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『宗教研究』新第10巻第4号(*76号)

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(1)

――目次――

1,

大乗阿毗達麿経と摂大乗論,宇井伯寿,Hakuzyu UI,pp.1-10.

2,

宗教社会学の問題,蔵内数太,Kazuta KURAUCHI,pp.11-24.

3,

聖典史方法論の一断片,華厳経の成立に関する論争,久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.25-48.

4,

ドルイディズムと基督教との闘争,主として愛蘭における,松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.49-70.

5,

唯識説発達における二潮流,河村節三,Setsuzō KAWAMURA,pp.71-89.

6,

造寺司の社会経済史的考察(承前),竹内理三,Rizō TAKEUCHI,pp.90-102.

7,

形而上学並びに世界観学と宗教,大江精志郎,Seishirō ŌE,pp.103-118.

8,

最近における米国人類学派の宗教研究,杉浦健一,Kenichi SUGIURA,pp.119-130.

9,

島地師の日本仏教教学史を読む,石井教道,Norimichi ISHII,pp.131-137.

10,

カール・バルトにおける教義学の概念,吉村善夫,Yoshio YOSHIMURA,pp.138-149.

11,

金貌園戒定師の学説,権田雷斧僧正纂訂,纂補『成唯識論並述記帳中独断』を読む,勝又俊教,Shunkyō

KATSUMATA,pp.150-164.

12,

佐藤両学士の訳著『論事附覚音註』,長井真琴,Makoto NAGAI,pp.165-166.

13,

新刊紹介,pp.167-184.

Posted in 1933

(昭和8)年

(2)

唯識詮を述べて居る論書の中には数々大乗阿批達磨経よりの引用として頚文や散文の存するを見るが、而もそ

れ等の頚文散文は唯識詮上重要なものであるから、所謂大乗阿枇達磨経も必ずや唯識盆上重要な地位を有するも

のであるに相逮ないと考へらるる。然るに此経は不幸にして一度も支部に翻課せられたことがなく、叉西燕諸に

も布せす、勿論梵語原本の存在も知られて居ないから、内容全鰭を知り得る由もない。後世の単著の中には此経

は七首巻から成つて居るといふ詮をなす㌧ものもあるが.然し此詮に幾何の虞貰性があるか判定すべくもない。然 し曾ては印度に現存流行Lたことがあつたには粕連ないから、此黙は之を認めて置いて英名稀並に内容について

考察を進めよう。

大乗阿批達磨経の阿批達磨は元来姪律論三戒といふ場合の論の原語の膏澤である。故に諾していへば、大乗論

経となしても差支ない理である。経律論三蔵を相互に直別し得る根接が何れに存するかについて根本的の考察を

なせば、そこには困難且つ重大なる問題も起って来ろと考へらるるが、ともかく彿教の初期以来認められた直別

であり、此踵別に基いて三蔵各の特質までも研究せられて居る事葉が存するからl其鮎に立って考へて見れば、 大乗阿耽達磨経と踊天来論

大乗阿批達磨経と蒲大束論

芋 井

7β3

(3)

大乗阿枇連勝経と棟大乗諭 二 今更諭の経と輸して経論二臓の匿別を無税することになつて居るのは甚だしい奇矯の題名であるといはねばなら ぬであらう。何故にかかる名栴を立つるに至ったかといへば惑らく、ま上して此経の内容に由−施するのであらう。 阿眈達磨は之を所謂小乗に屠すとせらるるものに於て而も苗.い時代に現はれたものに於て考へても.共内容は思 索的解梓的若しく時論逃的のものであつて経と稲せらるるものとは著しぺ興る性質を現はして居るが、進むで後 世の緒論仰の作とせらるるものに於ては啓一盾さうである。所謂大乗に廃すとせらるるものに於ては凡て獅一骨 畿達したものであつて、多くは典型的の猫立完全な著述である。従って前者の古い時代に廃すとせらるるものに 相應する如きものは殆どない。かかる鮎も一つの根凄又は磯禽となつて、或時期には阿批達磨的のものを内容と なす紅が硯はれたのであつて、無上依脛解探密経俳地脛などに於て其賓例を見出し得ると考へらるる。これ等の 粒はそれぞれの鮭題を有するにしても.他方よりいへば.之立論の軽又は阿眈達磨経と解して差支ない如きもの であるといへるJ此傾向の産物の一が即ち大莱阿枇達磨痙であつて.これに於ては直に大乗論経と自栴するに至 ったのであらう。一極端にいへば、論経は一種鶴経であり願麗であるといへる。見よ解探密経には如理論問菩薩と いふ如き拙劣極まる壊械的な命名を有する菩薩が現はれ凍る。これにも如何にも論経的の気分が撃って居ると考 へらるる。然し果して大乗阿岨達磨経が此名によつてのみいはれて居たか、又かく呼ぶのが正常であるかどうか、 この鮎については史に考へて見る要が存する。 此耗の名の硯はるる鮎に於て有名なのは塵大乗論の甥頭に於けるものである。最古い俳陀崩多澤には大乗阿眈 曇経、達磨笈多諸には阿眈速断大乗修多羅、玄肝には阿枇建肌大薬紅とあり、また此論の結尾に於ても、彿陀崩 7ぴi

(4)

多諸には炊けて居るが∵建臍笈多識玄非諸にはそれぞれ甥班の名榊と川一なものが存すス㌔整県諦澤の努頭並に 結尾にあるものは特別であ▲るから更に論述するであらうが、中途の文中には阿耽達磨大乗修多落ともある。こ一れ 等によつて見れば此紆は阿触法靡大乗経と解せられて居たといはねばならぬであらう。然るに又他の方面を見る と玄非は成唯識論に於ては大乗阿触法磨経となし大乗阿眈達磨集論並に椎柴論に於ても大乗阿枇達磨経となして 居る。此難からいへば大乗阿批達磨経と解せられたとも考へらるる。更に臓大乗論中の引用の部で見ると、一所 に於ては彿陀崩多諜は大乗阿批正挺、眞諦諾は阿枇達磨略本並に単に阿咄達磨、達磨笈多澤は阿咄達磨経、玄弊 課は阿咄達磨大乗経となし、他の一所に於ては順次に阿児曇並に大乗阿毘曇修多薙、阿見達磨修多羅並に大乗阿 見達磨.阿用達磨経並に阿見達磨修多薙、阿見達磨大乗麿とせられて居るから、此鮎からいへば単に阿児達磨経 とも呼ばれたものであると忠はるる。恐らて此方は略栴であらうが、此略解は更に⋮単に阿見達磨とのみにもなつ たと見ゆる。此の如きことによつて此耗は阿見達磨大乗経と大乗阿毘達磨経との両名によつて呼ばれて居ること が明になるが、恐らく両名は何れでも差支ないもので■ぁらう。前者は詳しくは阿見達磨と名づくる大乗経︵AbhT d−″arma占ぎてma一l茸ぎa・Sぎa︶ といふのであつて、漠諾では之を大乗阿見達磨経となすのである。かかる貫例 は西燕諸に存する大乗経の梵名と漠詳の名禰とを比較すれば数々遭遇する所である。 〓 大瀬阿見達磨鮭の内容が如何なるものであつたかについて之を想像する馬に今ここに唯識輔係の詔書に引用せ t られ居るものを集めて見ろと大要下の如きものを見出し得る. 大乗阿枇泣顔経と描大東論 7β∫

(5)

︹六︺ 世尊説法有三種一染汚分二清浄分三染汚清浄分⋮⋮以下金戒土の誓を詮く散文。 ︵棟論應知膠相品第二︶ ︹七︺ 若諸菩薩欲勤精進修請書法欲行置算法随法行欲善糠姦一切有情欲得連語阿持多辣三薮三菩提者常正観 察十二魔法不磨輿他共輿評論⋮⋮十二魔法を説く散文。 ︵大乗阿見達磨集論第七、最後部︶ これ等の外にも猶存するかも知れぬが目下知られた所では以上の七種である。此中第一第二第三は成唯識論に も存するものであつて何れも阿頼耶識縁起詮の綱格をなすもので所謂縁起門の唯識を説くものとせらるる。第四 も成唯識論に存するがこれは唯識無境を明すを主とL影像門の唯識を逃ぶるものである。第五は此第四と連結し て摺るものともせらるるが、同時に叉猫立に無分別智の成立を示すものともせられて居る。連槙となす方面から 繍 大華阿耽達磨経と瑞大乗諭 ︹こ 此界無始時 二切法俵止 若有諸道有 及有得浬柴。 ︹二︺ 諸法依森住一切種子識 故名阿黎耶 我名勝人詮。 ︹三︺ 諸法於識戒 識於法亦爾 此二五為因 亦恒互蔑見。 ︹四︺ 週智三慧を詮く散文。︵唯識連記轟林華の詮に依る︶ ︹五︺ 蝕鬼畜生人 諸天等如藤一境心典故 許彼境界成。於過去未来 此無闇成境。若輿成鳥境 無頼分別智 若此無彿巣 鷹得無是虎。 如意地等成 得定人亦爾。成就簡揮人 有智禅定人 於内思諸法 諸轟不顕現 應知無有塵 由比故無識。︵義林章の詮による︶ 四 ︵捧論應知依止勝相品第一、眞許諾︶ 同 ︶ 上 同 ︶ 上 ︵播論應知膠相品第二︶ 於夢二影中 智線彼境界 得白衣菩薩 由閉梨力故 知義穎規故。無分別修時 ︵持論依慧単勝相品第八︶

(6)

は同じく影像門の唯識を述べたものに過ぎないと見倣し得るが.然し無分別智成立を示すとすれば精一唐澤き意 味を有することが判る。唯識詮の根本従って最後は無分別智に存するからである。第六は極めて重要な意義を有 するものといふべきである。染汚分清浄分染汚清浄分は分別性依他性虞責性を指すのであつて之を金蔵土の誓に ょって詮くのは、いはは、三性門の唯識を明にするものであるからである。三性門の唯識といふ成語が古来用ひ られたことがあるかどうか狗未だ明確でないが、縁起門の唯識と影像門の唯識とは共に用ひられて居るものであ るから、それに準じて今ここで三性門の唯識なる語を用ひて、以てそれ等と直別して考へるのである。此慣糾に 基いて考へると、解深密経玲伽論成唯識論の如きは何れかといへば、縁起門の唯識並に影像門の唯識を詮くを主 とし、三性門の唯識は一種忽諸に附する状態であると考へらるるが、棟大乗論の如きは此三門何れを施設きつつ 何れをも重むじ、同時に他方に於て些二性門の唯識については前二門を併せたものと同等若しくはそれ以上の如 くに見倣して居る。この三性は成唯識論の解する三性とは同〓息味のものでなく、而も古い時代の三性詮を代表 して居るものであり、唯識詮の最も重要な根本をなす詮である。故に此三性詮を重要祓せす又は之と異る意味の 三性詮をなせば、その唯識詮は必然的に唯誠に関する畢詮の構成若しくは唯識に関する解樺を異にして来るので ある。 以上の六撞は全く唯識詮に関するものであるが、此六種が如何なる順序をなして居たか、乳は如何なる部分に 存したものであるかについては多少の想定をなし得る外には之を明にするを得ぬ。最後の第七は全然性質を異に する文であり、堰論では決樟分の境後に七種の論議決搾を逓ぶる中の弟六論軌決樺即ち困明を説いた後の結語と 大薬阿地建磨駿と端大兼諭 五 7β7

(7)

大乗阿枇達磨経と病夫東諭 大 して引用して居るものである。かかる文が存したとすれば、此経搭単に唯識詑を戊いて居るわみでなくして周明 などをも説いて㍍るのであらうっ碓氷此推には描大東品なる二品があつたといはるるから、今此文によつて考へ て軋れば.共外にも論軌口mとか川明品とか名づけ得る如き品も存したのであらうと考へらるる. 三 棒大東論の液後に、彿陀崩多諸には放けて居るが、達磨笈多諸には阿毘達磨大束修多羅中棒大薬品解繹覚阿阻 梨阿檜伽追、玄非諸には阿毘達磨大乗紅中綿大乗品我阿倍伽略捧究発とあ告之によつて古来擁大乗論は大乗阿 見達磨経の柿大乗品を解樺したものといはるるのであり、而も時にはこの解繹といひ略樺といふのが詫樺をなし たことも了解せられて摺る程であーる。この解珪略樺が攣何の程度のものであるかについては一に之を内容に徹し て考察する外はないのであるが、棒大乗論を一党する何人も之を捉の逐字的註樺と見ることはないに相違ないか ら、柵大乗論は決Lて註繹害といはるる性質のものでない。之に封する確貴なる詳接は、既に前に引用した如く、 梯大東諭中諸所に大乗阿昆達磨紆の飯や文を引用して典糠となして居る鮎に見出さるる。著し論が鮭の註樺なら ば、所梓の経を典接として引川する如きことはあり得ることでなく、萬一ありとすれば、引用せられた檻はむしろ 所樺ではないのが蕾然である・J梯大東論中にもかかる性質の賓例は多数存する。故に右に掲げた雨諜の最後の文 の意味は大東阿児沌磨耗の挿吠兼品〃或部に基いて解梓論述をなして〓洞をなしたことを指すものに外ならぬ。 然らば或部に基くとは児して何を指すか。輌澤の粍大東盃の努頭に、﹁阿見達磨大乗経の申に於て、滞伽梵の前 でよ︻く大乗に入れる菩潅が大東山階大を嶽はさむが鶏に説く、大乗に伐れば諸仰世奪に十種の勝相勝語がある、 ア6β

(8)

⋮⋮ 以F十稚の勝剛を刈廃して更に⋮⋮並の如き等山所詮の鰹の文句は天来が例語で洩ることを穎はす︵白山 繹︶..とあり、組いてこの鰍はすを解絆して、此十柾は小乗の中甲には説かすして大乗中にのみ説くもので、そして 十種は兵鯉的には阿黎耶識等それぞれであると述べて居る。これ等については俳陀易多謹も何等算質的に異る所 はないが、然らば此三諾のいふ大束阿屈達磨紅の文句とは何れの文であるか。最初の阿屈達磨大乗鮭の中に於て ︵原文では阿用達磨大乗経中である︶の句は明にこれ椅大衆論の著者自身の筆になる叙事の地の文であることを示 し、.決して経の文句共ままを引川して居るとは認められないものである。然らば穀初から既に﹁経にはかくかく ある﹂と書出して居るのであり.右引用最後の﹁是の如き等の所詮の経﹂云々も亦著者の文であつて引用句でな いことは何人にも疑ないであらう。故に全恒の意味は、﹁大乗阿見達磨軽の中には優れた菩薩が俳前に於て、大乗 の教によれば諸悌世尊には十種の膵相勝語があると宜べて居る、これは即ち大乗は彿詮なることを顛はして居る ものである﹂といふのであるに相達ない。然らばここには直接に控の文句が共まま引用せられて居るのではなく して、唯僅に十種の膠粕の名稀が経中に存するのをここに列車L出したに過ぎないのである。従って今いふ意味 のことが大乗阿見達磨鮭の棒大乗品に述べられて居るから、此中の十柾の膠相の名稲忙基いて棒大乗給は共十品 の分章をなし、叉経の中に既に十種は阿黎耶識等それぞれであると具鰭的に其指す所を奉げて居たに基いて十品 の題名内容が定められたのであると考へらるる。これが即ち棟大乗品の或部に基いて解樺論述したとなす意味で ある。 此0如く械大乗論の甥班と結尾との文によつて、棒大乗論は大乗阿毘達磨経棟木乗晶に存した十種の勝州の名 _ . 大乗阿枇達磨綽と梯大乗笛 7一βタ

(9)

稲と並に其指示する内容とに基いて十品の章を立て、之を詳しく解樺論述して〓弼となしたものであることが判 る。故に例へば第〓申を應知俵止膠相として其中には阿黎耶識に閲する詮を、叉第二品を應知勝相とし其中には 三性に関する詮を諭すとなす如き綱格は脛に基いて定めたものでぁって、そLてそれを理論的組絞的に論述する のは全く著者のなしたものに外ならぬと考へらるるのである。従って此論述の間に必要に應じて大乗阿児達磨麿 ■ ■ 其他の経論が自由に引用閲読せらるるに至つたのであ脅かく見る場合には廟大乗論なる名稀は大乗阿見達磨経 梯大衆品のいふ所に基いた粘から起ったに外ならぬと解樺せらるることになる。 四 更に進むで考へて見ると、柿大乗論は分筆十品の中に於て闊係事項までをも論述することによつて一般大乗の 理論畢詮の要領を述ぶるを得たので思るから、其鮎からいへば梯大衆論なる名稀は大乗概論の意味であると解攣 しても差支ないであらう。無性の棒大乗論樺に、論文に於て十種の膠相がかかる次第を取って述べらるる所以を 説いて後に叉此詮中一切大乗皆得究発とあるを解して、是政詮此名梼大乗壷其所有大乗綱要無別語故というて居 るが、養林茸紙料簡章の中の六合梓を説く部に此文を引用し以て、此れ本経を以て大乗と名づけ末諭を名づけて 挿と馬す本経の棒大乗品を以て棒大爽と名づくるには非すと樺して居る.之によれば、この大乗は大乗阿見達磨 経の挽く閉を指すのであつても其所有大乗綱要無別語といはるるから、此大乗を棟する棒大衆論はまさしくこれ 大乗概論の意味になるものである.此解樺も決して不笛なものではないのみならす、畢尭前の解樺と異る所なく して全く同一と見倣してもよいものである。 大乗阿耽達磨経と棟大衆論 八 77()

(10)

以上を裁として眞諦諸を考へて見るに、其結尾には﹁阿枇達磨大東蔵誰の中にて棟大乗と名づける此止詮は究 寛せり﹂とあつて此意味が他諾と異るか香かは今暫らく別となすも、諭の努頭には﹁棒大乗論即是阿見達磨教及 大乗修多維﹂とあつて他諸の如く大乗阿見達磨経中に於てとはないから、意味が異って居る。幣頭の右の文を何 と訓読すべきか欄間題であらうが、眞諦諜世親樺によればT川若し阿児達磨の名を離るるときむば則ち此諭の足 れ聖教なるを知らざれば、此が焉の故なり、叉経名を顛はさむが焉なり、誓へば十地経の如しLといひ∵叉﹁問 此論に阿用達磨大乗修多薙の名を説くは如来の法門の別類を顛はし及び此論の別して名づくることを顛はさむと 欲するなり﹂といひ、吏に﹁用何が故に但阿児達磨の名を説くのみならすして復修多辣の名を詮くや、阿見達磨 にして起れ聖教に非ざるあればなり﹂とあるから、之にょれば、何問によつて棒大衆論即是阿児達磨教は﹁棒大 乗論は即ち走れ阿児達磨の教なり﹂と訓読せられ得るし、此中の阿艮達磨は同時に、問榊によつて如何にも阿児 達磨大乗修多羅ど績くべきが如くに考へられ一方に於ては如来の法門の別類としての阿見達磨を説く経たるを示 し他方に於ては及大乗修多羅の句が一應は﹁及び︵阿用達磨︶大乗修多薙なり﹂と訓諌せらるることになるを示 して居る如.くである。然しかく見れば遽に、論が経なりの意味となつて甚だ奇であると考へらるる。之を達磨笈 多諸に参照す撃と周に相督する所は﹁阿屈達磨修多羅と言ふは彼の修多羅仇中には此阿児達磨の法門を明すが故 なり、亦修多羅の名をも顛はさむが雷の故なり﹂とあるt、普寂の略疏には拘を以て閉依の経名を模する二由を 辿ぶる節となして居るから、これによつて恐らく﹁及び︵阿用達磨︶大乗修多羅による﹂と訓読すべきものであ らうと考へらるるのである。かく考へると屑許諾では梯大乗諭は阿崖達磨の教を述べたもので阿児達磨大乗軽に 大乗阿批連勝経と赫大乗論 九 77J

(11)

大橋阿批達磨経と踊大乗論 一〇 伐った論であるとなつて居る理であるじ従って之によつて見れば、前掲の結尾の旬も阿児達磨大乗政経中の挿大 乗と名づくる品の正解樺が終ったの意味で、阻に稀大乗とのみあるのは品名を示すに外なちぬと解するのが穏常 であらう。然し決して梯大乗品の返事的詫樺ではないから、棒大衆論郎是阿用達磨教の旬把基いて.梼大乗品の 言に凍って以て大乗の教理一般を概論した論となして居るとなす趣意であると解せらるる。故にこれ変則の解樺 と同一となつて居るのである. 以上考察の結果は大乗阿戌達磨経と棒大衆論との閲係を以て所樺と能樺とのそれとなすを認めしめすして恰も 究尭一乗資性論が黄金鯉の結構を陀羅尼自在王菩薩経に説く彿と法と恰と性と書経と功徳と発との七句に取って 自由に解繹論述して居ると同様であると知らしむといふべきである。 棒大乗諭は一般的に件数典籍中での最も優れた書の一であつて単著必講の論である。内容の難解と異澤の多種 との為に共研究理解は決して容易なものではないが、射し叉決してこれ等の馬に高閣に束ぬて忽諸に附して置く べきものでない。眞に俳教を研究せむ璃には放くべからざるものなるにも拘らず従来殆ど全く顧みられなかつた のは畢界の最大妖新である。此一小論文は倉卒の問に執筆したもので沈思潜考を経て居ない鮎に於て愉悦の至り のものであるが、かかるものにても自他にとつて今後に於ける斯論研究の促進の一助ともならば望外の串である と考へてここに之を公になすのであるJ︵八・五・一八︶ 7アβ

(12)

+ 一∴示教の本質又は宗教性の何たるかに関しては、様々な意見があるであらうが、これらの問題とは璽止に、 吾々は宗教社台畢の封象領野を、輿へられたるものとして受取ることが出来る。経験科挙としての祀合畢の立場 に於て考察される宗教は、緊密な事箕的閲聯に於て考へちれる一系列の事象としてである。そしてかかる宗教的 と名づけらるべせ事象統一の存在せることは明白であるっそれを統一する﹁宗教的﹂と云ふことが理論的に如何 に言表はされるにせよ、鮪〓的事象群としてそれが輿へちれてあるせ云ふことが、知識の鰭系としてのでなく、 研究の企圃としての宗教吐合拳の充分な存在根接なのである。オトマール・スパンはかつて、マックス・ウェーバ ーの宗教祀禽単に封して∴示教性の何たるかの把握を措いての宗教配合畢的研究と云ふことは不可能であると.去 ってゐるが、吾々はか1る批評によつてウェーバー的研究の意義を捜することは出来ないと児ふ。 宗教恥骨畢の問題

宗教社食寧の問題

四 三 二・一 杜骨撃と宗教の立場 乗数社命轟。宗教と社食の本質の問題 宗教的イデオロギーの問題 宗教的集囲の問題

蔵 内 遡 太

ア7∫

(13)

一二 宗教批骨撃の問題 二、宗教は経験的・相封的世界を超越して考へられた存在に、人生に於ける営為の淵瀬、保誇又は目梗を認め んとする意味に於て、その教誰は、そ山立場に於ては.転封的要常を贅求してゐるっトのことは、・精神をも経験 的・可饗的な配合と云ふ存在との聯幽に於て見ようとする社食単的考察態度と、最ラディカルな意味に於て封立 する。一足り観念内容の絶封的安廿周を要求する信仰者の立場からは.か1る観念内容を何等かの偶然的存在聯紺 に勅封化せんとする企園は、拒否されなければならぬ。このことは確に宗教社食拳への寄算上の障擬を意味する であらう。然し乍ら原理的にはさうでない。それは、紅禽聾者は同時に信仰者でなくてはならぬと云ふ必要がな いからである。一定の概念内容に封する信仰的腰駿と、客観的・科挙的憾験とは、本来それぞれ別箇な主観に於 てなされ得るからである。宗教敢倉単に於ては﹂ マッハイムも云へる如く、かの知識社命単に於て↑度は逢着す る論理的問題1−一定の思惟を、一定の謄史的・吐合的現算地盤の7ンクチオンと見、それに相封化することに ょって/での眞理債備を動播せしめる知識祀倉畢的理論は、やがてこの白己の理論自鰭を相封化し、無力化する ものではたいか、と云ふが如き問題は起らない。何となれば、知識祀食草に於ては、思惟を相封化しっ\ここ に同一の主脱が日ら‖心惟を措定するのに∴一加数祀食草は﹁宗教的﹂観念内容を相封化する思惟であつて思惟一般 を州封化する‖心惟ではないのみならす、理論的主観は同時に信仰的主観たることを必至とせす、宗教祀合掌は宗 教を措定するものでないからである。 三、然し乍ら宗教の信仰的把持と客観的・理論的考察の事青に於ける消長は、無論相交渉する。例へば一の社 命を組封的に支配してゐる宗教に封する、信仰以外の態度は、それの胃済として振まれるであらう。香そこに於 77卓

(14)

ては、すでに一切の存在が宗教的意味によつて被痩せられ、宗教的に解樺されて居るから∴示教をそれに閲係づ

ける宗教外的存在錦城は、か1るものとしては輿へられて居らす、また存在の理論的統一把握も要求せられてゐ

ない豊実る。宗教が、或は合理化された意識と矛盾するに到り、或は時代の要求盆隔絶して来たやうな場合に

は︵これ具示教の固定化傾向、吐合事情の可欒性、宗教家薬園の集困的利己心等々によわて生じ易いこ.とである が︶、かゝる宗教の播威に反嗟せんとする逓動が起る。このことは一方に宗教革新の契機を意味すると共に、他方 にそれは、究極に於ては宗教の客観的考察へ導くところの、﹁距離の意識盲成立せしめる.ブリンクマンの云ふ

如く、社命畢は僧侶的、貴族的勢力への市民階級の反抗の表現即ち反抗科挙として教生したものとするならば、

宗教祀食拳は吐合畢の敢初の意向にあつたと云∼るかも知れぬ。然し乍ら宗教の科挙的︵祀倉畢的︶一観察態度の

成立に特化大なる関係ある事情は、相異る諸宗教の解接である。今相互に異る諸宗教が、それぞれ事情を異にす

る祀昏によつて運載されてゐるのを観察するとき、存立の地盤を異にするに件り宗教そのものも相異り、従って

それぞれの宗教の特殊性はその地盤の特殊性によりて説明酎乗る、と云ふ思惟傾向を導く。この思惟傾向は、謂

はば縦における宗教の相封的経験、即ち史的研究によ一っても助長されるであらう。要するにかやうなー宗教への

距離の意識予それの柏封的な輿へられ方に、宗教社食畢の成立は塞くものである。

宗教社食畢は勿論信仰の立場に立つものでなく、また宗教の杜合拳的相封化と既成宗教への離反感情とは深く

結合してゐるであらうが、それにも拘らす、社食畢の立場は必然に反宗教主義を意味すとは云へまい〇即ち宗教

の相封化は、既成宗教を超越する璧的、又は理念的宗教の敬念を強化L得る。よカ根本的に考へて、社命畢は ▲▼ 宗教社食轟の問題 77β

(15)

一四 宗教社食翠の開港 宗教と人間生活とのつながりを贋さに於てと同時に探さに於て示すことによつて、宗教の功利性、乃至事賓的柑 威を明かにする。 〓 凶、宗教の社食畢は、二つの傾向に於て、 SOCi010gie邑igieuseと、弼乙に於ける、マックス・ウェーバーの柴蹟を主とするRe−igiOn臥OZi010gieとである。 ゾムバルトは、社食単に西欧羅巴的・自然料率的傾向と弼乙的・精神科畢的傾向とを分ってゐるが、このことは 常然宗教の祀倉単に閲しても云へるやうである。俳蘭酉の宗教吐合挙が、原始的宗教意識の研究に出費し、宗教 をその要素的なるものに於て把墟せんとしたのは.ゾムバルトが、西欧羅巴的思惟の特徴として謂ふ所の﹁精神 の劣位化﹂M。diatisierungdesGeistesの態度々示すものと云へる。他方、ウェーバーの宗教社食畢的研究は、寧 ろ高級なる文化宗教をその考察封象とし、且つその際、との﹁精紳﹂的なるもの1現質的・経済的生活への規定 力を主張してゐる。 今、か1る宗教吐合畢の諸方針の叙述や検討に立入ることなしに、私は直ちに、私の観念する宗教の社食畢の なる問題を述べようと思ふのである。佃、吾々に於ける宗教祀合畢的細心は、何よりも日本人の宗教生活の把 主 握と云ふことに向ふべきであり、そしてこの封象の特殊性に癒する方法の特殊性と云ふことも、常に考慮されて あらねばならぬと云ふことを、此虚に記しておきたい。従来吾々は、封象に封する方法の鷹制の過誤を、飴少に しばしば犯してゐるのである。 77β

(16)

配付畢の観鮎に立つ時、宗教に紬Lては次の三種の主要問題がある。第一は宗教一般に謝してであり、第二は

宗教思想に閲してであⅧ、第三は宗教に於ける人間行動並に集囲に閲してである。

五∴示教は輿へられたる事斉としては斉に多種多様である。然し乍らか1る多様の寄算が正に宗教と呼ばれ、 例へば経済、政治等々と呼ぼれないのは、そこに何等かの共通な性格が見られるからである。か11る宗教に於け

る本質的なるものの把握に封して、社食拳は如何なる意義を有ち得るか。宗教の本質に関しては、問題は、そこ

に於ける交渉的封象としての超越的存在の側に即して取扱はれもするし︵形而上拳的︶、またか⊥る存在を措定し

それに蹄伏する腰験の側に即しても取扱はれる。この後者に於ては、心理単著の買厭と共に、また紅禽聾者のそ

れも重要である。デュルケムは、未開人の精神生活の貰誰的研究によつて、宗教生活に於ける性格的なるものを

ば、﹁俗なるもの﹂よ少直別されたる﹁聖なるもの﹂としての事物の饅験に見、事物が、この近づきがたく、畏怖

さるべき感情を惹起するのは、それが、個々人に封して威堅的存在である魔の祀倉の表象を町なへるからである

と推論したが、これは社食の鰭験⊥忘が数的鯉験と秒間の一致を把へたものと云ふことが出来る。かかる宗教鰹鹸

と社食鰹験の解明には、その拳的傾向を大に異にする社食単著ジムメルの﹁宗教﹂の中にも﹂不唆を見出し得るの

である。例へばジムメルは、個人の社命に封する閥係上、その紳に封する関係との間に、如何に7ナロギーがあ

るかを述べてゐる。宗教懐胎と吐合憶駿との類似は、宗教鰹験の祀食畢的詮明を棍墟づけると共に、祀禽の宗教

性を示唆するものでもある。祀倉は個人的生括の保詮者として考へられる一方、個人の蹄依の封象でもある。社

命は個人がその生活を意義づけ、それの根接を汲み出す一 反省に於てゞなく、直接的・鰹線的に ー ところの

諜敦敢骨撃の問題 777

(17)

凛数社曾車の問題 一六. 存在である。例へば人が、自己の有限の生涯に於いては明白にそれの効果︵直感的又は間接的︶を期待し得ない やうな活動に献身する時、この態度は、鰹験の直接性に於ては、宗教的であるとも云へると思ふ。人をして.そ の個人的中心に於てゞなく、薬園的中心に於て、しかも思慮的でなく贈験的に、償値と非償値を決定せしめると ころに、祀倉生活は宗教的生活へのつながりを有ってゐる。この意味に於て祀倉生満は、人間生活の単なる形式 的モメントではなくして、すでに人の内容的な精神方向、人の一定の白己解樺を意味tてゐる。 右の如き而に於て把へられる配合生活に勤しては、祀禽畢上﹁ゲマインシャフト﹂の概念が適用される。ゲマ インシャフト的生望息識は、宗教的生酒意識とも云はれ得ると思ふのであるが、この関係に於て、吾々としては 日本人の宗教意識の研究の重要性を思ふのである。例へば日本における俳教が、その本来の前世、現世、来世の 超越的時間系列の観念より、組先より子孫への、民族的の、歴史的時間系列の概念の方向への欒容を示してゐる 如きことは、日本人の特に共同社命中心的生餌態度の現はれと、見ることが出来ると児ふ。

六、人闇の交渉的封象は通例自然と同類−−人間とに分たれる。即ち人は自然界と杜倉界の二つの世界に於て 人であると云はれる。然し吾々はまた、エルンスト・オットーなどと共に、人と紳的なるものとの関係を、そこ に加へて考へることも出来る。紳を如何に表象し、紳と吾々との関係を如何に叡念してゐるかは、それぞれの宗 教的思惟の主要な内容をなすものであることは勿論であるが、これと同時に、またこれと緊密な閲聯に於て、宗 教的思惟はそれぞれ﹂人と自然、人と人との関係に関する特有の見解を包含してゐる。︵﹁自然﹂とはすでに存在 ア7β

(18)

に封する人の一定の感じ方を意味して居り、それは宗教的観念と無餉係ではない。︶ 七、オブートーは、人︵主鰹︶封人の閲係を愛の踊係とカの細係とに、人封自然の鯛係を理論吋と貫践的とに直別

するやうに、人封紳の関係をも同じく二つに、即ち彼岸的と此岸的に区別してゐる。

この彼岸的態度と此岸的態度とを、個人的傾向としてゞなく、一の社食の、または一の時代の性格として見る

とき、それに社食畢的解明が要求せられる。一般に非宗教化即ち世俗化の傾向は、近代社命の特徴と見られてゐ

るパテソニースが、宗教を共同社命に、輿論を利益社食に壊せしめ、共同社命的より利益社食的への推移を以っ

て、近代祀倉の動向としてゐることは、その社食単に於ける一例である。吾闊の膝史に閲しても.﹁中世﹂または

﹁近世﹂の言葉が、宗教的と世俗的をそれぞれの決定的性格とする意味に於て用ひられ、かの、外的には寺院勢力

に封して武力的強堅を以て臨みし信長、内的には人倫を外にして造なしとする人本思想によつて伴僧より還俗せ ●

る徳川初期の倍率者などが、その挿形期を代表する者として指摘されてゐる。これらは宗教を、その一般性に於

て、即ち宗教的気分として、社命に闘係づけた場合であるが、同様な意味に於て、伺宗教の吐合統制的作用の問

題がある。例へば、宗教は民衆の非理性的態度を培ふことによつて階毅的支配鰯係を安岡ならLめるT宗教は7

へンなり﹂などと云はれる。この見解は宗教の現貰的・隆史的機能の一面を把へてゐると云へるであらうが、し

かしそれの根砥には誤れる啓蒙思想的人間観が置かれてゐるやうに思はれる。宗教と人及社命との関係は、より

探測に考へられなければならぬ。

八∴示教的イデオロギーに於ける中心的なるものは、勿論超越的な存在や閲聯に関するそれの表象であらう。

年数洗骨翠の岡垣 77β

(19)

宗教社食畢の問題

一八

神は唯一紳として考へられてゐるか。複数性に於て考へられてゐるか。後の場合に於でむ、神々相互の関係は如

何に考へられてゐるか。紳は男性的な力の紳としての性格に於て考へられてゐるか。jたは女性的な愛の耐とし

て考へられてゐるか。紳的なるものは如何にし・て吾々に自己を示現すると信ぜられてゐるか。例へば紳秘主義に

於ても、神秘的なるもの1把握は、激情的恍惚に於てであるとされるか、﹁精神技術﹂的努力による、あらゆる 感性的なるもの1排除に於てゞあるとされるか。か1る問題は、それ白身すでに、政令塾的解明の可能を暗示し

てゐる。

次にかゝる彼岸的なるものに関する観念は、逆に人間の行動と社食を、如何に規定するであらうか。宗教的軌

念内容は、教園の細緻に封してすでに無紺係でないと云ふことは、云ふまでもないが、こ1に重要と思ふのは、

宗教的観念が、世俗的な倫理を通して、社食へ輿へる作用の問題である。マックス・ウェーバーのこの問題に閲す

る貢献は劃期的である。彼は例へば資本主義制度の成立に興る宗教の役割を諭するに、カルダィンの恩寵複定詮

に山水する職業的精進の精神に着日してゐる。私はウェーバーの方法的示唆は、吾閉の宗教及政令の研究に封し

て、貴重ごあると思つてゐる。宗教的規範意識により陶冶された精紳態度に立つ貰践が、配合的、文化的に如何

なる効果を有ったかの問題に閲しては.就中吾閲中世後期に於て渾的思想の成した役割が想起せられなくてはな らぬ。特に挿の武士道−これは哉場に由来する、それ故に謂はゞ﹁危機﹂の倫理である一に輿へた影響は大

であると云はれてゐる。今かの浄土虞宗を以って心理主義的であると云へるならば、これに封して絹は論理主義

的と.ムへると思ふが、これは、同じく論理主義的な徳川時代の儒教と、精神史的閲聯を有し、後者は封建制度の 7β0

(20)

、 イデオPギーとして、後の閲畢的新興心理主義の封立物であつたと共に、その精神に輿へた論理主薬的陶冶は、

維新とその後の革新道勤の一動因となつてゐるやうである。この重要なる一聯の精神史の社食拳的解明には、宗

教祀食草も何程か寄輿出来るであらう。

九、宗教的意識の中には、自然界の事物に関する一定の感じ方又は考へ方が含まれてゐる。即ち自然が如何な

るものとして、人に観念されてあるかと云ふことは、決して宗教的態度と無関係ではない。自然に封して愛好的

同胞的態度をとる東洋人と、それを本来人間の支配と征服の封象であるとする西洋人との、自然感に於ける封立

は、よく人の語るところである。現代の白燃料畢の超民族的公共性とは猫立に、自然感に於ては東洋人と西洋人

との問に大なる相違がある。即ち鰹験に於七は、邑ureと﹁自然﹂とは等式に連横川水ないやうである。私は中 江兆民居士又は加藤弘之博士の唯物論的反宗教︵基督教︶思想や元艮博士の思想の中にさえ、それらが自然科挙 と云ふ西洋人と共通の地盤に立ちつトも、背後に全く束洋的な自然観を漢はせてゐるのを見る。而してか1る自

然感こそは、特に件数の、そして其他の束洋的宗教思想の根概にあるのである。他方シューラーの云ふ如く、鉄

建巴の自然科挙とその宗教 − 基督教とは、表面的相別にも拘らす、共に人間の自然界に封する隔絶的・支配的 地位を前博せることに於て、共通のものを有ってゐる。か1る相異る自然感の由来を豊美的封狩猟的生活形態に

求めるか、また和辻博士の如く﹁風土﹂に求めるか、従って例へば欧羅巴的自然感は、﹁砂漠﹂に於ける人と自然

との封抗に由来するとするか、或はその他の説明方法によるべきか、は問題である。それはいづれにせよ︵無論 この説明には社命革も閲興し得るであらう︶.宗教に含まれてゐるところの、自然に封するか1る親和或は疎隔の 軍数社命由の問題 アβJ

(21)

バ 宗教社食撃の閃堪 二〇一 感情は、本来吐合畢的範曝に於て考へることが出来る。そこで例へばシュー﹂フーは、東洋的已然感を宇宙的一恒感 と名づけ、人々の祀合的融合存在に適用せられる一腰感の概念を、自然と人との閲係にも適用してゐる。 一〇、いづれの宗教的イデオロギーに於ても、そのコスモロ汐−的方面の外に、貴践に閲する.即ち人と人と の閲係を調整する何等かの規範を有ってゐる。後者が前者より演繹される虎に宗教の立場があるのであるが∵貫 は配合的貫践生活こそコスモロジーや、宗教的樅威の淵源であるとも云へることは前に解れた廃せあるか、いづ れにせよ紳や自然に閲する思惟と緊密に結合して、人と人との関係に閲する教詮が輿へられてゐる。 人間問の嬢本翔係を愛と力とに分つ考をさきにも記したが、テオドル・ガイゲルも﹁圃髄﹂︵彼は社食形式を ール 二人結合、園鰹、群集、盾に分けてゐる︶の基礎を、吾等意識︵ゲマインシャフト︶と外的規制︵ゲゼルシャフト︶ に見てゐる。要するに祀食は成月間の親和と、何等かの統制なしには存立出来ない。今宗教は祀倉のSin︼︼と矛盾 して存在し得べきでなく、寧ろ社食をそのSinnの方向に強化することを、その重要な機能とするものであると 云へると思ふが、この意味に於てそれは常然親和と統制に関する、即ち愛と奉仕、和と服従の教を含んでゐる。 然し乍らこの一般的傾向の内部に於て、宗教的思惟が人間関係に作用する仕方は決して一棟ではない。自然的愛 欲に寛大である場合もあらうし.宗教的精進の名の下に人間々に冷厳なる規律が強行される場合もあらう。不平 等な人間銅係が紳の秩序として支持を要請せられることもあらうし、然らざる場合もあらう。こ1に興味ある問 題は所謂宗教的寛容と云ふことである。日本人は特に宗教的寛容の精神に富むと云ふことが、その民族性の顕著 な一面であると云はれてゐる。従ってこの間題は日本宗教社食畢の重要なる問題である。ジムメルはその﹁宗教﹂ 7ββ

(22)

、 に於て、欧羅巴人の宗教的不寛容を、基督教の蒜教たることより導いてゐる。それは推二の紳のみを信する虚 棚 に於ては、他の紳の信仰者は受容れ得ないからである。従って、民族紳的、汎紳論的の信仰に於ては、事情が全 く異ると。紳観念の差異による異教徒間の人間関係のこの詮明は、一つの眞理をもつてゐるやうに思はれるが、 今吾困に於ける宗教的寛容だけに閲して云ふならば、それを宗教的にのみ説明することは困難である。それは、 問題に辟するのではなからうか。 は日本人の共同祀合的人間形態︵杜合的巷一はあるも、自我に於ける精紳内容の統一の強調されざる︶の詮明の 異系就の文化内容の併正に寛容な一般的・民族的傾向に関係せしめて考へられなければならぬ。そしてとの事資 四 一一、宗教吐合畢の第三の問嶺は∵宗教的人間行動及集園のそれであるとさきに記したが、今宗教的集囲の問 題に閲して、極めて概略に述べること1する。 宗教は、集圃生活をそれの意味方向払強化するところの機能を有つと云へると共に、またそれ自身新たな社食 関係.特有の集圏を教生せしめる。宗教的信仰はその本質上全人的な事柄であ少、従って人々の間の信仰の合致 は、人格の本質に於ける結合の契横となる。信仰の共同と云ふことは、粗い結社原因であると云ひ得る。反封に

信仰の差異と云ふことが、同様に強い、分離的因子であることも云ふを保たない。また、宗教は元来主観と紳と の関係を中軸とするものであるが、しかむ∴示教的思惟の眞理性は客観的詮明の困難である類のものであるため、 信仰の維持には、何よ力も多数者の、.表言されたる.または暗獣の、相互的確認が必要とされる。そこで同宿者 群数軋骨嘩の間藤

(23)

宗教社食堕の問題 二二・ は、か1る相互的確認の横合を、串間的集合・接偶に求め、且つ表象に於ける集合としての同宿者集園を成立せ しめる。一般に人々の蛋聞的集合に於ては感情の一方的興奮が起り易く、宗教的集合はこの意味に於て宗教的情 緒の昂揚に利用せられ、これは儀式、青紫等によつて史に人為的に助長せられる。まだ非巷間的薬園もそれの客 観性により、成員の意識に固定的方向を輿へ、これを狭院化する傾向を有するものであるが、宗教的薬園にあつて はこのことは、更に教儀その他の客観化によつて強められる。要するに信仰の維持、宗教の自己保存には、人々 フエルゲゼルシャフトウング の 結 社 は必然であるが、何これは単に信仰のインテンシティーに関係するのみならす、集困的威力を通 して、そのエキステンシランに、即ち信徒の新たなる獲得に貢献する。 宗教的集圏の問題には、この同宿者薬園と宗教的集合の問題の外に、専門的に宗教の事にたづさはる人々、即 ち伶侶集囲のそれがある。教生的に見て、か1る専門の成立は配合分化の最初の貢に位する。この原始的宗教に 於ても.呪術としての技術が特殊の修得と異常な性格を必要としたであらうが、か1る必要は宗教の哉建と共に益 々増大した。倫理的な開机宗教に於ては、開祖の宗教的・倫理的人格は、特別に求道と自己陶冶の情熱を有する 人々をその周囲に集め、これがやがて僧侶として特殊な配合部類となる。恰侶の集困は、最初は追随者、同行者 の結祉であるが、時代か教組より遠ざかると共に、始め求道と自己陶冶の倫理的目梗たりし教組の人格は、膝史 的具髄性を失って、次第に及び難き理想的人格に化せられ、他方その集圃は、集圃的イデオロギーと組織を整備 L、衣服其他の客観的梗式によりて一般信者より自己を直別すると共に後者との相互的関係を確立し、かくして すぐれたる宗教人の現はれざる限少、単なる宗教的行事の猫占的な技術家とな少、精神的低調に堕するに到るC 7β1

(24)

倍化の全惟吐合に於ける地位は、彼等が謂はば軸と人との仲介者として考へられてゐる限少、社食の最高官にあ

るのは嘗然であらう。然し乍らその惰性的存在に於ては、大陸に於ける如く、その機能は認められつ1も、極めて

購祓せられる事もある。いづれにせよ、一般民衆より上位然らすば下位に差別せられると云ふことは、如何なる

事情によるのであらうか。そこには種々の原因が考へられるのであるが、恐らく主たる理由は、prOぎeとSaCrか

が叔本的差別皇息味すること上り考へらるべきことであらうか。

一二、自然的宗教に於ては、人々の宗教的生活は民族的生活苦践と合性して居少.前者が猫立の範域として一 般生活と遊離せしめられて考へられす、従って宗教を中心とする特別の特赦はない.またはそれは全鯉社食と重

り合ってゐると云ふべきであらう。但し多神教的信仰又は組先崇拝に於ける、氏族的、家族的な信仰封象の特殊

化による鰻丼の分立は、無論考へられなければならぬ。これに封し二定の特殊化された観念内容と一定の倫理

的人格を中心とする宗教集囲の成立については前に述べたが、かやうな宗教もー民族を刺す庭なく支配すること

は無論あり得るであらう。しかしこの場合はいはゞ同信集困の損大が民族大に及んだまでゞあつてーこの碗大は

自然的宗教に於けると興り、歴史的に跡づけ得る筈である。

然し乍ら同じく開祖宗教に於ても、その宗教の性質そのものにより、或は敢倉組扱が強調せられー或は然らざ

る場合があらう。例へば、恐らくは共同祀倉的連帯の生活意識に格はれたであらうところの、カソリック的集圏

的救済の観念−人は救命を通してのみ救はれるとなす信仰の場合キ政財の個人主義的分化の宗教的表現であ

らうところの、救を個人の内的信仰と貫践生満に直ちに結合する考とに於ては、教困の意味はそれぞれ大いに典

宗教柾仲野の間置 7∂う

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二四 字数杜曾撃の閉担 って釆なければならなかった。またシューラーの云ふ如く、啓示宗教 − 人はただ紳的眞理に封して受動的に考 へられてゐる場合と、反封に人々が瞑想的に、白力的に解眈を追求すべき場合とに於ては、大に異って釆なけれ ぼならなかった。伸し亜細亜の宗教を全然後者の形に於てのみ考へ、教倉の存在を全く否定する如き見方は、勿 論誇張であると云はなければならぬ。なほ自然的宗教と開組宗教とに閲してー後者が教生的に前者と踊聯するこ とは別としても、例へば自然的宗教の民族が外部より文化宗教を受容する場合、両者の関係並にその社命蓼的意 養如何と云ふことは、興味ある問題である。秋葉隆氏は朝鮮吐合に於けるシヤマllズムと儒教の関係に閲し興味 ある吐合拳的研究をLてゐる。我国に於ける外来の俳教と租先崇拝教との交渉、特に後者による前者の欒容 − 沸教が個人的現世主義を克服することによつて、貫は集図的・超個人的現世主義を強化する契機となつてゐると 見られる事責の有つ社命垂的意義の研究は、重要であると息ふ。︵八、六、一九︶ 本文は後日の研究の出費鮎となすため食事として書いたものである。付文中に記した人々の外に、木村卯之氏の﹁綜合的親鸞 研究﹂其他より貴重な示唆を受けたことを附記する。 7β♂

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聖典史方法論の一断片

− 聾巌匪の成立lこ関する論寧−1

久 野 芳 隆

印度研究に於て最も不足するものは侶検することの出来る史的記録の無いといふことであらう。由来印度は後 塵史図と謂はれ西欧人が印度史を編纂する様になる迄は鮭史と名づくべき程のものを有しなかつたのである。之 が馬め毎も単著をして経典の成立年代を考許する時に苦心惨憤せLむるのである。 Lかし日本に於ては事に姉崎教授の聖典史論を先駆として以後最近に到る語勢者の糞接は貫に蘭菊菜を競ふの 一, 有様を呈して居る。先づ麻姑沸教に関する原典批判は字井教授の﹁原始件数資料諭﹂︵印度哲蓼酢究攣一︶﹁阿含の 成立に関する考察﹂︵同書解三︶和辻教授の﹁原始沸教の責践哲畢﹂中の﹁根本資料の取扱ひ方について﹂の如き 言−HIL−琵ニintrOd∴穿ddhisニndiaPL諾声︶の如き、又南北両値のいづれにも保存せられぬ■一骨古き作品 傑作を出した。此等の人々は資料自身に新吉の盾あるを指摘し且つその新吉の暦を有機的に紬係せしめて、その ︳ 思想的張展の必然性を諭許した。而も此等の人は肇に原始沸教を諭するに止まらず、更に進んで大乗沸教の源泉 を探ね、その展開の必然性を導き出さんとして居る。勿論この方面に於ては欧洲に於て既に立派な業績がある。 即ちオルヂンベルヒ氏の議論︵≦nayapiFkamこntrOd・︶、リス・デゲィヅ氏の論詮︵Dia−Ogu袋Orthe出己ddha. 聖典史方法論の︼断片 7∂7

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聖典見方法論の一断片 二六 を検出するに努めたオットー・フランケ氏︵G巴h抑in≦naya−WN声M−翠−G巴hニnD芦lPTS●−警声etc.︶、 聖典以前の原典を浮彫的に眺めたシルグァン・レビ氏︵lOurnal Asi象que−Sぎー○こ・封擁●︶。此等の碩畢の功績に 負ふて日本の畢者の所論が一骨精緻になつたことは否定出来ないJ 叉阿見達磨冷害の批判に関しては樵尾博士の﹁六足諭の研究﹂あり、木村博士の﹁阿児達磨論書の研究﹂あ少、 叉渡遼楳堆氏の諸論文、官本正尊氏の﹁誓喩師の研究﹂等倍優れた力作である。大乗伸政経典打開しては橡本文三 郎博士の﹁俳典批評諭﹂あゎ、最近では椎尾博士の﹁彿教経典概論﹂が纏った本として立派なものである。部分 的のものとしては般若部の経に関して干潟龍群氏の﹁般若経の諸問題﹂、加藤精紳氏の﹁大品般若経は大衆部の所 値なることを考許す﹂、鈴木宗息氏の﹁般若経の原形に就いて﹂.林屋友次郎氏の﹁般若小品の課出者に就て﹂等が ある。︵此等の人の議論以前に潮ると殆んど俳教単著でこの般若経問題に手を染めないものはあるまい。︶法華経に 就ては布施浩高氏の﹁法華経原型論﹂があ少、本田装英氏の諸論文に光ったものが多い。浄土経典に閲しては望 丹信幸氏の﹁浄土教の起原及び費連﹂が有益な研究である。新進の塵見徹堂氏は本誌に於て椎尾氏の前述の著述 に鋭い批評をなし、且つ初期大乗経の原形に閲し■て暗示に富む議論をして居る。 以上は記憶に上る程度のものを奉げたのであるが、全鰻的に之を網羅する段になるとこの問題に無紺心な畢者 は殆んどなく、大なり小な少聖典史論の問題に俄れてゐない人は極めて棟である。 私は聖典史論の中特に大乗経典の成立に興味を有して居るものであるが、部分的には華厳部経典に閲し過去に 於て雑漠な諭誇を下したことがある。︵﹁菩薩十地思想の起源、開展及び内容﹂と﹁華厳経の成立問題﹂とに於て 禰 【

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華厳経の成立年代を考へるに常つて、或る研究家は大乗系の大捏東経が六十華厳の如き組織ある華厳経、言ひ 換れば所謂大草厳を知つて居つたから、大乗系の大捏紫綬に闘する記述が少しでもあれば、一それは勿論華厳経以 後の時代の編纂に展するものと考へて、華厳経成立の年代をそれ以前に批足せんとするのである。 阿艮達磨犬用婆沙論は大理嬰といふ言葉を使用して居る。而も之は小乗系の大浬契経を指すものでなくして、 大乗系の大浬東経を指すものであるといふのである。その理由として大属婆沙諭巻七十一︵大正。二七。三六大︶ の文を奉げ、特に施に二柾あ旦式々の文に注意して之を大理架寧二十二︵大正。三。八二三aX大正一二。五七六a︶ の文と同意味の句であるとし、之は小乗浬軽軽にはないから﹁大鹿婆沙論に云ふ大浬輿経は正しく大乗のそれで あることは明瞭である﹂といつて居る。

次に大兄婆沙論巻百二十六︵大正、ニ七、六六〇a︶の文を奉げ﹁大乗の浬紫経を見るに慧巌の大漫輿経第九月喩 品第十五︵大正、三、大玉七a︶等に盛に誓喩を誰く。l而して小乗のそれには勿論ない。故に大屋婆抄論に云ふ大 浮華経とは大乗のそれである﹂と断定して居る。果してそうであらうか。若L之が事貫とすれば単に華厳経の年 代を知る手掛りを得るのみに止らす、進んで大理紫綬の成立年代をも確定せしめ又考へ様によつては逆に大屋婆 抄の年代にも慣れて来る。一大頚見といはなければならぬ。しかし私は不幸にしてこの詮に賛成することは川水 生じて釆たので以下若干の意見を述べさして裁く。 である。︶然るにその後この方耐に翻する種々なる論文の蟄表されるのを見、碑度この間題に就て考察する必姿を 聖典史方法論の一断片 7β9

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ない。何となれば先づ第一に大鬼婆沙論の文を読んで見ると一向に斯く解樺する手掛りを得ない。 そこで漢文の読み方から間揮になつて来る。この方に誤があれば問題にならない。そこで私の解樺を以下述べ て見やう。 婆抄論のこの文は十八界の名目をあげ、俳の教に廣と略との二形式あるを示し、十八界はその中の庶詮なるこ とを示す文である。 ︵一︶この十八界に関する記述をなす経些二科の中では廣詮であるがしかし大誓喩︵Mah首adぎa︶大浸奥の如き 大記経に封しては略詮と名くるといふのである。斯く言ふのであつて之は経の形式に関することであるから九分 数十二分教の如き中でいふ原始経典大淀架経︵Mah首ari−Jibb抑nas。tta︶であると見て差支へない。 次に有飴師の詮によると﹁諸の所有の受は皆是れ苦なり﹂といふが如き極めて簡単な形式の契経の中でも﹁施 に二種あり、一には法施、二には財施﹂と設ける経の如き名目のみを羅列する簡単な形式の契経以上に簡単なる 契経は他になく、大書喩、大淫楽鮭等の如き既設の契鮭以上に贋い経は他にあるまいといふのである。この施有 二柾云々の文がこの場合大浬盤経の句であるといふことは少しも言って居らない。寧ろ大淫楽経以外の契経を指 して居るのではないか。況や大乗大理紫綬に蒐有二種の文章のあるのを直ちにこの場合に常はめることは誤であ る。この場合の句は寧ろ一法より十法に至るが如き法政を羅列する経︵例へば大柴法門経に類するが如き︶の形 式に於ける二法に関する部分か或は均一阿食紅の中の極めて簡単な一挺の如き形式を指したものである。即ち檜 一阿含経巻七︵大正薪。ニ。五七七b︶に 聖典史方法論の一断片 790

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歓喜奉行。 とあるのは一挺の形式を具して而も法数的なものである。是が大誓喩大浬契と如何なる関係を有つか。絶封にあり 得まい。この場合の大屋婆沙論の文章は施有二種の如き小経と大浬紫鮭の如き大経とを比較封闇したものである。 ︵三︶誓喩︵Aく邑賢a︶文畢は下乗経にも小乗檻にも散詮され、畢者をして所謂倦記文畢を偶成せしむる程に各種 のアバグーナがある。 大智度論︵大正二五。三〇七。b︶にいふ、中阿含の長阿波陀郵紅や長阿含の大阿波陀邪挺が、現今の長阿含経の ︵Ma一−首邑ぎasutta︶に相常することは首肯し得るが、之が大屋婆沙論︵大正二七。六六〇。a︶の長誓喩、大害喩と同 軸のものなることは各々十二分教に脚する記述の説明をな て居る鮎から明瞭であるし、特待者︵≦n童已訂rエ 詮を或る律城中の阿波陀邦文畢の如き滝のを指していつたものと見れば見られるし、同時に大浬奥の如きもー種 の阿波陀邦であると考へてよからう。 その場合﹁如大淀盤持律者詮一の文を解樺するに常り大乗浬輿経︵大正。三。四五一。C︶に﹁何等名馬阿波陀 邦経、如戒律中所詮誓喩﹂とあるからその鮎のみに依って大淀製鮭には特待者の詑なりといふが如しと解樺する のは阿波陀邦を律赦のみにあるとする憶説を固執する謬見で一面に於て軽減の中にもあるといふ倦誼もある。例 へば大乗阿毘達磨難集論懇十一︵大正。三一。七四三。C︶に 誓喩者、謂諸綽中有比況詮、焉令本義得明了故詮諸誓喩。 聞如是一時彿在こ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮・有此二施、.ぷ何銭二、所謂法施財施 短典史方法論の一師け ⊥ヽil

諸比丘聞俳朗読、 鋸 ヴ■

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とあるが如きであHる。 故に大浸牽絡も特待者の詮も廣義のアバグーナに帰する。現に大事倦︵Ma−1ぎ邑甲aぺad抑na︶は彿俸を意味し而 も中開大衆部詮〓世郡桝荊の毘奈耶に帰するといつて摺る。 この勘に於て婆沙論のいふ大浬奨経が大乗所魔のそれなりや否やは吏に検討を要する問題である。 従ってこの鮎からの論桝を以て聾者のいふ婆沙諭の成立年代︵二世紀の中英百五十年前後︶以前に大理輿経の 成立年代を考へ、大草腋は大淫奥経中に眈知せられるから、更に若干年以前の成立と確定することは大胎至極な ことで婆沙の読み方が的を外れれば意味をなさないことである。 次に或る人は無量詩経に﹁華厳三昧﹂の記.述がある︵大正。一二。二大六。b︶といふことと、大華厳の一部賢首 品に㌧華厳三昧﹂の語がある︵大正。九。四三凹。C︶とを結び付け之忙以て大華厳の成立を無量詩経以前の成立と 定め/枇闘ゎ大智度論に引用されて居る諸経論の申阿輔陀俳経の名のある折から至極単純に考へ﹁阿弼陀といふ も無塁諒といふも昔謂か一昔諾かの相違である﹂と云ひ之を龍梯以前の成立と考へ、この方面より大草蹟の成立年 代を龍掛川前と号へた。託樹が大神蛙串に名を撃げた阿鞘陀鮭は一期の阿捕陀結ぃ申何れに姐するか明確さを快 く。がしかし殆ど同じ時代には大阿棚陀経とj−三等見終が眈に支那に倦課されてゐたから所謂二十四糊を記述せる 一類の紆は眈に配樹以前に存在してゐたのであらうが、今華践三昧の語のあるのは四十八願を盛った経である。 而して龍樹の十任毘婆沙論易行品の三十二行偶は平等畳経の内容に近似性が強い。︵望月信尊氏薯浄土教の研究。二九 五汗以下参昭⋮︺故に川十八開を説く挺は未だ龍樹咋代には成立してゐないのではなからうかと推定される。二万に 聖揖史方法論の一打片 ア9β

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於て現沌の無一軍.庸結は陳情錆の謂と値って居るが、之は明かに支邪推錬の誤りから来たものであ畠。︵望月博士、 澤土敦の起源及び蚤淫。三二式、境野博士、支那偶数史講話上巻、二四〇京︶。事案は六十華厳の諸君たる彿陀扱陀羅の 諾であるから諾の方から考へても遥かに後世であり、同一諾者の手になる無量専経と華厳経とが周一華厳三昧の 記述のあるのに不思議はない。 如く考察して氷ると龍樹以前に四十八願経の如き経の布衣は不可能であり、況や軍なる華厳三昧の語によつて 大華厳の存在を龍樹以前に肯定することは川十八願経と二十四朋経との成立年代を混同することと憶説の位に無 量詩紅を康檜鐸以前の製作と誤認する二重の誤謬・を犯すこととなる。この鮎からも聾積経成立年代の手掛りを得 んとの試みは近代の精密な研究を等閑に附した篤め全く失敗に鐸したものではないかと思ふ。 そればかりではない。龍樹の大智鹿諭五巻︵大正。二五。九六b︶に華厳陀羅尾の語がある故を以て直ちにホヂリ ン文庫にある華厳陀羅局G呈≡y詳・訂ra且や、貰叉難陀澤の華頼経心陀羅尼︵大正。一九。七〇九C︶を聯想し 巳に華厳陀羅昆と糾し、此の名で華厳に擬する陀羅昆があるのであるから大総か入法界品か何れかに擬するもの であつたと考へる方が通常であるといふことは乱暴至極で、斯くいへば有ゆる漢詣中の華厳の言菓は悉く大総か、 華厳部の経に閥係しなければ考へられない様になるではないか。大智鹿論は羅什の諜と悟って居るが、同じ諾者 の小阿摘陀控︵大正兢。一二。三凹八a︶に華厳の語があり之は梵本に明かにKllStlmitaとあり、普曜経にいふ華厳 ︵軍⋮=nitP︶と悶じ.場人‖で、若し華厳の語のある所が絶てG名号くy巳≡に朝常するといふなら大に矛盾を来しは 00 しないか。北讃般某の浮華厳飾三昧︵大正。八。一九ニa︶も叉大草腋を橡想することになるであらうか。斯くする 取典史方法論の一断片 7タ3

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と古根岩経よりも更に華厳経の成立は古くなると見られるだらうか。疑無きを得ない。 過去に於て私は﹁華厳経の成立問題﹂︵宗欽研究。第七巻。堅一眈︶に於て次の如く述べたことがある。即ち 兜沙経は文革迦識によつて澤されたことは事貨と見て差支へなからう。この兜沙経の研究は拳厳軽成立問題 に一つの光明を輿へる。その内容は彿が菩提道場に於いて成道した時光景甚だ明かであつたことに筆を超して 居る。次にその光明裡に釆至する菩薩の荘厳と、それ等無数の菩薩に十の数に纏めちれた徳目を語法したこと と.百億千の如き無数の闊の異るに従って件の名鍍の不同なるを説いてあることが述べてある。 斯くの如き記述は明白に華厳経特有の序文の慣裁をなすもので.その後に何等かの正宗文の如きを譲想せざ るを得ない。果せる哉−・この兜沙経に記述されて居る通りに十佳品、十行品、十地品の如き十の数を以て纏 められた徳目の記述をなす品が順次展開される。この兜沙軽は一粒として猫立したものでな︿、之は序文とし ての形式を具するものである。 以上のこの私の詮に反封して或る人は難じて青く、兜沙腔の内容は現准十方俳土の如きをその由心内容とし、 少くとも一個の猫立した経典で序文の如き形式をなすものではないと。叉兜抄経の記述する十法名は大華厳の重 要なる品を裸想Lて居るものとは考︵ないと。第三に兜抄経の先駆思想は十地脛の如きものでなくして、寧ろ賢 首経の如きものであると言ふので思る。 さて兜沙経の兜抄とは如何なる意味であらうか。古来之が明確な詮明を輿へたものがなく単著は種々の方面よ り之を考詳して居るが未だ明瞭な解樺に接しなかった。然るに最近兜沙経の原語をtathおata・S旨aでもると推定 聖典史方法論の一噺片 7β≠

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した人があるが混も骨⋮を得た断種の枝に考へる。それは押晋の武迫眞詳と俸ハノて居る三鼻陀扱陀産菩薩経に従へ

ば第一には恒抄喝とあり、第二には般若波羅蜜兜沙陀比薙経とあり.第三には不能得兜抄陀比羅無断遥擬所入意

とあり、第四には但沙喝阿羅呵三耶三俳とあり、第五には共編出於供坦抄蠣満開浮捉七賛とあり、第六には共多

抄場所教誠岩犯之とあり、但、兜、多は同じくtaの音諜であり、沙はt−−釣の音諜であり、喝或は陀はこの経の 場合g已a或は厨ataに鵜苫するものであつて.従って但沙喝、兜沙陀、多抄陀は同じくtath抑gataであるとい ふのである。この場合但沙喝の原語がt已hおa†aであることは既に異論のない所で、光讃経、追行般若等の首謀に は屡々用ひられ、叉最近では荻原博士の論謹もあることで確定した説と見てよい。︵大正大撃々報。六。七輯。坦他伽 多といふ語の起原と其の意義参昭⋮︶。だがしかし兜抄陀をtat試gat−とした用例は他の場所に未だ一つも蟄見されない

ものである。之が坦沙喝と同じ様だと考へれば考へられるが未だ決定的には言へない。叉多少異っても解捧出来

はしないであらうか。殊に後に附加された比羅を何と解するか、之を言ipu官↑と推定することは単に推定であ

って他に用例を張見し得ない。

一切鮭音義に︵大正裁。五四。四五九。︶は兜沙の語義を出し、上斗侠反梵語也古詩鶏糞行或云行柴とありて、多 少本葉鮭の如きを橡想する手鞠りになる位のもので㌧原語の給定は不可能である。叉翻梵語に︵大正。五糾。九八 五a︶﹁兜沙経、課目歓喜﹂とあり。兜沙陀此羅の語を出して﹁應云兜沙陀屈羅、諾日兜沙者歓喜陀毘羅者長宿﹂

とありて多少梵語を推定は出来るが、その通りに諾して経文に廿円てはめても意味をたさない。斯くの如く古代に

於ても批にその虞義は不明であつたらしい。たゞ刺梵語に於て注意すべきは菩薩十任行遺品︵竺法拉繹︶の中の 聖典史方法論の一断片 79∂

参照

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