シンガポールの学校教育におけるグローバル人材育 成
著者 田中 希穂, 児玉 祥一, 沖田 悟傳, 大橋 忠司
雑誌名 同志社大学教職課程年報
号 8
ページ 48‑60
発行年 2019‑02‑25
権利 同志社大学教職課程年報編集委員会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000380
研究ノート
シンガポールの学校教育における グローバル人材育成
田中希穂・児玉祥一・沖田悟傳・大橋忠司
(同志社大学免許資格課程センター)
Development of Global Human Resources in Singapore School Education
Kiho Tanaka, Shoichi Kodama, Noritsugu Okita, Tadashi Ohashi
1.はじめに
1965年独立時の国民の識字率が60%、大学進学率が3%だったシンガポー ルは、今日では世界のトップクラスの教育レベルを示している。2015年実施 のOECD生徒の学習到達度調査(Programme for International Student Assessment:PISA)においてシンガポールは、科学的リテラシー、数学的 リテラシー、読解力の3分野すべてにおいて世界1位であった。また、イギ リスのTimes Higher Education(THE)が2018年9月に発表した最新の 世界大学ランキングでは、シンガポール国立大学(National University of Singapore:NUS)(23位)が中国の清華大学の22位に次いでアジアの大学 では2番目に高いランキングを示し、東京大学の42位を大きく上回っている。
シンガポールの教育は、シンガポール教育省(Ministry of Education:
MOE)が管轄している。義務教育は初等教育の6年間であり、初等教育卒 業 時 の 初 等 学 校 卒 業 試 験(Primary School Leaving Examination:
PSLE)、中等教育卒業時のシンガポール・ケンブリッジ普通教育認定 試 験
(Singapore Cambridge General Certificate of Education-Ordinary Level:GCE-O)、大学準備教育(ジュニアカレッジなど)卒業時のシンガポー ル ・ ケ ン ブ リ ッ ジ 上 級 教 育 認 定 試 験(Singapore Cambridge General
Certificate of Education-Advanced Level:GCE-A)の結果に基づいて 進学先が決まるシステムとなっている。より重要なのはPSLEであり、そ の結果により、中等教育進学の時点で中高一貫校・特別独立学校・中等学校 エクスプレスコース・中等学校ノーマルコース・特別学校・職業指導コース に振り分けられ、その後の進路に大きく影響する。
シンガポールにおける教育政策には2つの大きな柱がある。1つめは、先 にも述べた通り初等教育段階からの能力主義、つまり学力に基づく早期振り 分けである。シンガポールでは小学校までが義務教育であり、すべての児童 はPSLEを受験し、その成績によって選択できる中学校のコースが決定さ れる。PSLEの上位者はエクスプレスコース、中位者はノーマルコース、下 位者は職業指導コースに在籍する。エクスプレスコースに進学した生徒は教 育環境が特に整った学校において、数少ない大学への進学を目指す。ノーマ ルコースの生徒は5年後のGCE-Oの成績次第では大学進学を目指すことも 可能であるが、職業指導コースの生徒は専門学校のように技術獲得を目指す。
中学1年生の在籍者の割合はエクスプレスコース約60%、ノーマルコース約 25%、職業指導コース約15%である。
また、PSLEの成績優秀者(上位1%)はIntegrated Programme(IP)
という中高一貫校に進学することができる。IPとは国家からの補助を受け ながらも、教員スタッフ、カリキュラム、運営方針など大幅な裁量権が与え られ、大学進学を前提とした優秀な生徒をSecondary SchoolからJunior
Collegeまでの6年間一貫の独自プログラムで運営する学校である。生徒に
は中等教育(4年間)と大学準備教育(2年間)の両方の教育課程が提供さ れ、中学校卒業の資格を与えるGCE-Oの試験が免除されるかわりに、時間 をかけて創造力やリーダーシップを養う幅広い経験を積むことが求められる。
また同時に、大学進学のための高校修了資格であるGCE-A、あるいは国際 バカロレア(IB)のディプロマを得ることが要求される。この要求の実現 のために、IP校では教員はもちろんのこと、教室をはじめ図書館・理科系 実験室・PC教室・歴史資料室など教育施設についても国内トップの環境が 用意されており、シンガポールには現在IP校が16校ある。このように、シ ンガポールでは、小学校終了時の試験の結果によって、大学進学の道を歩む のか、技術系の専門学校へ進学するのかが決定される。
教育政策の2つめは、初等教育からのバイリンガル教育政策である。シン ガポールではすべての児童生徒が公用語である英語を第一言語として学び、
母語を第二言語として学ぶことが義務化されている。多民族国家のシンガポー ルの人口構成は、中華系が約75%、マレー系が約13%、インド系が約9%、
その他が約3%であり、それぞれに異なる母語を持っているため、英語が公 用語として必要不可欠である。また、多くの外国企業・外国籍企業が参入し ているシンガポールでは、外国人居住者が全人口の約3分の1を占め、ビジ ネスを進めるうえでも英語でのコミュニケーションが一般的である。これら のことから、学校教育では授業がすべて英語で行われている。一方で、それ ぞれの民族のアイデンティティを尊重するために、それぞれの母語(中華系 は中国語、マレー系はマレー語、インド系はタミル語など)も同時に学ぶ。
これら2つの教育政策からも明らかなように、国土が東京23区ほどの大き さしかないシンガポールは資源に乏しいことから、“人”を最大の資源と考え、
経済競争力を高めるために、能力主義をベースとした教育システムによって、
国家レベルでのグローバルな人材育成やそれに伴う教員養成や職能開発など、
教育に対して積極的な取り組みを行っている。そこで本稿では、シンガポー ルの中学校2校を訪問し、実際にこれらの政策がどのように実践されている のかを調査した内容とともに、これらの教育を担う教員養成課程について、
2校の大学における取り組みを調査した内容を報告する。中学校については、
PSLEの 上 位 者 が 進 学 す る エ ク ス プ レ ス コ ー ス の 学 校 で あ るPing Yi Secondary Schoolの取り組みからシンガポールの一般的な中学校の教育事 情 を、PSLE の 成 績 優 秀 者(上 位 1 %)が 進 学 す る IP校 の Ruffles
Institutionからシンガポールのトップ校の教育事情についてそれぞれ報告
する。大学については、シンガポール唯一の教員養成校であるNational Institute of Educationからシンガポールの教員養成事情について、また 社会人向け大学院プログラムを提供しているSingapore University of Social Scienceから現職教員向け大学院プログラムについて報告する。
2.Ping Yi Secondary School(1)
Ping Yi Secondary School(PYSS)は、1930 年 に Pin Ghee Public
SchoolとしてChai Chee地区に開校した。その後、第2次世界大戦にと も な い 学 校 は 封 鎖 さ れ た が、大 戦 後 の 1957 年 に 校 名 をPin Ghee High
Schoolに改名し再開した。しかし、シンガポール独立後の教育施策の影響
で中国人の入校希望者が激減し、Pin Ghee High Schoolは1976年には閉 校に追い込まれた。その後、市民からの強い要望もあり新たにPing Yi Secondary Schoolとして1985年に開校した。2007年には現在のキャンパス に移転し、充実した教育内容、教育環境のもと、PSLE上位者が進学する学 校として充実した教育活動が行われている。
PYSSでは、日本の公立学校より もICTなどを含む学習環境が充実し、
それらを活用した特色のある授業が 実施されていた。シンガポールのMOE はApplied Learning Programme
(ALP)として各学校に特色ある 授業を実施するための予算を配分し ている。PYSSでは設計・航空工学 をALPとして提供し、日本の「選 択授業」に当たる授業として「飛ぶ こと」をテーマに探求的な授業・研 究が行われていた(図1)。生徒は 設計プロトコルや設計スキルを学ぶ ことを通して、クリティカルシンキ ングや問題解決能力を育む。航空力 学や航空学などの理論的な学習だけでなく、実際に航空機の設計・作成・飛 行を行ったり、ドローンの操作、セスナ機のフライトシュミレーターを用い た飛行体験をしたりすることで、体験的な検証が行われていた。これらはす べてシンガポール航空やNASAなど専門技術を持つ企業や産業界と連携に よって実現している。生徒の興味関心に基づく授業が展開され、生徒は数学 や化学の応用的知識だけでなく、企画提案やチームとして活動するのに効果 的なコミュニケーションスキル、起業家精神なども学習する。
PYSSの教育活動には大きく3つの特徴がある。1つ目は、先にも述べた 図1 PYSSのALPのプレゼン
(操縦の説明を受ける)
通り、授業が教え込み中心のスタイルではなく、子ども自身が課題を見つけ 解決していくという課題解決学習のスタイルをとっていることである。その 中では、体験活動が重視されており、「日常生活などで不便と感じることを いかに解決するか」といった視点が重要視されていた。
2つ目は、キャリア教育が充実していることである。近年生徒数が減少傾 向であるが、生徒の発達段階ごとに丁寧な指導が行われ、キャリアセンター
(図書室のコーナー)では、キャリア教育のための蔵書やテキストが豊富に 準備されているだけでなく、先輩をローモデルとして、校内においても身近 に感じたり学んだりできる仕組みが整えられていた。そのような環境のもと、
「将来つきたい仕事に役立つ」「仕事の可能性を広げてくれる」といった意 識を生徒が強く持つことで、学習効果を高めている。
3つ目は、教室内にとどまらない教育活動が行われていることである。
PYSSでは、Learning for Life Programme(LLP)として、人格教育や シティズンシップ教育を通して、生徒のリーダーとしての資質を育むプログ ラムも提供している。このプログラムでは、学年ごとのキャンプや郊外活動、
職業体験、国内外での留学体験など、Outdoor Learningと呼ばれる活動 を行っている。これらの活動を通して、生徒はリーダーシップやコミュニケー ションの取り方、協力や協働、他者への思いやりや連携の大切さなどを体験 的に学んでいる。
このような教育活動を行うためには、指導する教師の力量も高める必要が ある。そのためにも、「教師力ワークショップ」のような体験活動中心の研 修会やセミナーが年に数回計画されていたり、先進校から学ぶことも積極的 に行われたりしていた。また、人事面においても、有能な教師を集めるなど、
管理職の意向が反映でき、教師の希望が尊重されるような人事異動が可能と なる仕組みも整備されていた。
PYSSでは、校長をトップとしたマネージメント・コミッティ、教師、そ して保護者・卒業生・地域住民からなるスクール・アドバイザリー・コミッ ティがチームとして、多民族国家ならではのインクルーシブ教育に取り組ん でいる。PYSSの玄関には“we value diversity, and are determined to remain a united people”という言葉が掲げられている。多民族国家であ るシンガポールの教育の原点であり、人材育成の原点である。グローバル化
への対応が喫緊の課題となっている我が国においても、シンガポールの教育 を参考に「グローバル化」の意味とその在り方をもう一度問い直すことも必 要と考える。
3.Ruffles Institution(2)
IP校の一つであるRuffles Institution(RI)は1823年にシンガポールの 創始者であるトーマス・スタンフォード・ラッフルズ(3)によって創立された シ ン ガ ポ ー ル 最 古 の 学 校 で あ る。2007 年 にIP校 と し て 認 め ら れ、
Secondary School(Y1~Y4)からJunior College(Y5・Y6)まで の6年間一貫教育を行う名門校であるが、Secondary Schoolの段階では男 子校のRIと女子校のRaffles Girls School(Secondary)(4)の男女別学が 行われており、Junior Collegeの段階になって男女共学となる同一のラッ フルズプログラムによって運営されている。なお、Secondary Schoolの男 子校とJunior Collegeは同一敷地内に併設されており、2019年にはRaffles Girls Schoolも同地域に移転が決まっている。
RIの教育について訪問調査で訪れた歴史資料室の展示及び学校案内など をもとに述べていく。歴史資料室にはラッフルズが教育機関を設立した目的 について、ラッフルズ自身の言葉として以下の3つがあげられている。
第一に、現地の指導者層の子どもたちを教育すること。
第二に、東インド会社職員の子どもたちに現地語(マレー語)を教えるこ と。
第三に、分散・散逸した文献や伝統資料などの収集・保存をすることとそ のための法律や習慣についての意義を理解させること。
そして、シンガポールを支える最高の教育機関としてのビジョンを
「Auspicium Melioris Aevi(より良い時代の希望となること)」というラ テン語で表し、この言葉は学校のmottoとして現在においても大事にされ ている。
RIはシンガポールの将来を担うリーダーの育成を学校の使命として掲げ、
生徒は国家と地域社会のために自身の持つ能力を遺憾なく発揮するリーダー となることが強く求められている。そのために、複雑で予測不可能な状況に
適切に対処するた めの方策を考える 思想家となる資質、
創造性と技術革新 を通じてより良い 社会の先駆者とな る資質を涵養し、
自分自身の思考や 行動を他者との関 係のなかでより高
く・良いものとするためのコミュニケーション能力の育成をめざす教育が実 践されている。
この資質・能力育成のために正課と平行して課外活動が特に重視され、ス ポーツ活動、ボーイスカウト活動、芸術活動、文化クラブ活動などのプログ ラムに加え、宿泊研修プログラムが用意されている。宿泊研修プログラムは 家族のもとを離れ同級生と寝食を共にすることによって、自立心・協調性・
団結心・リーダーシップなどを学ぶ機会が多く作られている。最初の宿泊研 修プログラムはSecondary School入学時に3年日間のオリエンテーショ ン・キャンプとして行われ、新入生はクラスごとに5つの家(住居)に分類 され、それぞれ4年生のハウスキャプテンの指導のもとに、RI文化の理解 と仲間意識の育成を目的として行われる。同様にJunior Collegeに入学す る5年目にもオリエンテーション・キャンプとして実施されている。期間は 3日~4日間で共学となるJunior Collegeにおいて男子校・女子校それぞ れの出身者を統合するために行われている。また、Secondary Schoolの3 年生の時には長期の宿泊研修プログラムとして、全員が1学期、2学期、ま たは3学期のいずれかに10週間を学内にある宿舎において居住経験を積むと いうRI Boardingプログラムが用意されている。オリエンテーション・キャ
ンプやRI Boardingでは、自立、相互依存、地域社会への奉仕に不可欠な
ライフスキルを学び、ワークショップ、会話、体験活動などを通してコミュ ニケーション能力とともにリーダーシップを発揮する機会が提供され、個人 の成長を促すこととなる。これらの豊富な課外活動経験を通して仲間意識・
図2 Ruffles Institutionの廊下
(卒業生の功績がたたえられている)
団結心はより強まり、それは卒業後においても続くものとなっている。
RIの教育方針・教育内容などについて見ていくと、そこにはシンガポー ルの指導者となる徹底的なエリート教育がなされていることが分かる。実際 にRI卒業後はシンガポール国立大学など国内の大学以外に、海外の名門大 学への進学者も多く、イギリスのケンブリッジ大学・オクスフォード大学を はじめアメリカのハーバード大学などの欧米の名門私立大学があげられる。
RI出身者の多くはシンガポールの指導者として活躍しており、例えば、シ ンガポールの初代首相のリー・クワンユー(5)、初代大統領のユソフ・ビン・
イサークをはじめ、現在までに3人の内閣総理大臣のうち2人、7人の大統 領のうち3人が卒業生でもあり、政治・法曹・経済・軍事などで指導的地位 に就くものを多く排出しているのである(図2)。
4.National Institute of Education(国立教育学院)(6)
シンガポールの教員養成はNational Institute of Education(NIE)で 唯一実施されている(図3)。また、現職教員の研修などもNIEで行われて いる。従って、シンガポールの教員は必ずNIEの卒業生であり、他大学の 卒業生であってもNIEで単位を修得しなければ教員に成ることができない。
日本では戦後、教員養成系大学以外でも教員の資格が取得できる開放制を採 用したが、シンガポールは国の政策として教員養成を推進し、日本の文部科
図3 NIEのメインビルディング入り口
(教師教育の道のりが示されている)
学省に当たるシン ガポールMOEと NIE の 連 携 の 中 でカリキュラムも 含めたプログラム を作成している。
国の政策として 教員養成を推進し ている理由をシン ガポールの現状を 踏まえて検討して
みると、前述にあるように、シンガポールは、国土が狭い、資源が限られて いる、多様な民族が混住している等の国である。そのために、今後のグロー バル社会・IT社会において未来の予測が困難な中で、経済活動も含めた自 国の発展や国民の幸福を考えるときに、人的な資源が最も重要な資源である と考えられている。このことは多様な民族が多く在住しているということを 除けば、日本にも同様のことが言える。最も重要である人的資源を輝きのあ るものにするには、人を育てること、すなわち教育に力を注ぐこと以外に方 法はない。教育は長期的な最も重要な投資であり、教育の質が将来の社会を 形成すると言っても過言ではない。シンガポールでは、教育の質を高めるた めには、人を育てる教員をいかに育てるかが重要であり、グローバルに活躍 し、シンガポールのために力を発揮する人材を育てるために、国の政策とし て教員養成に取り組んでいる。
施設見学を行ったPhysical Education and Sports Science Academic
Groupの教育から垣間見ることができたシンガポールの教員養成校におけ
る教育は、近年、特にスポーツ教育に注目している。シンガポールにはプロ のスポーツがなく、スポーツだけではキャリアにならないため、学習で力を つけることが重要であると考えられ、スポーツ教育に力を入れてこなかった。
しかし、現在は生涯健康の観点から生涯スポーツの重要性が認識されるよう になってきている。NIEにおける体育科教員養成では、子どもたちに楽し く教えることが大切であるという方針のもと、学校でスポーツの楽しさ等を 正しく教えるスキルの育成を目指している。大人になってもスポーツを続け られるように「After schoolクラス」を設け、スポーツ、音楽、文化、芸 術から選択するということにも取り組んでいる。日本の部活動のように、シ ンガポールも生涯スポーツについて推進しているところであるが、まだ学校 の施設開放など十分ではないことが課題である。
NIEでは、教員養成において成功の要因(Success Factor)は、質の高い プログラム(Quality Programs)、理論に基づく実践(Theory practice)、
質の高い教授(Quality Teaching)の3つがあり、シンガポールの将来を 見据えた取組を教育の立場から日々推進している。NIEは、教育を通じた 国づくりと人づくりへの自負をもって教員養成に取り組んでいるといえる。
5.Singapore University of Social Science
(シンガポール社会科学大学)(7)
図4 SUSSのメインホール
(改名前の校名が残る)
2005年に設立されたSingapore University of Social Sciences
(SUSS)は、2012年に政府の公的 資金が投入され、シンガポールの6 番目の大学として正式に認定された 大学である。もともとはSingapore Institute of Management(SIM)
と呼ばれていたが、2017年3月に現 在の名称に変更され、5つの学部に 約15,000人の学生が通う大学である
(図4)。
SUSSでは通常の学士プログラム や修士プログラムも提供しているが、
一番の特徴は生涯学習を提供する社 会人向けの大学であるということで
ある。社会科学関連分野に興味を持つ社会人を受け入れ、社会人向けプログ ラム(Part-time Programmes)として70以上のプログラムを提供し、そ れらは実践を重視した学習に重きが置かれている。社会人向けのプログラム では、学年歴を2学期(1-6月と7-12月)に分けている。各学期におけ る取得可能単位をすべて履修した場合は3年間で学士を取得することが可能 であり、最大8年間の在籍することができる。通常の学部コースに在籍して いた学生が早期に就職した場合、社会人向けプログラムに移籍することも可 能である。卒業には130単位の取得が必要であるが、SUSSの社会人学生の 1学期間の平均取得単位数は約15単位である。取得必要単位数の中には、社 会問題を取り上げつつ学習に必要な基礎的能力の高いレベルでの育成を行っ ているSUSS Core Coursesの10単位が含まれている。これらの単位につ いては、英語スキルが不十分な学生のために、社会人向けに特別に開発され た中国語やタミル語でのプログラムを選択することも可能である。多民族国
家であるシンガポールの一端がこのようなところにも垣間見られる。
社会人向けプログラムを多く提供しているSUSSでは現在特にBachelor of Sports and Physical Education と Bachelor of Art/Music
Educationに力を入れている。先にも述べられている通り、スポーツや芸
術分野で世界的に知られている人物を全くと言っていいほど排出できていな いシンガポールでは、その反省から近年では政府が体育や芸術の教育に力を 入 れ て い る。特 に シ ン ガ ポ ー ルMOEは、生 涯 発 達 に お け るOutdoor Education(野 外 教 育)を 重 視 し、National Outdoor Adventure Education Masterplanを進めている。野外教育とは、野外活動や自然体 験活動を通して行う教育活動のことである。SUSSは、政府のこのプランに 基 づ き、Graduate Diploma in Outdoor Education(GDOED)の 提 供 を開始した。このプログラムはOutward Bound Singapore(8)やスポーツ 領域の専門機関とのコラボレーションのもとに運営されている。現職の体育 教師に限らず、スポーツコーチ・インストラクターなども対象としているプ ログラムは、現職者の知識やスキル向上、フィールド活動におけるリーダー の育成、理論的基盤に基づく野外教育の実践プログラム開発能力の育成など を 目 的 と し て い る。先 に も 述 べ ら れ て い る よ う に、小 中 学 校 に お け る Outdoor Learningが積極的に取り入れられ始めたシンガポールでは、こ のような専門的なスキルを持つ指導者が必要となるため、今後さらに重要視 されるプログラムだと考えられる。
GDOEDのように社会人のスキルアップのためのプログラムを主に提供 しているSUSSは、人々の生涯学習・生涯発達の場を提供している、シン ガポール内でも特徴のある大学である。また、学力においては世界一となっ たシンガポールであるが、人々の健康的で幸福的な生涯発達を目指し、その 指導者としてのエキスパーを育成するGDOEDは人材育成を重視し、人的 資源を大切にしているシンガポールの国策の一環と考えられる。
6.まとめ
PSLEの 上 位 者 が 進 学 す るExpressコ ー ス の 学 校 で あ るPing Yi Secondary SchoolとPSLEの成績優秀者(上位1%)が進学するIP校の
Ruffles Institution、シ ン ガ ポ ー ル 唯 一 の 教 員 養 成 校 で あ る National Institute of Education、社会人向け大学院プログラムの取り組みから、シ ンガポールの教育の特徴を見ることができた。多民族国家ではあるシンガポー ルでは、それぞれの民族のアイデンティティを尊重しつつ、調和を目指した インクルーシブ教育が実践されている。また、シンガポールでは“人”を唯 一の資源と考え、教員養成および学校教育を国策として取り組み、徹底した グローバル化に適応できるリーダーの育成を行っている。シンガポールと同 様に資源の乏しい日本がこれからのグローバル時代における人材を育成して いくためにも、シンガポールの教育から得られることは多いと言える。
なお、今回の調査では、教育政策を重視し、教育に多くの予算をかけてい るシンガポールではあるが、大学進学率は約28%に留まり、日本と比べても 低く(日本は約58%)、早い段階から国のリーダーとなる人物を選別しエリー ト教育がなされていること、それ以外の多くの生徒は中学校を卒業すると専 門学校に進み職業教育を受け様々な分野においてシンガポールを支える職業 人となることが求められていることも確認できた。
今回の調査を終え、今後はPSLEの中位者以下が進学するノーマルコー ス及び職業指導コースの中学校について、また、エクスプレスコースも含め て大学進学までの学力に達しない生徒が卒業後に進学する各種の専門学校や そこで行われる技術等の獲得・資格をめざすための職業教育についても調査 する必要性を認識している。
注
https://pingyisec.moe.edu.sg/
http://www.ri.edu.sg/
ト ー マ ス・ス タ ン フ ォ ー ド・ラ ッ フ ル ズ(Sir Thomas Stamford Raffles)1781年~1826年。イギリス東インド会社職員・イギリスの植 民地建設者。マレー半島南端に位置するシンガポール島を東インド会社 の自由貿易港として建設し、イギリス領に加える。地域住民・文化など を大切にする方針で都市計画を行う。シンガポールの創設者。
Raffles Girls Schoolは1879年に設立されたシンガポールにおける最 古の女学校。
リー・クワンユー(Lee Kuan Yew)1923~2015年。シンガポールの 政治家・初代首相。首相在任期間は1959年~1990年の約30年に及び「開 発独裁」と称される政治体制を築くとともにシンガポールの経済的繁栄 を実現した。
https://www.nie.edu.sg/
http://www.suss.edu.sg/
Outward Boundは1941年にイギリスで発祥した世界33ヵ国220箇所以 上の拠点を持つ非営利の冒険教育機関である。主に自然を舞台にしたチャ レンジングな冒険活動をとおして豊かな人間性を育むことを目的に活動 している。
要約
資源の乏しいシンガポールは、“人”を最大の資源と考え、経済競争力を 高めるために、能力主義をベースとした教育システムによって、国家レベル でのグローバルな人材育成やそれに伴う教員養成や職能開発など、教育に対 して積極的な取り組みを行っている。本稿では、シンガポールの中学校2校
(Ping Yi Secondary SchoolとRuffles Institution)を訪問し、実際に これらの政策がどのように実践されているのかを調査した内容とともに、こ れらの教育を担う教員養成課程について、2校の大学(National Institute of EducationとSingapore University of Social Science)の訪問調査に ついて報告する。そこから、グローバルに活躍できるリーダーの育成を徹底 しているシンガポールの教育の特徴が見えてきた。