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『開巻驚奇?客伝』と〈三国志演義〉

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『開巻驚奇?客伝』と〈三国志演義〉

著者 三宅 宏幸

雑誌名 同志社国文学

号 76

ページ 49‑62

発行年 2012‑03‑20

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013308

(2)

『 開 巻 驚 奇 俠 客 伝

﹄ と

︿ 三 国 志 演 義

三 宅 宏 幸

一 曲亭 馬琴 は文 化年 間に

﹃燕 石雑 志﹄

︵文 化八

﹇一 八一 一﹈ 年刊

︶︑ 文政 初年 には

﹃玄 同放 言﹄

︵文 政元

﹇一 八一 八﹈ 三︱ 年刊

︶と いっ た考 証随 筆を

︑天 保初 年に は︑

﹁水 滸後 伝国 字評 半閑 窓談

﹂︵ 天保 二

﹇一 八三 一﹈ 年成 立︶ や﹁ 三遂 平妖 伝国 字評

﹂︵ 天保 四年 成立

︶な ど の中 国白 話小 説批 評を 著述 する

︒馬 琴の 考証

・批 評の 正否 はさ てお き︑ これ らの 営為 は︑ 馬琴 の作 品に 影響 を及 ぼし てい ない ので あろ うか

︒様 々な 書籍

・資 料・ 伝承 を基 にし た馬 琴の 考証 や︑ 白話 小説 を熟 読し て獲 得し た小 説作 法は

︑読 本に おい て有 効に 機能 して いる ので はな いか

︒こ うい った 観点 から の馬 琴読 本の 調査 は︑ いま だ十 分で はな いよ うに 思わ れる

︒ 本稿 では

︑﹃ 開巻 驚奇 俠客 伝﹄

︵天 保三 六︱ 年刊

︶に

︿三 国志 演

義﹀ の趣 向利 用が 見え るこ とを 指摘 した 上で

︑︿ 三国 志演 義﹀ の本 文・ 注釈

・評

︑馬 琴自 身の 考証

・批 評な どを ふま えつ つ︑

︿三 国志 演義

﹀利 用が

﹃俠 客伝

﹄で どの よう に機 能す るの かを 考察 する

﹃俠 客伝

﹄は 後南 北朝 時代 を背 景と し︑ 楠正 成や 脇屋 義助 など の 子孫 たち が南 朝遺 臣と して 活躍 する 史伝 物読 本で ある

︒従 来︑ 馬琴 が﹁ 南北 正閏 順逆 の理 を正 しく

﹂す ると いう

﹃俠 客伝

﹄の 大意 を自 解し たこ とを 受け①

︑徳 田武

﹁馬 琴の 稗史 七法 則と 毛声 山の

﹁読 三国 志法

﹃俠 客伝

﹄に 即し て﹁ 隠微

﹂を 論ず

﹂が

︑毛 声山

・ 宗崗 父子 の批 評や 註を 付し た毛 注本

﹃三 国志 演義

﹄所 収﹁ 読三 国志 法﹂ に︑ その 理念 を学 んだ と論 じた

︒だ が︑

﹃俠 客伝

﹄に

︿三 国志 演義

﹀の 趣向 を利 用し たか には 触れ てお らず

︑馬 琴読 本と 中国 小説 との 関連 を整 理し た崔 香蘭③

氏も

︑﹃ 俠客 伝﹄ の項 に﹃ 三国 演義

﹄の 書名 を記 さな い︒ しか し︑ 他の 先行 研究 で︑ 既に

︿三 国志 演義

﹀の

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

四九

(3)

趣向 との 関連 は推 測さ れて いる

︒ま ずは

︑そ の箇 所を 見て いく こと とし たい

︒ なお 本稿 では

︑馬 琴が 少な くと も毛 注本

﹃三 国志 演義

﹄︑

﹃新 刊京 本校 正演 義全 像三 国志 伝評 林﹄

︵馬 琴旧 蔵・ 現早 稲田 大学 図書 館蔵

︶︑

﹃通 俗三 国志

﹄︵ 湖南 文山 作︑ 元禄 二﹇ 一六 八九

﹈年 序︶ など

︑数 種 の︿ 三国 志演 義﹀ を閲 して いる こと を考 慮し

︑テ キス トを 一つ に限 定し ない ため に︿ 三国 志演 義﹀ と表 記す るこ とと する

︒ 二

﹃俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

﹀と の関 連に つい て︑ 麻生 磯次

﹁展 開 的考 察④

﹂は

︑﹁ 小六 丸が 主君 右少 将の 梟首 を奪 ひ取 らう とし て暗 夜 に途 を失 ひ︑ 困じ 果て てゐ る所 へ︑ 数多 の蛍 現れ て路 を照 らす 場面 があ るが

︑こ れも 三国 志演 義で

︑漢 の天 子が 逆賊 を避 けて

︑陳 留王 と共 に蒙 塵す る一 節に 拠つ たも ので あら う﹂ と推 し︑ 日本 古典 文学 大系

﹃椿 説弓 張月

﹄︵ 岩波 書店

︶の 頭注

︵後 藤丹 治注

︶も

︑ 60 61

﹃俠 客伝

﹄の 蛍の 場面 と︿ 三国 志演 義﹀ との 関連 に触 れて いる

︒に もか かわ らず

︑新 日本 古典 文学 大系

﹃開 巻驚 奇俠 客伝

﹄︵ 岩波 書 87 店︶ の後 注に おい て︑ 両作 品の 関連 は明 記さ れず

︑等 閑視 され てい る︒ これ は︑ 両作 品の 細か い比 較や

︑そ の趣 向を 用い た意 図に つい ての 検証 が為 され てい ない ため であ ろう

そこ で︑ 麻生 論文 が推 測し た場 面を 検証 し︑ 関連 を確 定す る︒

﹃俠 客伝

﹄第 一集 巻之 二︑ 脇屋 義隆 の実 子小 六丸 は︑ 養父 館英 直の 機転 によ り︑ 南朝 遺臣 の藤 沢郷 士︑ 野上 史著 演の 館に 落ち 着く

︒小 六丸 は主 君︵ 実は 実父

︶の 義隆 が︑ 藤白 安同 に急 襲さ れ討 ち死 にし

︑ 由比 ヶ浜 に梟 首さ れて いる こと を聞 く︒ 義隆 の首 を奪 い返 すた め︑ 夜半 に一 人で 館を 抜け 出し て︑ 由比 ヶ浜 を目 指す⑤

︒ 五月

の癖 なれ ば︑ 降

みふ らず み①

めな き︑ 如

に‡

る〳 〵も

︑嚮 に聞

しを 心

に︑ 鎌 を投

て急 げど も︑ 人

れて は田 に畔 に︑ 枝

さへ に多

かれ ば︑ 去向

と︑ 思ひ 難 つゝ 停

て︑ せん 術

もな き折 から

︑②

より 忽

と︑ 許 の蛍

て︑ 小

の身 辺

つゝ

︑③

を照 らし 先 に進 て︑ 這 の為

に郷

を︑ 做 す歟 と見 えて 奇 なる かな

︒車

が 夜

の灯

に︑ 易 にき とい ふ故 は︑ 人

にし て自 にあ ら ず︒④

は是

童子

を︑ 神 の相

みて

︑恁 る冥

を 錫 ひけ ん︒ 小

は今

この 奇 に︑ 感 しつ ゝ些

も礙 せず

︑ 蛍

の進 むに 従 ひて

︑只

に走 る程 に︑

⁝⁝ 果 して 由 の浜

に 来 にけ り︒

(第 三回 ) 本場 面の 特徴 とし て︑ 以下 の四 点を あげ るこ とが でき る︒

①真 夜 中で 道が 分か らず

︑田 や枝 道で 道も 悪い

︑② 忽然 と無 数の 蛍が 小六 丸の 周り に集 まる

︑③ 無数 の蛍 は道 を照 らし て小 六丸 を誘 う︑

④小

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五〇

(4)

六丸 の﹁ 忠孝

﹂に 対す る︑

﹁神 明仏 陀﹂ の冥 助で ある

︒ では

︑︿ 三国 志演 義﹀ の場 面を 見る

︒馬 琴が 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ を閲 読し てい たこ とは 書翰 など から 確認 でき るが

︑内 容の 理解 し易 さを 勘案 し︑

﹃通 俗三 国志

﹄も 以下 に示 す︒ 漢末 期︑ 悪政 の元 凶で ある 宦官 十常 侍が 将軍 何進 を殺 害し たこ と で︑ 何進 配下 の袁 紹ら が宮 中に なだ れこ む︒ 十常 侍の 張譲 と段 珪は 少帝 と陳 留王 を連 れて 逃げ るが

︑追 っ手 に見 つか り︑ 張譲 は河 に身 を投 げる

︒少 帝と 陳留 王は 草の 下に 潜む

︒毛 注本

﹃三 国志 演義

﹄第 三回

﹁議 温明 董卓 叱丁 原 餽金 珠李 肅説 呂布

﹂を 記す⑥

︒ 陳留 王曰

︒此 間不 可久 戀︒①

須別 尋活 路︒ 于是 二人 以衣 相結

︒爬 上岸 邊︒ 満地 荊棘

︒黒 暗之 中︒ 不見 行路

︒正 無奈 何︒②

忽有 流蛍 千百 成群

︒光 芒照 耀︒ 只在 帝前 飛転

︒︹ 割註

︺炎 倒之 勢昔 如日 月今 為蛍 光火 徳衰 矣﹂ 陳留 王曰

︒④

此天 助我 兄弟 也︒③

遂隨 蛍火 而 行︒ 漸漸 見路

(第 三回 )

﹃通 俗三 国志

﹄巻 之一

﹁董 卓起

兵 入

洛陽

﹂ には⑦

︵陳

王は 論︱ 者補

︶帝 の御

を我

衣と 結

び合

せ草 を分 けて 出 玉ふ

︒目 ざす とも 知ら ぬ①

き夜 に︑ 荊

路に 満ち たり しか ば︑ 御足 も傷 れ損 じて

︑進 むべ き様 りし かば

︑天 を仰 で泣

み 玉ふ 所に

︑②

や数 万の 蛍

︑何 処

もな く飛 集

まり

︑光

を 放

つて

︑帝 の御 前に 来り ける

︒陳

王大 いに 喜び

︑﹁④

天の 助

なり

︒こ れを 指

に出

候は ん︒

﹂と て︑③

に道 を引 かれ て︑ 漸 に歩 み出 玉ひ

︑是 こそ 人の 通 ふ山 路と

︑思 処ま で出 て︑ (巻 之一 ) とあ る︒ 丸数 字が 交錯 する が︑

①暗 い夜

︑先 に進 むこ とが でき ない

②数 万の 蛍が

︑帝 の前 に現 れる

︑③ 蛍火 に道 を誘 われ る︑

④蛍 が現 れた のは

﹁天 の助

﹂で ある

︑と まと めら れる

︒﹁ 五月

﹂と

﹁八 月﹂ とで 時期 の違 いは ある が︑ 闇の 中で 道に 迷う 点︑ 無数 の蛍 が少 年を 誘う 点︑ その 現象 が﹁ 神明 仏陀

﹂や

﹁天

﹂と いう 人智 を超 えた 存在 の冥 助で ある 点が

︑﹃ 俠客 伝﹄ と︿ 三国 志演 義﹀ とで 共通 する

︒ さて

︑﹃ 椿説 弓張 月﹄

︵文 化四 八︱ 年刊

︶に

︑﹁ 折

しも あれ 一

の 燐

︑ 叢 の中 より 燃

て︑ 手

を照 らす

﹂︵ 第廿 九回⑧

︶と

︑朝 稚 が闇 の中 で文 字を 書こ うと した とき

︑﹁ 燐火

﹂が 手元 を照 らす 場面 があ る︒ この 場面 の後 藤頭 注に は︑

﹁こ のお にび に導 かれ て志 す所 に至 る趣 向は

︑俠 客伝 第三 回︑ 八犬 伝第 六十 四回 にも 応用 され てい るが

⁝⁝ 共に 三国 志演 義第 三回

︑十 常侍 の乱 のた め︑ 少帝 と陳 留王 とが 螢火 に導 かれ て落 ち行 く条 によ るか

﹂と ある

︒﹃ 南総 里見 八犬 伝﹄

︵文 化一 一︱ 天保 一三 年刊

︶の 該当 箇所 は︑

﹁忽 とし て一 団の

︑ 陰

に燃

つゝ

︑先 に立 つゝ 現 を︑ 導く ごと く隠 々

と︑ 閃 きて ゆく

﹂︵ 第六 十四 回⑨

︶で ある

︒闇 の中 で困 惑し てい る折 に︑

﹁燐 火﹂

﹁鬼 燐﹂ が周 りを 照ら すこ れら の趣 向は

︑︿ 三国 志演 義﹀ から 借

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五一

(5)

りた と考 えて よか ろう

︒ ただ し︑

﹃弓 張月

﹄や

﹃八 犬伝

﹄で は﹁ 蛍﹂ から

﹁燐 火﹂

﹁鬼 燐﹂ へと 変更 され るが

︑﹃ 俠客 伝﹄ では

﹁蛍

﹂を その まま 踏襲 する とい う違 いが ある

︒さ らに

︑﹃ 俠客 伝﹄ の本 場面 は︑ 馬琴 自身 が﹁ 八犬 伝九 輯再 評・ 俠客 伝四 輯評⑩

﹂に

︑﹁ 俠客 伝金 閣の 仇討 の段 のご とき

︑ 先ヅ その 趣向 を考 得て

︑扨 この 処は 蛍狩 りに して

︑前 輯小 六が 夢に 蛍火 の闇 夜を 照ら す照 応に せん

︑と 思ひ て綴 り候 事ニ 御座 候﹂ と記 して おり

︑楠 姑摩 姫が 足利 義満 を金 閣寺 で暗 殺す る箇 所を

︑本 場面 の﹁ 照応

﹂と して いる

︒こ のこ とを 見る と︑ 馬琴 が﹁ 蛍﹂ を﹃ 俠客 伝﹄ の重 要な 要素 とし て意 識し てい たと 判断 する こと がで きる

﹁蛍

﹂を 用い て︑ 幻想 的な 場面 に仕 上げ るこ とも 一つ の狙 いで あろ う⑪

︒し かし

︑そ れだ けの 理由 であ れば

︑﹃ 弓張 月﹄

﹃八 犬伝

﹄の よう に﹁ 燐火

﹂﹁ 鬼燐

﹂で も構 わな いし

︑姑 摩姫 の仇 討ち の﹁ 照応

﹂に する ほど

︑印 象に 残ら ない ので はな いか

︒ ここ で論 者が 着目 する のが

︑考 証随 筆﹃ 玄同 放言

﹄に おけ る記 述 であ る︒ 馬琴 は︑ 本場 面に 登場 した 陳留 王に つい て︑

﹃玄 同放 言﹄ 巻二

﹁漢 火生 剋応 験弁

﹂に

︑次 のよ うに 記す⑫

○魏 土は 漢火 に勝 とい ふと も︑ 乾

も亦 甚し

︑火 徳は じめ て滅 て︑ 焦土 馬蹄 に揚 らる

︑︹ 割註

︺晋 泰始 元年 十二 月晋 王司 馬炎

︑ 受

魏禅

︑ 即

皇帝 位

︑奉

魏 主曹 奐

︑為

陳 留王

﹂亦 是 漢魏 陳

留に 験あ り︒

︹割 註︺ 初献 帝為

陳 留王

︑ 及

位︑ 受

制於 曹 操

︑操 之後

︑亦 受

制於 司馬 氏

︑其 及

簒立

︑ 此其 応報 歟︒ ( 」 巻二 )

﹃史 記﹄ や正 史﹃ 三国 志﹄ など の﹁ 史伝

﹂を ふま え︑ 馬琴 は漢 や魏 の国 家滅 亡の

﹁験

﹂と して

︑﹁ 陳留 王﹂ を見 出す

︒陳 留王 に漢 の滅 亡を 読み 取る わけ であ る︒ この 考え 方と 通ず る記 述が

︑毛 注本

﹃三 国志 演義

﹄に 見え る︒ 先に 引用 した 原文

︵五 一頁 上段

︶を 御覧 頂き たい

︒傍 線部

②直 後の 割註 部に

︑﹁ 蛍﹂ につ いて

︑﹁ 炎倒 之勢 昔如 日 月︒ 今為 蛍光 火徳 衰矣

﹂と ある

︒漢 王朝 の初 期︑

﹁火 徳﹂ は﹁ 日﹂ のご とき 勢い であ った

︵例 えば

︑夢 梅軒 章峯 作﹃ 通俗 漢楚 軍談

︹元 禄三 年序

︺巻 之一 にお いて

︑秦 の始 皇帝 は二 人の 童が

﹁紅 の日 輪﹂ を奪 い合 う夢 を見 る︒ この 様子 は︑ 後に 起こ る楚 の項 羽と 漢の 劉邦 との 争い を示 唆し てお り︑ 七十 二度 殴ら れる も最 後の 一打 で勝 利し

︑﹁ 日輪

﹂を 持っ て帰 った 童が 劉邦 であ ろう

︒﹁ 日輪

﹂は 漢の

﹁火 徳﹂ とし ての 強さ も表 して いる

︶︒ だが

︑漢 王朝 末期 の少 帝と 陳 留王

︑就 中︑ 後に 献帝 とな る陳 留王 には

︑﹁ 蛍火

﹂の ごと き輝 きし かな く︑

﹁火 徳﹂ であ る漢 の衰 微を 示す

︑と 註が 付く

︒毛 注本

﹃三 国志 演義

﹄第 三回 冒頭 には

︑﹁ 天子 者︒ 日也

︒日 而借 光於 蛍火

︒不 成其 為日 矣﹂ とい う評 もあ り︑ 陳留 王の

﹁火 徳﹂ は﹁ 蛍﹂ の力 を借 りな けれ ばな らな い程 に衰 えて いる

︑と も説 明さ れる

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五二

(6)

﹃玄 同放 言﹄ の記 述や 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ の注 や評 をふ まえ る と︑

﹃俠 客伝

﹄の

﹁蛍

﹂も

︑︿ 三国 志演 義﹀ と同 じ機 能を 有す ると 考 えら れる

︒つ まり

︑﹁ 火徳

﹂で ある 南朝 の衰 微で ある

︒﹃ 俠客 伝﹄ 第 五回 に︑ 新田 貞方 と従 者畑 時種 が︑ とあ る庵 で二 羽の 鶏が 闘う 様を 見る

︒そ の闘 鶏を 見た 妙算 は︑ 赤鶏 を﹁ 南方

﹂︵ 南朝

︶︑ 黒鶏 を﹁ 北 方﹂

︵北 朝︶ に見 立て

︑黒 鶏が 勝っ たこ とを

﹁南 方火 徳﹂ が﹁ 北方 水徳

﹂に 敗れ ると

︑五 行説 をふ まえ て解 した

︒こ のよ うに

︑闘 鶏に よっ て﹁ 南朝

﹂の 衰微 が示 され るわ けで ある が︑ 小六 丸を 誘う

﹁蛍

﹂の 趣向 にお いて も︑ その 兆し を表 す工 夫が 施さ れて いる

︒ だと すれ ば︑

﹃俠 客伝

﹄の

﹁蛍

﹂に は︿ 三国 志演 義﹀ の漢 の衰 弱 が二 重写 しに なっ てお り︑ その こと によ り︑ 共に

﹁火 徳﹂ であ る漢 と南 朝と が滅 ぶ意 が含 まれ る︑ と考 えう る︒ 単に 趣向 を借 りる だけ なく

︑物 語の 構想 を示 唆す る働 きを 持っ てい ると いえ よう

︒ 三

「蛍

﹂の 場面 は︑ 毛注 本で いえ ば第 三回 に描 かれ

︑﹃ 俠客 伝﹄ も同 様に 第三 回と いう 序盤 であ る︒ すな わち

︑﹃ 俠客 伝﹄ の序 盤か ら

︿三 国志 演義

﹀の 様相 は賦 与さ れて いる

︒ しか し︑

︿三 国志 演義

﹀は

︑曹 操の 台頭

︑漢 王朝 の衰 微に あっ て︑ その 時流 に抗 う者 たち を中 心に 描く

︒そ れが 蜀の 劉備 であ り︑ 諸葛

孔明 であ った

︒本 節で は︑ 楠正 成の 孫︑ 楠姑 摩姫 に仙 術を 教え た九 六媛 とい う仙 女に

︑孔 明の 形象 が利 用さ れて いる こと を述 べる

﹃俠 客伝

﹄第 二十 二回

︑九 六媛 に仙 術を 学ぶ 姑摩 姫は

︑足 利義 満 を討 つ機 会を 待っ てい た︒ 義満 を早 く討 ちた い姑 摩姫 は︑ 九六 媛に 会い に①

しば しば 仙閣 に赴 くが

︑九 六媛 は不 在で ある

︵姑

は︱ 論者 補︶ 次

の日 は未

より

︑⁝

⁝時

を移 さず þ なる

︑②

に来 にけ れば

︑多 と知 と出 へて

︑﹁ 姫

など て遅

かり ける

︒我

はき のふ 還 り給 ひて

︑お ん身 を等

て をは しま す︒ 卒 給へ

﹂と てい そが せば

︑姑

び且

て︑ 掖 れて 奥 にぞ 赴 きけ る︒③

けれ ども 九 は︑ 曲

に肱

を倚

け︑ 紋

の団 扇

に翳

して

︑仮 して 死 に似 たり

︒④

は這

に︑

﹁折

かり

﹂︑ と思 ふの み︑ 呼 さん はさ すが に て︑ 等 こと 約莫

あま り︑⑤

やう やく 頭 を擡 げて

︑声

に誦 する を听 けば

︑ 俠概 惟推 古剣 仙

忠魂 雪恨 只香 煙

誰 知 勇 士 生 奇 女

︒隻 手 能翻 宿 世冤

︒ 恁 じつ ゝ身 を起

せば

︵第 二十 二回 )

﹃俠 客伝

﹄の 特徴 は︑ 次の 五点 にま とめ られ る︒ すな わち

︑① 姑摩 姫は 九六 媛を しば しば 訪ね るが

︑九 六媛 は不 在で ある

︑② 何度 目か に赴 くと

︑九 六媛 が帰 って きて いる

︑③ 九六 媛は

﹁仮 寝﹂ して いる

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五三

(7)

〔図版Ⅰ〕 李卓吾原評「三国志」(72オ)

(早稲田大学図書館所蔵)

④姑 摩姫 は九 六媛 を起 こす のも 悪い と思 い︑ 起き るの を待 つ︑

⑤約 半時 して から

︑九 六媛 は目 を覚 まし

︑詩 を吟 ずる

︒ 本場 面は 有名 な“ 三顧 の礼

”の 場面 に基 づく

︒劉 備は 徐庶 に孔 明 を推 薦さ れて から とい うも の︑ 足繁 く孔 明の 庵を 訪ね る︒ しか し︑①

一度 目も 二度 目も 孔明 は留 守︒ なか なか 孔明 に会 えな い劉 備だ が︑ 諦め ずに 三度 訪問 する

︒﹃ 通俗 三国 志﹄ 巻之 十五

﹁定

三 分

孔 明出

茅 廬

﹂は

︑そ のと きの 様子 を次 のよ うに 描く

︒ 玄徳 の曰

︑﹁ 又仙 を労 せし む︑ 我

来れ るを 報じ 玉へ

︒﹂ 童子 申 しけ るは

︑﹁②

先生 家に 居 玉へ ども

︑今 草

に昼

して 未

︒﹂ 玄徳 の曰

︑﹁ 必ず 驚

むべ から ず︑ 関羽

︑張 飛は 門外 にて 相 待

︒﹂ とて

︑只 一人③

内へ 入り 其辺 を見 玉へ ば︑ 自然 に風

なり

︒堂 上に は︑ 孔明 几 の上 に︑ 安

しけ れば

︑階 に叉 して 立玉 ふ︒

⁝⁝④

玄徳 は一 時あ まり 立て

︑堂 上を 見玉 へば

︑孔 明寝 反

して 起 んと せし が︑ 又壁 に朝 て睡

れり

︑童 子進

で起 さ んと しけ るを

︑玄 徳又 推 とゞ め︑ 已

に二 時ば かり 立つ て︑ 全 h

玉ふ 所に

︑⑤

孔明 忽

ち醒 て︑ 詩を 吟

じて 曰︑ 大夢 誰 先覚

平生 我 草堂 春睡

外日 遅々 吟じ 了 りて 身を 翻 し︑

(巻 之十 五) この 場面 の特 徴は

︑① 劉備 は二 度孔 明を 訪れ るが

︑孔 明は 不在

︑②

三度 目に 庵に 赴く と︑ 孔明 は帰 って きて いる

︑③ 孔明 は仮 眠し てい る︑

④劉 備は 起こ して は悪 いと 思い

︑孔 明が 起き るの を待 つ︑

⑤約 二時 して から

︑孔 明は 目を 覚ま し︑ 詩を 吟ず る︑ であ る︒ 細か く見 ると 差異 もあ るが

︑﹃ 俠客 伝﹄ の特 徴と 共通 する

︒ 差異 の一 つが

︑仮 眠時 の体 勢で ある

︒孔 明は

﹁安 臥﹂

︑九 六媛 は

﹁曲

に肱 を倚

﹂け て仮 眠し てい る︒ だが

︑李 卓吾 本﹃ 三国 志﹄ 口絵 には

︑肘 をつ いて 仮眠 する 孔明 が描 かれ

︑孔 明の 前に は団 扇も ある

︵図 版Ⅰ

︶︒ 馬琴 が李 卓吾 本を 閲し た確 実な 確証 は得 られ ない が︑ こう いっ た孔 明の イメ ージ が存 した のか もし れな い⑬

︒ もう 一つ の差 異が

︑そ れぞ れが 吟ず る詩 であ る︒ 九六 媛は

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五四

(8)

俠概 惟推 古剣 仙

忠魂 雪恨 只香 煙

誰 知 勇 士 生 奇 女

︒隻 手能 翻 宿世 冤

︒ と詩 を吟 じ︑ 一方 の孔 明が 吟ず る詩 は︑ 大夢 誰 先覚

平生 我 草堂 春睡

外日 遅々 であ る︒ 一瞥 して 詩が 異な るこ とが わか る︒

﹃俠 客伝

﹄の 七言 絶句 は︑

﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ 巻十 九か ら採 る︒

﹁李 公佐 巧解 夢中 言 謝小 娥智 擒船 上盜

﹂に

︑次 の詩 があ る︒ 俠槩 惟推 古剣 仙 除凶 雪恨 只香 煙︒ 誰知 估客 生奇 女 隻手 能翻 両姓 冤⑭

︵男 らし いは 昔の 剣仙

︒恨 みを 晴ら すは 香煙 の女

︒誰 が知 る︑ 商人 の娘 は︒ 一人 で二 姓の 仇を 討っ た⑮

︒︶

﹃俠 客伝

﹄の 詩が

﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ に拠 るこ とは 明ら かで あろ う︒ ただ し︑

﹃俠 客伝

﹄で は傍 線部 の﹁ 除凶

﹂を

﹁忠 魂﹂ に︑

﹁估 客﹂ を

﹁勇 士﹂ に︑

﹁両 姓﹂ を﹁ 宿世

﹂へ と変 更す る︒ この 違い は﹃ 初刻 拍 案驚 奇﹄ の内 容と 関係 する

︒﹁ 李公 佐巧 解夢 中言

謝小 娥智 擒船 上 盜﹂ の梗 概を 以下 に示 す⑯

︒ 唐の 開元 年間 のこ と︑ 予章 郡の 謝小 娥は

︑巨 商の 父と 夫を 鉛陽 湖 口で 殺さ れた

︒夢 に父 と夫 が現 れて

︑犯 人は それ ぞれ

﹁車 中猴

︑門 東草

﹂と

﹁禾 中走

︑一 日夫

﹂で ある と言 った が︑ この 謎が 解け なか

った

︒の ち洪 州の 判官 であ った 李公 佐が

︑申 蘭と 申春 であ ると 解い てく れた

︒申 蘭の 家を 探し あて た謝 小娥 は︑ 名を 謝保 と偽 り︑ 男装 して 傭工 とな って 住み 込ん だ︒ ある 日︑ 弟の 申春 が訪 れ︑ 申蘭 は酒 宴を 開き

︑二 人は 泥酔 した

︒小 娥は 申蘭 を斬 り︑ 申春 を捕 えて 郡役 所に つき 出し た︒ 申春 は処 刑さ れ小 娥は 旌表 され た︒

“女 性が たっ た一 人で 仇を 討つ

”と いう 構成 にお いて

︑姑 摩姫 と 謝小 娥と は共 通す る︒ しか しな がら

︑身 分や 仇と の因 縁が それ ぞれ 異な る︒ そこ で馬 琴は

︑﹃ 初刻 拍案 驚奇

﹄の 詩を

﹃俠 客伝

﹄に 対応 させ た︒

﹁估 客﹂ は﹁ 商人

・あ きん ど﹂ の意

︒商 人の 娘で ある 小娥 とは 異な り︑ 姑摩 姫は 足利 義満 の命 を狙 った

﹁勇 士﹂ 楠正 元の 娘で あっ た︒ よっ て﹁ 估客

﹂か ら﹁ 勇士

﹂に 変更 した ので あろ う︒ また

︑ 小娥 は父 親と 夫の 二人 の仇 を討 った ため

﹁両 姓冤

﹂と され るが

︑姑 摩姫 が討 った 仇は

︑先 祖か ら数 代に 渡っ ての 因縁 であ る︒ その ため

﹁宿 世﹂ の仇 へと 変更 した と考 えら れよ う︒ 以上 の検 証か ら︑ 九六 媛の 詩に

﹃初 刻拍 案驚 奇﹄ を用 いて

﹃俠 客 伝﹄ に対 応さ せる 変容 が見 られ るも のの

︑姑 摩姫 が数 度九 六媛 を訪 ね︑ 会え た時 には 九六 媛が 仮寝 をし てお り︑ 起き てか ら詩 を吟 ずる 趣向 は︑

︿三 国志 演義

﹀か ら借 りき たっ たこ とが 確認 でき る︒ さて

︑こ こで 注目 した いの は︑

“三 顧の 礼” 孔

明が 仮眠

孔明 の詩 吟

孔明 の“ 天下 三分 の計

”︑ とい う展 開で ある

︒孔 明

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五五

(9)

は目 を覚 まし た後

︑三 度も 訪ね てく れた 返礼 とし て︑ 劉備 に“ 天下 三分 の計

”を 授け る︒ この

“三 顧の 礼” から

“天 下三 分の 計” に移 るプ ロッ トが

︑九 六媛 に重 ねら れて いる 可能 性が ある

︒と いう のも

﹃俠 客伝

﹄も 同様 に︑ 九六 媛は 詩を 吟じ た後

︑南 北朝 争乱 の﹁ 宿因

﹂ を姑 摩姫 に語 り始 める

︒つ まり

︑九 六媛 を訪 ねる 九

六媛 の仮 眠 九

六媛 の詩 吟

九六 媛に よる 南北 朝争 乱の 説明

︑と いう 展開 なの であ る︒ 九六 媛の 台詞 の大 部分 が︑ 新井 白石

﹃読 史余 論﹄ に基 づく こと は既 に指 摘さ れる⑰

︒そ の一 部に

︑ 虎

の本 を見

し︑ 陡 に荷

して

︑尊

が股 と 做 りた る︑ 行

を做 すに 堪 たり

︒然

ば宋

の儒 者

︑朱 の 言 に︑

﹁人 は只 が︑ 漢 なる を知 れる のみ

︒孫

も亦 なる を︑ 知 らず

﹂と いひ しに 異 なら ず︒

︵第 二十 二回 ) とあ る︒ 尊氏 の臣 赤松 円心 を評 した 箇所 であ るが

︑﹁ 曹操

﹂を

﹁漢 賊﹂ とす る記 述を 載せ

︑さ らに 尊氏 につ いて は︑ 尊

・義 が做 す所

︑北

に忠 ある にも あら ず︑ 只 国賊 とい はれ ぬ与 に︑ 立 まゐ らせ し君 なれ ば︑ 君

の名 はあ りな がら

︑ 万

の政

は毫 ばか りも

︑御 こゝ ろに 儘

せ給 はず

︑是

より 王

うし て︑ 風

に及 びし 事︑ 歎

くに もな ほあ まり あり

︒ (第 二十 二回 ) と述 べる

︒九 六媛 は曹 操を

﹁漢 賊﹂ と見 なし

︑ま た尊 氏に つい ては

尊氏 が周 囲か ら﹁ 国賊

﹂と 言わ れな いた めに 北朝 を立 て︑ 君臣 とは いい なが ら君 を蔑 ろに して いる と批 判す る︒ 曹操 を﹁ 漢賊

﹂と 見な すの は︑ 馬琴 の中 編読 本﹃ 昔語 質屋 庫﹄

︵文 化七 年刊

︶巻 之二 にも

﹁魏 は漢

の 賊 なり⑱

﹂と いう 記述 が見 え︑ 馬琴 は曹 操を

﹁漢 賊﹂ と 見な して いた

︒ま た︑ 毛注 本﹃ 三国 志演 義﹄ 第三 十八 回の 冒頭 の評 にも

︑﹁ 孔明 既云 曹操 不可 与争 鉾︒ 而又 曰中 原可 図︒ 其故 何哉

︒蓋 漢賊 不両 立﹂ とあ る︒ この 記述 は“ 天下 三分 の計

”の 場面 に対 する 評で ある が︑ ここ でい う﹁ 漢賊

﹂と は曹 操を 指そ う︒ さら に︑

﹃玄 同放 言﹄ 巻二

﹁漢 火生 剋応 験弁

﹂に は︑ 次の 記述 が 載る

○孔 明誠 忠︑ 務 漢賊 を伐 にあ り︑ 二表 三出

︑躯 も亦 いた く 疲労

り︑ 志

ずと いふ とも

︑遺 魏延 を誅 戮し

︑此 魏を 以︑ 彼 魏に 代 ゆ︑ 事に 益あ るに あら ねど

︑魏 を 平 る志 一な り︑ 天 その 忠を 慰 する とい はん 歟︒

︵巻 二) 馬琴 は孔 明を

﹁誠 忠﹂ の人 物︑

﹁漢 賊﹂ を伐 つ役 割を 持っ た︑ 漢の 正統 を守 り抜 いた 人物 と考 証す る︒ これ らの 考証 や馬 琴の 理解

︑用 いた

︿三 国志 演義

﹀の プロ ット を ふま え︑

﹃俠 客伝

﹄を 見直 せば

︑︿ 三国 志演 義﹀ の持 つ機 能が

﹃俠 客 伝﹄ の描 き出 そう とす る歴 史解 釈や 人物 像と 通ず るこ とが わか る︒ すな わち

︑︿ 三国 志演 義﹀ の趣 向を 利用 し︑ 曹操 を﹁ 漢﹂ の﹁ 賊﹂

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五六

(10)

と見 なす 孔明 の形 象を 重ね るこ とで

︑﹁ 国賊

﹂の 足利 氏を 伐た んと する 姑摩 姫や 九六 媛に 孔明 の﹁ 誠忠

﹂を 賦与 し︑ 南朝 を守 る正 当性 を描 出し たと 解す こと がで きる ので ある

︒ 四

﹃俠 客伝

﹄第 二十 六回

︑姑 摩姫 は足 利義 持の 暗殺 を企 み︑ 一休 法 師に 捕ら えら れる

︒姑 摩姫 の故 郷河 内を 領分 にす る畠 山満 家は

︑姑 摩姫 が赦 され

︑自 分の 領地 に帰 るこ とが 後々 の患 いに なる こと を危 ぶみ

︑獄 舎に いる 姑摩 姫の 殺害 を図 る︒ その 様子 は︑ 訟①

に旨 を示

して

︑首 を撃

せん と欲

せし に︑ 姑

は仙 あり

︑且

を服 した る︑ 神 によ り︑②

その 刃

︑或 は折 れ︑ 或

は曲 りて

︑那 を戕

ふこ と克

はず

︒﹁ 然 らば 絞

せ﹂ とて

︑③

二三 回

らせ しに

︑布

まれ 索

まれ

︑皆 断離

︑殺

すこ とを 得 ざり しか ば︑ 満

き︑ 且

みて

︑又

を用 ひし に︑ それ すら 験

なか りし かば

︑﹁ 原来

は︑ 神

の冥

ある

︑ 盛

・景 の儔

なら ん︒④

を禁 めて 乾

せ﹂ とて

︑そ の日 よ り一 トた びも

︑水

だに 与 へざ りけ れど も︑ 姑 は自 とし て︑ 饑 の気 なか りけ り︒

︵第 二十 六回 ) とあ る︒ 特徴 とし て︑

①獄 卒に 姑摩 姫殺 害を 命じ る︑

②姑 摩姫 を斬 ろう とし た刀 は︑ 折れ たり 曲が った りす る︑

③姑 摩姫 を縊 ろう とす

るが

︑布 や縄 がち ぎれ る︑

④飢 えさ せよ うと して

︑食 や水 も与 えな いが

︑姑 摩姫 の様 子に 変化 はな い︑ の四 点を あげ られ よう

︒満 家の 命を 受け た獄 卒は

︑あ らゆ る手 段で 姑摩 姫を 殺害 しよ うと する が︑ 仙骨 を持 ち︑ 活人 草を 服し た姑 摩姫 を害 する こと はで きな い︒ 右の 姑摩 姫の 様子 も︑

︿三 国志 演義

﹀に 登場 する 仙人 左慈 を素 材 とす る︒ ある 時︑ 曹操 の前 に左 慈と いう 仙人 が現 れる

︒左 慈は 自ら が得 た天 書を 曹操 に与 える ため

︑曹 操を 修行 に誘 いに 来た

︒し かし

︑ 左慈 の言 葉に 激怒 した 曹操 は︑ 左慈 を牢 に入 れて 拷問 する

︒﹃ 通俗 三国 志﹄ 巻之 二十 九﹁ 魏王 宮左 慈擲

﹂を 示す

︒ 曹①

操怒 て曰

︑﹁ 奴

は是

玄徳 が方 の間 なる ぞ︒ 急 で拷 せ よ︒

﹂と 下知 すれ ば︑ 左慈 手を 撫 て大 に笑 ふ︒ 数十 人の 獄

共 来り 集ま り︑②

を搦

めて

︑皮 の微 に成 るほ ど撃 たり ける に︑ 左慈 敢 て痛 める 色 なし

︒ 怪 で能 々

見れ ば︑ 熟 く睡 て 齁

の音 雷の 如し

︒曹 操あ まり に興

を醒 して

︑③

の枷 を首

に 入 れ︑ 鎖

を以 てよ く〳 〵と ざし

︑送

て牢 に入 れけ るに

︑忽 ち枷 も鎖

も紛

々と して 悉

ち︑ 左慈 地上 に臥 たり けれ ば︑ 曹操 大い に怒 り︑④

七日 が間 飲

を与

へず

︑様 々

に責 めけ れど も︑ 左慈 地上 に端

して

︑顔

つね より も猶

なり

︵巻 之二 十九 ) まと める と︑

①曹 操は 左慈 の拷 問を 命じ る︑

②左 慈は 拷問 され るが

『開 巻驚 奇俠 客伝

﹄と

︿三 国志 演義

五七

参照

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