博士論文
腸管出血性大腸菌 O157:H7 Sakai 株に存在する Stx2 ファージにコードされた Small Regulatory
RNA SesR の機能解析
Functional analysis of Small Regulatory RNA SesR encoded by Stx2 phage present in enterohemorrhagic Escherichia coli O157:H7 Sakai
2017 年
立教大学大学院 理学研究科 生命理学専攻
満仲 翔一
参考論文
Shoichi Mitsunaka, Naoki Sudo, Yasuhiko Sekine
Lysogenisation of Shiga toxin-encoding bacteriophage represses cell motility.
Journal of General and Applied Microbiology (in press)
目次
論文要旨 1
第1 章 序論 5
第2章 Stx2 ファージの溶原化によるべん毛遺伝子群発現抑制 機構の解析
1. 要旨 11 2. 結果 12 3. 考察 24
第3 章 Stx2 ファージに存在するsmall regulatory RNA SesR の
同定及び機能解析
1. 要旨 28 2. 結果 30 3. 考察 56
第4章 O157 Sakai 株におけるSesR の機能解析
1. 要旨 64 2. 結果 66 3. 考察 72
第5章 総合考察 76
材料と方法 83
表 101
参考文献 113
謝辞 120
論文要約
研究題目 腸管出血性大腸菌O157:H7 Sakai株に存在するStx2ファージに コードされたSmall Regulatory RNA SesRの機能解析
Functional analysis of Small Regulatory RNA SesR encoded by Stx2 phage present in enterohemorrhagic Escherichia coli O157:H7 Sakai
満仲 翔一 第1章 序論
バクテリオファージは細菌に感染するウィルスであり、その生活環の違い からヴィルレントファージとテンペレートファージに分けられる。テンペレー トファージは、感染後に細菌の染色体上に自身の DNA を組み込み溶原化する。
溶原化したファージゲノムをプロファージと呼ぶ。ファージの溶原化は病原性 遺伝子や抗生物質耐性遺伝子などの水平伝播に寄与すると考えられている。
腸管出血性大腸菌 (enterohemorrhagic Escherichia coli : EHEC) O157:H7 Sakai 株 (以下、O157 Sakai株と記す) の染色体上には18のプロファージが存在する。
その内の一つである Sakai prophage 5 (Sp5) はラムダファージに近縁であり、
EHEC の病原性の主な因子の一つである志賀毒素 (Stx) をコードする stx2 遺伝 子を持つことから、Stx2 ファージに分類される。このプロファージは、感染能 のあるファージ粒子を産生する能力を持つことから、stx2遺伝子の水平伝播に重 要な役割を担うと考えられる。
Stx2ファージの溶原化はstx2遺伝子を水平伝播することが知られているが、
宿主大腸菌の遺伝子発現に与える影響に関する知見は断片的であり、その分子 機構が明らかにされている例はない。そこで、本研究において Sp5 を非病原性 大腸菌K-12 株に溶原化させることにより、Sp5 溶原菌を作成し、Sp5溶原菌と 非溶原菌間の表現型の違いを解析した。その結果、Sp5 溶原菌は嫌気条件下、
37 °Cにおいて遊走性が低下することがわかった。また、遊走性の低下はべん毛
遺伝子群の発現抑制に起因していることを見出した (第 2 章)。次に、Sp5 領域 内にべん毛遺伝子群発現抑制因子が存在すると予想し、この探索を行った結果、
small regulatory RNA (sRNA) SesRを同定し、そのsRNAがべん毛遺伝子群の発現
抑制の原因であることを明らかにした (第3章)。さらに、Sp5は本来O157 Sakai 株の染色体上に存在するため、O157 Sakai 株における SesR の機能を解析した (第4章)。
第2章 Stx2ファージの溶原化によるべん毛遺伝子群発現抑制機構の解析
O157 Sakai株にDNA損傷剤を作用させ、Sp5を誘発することにより調製し
たSp5粒子を用いてK-12株を溶原化した。得られたSp5溶原菌の表現型を様々 な培養条件下で非溶原菌と比較した。その結果、嫌気条件下、37 °C において、
Sp5溶原菌では遊走性の低下が見られた。一方、好気条件下または30°Cでは遊 走性の低下が見られなかった。遊走性を司るべん毛遺伝子群の発現を解析した ところ、べん毛フィラメントの主な構成成分であるフラジェリンをコードする fliCの発現がSp5溶原菌では低下していた。これに加えて、べん毛遺伝子群の最 上流転写因子をコードするflhD を含むいくつかのべん毛遺伝子群に属する遺伝 子の発現も低下していた。以上の結果は、Sp5溶原菌ではflhDCの発現が転写ま たは転写後段階で抑制されている、と仮定すれば説明できる。そこで、SesR の 影響を受けないアラビノースプロモーターにより発現が制御される flhDC オペ ロンから生じる FlhD 及び FlhC の蓄積量を解析した結果、非溶原菌と比較して Sp5溶原菌では蓄積量が減少していた。この結果は、Sp5溶原菌では、flhDCの 発現が転写後段階で抑制されていることを示す。
第3章 Stx2ファージに存在するSmall regulatory RNA SesRの同定及び機能解析 Sp5内にべん毛遺伝子群の発現を抑制する遺伝子が存在すると考え、その探 索を行った。Sp5 (全長62,708 bp) を11の領域に分け、Sp5溶原菌の染色体上の それぞれの領域を欠失した株 (Sp5溶原菌1~11) を作成し、これらのSp5部分 欠失株における fliC の発現を解析したところ、Sp5 溶原菌5 においてのみ fliC の発現抑制が解除された。Sp5溶原菌5において欠失している領域 (5993 bp) の 一部である、ファージの後期転写プロモーターからその予想ターミネーターま での領域 (403 bp) をプラスミドに載せて非溶原菌に導入すると、べん毛遺伝子 群の発現が抑制されたことから、この領域内に原因遺伝子が存在することが示 された。ノーザンブロッティングによる解析を行った結果、この領域から約
70~80ntのRNAが検出された。このRNAは免疫沈降法による解析においてRNA
シャペロンであるHfqと共沈降することから、Hfq結合型のsRNAであると示さ
れた。Sp5溶原菌の染色体上のこのRNAのコード領域のみを欠失すると遊走性 の低下が解除されたことから、べん毛遺伝子群発現抑制の原因がこのRNAであ ることが示され、このsRNAをSesR (Stx phage-encoded small RNA) と名付けた。
Sp5 の溶原化は flhDC を転写後段階で抑制したことから、SesR の標的遺伝子は flhDCであると予想した。flhDC mRNAのSD配列の約50 nt上流にSesRと部分 的な相補性をもつ配列が存在し、その配列に変異を加えると、SesR による翻訳 抑制はほぼ解除された。
Sp5は SesRを介して嫌気条件下、37 °C において溶原菌の遊走性を低下さ せることから、酸素濃度や温度によりSesR量が変化する可能性を想定し、ノー ザンブロッティングで解析した結果、嫌気条件下、37 °CにおいてSesR量が増 加した。この結果は、酸素濃度や温度によりSesR量が制御されていることを示 唆する。
第4章 O157 Sakai株におけるSesRの機能解析
Sp5は本来O157 Sakai株の染色体上に存在するため、SesRはO157 Sakai株 においてもべん毛遺伝子群の発現を低下させるかどうかを、アラビノースによ り sesR の発現が誘導されるコンストラクトを用いて解析した結果、K-12 株の Sp5溶原菌と同様にフラジェリンの分泌量の低下が見られた。O157 Sakai株にお いて、SesRがべん毛遺伝子群だけでなく、病原性に重要な因子であるIII型分泌 装置及びそれにより分泌されるエフェクタータンパク質をコードするLEE遺伝 子群の発現にも影響を及ぼすかどうかを調べた結果、SesRの発現によりIII型分 泌装置から分泌されるエフェクタータンパク質の分泌量の低下が見られた。こ れはSesRがべん毛遺伝子群に加えて、LEE遺伝子群の発現も抑制することを示 唆する。LEE遺伝子群の発現は転写因子Lerにより正に制御される。SesRはler の発現を制御すると予想し、SesR の影響をうけない bla プロモーターから発現 したLerの蓄積量を解析した結果、sesRの発現によりLer蓄積量の減少が見られ た。これはSesRがlerの翻訳を抑制することでLEE遺伝子群全体の発現を抑え ることを示唆する。
O157 Sakai株の染色体上に存在する遺伝子から発現されるSesRをノーザン
ブロッティングで解析した結果、嫌気条件下、好気条件下いずれにおいても、
Sp5溶原菌と比較してO157 Sakai株ではSesRの存在量が非常に少なかった。こ の結果は、O157 Sakai 株において、sesRの発現が負に制御されている、または
SesRの分解が促進されている可能性が考えられる。
第5章 総合考察
ファージの溶原化により大腸菌の遺伝子発現が変化する例は報告されてい るが、発現を変化させる原因因子の同定及びその機構について解析された例は 報告されていない。本研究はファージの溶原化による大腸菌の遺伝子発現変化 の原因因子を同定した初の報告である。ファージの溶原化は、自然界で頻繁に 起きていると考えられ、本研究で示したファージによる細菌の遺伝子発現パタ ーンの変革は、細菌の生態や細菌のゲノムの進化を考える上で、新しい視点を 提起すると考えられる。
本研究は、Sp5の溶原化が嫌気条件下、37 °Cにおいてべん毛遺伝子群の発 現を抑制することを見出した。また、その原因因子はSp5にコードされるsRNA SesRであることがわかった。嫌気条件下、37 °Cという条件は哺乳類の消化管内 の環境と似ていることから、SesR を介したべん毛遺伝子群発現抑制は溶原菌が 哺乳類の体内に侵入した時に起こると考えられる。べん毛フィラメントの主な 構成成分であるフラジェリンは哺乳類にとって抗原であり、免疫応答を引き起 こす引き金になる。Sp5はSesRを介してべん毛遺伝子群の発現を抑えることに より、消化管における免疫応答を回避することに関わっていると考えると興味 深い。
一般的なsRNAによる翻訳制御はmRNAの開始コドン上流のリボソーム結 合配列に sRNA が結合することにより引き起こされることが知られているが、
SesRの予想塩基対形成領域は、flhDC mRNAのリボソーム結合配列よりも上流 であり、SesR による翻訳制御は従来知られている機構とは異なる機構で行なわ れている可能性が高い。
O157 Sakai株においてSesRが発現するとべん毛遺伝子群だけでなくLEE遺 伝子群の発現も抑制されることが示された。EHEC において、LEE 遺伝子群の 発現が誘導されると、GrlA を介してべん毛遺伝子群の発現が抑制されることが 知られていが、SesR による両遺伝子群の抑制は、これとは別の新しい機構によ って起きると考えられる。両遺伝子群の発現抑制の意義については今のところ 不明だが、O157 Sakai株においてsesRが発現する環境条件が分かればその意義 について理解が進むと考えられる。