折り重なる空間 ポール・ヴィリリオの思想についての一試論
平田 周
Les espaces reptie s: un essai sur la pense e de Paul Virilio
Shu Hirata
Abstract
Cette these est un essai sur la pens6e de Paul Virilio, En me focalisant sur deux rapPorts h l espace−temps, c est−a−dire sur l opPosition entre esl)αceγ6θZ/temps durable et espace virtue1〃θγ理)s re−eL telle qu elle se dessine dans la pens6e de Virilio sur la vitesse, j essaie de d6crire globalement sa pens6e.
Virilio d6finit la fonction de la technique en tant que vitesse. Certes, on peut consid6rer que cette d6finition n est pas originale, car notre environnement est empli de multiples vitesses engendr6es par la t616Vision, rinternet, le t616phone portable_
Mais, le concept de Vitesse chez Virilio concerne avant tout le rapport entre 1 espace et le temps. En effet, il signifie la r6duction de la distance entre rici et l ailleurs en un instant. Sur le temps r6el, compression de distance entre rici et 1 ailleurs par la vitesse,
se replient les horizons des espaces r6els,1 ici et l aileurs oU les corps vivants se situent.
De cette superposition des horizons des espaces r6els au temps r6e1 procede une s6rie de problemes. Cette these examine ces problemes:tout d abord, le probleme de l espace mlitaire dans la seconde guerre mondiale qui tourne autour de deux principes: 1 organisation de 1 espace par rarchitectonique d une part et par la t616technologie irnrnat6rielle d autre part(chapitre 1,2);ensuite, le probleme est celui de la perception spatiale et de la r6alit6 urbaine par rapPort b la technologie 61ectronique(chapitre 3);enfin, Virilio pose le probleme de la guerre vue en temps r6el b travers un 6cran, et non plus, depuis la guerre froide, faite dans un espace r6el
(chapitre 4).
Le temps r6el qui est un el6ment constitutif du temps de la mondialisation agit sur l espace r6el du monde. Virilio nous donne les comaissances indispensables pour
r(≦且6chir sur notre situation.
序 技術と空間、そして、戦争を横断する思想 第一章 戦争の風景
第一節 攻撃と防御の弁証法 第二節 空間の組織化の二つの原理 第二章 空間の秩序
第三節 囲い:領土化 第四節 非物質的な囲い 第三章乗り物としてのメディア 第五節 地平なき知覚
第六節 否定的地平のなかの都市 第四章 グローバルな囲い
第七節 冷戦以後のヴィリリオの戦争論におけ る環境の問題
第入節 リアル・タイムの専制、あるいは単一 のパースペクティブの支配
第九節 グローバルな空間秩序としての人道の 名の下の戦争とテロリズムとの戦争 結論
序技術と空間、そして、戦争を横断 する思想
本稿は、フランスの思想家ポール・ヴィリリオ の思想についての一試論である。この試論の主題 は、彼の思想のなかでとりわけ主要な問題となっ ている〈現実の空間(respace r6el)〉と〈リァ ル・タイム(le temps r6el)〉の対立軸を中心に据 えて、彼の思想を考察することにある。ヴィリリ オは、1970年代後半から都市計画、技術哲学、軍 事史の領域をまたぐ著作を発表しながら、いくつ かの展示会のキュレーターも務めてきた。彼の著 作は、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリ
によって書かれた『ミル・プラトー』で取りあげ られ、それ以後、日本でも紹介されるようになり、
国際関係論、都市社会学、メディア論、といった 様々な領域で参照されている。英米では、まず、
ジェームズ・ダー・デリアンがヴィリリオの思想 を国際関係論の領域で精力的に紹介し、近年では、
現象学・存在論的な技術論の観点から彼の思想に アプローチする研究も現われてきている1。本稿 はヴィリリオを論じるにあたって、彼についての 先行研究から多くの示唆を得ている。しかし、そ の参照先となるヴィリリオの思想の多様な側面は、
どの学問領野に彼の思想を位置づけるべきなのか、
という問いを生じさせる。
何が、都市や技術や戦争といった様々な主題の 横断を可能にしているのか、と問うならば、それ
はヴィリリオが自らの思想のキーワードとして用 いる〈速度〉という概念ではないだろうか。ヴィ リリオは、技術の機能を〈速度〉に見てとる。技 術が生み出す速度が、空間に及ぼす影響について
いえば、日々、われわれがテレビやインターネッ ト、携帯電話といった端末に囲まれ、そのなかで 目まぐるしく移り変わる情報を浴びていることか らも理解できる。これら遠隔技術に支えられた情 報システムは、コミュニケーション活動や物流、
金融システムといったわれわれの社会・経済活動 全般に及んでいる。ヴィリリオが概念として用い る速度は、ある瞬間のうちにこことよそとを隔て る距離の縮減を意味する。ヴィリリオは、この速 度による空間の圧縮を「リアル・タイム」とよび、
このリアル・タイムにおける活動が現実の空間に おける活動に優位にあると述べている。このリア ル・タイムと現実の空間という時間と空間の対比 は、「空間の絶滅」や「空間の終わり」といった ヴィリリオが時折みせる極端な言い回しとあいま って、われわれに混乱を生じさせる。むしろ、わ れわれは、この二つの対立を、時間と空間(res−
pace−temps)の二つの関係として捉えることに よって、この対立を鮮明にすることができる。す なわち〈現実の空間一持続的な時間〉と〈仮想=
潜在的な(virtuel)空間一リアル・タイム(le temps r6el)〉という対立である2。様・々なテクノ ロジーが氾濫する現代において、身体を基底とし た活動の場である現実の空間の諸地平は、まるで
ある映画のなかのディゾルヴされた二つの場面の ように、ヴァーチャルな空間に折り重ねられてい
る。
ヴィリリオは、哲学の教育課程を経たのでもな く、その文体も哲学的ではない。しかし、もし、
彼の著作に「哲学」があるとするならば、技術に よる空間と時間の経験の変容を問い直したところ にある。この問いかけこそが、都市や技術、戦争 といった主題の横断を可能にしたものであり、そ れ故、本稿が以下で検討していくものである。
本論に入る前に、なるべくヴィリリオの思想に 関わる限りで彼の生い立ちを見ていくことにした
い。
ポール・ヴィリリオは、1932年、第三共和制下 のフランス、パリで、イタリア人コミュニストの 父親とフランス人の母親の間に生まれた。第二次 世界大戦における戦争体験、とりわけ1942年のナ ントでの空爆の体験によって、彼はトラウマとも 言えるような記憶を抱えることになる。その体験 は、第二次大戦中にナチスが連合軍の上陸を阻む ために、ヨーロッパ沿岸に築いた数多くのトーチ カの調査へと、彼を向かわせることになる。18才 の時にカトリックへの信仰を持つようになり、技 術職業学校で訓練を受けた彼はステンドグラス職 人として身を立てる。この時にジョルジュ・ブラ ックやアンリ・マティスと教会のステンドグラス 制作を行っている。そして、この時期、コレージ ュ・ドゥ・フランスのメルロ=ポンティの講義に 自由聴講生として参加している。1963年、建築家 クロード・パランと「アルシテクチュール・プラ ンシプ」という建築運動(以下、「建築原理」と 略記)を組織し、その理論を1966年の間に出版さ れた9冊のマニフェストのなかで展開する。ヴィ リリオがステンドグラス職人だった頃の縁で、ヴ ィリリオとパランは、ネヴェルにサン・ベルナデ ットゥ・デュ・バンレー教会を建設したが、しか し、他の多くの建築計画は実現されないまま、
1968年の五月「革命」を巡るヴィリリオとパラン の意見の決裂によって、このグループは解散する。
この時の二人の決裂は二人の五月革命に対する正
反対な態度によるものだとされている。パランは、
建築原理の運動は政治的なものとは無関係だとし ていたのに対し、ヴィリリオは、シチュアシオニ スト・アンテルナショナルに強い影響を受け、68 年の運動に熱狂的に参加した。その後、「建築原 理」の活動が認められ、ヴィリリオは1969年から パリの建築大学(Ecole sp6ciale d architecture in Paris)で教えることになる3。
学者の歩む道筋というよりも職人のそれを思わ せるヴィリリオの歩みは、もちろん彼の思想と無 関係ではない。手を用いるステンドグラスの職人 やマティエールを扱う建築家の仕事の経験が、ヴ ィリリオが現実の空間と呼ぶものと結びついてい ることは容易に想像できる。われわれが第一章で みるように、ヴィリリオの幼少期の戦争体験は、
「第二次世界大戦は私の母であり、父であった」
と書き記すほど、彼の思想形成に大きな影響を与 えている(Viriho 1976/1993,15)。この主題は、
シルヴィエール・ロトランジェがいうように、ヴ ィリリオの思想の「原光景」をなしている。そし て、この原光景は、主に、第二次世界大戦におけ る二つの風景、すなわち「ヨーロッパ要塞」と
「ナントの爆撃」によって形作られているように 思われる。われわれは、この二つの戦争の風景の うちに、二つの空間の組織化の原理を見出すこと ができる。そして、われわれは、第二章において、
それぞれの原理が持つ空間の秩序について検討す る。ヴィリリオの初期の著作における空間の組織 化とその秩序の問題を明らかにすることによって、
われわれは、戦争の問題から離れて技術の問題に 専心していく彼の著作を理解することができる。
第三章で検討するように、ここにおいて、空間の 組織化の二つの原理は、「現実の空間」と「ヴァ ーチャルな空間」あるいは「リアル・タイム」の 対立と結びついていることが明らかになるであろ う。以上のような検討を踏まえて、われわれは、
第四章で検討する時事論的な色彩の強いヴィリリ オの著作、とりわけ、第一次湾岸戦争から第二次 湾岸戦争についての彼の戦争論を理解することが できるのである。以下で見るように、ヴィリリオ
の著作において様々な概念や造語が現われるが、
それらの概念で問題になっている現実の空間とリ アル・タイムの対立を把握することによって、わ れわれは、現代の世界における技術と空間、そし て戦争の関係について理解することができるであ
ろう。
第一章 戦争の風景
第一節 攻撃と防御の弁証法
第一次世界大戦と同様、第二次世界大戦は、敵 の粉砕のために、あらゆる人員・資源が動員され る総力戦であった。戦場の後背地である都市も、
食料や武器・弾薬を前線に送るための重要な拠点 となったため、戦場は、前線と銃後の区別なく、
あらゆる領域に及ぶ。飛行機による爆撃は、第一 次世界大戦やスペイン内戦のときから行われてい たが、第二次世界大戦になると全面的に行われる ようになる。
このような戦争のなかに、ヨーロッパ要塞とい う軍事的建造物とナントの爆撃という出来事が存 在する。ヨーロッパ要塞は、ナチスが連合軍の上 陸を阻止するために、ノルウェー北部の海岸から 南フランスの海岸にわたって作られた巨大な軍事 建造物群である。他方で、ヴィリリオが体験した
「ナントの空爆」は、それが味方である連合軍に よってなされたという点で、第二次世界大戦にお ける特異な場面を映し出すものである。1940年6 月14日にパリが陥落し、ドイツの占領から逃れる ため、多くの人々が南に向かう。ヴィリリオは、
彼の母親の実家があるナントをその疎開先とする が、そのナントもやがて、ドイツ軍によって占領 される。連合軍は、ドイッによる占領からの「解 放」の名の下に、逆説的にも友軍の都市であるナ
ントを空爆する。
この軍事的空間に至るまでの歴史を、ヴィリリ オは攻撃と防御の弁証法として次のように定式化 している。「戦争術は人間に、まさに自然な生息 地が見出されていたところに、人間に適さない場 を構築することを目的とする。〈中略〉[そして、]
諸々の新しい兵器から作られる人工気候二人工環 境(climat artificiel)は、軍事的な建造物がもっ
ぱらその人工性に応えることを要求する」
(Virilio 1975/1991,37−38)。兵器が作り出す人工 気候に、自然環境の上に築き上げられる人工的な 軍事的空間が対応する。敵に「降りかかる」矢の
「雨」や岩を投げつける岩石機、「降り注がれる」
燃焼物の「滝」といった表現が指し示しているよ うに、戦争は、防衛的な建造物や前線の組織化に よって風景を紡ぎだすだけでなく、「自然の諸力 とも競合する」。つまり、生身の身体、あるいは それを防護する鎧で存続することができた環境を 解体し、新たな「気候=風土(cl㎞at)」を作り 出す。このように作り出された人工気候に対して、
要塞化された都市の城砦を強化する砦や稜墨が応 える。さらに、それに対して、最初の「空間の飽 和」の始まりを告げる大砲が新たな気候を作り出 し、稜墨はその新たな気候に適応する形態を取る ことになる。この攻撃と防御の弁証法は、ヴィリ リオが「空の到来」と呼ぶ、新たな環境変化によ って、一つの終着点を迎える。つまり、絨毯爆撃 による「空間の飽和」である。「空間の飽和」と いう用語は、一般的に20世紀初頭の地理学におい て、二次元の地図上に探査すべき空白地がないこ とを示す言葉であるが、ヴィリリオはこの用語で 空という垂直的な三次元の領域も軍事的活動の場 となったことを指し示す。そして、この垂直性の 次元は、それまでの都市のパースペクティブを変 えると、ヴィリリオは主張する。都市は、壁、つ まり面(face)によって作り出される内と外、前 と後といった水平的次元によって規定されてきた が、空という垂直的な次元から見れば、もはや全 ては表面(surface)でしかない。対立は、内と 外や近さと遠さではなく、上と下や高さと低さに 変わる。それ故、ヴィリリオが「垂直的沿岸(le littoral vertica1)」と呼ぶ、都市への新たな通路は、
前線と銃後の区別なく、都市がたとえどれだけ前 線から離れていようが、軍人と民間人の、占領者 と被占領者の、そして、友と敵の区別さえなく、
「上から」の無差別爆撃を可能にしたのである。
理性の狡知か、狂気のそれか。いずれにしても、
この攻撃と防御の弁証法が孕む否定的な契機、す なわち暴力は、ヴィリリオにとって、いかなる目 的の成就も、「綜合」も意味しない。垂直的沿岸 によって、都市を織り成す建物(=不動なもの)
(㎞meuble)が持っている堅固な安定性は、「ト ランプカードで作られた城」みたいなものになっ たと、ヴィリリオは言う。先までの町の平穏な賑 わいは掻き消され、都市の配置は全く別様のもの となる。「ひっくり返る(Chavirer)というこの 言葉は正確な状況を復元する。付け加えれば、ル
ソー橋の車庫からそう遠くないところにあった機 関車が車庫の天辺に納まり、七階立ての建物の屋 根にはプラタナスの木が一本そのままあった……
超現実的である」(Virilio 1976/1993,19)。ヴィリ リオのナントの空爆の体験とは、その体験が綴ら れた「都市的なあまりにも都市的な」というテク ストの表題がニーチェの著作の表題のパラフレー ズであることにならって、ニーチェの言葉をパラ フレーズするならば、「都市の死」の体験なので ある。たとえ、戦争の後に、都市が復興されたと しても、この否定性は、ヴィリリオのなかで、止 揚されずに残り続けている。なぜならば、幼年期 のヴィリリオにとって「永遠のもの」であった都 市は消失し(Virilio+Ewald 1995,96)、それを可 能にした「人工気候=環境」は存続しているから である。
第二節 空間の組織化の二つの原理
われわれは、この攻撃と防御の弁証法の空間へ の広がりとそれがもたらした空間の飽和において、
空間の組織化の二つの原理を見てとることができ
る。
第二次世界大戦において現われたこの軍事的建 造物の建築的特徴の新しさについてのヴィリリオ の記述は、もちろん重要なものである4。しかし だからといって、この「要塞」という軍事的建造 物が、ヴィリリオを、ヨーロッパの歴史における 都市と軍事的なものとの結びつきについての探求 へと向かわせているという点を見過ごすことはで
きない。ヨーロッパの歴史において存在してきた 都市国家の城塞を思い起こすならば、人はこのこ
とを容易に確認できるだろう。都市はある空間を 囲い込み、そこに城塞を打ち立てることによって、
自らの領土を形成する。言いi換えれば、都市は、
囲いを設けることによって、任意の空間を領有す る。ヨーロッパ要塞とこの「囲い」の政治的役割 との結びつきについて、ヴィリリオは次のように 述べている。
1940年と1945年の間に、旧大陸[ヨーロッ パ]は多くの点で現在の時代を思い起こす 諸々の状況を体験した。この時代に、より正 確には1943年と1944年との間に、各人は、自 らの家族を避難させることができるように、
自らの庭や中庭に溝を掘るように奨められた。
ナチスは、占領した国々の住民たちに彼らの 解放を期待させるよりも、恐れさせるように 導くために、新聞の中で、仮定の上での諸々 の廃塘の合成写真を流布していた。総力戦の 苦悶は先取りされていたのである……。あま りにも有名なヨーロッパ要塞の閉じられた領 野は、当時、心理学的であると同時に社会学 的な重要な効果を持っていた。この領野は、
未来への同じ恐怖のうちに占領者と被占領民
を結びつけようとし、要塞化された囲い
(renceinte)は統一と帰属意識を同時に、そ れらを持たぬものに与えていた。共同体的、
あるいは国民的な感情の構築におけるこの囲 い(enclos)の役割はあまりにも忘れられて いるが、政治は(古代の)都市攻略術(po−
liorc6tique)や攻囲術、包囲術、隔離の学と の関係なくしては、存在しない(Virilio
1976/1993,213)。
ここに見られるように、ヨーロッパ要塞は、都 市と軍事的なものの結びつきの歴史のなかに置か れ、その空間の組織化は建築によって担われてい る。しかし、第二次世界大戦の軍事的空間には、
もう一つの空間の組織化の原理が働いている。空
間に存在するあらゆる建物(「障害物」)が解体・
崩壊する混沌とした戦争の風景のなかに、別の空 間の組織化が追求される。この原理は、ナントの 空爆に結びついているというよりも、より正確に は空襲に対する防衛体制と結びついている。ヴィ リリオは、上の引用のすぐ後で、次のように述べ
ている。
ての「速度」の違いにある。空間の組織化は、上 で述べたように社会の組織化と切り離せない。言 い換えれば、空間の組織化は常に空間の秩序を持 っている。だとすれば、われわれはこの速度の差 異を念頭に置きながら、二つの原理における空間 の秩序の差異を見ていかなければならないであろ
う。
ドイッの領土では、警報システムは戦争の 心理学において重要な役割を果たしている。
爆撃機の編隊がヨーロッパ要塞の沿岸の境界 を越えるやいなや、その侵入が、警報によっ て人々に知らされ、編隊の侵入やその行先の 変更に応じて、その変更が、目標となった都 市に伝えられる。戦争の空間と時間は圧縮さ れ、危険は何百万もの聴衆者によって同時的 に体験される。保護してくれるものとは、情 報であるかのように思われ、もはや空間がな いのであれば、時間を確保する必要がある
・…キなわち、反応の時間を。自らを効果的 に守るためには、何にかえても、不意打ちの 効果をそがなければならない。このことは
〈後からみれば(αposteγiori)〉、『わが闘争』
の著者が正しかったことを明らかにしている。
彼は獄中で、「防衛という考えが生にとり葱
き、生を満たしている」と述べていた
(ibid.,214)(引用した原文におけるイタリ ック体は〈〉に入れてある。以下の引用も
同様である)。
軍事的空間における「攻撃と防御の弁証法」は、
マテリアルな建築による防御物から非物質的な遠 隔技術に依拠した防衛体制を優位に置く。第二次 世界大戦では、空間を組織する二つの原理が共存 している。一方では、ヨーロッパ要塞に見られる ように、建築術によって担われている空間の組織 化の原理が存在し、他方では、ラジオや警報シス テムといった技術によって組織される空間がある。
この二つの原理は、共に防衛という観点では共通 するが、大きな違いは、空間を組織するにあたっ
第二章 空間の秩序 第三節 囲い:領土化
ヴィリリオが1970年代に出版した著作、具体的 に言えば、『バンカー・アルケオロジー』(1975)、
『領土の不安定性』(1976)、『速度と政治』(1977)、
『民衆的防衛とエコロジー闘争』(1978)では、こ れらの著作が出された当時の戦争を取り巻く時代 状況についての分析と戦争と都市との関係の歴史
についての考察とが重なり合っている。
これらの著作の論点を振り返ると同時に新たに 展開する対談集、『純粋戦争』の中で、ヴィリリ オは、次のように自己規定している。「私は第一 に都市計画家です。しかし、都市との関係は、私 には真っ先に、政治との関係なのです。そして、
語源的には、都市計画家と政治家は同じなのです。
政治的イデオロギーにからめとられて、政治とは、
何よりも「ポリス」だということが隠蔽されてき ました」。ヴィリリオにとって、都市計画家は、
ポリスを空間化する役割を担うが故に、政治家と 同じ位置に立つものとされる。そして、都市の起 源を問うロトランジェに対して、ヴィリリオは、
次のように答えている。
都市計画の思想には、二つの大きな流派があ ります。そのうちの一つによれば、まず商業 主義があって、それから都市の結晶化、都市 的定住性が生まれます。もう一方は少数派で すが、フィリップ・トインビーなどが言うよ うに戦争が先で、商業は後からやってくると 考えています。もちろん、私は後者の立場で、
都市は戦争の結果、少なくとも戦争への備え
(preparation for war)の結果だと主張する側 にいます(Virilio+Rotoringer.1983/1997
[1987],9,11 [8,101)。
戦争に都市の起源を見ることは、空間の組織化 を通じた戦争の組織化の始まりを考えることであ る。続けて、ヴィリリオは、部族たちの戦争と国 家によって組織される戦争との違いを説明してい る。ピエール・クラストルは、未開社会ないしは 部族社会において、戦争は国家に抗するために行 われるものだとしたが、ヴィリリオは、クラスト ルが論じた部族社会の戦争をローマ人が言う「騒 乱(t㎜ulus)」っまり、現代的に言えば、ほぼ 内戦に近いものとして位置づけている。もちろん、
部族社会において、空間の組織化が存在しないと いうことは不当なことである。部族社会の村落は、
一定の秩序をもって形成されている。しかし、少 なくとも、部族社会は、多くの労働力を必要とす る防塞を持たない、あるいは持つ必要を感じない。
ヴィリリオにとって、〈いつ〉空間の組織化を伴 った国家が現われたのかが問題なのではない。あ くまでも、問題なのは、二つの社会での戦争の組 織化の違いであり、「囲い」の果たす役割である。
実際、別のところで、ヴィリリオは、城塞という 囲いをもった都市の「定住者」と「遊牧民」とを
対立させている。ジャン・デュビノー
(Duvignaud 1977)は、遊牧民を「都市であらざ るもの(non−ville)」に依拠した民族として定義 しているが、ヴィリリオの議論は、5世紀に西ロ ーマ帝国を滅ぼした遊牧騎馬民族が、いかに定住 者になるのかということを問題にしている。
それまで、定住することなく、移動することに 専心してきたこの遊牧民族は、自らの空間と時間 を移動し続ける持続の中に引き伸ばし、全ての空 間が直接的で、従って、近接的であるような(移 動の)空間の中に充足していたと、ヴィリリオは 述べている。言い換えれば、遊牧民の主体にとっ て、意志することと動くこととの間に大した距離 はほとんど存在していなかった(というより、む しろ、意志、つまり計画するより先に動くと言っ
たほうがいいかもしれない)。このような遊牧民 の性質は、「主体が領土によって自らを立ち上げ るようになる時に」、言い換えれば、古代ローマ にあったような要塞が、「戦略的な建設によって、
継続的な障害というその最初の定義のもとで再び 現われる」時に、消滅する。なぜならば、騎馬民 族が以前には走破していたような「領野は以後、
制限され、走破されなくなり、支配され、見られ る」ようになり、空間の直接性は消滅し、「法を 遵守する原理(16galisme)」を媒介とした空間秩 序が課されるようになるからだと、ヴィリリオは 述べている。
ヴィリリオは、「「防御を〈戦闘の最も強力な形 式〉にしているもの」(クラウゼヴィッッ)から 結論を引き出すときだ」と主張する。すなわち、
防御の概念からそれに一般的に結びつけられ ている〈不可侵(non−agression)〉という考 えを取りあげれば、いかにあらゆる防御物
(protection)の構築が、それ自体で社会的な 暴力の行為であるかを理解できる(Virilio
1976/1993,75−77)○
この文章の註で、ヴィリリオは、ロムルスによ るレムスの殺害に触れている。すなわち、領土を 区切る単純な線を侵犯することが、兄弟殺しとな る逸話である。この逸話が伝えているのは、空間 の境界線が、生死を分かつ境界線へと変化すると いうことである。空間を区切ることが同時に、生 死の境界をも区切る。この生死を司る原初的な法 が、防衛のために空間を区切ることの根拠を裏打 ちし、時にその「社会的な暴力」を表出させる。
それゆえ、ヴィリリオは次のように国家を定義す
る。
従って正確には、国家の誕生は、社会性の領 野のただ中に、その存在者(6tant)を据え ること、言い換えれば、自らの領野の人工性 を築き上げることなのである。その起源から して、社会の人工性と自然性を作り出し、対
立させるのは、国家なのであり、それゆえ、
国家は、常に法廷であり、都市(原国家
(1 UγstCtαt))なのである(Zbid.,80)。
もちろん、都市の「内壁(intramuros)」にそ の領土を制限された都市国家と内壁に制限される ことなく「国土」を領土とする国民国家とは異な る。しかし、ここではあくまでも、「原型」とし ての国家が語られている。言い換えれば、国家は、
空間を領土化し、その領土に自らの秩序を課すも のとして規定される。そして、空間の組織化と法 の制定の結びつきこそが、部族社会や遊牧民社会 とは異なる特定の社会の組織化を可能にする。こ のような秩序が、第一節で見た建築あるいは領土 による空間の組織化のなかにある。では、第二の 空間を組織する原理において、いかなる空間の秩 序が伴っているのであろうか。この点についても、
先の対談に耳を傾けてみよう。
第四節 非物質的な囲い
19世紀までは、社会はブレーキの上に成り立 っていました。速度を高める手段にとても乏 しく、〈中略〉大まかに言って、19世紀まで は速度の生産がありませんでした。城壁、法、
規則、禁止事項などを通じて、ブレーキを作 ったのです。〈中略〉それから突然、大革命 が起こるのです。これは産業革命、交通革命 などとも呼ばれていますが、私は速度[走 行]体制の革命(dromocratic revolution)と 呼びたい。なぜなら、発明されたものは単に よく言われるように似たものを複製化する可 能性ではなく、〈中略〉まず蒸気機関によっ て、そして内燃機関によって速度を作り出す 手段だったからです。ブレーキの時代から、
アクセルの時代へ移ったのです。つまり、権 力は加速することそれ自体に投資し始めたの です(Virilio+Rotoringer.1983/1997[19871,
50−51{64])○
ブレーキからアクセルレーターへの都市の機能
転換は、都市の下部構造(infrastructure)の整 備を通じて、空間の上に物質的に築き上げられる 囲い=城塞(1 einceinte)から速度を「支え」と
した空間の組織原理への移行を物語っている。こ の移行に伴って、権力は、空間を走破する時間
[速度]を通じて、空間をコントロールするよう
になる。
このような都市の運搬・輸送機能を支えるイン フラストラクチャーの役割の重要性を戦争との関 係において強調するために、ヴィリリオは、クラ ウゼヴィッッの理論的な敵対者であるアンリ・ジ ョミニが展開した「兵姑術(10gistique)」という 議論を取りあげている。ロジスティックスは、現 在では、原材料の調達から完成した製品の配送に まで至る物流の仕組み全体を指すが、もともとは 進軍する軍隊への武器や食料、衣服の輸送を確保 するための技術を指していた。モスクワ遠征後の 1814年にフランス軍を離れるまで、ナポレオンの 参謀として名を馳せたジョミニが兵姑術の議論を 展開させたのは、ナポレオン戦争時に何十万もの 兵士に食料を補給する必要性があったからだと、
ヴィリリオは言う。つまり、兵砧術とは、戦線の 拡大に伴って、いかに人と物を効率良く動かす流 れを作ることができるかという要求から生まれた ものであり、現代風に、「ネットワーク」の構築 と言い換えることができるものである。この兵姑 術の議論は、第一次世界大戦と第二次世界大戦を 頂点とする総力戦において展開された「戦争経 済」の原型であるとも、ヴィリリオは指摘してい る(Virilio+Rotoringer.1983/1997[1987],23−24
[25])。
以上のことを踏まえると、『速度と政治』は、
まさにこの都市の機能変換と戦争との関係を、最 初から最後まで叙述していることが理解できる。
この著作は、「あらゆる革命には交通が逆説的に 現前する」という一文で始まり、エンゲルスが生 きた時代において、プロレタリアートが革命的な 諸力となるのは生産現場ではなく、生産の歯車か
ら離れ群衆となる街路においてであると言う。そ して、ヴィリリオは、街路、あるいは「アスファ
ルトは政治的領土なのか」と奇妙な問いかけをし ている。この問いから出発して、「不動の機械」
である要塞から「動的機械」である「道路と鉄道 のインターチェンジ」への移行の歴史が様々なエ ピソードを連ねながら語られていく。その叙述か ら理解できるのは、ヴィリリオにとって、(産業 革命によって成立した)近代の都市とは、都市と 農村という固定された対立を指すのではなく、停 止と交通という動的な対立を示唆する場なのであ る。言い換えれば、ヴィリリオにとって、(近代 の)都市とは、「高速交通路(河川、道路、沿岸 航路、鉄道など)に貫かれた人間の居住地」であ り、諸々の技術的運搬手段が織り成す「軌道の織 物」に他ならない(Virilio 1977[2001],13,15,17
[10,13,15】)o
ここで、当然の疑問が浮かび上がる。ブレーキ としての都市において、権力は、空間を仕切るこ とによって、その空間を動くものに秩序を課して いたとするならば、加速する交通の場となったア クセルレーターとしての都市において、権力はど のように機能するのであろうか。「アスファルト は政治的領土なのか」という奇妙な問いかけがこ の問いと通底しているように思われる。移動と運 動の場は、どのように区切られるのか。アクセル レーターとしての都市において、権力は、空間の 仕切りによって運[移]動を制限するだけでなく、
運動そのものに対して介入する。ヴィリリオは、
移動と運動に対する「速度規制」に触れた後で次 のように述べている。
したがって国家の政治権力は二次的な意味に おいてのみ「他階級の抑圧のために組織され た一階級の権力」であり、より物質的なレベ ルでは、〈治安警察にほかならない〉。〈治安 警察とは、すなわち交通管理(voirie)であ
り〉、それこそが国家の政治権力であるのは 次の点に関わっている。ブルジョワ革命の黎 明期以来、政治的言説は、社会秩序を(人々 の、あるいは商品の)交通に、そして、革命 や暴動を交通渋滞、違法駐車、玉突き衝突、
事故に混ぜ合わせながら、古い自由都市的な 攻囲術を多かれ少なかれ意識的に取り込んで ゆく一連の過程にほかならなかったのである
(Virilio 1977[2001],23−24[24])。
ヴィリリオにとって、権力とは、自らが支配す る領土的秩序に従って、人や物の運動の流れをコ ントロールするものである。かつての城塞都市は、
門によって人や物の流れをコントロールしていた。
都市の門や港の出入り口における人や物の流れの コントロールに加えて、近代の都市において、人 や物の流れそのものの中で、社会秩序と秩序壊乱 的なものを区別する。街路の革命的運動は、権力 にとって、交通規制の対象でしかない。つまり、
近代の権力は、ある空間の出入りをコントロール するだけでなく、街路の運動をコントロールす
る5。
しかし、この街路の運動への介入も、「攻囲術」
という言葉で語られていることに注意する必要が ある。この「囲い」は、空間において物質的なも のとして築き上げられるのではなく、運動の軌道 上に築き上げられている。この囲いの「非物質 性」は、航空機の利用が一般的なものになり、よ
り都市が加速する1970年代において顕著になる。
ヴィリリオは、1970年代の脱産業化社会におけ る経済体制の変換の相反する影響を語っている。
一方では、多国籍業の活動による最初の影響が、
工業生産地帯において生じる。つまり、海外に低 賃金労働者を求める企業が工場を移転させ、それ までの工業都市の産業を廃棄する(d6sindustr−
iser)。ヴィリリオが、念頭に置いているのは、
イギリスのリヴァプールやシェフィールド、アメ リカのセント・ルイスやデトロイト、西ドイツの
ドルトムントといった都市である。他方で、かつ ての港や駅のように、国家の新たな玄関となった 空港を中心に巨大な集住地域が出現する。しかし、
「これらの空港の建設は、「ハイジャック」に対す る防衛という至上命令に従わされることになる」。
したがって、この新たな都市は、同時に交換やコ ミュニケーションの場だけではなく、「「航空警察
や国境警察」にとっての管理と高度監視によって 推進される実験場」となる。この新たな実験場に おいて、管理されるのは、主体(sujet)という よりも正確には、その行程(trajet)だとヴィリ リオは主張する。
従って、もはやかつてのように、監禁によっ て伝染病患者や容疑者を分離することが問題 なのではなく、とりわけ、その行程において 容疑者を捕捉すること(intercepter)が問題
となったのである。つまり、容疑者の衣服や 荷物を検査する時間が問題なのである。そこ から、やむを得ない場におけるカメラや電波 探知機、発見器の急激な増殖が生じるのであ
る (Virilio 1984b,10−11)。
この移動の自由の場であるはずの空港に設置さ れた監視技術は奇妙なことに監獄にも適用され、
銀行やスーパーマーケット、ハイウェイといった より日常的な場所にも設置されるようになる。監 視技術は、それを内面化するかどうかに関係なく、
リアル・タイムで、主体の行程の傍らに存在する。
この囲いの非物質化は、明らかに、鉄道や自動車 といった様々な「投射物」が都市を貫き、領土の 流動性が増大すること対応している。この囲いは、
物質的なものではなく、不可視で、「動的」なも のとして現われている。先に我々は、運動の軌道 に介入する権力を見たが、ここでは、運動の軌
[弾]道が囲いを打建てている。いわば、かつて の要塞を象徴とする囲いが建築術によって築き上 げられていたとするならば、加速した都市におい て、囲いは、技術が産み出す運動や速度によって、
「非物質的な囲い」として、構築される。
しかし、速度は、国(内の領)土の管理に役立 つだけなのだろうか。『領土の不安定性』という タイトルが暗示しているように、速度と領土の関 係は、不吉な側面を持つ。実際、ヴィリリオは次 のように述べている。
もし、人工的な社会的領野の創造に必要な
城壁=囲い(1 enceinte)が物理的なもので あるならば、その領野の内容は心理的なもの である。困苦を味わうこの内的な全体性が到 達した諸次元は、18世紀の終わりから20世紀 までのヨーロッパにおける民族主義的な諸々 の戦争(guerres natiomalistes)を説明する。
その歴史は、まず、〈壁一前線〉という観念 の、言い換えれば、国民=国家の囲い(en−
Ceinte natiOnal)という観念の延長のために 生じるものであり〈中略〉、次に大陸の囲い の観念(第三帝国の「ヨーロッパ要塞」)に よって生じる。そして最終的には、[核によ る]現状維持と、根本的に大陸的な大がかり な閉鎖の〈心理的な囲い〉を破壊するであろ う衛星中継による諸々の番組の放送のような 新たな問題(人はこの点に関するソヴィエト の気のない態度がアメリカの新たな戦略的な 実現の惑星的な特徴の前での諸々のイデオロ ギーの乱暴な衰退の徴であることに気づくで あろう)とともに、地球規模の囲いが生じる
(Vir且io 1976/1993,83)。
冷戦期の中で書かれたものであるが、この文章 は、当時、ヴィリリオが何によって地政学的な空 間が支配されていると考えていたのかを明らかに してくれる。核戦略とコミュニケーション・メデ ィアが、地球規模の囲いを築き上げる。囲いが地 球規模に至るとき、その空間の秩序は、かつての 領土的境界の原則にしたがった国家間の政治的秩 序を不安定なものにする。実際、当時、主権国家 間の秩序を規定し、東西を分割していたのは、ア メリカとソヴィエトの核の傘だったのではないだ ろうか。互いがつかず離れず、破壊し合うことが できるという「相互確証破壊」、あるいは恐怖の 均衡と呼ばれていた奇妙な「抑止」の論理こそが 空間の秩序を担っていたのである。
空間を組織する原理は、繰り返しになるかもし れないが、建築術よりも速度を産み出す技術に優 位が置かれることになる。ここで、われわれが区 別した「囲い」と「非物質的な囲い」の区別は、
時期区分はだいぶ異なるものの、ドゥルーズの
「規律訓練社会」と「管理社会」の区別と重なる。
ドゥルーズは、管理社会の分析の先駆者として、
ウィリアム・バロウズ、ミッシェル・フーコー、
ヴィリリオの三人の名を挙げ、「閉じられたシス テムの持続」において作用する「規律訓練社会」
から「超高速(ultra−rapides)的な管理形態」へ の移行の分析者としてヴィリリオに言及している
(Deleuze 1990/2003[1992],241[293])6。この二つ の空間の組織化の形態を踏まえることによって、
なぜ、ヴィリリオのテクストが、とりわけ、1980 年に出版された『消滅の美学』以降、視聴覚メデ ィアの分析に重点を置くようになるのかを、我々 は理解できる。実際、1990年に出版される『不動 の極[邦題:瞬間の君臨]』の副題に、ヴィリリ オは、「環境コントロールについての試論」とい う副題を付している。
第三章乗り物としてのメディア
第五節 地平なき知覚
ヴィリリオの技術についての分析の特徴は、技 術、あるいはメディアを「乗り物=媒体(v6i−
cule)」として考えることにある。この考えにつ いて、ヴィリリオは、次のように述べている。
速度は一つの環境(milieu)なのであり、環 境そのものなのです。われわれは大地の表面 に住んでいるだけでなく、速度に住んでいる のです。速度は環境であり、様々な乗り物=
媒介(v6hicules)は、それらが環境を解釈 するという意味で、その環境の理論なのです。
例えば、車は、超音速の飛行機や歩行や自転 車と異なる速度の環境を解釈します。速度は 一つの環境であり、自転車や馬、車といった 新たなメディアのそれぞれの発明は、環境を
解釈する方法なのです(Virilio+Ewald
1995,102)。
この考えが最初に示されたのは、1976年に出版
された『領土の不安定性』の末尾に置かれた、
「媒介するもの(v6iculaire)」という論考におい てである。この論考は、タクシーの乗客の身体に おける「厳密には決して横切られた環境と混同さ れない「速度の国」とは何か」という奇妙な問い かけから始まる。通過している場所とは異なる
「速度の国」という言い方に現われているように、
乗り物の乗客が置かれた場所ならざる場所性が問 題となっている。言い換えれば、問題となってい
るのは、知覚の場である。
この乗り物としてのメディアという考えは次の 二つの観点から興味深いように思われる。その観 点とは、一つは、現象学的観点であり、もう一つ は、もちろん第一の観点と密接な結びつきを持っ ているのだけれども、ヴィリリオが導入した「動
く乗り物」と「動かない乗り物」という区分であ
る。
ヴィリリオは、第一の乗り物として、歩行者
(pi6ton)の身体を取りあげている。ヴィリリオ は、歩くという運動において、その身体と身体の 速度は一致し、この「動物的身体」は、植物の発 育の時間とは異なる生物学的かつ生理学的な時間 の中に暮らし、自らの運動能力において、身の回 りの現象を知覚すると述べている。このような見 方は、明らかに次のようなメルロ=ポンティの見 方を踏まえている。「身体とは世界内存在の媒質
(v6hicule)であり、身体を持つとは、ある生物 体にとって、特定の環境(milieu)に適合し、い
くつかの企て=投企(projets)と一体となり、
そこに絶えず自己を参加させてゆくことである」
(Merleau−Ponty 1945[1967],97[(1)147−1481)7。
メルロ=ポンティの認識に加えて、ヴィリリオ がメディアを「乗り物」、あるいは「世界内存在 の媒質」として考えるとき、メディア利用者は
「乗客」として考えられ、彼が用いる「乗り物」
とカップリング(couplage)しているものとして 考えられる。たとえば、馬に乗る者は、馬の速度
において、環境を観察するわけだが、彼の世界の 見え方は、歩行者や自動車とカップリングされて いるものと異なる見え方なのである。
メディアを乗り物として考えるというヴィリリ オの考えが独特なのは、この見方を馬や自動車と いった「動く乗り物」だけでなく、「動かない乗
り物」と呼びながら、視聴覚メディアにも適用す るからである8。ヴィリリオのテクストにおいて、
運搬手段としての「動く乗り物」よりも伝達手段 としての「動かない乗り物」についての分析に重 点が置かれるのは、後者が圧倒的に「速い」とい
う理由もあるのだが、何よりも、まさに後者にお いて、現象学的な知覚の場が問題になるからであ
る。
ここで、ゲシュタルト心理学および現象学とヴ ィリリオの関係についてうまく整理している、イ アン・ジェームズの議論を参照しよう。彼によれ ば、ゲシュタルト心理学(この心理学自体、現象 学の影響を受けているのであるが)は、知覚は、
旧来の連合主義者が考えるように、原子的な知覚 の集まりとして形成されるのではなく、「地」と
「図」の関係によって、言い換えれば、形態とそ の形態が置かれた背景によって決定されると主張 する。他方で、現象学は、空間が実体的な物それ 自体なのか、あるいは単に物と物との間の関係を 指すのかについては関心を持っていない。むしろ、
現象学は、空間をまず何よりも知覚されるものと して経験する。そして、この空間的な知覚は、そ の身体が位置する空間と切り離せないものと考え
られ、これを現象学は「空間性」と定義する。言 い換えれば、高さと幅と奥行きを持った三次元の 空間として理解される空間は、「位置づけられ、
生き生きとした空間性」なくしては理解できない。
それゆえ、身体が環境に埋め込まれていること、
あるいは環境との関わりの中での身体の位置取り と運動が重視されなければならないと現象学は考
える (James 2007,12−24)。
ジェームズが整理したように、まさにメルロー ポンティは、『知覚の現象学』の「序論」におい て、ロックやヒュームなどイギリス経験論が仮定 したような経験の最小単位としての「感覚(sen−
sation)」に代えて、知覚を経験の条件に据えよ うと試みた時、ゲシュタルト心理学の議論を活用
している。知覚は、(空間の)状況を「一挙に
(per−)把握する(cept)」。メルロ=ポンティは、
映画の観客と歩行者との対比を通して、知覚によ る対象の空間把握を考察している。
映画を見ていて、カメラが急にある対象に向 けられ、それからそれに接近してそれをわれ われに大写しにして見せる場合、われわれは それが灰皿だとかある人物の手なのだという ことを想起することならたしかにできるけれ ども、はじめて見てそれがそういうものだと 実際に認知することはできるものではない。
というのも、そもそもスクリーンは地平をも たないからである。これに反して実際に物を 見る場合には、私が自分のまなざしを風景の 一部のうえに据えると、その部分は自己を活 発化し、自己を展開して、一方、他の諸対象 の方は周縁へと退き、眠り込むけれども、し かしそれらとても、けっしてそこに在ること をやめることはないのである。ところが、こ れらの諸対象とともに、これらの諸対象の地 平をも、私は新たに自分の意のままにし得る のであり、現在私が凝視している対象も、視 界の周縁に移されて見られることによって、
これらの地平のなかに含まれてくるようにな る。〈中略〉対象一地平という構造、つまり パースペクティブというものは、したがって、
私が対象を見ようとする場合に私の妨げとな るものではない。〈中略〉ある対象を見ると いうことは、その対象のなかに住まいに来る
ことであり、そこから他の一切の事物をそれ らがその対象の方に向けている面にしたがっ て捉えることである。〈中略〉それらの事物 をもまた私が見ているそのかぎりでは〈中 略〉私は潜在的にはそれらの事物のなかに位 置づけられながら、私の現在の視覚の中心と なっている対象を、すでに様々な角度から統
覚している(apergois)わけである
(Merleau−Ponty 1945 [1967】,82−83 [(1)
126−128])o
「対象一地平」という構造において、われわれ は、事物を様々なパースペクティブから統覚する ことによって、事物の多様な現われを見る。セザ ンヌの絵において表現されたように(ヴィリリオ は、メルロ=ポンティと同様、しばしばセザンヌ の絵画への愛好を口にする)。しかし、スクリー ンにおいて、パースペクティブは閉じられている。
というのも、それは「地平を持たないからであ る」。まさに、視聴覚メディアにおけるこのよう な知覚の場こそが、ヴィリリオが「否定的地平」、
あるいは「非一場(non−lieu)」と呼ぶものであ る。現実空間に存在していた起伏(relief)も奥 行き(profondeur)も存在しない否定的地平にお いて、事物は、厚み(epaisseur)や立体感(vol−
ume)を持たない、ただの外観(apparence)と なる。当然のことだが、スクリーンに映る灰皿の 背後には、スクリーンの裏側しか見えないのだが、
それは、灰皿を眺めるパースペクティブが画一化 されているためである。このような歩行者と映画 の対比は、「知覚の体制」の差異を明確にするた めのものであって、もちろんその優劣を決めるも のではない。メルロ=ポンティが「想起」という 言葉で示しているように、映画のイメージはモン タージュを通じた時間において組織されているか らである。空間を造型する建築に携わってきたヴ ィリリオにとって、建築と時間芸術である映画と の対比は重要なものである。しかし、ヴィリリオ が問題とする「経験の地平」の喪失は、電子メデ ィアが広まっていく時代において、より露わにな っていく。「ポスト・モダン」とも呼ばれるこの 時代において、イメージの「浮遊感」や「無重力 感」がリアリティとして知覚されることになるだ
ろう。
メディアを「乗り物」として考えること、それ は、様々な速度が生み出す「知覚の経路(tra−
jet)」において、主体[人間]と客体[世界]と のつながりを考察することである。我々は様々な
「乗り物」・機械(自転車や自動車、バイク、鉄道、
映画)を通じて、自らを取り巻く環境を知覚す る9。このような様々な知覚の経路を通じた、人
間という生き物と環境との生態的な関係を指して、
ヴィリリオは、「知覚のエコロジー」とよぶ。し かし、このような「知覚のエコロジー」は、電子 メディアが支配的な「知覚の経路」として選択さ れていくような時代になると汚染されていくと、
ヴィリリオは述べている(Virilio 1995,75−87)1°。
というのも、電子メディアという「動かない乗り 物」は、「距離」や「広がり」、「自然な大きさの 知覚」を汚染するからである。このような電子メ ディアにおいて、もはや、現実の空間におけるパ ースペクティブよりも、「リアル・タイム」のパ ースペクティブが問題となる。言い換えれば、問 題なのは、いま一ここにおける知覚ではなく、よ そにあるものがここにおいて現われること、すな わち「遠隔現前」とは、いま一ここという現実の 空間において何を意味するのかということである。
都市計画家を自認するヴィリリオにとって、この 問題は、都市の問題でもある。それこそが『危機 の空間』と題された著作の問題である。
第六節 否定的地平のなかの都市
ヴィリリオは、遠隔技術が作り出す界面(in−
terface)は、それまでの空間的な境界概念を一 変させるものだという。つまり、かつては家に入 ることと同じように、都市を訪れることは身体を 持った人間が物理的に境界をまたぐことを意味し ていたが、遠隔技術の利用者たちにとって、家も 都市も共に扉=門(porte)を唯一の境界とはし なくなった。凱旋門のような都市の入り口は、価 値を減じられ、無数のスクリーンによって機能す るインターフェイスが、知覚することのできない 非物質的な電波を通じて、インタラクティブな網 目を形成する。そして、遠隔技術を通じたインタ ラクティヴィティは、都市を境界づけていたここ とよその分割ではなく、こことよそを「分離不可 能(non−s6parbilit6)」にすることによって機能 する。このことは、具体的に知覚可能な空間の境 界が絶対的な客観性を持たなくなったことを意味 する。「コントロール・モニターやスクリーンの 面の間(inter−facade)を通じて、よそはここで
始まる。またその反対も同様である……」
(Virilio 1984b,13)。
ヴィリリオは、あたかも、インタラクティブな 網の目において、ベルグソンが意識の内的持続を 描き出すために用いた「相互浸透」が生じている
ように描いている。「〈もし、空間が、すべてが同 じ場所(place)〉にあることを妨げるものである とするならば、この急激な封じ込め(confine−
ment)はすべてを、絶対的にすべてを特殊な場 所(emplacement)なき場所に運ぶ……。自然な 起伏と時間の距離の全ての局所化を、すべての位 置を衝突させる」。つまり、相互外在性において、
人や物は、その身体や物体が占めている位置を譲 り渡すことはできないのであるが(それは、身体 にとって死を、物体にとって破壊を意味する)、
インタラクティブな網の目において、少なくとも、
人や物、場の「外観」の交換は、いくらでも可能 になる。しかし、相互浸透性といっても、ベルグ ソンは、この特徴を「持続」に与えたのに対し、
ヴィリリオは、この特徴をベルグソンの持続と対 立するような「遍在性(ubiquit6,0mnipr6−
sence)」に与える(ibid.,19,155)。ベルグソン の持続の定義をパラフレーズするならば、「遍在 性とは、ここ[よそ]がよそ[ここ]を謡ってす すみながら膨らんでゆく終わりなき現在という囲
いである」11。
こことよそを分離不可能なものにし、絶えず膨 張していくこの〈いま〉とは、都市という現実の 空間にどのような影響を及ぼすのであろうか。
「家にいる遠隔的な聴衆が、劇場や都市の聴衆や 俳優たちの定住性を引き継ぐのは、発信と受信の リアル・タイムにおける集中が、共に人々が暮ら す(cohabitation)現実空間の旧来の集中を、つ
まり、それまで都市建築が占有していた隣…人性の 単位を更新するからである」と、ヴィリリオは述 べている(ibid.,96)。つまり、ここに「住まっ ていない」12といわれる遠く離れたものの知覚は、
現実の空間の上に反映されるのだ。ヴィリリオは、
このような「定住性」の相違を、現実の空間にお ける「公共空間」とリアル・タイムにおける「公
共イメージ」の違いとしても説明している。つま り、遠隔的技術を介した知覚の現実とは、身体的 な知覚の直接的な現実との知覚の経路の違いにと どまらず、現実の空間の組織化にも関わるものな のである。ヴァーチャルな空間が現実の空間に折
り重ねられる。公共イメージが公共空間に取って 代わることは、空間の危機である。そして、この 空間の危機は、もちろん、多国籍企業による都市 空間の再編と無関係ではない13。ヴィリリオは、
この都市の再編の背後に1980年代のネオリベラリ ズム的な経済政策をも見てとっているが(ibid.,
160)、こうした遠隔技術を通じたインタラクテ ィブな活動は、情報革命を経た90年代以降、さら に激化する。そして、ヴィリリオは、「フーコー の言う大監禁は、18世紀に始まるのではなく、21 世紀に始まるのです」とまで、主張する(Virilio
+Petit 1996[19971,48[53])。一見、アナクロニ ックな印象を与えるこの発言は、瞬間的に行われ るヴァーチャルな投機や株の取引が、会社が積み 上げてきた価値のみならず、実物経済を支配して いくような社会の一側面を言い当てているように 思われる。ついでに触れておけば、ヴィリリオは、
『危機の空間』が出版された同じ1984年に、ウィ リアム・ギブソンの『ニューロマンサー』におい て、「ヴァーチャル・スペース」や「サイバー・
スペース」という言葉が使われていたことを、自 ら指摘している(Virilio+Rotoringer 2002,80)。
われわれは、以上のような視聴覚メディアにお ける遠隔現前についてのヴィリリオの現象学的技 術論を通して、空間の組織化の二つの原理を新た に定義することができる。すなわち、建築による 空間の組織化は、現実の空間〈における〉分離を 行うのに対し、遠隔技術の速度による空間の組織 化は、こことよそを分離不可能にすることによっ て、現実のいま一ここという空間〈と〉の分離を
行う。
このような現実的な空間とヴァーチャルな空間 との分離という主題は、ヴィリリオが建築原理の 運動をしていたときに影響を受けていたギー・ド ゥボールのスペクタクルの概念にも見られる。実
際、ドゥボールが指導的に率いたシチュアシオニ スト・アンテルナショナルは、映画と都市という ヴィリリオと親しい主題に取り組んでいた。1967 年に出版され、68年の五月革命において多大な影 響を及ぼしたとされるスペクタクルの概念は、現 実の空間における大道芸などの見世物や、フーコ ーが『監獄の誕生』のなかで古典主義時代の「死 の権力」(それが用いる見せしめの刑)を特徴づ けるものとして用いたそれを意味しない。ドゥボ ールは、「分離こそがスペクタクルのアルファで あり、オメガであ」り、「スペクタクルはさまざ まなイメージの総体ではなく、イメージによって 媒介された、諸個人の社会的関係である」と述べ
ている(Debord 1967/1992[2003],16,27[15,25])。
つまり、ドゥボールが用いるスペクタクルとは、
現実とイメージあるいは外観とが分離するような 社会状況において機能している。このような社会 は、現実において孤立しアトム化した諸個人が、
擬似的な社会的全体性のイメージを与えられるな かで、「分離されたまま」社会に統合されるよう な社会である(例えば、諸個人の各々が壁に囲わ れた家でテレビを見る時、自らの意志でそれをす ると同時に、その諸個人が同じイメージを共有し ているように)。つまり、スペクタクルは、個人 と同時に社会全体を支配する。
ドゥボールのスペクタクルの概念は、ヴィリリ オにも影響を与えているように思われる。しかし、
もし、ヴィリリオにおいて、このようなスペクタ クルの起源が問われるとするならば、その起源は 消費社会においてではなく、戦場の歴史において である。『危機の空間』と同年1984年に出版され た『戦争と映画』において、ヴィリリオは次のよ うに書いている。
〈戦場の歴史とは、まず何よりもその知覚の 場の変貌の歴史に他ならない〉。言い方を換 えれば、戦争とは「物質的」勝利(領土獲得、
経済支配)を収めることよりも、知覚の領野
(champs de perception)の「非物質性」を支 配するところに成立している(Virilio 1984a/
1991[1999],10[28−29])。
われわれは、この戦場の歴史を通じて、90年代 以降の戦争の問題へと向かい、再び第二章で触れ た、核と情報コミュニケーションによる地球規模 の囲いに戻るであろう。ただし、米ソの対立が終 わった冷戦以後の時代において、地政学的な勢力 図は姿を変える。ポスト冷戦の時代の戦争は情報 の時代と時を同じくしている。「生中継」の放送
(CNNは、1980年に開設された)も活発に行われ るようになる。ここでよく知られた軍事技術史的 事実に触れておくならば、ポケベルやインターネ ットなど「情報革命」の象徴である通信技術は、
核戦争のような「非常事態」に備えて、アメリカ の国防費によって開発された。つまり、冷戦以後 の社会のインフラストラクチャーは、冷戦の軍拡 競争の賜物なのである。
第四章 グローバルな囲い
第七節 冷戦以後のヴィリリオの戦争論に おける環境の問題
見世物(spectacle)としての戦争。リアル・
タイムで世界中にテレビ中継された湾岸戦争は、
そのように形容することができるだろう。人類の 歴史において、戦争〈する〉という営みは絶えな いと言われるが、遠隔コミュニケーションが可能 にした、この戦争を〈見る〉という営みは、もし 後の歴史がこの時期を振り返るならば、人類学的 に「風変わり」なものとして記録されるのではな いだろうか。
このように「自然化された」戦争を〈見る〉と いう習慣の始まりと同時に、湾岸戦争は、アメリ カ軍の兵器と戦術の革命、RMA(revolution in military affairs)が初めて実際の戦場で試された 戦いでもある。巡航ミサイルや精密誘導ミサイル
に典型的に見られるような間接照準火器(それに 対して戦車砲や小銃のように裸眼で標的を狙う兵 器を直接照準火器とよばれる)や偵察衛星やドロ ーン(遠隔操縦の無人飛行機)が多用されたこの