『開巻驚奇?客伝』と〈三国志演義〉
著者 三宅 宏幸
雑誌名 同志社国文学
号 76
ページ 49‑62
発行年 2012‑03‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013308
『 開 巻 驚 奇 俠 客 伝
﹄ と
︿ 三 国 志 演 義
﹀
三 宅 宏 幸
一 曲亭 馬琴 は文 化年 間に
﹃燕 石雑 志﹄
︵文 化八
﹇一 八一 一﹈ 年刊
︶︑ 文政 初年 には
﹃玄 同放 言﹄
︵文 政元
﹇一 八一 八﹈ 三︱ 年刊
︶と いっ た考 証随 筆を
︑天 保初 年に は︑
﹁水 滸後 伝国 字評 半閑 窓談
﹂︵ 天保 二
﹇一 八三 一﹈ 年成 立︶ や﹁ 三遂 平妖 伝国 字評
﹂︵ 天保 四年 成立
︶な ど の中 国白 話小 説批 評を 著述 する
︒馬 琴の 考証
・批 評の 正否 はさ てお き︑ これ らの 営為 は︑ 馬琴 の作 品に 影響 を及 ぼし てい ない ので あろ うか
︒様 々な 書籍
・資 料・ 伝承 を基 にし た馬 琴の 考証 や︑ 白話 小説 を熟 読し て獲 得し た小 説作 法は
︑読 本に おい て有 効に 機能 して いる ので はな いか
︒こ うい った 観点 から の馬 琴読 本の 調査 は︑ いま だ十 分で はな いよ うに 思わ れる
︒ 本稿 では
︑﹃ 開巻 驚奇 俠客 伝﹄
︵天 保三 六︱ 年刊
︶に
︿三 国志 演
義﹀ の趣 向利 用が 見え るこ とを 指摘 した 上で
︑︿ 三国 志演 義﹀ の本 文・ 注釈
・評
︑馬 琴自 身の 考証
・批 評な どを ふま えつ つ︑
︿三 国志 演義
﹀利 用が
﹃俠 客伝
﹄で どの よう に機 能す るの かを 考察 する
︒
﹃俠 客伝
﹄は 後南 北朝 時代 を背 景と し︑ 楠正 成や 脇屋 義助 など の 子孫 たち が南 朝遺 臣と して 活躍 する 史伝 物読 本で ある
︒従 来︑ 馬琴 が﹁ 南北 正閏 順逆 の理 を正 しく
﹂す ると いう
﹃俠 客伝
﹄の 大意 を自 解し たこ とを 受け①
︑徳 田武
﹁馬 琴の 稗史 七法 則と 毛声 山の
﹁読 三国 志法
﹂
︱
﹃俠 客伝
﹄に 即し て﹁ 隠微
﹂を 論ず
︱
②﹂が
︑毛 声山
・ 宗崗 父子 の批 評や 註を 付し た毛 注本
﹃三 国志 演義
﹄所 収﹁ 読三 国志 法﹂ に︑ その 理念 を学 んだ と論 じた
︒だ が︑
﹃俠 客伝
﹄に
︿三 国志 演義
﹀の 趣向 を利 用し たか には 触れ てお らず
︑馬 琴読 本と 中国 小説 との 関連 を整 理し た崔 香蘭③
氏も
︑﹃ 俠客 伝﹄ の項 に﹃ 三国 演義
﹄の 書名 を記 さな い︒ しか し︑ 他の 先行 研究 で︑ 既に
︿三 国志 演義
﹀の
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
四九
趣向 との 関連 は推 測さ れて いる
︒ま ずは
︑そ の箇 所を 見て いく こと とし たい
︒ なお 本稿 では
︑馬 琴が 少な くと も毛 注本
﹃三 国志 演義
﹄︑
﹃新 刊京 本校 正演 義全 像三 国志 伝評 林﹄
︵馬 琴旧 蔵・ 現早 稲田 大学 図書 館蔵
︶︑
﹃通 俗三 国志
﹄︵ 湖南 文山 作︑ 元禄 二﹇ 一六 八九
﹈年 序︶ など
︑数 種 の︿ 三国 志演 義﹀ を閲 して いる こと を考 慮し
︑テ キス トを 一つ に限 定し ない ため に︿ 三国 志演 義﹀ と表 記す るこ とと する
︒ 二
﹃俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀と の関 連に つい て︑ 麻生 磯次
﹁展 開 的考 察④
﹂は
︑﹁ 小六 丸が 主君 右少 将の 梟首 を奪 ひ取 らう とし て暗 夜 に途 を失 ひ︑ 困じ 果て てゐ る所 へ︑ 数多 の蛍 現れ て路 を照 らす 場面 があ るが
︑こ れも 三国 志演 義で
︑漢 の天 子が 逆賊 を避 けて
︑陳 留王 と共 に蒙 塵す る一 節に 拠つ たも ので あら う﹂ と推 し︑ 日本 古典 文学 大系
・
﹃椿 説弓 張月
﹄︵ 岩波 書店
︶の 頭注
︵後 藤丹 治注
︶も
︑ 60 61
﹃俠 客伝
﹄の 蛍の 場面 と︿ 三国 志演 義﹀ との 関連 に触 れて いる
︒に もか かわ らず
︑新 日本 古典 文学 大系
﹃開 巻驚 奇俠 客伝
﹄︵ 岩波 書 87 店︶ の後 注に おい て︑ 両作 品の 関連 は明 記さ れず
︑等 閑視 され てい る︒ これ は︑ 両作 品の 細か い比 較や
︑そ の趣 向を 用い た意 図に つい ての 検証 が為 され てい ない ため であ ろう
︒
そこ で︑ 麻生 論文 が推 測し た場 面を 検証 し︑ 関連 を確 定す る︒
﹃俠 客伝
﹄第 一集 巻之 二︑ 脇屋 義隆 の実 子小 六丸 は︑ 養父 館英 直の 機転 によ り︑ 南朝 遺臣 の藤 沢郷 士︑ 野上 史著 演の 館に 落ち 着く
︒小 六丸 は主 君︵ 実は 実父
︶の 義隆 が︑ 藤白 安同 に急 襲さ れ討 ち死 にし
︑ 由比 ヶ浜 に梟 首さ れて いる こと を聞 く︒ 義隆 の首 を奪 い返 すた め︑ 夜半 に一 人で 館を 抜け 出し て︑ 由比 ヶ浜 を目 指す⑤
︒ 五月
さ つ
のき
天そら の癖くせ なれ ば︑ 降ふり
みふ らず み①
定さだ
めな き︑ 如によ 法はう
闇あん 夜や にたど
る〳 〵も
︑嚮さき に聞きゝ
しを 心こゝろ 当あて
に︑ 鎌かま 倉くら を投さし
て急いそ げど も︑ 人さ 家と 離はな
れて は田た に畔あぜ に︑ 枝えだ 道みち
さへ に多おほ
かれ ば︑ 去向
ゆ く
はて
右みぎ
歟か 左ひだり
歟か と︑ 思ひ 難かね つゝ 停たゝ
在ずみ
て︑ せん 術すべ
もな き折をり から
︑②
叢くさむら 蔭かげ より 忽こち 然ねん
と︑ 許あま 多た の蛍ほたる
群むれ
飛とび
て︑ 小こ 六ろく
丸まろ
の身 辺
ほ と
にり
来き つゝ
︑③
路みち を照て らし 先さき に進すゝみ て︑ 這この 身み の為ため
に郷みち 導しるべ
を︑ 做な す歟か と見 えて 奇き なる かな
︒車しや 胤いん
が 夜や 学がく
の灯とも
火しび に︑ 易かえ にき とい ふ故ふる 事ごと は︑ 人じん 作さく
にし て自し 然ぜん にあ ら ず︒④
此こ は是これ
童子
わ ら
のべ
忠ちう
孝こう
を︑ 神しん 明めい 仏ぶつ 陀だ の相あひ 憐あはれ
みて
︑恁かゝ る冥みやう
助ぢよ
を 錫たま ひけ ん︒ 小こ 六ろく
丸まろ
は今いま
この 奇き 特どく に︑ 感かん 歎たん しつ ゝ些ちつと
も礙ぎ 碍ぎ せず
︑ 蛍ほたる
の進すゝ むに 従したが ひて
︑只ひた
管すら
に走はし る程ほど に︑
⁝⁝ 果はた して 由ゆ 比ひ の浜はま
に 来き にけ り︒
(第 三回 ) 本場 面の 特徴 とし て︑ 以下 の四 点を あげ るこ とが でき る︒
①真 夜 中で 道が 分か らず
︑田 や枝 道で 道も 悪い
︑② 忽然 と無 数の 蛍が 小六 丸の 周り に集 まる
︑③ 無数 の蛍 は道 を照 らし て小 六丸 を誘 う︑
④小
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五〇
六丸 の﹁ 忠孝
﹂に 対す る︑
﹁神 明仏 陀﹂ の冥 助で ある
︒ では
︑︿ 三国 志演 義﹀ の場 面を 見る
︒馬 琴が 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ を閲 読し てい たこ とは 書翰 など から 確認 でき るが
︑内 容の 理解 し易 さを 勘案 し︑
﹃通 俗三 国志
﹄も 以下 に示 す︒ 漢末 期︑ 悪政 の元 凶で ある 宦官 十常 侍が 将軍 何進 を殺 害し たこ と で︑ 何進 配下 の袁 紹ら が宮 中に なだ れこ む︒ 十常 侍の 張譲 と段 珪は 少帝 と陳 留王 を連 れて 逃げ るが
︑追 っ手 に見 つか り︑ 張譲 は河 に身 を投 げる
︒少 帝と 陳留 王は 草の 下に 潜む
︒毛 注本
﹃三 国志 演義
﹄第 三回
﹁議 温明 董卓 叱丁 原 餽金 珠李 肅説 呂布
﹂を 記す⑥
︒ 陳留 王曰
︒此 間不 可久 戀︒①
須別 尋活 路︒ 于是 二人 以衣 相結
︒爬 上岸 邊︒ 満地 荊棘
︒黒 暗之 中︒ 不見 行路
︒正 無奈 何︒②
忽有 流蛍 千百 成群
︒光 芒照 耀︒ 只在 帝前 飛転
︒︹ 割註
︺炎 倒之 勢昔 如日 月今 為蛍 光火 徳衰 矣﹂ 陳留 王曰
︒④
此天 助我 兄弟 也︒③
遂隨 蛍火 而 行︒ 漸漸 見路
︒
(第 三回 )
﹃通 俗三 国志
﹄巻 之一
﹁董 卓起
㆑兵 入㆓
洛陽
㆒﹂ には⑦
︑
︵陳チン
留リウ 王は 論︱ 者補
︶帝 の御オン 衣コロモ
を我ワガ
衣と 結ムス
び合アハ
せ草 を分 けて 出 玉ふ
︒目 ざす とも 知ら ぬ①
暗クラ き夜 に︑ 荊ケイ
棘キヨク 路に 満ち たり しか ば︑ 御足 も傷ヤブ れ損ソン じて
︑進スヽ むべ き様ヤウ 無ナカ りし かば
︑天 を仰アフイ で泣ナキ 哀カナシ
み 玉ふ 所に
︑②
不フ 思シ 議ギ や数 万の 蛍ホタル
︑何 処
イ ヅ
とク
もな く飛 集アツ
まり
︑光ヒカリ
を 放ハナ
つて
︑帝 の御 前に 来り ける
︒陳チン 留リウ
王大 いに 喜び
︑﹁④
是コレ 天の 助タスケ
なり
︒こ れを 指シル
南ベ に出イデ
候は ん︒
﹂と て︑③
蛍ホタル
火ビ に道 を引 かれ て︑ 漸ヤウ〳〵 に歩アユ み出 玉ひ
︑是 こそ 人の 通カヨ ふ山 路と
︑思オボ 布シキ 処ま で出 て︑ (巻 之一 ) とあ る︒ 丸数 字が 交錯 する が︑
①暗 い夜
︑先 に進 むこ とが でき ない
︑
②数 万の 蛍が
︑帝 の前 に現 れる
︑③ 蛍火 に道 を誘 われ る︑
④蛍 が現 れた のは
﹁天 の助
﹂で ある
︑と まと めら れる
︒﹁ 五月
﹂と
﹁八 月﹂ とで 時期 の違 いは ある が︑ 闇の 中で 道に 迷う 点︑ 無数 の蛍 が少 年を 誘う 点︑ その 現象 が﹁ 神明 仏陀
﹂や
﹁天
﹂と いう 人智 を超 えた 存在 の冥 助で ある 点が
︑﹃ 俠客 伝﹄ と︿ 三国 志演 義﹀ とで 共通 する
︒ さて
︑﹃ 椿説 弓張 月﹄
︵文 化四 八︱ 年刊
︶に
︑﹁ 折をり
しも あれ 一いち 団だん
の 燐おに 火び
︑ 叢くさむら の中うち より 燃もえ
出いで て︑ 手たな 元もと
を照て らす
﹂︵ 第廿 九回⑧
︶と
︑朝 稚 が闇 の中 で文 字を 書こ うと した とき
︑﹁ 燐火
﹂が 手元 を照 らす 場面 があ る︒ この 場面 の後 藤頭 注に は︑
﹁こ のお にび に導 かれ て志 す所 に至 る趣 向は
︑俠 客伝 第三 回︑ 八犬 伝第 六十 四回 にも 応用 され てい るが
⁝⁝ 共に 三国 志演 義第 三回
︑十 常侍 の乱 のた め︑ 少帝 と陳 留王 とが 螢火 に導 かれ て落 ち行 く条 によ るか
﹂と ある
︒﹃ 南総 里見 八犬 伝﹄
︵文 化一 一︱ 天保 一三 年刊
︶の 該当 箇所 は︑
﹁忽こち 然ねん とし て一 団の
︑ 陰おに 火び 目まな
前さき に燃もえ 出いで
つゝ
︑先 に立たち つゝ 現げん 八はち を︑ 導く ごと く隠 々
ちら 〳〵
と︑ 閃ひらめ きて ゆく
﹂︵ 第六 十四 回⑨
︶で ある
︒闇 の中 で困 惑し てい る折 に︑
﹁燐 火﹂
﹁鬼 燐﹂ が周 りを 照ら すこ れら の趣 向は
︑︿ 三国 志演 義﹀ から 借
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五一
りた と考 えて よか ろう
︒ ただ し︑
﹃弓 張月
﹄や
﹃八 犬伝
﹄で は﹁ 蛍﹂ から
﹁燐 火﹂
﹁鬼 燐﹂ へと 変更 され るが
︑﹃ 俠客 伝﹄ では
﹁蛍
﹂を その まま 踏襲 する とい う違 いが ある
︒さ らに
︑﹃ 俠客 伝﹄ の本 場面 は︑ 馬琴 自身 が﹁ 八犬 伝九 輯再 評・ 俠客 伝四 輯評⑩
﹂に
︑﹁ 俠客 伝金 閣の 仇討 の段 のご とき
︑ 先ヅ その 趣向 を考 得て
︑扨 この 処は 蛍狩 りに して
︑前 輯小 六が 夢に 蛍火 の闇 夜を 照ら す照 応に せん
︑と 思ひ て綴 り候 事ニ 御座 候﹂ と記 して おり
︑楠 姑摩 姫が 足利 義満 を金 閣寺 で暗 殺す る箇 所を
︑本 場面 の﹁ 照応
﹂と して いる
︒こ のこ とを 見る と︑ 馬琴 が﹁ 蛍﹂ を﹃ 俠客 伝﹄ の重 要な 要素 とし て意 識し てい たと 判断 する こと がで きる
︒
﹁蛍
﹂を 用い て︑ 幻想 的な 場面 に仕 上げ るこ とも 一つ の狙 いで あろ う⑪
︒し かし
︑そ れだ けの 理由 であ れば
︑﹃ 弓張 月﹄
﹃八 犬伝
﹄の よう に﹁ 燐火
﹂﹁ 鬼燐
﹂で も構 わな いし
︑姑 摩姫 の仇 討ち の﹁ 照応
﹂に する ほど
︑印 象に 残ら ない ので はな いか
︒ ここ で論 者が 着目 する のが
︑考 証随 筆﹃ 玄同 放言
﹄に おけ る記 述 であ る︒ 馬琴 は︑ 本場 面に 登場 した 陳留 王に つい て︑
﹃玄 同放 言﹄ 巻二
﹁漢 火生 剋応 験弁
﹂に
︑次 のよ うに 記す⑫
︒
○魏 土は 漢火 に勝ツ とい ふと も︑ 乾かん 燥さう
も亦 甚し
︑火 徳は じめ て滅きえ て︑ 焦土 馬蹄 に揚ゲ らる
︑︹ 割註
︺晋 泰始 元年 十二 月晋 王司 馬炎
︑ 受㆓
魏禅
㆒︑ 即㆓
皇帝 位㆒
︑奉
㆓魏 主曹 奐㆒
︑為
㆓陳 留王
㆒︒
﹂亦 是レ 漢魏 陳
留に 験あ り︒
︹割 註︺ 初献 帝為
㆓陳 留王
㆒︑ 及レ
即レ
位︑ 受㆓
制於 曹 操㆒
︑操 之後
︑亦 受㆓
制於 司馬 氏㆒
︑其 及㆓
簒立
㆒︑ 此其 応報 歟︒ ( 」 巻二 )
﹃史 記﹄ や正 史﹃ 三国 志﹄ など の﹁ 史伝
﹂を ふま え︑ 馬琴 は漢 や魏 の国 家滅 亡の
﹁験
﹂と して
︑﹁ 陳留 王﹂ を見 出す
︒陳 留王 に漢 の滅 亡を 読み 取る わけ であ る︒ この 考え 方と 通ず る記 述が
︑毛 注本
﹃三 国志 演義
﹄に 見え る︒ 先に 引用 した 原文
︵五 一頁 上段
︶を 御覧 頂き たい
︒傍 線部
②直 後の 割註 部に
︑﹁ 蛍﹂ につ いて
︑﹁ 炎倒 之勢 昔如 日 月︒ 今為 蛍光 火徳 衰矣
﹂と ある
︒漢 王朝 の初 期︑
﹁火 徳﹂ は﹁ 日﹂ のご とき 勢い であ った
︵例 えば
︑夢 梅軒 章峯 作﹃ 通俗 漢楚 軍談
﹄
︹元 禄三 年序
︺巻 之一 にお いて
︑秦 の始 皇帝 は二 人の 童が
﹁紅 の日 輪﹂ を奪 い合 う夢 を見 る︒ この 様子 は︑ 後に 起こ る楚 の項 羽と 漢の 劉邦 との 争い を示 唆し てお り︑ 七十 二度 殴ら れる も最 後の 一打 で勝 利し
︑﹁ 日輪
﹂を 持っ て帰 った 童が 劉邦 であ ろう
︒﹁ 日輪
﹂は 漢の
﹁火 徳﹂ とし ての 強さ も表 して いる
︶︒ だが
︑漢 王朝 末期 の少 帝と 陳 留王
︑就 中︑ 後に 献帝 とな る陳 留王 には
︑﹁ 蛍火
﹂の ごと き輝 きし かな く︑
﹁火 徳﹂ であ る漢 の衰 微を 示す
︑と 註が 付く
︒毛 注本
﹃三 国志 演義
﹄第 三回 冒頭 には
︑﹁ 天子 者︒ 日也
︒日 而借 光於 蛍火
︒不 成其 為日 矣﹂ とい う評 もあ り︑ 陳留 王の
﹁火 徳﹂ は﹁ 蛍﹂ の力 を借 りな けれ ばな らな い程 に衰 えて いる
︑と も説 明さ れる
︒
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五二
﹃玄 同放 言﹄ の記 述や 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ の注 や評 をふ まえ る と︑
﹃俠 客伝
﹄の
﹁蛍
﹂も
︑︿ 三国 志演 義﹀ と同 じ機 能を 有す ると 考 えら れる
︒つ まり
︑﹁ 火徳
﹂で ある 南朝 の衰 微で ある
︒﹃ 俠客 伝﹄ 第 五回 に︑ 新田 貞方 と従 者畑 時種 が︑ とあ る庵 で二 羽の 鶏が 闘う 様を 見る
︒そ の闘 鶏を 見た 妙算 は︑ 赤鶏 を﹁ 南方
﹂︵ 南朝
︶︑ 黒鶏 を﹁ 北 方﹂
︵北 朝︶ に見 立て
︑黒 鶏が 勝っ たこ とを
﹁南 方火 徳﹂ が﹁ 北方 水徳
﹂に 敗れ ると
︑五 行説 をふ まえ て解 した
︒こ のよ うに
︑闘 鶏に よっ て﹁ 南朝
﹂の 衰微 が示 され るわ けで ある が︑ 小六 丸を 誘う
﹁蛍
﹂の 趣向 にお いて も︑ その 兆し を表 す工 夫が 施さ れて いる
︒ だと すれ ば︑
﹃俠 客伝
﹄の
﹁蛍
﹂に は︿ 三国 志演 義﹀ の漢 の衰 弱 が二 重写 しに なっ てお り︑ その こと によ り︑ 共に
﹁火 徳﹂ であ る漢 と南 朝と が滅 ぶ意 が含 まれ る︑ と考 えう る︒ 単に 趣向 を借 りる だけ なく
︑物 語の 構想 を示 唆す る働 きを 持っ てい ると いえ よう
︒ 三
「蛍
﹂の 場面 は︑ 毛注 本で いえ ば第 三回 に描 かれ
︑﹃ 俠客 伝﹄ も同 様に 第三 回と いう 序盤 であ る︒ すな わち
︑﹃ 俠客 伝﹄ の序 盤か ら
︿三 国志 演義
﹀の 様相 は賦 与さ れて いる
︒ しか し︑
︿三 国志 演義
﹀は
︑曹 操の 台頭
︑漢 王朝 の衰 微に あっ て︑ その 時流 に抗 う者 たち を中 心に 描く
︒そ れが 蜀の 劉備 であ り︑ 諸葛
孔明 であ った
︒本 節で は︑ 楠正 成の 孫︑ 楠姑 摩姫 に仙 術を 教え た九 六媛 とい う仙 女に
︑孔 明の 形象 が利 用さ れて いる こと を述 べる
︒
﹃俠 客伝
﹄第 二十 二回
︑九 六媛 に仙 術を 学ぶ 姑摩 姫は
︑足 利義 満 を討 つ機 会を 待っ てい た︒ 義満 を早 く討 ちた い姑 摩姫 は︑ 九六 媛に 会い に①
しば しば 仙閣 に赴 くが
︑九 六媛 は不 在で ある
︒
︵姑こ 摩ま 姫ひめ
は︱ 論者 補︶ 次つぎ
の日ひ は未ひつ
牌じの
時こ 候ろ より
︑⁝
⁝時とき
を移うつ さず þかづ 城らき なる
︑②
仙せん
観くわん に来き にけ れば
︑多た 豆づ と知ち 止と 湍せ と出いで 迎むか へて
︑﹁ 姫ひめ
上うへ など て遅おそ
かり ける
︒我わが
師し はき のふ 還かへ り給 ひて
︑お ん身 を等まち
て をは しま す︒ 卒いざ 給へ
﹂と てい そが せば
︑姑こ 摩ま 姫ひめ
歓よろこ び且かつ 羞はぢ
て︑ 掖ひか れて 奥おく にぞ 赴おもむ きけ る︒③
然さり
けれ ども 九く 六ろ 媛ひめ は︑ 曲きよく
彔ろく に肱ひぢ
を倚よせ
掛か け︑ 紋もん 紗しや
の団 扇
う ち
をは
顔かほ
に翳かざ
して
︑仮うた 寐ゝね して 死しく 灰わい に似に たり
︒④
姑こ 摩ま 姫ひめ は這この 光あり 景さま
に︑
﹁折をり
歹わろ
かり
﹂︑ と思 ふの み︑ 呼よび 覚さま さん はさ すが に て︑ 等まつ こと 約莫
お よ
半そはん
晌とき あま り︑⑤
九く 六ろ 媛ひめ
やう やく 頭かうべ を擡もた げて
︑声こゑ
朗ほがらか に誦じゆ する を听き けば
︑ 俠概 惟推 古剣 仙
けう はお ほむ ねこ れお す︑ こけ んせ
︒ん
忠魂 雪恨 只香 煙
ちう こん うら みを きよ むた ゞか ふゑ
︒ん
誰 知 勇 士 生 奇 女
たれ かし らん
︑ゆ うし
︑き ぢよ をし よう じて
︒隻 手 能翻 宿 世冤
せき しゆ よく ひる がへ すし ゆく せい ゑん
︒ 恁かう 吟ぎん じつ ゝ身み を起おこ
せば
︑
︵第 二十 二回 )
﹃俠 客伝
﹄の 特徴 は︑ 次の 五点 にま とめ られ る︒ すな わち
︑① 姑摩 姫は 九六 媛を しば しば 訪ね るが
︑九 六媛 は不 在で ある
︑② 何度 目か に赴 くと
︑九 六媛 が帰 って きて いる
︑③ 九六 媛は
﹁仮 寝﹂ して いる
︑
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五三
〔図版Ⅰ〕 李卓吾原評「三国志」(72オ)
(早稲田大学図書館所蔵)
④姑 摩姫 は九 六媛 を起 こす のも 悪い と思 い︑ 起き るの を待 つ︑
⑤約 半時 して から
︑九 六媛 は目 を覚 まし
︑詩 を吟 ずる
︒ 本場 面は 有名 な“ 三顧 の礼
”の 場面 に基 づく
︒劉 備は 徐庶 に孔 明 を推 薦さ れて から とい うも の︑ 足繁 く孔 明の 庵を 訪ね る︒ しか し︑①
一度 目も 二度 目も 孔明 は留 守︒ なか なか 孔明 に会 えな い劉 備だ が︑ 諦め ずに 三度 訪問 する
︒﹃ 通俗 三国 志﹄ 巻之 十五
﹁定
㆓三 分㆒
孔 明出
㆓茅 廬㆒
﹂は
︑そ のと きの 様子 を次 のよ うに 描く
︒ 玄徳 の曰
︑﹁ 又仙セン 童ドウ を労ラウ せし む︑ 我ワガ
来れ るを 報じ 玉へ
︒﹂ 童子 申 しけ るは
︑﹁②
先生 家に 居ヰ 玉へ ども
︑今 草サウ
堂ダウ
に昼ヒル
寝ネ して 未㆑
起
イマ ダオ キズ
︒﹂ 玄徳 の曰
︑﹁ 必ず 驚オドロ
しカ
むべ から ず︑ 関羽
︑張 飛は 門外 にて 相 待マテ
︒﹂ とて
︑只 一人③
内へ 入り 其辺 を見 玉へ ば︑ 自然 に風フウ 色シヨク
幽ユウ 雅ガ なり
︒堂 上に は︑ 孔明 几キ 席セキ の上 に︑ 安アン
臥グワ
しけ れば
︑階カイ 下カ に叉シヤ 手ス して 立玉 ふ︒
⁝⁝④
玄徳 は一 時あ まり 立て
︑堂 上を 見玉 へば
︑孔 明寝 反
ネガ ヘリ
して 起オキ んと せし が︑ 又壁カベ に朝ムカツ て睡ネム
れり
︑童 子進スヽン
で起オコ さ んと しけ るを
︑玄 徳又 推オシ とゞ め︑ 已スデ
に二 時ば かり 立つ て︑ 全ゼン 身シン hウミ
疲ツカレ
玉ふ 所に
︑⑤
孔明 忽タチマ
ち醒サメ て︑ 詩を 吟ギン
じて 曰︑ 大夢 誰カ 先覚サム
平生 我ワレ 自ミ 知ル 草堂 春睡スヰ 足タリ
窓テ
外日 遅々タリ 吟じ 了ヲハ りて 身を 翻ヒルガヘ し︑
(巻 之十 五) この 場面 の特 徴は
︑① 劉備 は二 度孔 明を 訪れ るが
︑孔 明は 不在
︑②
三度 目に 庵に 赴く と︑ 孔明 は帰 って きて いる
︑③ 孔明 は仮 眠し てい る︑
④劉 備は 起こ して は悪 いと 思い
︑孔 明が 起き るの を待 つ︑
⑤約 二時 して から
︑孔 明は 目を 覚ま し︑ 詩を 吟ず る︑ であ る︒ 細か く見 ると 差異 もあ るが
︑﹃ 俠客 伝﹄ の特 徴と 共通 する
︒ 差異 の一 つが
︑仮 眠時 の体 勢で ある
︒孔 明は
﹁安 臥﹂
︑九 六媛 は
﹁曲きよく
彔ろく に肱ひぢ を倚よせ
掛か
﹂け て仮 眠し てい る︒ だが
︑李 卓吾 本﹃ 三国 志﹄ 口絵 には
︑肘 をつ いて 仮眠 する 孔明 が描 かれ
︑孔 明の 前に は団 扇も ある
︵図 版Ⅰ
︶︒ 馬琴 が李 卓吾 本を 閲し た確 実な 確証 は得 られ ない が︑ こう いっ た孔 明の イメ ージ が存 した のか もし れな い⑬
︒ もう 一つ の差 異が
︑そ れぞ れが 吟ず る詩 であ る︒ 九六 媛は
︑
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五四
俠概 惟推 古剣 仙
けう はお ほむ ねこ れお す︑ こけ んせ
︒ん
忠魂 雪恨 只香 煙
ちう こん うら みを きよ むた ゞか ふゑ
︒ん
誰 知 勇 士 生 奇 女
たれ かし らん
︑ゆ うし
︑き ぢよ をし よう じて
︒隻 手能 翻 宿世 冤
せき しゆ よく ひる がへ すし ゆく せい ゑん
︒ と詩 を吟 じ︑ 一方 の孔 明が 吟ず る詩 は︑ 大夢 誰カ 先覚サム
平生 我ワレ 自ミ 知ル 草堂 春睡スヰ 足タリ
窓テ
外日 遅々タリ であ る︒ 一瞥 して 詩が 異な るこ とが わか る︒
﹃俠 客伝
﹄の 七言 絶句 は︑
﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ 巻十 九か ら採 る︒
﹁李 公佐 巧解 夢中 言 謝小 娥智 擒船 上盜
﹂に
︑次 の詩 があ る︒ 俠槩 惟推 古剣 仙 除凶 雪恨 只香 煙︒ 誰知 估客 生奇 女 隻手 能翻 両姓 冤⑭
︒
︵男 らし いは 昔の 剣仙
︒恨 みを 晴ら すは 香煙 の女
︒誰 が知 る︑ 商人 の娘 は︒ 一人 で二 姓の 仇を 討っ た⑮
︒︶
﹃俠 客伝
﹄の 詩が
﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ に拠 るこ とは 明ら かで あろ う︒ ただ し︑
﹃俠 客伝
﹄で は傍 線部 の﹁ 除凶
﹂を
﹁忠 魂﹂ に︑
﹁估 客﹂ を
﹁勇 士﹂ に︑
﹁両 姓﹂ を﹁ 宿世
﹂へ と変 更す る︒ この 違い は﹃ 初刻 拍 案驚 奇﹄ の内 容と 関係 する
︒﹁ 李公 佐巧 解夢 中言
謝小 娥智 擒船 上 盜﹂ の梗 概を 以下 に示 す⑯
︒ 唐の 開元 年間 のこ と︑ 予章 郡の 謝小 娥は
︑巨 商の 父と 夫を 鉛陽 湖 口で 殺さ れた
︒夢 に父 と夫 が現 れて
︑犯 人は それ ぞれ
﹁車 中猴
︑門 東草
﹂と
﹁禾 中走
︑一 日夫
﹂で ある と言 った が︑ この 謎が 解け なか
った
︒の ち洪 州の 判官 であ った 李公 佐が
︑申 蘭と 申春 であ ると 解い てく れた
︒申 蘭の 家を 探し あて た謝 小娥 は︑ 名を 謝保 と偽 り︑ 男装 して 傭工 とな って 住み 込ん だ︒ ある 日︑ 弟の 申春 が訪 れ︑ 申蘭 は酒 宴を 開き
︑二 人は 泥酔 した
︒小 娥は 申蘭 を斬 り︑ 申春 を捕 えて 郡役 所に つき 出し た︒ 申春 は処 刑さ れ小 娥は 旌表 され た︒
“女 性が たっ た一 人で 仇を 討つ
”と いう 構成 にお いて
︑姑 摩姫 と 謝小 娥と は共 通す る︒ しか しな がら
︑身 分や 仇と の因 縁が それ ぞれ 異な る︒ そこ で馬 琴は
︑﹃ 初刻 拍案 驚奇
﹄の 詩を
﹃俠 客伝
﹄に 対応 させ た︒
﹁估 客﹂ は﹁ 商人
・あ きん ど﹂ の意
︒商 人の 娘で ある 小娥 とは 異な り︑ 姑摩 姫は 足利 義満 の命 を狙 った
﹁勇 士﹂ 楠正 元の 娘で あっ た︒ よっ て﹁ 估客
﹂か ら﹁ 勇士
﹂に 変更 した ので あろ う︒ また
︑ 小娥 は父 親と 夫の 二人 の仇 を討 った ため
﹁両 姓冤
﹂と され るが
︑姑 摩姫 が討 った 仇は
︑先 祖か ら数 代に 渡っ ての 因縁 であ る︒ その ため
︑
﹁宿 世﹂ の仇 へと 変更 した と考 えら れよ う︒ 以上 の検 証か ら︑ 九六 媛の 詩に
﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ を用 いて
﹃俠 客 伝﹄ に対 応さ せる 変容 が見 られ るも のの
︑姑 摩姫 が数 度九 六媛 を訪 ね︑ 会え た時 には 九六 媛が 仮寝 をし てお り︑ 起き てか ら詩 を吟 ずる 趣向 は︑
︿三 国志 演義
﹀か ら借 りき たっ たこ とが 確認 でき る︒ さて
︑こ こで 注目 した いの は︑
“三 顧の 礼” 孔
︱
明が 仮眠
︱
孔明 の詩 吟
︱
孔明 の“ 天下 三分 の計
”︑ とい う展 開で ある
︒孔 明
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五五
は目 を覚 まし た後
︑三 度も 訪ね てく れた 返礼 とし て︑ 劉備 に“ 天下 三分 の計
”を 授け る︒ この
“三 顧の 礼” から
“天 下三 分の 計” に移 るプ ロッ トが
︑九 六媛 に重 ねら れて いる 可能 性が ある
︒と いう のも
︑
﹃俠 客伝
﹄も 同様 に︑ 九六 媛は 詩を 吟じ た後
︑南 北朝 争乱 の﹁ 宿因
﹂ を姑 摩姫 に語 り始 める
︒つ まり
︑九 六媛 を訪 ねる 九
︱
六媛 の仮 眠 九
︱
六媛 の詩 吟
︱
九六 媛に よる 南北 朝争 乱の 説明
︑と いう 展開 なの であ る︒ 九六 媛の 台詞 の大 部分 が︑ 新井 白石
﹃読 史余 論﹄ に基 づく こと は既 に指 摘さ れる⑰
︒そ の一 部に
︑ 虎こ 狼らう
野や 心しん の本ほん 性せう を見あらは
し︑ 陡たち 地まち 反ほん 逆ぎやく に荷か 担たん
して
︑尊たか
氏うぢ が股こ 肱こう と 做な りた る︑ 行ぎやう
状でう 爪つま 弾はぢき
を做な すに 堪たへ たり
︒然され
ば宋さう
の儒 者
は かせ
︑朱しゆ 熹き の 言ことば に︑
﹁人ひと は只たゞ 曹そう 操さう が︑ 漢かん 賊ぞく なる を知し れる のみ
︒孫そん
権けん も亦また 漢かん 賊ぞく なる を︑ 知し らず
﹂と いひ しに 異こと なら ず︒
︵第 二十 二回 ) とあ る︒ 尊氏 の臣 赤松 円心 を評 した 箇所 であ るが
︑﹁ 曹操
﹂を
﹁漢 賊﹂ とす る記 述を 載せ
︑さ らに 尊氏 につ いて は︑ 尊たか
氏うぢ
・義よし 詮なり が做な す所ところ
︑北ほく 朝ちやう
に忠ちう ある にも あら ず︑ 只たゞ 国賊 とい はれ ぬ与ため に︑ 立たて まゐ らせ し君きみ なれ ば︑ 君くん
臣しん
の名な はあ りな がら
︑ 万ばん
機き の政まつり
事ごと は毫つゆ ばか りも
︑御み こゝ ろに 儘まか
せ給 はず
︑是これ
より 王わう 室しつ
卑いやし
うし て︑ 風ふう 俗ぞく 陵りやう
夷ゐ に及およ びし 事︑ 歎なげ
くに もな ほあ まり あり
︒ (第 二十 二回 ) と述 べる
︒九 六媛 は曹 操を
﹁漢 賊﹂ と見 なし
︑ま た尊 氏に つい ては
︑
尊氏 が周 囲か ら﹁ 国賊
﹂と 言わ れな いた めに 北朝 を立 て︑ 君臣 とは いい なが ら君 を蔑 ろに して いる と批 判す る︒ 曹操 を﹁ 漢賊
﹂と 見な すの は︑ 馬琴 の中 編読 本﹃ 昔語 質屋 庫﹄
︵文 化七 年刊
︶巻 之二 にも
︑
﹁魏ぎ は漢かん
の 賊ぬすひと なり⑱
﹂と いう 記述 が見 え︑ 馬琴 は曹 操を
﹁漢 賊﹂ と 見な して いた
︒ま た︑ 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ 第三 十八 回の 冒頭 の評 にも
︑﹁ 孔明 既云 曹操 不可 与争 鉾︒ 而又 曰中 原可 図︒ 其故 何哉
︒蓋 漢賊 不両 立﹂ とあ る︒ この 記述 は“ 天下 三分 の計
”の 場面 に対 する 評で ある が︑ ここ でい う﹁ 漢賊
﹂と は曹 操を 指そ う︒ さら に︑
﹃玄 同放 言﹄ 巻二
﹁漢 火生 剋応 験弁
﹂に は︑ 次の 記述 が 載る
︒
○孔 明誠 忠︑ 務つとめ 漢賊 を伐うつ にあ り︑ 二表 三出
︑躯み も亦 いた く 疲労
つ か
たれ
り︑ 志シ
遂とげ
ずと いふ とも
︑遺ゐ 策さく 魏延 を誅 戮し
︑此ノ 魏を 以︑ 彼ノ 魏に 代か ゆ︑ 事に 益あ るに あら ねど
︑魏 を 平たひらぐ る志シ 一な り︑ 天 その 忠を 慰い する とい はん 歟︒
︵巻 二) 馬琴 は孔 明を
﹁誠 忠﹂ の人 物︑
﹁漢 賊﹂ を伐 つ役 割を 持っ た︑ 漢の 正統 を守 り抜 いた 人物 と考 証す る︒ これ らの 考証 や馬 琴の 理解
︑用 いた
︿三 国志 演義
﹀の プロ ット を ふま え︑
﹃俠 客伝
﹄を 見直 せば
︑︿ 三国 志演 義﹀ の持 つ機 能が
﹃俠 客 伝﹄ の描 き出 そう とす る歴 史解 釈や 人物 像と 通ず るこ とが わか る︒ すな わち
︑︿ 三国 志演 義﹀ の趣 向を 利用 し︑ 曹操 を﹁ 漢﹂ の﹁ 賊﹂
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五六
と見 なす 孔明 の形 象を 重ね るこ とで
︑﹁ 国賊
﹂の 足利 氏を 伐た んと する 姑摩 姫や 九六 媛に 孔明 の﹁ 誠忠
﹂を 賦与 し︑ 南朝 を守 る正 当性 を描 出し たと 解す こと がで きる ので ある
︒ 四
﹃俠 客伝
﹄第 二十 六回
︑姑 摩姫 は足 利義 持の 暗殺 を企 み︑ 一休 法 師に 捕ら えら れる
︒姑 摩姫 の故 郷河 内を 領分 にす る畠 山満 家は
︑姑 摩姫 が赦 され
︑自 分の 領地 に帰 るこ とが 後々 の患 いに なる こと を危 ぶみ
︑獄 舎に いる 姑摩 姫の 殺害 を図 る︒ その 様子 は︑ 訟①
獄
ひ と や
司づかさ
に旨むね を示しめ
して
︑首くび を撃うた
せん と欲ほり
せし に︑ 姑こ 摩ま 姫ひめ
は仙せん 骨こつ あり
︑且かつ
活くわつ
人にん 草さう
を服ふく した る︑ 神しん 効こう によ り︑②
その 刃やいば
︑或あるひ は折を れ︑ 或あるひ
は曲まが りて
︑那かの 身み を戕そこな
ふこ と克かな
はず
︒﹁ 然さ らば 絞くびり
殺ころ せ﹂ とて
︑③
二三 回
ふた ゝび みた
絞びくび
らせ しに
︑布ぬの
まれ 索なは
まれ
︑皆みな 断離
ち ぎ
てれ
︑殺ころ
すこ とを 得え ざり しか ば︑ 満みつ 家いへ 驚おどろ
き︑ 且かつ
怪あやし みて
︑又また
鴆ちん
毒どく
を用もち ひし に︑ それ すら 験しるし
なか りし かば
︑﹁ 原来
さ て
那はか
奴やつ
は︑ 神かみ
仏ほとけ の冥みやう
助ぢよ ある
︑ 盛もり
久ひさ
・景かげ 清きよ の儔たぐひ
なら ん︒④
食しよく
を禁とゞ めて 乾ほし
枯ころ
せ﹂ とて
︑そ の日ひ よ り一 トた びも
︑水みづ
だに 与あた へざ りけ れど も︑ 姑こ 摩ま 姫ひめ は自じ 若じやく とし て︑ 饑き 渇かつ の気け 色しき なか りけ り︒
︵第 二十 六回 ) とあ る︒ 特徴 とし て︑
①獄 卒に 姑摩 姫殺 害を 命じ る︑
②姑 摩姫 を斬 ろう とし た刀 は︑ 折れ たり 曲が った りす る︑
③姑 摩姫 を縊 ろう とす
るが
︑布 や縄 がち ぎれ る︑
④飢 えさ せよ うと して
︑食 や水 も与 えな いが
︑姑 摩姫 の様 子に 変化 はな い︑ の四 点を あげ られ よう
︒満 家の 命を 受け た獄 卒は
︑あ らゆ る手 段で 姑摩 姫を 殺害 しよ うと する が︑ 仙骨 を持 ち︑ 活人 草を 服し た姑 摩姫 を害 する こと はで きな い︒ 右の 姑摩 姫の 様子 も︑
︿三 国志 演義
﹀に 登場 する 仙人 左慈 を素 材 とす る︒ ある 時︑ 曹操 の前 に左 慈と いう 仙人 が現 れる
︒左 慈は 自ら が得 た天 書を 曹操 に与 える ため
︑曹 操を 修行 に誘 いに 来た
︒し かし
︑ 左慈 の言 葉に 激怒 した 曹操 は︑ 左慈 を牢 に入 れて 拷問 する
︒﹃ 通俗 三国 志﹄ 巻之 二十 九﹁ 魏王 宮左 慈擲
㆑盃
﹂を 示す
︒ 曹①
操怒 て曰
︑﹁ 奴キヤツ
は是コレ
玄徳 が方 の間カン 者ジヤ なる ぞ︒ 急イソイ で拷ゴウ 問モン せ よ︒
﹂と 下知 すれ ば︑ 左慈 手を 撫ウツ て大 に笑 ふ︒ 数十 人の 獄ゴク 卒ソツ
共 来り 集ま り︑②
左サ 慈ジ を搦カラ
めて
︑皮ヒ 肉ニク の微ミ 塵ジン に成 るほ ど撃ウチ たり ける に︑ 左慈 敢アヘ て痛イタ める 色イロ なし
︒ 怪アヤシン で能 々
ヨク 〳〵
見れ ば︑ 熟ムマ く睡ネ 入イリ て 齁イビキ
の音オト 雷の 如し
︒曹 操あ まり に興キヤウ
を醒サマ して
︑③
鐵クロガネ の枷カセ を首クビ
に 入イ れ︑ 鎖ヂヨウ
を以 てよ く〳 〵と ざし
︑送オクツ
て牢ラウ に入イ れけ るに
︑忽タチマ ち枷カセ も鎖ヂヨウ
も紛フン
々と して 悉コト〴
く〵
落オ ち︑ 左慈 地上 に臥フシ たり けれ ば︑ 曹操 大い に怒 り︑④
昼チウ
夜ヤ 七日 が間 飲イン 食シヨク
を与アタ
へず
︑様 々
サマ 〴〵
に責セ めけ れど も︑ 左慈 地上 に端タン
坐ザ して
︑顔ガン 色シヨク
つね より も猶ナホ 壮サカン
なり
︒
︵巻 之二 十九 ) まと める と︑
①曹 操は 左慈 の拷 問を 命じ る︑
②左 慈は 拷問 され るが
︑
『開 巻驚 奇俠 客伝
﹄と
︿三 国志 演義
﹀
五七