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ワイカートの幼児教育論

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(1)

ワイカートの幼児教育論

その他のタイトル Weikart's theory of preschool education

著者 中城 進

雑誌名 教育科学セミナリー

巻 14

ページ 15‑28

発行年 1982‑12‑07

URL http://hdl.handle.net/10112/00019533

(2)

ワイカートの幼児教育論

Weikart's  theory  of  preschool  education 

中 城 進

はじめに

米国の教育現代化運動の気運を契機として、

ピアジェ理論にもとづいて幼児教育論を考えて 行こうとする研究が

1 9 6 0

年代初期からなされて 来ている。何故に、ピアジェ理論にもとづいて 幼児教育を考えようとする人々が現われたので あろうか。それは、

1 9 6 0

年代以前から、多くの 知識をただ闇雲に子どもに詰め込んだり、子ど もの個人的適応を達成させたりすることを目的 とする教育の在り方に彼等が疑問を持っていた からである。彼等は「思考の仕方」というもの にもとづいて子どもたちを教育するべきではな いかと考えていた。

1 9 5 9

9

月に教育の現代化 運動を推進するために、ウッヅ・ホール会議が 開かれた。その会議にピアジェの共同研究者イ

ンヘルダー

( RInhelder)

が参加し、ビアジ ェ理論を紹介した。紹介されたピアジェ理論は 子どもの認識の発達過程を研究したものであり、

数、分類、系列化、保存、時間、空間などの思 考の心理学研究であった。そして、このピアジ ェ理論は、数ある発達理論のなかでも最も完全 で首尾一貫性をもつ発達理論であるということ が米国の教育学者や心理学者たちに理解された。

新しい教育の在り方を求める研究者たちは、ピ アジェ理論は教育に適用可能であると判断し、

この理論にもとづくカリキュラムづくりに取り 組んだのであった。

現在、米国ではいくつかのピアジェ派幼児教 育プログラムがあるのだが、そのなかで代表的

なプログラムはラバテリー

(C.S .  L a v a t e l l i ) ,  

ファース

(H.G. F u r t h ) ,  

ビンガム・ニューマン

(A.M. Bingham Newman), 

カミイ

( C .Kamii), 

ワイカート

( D .P ,  Wei kart) 

らがそれぞれ中

.心となって進めたプログラムである。これらの プログラムのなかで、組織的かつ長期的に研究 が続けられているものはワイカートらのプログ ラムである。ワイカートらはプログラムの研究 を重ね、評価研究を実行し、プログラムの改善 を加えており、彼らのプログラムは現在進行中 のプログラムであるといえよう。

現在のワイカートらのプログラムは「

Young C . h i l d r e n   i n  Action

(1)にまとめられてい る。現在のプログラムは、

1 9 7 1

年に公刊された

The Cognitively Oriented Curriculum 

(2)を改訂したものである。

TheCognitively  Oriented Curriculum

Y p s i l a n t iPerry  Preschool  Project

Y p s iI  a n t i   Curricu‑

lum Demonstration  Project

とを基盤とし て発展したプログラムであった。

ワイカートたちがヒ゜アジェ理論に出会ったの

1 9 6 3

年であり、それはハント

( J . M.Hunt) 

の「知能と経験

J

(3)を通してであった。彼等は

自分たちの討議において生じて来た問題にピア ジェ理論が深.く関わり合うものであると理解し、

ピアジェ理論を自分たちのプログラムに取り入 れることにしたのであった。当初のプログラム では、発達段階に関連のある特殊なヒ°アジェ課 題を教え込むという傾向があった。しかし、ワ

(3)

イカートたちは実践と理論とを何度となく往復 を重ねるうちに、いわゆる"ピアジェ派 とい

う狭義の名称で呼べるようなやり方から抜け出 して来ている。それは、ピアジェ理論から訣別 するというのではなく、ピアジェ理論をより深

く理解するということである。

現在、わが国においてもピアジェ派幼児教育 が実践されたり、またその著作物が出版された

"ピアジェ理論による教材づくり という 名のもとでの企業化が進み、教材販売にピアジ

ェ理論の名が利用されて狭義の知的教育とビア ジェが結び付けられている。彼等のピアジェ理 論の解釈はワイカートたちが当初採用していた

"ピアジェ課題を子どもに教え込む というも のである。これらの人々とは対照的な立場に立 つカミイはピアジェ理論自体に最も忠実で最も 正当な幼児教育論を展開していると評価され(4) わが国でも近年相次いでその著作が紹介されて いる(5)(6)。しかし、ワイカートたちのプログラ ムは旧版で紹介されたり、部分的に不充分に紹 介されたりしているだけで、彼等の意図するこ とが必ずしも充分に一般に知られていない。そ こで、本稿でワイカートたちの新しいプログラ ムを紹介したいと思う。このことは幼児教育界 にとって有意義なことであろうと思われる。

( 一 )

ワイカートたちが目指すもの カリキュラムづくりにおいて、ワイカートた ちは、発達的に妥当な教育のための枠組みを創 り出すことを目指している。彼等は人間の発達 と学習について次の二つの仮説を立てている。

第一の仮説は、人間はその人生を通じて予測可 能な順序性をもってその資質を発達させる、と いうものであり、第二の仮説は、ある事物が最 善あるいは最高に効果的に学習されるにはその 人生においての最適期がある、というものであ

これらの仮説について、ワイカートたちは次 のように考えている。発達的順序の予測可能性 にもかかわらず、人間の発達は一定不変で予期 しうる結果をもたらさない。生まれたばかりの 未発達状態から成長を遂げた状態までの道筋は あるとしても、すべての人間はその個人特有の 知性やパーソナリティを分化させ統合させると いう特性があるので、その学習は各個人独自の やり方でなされる。これらの知性やパーソナリ ティを排除したり、無視したりする教育のやり 方は子どもたちを不幸にするものである。

実をいえば、彼等自身たちもこの誤りを初期 のプログラムでおかしていたのである。子ども たちの背後にある文化的なものを考慮に入れる ことなく、むしろ排除し、優勢な力をもつ文化 に子どもたちを適応させるという方向でワイカ ートたちも実践していたのであった。

発達的変化が人間の一つの基本的事実であり またその上に個々人が発達的に独自な在り方を し、そして特定の種類の学習には最適期がある とするなら、発達的に妥当性のある教育には次 の三つの方針があるべきだとワイカートたちは 考えている。

( j )

ある特定の発達段階において現 われて来る学習者の資質に働きかけたり、引き 出したりすること。 (II浮習者の興味や才能や長 期的目標の独特なパターンを学習者自身が発達 させることを促進したり、援助したりすること。

(圃浮習者が学習したものを習得し、一般化し、

保持するのに発達的に一番良い時に、また学習 者が学習したものと先行経験や未来の可能性と を関連づける時に、学習経験を与えること。こ れらはピアジェ理論から大いに示唆を受けてつ くられた方針である。これらの三つの方針にも とづいて、彼等はカリキュラムを作成したので あった。

(4)

ワイカートたちの教育の目標は、社会・情緒 最も重要なものである。

的発達と認知的発達に置かれている。しかし、

彼等のプログラムは幼児の社会・情緒的発達に はごくわずかしか関心が示されていないと批判 されている。これに対して、ワイカートたちは

「間接的方法」で社会・情緒的発達を考えてい るのだと反論している。彼等が社会・情緒的発 達に直接的に言及しないのは、その内容が目標 として掲げられてもあまりにも抽象的であり難 解でもあるからである。それよりも具体的で明 瞭であることを選び、子ども自身が計画するこ

とや物や出来事を分類したりすることに焦点づ けてカリキュラムをつくった。その方がカリキ ュラムづくりは容易でありかつ生産的であると 彼等は考えたのである。彼等は、社会・情緒的 発達は認知的方位づけをもつプログラムのなか で増進させられるべきものであると考えている。

彼等のプログラムは言語的にも、文化的にも 発達的にも子どもをあるがままに受け入れるも のである。目標によって規定された役割に子ど もたちを導こうとするのではない。子どもたち はプログラムを創造する貢献者であり、その参 加者である。このことは、教師と子どもたちと の間の肯定的関係を必然的に生じさせ、社会・

情緒的発達に大きな影響を与える。また、この プログラムは、子ども自身が計画することや作 業することや評価することに重点を置いている。

そうすることによって、個人的責任を確立する ということが考えられている。これらの活動は 自己価値感や独立感を増大させることにもなる だろう。また、彼等のプログラムは個々の子ど もの認知的発達に適合するものであるっそれ故 に、子どもたちは自分自身の知識のレペルで探 索したり、実験したりする機会を十分にもって いる。人間の働くことへの充分な関わり感とそ れから得る満足感は社会・情緒的発達にとって

( 二 )

ピアジェ理論からの教育的示唆 ワイカートたちは就学前児童に見られる発達 的変化の特性を熟知するためにピアジェ理論と その発達研究とを取り入れた。それは、ピアジ ェ理論が数ある発達理論のなかで最も完全で最 も首尾一貫したものであると判断したからであ る。現在の所、最も広く受け入れられているピ アジェの研究の原理にカリキュラムの方策と目 的とを基礎づけたのであった。

しかし、それは過度にうやうやしい態度で行 なわれたのではなかった。ワイカートたちは発 達理論から演繹的に引き出された教育実践は充 分に実用に耐えるものではないと考えている。

彼等のカリキュラムの枠組みづくりは理論と実 践との両方から引き出すというものである。こ の点は、ビアジェ理論の教育への適用に関して

「「正統派」の第一人者的存在」

(4,P87)

いわれるカミイの取り組みとは大いに異なって いる。カミイは、ピアジェ理論から教育を考え ようとする理論一演繹的立場をとる。カミイの 取り組み方は現実の子どもの有り様との妥協を 許さぬ立場である。それに比べて、ワイカート たちは子どもたちの現実の姿からも学ぼうとす る態度をもっており、理論と実践との両方から 学ぼうとするその研究態度はピアジェ派幼児教 育論者のなかにあっては穏健な立場である。

人間はただ外界から刺激を受けて、それらの 情報をそのまま蓄積して行くという存在ではな い。人間は、外界から刺激を受け取るだけでな く、外界にも働きかける存在であり、外界と相 互作用をし合う存在である。人間は現実につい て役立つ仮説あるいは認知構造を次第に構成し たり、また自らの活動を通して自己の行為のフ ィードバックを受けて自己のもつ仮説あるいは

(5)

認知構造を修正する存在である。つまり、認知 構造の変化(発達)は外界から一方的に情報を 与えられて起こるのではない。人間はその発達 レベルの認知構造で能動的に外界に働きかけ、

その認知構造では処理出来ない情報に出会った 時に不均衡状態が起こる。そして、新たな均衡 化が生じ、より高次の認知構造が構成されて行 くのである。それ故に、ワイカートたちは教え 込みによる発達の促進は発達的に妥当性のある 方針ではないと考えている。ピアジェ理論から 最も示唆されることは、教師は発達の援助者で あり、教師の最も童要な目標は子どもの能動的 学習を促進させることであるとワイカートたち は判断したのである。

1 .  

〖能動的学習〗

能動的学習とは、子ども自身によって率先さ れる学習を意味している。単に伝達されるとい う学習ではなく、子ども自らが主体的に取り組 んで行なわれるという意味の学習である。能動 的学習は子どもの要求と興味とにもとづいた自 発的なものを大切にする。また、能動的学習は 子どもの側の創造性をも意味している。教え込 まれるというのではなく、子ども自身が自らの カで発明・発見をしながら学習をして行くとい

うことである。

ワイカートたちは次のように考えている。子 どもたちが自発的に知的な問題解決に取り組み 得る人間になることを望むのであれば、幼児プ ログラムにおいて行なうべきことは、子どもた ちが興味をもつ問題に取り組む機会をたくさん 子どもたちに与えることである。つまり、子ど もたちが自分自身の意図をもって世界に働きか けて行く機会を出来るだけ数多く子どもたちに 与えるべきなのである。子どもたちは、生れつ き、周りのものへの能動的探索者である。子ども たちの探索する要求を尊重し、また能動的学習

が子どもの学習にとって最もよい方法であると 考えるなら、大人は活動のための豊かなたくさ んの機会をその生活のなかに保障するべきであ る。室内のそれぞれの区域はいろいろなやり方 で使い得る材料をたくさん置いておくべきであ る。子どもたちが材料と取り組んでいる時に、

大人は材料の特性(音やにおいや感じや味など)

を子どもたちにたずねたり、それらの材料をど のようにして使ったらよいかを子どもたちに質 問する。このような質問は子どもたちが探索活 動を拡大することを助けるものとなるであろう。

以上のように、ワイカートたちは多様性のあ る材料を与えることを強調している。さらに彼 等は子どもたちの学習は、教師が満足すればよ いのではなく、自分たちが計画したことを自分 の手で行なっているということを子どもたち自 身が感じるものであるべきだ、と考えている。

2.  〖計画時間 (P

ann  i  ng  t  i  me) >

ワイカートたちのカリキュラムでは、子ども たちが自分で自分のやりたい活動を計画したり 選択したりする。このことによって、子どもた ちはいったん計画したなら何かをやり遂げるこ とができるということを知り、また自分たちが はっきりと選択したり他のやり方でもできると いうことを知ることになるだろう。この計画時 間で行なわれることは子どもの表現的活動や会 話を"現在の場 から霰離れた場 へと導くの に大いに役立つゼろう。

子どもは自分がしたい事を自分で考え、自分 で計画し.自分で選択し、そして自分の考えを 教師に告げる。表現をするということは充分な 表象的な操作が必要とされる。言語を習得して 身体的な活動様式が内在化され、自分の行為や 出来事や事物を表象レベ1レで処理することがで きるようになって来る。表象レベルで操作した ことを通して自分の意図する事を言語で表現す

(6)

ることは知能の発達に大いに影響を与えるであ 動によって決められている。

ろう。

3 .  

[カギ経験〗

能動的学習は発達過程の中心核であるという 仮定と、ピアジェ理論で考えられた「前操作期」

の子どもたちの最も重要な認知的特性の記述と から、ワイカートたちは発達的妥当性のあるプ ログラムの作成と評価のための指針として役立 つであろう「カギ経験」を考え出している。カ ギ経験は、 「能動的学習におけるカギ経験」、

「言語使用におけるカギ経験」、 「経験やアイ デアの表象におけるカギ経験」、 「論理的推論

(分類、系列化、数概念)の発達におけるカギ 経験」、 「時間と空間の理解におけるカギ経験」

とに分けられる。一つ一つのカギ経験は、具体 的に系列化のカギ経験を例にとれば、 「比較す ること」、 「順に並べたり、それらの関係を述 べること」、 「試行錯誤を通して、物体の順序 だったセットを他の物体に合わせること」とい うものである。これらのカギ経験は約50個ほど あり、いわば恣意的に挙げられたものだが、

1 9

6 2

年から

1 9 7 8

年までの間に検討され修正され て発展して来たものである。

これらのカギ経験は特定の概念を教え込むた めに組織された学習状況を意図するものではな く、子どもたちの発達を援助するための枠組み である。カギ経験は到達目標ではなく、また点 検事項でもなく、一種の「知的滋養物」とでも いうべきものである。つまり、カギ経験は、一 度で取り付け可能な歯車のようなものではなく、

何度も子どもによって経験されるべきものであ る。個々のカギ経験は発達レベルの範囲内で無 数の活動を通して実現化されるものである。

年間を通じての諸活動の順序づけは、 「具体 的→抽象的」、 「単純→複雑」、 「今、この場 で→時間的、空間的に離れて」という次元の移

教 室 、 日 課 、 大 人 の 役 割

ワイカートたちのカリキュラムの目立った特 徴は教室、日課、大人の役割にあるっこれらは ピアジェ理論と実践とから生まれて発展して来 たものであり、具体的に展開されている。

1 .  

〖教室〗

ワイカートたちのカリキュラム、つまり「認 知的方位づけカリキュラム」を採用する教室は たくさんの材料と設備と能動的な子どもたちの ための空間が必要である。この環境の整備は子 どもたちの選択やその活動に、また子どもたち 同士や子どもたちと大人との間の対話に、影響 を与える。子どもたちにとって刺激的なものが たくさんあり、かつそのなかで子どもたちがそ れらの刺激的なものから自分たちがやりたいこ とを選択することができ、そうすることのでき る整備された環境を子どもたちに与えれば、子 どもたちは最善の学習をするとワイカートたち は考えたのである。

ワイカートたちは教室のなかに作業区域

(w‑

ork areas)

を配備している。作業区域は子ど もたちが自分で選択することの中身が何である のかを子どもたち自身が理解することを助ける 役目を果たす。それは、それぞれの区域が一連 の独自の材料や作業の道具などを置いているか らである。自分で計画・選択した後に、子ども たちはその計画・選択と関連している区域に行 く。このことによって、子どもたちは衝動性を 乗り越えて、計画性や目的性や思慮深さが身に つくであろう。これらの作業区域は部屋の周辺 部に置かれている。部屋の中央部は移動のため やグループ会合やアクションゲームのために何 も置かないようにしておく。

認知的方位づけプログラムにおいて、コア区

(7)

(cor e   areas)

として、プロック区域、住居 区域、芸術区域、静寂区域、製作区域、音楽・

運動区域、砂・水区域、動・植物区域、戸外遊 戯区域などがある。それらを簡単に紹介してお

こう。

(a)  プロック区域とは積み木となるようなも のを置いている区域である。三歳児や四歳児に とってプロック積みは面白くてやりがいのある 遊びであり、また物のバランスや空間的構造の 問題を解決しようとする学習の課題でもある。

十分な設備をもつプロック区域は、子どもが探 索、協同あるいは独りで作製したり、また分類、

グループ化、比較、物体配列、経験の表象、役 割遂行をする場を与えている。それらのことは 重要な認知的経験や社会的経験を子どもたちに 与えるのである。

(b) 住居区域は、ごっこ遊びと役割演技のた めの中心的な場となる。子どもたちが見聞きし てきた人々の真似をすることは、子どもたちに 大人の世界を感じさせる助けとなる。また、こ の区域は協同したり 感情や考えを表現したり 他の人々と要求や意見を交したりするための言 語使用の機会を子どもたちに与える。また、家 具や台所用品を同じものとして分類したり、大 きなものから小さなものへと並べたりという系 列化の経験を与える。

(c) 芸術区域では、子どもたちはペイント、

クレヨン、糊、紙、ハサミ、箱、ひも、ねんど などで自分たちが見たものや頭のなかで考えた ものを表現する。子どもたちが材料を混ぜ、か き回し、転がし、穴をあけ、ねじり、曲げ、折 り重ねるときに、子どもたちは材料に変化を起 こし得ることを学習し観察する。つまり、一緒 にしたり、分解したり、配列したり、組み合わ せたり、変形したりして、子どもたちは認知的 経験をしているのである。

( d )

静寂区域の「静寂」というのは、プロッ ク積みやかなづち打ちや楽器演奏などに比べて 静かであるという相対的な意味である。この区 域は本やパズルや小さな操作的ゲームなどをい っぱい置いてあり、一人であるいは友達同士で それらの題材で遊ぶ。ゲームを通して、子ども たちはバラバラにしたり、それらを再配列した り、一緒にくっつけたり、分類したり、組み合 わせたり、比較したり、パターン化したりする。

これらの認知的経験は教師から教え込まれるの ではなく、子ども自身の活動によって獲得され ているのであるQ本を読んだり、物語を聞いた り、お話をつくったりすることも子どもたちの 創造的活動をかき立てるものとなるであろう。

(e) 製作区域では、本物の木と道具を使って 子どが作りたいものを作る。他の区域や家庭で 使えるようになるしっかりした概念を、作ると いう作業経験を通して獲得する。

( f )

音楽・運動区域における活動は、後にも っと複雑になる音楽的・リズム的表現のための 基礎となる音楽的・リズム的技能を獲得する機 会を子どもたちに与える。子どもたちは音(音 質やメロディ)をよく聞いて比較したり、また

「速く」と「遅く」、 「最初に」と「次に」と いうような概念を働かせる。

(g) 砂・水区域において、子どもたちは混ぜ たり、かき回したり、積み上げたり、落とした り、穴を堀ったり、詰めたり、空にしたり、注 いだり、軽くたたいたり、ふるいにかけたり、

型に入れてつくったりということを通して、砂 の"きめ や量や属性を発見する。また、子ど

もたちは砂と水とでケーキをつくったり、ピザ パイをつくったり、ごっこ遊びをする。それら のことは表象的操作の発達や役割演技に重要な 役割を果たす。

(h) 動・植物区域において、子どもたちは動

(8)

・植物の成長と変化を観察することができる。

また、生きものにエサを与えたり、水をやった り、世話をする。

( i i  

戸外遊戯区域は、子どもたちの運動のた めに必要とされる空間であり、そこでは運動を 促進する設備が必要とされている。それらの設 備は子どもの身体発達や認知的発達にとって重 要な役割を果たす。また、それらの設備を使っ てルールのある遊びを子どもたちがするように なれば、社会性の発達が大いに期待されること になるだろう。

以上述べて来たコア区域はその中味が一年を 通して固定されなければならないものではない。

子どもの活動や材料の使用状態に応じて変えて もよい。新しい題材や設備を加えたり、また新 しい区域を付け加えたりすることもできる。

2 .  

[日課の確立〗

ワイカートたちは、日課の確立をそのカリキ ュラムのなかに取り入れている。毎日決まりき ったことを順番に三歳児や四歳児に行なわせる と、その子どもたちは時間を理解する特別な方 法を獲得すると彼等は考えるのである。何回か 日課の順序に従い、そしてその各課業の名称を 覚えることになれば、子どもたちはその一連の 課業を予測可能な一連の出来事としてとらえる ようになるだろう。そうなれば、次に何をする かということを子どもたちは大人にたずねる必 要がなくなる。定まった日課は一つの枠組みで ある。次に何をするのかということを心配して エネルギーを無駄に使うこともなく、これらの エネルギーを別の活動意欲にむけることができ る。また、一度日課が確立すれば、子どもたち は居心地よく感じて情緒的安定感を得るだろう。

このように、ワイカートたちは考えている。

日課の三つの主要な目標をワイカートたちは 次のように設定している。

( j )

問題解決に役立つ

「計画ー実行ー復習」の順序を与えること。

( j j )

いろいろな相互交流の型を与えること。

( i U ) 多様

性のある環境で活動する機会を与えること。

また、日課の主要な要素は、計画時間、おし ごと時間、お片付け時間、想起時間、小集団時 間とおやつの時間、戸外時間、サークル時間な どである。

(a) 計画時間とは、既に述べたように、子ど もたち自身で計画・選択をする時間である。子 どもたちはその計画を大人に見せる。大人は、

教え込んだりはせずに、いろいろな示唆を与え て子どもたちの活動を援助する。

(b)  おしごと時間

(work time)

とは、子ど もたちが自分で計画・選択した企画や活動を実 行する時間である。

(c)  お片付け時間とは、おしごと時間の間に 使った材料を分類し、整理し、しまうという時 間である。

(d) 想起時間とは、子どもたちがおしごと時 間に行なった事を思い出したり、表象したりす る機会を子どもたちに与える時間である。それ は計画や実践方法を完全なものにするのに役立

(e)  小集団時間では、子どもたちは通常は大 人によって選択された題材を学習する。その題 材は、ある特定のカギ経験によって大人が子ど もたちを観察したり、評価したりするために計 画されたものである。

(f) 戸外時間では、子どもたちや大人たちは 身体を活発に使った運動をする。子どもたちが 活動的に運動している時に、大人は子どもに自 分が何をしているかと話しかけて子どもの応答 を聞く。

(g)  サークル時間では、すべての子どもと大 人とが一同に集まり、歌ったり、楽器を演奏し たり、音楽に合せて身体を動かしたり、ゲーム

(9)

をする。また、これからしたいことを話したり する^

半日プログラムの日課例

8 :  3 0  ‑8 :  50  a .  m

計画時間 8 : 

50 ‑9 :  45 

a. m おしごと時間

9 :  45 ‑1 0  :  00  a m

お片付け時間

1 0  :  00‑10 :  30  a .  m

想起時間

おやつの時間 小集団時間

1 0  :  30 ‑1 0  :  50  a .  m

戸外時間

1 0  :  5 0  ‑1  1  :  1 0  

a. m 集合時間

1 1  : 

0  ‑1 1   :  20  a .   m 解散

全日プログラムの日課例

7 : ::i8 : 

30a.m

子どもが来た時、大人は 子どもと計画を練り、短 いおしごと時間を子ども が始めるようにする。

8 :  3 0  ‑ 9 :  00  a .  m

朝食と歯みがき

9 :  0 0  ‑ 9 :  20  a .  m

計画時間

9 :  20 ‑1 0  :  30  a .  m

おしごと時間とお片付け 時間

1 0  :  3 0  ‑1 0  :  50 

a . m 想起時間

1 0  :  5 0  ‑ 1 1   :  20 

a.  m 戸外時間

1 1   :  20 ‑1 1  :  45  a .   m

集合時間と昼食の用意

1 1   :  45 ‑1 2  :  30  p  .  m

昼食

1 2  :  30 ‑1 :  30  p  .  m

お昼寝時間。子どもたち は寝たり、本を読みなが ら静かに横になったりす

1 :  30 ‑2 :  1 5  p .   m

小集団時間とおやつの時

2 :  1 5  ‑ 4 :  00 p .   m

子どもたちは帰ってもよ い。大人たちは残ってい る子どもたちと計画を練 り、子どもたちは帰るま でそのおしごとをする。

(Young Children in A c t i o n ,   P61

より)

3 .  

〖大人(教師)の役割〕l

ワイカートたちは、大人の役割を子どもたち が問題を解決して行く際の援助者であると考え ている。つまり、大人の役割は、子どもたちに 一方的に教え込むことではなく、また子どもた ちの自由にまかせて野放図な状態に子どもを置 き放しにすることでもなく、子どもたち自身の

・能動的な取り組みに大人が援助的に働きかける ことである。援助の仕方は、次のように考えら れている。

( j )

環境の整備。子どもたちが選びたくなる ような種類の題材や活動を数多く準備すること である。つまり、大人の役割は自然の学習の機 会を最大にするための環境を構造化することで ある。また、物理的環境の整備だけではなく、

物理的にも心理的にも快適さと安全牲を備えて いる環境を保障することも大人の役割である。

子どもたちが社会的にも知的にも充分に発達す るためには、安全であり、自分が高く評価され ていると子どもたちが感じる暖かい友好的な環 境が必要である。あざけりとか罪を与えたりと か無視することはもってのほかである。

子どもたちの自由の制限を設定し、首尾一貫 してそれらの制限を保持することも大人の一つ の役割である。無制限の自由は子どもたちに多 くの責任を負わすということになる。というの は、子どもは、どれ位までが自分が取り得る行 動の許容範囲なのかということを経験的に確か めて行くことだけに多大のエネルギーを費やし てしまうことになり、自由を楽しんで活動的に 学習するという時間とエネルギーを失うからで ある。また、理由を話して、代わりの活動を示 すことなしに「ダメ」と言うべきではない。

( j j )  

子どもの能動的学習と言語学習を援助す ること。大人は、子どもの思考過程や言語発達

(10)

や社会的発達を刺激するカギ経験の段階を設定 するためにも、子どもに問いかける。また、問 いかけて子どもにいろいろと考えさせる。大人 は、子どもが何をしているかを見出したら、子 どもの発達のレベルを考慮して援助的に働きか ける。子どもの活動を邪魔せず、子どもの能動 的な気分を大事にして援助的に働きかけること が重要なことである。子どもの努力を支持して 受け入れるために身体的接触も行なう。

大人が子どもが行なっていることをたずね、

そのことについて子どもと話しあうということ は子どもに自分が何をしているのかをはっきり 認めさせることになる。それは問題解決に見通

しを与える契機となるであろう。また、言語の 学習においても、自分の活動と結びついた言語 の学習として大いに役立つ学習状況であり、表 現や会話は言語学習を促す。大人と子どもとい う間の関係だけではなく、子どもたち同士の助 け合いや話し合いが出来るように大人は配慮す

能動的学習において、子どものアイデアを自 ら実行する充分な時間を与えることが大切であ る。その日のおしごと時間だけでは出来あがら なかったら、次の日にそのアイデアや計画をお しごと時間で続行できる機会を与えて、子どもに 充分な時間を与える。継続して子どもが自分の

アイデアや計画に取り組むように大人は援助す

( i i i )  

子どもが計画、選択、決定することを援 助すること。子どもたちが計画、選択、決定を するために、大人は魅力があって多様性のある 題材と設備を備える。子どもたちが計画、選択 決定することを援助し、大人が見て変な計画や 選択や決定であっても受け入れる。そして、子 どもたちに自分がどのような計画、選択、決定 をしたのかをはっきりと言ってやる。

( j y )

子どもが自分の問題を解決したり、自分 の好きなことをするのを援助すること。大人は

「それは間違っているよ」などとは言わず、子 どもがおかす誤りを矯正しない。その誤りから 子どもが学ぺるように配慮する。大人は、一番 良いとされる解決方法を子どもに要求するので はなく、子ども自身が自らの力で解決する方法 を受け入れるべきである。それは子ども自身の アイデア、計画を否定しないということである。

4 .  

〖親の役割〕

ワイカートたちのプログラムの特徴の一つは、

子どもたちの親をも巻き込んだプログラムであ るということである。親のためのカギ経験とい うものをワイカートたちは考えており、それら のカギ経験はスタッフと親たちが良い関係をも っためにも必要とされている。親のためのカギ 経験とは次のようなものである。

( i )

親であることは教えることであるという ことを理解すること。親は子どもたちの最初の 教師である。親の援助のもとに就学前教育を受 ける以前から数限りない情報を子どもたちは取 り入れて処理し、また数多くの多様性のある複 雑な技能を習得している。しかしながら、多く の親は自分自身が教師の役割を果たすというこ とは考えない。自分の子どもがやり遂げたこと には満足を示すのだが、自分自身の役割を理解 してはいない。それ故、就学前教育を行なう教 師だけが教えることができる教師ではないとい うことを親に気づかすぺきである。 (a)親である ことは教えることであるということ、 (b)親は児 童の発達についてよく知ること、特に自分自身 の子どもについてよく知ること、 (c)教師は知識 を調達する人ではなく、家庭で既に行なわれた 学習を復習し一般化させようとする人であると いうこと、をクラスルーム・スタッフは親に家 庭訪問をして伝えるようにしている。

(11)

( i i )

教室プログラムに寄与すること。ワイカ ートたちは親の協力の重要さを熟知しており、

クラスルームのポランティアに親が加わること を勧める。教室プログラムに参加することによ って、親は他の人々の子どもたちの行動様式を も見るようになる。そうすることによって、親 は自分の子どもだけが問題をもっているのでは ないことを知るだろう。親は子どもの行動に寛 容になり、子どもへの関わり方も変わるだろう。

親が参加することによって、親とクラスルーム

・スタッフはいろいろな知識を共有することが できる。そのことにより、クラスルーム環境を 豊かにすることも可能となり、また子どもたち

と充分な関わりをもつようにもなるだろう。

( i R )

親・スタッフ会合に参加し、共に計画を すること。親とスタッフが既に決められたこと をただ単にこなして行くのではなく、計画、組 織化、話題選択、会合の運営のための責任を共 に負うのであれば、親・スタッフ会合は刺激的 なものであり、情報交換や相互支持の有益な話 し合いの場となるだろう。親がこの会合に寄与 すればするほど、この会合は有意義な会合にな るとワイカートたちは考えている。

( i V l  

児童発達と教室カリキュラムについて学 ぶこと。子どもについての知識や関心を共有す るために、スタッフは親・スタッフ会合や家庭 訪問で児童発達の知識やカリキュラム題材やク

ラスルームの配置や日課を親に教えたり、それ らを学習するのを援助する。

以上のように、ワイカートたちのプログラム は親の協力なくしては機能しない。ワイカート たちの

1971

年版のプログラムでも、家庭訪問に よって親に養育・教育方法を教えるというやり 方は取り入れられていた(

2 )

。1972年には、米国 において1

6

カ所でホーム・スタートが実施され ている。橋川の報告によれば、プログラムが親

に介入すればするほど子どもの

IQ

や学業成績 が上昇し、親の訓練プログラムは早期介入プロ グラムの重要な構成要因であるという(7)

( 四 )

カリキュラムの適用

ワイカートたちのカリキュラムは教師たちの ための一つの枠組みである。子どもたちに教え 込むための一連の既定された活動やレッスンで はない。彼等のカリキュラムはある特定のグル ープに属する子どもたちのためにつくられたの ではない。彼等のカリキュラムはある特定の社 会的グループの子どもたち、能力に恵まれたり あるいは恵まれない子どもたち、ハンデキャッ プをもったりあるいはもたない子どもたちに焦 点を当てているのではない。すべての社会・経 済階層、またすべての能カレベルにわたる子ど もたちのためにワイカートたちはカリキュラム づくりをしているのである。それ故、彼等のカ リキュラムは広範囲の多様性をもった方向で適 用可能なカリキュラムであり、ラテン・アメリ`

力やアンデス高原の辺地でも、また平均的な子 どもたちだけを集めた教室やハンディキャップ をもつ子どもたちのいる教室でも、また二言語

・ニ文化的なグループに属する子どもたちのい る教室でも使用されている。

ワイカートたちのカリキュラムは二言語・ニ 文化的な接近法を強調している。これは子ども たちに快適で安全な環境を保障するための一つ の方法であり、また彼等の教育に取り組む態度 でもある。このことは、わが国においてはなか なか理解されないことかも知れない。合衆国は 多くの異なる言語をもつ民族の集合した国家で あり、そのコミュニケーションのための優勢的 な支配的言語は米語(英語)である。経済的に 貧しい地域に住む非白人系の人々は教育を受け る機会が充分に保障されて来なかった。それら

(12)

の人々の子どもや孫が家庭で受ける言語教育は その民族の言語で往々にして行なわれ、合衆国 の「教育の機会均等」下の競争に挑戦するため の米語では家庭での教育は充分に行なわれてい ない。この段階で、もう既に「競争」に遅れを とっているのである。これでは公平な競争の原 理というのは名ばかりなものである。このよう な状況を克服するために、就学前教育の場に言 語教育が強調されて来たという経過がある。し かし、ともすれば、支配的言語あるいは公的言 語ともいうべき米語に重点が置かれすぎて、子 どもたちが家庭で使っている言語を軽視しがち であった。それは子どもたちやその家族の民族 性を否定するものとなりやすいものであった。

これに対して、ワイカートたちは次の二点の展 望をもっている。子どもたちのための教育プロ グラムは子どもの自尊心を尊重し、家族やコミ ュニティや民族的遺産や言語的遺産を誇りある ものとしなければならない。そして、教育プロ グラムは支配的言語あるいは公的言語を学ぶの と同様に子どもたちが自分たちの母国語や民族 語を学ぶことを奨励すべきである。これらの展 望に従って、二言語・ニ文化的プログラムは子 どもたちが優勢的な文化と少数派の文化との両 者においてうまく調整することを学び、また少 なくとも学校を卒業する時には二つの言語を流 暢に使うようになれるよう援助することを考慮 して計画しなければならないとワイカートたち は考えている。

二つの言語が使用される教室において、ワイ カートたちは次のような配慮をしている。米語 と他の言語が共に使われる時に、二つの言語が 平等に受容され尊敬を受けているという安全な 環境を子どもたちに保障する。これは言語だけ に限られたことではなく、その言語と密接な関 係にある文化についてもいえることである。あ

る民族出身の子どもたちが平等に受容されず尊 敬を受けないプログラムであるならば、子ども たちは貧弱な自己概念を発達させるであろうし、

またそれとともに他者に対して否定的な態度を も発達させることにもなるだろう。また、教室 での言語的モデルとなる大人たちは平等な権威 と責任をもつ。米語を話す人だけが高度のレベ ルの権威と責任をもつということは米語以外の 言語を話す人々やその文化が尊敬されないとい うことを子どもたちにたやすく示唆してしまう ことになる。それ故、大人たちは平等な計画者 でであり、実行者であり、すべての大人たちが、

教育の責任を負い、また教室での雑用に取り組 んだりして、特定の地位を誇示することはしな

し ヽ 。

このプログラムの論争点

ワイカートたちのピアジェ派プログラムを実 施して来た成果はどのようなものであったのだ ろうか。このプログラム、

YoungChildren 

i n  Action, 

の評価研究はまだなされてはいな いのだが、このプログラムの基礎となったプロ ジェクトの評価研究は行なわれている

( 8 ) ( 9 ) U O lU l l  

U2)。これらの評価研究は

IQ

が高くなるという 点で彼等のプログラムを支持するものであった。

これらの評価研究を通して、ワイカートたちの プログラムは発展して来ているのである。

ワイカートたちのプログラムを批判する人々 はどのような論点について批判しているのであ ろうか。前述したカミイたちは、ワイカートた ちのピアジェ解釈は経験論者的でありピアジェ 理論の正統的解釈ではないと批判している

1 5 )

言語や非言語的表象の役割を重視することはヒ°

アジェ理論の正統的解釈から逸脱しているとい うのである。カミイたちは、ワイカートたちが 表象の発達と操作性の発達とを混同している、

(13)

つまり言葉を教えることと子どもの推理力を発 達させることを混同している、と批判している

(5)。このように批判をするカミイたちのプログ ラムは言語の役割を軽視したものとなっている。

稲垣は、子どもが能動的に活動したり、また大 人が子どもに積極的に援助的働きかけをすると いうこの二つのやり方を取るワイカートたちの 方法はピアジェ理論から引き出される原則では ないと批判している⑬。これらの批判はプログ ラムの効果の評価をめぐっての批判ではなくて ピアジェ理論から示唆を受けているというプロ グラムにしてはピアジェ理論に忠実ではないと いう批判である。カミイたちはピアジェ理論が 完全無欠の理論であると考えており、実践から 学ぶという態度は取らない。あくまでもビアジ ェ理論に忠実であろうとしている。しかし、理 論と事象そのものとの間を常に往復することを 繰り返す態度こそビアジェの尊重した科学的態 度ではないだろうか。また、その態度にもとづ いた研究こそピアジェ理論をより進展させてよ

り良き理論にするのではないだろうか。

ワイカートたちのビアジェ派プログラムはカ ミイたちのプログラムよりも言語教育に重点が 置かれている。さまざまな言語能力を育てると いうことはさまざまな発達領域の資質を育てる ことと関連している、と彼等は考えているので ある。言語によって概念を形成しようというの ではなく、子どもたちが「今・眼前」で直接的 に経験していることに言語を付着させようとし ている。また、彼等は言語をコミュニケーショ

ンの手段として重視しており、計画時間の間子 どもたちと会話して子どもたちの表現的活動を 促進させるようにしている。これは言語による 思考を促進させることである。開放的かつ援助 的環境が保障されれば、子どもたちは獲得した 言語を用いて自分たちの活動に関連した要求、

感情、考えなどについて仲間たちや大人たちと コミュニケートするようになるであろう。子ど もたちの集団づくりに、これらのことが大きな 役割を果たすであろう。また、論理・数学的知 識や物理的知識と呼ばれている認知的知識の獲 得においても、言語はそれらの知識を獲得する ための援助的な役割を果たすように思われる。

ワイカートたちは、子どもたちが能動的に学 習ができる環境を準備することだけにはとどま らず、大人たちが積極的な援助的働きかけをす ることを強調している。このことは教え込みで はなく、子どもたちがある課題に取り組みはじ めたら子どもの能動的学習をさまたげず援助的 に働きかけるということである。子どもは大人 たちや仲間たちから働きかけられて、また子ど もが外的世界に働きかけることから生ずるフィ ード・バックを通して、子どもは均衡化を繰り 返し起こして発達して行く。子どもが外からの 人的働きかけもなく、一個体の力で常にイニシ アティプをもって発達して行くとは考えにくい。

子どもたちやその家族の文化的遺産や相違を 尊重して、そのことをワイカートたちはプログ ラムに組み込んでいる。このことは教育にとっ ては非常に重要なことである。文化的相違をな くしてしまうことが文明化であり、進歩的であ り、また人道的であると考えられて来ている。

それは実際的には、少数派の民族の文化を社会 的に優勢的な力をもつグループの文化に同化さ せるものであった。この大きな力をもつ文化と は西欧の近代社会が生み出した文化である。フ ランツ・ファノンの著「地に呪われたる者」閥 を引用しつつ、鈴木はこの文化的強制を「白い 仮面」や「赤い仮面」をつけさせることであり 非人間的なことだと批判している

0 5 )

。この西欧 近代社会のもつ思想は「自分の欲望を基点に据 えて、有利か不利かだけを問題にする態度」

(14)

( 1 5 ,   P ,   131)

を内包しているのである。した がって、強大な力をもつ西欧の文化に少数派の 文化は屈服することが当然であるという態度が 生じ、その文化を強制して来たのである。

わが国においても、明治以来その文化を取り 入れることに最善を尽くし、 「白い仮面」や「

赤い仮面」を自らの顔に貼り付けて来ている。

そして、アジアの近隣諸国に自らの文化を強制 して来てもいる。これらのことは、一つの大き な暴力であり、また犯罪的行為である。それ故、

ワイカートたちの文化的相違を尊重するプログ ラムは重要な意味をもっているのである。それ は、ただ単なる教育の効果や持続性の問題にと どまる種類の問題ではない。要は、われわれ人 間存在としての生き方の問題であることをわれ われは認識するべきである。

ピアジェ理論は心理学の理論であるので、科 学的であり、また中立的なものだと信じられて 来ている。しかし、それには一つの重要なただ し書きが必要である。ピアジェは西欧の近代文 化圏において、いわゆる「健常児」と呼ばれる 子どもたちのあののままの認識の発達過程を理 論化したのであった

U 6 l U 1 l

。それ故、ピアジェの 発達段階論は西欧近代社会のなかにおける発達 の一つの理論モデルとして考えるべきである。

ピアジ..r.理論は決して中立的なものではなく、

主知主義の人間観と抽象的形式主義の格式の維 持というイデオロギーをもっているとスメズラ ンドは指摘している

( 1 8 )

。ピアジェ理論そのもの に忠実にもとづいて展開されるプログラムには 限界が認められる。すなわち、その対象となる 子どもたちは西欧近代社会圏下の「健常児」と 呼ばれる子どもたちなのである。

理論に教条的に依存するよりも、理論の成立 過程とその背景を探り、そしてその問題性を指 摘することは璽要なことである。理論と実践の

両者から学びとろうとするワイカートたちのプ ログラムは意義あるインパクトを幼児教育界に 与えることになるだろう。

(文献))

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〖付記]本論文の作成にあたり、適切な御助言

を頂いた関西大学松村暢隆先生、大阪市立大学

大学院橋川喜美代氏に感謝いたします。

参照

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