平成 21 年度
中国労働市場の新たな展開 報告書
平成 22 年3月
この事業は、競輪の補助金を受けて実施したものです。
http://ringring-keirin.jp
はじめに
2008年まで中国沿海部の広い地域で労働力不足と賃金上昇が起きたが、同年秋のリーマ ン・ショック以降、一転して多数の工場閉鎖と労働者の解雇が発生した。ところが、中国 政府が景気対策を強力に推進したこともあり、2009年後半には再び労働力不足の声が聞か れるようになった。財団法人国際貿易投資研究所が実施した平成21年度「中国労働市場の 構造変化」研究会では、大きく変化する中国労働市場の様々な側面に光を当てて分析を行 った。
中国の労働市場は統合されていない。2008 年から2010 年にかけての労働需給の大きな 流れは、新聞報道を見る限り、労働力不足→労働力過剰→労働力不足と移行してきたよう に見えるが、そうした推移を示すデータは求人倍率のみで、失業率は一貫して微増を続け ている(第1章)。また、大学卒業生の就職難という問題はこの間継続し、大きな変化がな い。こうした中国の労働市場の「読みにくさ」をもたらしているのが、その分断構造であ る。都市部出身の労働者と農村からの出稼ぎ労働者とでは労働法制上の扱いも異なり、後 者は失業しても失業保険の対象とならず、失業率の統計の対象でさえない(第2章)。農村 からの出稼ぎ労働者はいまや中国の労働供給を支える重要な柱となっているにもかかわら ず、依然として半人前の労働者の扱いしか受けていないのである。
労働市場が都市部と農村部に分断された構造は1950年代末の戸籍制度の導入によって確 立されたものである。だが、分断することによって、都市部・農村部それぞれのなかで労 働力の需要と供給の不均衡が大きくなるという矛盾は早くも 1960 年代に露呈されてきた。
「大躍進」の挫折により、都市部の労働需要が大きく減少したため、都市部の中学・高校 卒業生に就職先をあてがうことが難しくなり、彼らを農村に労働力として送り込んで矛盾 の打開をはかる上山下郷政策(いわゆる「下放」)が大規模に展開されたのである(第3章)。
農村部では労働力を節約するよりも多用する傾向が強かったこともあって、都市部の余剰 労働力を吸収することが可能になったのであろう。
改革・開放以降、労働力の流れは逆になり、農村から都市へ向かうようになった。とこ ろがここで戸籍制度が大きく壁となって立ちはだかり、農村からの出稼ぎ(移民)労働者 は都市部で差別的待遇を受けたり、就業状況も不安定である。だが、2000年代以降になる と都市部の産業(工業や第3次産業)の発展により、むしろ都市が周辺地域に外延的に拡 大した。第4章で取り上げた浙江省慈渓市のように都市近郊の農村地域でも工業が発展し、
そこに農村からの出稼ぎ労働者が吸収されるようになった。ところが、こうした地域でも 地元戸籍の労働者と外来労働者との間に、教育や熟練といった他の要素では説明できない
(すなわち戸籍による差別に基づくと思われる)賃金格差が生じている(第4章)。労働力 の流動によって労働市場の統合が進んでいるというよりも、分断の構造が依然として残っ ているようなのである。
出稼ぎ労働者にとってとりわけ大きな問題は子供たちの教育である。出稼ぎ先に子供た ちを連れて行きたいところだが、出稼ぎ先で就学させようとすると、公立の小中学校の場 合でも高額の学費や寄付金の支払いを要求される。そうした経済的ハードルのため、やむ なく子供たちを出身地の老父母の元に残していくことが多い。そうした子供たちを「留守 児童」と呼ぶが、2005年の人口センサスによれば留守児童の数は全国で5800 万人にも及 んでいる。しかも第 5 章の分析によれば、より学歴や賃金が低い出稼ぎ労働者において親 子が別れ別れになるケースが多くなる傾向があり、低所得層に社会矛盾がいっそうしわ寄 せされる悪循環が起き始めている。
リーマン・ショック前後の状況が示すように、農村からの出稼ぎ労働者たちは世界経済 の大きな変動のなかで激しく変化する労働需給の調節弁として利用されてきた。そのこと が中国経済全体として景気変動に対する柔軟な対応能力を高め、景気悪化からいち早く脱 却できた要因の一つでもあった。だが、そうして調節弁として使われる出稼ぎ労働者たち には家族と生活があり、雇用されたり解雇されたりするなかで家族や生活が破壊される恐 れもある。そうした悲劇に対してもちろん出稼ぎ労働者たちが黙っていることはあり得な い。第 6 章で報告されているように、各地で激しい労働争議が起きている。中国の労働市 場において出稼ぎ労働者が単なるモノとして取り扱われる時代はやがて終わり、彼らの人 権がもっと尊重される時代が到来するに違いない。
平成22年3月 財団法人 国際貿易投資研究所
要 約
第1章
2008 年夏頃まで広東省や浙江省など輸出産業が発展している地域では労働力不足 が広がっていた。ところが、2008年9月のリーマン・ショックとその後の世界同時不 況のなかで労働需要は急減し、2009年春まで多数の出稼ぎ労働者が失業した。中国政 府が2008年秋から景気刺激策を打ち出したことで、2009年後半には労働需要が回復 し、再び労働力不足の声が聞かれるようになった。ただ、地域別にみると、労働力不 足が恒常化している浙江省杭州市、1990年代後半の国有企業大リストラの影をいまだ に引きずる遼寧省本渓市や撫順市など労働需給の状況は地域によって千差万別であり、
中国の労働需給の実態を把握するには地域差に注意する必要がある。
第2章
2009年の政労使関係の変化を、就業工作の変化、契約法制の変化そして労働契約の 変化から検討すると、リスクの分配が、政府から労働者と使用者へ急速に移っている ことがわかる。これを前提にして紛争処理のプロセスと現行の失業保険制度を検討す ると、「強い労働者」へ転換できる基盤が、整いつつあることを見て取れる。
この現状から、短期的には当事者主導の政労使関係が模索され、「弱い労働者」か ら強い労働者の出現へと進むことが期待される。これは一面で、労働者の団結を阻害 して労使の対立をエスカレートさせない効果を期待できる。そのため、個別の労働関 係の調整における手続的保障の完備と失業保険制度を含む社会保険法の立法動向が注 目され、この立法動向にともなって中国の労働者像は進化することになるだろう。
第3章
1960年代から1970年代の人口移動のうち、知識青年の上山下郷運動(下放政策)の それを取り上げ、労働力移動、投資効率、非自発的失業などの点から下放政策の役割 などを考察した。結論として、三線建設(内陸地域での軍事・工業拠点の建設)と比 べて、下放政策は経済活動や生活状況の点で、低効率とは限らなかったことや、当時 の都市での労働需要不足に対して、一定の役割を果たしたことが明らかになった。ま た不況下では、積極的な財政政策が必要だと述べている
第4章
本章は、長江デルタ経済圏に位置する浙江省慈渓市で行なわれた就業データを利用 して、地元住民および出稼ぎ労働者との賃金格差や賃金の決定要因に着目して分析を 行った。その結果、出稼ぎ労働者と地元住民との間には賃金格差は発生しておらず、
格差はむしろ、性別によって生じていることが示された。また、教育や職業訓練の経 験などの人的資本は、賃金の上昇に影響を与えていないことが判明した。したがって、
調査地である慈渓市では、出稼ぎ労働者への就労支援よりもむしろ地元住民の女性も 含めた女性に対する就労支援がより一層重要な意味をもつことを示した。
第5章
本章では 2008 年中国浙江省温州市出稼ぎ労働者調査の個票データを用いて中国に おける労働力移動と出稼ぎ労働者の子供教育の問題について実証分析を行った。分析 結果により、以下のことが確認された。第一に、出稼ぎ労働者の時間当たり賃金が高 く、夫婦共出稼ぎ労働者で、また国有企業および集団企業で就業する場合、その子供 が留守児童になる確率が低くなる。第二に、出稼ぎ労働者が持つ人的資本が高く、夫 婦共出稼ぎ労働者で、また個人企業で働く場合、その子供が都市学校に入学する確率 が高くなる。第三に、出稼ぎ労働者の教育水準が高くなるほど、その子供への教育投 資が多くなる傾向にある。子供が2人、3人の場合に比べ、子供が1人の場合、子供 教育費額および子供教育費のシェアが多くなる。実証分析の結果により、出稼ぎ労働 者の子供教育の問題を解決するため、低所得の出稼ぎ労働者向けの子供教育援助政策 などを検討すべきであることが示された。
第6章
本章は、2009年4月から2010年3月にかけて報じられた中国における労働争議を フォローし、その背景や影響を分析する。主に参考にした情報源はいわゆる「非主流 メディア」であり、中国政府が依然厳しい情報統制を行うなか、主流メディアが報じ ることができない部分にまで踏み込んでいる。取り上げる労働争議のほとんどは中国 企業に関するものであるが、中国に進出する日本企業が中国社会の動きを理解し、労 務管理や経営戦略において参考にし得る情報と分析の視点を提供したい。
目 次
第1章 リーマン・ショック後の中国の労働需給 ···1
東京大学社会科学研究所 教授 丸川 知雄
はじめに ··· 1
第1節 リーマン・ショック後の労働需給の変化··· 2
第2節 労働需給の地域別分析··· 6
おわりに ··· 16
第2章 労働法制の変動による中国労働者像の進化
···18
早稲田大学比較法研究所 助手 御手洗 大輔 はじめに ··· 18
第1節 09年における政労使関係の変化··· 20
第2節 紛争処理のプロセスと労働者の法的保護··· 28
第3節 先執行か、それとも失業保険か··· 37
第4節 今後検討すべき点とその展望··· 41
第3章 中国・知識青年の下放政策とその政治経済的役割
···44
宮崎公立大学人文学部 准教授 堀口 正 はじめに ··· 44
第1節 先行研究··· 44
第2節 知識青年の下放政策とその特徴··· 46
第3節 下放政策の経済的役割··· 55
おわりに ··· 62
第4章 大都市近郊農村で就労する出稼ぎ労働者と
地元住民の賃金格差とその決定要因
-中国・浙江省慈渓市の就業データを利用して ···
66
津田塾大学国際関係研究所 研究員 小原 江里香 はじめに ··· 66
第1節 戸籍制度の政策変化と労働市場に関する議論··· 67
第2節 調査地の概況と調査の方法について··· 70
第3節 出稼ぎ労働者の基本的特徴-地元住民との比較··· 73
第4節 賃金の決定要因と格差··· 76
第5節 結論 ··· 82
第5章 中国における労働力移動と 農民工の子供教育の問題に関する実証分析
-2008年中国浙江省温州市出稼ぎ労働者調査の個票データに基づいて- ····86
慶應義塾大学産業研究所 研究員 馬 欣欣 はじめに ··· 86
第1節 データから観察された出稼ぎ労働者の子供教育の現状 ··· 89
第2節 計量分析の枠組み··· 98
第3節 計量分析の結果··· 102
第4節 結論および政策示唆··· 108
附表1 出稼ぎ労働者の賃金関数··· 113
第6章 中国における労働争議の動向
-非主流メディアによる報道の分析- ···114
早稲田大学国際教養学部 准教授 阿古 智子 はじめに ··· 114
第1節 事例研究 ··· 115
おわりに ··· 128
第 1 章 リーマン・ショック後の中国の労働需給
東京大学社会科学研究所 教授
丸川 知雄
はじめに
2004年頃から中国の珠江デルタ地域の輸出産業で労働力不足が発生し、賃金が上昇しは じめた。この現象を中国では「民工荒」と呼んでいる。当初は、長江デルタ地域における 労働需要が急増したことによって珠江デルタに向かっていた内陸部からの出稼ぎ労働力が 長江デルタに向かうようになったことが原因であるという解釈が有力だった。ところが、
その後沿海部の広い地域で労働力不足の声が聞かれるにいたり、この現象が中国経済のよ り根本的な構造転換に根ざしたものではないかという議論が巻き起こった。すなわち、中 国はすでにアーサー・ルイスの言う「転換点」を過ぎつつあり、農村の余剰労働力はすで に枯渇し始めており、もはや無制限労働供給の時代は過ぎ去ったのだという主張がなされ るようになったのである(大塚[2006]、田島[2008]、蔡[2007a][2007b][2008]など)。 筆者は平成20年度の『中国労働市場の構造変化・報告書』(財団法人国際貿易投資研究 所)に掲載された「中国経済は転換点を迎えたのか?」のなかで、四川省農村部における アンケート調査の結果に基づき、内陸部農村にはまだかなりの余剰労働力が残っており、
ルイスの「転換点」のかなり手前にある、と主張した。ただ、その余剰労働力は中高年の 女性、高年齢の男性のみであり、沿海部の工場で若年労働力が枯渇しているという声は、
筆者の農村部調査でも裏付けられた。今後、中高年齢の余剰労働力をいかに活用していく かが課題であるが、そこに立ちはだかる問題として請負制という土地制度、および非農業
(都市)戸籍と農業戸籍に分断された戸籍制度の問題がある。これらの制度により、農村 世帯は「地主」としての権利を保持するために農業に2人程度の労働力を貼り付けておか ざるを得ないため、都市部への労働移動が妨げられている。つまり、中国ではいま起きて いる労働力不足は、土地制度と戸籍制度によって引き起こされている「擬似的な転換点」
と名付けうる現象である、と主張した。
ところが、2007 年夏のサブプライムローン問題、2008 年 9 月のリーマン・ショック、
と世界金融危機が深化するなかで、中国経済も大きな影響を受け、労働力不足どころか、
輸出産業における工場の大量閉鎖、出稼ぎ労働者の大量解雇、大学生の就職難といった現 象が伝えられるようになった。リーマン・ショック以後、果たして中国の労働市場はどの ように展開してきたのか。本章ではまず第1節において、リーマン・ショック以降の中国 の労働需給の変化のアウトラインを描く。第2節では各地域での求人倍率に関するデータ を用いて、地域による労働需給の違いを明らかにする。
第1節 リーマン・ショック後の労働需給の変化
1. 労働需要の急減局面
筆者による広東省のステンレス食器産業集積での調査によれば、2007年夏にアメリカで サブプライムローン問題が勃発してから、特にアメリカ向けに消費財を輸出している企業 ではかなり苦しい経営を強いられるようになっていた。それが 2008 年になってアメリカ 市場のさらなる縮小、ヨーロッパや日本への危機の波及も伴うようになり、中国の沿海部 では「輸出急減で、中小企業がバタバタ倒産している」とまで言われるようになった。特 に広東省では2008年1~9月の間に5万社の中小企業が倒産したという報道もあった(注1)。 輸出産業の生産縮小により労働需要も急減した。2009年の春節(旧正月)、すなわち沿 海部に出稼ぎに行っている労働者も帰省する時期を狙って中国の国家統計局が行ったサン プル調査に基づく推計によれば、それまで自分の家がある郷や鎮以外で就業していた出稼 ぎ労働者は総数が1億4,041万人で、うち7,000万人は仕事を失って旧正月までに故郷に 戻っていた。うち8割(5,600万人)以上は春節後に再び都市部に戻って仕事を探し、4,500 万人は仕事を見つけたが、1,100万人はまだ仕事を見つけられないでいる。残る2割近く は故郷で創業ないし就業の機会を探している(注 2)。つまり、出稼ぎ労働者1億4,041万人
のうち2,500万人(17.8%)が2009年3月時点で失業状態にあったとみられるのである。
また、リーマン・ショックが起こる以前から大学卒業生の就職難が伝えられていた。2008 年に700万人の大学卒業生が求職したが、同年7月末までに就職できたものはわずか40%
にとどまるという情報もある(注 3)。21 世紀に入ってから中国では大学の数が 2000 年の
1,041校から2008年には2,263校へ急増し、入学定員は約3倍に、卒業者数は5倍以上
に増えた。ところが、大学卒業生の供給の急増に対して、需要のほうはそれに見合って増 えていないため、大学卒業生の過剰供給が生じてしまった。
こうして2009年の春には中国の労働需給は労働力過剰のほうへ大きく振れていた。
2. 景気の急回復と労働力不足の再燃
輸出の減速が国内の景気や雇用に悪影響を与えるのを防ぐために、中国政府は 2008 年 11月に総額4兆元の景気刺激策を打ち出した。景気刺激策は、鉄道、道路、空港など交通 インフラ建設が金額の上では大きな比重を占めるが、政策の重点は、低所得者層向けの低 価格住宅の建設、農村のインフラ建設、四川大地震被災地の復興など、中国の経済発展か ら取り残されつつある低所得層の底上げを図ろうとしているところに特色がある。財政投 資とあわせて金利引き下げなどの金融緩和が実施された。さらに、「汽車下郷」と称され る自動車の農村への普及政策や、「家電下郷」と称される家電製品の農村への普及政策も 実施され、農民たちはこうした製品を購入する際には政府から補助を受けることができる ようになった。
こうした積極的な景気刺激策が功を奏し、2009年第1四半期には6.1%にまで落ち込ん でいたGDP成長率は、第2四半期には7.1%、第3四半期には7.7%としり上がりに回復 し、2009 年通年では8.7%にまで回復した。2009年の輸出額は対前年比16%の減少であ ったので、景気回復をもたらしたのは内需、とりわけ固定資産投資が前年比30.1%も伸び た効果が大きい。
産業のなかでは自動車の販売台数が2009年に対前年比53%も伸びて、中国が縮小した アメリカ市場を上回って世界最大の自動車市場へ躍進したことが注目される。自動車生産 台数も対前年比48%も伸び、中国は日本を抜いて世界最大の自動車生産国となった。
リーマン・ショックから1年のうちに景気が急回復することができた背景には中国の労 働市場の柔軟性がある。雇用の維持が重視される日本の企業の場合には、利潤率が低下し た場合でも融資を受けて何とか企業活動を継続しようとする傾向があるように思われる。
それでも経営が改善しないとき、企業は資金繰りに行き詰まり、倒産に至ることもある。
一方、中国の企業(特に民営企業)の場合には、日本ほど雇用の維持は重視されないの で、利潤率が低下しはじめると、企業は従業員を削減してしまい、操業を縮小ないし停止 する。もともと中国の民営企業は一般に銀行融資への依存度が低いと見られる(注 4)。経営 状況が悪化したときも融資に頼って無理に企業活動を継続するよりも、従業員を解雇して 生産を停止してしまうので、倒産には至らない。2008年に「中小企業がバタバタ倒産して いる」と報道されたが、実は倒産ではなく、単なる工場閉鎖や生産停止であったと言われ
る(注 5)。そうであるならば、市場が回復したとき、企業家は再び労働者を雇い入れ、資材 を仕入れて企業活動を再開するだけなので、生産の回復が極めて短期間のうちになされる。
こうした事情から、中国の景気が2009年後半に急回復したのだと考えられる。
生産の回復とともに、労働需要も回復し、2009年後半には早くも再び労働力不足が叫ば れるようになった。珠江デルタの製靴、玩具、アパレルなどの労働集約的輸出産業では、
2009 年 6 月頃から受注が回復し、企業は労働者募集を始めたが、なかなか労働者が集ま らなかった(注6)。2010年2月の段階で、珠江デルタ地域の労働集約的産業では35万人の 求人に対して20万人も人手が不足していたという。福建省でも2009年第4四半期に80 万9,000人の求人に対して、求職者は69万3、000人にすぎなかった(注7)。
労働集約的産業に労働者が集まらない背景には、中国政府の4兆元の景気刺激策が影を 落としている。2010年2月に、東莞市が10万人の農村からの出稼ぎ労働者を対象に行っ たアンケート調査によれば、そのうちの11%は2010年の旧正月の後に東莞に戻らないこ とに決めたという。なぜなら、景気刺激策によって内陸部でインフラやビルの建設ラッシ ュが起き、そうした工事現場では月2,000元程度の賃金が支払われるため、賃金が月1,400 元程度の東莞の労働集約的産業は魅力を失ったからである。深圳では 2010 年に一般の労 働力が80万人も不足すると予測されており、珠江デルタ全体では不足は200万人に及ぶ という予測もある(注 8)。
長江デルタ地域でも2010 年春にはかつてない労働力不足が起きている。浙江省湖州市
では5万3,000人の労働力が不足だとされている。同じく浙江省の台州市では農村からの
出稼ぎ労働者に対する求人が4万5,000人に上るのに対して、出稼ぎ労働者の供給は1万
4,000人にとどまったという。杭州市では出稼ぎ労働者向けの労働市場での求人倍率が20
倍にもなった。浙江省の義烏市では出稼ぎ労働者の賃金が上昇し、最低賃金850元のとこ ろ、2010年春時点で1,200-1,600元となっている(注 9)。義烏市の産業といえば安価なアク セサリーや靴下など低付加価値の製造業が中心であるが、そこでも賃金の高騰がみられる のである。
労働力不足と賃金高騰、さらに 2008 年から「労働契約法」が実施され、雇用調整が以 前ほど「柔軟」に行えなくなったことも影響して、沿海部の輸出産業などでは労働力を節 約する動きも出てきた。東莞市政府は加工貿易構造転換基金 10 億元を準備し、企業の機 械導入を支援している。毛紡績産業が集中している東莞市大朗鎮ではNC編み機の導入が 進み、地元には毛紡績企業にNC編み機を供給するメーカーが3社誕生した。従来は1,000
元の手動編み機を使って労働集約的に毛織物を作っていたのが、30万元余りもするNC編 み機を導入して自動化する動きが進んでいる。また、企業のなかには従業員を増やす代わ りに労働者派遣会社を活用するところもある。またある工芸品メーカーでは生産ラインに よる生産からセル生産方式に転換し、以前は1,400人でやっていた仕事を900人でできる ようになった(注 10)。
機械導入による自動化、派遣会社の活用、セル生産方式は、いずれも日本の製造業では 当たり前のように実施されてきたが、これまで労働力の供給が豊富で、賃金が低いため中 国では必要ないと思われてきたこれらの方策が、中国で導入され始めてきたことは、中国 の製造業が労働多用型の技術から労働節約型の技術へ転換し始めた現れとして注目に値す るであろう。
3.本当に労働力不足の時代に入りつつあるのか?
求人倍率の上昇や賃金の高騰、そして企業による労働節約型技術の採用などを見る限り、
中国はやはりルイスの「転換点」を過ぎつつあるのではないか、という推測も生ずる。し かし、他方で「労働力不足」という判断とは矛盾する現象が数々みられることも指摘して おかなくてはならない。第一に大学卒業生の就職難が依然続いていることである。第二に、
都市部の登記失業率も2008年末の4.2%から09年末には4.3%とやや悪化する傾向が見ら れる。第三に、都市部では就業圧力を緩和するために、労働者が 45 歳で早期退職し、養 老年金をもらう生活に入ることが依然認められている。これらの現象から見る限り、都市 部労働者や大学卒業生に関しては労働力不足ではなく、むしろ労働力の供給過剰の状態が 続いているように見受けられる。
「労働力不足」は結局「農業戸籍を持つ出稼ぎ労働者」という一つの階級で顕著にみら れる現象にすぎない。戸籍などによって分断された労働市場のうち一つで供給不足が生じ ているが、他の市場では供給過多になっているというのが現状である。大学卒業生が就職 難だといっても、大学卒業生が就職先を求めて輸出産業の工場の現場労働者になるという ことにはなっていない。労働市場を分断する壁を撤廃した状態を想定すると、まだ全体と して労働力不足とは言えないと考えられる。
従って、労働多用型の技術から労働節約型の技術への転換はいささか時期尚早であり、
むしろ、労働市場を分断している壁を取り払い、都市部、農村部に潜む余剰労働力が適切 に供給されることを促す必要がある。農村部に関して言えば、本章冒頭でも触れたように、
請負制という土地制度、そして戸籍制度の制約を徐々に緩めていくことで、農村から都市 への労働供給と人口流入を促すことができるはずである(注 11)。
第2節 労働需給の地域別分析
1. 求人倍率にみる労働需給の推移
これまで中国には労働需給の状況を適切に表す指標が欠けていた。多くの国では失業率 が労働需給を示す重要な指標であり、失業率の引き下げが経済政策の目標になるし、失業 率が経済政策の成否を判断するメルクマールともなる。中国にも失業率の統計はあるが、
第一に、1年に一回しか公表されないため労働需給の推移をきめ細かく見るには不適切で あること、第二に、都市部しか統計の対象になっておらず、農村部および農村から都市へ の出稼ぎ労働者の労働需給は反映していないこと、第三に、都市部で失業登録をした労働 者のみ失業者としてカウントしているため、失業登録をしていない失業者が把握できない こと、といった問題がある。特に、国有企業から大量の労働者が「一時帰休」(中国語で「下 崗」。実質的には解雇と同じ)になって職を失った1990年代後半から2000年代初めの時 期には、これら一時帰休者が失業者にカウントされていないため、公式の失業率統計、す なわち「登録失業率」と、失業の実態とは大きく乖離していた(丸川[2002]第3章参照)。
特に、1990年代後半以降は登録失業者に一時帰休者を加えた数を失業者とみなしてその 推移を見た方が実態に近い。図1にみるように、一時帰休者を加えた失業率は1997年か ら2000年にかけて8%前後の高水準で推移した後、次第に低下し、2005年には5.3%まで 下がった。この頃には国有企業から解雇された労働者が「一時帰休者」という一般の失業 者とは別格の扱いを受ける特別措置は終了したはずである。おそらくそのことを反映して 一時帰休者の数に関する統計は2006 年以降発表されなくなった。都市部の登録失業率は 2007年にかけて微減したのち微増に転じており、リーマン・ショックによる世界的な経済 危機の影響が若干出ているようである。
しかし、リーマン・ショック後に特に問題となっている農村からの出稼ぎ労働者の失業 が、登録失業率の統計にはまったく反映されないのは大きな問題である。中国政府の国家 統計局は時々サンプル調査を行うなどして実態の把握に努めてはいるようだが、都市部と 農村部の労働需給を継続的にモニターできる統計制度の構築が必要である。それは中国政
府が目指す都市と農村の均衡ある発展にも益することだと思われるが、農村部および農村 部出身者に関する労働需給はいまだ統計上の盲点となっている。ここにも長年続いた戸籍 による労働市場の分断が影を落としている。
図1 失業率の推移
出所:『中国労働統計年鑑』各年版をもとに作成
図 2 中国全国の求人倍率
出所:中国労働力市場ホームページ(http://w.lm.gov.cn/)より作成 0.0
1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0 7.0 8.0 9.0
%
年
登録失業率
「一時帰休」
を含む失業 率
0 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率
そうした失業率統計の欠陥をある程度補うことのできるデータとして求人倍率の統計が ある。求人倍率は、全国103都市の公共職業紹介所での求人数と求職者数を集計して計算 されたもので、四半期ごとのデータが得られる。求人倍率の統計は、公共職業紹介所を通 さないで求人・求職が行われることが多いと余り労働需給の実態を反映できないが、中国 の求人倍率の計算のもとになっている求職者数は、2001年第1四半期の132万人(59都 市)から2009年第4四半期の536万人(103都市)へと大きく拡大している。さらに、
失業率の統計とは異なり、求人倍率の統計は公共職業紹介所に来るあらゆる求職者が対象 となるので、農業戸籍の人も、出稼ぎ労働者もみな統計に含まれている。
こうした点からみて求人倍率の統計は次第に労働需給の実態を反映する統計としての有 用性を増しているとみられる。
2001 年から2009年までの求人倍率の推移をみると、2008 年まで求人倍率が徐々に上 昇し、労働需要が供給に対して増加していった。特に2007年から 2008年第2四半期ま では求人倍率は 0.98であり、労働需給が逼迫していた。それが 2008 年第4 四半期には 0.85まで急落し、リーマン・ショックの影響で一気に労働供給過剰のほうへ振れたことが わかる。しかし、2009年に入ってから求人倍率は再び上昇し、2009年第4四半期には0.97 と、リーマン・ショック以前のレベルにまで上がっている。こうした求人倍率の推移は、
前節でみた新聞報道からうかがえる労働需給の推移と符合している。
2. 地域別の求人倍率
(1)北京市・天津市・河北省
求人倍率の状況は地域によって大きく異なっており、各地域の労働需給の特徴を反映し ている。以下ではいくつかの地域の求人倍率の推移を見てみよう(注 12)。まず、北京市、天 津市、河北省の求人倍率の推移をみる(図3)。秦皇島市と天津市が始終1以下の低い求人 倍率で推移し、労働力の過剰が続いているのに対して、北京市の求人倍率が上昇を続けて いるのが注目される。
北京市の公共職業紹介所に登録している求職者をタイプ別にみると(表1)、外地出身者 や市内の農村出身者が4割近くを占めており、北京市での労働需要の増大によって周辺地 域や外地からの労働力を引きつけている様がうかがえる。これに対して天津市の場合は外 地出身者が6%、市内の農村出身者が9%にすぎず、労働力の吸引力が北京に比べてだいぶ 弱い。河北省廊坊市の求人倍率が2009年第3四半期に急に2.67まで上昇したのは、もと
図 3 北京・天津・河北省の求人倍率
出所:中国労働力市場ホームページ(http://www.lm.gov.cn/)より作成
表1 北京市の労働市場における求職者のタイプ別内訳
(単位:%)
注 :「失業青年」とは都市登録失業者のうち、まだ就職したことがなく、何らかの方法によって職探し をしている人を指し、そのなかには中学、高校、職業高校、技工学校、大学、専門学校の卒業生で、
進学や就職していない人達を含む。「失職者」とは登録失業者のうち、元は就業していた人を指す。
出所:中国労働力市場ホームページより作成
もと3ヶ月の間に公共職業紹介所にやってくる求職者が5,000人ぐらいしかいないところ で、地元に工場を構える富士康(Foxconn)が受注の増加により1万人の非熟練労働力を 募集したことが影響している。北京市、廊坊市、天津市は境界を接しているものの、求人 倍率を見る限り、北京市と廊坊市、天津市はバラバラの動きをしており、労働市場は統合 されていない。
0 0.5 1 1.5 2 2.5 3 3.5 4
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率 北京市
天津市 秦皇島市 廊坊市
求職者のタイプ 2002年第2 四半期
2009年第3 四半期
失業青年 6.7 1.9
うち大卒者 - 1.6
失職者 34.0 54.5 その他失業者 8.4 2.2
在業者 20.1 1.7
一時帰休者 2.1 -
退職者 0.7 0.3
在学者 1.0 0.8
市内農村出身者 - 18.0
外地出身者 - 20.6
その他 27.0 -
総数(人) 146,500 99,330
(2)山西省・内蒙古自治区
図4では山西省の太原市、陽泉市、内蒙古自治区の赤峰市の求人倍率の推移を示してい る。太原市の場合、2001年第1四半期は求人倍率が非常に高かったが、その後1を大きく 下回り、その後は1をやや下回る水準で安定している。2001 年第 1 四半期の時点では、
公共職業紹介所にやってくる求職者が3ヶ月で 2,000人しかいなかったのが、2009年の 段階では 2~4 万人も来るようになった。公共職業紹介所が労働の需要と供給を仲介する 場として余り重要でなかったのが、次第に重要性を増していることを反映している。
図 4 山西省・内蒙古自治区の求人倍率
出所:図3と同じ。
(3)遼寧省
遼寧省では 1990 年後半に国有企業の大規模な人員削減が行われ、多数の一時帰休者が 生じた。2002年以降の遼寧省の主要都市の求人倍率をみると、おおむね1以下で推移して おり、2000年代も比較的厳しい就業状況が続いている。
ただ同じような求人倍率でも労働供給の様相は都市によって大きく異なっている。瀋陽 市の場合、表2にみるように求職者の4割は「失業青年」であり、瀋陽市の失業問題とは、
企業のリストラによる失業の増大の問題ではなく、若者の就業先が足りないという問題で
0 0.5 1 1.5 2 2.5 3 3.5
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率
太原市 陽泉市 赤峰市
あることがわかる。また外地や農村部からかなりの求職者が引き寄せられていることもわ かる。
表 2 遼寧省の各市の労働市場における求職者のタイプ別内訳
注 :「失業青年」「失職者」の定義は表1と同じ。
出所:中国労働力市場ホームページより作成
一方、瀋陽市と対照的なのが撫順市と本渓市である。撫順市の場合、求職者の50%が「一 時帰休者」であり、本渓市の場合も、求職者の 12%が「一時帰休者」、50%が「その他失 業者」(これは元「一時帰休者」だと推測される)となっている。2000年代前半に「一時 帰休者」という身分は廃止されたはずだが、そういうカテゴリーの失業者が2009 年にな ってもいまだ存在するのは、1990年代後半に国有企業から解雇された失業者がいまだに再 就職を果たせていないことを示している。国有企業(炭鉱)の城下町である本渓市と撫順 市は1990 年代後半の大リストラからいまだに立ち直っていないのである。本渓市と撫順 市の場合、農村部や外地からの求職者がきわめて少なく、この点も単なる求人倍率からう かがえない労働市場の低調さを示している。
大連市と鞍山市は農村部や外地出身者もかなり来ている一方で一時帰休者もある程度お り、瀋陽市と本渓市・撫順市という両極端の中間に位置する。
(4)吉林省と黒竜江省
吉林省と黒竜江省の主要都市における求人倍率の推移は図6に示した。この図で注目さ 本渓市 鞍山市 瀋陽市 撫順市 大連市
2009年第 4四半期
2009年第 3四半期
2009年第 3四半期
2009年第 4四半期
2009年第 3四半期
失業青年 7.1 18.4 40.8 33.8 25.4
うち大卒者 0.3 - 11.2 - 13.2
失職者 30.2 6.3 6.4 7.5 15.4
その他失業者 50.1 6.3 4.4 - 22.3
在業者 0.0 10.3 2.4 - 4.8
一時帰休者 12.1 7.4 0.2 50.2 6.7
退職者 0.0 1.6 4.6 5.2 3.3
在学者 0.0 8.9 1.6 1.8 1.1
市内農村出身者 0.2 20.9 14.8 1.1 4.4 外地出身者 0.3 19.9 24.9 0.4 16.7 総数(人) 24,919 36,848 62,314 12,459 104,006
図 6 吉林省と黒竜江省の求人倍率
出所:図3と同じ
れるのは、特に 2009 年に入って求人倍率がかなり高い大慶市(黒竜江省)と、かなり低 い松原市(吉林省)に二極分化していることである。大慶市の求人倍率が高いのは地元の 石油・石油化学産業が中国の自動車販売台数の急拡大によって繁栄しているからであろう。
求人が多いのはサービス業や旅館・飲食業、建設業、製造業などだが、石油・石化産業の 繁栄が地元の他産業の発展をもたらしたものと推測される。
一方、松原市は2009年第3四半期の求人倍率が0.18できわめて低いが、これは一時帰 休者が求職者の18%、その他失業者が25%を占めるなど、やはり1990年代後半の国有企 業大リストラの影響をいまだ引きずっているためであろう。
(5)上海市・江蘇省・浙江省
長江デルタ地域の上海市、江蘇省、浙江省の求人倍率をみると(図7)、まず浙江省の杭 州市、寧波市の求人倍率の高さが注目される。特に杭州市はデータが取れる限りで一度も 1を下回ったことがない。求職者の内訳(表3)を見ても、8割近くが外地出身者であり、
失業青年や一時帰休者はきわめて少数である。公共職業紹介所の状況を見る限り、杭州市 の労働市場では労働需要がきわめて活発で、多くの労働者を外から引きつけている。寧波 市も杭州市ほど極端ではないにしても外地からの労働者を多く引きつけており、労働需要
0 0.2 0.4 0.6 0.8 1 1.2 1.4 1.6 1.8
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q
求人倍率
四平市 松原市 白城市 長春市 ハルビン市 ジャムス市 大慶市 牡丹江市
図 7 上海市・江蘇省・淅江省の求人倍率
出所:図3と同じ
表 3 上海市・浙江省・江蘇省の労働市場における求職者のタイプ別内訳 (単位:%)
杭州市 寧波市 上海市 無錫市 2009年第
3四半期
2009年第 3四半期
2009年第 2四半期
2009年第 4四半期
失業青年 0.0 14.0 10.2 27.2
うち大卒者 0.0 8.2 5.2 15.6
失職者 11.7 9.7 9.5 13.1
その他失業者 7.3 3.1 52.5 4.7
在業者 0.0 9.5 20.0 6.1
一時帰休者 0.0 0.0 4.2 0.0
退職者 0.0 0.1 0.0 0.9
在学者 0.0 1.7 0.0 1.0
市内農村出身者 1.6 13.8 3.6 8.7 外地出身者 79.5 48.1 0.0 38.4 総数(人) 219,831 268,897 308,187 167,258
注 :「失業青年」「失職者」の定義は表1と同じ。
出所:中国労働力市場ホームページより作成
0 0.5 1 1.5 2 2.5 3 3.5 4
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率
上海市 無錫市 塩城市 常熟市 徐州市 寧波市 杭州市
が活発である。本章第1節で紹介したように、労働力不足のニュースは浙江省から伝えら れることが多い。ただ、浙江省以外の労働市場ではそれほど不足が生じているとは言えず、
むしろ浙江省のように極端な労働力不足が現れている地域の方が例外的である。
一方、上海市は図7に示した期間には求人倍率が一度も1を上回ったことがなく、繁栄 する上海というイメージとは裏腹に、実は失業問題が続いていることがわかる。上海市の 公共職業紹介所に来る求職者の内訳をみると(表3)、半数以上が「その他失業者」であり、
そこには 1990 年代後半にリストラされて一時帰休者となった人がかなり含まれていると みられる。また、不思議なことに外地出身者が一人もいない。上海市内で数多くの外地出 身者が就業していることは一見して明らかであるが、公共職業紹介所の求職者のなかに外 地出身者が出てこないのは公共職業紹介所がそもそも外地出身者を紹介の対象としていな いことが推測される。
江蘇省の無錫市は2008年の後半に求人倍率が急落し、2009年に入って急速に回復して おり、この動きは全国の求人倍率の動きと並行している。無錫市も浙江省と同じく外地か らの労働者を数多くひきつけているが、浙江省と異なり、若年層の失業者もかなり多いの が特徴である。
(6)広東省
広東省でも浙江省と同じように労働力不足の声がよく聞かれることは前節で述べたとお りである。広東省のいくつかの都市の求人倍率をみると、2007年から2008年前半にかけ ては1を上回っており(図 8)、たしかにこの頃労働力不足が起きたことを反映している。
図8で最も目を惹くのが、2008年と2009年の広州市の求人倍率が、2008年第4四半期 に一時的に下がった以外は 12~15 倍という異常なまでの労働需要過多になっていること である。これは広州市の公共職業紹介所に求職登録する人が3ヶ月で1万人ほど(うち半 分以上が外地出身者)しかいないことに由来するものだが、大都市の広州市で求職する人 が1万人しかおらず、撫順市より少ないというのはあり得ないことである。おそらくこれ は求職者と企業のマッチングの大部分が公共職業紹介所の外で行われていることを意味し ているだろう。それゆえ広州市の求人倍率は広州市の労働需給の実態を余り反映していな いと考えられる。
広州市と対照的なのが深圳市である。深圳市の公共職業紹介所に2009年第3四半期に 登録した求職者は139万人近くに及んでいる。表1でみた北京市の10 倍以上である。深
圳市の場合、公共職業紹介所のカバレッジが広いことを示している。深圳市の求人倍率は 2005年から2008年第3四半期までは1を超えていたが、2008年第4四半期と2009年 第1四半期は0.93,0.94と低調に推移し、2009年第2四半期には1.29へと持ち直した。
図2でみた全国の求人倍率の動きとほぼ平行していると言えよう。
図 8 広東省の求人倍率
出所:図3と同じ
(7)四川省
内陸部を代表する地域として四川省の状況も見てみよう。図9に取り上げた各都市のう ち綿陽市が2008年第2四半期に28倍、第3四半期に20倍という極端に高い求人倍率を 記録している。これは2008年5月に起きた四川大地震の復興のために大量の建設労働に 対する需要が生じたためである。
綿陽市以外の3市、すなわち徳陽市、広安市、宜賓市では2007年以降求人倍率がほと んど1を下回っている。これらの3都市に共通しているのは、求職者の内訳において(表 4)、遼寧省とは異なり一時帰休者がほとんどいないことと、市内の農村出身者の占める比 率が高いことである。四川省は沿海部に数多くの出稼ぎ労働者を送り出している省の一つ だが、四川省のなかでも農村から都市への労働移動がかなり生じていることがこのことか ら判明する。
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率
広州市 汕頭市 深圳市 仏山市
図 9 四川省の求人倍率
出所:図3と同じ
おわりに
本章では2008年以降の中国の労働需給の推移をまずは中国での新聞報道をもとに描き、
続いて公共職業紹介所における求人倍率の統計を使って地域別に見てきた。地域別の分析 からわかったことは、2008年のリーマン・ショックによって労働需要が急減し、2009年 の景気回復によって労働需要が回復して労働力不足になるという全国平均の展開と同じ動 きをしたのは深圳市など少数の地域にとどまるということである。杭州市のようにリーマ ン・ショックなど関係なく常に労働力不足が続いている地域もあれば、遼寧省の本渓市や 撫順市のように 1990 年代後半の国有企業における大リストラの後遺症をいまだに引きず っている地域もある。しかも、北京市、廊坊市、天津市のように境界を接する都市どうし でも求人倍率の水準や変動はまったく異なっており、都市をまたいだ労働市場の統合は実 現されていないこともわかった。このように中国の労働需給の状況は、全国レベルの指標
(たとえば失業率など)を見てもその実態はわからないのであって、都市ごとの失業率や 求人倍率などを見る必要がある。労働市場の統合を妨げている制度的障害が問題だという 意見は正しいが、各都市の求職者の内訳からわかるように、多くの都市の労働市場はすで に外地出身者に開かれたものになっている。労働市場の分断は制度的要因によるというよ りも、都市間交通の未発達などに起因しているとみられる。
0 5 10 15 20 25 30
2001-1q 2001-2q 2001-3q 2001-4q 2002-1q 2002-2q 2002-3q 2002-4q 2003-1q 2003-2q 2003-3q 2003-4q 2004-1q 2004-2q 2004-3q 2004-4q 2005-1q 2005-2q 2005-3q 2005-4q 2006-1q 2006-2q 2006-3q 2006-4q 2007-1q 2007-2q 2007-3q 2007-4q 2008-1q 2008-2q 2008-3q 2008-4q 2009-1q 2009-2q 2009-3q 2009-4q
求人倍率
宜賓市 徳陽市 綿陽市 広安市
<脚注>
(注1) 『週刊ダイヤモンド』2008年12月13日号
(注2) 国家統計局「2008年末全国農民工総量為22542万人」(2009年3月25日)、国家統計局ウェ ブサイト。
(注3) 『経済参考報』2009年6月17日
(注4) 中国の民営企業が銀行融資に依存する度合が低いこと、すなわち自己資本比率が高いことにつ
いてここで明確なエビデンスを提示することはできないが、筆者の温州における数々の民営企 業のインタビューのなかで銀行融資に頼らない経営姿勢が各社に共通する特徴として強く印 象に残った。
(注5) 『21世紀経済報道』2009年6月1日
(注6) 『経済参考報』2009年9月15日
(注7) 『経済参考報』2010年2月22日
(注8) 『21世紀経済報道』2010年2月23日
(注9) 『経済参考報』2010年2月25日
(注10) 『21世紀経済報道』2010年2月23日
(注11) 『21世紀経済報道』2009年8月31日
(注12) データ源である「中国労働力市場」ホームページに2001年から2009年までの労働市場の状 況が切れ目なく報告されている都市はなく、どの都市の場合も途切れ途切れにしか求人倍率を 追うことができない。
<参考文献>
大塚啓二郎(2006)「中国 農村の労働力は枯渇―「転換点」すでに通過」『日本経済新聞』2006年10月9 日
田島俊雄(2008)「無制限労働供給とルイス的転換点」『中国研究月報』第62巻第2号。
丸川知雄(2002)『労働市場の地殻変動』(現代中国経済シリーズ3)名古屋大学出版会。
蔡昉(2007a)「破解農村剰余労働力之謎」『中国人口科学』2007年第2期
蔡昉(2007b)「中国労働力市場発育与就業変化」『経済研究』2007年第7期
蔡昉(2008)『劉易斯転折点――中国経済発展新階段』北京、社会科学文献出版社