現代日本における若年男性の セクシュアリティ形成について
「オタク」男性へのインタビュー調査から一一
大 倉 韻
現代日本のアダ
、ル ト ゲ ー ム ( ポ ル ノゲーム)はただ性行為を消費す るだけではなく、感動的な物語や登場キャラクターへの恋愛感情をも 消費対象とするような独特の進化を遂げている。それを消費するオタ クたちは概して現実の恋愛や性行為に対する意欲を欠くため、しばじ ば「虚構に逃避している
Jと批判されてきた。 だ が 実 際 に は彼らは逃 避しているのではなく、恋愛に関して独自の価値観を持っているよう であった。
そこでアダルトゲーム消費者にインタビューを行ったところ、次の ような知見が得られた。 (1)中学高校時代を「一般人
Jとして過ごし た者は恋愛の実現に意欲的な傾向があり、「オタク」として過ごした者 は意欲的ではなかった。
(2)前者は友人や先輩などから恋愛に関する 情報を多く得ており、後者にそのような経験はなかった
。Berger and Luckmann
の「第二次的社会化」の概念を用いれば、人 は「意味ある他者」と恋愛に関する情報交換をすることで恋愛の実現 を自明とみなす価値観を内面化していくと考えられる(1恋愛への社会 化
J)。前者はその主観的必然性が強化されるものの後者は強化されず、
よって「多くのオタクは一般 人 と 比 較 し て 恋 愛 の 実 現 に あ まり動機づ けられていないため、虚構の恋愛描写で十分満足できる
jという可能 性があることが見出された。
キーワード:セクシュアリティ、オタク、社会化
社 会 学 論 考 第32号2011. 10
1
はじめに
本 稿 は 現 代 日 本 の 若 年 男 性 に お け る 恋 愛 意 識 や 性 意 識 の 形 成 過 程 について,アニメやゲームを多
く消費する俗にいう「オタク J1)男 性 のライフスタイルを事例として考察するものである.アニメ・ゲーム・
マ ン ガ な ど を 偏 執 的 に 消 費 す る 彼 ら は , 現 実 の 女 性 に 対 す る 恋 愛 行 動・性行動が不活発な傾向があると一般に理解されている.なかでも ゲー ム 内 の 女 性 キ ャ ラ ク タ ー と の 疑 似 恋 愛 や 性 行 為 を 描 い た 「 ア ダ ル
トゲーム(エロゲー,美少女ゲーム)
J 2)などを消費するオタクは,
恋愛を模したメディアを大量消費しつつも現実の女性との接点を持と うとしないことから
「恋愛から逃避している
jと解釈され, ["現実に 触れて傷つくことを回避し,虚構の世界に逃げ込んでいる
J(斎藤
[2000J 2006: 19)
などと批判される.
一 般 に 恋 愛 メ デ ィ ア 消 費 , ポ ル ノ メ デ ィ ア 消 費 は そ れ ら 消 費 者 の 実 際の恋愛行動・性行動と密接に関わっていると考えられているため(赤 川
1996・1
76;谷 本
2008: 76‑77),メディア消費が大量であればそ れ だ け そ の 人 は 実 際 の 恋 愛 行 動 ・ 性 行 動 に も 意 欲 的 で あ る と 考 え る の は 自 然 で あ り , 従 っ て 彼 ら ア ダ ル ト ゲ ー ム 消 費 者 が 奇 異 の 目 で 見 ら れ 批 判 さ れ る の も 無 理 は な い と い え る . ま た 斎 藤 環 も 多 く の オ タ ク の 悩 みが「非モテ,すなわち現実の異性関係がなかなか持てなしリことに あり,その原因は
二次元キャラクターに耽溺することによる["
W関係 性 の 排 除 』 と い う 『 後 ろ め た さ 』 を 背 負 い 込 ん で い る 」 か ら だ と 説 明 す る ( 斎 藤
2010:58)だがそうだろうか["オタク」の定義が現状では極めて拡散してい
るため,また斎藤や東浩紀や本田透などによるオタク研究もアダルト
ゲームを含んだ「二次元オタク
jを論じているため,本稿でもその解
釈 に 倣 っ て 議 論 を 進 め る が , 彼 ら が 現 実 の 異 性 関 係 か ら 阻 害 さ れ て い
るという指摘は筆者の実感とも一致するものの,それが「逃避
」であ
るという批判やその原因に「後ろめたさ
Jがあるという解釈には異議
を唱えたい.
筆 者 が 普 段 接しているオタク男性の多くは確かに現実の女性との 恋 愛 行 動 や 性 行 動 を 実 現 で き て い な いが,彼らはそのことを気にせず に二次元メディアを消費すること,およびそれらについて友人と語り 合 う こ と を 純 粋 に 楽 し ん で い る よ う である.そこには「逃避
jに伴う であろう屈折した感情(本田
2005: 122‑3)も,二次元メディアを現 実 の 代 替 品 と 見 な すそぶりも見られない.また,もし彼らが斎藤の言 うような「後ろめたさ」を感じているとすれば,彼らは「現実の異性 関係が『本来あるべきもの』であり,虚構のそれは『現実からの逃避』
であり,
二次元メディアは『逃避のためのツール ・ 現 実 の 代 替 品 で ある j ] J というような,一般大多数の人々が彼らに対して抱いているの と同じ価値観を共有していなければならないだろう.だが彼らオタク たちがそのように考えているとは,少なくとも筆者には感じられない.
彼 ら の 消 費 す る 二 次 元 メ デ ィ ア の 登 場 人 物 は 現 実 に は 存 在 せ ず ,架
空の性描写が可能で あ る た め , そ の 恋 愛 表現や性表現は現実の恋愛や 性 行 為 か ら か け 離 れ て い ることが多い
.それは消費者たちにとってき わめて「都合の良い世界Jを構築しており, r 自分(主人公)以外の ことはまるで考えない態度のヒロインたち,現実社会では行われない ような会話をする登場人物.これらは, どのギヤノレゲー
3)でもわりと 見られる傾向
Jと,あるアダルトゲーム解説書は書いている(滝沢編
2000: 37) .ここでこの「ご都合主義Jを現実からの逃避と考えるこ とは容易だが,彼らはそもそも現実の代替品を必要としていないと考
え る こ と も可能だろう.彼らはその特有の消費行動やライフスタイルに よ り , 一般大多数の人々とは異なった特有のセクシュアリティを持
つようになったのではないだろうか.斎藤はまた, r 私 は , お た く に お い て 決 定 的 で あ る のは,想像的な 倒錯傾向と日常における
『健 常 な 』 セ ク シ ュ ア リ テ ィ と の 事 離ではな いかと考えている
Jと,オタクのセクシュアリ
ティが
「健 常
Jである ことを強調している(斎藤
[2000J2006: 63) .彼によれば,オタクの中では虚構と現実が厳然と区別されており, r 虚 構 内 で の 性
的対象が,現実のそれの代替物ではなく,むしろ虚構空聞が自立した欲望のエコ
社会学論考第32号2011.10
ノミー空間となっている
J (斎藤 2003:32)ため,彼らの虚構におけ る性倒錯は現実世界での性倒錯を導かないのだという. しかし彼らの セクシュアリティ,恋愛観や性愛観が「健常
jであるとしても「普通
J つ ま り 一 般 大 多 数 の 人 々 の そ れ と 同 じ で あ る と は 限 ら な い . む し ろ 大多数が持たないとされる
「虚 構
Jの セ ク シ ュ ア リ テ ィ を 持 ち , ア ダ ル トビデオなどの
一般的なポルノメディアを消費しないオタクは,他の人 々 と 異 な る 現 実 の セ ク シ ュ ア リ テ ィ を 持 っ て い る と 考 え る 方 が 自 然 ではないか.ここでもやはり,彼らが特有のセクシュアリティを持っ ている可能性が示唆される.
そ し て ま た , 彼 ら は い わ ゆ る 「 草 食 系 男 子
J(森岡
2008)でもな い.斎藤は「みずからの欲望をはっきりと自覚し,それに向けて行動 できる
Jオタクは「性欲も物欲も希薄化」し た草食系男子とは異なる という(斎藤
2010:60) .ではなぜ,恋愛メディアや性メディアを消費し,かっ欲望全般が希薄化しているわけでもない彼らは,それにも かかわらず現実の恋愛行動が不活発なのかり
.おそらく彼らは恋愛メデ ィ ア ・ ポ ル ノ メ デ ィ ア を 消 費 し て い る に も か か わ ら ず 現 実 の 恋 愛 や 性関係を必要としていないのではないだろうか.本稿ではこの仮説に,
彼 ら の メ デ ィ ア 消 費 や ラ イ フ ス タ イ ル に 注 目 す る こ と で 一 定 の 説 明 を 加 え る こ と を 目 指 す . そ し て 恋 愛 と い う 領 域 に お い て 特 異 な 存 在 で あ る彼らオタクについて考察することは,複雑多様化 した現代日本の恋
愛についても有効な知見を与えてくれるだろう.2 先行研究
2. 1
恋愛に
関する先
行 研究ここではまず,社会学における恋愛研究を概観したい.現代日本に
広 く 流 布 し て い る 「 恋 愛」 は近代になって西欧から輸入されたロマン
ティックラブイデオロギーをその端緒とする,という見方がフェミ
ニ ズ ム に お い て は 一 般 的 で あ る ( 加 藤 2004など).谷本奈穂は『恋愛
の社会学』において,メディアの言説分析を通して実際の恋愛言説の特徴とロマンティックラブイデオロギーの変容とを描き出した.たと えば「アプローチ
Jに注目すると,男性が女性に好意を伝えるに際し て は 「さりげない気遣いで好意をにおわせる」ことがよいとされ,直 接的な愛情表現はもはや歓迎されなくなっている(谷本
2008:163) .プ レ ゼントを渡すにしても金額や品物のセンスだけではなく高度な演 出が要求されるようになっている(谷本
2008:166‑8) . 1970年代の恋愛行動には「現在の回りくどさや複雑さはそこには見いだせない」
(谷本
2008: 168)という谷本の弁から,現代の恋愛行動がきわめて 高度化・複雑化していることがうかがえる.
現 代 日 本 に あって恋愛を滞りなくおこなうためにはこのように複 雑 か つ高度な恋愛技法を習得していなければならないが,それは容易 なことではない. w もてない男』で小谷野敦はキスはしたがセックス を許さない女性を前にした男性について次のように述べている.
お そ らく,恋愛そのもの以上にむずかしいのは,こういう際にど ういうコミュニケーションを行なえばいいのかということなので ある.……女が望んでいるのは,結婚なのか,愛なのか,欲望の 充 足 だけなのか.双方が探り合いながら瞬時にして適切な言葉を 選 択 し て いかなければならない
.そして……そういう男女聞のコ ミュニケーションの技術は,年上の女性にでも教育してもらうし かないのだが,現代ではそのような場は存在しない
.(小谷野
1999: 32)谷本と小谷野の議論からは, r コストの増大
Jと「学習機会の減少
Jという現代日本の恋愛行動が持つ二重の困難が見える.男性が恋愛行 動 ・ 性 行動を十分に行おうとするならば,この困難を乗り越えるだけ の恋愛技法の習得が必要となるだろう.
しかし技法を学びさえすれば直ちに恋愛行動・性行動ができるわけ
で は も ち ろんない.小谷野は現代の恋愛を「恋愛教
Jといい, r 膨 大
な量の小説,映画,歌謡曲等々が,私たちを『恋愛賛美』の方向へ向
社会学論考第32号2011.10
けて洗脳してきた」という(小谷野
1999: 180) .その「洗脳Jの内 容 は 「恋愛をして初めて人生の味わいがわかるJi 恋愛するのが人間 として当然 J (小谷野
1999:177) といったものである.ここで小谷野が「洗脳
Jと呼ぶもの,恋愛に関する規範的価値の内面化,これこ そ本稿が問題としたい心的プロセスである.本稿ではこのプロセスを
「恋愛への社会化」仮説と呼びたい.
もちろん,実際に「恋愛するのが人間として当然
jなのかどうかは
問題ではない.そもそもロマンティックラブイデオロギーの規範的価値 が 衰 退 し て き て い る こ と は 谷 本 も 指 摘 し て い る ( 谷 本
2008: 54)また宮台真司は
1990年代後半以降に性愛に対する期待水準が著しく 低 下 し , そ の 結 果 と し て 若 年 層 は i
W恋 愛 に 命 を か け る 』 こ と が ナ ン センス
Jだ と 感 じ る よ う に な っ た (
i性 愛 か ら の 退 却
J)という(宮 台
2006:346‑50) .だが一方で石川由香里はそういった価値観,俗な 言 い 方 を す れ ば 「 恋 愛 至 上 主 義J,が若年女性にいまだ根強く支持さ れていると指摘する(日本性教育協会
2007:82‑6).また谷本のイン タビュー調査で一人の女子大学生が「彼氏いないのなら何をしに学校 にきてるのって感じ J (谷本
2008: 9)と答えたことからも,
i恋愛
至上主義Jを内面化している若 者 が ま っ た く 存 在 し な く な っ た と は いえない.
これらの分析が意味しているのは,
i恋 愛 至 上主義」は存続しているがそれはもはやすべての人々にとって自明の前提ではない,という
ことだ5) ここか.ら,通俗的なイメージに反して恋愛に対する動機づ けは後天的に獲得される価値観だということがわかる.そしてそうで ある以上,そのような状況下で谷本の述べるような高度で複雑な恋愛 行 動 を 十 分 に 行 う た め に は , 小 谷 野 が 「 洗 脳 」 と 呼 ぶ よ う な 強 力 な 動 機づけ,
i恋愛への社会化J,が必要だと考えるべきだろう.2. 2 価 値 観 の 内 面 化 と メ デ ィ ア 情 報 の 伝 達 に 関 す る 先 行 研 究
Peter L. Berger
と
ThomasLuckmannは『現実の社会的構成』の中
で , 社 会 化 の プ ロ セ ス を 幼 年 期 に 受 け る 普 遍 性 の 高 い 「 第 一 次 的 社 会
化」と,すでに社会化された個人を各々の所属集団へと統合していく 専 門 性 の 高 い
「第 二 次 的 社 会 化 」 に 分 け て 論 じ て い る
(Berger and Luckmann 1966=2003: 197‑8).しかし第
二次的 社会化は第一次的社会化
の上に積み上げられるものであり,第一次的 社会化と比較すると「は るかに小さな主観的必然性しか与えられなしリため, " [
二次的に内在化 さ れ た 現
実 を 無 視 す るこ と は , 比 較 的 簡 単 な こ と J
(Berger and Luckmann 1966=2003: 216)だという問題を抱えている. このため第 二 次 的社会化に第一次的社会化と同程度の主観的必然性を与える必要 がある場合には,第一次的社会化と同様に「意味ある他者との情緒的 性格を帯びた同
一化J (Berger and Luckmann 1966=2003: 214)を演 出しなければならない["こ
うして,
学校の教師は彼が教えている内 容を(家庭的なものにする〉ために努力する
J (Berger and Luckmann 1966=2003: 217).また場合によっては特別な技術が用いられること もあり, ["これらの技術には手の込んだ入会過程の制度化,つまり見 習い期聞が含まれており,この過程を通じて人は内在化されつつある 現実に完全に
参 与 するようになる J
(Berger and Luckmann 1966=2003:219)
では「恋愛への社会化
Jは第一次的社会化だろうか,それとも第二 次 的 社 会化だろうか.基礎的な異性愛主義やモノガミ一規範は両親か ら獲得することが可能で、あるとしても,現代的な恋愛様式や性行為の 具 体的な行為内容については(特に男性にとっては)おそらく思春期 以 降 に 獲得されるものと考えるのが自然だろう.また恋愛行動はしば しば高度な駆け引きや深い洞察を要する「専門性の高し、」技能である ことか
らも,["恋愛への社会化」は第二次的社会化と考えるのが妥当 である.そしてその第二次的社会化が恋愛至上主義の衰退した現代に おいて「恋愛するのが人間として当然
Jとまで感覚されるためには,
その主観的必然性はそうとう強化されなければならないだろう
.それはちょうど,現代のアメリカで音楽家を志す者は大衆文化からの強力
な誘し、かけに抗するために
「十九世紀のウィーンでならば不必要であ
ったと恩われるよ
うな情緒的 集中力をもって音楽を勉強しなければな
社会学論考第32号2011.10
らない
J (Berger and Luckmann 1966=2003: 220)のと似た状況であ る.
「
恋 愛 へ の 社 会 化
jプロセスは小谷野が経験したようなメディアを 介したものでもありうるが,同時に友人や先輩などの身近な他者から 得る情報も極めて重要であろう
.先 の 石 川 は 「 身 近 な 他 者 を 介 し て 得た情報は性行動を活発化させる方向に働く
J可能性を指摘している(日 本 性 教 育 協 会
2007:89) .また多賀太は大学生へのインタビューから青 年 期 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ 形 成 に お け る 「 男 ら し さ 」 の 葛 藤 を 検 討 し て い る が , そ こ で も 同 様 に 「 意 味 あ る 他 者
jが重要な位置を占めてい る.たとえばケンジ(仮名,以下同じ)は恋人とのやり取りが,タダ シは武道系の部活動での経験が「彼の意識の形成に多大な影響を与え てきた
J(多賀
2006:67) .だが意味ある他者との同一化を伴わないまま成人したハルオやアキラは大学
4年になった段階でも明確なジェ ンダー観を確立していなかったという.
メディアの影響を論じる上では,
P.Lazarsfeldらの「コミュニケー ションの二段の流れ仮説J が参考になる r し、ろいろな観念はラジオ や印刷物からオヒ。ニオン・リーダーに流れ,そして彼らから活動性の もっと少ない人々のところに流れてゆくことが多い
Jという彼らの仮 説
(Lazarsfeldand Katz 1955=1965:i )に従えば,メディアからの 情報は単純にそれを消費するよりも信頼できるオヒ。ニオン
・リーダーから伝えられることによってその
価値を増すことがわかる.Lazarsfeld
らのこの仮説は批判も多いが,メディアから伝わる
価値 観をどのように人が内面化するかという点において重要な合意がある.
3 インタビュー
調査
3. 1 概要説明
オタク男性のセクシュアリティ形成について検討するため,本研究
ではアダル
トゲー ムを消費するオタク男性
6名 に 対 し イ ン タ ビ
ュー調査 を お こ な っ た . 質 問 内 容 は 彼 ら の メ デ ィ ア 消 費
・ポルノグラフィ消
費の傾向,それらに接するようになったきっかけ,恋愛観,恋愛経験,
性 愛 観 , 性 交 経 験 な ど で あ る . サ ン プ リ ン グ に つ い て は , イ ン タ ビ ュ ー 内 容 が き わ め て 私 秘 性 の 高 い も の で あ り 初 対 面 の イ ン フ ォ ー マ ン ト か ら 聞 き 取 り を お こ な う の が 困 難 で あ る こ と か ら 機 縁 法 を 採 用 し た
.対象者選択にあたっては世代の違いによる影響を取り除くために,
80年 代 前 後 生 ま れ の 「 オ タ ク 第 三 世 代
Jを 抽 出 す る よ う に 心 が け た ( 東
2001: 13). 実 際 の イ ン タ ビ ュ ー は
2008年
9月から
10月にかけて,
東 京 都 内 お よ び 近 県 の カ ラ オ ケ ボ ッ ク ス で お こ な っ た . 所 用 時間は
90分から
120分 程 度 で あ っ た
.表 1は イ ン フ ォ ー マ ン ト の 基 本 的 な 属 性 である r オ タ ク き っ か け
Jとは
「オ タ ク に な っ た き っ か け と 恩 わ れ る出来事
・エ ピ ソ ー ド 」 の 生 じ た 時 期 を 学 年 で 表 し た も の で あ る .
表 1 イ
ンフオーマントの 属性
年 職業 現 住 地 恋愛・性 オタク 最 初 の ア ダ ル
齢
交 経 験きっか トゲーム消費
t ナ
A
25大 学 院 神 奈 川 なし 中学一 中 学 三 年
生 県 年
B
29会 社 員 埼 玉 県 あり なし 大 学 一 年
C 25会 社 員 東 京 都 なし 中学二 中 学 二 年
年
D 28
大 学 院 東 京 都 あり 中 学 三 高 校 一 年
生
年
E
30会 社 員 神 奈 川 なし 中学 大 学 二 年 県
F
24大 学 生
北海 道あり 大 学 一 大 学 一 年 年
な お 概 念 上 の 混 乱 を 避 け る た め
,現 実 の 異 性 愛 関 係 を 獲 得 す る こ とに 対 す る 態 度 を 次 の
3軸
8象 限 で 表 す こ と に す る r パ
ートナー獲得
に向 け 積 極 的 に 活 動 し て い る か 否 か
jを 「 活 発 / 不 活 発
J, r 自分自
社 会 学 論 考 第32号2011.10
身 が パ ー ト ナ ー を 獲 得 し た い と 願 っ て い る か 否 か 」 を 「 意 欲 的 / 非 意 欲的J, r パートナーがいる状態を望ましく思っているか否か」を「肯 定的/否定的
jとする(パートナー獲得以後の関係維持に対する熱意 などは考慮しないものとする) .よってたとえば異性との関係を求め て 合 コ ン や ナ ン パ に 明 け 暮 れ る よ う な 人 は 「 活 発 ・ 意 欲 的 ・ 肯 定 的
jと記述される.冒頭で触れたようなオタク男性への批判は彼らを「不 活発・意欲的・肯定的
Jだ と み な し て い る と 言 え る が , オ タ ク 評 論 家 の本田透のように現実の恋愛関係に一切の価値を認めないような態度 は「不活発・非意欲的・否定的
jとなる.
3.2
オ タ ク 男 性 の 恋 愛 観
では,彼らのセ
クシュアリティについて検討していく.当初の予想 通 り , 彼 ら は 概 し て 恋 愛 や 性 に つ い て 不 活 発 か つ 非 意 欲 的 な 傾 向 が 確 認 さ れ た . と は い え 「 現 実 の 恋 人 な ど い ら な い , 二 次 元 で 十 分 だ
Jと いったような否定的な発言は見られず, r 恋人はどち
らかといえば欲しい
Jとい
った回答が目立った.
もっとも非意欲的だと感じられたのは
AとBであった.Aは恋愛経 験も性交経験もなく,自身の恋愛欲求については次のように語った.
A:彼女がいないよりいた方が多分楽しい,でも積極的に作ろうと 思
って動いたことはない.なんでかつていった
らそこまでほしくないからじゃないかつて思うんだ.…・・・色々やっぱコストかかる よね.そのコストを払ってまでなの?っていわれたら,いや,そ こまではいいや,っていう.
また性行為についても, r 強くは思わないけど, したいかつて聞かれ たらしたいよね. してみたい.死ぬまでに一回は.一回やってみたら もっとやりたくなるかもしれない,でもやってないからわからない,
そういう感じ. J と語っている
.B
は恋愛経験も性交経験もあるものの, r 恋愛したくないっていう わけじ
ゃないんだけど特別したいっていう気持ちも全然なくて,特に『そういうのもあるんだよね』っていう,逆にファンタジーの,少女
マンガの世界. J と,自分とは無関係の出来事と突き放して考えてい た.恋人についても「欲しし、か欲しくなし、かっていわれりや欲しいけ ど,だからって誰かにあてがってもらおうとかはなしリと考えており,
現在の恋人も女性の側からのアプローチによるものだった.
その次に非意欲的だと思われるのは Cと Dの二名だった. Dは自分 の年齢などを考慮
、した結果 r (恋愛に)あまり興味を持てない
Jとい い,性行為については「やるだけが目的だったら別にオナニーでいしリ と, 性 的 欲 求 と 性行動を切り離してとらえていた点が印象的だった
.Cは 恋 愛 ・結婚・セックスについてそれぞれ「周りにしてる人がいっぱ いいるからしたしリと答えていたが
,とはいえ「パートナーとどうい うデートや生活を望むか」という質問に対し具体的なビジョンを持っ て い なかったことや,女性との出会いのための具体的な行動を全く伴
っていないこと(きわめて不活発) ,普段やオタクイベント時の服装な ど に配慮がまったく感じられないことなどから,意欲的とまでは言 えない.
ABCD
に関して特筆すべき点として,彼らはいずれも
パー ト ナ ー に 対して「オタク趣味を認めてくれること
jを希望していたことが挙げら
れる
.これは二つのことを示している.第一に,彼らがオタク趣味を
原 則 的 に 恋 愛 と対立するものとして理解していること.一般的な趣味
(映画鑑賞や音楽鑑賞など)はそもそもパートナーに認めてもらう必
要はないし,
一般 的 で なくとも一定の評価を得ている趣味(釣り,山
登り,スポーツ観戦など)もそれが時間的あるいは経済的負担になる
などして
二人 の 関 係 性 に 著 し い不利益をもたらさない限りは恋愛の阻
害 要 因 に なるとは考えにくい.特定の趣味を持つこと自体について許
可 を 求 め な け ればならないということは,その趣味自体が関係性の阻
害要因,対立物であることを示していると考えていいだろう
6)社会学論考第32号2011. 10
第二 に,彼らは趣味と恋愛を対立物と認識した上で趣味を恋愛より も上位に置いていること,つまり彼らにとってアダルトゲームを含む オ タ ク 趣 味 は 現 実 の 代 替 品 と は い え な い こ と . た と え ば
Cはアダルト ゲームと恋人の二者択一ならばアダルトゲームを選ぶとし, r それっ て結局理解してくれてないってことだし」と述べていた.また Aは「彼 女できるんだったらなあ,オタクやめるかなあ(笑)
Jと述べていた (もちろんこの発言には「オタクをやめるつもりはない
Jという含意 がある)
.もし彼らにとって恋愛や性行為を描いた二次元メディアが現 実 の 代 替 品 な り 逃 避 な り で あ る の な ら ば , そ の こ と で 現 実 の 恋 愛 行 動に支障が出ることを避けるためにその趣味を放棄する意思があるか,
少 な く と も そ の 趣 味 を 持 っ て い る こ と を 周 囲 の オ タ ク で な い 人 々 に 隠
そうとするだろう(後者のライフスタイルを
「隠れオタク
Jと呼び,
後述する
Eが該当) .それは簡単なことではないが,実際にそのよう な生活を送る人は少なくなし、(たとえばこいずみまり
2000:27‑34) .それをしない,あるいはする意思のない彼ら 4 名は,二次元メディア を現実女性の代替品とはみなしていないと考えるのが妥当だろう
.以上のことから, ABCDの 4名 は 現 実 の 恋 愛 関 係 に 対 し さ ほ ど 意 欲 的 でないと考えることができる.これに対して
Eと
Fの
2名 は 現 実 の 恋 愛 に 対 し 意 欲 的 な 姿 勢 が み ら れ た . と は い え 彼 ら も 恋 愛 の 実 現 の た め に活発に行動しているようなことはなかった(不活発かっ意欲的) .
E
は高校時代に所属していた男女合同の水泳部で「うまいこと女で
きてりや(オタクに)転んでなかった
Jといい,先の 4名とは異なり
オタク趣味を恋愛よりも下位に置いていることが明らかであった.ま
た 当 時 を 振 り 返 っ て 「 盛 り の 時 期 に 俺 は 何 を や っ て た ん だ と ホ ン ト 思
う」と,現実の恋愛ができなかったことに対する強い後悔を表明していた.彼は前述の「隠れオタク
Jであり,服装や立ち居振る舞いなど
に強く気を配ることによってオタク趣味がもたらす対人関係の不利益
を可能な限り低減しようとしていた.合コンなどオタク男性が好まな
い傾向にある出会いイベントについても「そこから意気投合できるん
だ、ったらいいんじゃねえの?J と好意的な意識を持っており,行動こ そ伴わないものの意欲的だと考えてよい.
Fは自分が恋愛行動を十全に行ってきたことに対する強い自信があ った.彼には高校時代に恋愛および性交経験があり,
r
(恋人は)ほしいです.Jと明言した上で「自分の趣味も守りたし、Jと,恋愛とオ タク趣味の両立を目指していた.また彼はパートナーに求める条件と して「同い年プラスマイナス 2歳 く ら い , 話 が 合 っ て 少 し 年 上 く ら い が理想」と ABCDとは異なり非常に具体的なイメージを持っていた.
とはいえ EもFも具体的な行動を取っていないため,恋愛行動が活 発とは言えない.また ABCDも決して現実の恋愛を忌避しているわけで はなく,可能であれば手に入れたいと考えている(肯定的). EFと ABCD
との違いは「意欲Jの水準にあり, ABCDの 4名 に と っ て は 恋 愛 や 性 行 動 は 「 し た い は し た い が , 別 に な く て も 不 足 を 感 じ る こ と は な い 」 程 度のものとして感覚されていた.
この意欲の違いは何に起因するのだろうか.データを比較したとこ ろ,非意欲的な ABCDは 中 学 高 校 時 代 を オ タ ク と し て 過 ご し た 経 験 を 持 ち,意欲的な EFは閉じ時期を「一般人Jとして過ごしていた.おそら くこの時期の過ごし方の違い,交友関係や接する情報などの違いに「恋 愛 へ の 社 会 化jプ ロ セ ス が 見 出 さ れ る の で は な い だ ろ う か . 以 後 , 彼
らの中高時代を検討する.
3.3 オ タ ク 男 性 の 中 学 高 校 時 代
高校二年生まで「普通に部活やってたJEはオタクの友人が少なく オタクでない生徒との交流が多かったという.部内では活発な恋愛が 展 開 さ れ て お り , 彼 は そ れ を 間 近 で 見 聞 き し て き た た め , 彼 も そ こ で 恋愛が実現することを願っていたが実現には至らず,
r
その時から女 に縁ないなーと思い知らされj る日々を送っていた.また人気のある 男子部員に対する女子部員同士の確執に巻き込まれた経緯から「男と してそん時俺は見られてなかった」ことを確信する.その後高校3年 の時にオタクをカミングアウトした彼は,オタクの友人を得てオタク社 会 学 論 考 第32号2011.10
イ ベ ン 卜 へ と 参 加 す る よ う に な っ た . そ の 経 緯 が あ る た め , 彼 に は 強 い現実への挫折感と,
二次元ポルノグラフィの描く非現実的な恋愛描写への現実逃避の傾向がみられた.
F
は大多数のオタクでない人々と同様に中学時代にいったんアニメ やゲームから「足を洗しリ, r フツーの高校生
jとして生活していた.
Fの通っていた中
学校 で は 人 間 関 係 が 緊 密 で あ り , 高 校 時 代 に そ の 先輩 た ち か ら 恋 愛 ノ ウ ハ ウ を 多 く 学 び, それをもとに実際の恋愛行動を 試行錯誤していた r 上の代がテレビとかの情報を下に伝えて,下の やつがそれを真に受けて行動するっていう
.J また彼は文化祭の実行委 員 も っ と め , そ こ で 恋 人 を 得 る が , そ の 際 に も 先 輩 か ら ( 恋 人 と 二 人 き り に な る た め に ) 委 員 会 室 の 鍵 を 借 り る な ど の 手 厚 い 援 助 と 指 導 を受けていた
.その後大学に入学して出会ったオタクの友人に影響を受け,彼はオタクへと転向した.
一方で早い段階からオタクとして活発に活動し始めた ABCD
の日常 は,たとえば次のようなものである.
A:
部活動が一通り終わるとテレビのある部屋につれてかれて,
・・アスカが弐号機でジャンプしてる
7)とかそういうのを見させら れた,そうい
うのから入って
った感じなんですね.…・・・ある日はこう, r
じゃあみんな左側から紙を一枚 ず つ 取 っ て い っ て 一 番 最後に左端をホチキスで留めなさい J
っていわれてそうするとエヴァ用語辞典が完成つつって……それを
三年 上 の 先 輩 が そ の 年 の 夏 コミ 8)で売るってい
う.ABCD
の 余 暇 活 動 は 個 人 あ る い は 友 人 た ち と の ア ニ メ 鑑 賞 や ゲ ー ム プ レイ,それらについての雑談,連れだ
ってアニメショップやオタクイベントに行くこと
,などに費やされていた.彼らの周囲に
Eのような 恋愛事件は存在せず,
Fのような恋愛指南も存在しなかった
9)このように,オタクの日常とそうでない
一般大多数の人々の日常と は決定的に異なっている.女性を意識し恋愛の作法を習得し始めるであ ろ う 中 学 高 校 時 代 の 過 ご し 方 の 違 い は , そ の 後 の 彼 ら の 女 性や恋愛 と の か か わ り 方 , ひ い て は 彼 ら に 内 面 化 さ れ る 価値観に大きく影響す る だ ろ うことは想像に難くない
.4 考察「恋愛への社会化」
前 節 で A B C D と E F のセ
クシュ ア リ テ ィ の 違 い は 彼 ら の 中 学 高 校 時 代 の生活スタイ
ノレに由来する可能性が見出されたが,このことを日本性 教育協会の「第
6回 青 少 年 の 性 行 動 全 国 調 査
jからも検討したい.同 調 査 は 中 学 生 か ら 大 学 生 ま で を 対 象 に 「 男 女 交 際 の 仕 方
J iセックス (性交)
Ji 避 妊 方 法
Jにつ い て の 情 報 源 を 「 友 人
Ji 授 業
Ji アダ ル ト ビ デ オ 」 な ど
11項 目 の 選 択 肢 で尋ねている(日本性教育協会
2007: 214) 10)ここで「男女交際の仕方
Jに つ い て み る と,男子は中 学の段階で「特になし」が
33.7%と女子の
21 .6% と比較して多いが
,高 校 で は
20. 5%へ と 大 き く 減 少 し て い る . 加 え て 「 友 人
J「先輩」
な ど の 項 目 の 伸 び が 中 学 → 高 校 で 目 覚 ま し く , 高 校 → 大 学では変化が 見られなくな
って い る ( i友 人
J40.9%→
68.7%→
71 .
9%, i 先輩」
19.7%
→
35.4%→
35.5%).これを同じ選択肢の女子での変化がより 直 線 的 で あ る こ と や , 避 妊 に つ い て の 情 報 源 の 変 化 が 男 女 で ほ ぼ 同じ 形 を 取 っ て い る こ と な ど と 比 較 す る と , 男 性 は 中 学 校 在 学 中 を 目 安に 男 女 交 際 に つ い て の 情 報 を 収 集 し 始 め る , つ ま り 恋 愛 の ノ ウ ハ ウ を習 得 し 始 め る と 判 断 してよいのではないだろうか.
ま た , オ タ ク 趣 味 は 「 本 来 な ら 小 学 校 か , せ い ぜ い 中 学 ま で に 卒業
してしかる
べき対象物
J(斎藤
2003:19)であるので,小学生のオタ
クは原理的に存在しない.
Aは 中 学 入 学 と 同 時 に 「 オ タ ク 系 部 活
Jに
入 部 し た と の こ と な の で , 彼 は 理 論 上 も
っとも早い段階でオタクとし
て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 形成し始めたといえる
.他 方 で Fは中学時代に い っ た ん ア ニ メ や ゲ ー ム か ら 「 卒 業
Jして恋愛を謡歌し,大学入学
後 に 改 め て ア ニ メ や ゲ ー ム な ど の オ
タク趣 味 に 参 入 し た . 現 在 で は ど
ちらもオタクである A と Fの 恋 愛 へ の 意 欲 に 先 述 し た よ う な 大 き な 違
社 会 学 論 考 第32号2011.10
い が み ら れ た の は , 多 感 な 中 学 高 校 時 代 を 全 く 異 な る 集 団 に 属 し , 全 く異なる生活を送ったことに起因すると考えるべきだろう.では中学 高校時代を異なった集団に所属することで生じると推測される個人の
ノξ
ーソナリティ形成, ["恋愛への社会化」についての異なったありょ う,をどう解釈すべきか.
男性の恋愛ノウハウの習得プロセスでとりわけ重要だと思われる のは,彼らの多くは思春期に至るまで恋愛に関する言説に接すること が極めて少ないということである.奇しくも
Bが恋愛を「少女マンガ の世界
Jにたとえたように,少年向けメディアで恋愛を中心テーマに 据 え た も の は 少 な く , 少 年 マ ン ガ 誌 一 冊 に つ き 一 作 品 が せ い ぜ い で あ る
11)また小学生男子が恋愛について語り合うことも,親や教師から 具体的なノウハウの指導が行われることも考えにくい.だとすれば,
彼らは中学以降になって初めて恋愛や性行動についての情報に触れる と考えるのが適当であろう.そしてそれにもかかわらず「恋愛への社 会 化 」 が 強 い 主 観 的 必 然 性 を 獲 得 す る と す れ ば , そ こ に は 第 二 次 的 社 会 化 の 主 観 的 必 然 性 を 強 化 す る た め の 「 特 別 な 技 術
J (Berger and Luckmann 1966=2003: 219)が必要なように思われる.
今 一 度 Fの高校生活を検討したい.彼は活発な恋愛行動によって恋 愛の価値規範を内面化し, ["恋愛への社会化
Jを行っていったと考える ことができる.彼が当時先輩から得ていた情報は結局はテレビなどの 受 け 売 り に す ぎ な か っ た そ う だ が , 重 要 な の は 伝 達 さ れ る 知 識 の 内 容 や真偽ではなく,それを親しい先輩からの親身な指導として受け取っ たという情報伝達の形態である["先輩一後輩という信頼関係の中で,
情 報 を 潤 沢 に 持 っ て い る 先 輩 か ら ほ と ん ど 何 も 知 ら な い 後 輩 へ と 知 識 が伝達される」という関係はあたかも第一次的社会化における両親と 子どもの関係のようであり,先輩からの知識伝達は(家庭的なもの〉
として後輩に感覚されるであろう.そうすることで拙い情報は説得力
を増し, ["恋愛への社会化
jの主観的必然性は飛躍的に高まったものと
考えられる.
またここには
Lazarsfeldらのいう「コミュニケーションの二段の流れ」が明確に見出せる.デート情報誌やデートマニュアルなどはそ れ 自体ではただの情報の羅列に過ぎず,それ自体が規範的価値を持つ ことはないだろう.それは先輩からの伝授とい
う「受け手の所属する 第一 次集団のオピニオン・リーダーを介在する
Jことによって初めて 強い影響力を発揮し,それゆえ彼を恋
愛へと強く社会化したと考えられる.
また, Eにも Fと同様の強化がみ
られる.部 活 内 の 人 間 関 係はそれが特に運動系の部活である場合には非常に濃密な関係性となる傾向が あり,部員たちは互いに「意味ある他者との情緒的性格を帯びた同
一化J を行ったであろう.そこで得られる情報はやはり主観的必然性を 強化されるだろうことから, Eもやはり恋愛へと社会化されたと推測
される.彼には高校時代に恋愛できなかったこと
への強い後悔があるが,その後悔自体が彼の過ごした環境に由来するものであることは同 様 に恋愛のできなかった Aや Cに後悔のそぶりがみられないことから 明らかである. 彼は今回の調査でただ一人冒頭で引用した「後ろめた さ
Jを抱え込んだオタクだが,その後ろめたさは彼が「
一般人」として恋愛に社会化されたからこそ背負わされたものだと言うべきだろう.
EF の二名に対し,恋愛に非意欲的な ABCDの 4名にはそのような経 験は見られなかった.彼らの中には部活動に所属していた経験のある ものも少なくないが,それはいずれもオタク系文化部であって先輩か ら恋愛に関するノウハウを伝授されるようなことはなかった.やり取 りされる情報はアニメの知識やゲームの攻略法などであり,恋愛に関 する情報が伝達されることはなかった.彼らはもしかしたらデートマ
ニュアルを読んだかもしれないが,それはノウハウの習得にとどまり主観的必然性を強化するには至らなかったと考えられる.彼らには「恋 愛 への社会化
Jも情報伝達の際の「コミュニケーションの
二段の流れ」もなく,したがって彼らにとって現実の恋愛を「無視することは,比
較的簡単なこと
J (Berger and Luckmann 1966=2003: 216)なのであ
ろう.
社 会 学 論 考 第32号2011.10
また,
Bergerらのいう「見習い期間」も「恋愛への社会化」に作用 していると考えられる.男性の恋愛技法の学習は中学頃に始まると推 測されるものの,実際には高校生男子の
4割にデート経験がなく
7割 超 に 性 交 経 験 が な い ( 日 本 性 教 育 協 会
2007: 199‑202).従って多く の高校生に恋愛行動や性行動の十分な達成は望めない.また仮に今回 の Fのように高校時代に活発な恋愛行動を取ったとしても,彼らは大 学生や社会人と比較して経済的時間的制約が大きく,車の免許もなく 実 家 暮 ら し で あ る な ど 空 間 的 制 約 も あ る た め , 恋 愛 行 動 を 十 全 に 達 成 することは困難で、あろう
12)これらのことから,中学高校時代は「恋 愛 と い う 市 場
J(谷本
2008:226)に本格参入する前の「見習い期間
Jといっていいのではないだろうか
.その期間を恋愛情報を収集し, r 大 人の恋愛
Jに憧れて過ごすことによって,彼らの主観的必然性は強化 されるのではないか.一方でオタクは閉じ時間を恋愛とは無縁の状況 で 過 ご す . ま た 彼 ら は 自 ら を 「 恋 愛 と い う 市 場
jに参入しているとは 見なさないだろうから,彼らにとって中学高校時代は「見習い期間
jではなく,そこで「恋愛への社会化
Jの主観的必然性は強化されない
と推測できる.
以上のようにして,
EFのように思春期にアニメやゲームから「卒業
した
J(あるいはそう偽装した)大多数の男性はその後「恋愛という
市 場 」 に 新 規 参 入 し , そ こ で 恋 愛 へ と 社 会 化 さ れ て い く の で は な い だ
ろうか.一方で多くのアダルトゲーム消費者には恋愛のノウハウを習
得 す る 場 も , 恋 愛 へ と 社 会 化 さ れ る 機 会 も , そ の 主 観 的 必 然 性 を 強 化
するための装置も用意されておらず,従って彼らは恋愛へと社会化さ
れ て い な い , と 考 え る こ と が で き る の で は な い だ ろ う か . そ の こ と に
より彼らは「役割に特殊な状況にのみ関連する自我の一部とそれにと
もなう現実の切り離し
J (Berger and Luckmann 1966=2003: 216)が
可 能 と な る , つ ま り 「 恋 愛 す る の が 人 聞 と し て 当 然
Jと考えることが
困難になり, r 恋 人 が い な い な ら い な い で 構 わ な い
Jと考えることが
可 能 に な る の で は な い だ ろ う か
13)5
結 び に か え て
か つ て オ タ ク と は , 不 透 明 な 現 実 か ら 撤 退 し て 虚 構 の 中 に 生 き よ う と す る 身 振 り のことを指していた(宮台
1994)し,現実逃避のツール として
二次 元 メ デ ィ ア を 消 費 す る 男 性 は 今 も 存 在 す る (E) .しかしそ れ が オ タ ク に
一般 的 な 身 振 り で あ る と 解 釈 す る と , 彼 ら の セ ク シ ュ ア リ テ ィ を 見 誤 る こ と に な ろ う .そもそも
二次 元 メ デ ィ ア は も は や 「 現 実 の 代 替 品
Jと し て の 用 を な し て お ら ず , 大 多 数 の 消 費 者 は
二次元メ デ ィ ア に 現 実 の 模 倣 で は な い 独 自 の 価 値 を 積 極 的 に 見 出 し て い た。 ま た その内容も時代を追うごとに現実の性行動・恋愛行動から事離し,
現 実 の 代 替 品 ・ 模 造 品 と し て の 機 能 を 持 た な く な っ て き て い る
14)従 っ て 彼 ら の 消 費 行 動 を 「 現 実
Jや 「 虚 構
Jと い う 枠 組 み を 用 い て 解 釈 す る 意 味 は 失 わ れ つ つ あ る と 言 っ て い い.
加 え て
2000年 代 に 入 っ て 以 降 , オ タ ク に 対 す る 負 の ラ ベ ル は 以 前 よりも相当緩和されてきている.
w電車男
』ブームがその象徴だが,イン フ ォ ー マ ン ト た ち も 「 昔 は 自 分 は オ タ ク だ , つ て の は な か な か い い づ ら か っ た よ ね
J(A)r 最 近 は オ タ ク だ っ て い っ て も そ ん な に 悪 く 扱 わ れ な い
J( 8 ) と 述 べ て い た . オ タ ク 男 性 が 恋 愛 を 実 現 さ せ る 可 能 性 は か つ て よ り も 確 実 に 増 し て き て い る し , そ れ は 当 事 者 に も 自 覚 さ れ て いる
.彼 ら が 現 実 か ら 撤 退 す る 必 要 性 が 失 わ れ て き て い る に も 関 わ ら ず , 今 も な お 彼 ら が 現 実 の 恋 愛 に 対 し 非 意 欲 的 な の だ と す れ ば , 彼 ら は 恋 愛 の 実 現 を 諦 め て い る と い う よ り も 恋 愛 の 実 現 に 興 味 が な い と 考 え るのが妥当ではないだろうか.
彼 ら の 態 度 を
3軸
8象 限 で 表 せ ば 「 不 活 発 ・ 非 意 欲 的 ・ 肯 定 的
」と
い う こ と に な る が , オ タ ク 男 性 に
「虚 構 へ の 逃 避
Jと い う ラ ベ リ ン グ
を 行 っ て き た 人 々 は 彼 ら が 「 意 欲 的 」 だ と 誤 解 し て き た も の と 考 え ら
れ る . 恋 愛 の 実 現へ の 意 欲 が あ る に も か か わ ら ず 行 動 が 不 活 発 で あ れ
ば , 確 か に そ の 人 は 欝 屈 し た 思 い を 蓄 積 さ せ て い る か も し れ な い . し
か し 見 て き た よ う に 多
くの オ タ ク 男 性 は 恋愛の 実 現 に 意 欲 的 で な い の
だ か ら , 行 動 が 不 活 発 な の も 当 然 である.
一方 で 恋 愛 そ れ 自 体 に 対 し
社 会 学 論 考 第32号2011. 10
て は 肯 定 的 だ か ら こ そ フ ィ ク シ ョ ン を 消 費 し て お り , そ れ が 恋 愛 自 体 に 肯 定 的 で な い 「 草 食 系 男 子
Jな ど と は と 異 な る 点 だ ろ う . 恋 愛 を よ いものととらえているかどうか,それを実現したいと願うかどうか,
実 際 に 実 現 を 目 指 し て 行 動 す る か ど う か , こ れ ら は す べ て 別 の 水 準 の 話 で あ る . こ の 点 を 混 同 し な い よ う に 気 を 付 け る 必 要 が あ る だ ろ う . た だ し 今 回 見 出 さ れ た 「 恋 愛 へ の 社 会 化
J仮 説 は , い ま だ 仮 説 の 域 を出ていない
.検 証 の た め に は 他 の 属 性 の 人 々 , 特 に 「現 実 の 恋 愛 に
意 欲 的 で あ り , か っ 恋 愛 行 動 の 活 発 な 人 々Jへ の 調 査 を 重 ね る 必 要 がある.また今回の調査対象は
i1980年 代 生 ま れ の 二 次 元 オ タ ク 男 性 の う ち , ア ダ ル ト ゲ ー ム を 消 費 し て い る 男 性
Jという極めて限定的な集 団 で あ っ た . 今 回 得 ら れ た 仮 説 が 岡 田 斗 司 夫 に 代 表 さ れ る 先 行 す る オ タ ク 世 代 に 該 当 す る と は 考 え に く い し , ま た オ タ ク 女 性 が ど の よ う な 価 値 観 を 内 面 化 し て い る か ど う か も 検 討 す る 必 要 が あ る だ ろ う . しか しながら「恋愛への社会化
J概 念 は 広 く 一 般 に も 利 用 可 能 で あ る よ う に 思 わ れ る . 現 代 田 本 の 若 者 の セ ク シ ュ ア
リティ研究 に 対 し て こ の 枠 組 が 役 立 つ の で は な い か と 期 待 し て い る
.反面,本稿ではオタク差別が当事者に与える影響や学校のスクーノレ カースト問題(森口
2007), オ タ ク 集 団 に 所 属 す る こ と で 生 じ る で あ ろう
「オ タ ク へ の 社 会 化
Jな ど を 検 討 す る こ と が で き な か っ た . こ れ らについては今後の課題としたい
l5)[
注
]1) i
オタク
jとは一般的には特定のサブカルチャ一群を愛好する人々
を指す.アダルトゲーム消費者はその
一部であり,また多くの場合アニメ・マンガ・アダルトコミック・一般ゲームなど
他のオタク趣味も
消費している.欧陽宇亮は「一般的なイメージとしては,マンガやア
ニメよりも美少女ゲームの消費者の
『方タク色』が非常に濃く,美少
女ゲームのオーディエンスはほぼ間違いなく『オタク
』と見られると思われる」と述べている(欧揚
2008: 142).本稿では先行するオタ
ク研究を扱うが,研究者によって「オタク」の定義が微妙に異なって いることには注意が必要である.
「オタク
Jの語で名指されるサブカルチャーはアニメやマンガだけではなくミリタリー,
SF,特撮,鉄道,パソコン,アイド、ルなど多岐 にわたるため,アニメやゲームやマンガを愛好するオタクはしばしば 自らを「二次元オタク」と呼び他から区別する.ここでの「二次元
Jとは現実世界つまり「三次元Jに存在しない架空の世界・キャラクタ ーを意味しており,テレビや本のような平面媒体という意味での「二 次元Jではないことに注意されたい.また以降,アニメやゲームやマ ンガをまとめて
「二次元メディア
jと呼び,アダルトゲームやアダル トコミックなどを「二次元ポルノグラフイ
Jと表記するものとする.
2)
アダノレトゲームには女性向けも存在するが,今回は言及しない.
3)
i ギャルゲー
Jは主に女性キャラクターとの性的描写のない恋愛を 描いたゲームに対する呼称だが,ここではアダルトゲームと閉じ意味 で用いられている.
4)
なお,
iオタク的」とみなされる趣味に耽溺することがただちに恋 愛や性行動からの疎外をもたらすわけではない.筆者は「サパイパル ゲーム」と呼ばれる戦争ゲームに興じる「サパイパルゲームオタクん あるいは軍服や戦車や戦闘機に執着する「ミリタリーオタク」などと も親交があるが,彼らは強い恋愛欲・性欲を持つ傾向がある.
5)
高橋征仁は青少年の性行動が分極化していることを指摘する(日本 性教育協会
2007: 49‑80)6)
このことを裏付けるように,オタクと一般人の両方の生活を送って きた
Eは「し、つも一般人の価値観とオタクの価値観がせめぎ合ってるっていうか(笑) ,そんな状態」と告白していた.
7)
テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の一場面.
8)
マンガ・アニメ・ゲームなどについての同人誌即売会の中で日本最 大規模のイベント「コミックマーケット」のこと.略称、は「コミケ
J.夏に開催されるものを「夏コミJ,冬に開催されるものを「冬コミ
Jと呼ぶ.
社 会 学 論 考 第32号2011.10
9)
オタク系部活内に女子部員が在籍していることもあり,場合によっ て は そ こ で Dの よ う に 部 内 恋 愛 が 生 じ る こ
ともある.しかしDが そ れ を 「 恋 愛 ご っ こ み た い な レ ベ ル , と 今 思 っ て し ま う く ら い 子 ど も っ ぽ い や つ だ っ た 」 と 述 懐 し て い る よ う に , そ こ で 十 分 な 恋 愛 が 達 成 さ れ ることは少ないようだ.
10)
この調査は専門学校生も対象としているが,男子の総数が
32人と 少 な い た め 検 討 か ら は 除 外 し た
11 )
それについても多くの場合不自然な性的描写(1お色気シーン
J)が頻繁に描かれたり(赤松
1999),非現実的な設定が用いられたり(高 橋
1980)す る こ と が 珍 し く な い た め , 恋 愛 ノ ウ ハ ウ の 習 得 に 適 切 と は考えにくい.
12) F
の
「委員会室の鍵Jの エ ピ ソ ー ド が 象 徴 的 で あ る.13)
こ れ ら の 理 解 の 一 助 と な る の は , 彼 ら の 「 普 通 」 と い う 言 葉 の 使 い 方 と , ポ ル ノ グ ラ フ ィ の 二 次 元 / 実 写 の 区 別 で あ る .
EFの二名は
「高校まではテニスやって彼女作って,フツーの高校生でした
J( F ) といったように「恋愛をするのが普通で,自分はその『普通』の側で ある
Jと い う 認 識 を 共 有 し , ま た
rAV見 て 抜 く の は 普 通 の こ と だ と 思う
J(F)の よ う に 実 写 ポ ル
ノグラフィを「普通j,二次元ポル ノ グ ラ フ ィ を 「 異 端J とする態度を示していた.
一 方 でABCDは「普通に 恋 愛 し て 普 通 の セ ッ ク ス つ て な ん の 面 白 味 も な い ん じ ゃ な い か と 思
う
J(D)のように「普通
jを 評 価 せ ず , ま た 自 分 を 「 普 通 」 と は み な さない態度を示していた.加えて実写ポルノグラフィと
二次元ポルノ グラフィを同一視する傾向があった.ここから,
EFの よ う に 「 一 般 人
Jと し て 高 校 生 活 を 送 っ た 男 性 は 「 普 通 の 人 聞 は 恋 愛 を 志 す も の であ り , 自 分 も 恋 愛 を す る べ き 普 通 の 人 間 だ
Jr 現 実 が 良 い も の で
二次元はその代替・模倣である
Jと い う 価 値 観 を 埋 め 込 ま れ て い る 可 能 性があるのではないか.これが「恋愛への社会化」の基底的な価値観と
して共有されているからこそ,冒頭に挙げたようなオタクに対するス
テ レ オ タ イ プ な 意 見 が 生 じ る の で は な い だ ろ う か .
14)
仮 に 二 次 元 ポ ル ノ グ ラ フ ィ に とって現実の模倣が重大事であるな らば,それはテレビドラマやアダルトビデオのように現実にありうる 恋 愛 行 動 や 性 行 動 を ご 都 合 主義的に読み替えていくような作品にな
るだろう.だが
1990年 代 後 半 以 降 の ア ダ ルトゲームは逆に現実から 積極的に離脱する方向へ向かっている.
90年代前半までのアダルトゲ ー ム に は「ナンパ
Ji フーゾク
Ji 合 コ ン
Ji テレクラ
Jなど現実に あり得る性行動を扱ったものが散見されていたが,
90年 代 後 半 以 降 はそれらの要素はまったく描かれなくなり,逆に「幼馴染み
J設定の 多用や女性キャラクターからの積極的な働きかけの増加など,現実の 手触りを喪失してきている.
15)
最 後 に オ タ ク 男 性 の 恋 愛を描いて話題となった「電車男
Jについ て 言 及 す ると,彼は
Eと同じく現実逃避型のオタクだと推測される.舞 台 と な っ た2ちゃんねるの「独身男性板Jは「モテない男Jのたま
り場だが,そこには「モテない男だという自己認識をもち,かっその
ことを無視できなしリ男性のみが訪れる. i電車男」がそのように自 らをカテゴライズしていること自体が,彼が恋愛へと社会化されてい ることを裏付けているのではないだろうか.
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Formation of Sexuality i n Modern Japanese Young Males On t h e I n t e r v i e w s t o OTAKU:' Male Persons
OKURA H i b i k i
G r a d u a t e S c h o o l of H u m a n i t i e s
,Tokyo M e t r o p o l i t a n U n i v e r s i t y
The modern J a p a n e s e a d u l t games ( p o r n o g r a p h i c games) f o r men have d i s t i n c t i v e l y e v o l v e d i n which consumers e n j o y n o t o n l y t h e s e x u a l a c t s b u t a l s o t h e f e e l i n g s o f l o v e t o w a r d s t h e c h a r a c t e r s o r t h e s t o r i e s . On t h e o t h e r hand
,n o t b e i n g g e n e r a l l y a m b i t i o u s t o w a r d s l o v e a c t i v i t i e s
,OTAKUs who consume a d u l t games have been c r i t i c i z e d a s r e t r e a t i n g i n t o f a b r i c a t i o n . " But i t seemed t h e y have had u n i q u e i d e n t i t y i n l o v e a c t i v i t i e s .
The f o
l1owing knowledge
waso b t a i n e d t h r o u g h t h e i n t e r v i e w w i t h t h e consumers of a d u l t games; ( 1 ) t h o s e who were o r d i n a r y p e r s o n s " i n U u n i o r a n d ) h i g h s c h o o l y e a r s have t e n d e n c y toward a m b i t i o u s t o l o v e a c t i v i t i e s
,and who were OTAKU" i n t h o s e y e a r s a r e n o t a m b i t i o u s t o t h e m . ( 2 ) The f o r m e r have o b t a i n e d i n f o r m a t i o n on l o v e a c t i v i t i e s t h r o u g h f r i e n d s and s e n i o r s , w h i l e t h e l a t t e r h a v e n ' t had s u c h e x p e r i e n c e .
R e f e r r i n g t o t h e c o n c e p t o f s e c o n d a r y s o c i a l i z a t i o n "
,i t
seems t h a t p e o p l e i n t e r n a l i z e t h e i r norms of l o v e t h r o u g h
communication w i t h s i g n i f i c a n t o t h e r s " a b o u t l o v e a c t i v i t i e s
(s o c i a l i z a t i o n toward l o v e a c t i v i t i e s " ) . The f o r m e r have
s t r e n g t h e n e d t h e i r s u b j e c t i v e n e c e s s i t y , w h i l e t h e l a t t e r h a v e n '
t.T h e r e f o r e t h e p o s s i b i l i t y was found t h a t many OTAKUs were n o t
a s m o t i v a t e d t o w a r d s t h e r e a l i z a t i o n o f l o v e a c t i v i t i e s a s o r d i n a r y
p e r s o n s , s o t h e y c a n be s a t i s f i e d a d e q u a t e l y by consuming
f i c t i o n a l l o v e .
社 会 学 論 考 第32号2011.10
Keywords: sexuality