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FoolとしてのBloom : James JoyceのUlyssesについ

著者 田村 章

雑誌名 Core

号 19

ページ 51‑64

発行年 1990‑03‑20

権利 同志社大学英文学会Core編集部

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016444

(2)

51 

Fool としての Bloom

‑ ]ames ]oyce の U l y s s e s に つ い て ‑

田 村 章

James Joyceの小説, Ulyssesの主人公, Leopold Bloomとはいかなる人 物なのだろうか。我々はこのダブリンに住む広告とりを生業としている中年 男をいかに説明すればよいのだろうか。これまで,このBloomの人物像に ついて,大まかに次の三通りの見方から論じられてきた。まず第一番目に,

Bloom はheroであるという考え方があるO 彼には優しさ@忍耐力。寛容さ という長所が備わっている。またJoyceは, Bloomの描写を通して人間が 世界の中でいかに生きていくかという普遍的問題を扱っており,その点で彼 は我々を代表する人物であると言える。1このように考えた時,彼はheroで あるという見方が成り立つ。第二に,この作品とその枠組みとして用いられ たHomerの叙事詩0のおりとのアイロニカルな対比に注目すると、この作 品はmock‑epicであり Bloomはmock‑heroであると言うことカfできる 2

Homerの壮大な英雄的世界に比べてJoyceの舞台はあまりにも小さな日常 的世界であるO そしてBloomは,勇敢なOdysseusに比べようもないくら いに臆病で卑小な人物である。そして第三の立場が, Bloomをfoolすなわ ち道化や愚者の類いの人物とみなす考え方でありこれから我々が検討して いく立場である.

我々はBloomに道化の面影を容易に見いだすことができる。彼が山高帽

(3)

52  FoolとしてのBloom

をかぶって街をこそこそと歩く様は,喜劇役者のCharlieChaplinを思い出 させる。またかつてValeryLarbaudは, BloomがShakespeareのfool, Falstaffに似ていると評している。4そして何よりもこの作品中, Bloomは本 物の道化師から papa"5と呼ばれているのである。

fool"という語は,

r

愚者J

r

道化」のご通りの訳語が当てはまるように,

Person who acts or thinks unwisely or imprudently"と Jester or clown  in medieval great household'必と,おおよそ二つの意味を持っている。我々 が問題にする Bloomという男は,あまり学問はないもののそれほど愚かな 人物ではないし,ましてや道化師でもない。しかし彼は,文学史上foolと

して論じられてきた人物達,例えば, Erasmusの描く痴愚女神, Cervantes  のDonQuixoteや, ShakespeareのFalstaffをはじめとする道化達,そし て現代のCharlieChaplinと共通した特性を有するのであるOその特性とは,

foolが既成の秩序を批判する存在であるということであるO

foolが行なう秩序批判というテーマは,近年のfool研究の中で最も活発 にとりあげられている問題であるO 例えば, Harvey Coxはその著書,The  Feast of Foolsで, foolを「既存の権威を風刺する者

f

としているO また,

数あるfool研究の中でも WilliamWillefordはTheFool and His Scepter8で, 秩序批判の問題を正面からとりあげており,さらに ,Ad de Vriesは, Willefordの影響を受け,Dictionary of Symbols and Imageryの fool"の項目 に「ノーマルな(堕落した)秩序の逆転, (抑圧された)無意識の衝動力へ の回婦をめざす

J

などと書くようになった。9日本人による研究でも,例えば,

高橋康也の『道化の文学j10は,ルネサンス期の文学に登場する代表的な道 化達をやはり秩序批判者として論じている。

JoyceのUlyssesで批判されている秩序は教会制度・国家制度。言語体系 の三者に集約される。この三つの既成の秩序について,かつて青年Stephen Dedalusは友人に, Youtalk to  me of nationality, language, religion I  shall try to fly by those nets."llと言い,これらが自分の思考の自由を奪っ

(4)

FoolとしてのBloom 53  ているものだと批判した。そしてこの Ulyssesでは,これら三つの秩序は,

芸術家Stphenと市民Bloomという二人の異なった人物の視点から問題に されていく。本稿ではこの二人のうちのBloomに焦点をあて,彼のfoolと

しての性格を明らかにし,同時にいかにして既存の秩序が彼によって批判さ れていくか解明してみることにしたい。

foolがもっ様々の性格をWalterKaiserはDictionaryof the History of Ideω 

の Wisdomof the Fool12の項目で簡潔にまとめている。 Kaiserの挙げて いる foolの性格を Willefordらのfool論などとあわせて検討しながら,

Bloomの人物像についてまず最初に考えてみることにしよう。

まず第一にタ Kaiserもfoolを秩序の批判者と考えているO そして彼は,

fool達が自由に秩序を批判できるのは, もともと彼らが大人が従わなけれ ばならない社会の規範からの逸脱を認められた存在であるからだと述べてい る。 fool達は,

f

無責任にしてしばしば不敬ですらあるその言行も,まるで 子どもがそうであるように大目に認めてもらうことができた。愚者と子ども

は生まれつきの本能にのみ導かれているわけだから,文明社会の諸規範には 何の関係もない存在とみなされる

J 1 3

のだ。 Bloomも作品の舞台であるダプ リンの街の様々の規範から逸脱した存在である。彼はカトリックの信者では ないので,その教義に束縛されない。そこで彼はその立場を利用して教会の 欺踊や腐敗を暴いていく。ハンガリ一系のユダヤ人であり,生粋のアイルラ ンド人でない彼は,アイルランドのイギリスからの独立運動にも関心はなく,

アイルランドの愛国者に,イギリスへの憎しみに燃えていることのつまらな 色戦争の愚かさを説いたりもする。このようにBloomは,宗教的にも民 族的にも規範というものから自由であり,この街を支配する秩序を客観的な 目で眺め,そこに潜んでいる問題点を指摘するのである。第二に, Kaiser  は心理学の立場からfoolを分析し,

f !

愚者はフロイト流に言うところのイド

(5)

54  FoolとしてのBloom

の,抑制を知らぬ表現jであり,

I

超自我の痕跡をかけらもとどめることなく,

てん

愚者は肉の快楽と自然的欲望に易々として従って悟として恥じることがな いj14と述べている。 Willefordもほぼ同じような指摘をしているが,15fool  が社会規範から逸脱してそれに異議を唱える存在である以上,規範への服従

を本能に強いる超自我から自らを解放しているのは当然のことなのであるO Bloomも, fool, Falstaffと同様,自らの肉欲を汚れたものと考えてそれを 抑えようとはしない。彼の淫らな思いは作品中のいたるところでありのまま

に描かれているO

第三に, foolの時間の感覚について, Kaiserは,

I

幸福なら笑い,不幸な ら泣き叫ぶ。記憶もだめだし何かをず、っと論理的に追うのも苦手な彼は,

今この時にのみ幸福に生きているばかりで,過去も未来も彼には何の意味も ないj16と言っているO この説明は, Bloomにそのまま当てはまるoBloom  には父親の自殺や息子の病死といった,過去の悲しい思い出があるが,彼は そうした過去に囚われて現在を生きょうとは思わない。彼のモットーは,

Useless to go back. Had to be." (p.  168)であるO また,未来について,彼 は tomorrowis  a new day will be" (p.  515)というモットーを持ち,自分の 将来の計画をあれこれと考えるO しかし彼はその夢のために現在を生きょう

とは考えていない。現在を幸福に生きることが彼には最も重要なのだ。

第四番目に, Kaiserは, foolと二項対立の関係を問題にするo

I

自己の快 の満足のみ追求する彼は快感原則の権化である。彼の敵たる超自我は,社会 の秩序だ、った約束事や文明を支える合理性万殺を表すが,こんなものは愚者 には到底理解できないし,抑圧的で我慢ならないものと感じるであろう。こ の二項対立を,たとえばイド対超自我,心対頭,混沌対秩序,アナーキ一対 文化,自然対人為,感性対理性,快楽対徳行,カーニヴァル対レントという 具合に表してみるとして,愚者がどちらかに加担する存在であるかは自ずと 明らかというものであろう。J17ここで, Bloomについて論じる前に,この foolと二項対立の問題についてもう少し検討しておきたい。

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FoolとしてのBloom 55  二項対立の考え方は,キリスト教神学の基盤をなすものであるが,この考 え方について急進神学者のMarkTaylor は次のように解説しているO

みずからの知的双生児ともいうべき哲学と同様に,神学それ自体 もまた,これら対立概念両項を,等価。対等とはみなさない。両項 の平和的共存の可能性を認容しようとはしない。常に例外なし(中 略)二項対立の一項に,特権。優位性が付与される。この構造の結 果的産物である特権配分組織が,現に,あの非相称、的秩序体系を一 つまり,一方が他方を制し支配する,というあ、の非相称、的秩序体 系を一一支えているのだが,この事態は,神学,論理学,価値論そ れに政治的分野にまでも及んで、いる。18

このように対立するこ項は,対等ではないので、ある。先程のKaisrの考え 方では, foolは二項対立のうちの支配されたり劣位にある側に加担するこ とになるが,果たしてそれは妥当な考え方なのだろうか。 Taylorは, fool  とは二項対立を逆転したり歪曲して撹乱するものだと言う。19同様に Wille‑ fordもfoolの活動とは,文化によって引かれた様々の境界線,つまり混沌

と秩序,男女,貴賎,善悪,人間と動物といったものの間に引かれた境界線 を踏み越えることであると言う。20キリスト教に支えられた西洋文明が,様々 の二項対立とそれに基づく境界線によって陛界を秩序立てようとしたのだと すれば, foolの役割とはこのような秩序の体系自体を批判し,それが幻想 にすぎないことを暴露することにあるのではないだろうか。 Kaiserの見解 とは巽なって, foolは決して二項対立を認めその劣位の側に安住してはい ないのであるO

Taylorはモダニズムの運動を,この二項対立に基づいた秩序体系を覆そ うとする苦闘だと指摘している。21モダニズム文学の一つであるこの Ulysses のfool,Bloomもやはり三項対立に異議を唱えているoBloomのinterior monologueには, Dirtycleans" (p.  68)ぅPoisonthe only cures" (p.  84), 

Pleasure or pain is  it?" (p.  157)など,二項を項として対立させず包含して

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56  FoolとしてのBloom

しまおうという考えを思わせるものが度々現れているO 二項対立のうちでも 生と死の対立は最も基本的なものであるが,それについて彼は, "In the  midst of death we are in 1ife.  Both ends meet" (p.  108)と心の中で舷いてい るO 彼は死が生命の終りであることを疑問視しているO 生きている人間には 誰にも死後どうなるかわからない。死からまた新しい別の人生が始まるかも

しれないと彼は考えているのだ。

Bloomが撹乱するもうひとつのこ項対立は男と女の対立であるO この対 立も西洋文明の中では基本的なものであるoChristine Boheemenは次のよ

うなこ項対立を列挙するO

Cu1ture‑N ature  Mind‑Body  Intellect ‑F ee1ing 

Logos‑Chaos  Form‑Matter  Truth‑Lie  Presence‑Absence 

Spirit‑Matter  Identity‑Difference 

Sky‑Earth  Tim‑Space Lif‑Death Light‑Darkness 

そしてそれぞれの対立項の左側が文明の支配者側であり,男性は父なる神と ともにこの左側にあり,他方,女性は被支配者側である右側に位置すると述 べている。22B100mが舞台とするダプリンでも,男性は力や権力と結びつき,

女性は男性に服従するものという見方が浸透しているOこうした中にあって,

B100mは,例えば,第15挿話の幻想、世界で, afinished examp1e of the  new woman1y man" (p. 493)だと医者に診断され,女のように子どもを出産 するO 第12挿話では,おとなしい性格のB100mは,力を最高の価値とみな すアイルランド愛国者たちから Oneof those mixed middlings he is"  (p.  338)と陰口を言われているoWillefordはfoo1は両性具有的な性格をもっ

と述べているが,23Joyce はBloomをこのように両性具有的に描くことでダ プリンの男性中心の社会を,そして西洋にはびこった男性中心の二項対立の

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FoolとしてのB100m 57  システム全体に異議を唱えようとしているのである。

以上のように, Bloomは, Kaiserが挙げた第一番目から番三番目までの foolとしての性格を有し,さらにWillfordらが指摘している二項対立の撹 乱者としてのfoolの特性をあわせ持っている人物なのであるO

それではこのfool,Bloom は,いかにして教会・国家@言語の三つの既成 の秩序を批判していくのだろうか。

すでに我々が見てきたように, Bloomはfoolの一人として,二項対立の システムを撹乱してきた。このシステムの始源とされてきたのがキリスト教 世界における神であるO 旧約聖書,創世記によれば,至高の創造者である神 が昼と夜を区別し,混沌から秩序ある世界を生み,天と地を創造し,男と女 を造り,永遠の生を奪って人間を死すべきものとしたのである。また,新約 聖書,ヨハネ福音書に Inthe beginning was the W ord, and the W ord was  with God, and the Word was God." (John. i.  1)とあるように,神は言語の システムの始源ともされてきた。つまりキリスト教世界の神とは,二項対立 と言語という二つの秩序システムの中心とされてきた存在なのであるO そし てこの神中心の秩序体系は,教会制度によって維持されてきた。

ここでは第一番目にBloomのキリスト教会とその中の神についての意識 を明らかにしてみたい。

まず何よりも, foolのBloomは,当然,前述の秩序体系の中心に位置付 けられている神の存在を認めていない。彼はこのことを第16挿話でStephen に話しているO そこで彼は,神とは, genuineforgeries all of them put in  by monks" (p.  634)だと主張するO つまり人聞が神の被造物であるのではな

く,神が人間の被造物だというのである。さらに彼は,一切のキリスト教の 教義も絶対的なものではなく,人間が造り出したものだと考えているO 彼は 思う, Thedoctors of the church: they mapped out the whole theology of 

(9)

58  FoolとしてのBloom

it." (p. 83)とO 従って,彼は,人間が造ったキリスト教の教義の根本たる天 国や摂理の考え方,さらには,パンがキリストの肉であり葡萄酒が血である といった考え方を盲目的に受け入れることに疑念を感じているO 例えば,彼 は,ちょうど子どもがく裸の王様>を見て「王様は裸だ」と言うように,パ ンはパンであり,葡萄酒は葡萄酒にすぎないと舷いているO また,もし天国 という観念がなければ人聞はもっと命を大切にするはずだとも述べているO

彼はカトリックの教義が必ずしも人々を幸福にしていないことに怒りを感 じているO 例えば,カトリックは中絶を禁止しているが,その結果,子だく さんの貧しさにあえぐ家庭もあるのだ。その一方で,この教義を決めた神父 達は養う家族がいないので何も困っていないのである。神父達の腐敗に対す る彼の糾弾は厳しい。彼の目には神父達が熱心に祈りを捧げているようには 見えていない。彼には神父達が人々の心の救済のためよりもただの金儲けの ために祈っているように思えるのであるO

以上のように, fool, Bloomは当時一般のダプリン市民がそのまま信じ込 んでいた神の存在やキリスト教の真の姿を暴露し,同時にそれらを支えてい る教会の腐敗を批判するのであるO 彼はこうした批判を通して,神中心の秩 序のシステムが現実に人々を幸福しているかどうかを問いかけているのであ るO

さて第二に,西洋社会の秩序を維持しているもう一つのシステムが国家制 度であるO 国家制度も神中心の秩序のシステムと同じ形態をしている。そこ では,政府が決めた法律や制度という秩序の体系があり,その体系は警察や 軍隊を伴った国家権力によって維持されているO 秩序の批判者たる fool, Bloomは,やはりこの制度も人々の幸福に十分役立っていないことを指摘 するO彼は,例えば,警官を心から嫌っているO なぜならダプリンの警官は,

上流階級の人聞にはへつらう一方,一般市民の中に強引に犯罪を見つけだそ うとするからである。24

国家制度が引き起こす最大の不幸は,国家間の衝突によって生じる戦争で

(10)

FoolとしてのBloom 59  ある。『道化の文学』で高橋は, Erasmusの痴愚女神, RabelaisのPantag‑ ruelに登場するPanurge,Shakespeareの描く Falstaffから,映画『独裁者j のChaplinまでを,偉大な戦争批判者としてのfool系譜としているが 25こ の系譜にBloomの名を付け加えなければならない。第12挿話で, Bloomは 乱暴なアイルランド愛国者達の目の前で戦争の愚かさ,虚しさを主張してい

O 彼は武力のみを信奉している愛国者達に次のように言う。

‑ But it's no use, says he [Bloom]. Force, hatred, history, all  that.  That's not life  for  men and women. insult and hatred. And  everybody knows that it's very opposite of that thtis  reall y life 

‑ What? says alf. 

‑ Love, says Bloom. 1 mean the oppositofhatred. (p.  333) 

ここでBloomは人聞にとって本当に大切なものは愛であるという彼の信念 を披涯するOしかし,もともと foolの言うことなど大して重くはみられない。

愛国者たちは, Love,Moya! He's a nice pattern of a Romeo and Juliet." 

(p. 333)と言って,彼を瑚笑するO さらにこの挿話の語り手までもが,

Love loves  to  love love.  Nurse loves  the  new chemist.  Con‑

stable  14A loves  Mary Kelly.  Gerty MacDowell loves  the  boy  that has the bicycle. . . . Y ou love a certain person. And this per‑ son loves that other person because everybody loves somebody  but God loves everybody. (p.  333) 

と, Bloomの愛についての信念を瑚けり笑う。愛は本当に人聞にとって一 番大切なものである。しかしfoolにはこのような真実を他人に説得して分 からせる力がないのであるoBloomは教会制度や国家制度の腐敗を批判す るが,彼の言葉に熱心に耳を傾ける者は皆無に等しいといってよいほどであ る。まして彼には真のheroとして旧弊の秩序を一掃して新しい秩序をもた らすことなどできはしない。にもかかわらずfoo,lBloomは秩序批判を続け

(11)

60  FoolとしてのBloom ていく。

第三番目に,既に触れたように,キリスト教世界では言語の体系も神を中 心に広がっている。神にも秩序にも批判的なBloomにとって,言語体系も 当然問題の対象となる。彼が指摘するのは,言語は,その本質が恋意性に基 づいている以上,必ずしも純対的なものとして盲信できないということであ る。

ここでShakespeareの歴史劇,King Henry IVをひもといてみよう。その 中で, fool, FalstaHは以下のように述べている。

Can honour set  to  a leg?  No. Or an arm' No. Or take away the  grief of a wound? No. Honour hath no skill in surgery then' No  What is  honour? A word. What is  in that word honour? What is  that honour? Air.Z6 

この箇所について高橋は次のように解説しているo

r

名誉とは単なる言葉に 変じ言葉は単なる空気と化しているということ状態,つまり『意味するも の

J

(名)と『意味されるものj (実)との議離という言語論的欺踊の実状を,

フォールスタッフはこのとき正確に見抜いているわけで、あるが,この洞察を 彼に与えているものはもちろん,生への全的肯定にほかならない。JZ7つまり FalstaH は,言葉のもつ恋意的性質,すなわち,言葉の見かけをなす音の響

きや綴り字の部分と,その言葉が指示する実体との聞には,何の因果関係も ないことを知っているのであるO

Bloomも同様に言葉の恋意的性質を見抜いているO 第16挿話では,彼は Stephenと言葉について話し合う。 Stephenは,

‑ Sounds are impostures . . . . Like names, Cicero, Podmore,  Napoleon, Mr Goodbody, Jesus, Mr Doyle. Shakespeares were as  common as Murphies. What's in a name? (p.  622) 

と言葉の音の響きと意味の聞に何の深い繋がりもないことを主張する。

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FoolとしてのBloom 61  Bloom はStephenのこの意見に心から同意し, Yes,to  be sure . . . . Of  course. Our name was changed too . 一"(p.  623)と返答している。 Bloom lえ Table:able. Bed: ed." (p.  73)のような言葉遊びが好きであるが,こう した言葉遊びは言語の恋意的性質を浮き彫りにしているものである。

table"と able"は発音が似ていても全く違う事柄を指し示しているのだ。

言葉の見かけと言葉の指示する実体が無関係であるなら,見かけが同じで も指示される言葉の意味内容が変わってくるという事態が起こってくるO 先 程挙げた愛をめぐるBloomの主張と語り手の廟笑について,もう一度考え てみよう。ここでは,同じ love"という言葉でも,その意味内容はBloom

と語り手の用い方では大きく異なっている。 Bloomが口にする Love"とい う一語には,彼の愛が大事だという思いが満ちあふれでいる。ところが語り 手が列挙する love"という言葉から,我々は愛の大切さを感じることはな い。言葉の意味内容とは,それを用いる人間の意志や考え方によって大きく 異なってくるのである。

このように,言葉とは実は安定したものではない。その意味は流動的であ る。そして,もし神が言葉のシステムの中心であるとしても,それは言葉の 表面の事物の名称の体系の中心なのであり,言葉の意味を生み出すのはあく まで人間なのである。

以上のように, fool, Bloomは,キリスト教世界に存在してきた,神を中 心とする秩序のシステム,すなわち二項対立,言語体系,及びこの秩序体系 を維持する教会制度を,さらにこのシステムの相似形をした国家制度を批判 した。但し,彼はこのように既存の秩序を問題視しながらも,全ての秩序を 無くしてしまって世の中を混沌にしてしまうことを望んで、いるわけではな い。彼が問題にしたいのは,様々の人間が仲良く暮らしていくために人間が 造り出してきた秩序が必ずしも人間の幸福に役立つていないということであ

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62  FoolとしてのBloom

O教会も政府も,人々に秩序への盲従を強制するものの人々の福祉や真の 繁栄にあまり貢献しようとはしていなし、。

Bloomは人間と秩序のあるべき姿を求めて thenew Bloomusalem" (p  484)や Flowerville"(p. 714)のような理想社会を夢見る。旧来の社会では,

秩序は権力。武力という力によって保たれていたが,これらのユートピアで は,彼は, Universallove"(p. 333)の信念の下,人間の持つ愛の気持ちに よって自発的に秩序が維持されていくような世界の実現を願っているO

しかしこうした理想社会の計画は実現には程遠い。なぜならこの計画は,

Bloomの愛への信念だ、けでなく,彼の利己心も反映したものだからである。

彼はこの二つの社会の支配的な地位に就こうとしている。また自分の個人的 な感情を政策に組み込んだ、りしている。このような社会の計画が他人から支 持されるはずがない。 Bloomの計画の失敗は,いかに愛が大切であっても,

人間が利己心を抹消して愛のみに生きることがどんなに難しいかを如実に示 しているO仮に利己心の問題が克服されたとしても,人間の愛する力には限 界があり,一人の人間は全ての他人を愛することはできない。こうした中で 果たして人間は愛だけを信じて生きられょうか。

さらに人聞は自然が引き起こす様々の災害の恐怖に絶えず脅かされて生き ているO 人聞がこうした不安な状況の中で,少しでも安心して生きていくた めには,何か確固たる絶対的なシステムを信じ,そこに身を任せて生きてい くしかないのであるO そのシステムがキリスト教世界の神中心の秩序のシス テム,そして国家制度であるO

Bloomはこの二つの秩序の体系を批判し,実に多くの問題点を指摘した。

しかし被はこれらの秩序システムに代わるシステムを見いだしてはいない。

いや,人聞が抱えるあらゆる問題を解消しうるような秩序体系はもともと見 っかりはしないのである。だとすればこの二つの秩序を批判する者は,決し て清新な秩序をもたらす真のheroとはなりえず, foolになるしかないので あるO

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FoolとしてのBloom 63  しかし,それでも Joyceは,このfool,Bloomを否定的には描いてはいな い 。 な ぜ な ら こ のfoolの 存 在 意 義 は , 既 存 の 秩 序 の 本 質 を 暴 き , そ し て そ こ に 生 じ て い る 腐 敗 や 堕 落 を 批 判 す る こ と に あ る か ら で あ るoBloomのマ ス コ ッ ト で あ る 石 鹸 が , We're capital  couple  are  Bloom and I;I  He  brightens therth,I polish the sky." (p.  440)と歌うように, Bloomは石 鹸と一緒にこの世界を浄化し明るくしようと一生懸命なのであるO

Notes 

1.例えば, Anthony Burgessは,Re Jのce(New York: Norton, 1965; rpt.  New  Y ork: Ballantine, 1966)のp.25で, Thecomedy of ]oyce is  anspectof the  heroic:  it  shows mnin  relation to  the whole cosmos, and the whole cosmos  appears in his work symbolised in the whole of languge.と述べている。

2.例えば, A.  Walton Litz は, Ithaca,"in  James Joyce's Uか'sses": Critical  Essaysds. ClivHrt and  David  Hayman (Berkeley:  Univ.  of  Clifornia Press, 1974), p.  400でこうした見方もできることを示しているO

3.例えば, David Haymanは,その Clownset farce chez J oyce" (Poetiq問、6 1971) pp.  173‑99で, Bloomを道化として論じている。但しHaymanの分析 は神話論的なもので,本稿の分析法とは全く別の方法である。

4.  Selected Letters of James Joyce, ed.  Richard Ellmann (Nw Y ork: The Viking  Press, 1975), p.  278参照。

5.  ] ames J oyce, 

u .

ら!sses(New York: Random House, 1961), p.  696以下,括弧内 に同書,同版からの引用の頁数を示す。

6.  CODの定義によるO

7.  Harvey Cox, The Feast of Fools (Cambridg HarvardUniv. Press, 1969), p.  141 

8.  William Willeford, The Fool and His Sceρter (Evanston: Northwestern Univ  Press, 1969) 

9.  Willeford, The Fool and His Scψterの邦訳書,

r

道イヒと妨杖j (晶文社, 1983)  の中にある訳者,高山宏の解説によるO

10.高橋康也,

r

道化の文学j (中央公論社, 1977) 

11.  James ]oyce, A Portrait of the  Artist as  a Young M (London:] onthan Cape, 1964), p.  207 

12.  Walter Kaiser,Wisdom of  the  Fool,"  in  Dictionary of the  Hisωry of Ideas, 

(15)

64  FoolとしてのBloom

eds.  Philip P. Wiener et al. (New York: Macmillan, 1968), Vo l.IV. pp. 515‑

20.本書からの引用文には,高山宏による邦訳(平凡社, 1987)を用い,原書の 頁数を示した。

13.  Ibid., p. 516.  14. Ibid.,  p. 516  15.  Wi11eford, p.  11  16.  Kaiser, p.  516  17. Ibid.,  p. 516 

18.  Mark Taylor, ERRING: A Postmodern A/ theology (Chicago the Univ of Chi‑ cago Press, 1984), p.  9.本書からの引用文には井筒豊子による邦訳, ( 

r

思想』

岩波書底, 1987年10月号より連載),を用い,原書の頁数を示した。

19. Ibid, p. 18 

20.  Willeford, pp.  132‑33.  21.  Taylor, p.  9. 

22.  Christine Van Boheemen, The Novel as  Family Romance: Language, Gender,  and Authority from Field:gto Joyce (Ithaca: Cornell Univ. Press, 1987), pp. 28‑

29 

23.  Willeford, p.  180 

24.  Joyce, Ulysse.ιp. 615参照。

25.高橋, p. 111. 

26.  William Shakespeare, 1節 句HenryIV, V. i.  131‑35, ed. A. R. Humphreys  (London: Methuen, 1985), pp. 145‑46. 

27.高橋, p. 111. 

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