼伽経﹄ の頭、すなわち﹁岳性及受用、変化並びに等読、仏穂三十六、皆同じく自性身並ぴに法界身。総じて三十七を成す﹂ に注目し、更に﹃金剥界礼識文﹄の大目、間関を自性身とするなどの文を引用して、仏身とは自性身であるというこ とに詮自していると思われる﹂とし、この仏身が自性輪身に結びついたのではないかと指摘している。向井詮鍵﹁前 掲論文﹂(割注①)参頚 ⑬﹃続真言宗全書﹄二四・三二上 i 下 @東台雨密に於ける教学的交渉については苫米地誠一﹁中川実範の仏身観﹂(﹃密教学研究﹄一二一一了二
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一 年 ) 及 び 大久保良峻﹃台密教学の研究﹄(法蔵館・二O
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四 年 ) 等 参 照 。 @森茂暁﹁五壇法の史的研究﹂(﹃九州文化研究所紀要﹄三九・一九九四年) 。森茂暁﹁前掲論文(脚注⑫)﹂参照 @尚、台密に於ける不動法辻、安然の﹃広摂不動明王都要決﹄によるところが大きい。 ③これについては速水箔﹃平安貴族社会と仏教﹄(吉川弘文館・一九七五年)、森茂娩﹁前掲論文(剥詮⑩ ) L 参 照 。 @甫、森茂境託辻五壇法の鯵法記事を網羅的に纏めている。森茂暁﹁五壇法修法一覧﹂(﹃福詞大学入文論叢﹄三0
・ 一・一九九八年)また、速水錆氏も、五十回以上の穆法例を挙げている。速本信﹃荷揚書﹄(脚注@) ③森茂暁﹁前掲論文(脚注@)﹂参類。潟、済濯、信証の修法函数についても同論文参照。また、櫛田真洪氏は十五 屈の事例を報告している。構由良洪﹃覚援の研究﹄(吉川弘文館・一九七五年・四六頁) @但し、済、逗がつとめた五壇法は、東寺一円による修法に限定されている。 @井ノ上(下松)散﹁東寺講堂の諸尊と三輪身説﹂(﹃密教文化﹄一五七号・一九八七年) 。また、﹃東寺文書﹄﹁東寺事﹂(﹃興教大師伝記史料全集﹄史料五三九頁)にも、同様の内容がみられる。 @これと同様の内容が﹃臼宝抄﹄﹁仁王経法雑集上﹂(﹃大正蔵﹄密橡十・六回六上 1 中)にもみられる。 @ここにいう﹃牟梨蔓茶羅経﹄の相﹂伝説は、安然説と異なるものである。 ③﹃東寺文書﹄﹁東寺事﹂(脚註@)に辻﹁東寺ノ事。醍醐ノ三密房阿爵梨聖賢撰之講堂ノ事、講堂己下皆掬婦朝之後建 立。﹂とあり、聖賢には東寺講堂に関する嬰述書があったことがわかる。また、仁王経法については﹃覚禅抄﹄第二 d 斗 A q t u六﹁仁王経上﹂をみると、﹁聖賢云。 議 L 図録酉・三
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二 上 ) と あ る 。 @これと同様の奥書が﹃詰蔵界沙汰﹄(守興教大師全集﹄上・七五回)にもみられる。 @構由良浜氏は円勝の付法経緯から、﹁再勝はなかなかの僧で今 B まで伝、えられていない碩学の僧と言うべきでるろ う﹂と述べ、円勝が当時、密教に精通していたことを示唆している。梅田良洪﹃前掲書﹄(脚注@)参照 @苫米地誠一﹁興教大師覚鍵の往生観﹂(宮坂者勝博士古稀記念論文集﹃インド学密教学研究﹄下・法蔵鈷・一九九 三年)部註参照。また苫米地氏辻、検校阿麗梨行恵から付法を、つけた僧の中に、後に覚鎮の弟子となる大乗一房証印・ 浄畿一男日禅と共に円勝の名があること、さらには行恵が師の具禅から濯項受法したのが天永二年(一一二二)である ことから、円務と覚鍵は同世代の人物と北乏しており、寧ろ円務に師事することは年代的に合わないことを示唆して い ヲ 念 。 ③ 初 ノ 対 治 ト ハ 者 。 当 日 ヘ ン 観 コ 一 切 三 世 一 言 住 ノ 仏 界 魔 界 、 皆 目 疋 レ 法 身 本 有 ノ 三 密 寸 ト 。 担 げ / 是 ノ 三 密 ハ 互 相 一 一 渉 入 ン テ 一 味 子 等 ナ ー 魔 羅 ノ 三 密 ト 与 一 一 我 # 三 密 一 本 来 不 二 ナ ヮ 。 既- 4
一 三 二 法 ﹂ 山 豆 一 一 有 予 障 擬 ﹂ 三 密 ト 与 一 一 三 密 一 本 来 平 等 一 一 三 本 不 生 ナ2
故 - 一 。 諸 仏 ・ 衆 魔 同 一 法 界 ナ リ 。 瑞 伽 ノ 三 密 互 梧 -一 輪 円 ン テ 。 離 り 損 ヲ 離 い 減 ヲ 無 げ 誇 モ 無 り 怨 モ 。 所 有 ノ 念 怒 郎 チ 日 疋 レ 諸 ノ 教 令 輪 身 ナ ー 動静威犠無り非T
コ ト 印 契 一 一 一 。 所 出 / 音 声 ハ 皆 目 疋 レ 真 言 ナ リ 。 所 念 / 意 趣 悉 ク B 疋 レ 禅 智 ナ リ 。 所 有 / 随 順 可 愛 ノ 諸 棺 ハ 亦 如 来 ノ 自 性 輪 身 ナ リ 。 所 説 / 言 語 無 り 非 ヨ ル コ ト 総 持 -一 一 。 行 住 坐 臥 尽 夕 日 疋 レ 印 相 ナ リ 。 所 思 所 覚 亦 ハ 智 亦 ハ 定 ナ リ 。 日 疋 ヲ 名 コ 密 教 ノ 顕 対 治 / 棺 づ (﹃異教大師全集﹄下・一一七一) @覚鎮は高野山に大伝法読を建立する捺、それまでは尊勝弘項尊を本尊としていたものに対して、新たに大自如来と 金制薩埠の二尊を討加している。向、覚護の金割譲唾に対する理解について辻北尾監心﹁輿教大師における金制輩 播亡(﹃密教学研究﹄二五号・一九九三年)に詳しい。 @聖宝は、強めは三議宗・東大寺を本宗・本寺としていたが、三十代後半から真言宗へ額鰐し、﹁三論議真言﹂を本 宗とし、東大寺の東南院も、この頃から真喜一7
三議一向宗の﹁本所﹂としている。永村真﹁中世醍醗寺と三論宗﹂(大 隅和雄﹃仏法の文化史﹄吉川弘文館・二00
三年) @例えば東大寺の禅部院珍海(一O
九 一 l 一一五二)は、三宝院流の重宝として相承される﹁仁王経受茶羅﹂を描い ており、仁王経軌 ζ 対する造詣が深かったことが察せられる。 田波羅蜜菩譲ハ是レ般若菩譲二分ノ三摩地山田。 大 日 知 来 ノ 酉 種 / 妻 女 車 。 ﹂ ( ﹃ 大 正 F 1 3 つ d⑧﹃総持抄﹄巻三には次のようにある。﹁問。八大明王ハ如コ摂一切項輪王経ニ説ゴ。何ナル経事。答。五大院云。未度/ 経+ち歩擦明王・擢一一切魔菩薩、降三世・金剛薩涯、六足・文殊、大咲・虚空蔵、大金剛輪・転法輪菩薩、不動・金 隣拳菩薩。八大菩薩ハ自性輪身、八大明王ハ教令輪身也。於一 J 此 ノ 量 茶 羅 -一 一 。 種 種 ノ 口 決 有 川 之 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 七 七 ・ 六 一 中 l 下)﹂また、台密文献の中で三輪身を説く文献は、管見の躍りでは、江戸期の豪実撰﹃台密関要捗﹄巻第一﹁西方 教令輪﹂(﹃天台宗全書﹄七・三三下 1 三四上)が確認される。本書では大成徳明王を阿拡詑仏の教令輪身とみなすか、 或い辻釈迦の化身とするかを論題とし、詞義があることを明かす中、仏位に自性輪身を記当する三輪身を説いている Q キ i ワ i H P -三 輪 身 二 輪 身 五 壇 法 東 寺 講 堂 安 黙 諾 逗 寛 勤 信 証 ﹃胎金務要抄﹄﹃別行﹄﹃住心決疑抄﹄﹃阿婆縛抄﹄﹃覚禅抄﹄ 恵 什 亮 恵 覚 鎮 東 大 寺 君 ﹃ 周 囲 瓦 茶 羅 沙 汰 ﹄ ﹃ 金 割 界 沙 汰 ﹄ ﹃ 教 持 義 ﹄ 三輪身の形成に関する一考察 -