ーダイクとシュリンゲンジーフの「リアル界」諸表 象を「文化交換」事例として
著者 岡林 洋
雑誌名 社会科学
巻 46
号 4
ページ 69‑100
発行年 2017‑02‑27
権利 同志社大学人文科学研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015344
9・11 以後の美学の萎縮とそのリハビリ
─ スローターダイクとシュリンゲンジーフの
「リアル界」諸表象を「文化交換」事例として ─
岡 林 洋
9・11(2001 年 9 月 11 日にアメリカ合衆国内で同時多発的に発生した同時多発テロ 事件)以後をここではテロリズムの時代と呼ぶが,この時代に美学は何をするのか,そ れとも何もできないのか,テロが世界中で毎日のように起き多数の犠牲者が出ている が,美学や芸術(家)はこの問題に何かを発言する必要はないのかどうかを考えてい る。本稿で取り上げることになるスローターダイクやシュリンゲンジーフさらにヴァ イベルによる 9・11 以後のアートの集中討議(2002 年 12 月に約 2 週間ベルリンの国民 劇場で開催された「アタイズムに関する連続ゼミ(講演,討論,翌月開催の舞台アク ション《アタ アタ アートが脱獄している》などは,この世界の常識(美学や芸術
(家)が直接手を出さない問題が 9・11 である)からはずれた少数派の問題提起である ということになるのかも知れない。日本のみならず,ドイツ本国においてその後問題 を継承し,さらに展開させた例は見当たらない。ましてや,ここで扱う舞台アクショ ンの内容を美学でどうフォローできるのかについての研究は,いずれの国においても 皆無である。
は じ め に
まずここでは本稿の論題「9・11 以後の美学の萎縮とそのリハビリ」にみられる研究の 目的に触れなければならないが,その前にこの研究テーマの前提とするところを明らか にしたい。
「9・11」(2001 年 9 月 11 日にアメリカ合衆国内で発生した同時多発テロ)以後のいわ ゆるテロリズムの時代において,美学や芸術(家)にはいったい何ができるのか。テロ が世界中で毎日のように起き多数の犠牲者が出ているなかで,美学や芸術(家)はこの 問題に何かを発言する必要がないのか。ある日本の芸術家によれば,芸術(家)が 9・11 のような社会的事件を直接テーマに選ぶ例は,フランスやアメリカにはほとんど見られ ず,ドイツやオーストリアなどのいわば現代アート後進国に限られるとのことである1)。
なるほど美学や芸術(家)の領域においては,いわゆる社会問題と密着しようという考 え方は少数派であるのかもしれないが,これをどう評価するかは世間が決めることであ る。
本稿で取り上げられるスローターダイク(Peter Sloterdijk 1947-)やシュリンゲンジー フ(Christoph Schlingensief 1960-2010)さらにヴァイベル(Peter Weibel1945-)による 9・11 以後のアートに関するの集中討議(2002 年 12 月に約 2 週間ベルリンの国民劇場で 開催された「アタイズムに関する連続ゼミ(Attaismus-Seminar 02.12 〜 20.12 2002 im Probenraum der Volksbühne)(講演,討論,翌月開催の舞台アクション《アタ アタ アートが脱獄している》などを含む)は,この世界の常識(9・11 は美学や芸術(家)が 直接手を出さない問題である)からはずれた少数派の問題提起であるということになる のかも知れない。筆者がはじめてこのシュリンゲンジーフという芸術家の活動,作品を 知ったのは 2013 年から 14 年にかけてベルリンのKWで開催された個展(KW Institute for Contemporary Art, Berlin)を訪れたときであるが,この芸術家に関するイメージは,
その研究資料を見つけるたびに変貌をとげることになった2)。テロリズムの時代に生きる ほかない我々に対してシュリンゲンジーフは積極的に様々なメッセージを示してくれ る。9・11 以後の突発的に暴力,自爆テロが我々に襲い掛かってくる難しい時代に,その ことを直接的あるいは間接的にテーマにしているようにも思えるアーティストがいたこ と,またこのアーティストと対話し,新作劇を念頭に置いたワークショップに参加する ようなスローターダイクのような美学者が登場していること,これらの事実が筆者にこ の研究に向かわせたのである。この「はじめに」の場をかりて,アクション舞台が我々 にいかなることを伝えようとしているのかを明らかにしておく。というのはそこで言わ れることは,基本的に本研究が考えている美学や芸術(家)が現実の社会の中ではたし 得ることと一致しているからである。ボイカー(Brechtje Beuker)の先行研究「アート とテロ(リズム)の融合と混乱:アタ アタ」(The Fusion and Confusion of Art and Terror
(ism): Atta Atta. In: Christoph Schlingensief: Art Without Borders. Edited by Tara Forrest and Anna Teresa Scheer.2010)(本論文からの引用はFCと略し頁数を本文中に 記す)を引用する形でこの舞台が伝えていることを明らかにする。ボイカーの言葉は我々 が過大な期待を抱いてはいけないことを教えている。「《アタ アタ》が,9・11 の同時テ ロ攻撃についての満足のゆく説明とそれからの道徳的距離を提供することを,予め望ん でしまっている人々は,がっかりして劇場をあとにする」(FC148)。さらにこのアクショ ン舞台のエンディングのシーンは,9・11 以後の芸術には何が言えるかをボイカーはうま
く伝えている。すなわち「最後のシーンにおいて,シュリンゲンジーフは,アーティス トの配役を,毎夜絶えることなく語り手として役割を果たし続けることで遂に無実の刑 の執行から逃れたシェヘラザードのそれと比べている。この伝統の中で,彼は,アート が死のディスクールに対するもう一つの選択としての潜在性をもつことを探求し続ける べきことを示唆する」と。舞台アクションからではないが,シュリンゲンジーフは,2002 年 12 月 2 日から 20 日におこなわれた「アタイズム・ゼミナール」でのスローターダイ クのトーク「ショック・マネージメントのショック」3)の際に議論に参加し,興味がある のは 9・11 を映画でやることだとし,次のように述べている4)。
あのツインタワーは,ただ映画的要素として面白いにすぎない。誰かがこの高層ビ ルへ突っ込んで行く,なんてことだ,ナビゲーションが終わってしまい,もう人間 も機械も役立たなくなってしまう事故。そしてそれから機関車が私に向かって突撃 してくるのを突然見るための時間が 15 分あって―この間がそれを学習しておく過程 になる。突然ドンと二度目の音がする。さらにこの瞬間に,私はそれがパフォーマ ンス・アートであったことを認識するにいたる。このことがそれについての興味を 私に持たせたのです。
以上は,本論で考察対象になる講演等のテクストの簡単な紹介である。
本論は次の 1 から 3 の章からなる。
本論の 1 で,9・11 以後の美学が萎縮している現状を素描するが,その際に参照するの がベルリン国民劇場での連続講演会「アタイズム・ゼミナール」の報告本,カール・ヘー ゲマン編『アートの脱獄』(“Ausbruch der Kunst”, Carl Hegemann(Hg.)2003)(本書 からの引用はAKと略し頁数を本文中に記す)である。この一連のゼミでの講演者の中 で,別格的存在のスローターダイクが自らトークの夕べで(現在の本に載っているタイ トルとは少し変更しておくが)5),ビヨンド・ザ・(以下,反と略語)「ショック・マネー ジメント」論を彼は展開して,友人で芸術家兼美学者ヴァイベルらのアヴァンギャルド 論で 9・11 以後のテロリズム時代の芸術を説明する主張を批判している。「ショック・マ ネージメント」(小ブッシュ政権が 9・11 をきっかけにして大衆に恐怖を煽り立て,報復 政策としてテロとの戦争を始め,大衆を誘導する政策をそう呼び表し,それに対抗する には,ヴァイベルらのアタイズム(=アヴァンギャルド)論の主張は無力とみなした)に
すべてを詰め込むやり方についてスローターダイクは「もううんざり」している。そも そもこのゼミの「アタイズム」(貿易センターに航空機による自爆テロを仕掛けたテロリ ストの名前モハメド・アタから取られた造語)という呼び名であるが,そこにはアタら のテロの犯人のやった自爆行為を,アヴァンギャルドの「ショック効果」になぞらえる ことが前提になっている。「アタイズム」は「ダダイズム」から,シュリンゲンジーフの 舞台名の《アタ アタ》は「ダダ」から採られた洒落のようなものである。
本稿はまずアタらのテロを「アタイズム」として論じるヴァイベルのやり方をこの萎 縮の例として取り上げることになる。この萎縮は単純な説明で済むが,スローターダイ ク自身にもこれが見出されるのではないかというのが本稿の立場である。スローターダ イクは,何をもって米国政府の「テロとの戦争」を国民に扇動する「ショック・マネー ジメント」に対抗するのか,また何をもってヴァイベルのアヴァンギャルドと「アタイ ズム」を同一視するやり方に対抗するのかに明確な答えが見られない。苦しまぎれとし か筆者には思えないやり方で,思想家が 2 年前の《ウィーン・アクション》でのシュリ ンゲンジーフとの対話をおこなった際の論法が再度使われる。ヨーゼフ・ボイスのあの 概念と言明とを使って,このテロリズムの時代に芸術(家)そして美学には何ができる のかの問題をやり過ごそうとしているように思える。ボイスは戦後ドイツで 70 年代に芸 術の近代が終わったことを三組の概念「拡大された芸術概念」「社会彫塑」「人は誰もが 芸術家である」を用いて教えた(Beuysnobiscum: eine kleine Enzyklopädie / hrsg. Von Harald Szeemann, S.286, 1997)。そうであるとしてもこの事とその後のポストモダン的 状況にもそれがそのまま,あるいは多少の手直しをして使えるかは全く別の話である。ま してや 2001 年 9・11 以後,テロリズムの時代状況はまたさらに著しく変わっているはず である。筆者は三組のボイスの概念では,この社会と芸術の内部にテロリズムが入り込 んできている現在の時代状況に適切に対応し切れないとの立場に立っている。
本論の 2 は,インテルメッツオーと称されるべきパートで,シュリンゲンジーフが,連 続ゼミで「ペーター・ナダらとの対話」(2002 年 12 月 4 日)の中で飛び出した翌年 1 月 の自らの新作舞台(《アタ アタ アートが脱獄している》舞台アクション(初日公演)2003 年 1 月 23 日)のコンセプト予告をおこなっているが,これを紹介して次章での「文化交 換」での一方の極である彼の新作の解釈につないで行く。
本論の 3 で論じるのは,この 9・11 以後の萎縮した美学をいかにしてリハビリするか の問題であり,具体的な事例を挙げてこの問題解決の方策を示す。スローターダイクの 論の方には,いつまでも,またどの問題に対しても,ボイス概念が有効であるかのよう
な信頼感があるようである。筆者はそれを概念の誤用だと考えており,それによって彼 の論の萎縮が起こり,大きな欠損箇所ができてしまっていることを明らかにする。この スローターダイクのテロリズムの時代における芸術(家)と美学の可能性を問う作業に 生まれた思索の穴を埋める作業を,筆者は「文化交換」の美学的方法を用いて行う。「文 化交換」とは筆者独自の美学的方法であり,ここで交換される二つの文化・芸術の現象
(とそれを支える文脈)が,今回初紹介されるベルリンでのスローターダイクの反「ショッ ク・マネージメント」論(2002 年 12 月)のテクストと,シュリンゲンジーフの舞台アク ション《アタ アタ》(2003 年 1 月)の芝居がかった諸々のテロ表象に相当する。この二 つの文化・芸術の現象とそれを支える理論的文脈の間で「文化交換」が行われるために は通常両者を媒介する美学的概念,美学的共通項がなくてはならない。それがスローター ダイクによれば「リアル界」である。それは近代の三種類の感覚(美の満足,崇高の感 覚,アヴァンギャルドのショック感覚)とは全く次元の異なるものであるという。スロー ターダイクによれば,「リアル界」は,これらの三種の近代芸術と(上り下りの両車線を もった)道路で対面通行するはずのものである。だが,そのような交通マップはまだ存 在しないと思想家はもらしている。劇作家の新作の舞台でアクションとして演じられた
「リアル界」の諸表象の助けを借りて「文化交換」を行い,未だ世に現れたことのないこ のマップの見取り図を描く。
1 9・11 以後の美学の萎縮
本章の冒頭で,9・11 以後のテロリズム時代にヴァイベルとスローターダイクの二人に,
美学の分野で一種の萎縮―それはアメリカの斎藤ゆり子の『日常の美学Everyday Aesthetics』に起こっている「テロリストの用いる「汚染」爆弾Terroristsʼ use of “dirty”
bombs」p.163 や「きれいな選挙」の例に見られるような既存の国家的政治システムに美 学が迎合するがごとき「萎縮」とは種類の違うものであるが―が起こっていることを明 らかにしておく。
ここで図 1 を使って美学の萎縮を説明する。ここにはベルリンで開催されたアタイズ ム連続ゼミで開催された三つの講演ないしはそこでの発言が,左から時代順に並べられ ている。左が 2002 年 12 月 4 日の,連続ゼミ中一番古く,Waffen der Kunst(アートと いう武器)と題されたPéter Nádas とFrank-Patrick Steckelの対話の中で飛び出した シュリンゲンジーフの新作予告発言,中央が 2002 年 12 月 6 日のスローターダイクの反
「ショックマネージメント」講演,右が 12 月 11 日のヴァイベルのぶっつけ本番講義「ア タイズムの原則」である。まずこれらの図式からヴァイベルの講義を取り上げ,そこで 起こっている美学の萎縮を取り上げる。土台の部分にはアヴァンギャルド(ダダ的パ フォーマンス)の美学があるが,ヴァイベルは今日のテロリズムの時代においてもこれ が基礎になり,アタイズムのパフォーマンスが支えられるとしている。
1.1 ヴァイベルの「アタイズム」論の萎縮
ペーター・ヴァイベルは,「アタイズム・ゼミナール」(図 2 参照)という数名の講師 によるリレー形式で行われた連続ゼミ(2002 年 12 月)に,「アタイズムの原則(Grundlagen des Attaismus)」のぶっつけ本番の講演で寄与している。翌年にはこの企画の報告集が 単行本として出版されている。そのタイトル「アートの脱獄(Ausbruch der Kunst)」は,
シュリンゲンジーフの新作アクション劇《アタ アタ アートが脱獄している》2003 年に も使用されているが,ヴァイベルの講演にはその意味に触れた箇所がある(注 5)。
「アートの脱獄(Ausbruch der Kunst)」ということが言われたのは 60 年代である。
ここで言われているのは例の絵(Bild)からの脱獄である。それは三歩で行われる。
すなわち最初人々はカンヴァス上でアクションを行った。これが有名なアクション
図 1 「アタイズム・ゼミナール」(於 ベルリン国民劇場)から取り上げられる三言説(講演・発言)
出典:筆者作成
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ペインティングである。その場には既にあの身体が目に見えていた。
ヴァイベルによれば,このプロセスに成立するのがパフォーマンスであり,それは三 段階において行われるとしている。彼の主張は,1960 年代にパフォーマンスによって既 にはじまっていた「アートの脱獄」が今日の「アタイズム」と合体するという見通しの もとにある。ヴァイベルをはじめとして「アタイズム」の諸講演は,2003 年 1 月のシュ リンゲンジーフの新作公演(於 ベルリン国民劇場大ホール)《アタ アタ アートが脱獄 している》制作のためのワークショップとしての,さらにこの作品の現代芸術史の中で の文脈作りとして位置づけることができる。ヴァイベルはアヴァンギャルドが誕生する 20 世紀の現代史を念頭に,芸術が「額縁」(ジンメル)から,カンヴァスの平面から脱獄 するプロセスを追う。脱獄の一歩目は,ペインティングがカンヴァス上のみならず,そ の前でアクションをおこなう人体上で行われる。
人がカンヴァスの前で一種のアクションを行ない,(ウィーン・アクション派の)ブ ルス(Brus)やその他の人のように,絵の具で殴り描きを行った。すなわち人はそ のカンヴァスに白色を塗り,とにかくカンヴァスは単色に塗られ,人自身に白色を 塗った。次にその上に,カンヴァス上にはじまり身体の上に至る黒色の一筆が入る。
図 2 6 回のリレー形式で行われた連続ゼミ(2002 年 12 月)とスローターダイク講演時の会場光景
中央の写真の出典:www.schlingensief.com/projekt.php?id=t039
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人がその絵の部分となった。(GA108)
二歩目は「絵からの脱獄」(GA109)であり,「カンヴァスなきアクション,身体だけ を使うアクション」(GA108)である。
それは手を使って,生殖器を使ってできるものだ。そしてその際人がなお生殖器官 の使用機能を採り入れることができた。もし私がデュシャンを持ち出すならば,こ のように言える。「私は単に便器を展示することができるのみならず,私は小便する こともできる。私は単にマンゾーニ作の缶に詰められた芸術家の糞を展示すること ができるのみならず,私はその行動をも遂行することもでき,私は糞をすることが できる」のであり,ゲルハルト・リューム(Gerhard Rühm)とともに「糞をする ことと小便をすることは小文字のアート(クンステンkunsten)である」と。(GA108)
ヴァイベルは,この第二歩目で,便器などの制作物やそのプロセスでの行為が社会に よって芸術として認められるかどうかが問題になると指摘する。社会は制作物を芸術と して認めるが,そのプロセスや行為を芸術作品とは認めないといわれる。ヴァイベルに よれば制作物のみならず,そのプロセスや行為を芸術作品として認め全芸術生産に内包 される矛盾が解決されるならば,アタイズムの可能性も認められるはずだが,まだそう はなっていない(GA109)。そしてこの第二歩目がウィーン・アクショニストによって選 ばれた「脱獄の試み」であるとするが,それは,
絵画的戦略の他のメディアへの,つまり絵のメディアから身体のメディアへの一つ の書き換えでしかなかったという命題がふさわしいならば―残念ながら芸術を終焉 させてはいないのであり,人々は再び絵を描くことに帰っている。ブルスとニッチュ は今日再び以前と同様に絵を描いている。(GA109)
だが次の第三歩目のアートの脱獄がどのようなパフォーマンスであるのかが,そして それがアタイズムと結びつく決定的な箇所が明らかにされていない。9・11 のテロでは,
白昼堂々と犯罪が行われた。そもそも「犯罪は暗闇で起こる」ものであった。「目に見え ないものだけが危険を仲介する」。そこに居合わせているものが目に見えるのであり,目 に見えるものが安全性を保証するものであった(GA111)。ところが 9・11 でテロリスト
達がとった戦法はそれとは全く違うものであった。
我々は,白昼であっても最大の不安定さを造り出すものが,全てのテレビ受像機に 完全にその中が透けて見えるようにして起こり得ることを見たのである。9・11 では 攻撃は夜に霧の中で行われたのではなく,むしろそれは日の光を浴びる中で行われ た。目に見えることはもはや全く安全性を保証しない。反対に,我々の生きるメディ ア社会ではこれまで言われてきたこととの逆が通用する。言葉は,公的であればあ るほど,そして目に見えれば見えるほど,それだけそれは一層危険になる。メディ ア社会は,公的であればあるほど,目に見えれば見えるほど,なお一層攻撃は危険 になり得る。(GA112)
ヴァイベルはアタたちがとった戦法を見事に浮かび上がらせ,目に見えるものであれ ばあるだけ攻撃の危険性が増すという点に注目し,アタが自爆テロでとった戦略の中に イズムを認める。この目の付け所がヴァイベルのユニークなところである。ところが彼 のいう第三歩目の「アートの脱獄」は,このアタのテロとどう関連するのかに考察が及 んでいない。この第三の歩みでは何が何から脱獄するのか,ヴィーン・アクショニスト でもボイスでもよいのだが,アタイズムは彼らのアクションとどのような関係を持つの かが明確でない。ただ単に可視化をアタたちが狙っているとしか述べられていないとい うのが実際のところである。さらに言えば,このテロリストのメディアを広報手段にし た自爆攻撃の戦略が「アタイズム」というイズムが付いた時,いかなる問題が生じるの かも大事なところである。
それ(アタイズム)があたかもほんの少しだけで仕上がる一個の完全に明瞭なコン セプトであるように,これ以上の議論は必要がないかのように,君(ヴァイベル)は アタイズムの中にどっぷりつかっている。我々にとっては,このような議論つまり あるイズム一般がたとえそれが極めて当然のように機能しているとしても適切かど うかは既に議論の対象である。ペーター・ヴァイベルは「アタイズム」の語を彼の 講演の 10 分前に初めて聞いていて,・・・(GA119)
この連続ゼミの他の参加者たちは,ヴァイベルがいとも簡単にアタイズムというイズ ムを確定していることに対して,次のような要望を出す。「あなたは(アタのテロのやり
方をイズムに凝縮させた)アタイズムの中にどっぷりつかっている」(GA119)が,その 中にはまり込むのではなく,この脱獄するアートとアタイズムという畑違いの物同士を どうかかわらせるのかをヴァイベル自らここで舞台に立って演じてほしいというのであ る。
この講演の間,一時間あなたはアタイストです。それなら私に,何でも簡単な筋書 きでよいので,そのアタイストが舞台に 100 分いたなら,何をすることになってい るのかを,教えていただけませんか。(GA120)
周囲からヴァイベルに要請されているアタイストの舞台は言うまでもなく本来 2002 年 12 月のアタイズム・ゼミの翌年 2003 年 1 月にシュリンゲンジーフの新作の中で試みられる はずである。舞台監督が本業のシュリンゲンジーフの代わりに舞台でアタイストを演じ てみてくれとむちゃな要求がヴァイベルに出されたわけである。そう乞われてここで ヴァイベルが行った発言はしばしば彼の立場を紹介する際に使われるものである。
アタイズムは前の時代のアヴァンギャルドが残しておいた全可能性の総計である。
(GA120)
ボイカーの先行研究では,この引用の箇所でヴァイベルの立場が説明されている。こ の論文は,1 月のシュリンゲンジーフの新作舞台作品《アタ アタ アートが脱獄してい る》をダイレクトに扱った極めて貴重で重要な研究資料である。しかしボイカーは,す かさずこの問題つまりアタイズムとアヴァンギャルドをイコールで結ぶヴァイベルとは シュリンゲンジーフが見解を異にすることを読者に知らせる。シュリンゲンジーフによ れば,「アヴァンギャルドは私の意図は私が死んだ後に大衆に分かる」という立場である。
アヴァンギャルドのように最後に「君たちは私の死後,起こったことを体験するで しょう」と叫ばなければならないのでしょうか。(SM72)
アタイスト役でヴァイベルが 100 分間舞台上で筋書きを話す部分にも,アヴァンギャ ルドの言ったような「私の死後,起こったことを体験するでしょう」では,「アタイズム」
や《アタ アタ》の舞台アクションは明らかに空疎なものになると考えられる。
そのあと周囲から言われるがままヴァイベルが「舞台」上語ったことであるが賛同す べき部分がないわけではない。アタイズムでは人々は「通常の自然科学者のように」「リ アルワールド」(いつわりのない現実界)を「二倍,三倍にする」ことを目的とするとい う記述である。ヴァイベルによれば,アタイズムでは人々には,バーチャルな模造(仮 想の似姿?)die virtuelle Abbildungは必要ないということなのであるが,自然科学者と 類似した人であれば言うまでもないことである。アタイストは,芸術家のように現実と は異なる複製品の世界(パラレルワールド)を提供することはなく,「リアルワールド」
を何重にも発展させる。(GA120)
1.2 スローターダイクの「ショック・マネージメント」論での美学の萎縮
一方,筆者のいうスローターダイクの美学の中で起こっている萎縮には,一筋縄では 行かない問題が含まれている。シュトックハウゼンはこう語った。「そこで起こったこと は何かと言えば,それは・・今までに存在した中で最大の芸術作品である」(SM58)。シュ トックハウゼンの,あくまで芸術家の立場から,アタたちに嫉妬する立場は,一つのや り方として筋が通っているとスローターダイクは言うのである。
彼(シュトックハウゼン)は,この件で彼自身が芸術家気質を持っていることをも のの見事に証明している。なぜなら彼はこの事件に対して猛烈な嫉妬を示すのであ るが,この嫉妬を示すやり方こそ一人の芸術家である彼にとって可能な唯一正当な 反応であったからである。(SM58)
しかしスローターダイクによれば,アヴァンギャルドもそういう暴力でもって世間の 注目を集めることを実際に考えていたとすると,彼らにできることを数倍,数十倍,数 百倍越える規模でアタたちはやったということになるから,それを争っても何もならな い。もちろん必要以上に大手マスメディアがアタたちの犯した事件を報道し,9・11 をア メリカ政府がやったような大衆をテロへの報復の道に誘い込むやり方に対抗するにはど うしたらよいのかと,スローターダイクは考えるのである。ここで,あのグローバルな 規模でニュースを繰り返すやり方,スペクタクルな映像を見せて我々の意識にテロリズ ムへの憎しみを植えつけるやり方に対抗するには,スローターダイクは次のやり方しか ないという。
シュトックハウゼンが行ったのと同じ(9・11 に対する)少数派の二番目の反応があ る。それは一つの戦略ではあるが,それは残念ながらはじまる前から既に完全に打 ち負かされている。私の現実的戦略は,幸いにも「子供たちは無事だった」という ものである。普通なら「南ドイツ新聞」最終頁の 6 行告知欄に「旅客機が塔に激突,
かなり大きな物的並びに人的損害がでた」と記事が掲載される程度で,それ以上の ことは何も起こらなかったということである。(SM58-59)
このスローターダイク自身の戦略は実現しなかったとされているが,芸術家の側から の 9・11 問題への有効な手立てはこうだというアイデアも彼からは出されていない。こ の打開策が見出せないという状況は,スローターダイクにおいては 2 年前からさほど変 わってはいない。彼はシュリンゲンジーフと 2000 年の《ウィーン・コンテナアクション》
で対話を行い,ウィーンではこの芸術家のアクションでの問題の提起を,アヴァンギャ ルドの表現の自由がどこまで認められるか,大衆に理解されるか,の次元におとしめら れていることに,不満の意を表明している。(P.S.はペーター・スローターダイクの略称)
P.S.:一般にドイツにおいてアヴァンギャルドの伝統を明確に守る特定の芸術家の歩 む一本道を見出し,前衛主義を継続せよという要求に対してもっと激しく反発して おいたら,もっと前衛主義の終焉の議論も行われ,ここでの議論も私にとって興味 を持たせるものだったに違いがないのだけれど,そうはいかなかった。
司会:そのようにこの議論がオーストリーにおいては行われませんでした。この国 で行われた議論は,一般に芸術の自由に関するものです。
スローターダイクによれば,実情はドイツでも同じで,いつまでたってもアヴァンギャ ルドは終焉しないままで,新たな時代と社会状況における芸術(家)をどう理解するか は一向に議論されてはこなかった。このオーストリーとドイツのアヴァンギャルドに関 する時代遅れな認識が如実に現れているのが,芸術の「ショック効果」問題であると彼 は考えている。それゆえ,例えばこの対談のオーストリー人司会者がシュリンゲンジー フの大衆に対する「ショック効果」の与え方であるかのようなもの言いに,彼は割って 入らざるをえなかったのである。我々はここでスローターダイクの美学的思考に一種の
「萎縮」が起っている(その原因はおおむねボイス概念が誤用されていることにあるとの 見解を筆者は持っている)点に論述の焦点を合わせることになる。この点を念頭に置き
つつ,《ウィーン・コンテナアクション》についての対談の中盤の一場面に分け入ること にする。
司会者によるシュリンゲンジーフのウィーンでのアクションを一般的なアヴァンギャ ルド並みの「ショック効果」を狙ったものか,という問いかけに対して答える立場では ないにもかかわらず,スローターダイクは司会と芸術家の間に割って入り,それはむし ろ大衆を興奮の状態に置こうとしているとの主張を展開する。
司会:シュリンゲンジーフさん,あなたは一体そのようなプロジェクトのショック 効果がどこからきたのだと思いますか。
P.S.:ここでショック効果(Schockwirkung)という言い方が正しい描写なのかどう か私には保証の限りではありません。
司会:興奮状態を引き起こすとか。
P.S.:ええ,思うにそれよりむしろ人々は興奮(Erregungen)の状態にあったと言 うべきでしょう。というのはショックの時代は過ぎ去っているからです。アヴァン ギャルドが驚かせること(びっくりさせること)でもって活動を行う,あるいは準 備のできていない神経系に対する直接攻撃でもって活動を行ったような時代は終 わった。こういうことです。
ここでのスローターダイクの主張は「興奮」という大衆自身をその状態に陥らせてし まう感覚状態と「ショック効果」の大衆を芸術家が突き放すために用いられる手法とを 区別しようというものである。さらに後者はアヴァンギャルドの手法とみなされ,前者 はアヴァンギャルド以後のそれとみなされてよいであろう。しかし問題が未解決のまま で残る。これらの選択肢にボイスをどう組み入れるかである。
以下の①〜③において具体的にスローターダイクの美学の萎縮を記述する。
①スローターダイクがシュリンゲンジーフの 2000 年の《ウィーン・コンテナアクション》
と彼自身の 2002 年の反「ショック・マネージメント」講演とにおいて,ボイスの「拡大 された芸術概念」をどのような文脈で解釈に用いたか,そして最終的に彼の美学的思考 を「萎縮」させるようになったのかを確認しておく。
筆者がボイスを選択肢に組み入れる際の懸念することは,スローターダイクによれば,
ボイスはアヴァンギャルド以後の芸術家とみなされているが,筆者のみならず一般に,彼
はアヴァンギャルドの一員であると考えられている点である。
ウィーンでの対談で判明したオーストリーのこの時代錯誤的状況に対して,彼の出し た答えは,筆者によればこれも同様に時代遅れと言わざるを得ないボイスの芸術概念に 頼ってアヴァンギャルドを超えようというものであった。
P.S.:それは誤った議論です。まさに芸術の自由に関する議論には前提があり,前衛 の歴史が終焉したこと,我々が前衛主義的な基本活動を繰り返すことをやめてし まったこと,すなわち,我々がリアリティーの一部を「拡大された芸術概念」の中 へ統合していることがその前提に他ならないのです。
このようなアヴァンギャルド以後の芸術が基づくべきものがボイスの「拡大された芸 術概念」であるというスローターダイクの確信は,二年後の 2002 年の反「ショック・マ ネージメント」講演においても変わりはない(ここで講演の対象となっているのが,ア タらの 9・11 テロと翌年一月に舞台上演予定の《アタ アタ アートが脱獄している》で ある)。この講演の中で《ウィーン・コンテナアクション》を再び取り上げる際に彼はボ イス概念を用いている。不思議なことは,現地のウィーン市当局が物議をかもすこのア クションを強引に芸術作品の「額」縁の中に閉じ込めようとしたのに対して,スローター ダイクが直接ボイスの「拡大された芸術概念」の名前を出ている箇所である。
Josef Bierbichler:額縁は後になって初めて知られるということを,シュリンゲン ジーフは当然のことですがウィーンにおいて,あのコンテナ・アクションをやって 達成している。市は,反応しなければならず,次に市は,「ここでは芸術が問題になっ ています」とのプラカードを現場に掲げることで,全体を彼らの額縁の中に押し込 めている。初日にはプラカードはまだなかった。しかしその後,市は災いを跳ね除 けるために,その全体を芸術作品であると説明している。それがここで問題になっ ている,後になって額縁が付与される実例であるとは言えないであろうか。
PS:その話全体で核となっているのは,次の点です。演劇がまさにボイスの拡大さ れた芸術概念のように,そうでなかったらインスタレーションのとてつもなく破壊 的な活動のコンセプトのように役立っているということだ。(SM70)
筆者が思うに,このボイスの「拡大された芸術概念」の考え方に固執してもいつまで
たってもスローターダイク自身の望む,例えば「興奮」によるシュリンゲンジーフのア クション解釈にはたどり着けない。それどころか,それとは反対の方向つまり近代の芸 術家像に基づいて後者を解釈する危険性があるのである。例えとして「拡大された芸術 概念」に基づいたボイスの政治アクション《掃き出す(Ausfegen)》(1972 年)を取り挙 げるならば,すぐにシュリンゲンジーフの《ウィーン・コンテナアクション》2000 年と の両極端の問題の解決の仕方が判明する。
政治的イデオロギーは,ボイスの場合,人間の精神の自由と創造性を阻害してしまう ものとされている。このアクション《掃き出す》は,旧東独労働者によるメーデーのデ モの行われれた道路には「プロレタリアート独裁」のスローガンの書かれたビラが捨て られていて,それをボイスが掃除するという内容のものである。このようなボイスの行 為までもが彼の「拡大された芸術概念」に基づいたアクションとして認められているの であるが,しかしここでボイスがデモ行進している労働者に求めるものは「プロレタリ アート独裁」の実現ではなくむしろそれとは真逆の精神の自由であり,創造性なのであ り,つまり近代の典型的芸術家像なのである。一方,シュリンゲンジーフのウィーン国 立歌劇場前広場のコンテナ・アクションの現場で,この野外劇的アクションの拡声器を 通じて彼は,極右のFPÖ(オーストリー自由党)党首ハイザーが連邦選挙で行った選挙 公約(「外国人よ,出て行け!」)をそのまま使って観衆を再びそそのかす(ふりをする)
のである。前年にこの公約で極右政党が彼らをそそのかし,保守と連立内閣を組んだと いう結果をもたらしたというはっきりした記憶が人々には残っている。ある観衆たちは 再びそそのかされてしまい,あるいは,ある観衆たちはもうそのそそのかしには二度と 乗らないという固い決意をもってこのアクションに抗議の声を挙げて行動を起こす。
シュリンゲンジーフのアクションが観衆をこのようにして「興奮」させることを,スロー ターダイクは司会者たちのアヴァンギャルドたちの使う常套手段の「ショック効果」に 代えて,独自の解釈の出発点としたとする。この点を筆者は高く評価するものであるが,
ボイスの「拡大された芸術概念」を使うのではない方法を用いてその解釈を展開しなけ ればならないだろう。
②では,2002 年のスローターダイクの反「ショック」講演からの話題で「自由空間」,
「創造性」,「小さな変化」,「小さな置き換え」等の諸概念が,ボイスに由来するものであ り,「拡大された芸術概念」の筆者のいう近代芸術家の理想に沿う範囲にとどまるもので あることが指摘される。
「自由空間」に関して
PS:我々は何らかのやりかたで自由空間に留まるよう試みなければやらない。さも なければ我々は容赦なく計略的な遊戯の中で焼け焦げてしまう。(SM75)
また「創造性」「小さな変化」に関して
PS:人々が,川と泉の両方のイメージをいっしょに結合するとすぐに,人々は次の ような唯一の場所,つまりそこでは一般に創造性のようなものが可能である唯一の 場所に存在するからである。ここで創造性が意味するのは,人々が自らの髪の毛を むしり,狂乱した運動を行うことではなく,むしろ人々が,あるはるか昔の継続の 中において実に小さな諸変化を引き起こすことなのである。
JB:全ての俳優に代わって!
PS:それは実に小さな置き換えです。(SM86)
突然,スローターダイクがこれらの用語を使っているが,筆者は,窮余の一策として 彼がボイスの「ひとはだれもが芸術家」(どのようなひとも精神の自由と創造性が発揮す るよう要請する)に助けを求めたのではないかと推測する。筆者にとって,この「人の 精神の自由と創造性」で意味されるのは「近代の芸術家」の特色に他ならない。
③では「アタイズム・ゼミ」で,スローターダイクが,アタやビン・ラディンを「メ ディア・アーティスト」になぞらえている点を取り上げる。これはボイス理論による彼 の美学の萎縮とは表面的には無関係のようにも見えるであろうが,このことを十分承知 の上での考察としたい。
アタ,ビン・ラディンらのような人物をメディア・アーティストと言い表すことこそ,
我々が,そこで見たシーンに対して,(合衆国政府のやりかたのような)全体主義的な心 理で戦争に賛成するのか,それともテロリズムの側に味方するのかの選択肢の中でしか 解釈ができないような状態から人々を解放するやり方である,とスローターダイクは考 える。彼は,我々がこの 9・11 の事件の場面をこの二者択一の捉え方のもとで判断する ように留め置かれていたといわれる監禁状態から抜け出す可能性のひとつがそのやり方 だとしたのである。
ビン・ラディンはメディア・アーティストであり,アタはメディア・アーティスト であり,生粋のハンブルク育ちの青年達,このサウジアラビア人の乗っ取り犯はメ
ディア・アーティストである。(SM64-65)
ところでなぜ筆者はこれをスローターダイクの美学がボイス概念によって萎縮した事 例だと考えるのか。このスローターダイクの二度目の企画(一度目は反「ショック効果」,
この二度目は反「ショック・マネージメント」で答えようとした)では,連続ゼミの 2002 年 12 月当時には翼年 1 月の新作公演《アタ アタ》の全貌は誰にも明かされておらず,テ ロリズム時代の芸術(家)の例として唯一出された実例が「メディア・アーティストと してのアタ,ビン・ラディン」なのである。しかし筆者が知りたいのは,いかなる文脈 でそのように述べられるのか。ここでこの「メディア・アーティストとしてのアタ」を スローターダイクの美学の萎縮考察のラインナップに加えたい。
ここまで論を続けてきたからには,次のような解釈についてはおおよそ予測がつくと 思う。実は筆者は,あのボイスの「ひとはだれもが芸術家である」をこの場でテロリス ト達にも適用することに戸惑いを感じている。この言明の連鎖的な展開が適切かどうか は,ボイカーによれば,検査を受けなければならない。この連鎖的展開の検査をする役 割を果たすのがシュリンゲンジーフである。
もし人は誰もが芸術家であり,そしてテロリストは人であるなら,テロリストは芸 術家であるということになるが,それは社会的リアリティーを創造的に組み立てる 彼/彼女の能力が否定され得ないからであるが,この創造的ポテンシャルを表現す るために選ぶそのやり方に関しては批判され得る人である。(FC145)
ボイカーによれば,ボイスの「ひとはだれもが芸術家である」の言明に,9・11 のテロ リストは芸術家であったというシュトックハウゼンの断言を相互交換することによっ て,恐るべき三段論法が生まれる。「もしテロリストがアーティストであり,人は誰もが 芸術家であるならば,人は誰もがテロリストであるというもう一つ別の欠陥のある三段 論法に通じる」と。スローターダイクはボイスの言明の連鎖的展開「9・11 のアタはメ ディア・アーティストである」を許す。ボイカーによれば,シュリンゲンジーフはこの ボイスの論法にくみすることはなく,その後の連鎖的展開にも関係しない。(FC145)
スローターダイクの『球体論Ⅲ』の中には,今日のメディア・アーティストとしての アタに幾分関わると思われる文脈がある。ここでもスローターダイクは,ボイスの「拡 大された芸術概念」と同様の概念構成が行われたと考えられる。彼のいう「日常の美学
(Ästhetik des Alltages)」(SⅢ 848)は,表面的にはボイスと言うより米国の斎藤のそれ と近いのかも,またオランダ神秘主義(少なくとも 17 世紀までさかのぼることのできる マイホーム主義的それ)にその先駆が見出される 20 世紀の発明物と言えるのかもしれな い。筆者はスローターダイクのいう「日常の美学」がどのようにして生まれるのかとい う点については承知しており,彼によれば豊かな社会における「奢侈Luxus(ラグジュ アリー)」に「静けさ,簡素化,純粋感情化の秩序」が加わることで生まれた価値がそれ を作り出したとされている。しかしスローターダイクは,この両極端の価値を共有する ことにベンヤミンの複製技術の時代の特徴があるなら,メディア・アーティスト,メディ ア理論家は「拡大された美学」の所属メンバーであると解することができるとする。こ のマイホーム,マスカルチャーさらにメディア・アートに拡大する概念構成のやり方は ボイスのそれを真似たものではないだろうか。
2 インテルメッツォー シュリンゲンジーフの新作公演予告
先に挙げた図 1 上には左側の図式が説明されずに残っている。ここでシュリンゲンジー フは 2003 年 1 月の新作アクション舞台の予告を行っているが,それは彼のボイスからの 独立宣言と呼び得るものである。このシュリンゲンジーフの宣言文をここに掲げる。
さあここで「アタ アタ―アートが脱獄している」を作ろうじゃないか。もうそろそ ろこの劇作品のことがみなさんの聞ける時期です。この作品名はシュトックハウゼ ンやダミエン・ヒルシュや当然 9・11 を連想させます。アートという武器とは何か。
ここでブニュエルからの引用を行いましょう。「私は理論的テロリストであって・・
このテロリズムが現実の中に入り込んでいる」と彼は 20 年前に,それは彼の死の二 年前のことになるが,述べている。我々は今やそれが現実の中に入り込み,それが 永続する時代に生きている。私が今気になっているのは,それをプログラム帳に書 き込む脚本家のポリティーク,あるいは彼のプログラムをそれに従って立てるディ レクターのそれでさえなく,むしろこのような劇場にやって来たり,あるいはその 本を読んだりできるこのようなミニ個人なのですが,決定的なのは,彼らが自分だ けで片を付けられるものが何であるのかということです。私は,「人は誰もが芸術家 である」というボイスの「芸術=資本」概念に与するつもりもない。それは私には 余りにも曖昧模糊としている(zu schwammig)。私は,芸術が本来,外的なものが
内的なものすなわちここでは演劇と出会うまさにその瞬間において,それゆえまさ にそれ(演劇)が濁る(dunkel)ところで,起こるのではないかということを問い たい。
だからこの《アタ アタ》では何が問題なのかというと,裏切り(Verrat)―私は君 を助けてあげられないが,それはなぜなのかを調べる覚悟ができている―を思い付 くことです。それにはどんな意味があるかというと,私には,私自身への裏切りの 覚悟ができていて,それを通じて舞台の上演が行われるということです。(CH21-22)
シュリンゲンジーフは新作の舞台アクションのためにボイスの「人は誰もが芸術家で ある」は「余りにも曖昧模糊としている」ために使えないというのである。筆者がシュ リンゲンジーフの新作内容を吟味する際,また本稿でこれから準備される課題を捜す際,
ボイカーの先行研究に示唆を受ける部分が多かったが,この劇作家がボイスからの独立 を念頭に置いて新作《アタ アタ》を構想している点には全く触れられてはいない。筆者 は一旦図 1 の三つの図式を描いた際に,連続ゼミの初回に飛び出したシュリンゲンジー フの新作予告の存在が,新作完成への最重要ステップになったという予測を立てた。こ のボイスからの独立宣言では,この《アタ アタ》のコンセプトのアウトラインが「私に は,私自身への裏切りを覚悟することができている」の部分に明かされているという確 信を持ったが,その基本コンセプトが実現されていると実感させたのが,ワーグナーの オペラ(注 9)の指揮のシーンから一転してイスラム文化圏に身を投じるシーンである
(ペルシャ絨毯が壁に掛かった部屋にはかつて付き合っていた仲のインゲがいる)。これ で過去のシュリンゲンジーフがアタの側にいる人間を演じることになる。
映画製作者としてのシュリンゲンジーフの仕事に対して,オペラ監督としての彼の デビューに対して,そして彼の両親は彼らの息子の仕事が気に入らなかったことに 対して,諸々の言葉での並びに演技的言及は,ブルジョワ的家庭生活から逃れよう というこの芸術家の苦闘を一人のテロリストになろうという欲求と関連付けている
(FC143)
この読みはいわばシュリンゲンジーフの「自意識の芝居じみた過度な身振り(an exaggerated gesture of self-conscious theatricality)」(FC147)の系列から出たものであ ろう。家庭内での両親との不和,ブルジョワ的家庭生活から逃れようとこの芸術家が苦
闘したというストーリーもこれと同じ系列から出たと考えてよいであろう。しかし筆者 はこのシュリンゲンジーフの公演にとって連続ゼミはこの新作のためのいわばワーク ショップのような役割を果たしたのではないかとするものである。もちろん筆者が既に その重要性を認めている舞台監督自身の新作予告から直接,公演実現へと向かうプロセ スを最短距離で考える系列も考えられるが,それとは相反する系列,それをワークショッ プのプロセスそのものが公演の内容となっているとする連続ゼミを経由する系列と呼ぶ ことにしたい。実際のウィーン・アクショニスト達がやったこと,カンヴァス上でのペ インティングから身体上のそれへ,そしてペインティングから離れて,身体の各部がパ フォーマンスの活動を支えるような,そうしたまさにヴァイベルの講演にみられるよう な 20 世紀のパフォーマンス論がそのまま舞台上で再現されているのである。
舞台の内容に関しては,《アタ アタ》は規範的地位にあるアヴァンギャルドの諸々の アクションをコピーする。ウィーン・アクショニストによるオブジェと身体上への ペインティングによって伝統的カンヴァスに打ち勝つ試みを行なった,さらに後に は公共の場での排泄やマスターベーションを含んだイヴェントへと特徴を変えなが ら,ペインティングのアイデアをも一緒にあきらめた,アーティストグループを模 倣して,シュリンゲンジーフは彼の臀部でペインティングを創作し,裸の一人の女 性にペイントを塗りたくり,さらにステージをバターや小麦粉や水で塗りたくる。パ フォーマーのひとりは,ウィーン・アクショニストを代表するヘルマン・ニッチュ の配役を演じ,彼らの中世の神秘劇のバカ騒ぎ的な脚色が参照されている。(FC145)
もし,そのようなワークショップを公演実施に向けての制作プロセスへと取り込むよ うな系列がシュリンゲンジーフの《アタ アタ》の中にあったとするならば,ほんの 5 日 前に同じ会場でおこなわれたスローターダイクのいわゆる反「ショック・マネージメン ト」論もまた将来の新作のために提供された話題として取り込まれていったのであろう か。それは,あくまでボイスをこのテロリズムの時代に入っても信奉しているスローター ダイクへのオマージュとして取り込まれただけなのだろうか。シュリンゲンジーフはボ イスのニューヨークでのコヨーテ・アクション,《私はアメリカが好き,アメリカは私が 好き》(1974)のコスチュームで登場する。だがそこにいるのはコヨーテではなく,死ん だウサギである。
シュリンゲンジーフはフェイクの髪の毛を付けフェルトの毛布をまとっているが,
それによって彼のアクション劇は,《死んだウサギにどう絵を説明するか》(1965 年),
《コヨーテ:私はアメリカが好き,アメリカは私が好き》(1974 年)から知られるヨー ゼフ・ボイスのイメージを髣髴させる。(FC145)
ボイカーによれば,これらのイメージは,「ひとはだれもが芸術家である」に通じる芸 術と社会政治との融合のビジョンを持ったボイスの仕事とシュリンゲンジーフの演劇プ ログラムとの結びつきを象徴するものである。(FC145)
3 美学のリハビリと「文化交換」
この現実性に我々は突然関心を持ちたくなってしまい,そしてその中に狂気的なそ そのかしが刺さっている。しかし私は,そもそも問題の発端とすべきそそのかしは,
(狂気によるそそのかしではなく)「リアル界」によってそそのかされることなので ある。(SM73)
本論の 3 で論じるのは,この 9・11 以後の萎縮した美学をいかにしてリハビリするか の問題である。このテロリズム時代における美学の萎縮例を,本論はスローターダイク の美学的議論から挙げてきた。スローターダイクが美学的議論において現代をテーマに する場合には,彼はどの問題の解決にもボイス概念が有効であるかのような展開をする ところがある。筆者は,これによってスローターダイクの美学的思考の中に大きな欠損 箇所ができてしまった,つまりそれは彼の場違いな概念使用であり,その結果,彼の現 代美学的思考に萎縮が起こってしまったと解している。
スローターダイクの思索の中に生まれた空洞部分を埋める作業を,筆者は「文化交換」
の美学的方法を用いて行おうとしている。この「文化交換」は,二つの文化・芸術の現 象(ここではベルリンでのスローターダイクの反「ショック・マネージメント」論(2002 年 12 月)テクストと,シュリンゲンジーフの舞台アクション《アタ アタ》(2003 年 1 月)
演劇諸表象)を交換するが,これに 2000 年の両者による《ウィーン・アクション》を巡 る対話の内容が加わることになる。
3.1 「文化交換」の媒介項―美学的規範概念「リアル界」
この場合に「文化交換」が行われるためには,通常,複数の文化・芸術現象間に美学 的規範概念がなければならず,それが両現象間の媒介項となる。この媒介項としての美 学的規範概念が,「交換」の対象として選ばれているシュリンゲンジーフの《アタ アタ》
の方にもあって,同時にスローターダイクにもそれがなくてはならないのだが,ここで は後者の講演内容の中からは比較的見つけやすい条件下にあることが明らかである。
両者には極めて類似した芸術諸表象がみられる。その状況をスローターダイクの反
「ショック・マネージメント」論での論述を用いて再び説明すれば,こういうことになる。
(高速道路の)対面通行のいわば下り車線が従来の美学領域の中で通用していたのが美 的,芸術的表象であるのに対して,いわば上り車線を下り車線とは異質な反美的,芸術 的表象が通行しているような状況が我々の前に現れる。
ここから浮かんでくるのが,芸術から逃亡し,それ故リアル界と混ざり合い,そこ で我々はでかい事をすると言うことへの欲求である。我々がこの(リアル界と芸術 の)両側通行をその中に正しく書き込めるような(そんなものがあればどんなによ いか)そのような地図を,私はまだ見たことがない。しかしこの反対方向の通行が 存在することが,私には明らかなように思われる。(SM72-73)
ところで,このような「反対方向の通行」を行う芸術表象をシュリンゲンジーフのア クション劇の方に見て取ることができるのだろうか。このことは結局,解釈上の問題で あるので我々には慎重な論述が必要となる。しかしその前にスローターダイクの言説の 中に(筆者が「交換」の媒介役を果たすと考えている)美学的規範概念を読み込みたい。
スローターダイクの論述は,あくまで芸術においてその最も凝縮された形で表現され るものがリアルやリアリティーという概念であったとの記述から始まる。
我々は,芸術とは極めつけの現実であり,とにかくより密度の高いより高次なより 本来的なものであると思っている。またこうも思っている。リアルなものとは,そ の存在が無視できないリアルなものであるが,しかし芸術は,そのエキス(本質),
強められた形式,高められたもの,それ故とにかく卓越したものなのではないのか と。相当の部分,20 世紀のアーティストたちが,それをそのように感じている。
(SM73)
そのような芸術のリアリティーとは異なる,もう一つ別のリアルが存在するというス ローターダイクの主張の中に我々は,美学的(いやむしろ反美学的)規範概念を読み出 そうとしている。この概念が以下の引用に見出される。
もう一つ別の感じ方もまた,すなわち,どのような理由からかにはかかわりなく,こ の優越感情から脱出し,リアル界が本来的に卓越したものであると思う試みが存在 する。「リアル界」が外にあり,この場合,我々は芸術の営みは,諸々の壁の中にお いて単に何らかの象徴的な悪ふざけを行っているだけであり,これに反してその外 では真の生活が脈打っており,人々が現実にお互いどうし撃ち合いをおこなうとい うことが信じて疑われない。この現実性に我々は突然関心を持ちたくなっている。
(SM73)
本論の 1 で我々はスローターダイクの美学的思考に萎縮が起こっており,その原因は ボイスの概念に囚われていたからに他ならないとの結論を導いたが,以上の記述にはそ の様子すら伺えない。例えばジジェクなどにも同様のことがいえるが,ラカンの「リア ル界(the real)」がスローターダイクに影響した結果がここに現れていると考えられる かもしれない。
次に,シュリンゲンジーフの例えば《アタ アタ》(2003 年 1 月初演)の中に,この新 作劇上演の一ヶ月半前に行われたあの講演で突如飛び出した(と筆者には感じられる)
「リアル界」の車線上を通行するがごとき芸術的表象がはたして見出されるのか否かに本 論の探求の中心は移る。この舞台作品の前半と後半とを分ける重要な場面になるのが,舞 台でアタ役を演じているとも思えるクリストフ(シュリンゲンジーフ)が塔に登りワー グナーの《タンホイザー》の指揮者を演じるシーンである。この後,舞台上にはたて続 けに,テロリストの組織の形成,戦闘,破壊,また暴力の諸表象(台詞や演技)が示さ れるが,最も大きな後半の舞台全体を導く劇のモチーフはあの死の表象(またもやボイ スイメージが登場,「死んだウサギ」の様々な身振り,低空からの城への激突)であろう。
この死の表象はすべて国連の弁務官と思しき人物によって管理されている難民キャンプ の中で始められる三日間のゲームに含まれる。その中でのワンシーンでは,難民たちが 列をなして十字架をかつぎ(その中にウサギも交じっている)葬儀に向かう。この「死 んだウサギ」が弁務官のいる小屋に運ばれ,中で十字架にかけられ,釘で打たれる一連 の身振りに対して,このような解釈は不可能だろうか。死んだウサギは,最初ボイスの
「死んだウサギ」のアクションとは何のつながりもなく登場するが,あの舞台前半と後半 を分ける場面で,塔に登ったのが劇でアタ役を務めるクリストフであるとするなら,そ れとは別の 9・11 テロで死んだアタの化身がこのボイスの「死んだウサギ」ではないか,
と。このシーン以降,弁務官のいう三日間のゲームの中には夢の中でクリストフに向かっ てアラーがささやいたり(政治をやめて行動を起こしテロリストの組織を作れ,戦え,破 壊しろ,メッカに行けと),再び死んだウサギを舞台上に登場させ,絵をいかに説明する か―平時では美と説明するが,テロ時代では死であるという―を舞台で観客に向けて宣 言する。劇場の観客席に設置された城に向かってウサギを追突させ,新たな戦争の開始 を告げる。以上の場面展開を考察することから,比較的容易に次のように推論すること が可能であろう。ここでテーマになっているのは,通常我々が芸術と呼んでいるものの リアリティーとは全く異なるリアルなのではないかということである。次のスローター ダイクの反「ショック・マネージメント論」からの引用の中に「夢の中でのアラーのお 告げ」,「死んだウサギ」にまつわるシーンの中で我々が体験するものが示されてはいな いだろうか。
芸術はリアル界に対する勝負にいつも既に負けていたのであり,ただ芸術家たちが それにまだ気づいていなかっただけであるというのである。そしてここから浮かん でくるのが,芸術から逃亡し,それ故リアル界と混ざり合い,そこで我々はでかい 事をすると言うことへの欲求である(SM73)。
芸術は「リアル界」との戦いにおいて連戦連敗だとされているのだから,そのパワー を決して軽んじてはならない。《アタ アタ》の中にそれに当たるシーンがあるのか,それ がボイスの死んだウサギのモチーフの使われるシーンなのかどうかの解釈の正当性を突 きとめることは重要である。
3.2 《ウィーン・コンテナアクション》での「リアル」の考察から「リアル界」へ
筆者は,むしろスローターダイクが過去に既に,この言葉(「リアル」)を使って,《ウィー ン・コンテナアクション》(2000 年)でお目にかかった存在をクローズアップしていたこ とを再び思い起こすことになる。言うまでもなく《ウィーン・コンテナアクション》の 時代背景にあるものは,テロリズムではなく,むしろそれと平行して走る社会現象の方 つまり超国家主義的,ネオナチ的な政治勢力による海外移民排撃である。それをシュリ