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雑誌名 キリスト教社会問題研究

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(1)

CSキリスト者関係資料の現状

著者 西澤 献

雑誌名 キリスト教社会問題研究

号 67

ページ 1‑71

発行年 2018‑12‑20

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000358

(2)

CS キリスト者関係資料の現状

西 澤 献

はじめに

現在、同志社大学人文科学研究所(以下、人文研と略称)には、キリスト教 社会問題研究(略称 CS)関係資料が数多く所蔵されている。そのうち教会資 料群の目録化作業については、「キリスト教社会問題研究」のバックナンバー より、遠藤浩・水内勇太「CS 教会研究の歴史と資料の現状(1)」および鄭賢 珠「CS 教会研究の歴史と資料の現状(2)」をご参照いただきたい。

本稿は、マイクロフィルム化されたキリスト者関係資料群の整理を目的とす る、各資料の簡易な解題と目録である。今回は、人文研が所蔵する資料の中か ら、キリスト教徒であった、もしくはキリスト教と接点があった人物に関係す る資料を目録化した。今回の目録で扱っている人物名を列挙すると次のとおり である。( )の中はリール数を示す。

安部清蔵(2)/有馬四郎助(1)/原田助(1)/井深梶之助(1)/井口喜源治(1)/石井

十次(9)/賀川豊彦(1)/清塚良三郎(2)/宮崎民蔵、寅蔵(1)/中村栄助(4)/大宮季

貞(4)/太田喜代松(1)/大塚素(2)/沢山保羅(1)/住谷天来(1)/留岡幸助(21)/山

本宣治(1)/山室軍平(40)/山岡邦三郎(2)/吉田清太郎(33)/徳富健次郎(1)

資 料

(3)

今回、目録化した資料は、すべてマイクロフィルム資料である。本目録の資

料がすでに紙媒体で製本されている場合は、各資料の解題の中でそのことに言

及している。

(4)

凡例

・資料のタイトルがマイクロフィルムの箱に記入されているが統一性がないた め、目録を作成するにあたり、資料のタイトルを新たに付している。その際、

可能な限り資料の性格(手紙、書簡、文書、日記等)を明記している。

・目録は、本稿で扱うキリスト者の人物名をできる限り五十音順に並べ、A から Y の通し番号を付して整理した。資料の閲覧可能時期のばらつきもあ り、目録作成の都合上、必ずしも正確な五十音順にはなっていない。

・目録は、同一人物についての史料が複数のリールに分割されている場合は、

さらに算用数字の番号を付け加えている(ex.P-1)。同時に、前回までの目 録の形式を踏襲し、リール番号としても記載している(ex. 安部清蔵関係資 料(文書)Reel No.1)。

・同志社大学人文科学研究所がすでに付している請求記号を新たにタイトルの後 ろに付した(ex. 安部清蔵関係資料(文書)Reel No.1(請求記号:116M))。

・マイクロフィルムの箱に記入された資料名については、「箱タイトル」とし て解題に記載した。

・「表題」は基本的に史料に添えられている現物資料収集当時のカードの記載 を尊重した。そのため、部分的にタイトルが不統一なところがある。改行は

「╱」で表した。表題と思われる記述が資料中に見当たらない資料について は、適当な表題を新たに付し、〔 〕をつけた(ex.〔説教原稿〕)。

・資料が書簡の場合は「○○○○ (作成者) 書簡 △△△△宛」と表題を付した。

・資料の「作成年」は、すべて和暦から西暦に直した。

・原稿用紙に書かれた原稿が続く場合や、資料が断片の集まりである場合、小 さなメモ帳のページの連続である場合、すでに人文研に目録がある場合等は、

目録全体が冗長になるのを避けるために各資料毎に表題をつけていない。代

わりに、連続した同一種類の資料の個数をかぞえ、「×数字」で表記した

(5)

(ex.〔○○草稿×34〕)。

・「備考」には、そのほか各資料について必要と思われる情報をできる限り採 用した。

・「解題」には各人物についての簡単な解題と、「請求記号」「箱タイトル」「リ ール数」「状態」を記した。

・「解題」、「表題」ともに旧字体は新字体に改めた。

解題・目録一覧

番号 資料人物名 解題 目録

A. 安部清蔵関係資料(文書) 5頁 18頁

B. 有馬四郎助関係資料(文書) 5頁 18頁

C. 原田助関係資料(日記) 6頁 18頁

D. 井深梶之助関係資料(書簡) 6頁 19頁 E. 井口喜源治関係資料(書簡) 7頁 21頁 F. 石井十次関係資料1(書簡) 7頁 23頁 G. 石井十次関係資料2(書簡) 8頁 24頁 H. 石井十次関係資料3(日記) 8頁 27頁 I . 石井十次関係資料4(書簡) 9頁 31頁 J . 賀川豊彦関係資料(文書) 9頁 34頁 K. 清塚良三郎関係資料(日記) 10頁 34頁 L. 宮崎民蔵・宮崎寅蔵関係資料(書簡) 10頁 35頁 M. 中村栄助関係資料(文書) 11頁 36頁 N. 大宮季貞関係資料(文書) 11頁 37頁 O. 太田喜代松関係資料(写真、文書、日記) 12頁 38頁 P. 大塚素関係資料(日記、手記) 12頁 38頁 Q. 沢山保羅関係資料(書簡) 13頁 38頁 R. 住谷天来関係資料(書簡) 13頁 40頁 S. 留岡幸助関係資料(日記、文書) 14頁 42頁 T. 山本宣治関係資料(書簡) 14頁 52頁 U. 山室軍平関係資料(文書) 15頁 52頁 V. 山岡邦三郎関係資料(日記) 15頁 62頁 W. 吉田清太郎関係資料(日記、文書、書簡) 16頁 63頁 X. 石井十次関係資料5(書簡) 16頁 70頁 Y. 徳富健次郎関係資料(文書断片) 17頁 71頁

(6)

解題

A. 安部清蔵関係資料(文書)

・請求記号:116M〜N

・箱タイトル:安部清蔵牧師文書

・リール数:2

・状態:ふつう

安部清蔵(1873‑1950)は、日本組合基督教会の牧師である。1899年に同志 社神学校を卒業し、福井教会、岡山教会、同志社教会等の牧師を務めた。石井 十次とも親交が深い。1919年8月に渡米し、日本人シアトル組合教会、サンデ ィエーゴ教会も牧した。太平洋戦争中は、マンザナー収容所の、戦後はロサン ゼルスの合同教会などの客員説教者であった。

B. 有馬四郎助関係資料(文書)

・請求記号:141U

・箱タイトル:有馬四郎助 要録

・リール数:1

・状態:ふつう

有馬四郎助(1864‑1934)は、刑務官、社会事業家である。1898年巣鴨監獄

署署長時代、日本組合基督教会、霊南坂教会で留岡幸助から受洗した。行刑制

度の整備と監獄改良の推進に尽力した。目録の資料は、人文研所蔵『要録』の

マイクロフィルム版である。

(7)

C. 原田助関係資料(日記)

・請求記号:109Z

・箱タイトル:原田助日記

・リール数:1

・状態:ふつう

原田助(1863‑1940)は、日本組合基督教会牧師、教育者である。熊本洋学 校で学び、80年3月に同志社英学校編入学、1881年に西京第二公会で M.L.ゴ ードンから受洗した。予科では神学に関心を持ち、卒業後は85年から神戸教会 牧師、その後アメリカ留学を経て番町教会、平安教会、神戸教会の牧師を歴任 した。1907年には同志社第7代社長になった。

なお、人文研のマイクロフィルムリストでは、「原田助送生日記」、「原田助 備忘雑記」のタイトルで掲載されている。

D. 井深梶之助関係資料(書簡)

・請求記号:124X

・箱タイトル:井深梶之助宛書簡集

・リール数:1

・状態:ふつう

井深梶之助(1854‑1940)は、日本の牧師である。1873年、S.R.ブラウンか

ら受洗した。ブラウン塾、東京一致神学校を経て、1880年麴町教会の牧師を務

めた。明治学院創立にも力を尽くし、ミッションスクールにおけるキリスト教

教育の方面等でも活躍するなど、日本基督教会の初期を代表する人物といえる。

(8)

E. 井口喜源治関係資料(書簡)

・請求記号:125D

・箱タイトル:井口喜源治関係資料 斉藤茂氏宛書簡

・リール数:1

・状態:ふつう

井口喜源治(1870‑1938)は、研成義塾の設立者である。長野県南安曇郡東 穂高村に生まれる。無教会系の人脈を持ち、内村鑑三とも親交がある。研成義 塾では、キリスト教的人格主義に基づく自主独立の教育を行った。

『井口喜源治関係資料:斎藤茂氏宛書簡』として、1973年に図書化されたも のがあるが、マイクロフィルムからの電子複写である。関連する資料として、

今回は目録化の対象ではなかったが、 「研成義塾関係資料(請求記号:118F)」が 人文研に所蔵されている。

F. 石井十次関係資料1(書簡)

・請求記号:170X〜Y

・箱タイトル:石井十次の福井要助あて書簡

・リール数:2

・状態:ふつう

石井十次(1865‑1914)は、日本の社会事業家である。1881年、岡山県立医 学校に入学。G.ミュラーの話に感銘を受け、1887年から孤児救済活動に乗り 出す。1884年岡山教会で金森通倫から受洗。89年には医学校を退き、岡山孤児 院を設立した。

関連する資料として、今回は目録化の対象ではなかったが、「岡山孤児院年

報(請 求 記 号:191.1〜3)」、「岡 山 孤 児 院 新 報(請 求 記 号:181H〜J,181Q

(9)

〜S)が同志社大学人文科学研究所に所蔵されている。

「F. 石井十次関係資料1(書簡)」では、一続きの書簡を収録。フィルム4コ マ目、布製の資料を写したコマには「石井院長之尺牘」とタイトルがあるほか、

フィルム冒頭に書簡が保管されていた木箱の写真が保存されており、この書簡 の入手経緯と日付を読み取ることができる。

G. 石井十次関係資料2(書簡)

・請求記号:192 1〜2

・箱タイトル:石井十次発書簡

・リール数:1

・状態:ふつう

前述の石井十次に関係する資料である。「G. 石井十次関係資料2(書簡)」

は、石井十次資料館所蔵資料である。石井十次が書き送った手紙が封筒と共に 収められており、その手紙の送り先は様々である。

H. 石井十次関係資料3(日記)

・請求記号:181D〜E

・箱タイトル:日記 石井十次資料館

・リール数:2

・状態:ふつう

前述の石井十次に関係する資料である。「H. 石井十次関係資料3(日記)」

は、箱タイトルにもあるように、石井十次資料館所蔵資料である。日記資料が

中心だが、各種統計資料、卒業証書などの書状も含む。岡山孤児院に関係した

資料も少なくない。

(10)

I. 石井十次関係資料4(書簡)

・請求記号:181F〜G

・箱タイトル:書簡 石井十次資料館

・リール数:2

・状態:ふつう

前述の石井十次に関係する資料である。「 I . 石井十次関係資料4(書簡)」

は、箱タイトルにもあるように、石井十次資料館所蔵資料である。書簡資料が ほとんどであり、送り先も炭谷小梅が主である。

J. 賀川豊彦関係資料(文書)

・請求記号:123B

・箱タイトル:賀川豊彦文書、組合教会教役者集合写真、太田喜代松文書

・リール数:1

・状態:ふつう

賀川豊彦(1888‑1960)は、キリスト教伝道者、社会事業家である。1904年、

徳島で H.W.マイアースから受洗。明治学院神学部予科、神戸神学校で学ぶ。

神戸新川での隣保事業は賀川の代表的な活動である。労働組合、消費組合運動 などを指導した。

人文研のマイクロフィルムリストでは、「賀川豊彦文書」のタイトルで掲載 されている。ひとつのマイクロフィルムに3つの資料(賀川豊彦文書、組合教 会教役者集合写真、太田喜代松文書)が同時収録されており、「賀川豊彦文書」

は3番目に収録。全体的に断片的な資料を集めたものである。賀川文書の最初

のコマに、「全集第一巻によると、1906(明治39年)8月16日○○毎日に世界

平和論を連載とする」とメモがある。記事の切り抜き資料部分に関しては、

(11)

「鈴木中学校長に問ふ(帝国主義について) 、世界平和論1〜6」と書かれている。

K. 清塚良三郎関係資料(日記)

・請求記号:118J〜K

・箱タイトル:清塚良三郎日誌

・リール数:2

・状態:ふつう

清塚良三郎に関する文献は少なく、したがって、生没年等の史料は確認でき なかった。資料はすべて戦後のもので、日記が中心である。人文研のマイクロ フィルムリストでは、「清塚良三郎日記」のタイトルとなっている。

L. 宮崎民蔵・宮崎寅蔵関係資料(書簡)

・請求記号:125E

・箱タイトル:宮崎民蔵・宮崎寅蔵書簡集

・リール数:1

・状態:ふつう

宮崎寅蔵(1871‑1922)は、中国革命の援助者であり、宮崎滔天ともいう。

1884年、徳富蘇峰の大江義塾に学ぶ。1886年、東京で小崎弘道から受洗。しか し、その後キリスト教を棄教し、中国革命の実現を目指し活動した。

電子複写を製本したものが、1972年に人文研から出版されている。

(12)

M. 中村栄助関係資料(文書)

・請求記号:176B〜E

・箱タイトル:(高山寛所蔵)中村栄助伝稿本

・リール数:4

・状態:ふつう

中村栄助(1849‑1938)は、クリスチャンの政治家である。京都に生まれ育 ち、油商、両替商、鰹節商などを営んだ。神戸の英国領事館での石油訴訟の際、

キリスト教に触れ、新島襄を訪ねる。1877年、新島宅で J.D.デイヴィスから 受洗。その後は同志社にかかわりながら、政治家としてその生涯を捧げた。四 條教会(京都教会)や京都基督教青年会の創設にかかわった。

N. 大宮季貞関係資料(文書)

・請求記号:172E〜H

・箱タイトル:大宮季貞文書

・リール数:4

・状態:ふつう

大宮季貞に関係する資料を収めたものである。人文研所蔵のマイクロフィル

ムを電子複写および製本したものとして、1995年に人文研から図書が出版され

ている。

(13)

O. 太田喜代松関係資料(写真、文書、日記)

・請求記号:123B

・箱タイトル:賀川豊彦文書、組合教会教役者集合写真、太田喜代松文書

・リール数:1

・状態:ふつう

太田喜代松(1886‑1916)は、研成義塾の出身者である。研成義塾に入学す るころ、キリスト教に入信している。

一つのマイクロに3つが同時収録、太田喜代松文書は一番目に収録。人文研 のマイクロフィルムリストでは、「太田喜代松文書」のタイトル。資料に見ら れる清沢冽という人物は、塾友である。また望月直弥という人物は、長野県北 安曇郡常盤村村立小学校の訓導。

P. 大塚素関係資料(日記、手記)

・請求記号:164E〜F

・箱タイトル:大塚素 日記・手記

・リール数:2

・状態:ふつう

大塚素(1868‑1920)は、社会事業家である。19歳の時にキリスト教に接し、

1887年、同志社普通学校に入学、同年12月に牧野虎次らと共に洗礼を受けた。

卒業後は北海道の釧路集治監で教誨師として働いた。アメリカ留学後、日本キ リスト教青年会同盟本部に入り、軍隊慰問事業に力を注いだ。

人文研のマイクロフィルムリストでは、「大塚素日記」のタイトルとなって

いる。

(14)

Q. 沢山保羅関係資料(書簡)

・請求記号:311

・箱タイトル:沢山保羅関係資料

・リール数:1

・状態:ふつう

沢山保羅(1852‑1887)は、山陽地方出身の牧師である。1870年ごろ神戸に 出て、D.C.グリーン宅に通い英語を習い、家庭礼拝にも出席した。1872年ア メリカに私費留学し、イリノイ州のノース・ウェスタン大学予科で学ぶ。同年、

エヴァンストン第一組合教会で E.N.パッカードより受洗。帰国後、官界就職 の誘いを断り、大阪を中心に伝道活動を開始した。1877年大阪高麗橋に浪花公 会(浪花教会)を設立、1878年には梅本町公会(大阪教会)とともに梅花女学 校を自給で開校した。

R. 住谷天来関係資料(書簡)

・請求記号:110Y

・箱タイトル:住谷悦治氏所蔵資料 住谷天来宛書簡等

・リール数:1

・状態:ふつう

住谷天来(1869‑1944)は、群馬県出身の牧師である。前橋英学校の開校、

廃 運動に参加した。内村鑑三とも交流があった。群馬県を拠点として、牧会、

著作活動に従事した。

人文研のマイクロフィルムリストでは、「住谷天来宛資料」のタイトルとな

っている。

(15)

S. 留岡幸助関係資料(日記、文書)

・請求記号:85L〜86F

・箱タイトル:留岡幸助 日記

・リール数:21

・状態:ふつう

留岡幸助(1864‑1934)は、牧師、社会事業家である。刑務所の教誨師の経 験から、アメリカに留学、監獄学、犯罪について研究し、帰国後は巣鴨家庭学 校の創設、内務省嘱託として地方改良事業の推進など、明治・大正期の社会事 業の指導的役割を果たした。

関連する資料として、今回は目録化の対象ではなかったが、「留岡夏子の行 状(124V)」が人文研に所蔵されている。またマイクロフィルムを電子複写、

製本したものとして、1975年から76年にかけて人文研より『留岡幸助日記・手 帖』が出版されている。

目録は、小型の資料で内容が雑記や覚書きに近いものを「メモ帳」と記し、

比較的大型の資料で内容が文章として整っているものを「日記帳」と表現して いる。また、「留岡幸助関係資料」は、リールの一番最後の資料が次のリール の初めにまたがって収録されているケースが多いので注意されたい。また Reel No.12,13,14に関しては、人文研のマイクロフィルムは、始めと終わり が逆になっている。

T. 山本宣治関係資料(書簡)

・請求記号:118L

・箱タイトル:山本宣治書簡

・リール数:1

・状態:ふつう

(16)

山本宣治(1889‑1929)は、社会主義者として知られる人物である。両親は 四條教会(京都教会)の熱心な信者であった。1905年に信仰告白式を終え、教会 員となる。1907年から11年まで、カナダに留学し、キリスト教社会主義を学ん だ。帰国後は東大理学部動物学科を卒業し、同志社、京都大学の講師として活 躍、労働者、農民を対象とする産児制限運動の中心人物となった。

U. 山室軍平関係資料(文書)

・請求記号:210 1〜9, 218 1〜21, 269 1〜36

・箱タイトル:山室軍平 文庫

・リール数:40

・状態:ふつう

山室軍平(1872‑1940)は、岡山県出身の救世軍日本司令官。石井十次とは かかわりが深い。同志社に入学するも、退学。その後救世軍に入軍し、廃 運 動、凶作地救援、関東大震災の救済、人身売買救護など、人権保護のあらゆる 分野で組織的、献身的活動を行った。

V. 山岡邦三郎関係資料(日記)

・請求記号:118H〜I

・箱タイトル:山岡邦三郎日記(山岡信夫日記、山岡義郎日誌)

・リール数:2

・状態:ふつう

山岡邦三郎(1861‑1946)は、牧師、実業家である。横浜でアメリカ長老教

会宣教師 G.W.ノックスから受洗。同志社英学校に編入学し、1897年まで若

松伝道所、岸和田教会、津教会で牧師を務めた。牧師を退いた後は、実業界で

(17)

活動し、岸和田 瓦会社を経営した。

W. 吉田清太郎関係資料(日記、文書、書簡)

・請求記号:133D〜134J

・箱タイトル:吉田清太郎文書

・リール数:33

・状態:ふつう

吉田清太郎(1863‑1950)は、日本の牧師である。1883年、同志社に入学。

1884年に D.W.ラーネッドから受洗。松山女学校で働いたほか、廃 運動や 監獄伝道にも従事した。

「吉田清太郎関連資料(日記、文書)」に関しては、人文研にマイクロフィル ム化される前の現物資料を基に作成された詳細な手書き目録が所蔵されている ため、本目録では、簡易な説明に留めている。なお、アルファベットと数字を 組み合わせた資料番号は、マイクロフィルム資料に元々付されている番号であ るため、目録でもそのまま採用した。

X. 石井十次関係資料5(書簡)

・請求記号:193 1〜2

・箱タイトル:徳富家発石井宛書簡 石井十次の弔辞葬儀関係

・リール数:2

・状態:ふつう

前述の石井十次に関係する資料である。石井十次資料館所蔵資料である。

(18)

Y. 徳富健次郎関係資料(文書断片)

・請求記号:109Q

・箱タイトル:徳富健次郎原稿断簡

・リール数:1

・状態:ふつう

徳富健次郎(1868‑1927)は、作家であり、徳 蘆花としても知られる。徳

富蘇峰の弟。1878年同志社に入学したが、翌年退学した。1885年、熊本メソヂ

スト教会で受洗した。まもなく四国の今治で、従兄の横井時雄のもとで組合教

会派の伝道に従事した。1886年同志社に再入学したが、失恋により出奔、その

後は作家として著作活動を続けた。

(19)

A‑1:安部清蔵関係資料(文書)

Reel No.1(請求記号:116M)

番号 表題 作成年 備 考

1 三福音書における倫理思想 1899年3月25日 同志社神学校卒業論文草稿。末尾に「安部清造」の 署名あり。

2 小景集 其一 不明 大部分がアメリカ各都市の旅行記。

3 小景集 其二 不明 数日おきに記された日記、およびアメリカ旅行記。

A‑2:安部清蔵関係資料(文書) Reel No.2(請求記号:116N)

番号 表題 作成年 備 考

1 日誌 1943年1月

〜1944年1月31日

日常的な出来事、および日曜礼拝の記録などが中心。

2 日誌 1944年7月1日

〜1944年10月31日

日常的な出来事の記録など。

3 日記(Daily Desk Diary) 1948年 日常的な出来事の記録など。

4 雑録集 明治三十年十月一日

1897年10月1日

〜1898年1月

原田助による講演の筆記を含む。

5 万国宗教史における二大時期 不明 論文形式。見開き10頁程度。

6 明治三一年一月十一日稿/加 挌太書注解

1898年1月11日 新約聖書ガラテヤの信徒への手紙の自作注解。

7

チュートン蛮族改宗始末 不明 ・紀元前2世紀にユトランド半島に居住していたチ ュートン人の宗教に関する考察。

・フランク人その他の民族の改宗についても言及。

・論文形式。

8 羅馬書注解 不明 新約聖書ローマの信徒への手紙の自作注解。

9 初代教会の一つとしてのテサ ロニケ教会の概説

不明 末尾に「安部清造稿」と署名あり。

10

コリント前書注解 不明 ・表紙は無し。

・表題は本文が始まるページに書かれている。

・新約聖書コリントの信徒への手紙1の自作注解。

11 コリント後書注解 不明 ・表紙は無し。

・「コリント前書注解」に続けて記載されている。

12 自由意志論/及ミューアヘッ ド氏目的説の批評

不明 論文形式。

B::有馬四郎助関係資料(文書) Reel No.1(請求記号:141U)

番号 表題 作成年 備 考

1 有馬四郎助 要録/明治31年 1月 起

1898年1月 各種統計、講演記録、刑務の仕事に関する日記など。

1899年、1900年、明治34年上半期分も含む。

2 有馬四郎助 要録/明治34年 8月 起

1901年8月 日記形式。刑務の仕事に関する記述のほか、キリス ト教思想や聖書への言及が多くみられる。

C:原田助関係資料(日記) Reel No.1(請求記号:109Z)

番号 表題 作成年 備 考

1 〔原田助による日記〕 1886年 日本語、英語が混在。

(20)

2

乙號/備忘雑記/演説、説教 不明 ・内容はキリスト教思想が中心だが、社会情勢や哲 学についての言及もあり。

・日本語、英語が混在。

3

甲號/備忘雑記 説教 演説 不明 ・キリスト教思想に関するメモ、小論文が中心。

・その他、ごくわずかに教育論、歌集などもみられ る。

・日本語、英語が混在。

4 明治三十乙酉晩春/俟命堂主 人

1897年 表紙のみ。

5 明治三十一年八月下 /鹿渓 学人

1898年 表紙のみ。

6

原田助送生日記第拾四冊/随 感随筆 第一冊

1884年 ・表紙にはタイト ル の ほ か、「1884年 4 月 6 日 起 筆」、「起 1885年 8 月28日」「至 1886年 9 月22 日」とも記載あり。

・日常の出来事が中心だが、「同志社」や「教会」

といったトピックが比較的多くみられる。

・日記形式。

7

原田助送生日記第十壱冊 1884年 ・表 紙 に は タ イ ト ル の ほ か、「起 1884年 1 月 1 日」、「至 1884年4月5日」と記載あり。

・日常の出来事が中心だが、「同志社」や「教会」

といったトピックが比較的多くみられる。

・日記形式。

D:井深梶之助関係資料(書簡) Reel No.1(請求記号:124X)

番号 表題 作成年 備 考

1 井深梶之助様 奥野昌綱 消印あり。

2 井深梶之助様 奥野昌綱 不明 消印はつぶれている。年号、日付の判読は困難。

3 井深梶之助様 奥野昌綱 消印あり。

4 井深梶之助様 奥野昌綱 消印あり。

5 井深梶之助様 奥野昌綱 消印あり。原稿用紙に筆記されている。

6 井深梶之助様 奥野昌綱 消印あり。

7 井深梶之助様 新島襄 消印あり。

8 井深梶之助様 新島襄 消印あり。

9 井深梶之助様/原田助様 本 多庸一

1894年11月29日

10 井深梶之助様 本多庸一 不明 消印が半分程度欠けている。

11 井深梶之助様 本多庸一 郵便はがき形式。消印あり。

12 井深梶之助様 安川亨 不明

13 井深梶之助殿 不明 原稿用紙(「浪花学舎」「出版局用紙」と印字)に筆記 されている。

14 井深梶之助様 不明 消印の年号、日付がつぶれかけている。本文の最後

に「中川横太郎」という署名あり。

15 井深梶之助様 消印あり。

16 井深梶之助様 消印あり。

井深梶之助様 消印あり。

井深梶之助様 消印あり。

17 井深梶之助様 石本三十郎 不明 便箋に筆記されている。

(21)

18 井深梶之助様 石本三十郎 封筒に年号の記載あり。

19 井深梶之助兄 新島襄 1888年11月12日 便箋に筆記されている。一部英語。

20 井深梶之助様 伊勢時雄 消印あり。

井深梶之助様 伊勢時雄 封筒は見当たらない。

井深梶之助様 伊勢時雄 消印あり。郵便はがき形式。

21 井深梶之助様 横井時雄 消印あり。文字がつぶれている。年号、日付の判読 は不可能ではないが、困難。

22 井深梶之助様 小崎弘道 不明 消印からは年号、日付は不明。日付は手紙本文に記 載あり。

23 井深梶之助様 小崎弘道 不明 消印は大部分欠けている。

井深梶之助様 小崎弘道 不明 消印は大部分判読困難。

24 井深梶之助様 松山高吉 消印あり。

井深梶之助様 松山高吉 不明

井深梶之助様 松山高吉 消印あり。

25 井深梶之助様 松山高吉 消印あり。

井深梶之助様 松山高吉 消印あり。本文の末尾には「井深梶之助愛兄」とあ り、その横に「植村正久愛兄」とも併記されている。

井深梶之助様 消印あり。

井深梶之助様 消印あり。

26 井深梶之助様 消印あり。手紙の本文最後に「高橋」と署名あり。

27 井深梶之助様 岸田吟香 消印あり。

28 井深梶之助先生閣下 小生李 春生

1900年3月24日 封筒無し。すべて漢字のみの文体である。

29 井深殿 健次郎 不明

30 井深梶之助様 不明 原稿用紙に筆記されている。

31 井深梶之助殿 原田助 消印あり。

32 井深梶之助様 不明 本文の最後に二名の差出人名あり。

33 〔井深梶之助宛書簡〕 不明

34 井深梶之助殿 寺内正毅 1915年2月20日 消印あり。

35 井深梶之助様 封筒の差出人名の前に「京都 同志社」と記載あり。

消印あり。

36 井深梶之助様 不明

37 梶之助様 児玉少介 不明

38 井深梶之助様 不明

39 井深梶之助殿 井上毅 消印あり。

40 井深梶之助殿 西園寺公望 消印あり。

41 井深梶之助殿 濱尾新 消印あり。

42 井深梶之助殿 三浦安 封筒のみ、本文無し。

43 井深梶之助殿 不明 本文最後の宛名は、「本多庸一、元田作之進、井深

梶之助」の3名の連名。差出人名あり。

44 井深梶之助殿 伊勢時雄 不明 消印あり。

45 井深梶之助様 奥野昌綱 不明 封筒無し。

46 井深教兄 植村正久 1879年 封筒に年号、日付記載あり。

47 井深梶之助様 植村正久 不明 消印はつぶれている。

(22)

49 〔井深梶之助、植村正久宛書 簡〕

不明 本文の最後に「古沢久次(旧須郷緑蔵)」と署名あり。

50 〔井深梶之助宛書簡〕 不明

51 井深梶之助様 奥野昌綱 不明 郵便はがき形式。消印あり。

52 井深梶之助様 植村正久 不明 消印あり。

53 井深梶之助様 植村正久 不明 54 井深梶之助様 植村正久 不明 55 〔井深梶之助宛書簡〕 不明

56 奉井深先生 高橋吾良 1877年9月7日 すべて漢字のみの文章である。

57 井深梶之助様 不明 差出人名あり。

58 井深梶之助様 不明 差出人名あり。

59

〔井深梶之助からの書簡〕 備考参照 ・本文最後の署名が井深梶之助となっている。

・本文の最後に横浜海岸教会長老2名の名前が列挙 され、「其他各位」とあるため、井深からの書簡 とみられる。

・判読困難だが、年号、日付あり。

60 井深梶之助殿 備考参照 差出人名あり。判読困難だが、消印あり。

61 〔井深梶之助宛書簡〕 熊野雄 七

1897年8月13日 ・アメリカへの国際郵便。

・封筒のあて名は英語、本文は日本語となっている。

62 井深梶之助様 瀬川浅 備考参照 判読困難だが、消印あり。

63 〔井深梶之助宛書簡〕 不明 差出人名あり。

64 井深梶之助様 本文の最後に年号、日付、署名あり。

65 〔井深梶之助宛書簡〕 不明 本文の一部は英語で書かれている。

66 井深梶之助殿 和田秀豊 不明

67

請求書 1888年10月18日 ・「日本基督一致教会大会議長/井深梶之助殿」とあ り。

・差出人として、牧師9名の署名あり。

68 請求書取り消し 1888年10月20日 末尾に牧師8名の署名あり。

69 井深梶之助様 星野光多 消印あり。

70 井深梶之助様 不明 差出人名あり。この70番目資料は、同一人物からの 書簡が複数続けて収録されている。

71 井深梶之助様 差出人名、年号、日付あり。

72 井深梶之助殿 山川健次朗 1930年6月18日 73 〔井深梶之助宛書簡〕 三浦安 不明

74 〔井深梶之助宛書簡〕 差出人名、年号、日付あり。

75 〔井深梶之助宛書簡〕 押川方 義

封筒のみ、本文無し。

76 井深梶之助様 植村正久 不明 郵便はがき形式。

E:井口喜源治関係資料(書簡) Reel No.1(請求記号:125D)

番号 表題 作成年 備 考

1 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1905年5月19日 封書形式。東穂高村→鳥川村。

2 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1907年11月16日 郵便はがき形式。南安鳥川村扇町行き。

3 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1909年9月13日 郵便はがき形式。東穂高村→「第50連隊第10中隊」。

(23)

4 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1909年11月30日 郵便はがき形式。東穂高村→南安曇郡鳥川村扇町。

5 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1910年11月17日 封書形式。

6 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1911年8月8日 郵便はがき形式。東穂高村→南安鳥川村扇町。

7 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1911年10月4日 郵便はがき形式。東穂高村→南安鳥川村扇町。

8 〔井口喜源治書簡〕 斉藤茂宛 1912年3月29日 郵便はがき形式。研成義塾→南安鳥川村扇町。

9 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1912年10月16日 郵便はがき形式。東穂高→南安鳥川村扇町。

10 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1914年3月22日 封書形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥川村扇 町。※研成義塾用書5枚付属。

11 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1915年1月1日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥 川村。

12 東穂高禁酒会書簡 斉藤茂宛 1917年12月17日 郵便はがき形式。鳥川村扇町行き。

13 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1918年3月6日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥 川村扇町。

14 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1918年9月6日 郵便はがき形式。鳥川村扇町行き。研成義塾での聖 書研究会開催に関する、活字印刷の案内状付属。

15 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1918年12月14日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥 川村扇町。

16 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1919年5月14日 封書形式。研成義塾→南安鳥川村扇町。

17 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1919年10月3日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥 川村。

18 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1920年 郵便はがき形式。東穂高村→南安曇郡鳥川村扇町。

19 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1920年3月8日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡東穂高村→南安鳥 川村扇町。

20

藤森秀夫書簡 斉藤茂宛 1920年9月8日 本郷区菊坂町31、雄集館→信州南安鳥川村。

※「雄集館」という名前の下宿屋が当時本郷区に存 在(高橋幹夫『「日本紳士録」掲載下宿屋等一覧』

2007、10‑11頁)。

21 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1920年9月14日 郵便はがき形式。研成義塾→松本市歩兵第50連第1 中隊9班。

22 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1920年11月16日 郵便はがき形式。東穂高→南安曇郡鳥川村。

23 藤森成吉書簡 山上社御中 1921年1月9日 郵便はがき形式。東京市小石川区雑司ヶ谷町115→

長野県南安曇郡鳥川村509番地。

24 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1921年1月29日 郵便はがき形式。東穂高→南安曇郡鳥川村扇町。

25 清沢洌書簡 斉藤茂宛 1921年10月30日 郵便はがき形式。長野県南安曇鳥川村行き。

26 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1922年5月18日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡穂高町→南安鳥川 村。

27 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1922年8月27日 郵便はがき形式。研成義塾→南安鳥川村扇町。

28 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1922年10月4日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡穂高町→南安鳥川 村。南安曇鳥川村。

29 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1922年11月21日 長野県南安曇郡穂高町→南安鳥川村扇町。

30

清澤洌書簡 斉藤茂宛 1923年10月19日 封書形式。神奈川県鶴見町豊岡289→長野県南安鳥 川村。

・「御挨拶」と題された、清澤の近況報告あり。内 容は、キリスト教徒であった妻がなくなったこと、

その遺骨をやむを得ず仏教式で埋葬したことなど。

・時期は関東大震災の直後。

(24)

31

井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1924年3月26日 封書形式。研成義塾→南安曇郡鳥川村。

※1924年度研成義塾第1学年書4枚、入学願書2枚 が含まれる。

32 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1926年1月1日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡穂高町→南安曇郡 鳥川村。

33 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1926年3月24日 郵便はがき形式。研成義塾→南安曇郡鳥川村。

34 井口喜源治書簡 斉藤茂宛 1932年1月1日 郵便はがき形式。長野県南安曇郡穂高町→鳥川村。

35 久保田俊彦書簡 斉藤茂宛 5月11日 郵便はがき形式。下諏訪町高木→南安曇郡鳥川村。

年号不明。

36 久保田俊彦書簡 斉藤茂宛 6月2日 郵便はがき形式。下諏訪町高木→南安曇郡鳥川村。

年号不明。

37 東穂高教友会書簡 斉藤茂宛 不明 郵便はがき形式。南安鳥川村扇町行き。

F‑1:石井十次関係資料1(書簡) Reel No.1(請求記号:170X)

番号 表題 作成年 備 考

1 〔付属物など〕 不明 文字入りの木箱の画像、布製の表紙の画像。

2 謹賀新年/一月元旦 石井十 次 福井要助様

1873年1月7日の消印。

3 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 石井十次 福井要助様

1873年6月28日の消印。

4 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1908年

5 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 石井十次 福井要助様

1873年3月27日の消印。

6 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1874年7月27日、31日の2つの消印。

7 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 石井十次 福井要助様

1872年11月15日の消印。

8

〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 大阪事務所石井十次 福井要 助様

1874年10月25日の消印。

9 〔石井十次の書簡〕茶臼原孤児 院石井十次 福井要助様

1874年3月9日の消印。

10 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 院長石井十次 福井要助様

不明

11 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1874年10月14日の消印。

12 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1908年

13 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 石井十次 福井要助様

1910年

14 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 石井十次 福井要助様

1912年12月7日の消印。

15 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1912年8月7日の消印。

16 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 院長石井十次 福井要助様

1908年7月27日の消印。

(25)

17 〔石 井 十 次 の 書 簡〕石 井 十 次 福井要助様

1908年10月16日の消印。

F‑2:石井十次関係資料1(書簡) Reel No.2(請求記号:170Y)

番号 表題 作成年 備 考

1 〔付属物など〕 不明 リール1とおなじく、文字入りの木箱の画像、布製

の表紙の画像あり。

2 〔石井十次の書簡〕岡山孤児院 院長石井十次 福井要助様

不明 1872年7月4日の消印。

3

〔福井要助宛書簡〕 1913年5月7日の消印。

・石井十次の書簡かどうかは不明。・手紙本文の最 後に「中国民報社」と印字されている。

・署名も石井十次ではない。

4 福井様 林源十郎 1908年8月10日 5 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1908年8月10日

6 福井大兄 林源十郎 1909年7月20日 消印あり。

7 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1909年8月3日 消印あり。

8 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1909年11月26日

9 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1911年7月24日 消印あり。

10 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1912年8月7日 消印あり。

11 〔福井要助宛書簡〕 林源十郎 1907年9月 12 〔福井要助宛書簡〕 星嶋謹一

不明

13 〔福井要助宛書簡〕 星嶋謹一 郎

不明

14 〔福井要助宛書簡〕 星嶋謹一 郎

不明 宛名は筆書き、本文はペン書き。

G:石井十次関係資料2(書簡) Reel No.1(請求記号:192 1〜2)

番号 表題 作成年 備 考

1 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1893年8月12日 2 〔石井十次発在米ミス・ハワ

ード宛封書〕

1893年9月2日

3 〔石井十次発藤吉勇宛封書〕 1898年3月27日 4 〔石井十次発小野田鉄弥宛葉

書〕

1900年6月19日

5 〔石井十次発太田川大兄宛封 書〕

1901年9月19日 封筒なし。

6 〔石井十次発山路弥吉宛封書〕 1901年10月6日 封筒なし。

7 〔石井十次発小野田兄宛封書〕 1902年8月27日 封筒なし。

8 〔石井十次発岡山孤児院宛封 書〕

1902年8月27日 封筒なし。

9 〔石井十次発石井万吉宛葉書〕 1903年6月10日 10 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1903年7月23日 11 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1903年7月25日

12 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1904年7月16日 封筒なし。

(26)

13 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1905年1月28日 14 〔石井十次発岡山孤児院宛封

書〕

1905年3月26日 封筒なし。

15 〔石井十次発岡山本部宛封書〕 1905年3月27日 封筒なし。

16 〔石井十次発森上愛兄宛封書〕 1905年3月29日 封筒なし。

17 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1905年4月25日

18 〔石井十次発岡山本部宛封書〕 1906年2月21日 封筒なし。

19 〔石井十次発岡山孤児院宛封 書〕

1906年2月22日 封筒なし。

20 〔石井十次発岡山孤児院宛葉 書〕

1906年2月25日 福島発の書簡。

21 〔石井十次発石井万吉宛封書〕 1906年5月12日

22 〔石井十次発宛先不明封書〕 1907年3月20日 封筒なし。

23 石井十次発父母宛封書 1909年4月7日 封筒なし。

24 石井十次発野崎武吉郎宛封書 1909年5月29日 封筒なし。

25 石井十次発友子宛封書 1909年11月9日 封筒なし。

26 石井十次発石井友子宛封書 1910年3月2日 封筒なし。

27 石井十次発石井友子宛封書 1910年3月11日 封筒なし。

28 石井十次発茶臼原孤児院宛封 書

1910年5月4日 封筒なし。

29 石井十次発岡山孤児院宛封書 1910年6月3日 封筒なし。

30 石井十次発赤木大兄宛封書 1910年6月10日 封筒なし。

31 石井十次発河本大兄宛封書 1910年6月23日 封筒なし。

32 石井十次発岡山孤児院宛封書 1910年6月24日 封筒なし。

33 石井十次発百田大兄宛封書 1910年7月14日 封筒なし。

34 石井十次発河本大兄、赤野大 兄宛封書

1910年9月7日 封筒なし。

35 石井十次発赤野大兄宛封書 1910年9月18日 封筒なし。

36 石井十次発河本大兄、赤野大 兄宛封書

1910年9月20日

37 石井十次発石井友子宛封書 1910年10月20日

38 石井十次発八尾只二宛葉書 1910年12月7日 大阪発の書簡。

39 石井十次発友子宛封書 1911年1月14日 封筒なし。

40 石井十次発清水勝子宛葉書 1911年1月28日 41 石井十次発河本茂四郎、清水

勝子宛封書

1911年2月22日 封筒なし。

42 石井十次発百田大兄宛封書 1911年3月9日 封筒なし。

43 石井十次発友子宛封書 1911年4月4日 封筒なし。

44 石井十次発清水勝子宛葉書 1911年4月10日 45 石井十次発清水勝子宛葉書 1911年4月11日 46 石井十次発友子(日本女子大

学校自敬寮)宛封書

1911年6月17日

47 石井十次発岡山孤児院信役者 宛封書

1911年9月1日 封筒なし。

48 石井十次発友子(日本女子大 学校自敬寮)宛封書

1911年9月29日

(27)

49 石井十次発清水勝子宛封書 1911年10月15日 封筒なし。

50 石井十次発百田大兄宛封書 1911年11月18日 封筒なし。

51 石井十次発友子(日本女子大 学校自敬寮)宛封書

1911年12月14日

52 石井十次発岡山孤児院宛封書 1912年2月5日

53 石井十次発友子宛封書 1912年2月12日 封筒なし。

54 石井十次発岩村恒郎宛葉書 1912年2月26日 東京府豊多摩郡行き葉書。

55 石井十次発鬼塚宛封書 1912年5月29日

56 石井十次発百田孟一宛葉書 1912年6月24日 岡山孤児院行き葉書。

57 石井十次発百田孟一宛封書 1912年6月26日 百田宛、片山哲次郎宛、各一通ずつあり。岡山孤児 院行き封書。

58 石井十次発百田孟一宛葉書 1912年8月6日 岡山孤児院行き葉書。

59 石井十次発友子宛封書 1913年1月7日 封筒なし。

60 石井十次発石井友子宛封書 1913年1月14日 封筒なし。

61 石井十次発児島虎二郎宛封書 1913年2月2日 倉敷町大原楼内発の書簡。

62 石井十次発友子宛封書 1913年2月7日 封筒なし。

63 石井十次発児島友子宛封書 1913年2月24日 封筒のみ。

64 石井十次発石井友子宛封書 1913年3月4日 日向茶臼原→岡山市岡山孤児院。

65 石井十次発石井友子宛封書 1913年3月11日 茶臼原→岡山孤児院。

66 石井十次発茶臼原孤児院宛封 書

1913年3月31日 封筒なし。

67 石井十次発友子宛封書 1913年4月2日 友子の結婚に関する内容の書簡。

68 石井十次発渡辺亀之助、峰子 宛封書

1913年4月12日 封筒なし。下書きのような状態。

69 石井十次発茶臼原孤児院宛封 書

1913年4月18日 封筒なし。

70 石井十次発古村信太郎宛封書 1913年5月2日 封筒のみ。茶臼原発の書簡。

71 石井十次発児島虎次郎宛封書 1913年5月19日 茶臼原発の書簡。

72 石井十次発児島友子宛封書 1913年6月9日

73 石井十次発児島友子宛封書 1913年6月21日 日向茶臼原→備中国酒津。

74 石井十次発友子宛封書 1913年7月1日 封筒なし。

75 石井十次発児島虎次郎宛封書 1913年7月12日 茶臼原→備中国酒津。

76 石井十次発児島虎次郎宛葉書 1913年7月17日 茶臼原→酒津。

77 石井十次発児島友子宛封書 1913年7月23日 茶臼原→大原氏別荘内。

78 石井十次発児島友子宛封書 1913年7月28日 茶臼原→岡山市備中国酒津。

79 石井十次発百田孟一宛封書 1913年8月12日 茶臼原→岡山孤児院。

80 石井十次発児島虎次郎、友子 宛封書

1913年8月24日 封筒なし。

81 石井十次発石井友子宛封書 1913年8月30日 封筒なし。

82 石井十次発児島友子宛葉書 1913年9月15日 高鍋上江村→備中国大原氏別荘内。

83 石井十次発石井友子宛封書 1913年9月17日 封筒なし。

84 石井十次発児島虎次郎、石井 友子宛封書

1913年10月7日 封筒なし。

85 石井十次発児島虎次郎、友子 宛封書

1913年10月24日 封筒なし。

(28)

86 石井十次発児島虎次郎、友子 宛封書

1913年10月27日 封筒なし。

87 石井十次発児島友子宛封書 1913年11月17日 封筒なし。

88 石井十次発友子宛封書 不明 封筒なし。

89 石井十次発原田種三宛封書 不明 茶臼原発の書簡。

90 石十次発友子宛封書 不明 封筒なし。

91 石井十次発古村信太郎宛封書 不明 茶臼原→大阪事務所。封筒のみ。

92 石井十次発小野田君、河本君 宛封書

不明 封筒なし。

93 石井十次発岩崎重治宛封書 不明 封筒のみ。

94 石井十次発友子宛封書 不明 封筒なし。

95 石井十次発封書 不明 封筒なし。

96 石井十次発谷本富宛封書 不明 封筒のみ。

97 石井発岩村真琴宛封書 不明

98 石井十次発徳富先生宛封書 不明 封筒なし。

99 石井十次発友子宛封書 不明 封筒なし。断片。

100 石井十次発高月製糸場財津、

佐藤、大山宛封書

不明 封筒のみ。

101 石井十次発大原孫三郎宛封書 不明 封筒のみ。

102 石井十次発赤野君宛封書 不明 封筒なし。

103 石井十次発石井友子宛封書 不明 封筒のみ。

104 石井十次発赤野五十二宛封書 不明 封筒のみ。

105 石井十次発萱島大兄宛封書 不明 封筒なし。

106 石井十次発石井万吉、乃婦子 宛封書

不明 封筒なし。

107 石井十次発渡辺大兄宛封書 不明 封筒なし。

108 石井十次発内藤久寛宛封書 不明 封筒なし。

109 石井十次発赤野五十二宛封書 不明 封筒のみ。大阪事務所発の書簡。

110 石井十次発石井万吉宛封書 不明 封筒なし。書簡本文の宛名は「父上」

111 石井十次発児島虎次郎宛封書 不明 封筒なし。高鍋→酒津村大原別邸。

112 石井十次発封書 不明 封筒なし。断片。宛先不明。

H‑1:石井十次関係資料3(日記) Reel No.1(請求記号:181D)

番号 表題 作成年 備 考

1 〔日誌の表紙 本リール収録 の第一冊目〕

「 原石井氏/日記」と書かれている。手書きの短い 文章あり。「十二年」と記載あり、起筆年か。

2〜42〔日記等〕 日記本文。小型の日誌。一ページ当たりの記述量は

少ない。漢文、日本語文が混在。

43 〔日誌の表紙 2冊目〕 1880年5月 ・「 原漁夫/養蚕必携」と書かれている。・手書き のメモ書きが無造作に書かれた表紙となっている。

44〜71〔日誌等〕 同上。 日記というよりも、各種メモ、記録(養蚕収穫記録、

桑の実の収穫記録その他)。

(29)

72 〔日誌の表紙 3冊目〕 1882年6月 2 日 ‑ 7月3日

「日日録/見聞録」、「高鍋/ 原耕夫」とあり。紙面 の小さい、小型の日誌。

73〜152

〔各種記録、メモ等〕 同上。 ・漢字や語句の記録、医学校規則など各種規則の記 録。・カブラ、ナス、ワラビなどの食材に関する メモも多い。

・落書きのような状態のページや、シンプルなイラ スト入りのページもみられる。

153 明治二十年七月/孤児教育会 マイクロフィルム上で、「取り消し、再撮影」がな されたコマ。再撮影分はこの後に収録。

154 明治二十年八月/孤児教育会 趣旨並概則

同上。

155 孤児教育会趣旨書 同上。

156 孤児教育会概則 同上。

157 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「下等小学第六級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

158 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「下等小学第七級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

159 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「下等小学第四級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

160 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「下等小学第二級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

161 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「下等小学第一級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

162 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「上等小学第八級卒業候事」、「宮崎学 校」と書かれている。

163 〔鹿児島県からの通達〕 石井十次宛。寄付金に関することか。

164 〔石井十次 卒業証書〕 大きな字で、「上等小学第三級卒業候事」、「嶋田学 校」と書かれている。

165 依頼職務差免候事 「巡査 石井十次」宛書状。鹿児島県庁から。

166 五等雇申付候事 1882年6月7日 鹿児島県庁からの書状。

167 依頼雇差免候事 1882年7月24日 鹿児島県庁からの書状。

168 第二期エ進級候事 1882年12月24日 岡山県医学校からの書状。

169 第三期エ進級候事 1883年5月28日 岡山県医学校からの書状。

170 第四期エ進級候事 1883年12月24日 岡山県医学校からの書状。

171 第三前半期エ進級候事 1884年5月28日 岡山県医学校からの書状。

172 第四後半期エ進級候事 1885年12月24日 岡山県医学校からの書状。

173 孤児教育会 1887年7月 本リール収録の第4冊目の表紙。

174 明治二十年八月/孤児教育会 趣旨並概則

1887年8月 左記タイトルのみ記載されている。

175 孤児教育会趣旨書 1887年8月 手書きの草稿。文章を線で取り消していたり、語句 を挿入して修正している。

176

孤児教育会概則 ・孤児教育会の目的、教育内容、入院孤児の数、方

法、入会手続き、孤児救済法などについて。

・創立費寄付金表も含む。

177 孤児教育会臨時義捐金帳 1887年8月 表紙に、「孤児教育会事務所」とあり。寄付金額と 氏名が一覧表になっている。

(30)

178 孤児教育会会費金領取帳 1887年8月 表紙に、「孤児教育会事務所」とあり。会員名と金 額が一覧表になっている。掲載会員数約100名。

179 孤児教育会創立費義捐金表 金額、氏名が一覧表になっている。

180 物品義捐表 孤児教育会創立の際の支援物資の表。氏名と物資の

名称が記載されている。

181 孤児教育会臨時義捐金表 義捐金の金額と氏名が記載されている。

182 孤児教育会金銭支出帳 1887年8月 表紙に、「孤児教育会事務所」とあり。支出に関す る記録。

183 明治二十一年一月ヨリ/孤児 教育会金銭支出帳

1888年 支出に関する記録。金額、摘要、日付が表になって いる。

184 明治二十年九月/孤児教育院 教科用書籍器具購入帳

1887年 文房具、書籍等の購入の記録。金額、摘要、日付が 表になっている。

185 明治二十年九月/孤児院創立 費寄付金表

1887年 寄付者の金額、地名、氏名、日付が表になっている。

186

明治二十年九月/孤児教育院 創立費寄付金表

・表紙に、「孤児教育会事務所」とあり。

・まず、孤児教育会の事業に関する短い文章と、

「孤児教育会創立必要品」の一覧表がみられる。

・その後、「孤児教育会創立費寄付金表」が続いて いる。寄付の金額、氏名、地名、日付が記載され ている。

187 明治二十年八月/孤児院臨時 義捐金表

1887年 寄付者の金額、地名、氏名、日付が表になっている。

188 自明治三十年九月/臨時物品 寄付記録

1897年 ・表紙に「孤児教育会」と記載あり。

・物品名、地名、氏名、日付が表になっている。

199

孤児教育会々員並ニ出金額一 覧表

1887年 活字。新聞記事か事務書類の切り抜き。この後に、

金額と物品を記した下書きのような状態のメモおよ び孤児院に入院した児童の氏名、年齢等が記された 表が続く。

200

明治二十年度孤児教育会年報 1887年 ・表紙に、「備前岡山 孤児教育会」と記載あり。

・義捐金の寄付者と金額を県ごとに表にまとめてい る。

・財務に関する情報が比較的詳細に記されている。

・岡山県、兵庫県、大阪府、広島県、京都府、滋賀 県、鳥取県、愛媛県、高知県、宮崎県、米国の会 員名が記された名簿を含む。

201 岡山孤児院報告綴 1887年 活字の報告書。内容は、義捐金の一覧表、財務報告、

孤児入院表など。

202 明治二十二年八月調/孤児教 育会報告綴

1889年 活字の報告書。内容は、義捐金の一覧表、財務報告、

孤児入院表、各県ごとにまとめられた会員名簿など。

203

六カ月間/孤児教育会報告 1889年 手書きの報告書。内容は、各県ごとの入会員数、収 入金、臨時寄付金。支出、寄付物品、入院孤児の一 覧表。

204

岡山孤児教育会/事務所/孤児 教育会報告

不明 手書きの報告書。

・内容は、収入金、物品寄付、支出金、寄付金、月 ごとの入院孤児、の一覧表。

・金銭や物品の寄付者に関しては、摘要、日付、氏 名、所属(ex.同志社神学部、高 教会 etc.)が記 録されている。

・決算表もあり。

(31)

205

二十三年十二月中 岡山孤児 院年報

1890年 明治23年度。手書き。内容は、各県ごとの入会員数、

収入金、臨時寄付金。支出、寄付物品、入院孤児の 一覧表。物品寄付、寄付金、の一覧表。

・金銭や物品の寄付者に関しては、摘要、日付、氏 名、所属(ex.同志社神学部、高 教会 etc.)が記 録されている。

・決算表もあり。

・入院孤児のデータ、孤児院での活動内容に関する 簡単な報告もあり。

206

明治二十四年三月十 二 日 □ 稿/岡山孤児院目的方法現況

1891年 ・岡山孤児院の設立目的や、現在の状況について報 告されている。手書き。

・組織、施設に関する記述もあり。

・物品寄付、寄付金の一覧表もあり。

207 岡山孤児院報告/(四月中) 不明 手書き報告書。内容は、寄付金、物品寄付、支出な どの一覧表。

208

明治二十四年六月中寄付金物 品/岡山孤児院

1891年 ・手書き報告書。内容は、寄付金、物品寄付、支出、

入院児童などの一覧表。

・表紙タイトルは左記のようになっているが、1892 年6月分までの報告書が一続きで綴じられている。

H‑2:石井十次関係資料3(日記) Reel No.2(請求記号:181E)

番号 表題 作成年 備 考

1 明治二十年 四拾九枚/会員 加盟之證/西京同志社予備校

1887年 ・孤児教育会に加盟した個人宛に発行された会員証。

・49名分が収録。

2

明治二十一年九月/孤児教育 会/日誌

1888年 ・ほぼ毎日の出来事が記録された日誌。内容は、岡 山孤児院のことやキリスト教伝道に関すること、

日常のことなど。

3

「岡山孤児院」 不明 内容は以下の通り(収録順)。

・「孤児教育会趣旨書」

・「孤児教育会概則」

・石井十次の伝記的解説文(小見出しとしては、「石 井氏の決心」、「由来」)。

・石井や岡山孤児院の関係者一覧とその人物の解説 文。

・「維持の方法」、「会計」、「寝食のこと」、「集会の こと」、「諸児の間」、「学事の模様」、「孤 児 院 生 徒」(入院児童の一覧表)。

・その後、孤児院関係者と思われる人物に関するメ モが13ページ続く。

・石井十次に関する活字の記述5ページ。

・「岡山孤児院 光延品七誌」。

4

名古屋震災孤児院報告 不明 内容は、・財務報告、孤児の出入り記録、寄付金表 等。

・「震災孤児院」と題された報告文。

・「明治二十四年十二月十三日/震災孤児院」(設立 の経緯などが記載)。・「明治二十六年六月七月/震災 孤児院報告」。

5 自明治二十六年七月 至 十 二 月/岡山孤児院記事

1893年 手書き。日記形式。岡山孤児院もしくは石井十次宛 の書簡も収録。

(32)

I‑1:石井十次関係資料4(書簡) Reel No.1(請求記号:181F)

番号 表題 作成年 備 考

1

〔石井十次書簡 6通〕 1883年‑1886年 ・1883年6月3日 石井十次発父母宛封書

・1885年12月24日 岡山医学校発石井万吉宛葉書 (

[医学校成績表])

・作成年不明 石井十次発父母宛封書

・1886年1月15日 石井十次発父宛封書・1886年1 月9日 原朝晩学校出席表

・1886年4月20日 石井十次発父母宛封書

2

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 5通〕

1892年‑1901年 ・1892年9月27日 封書

・1892年10月1日 封書

・1894年3月24日 葉書・1900年8月4日 封書

・1901年5月27日 封書

3

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 6通〕

1901年 ・1901年8月21日 封書

・1901年8月23日 葉書

・1901年9月12日 封書

・1901年9月18日 封書

・1901年9月22日 封書

・1901年10月4日 封書

4

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 5通〕

1902年‑1904年 ・1902年8月22日 封書

・1903年7月20日 封書

・1903年7月29日 封書

・1903年8月1日 封書

・1904年5月3日 封書

5

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 7通〕

1905年‑1907年 ・1905年10月11日 封書

・1905年11月9日 封書

・1906年9月19日 葉書

・1906年11月17日 封書

・1906年11月29日 封書

・1907年9月8日 封書

・1907年11月15日 封書

6

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 11通〕

1908年 ・1908年11月1日 封書

・1908年11月2日 封書

・1908年11月5日 封書

・1908年11月9日 封書

・1908年11月17日 封書 封筒なし

・1908年11月28日 封書

・1908年12月4日 封書

・1908年12月14日 封書

・1908年12月14日 電報

・1908年12月21日 封書

・1908年12月26日 封書(年不明の2/23日付手紙同 封)

7

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 9通〕

1909年1月‑5月 ・1909年1月1日 封書

・1909年1月11日 封書

・1909年1月20日 封書

・1909年1月23日 封書

・1909年1月27日 封書

・1909年2月22日 封書

・1909年3月7日 封書

・1909年5月11日 封書

(33)

8

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 14通〕

1909年6月‑8月 ・1909年6月6日 封書

・1909年6月7日 封書

・1909年6月11日 封書

・1909年6月18日 封書

・1909年6月21日 封書

・1909年6月25日 封書

・1909年7月26日 封筒なし

・1909年7月28日 封書

・1909年7月29日 封書

・1909年7月29日 葉書

・1909年8月3日 封書

・1909年8月15日 封書

・1909年8月24日 封書

・1909年8月31日 封書

9

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 11通〕

1909年9月‑12月 ・1909年9月10日 封書

・1909年9月30日 封書

・1909年10月7日 封書

・1909年10月16日 封書

・1909年11月2日 封書

・1909年11月28日 封書

・1909年12月6日 封書

・1909年12月17日 封書

・1909年12月18日 封書

・1909年12月23日 封書

・1909年12月31日 封書 I‑2:石井十次関係資料4(書簡)

Reel No.2(請求記号:181G)

番号 表題 作成年 備 考

1

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 13通〕

1910年 ・1910年1月12日 封書

・1910年1月13日 封書

・1910年1月17日 封書

・1910年2月10日 封書

・1910年2月21日 封書

・1910年2月26日 封書

・1910年3月10日 封書

・1910年6月2日 封書

・1910年6月11日 封書

・1910年6月16日 封書

・1910年6月23日 封書

・1910年6月25日 封書

・1910年12月4日 封書

2

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 19通〕

1911年 ・1911年1月26日 封書(消印1月27日 ただし1月 28日付書簡同封)

・1911年1月27日 封書

・1911年2月1日 封書

・1911年2月20日 封書

・1911年3月1日 封書

・1911年3月6日 封書

・1911年3月9日 封書

・1911年4月17日 封書

・1911年5月4日 封書

(34)

2

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 19通〕

1911年 ・1911年5月29日 封書

・1911年6月11日 封書

・1911年6月17日 封書(友子発十次宛書簡在中)

・1911年7月18日 封書

・1911年7月24日 封書

・1911年8月19日 封書

・1911年9月23日 封書

・1911年9月26日 封書

・1911年11月1日 封書(10月24日付炭谷発金森小 壽宛葉書在中)

3

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 12通〕

1912年1月‑6月 ・1912年1月19日 葉書

・1912年1月25日 封書

・1912年2月2日 封書

・1912年2月12日 封書

・1912年2月26日 封書

・1912年3月3日 封書

・1912年3月18日 封書

・1912年3月28日 封書

・1912年4月10日 封書

・1912年5月29日 封書

・1912年6月11日 封書

・1912年6月13日 葉書

4

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 10通〕

1912年7月‑12月 ・1912年7月5日 封書

・1912年7月22日 封書

・1912年8月3日 封書

・1912年8月7日 封書

・1912年8月20日 封書

・1912年9月1日 封書

・1912年9月16日 葉書

・1912年9月22日 封書

・1912年11月9日 葉書

・1912年11月16日 葉書

5

〔石井十次発炭谷小梅宛書簡 18通〕

1913年1月‑12月 ・1913年1月8日 封書

・1913年1月28日 封書

・1913年2月23日 封書(後半部欠落)

・1913年3月4日 封書

・1913年3月9日 封書

・1913年5月5日 封書

・1913年5月6日 封書

・1913年5月19日 封書

・1913年6月3日 封書

・1913年6月5日 封書

・1913年6月15日 封書

・1913年6月29日 封書

・1913年9月5日 封書

・1913年9月15日 葉書

・1913年9月17日 封書

・1913年10月9日 封書

・1913年10月27日 封書

・1913年10月27日 葉書

参照

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