福 島
︒ 安 子 島 城 跡
1 所在 地 福 島 郡県 市山 熱 海 町安 子島 字 町
︒南 町
・館 前 2 調査 期間 一九 九 二年
︵平 4︶ 月二 i 一九 九 三年 月二 3 発掘 機関 郡山 市教 育委 員 会
・働 郡山 市 埋蔵 文化 財発 掘調 査 事 業 国 4 調査 担当 者 一 局橋 博 志
・高 井 剛 5 遺 跡 種の 類 城 館跡 6 遺 跡 の年 代 一 一世 紀ぞ 一六 世紀 7 遺 跡 及び 木簡 出 土遺 構 の概 要 安 子島 城跡 は︑ 郡 市山 の中 心部 にあ る郡 山駅 の北 西約 一 血一 にあ り 奥︑ 羽山 脈 の縁 辺部 に位 置 し て いる
︒ 遺跡 は 北︑ 方 を東 流す る五 川百 に より つ くら れ た河 岸 段 丘 の第 二段 丘面 に立 地し 標︑ 高 は 二七 O i 二 八〇 をm 測 る︒ 安 子島 城 は 奥︑ 州 藤原 征 伐 の恩 賞 と し て 安積 郡
︵郡 山市 の中 央を 北流 する 阿 武 隈
川の 西岸 一帯 を︶ 領有 たし 安積 伊 東 氏 の 族一 であ る安 子島 氏 の城 館 と し て知 られ て いる 奴︒ 館 は 六 つ以 上 の郭 を群 形成 し︑ そ の面 積 は約 一三 万∬ に及 んで いる 安︒ 子島 氏 の文 献史 料 にお るけ 初 見 は︑ 応永 一一 年
︵一
〇四
︶四 の 仙﹁ 道 諸家 一揆 傘 連判
﹂状 であ る︒ こ の史 料 に は郡 内 各地 域 の伊 東 一族 の名 見が ら れ 惣︑ 領家 の衰 退 と庶 子分 立 に よ てっ 安 子島 氏 地は 域 の小 主領 とし て独 立し て いた とこ を窺 わ せる
︒ そ 後の 周は 辺 の有 力 大 名 の影 響 下 にあ る が︑ 天 正 一七 年
︵一 五八 九︶ に米 沢 の伊 達 政宗 が会 津 の意 名義 弘 を攻 め る際 に︑ 安 積 と会 津 を結 ぶ要 衝 であ る安 子島 を 攻略 し開 城 さ てせ いる
︒ 安 子島 城 跡 の発 掘 調査 は 団︑ 体 営圃 場整 備 事業 に伴 うも ので あ り
︑ 郡山 市荻 育 委員 会 が 一九 九 二年 度 に働 郡山 市 埋蔵 化文 財 発掘 調査 事 業 団 に委 託 実施 し たも ので あ る︒ 調 査面 積 は 一二
〇
〇〇
∬ に及 び︑ 貴 重 成な 果 を得 る こと がで き た︒
. 調査 の結 果
︑ 四三
〇
〇基 以上 の柱 穴 を はじ め 竪︑ 穴状 遺 構
・井 戸 土・ 坑
・堀 な ど 発が 見 され た︒ そし て︑ 調 査区 全域 は安 子島 城 の初 期
︵文 献に 初見 する より 前 の 一三 世紀 末ど 一四 紀世 初頭 に︶ 造 営 さ れた 八
〇 m× 九
〇 mの 方 形 の館 跡 で︑ そ の後 の増 改 修 に より 現在 あ る安 子 島城 跡 が構 築 され たも のと 考 えら れ るよ う にな たっ
︒ 大 まか に初 期 の段 階 一︑ 五世 紀 の段 階 一︑ 六世 後紀 半 の段 階 の三 段階 に分 けら れ る︒ 遺物 の出 土量 は この 時 期 遺の 跡 とし ては 比較 的 多く 整︑ 理用 コン テ ナに 二〇 箱 ほど 出 上 して いる 内︒ 容的 には 一二 世紀 i 一七 世紀 初
(郡
山)
1993年出上の木簡
頭 ま で の青 磁
︒自 磁
︒青 白 磁
︒染 付
・中 国産 褐釉 陶 器
・国 産内 陶器
︵古 瀬戸
︒常 滑な
︶ど
・火 鉢
・土 師 質 土 器や 石日
・茶 臼
︒硯
・砥 石な ど の石 製 品
︑ 刀子
・釘 な ど の鉄 製 品 漆︑ 器
︒曲 物 な ど の木 製 品 出が 土 し て いる
︒ 木 簡
︵柿 経︶ 五点 は 全︑ て外 堀 の南 西隅 の堆 積 土中 より 出 上 した
︒ 外堀 は 城︑ 郭 改修 の最 終 段階 であ る 一六 世 後紀 半 に掘 ら れ たも のと 考 えら れ て るい
︒ 共伴 した 物遺 とし ては 漆器
・石 臼な ど あが るが
︑ 陶磁 器 は出 土し て いな い︒ 安 子島 城 は︑ 豊臣 秀吉 の奥 羽仕 置 で会 津 に入 部 たし 蒲 生氏 の代 官 が安 子島 に置 かれ た のを 最 後 に︑ 少 な くと も 一六 世紀 末 i 一七 世紀 初 頭 には 廃 城 にな てっ いた も のと 考 えら れ て いる
︒ 従 てっ 木︑ 簡
︵柿
︶経 の廃 棄 され た年 代 は 一六 世紀 後 半 そ︑ れも 蒲 生 氏が 部入 たし 時 には 堀︑ が埋 めら れ て いる 可能 性も 考 えら れ る ので 伊︑ 達 氏 が安 子島 を攻 め た天 正 一七 年
︵一 五八
︶九 前後 に求 め た い︒ 8 木筒 の釈 文
︒内 容
︹如
≧
①
︒ □ 是 我 聞 時 一 仏 住 王 舎 城 者
□
︻倶 有 己
︒□
□ 四 阿 修 羅 王 婆 稚
□
︵壼 y μ受 o盟
︹大
≧
︹漢 諸 琶
②
︒□ 比 丘 衆 万 三 千 人 倶 皆 是 阿 羅
□
□
・ 闇 婆 王 美 音 乾 闊 婆 王 国 □
︵μP﹃︶×μ岸×〇い ⇔∞μ14)
⑤
・迦 葉 那 提 迦 葉 舎 利
︻□ 王
︺ヵ
︒那 羅 王 妙 法 緊 那 羅
□
︵じ 溢 受 o解 ω
⑤を は︑ 妙﹃ 法蓮 華
﹄経 序 品第 一を 書 写 し た連 続 す る 五枚 の柿 経 であ る︒ 表 は冒 頭 の五 行分 正︵大 新脩 大蔵 第経 九巻 一頁 下段 16ど 2.行
︶︑
裏 は中 途 の五 行 分
︵同 二頁 上段 24ぞ 29行 に︶ 相当 し︑ 表 とは 逆 に⑤ から ω の順 に書 写 さ れて いる
⑥︒ 表 と⑤ 裏 の間 には 26行
あ るは ず で︑ 表 から 裏 へ書 き継 いで い たっ とす れば
︑ 一八 枚 の表 裏 に書 写 てし いる こと にな る︒ な お︑ 釈 読 は郡 市山 田村 町上 行 合 上の 合 寺住 職 あで る菅 原 殊英 氏 のご 教 示 を得 た︒ 9 関係 文献 郡 市山 教育 委員 会
・⑫ 郡 市山 埋蔵 文化 財 発掘 調査 事業 団
﹃郡 山の 埋蔵 文化 財 ふる さと 歴史 展 安積 野 のパ イ オ ニア たち
﹄
︵一 九九 三年
︶
︵高橋 博志
︶
︹無 ヨ 有︹ 結
≧
・回 復 煩 悩 逮 得 己 利 蓋 諸 国
□
・闇 婆 王 楽 乾 闇 婆 王 楽
□ 僑︻ Xヵ 如脱
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・ □ 阿 若
□ 陳 摩 訂 迦 葉
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︒ □ 那 羅 王 各 興 若 干 百
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