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家庭の学校選択権と教育制度改革

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家庭の学校選択権と教育制度改革

一ヴァウチャー制度研究ノート(1)

1984年度修士課程修了

 伊 藤 清 江

は じ め に

  「教育の自由化」論が論議を呼び,教育ヴァウチャー 制度が注目を集めている.当初,「教育の自由化」論を 提言した「世界を考える京都座会」のメンバーが,この  「教育の自由化」論は,アメリカの経済学者,ミルトン  ・フリードマン(Milton Friedman)の「授業料クーポ ン制度」と呼ばれるものを理論的モデルとすると明言し ていたことから,我が国では,フリードマンの「授業料 クーポン制度」が,教育ヴァウチャー制度と一般的に呼 ばれる制度の意味内容としてクローズアップされた1).

しかし,アメリカにおいては,フリードマンの提唱以 降,いくつかの別の教育ヴァウチャー制度案が提出され ており,しかもそれらはいずれもフリードマソのプラン に対し厳しい批判を含むものであった.この十数年間の うちにアメリカ社会で注目に値する教育制度改革プラン として論議を呼んだヴァウチャー・プランは,むしろプ リードマンのものではなく,フリードマンを厳しく批判 する,これら新しいプランであった.

 したがって,アメリカ教育学界において,今日の教育 ヴァウチャー制度に関する研究は,ヴァウチャー制度の 提案を一括して取り扱うのではなく,異なる理念,目的 をもつ多様なプランが存在していると理解し,それぞれ のプラソに沿って具体的に検討することの必要性を認識 し,その方向で進められてきているといえる2).そこに おいて,教育ヴァウチャー制度のプラソとして具体的に 検討されているものは,おおよそ次の三つのプランに要 約されている3).すなわち,フリードマン,ジェンクス

(Chr三stpher Jencks),そしてクーンズ(John E Coons)

のプランがそれである.ジェソクスのプラソは,マサー セッツ州ケソブリッヂの公共政策研究セソターの報告書 にまとめられ,合衆国経済機会局(the US. OMce of Economic OPPortunity)の政策として採用されたもので あり,経済機会局はこのプランを修正して,カリフォル ニア州サンノゼのアラム・ロックにおいて実験に移して いる.クーンズのプランは,カリフォル=ア州憲法の改 正を求める「家庭の選択による教育のための発議」とし

て進められている.

 教育ヴァウチャー制度の基本モデルは,次のようなも のであった.1.学校へ通う年令の子どもをもつ親に対 し,政府が一定の額面のヴァウチャーを与える.2.親 は,「認可された」学校の中から自分たちの子どもを通 学させる学校を選択し,ヴァウチャーを,その学校の教 育を受けるために使用する.3.学校は,親からヴァウ チャーを受け取り,政府の設定する学校運営に係る要件 を満たすことによってヴァウチャーを現金化し,学校の 運営に充てる.そして,フリードマンのプランを除いて は,具体的な諸々のヴァウチャー・プランは,その理 念,目的に応じて様々な独自の「規制」及び補償システ ムを設けている.

 最近,これまでヴァウチャー制度の強力な反対者とし て知られていたアメリカ教員組合連合(A,F.T.)の会 長・シャンカー(Albert Shanker)は,公立学校の範囲 内でのヴァウチャー制度であるなら,これを支持すると いう発言を行なうに至った.彼は,「生徒が公立学校制 度内で,ある学校から他の学校へ,ある地区から別の地 区へ移動することを承認する制度を支持する」と語って いる.彼自ら,この制度の是認を,「自分の考えにおけ る実質的転換」であると表明している.彼は,教師の地位 の確保及び公立学校制度を堅持する立場から,ヴァウチ ャー制度に強く反対していたのであった.しかし,今 回,彼はヴァウチャー制度に対する一定の是認の理由と して,次のことをあげている.すなわち,今日では教師 の団体交渉より,教授の専門化が重要であり,そのこと が教師の地位,権威,さらには政策決定への発言権の確 保を保障することになる,ヴァウチャー制度はその一つ の手段となること,これがタックス・クレジット(tui・

tion・tax・credit)や私立学校を含むヴァウチャー・プラ ソを論破する有効な手段であること,そして,親たちの

「囚われの身であるという考え方」を除去できること,

等々である4).

 シャンカーの以上のような発言でもわかるように,ア

メリカにおいては,「公立学校制度内におけるヴァウチ

ャー制度」,換言すれぽ,「公立学校の家庭による選択」

(2)

が,教育制度改革の注目すべきプランとなっている.そ れは,ヴァウチャー制度の検討のなかで,あるいは,ヴ ァウチャー制度を意識することから,展開されていると いえるだろう.

 本稿では,家庭による公立学校の選択のプランの主張 を明らかにし,教育制度改革における家庭の学校選択権 の意味を探りたい.

1 公立学校内の家庭の選択権

 公立学校制度改革のプラソとして公立学校内の家庭の 選択権を導入したプランを構想しているものにファンテ ィニとレヴィソがいる.本章では,この二人の主張を検 討の対象とする.

1 「オールタナティブ・スクール(Alternative school)」プランとヴァウチャー制度

 マリオD・ファソティニ(Mario D, Fantini)は,

「1960年代後半以降,私は,公立学校制度内の教育的選 択肢と選択を促進する試みに力を入れてきた」と言って いる.彼によれば,教育の失敗の原因となる問題点が学 習者,家庭及びそれらの背景のうちにある,と仮定された のが1960年代であった.学校への連邦政府の多大な注目 により実施された諸施策は,いずれもこうした仮定に基 づいていた.そこでは,学習者を学校へ調和させるよう に変えようとすることが試みられた.しかし,1970年 代,この観点は変更を迫られることになった.「教育問 題は,学習者の欠陥ではなく,制度(institution)の欠 陥である」という見解が表明されたからであった.

 「結局,課せられた仕事は,学校へ学習者を調和させ  ることではなく,そのあべこべなのである.現行制度  を解体することなく,あるいは,そこにおける人々を  疎外することなく,公立学校はどのように改革され  うるか.三つの主要基準,つまり,教育的健全さ  (educational soundness),経済的実行可能性,政治  的実行性,を満たしながら,建設的に我々がそのよう  な問題に対処しうる方法は存在するか5).」

 ファンティニにあっては,現行公立学校制度の改革 が,それを解体することなく行われるべきであるという

ことに主眼がおかれている.彼は,今日までに提出され てきたオールタナティブ・スクール6)等の改革プランに 注目し,それらの改革プラソに見い出しうる共通要件と して,「学習環境を選択できるということ,父母も生徒 も教師も一人ひとり選択の権利をもつということ7)」を あげる.彼は,教育制度には,次のような計画が,現在 求められているという.すなわち,「人びとに最良のも

のをもたらすもの,利害を異にするグループを和解させ るようなもの,一人ひとりの権利と責任に応えるような もの,強制されず金もかからないもの,親や生徒や教師 たちの間の満足を増進するようなもの,多様な住民のそ れぞれに質のよい教育を提供するようなもの8)」,であ る.以上のような課題を達成しうるものとしてファソテ ィ=があげたのが,前述の改革プラソであった.そこに は,公立学校は,標準的一律的制度として発展してきて おり,本来多種多様な子どもたちが,このような公立学 校制度に集中し,画一的に扱われることこそ問題発生の 原因なのである9),という彼の認識があったといえる.

 現行の公立学校制度に「選択肢と選択権」を導入する ことが,ファンティニの教育制度改革構想であった.こ うしたファンティニの構想は,一見,ヴァウチャー制度 の構想と同じようにみえる.しかし,彼は次のように強

調する.

 「交互選択学校(オールタナティブ・スクールー引  用者)運動は,『就学保証金制度』(原語ではeducat・

 ional voucher plan一引用者) とひとつにつながる  ものではない,このことが大切である.就学保証金制  度は,私立学校の方に好意的だという理由で,教員団  体が反対している.しかしながら,オールタナティブ  な公立学校は,それとは違う.われわれは,今でも就  学を保証する制度をもっている.つまり,公立学校が  それだ.公立学校に欠けているのは,互いに選択でき  る制度なのである1°).」

 この文からは,「選択肢と選択権」に基づく学校制度 とヴァウチャー制度の相違は,公立学校内に制限される か,私立学校の存在に重点を置くかにあるように受け取 れる.それはまた,現在の改革における実行可能性にあ

るようにもとれる.

 ファンティニは,この論文に先だち,「外的及び内的 教育ヴァウチャ・一 11)」を書いている.ここでは彼は,

 「今日最も論争的改革案の一つである」とヴァウチャー 制度を捉え,「ヴァウチャーのアイディアは単純である ようにみえるが,実際にすべてのものに受け入れられる ようなヴァウチャー提案は提出されていない」とした上 で,フリードマン,クーンズのプランのほかに,「the sliding voucher」及びrachievement model」を検討す

る.その結果,ヴァウチャー,プラソは平等化の試みで

あるが,公正な学校財政の枠組を展開させない限り,経

済的あるいは人種的差別を助長,持続させることにな

る,また,親が選択権を正当に行使できる力を持ちうる

のか,公立学校を最終的な休息地的学校にしてしまうの

ではないか,という疑問が残ると論ずる.しかし,その

(3)

一方で,ヴァウチャー・プランのメリットは,「不満を  もつ消費者に質のよい教育を提供するという問題をみる

新しい方法を提供してきた」ことにあるという.この新 しい観点は,公立学校を刺激して,教育的オールタナテ  ィブそれ自身を発展させてきたと評価したのである12).

  ここでいうところの教育的オールタナティブとは,一 つの公立学校内に別の選択肢を設けるという構想であ る.しかし,続けてファンティニは,外的ヴァウチャー と内的ヴァウチャーというタームを用いて,オールタナ ティブをより具体化させる.「外的ヴァウチャーとは,

公立学校制度外のオールタナティブの学校への接近を強 調するヴァウチャー・プランであり,内的ヴァウチャー は,公立学校制度内でのヴァウチャー・プランである.」

ヴァウチャー・プランは,公立学校の教育的1 一一ルタナ ティブを発展させてきただけではなく,「内的ヴァウチ ャーのプランの発展を促してきた」という.ここでは明 らかに,公立学校間の選択肢ということがイメージされ

ている.

 さて,ファンティニは,続いて外的ヴァウチャーと内 的ヴァウチャーの優劣を検討する.公立学校は,非党派 的であり,非排他的であることを,そして開かれた自由 な社会の基本的価値を反映することを保障するための多

くの重要な段階を経てきており,私立学校とは反対に,

広範な目的の実現に責任をもつ存在であるとされる.公 立学校が責任をもつ広範な目的とは,1.読み・書き,

コミュニケーショソ,探究,分析等の技能修得の基本学 習,2. 才能の開発,個人的創造力の開発,3.親,消 費者,市民のような主要な社会的キャリアをうまく受け

もつための準備,である.

 ファンティニは,ここで公立学校が実際に,これらの 目的に責任をもっているのか,もちうるのかを検討して はいないが,「結局,公立学校は,マンパワーの機関で なければならない」とし,そうした場合に,責任の少な い私立学校より公立学校の方が優れているという判断を 示している.したがって,公立学校に制限される内的ヴ

ァウチャーが優位にあるとされる.また,実行可能性,

つまり,行政的調整機関の設置や財源の点においても,

内的ヴァウチャーが優れていると判断されている13).た だし,彼は,内的ヴァウチャーを評価しながらも,家庭 の学校選択については,その選択を支える教師,専門 家,行政機関の協力の重要性を強調する.この点に留意

し,内的ヴァウチャーをプラン化すれば,ファンティニ が後の論文で進めようとした「オールタナティブ・スク ール」のプランと一致することになるようにみえる.

2 公的選択アプローチ(Public choice App.

roach)

  ヴァウチャー制度の具体的批判を通して,公的選択  アプローチを提案したのは,ヘンリーM,レヴィン

 (Henry M. Levin)である.

  レヴィンは,ヴァウチャー制度の最大の問題は,公教 育の社会的目的の実現の有無にあると捉えた.彼は,こ の公教育の社会的目的を,民主主義社会における諸制度 の理解とそれへの参加の準備,そして,親の社会的経済 的立場に結びつけられない社会的流動性への貢献という 平等の問題 この二点に限定して設定した.

 彼はまず,諸制度の理解と参加の準備について,民主 主義社会に必要な知識や共通の価値の伝達と共に,多様 な立場に対する寛容さの育成を,その内容としてあげ る.知識や共通の価値の伝達については,ヴァウチャー 制度においても達成されうるが,民主主義の行動様式の 原則である多様な立場に対する寛容さの育成は,「家庭 の背景やアイディンティティに従って学校に若者を配分 することを制度化」するヴァウチャー制度の下では,学 校が「生徒に背景や価値観の多様性を経験させる機会を ほとんど持たない家庭の全くの延長」とされてしまうた めに達成できないと考える14).

 ヴァウチャー制度は,社会的流動性への貢献について も,「親が,社会において自らの価値観や階級的立場を 貫き強固にするような子どもの教育パターソを追求する

ように思われる」点で,「現在の公立学校以上に世代間 にわたる一層の不平等の伝達を引き起こし」,それを正 当化するという理由で,否定的に捉えられている15).

 レヴィンは,基本的には,「多くのヴァウチャー・プ ランが存在し,それらの特有な規定は全く異なる結果を もたらすだろう」ということを前提とするが,以上の二 点に関しては,種々のヴァウチャー・プランのいずれに ついても否定的であり,公立学校制度が優位にあると主 張する.そこで,レヴィンは,現行公立学校制度の改革 プランとして,公的選択アプローチを提案したのであっ

た.

 レヴィンは,今日の伝統的な公立学校制度について,

財源的にも政策的にも深刻な矛盾に悩まされ,支持を失

うほどの事態に直面しているとする.現行の公立学校制

度の改革は,彼にとっても急務の課題として設定されて

いたのである.彼は,ヴァウチャー・プランの検討を経

て,前述したように,それを否定的に捉える一一方,ヴァ

ウチャー制度が増進しようとしている「学校の感応性と

多様性」については,積極的に評価されるべきものであ

(4)

ると注目する.現行公立学校制度に感応性と多様性を導 入することが,現在の教育制度改革にとって有効な方法 であると把握したのである.

 彼は,「学校の感応性と多様性を増進させつつ,公立 学校の社会的目的を維持することは可能か」を教育制度 改革のテーマとして設定した.このテーマに応えるもの として提案されたのが,「公的選択アプローチ」であった のである.このプランは,その構想の詳細については述 べられていない.三つの試みの紹介に留められている.

三つの試みとは,アラム・ロツクでの実験プロジェク ト,「カリフォルニア発議16)」での新しい公立学校の構 想,そして,学校のコミュニティ・コソトm一ルであ る.学校のコミュニティ・コソトロールを別にして,前 二者の試みを,彼はヴァウチャー制度の追求の過程で,

その「副産物」として登場した「公的選択アプローチ」

のシステムであると位置づけた.そして,これらの試み をヴァウチャー制度とは異なる公立学校制度改革のプラ

ソであると論じたのである.

 アラム。ロックでの実験プロジェクトについては,次 章で検討するので,ここでは,そのプラソの概要のみを 記しておくことにする.

 アラム・ロックでの実験プnジェクトは,ジェンクス のヴァウチャー・プランを修正して,一つの学区で実験 に移すというものであった,そこでは,カリフォルニア 州憲法の制約から,ヴァウチャー制度が適用される学校 は,学区内の公立学校だけに限定された.選択肢のこの ような制限による縮小に対し,修正プラソは,公立学校 内にミニスクールまたは選択的プPグラムを設立するこ とによって,多数の選択肢を確保しようとしている.ヴ ァウチャー制度実験参加校各々が,二つ以上のミニ・ス クールまたは選択的プログラムを開設し,それらを各 々独立して運営するというプランであった.親は,ミニ

・スクールの中から自分の子どもを通学させる学校を選 択する.ミニスクールの予算は,そのミニ・スクールを 選択したもののヴァウチャーの総額であり,親からはヴ ァウチャーを補充するような授業料を徴収することはで きない.以上のようなものであった.

 一方,クーソズによる「カリフォルニア発議」での新 しい公立学校の構想とは,次のようなものである.クー ソズのヴァウチャー・プラソのもとでは,4種類の学校 が存在することになる.従来の公立学校,私立学校,そ して新しいタイプの二つの学校である.この新しいタイ プの二つの学校とは,学区,コミュニティ・カレッヂ及 び公立大学等によって設立される公的企業体として組織 される公立学校と,私的グループ,個人によって組織さ

れる私立学校である.新しいタイプの学校が,ヴァウチ ャーを受け取り,運営されるヴァウチャー学校となる.

このプランでは,従来の公立学校,私立学校へ入学する ものは,従来通りの仕方で在籍し,学校もまた従来の諸 規定に従って運営される.ヴァウヤー学校に入学するも のだけがヴァウチャーを受け取り,入学する学校へ提出 する.学校は,そのヴァウチャーを従来の私立学校のカ リキュラム,人事,施設等の要件を満たすことによって現 金化することができる.ヴァウチャー学校は,特定の道 徳,社会的価値,哲学を教えることができるが,宗教に ついてだけ,公立のヴァウチャー学校ではできない.

 レヴィンは,このプランの中から,「教育委員会に対 して,親の自発性に基づき,ヴァウチャー方式によって 維持される独立公立学校(公立のヴァウチャー学校のこ

と一引用者)の設置を申請する学区の両親の権利」を とりだし,これを「公的選択アプローチ」の一つの試み とみなしたのであった.この権利は,クーンズのことば をそのまま使えば,次のようなものである.

  「もし,百人の子どもの親あるいは一学年につき30  人の子どもの親が,独立公立学校の設置を教育委員会  に対して申請したならば,教育委員会は,それがr余  分な費用や他の生徒に対する重大な困難』をもたらさ  ない限り,その申請を認可することを求められる17).」

 レヴィソがあげた以上のごつの試みから,彼の構想す る「公的選択アプローチ」のプラソの基本的原則を探る ならば,次のようにいうことができよう.まず第一に,

公立学校内に多様性を求めること,つまり,家庭の選択 のための選択肢を拡大すること.それは,アラム・ロッ

クの例のように,一校内にプログラムを増やすことで も,また,「カリフォルニア発議」のように,選択でき る公立学校を増やすという方法でも追求される.第二 は,学校の選択を家庭に委ねるということである・こう

して,レヴィソの「公的選択アプローチ」の構想は,公 立学校内における家庭の学校選択という内容にほかなら ず,ファンティニが主張した「オールタナティブ・スク ール」のプラソと同様の構想であり,「内的ヴァウチャ ー」とほとんど同様であるようにみえる.

3 公立学校と家庭の学校選択権

 ファソティニは,私的セクターに教育を委ねることに 反対し,公立学校制度での選択肢の拡大が,実行可能か つ有効な改革プラソであると論じ,「オールタナティブ

・スクール」に代表される制度改革プランの追求を提唱

した.公立学校内に選択肢(それは,一校内での選択肢

の設定,あるいは選択できる公立学校を含めて)を増大

(5)

 させ,家庭に選択権を与えることによって,教師は教育  に専門的に責任をもつことを促され,生徒,親にも責任 をもつ,そしてまた,生徒,親は,その選択権を行使す  ることによって満足する,教育の質が高まる,という構

想であった.レヴィンもまた,ヴァウチャー制度の検討 を通じて,公立学校内の選択肢の拡大と家庭の学校選択 のプランを提起していた.現行公立学校制度には,「感 応性と多様性」が欠落しており,それらを導入すること が教育制度改革の課題であり,その改革には,公教育の 社会的目的を実現する課題が同時に含まれなけれぽなら ない,とするものであった.

 両者とも,ヴァウチャー制度を批判しながら,選択肢 を公立学校内に限定することにより,ヴァウチャー・プ ランとは異なる教育制度改革プランとして自らのプラン を位置づけたが,ヴァウチャー制度の基本的原則ともい える「家庭の学校選択」を導入することには躊躇してい ない.ファンティニは,家庭の学校選択の判断にあたっ ては,情報の公開と教師,専門家,行政の援助に基づく 学校選択の肝要さを強調しているが,最終的には家庭の 学校選択権を認めている.このような条件だけをみるな らば,すでに「規制されたヴァウチャー制度」として提 出されていたプランと大きな相違はないように思える.

代表的な「規制されたヴァウチャー制度」の提案者であ るジェンクスは,次のように述べていたのである.

  「(ヴァウチャー・システムにおいては)かくて,親  は近所にあるというだけの理由で,近所にある学校へ  子どもをもはや通わせることを強制されない.たと  え,ヴァウチャー制度の下で新しい学校が設置されな  いとしても,現在の公立学校の感応性はたぶん増大す  るだろう.我々は,ヴァウチャー制度の最も優れた利  点の一つは,それが公立学校制度内において多様性と  選択の機会を助長することになるということであると  信じる.実際に公立制度が居住地より,むしろ関心を  基準に生徒と学校を調和させるようになるとすれば,

 ヴャァウチー制度の主要な目的の一つは,私的セクタ  ーを含むことさえなしに達成されるだろう18).」

 教育制度改革が求められている今日,「最も論争的改 革案の一つである」ヴァウチャー制度に対し,それを批 判し,それとは異なるプランとして,公立学校制度に限 定したプランが,現行公立学校制度の改革プランとして 提出されている.しかし,これらのプランは,選択肢を 公立学校に限定したにせよ,ヴァウチャー制度の基本的 原則である「家庭の学校選択権」を採用している.この ことからすれば,これらのプランは,提案者の表明する ところにかかわらず,「規制されたヴァウチャー制度」

にほかならないといえる.さらに加えるならば,上記の ジェンクスのいうヴァウチャー制度の精神をいかすもの として構想されていると考えられる.

 今日,ヴァウチャー制度に対しては多くの批判があ る.しかし,アメリカにおける学校教育制度の改革にあ っては,ヴァウチャー制度が積極的に提案した「家庭の 学校選択権」が,一つの鍵的アイデアとして登場してい

るといえるだろう.

H 家庭の学校選択権と「親の力」

 1 アラムロックでの経験

 アラム・ロックでの経済機会局によるヴァウチャー制 度の実験は,プランの創案者にとって不本意なかたちで 行われた.対象を公立学校内に限定したプランの実験だ ったからである.それは,公立学校内における選択肢の 拡大と家庭の学校選択権の採用を内容とする実験であっ たといえる.しかし,すでにレヴィンに即してみたよう に,そのことが逆に,現行公立学校制度に対する新しい 現実的改革プランに根拠を提供しているものと評価され ることになったのである.では,実験は実際にどのよう に行われたのか,本節ではこのことを明らかにしたい.

 (1)実験の概要

 ジョンソン政権下の経済機会局の補助を受け,ケンブ リッヂの公共政策センターによって開発された「規制さ れたヴァウチャー制度19)」は,ニクソン政権下で実験に 移されることになった.経済機会局は,1972年4月に,

カリフォルニア州のアラム・ロック統合初等学校区  (Alum R㏄k Union Elementary School District)に実

験のための補助金を交付することを決定し,1972年秋の 新学期から実験はスタートすることになったのである.

実験年数は,5〜7年とされたが,1976〜1977年の学年 度で実験は終了することになった,なお,経済機会局 が,実験期間中に連邦政府の機構改造により廃止された ため,実験の所管は,1974年度から新設された国立教育 研究所(NIE)に移された.

 アラム・ロックは,カリフォルニア州の学校区のうち 最も貧しい学区の一つであり,住民の人種構成は,「55

%がメキシコ系,12%が黒人,残り33%oD:アジア系と白 人2°)」であったといわれる.学区には,幼稚園課程から 第8学年の公立初等学校が24校あり,私立学校は存在し なかった.実験には,一年目6校,生徒約3,900人,2 年目13校約9,000人,3年目からは14校が参加した21).

② 実験モデルと協力組織

(6)

 実験モデルは公共政策センターのヴァウチャー・フフ ンであったが,決定的にそれと異なったのは,すでに述 べたように,ヴァウチャー学校が公立学校に制限され,

その学校内にいくつかの選択肢が設けられたことであっ た.ヴァウチャー制度参加校は,各々二つ以上のミニ・

スクール(mini−school)または選択的プログラム(alterna−

tive program)を開設しなければならなかった.(以下,

これを単にミニ・スクールと呼ぶ).ミニ・スクールは,

次のタイプに分類される.①基礎的技能,②二か国語,

二つの文化,③職業指導,④創造芸術,⑤芸術,⑥個別 化,⑦幼稚園だけ,⑧実行による学習,⑨多様な文化,

⑩オープン,である.このようなミニスクールは,初年 度には22,2年目40,最高時には50以上に及んだ.学校 の選択範囲は,ミニ・スクールの集合であり,異なった 学校のミニ・スクール間,及び同一学校内のミニスクー ル間の選択が認められた.

 システムは,次のようなものであった.

 a 親は,その地区の平均学校教育費に相当する基本 ヴァウチャーを受け取る.連邦の無償給食計画の資格を 有する子どもには,基本ヴァウチャーの約3分の1に相 当する補償ヴァウチャーが追加される.

 b 親は,ミニ・スクールを希望順に選択し,ヴァウ チャーを添えて申し込み書を地区の事務所へ送る.ミニ

・スクールは,収容能力の限度まで希望者を受け入れな けれぽならない.希望者が収容能力を超過した場合は,

くじで入学者を決定する.生徒は,希望するミニ・スク ールに空席があれば,4半期ごとに他のミニ・スクール へ転校する資格を有する.

 c 教職員の給与,教材費,その他学校を運営するの に必要な経費等への予算配分は,ミニ・スクールが独自 に行う。生徒が転校した場合には,当該ミニ・スクール 間で,ヴァウチャーを就学期間に応じて公平に分配しな けれぽならない.

 d 区域外のミニ・スクールを選択した子どもには,

無償通学バスが提供される.

 e ミニ・スクールに関する情報を参加するすべての 親に客観的かつ公平に提供するために中央評価事務所を 設立する.事務所は,毎春評価報告書を親へ配布する.

この報告書には,読み方及び算数の標準テストの結果,

親及び生徒双方の態度の調査結果,予算報告,並びに人 種構成の報告が含まれる.これに加えて,各ミニ・スク ールは,個々の目標や目的に関する付加的な評価資料 で,その報告を補うことができる.

 協力組織は,次のとおりであった.非営利団体の Sequoia研究所がプロジェクトの実施を請け負う. CM・

レインワイド社がデータ処理,人的資源センターがマネ ージメントの訓練を請け負い.ランド・コーポレーショ ンがプロジェクトの評価に責任をもつことになった22).

 (3)実験の評価

 3年目までの実験の結果は,NIEのディヴィト・マ ンデル(David Mandel)によって次のようにあげられて

いる23).

 a 学校内の人種の割合は相対的に安定している.し かし,メキシコ系の生徒は,二か国語のプログラムを選 択する割合が高かった.

 b 親はヴァウチャーの実験に満足している.1974年 秋の調査では,1年ないし2年間実験に参加した親の88

%は,ヴァウチャー制度のためにその地域の「公立学 校」はより良くなるという意見に同意した.74%は,親 の学校に対する支配がより多くなると考えた.自分の子 どもの学校を選択する機会については,94%という圧倒 的多数によって是認された.

 c 低い社会的経済的背景の親たちは,そのプログラ ムの用語や条件その他について,初めは理解がなかっ た.二年目には理解は広まった.

 d 親の学校選択の基準は,最初は学校の位置が圧倒 的であったが,徐々に学校の位置はより小さな要因にな り,カリキュラムや教員の質がより多く影響力をもって きている.

 e 生徒の転校は,学年と学年の問で起こり,学校間 より同校内のミニ・スクール問で多く起こった.二年目 にはある学校は38%の在籍者を失い,ある学校は27%を 失った.二つの有名なミニ・スクールは60%を超える在 籍者の増加があった.このような劇的変動も起こってい る.親の選択が,カリキュラム,教員の配置及び学校の 財政状態に著しい影響を及ぼした.

 f 1974年の調査では,ヴァウチャー学校の教員の58

%が全般的にヴァウチャー実験は教育の質を高める,8

%が質を下げると答えた.66%が生徒に対し積極的効果 がある,8%があまりないと答え,また,93%が親の選 択は正しく行われていると評価し,62%が教室の改革が 増進したと評価した.

 9 生徒の成績は,標準学力検査の点数では,著しい 変化はない.教育の質が変わったということはあり得る かもしれないが,それを明らかにする証拠はない.

 h 多様性は,ヴァウチャー制度がなくてもつくり出

せるが,教員調査では,教員がミニ・スクール間に顕著

な差異を認めていること,また,親が充分な数の選択肢

を与えられていると思っていることが明らかになった.

(7)

 マンデルの以上のような研究のほかに,この実験の結 果についての研究には,J. M.レヴィンが起草し,ジェ ファーズが提出するといったかたちをとった「アラム・

Pツクのヴァウチャー・プロジェクト実施第一年目の最 終報告」,J.M.レヴィン「二年目のアラム・ロック」

(1974),ランド・コーポレーションからの一連の報告

がある24).

2 アラム・ロックの実験と「親の力」

   −Cohen&Farrar論文を中心に一

 アラム・ロックの実験は,ヴァウチャー・プランの,

今日までのアメリカにおける唯一の実施という点で注目 を集め,ヴァウチャー制度及び他の教育制度改革のため の検討材料を提供することになった.Cohen&Farrar 論文25)は,そのようなアラム・ロックの実験をヴァウチ

ャー制度の基本的理念に沿って分析し,それ以後のアラ ム・ロックに関する多くの論文において,評価の基調を 成すに至ったものである(以下,Cohen&Farrar論文 を単に「論文」と呼ぶ).

 「論文」は,アラム・ロックの実験から,二つの課題 に迫ろうとしていた.つまり,「(ヴァウチャー・プラン が提出した)学校問題の診断は,処方箋が与えられ,患 者が観察されている今となっても,なお意味をもつか」,

「政治的改革を実験することによって,教育を改善しよ うとする連邦の努力はどうなっているのか」であった.

ここでは前者の課題を中心に,家庭の学校選択権,「親 の力」の考察の手がかりを探りたい.

 では,前者の課題における「学校問題の診断」とは何 か.「論文」からは,次のようにまとめられる.ヴァウ チャー制度の提案者は,現行公立学校制度は,公共独占 体であり,そのために硬直化し,多様性,感応性を失っ ている,そこで,専門家(教師)によって学校から排除 され,力をもたない親に学校選択権によって力を与える ならば,学校には「競争」がもち込まれ,学校は多様性 を提供し,感応性を増大させ,良くなるだろうと主張し ていると考えられる.これが,「論文」がいうところの

「学校問題の診断」である.

 「論文」は,この「診断」とアラム・ロックの経験を 比較し,とりわけ三点にわたって次のような「教訓」を 引き出した.

 1.親の選択権と教育的な選択肢が公立学校にとって 意味があるとすれば,それは,ヴァウチャー制度提案者 たちの考える理由からではない.すなわち,選択権を与 えられることによって親が力(この場合,学校財政のコ

ントロールによって得られるような力)をもつことによ

って,専門家(教師)は責任を負い,学校の質が高ま る,という図式からではないのである.

 親の参加を求めることによって,親と専門家との力の 不均衡を解消しようとする理解の仕方は誤っている.な ぜならぽ,アラム・Pックにおいて,親の参加に対する 障害がなくなり,選択権を与えられても,親と専門家と の間の力の配分(力の不均衡状態)は評価されるほどに は変化しなかった。親は専門家に敬意をする場面が多 く,また専門家に満足し,権力を獲得する機会を利用し なかった.一方,失うだろうと仮定されていた専門家の 力は,益々強められたのであった.したがって,アラム

・ロックの経験は,ヴァウチャー・シェーマからすれ ば,非常に奇妙なものとなった.

 では,どうしてこのような結果になったのか.それ は,ヴァウチャーの提案者たちの「診断」が「力の不均 衡」の原因の理解の仕方に誤りがあったからである.す なわち,ヴァウチャーのシェーマでは,「力の不均衡」

は,親と専門家との政治的対立に帰すると考えられてい た.しかし,現に存する「力の不均衡」は,政治的なも のではなく,仕事の専門化,任務の職業化,そして権限 の分割を助長する社会的分業に帰因するものなのであ る.つまり,学校教育に伴って教育は益々訓練された専 門家の領域になった.親たちは,自分たちの教育的役割 を狭く考えるようになり,子どもたちが正しい専門家の 指導を受けることを保証することに,中心課題を置くよ うになったのである.このような社会的分業の成長によ り,教育は多くの他の職業と同じように,社会的地位,

自律性及び政治的力を獲得してきた.このことに対応し て,学校に対する地域社会の力は弱まってきたのであ る.この分析を前提とすれば,政治的構造を単に緩和さ せるという方法では,社会的分業に伴った力の配分の基 本的変化は起こり得ない.したがって,アラム・ロック における結果もまた,このことを実証したのであった.

 2. アラム・ロックの親たちは,親の力が増さなかっ たにもかかわらず,学校に対しては,満足度を増した.

ヴァウチャーのシェーマからすれば,親の力が増すこと

によって,教育は良くなり,親は満足するということに

なる.しかし,アラム・ロックで起こったことは,そう

ではなかった.親の力が増えなかったのに,親の満足度

はなぜ増したのか.それは,アラム・ロヅクにおけるヴ

ァウチャー・プランが,現在の社会的分業に従いなが

ら,多くの親たちに,彼らが欲するものを与えたためで

ある,ここでいう親たちが欲するものとは,いくぶん広

範な教育的選択肢であり,それを選択する機会が歓迎さ

れた.また,これらの選択肢が専門家によって提供され

(8)

たことも,親と専門家を近づけることになったのである.

 社会的分業が確固として成立している社会では,教育 などの社会的サービスの改革は,多くの専門家が,それ を魅力的であるとみなさない限り成功しない.ヴァウチ ャーのシェーマは,専門家を敵対し,親と生徒のために 事態を改善しようとしているようにみえる.

 3.親と専門家の選択権という理念には,ヴァウチャ ーのシェーマの捉え方とは異なる意味が含まれている.

専門家は,親の選択権によって誘発される競争にではな く,自分たちで用いるクラスルームの種類を選び,自分 たちで用いるカリキュラムを作成する,そして,それら のカリキュラムのスタイルを魅力的であるとして集まっ てくる生徒を対象に働くという見通しによって,決定権

(選択権)を行使する.その時に,専門家自身,及び親,

子どもも満足する結果が生み出されるのである.

 以上のような「論文」の「教訓」の引き出し方からす れば,その中心的主張は,次のように把握することがで きるだろう.すなわち,ヴァウチャーのシェーマは,親 の力と専門家の力を対抗的関係で捉えており,現在の学 校教育(制度)に対する不満な事態の主要な原因は,学 校教育の専門家による独占,親の排除にあるとみる.そ こで教育制度改革の課題は,親の力の増大化,専門家に よる独占の打破に置かれている.これに対し,「論文」

は,「力の不均衡」は社会的分業に帰因するものであり,

現代社会においては,「力の不均衡」を政治的改革によっ て同等にバランス化することではなく,社会的分業に従 いながら,それを改革することが求められているとする.

 「論文」は,このようにして,アラム・ロックで生じ た事態については,それを肯定的に評価している26).し かし,このことは,ヴァウチャーのシェーマから導かれ たのではなく,逆に現行の社会的分業に従った改革によ って生じたのであり,ヴァウチャー・プランの実験によ って証明されたことは偶然にすぎない,とした.果して そうなのだろうか.まず第一に,「論文」の社会的分業 と切り離したヴァウチャーのシェーマの理解の仕方は正 しいだろうか.ヴッウチャー・プランの提案者のひとり であるJ.クーンズは,次のように述べている.

 「(子どもの関心を最高のものとする教育制度に関す  る)論議は,反専門家主i義ではない.反専門家主義  は,顧客が自由に関係を断つようになった時にのみ,

 プロフェッショナリズムが可能になるということをほ  とんど認識してはいない.家庭の学校選択は,プロフ  ェッショナリズムを政府の学校へ導入する唯一の方法

 である27).」

 ヴァウチャーのシェーマは,確かに親の力の増加を強

調している.しかし,上記のクーンズのことばでもわか るように,ヴァウチャーのシェーマは,専門家に対して 親の役割を,「論文」の捉えるような対抗的関係では把 握していない.むしろ,専門家が真の専門家として活動 することを根本に据えているといえるだろう.つまり,

家庭の学校選択権によって学校の感応性と多様性を増す ことは,単に親の満足度を高めるものではなく,真の専 門家の活動が伴わなけれぽ実現するものではない.ヴァ ウチャーのシェーマは,このことを根本に据えて構想さ れているといえる.したがって,「論文」のいう「社会 的分業に従った改革」を,ヴァウチャーのシェーマこ そ,具体化しているのではないだろうか.とすれば,

「論文」のヴァウチャーのシェーマの理解は誤っている といえるだろう.アラム・ロックにおいて,「専門家の 力」が増大し,親の満足度が高まったことは.偶然の事 態ではないのである.

 「論文」は,「親の力」の増大を改革にとって重要な ものとは把握していない.ここに第二の問題点がある.

「論文」は,「親の力」を政策決定への参加,教育への 発言力を基準とし.専門家との対比で力の増減を測って いる.そして,このことから.「親の力」が増加しなく ても,親が満足する結果が生じたと結論づけた.しか し,ヴァウチャー制度の基本原則である家庭(親)の学 校選択権は,このように測定される「親の力」とは同一 視できるものではない.先にも触れたように,実際の発 言が個々になかったとしても,家庭に学校選択権を与え たこと自体が,「専門家の力」を真に力として引き出す ものとなっていると考えられるからである.それは,専 門家を真の専門家とする「親の力」と考えられるのであ

る.

お わ り に

 ヴァウチャー制度は,家庭に学校選択権を与えること によって,学校の感応性と多様性を増大させ,また,真 に公共性をもたなくなっている公立学校制度の公共性を 問い直すことで学校を改革しようとするものであった.

 今目の教育制度改革を追求するものにとっても,ヴァ

ウチャー制度の提案者たちが鋭く指摘するところの学校

の硬直性,親の不満の増大の問題は,避けて通ることの

できない解決課題として認識されている.「オールタナ

ティブ・スクール」,「公的選択アプローチ」等の提唱にお

いては,ヴァウチャー制度に批判的であるとの言明にも

かかわらず,ヴァウチャー制度の基本的原則である家庭

の学校選択権が注目され,そのプランの中心テーマとし

て採用されている.学校の感応性を高め,かつ多様化さ

(9)

せ,親の不満を解消する有効な手段と,それを評価した からである.

 アラム・ロックの実験をみるならぽ,家庭の学校選択 権は有効に働いたといえるのではないだろうか.今後,

益々,教育制度改革において,家庭の学校選択権は注目 を集めてくるように思える.家庭の学校選択権が有効に 機能する条件,学校の感応性の内容,程度等さらには,

公教育制度の構成原理として妥当かどうかを含め,検討 が進められなけれぽならないだろう.

      <註>

1) 世界を考える京都座会編r学校教育活性化のため  の七つの提言』,PHP研究所,1984.

2)Henry M. Levinは,ヴァウチャー制度が単一の  ものとして考えられることを,ヴァウチャー制度理  解の障害と,それをめぐる議論の不幸さとして指摘  し,「多くのヴァウチャー・プランが存在し,それ  らの特有な規定(provision)は,全く異なった結果  をもたらすだろう」と強調した( Educational Vou・

 chers and S㏄ial Policy School Finance Policies and  Practices,1982, p.240).最近のヴァウチャー制度  の検討にあたっては,次のような前提のもとに進め  られているのが一一般的である,「ヴァウチャー理論  は様々な提案者の哲学が非常に広範にわたっている  ように,そのメカニズムと目的も多様である.ブリ  ードマンによって支持された種類の自由放任的ヴァ  ウチャー制度は,規制されたヴァウチャー制度の人  々のものと全く異なった結果を持つようにみえる.

 規制の特徴を比較上強調することは,ヴァウチャー  支持老の考える様々な学校を分かつ基本的要因であ  る.」(John Abier and Micheal Flude Contemp・

 orary Education Policy  1983, P.65)

  なお,我が国において上記の前提のもとにヴァウ  チャー制度を検討しているものに,小川正人「アメ  リカの教育ヴァウチャー論議と問題」『国民教育,

 66号』国民教育研究所編,1985,黒崎勲「教育ヴァ  ウチャー制度の研究」『人文学報,184号』1986,が  ある.諸ヴァウチャー・プランについては,これら  の論文を参照のこと.

3) アメリカにおけるヴァウチャー・プランの紹介及  び検討論文では,三つの大別が一般的である.しか  し,ヴァウチャーの額の決定の仕方及び学校への支  払い方法によって,7つあるいは8つのタイプに分  類するものもある.例えば,Mecklenburger, J. A,

&Hostrop R. W,編 Education Voucher;from

 theory to Alum R㏄k 1972. Maynard Experi・

 ment with Choice in Education 1975.

4)  Shanker endorses idea of Public−School Choice

 Education Week 1985年5月8日号

5)Mario D. Fantini Alternative Education 1976.

 序文.P. XVI.

6) マリオD.ファンティニ著,宮地誠哉訳『父母と  教師の衡突はさけられるか』学事出版.1976,p.

 246.ここでは,ほかに,オールタナティブ・エデ  ュケーション,オプションズ・イン・エデュケーシ   ョン,パブリック・スクール・オブ・チョイスがあ  げられている.

7) 同上,p.247.

8) 同上,p. 246.

9) 5)に同じ。

10) 6)に同じ.PP.251−252.

11)  August 1974 issue of Current History  Alter−

 native】lducation所収.

12) 同上,pp.369−371.

13) 同上,pp.374−375.

14)Henry M.Levin Educational Voucher and Social  Policy 1982, pp.250−251.なお,アーサーE.ワ  ィズも「包括的デモクラシーの経験」ということば  を用いて同様の把握の仕方をしている.(Arthur  E.Wise&Linda Darling−Hammond Mucation by  Voucher;Private Choice and the Public Interest  Educational Theory, Winter 1984, Vol.34. No.1)

15) 同上,pp.252−254.

16)正式名は,「選択による教育のための発議」,この   「発議」は,過去数回改訂されている.最新版は,

 黒崎勲訳・解説「選択による教育のための発議」

 雑誌『教育』1986年1月号.この「発議」の下で  は,4つのタイプの学校が存在することは一貫して  いるが,ヴァウチャーの対象となる学校の名称は異  なっている.John E. Coons&Stephen D. Sugarman   Education by Choice (1978)において「発議」

 の草案として提出されているものでは,「公立スカ  ラシップ学校」「私立スカラシヅプ学校」であった  が,1980年の「発議」では,「独立公立学校(Inde・

 pendent Public School)」「家庭選択学校(Family

 Choice School)」となっている.1981年版では,「新

 公立学校(New Public School)」「新私立学校(New

 Private School)」,最新版では,「公立ヴァウチャー一

 学校」「私立ヴァウチャー学校」となっている.な

 お,「ヴァウチャー」という語は,最新版からであ

(10)

 り,それ以前は,すべて「スカラシップ(scholarship)」

 であった.レヴィンは,1980年版の「発議」を検討  している.

17) John E. Coons. Of Family Choice and  Public  Education Phi Delta KapPan, September,1979.

18) Judith Areen&C. Jencks Educational Voucher;

 AProposal for Diversity and Choice Teachers

 College Record, VoL 72, No. 3, Febraury 1971,

 P.70.

19) 同上は,公共政策センターの最終報告を要約し,

 プランを概説している.

20) 1)に同じ,p.213,

21) 今村令子「米国における教育バウチャー制度:連  邦政府ついに実験を中止」r内外教育』1978年6月  20日号,P.4.

22) 「アラム・ロックのヴァウチャー」『日本私立学  校教育研究所,調査資料Vol.33』(1975)による.

23) 同上,PP.4−8の要約.原文は, David Mandel   Schools on the market The Times Mucational  Supplement,1976年5月21日号.

24)D.Weiler A Public School Voucher Demonstra−

 tion;The First Year at Alum Rock (1974), E.

 Levinson The Alum Rock Voucher Demonstration;

 Three Years of Implementation (1976), P. Barker

 &S.H. Pelavin The Generalizability of the Result of  aStandardized Achievement Test (1976), T. H.

 Bikson  Classroom Observation;ACase Study in  Obtrusiveness  (1977), G. V. Bass A Study of  Alternatives in American Education Vol.1 (1978)

 M.Thomas, 同, Vol. H (1978), G. Brige 同,

 Vol.】H (1978), R. Rasmussen  同, Vol. IV

 (1981),P. Barker, T. K. Bikson, J。 M. Kimbrough  and C. N. Frost 同, Vol. V (1981), F. J. Capell

  同,Vol. Vr (1981), Educatioll and Human  Resources Program 同, Vol, Vr (1981),いずれ  も Rand Corporation刊,

25) David K. Cohen&Eleanor Farrar Power to the  Parents?;The Story of Educat童on Vouchers The  Public Interest.1977.

26) 同上,pp.96−97.「アラム・ロックのヴァウチ  ャー・デモンストレーションは,専門家自身が仕事  場を選び,構想を立てる能力を増加させ,親が提供  された選択肢の中で選択することを可能にした.選  択と多様性が良いことであるとすれば,アラム・ロ  ックの学校は,よりよい場所であった」.

27)John E. Coons Making School Public Private

 School and the Public Good,1981, P.95.

参照

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