学
幸
良
ム 五 且 菅 木理
事
ム 一 品ニ
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= 一 年 度 ︿ 第 一 回 v から︿第三回﹀については、﹁真宗研究﹄第四十 八輯において既に報告済み。 ︿ 第 四 回 ﹀ 二OO
三年十一月十一日︵火︶十七時より 場所一大谷大学博綜館五階第四会議室 議案一一、﹃真宗研究﹄第四十八輯編集の件 二、第五十一回大会の件 三、その他 ︿ 第 五 回 ﹀ 二OO
四年三月三日︵火︶十七時より 場所一大谷大学博綜館五階第三会議室 議案一一、第五十一回大会日程の件 二、研究発表者選考の件 三、木辺御門主奨学賞選考の件 四、その他ニ
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四 年 度 ︿ 第 一 回 ﹀ 二OO
四年五月十一日︵火︶十七時より 場所一大谷大学博綜館五階第三一会議室 学会葉報 議案一一、第五十一回大会の件 二、役員変更の件 コ 一 、 そ の 他 ︿ 第 二 回 v 二OO
四 年 六 月 四 日 ︵ 金 ︶ 十 二 時 三 十 分 よ り 場所二両国短期大学一号館四階第四会議室 議案一一、役員変更の件 二 、 二OO
三年度事業報告の件 コ 一 、 二OO
三年度収支決算の件 四 、 二OO
四年度収支予算の件 五、木辺御門主奨学賞受賞者の選考結果と授与の件 六、大会運営の件 七、規約一部改正の件 八、次回大会の件 九、その他 ︿ 第 三 回 ﹀ 二OO
四 年 七 月 十 三 日 ︵ 火 ︶ 十 七 時 よ り 場所一大谷大学博綜館五階第三会議室 議案一一、第五十一回大会の会計報告の件 二、﹃真宗研究﹂第四十九輯編集の件 三、次回大会の件 四、木辺御門主奨学賞の会計の件 七 九学 会 実 報 五、その他
第五十一回大会
二OO
四年六月四日︵金︶・五日︵土︶の両日、高田短期 大学・真宗高田派本山専修寺を会場として、第五十一回大会 が開催された。内容は左記のとおりである。 なお、真宗高田派本山専修寺より、第五十一回大会開催の 記 念 品 と し て ﹁ 影 印 親 鷺 聖 人 真 蹟 大 無 量 寿 経 第 十 八 願 文﹂を参加者全員にいただいた。 ︽第一日︾六月四日︵金︶ 一、研究発表︵九二ニ01
一 二 一OO
︶ 発 表 十 五 分 質 疑 五 分 ︽第一部会︾高田短期大学二号館一一階大講義室 一、本願における欲生心と唯除の意義大谷派藤元雅文 二、真宗伝道における実践論の教義的研究 本 願 寺 派 葛 野 洋 明 一二、﹁真仏土巻﹂所引﹃浬繋経﹄の文の意義 ー﹁乃至﹂された筒所を手がかりとして| 大谷派 伊東恵深 四、法然門下における ﹁十住毘婆沙論﹄理解の諸相について 龍谷大学 井上善幸 五、﹁顕浄土真実信文類﹂開顕の意義 ー至心釈の考察を中心として| }\。
大 谷 大 学 本 明 義 樹 六、﹁普賢之徳﹂についての一考察 ー三願的証に関連して 1 京都女子大学佐々木恵精 七 、 聖 人 の 思 索 高 田 派 稲 垣 不 二 麿 ︽第二部会︾高田短期大学二号館二階一一二三教室 一、﹁恵信尼消息﹄第五通の問題点と試解 大 谷 派 虞 出 万 里 子 大谷大学水島見一 龍 谷 大 学 道 元 徹 心 二、敗戦後の真宗大谷派教団 三、﹁妙行心要集﹄の一考察 四、楊仁山と小栗栖香頂 |特に﹃念仏国通﹄を通して 同朋大学 本願寺派 五、六角堂夢告私考 中 村 薫 山田雅教 二、評議員会・理事会︵一二二ニ01
一 一 二 二 二O
︶ 高田短期大学一号館四階第四会議室 ※会員昼食会場二号館二階視聴覚室 昼食の後、チャーターパスで高田本山へ移動 三、高田本山専修寺及び寺内町参拝 二四一0
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一 六 一OO
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宝物拝観︵宝物館︶特別展観﹁師資相承﹂ −親鷺聖人御遺骨︵舎利容器入︶ −顕智上人筆御遺骨包紙及錦袋 −親驚聖人筆賛銘紺地十字名号 。 面−親鷺聖人筆十字名号一幅 ・親驚聖人筆八字名号一一幅 −親鷺聖人筆西方指南抄︵国宝︶六冊 ・直弟書写西方指南抄︵付属国宝︶六冊 ・親鷺聖人筆三帖和讃︵国宝︶三一冊 −顕智上人筆浄土和讃・正像末法和讃二冊 −真慧上人筆浄土高僧和讃・正像末法和讃二冊 四日市市中山寺蔵 ・善信聖人親鴛伝絵︵国重文︶第二巻 −親驚聖人筆尊号真像銘文︵国重文︶二冊 −親鷺聖人自筆覚信房あて消息︵国重文︶一巻 ・顕智上人筆親驚聖人御消息︵覚信房宛︶一通 ・天竺震且十祖連坐画像一幅 −十字名号及三僧像一一帽 解 説 平松令三先生
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一身田寺内町巡り . 厚 源 寺 ・ 慈 智 院 ・ 寺 内 町 の 館 園、記念撮影 解説梅林久高先生 ︵ 一 六 一0
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一 六 二 五 ︶ 於 如 来 堂 前 五、総会こ六一一五1
一七一四五︶如来堂 勤 行 一 調 声 生 柳 光 書 真 宗 高 田 派 宗 務 総 長 挨 拶 一 神 戸 和 麿 理 事 長 学 会 糞 報 辞一真宗高田派法主常磐井驚猷様 真 宗 三 門 徒 派 門 主 平 光 顕 様 高田短期大学学長村淳忠司様 総会進行一草野顕之理事 ①座長推挙 出席会員の中から青木馨氏が推挙される。 ②役員の交代について 第二回評議員理事会において次のとおり役員交代が 承認されたことを草野理事より報告。 −神戸和麿理事長の任期満了に伴い、新理事長に龍谷 大学矢田了章理事が就任。これに伴い事務局を龍谷大 学が担当︵任期二OO
四年八月から二OO
六年七月ま で ︶ 。 − 神 戸 理 事 長 を 参 与 に 推 挙 。 −神戸理事の後任理事に延塚知道評議員が就任 0 ・ 新 評 議 員 に 一 楽 真 氏 が 就 任 。 ③ 二OO
コ 一 年 度 事 業 ・ 会 計 決 算 報 告 事務局より事業報告案・会計決算案が報告され、い ずれも承認された。なお会計収支決算については後記 の と お り で あ る 。 ④ 二OO
四年度収支予算案提審議 事務局より予算案が報告され承認された。 については後記のとおりである。 ⑤第三十五回木辺御門主奨学賞伝達 第五十回大会における発表者の中から、 祝 なお予算 理事会の推 !\学会実報 薦によって龍谷大学の殿内恒氏が授賞。殿内氏は公務 の都合により欠席のため、賞状と奨学金については後 日理事会より伝達されることが会員に報告された。 ⑥規約一部改正案審議 二
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二一年度総会の席で報告された規約改正につい て、理事会での審議を経て、第九条事務所の所在地に ついて、新たに高田学会・同朋大学・京都女子大学を 加える改正案が評議員理事会の議に附せられたことが 草野理事より報告され、総会の席で承認された。 ⑦聖蹟巡拝﹁宗祖帰洛後の史蹟を訪ねて﹂の案内 草野理事より翌五日の聖蹟巡拝の趣意について案内 さ れ た 。 ⑧次年度第五十三回大会について 次年度大会は龍谷大学を会場に開催されることが報 告された。なお日程および詳細については後日理事会 で決定されることも併せて報告された。 六、懇 親会︵一七一五01
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一OO
︶ 総会終了後、高田青少年会館に会場を移し、来賓各 位をはじめ会員約九O
名の出席を得て、栗原広海理事 の司会進行により懇親会が開催された。開会にあたっ て、神戸理事長の挨拶に続き、生柳光議真宗高田派宗 務総長、平松令三参与よりそれぞれ御祝辞をいただい た。真宗大谷派門首大谷暢顕様の祝電が披露された後、 小野蓮明参与による乾杯の発声のもと懇親の席が開か }\ れた。途中、参加諸氏によるスピーチも行われ、 のうちに会が閉じられた。 ︽第二日︾六月五日︵土︶聖蹟巡拝 午前八時四十五分ホテルグリーンパ l ク津、午前九 時高田青少年会館に集合の後、四十八名の参加を得て パスで聖蹟巡拝に出発。平松令三先生により現地解説 が行われた。巡拝にあたり、梅林久高先生はじめ高田 学会の諸氏に多大のご協力をいただいた。 九二一O
白塚東海寺。通夜講和讃︵ししこ念 仏︶の資料拝観および説明の後、白塚 町通夜講和讃を朗詠いただく。その後、 パ ス で 移 動 。 黒田浄光寺。本堂での説明の後、宝物 を拝観。その後パスで移動。 昼食。鈴鹿サーキット。 如来寺。如来寺境内でおんない念仏保 存会により三重県指定民俗文化財﹁お んない念仏﹂を実演していただく。そ の後、如来堂拝観。 太子寺。本堂にて説明、拝観。 パ ス で 移 動 。 名古屋駅新幹線口にて解散。一
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一 一 二O
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一 一 一 二 三O
一 回 二 一 一O
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盛 大 その後 ﹂のたび第五十一回大会を開催するにあたって、古向田本山専修寺、真宗高田派御当局、高田短期大学、高 田学会の各伎には、格別の御配慮を賜り、加えて物心 両面にわたる多大のご協力ご援助を頂戴しました。 また、寺内町拝観、聖跡巡拝にあたりましでも、各 寺院の皆様はじめ、白塚念仏講、おんない念仏保存会 の皆様には格別のご配慮により、たいへん貴重な法宝 物に触れる機会を頂戴いたしました。 ここに会員一向、心より御礼申し上げます。 ︷ 当 日 配 付 資 料 ︼ 真宗連合学会第五十一回大会記念 専修寺宝物特別展観 平成十六年六月四日 テ l マ ﹁ 師 資 相 承 ﹂ 専修寺宝物館にて ①親鴛聖人御遺骨︵舎利容器入︶ ⑧顕智上人筆御遺骨包紙及錦袋 親驚聖人入滅の際に、顕智上人︵高田派第三世︶と 専信房が茶毘に立会い、御遺骨を拾ったことは、高田 本﹁教行信証﹂の奥書に記されているところであるが、 それはこの包紙に顕智上人の自筆によって﹁驚聖人ノ 御骨﹂と記されていることによっても確認される。 なおこの包紙に﹁顕智ノマホリ﹂との墨書があるが、 これは御遺骨に混じって、美しい緑色の小粒一個があ 学 会 業 報 るので、それを指すものであろう。これは仏舎利と認 め ら れ る 。 ⑧親鷲聖人筆賛銘紺地十字名号一幅 絹本着色。紺色地に金色の十字名号を描き、厳彩の 蓮台を配し、天地に色紙型を作って、賛銘を墨書する。 そこに署名はないものの、筆跡はまちがいなく聖人自 筆である。八十歳前後の筆跡ではあるまいか。それに してもその大きさから、当時これを懸けた堂宇︵専修 寺の原容︶の規模が推測されよう。 ④親鷺聖人筆十字名号一一隅 ⑧親鴛聖人筆八字名号一幅 白紙一枚を縦に使って名号を墨書し、その天地へ別 紙を貼り足して賛銘を墨書している。下部賛銘の末尾 に﹁愚禿親鷲敬信尊号八十四歳書之﹂の款記があるほ か、上部賛銘の背裏に﹁方使法身尊号康元元丙辰十 月廿五日書之﹂との裏書があり、これも聖人自筆であ る 。 康元元年こ二五六年︶十月といえば、﹃三河念仏 相承日記﹄の記事によって、関東から真仏・顕智・専 信・下人弥太郎の四人が京都の聖人を尋ねて上洛した ことが知られているので、この名号はその際に書いて 真仏・顕智両上人へ与えられたものと認められる。な お岡崎妙源寺と西本願寺に同趣の名号が伝存している }\
学 会 集 報 が、妙源寺のは専信房に、西本願寺のは弥太郎に与え られたものであろう。なおこの専修寺の二一幅は名号の 字配りが甚だ不安定であって、聖人がこの種の名号を 書き慣れておられなかったことを思わせる。 ⑥親鴛聖人筆西方指南抄︵国宝︶六冊 ﹃西方指南抄﹄は法然上人の言行に関する資料の集 成本で、上中下三巻よりなるが、各巻をそれぞれ本末 にわかち、六冊本となっている。全文親鷺聖人の自筆 であって他筆を混えない。奥書によれば聖人八十四歳 の十月ごろから、翌年正月にかけてのころに書かれた と見られる。上末の冊に聖人自筆の旧表紙が保存され ており、﹁釈真仏﹂との袖書があるので、真仏上人 ︵高田派第二世︶へ授与されたものと認められる。筆 跡は枯淡を極め、まことに見事であって、晩年期筆蹟 の中でとくに優秀と評されている。問題なのはこの書 の編集者が聖人か否かで、議論が分かれているが、そ の解明にもかかわる重要なキ
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の一つが、上本内題の 書き直し部分にある。今回の展観において最も注視さ れ る べ き 個 所 で あ ろ う 。 ⑦直弟書写西方指南抄︵付属国宝︶六冊 聖人真蹟本の忠実な書写本。上本から下本までの五 冊と、下末とは筆跡を異にし、下末は明らかに顕智上 人の筆跡で、奥書により徳治コ一年︵二ニO
八年︶の書 }\ 四 写と知られる。上本から下本までの五冊は上質紙を使 用し、聖人の筆癖を模倣しようとした傾向の強い筆跡 である。この筆者については、梨地色の旧表紙に本文 と同筆をもって﹁釈覚信﹂と袖書きされていることか ら、聖人の直弟で高田に居住していた覚信であろう、 と考えられたことがあったが、現在では真仏上人の筆 と考えられるようになっている。 五冊のうち三冊に書写奥書があり、真蹟本の筆写と 校合が完成した康元二年正月から、二1
三ヶ月後に書 写されたことがわかる。ここで注目されるのは、下本 冊の奥書が真蹟本の奥書とは異なる奥書を書写してい ることで、今後の検討を要する。また上本の内題﹁西 方指南抄日﹂﹁日﹂の一字を﹁上﹂と書き直している ことで、本紗の編集者が親驚か否かの論議に関し重要 なポイントとなろう。これは真蹟本と直弟本と初めて 同時に並べて展示するという、これまでになかった今 回の宝物展観の大きな意義となるものと考えている。 ⑧親鷺聖人筆三帖和讃︵国宝︶=一冊 この三帖の和讃は、親鴛聖人の真蹟として、古来と くに尊重されてきた。そして昭和二十八年には国宝に 指定された。しかし戦前の高田学報社創立ごろから、 学匠の問では疑問視する声もささやかれていた。それ に終止符を打ったのは、昭和三十五年制作頒布の複製 本に添えられた生桑完明先生の解説であった。そこでは﹃浄土和讃﹄と﹁浄土高僧和讃﹄の両書については、 元表紙に書かれていたと思われる外題と、﹁浄土和讃﹄ 表 紙 見 返 し の ﹃ 称 讃 浄 土 経 ﹄ 文 、 末 尾 の ﹃ 首 細 川 厳 経 ﹄ 文だけが真蹟であって、他は別筆と断定せられた。ま た﹃正像末法和讃﹄については、巻首から九首だけが 真蹟で、他は別筆と判定されており、尚子界を驚倒させ た。そしてこれが学界に定着した。その後、平松が両 和讃の筆跡を詳細に検討の結果、讃阿弥陀仏偶の部分 や現世利益讃と大勢至和讃の振仮名、左訓には聖人真 蹟が多いこと、圏発点を始めとする朱筆も真蹟である ことを指摘すると共に、﹁別筆﹂とされた本文の筆者 は高田派第一一世真仏上人と認められることを、﹃親鷺 聖人真蹟集成﹄第三巻解説︵昭和四十九年︶などに発 表した。要はこの一一冊は真仏上人による清書本であっ て、書写完成後に聖人が点検し不備の点を補筆された ものであることを論証したのであった。 ⑨顕智上人筆浄土和讃・正像末法和讃ニ冊 親鷲聖人は七十六歳の宝治二年﹁浄土和讃﹄、﹃浄土 高僧和讃﹄を編集されて後も推敵を重ね改訂を加えら れた。その一つが建長七年︵八十三一歳︶のものである が、残念ながらその原本は伝わらない。わずかに正応 三年︵一二九
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年︶顕智上人によって書写された本が 伝わるのみである。しかもその﹃高僧和讃﹄は失われ て し ま っ て い る 。 学会葉報 ﹃正像末法和讃﹄は、今回展示された国宝本が﹁草 稿本﹂といわれるように未定稿本である。その聖人の 完稿は八十六歳の正嘉二年二二五八年︶と見られる が、その原本も伝わっていない。顕智上人が正応コ一年 に書写したこの本がその唯一の写本であって、とくに 貴 重 と さ れ る 。 ⑩真慧上人筆浄土高僧和讃・正像末法和讃 四日市市中山寺蔵 高田派教団では、親驚聖人制作の和讃をとくに大事 にする伝統を持っているが、意外とその古写本が少な い。その点高田派中興第十世真慧上人の書写本は貴重 視される。ただ残念ながら﹃浄土和讃﹄は失われて伝 わらないが、﹃浄土高僧和讃﹄は国宝本を書写したも のであって、奥書に﹁文明十六年突卯二月廿四日以 彼御筆正本移書之也﹂と記されているので、この当時 すでに国宝本が﹁御筆正本﹂として伝持されていたこ と が 知 ら れ る 。 ﹃正像末法和讃﹂は、奥書にも﹁以彼顕智書写本、 所移書之也﹂とあるように、正嘉二年本も顕智上人書 写本を書写したもので、これもこの本が正本に近い本 と考えられていたらしいことが窺われる。この二冊を 現蔵する中山寺︵四日市市︶は真慧上人開基寺院であ って、多くの上人遺品を伝えている。 冊 一 八 五学会実報 ⑪善信聖人親鷺伝絵︵国重文︶第二巻 親鷺聖人の生涯を題材とした絵巻物は、聖人滅後三 十三年の永仁三年︵一二九五年︶十月、聖人の曲目孫覚 如によって制作された。十三場面からなり、上下二巻 に仕立てられていた。その二ヶ月後、初稿本に若干の 補正を行ってもう一本を制作し、関東へ送り届けられ たのがこの高田専修寺本である。初稿原本は京都本願 寺に在ったが、建武三一年︵一三三六年︶兵火によって 本願寺と共に焼失した。従って高田本が現在最古本で、 今は五巻に分けて表具されている。 今回展示したのはその第二巻で、﹁選択相伝﹂と ﹁信行両座﹂の場面である。﹁選択相伝﹂は師法然上 人からその著﹃選択集﹄の書写を許され、上人から内 題 、 y一六字名号、および﹁釈紳空﹂の名を書いてもらっ た、という場面。﹁信行両座﹂は、法然門下の人びと の心の中を試すために、信の座と行の座とに坐っても らうように提案したところ、多くの人びとがためらっ ている中で、聖覚・信空・熊谷直実・親鴛が信の座に すわって、最後に法然上人もそこにすわった、という 説 話 を 描 く 。 ⑫親鷲聖人筆尊号真像銘文︵国重文︶二冊 親驚聖人は名号や肖像の掛幅を制作する際には、そ の天地へ色紙型を設けて、その名号・肖像にちなむ偏 一 八 六 文類を讃銘として書き付けた。その讃銘の字義を注釈 した著書。全文聖人八十六歳の自筆である。表紙の押 紙によって、顕智上人が所持していたことが知られる。 この大会の記念品として配布された色紙は、此の書 の冒頭部分と末尾の書名を抽出して作成したものであ る 。 ⑬親驚聖人自筆覚信房あて消息︵国重文︶一巻 信と行とは離れたものでないことを説き一不された御 消息。礼紙︵ライシ︶︵儀礼的に添える白紙︶に﹁専信 房京近く云々﹂の追而書が記されている。宛名の覚信 房は下野国︵栃木県︶高田の住侶で、本文末尾に﹁い の ち 候 は f 、かならずのぼらせ給ふべく候﹂とあ るのを受けてか、こののち老掘を押して上洛し、聖人 にお眼にかかって病死したことが史料によって確認さ れている。署名の部分に花押を書いただけなのも、聖 人との親密さをうかがわせる。包紙と思われる別紙の 墨書によって、建長八年︵一二五六年、聖人八十四 歳︶四月二十八日の筆と知られる。この日は善驚義絶 の前日に当たるので、いろいろと考えさせるものがあ ろ う 。 ⑭顕智上人筆親鷺聖人御消息︵覚信房宛︶一通 ⑬の親驚聖人御消息を、字配りもそのままに書写し た も の 、 末 尾 に ﹁ 乾 元 二 ︵ 一 二 一
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士 一 年 ︶ 四 月 廿 五 日 書之﹂とあって、上人七十八歳の筆にかかることがわか る。上人の師に対する忠実で真撃な尊敬の姿勢を見る こ と が で き よ う 。 ⑩天竺震且+祖連坐画像一幅 画面下端に大勢至、龍樹、天親の三菩薩がならび、 そこから上方へ両側に三人ずつの祖師がならび、最上 部中央に一師を配している。この形式の連坐像は光明 本尊の向かって左側の図様と同一なので、光明本尊の 一部を切り放したもの、との説があるが、光明は描か れておらず、妥当ではない。むしろ関東の真宗初期教 団において、こういう連坐像が礼拝対象となっていた、 と考えるべきだろう。画技は優れており、鎌倉末期の 制作と認められ、京都で制作して関東へ送られたと考 えられる。札銘は損傷著しく、祖師名は審らかでない が、下方から、大勢至、龍樹、天親、慈感、曇驚、道 綜、懐感、少康、法照と認められる。 ⑩十字名号及ニ僧像一幅 十字名号の下端に二人の僧が並んで坐する画。向か って左側の僧の札銘は﹁唯円﹂、向かって右側は﹁了 仏﹂らしい。﹁唯円﹂といえば、﹃歎異抄﹄の著者とさ れる唯円が思い浮かぶが、如何であろうか。﹁了仏﹂ については他に知見がない。ただこの画を見ると、唯 円の像は上げ畳を敷いているのでこれが師で、了仏は 学会葉報 その弟子と認められるので、この図は師資相承に何ら かの役目を果たしているのではないかと考えられる。 この種の名号を描いた作品は他に数例を数えるだけで 現存するのは少ないが、その中でもこの作品は最も古 く、鎌倉時代を下らないので貴重である。 なお本品の包紙に江戸の商人から寄進された、 墨 書 が あ る 。 と の 文責 平 松 令 三 ︶ 平成十六年六月四日 真宗連合学会第五十一回大会 モ 一身回寺内町ガイドメ ①厚源寺 一身田の地に古くからあった寺で、もとは慈覚寺と いい、真言宗に属していたと伝える。室町時代中期、 その寺僧浄祐が高田派第十世真慧上人に帰依し、高田 派に転じた。そして上人を一身田へ招じ、御堂建立に ほ う ぎ よ う . っ く り 尽力した。当寺の本堂が宝形造で、東面しているの はそうした過去が投影しているのかもしれない。 聖徳太子南無仏像︵県指定文化財︶ 太子が二歳の春一一月十五日に、誰が教えたわけでも ないのに、東に向かって合掌し﹁南無仏﹂ととなえた、 との伝説が﹃聖徳太子伝暦﹄に載せられており、それ }\ 七
学会実報 に基づいた像である。上半身裸形なのは、釈迦誕生仏 の影響かといわれる。﹃伝暦﹄は平安中期の書である が、この姿の像が造られて一般に流布するようになっ たのは、鎌倉時代後半期とされる。この厚源寺像はそ れらの中でも最古の部類に属し、制作も誠に優れてい るので知られる。あどけなさの中に怜例さをうかがわ せ る 表 情 が 素 晴 ら し い 。 ⑧慈智院 い の 切 っ し ょ く 高田本山門前三ヶ院の一つで、代々本山維那職を つとめる寺院である。戦国末期の創立。 本 堂 ︵ 県 指 定 文 化 財 ︶ 寄棟造。南面する。棟端の鬼瓦に寛永十六年こ六 三一九年︶の釘書銘がある。正保二年ご六四五年︶の 一身回大火にも炎上を免れた、町内に現存する最古の 建 築 。 内部は、内陣、余問、大間の仏堂部分と、八畳の座 敷、十二畳の広聞の客殿部分とからなり、すべて面取 り角柱を用い、天井もすべて竿縁天井とする。 内陣は床を一段高く板敷とし、後壁に仏壇を並べた いわゆる﹁一列仏檀﹂であって、後門がなく、しかも 周聞を建具で締め切ることができるようになっている。 余聞は現在は床を高くしているが、当初は大間と同じ 床高で畳を敷き、仏壇もなかったことが判明している。 !¥ /¥ 大間ももとは周囲の入側縁を板敷とし、十五畳の部分 だけを建具で締め切ることができるようになっていた。 この仏堂部分に客殿を隣接させた構成が、高田派寺 院の原初的道場形態を示すものなのか、あるいは本山 に付属する客殿であったためのものか、は判明してい な し この本堂は、平成十年八月から約三億円をかけて全 解体修理工事が行われ、平成十一年十二月に完成した。 ⑧一身回寺内町 東西と南北それぞれ約五
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のほぼ正方形の地域 を、水郷で閤み、中に高田本山専修寺とその子院およ び町家を配置した町。水濠の三カ所だけに橋をかけ、 門を置いて入口としていた。東南隅の入口黒門の外に 門前町が成立し、江戸時代には芝居小屋や二十五軒の 水茶屋などが並んで、歓楽街的様相を呈していた。 住民の自治組織については史料を欠くが、江戸時代 の住民は専修寺から洞堂銭を借り受ける特権があった ので、これを資本にして商工業が発展し、町屋はわず かな﹁竃銭︵かまどせん︶﹂を専修寺へ納めるだけで 居住できたので町は繁盛した。その繁栄は近代に入っ て次第に失われたが、外濠は堀幅を若干狭めただけで、 ほとんど昔の形態を留めており、その点では全国唯一 の寺内町景観を残す町といえよう。一昨年に津市立 ﹁寺内町の館﹂が完成し、ボランティアガイドも積極的 に 活 動 し て い る 。 この寺内町景観が完成したのは、万治元年︵一六五 八年︶の津藩からの土地寄進によるものと認められる が、この寄進以前の天正十二年︵一五九二年︶、既に ﹁寺内﹂と記した史料があるので、現地域の東半分は 遅くとも天正十年ころには寺内町として成立していた と 考 え ら れ る 。 しかもこの地は、それを遡ること百年近く、明応九 年︵一五
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年︶閏四月に、当時この地方一帯を支配 していた長野氏より、公共用地域︵当時﹁公界﹂とも 呼ばれていた︶として承認されていたことが認められ るので、寺内町の成立はあるいは更に遡るかもしれな・
ν ︵ 文 責 平 松 令 コ 一 ︶ 平成十六年六月五日 真宗連合学会第五十一回大会 聖跡巡拝ガイドメモ ① 東 海 寺 ︵ 津 市 白 塚 町 ︶ 通夜講和讃︵俗称﹁ししニ念仏﹂|津市指定文化財︶ 実演 高田本山専修寺の報恩講に際し、一月十五日夜、専 修寺御影堂で行われる通夜に勤仕する講で、白塚町内 に十五講があり、議員は総数約四五O
世帯、寺院の檀 家制とは全く無関係に、地域別の有志により組織され 学会葉報 ている。これらの講に保存されている古記録によると、 この講成立は少なくとも元禄年間以前に遡り、御影堂 建立から間もない十七世紀後半の事と思われる。 この講における和讃詠唱の声調は、高田派正調のも のと若干異なっており、スロ 1 テンポで、しかも和讃 一 行 ご と に ﹁ オi
ワ l イ﹂という掛け声を加える。そ の声調には中世的な味わいも感じられる。 白塚町内の寺院五ヶ寺はすべて高田派であり、住民 はほとんどがその寺院の門徒であるが、八月二十四日 の地蔵盆には数珠繰りの大念仏も行われており、高田 派教化以前の姿を思わせるものもあって、今後の研究 課 題 で あ ろ う 。 この和讃詠唱を俗に﹁ししこ念仏﹂と称するが、こ れは講員の多くが、ししこ︵カタクチ鰯︶漁を生業と していたことと、江戸時代末期に、江戸田向院よりも らい受けた名号札︵利剣名号︶を海へ流し、ししこ漁 を行ったことも影響していると思われる。 なお、高田本山御影堂でも通夜講への勤仕は、二十 年ほど前からは各講合同にて行われているが、白塚町 内では、今も各講毎に報恩講をつとめ、この声調で勤 行 が 行 わ れ て い る 。 ⑧浄光寺︵安芸郡河芸町北黒田︶ 開基誓祐房は高田派第十世中興真慧上人の側近。江 戸時代まで同郡内に数十個寺の下寺︵道場︶を擁して /¥ 九学会業報 い た 大 坊 で あ る 。 本 堂 1 i 元禄十一年︵一六九八年︶建立、その構造に 高田派の特徴が顕著。 本尊阿弥陀如来立像
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逆手来迎印像。精微な裁金彩 色あり。南北朝の制作。 も う す 開基普祐房坐像 1 l首に帽子を巻く。江戸時代の制作。 親鴛聖人絵伝四一暢1
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画工高田派絵所藤本佐助。下 付は高田派第十七世円猷上人。十八世紀の制作、高田 派の特徴をよく示している。 真随想上人筆六字名号ニ幅1
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左右両側に高田派歴代 伝 灯 を 記 す 。 真慧上人筆野袈裟1
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民衆の葬儀に際し、棺を覆う袈 裟。真慧上人の創案にかかるもの。 真慧上人自筆消息︵法語︶一通 ﹁ た つ ね ら れ た る た う り う の 信 心 の 事 ﹂ 、 日 付 な く 、 花 押 を 記 す 。 真慧上人自筆消息一通 直参取り立てについての消息、九月十日六良衛門あ て 。 真蹟上人加署永正規則一巻 永正元年︵一五O
四 年 ︶ 十 月 八 日 付 。 ﹁ 続 群 書 類 従 ﹄ に﹁真慧上人御定﹂として収載されているもの。 真慧上人袖判御書集一巻 冒頭に真慧上人自筆の袖花押がある写本で、 後も書き継がれたと認められる御書集。 と人減 九。
⑤ 如 来 寺 ・ 太 子 寺 ︵ 鈴 鹿 市 三 一 日 市 町 ︶ 一光三尊仏を本尊とする堂と、聖徳太子を本尊とす る堂とが南面してならび、その前に四ヶ院を配置する と い う 古 式 な 伽 藍 。 善然房坐像︵国指定重文︶ 顕智上人の門弟で、三日市に滞在して、この地方へ の真宗の念仏教化に功績のあった僧。鎌倉時代肖像彫 刻 の 優 品 。 顕智上人坐像 親鷺聖人の直弟で、高田派第三世。伊勢国へ始めて 親鷺聖人の念仏をったえた。この像は鎌倉時代の制作 だが、残念ながら損傷が甚だしい。 おんない念仏︵県指定民俗文化財︶実演 ﹁おんない念仏﹂は、毎年八月四日︵もとは旧暦七 月四日︶の夜、鈴鹿市三日市において行われる行事。 菅笠をかぶり、一肩衣をつけた﹁四日講﹂の同行数十名 が、如来寺境内に集まり、﹁かさぽ?とを囲んでしゃ がみ、念仏歌を詠唱する。一首を歌い終わると﹁かさ ぽこ﹂をかついで寺外に出て集落を巡回し、定められ た場所でそれぞれの歌を詠唱する。歌詞は五七五七七 の短歌調で、今回演ぜられるのは別紙のとおり。四日 講は東組と西組とに分かれており、歌詞も異なってい る 。 この行事を﹁おんない﹂と称することについて、現地では﹁御身無い﹂であって、顕智上人の行方を探し たことから始まる、と言い伝えている。たしかに旧暦 七月四日は、高田派第三世顕智上人の命日に相汗する ので、上人忌日行事と認められるが、念仏歌の詠唱な どは、その後に伝播して来た民俗芸能をとり入れたも のと考えられる。この念仏歌を顕智上人の製作で、踊 り念仏の遺風とする説があるが、妥当とは思われない。 ︵文責平松令三︶ おんない念仏︵西組︶ 弥陀あ﹀ 南無阿弥陀 歌 詞 な 弥 南 あ 陀 無 〉 あ 阿 〉 弥 仏 陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀 きんりんずりんりんず よ ろ ず め で た や 如 来 寺 極 楽 の 前 に 懸 り し 反 り 橋 を 後 な る 人 は 暫 し 留 ま る こ の 橋 を 渡 れ は 沈 む 浮 橋 の 後 な る 人 は そ こ に 留 ま る 学会葉報 太 郎 兵 !JIJ衛 塞セ日 く を と 重 塞 ね か れ は ぬ る ば 門
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る 立 来 ち ぬ の る 戸 旅 な れ ば 熊 野 路 を 九 十 九 聞 を 通 り 来 て 塞 く と 塞 か れ ぬ 聞 の 一 関 佐 五 兵 衛 月 隠 す 梅 の 梢 が 高 き に て 前 切 り た く も あ り 切 り た く も な し 花 切 さ り い た 眺 く む も る お 有 待 明 ち の や 月 れ か し 都i
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半 助 北 さ き が み の 旅の念仏に 太子寺 糸 よ り 細 き 細 道 で 逢うぞ嬉しゃ 其ソ夜ョ 処コ念 にf
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留 ま 先 れ の 行 歌 合 を い 節:多: 生J の 縁 黄 見 金 渡 ま せ じ ば り の 回 ま ま でば延
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所二 黄 ま 金 ば ま の じ 葉 り で の 如 は 何 し な の る 葉 人 で が 葺 葺 く き 初ソ め て 観 音 寺 大 な る や 大 慈 大 悲 の そ の 誓 い 九学会実報 a X 吉前 京 \ 山 川 町 J u , / 斗 ド ト ト ツ 家ャ 頼むる人に 空しくもなし わ た れ だ 此 頼 の み よ う 標
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も茅; ケ あ 原 ら の ん 限 さ り し は も 草 此 の せ こ の 花 が 一 枝 欲 し け れ ど 及びなければこれで眺むる 花 此 は の ま せ だ こ しの く 花 岩 が を 盛 絡2
り 巻 と く 聞 き Tこ れ ど 嵐 市i
に 神T
探モの ま れ 見 し 越 の ま 桜 た も い 得エまッ 咲 蓄 て カ〉 ぬ 神 此 も の ろ 市 と は も に 如 何 氏 な 子 る 栄 人ょが
る J.1. て 初ソ め て 身 浅 身 は 草 は こ 寺 こ ろ の ろ り り つ 野 家ャに の は 宿Z臥 す と も 宿とらず 苔 我 も が ろ 親 と の も に 御i 墓? 後 所2 生 に 弔 う 苔 生 え て 一 つ 家 の 死 す る 命 は 惜 し か ら ず 九 あとに遺りし 妻 ぞ 恋 し ゃ 我 が 親 の 御 墓 所 に 苔 生 え て 苔 も ろ と も に 後 生 弔 う 思 い 子 思 い 子 の 野 辺 の 草 葉 に 棄 て 置 き て 往くも戻るも涙ながむる さ か き ま や 弔 い ず る 親 を 弔 い も せ で 親に弔わるる天の恐れや ︻ 註 ︸ ﹁おんない念仏﹂の歌詞については、宙写本がなく、 江戸時代の写本がわずかに伝えられる程度である。常 磐井猷麿氏︵現在の高田派法主︶は、それらの写本を 基として、定本を作成し、これに校注を加えたものを ﹃高田学報﹂第四七輯︵昭和三十五年︶に発表されて いる。この印刷物はその定本に依ったものである。な お 校 注 は 省 略 し た 。 ︵ 平 松 ︶会
計
報
告
二
OO
三年度会計報告
収入の部 学会費 真宗教団連合助成金 雑収入 前年度繰越金 収入合計 支出の部 第五十回大会充当金 学会誌第四十八輯刊行費 会議費 事務費 交通費 人件費 雑費 次年度繰越金 支出合計二
OO
四年度予算
収入の部 学会費 真宗教団連合助成金 会計報告 て 一 四O
、
0
0
0
円 一 、0
0
0
、0
0
0
円 二八三、九三四円 七 一O
、 一 二 三 五 円 三、一三四、二六九円 八 三 二 、 一 、 七 七O
、 ム ハ ム ハ 、 四 二 、 一 六O
、
一
三
一
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、
四 二 一 一 二 九 円 七六八円 四六五円 五八八円0
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0
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円O
円 三O
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、0
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0
円 一 、0
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、0
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円 雑収入 前年度繰越金 収入合計 支出の部 第五十一回大会充当金 学会誌第四十九輯刊行費 会議費 事務費 交通費 人件費 雑費 予備費 支出合計第五十一回大会収支決算
収入の部 懇親会費 聖跡巡拝費 昼食代 記念写真代 大会充当金 賛助金︵本願寺派新門様︶ 収入合計 支出の部 謝礼︵寺内町拝観・聖蹟巡拝︶ 三OO
、0
0
0
円 一 三 二 、 三O
九円 二、八三二、三O
九円 一 、0
0
0
、0
0
0
円 一 、 三00
、0
0
0
円一
00
、
0
0
0
円一
一
O
、
0
0
0
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0
0
0
円 一 二O
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0
0
0
円 三O
、0
0
0
円 二二、三O
九円 二 、 八 三 二 、 二 一O
九 円 三四二0
0
0
円 二 二 五 、0
0
0
円 七 二 、0
0
0
円 三 二 、0
0
0
円 五七五、六O
一 円 二O
、
0
0
0
円 一、二六五、六O
一 円 二 三O
、六OO
円 九懇親会費 聖跡巡拝費 昼食代 記念写真代 印刷費 通信費 事務費 雑 費 支出合計 三
O
三 、 一O
一 円 一 四 四 、 五 一O
円 一 六 八 、 六 五 五 円 六八、八OO
円 二 一 三 、 七 九 五 円 七六、四六O
円 一 四 二 、O
五 五 円 七、六二五円 て二六五、六O
一 円 九 四役
員
名
簿
参 顧
与 問
役員名簿 真宗十派法主︵尊名省略︶ 本 願 寺 派 総 長 不 二 川 大 谷 派 宗 務 総 長 熊 谷 高 田 派 刀 生 柳 悌 光 寺 派 万 大 谷 興 正 派 刀 大 路 木 辺 派 宗 務 長 吉 川 出雲路派 N 菅 原 誠 照 寺 派 万 波 多 野 三門徒派 N 阪 本 山 元 派 万 悌 木 龍 谷 大 学 長 神 子 上 大 谷 大 学 長 木 村 同 朋 大 学 長 沼 波 京 都 女 子 学 園 長 高 谷 武 蔵 野 女 子 学 院 長 演 島 高 田 学 苑 長 田 中 元 理 事 長 千 葉 刀 北 西 万 平 松 幡 谷 信 楽 JI JI 恵 唯 義 光 宗 公 乗 和 義 辰 政 宣 恵 道 龍 淳 メ弘、 Tl 峻 / / 北 池 寺 ! | ! 神 浅 岡 小 普 臼 浅 JI / / JI 麿 明 三 弘 隆 麿 博 生 保 彰 群 宗 温 護 弘 教 彦 博 霧 恵 勝 JI JI 万 理 ヌじ 事 JI } } 理事長 理 事 赤松徹真・矢田了章・浅田正博・武田龍精︵本願寺派︶ 木場明志・草野顕之・安冨信哉・延塚知道︵大谷派︶ 稲垣不二麿・栗原広海︵高田派︶ 田 代 俊 孝 ︵ 同 朋 大 学 ︶ 徳永道雄︵京都女子大学︶ 評議員 赤松徹真・矢田了章・浅田正博・武田龍精・太田利生・ 龍 口 明 生 ︵ 本 願 寺 派 ︶ 木場明志・草野顕之・安冨信哉・延塚知道・藤獄明信・ 一楽真︵大谷派︶ 稲垣不二麿・栗原広海・松山智道・梅林久高︵高田派︶ 田代俊孝 J 鹿瀬健︵同朋大学︶ 矢田了章 一 九 五 野 賢 井 野 典 勇 俊 和 和 成 亮 蓮 晃 元 教 生 諦 昭 敬 麿 海 二 明 寿 成 { 言 畠 田 川 瀬 戸 井徳永道雄・佐々木恵精︵京都女子大学︶ 山 崎 龍 明 ︵ 武 蔵 野 大 学 ︶ 徳 永 大 信 ︵ 九 州 龍 谷 短 大 ︶ 梨本哲哉・佐々木英彰︵併光寺派︶ 藤 井 浄 行 ︵ 興 正 派 ︶ 福 永 恵 順 ︵ 木 辺 派 ︶ 北 野 龍 雄 ︵ 誠 照 寺 派 ︶ 菅原弘︵出雲路派︶ 悌 木 道 宗 ︵ 山 元 派 ︶ 九 ノ 、
真宗連合学会第引回大会 2004 (平成 16 )年
6
月4
日∼ 5 日 於高田短期大学研究発表者募集のお知らせ
真宗連合学会第52回大会は、下記のとおり開催される予定です。大会 での研究発表を希望される方は、下記の要領によりお申し込み下さし〉。 尚、発表の可否については、理事会にご一任下さい。後日お知らせい たします。記
研究発表申し込み要領
マ発表題目に発表要旨 (1000字以内)を添えて、 2005年 3月
1日(必 着)までにお申し込み下さい。なおその際に、お名前(よみ)・所属 (派・大学等)・これまでの連合学会大会における発表の有無も併せて お知らせください。 マ申し込み先 干600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町 龍 谷 大 学 内 真 宗 連 合 学 会 事 務 局第5
2
回大会開催予告
日 時 : 2005年 6月 3日(金)・ 4日(土) 会場:龍谷大学大宮学舎(京都市下京区) 日 程 : 第1日 研 究 発 表 記念講演 第2
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仏 性 思 想 、 中 観 思 想 と そ れ に 基 づ く 浄 土 思 想 | 親 鷲 に よ り 開 顕 さ れ た 真 宗 に 関 す る 著 作 ・ 論 文 を 精 選 し て 収 録 。 凹 仏 性 思 想 論 I 九 二 四 O 円図仏性思想論 H 九 二 四 O 円 回中観思想論九丸七五円回浄土思想論九九七五円 4t4 巻本
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