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はじめに
榛葉英治は戦後、満洲から引揚げ、占領期の東京で作家としての活動を開始する。
引揚げ体験は直木賞受賞作ともなった『赤い雪』(19(8年、和同出版社)をはじめ、
彼がくり返し取り組んだテーマだが、純文学から大衆向けの作品まで数多くの媒体 で作品を執筆し、映画化された作品もある。近年では南京事件にいち早く本格的に 取り組んだ作品が評価されてもいる。とはいえ、その研究はほとんど手つかずとい ってよい状況にあり、年譜や著作一覧のような基本データも存在しない。
リテラシー史研究会では、出版や読書史に関する史料の調査や翻刻出版を行って きた。これまでにも、財団法人(現在は学校法人)日本力行会所蔵資料の整理、調 査を通して、同会の刊行物『救世』や『力行世界』を不二出版より刊行すること となった。また、松本市高美書店の書店資料を調査、整理し、その研究をもとに
『国定教科書はいかに売られたか』(ひつじ書房、2011年)を刊行、同書店資料に ついても『明治期書店文書 信州・高美書店の近代(出版流通メディア資料集成
(五))』(全 ( 巻 6 冊、金沢文圃閣、2017年)として復刻、刊行に取り組んできた。
日記資料に関しては、五十嵐書店の五十嵐智氏の日記の翻刻、『五十嵐日記 古書 店の原風景 古書店員の昭和へ』(笠間書院、201(年)出版を行ってきた。
2017年からは『榛葉英治日記』の 翻刻、調査にも取り組んできた。こ の調査の参加者は、現在のところ伊 藤遼太郎、大岡響子、加藤優、康潤 伊、河内聡子、佐久間光瑞、田中祐 介、西尾泰貴、中野綾子、和田敦彦 である。ここでは、これまでの調査 の経緯を簡略に記しておくこととし たい。
1 調査の対象と方法
『榛葉英治日記』3(点(図参照)
リテラシー史研究会
図
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『榛葉英治日記』調査経過
日記の第一冊には、「引揚げに際して、十年来、学生時代からの日記や原稿など、
全部焼き棄ててきた。持帰りを許されなかったからだ。」(19(6年 9 月16日)と記さ れており、もともとまめに日記をつける習慣を榛葉はもっていたが、これ以前の日 記は現存していないこととなる。
長期間にわたって幅広い活動をした作家でもあり、出版環境や読書の歴史に関し ても有益な情報を含んでいることが予想されたため、研究会としては、この日記の 内容を検討してみることとした。まず日記全冊を撮影し、そのデータをもとに翻刻 作業を進め、その内容をもとに具体的な研究にどう活用し得るかを検討する作業を 行うこととした。
調査の参加者で分担し、日記を最初から順に翻刻していく計画を立てた。最初の 数冊を試行的に翻刻し、翻刻の際にとる項目として、以下の項目を設けることとし た。
ファイル名:撮影データ(通常は見開き 2 頁の 1 画像)のファイル名を記入 日時:日記を記した年月日
は早稲田大学中央図書館が2017年に古書店から購入した。各冊に記されている時期 については表の通りとなっている。日記は毎年番号を付して作成されており、この うち19(8年分にあたる第11冊、及び1976年前後の第20冊が欠けている。
日記巻号 期 間 日記巻号 期 間
1 19(6年 9 月1(日~19(8年 6 月26日 17 1971年 8 月11日~1972年 6 月 ( 日 2 19(8年 7 月17日~19(9年(月1日 18 1972年 6 月 ( 日~1973年 7 月21日 3 19(9年 7 月17日~12月31日 19 1973年 7 月2(日~197(年 ( 月13日
( 19(0年 1 月 1 日~12月2(日 21 1977年 7 月 8 日~1978年 ( 月 7 日
( 19(1年 1 月 1 日~12月2(日 22 1978年 ( 月10日~1979年 ( 月30日 6 19(2年 2 月27日~12月29日 23 1979年 6 月 2 日~1980年12月26日 7 19(3年 1 月 1 日~12月31日 2( 1981年 1 月 1 日~1982年 9 月20日 8 19((年 1 月 1 日~10月28日 2( 1982年10月 1 日~198(年12月2(日 8 別冊 19((年10月28日~12月30日 26 198(年12月27日~1987年 ( 月29日 9 19((年 1 月 1 日~12月31日 27 1987年 6 月 1 日~1988年12月27日 10 19(6年 1 月 1 日~19(7年12月26日 28 1989年 1 月 1 日~1991年 8 月 7 日 12 19(9年 1 月 1 日~1961年12月 1 日 29 1991年 8 月 6 日~1993年 6 月29日 13 1962年 1 月 1 日~196(年12月 9 日 30 1993年 7 月 ( 日~199(年11月23日 1( 196(年 1 月 ( 日~1969年11月2(日 31 1996年 1 月 1 日~1998年 8 月1(日 1(別冊 1969年 7 月 6 日~1970年 1 月 ( 日 ノート 1 雪の道/妻入院中の日記/病床日記付
録
1( 1970年 1 月19日~ 8 月2(日 ノート 2 197(年12月11日~1976年 1 月 ( 日/
和久里病床記 1
16 1970年 8 月27日~1971年 7 月31日 ノート 3 1978年 1 月 ( 日~1979年 6 月18日/
和久里病床記 2
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本文:日記本文の入力
人名・作品名:本文に出てきた人名、作品名 備考:内容に関する備考
日記体裁:冊子の形態、記載方法に関する備考
このうち、「人名・作品名」の項目を設けたのは、日記著者が早稲田大学出身の 作家で、同窓の作家や出版人とのつながりが日記からうかがえたためである。そう したネットワークについての情報が、この情報をより広く生かし、活用していくた めに有用であると考えた。
2 ヶ月に一度の会合をもち、各自で分担した箇所の翻刻を集約、難読箇所などを 確認してデータを統合していった。作業データはすべてメーリングリストによって 共有し、統合データは早稲田大学のオンラインストレージに集積、保存、共有する 形をとった。
2 現状と課題
2017年 7 月から2019年11月までに、1(回の会合をもち、第 1 冊から第17冊、すな わち1972年 6 月分までの18冊分の翻刻を完了した。962枚の画像ファイル、概数に して約1900頁分のデータにあたる。ただ、 2 年間にわたって作業を続けていく中で、
いくつかの課題も出てきた。大まかには、今後も含めて長期にわたって作業を続け、
データを蓄積、整理していくうえでの技術的な課題と、データを研究していくうえ での研究上の課題とに分けられる。ただ、両者は相互に密接に関係し合っているこ とは言うまでもない。
第一に、長期的な日記の翻刻作業を行っていくうえでの見えてきた技術的な課題 と、それに対する方策について記しておきたい。まず、日記の翻刻データが増えて いくにしたがって、それまでに、いつ、どういう内容が書かれていたかが振り返り にくくなってしまった。蓄積したデータを研究に活用していく上でも、また日記内 容を理解していくうえでも、過去の入力データの内容や出てきた人物の情報等、容 易に確認し、振り返ることができるようにする工夫が必要となる。このため、作業 に並行して、「主要人名ファイル」及び、「主な出来事」のデータを作成し、定期的 にアップデートしていくこととした。
「主要人名ファイル」は日記に出てくる人物、実際に榛葉と関係のあった出版人、
メディア関係者などによる主要人名を蓄積したデータである。前述のように、通常 の作業でも「人名・作品名」データはとっているが、重複もあり、一覧もない状態
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『榛葉英治日記』調査経過
であった。これまで蓄積された翻刻データをもとに、人名一覧を作成し、作業に生 かして行くこととなった。最終的には榛葉英治と出版人とのネットワークがデータ 化できることにもなる。
「主な出来事ファイル」は、蓄積したデータをもとに一年ごとの翻刻内容を簡略 にまとめたデータである。家族や主要な人間関係、また創作で特に関心を向けてい る対象や取り組んでいる長編作品などの情報を中心に作成した。それによって、い つでもそれまでの翻刻内容を振り返ることができるようにした。また、略年譜の情 報としても役立つことが期待される。
長期的なデータを蓄積していくうえでのもう一つの課題は、年譜と著作リストの 作成である。最初に述べたように、榛葉英治の場合、年譜や著作リストがいまだ作 成されていない状況にある。日記には、年譜として記載すべき事項に加えて、年ご とに日記に榛葉自身が執筆リストを表の形でまとめていることも多い。こうした表 には、短い原稿を含め、枚数や掲載媒体などの執筆情報も付されている。これらを うまく集積する工夫が必要となる。一方で、この日記以外にも、書誌データベース や別の著述など、榛葉英治の著作リストや年譜作成に役立つ情報が存在する。それ らの情報もあわせて集積する必要がある。
このため、研究会では「略年譜ファイル(人名解説つき)」の作成と「著作リス ト」データの作成を行うこととなった。「略年譜ファイル」は、日記外の年譜情報 を整理したものである。具体的には榛葉英治の自伝『八十年現身の記』(新潮社、
1993年10月)の主要な出来事、人物関係をまとめたデータである。榛葉は、この本 のあとがきで「すべてが事実であり、創作はいっさいない。登場する人物には敬称 をつけなかった。客観性をもつためである」と記している。この言自体検証する必 要はあるが、研究会ではこの自伝をもとに主に経歴にかかわる情報を抜き出し、略 年譜ファイルを作成した。あわせて、出てくる人物に簡略な説明を付した人名解説 の一覧も作成することとした。
「著作リスト」は、日記の中に榛葉自身が作成した表を集積したデータである。
これらは文章ではなく表の形式をとっており、翻刻本文とは異なる形式ともなる ため、独立させて著作リスト(file 名、題名、起筆月日、完成月日、枚数、掲載誌、
日記著者による備考、作業者備考)のファイルを作成していくこととした。この
「略年譜ファイル」、「著作リスト」データに、前述の「主要人名ファイル」、「主な 出来事ファイル」で整理、集積した情報を加えれば、より完全な著作や年譜情報を 作り上げていくことができる。
以上が翻刻データを整理、管理していく上での技術的な課題とその方策にあたる。
これに加えて、研究上の課題が、作業を進めていく中でしだいに明確になっていっ
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いった研究に生かして行くことができるのか、という問題である。
もともと、本研究会での調査は、榛葉英治という作家の作品を評価したから行っ ているわけではない。むしろ、この出版やメディア史的な情報をそこからくみ取る ことに主眼が置かれている。ただ、現在において、榛葉英治という作家がほとん ど忘れられている以上、その日記情報の有用性が、うったえにくいのも事実である。
例えば国立国会図書館は榛葉英治を著者とする図書を69件所蔵しているが、2019年 現在刊行されている榛葉の著作は確認できない。たとえ多様な領域にとって有用な 情報がその日記に含まれていたとしても、その情報が生かしてもらえない恐れもあ る。
したがって、研究会としては、榛葉英治の日記データの翻刻にあわせて、この作 家の活動や表現自体を検討し、その研究対象としての可能性を開拓し、発信して いく必要がある。榛葉英治の文学としての評価は、今日けっして高いとは言えな い。しかし、これまでに文壇や研究で高い評価がなされてこなかった作家や作品で も、研究のリソースとしては極めて高い価値や豊かな可能性をもっている場合はあ る。例えば長期にわたって活動し、広いネットワークを持っていた作家や、大衆的 な影響力をもっていた作家、複数のメディアや国家にまたがった活動を展開してい た作家は、作品単独の完成度や文学性(これらもまた自明とは言いがたい)にかか わらず、研究のリソースとして高い価値を持ちうる。榛葉英治日記を通して、この 研究リソースとしての価値を外側に向けて発信していくことが研究上の課題である。
3 研究リソース活用の幅を広げる取り組み
実際に、日記を翻刻作業を行っていく中で、研究者間で、多様な問題への糸口が 見えてきたということもある。こうした研究リソースとしての可能性を拓いてい くための活動が、調査での課題となった。このため、2018年 7 月の研究会から、こ れまでの榛葉英治の著述活動やその内容を改めて読み、検討する作業を継続的に 行っていくこととした。具体的には『川釣り礼賛』(199(年、平凡社、報告者:河 内聡子 2018年 7 月 8 日)、『誘惑者』(19(8年 9 月、光文社、報告者:西尾泰貴 2018年 9 月 8 日)、『乾いた湖』(19(8年、和同出版社、報告者:中野綾子 2018年 11月18日)、『赤い雪』(19(8年、和同出版社、報告者:田中祐介 2019年 1 月27 日)、『城壁』(196(年、河出書房、報告者:和田敦彦 2019年 3 月16日)、『冬の 道』(1990年、河出書房新社、報告者:加藤優 2019年 7 月20日)、『炎の女 北条 政子』(1979年、静岡新聞社、報告者:佐久間光瑞 2019年11月16日)を扱ってき ており、今後も継続的に行っていくこととしている。
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『榛葉英治日記』調査経過
また、参加者がそれぞれの問題意識に立って榛葉英治の表現について検討し、日 記データを有効に活用した研究を行うことで、研究リソースの可能性を具体的に示 していくことが可能となる。このため、学会において具体的にシンポジウム企画を 実施し、その研究成果を広く公開していくこととした。2020年度日本近代文学会春 季大会に、シンポジウム「研究リソースの可能性を拓く 『榛葉英治日記』調査 から 」を申請し、田中祐介、和田敦彦、中野綾子、河内聡子が報告し、ディスカ ッサントを康潤伊が行うこととなった。シンポジウムでは以下の報告を予定してい る。
田中は、榛葉英治が「中間小説」作家というイメージを拒絶し、その脱却を願 った芸術家としての自己規定を、日記記述をもとに分析する。純文学と大衆文学と いう二項では説明し難い文学ジャンル変動の只中で、榛葉は芥川賞の落選を悔やみ、
「純文」作家への復帰願望を頻繁に綴りながら、生活のために「中間小説」を書き 続けた。時代の潮流に一人の作家が翻弄される姿を浮き彫りにすることで、戦後の 文学ジャンル変動の力学とその作用の実態を明らかにする。
中野は、榛葉英治「乾いた湖」を取り上げる。この作は『内外タイムス』に連載 され、単行本化(19(8年、和同出版社)ののち、1960年 8 月に、篠田正浩監督・寺 山修司脚本による松竹ヌーヴェルヴァーグ初期作品として映画化される。安保の 時代を色濃く反映した映画はヒットするものの、原作とは大幅な変更点が見られる。
新聞連載、単行本、映画という三度のメディア化における作品を比較することで、
19(0年代後半における作品のメディア化による受容の構造を明らかにする。
和田は、南京事件に対する榛葉の関わり方に焦点をあてる。196(年に榛葉は雑誌
『文芸』に南京事件を描いた「城壁」を掲載、同年刊行する。南京事件に関しては、
榛葉は『外国人の見た日本軍の暴行』の復刻刊行(1982年、祥伝社)にも関わって いる。こうした表現活動と、彼が繰り返し描いた満州からの引揚げ体験との関係性 をとらえる。また、南京事件を描く、発表するという営為が、日記を綴るという行 為の中にどう織り込まれているのかをあわせて報告する。
河内は榛葉英治『釣魚礼賛』(1971年、東京書房社)を起点として、「釣り」を作 家が表現する営為について、同時代の大衆文化やメディアの状況を踏まえて検討す る。榛葉は小説を執筆する傍ら、趣味である「釣り」に関する随筆を雑誌・新聞に 数多く寄稿し、専門書も刊行する。文学と「釣り」との関係からとらえられる問題 の射程を検討する。
これら報告に先立って、特に日記資料の研究資源としての活用の可能性に焦点を あてた共同の報告会を行うこととした。2019年12月1(日、「近代日本の日記文化と 自己表象」第23回研究会において「特集:取り遺された研究リソース 直木賞作
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(和田敦彦)、「逡巡と決心の長期反復から時代を読む 榛葉英治日記からみる戦 後小説メディアの余波 」(田中祐介)、「榛葉英治『乾いた湖』と映画化 日記 の記述から」(中野綾子)、「釣魚礼讃 「釣り」を書くことの意識と需要をめぐ って 」(河内聡子)の各報告を行った。
これら報告を通して、調査の成果を提供するとともに、研究の方法や対象を拓い ていくための議論の場を作っていくこととしたい。また、このシンポジウムを受け て、更に次のシンポジウムにつなげていくことで、より広い研究を展開していきた い。