講座主任退任を迎えて:
言いたくても言えなかったひとこと
昭和大学医学部外科学講座(呼吸器外科学部門)
門 倉 光 隆
令和元年度昭和大学学士会特別講演会―医学部教授最終講義― 2020 年 3 月 14 日 15:20 〜 16:00 昭和大学上條記念館上條ホール
○司会(山本 滋) それでは,次の講演に入りま す.外科学講座呼吸器外科学部門・門倉光隆教授よ り,「講座主任退任を迎えて:言いたくても言えな かったひとこと」と題し,ご講演お願いします.門 倉先生,お願いいたします.
○門倉 2020 年 3 月 31 日で講座主任を退任させて いただくにあたり,こういった機会を与えていただ きましたこと,光栄に存じます.なお,今回の副題
「言いたくても言えなかったひとこと」につきまし ていろいろと想像される方がおられ,「一体何を しゃべるの」というようなことを言われましたの で,もう 1 つ「普通の外科医が教授になって…」と いう副題をつけさせていただきました.期待し過ぎ ないで聞いていただければと思います.
さて,お手元の略歴にありますように,1980 年 に昭和大学医学部を卒業後,同級生 12 名とともに 外科学講座へ入局し,外科認定医・専門医取得に向 けた修練に入りましたが,この 40 年間でターニン グポイントがいくつかありました.その 1 つ目が 1984 年,国立療養所中野病院呼吸器外科レジデン トとしての研修開始でした.当時,石井淳一主任教 授が主宰される外科学講座の胸部外科助教授であっ た高場利博先生に,「専門病院へ肺の勉強に行って みないか」と言われ,最初は「肺ですか」と思いま したが,興味もありましたので研修に出していただ きました.中野病院では呼吸器外科学会の重鎮であ る荒井他嘉司先生に師事して 2 年間の修行をさせて いただき,肺という臓器の虜になった訳でありま す.われわれ呼吸器外科医のバイブルと言われる
『肺切除術(朝倉書店)』を荒井先生がこの時期に出 版されましたが,通常こういった書物を出される
と,著者が表紙裏などに「鬼手仏心」などとサイン されることも目にしますが,先生は図のような「手 術は観客なき芸術である」と書いてくださいました
(図 1).とてもきれいな手術をされる先生ならでは のお言葉でありました.この中野病院での専門研修 が修了後,1986 年に大学へ戻りましてから本日ま で,呼吸器外科学にどっぷりと浸かった日々を送る ことになりました.
1989年昭和大学医学部外科学講座専任講師となっ たのち,1993 年に米国 Mayo Clinic へ留学のチャン スを得ました.その後,昭和大学横浜市北部病院が 2001 年に新規開院され,呼吸器センター助教授と して赴任し,中島宏昭センター長/教授の下で病院 立ち上げのお手伝いをさせていただき(図 2,3),
これが 2 つ目のターニングポイントになったと考えて おります.さらに 2005 年にひょんなことから昭和大 学病院呼吸器外科准教授として旗の台へ戻り,2007 年に昭和大学医学部呼吸器外科教授(診療科長)
となりました.そのまま旗の台で定年を迎えるもの と思っておりましたが,ある契機により 2016 年 4 月に昭和大学横浜市北部病院呼吸器センター長/副 院長として再度北部病院へ異動し,翌年 4 月,病院 長に就任させていただき現在に至りました.
外科学教室入局以後,多くは平成という元号の 31 年間を呼吸器外科医として過ごしましたが,こ の期間の社会情勢として,大学進学率が 24.7%から 53.3%へ,訪日外国人が年間 283 万人から 3,119 万 人へ増加しました.一方,交通事故死は 1 万 1,086 人から 3,532 人へ,農業の担い手は 324 万 3,000 人 から 145 万 1,000 人へと減少しております.
これまでの業績は,総説 26 編(英文 3 含),著書 講 演
42 編,原著論文 141 編(英文 42 含),症例報告論 文 116 編(英文 20 含),国際学会 40 件を含む学会 発表 801 件,IF は辛うじて計 56.48 を得ましたが,
これらは支えてくれた多くの仲間が居た結果であり ます.また,国立中野病院から大学へ戻りましてか ら関わった呼吸器外科手術症例数は計 3,196 例であ りますが,「神の手」を持つことなく「普通の外科 医」として在籍した結果はこの程度であろうと考え ております.
米国留学中,Mayo Clinic 胸部外科(Chair, Dr.
Peter C. Pirolero)における外科的肺切除 113 例(開 胸手術 42 例,胸腔鏡手術 71 例)を検討し,Department of Surgical Pathology, Consultant, Dr. Thomas V.
Colby の指導下で「Pathologic comparison of video- assisted thoracic surgical lung biopsy with traditional open lung biopsy(JTCS 1995)」を執筆しました
(図 4).日本における胸腔鏡手術は 1994 年に保険 適用となりましたが(図 5),胸腔という狭く固い 骨性胸郭に囲まれた体腔内へ内視鏡カメラを挿入 し,さらに肺切除のために挿入する鉗子操作には,
左右分離肺換気によって手術側の肺が充分に虚脱し ていることが必須であります.肺門操作では鉗子によ る肺の圧迫や牽引が必要となるため,残す肺実質に もその影響が強く現われる可能性が予想されました.
そこで,胸腔鏡肺切除と開胸肺切除による検体で病 理組織学的比較検討を行い J. Thorac. Cardiovasc.
Surg. に掲載が叶いました.その要旨は,手指によ る愛護的な操作が可能な開胸手術の一方,手が入ら ないため鉗子操作が必須の胸腔鏡手術では,肺胞出 血や neutrophil margination,極端な無気肺像が多 くみられ,胸腔鏡手術では肺実質に対する愛護的な 操作が必要であることが証明できました.
さて,外科医として過ごした日々を振り返ると,
記憶に残る患者さんが多数居られ,論文として文字 に残すことで自らの教訓的症例としたものがいくつ かあります.その 1 つは,日本胸部臨床 1992 年掲 載の「胸膜癒着剤注入後に発生した肺炎」です.肺 気腫合併の右肺癌手術(上中葉切除)後 1 年程経過 ののち,手術した対側左肺に気胸を発症し,長期に わたる air leakage に対して胸膜癒着目的で胸腔内 に薬剤注入後,重症肺炎を発症して 2 週間以上にわ たる人工呼吸管理を余儀なくされた患者さんであり ました.経過中に血圧維持のためノルアドレナリン
を 0.5γ以上要し,一時「生命予後は時間の問題で す」とご家族に厳しいお話をしましたが,幸運にも 回復され,その後 10 年間のお付き合いとなった方 であります.この方はある会社の重役を務められ,
多くの部下を育て上げた経験から,外来受診の際 に,息子さんと同年代の私のような若輩に対し,
「先生はそう言われるかもしれませんが,患者とい うものはそう考えないものです」など,患者心理を ズバリと話され,そこからいくつもの教えを得るこ とができました.
その 2 は,日本胸部臨床 1997 年掲載の「胸腔内 へ穿破し胸膜肺全摘除術を施行した縦隔悪性胚細胞 腫瘍の 1 例」(図 6)で,この時期は未だ私自身が 40 歳代前半でありましたが,自分よりも若い悪性 疾患の患者さんに対応することとなり,治療中ご両 親の心境にも接してさまざまな考えを巡らすことと なりました.患者さんは 21 歳と若いものの,どの ような治療の提案に対しても前向きであり,さらに 術前術後の厳しい化学療法にも耐えてくれました.
現在のような化学療法の副作用に対応できる薬は少 なく,辛い毎日であったものと予想されます.この 方は,術後 25 年が経過した現在無再発生存中であ り,“ どんな時もあきらめず,前に進め ” といった 気持ちを植え付けられました.
その 3.IJCO(Int J Clin Oncol)1999 年に掲載 された「Pulmonary adenocarcinoma metastatic to the gingiva」で,肺腺癌に対して右肺上葉切除術 後の外来経過観察中,「虫歯の調子が悪くて」と言 われましたが,罹りつけ歯科に任せておけば,と いった安易な気持ちで口の中をくまなく観察するこ とはせず,患者さんの「虫歯」という言葉を鵜呑み にしておりました.その後も同様の訴えをされるた め,不信に思って口腔内を拝見したところ,極めて 稀な肺癌の下顎歯肉転移でした.患者さんの言われ ることを鵜呑みにしてはいけないという警鐘事例で ありました.
その 4.現在の医療は新たな手術機器の開発や普 及,さらに画像診断技術の進歩によるものが大き く,私自身が大学卒業直後に経験した医療とは隔世 の感があります.そういった中,人間ドックの際に オプションとして受けた PET/CT で胸部 X 線では 指摘できなかった肺癌を発見でき,術後 12 年健在 であります(図 7).もしも,この時 PET/CT を受
けていなければ…??といった思いを抱かせる症例 でありました.
これまでの 40 年間,外科医として過ごした日々 は決して一人旅ではなく,また,自分一人だけで一 人前になれたわけではないと思っております.そこ には常に横から支えてくれる先輩や後輩・同僚,そ して家族が居りました.さらに,いろいろな患者さ んとの出会いもあり,幾多のやり取りを行う中で,
患者さんやそのご家族,一緒に研鑽した仲間達の声 を聞き,各々の立場によってさまざまな考え方があ ることを学びました.今がとても辛い時間であって もそれはいつか過ぎ去ることでしょう.自分にとっ て最悪な時だと思ってもそれは必ず過ぎ去り,良い 時が必ず来るものと思います.ですから,その時が 来るまで,ひたすら耐えて待つこと.そして,つね に飾らず,人を思いやる心,あきらめない心を持っ て進むことが重要であると学びました.
昭和大学入学から始まり,2001 年の昭和大学横 浜市北部病院開院に携わったことは,その後の医師 としての心構え,医療への姿勢,立ち居振る舞いに 大きな影響を与え,また,単にテクニカルスキルを 磨くだけでなく,それ以外の何かを備えた人と言わ れるようなノンテクニカルスキルをどのようにして 身に着けるかを学び,それを具現化するために努力 してきました.
病気に侵され,「病院」を訪れる患者さんは予期 せぬ災害を被ったのと同じ気分であると思います.
病院で受ける医療は,個人被災からの救済・復旧と いった行為であり,その過程で医療者は患者さんの 気持ちをいかにくみ取り,どのようにその期待や信 頼に応えられるかが重要であると思います.しか し,その「期待や信頼を裏切ること」も時として存 在し,それは患者さんにとって願いを叶えられな かったことと同じであり,病院や医療者に対する不 満が生じることになります.その原因の一つとし て,“説明不足” や “コミュニケーション不足” が挙 げられますが,医療者が話す「ことば」は,まれに 大きな誤解を招くことがあり,経験した実例をご紹 介したいと思います.
その 1:入局してまだ間もないある日,主任教授 の回診でのこと,主治医が差し出した温度板に記載 された文字を指しながら「コレは何だ?」と教授が 発言しました.この頃は今のように電子カルテなど
は無い時代で,医局員が A3 版の大きな温度板(経 過表)を持ち歩き,ベッドサイドに立ってこれを教 授に見せながら説明をするといった形でした.一 方,患者さんは「教授回診」ということで少々緊張 しながら天井(真上)を見つめてベッドに横たわっ ているという構図であります.回診に訪れた教授が 見入る温度板の手元は患者さんには見えず,耳だけ は何を言われるのかと神経を集中させていたものと 思います.そこへ「コレは何だ!」という言葉だけ が聞こえたため,その直後「俺のことをコレとは何 だ!」と怒り出しました.普段は大人しそうなその 方も,世に出れば少々…の方で,隠れ持つキャラク ターで咄嗟の反応を示したと言えます.「この経過 表の,コレは何だ?」と言っていればこうはならな かったと思います.
その 2:ある日の病棟でのこと.少し前に看取り があった部屋の整理をしていた看護師さんに,廊下 を通りかかった先輩の看護師さんが「何か(手伝う ことは)ある?」と聞き,それに対してその看護師 さんは「いえ,こっちは片付きましたので」と返事 をしました.良くある光景かとも思いますが,その 時すでに私物整理のために部屋へ戻っていた家族 が,「こっちは片付いたとは何事だ!」と怒り出し ました.この時,先輩看護師に「いえ,部屋の整理 は済みましたので」あるいは「いえ,部屋は片付き ましたので」と発言していればこのような誤解はな かったものと思われます.これらは耳に入った言葉 に対する誤解ですが,通常の診療で患者さんやご家 族とトラブルを起こした際,「業務が多忙で対応で きなかった」などの弁解を聞くこともあります.し かし,どんなに忙しくてもトラブルを起こさない人 間が居るのも事実であります.つまり「何らかのト ラブル」を起こす人のパーソナリティやコミュニ ケーション能力が問題ではないかと考えています.
日常診療の中で,普段から患者さんやその家族と どのような関係を保っていくか.互いに信頼関係が 築かれ,期待に応えることができているのか.など を確かめることは重要な課題であると思います.そ こで,私自身が関わった患者さんとの数々のやり取 りを振り返り,心のふれあいを保つ目的で,2007 年から患者さんの退院時にある手紙をお渡しするよ うにしました.その手紙とは,われわれ呼吸器外科 医が「ラブレター(仮称)」と呼んでいたものですが,
それを始めようとする契機となった出来事がありま した.それは,患者さんが退院で帰宅する際にナー スステーションへ寄られ,「ではこれから帰ります.
ありがとうございました.」と挨拶されることがま
まあると思います.しかし,主治医はすでに手術室 や外来診療へ行くなどして,そのタイミングに直接 お会いすることは殆んどありません.しかしある 時,朝の回診で「本日退院ですね.おめでとうござ います.」とベッドサイドでチームメンバーととも に挨拶をした患者さんに,たまたま病棟から指示抜 けを指摘されて戻った際,今まさに帰ろうとする患 者さんに廊下でバッタリとお会いしました.私は先 程退院に対して別れの挨拶をしたつもりでしたが,
その方は「わあっ.退院前にお会いできて本当に良 かったです.」といわれました.私は【さっき挨拶 したのになあ?】という気持ちでしたが,この時の 患者さんの顔つきから【常に医療者から気に掛けて いてもらいたい】という心理を読みとることができ ました.「帰宅する際,主治医にも一言挨拶した かった」,その一方で「手術では痛い思いをさせら れた」,「再発したらまたここへ入るのかな」,「私の ことを気にしてくれているのかな」など,さまざま な感情が渦巻いていると考えました.
そこで『退院お祝い』の手紙(仮称ラブレター)
図 5 胸腔鏡手術(VATS)は日本で 1994 年に保険適用 となった.
図 4 胸腔鏡と開胸肺生検の病理組織学的比較検討 JTCS 1995
図 3 2001 年開院時 呼吸器センター医師 6 名 図 2 昭和大学横浜市北部病院オープニングセレモニー
2001 年 4 月 1 日(AM8:00)
図 1 「肺切除術」に書かれたサイン
を差し上げることにしました.その中には「われわ れは常にあなたのことを気に掛けています」と意志 表示をするともに,今後の生活にエールを送るもの でありました.その手紙とは,『○○さん.この度 は,退院おめでとうございます.「病気に勝つ」と いう気持ちを貫かれ,本日を迎えられましたこと心 よりお慶び申し上げます.入院中,不自由な,ある いは気に入らないこと,また,痛みなどで心配にな られることもあったかと思います.しかし,こうし て退院という勝利を掴まれましたことを糧に,今後 の生活に自信を持って臨んでいただければ幸いで す.○○さんやご家族皆様のご健勝を祈念しており ます.退院の日を迎え,お祝いのご挨拶とさせてい ただきます.呼吸器外科スタッフ一同』という簡単 なものであります.
ある時,退院直後の患者さんから手紙が届きまし た.その手紙には「退院時にお手紙を頂きましたの が初めての事で,あまりにも感動し,涙が出まし た.(中略)他の病院にも入院の経験が有りますが,
この様なお手紙を頂いた事は無かったので感動し,
昭和大学病院で手術をして頂いたことを,本当に良 かったと思い,気持ちが高ぶっている間にペンを取 らせていただきました…」と書かれておりました.
このことから,「われわれ外科医も手術で痛みを与 えるだけでなく,何かができる!」と思いました.
まさに「Yes We Can ! !」であります.
さて,本日の副題「言いたくても言えなかったひ とこと」ですが,この “言いたくても言えない” と は,「言わぬが花,言葉を呑む,言い渋る,もった いぶる,歯がゆい,もどかしい,苛立たしい」など が挙げられます.実は 1997 年に発行されたある書 物の題名が「言いたくても言えなかったひとこと」
というもので,その一部を紹介いたします.
(1) 医者という字は囲いの中に矢を持ち,患者は 串刺しにされる心と読める.患者への告知は 難しい.病と戦う前に放たれた矢で死んでは ならぬ.(31 歳,会社員)
(2) 目を見て話を聞いてくれるあの眼科の先生.
私の充血した目には目薬よりもあなたの瞳が 効きました.(22 歳,学生)
(3) 行きつけの医者は診察も丁寧で,夜 8 時まで やっているのでありがたい.しかし,その医 者の顔色は悪く,くまができているのが心配 だ.(30 歳,主婦)
(4) 高圧的で患者の心の痛みが分からぬ医者にお もねるくらいなら,最新の医療機械に白衣を着 せて先生と呼ぶ方がまだましだ.(45歳,主婦)
(5) 日々淡々と勤務をこなす中,患者さんの笑顔 がまばゆく感じられた.癒されているのは私 の方かも知れない.(25 歳,看護師)
図 6 胸膜肺全摘除術を施行した縦隔悪性胚細胞腫瘍 の CT 画像と手術所見
図 7 ドックの PET/CT(オプション)で偶然に診断の 機会を得た1例
図 8 本学創立者 故 上條秀介先生による「不求一身 安」と北部病院インタビューボード
このように人の心理はさまざまで,こちらが良いと 思っていたことも,その受け止め方はまちまちであ ると思います.
ある先達の書から,「道を究める者が,最も陥り やすいのが “ ひとりよがり ” である.常に他と比較 しながら,より良い手術を完成していかなければな らない.手術室は自分の持てる力全てをそそぐ場で あり,絶え間ない努力の道を歩む者のみが勝を制す る」と教えられましたが,この中で「手術」という 言葉は「医療」へ,また「手術室」は「医療の現場」
に置き換えて読むことができます.
また,私が教授に就任した際,ある先輩から「続 けることの辛さ,そして楽しさ」という言葉を贈ら れました.ことを成すためには継続することが重要 であるが,その難しさもある.無理して踏ん張らな ければならない時もあるが,努力するということは 息をするように続けることであり,無理をする必要 はない.また,我慢や根性を見せることでもない,
と教えられました.
本学創立者・故上條秀介先生の信念として「不求 一身安(自分一人だけの保身や保全を求めてはなら ない)」(大学 HP から)があります.これは昭和大 学建学の精神である「至誠一貫」とともに医療者の あるべき姿を示していると思います.昭和大学横浜 市北部病院のインタビューボードにはこれらの言葉 を配し(図 8),入職式や職員表彰式のほか,病院 内のイベント開催時はこれをバックに行事を進めて おります.
最後に,65 歳の教授定年を迎えて “ サラリーマ ン川柳 ” からひとこと.1)肺年齢すでに年金もら えます,2)退職金もらった瞬間妻ドローン,3)デ ジカメのエサはなんだと孫に聞く,といったことの ないよう今後も努力したいと思います.
こうして本日を迎えられましたこと,関係各位に 心より感謝申し上げます.ご清聴ありがとうござい ました.
○司会 先生,ありがとうございました.記念の楯 を,小川医学部長より贈呈されます.
○小川良雄医学部長 どうもありがとうございまし た.先生のこの 40 年の医療人の人生は,本当に至
誠一貫を体現されていると思います.今日,コロナ の関係で,多分学生は,来ていますかね.学生さ ん,いたら手を挙げてください.いない.いないか もしれない.これ,先生,プロフェッショナリズム の講義のところで,絶対,先生いいと思います.ま た,この後,病院の方の運営もそうですが,学生の プロフェッショナリズムの教育を体現した先生とし て,ぜひ彼らを導いて上げてください.ますますこ れからのご発展をお祈りします.これは 1 つの区切 りですから.本当に 40 年間ありがとうございまし た.先生,ありがとうございました.
(記念品楯贈呈)(花束贈呈)
○司会 以上で 3 名の先生方の最終講義は終了とな りますが,いま一度 3 名の先生方に,盛大な拍手を お願いいたします.
大変名残惜しいのですが,閉会の挨拶を,小風大 学院医学研究科長よりお願いしたいと思います.小 風先生,よろしくお願いします.
○小風 暁 医学研究科長 瀧本先生,田中先生,
門倉先生,本日は最終講義,ご講演いただきまし て,まことにありがとうございます.心より御礼申 し上げます.先生方のお話をお伺いして,今,診療 への意欲,また,研究マインドを鼓舞されている先 生方,多くおられると思います.
助教,講師,准教授,いわゆる若手の先生は,そ の気持ちを持ち続けて,研究ということで言うと,
英文の原著論文をどんどん発表してもらいたいとい う風に思いますし.また,教授の先生方におかれま しては,これまで以上に若手のスタッフが研究をや りやすい.そういった環境づくり.それをお願いし たいという風に思います.小口勝司理事長,久光正 学長とも 100 周年,あるいはそれ以降に向けて,研 究に力を入れていくということを表明されておられ ます.久光先生.それで間違いないですか.で,あ ります.そのためには,瀧本先生,田中先生,門倉 先生,引き続き,ご指導いただくことが必要かと思 いますので,それも研究科長として,心よりお願い 申し上げて,はなはだ簡単ではございますが,閉会 の辞とさせていただきます.本日は誠にありがとう ございました.