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アフリカの民衆教育演劇

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アフリカの民衆教育演劇

一ナイジェリア,ザンビア,ボツワナ   を訪ねて一

1.識字教育としての民衆教育演劇

 1970年代の半ばから,演劇をメディアにした社会教育活動social education が脚光を集め,一部の先進資本主義諸国の人々をも巻き込みながら,アジア,

アフリカ,ラテン・アメリカ各地で一斉に取り組みが開始されている。1982年 に発刊された『第三世界民衆演劇通信』をもとにして,こうした活動を行って いる(あるいは行ってきた)集団をもつ国々を以下に列挙してみる。アジアでは,

バングラディッシュ,インド,フィリピン,韓国,タイ,日本。アフリカでは,

エチオピア,ケニヤ,ナイジェリア,タンザニア,ザンビア,マラウイ,ボッ ワナ,モザンビク,アンゴラ,南アフリカ(ただし黒人民衆の運動)。ラテン・

アメリカでは,ドミニカ,グラナダ,ジャマイカ,メキシコ,ニカラグア,パ ナマ,ペルー,ベネズェラ,ホンジュラス,コロンビア。その他パプア・ニュー ギニアやセント・ヴィンセント等。これですべてが尽されるわけではないし,

何らかの形でこうした運動と心をかよわせて,同じような取り組みをしている 欧米諸国をも挙げるとすれば,アメリカ合州国,カナダ,チェコスロヴァキア,

フランス,西ドイツ,イギリスなどを加えておかなければならないだろう。

 今日これほどの広がりを示し,とりたてて私たちの関心を掻き立てている現 代の民衆教育演劇とは,一体どんな代物であるのか。

 『第三世界民衆演劇通信』には次のような「民衆演劇に関するラテン・アメ リカの声明」なる文書が収録されている。

 「以下の文書は,1977年11月,エクアドルで開催された,民衆演劇に関する

ラテン・アメリカ会議(11のラテン・アメリカ諸国から32団体が参加)の場で

作成されたものである。

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 1.民衆演劇とは,民衆に寄り添う形で民衆のなかから生まれたものであり,

  現状維持を図る支配的制度によって芸術をなりがしろにし,民衆の社会参   加を許さないラテン・アメリカの現実の内部にあって,諸階級の平等を探   究する事業の一部を荷ない,その事業に統合される演劇のことを言う。

  民衆演劇が備える特徴としては,

  (a)民衆が抱えている問題にそくして,民衆に属する人々ないし文化活動家    の手で創り出されたテキストとその上演

  (b)民衆の言語の使用

  (c)民衆の利益を擁護するテーマの設定

  (d)民衆が手軽に見ることのできる料金で,民衆の生活する土地において行    われる公演

  といった点があげられる。

 3.人間を解放する過程にあって,ラテン・アメリカ社会の変革をめざす新   しい斗争形態のなかから,私たちは,演劇はあくまでも手段であって目的   ではないとの自覚に立って,演劇を選び取る。

 4.民衆芸術が,自立と解放の芸術になるためには,民衆の豊かな芸術的遺   産を奪回し,現在の民衆の創造力を運動のなかに統合することが,絶対に   欠かせない。

 2及び5項は省いたが,ラテン・アメリカで民衆演劇popular theatreがどの ように定義され,いかなる性格を付与されているかは,この文書ではっきり示 されている。民衆演劇は,それが孕む社会的な相互教育の作用に注目して,ア ジアやアフリカでは教育演劇(didactic theatre,ないしeducational theatre)

とも呼ばれているのであるが,抑圧された者が自らの解放の道を探究する武器 として演劇を用いる,というあり方はいずれの場合にも共通している。

 人間を解放するための手段として演劇を用いる,ということは,人間の事的,

社会的認識行為の媒体として演劇を用いる,ということである。演劇の教育的

作用というのは,事・物・関係をめぐる人間の反省的認識行為を指していわれ

るものなのである。その意味では,民衆教育演劇は,演劇をひとつの社会的言

語として用いる一種の識字教育にほかならない。

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 もちろんここでいう識字とは,字義通り制度化された文字言語の単なる修得 を意味するのではない。それは,言葉あるいは自らの表現を奪われてく沈黙の 文化〉の淵におとしめられている人間たちが,他者や物・事との親しい交わり のなかで自らの言葉と表現を奪い返し,沈黙を強いる抑圧的な現実世界の深層 に潜む文法を読み取って,その現実を変革する主体に自らを形成していく,ダ イナミックな〈意識化conscientization>の文化過程を含んだ識字概念である。

 こうした人間の意識化と抑圧からの解放を課題にして,識字教育の理論と方 法を提示したのはパウロ・フレイレであるが,その理論の深い影響をうけて第 三世界各地で展開されているのが,今日の民衆演劇,教育演劇なのである。こ こではフレイレの教育論について詳しく触れることはしないが,私はフレイレ の方法論上の核心が次のような点にあり,それらが民衆教育演劇の実践にとっ ても欠かせない方法的観点になっている,と考えている。ひとつは,識字の生 成テーマを地域民衆とともにその生活現実のなかに探究する取材論。第二に探 究して選び取られた生成テーマを表現するコード論。そして第三に,コード化 されたものを表層と深層のふたつのレベルで解読する過程における方法として のコミュニュケーション論。

 それが識字プログラムとして展開される場合,取材は生成語の探究を目的と した民衆の言語表現および民衆語彙の調査という形をとり,コード化は,そこ に生成語をはめこむことのできる現実状況を表示する絵や写真を開発する作業 となる。フレイレの方法では,文字は民衆のテーマ世界を描いたコード表示の なかにはめこまれるのである。文字はもともと記号であるという意味で,学習 者にとってはつねに間接的な存在であり,直接的な一次的記号のなかにすえ直 されることによって,はじめて生きた相貌を呈すことになる。だからこそ取材 論やコード論のレベルで,民衆の課題に満ちたテーマ世界を真に探究できてい

るかどうか,ということが識字プログラムのなかで決定的に重要なのである。

 この民衆のテーマ世界を表示するメディアは,その土地に生きる人々の歴史 的文化的状況にしたがって多様であり,民衆教育演劇プログラムの場合には,

そのなかから身体表現やドラマをコード化のメディアとして選びとっているわ

けである。もちろんそれは識字が本質的に認識行為にほかならないという目的

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論的把握の上に立ってのことである。

 自分の身体を表現メディアとする演劇は,誰もが使いこなすことのできる形 式であり,民衆の認識行為にとって有力な媒体となりうる。誰もが直接に使う

ことのできる形式であることは,文字文化の制度世界から疎外されてきた,非 識字者を含めたすべての人間の参加を支える基本条件をなしている。宗主国の 言語が民衆を疎外し,支配と抑圧の制度として機能してきたアフリカの場合な

どは,とりわけそうである。

 文字文化の世界から疎外されてきたことは,アフリカの民衆にとってたしか に一面では重大な負価であるにちがいない。しかしことはつねに両義性を帯び ているのであって,文字文化の世界から排除され疎外されることによって,逆 にオーラルな文化,歌,ダンス,物語りなどの身体と結びついた豊かなパフォー マンスの文化世界が民衆のなかに息づき続けてきた,という側面がある。この 点はギニア・ビサウで教育活動に携ったとき,パウロ・フレイレ自身も,アフ リカ民衆の文化世界がもつ重要な特質として注目したところでもある。

 (P.Freire;Pedagogy in Process,1978)

 表現メディアとしての身体には,さまざまな文化記号が刻みこまれており,

人びとはその身体を仲立ちにし,言葉を補足手段として用いながら他者や物と 交流・対話し,その地域に固有の文化を形づくってきたのである。その意味で,

身体はたんなる物理的機能の荷い手や生理・生物学的実体であるわけではなく て,文化の表現であると同時に文化の媒体でもある。一挙手一投足,手や腰の 表情そのものがすでに生活のドラマやその人のストーリー性とでもいうべきも のを備えている。アフリカ民衆の日常生活は,こうした文化としての身体を用 いたパフォーマンスには事欠かない。そうであればこそ,社会教育としての民 衆教育を真に民衆のものにしようと意欲する場合,アフリカにおける民衆教育 は,民衆のもつこうした文化的次元に注目せざるをえないのではないか。さら に言えば,そこに下り立つことは,文字文化を相対化させることによって,そ こに新たな魂を注ぎこむ可能性を開くことにも結びついていくのではないか。

 アフリカ民衆の文化世界がもつ特質としてパフォーマンスに注目し,そこに

民衆教育の根を設定するについては,教育学的にもいくつかの根拠が存在して

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いる,と思われる。そのひとつとして,さまざまな儀礼と結びついてきたアフ リカの伝統芸能に貫流するドラマ性という問題を挙げることができる。イニシ エーション儀礼などはその最たるものであるが,今回の旅のなかで,私がザン

ビアのルサカにおいて観たダンスや太鼓のパフォーマンス(これは10日間にわ たって催されたWorkshop of Artsの軸になっていた)さえ,風刺やペーソス や笑いを交えたドラマ性に支えられている。それは,伝統的なダンスを分解し,

いくつかの振りを機能的要素として近代主義的に再構成したディスコ・ダンス とは,好対照をなすものであった。ディビッド・ケールはその論文「社会教育 の方法としての民衆演劇」(Harvard Educational Review, vol.51.No.1 Febru−

ary 1981)のなかで,アフリカの伝統芸能のもつ教育性に言及しているが,そ の教育的な機能は,伝統芸能の娯楽性とともに,それが豊かなドラマ性に充ち ていることと密接に結びついている。

 第二に,パフォーマンスをふくむ話し言葉の文化全体の基底に伏流する,異 化とメタファーによる認識の方法という問題にも注目しておきたい。たとえば 話し言葉の文化世界には必らずといっていいくらいにナゾナゾという文化形式 が含まれている。これを例にとってみると,ナゾナゾとは,言葉遊びとしての 側面が一方でありつつも,本質的には,ある対象物に対する隠喩を用いた新し

い定義づけのひとつの形式にほかならない。

 ジャンニ・ロダーリは『ファンタジーの文法』のなかで,ナゾナゾの構造を 異化一連想一隠喩の連鎖として捉え,ナゾによる「定義の基底にあるものは,

対象となるものをく異化》させる過程である」(前掲書,窪田富男訳,74頁)と,

的確な指摘をしている。異化とは日常性のなかに埋もれてしまっている物や事 や関係を,特殊な予期せぬものにすることによって,対象をあらためて発見し 直し,理解させる方法である。したがってそれは,事・物・関係認識のすぐれ た方法なのである。話し言葉の文化世界に生きる人々は,メタファーを縦横に 駆使するが,メタファーによる世界把捉の根底には異化という認識の方法が潜

んでいることに,あらためて注目しておかなければならないだろう。

 フォーク・メディアがこうした認識や表現の方法を伏流させていればこそ,

パフォーマンスが民衆教育のメディアたりうるのであるし,そこに注目するこ

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とは,教育や識字や科学的認識の形成といった問題を,文字文化と学校化され た時間,空間のなかに封じ込めてしまいがちな教育学の理論を逆照射すること にもなっていくのではないか。

 以下の各章では,ナイジェリア,ボツワナ,ザンビアの民衆(教育)演劇の 実際を紹介し,若干の考察を加えていくことにするが,これら3つのケースは 互いに関連しあいながらもそれぞれに個性的である。フレイレの方法を意識し て取り組みが始ったのはボツワナとナイジェリアであり,ザンビアの場合には,

新しいザンビア文化の創造という独立以後の文化史的脈絡のなかで民衆演劇が 成立している。演劇の分野から出発しているのはナイジェリアとザンビアであ り,ボツワナの場合には,ノン・フォーマル・エデュケーションの新しい方法 の探究から生い立っている。取り組みが始まる脈絡と生い立ちの違い,さらに 民衆演劇が置かれている社会状況の違いによってそれぞれの個性が形づくられ てはいるが,民衆にとっての真の開発とは何か,という問題は三者に共通する 項となっている。この項からの検討は,今後の運動の進展を追いながら,別の 機会に行うことになろう。

2. ワサンマノマ

ナイジェリアで民衆教育演劇に取り組んでいるのは,ハウサランドのザリア市 郊外にある,アーマドゥベロ大学の英文学科演劇教室の教員,マイケル・エザー トンMichael Etherton,サリフー・バッパSalihu Bappa,スティーブ・アバー Steve Abahらである。かれらは自分たちのプロジェクトを,ワサンマノマ Wasan Manoma一農民のための演劇を意味するハウサ語一と呼んでいる。ワ サンマノマ・プロジェクトがカドゥナ州で始められるのは1977年であるが,ナ イジェリアの民衆教育演劇が,この時期にワサンマノマなる名辞で開始される ところに,その課題意識と民衆生活の問題状況が集中的に表現されている。

 北部ナイジェリアに住んでいるのは主として定着農耕民のハウサ族と遊放民 のフラニ族であるが,ワサンマノマが対象とするのは農民である。ハウサ族の 農村経済は,輸出用の換金作物である棉花と落花生,主として自家消費用の穀 類(ソーガム,ミレット,とうもろこし,ギニア・コーン等)の栽培を柱にし

t

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て成り立ってきた。しかし1970年代に入って始った農業開発プロジェクト(南 チャド灌概プロジェクト,カノ川プロジェクト,ソコト・リマ流域プロジェク トの三大灌潮計画と,雨期の農業生産を高めるための世界銀行によるプロジェ クトの二種類があり,いずれも農業の資本主義的な近代化を目標としている)

は,ハウサ社会における土地の利用と所有形態,および作物栽培のパターンに 急激な変化を引き起し,旧来の農村社会を解体させつつある。とくにダムの建 設を中心とする大規模な灌概計画は旧来の農地の破壊なしには行いえないため に,1979年には農民の反乱さえまねいている。ダム建設予定地に住む農民たち に与えられる代替地は,ほとんどの場合不毛の地であり,運河や道路の建設は かろうじて可耕地の風害を防いできた樹木の伐採をともなって進められるため に,かつての可耕地を逆に砂漠化させる事態を各地でつくり出している。さら にダムの建設は,川の氾濫のおかげで地味も肥え,一年中耕作されることの多 い農地,ファンダマを失わせる結果をも招いており,このことが乾期にも農業 を営んでいた農民を雨期専業農民に変えてしまった。しかもこうした灌概計画 がねらっている栽培作物は,小麦である。

 他方世界銀行のプロジェクトは,高収量のトウモロコシの栽培を促進するこ とによって,とくに雨期の農業生産を高めることを目標としている。高収量の

トウモロコシの栽培は大量の水と化学肥料を要求するから,それに見合う資本 がどうしても必要である。

 こうした開発計画は,小農に多大な利益をもたらすとの名目で遂行されるの であるが,それが伝統的作物である穀類の栽培にかえて,小麦と高収量トウモ ロコシの単作化へ向けて本質的に資本主義的な集約農業を目ざすものである以 上,現実にはハウサ農民社会の両極への階級分化を促進し,小農の没落過程に 拍車をかけることになっていく。

 マイケル・エザートンらがワサンマノマに取り組むのは,こうした開発に

よって急激に誘発された農村の危機状況のただなかにおいてである。この状況

はしたがって農民にとって真の開発とは何かということが明らさまに問われて

いる事態でもある。1977年3月,大学にほど近いソーバ地区での学生による演

劇がワサンマノマの初めての取り組みであったが,エザートンはその取り組み

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を,農村開発について,農民の見地をしっかり打ちたてるために,芝居そのも のも農民の視座から出発した,と述べている(D.ケール,前掲論文)。

 ソーバ地区での民衆教育演劇では,四つの互いに関連しあう劇が即興で演じ られている。それらは①都市出身のいわゆる農業「専門家」と称される人々の 農民に対する態度の傲慢さと無知を取り上げたもの,②よりよい生活を求めて,

荒廃した農村を捨て都市へ移住する状況を扱ったもの,③政府補助による肥料 の分配をめぐる,役人と村の指導者たちの不正と汚職の問題,④協同組合をつ

くることが貧農にもたらす利益を訴えたものである。

 このワークショップではたしかに農民の問題が取り上げられてはいる。大学 付設農業研究所のスタッフの協力もえながら,学生たちが地域に入って農民に 取材し,集めてきたデータをもとにテーマを分析してコード化(戯曲づくり)

する,そしてそれを地域にもち帰って即興で上演する,という手順がとられて もいる。その意味でそれは民衆を劇場に来させるのではなく,劇場を民衆のと ころへ持っていく実践である。しかしながら,このときの民衆演劇の主体はあ くまで学生であって,農民ではない。はじめての取り組みとして,どちらかと いえば,このワサンマノマ・プロジェクトの目標は,学生たちを,これまでか れらが全く無視してきた民衆演劇に向わせ,地域社会に根ざした即興に基づく ドラマづくりの基礎的技法を教えることに置かれざるを得なかったのである。

 学生ではなく,識字教育担当者を組織したマスカ地区でのワークショップも また,その直接の目標という点から言えば,ソーバ地区でのワサンマノマと同

じ性格をもつ。すなわち,成人教育担当者がワークショップに積極的に参加す ることによって,まず農村共同体が直面している固有な問題を追求するために,

即興で劇をつくる技法を身につけること,そして実際に農民の問題を扱ったド ラマをつくり,即興で演じるプロセスへの参加を通して,ソーシャル・ワーカー の眼鏡こしの眼からは隠れた次元になっている社会現実の深層のレベルを探究 する協同作業を行なう,ということである。

 マスカ・ワークショップで参加者が取材して集めたデータ(問題)には次の

ようなものがあった。政府の言によれば肥料は充分にあるはずなのに,その肥

料が手に入らない。医療の欠如。文字の読み書きができないこと。安い農器具

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が手に入らない。主要換金作物(棉花)から得られる現金収入の少なさ。家畜 泥棒。村の共同井戸を政府がつくってくれないために乾期には水不足になる。

悪路と落ちてしまいそうな危険な橋,等。

 集められたデータは参加者全員による討論の場に持ち出され,そこで分析さ れコード化されることになる。たとえば基本問題のひとつである肥料不足を取

り上げてみると,その討論は,農民の側の資本の欠如,自らの権利を知らずに いる農民の問に支配的な無筆といった問題と結びつけて行われるのであるが,

その過程で,肥料不足と何人かのアルハジAlhaji(メッカ巡礼を経験した人で,

イスラム社会内で名声を得ている)の商業活動(肥料を買い占めて高値で農民 に売りつける)が不可分に結びついていること,アルハジと村の指導者や政府 の役人とが結託して不正や汚職の仕組をつくり出していること,銀行資本とア ルハジとの癒着による農民収奪の構図など,それまで村人やワークショップ参 加者には見えなかった社会現実の構造が暴き出されてくる。そしてこうした事 態を取り上げて問題にしようとする農民の背後には,その土地の警察,村長,

有産階級の人々の眼がつねに光っていて,この農民の家屋に新税が賦課された り,収穫物に火をかけられることもある事実,しかもそれは神のなせる業とし て宿命論的に説明されるとの現実が報告されるに至っては,そこに村落共同体 の支配構造とそれを支えるイデオロギーたるイスラム教の役割がもはやどの参 加者の目にも影絵を見るようにくっきりと浮び上ってくる。

 コード化はこうして分析された社会問題をシナリオ化し,即興劇に仕立てて いく作業であるが,ここでは識字,保健・衛生,肥料という三つの問題が劇化 されている。識字の問題を扱った劇Wasan Yaki da Jahilciでは,無筆の二人 の農民と二人の裕福な肥料商人であるアルハジが登場する。両者の利害の対立

と葛藤を媒介する道具立ては新聞。この新聞には肥料の入手についての大事な

記事と同時に,近所に住む富裕商人たちの不正と汚職のことも載っでいる。二

人の農民は新聞に肥料の入手のことが書いてあることを知って,商人たちのと

ころへ内容をわかりやすく教えてくれるように頼みにいくが,肥料商であるア

ルハジは言を左右にして教えないどころか,農民たちをさんざん罵って馬鹿に

する。この商人たちの振舞いが,農民たちに疑念を抱かせ,新聞記事の内容を

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知ろうとする思いをさらに募らせ,かれらを成人教育と識字学級へ向かわせる。

他方商人たちは,記事の内容を揉み消そうと気狂いじみた行動をとるばかりか,

識字教育はバーマ村(劇中の仮空の村)に災いをもたらすと触れまわるが,二 人の農民によってアルハジたちの悪は最後には暴かれてしまう。この劇では富 とは神によって与えられたものであり,貧之は社会的過剰を合理化するアラー のやり方だという支配的なイデオロギーに対して,富と不正とが結びついてい ること,肥料の欠如と無筆,文字を読み書きできる少数の富者と多数の無筆の 貧者との間に存在する隠された構造的関係を描き出すことが目指されている。

 衛生に関する劇Wasan Kiwon Lafiyaは,診療所が皆無のマスカを念頭に置 きつつ,汚濁にまみれた不衛生な生活条件の危険性を自覚するという目的でつ くられ,ある夫の二人の妻を中心に展開する。若い新妻はきれい好きで衛生に 気を配るが,年長の妻の方は汚れをまったく気にせず,攻撃的で高慢ちき。こ の二人の間に衛生問題をめぐって葛藤が引き起され,夫の仲裁もうまくいかな い。そこへ衛生検査にきた保健所員から不衛生な条件を改善しないと罰金を課 すと指弾された夫は,年長の妻のやり方を改めるように説得せざるをえなくな る。しかしこの仮空の村バーマには保健医療施設はなく,衛生の基準となるも のも一切ない。保健所員の活動を支えてくれるものは何もないのだ。

 肥料に関する劇は,肥料を求めてフラストレーションに陥っている二人の無 筆の農民が中心人物であり,これに文字も読めて協同組合づくりを提案する開 明的な第三の農民,肥料商でもある富裕なアルハジ,アルハジに協同組合を売 り渡す一人の農民などを登場人物として構成されている。肥料が手に入らず 困っている二人の農民は,第三の農民の提案で,肥料を確実に入手する誰一の 方法として協同組合の組織化を始める。しかし組合のメンバーの一人の裏切り のためにこの企ては失敗する。アルハジは協同組合運動を組織していくために は欠かせない足,スクーターを売り払わなければならないほどに肥料の値段を 釣り上げ続け,協同組合運動は解体していく。

 ここでは,この先どのように解決していったらよいか,観客に問いを投げか

ける形で劇がつくられている。この点は,ワサン・キウォン・ラフィアの場合

も同じある。フレイレは「劇形式は,コード表示としての,討論すべき課題を

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提示する状況としての役割りを果す」(『被抑圧者の教育学』邦訳152頁)と述 べているが,ワサンマノマではフレイレの言うコード表示としての役割を十分 に意識した劇作りが行われているように思われる。もしも課題の提示を超えて 解答まで与えるとしたら,それはすでに大衆操作としての演劇に堕することに

なってしまうだろう。課題に満ちた現実のコード表示としての劇は,その後に 参加者としての観客とともに,対話にもとつく討論のなかで深化される認識対 象以外の何ものでもないのである。したがって劇のパフォーマンスを受けて組 織される討論がきわめて大事になるし,この討論のなかで劇そのものが民衆の 参加によって繰り返し作り変えられていくべき性質をもっている。実はそうし た観点からすると,取材やコード表示の開発を含むすべての段階で民衆の直接 参加が欠かせないものとなる。

 この点,ワサンマノマ・プロジェクトはまだ始ったばかりということもある が,大きな弱点をかかえている。しかしながらそのことに気づいていないので はない。事実1980年4月,ボーモ村で行われた第3回目のワークショップは,

前2回の場合に村人を包みこむことができなかったこと,村人は基本的に受け 手としての観客であって,演技終了後にわずかなコメントをしえたにすぎない,

という反省に立ち,この点を重視して取り組まれている。このワークショップ についての報告が手元になく,詳細を知ることができないのは大変残念である が,ここには識字担当者や学生とともに農民である村人が取材,分析のための 討論,劇づくり,村での上演というすべての過程に参加している。そしてかれ らは,ますます増える外部団体による土地盗用を調べながら,それに対して問 いを発して抵抗するさまざまな方法を演じ,それぞれのリハーサルの後に自分 たちの採った行動を分析一その限界と潜在的な障碍の分析一しながら,自分た ちの行動をくり返し劇化していった,といわれる。

 そこにも暗示されていることであるが,このワークショップでは,即興のプ

ロセス,完成したパフォーマンスを成し遂げることよりもむしろ,たえず批判

的な討議のなかでドラマを繰り返し練り直すプロセスが,とりたてて重視され

ている。すでに抽象的な社会問題を劇化する際のシナリオづくりの過程の重要

性は,マスカ・ワークショップで認識されていた点であるが,ボーモ・ワーク

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ショップではさらに即興のプロセスという形で押し広げている。シナリオづく りが,社会的な問題の本質を見きわめてひとつの物語に具体化する,そしてそ れを一連のドラマ化された状況に仕立て上げ,そこに社会的諸矛盾を表現して いく方法(S.バッパ)を意味するのであれば,それは対象とする社会現実の認 識と叙述の方法を意味するわけで,省察と行動が弁証法的に統一された即興の 過程全体に適用されていくのは当然であろう。日本で行われているワーク ショップのなかでは,自らの集団的な劇づくりのプロセスに参加できなかった 場合のつまらなさが感想として出されるが,それはまさしく劇作りの過程その

ものが参加者の認識行為にほかならないことをものがたっている。

 したがってワサンマノマは,農民にとって真の開発とは何かを求めて農民自 身が認識を深め,行動を起していくという目標を堅持するかぎり,農民自身に よる農民劇づくりとして発展させられていく以外はないのである。それは比喩 的にいえば開発を主題とするテキストを農民自身の手で書いていく作業であろ う。それをつくる過程そのものが認識行為であり行動としての実践をはらむ以 上,おそらくこのテキストが完成する時点が,かれら自身の課題が解決される

ときである。こうした実践のなかでは,テキストは与えられるものではなく,

創り出されるものという性質をおびるのである。

 ところで,劇wasanは模倣遊びであり,子どものものだとする一般常識はハ ウサ社会のなかに根強く存在している。演劇専攻の学生たちにしてもそのほと んどは立派な劇場でよくできた脚本を演ずるのが演劇だという固定観念に支配 されて,農民には演劇は無縁のしろものだと考えている。それはかれらの根深 い民衆蔑視観と結びついている。またイスラム教は男女両性が群集のなかにい ることを禁じているから,その教えに背くわけにはいかない,との理由で,村 の指導者が女性の民衆演劇への参加を許さないといった動きも含めて,ワサン マノマを取りまく状況はかなり厳しいし,ワサンマノマが先鋭の度を強めてい けばいくほどその厳しさは増すにちがいない。しかし歩きはじめてしまった足 跡は,もはや誰の手であれ,消すことができない。

3. ラエザ・バタナー二あるいはボセレ・チュワラガナング

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 ボッワナにおける民衆演劇は,1974年,北部に位置するボカラカ地域で取り 組まれた教育プログラム,ラエザ・バタナー二Laedza Batananiから始ってい

る。このプログラムは,当時大学公開講座を担当していたロス・キッドRoss Kiddおよびマーチン・バイラムMartin Byramが,この地域の参事官である ジェッペ・ケレピレJapPe Kelepileの協力のもとに,自力更生と地域開発への 民衆の参加を促がす目的で取り組んだ地域教育計画なのであった。

 R.キッドとM.バイラムの記すところによれば,それは以下のような経過 から始まっている。

 「ラエザ・バタナー二は,地域社会がまとまって何かに取り組もうとする姿 勢に欠け,集会への参加も少なく,政府のさまざまな普及活動にも関心を示さ ない,といったボカラカの人々のなかにある諸もろの問題を,どのように取り あげていったらいいのか,そうした関心から生まれたものである。そこには,

民衆が自らの開発に関与し,政府に対する依存過多や過度の個人主義といった 姿勢を,自力更生,参加,協同行動へ向かおうとする姿勢に変えていく,新し

い試みをしたいという願いが込められていた。

 参加と自力更生という一対の目標は,民衆が自らの問題を討論し,起す必要 のある変化が何であるかについて一致して,集団で行動を起すために,かれら を参集させる方法を要求した。人々が集会をもって,一緒に活動する,という 目標は,ラエザ・バタナー二のスローガンでまとめられる。これは,すでに陽 は昇った,さあ一緒に活動を始めよう,という意味である。こうした活動に必 要な広場は,伝統的にはクゴトラKgotlaと呼ばれてきた。クゴトラの集会に 対する無関心を一掃し,地域社会の決定を行い,行動を起すための中心として

この広場を復活させる方法は何か。」

 (「フォーク・メディアと開発」より)

 ボカラカ地域に住む人々は,もともとジンバヴェのカランガ王国の子孫で,

歴史や言語,居住様式も支配種族であるバマングワトとは異なっているうえに,

植民地時代からずっと隷属種族に甘んじてきた事情もあって,政府への不信と

無関心の度は強い。ボカラカはその意味で辺境なのであるが,ここから新しい

教育運動が開始され発展するのに比して,その後の運動の全国的な展開過程に

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おいて首都ガボローネの運動が進まない事実は,非常に興味深い点である。新 しい運動や思想は,中央からではなく,辺境から生まれる,ということであろ

うか。

 引用の最後の部分で,地域社会の決定と行動の中心としての広場Kgotlaを 復活させる方法は何か,と問われている。ラエザ・バタナー二の運動を理解す

る際に,ここでのクゴトラの概念は重要である。クゴトラは現地語でもほぼ同 じだと思われるが,ツワナ語では,伝統的な村落共同体の民主主義が行使され る場,したがってまた祭りの場をも意味している。それは村落共同体社会の政 治と文化の中心を象徴する広場なのである。ガボローネ市内には聖書協会の建 物があるが,その入口にはLekgotla La Baeble Mo Botswanaの看板が掛って

いる。lekgotlaとはsocietyである。このKgotlaの現代的復活を軸にして共同体 の教育機能を甦えらせ,地域社会の開発をはかる,というのが,ラエザ・バタ ナー二の意図なのである。そしてその方法として民衆演劇が選びとられる。

 教育のメディアとしてパフォーマンス(ドラマ,人形劇,ダンス,歌,太鼓)

を選びとる根拠は何か。ラエザ・バタナー二は地域に根ざす草の根型の教育プ ログラムである。草の根型の教育は,地域の全住民の参加を目ざすから,それ にふさわしいメディアの性質として①誰もが使える,②費用が嵩まず技術上の 制約がない,③住民に既知のメディアである,という条件を満たすものでなけ ればならない。マスメディアではなく,誰にとっても身近な小さなメディアが 必要なのである。パフォーマンスが選びとられる根拠のひとつはその点にある。

 教育方法の転換を迫られていた,という事情もある。ボカラカ地域をふくめ て,ノン・フォーマル・エデュケーションは,エクステンション・ワーカー(政 府の各省庁や地方議会の意を体して成人教育に携わる村レベルの職員で,なか

でも重要なのは農業指導員,家族福祉指導員,地域開発指導員である)の活動

にもかかわらず,十分な進展を見せなかった。かれらの用いた方法は,上から

の情報の伝達やサーヴィスの提供であって,地域住民が自らの開発に主体的に

参加するように動機づけるものではなかったし,伝えられるメッセージ自体も

どこか別のところで作成され,地域の要求に根ざしたものではなかった。つま

り住民はサーヴィスや情報を受けとる客体でしかなかったのである。フレイレ

(15)

流に言えば,このスタイルは銀行型教育概念にもとつくものである。これに代 えて,地域住民自身が直接参加し,教える者が情報やサーヴィスの提供者とし ての教師型ではなく,民衆と対等の形で参加する調整者に変わる新しい教育の 様式にふさわしいメディアが求められていた。つまり,コミュニケーション論 のレベルでは垂直構造ではなく,水平構造の性質を備え,表現論のレベルでは 集団的で協同的な活動を本質とすること,これが第二の根拠である。

 しかも全員の参加を目指すとすれば,それは多くの人々の関心を引く娯楽と しての要素を孕んでいなければならない。そのためにはその土地の言葉や表現 を使える話し言葉の文化に属するメディアでなければならない。これが第三の 根拠をなしている。

 こうした根拠に立てば,ドラマはパフォーマンスそのものが自己目的でない 限り,最適の成人教育のメディアとなりうる。こうした根拠の上に立ってのこ とであるが,ボツワナ大学成人教育研究所でインタビューに応じてくれたJ・

ケレピレは,パフォーマンスを教育メディアに選び取った理由として,民衆が 自分たちの生活を客観化する方法としての有効性を第一一に挙げている。意識化 の方法としてのドラマの効用,すなわちコード表示の研究と創造の過程=現実 分析の過程に参加者を組み込むことのできるメディアとして,ドラマがある,

ということであろう。

 こうして選び取られた方法は,ロス・キッドによって参加に基づく探究の方 法として定式化されてきた。それはフレイレの方法の具体化とされているもの で,意識化のプログラムを,地域の課題を明らかにする(取材)→課題を分析 する→課題をコード化する→コード化されたものを提示する→提示されたコー

ド表示をめぐって討論する→行動を起す,という6段階に図式化した。

 この方法にもとついて,ボカラカ地域では1974年から76年にかけて毎年民衆 演劇フェスティバルが持たれてきた。フェスティバルは約一週間かけて五ケ村

ぐらいを巡回公演する形式で催されるのであるが,それまでに二度のワーク ショップ,コミュニティ・ワークショップと演技者たちのワークショップが持 たれている。コミュニティワークショップには,伝統的な共同体の指導者たち,

その地の政治家,村の開発委員会委員,各種の指導員,教師,教会や女性グルー

(16)

プの指導者たちが参加し,村の開発,農業生産,雇用問題,家族関係,価値観 の対立等々に関する問題を出してブレインストーミングにかける。このなかか らフェスティバルで取り上げるべき問題が決定されていくのである。テーマ設 定がなされるについては三つの規準がある。①人々にとって解決が容易な小さ

な課題であること,②政府の行動を要する課題よりも,その土地の対応が必要 とされる問題であること,③恒常的な普及員の活動によって,その解決策が容 易に支持されうるような問題であること。こうした規準で選び出された問題は,

1974年の場合,家族内の不和,出稼ぎ労働,家畜泥棒,村の開発,1975年は政 府の土地改革提案,結核,青年問題,迷い牛等々,1976年は性病と性教育,栄養,

野菜の生産と衛生であった。コミュニティ・ワークショップでは,これらの問 題をグループごとに10分間の即興劇にして演じる段階まで行われるが,それが そのままフェスティバルのパフォーマンスへ直結するわけではない。このワー クショップの主たる目標は,テーマの選定とラエザ・バタナー二委員会を選出 することにある。ラエザ・バタナー二委員会の事務局長はコミュニティ・カ

レッジの社会教育主事,議長はラエザ・バタナー二を生みだすことに努めた参 事官(ここではJ.ケレピレ)がつとめることになっているが,選出された委 員会が恒常的に会合を持って,フェスティバルの細目を決定していくのである。

 第二回目のワークショップは演技者たちのそれであり,ここには地域共同体 の成員たち,および農業指導,地域開発,保健衛生教育機関に属する指導員た ちが参加寸る。このワークショップでは,コミュニティ・ワークショップで選 定されたテーマが詳細に分析され,それを通してパフォーマンスの脚本の骨子 を具体的に形づくっていく。たとえば結核はドラマと歌とダンス,衛生ならば 人形劇とダンス,栄養と野菜の問題についてはドラマと歌,といった表現の形 態と方法も,ここで最終的に決定され,フェスティバルに備えてリハーサルが 行われるのである。

 こうして組織されたラエザ・バタナー二の内実を示すために,1975年に演じ られたドラマの骨子を紹介しておこう。

 このドラマは三幕構成である。

 第一幕,タンピサーナの家の外

(17)

 登場人物,タンピサーナ(農民),その妻ムマピサーナ,娘チカージ,息子 ムピサーナ,隣人グンドムバーラ

①タンピサーナが息子に話している。息子は4−Bの農業コースに出たがって  いる。父はグンバグンバ・パーティに耳を傾けながらビールを飲んでいる。

②父親は,仕事があるから4−Bにはいくなと息子に言う。かれは4−Bの集  まりは若者がやっかいな問題を引き起す場だと思っているのだ。

③父は息子に何頭かの牛(盗んだ迷い牛)をつれてくるようにいう。

④妻のムマピサーナと娘が水を運んで入ってくる。娘はトウモロコシの根がた  めをしに行かされる。

⑤タムピサーナと妻は迷い牛をどう処理すべきか議論し,売りさばいてしまう  ことで一致をみる。かれらはビールを飲み,グンバグンバに耳を傾ける。

⑥娘がトウモロコシの根がためを終えると,母親は薪を集めに行けと命じる。

⑦娘は不平をいう。

⑧父と母はわきへ寄って迷い牛を息子がつれてくるのを見つめながら,すばら  しい牛だ,すぐれた農民のものだったにちがいない,などと話している。娘  はこっそりビールを盗み飲みし,親を侮蔑するジェスチャーをする。

⑨父と息子が牛を売りに出かける。

⑩娘は学校が休みの日に仕事をしなければならないことに不平を言い,盗んだ  牛の売り上げで学校の授業料を払うなんて,と母親を非難する。母親は学校  はろくでもないことしか教えないと不満をいう。娘は,村ですることが何も  ないから,町へ出て仕事をさがす,という。母親は薪を集めるとかたくさん  の仕事があるではないか,という。彼女は売春婦になるつもりかと娘を非難

 する。

⑪娘,去る

⑫父がお金をもって戻ってくると,かれらは取引の成功を祝い合う。自分たち  の娘のことを議論し,「手に負えない子どもたち」の歌をうたう。

⑬隣人が咳をしながら入ってくる。咳がひどくなっているね,とムマピサーナ

 が隣人に言う。隣人はうなずき,父や祖父がそうだったみたいに妖術をかけ

 られているのだが,呪医のところへ行けば薬をもらえるだろう,と考える。

(18)

⑭隣人は,タムピサーナが建てているフェンスについて尋ねる。かれらはその  フェンスが誰の土地の上にあるか議論する。部族の土地にフェンスを建てて  いいものかどうかについて議論する。

⑮隣人は土地委員会へ訴えにいくと言いながら怒って帰る。

⑯タムピサーナ,パーティへ出掛ける。

 第二幕 一ケ月後,酒屋で

 登場人物,バーの主人タバーナ,チカージ,ムピサーナ,タムピサーナとそ の父バテテグル,グンダンバーラ,友人ンクウ1イニャ

①チカージとムピサーナは,かの女が町で仕事を見つけられなかったことにつ  いて話している。ムピサーナは村生活と自分たちの親に対する不満を述べる。

 かれらは「親たち」の歌をうたう。

②バーの主人,バーを開き,ムピサーナを追い払う。チカージはバーに雇われ  て働いている。週給1プラ。

③祖父が入ってきて,ビールの注文をし,VDC会議についてバーの主人と話  をする。VDC会議では,村の共同畑の考えを押し進めるためにクゴトラ集  会を開催することを決めたのだ。バーの主人は,共同体の人々がそれを支持  する点について悲観的だ。

④タンピサーナと友人が入ってきて,祖父に挨拶する。かれらは居酒屋から廻っ  てきたので酔っている。

⑤バーのもの陰から娘が現われる。祖父と父はショックを受ける。タンピサー  ナはもっと青年を4−Bに参加させるべきだと不満を述べながら,娘を家に

 送る。

⑥父は,娘と土地委員会をめぐる自分の問題の一切について不満を言う。

⑦タンピサーナと友人は,居酒屋へ戻り,VDC会議を宣伝する。

⑧グンダンバーラが咳をしながら入ってくる。バーの主人は,かれが結核だと  告げ,かれに特殊な水薬を与える。

⑨隣人が祖父に,迷い牛の切盗の調査を警察が行っていることを話す。祖父は

 迷い牛を売って作った基金を,どうやってVDCプロジェクに役立てること

 ができるか,について話す。

(19)

 第三幕 数ケ月後,タンピサーナの家が背景

 登場人物,タンピサーナ,ムマピサーナ,ンクウィニャ,チカージ,バテテ グル

①タムピサーナと妻,祖父と友人が深刻な顔で椅子に坐り,チカージの妊娠の  ことを話し合っている。ンクウィニャがチカージを呼びに行く。

②ンクウィニャは,一目で妊娠しているとわかるチカージを引っ張ってくる。

③泣いているチカージは,相手が誰なのか,よくわからないという。説明によ  れば,彼女は毛布も持たずに家を出たので,さまざまな男と寝なければなら  なかった,という。

④タンピサーナは怒り狂い,妻に向ってお前の子どもの育て方が悪かったから  だ,と非難する。

⑤バテテグルがなじりあうタンピサーナとムマピサーナをなだめる。かれは,

 2人に向って:過ぎてしまったことをとやかく言っても始まらない,これか  らどうしたらいいかが問題だ,という。

⑥チカージは,顔を手で隠すようにして家の中へ消え去る。三人の男はトウモ  ロコシを見に外へ出る。

 以上がドラマの骨子であり,これに即して即興劇が演じられたのである。こ こにはすでに挙げておいたテーマがすべて盛り込まれている。この劇によって たしかに観客は,そこに描き出された自分たちの姿をみて,日常生活をあらた めて見つめ直すことができたにちがいない。劇の上演後に演者たちは,観客と この劇をめぐって討論を行っている。討論の柱は三つである。ドラマ化された 問題は,本当に村にある問題かどうか。こうした問題はどのように解決しうる か。ラエザ・バタナー二はこうした問題を克服するうえで,あなた方の助けに なるのであろうか。こうした柱で行われた討論についての報告がないために,

この劇によるコード表示が,観客のなかにどのような意識を生み出したのかを はっきり捉むことはできないが,こうした方法がかなり共感を呼んだことはた

しかなようである。にもかかわらず,この骨子による限りであるが,私には,

選び出された諸課題をひとつの劇にまとめ上げることに精力を削がれて,コー

ド表示の分析と解読の作業がかなり甘くなっている,と思われてしかたがない。

(20)

社会現実としての問題が,その深層構造において分析されていない場合には,

意識化へ向かうコード表示としての課題を提示する劇にはなりにくいがゆえ に,討論の組織化も難しくなるにちがいない。その意味では1975年のラエザ・

バタナー二は,結果的に社会変革の触媒としてよりも,互いの道徳的見地を人々 が確かめあう社会的儀礼として機能した,とするロス・キッドらの反省は頷け るところである。しかしこの反省に立って,即社会的儀礼から社会的行動へ,

と切り替えを急ぐのは危険である。

 1978年におけるフェスティバルの記録を見ると,この危険性はたちどころに 現われてくる。パフォーマンスは,衛生と便の処理問題を取り上げた人形劇,

性病を取り上げたドラマ,栄養と野菜栽培を扱ったドラマである。前年のドラ マと比較するとまさに様変りで,分節化されたテーマはきわめて具体的で明快 である。それぞれの骨子について紹介することは省くが,今回の場合には脚本 化されている,という特徴もある。しかもその脚本には解決行動まで指示され ている。便の処理問題では,便所をつくるゆとりがない場合には,排便時にシャ ベルを持っていくことにしよう,性病の問題ならば,迷信に惑わされず病院へ 行こう,栄養不良の問題ならば,キャベツ等の近代的野菜の栽培を,といった 具合である。これが間違いだ,などと言うつもりはない。エクステンション・

ワーカーにとっては,いずれもが大事な指導事項であったにちがいないのだか

ら。

 しかし大事ではあるが,あまりに個別具体的にすぎるこうしたテーマは,プ

ラグマティックな解決行動へ向かう傾向を強化することによって,ドラマそれ

自体を陳腐化させることになってしまう。それはロス・キッド自身が図式化し

た意識化のプログラムの,意識化という目的そのものを裏切る結果になる。意

識化にとっては要ともいうべき,課題に充ちた現実の,深層構造を批判的に捉

える過程にふさわしいテーマとそのコード化の方法が考えられなければならな

い。現場にいる各種の指導員は,直接的な解答としての解決行動を求めがちで

あるが,それは本来的な識字教育としての民衆教育演劇にはなじまないのであ

る。もし解決行動を優先して民衆演劇を使うとすれば,マスメディアや旧来の

伝達型「文盲一婦」運動が示すように,民衆演劇が大衆操作の道貝になってい

(21)

く可能性が強い。前述した危険性とはこのことである。

 ボッワナの民衆演劇を,,ラエザ・バタナー二に即して1976年まで見て来たわ けであるが,ここまでは,それはボカラカ地域での特殊な地方的実験と見なさ れてきた。ところがその実験が,それまでノン・フォーマル・エデュケーショ

ンには目もくれなかった多くの部分を巻き込んで進められているところから,

人・々の耳目を集め,1976年11月には,エクステンション活動に関わりを持つ政 府の各省庁,地方自治体,成人教育諸機関の代表で構成される民衆演劇委員会

(本部は大学拡張講座が発展的に解消してつくられた成人教育研究所に設置)

が組織されて,それ以後,ラエザ・バタナー二のツワナ語訳,ボセレ・チュワ ラガナングBosele Tshwaraganangの呼び名で全国に広げられて行くことにな

る。

 この全国的な組織の成立は,1978年5月,ガボローネからバスで一時間半ほ どのところにある大きな村,モレポローレにおける民衆演劇全国ワークショッ プを開催させることになっていくが,その間各地での民衆演劇の取り組みは,

もちろん多様に展開されている。

 1976年12月,モチュディでボセレ・チュワラガナング・キャンペーンが組 織され,家族福祉指導員のために保健省が一日のワークショップを企画した。

1977年に入ると民衆演劇は花盛りで,農業展示会では人形劇,ボッワナ・エク ステンション・カレッジの識字運動の宣伝その他で演劇,第四回のラエザ・バ タナー二,そして年末にはカニエにある産業革新センターで,その活動を普及 させるために人形劇.が用いられた。ナショナル・ワークショップが開かれ る1978年に入ってからも,クガトレンガ地区やガーンジ地区で,民衆演劇を用 いたキャンペーンが続いている。

 しかしこうしたブームにも似た取り組みも,全国ワークショップ後になると,

急速に勢いを失ってくる。私がボッワナ大学成人教育研究所を訪れたのは1982

年の夏であるが,この時にはすでに全国委員会が解散して一年経っていた。各

地で細々とした取り組みが相変らず続いており,年1回の情報交換の場だけは

かろうじて確保されていた。J・ケレピレにその点を尋ねると,もっぱら財政

問題(ボッワナの民衆演劇がカナダの援助に支えられていたことは事実であ

(22)

る)だ,と述べるのだが,私には単純にそうは思えない。D・ケールは「ボッ ワナでは,政府や準政府機関が強すぎるくらいの組織的統制を行っている。そ のために,重大な矛盾対立をはらんだドラマは成功を収めることができない」

(前掲論文)と指摘しているが,それは1976年のラエザ・バタナー二にあって すでに胚胎している,と見てよいであろう。民衆が真に参加し,主体となって いく民衆演劇が未成熟なまま・に,政府主導型の,「自力更生」と「参加」を掲 げた地方改良運動に利用されていく,そこにこそ財政問題以上に大きな問題が ある,といわなければならない。ボッワナにおける民衆演劇は,この問題と格 闘していかざるをえない,と私は考えている。

4.芸術ワークショップとチクワクワ劇場

 1982年8月,ザンビアの首都ルサカ郊外にあるザンビア大学では,10日間に わたる「芸術ワークショップ」が開催されていた。私は,途中からであるが,

ザンビア文化局の局長ステファン・チフニセStephen Chifunyiseの仲介で,

このワークショップに参加させてもらい,音楽・ダンス・ドラマのパフォーマ ンスを見る機会にめぐまれた。このワークショップは,民芸品の製作と展示,

彫刻,絵画,印刷,オールターナティブ・テクノロジーの問題,建築,音楽・

ダンス・ドラマのパフォーマンスなどを内容とする,いわば総合的な文化祭で あったが,その中心はやはり民衆演劇にあった。

 民衆演劇のチームは総勢約70人,小中学生,大学や銀行その他の労働者,伝 統芸能の専門家の三者から構成されていた。専門家が小中学生や労働者にパ

フォーマンスの手ほどきをして,近在の居住区や村の広場で公演を行う,とい うのが基本的なスタイルである。民衆演劇の公演は,ワークショップ期間の約 3分の2にわたって行われていたから,専門家の手ほどきを受けてリハーサル を行ったのは,せいぜい3日間というところであろう。

 そのプログラムは太鼓のパフォーマンスとダンスが中心で,そこに一ないし

二のコメディが組み込まれる,というものであった。1回の公演は実質約1時

間半で,ダンスと音楽のパフォーマンスは,ナムワンガ族のチンドゥングダン

ス,チェワやンゴニ族のニャウダンス及びムガンダダンス,ルバレ族のマキシ

(23)

ダンスをはじめとして,ロジ族,ベンバ族等ザンビア各地の伝統芸能にわたっ て実に多彩であり,初めて見る私などにはとζも区別がつかないし,その意味 を解読することもできるわけではない。それでもなお,パフォーマンスを見た

り,音楽をめぐる討論に参加したりして気づかされた点がいくつかある。

 ひとつは,すでに1章で述べたように,太鼓やダンスといった伝統芸能のパ フォーマンスが豊かなドラマ性を備えていること。それは,たとえばマキシダ ンスがルンダ族のイニシエーション儀礼におけるパフォーマンスであり,ニャ ウダンスがチェワ族の葬送儀礼の一部をなすパフォーマンスであることからわ かるように,伝統芸能そのものが一連の社会劇としての儀礼の構成要素であっ たことに依る。マキシダンス(もともと仮面と独特の衣裳を付けて演じられた ものである)は,イニシエーション儀礼におけるパフォーマンスであるから,

当然セクシュアルな踊りである。女のダンサーに主導されて男のダンサーがか なり自由な即興で演じるこの男女のドラマは,出合いと対話,交渉,そして合 意あるいは失恋といった男と女のコミュニケーションを,ダンスというメディ アを存分に使いこなして表現する。ここでは太鼓そのものも言葉であり,その コミュニケーション過程を力強く支える役割を果たしている。このダンスと太 鼓をコミュニケーション・メディアとする対話劇の展開という特質は,ニャウ

ダンスおよびその他のダンスにも通底する共通項である。マシエ・ミュージッ クセンターでディスコダンスを合わせ見る機会があって比較も容易であるが,

ここでのディスコダンスの振りそのものは,伝統的なダンスの要素を集めて合 理的に再構成したものである。にもかかわらず,あるいはそうであるがゆえに,

そこには伝統的なダンスが備えていたドラマ性は,いささかも存在しない。そ の構成原理は機能主義であって,人と人が出会い,事が展開していく,という ドラマの契機は完全に排除されているのである。この点は伝統芸能としてのダ ンスとは好対照であった。もしもこのディスコダンスのなかで人々が出会い,

事が展開するとすれば,ダンスという行為とはまったく別の次元で別のコミュ ニケーション・メディア,あるいは言語を導入しなければならないだろう。

 第二は,今回のワークショップ全体の意図にもかかわることである。民衆演

劇のワークショップであれば,通常は劇を想起するが,このワークショップで

(24)

は,伝統芸能としての音楽とダンスが中心であった。しかもカウンダスクウェ アその他の公演にダンサーたちと一緒に回って歩いた限り,観客(混乱を避け るためパフォーマンスへの参加を禁じられていた)にとっては,教育というよ りも娯楽としての意味がはるかに強いものであった。これはナイジェリアや ボッワナの民衆演劇とは,かなり異質である。この点にこだわり,ザンビア大 学付属アフリカ研究所の人類学者ムポマ博士による,ザンビアの音楽をめぐる 討論(ワークショップ中のプログラムのひとつ)に参加しながら気づいたこと は,今回のワークショップでは,ザンビア的なるもの,あるいはアフリカ的な るものを,民衆文化のなかからどのように把み出していくか,そしてその概念 内容をどのように捉えていくか,そこに力点が置かれていた,ということであ る。 この概念内容に関して結論めいたことを先取りしていえば,個性や差違 というものを,なにかアフリカやザンビアに純粋なものとして追求するのでは なく,他の民族や文化との相互の歴史的な関わりあいと影響のなかに置かれた,

相対的なものとして捉えていく,つまり構造化の差違として捉えていく,とい うことになる,と思われる。したがってそこでは当然選びとり構造化する文化 主体に目が向けられることになっていく。だからこそ民衆文化が問題にならざ

るをえないのである。

 このワークショップにおける主題の問題は,パフォーマンスに子どもが参加 していることもふくめて,チクワクワ劇場の果して来た役割と密接に結びつい

ている。

 チクワクワ劇場は,ザンビア大学から4キロメートル離れた,カウンダスク ウェアに程近い場所に,1969年から1970年にかけて建設された野外劇場である。

その名称は,劇場の屋根を葺く草を刈った鎌を意味するチェワ語chikwakwaに 由来する。この劇場は,当時ザンビア大学演劇学科の教員であったマイケル・

エザートンの創案になるものであったが,その理念は,ザンビアの演劇文化史 上画期的な意味を持っている。真の意味で民衆にとってのザンビア的な演劇づ

くりはここから始まるからである。

 チクワクワ劇場が掲げた主要な理念は五つある。①知識人をも包みこむ民衆

の劇場であること,②社会の問題と密接に結びついた劇を上演すること,③ザ

(25)

ンビアの新しいドラマづくりを支え励ますこと,④ザンビアの民間芸能のもつ 伝統的要素を演劇の概念のなかに取り込んでいくこと,⑤劇場を民衆のところ

まで届け,持っていくこと。ザンビアにおける真の民衆演劇の創造を目指すチ クワクワの理念は,劇場建設の指針でも明瞭に示されている。すなわち,その 土地で調達できる資材を用いて,できる限り安上りのものにすること,必らず しも半永久的な建造物である必要はないこと,しかも農村地域で容易に同じよ うなものが造りうる劇場でなければならないこと,これが建設にあたって出さ れた指針である。

 民衆を劇場に,ではなく劇場を民衆のもとへ,というチクワクワの理念は,

すでに移動劇場としての活動を予告している。ウガンダにおけるマケレレ移動 劇場を,エザートンが念頭に置いたことは間違いない。移動劇場の形式で,地 域住民に支えられかつかれらが参加する民衆演劇に本格的に取り組むことが,

チクワクワ劇場創設者たちの狙いであった。チクワクワ劇場完成後に初めて行 われたワークショップは,ザンビア東部の町チパタでのものであるが,ワーク ショップの歴史から見るとこれは第三回目であり,1969年にはすでに第1回目 の取り組みが英語学科と成人教育部門の共催で行われていたのである。

 チクワクワ劇場の完成は,その後ザンビアの各地へ活動を広げていく移動劇 場運動の回転軸の設定を意味している。

 チクワクワ劇場は年に一度ないし二度,1週間から10日間の地方巡回公演

(ワークショップ)をこの10年続けている。上演される劇は,倫理的・政治的 メッセージを含んだものであるが,そのほとんどが創作劇であり,民話を素材 にしたものはかなり多い。伝統芸能を劇に組み込んだダンス・ドラマもくり返 し演じられているし,その土地の格言をベースにして寸劇が演じられることも 少なくない。こうした演劇のザンビア化をはかる傾向は,おそらくチクワクワ 劇場の重要な特質である,といってよいだろう。しかも73年頃からは土着言語 による劇の上演が大勢を占めるようになる。72もあるといわれる部族の言語を 考えると,土着言語劇の上演は容易ならざることであるが,民衆演劇が現在の 言語・文化状況のなかで真に民衆のものになっていくために,それを避けて通

ることはできない。

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