万葉集におけ
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(2) 28. 古代の文化は︑濃厚に原始的な要素を集積している︒いわば︑原始的要素を払拭しないまま︑その発展の頂点を示. したものともいえる︒こういったことは︑現代のわれわれに一見奇異な感じをいだかせるが︑合理的な知性に濁らさ. れている現代の人間にとって︑未整理のまま︑矛盾のまま︑平然と遇去の生活様態と思惟を保存している態度には︑. じつは生命力の旺盛で︑忍耐力も勇気もあった彼らの活動のさまを示しているといってもよいかもしれない︒それと. 同時に︑紀記万葉は︑彼らの思想的拝情的な精神活動を最大限に発揮した所産である︒われわれの浅い知性だけで一. 方的に解釈したり︑現代の生活との差異から︑判断を下したり︑価値づけることは︑真実の姿を捉える・﹂とにならな. いのであるから︑まづ︑古代文化とわれわれの間に横わっているいくつかの前提ともいうべき︑思惟方法の重層をあ. らかじめ明かにしなげれば︑古代の本質に迫まることは不可能になる︒卜﹂ういった点は︑いかなる些綱た間題であっ. ても︑たえず考慮に入れておく必要があろう︒古代文献を取扱う上において︑困難となる障害の一つは︑目本の場合. とくに言語の語源潮源がまだ確立されていないことである︒せいぜい民俗語源説か︑さもなげれぱ︑たんたる類似語. からの類比にとどまる︒外来文化の受容から生ずる語彙は別として︑目下のところ孤立語として考えられるから︑将. 来︑各民族文化との比較︑言語系列の発見をまつまでは︑本島と奄美群島︑琉球との関係︑そして古韓国との脈略ま. でを限度としたげればならず︑歴史的関連と類比の相似とは明確に区別されたげれぽならない︒ ナナ⁝ 古代において海洋は二通りの名称で呼ばれていた︒一つはくうみV︵海︑宇美︶で一般にく大水Vのつづまったも の︑大水をたたえているところ︑したがって︑海洋はもとより湖沼をも意味する︒. つぎはくわたV乃至はくわたつみVである︒︿わたVについては二義ある︒ひとつは渡る意といわれ︑百済語のホ ワタナカ タイ︑パタと類似語︑あるいは共通語源と見る説がある︒古代においてく渡中Vをあてて︑航海を示すことをも含んで. いた︒︿渡りVは本土より︑海をこえて︑韓に赴くことなどを表わす︒さらに︑︿わたVは水流の曲折して淀む個所. 938.
(3) ワ. ト. を意味する︒回所の転義であるという説があり︑海や湖水の内浦︑内湾などを指し︑かならずしも海︑湖沼にかぎら. ク. ノ. ︑ヒ. オボヤ守ノ.一︑. ワ虫. ウ一一︑. ず︑河川などにも用いられる︒万葉巻一︑十七に﹁ささなみの滋賀の大和太︑淀むとも﹂はその用例にあたる︒︿わ. たつみVのくつみVは霊異のくびVや大山砥のくつみVと同じで︑聖なる存在者への尊称である︒一説には︑海ゾ海 ウ⁝. ワタノ⁝. の重言であるという説もある︒あてている字はく海神V︑︿綿津見V︑︿渡津海V︿海若Vなどがある︒. 大別して考えられることは︑一般の海洋の現象性を表わすのに︑海︵宇美︶を用い︑海神は︑この海への人間の航. 海たどの行為を指し︑それは危険をともなうゆえ︑海の威力を尊ぶ称呼であった︒むろん︑この区別は特定の時代に. おいて︑明確な意識をもって区別されてはいるが︑他方︑忘れられ︑しぼしば併用したり︑混同して用いることが見. うげられる︒とにかく︑海洋にたいして︑二様の呼称があり︑それぞれ異った意味合いをもっていたことは事実であ. る︒さらに︑︿わだつみの神Vとか︑︿わだの神Vはあっても︑︿うみ神Vという呼び名のないことに︑注意してお. 原始時代から目本にすむ人々はいく度か生活様態を更新し︑古代文化が成立するまでに至る年月は︑相当に長い期. 閏であったとおもわれるが︑その問︑目本の祖先たちの生活の中に大きな支配力をもっていたのは︑海洋である︒た. とえば︑漁携生活は︑ひとびとのかなり重要な生活であり︑農耕にはいる以前から︑食料の収集にはもっとも簡単な. 方法としては︑海辺の貝類︑および魚類︑海藻などがあった︒もりや網をもってする魚類の取得は︑山野の狩猟と同. 様︑人間の技能を必要とするし︑さらに舟の操法の発達をまたねぱならぬ︒さらに︑塩の敢得︑および塩の製法の発. 達がともたう︒こういったことは別に改めてのべるまでもないが︑山野の狩猟採敢から︑農耕開墾の時代にはいり︑. 海辺の生活者と職能が分掌していったのちも海洋は別の意味で一層重要性を増してくる︒. 海上による諸地域の交易も増加し︑ひいては対島海峡︑東支那海を航行して︑古韓半島︑中国大陸との接触も行わ. 939. く必要がある︒. 羽.
(4) 3①. れるに至った︒. 一体︑原始時代の生活様態とその思惟方法を集積して︑これを背後に背負っている古代人は︑海洋にたいしどのよ. うな想念をいだいていたのであろうか︒またその想念をいだくに至る海洋にたいしての︑古代人の態度と認識のあり おそ. 方はどのようであったか︒二言にしていえば︑海洋は航海をする上において︑一歩あやまるならぱ︑生命の危険をは. らむ畏るべきものであった︒それと同時に︑生活の糧を惜しみなく与えてくれる恵みの源泉でもあった︒−﹂の畏れと. 恵みの双方の意識が同一の存在に同時に共存していた︒古代人にとって︑海洋のみならず︑山岳︑岩石︑河川︑樹木. すべては拙象的な存在ではない︒あるいは︑距離をおいて対象化された自然的存在ではなく︑彼ら自身と共存する生. きた存在者であった︒彼らのすむ部落の地域すら︑大小の差はあれ︑その土地の神的存在老の守護を求め︑安定と祝. 橿を念じたといってよい︒こういった思惟方法を︑汎神論︵霊巨麦彗︶とか︑アニ︑ミズム︵ξぎ一警︶とか︑名づけ. て概念的に片付けるべきではない︒こういった一切の存在の中に︑生命のいぶきを看敢する精神のあり方は︑もう少. し立ち入って考えてみなければならない︒原始人乃至古代人が蒲々と浪立つ海の前に立ったと仮定しよう︒彼らはわ. れわれのように︑海を知的た対象として認識するのではない︒彼らは自己に向って波濤を砕きたがら︑よせて止童な. い海の動き︑その色彩︑太陽の光︑魚群の飛躍︑一切を含める全体的存在として迎え容れる︒海と;筒でいうけれ. ど︑彼らの感受する海とは︑広大で涯しない︑空につらなる海全体の印象と感動である︒それは太陽ののぼりくると. ころ︑また没するところであり︑かすかに揺曳する雲の彼方に︑島影がうかび︑そこに渡って見ようとする憧僚を生. む︒またあるときは普通の自己の生活では見なれない植吻の実や︑魚介︑漂流物をもたらすところでもある︒彼らの. 生濤の中におこる海洋とそれの包含する一切の出来事︑長れや喜びの印象と感動のすべての現象が彼らの海という存. 在老にたいして抱いている意識であろう︒一体︑古代の人聞にとっては︑︿ものV︵物︑老︶といったとき︑それは. 940.
(5) 31. 今目のわれわれが表象するような意味で﹁物質﹂ではなかった︒︿ものVには内容上︑多くの意義がある︒生活をと. りまく一切の存在︑さらに人格的な存在者︑生活の必要に応じて意識の中に表象されるものなどである︒︿ものVと. は︑抽象化され︑固定されて︑いわゆる物質︑質料として思惟する以前には︑もっとも流動し︑提えがたき存在であ. り︑原始人や古代人の身体にふれながら︑現存的に活動する実在者であった︒換言すれぱ︑︿ものVとは力であり︑. 生命であり︑人聞にむかう存在者であり︑力として働きかけてくるものなのである︒︸﹂れを一般の宗教語に置きかえ. れば︑︿ものVとはマナ︵竃彗葭︶である︒原始人や古代人にとって︑自已に働きかげ︑力を及ぽさないくものVは︑. ︿ものVではない︒彼らにとって自已の心に思惟されはするが︑現存として働きかけぬ存在老は考えられぬことであ. った︒Lかしながら︑︿ものVは︑漸次二重の意味をもつにいたった︒一方は前述のごとく働きかける存在老であ. り︑とくに他のくものVより︑特殊な感動と印象をうけた場合の出来事の体験なのであるが︑これとは反対に︑人間. の生活を支え︑保持している一般的な存在老︑別の表現でいえぱ︑鼓列的な物象としての認識が成り立つ︒この場合. には︑人間の目的や利用に役立つものとLて︑経験的た知性の範囲で捉えられるように恋る︒︸﹂の点は︑表現がむつ. かしいげれど︑原始人︑古代人は全然知性をもたないかのごとく︑論ずるむきが多いようであるが︑じつは彼らとい. えども知性は存在していたのである︒レヴィ・ブリュールたどの説くごとく︑われわれ現代人と全く異質の思惟があ. ったわけではない︒ただ︑われわれのごとく︑遇度な知性の信頼と︑乱用がたかっただけである︒そして︑自己に働. きかげる存在者として︑受け入れることによって︑自已の実存の保証を見出し︑生への喜びをも?﹂とが︑彼らの意. 識を支配していたし︑知性が背後にかくれて見えないがゆえに︑一見奇異なる感じを現代人にいだかせるにすぎた. い︒一言にしていえば︑原始的思惟は︑知識も技術も信じかかるという行為に集中していたのである︒それゆえ︑現. 代に生きる人間のように︑認識と行為は分裂していなかったし︑精神と物質がたもとを分ち︑懐疑に悩まされるよう. 94一.
(6) 32. 中余立置而. 伊与木廼之. 座待月. 開乃門従者. 募去者. 塩乎令満. 明去. 942. なことはなかったともいえる︒意識の分裂のないところには︑いつも新鮮な統一的な生命感がみなぎっている︒原始 芸術や古代芸術の魅力が︑われわれに訴えてくるものは︑右のような点にある︒. 原始人に見られる大きな特徴は︑彼らの生活全体の芸術化といってよいかもしれたい︒このことは︑若干の解明を. 必要とする︒この場合︑誤解をさげるために︑芸術化ということが︑今日われわれが普通に考えているような意味で. のそれではなく︑もっとずっと幅の広い包括的な意味をもっていた︒あるいは︑宗教性と密接な関係をもっていると. いってよい︒しかし︑これは一般によくいう魔術化とは異る︒魔術化とは︑宗教の堕落した変種の一形態にすぎぬ︒. 本来の意味からいえば︑宗教性が直接密接た関係をもつのは芸術性であって︑魔術ではあり得ない︒世間ではよくこ. の点を誤解して︑宗教と魔術を混同している向きが多いが︑これはまづ決定的に異質的たものであることを認識する. 必要がある︒魔術は本来の宗教的な意味が忘れ去られ︑ものの力の直接的な効果を求める素朴な技術であるが︑宗教. 性は聖なる存在と直接向い合いはするが︑永遠の存在と人間の正しい関係のあり方を求めるためである︒それゆえ︑. 人間の行為にたいして︑厳しい規範が要求される︒︑ミソギ︑ハラヒなどは︑聖なるものにたいする人間自身の清浄の 心身の更新︑保持を意味する︒. 淡路嶋. 白浪平. 以上のことを前提として︑まづ万葉人が海洋にたいし︑どのように受げ取り︑感動したか︑その具体的な実例を考 察することにしたい︒. 海若老 霊寸物香. 万葉集巻三︑轟旅の歌一首拝短歌︵三八八︶. 二.
(7) 鶉. 嶋伝. 塩乎令干. 開去歳. 塩左為能. 浪乎恐美. 礒隠居而. 何時鴨. 滝上. ゐまちづき あ. 燕乃不勝宿老. いよにめぐらL. 此夜乃将関跡 待従余. 余波母之頭気師. しらなみを. しほさゐの. たづさわにさく. たきのうへの. あ. なみをかLこみ あ. しほをひしむる. いのねがてねば. なかにたておきて. 鶴左波余鳴. 安倍而携出牟. 淡路嶋. 率児等. 日本恋久. 立動良之. 浅野之矯 反歌. 許芸廼老. あわじしま. あけされば. さもらふに. やまとこほしく. いざこども あへてこぎでむ にはもしづけし. このよのあげむと. −﹂ぎくれぱ. たちさわぐらし. いつしかも. しほをみたしめ. くすしきものか. 敏馬乃埼乎. わたつみは ゆふされば. あけぬとし. いそがくりゐて. かしのとゆは. わじしま さののきぎ し. みぬめのさきを. 反歌 しまづたひ. この作品は淡路島に船を向けて︑わたるときの︑海にたいする異常た感動と︑この島に定泊して風待ちの一夜を明. かして︑つぎの船族へ向うの喜びとの二つに分れる︒おそらく大和の官人が任地に舟で赴くときの作であろう︒今日. から見ればさしたる航海ではないが︵それでもときどき海難が人間に警告を発する︶︑海を見慣れぬ大和朝廷の人々. にとって大きな驚きであった︒しかし︑そういったことよりも︑作老自身がもつ感受性の強さが歌柄を大きくしてい. る︒この作者はどちらかといえば︑理性の勝った人であろうと察しられるが︑しかし︑淡路島をめぐる広い海のすが くす た︑とくに鳴門をひかえての潮汐の干満のはげしさに﹁わたつみは霊﹂きものか﹂の感動をあらためて発せしめた︒. あらた1めてというのは︑作者の中に眠っている原始からっながる据洋にたいする自然のなまなましい力の働きが喚起. 943. 乃者.
(8) 94く. された︒彼ぽためらわずに率直にこの表現に向った︒古代の航海は︑島づたい︑磯づたいの方法で︑危険を見て︑湊. に泊り︑陸地で一夜を明かす︒難波の御津を出て︑淡路島にとりつき︑風と潮を待って︑明石海峡へと抜ける︒陸地. で感じられず︑忘れられていた荒々しい大自然の力を作老は︑強く感動したがら︑島で一夜を明かし︑困難を乗り越 み邊め え︑つぎの泊りへと向ってゆく︒そこにこの歌の後段のさわやかさがある︒反歌は瀬戸の内海にはいって︑敏馬を−﹂. 翔することは︑人間のなし得ぬことであり︑今日といえど神秘に属する︒現代は人閻も空を飛ぶけれども︑それは棲. ることは︑もはやくだくだしく説くを必要としたい︒ただ鳥は人間の近付きがたい存在であり︑Lかも空を自由に飛. 方をかすかにわれわれに暗示してくれる︒鳥の遣しるべによって︑戦いを有利にすすめ︑不安な旅の水先き案内とな. して白鳥となり翔り上った臼本武尊の伝承はいうまでもなく︑各地にのこる白鳥伝説は︑鳥と人問の古い関係のあり. るしだ︒守護して下さるくをなり神Vは︑尊く慈愛深き方だ︒L鳥を神秘的な存在として︑魂と見たり︑あるいは︑死. まっている︒これはただの白鳥ではない︒たれかのくをなりVの生き魂にちがいない︒皆の衆︑幸先のよい舟旅のし. これは舟の﹁高艦節﹂︑﹁外艦節﹂といわれている︒大意は﹁ごらんなさい︑サ﹂の舟のともに白い鳥が舞ひおりてと. とも. 白鳥やあらぬ︑をなり神がなし︒. 舟の高ともに坐ちゅる白鳥っぐわ︒. 心事とたった︒たとえぱ︑奄美群島に伝わる民謡につぎのようなものがある︒. 旅の途中などで︑水鳥の群に出合うことは︑のちの型にはまった海辺風景の文掌や大和絵の題材とは異り︑非常な関. 古代においては︑海で出合う水鳥は︑吉凶を判断するくしるしVであった︒その意味で航海の出発の前後︑また︑. ル﹂ではなく︑海辺につどふ水鳥を指したものらLい︒. ぎすぎたとき︑大和への思郷の想いが︑にわかにたきさわぐ水鳥の群にかき立てられた︒﹁たづ﹂はかたらずしも﹁ツ. 拠.
(9) 械を用いて可能なのであって︑人間そのものが飛翔することは不可能である︒. ︿おたり神Vは︑妹あるいは姉の魂が︑旅︑とりわけ海の危険にさらされる兄︑あるいは弟を救う力ありと信ぜら. れている︒これはかたらずしも︑現実の肉親関係のみを表わさず︑神に仕える巫女とその共同体の人々をも示めす︒. 海を遠く旅する男たちは︑肉身の姉妹からく神さじV︵守札︶をいただき︑その守護を信じて困難の中をすすむので. ある︒︸﹂こには︑余裕をもったのちの文芸と異る緊張関係がある︒近づきがたい白い鳥が︑旅に出る船のともにおり. てとまったことは︑舟人たちにとって︑その理由は分らぬにせよ︑風浪はげしい海に出てゆくに先立ってのよき前兆. であった︒とくに白い鳥が群れをなしてとぶときは︑よき目和であり︑魚の群も多く︑したがって︑漁携にも鳥は一. わたなかに. かこぞたくなる. あはれそのか−﹂. 何怜其水手︵巻七︑一四一七︶. 種の案内役をつとめる︒湊が見えたときそこに鳥が群なしているときには︑ほっと安塘の息をついたことであろう︒. あさ−﹂ぎくれぱ. 名児乃海乎 朝棲来着 海中爾 鹿子曾鳴成 たごのうみを. この作品のくか−﹂Vは︑水夫であり︑︿なくなるVは水夫であれぱ︑﹁よぶなる﹂と訂正すべきだとする佐々木信. 綱﹁万葉集略解﹂も︑︿かこVを鹿の子とし︑陸地からきこえる鹿の声を船上できいたとする窪田空穂﹁万葉評釈﹂. もともに誤りで︑︿カコVをくカそメVかこれに類する水鳥ではないかと推定する野鳥研究の権威中西悟堂の説を正. しいとせねばなるまい︒大阪湾をこぎ出た舟に鳴きさわぐ鳥の声に作考はやはり常たらぬ感動をおぽえたのである︒. さきにあげた︑巻三三八八の反歌をもう一度考えてみると︑敏馬の崎をこぎめぐってゆくと︑水鳥が鳴きさわぐ声. に︑ふと大和をなつかしく想いやった︒ここには︑奄美に見られるような︑白鳥をおなり神の化身と見︑船旅の吉兆. と受げとることはなく︑強い文芸意識がはたらいている︒したがって︑水鳥に出合ったのは︑旅の吉兆ではなく︑故. 郷の妻子をおもいやる媒介にすぎない︒危険な航海をおえたのちの安堵から︑今までの緊張感がとけ︑俄かにねむっ. 945.
(10) 36. ていた懐郷のおもいにさそわれた︒こういった起伏をわれわれは︑万葉集の作品のいたるところに感取することがで. きる︒しからぱ︑一体古代万葉時代の人々は原始時代から集積している宗教土目仙識と文芸意識の箆界線をどこに設定し ていたと考えるべきか︒. まづ従来・万葉髪日本の萎の哀として︑ただ芸術的側面のみから見てきたきらいがある︒っぎに︑哲信夫. たどの系譜にあらわれているような民俗学的な古典解釈がある︒この双方の立場を︑︑︑︑で逐一あげる必要はたい︒間. 題は万葉人の広い意篭ぎる羅方法竈雀されていないので嚢︒今日のわれわ註ものご差姦し︑概念. 釣に区別し︑専門別︑部門別の分野から考察することになれすぎている︒それぞれの特殊の研究は尊重されたげれぱ. たらたいにLても・万葉時代の人間の思惟の現実の全体的状況を把握しようとつとめたけれぱ︑ただ現代のわれわれ. に理解され︑共感をよぶ範囲の事柄だけにとどまってしまい︑しまいには知的操作の遊戯と作品の鑑賞だけに終って. しまうおそれがある︒たとえぱ人麿を宮廷の御用歌人ということで︑一方的に賭す説がある︒こういったことは︑客. 観的に見えてじつは主観的な解釈におちいる︒人麿は出るべくして出てきた存在である︒当時の人︑に迎えられ︑時. 代の精神と彼の詩魂が一つになってそのカ量が発揮された︒彼は時代に背を向げたり︑そねんだりしたかった︒︑また. 時代も彼の出現を無視することもなかった︒一言にしていえば︑彼をはじめとして︑万葉の詩人たちは︑はつらつた. る若々しい民族精神が湧き上ってきた時点に︑立っている︒民族精神といえばすぐ偏狭な民族主義︑猿善的な国家主. 義を連想するむきもあろうが︑そういったものではない︒精神史的に見てこの時代ほど大陸文化にたいLて包容力を. 示した時代窪㌧それ望︑世界的筈代文化としての力をもっている︒その厳然たる証護︑紀努葉の襲が. なされていることと鼓行して︑仏教の伽藍が建立され︑仏像が刻まれ︑経典を読謂し︑あるいは中国の儒教︑遣教す. らも無数の形をとりながら︑はいって来ていることである︒漢詩形式の詩集が作成されているとともに︑国風として.
(11) 37. の万葉集が完成してゆく︒間題は︑歴史的現象が一方の事実だげによって進展するのでは液く︑無数の事実が複合し. 相互に働きかけ合いながら︑時代を形成してゆくという︑やや複雑な形態をとるのである︒. 万葉の歌人たちは︑じつはのちの時代のように宮廷に閉ぢこもり︑あるいは押しこめられ︑本来働きかけるべき現. 実にたいしなんらの活動をも示さぬ独り言のような作品をもてあそんだ人々の態度とはちがい︑拝情詩においては歌. 人ではあるが︑観実に則していえば︑大和朝廷に関係をもつ官人であり︑民謡調の特色をもつ一都分の作品は別とし. て︑時代を動かす生活カをもった人々なのである︒いいかえれば︑政治家でもあり︑武人でもあり︑経済人でもあ. り︑宗教家でもあり︑要するに︑経世済民の任にあたる人々︵悲劇的な生涯を終えた人々もあるが︶であった︒す恋. わち︑この万葉の時代の運命に責任をもった人々であるといえよう︒万葉の作品は︑詩人︑歌人を専門にした人々で. はなかった︒時代を動かす精神は何をもって根源とするか︒そのもっとも強くLて純粋なるもののあらわれは︑秤情. 詩である︒原始時代から集積してきた神話︑伝承︑宗教的な思惟は︑活緩に働く個人の全人間的な感受性と表現力を. とおLて︑作品となっていった︒たとえ︑宮廷などの共通の場はもっていても︑もはや宗教芙同体︑生産共同体の場. における集団祭儀の神歌︑労働歌ではなLに︑ひとりひとりの個人の精神によって向い合う自然風土であり︑人間の. あいだの関係であり︑永遠の存在者への祈念であった︒彼らは自已の背後にも︑周囲にも宗教性を濃厚にもちながら. も︑全人闘的な拝情への目珊揚がその喜びや悲しみ︑驚きや不安︑死の嘆き︑旅の憂愁︑別離の苦しみたどさまざまの. 人問の深層を歌いあげた︒これは彼らが運命や現実に弱々しく逃避的であったからではなく︑逆に人間的た生き方の. 感動の振幅の強さを示すものである︒奈良朝時代の無数の困難な事業の遂行は︑げっして逃避的退嬰的な精神の持主. によってはなしとげられるものではたい︒世の多くの人々は︑散文小説がさかえて︑拝情の詩歌の衰退を︑文学の歴. 史の必然的過程と考えたりするむきがあるが︑民族全体の生命力がたかまるとき︑将情が開筆する︒たとえ︑多くの. 9毛7.
(12) 38. 危険や不安にさらされ︑傷つきやすくとも︑拝情は民族の精神にさいた繕華である︒. 拝情は本来︑人問のもっている宗教性に根源をおいている︒芸術はあらゆる意味において︑その源泉を宗教から汲. み上げてくるとき︑豊かな実りを示す︒それと同時に︑宗教は芸術の表現をかりて︑人問に永遠の存在者の言葉を示. しつづけてきた︒文芸が民族の精神を表現する力を停止した凋落の時期や︑文薯が宗教と反目し合って︑宗教を無視. するか︑しからずんぼ︑文芸を捨てるか︑といった険しい議論は︑ある特殊な時代の異様な考え方である︒万葉の時. 代の人々の旺盛な生命力が︑彼らの背後にもち︑周囲にある日本の古い宗教性を︑個人個人の人間の立場から︑鋭く. 深く確認したところに︑彼らの仔情の重要た意味がある︒・﹂れによって︑古い宗教性が新しい光を浴び︑意味がたし. かめられたのである︒彼らが拝情のしらべで把握した﹁清らさ﹂と﹁明らさ﹂は︑たとえ︑思想的な表現をとってい. なくとも︑聖たるものの前に立つ人問が︑清浄なる心身とをもって関わり合う信仰の本質と異る方向のものではな い︒. 水底婁二. 立浪之. いそのさやげさ. 礒之清左︵巻七︑二一〇一︶. たつなみのよらむともへる. 将依恩有. みなそことよみ. り︑その他の評釈類も一﹂れと大同小異である︒これははじめの上三句を︑舟を寄せる序とみての解釈であるが︑わた. 一般的な解釈に︑自分の舟を寄せようと思う浜の何と清らかに美しいことよ︵岩波日本古奥大系万葉二︶となってお. ︵類歌が同巻二ご二九の作品にあるが︑一﹂の方がすぐれているので︑割愛する︶. おほうみの. 大海之. 話をまえにもどし︑万葉の具体的な作品をあげてみよう︒. 三. 948.
(13) 39. しはこれに賛成し在い︒やはり大海のまえに立っている作者が︑海底から揺り上り高まる波が︑美しく清らかな浜辺. に重さにくづれて寄せようとしている感動を歌ったものとおもう︒㌧﹂の歌は海の波の動きをしらべにとらえ︑しかも. くづれよせるまえの静止の一瞬をとらえている︒︿よらむともへるVを海の波でなく︑舟にとったのが︑前記の説で. あるが︑ここは人間ではなく︑やはり海を擬人化Lた表現で︑工︑・﹂に海の波の動きを見つめている作老の呼殴と︑波. の律動が一体化している︒このように真正面からぶっつかるような態度は︑アララギ派のいう写生でも︑描写でもな. い︒それゆえ︑︿いそのさやけさVは︑かかる波のよせてくるところ︑一層清浄にして美しき浜べであるよとの感動 を示す︒海と浜全体の清々しく︑さわやかた感動を歌いあげている︒. 清浄は︑たんに人間の感覚において感取されるのみならず︑さきにものべたように︑宗教性にとって最高の精神状. 態をあらわしている︒したがって︑︿溝らさVとか︑︿清LVとい三言葉は︑今日の日本語ではもはや直接その意味. を表わLていないが︑古代目本においては︑︿清らVは美の最高の現象態である︒今日ではくうつくしVという語か. ら︑︿美Vと同じ意味を示そうとしている︒Lかし︑古代にあっては︑今日われわれがく美Vとよんでいるものの大. 部分は︑︿清らさV︿さやげしVなどで表現しているのが普通である︒さいわいにも︑この語は︑奄美群島︑沖綴諸 島に保存され︑今目でも日常生活で生きて用いられている︒ じよう かにきゅらさ照りゆるお十五夜のお月︑かなが門に立たば曇てたぽれ︵奄美民謡︶. ︵このような美しく照っている十五夜の月も︑わが想ふ人が門に立っ頃は曇ってほしいの意︒︶それゆえ︑︿きゅら むんVは美しい人を宿し︑︿きょらぎぬVはきれいな衣服を意味する︒ まさ. あす. 聞え︑あおりやへや せぢ勝て遊べは︑. 949.
(14) て. だ. きよ. 太陽が照りよるやに美らや︵おもろ歌︶. いちゆ き串. さちゆ. 伊集の木の花や. あが清らさ咲い さか. わぬん伊集なとて 真白咲な︵辺野喜節︶. ︿いぢゆVの木の白い花の美をたたえ︑わたしもこの花のように咲きましようの意︒. これらは一例にすぎないが︑南島方面は︑海によって隔絶していたために︑同じ日本の文化でありたがら︑古代の. 言語や宗教性を伝えている︒﹁おもろ﹂は万葉時代よりはるかに新しいげれど︑神を斉き祀る神女︵巫女︑ノロ︑ユ. タ︶の宗教的統治の跡が明かである︒おもろがくきよらさVにく美Vの字をあてている点など︑その語の内容を苦心. して伝えている︒清浄は︑たんに清潔とか︑淡白を表わすものではない︒枯淡幽玄の感覚は︑中世の時代︑すなわ. ち︑目本の萎術の美意識が歴史的経過の中で︑示した一現象態にすぎない︒とくに禅宗の枯淡︑清淡の意識をくぐっ. たのちの所産にすぎない︒︿清浄Vの意味には︑この南島の歌謡に示されているように︑︿照りかがやく美しさVの. 意味を含んでいる︒神女くあおりやへVの神踊りを太陽のかがやく美しさにたとえて讃美Lている︒太陽の光はもっ. とも輝かやしく︑純粋なるものである︒・﹂ういった内容をもっていたことは︑この場合︑かならずしも︑南の太陽の. せいぱかりではない︒目本の古代の美意識に含まれている美の現われと断定してさしつかえない︒. 清き自然は︑同時に溝き人間のあり方とつながり︑宗教的清濠性を根源にもつ︒宗教がく聖なるものVを最高度に. 間題にしているとすれぱ︑神聖感と清浄感は同一の内容である︒神は清きものである︑がゆえに︑穣れたる状態では︑. 人間は正しい関係を結ぶことはできたい︒︿わだつみの神Vを祀る場所は︑後世にたれぱ︑村落の見わたしのよい. 95C一.
(15) 41. 丘陵︑御嶽と呼ぶ山に移りてゆく︒荘麗な杜殿が構築される以前ぱ︑樹木や岩石︑そして峰のいただきたどが神の降. 臨︵示現︶の神聖な場所として祀られた︒海上はるかに視界にはいるものはまづその附近の山や丘陵である︒それは. 当然航海の目じるしとなるものであり︑同時に海神のくよりましVである︒つねにこのような形態をとるとはきまっ. ていないにしても︑南島の﹁御嶽﹂信仰には︑この痕跡が明らかに認められる︒御嶽信仰が海と関係を立ち切って︑. 純粋に山岳崇拝にはいる以前に漁携生活をいとなむ海辺の生活考たちには︑こういった海神のくよりまLVとしての くLるしVの意味があった︒. この間題は複雑な過程をたどるが︑なおつけ加える点は︑海神を斉き祀る所は︑人閻の近づきがたい場所︑したが. って山や丘陵︑欝蒼たる枇が多い︒むろん︑人間の生活を守るために深い関係をもつく聖なる存在老VとLて身近か. たところに祀ることも考えられる︒しかし︑宗教感情の自然た成立からみれぱ︑神聖なるものを︑日常性にまみれた. 生活から距るところに置くことが︑はじめであったろうと考えられる︒神聖なるものに近づきその意志を間うために. は︑現代のわれわれが考える以上に︑厳しい特別の条件が必要であった︒それは常凡の人間や汚れた生活をなしてい. る者には︑許しがたいものである︒清浄な戒律を守り︑一定の能力が試され︑それの資格をもつと見なされる人々は︑. 時代によって変ってはくるげれども︑神に仕える処女︵巫女︑神女︑ノロ︑ユタ︶とか︑村の長老とか︑潔斉した青. 年︑あるいはのちに分掌的になった神主などである︒さて︑神のくよりましVとしての聖たる場所は︑山や丘陵︑森. だけではなく︑浜べ磯べでもあったのではないかと推定される︒この推定は多くの困難がともなう︒まづ第一︸﹂︑海. 浜は高山地帯の気象条件と似ていて︑風浪のはげしく︑変化のいちちるしい点︑たとえ聖所としても︑原始蒔代古代. の簡素な遺蹟が今円まで存続しているとはおもわれない︒第二には浜や磯は漁民の生活の場であり︑︑﹂こは海藻や貝. の採集︑舟の出入をなすところである︒したがって︑聖なる祭祀の遺蹟を求めることは困難である︒しかしながら︑. 951.
(16) 塊. 丹念に調査するならぱ︑巨大な岩床やくみさきVにそのような痕跡を求めることは不可能ではなさそうにおもわれ. る︒とくにノロ神信仰ののこっている南島方面の調査によって︑海神の聖所の遺蹟や祭籍などが明らかになるとおも. われる︒目下のところおおよそ推定される点は︑たとえぱ︑伊勢二見ケ浦の夫婦岩とか︑これに類した岩礁や小さき. 島の聖化は︑形をかえて残存している︒これらは魚群や海藻のよるところであり︑同時に暴風雨のときの危険な個所. であり︑きらに舟航のよき目じるしでもあった︒こういった神のくよりましVのくしるしVとしての遺蹟︒遺習の実. 証的研究は今後にまつとして︑反面古代人の宗教的思惟自体が︑これを十分裏書きしてくれる︒. たとえぼ︑浜べは神を迎える場所として漬浄を保たなげれぱならないし︑村落はそれにたいし一定の物忌を守った. ようである︒ある個所に行ってはならぬということは︑のちの時代には︑危険禁止の意味に解釈するが︑最初はく溝. 浄Vの保持であった︒さらに︑朝毎に太陽を迎える場所でもあった︒燦燭と輝く太陽に世界の一日がはじまる︒それ. はく聖次るものV︑一切の光と熱の施与老︑︿清らなるものVの当体であり︑一切を溝浄ならしめる根源者である︒ さいわい︑おもろの中には目の出の讃歌があるのでここにあげておく︒. はなの. 天にとよむおほぬし あげもどろ の. あれよ. きよらやよ. さいわたり みれよ. ちてんとよむおほぬし︵ニニノ一〇六︶. あがるいのおほぬしが. 952.
(17) 43. おほぬし︵=ニノ七八︶. しられれ. まへから あよそろて. やぐめてて てだがあなの. 南海の空を真紅に燃やして︑昇ってゆく太陽を︑天にとよむおほぬLと讃えた︒この天地に燦然たる一切の生命の て 芒 主よ︑乱れたつ多彩の光の花を空に咲かせて︑清浄の美しさにかがやいている︒天地を統べたまふこの太陽の大神は. しられれ﹂は︑おそれ多いと申し上げようの意味であ. の意︒後の歌はこの目の出の荘厳の前に立って︑皆が心をそろえて﹁かし︐﹂しかし−﹂しLと讃えようという意︒﹁ま. へからあよそろて﹂は︑神のみ前に心を揃え︑﹁やぐめてて. る︒﹁あがるい﹂は︑紳縄では目の出の方角︑すなわち東を指す︒﹁いり﹂は目没の方角で西を指す︒﹁てだがあな﹂. は太陽も休息の場所があり︑その暗き穴から昇るという解釈もある︒あるいは﹁てだがな﹂の延音または誤写かもし れぬ︒﹁がな﹂は︑万葉の﹁かたし﹂と同じで︑愛すべきの意である︒. この二つのおもろ歌は︑日本本土にない荘厳な讃歌である︒沖縄諾島は目本の祖先たちが分岐して定着し︑独自な. 文化をつくった︒この珠玉の作品二つだけでも︑優に万葉と比肩し得る力傭をもっていると断言してはばからぬ︒日. 本古代文化を正しく認識するためにも︑このくにらいVの海に生きる人々の文化を︑目本は大切にし放げれぽならな い︒. 本土の海に生きる人々も︑やはり太陽の昇るのをこのように讃えたにちがいたい︒それは波のよせてくる清浄な浜. 辺︑渚であった︒人々の中には小理窟屋もいるから︑こういった太陽の讃美は︑太陽崇拝であって︑海神信仰と別で. はないかというかもしれぬ︒それにたいし答えておく︒海辺に生きる人々にとって︑海洋から生れ出る太陽は︑海が. 生むものでもあった︒海洋はあらゆる意味において︑生命を生む源泉でもある︒話は飛躍するが︑ギリシアの初期の. 953.
(18) 哲学箸ターレスが﹁万物の根源は水である﹂とのべていることは︑彼が存在を存在たらLめているものを原理的に恩. 惟したということも考えられるが︑彼が水といっているのは︑やはり生成の根源としての海洋にたいする︑︑・レトスの. 吉代信仰をはなれて思い及んだわげではなかろう︒ はは. 事実︑海洋はのちの跨代になっても﹁母なる海﹂とも呼ぱれ︑海神として祀られている須佐之男尊は︑荒ぶる神で あるが︑妃の国に帰ってゆくことになっている︵古事記︶︒. 通俗的な宗教史家や神話学者は宗教現象を一神教とか︑多神教︑あるいはヘノティズムなどに分類Lたがるが︑太. 陽崇拝と海洋信仰︑山岳崇拝等々いろいろに区別しても︑それはあくまで現代的な理解にすぎない︒海から出る太陽 や任よろづの. を拝んだからといって︑海神の崇教を否定するわけでもなかったろうし︑一方が他方を排斥し合う理由は存在しな. い︒大体︑目本の神は八百万神といって︑沢山あるように︑一般に考えているが︑そんなにあるわけではない︒神の. 働きかけが無数の顕現形態をとってあらわれるというのは︑思惟の観照性の要請である︒それゆえ︑さきにものべた. ように︑神的なる存在者と向い合う人聞は︑その場において現実の時聞︑空間の東縛からはなれて︑清浄のあり方に. 自己を関係づけるのである︒したがって︑このような状況に身を置く場合︑昇る太陽も︑際涯たき海洋も︑浜べも︑. 村落も︑森も︑山岳もすべてが全体として︑生々とした結合をもつ︒換言すれぱ︑全存在が単純た全体とLて聖化さ れ︑清浄なものとなるのである︒. 万葉に歌をのこLた作者が︑龍洋たる海べに立って感覚から精神にいたる重で個人的な拝情の中に清浄なるものを. 全身的に受けとめたとき︑そこに彼らは宗教的意殊の再確認をお声﹂なった︒しかLそれは再確認であっても︑古いも. のとの同一性を意味しない︒伺人的な芥情は︑信仰の芙同体のそれとは分︑離しながら︑芙感を喚起する︒神事の歌謡. やおもろの歌が︑短歌的拝情と決定的に異っている点は︑共同鋼詠性の有無にある︒微妙な一点ではあるが︑文芸の. 954.
(19) 拝情意識は︑信仰習俗の宗教性と異る人問性の凝集感であるがゆえに︑宗教感情に近いものをもちながら︑なお個人. 的主体性の美意識の立場をとる︒自然的な存在にふれたがらも︑人間の感情の動きは︑宗教的たものから次第に独立. Lた形をとってあらわれる︒その意味からみても︑万葉集は宗教性と芸術意識の徴妙な接点に立っているとい︑尺よ うo. 宗教性は︑本来人間の生命的た諸要素を包括しているが︑そこからまぶLいように輝く美感がひときわきらめきた. がら分離してゆく︒宗教は︑たとえどのような宗教形態であれ︑美を内在させており︑やがてそこから美意識が目覚. めてゆくとき︑人問は自已の生きている現実の自然と人間にたいし肯定と確認をおこ恋う︒︿美Vがあらわれるとは. 生の肯定にほかならたい︒美が感動によって生れてくるかぎりは︑たとえ人間は傷つき蹟く︸﹂とがあっても︑このよ. うな生きる確かさを確認しようとするいとなみであった︒自然の存在からもたらす恵みは︑美でもあり得たし︑人間. 同志も徴妙なしらべをもって美を相互に与えたり受げ取るト﹂とができた︒古代の生活は︑神事︑戦闘︑狩猟︑恋愛︑. 葬送︑旅などのほかに新しい国家の建設としての仏教や唐の諾制度の摂取という仕事があった︒また遠く海洋を渡っ. て決死の覚悟で遺購使︑遺唐使が赴く場合は捌として︑大和朝廷の人々は︑海辺の遊楽をも享受した︒その例として. 船乗為良武. しほみつらむか. 四宝三都良武香︵四〇︶. 玉藻苅良武︵四一︶. たまものすそに. 珠裳乃須十二. 大宮人之. をとめらが. 嬢嬬等之. 鳴呼見乃溝余. 今目毛可母. ふたのりすらむ 手節乃崎二. あみのうらに 劔薯. 955. 持統帝︑伊勢国行幸の折︑柿本人麿が詠んだ作品をあげてみよう︒. 妬.
(20) 蝸. くしろつく. たふしのさきに. いらごのしまぺ. けふもかも. ︸﹂ぐふねに. おほみやびとの. たまもかるらむ. あらきしまみを. 荒嶋廻乎︵四二︶. いものるらむか. 潮左為二 五十等児乃嶋辺 構船荷 妹乗良六鹿 しほさゐに. 右三首はいづれも彼自身京にとどまって海辺の遊びを想いやってつくったものである︒第一首は︑舟遊びに宮廷の. 女官たちが美しい裳のすそを潮波に濡らされまいとして︑嬉々とはしやぎ興じているさまを︒第二首は︑答志島の崎 い ら に舟でわたった大宮人たちが︑漁師のように︑藻を苅ったり︑拾い上げたりして興じているさまを︒第三首は︑伊良. 齢の島のあたり︑潮騒の高まるたかを漕いでいる舟に恋しと思うひとが乗っていることであろうと不安を感じてい. る︒この三首説明を要しないほど︑状景︑心境が鮮明であり︑感動にたいしひたむきでまつしぐらにぶっつかってゆ. く清熱は︑人麿の好情への力偏を充分に示している︒斉藤茂吉は﹁デュオニュソス的声調﹂たどという形容をしてい. るが︑茂吉がどう感じようとも︑人麿はデュオニュソス的でもなんでもない︒茂吉はデュオニュソスという意味がよ. く分らなかったらしい︒多くのアララギの弟予たちを狩り集めて︑人麿に関するマーケヅトのようなものをつくった. が︑結果において得るところが少かったようである︒人麿はあの時代のあり方をすべて肯定し︑自已に働きかけてく. るすべてを拝情への情熱の中に歌いきざんでいったとき︑古い宗教形態も潜在的︑顕在的な大和文化のエネルギーも. 持情としての焦点の中で︑一つに結びついていった︒いわぱ拝情が力として人間の生活を包括することのできた稀れ. こみる存在であった︒彼は人間としての芥情庁﹂すべてを購げたといってよい︒その意味では︑けっして古い伝統に帰. えることを目指した存在ではたく︑もっとも新しい型の人間であった︒それφえ︑当蒔の人.々は彼を迎え︑彼の牽々. しい表現に讃美を惜重なかった︒波荒き伊勢の海に舟遊びする朝臣や宮廷の女性たちに想いをはせた彼の感覚性の強 さは︑すでに当時の人々の現実の感覚的な美への陶酔をはなれてのものではない︒.
(21) さきに︑おもろの﹁あおりやへの神女﹂の例で示したごとく︑神を祀る神事に︑清らかな浜辺における﹁神遊び﹂. がある︒それは﹁わだつみの神﹂にたいしての神踊りであり︑巫女たちがこれに仕える︒遊びとは本来神と人間の正. しい関係を保つための交わりであった︒むろん︑持統帝の伊勢行幸は宗教的意味や︑巡幸の意味もあったであろう︒. しかし︑それらに繕びついて︑広闇な海辺における遊楽が行われ︑しかも人麿はそ杜﹂で楽しみ輿ずる人々を羨やみ︑. その撃麗な光景を想いめぐらしているのである︒. 彼が大和朝廷の現実を耽美し得たのは︑ひとえに現実を現実として受げ入れる秤情の感覚への陶酔によるものであ. る︒彼は生涯歌を歌いつづけ︑それへの絶対の信頼をおいた人であり︑なんの疑いもためらいもなく歌いつづけた︒. 歌はずにはいられなかった人である︒ほとんどの文学史家の看遇している点は︑人魔に至るまでの表現の制約性とは. なにかという問題である︒人麿は自然の中に︑人問の精神の中に︑直入することによって︑現実を美として把握した. L︑人々は彼によって︑自已の中に無意識にうごめいていた美的なあり方を確認した︒そこに︑短歌のもつ共通した. 人間性の解放の力があったと見てよい︒彼は古い宗教性を背負ってはいるが︑そのしらべは自信にみち明るく力強く. 家余有妹乎. むとぺのおほきみ. わすれがひ. 忘而念哉︵六八︶. いえなるいもを. わすれておもへや. 短歌の拝情はさまざまの形をとる︒たとえば︑巻一身人部王の作品︑ 忘貝. みつのはまなる. 大伴乃 美津能浜余有. おほともの. 一﹂の作品はとくに優れているわけではないが︑一首のはづんだ歯切れのよいしらべと機知三亀んだ変化が︑当時の. 人々にうけ入れられたのであろう︒忘れ貝を御津の浜べに見て︑大和にのこしてきた妻を忘れることがあろうかと強. く詠んだのである︒一説によれぱ︑二枚貝が放れぼなれの一片になり︑互いに相手の一片を忘れてしまった意味であ. 957. 清々しい︒ディオニュソスとはおよそ無関係である︒. 〃.
(22) 48. ると解している一岩波日本裏撃犬系万警︑嚢治説一︒︿享れがいVは︒︒書︑算即一身︒一︒︑自旨︒︑︑顯一三︑箏︑一︑昼︑=吻. ︵塞窒ぎ︶といわれるもので︑まるすだれがい科に属し︑偏平で殻は厚く︑表面には紫彩の模様が山のり︑内面も淡紫︑. 濃紫をいろどる特徴がある︒光沢もあり︑海辺では目につく貝で︑地方によってはくはさみVと称して食用にもす. る︒わたしの見るところによれば︑このわすれがいは寄せる浪とともに岸べに打ち上るのであるが︑干潮とともに︑. 引波に置き表られてしまう︒むろん︑ふたたび︑潮が満ちるならぱ︑海に帰えることができるのであるが︑とにかく. 溝のここかしこにぽかんぽかん−﹂ろがっている有様は︑壮観である︒浪におき忘れられた貝というのが実感であろ. う︒平安期にはいると︑わすれ草︵萱草︶なども︑頻りに恋の歌にでてきて︑嫌味になる︒しかしこの作品は︑さら. このように︑海や浜べは︑万葉の人々にたいしあたたかい恵みを楽しむ場所であり︑浜遊びで貝や藻を拾い︑広閣. りとして軽い諸譲もある︒宮廷の人々が喜び迎えた作品の一つであろう︒. な大気の申で︑予供のような気分で人間の美的感覚を愉悦Lた︒そこには︑宗教的にはまだ整理されていないが︑芸. 術的な感覚が︑彼らの人間的な存在意識に強く清浄感を感じさせたともいえよう︒大和の国から︑海べに立つこと. は︑−﹂のような意味で万葉の人々に海への憧僚を生んだ︒万葉集において海の歌が非常に躍動的であるのは︑こうい った面をもっていたのであろうかとおもわれる︒. るいは石︑くしろなどが遺物として出土する︒勾玉類は貝類に比べ︑堅牢であるが︑磨かたげれぱならぬ︒これにた. いする憧愼である︒原始以来人問は身の装飾を行ってきた︒猪の牙︑木の実による頸飾り︑ついで石製の頸飾り︑あ. 万葉の人々が海に憧僚を燃やし︑さまざまの接し方をしているが︑その申で屯とくに重要なものの一つは真珠にた. 五.
(23) いし・真珠は・自然そのままの姿で七彩の光をかがやかす︒海の底深くひそんでいるこの珠玉は︑人為を加えずし. て︑人問の美的感覚を悦惚たらしめるものがあった︒装飾文化が︑アメリカ大陸の発見︑アジアとヨーロツパの交易. に果したこと︑人問の歴史の方向をも変様せしめる力があることは︑すでに周知のことである︒海はこのような珠玉. をひそめているという点から︑真珠の採取が漁携生活の中で︑文学的視野からも︑多く詠われている︒真珠をも含め. ての目本におげる貝器文化の様相については︑いづれ他の機会にゆずることにして︑ここではつぎの間題に焦点を向 げることにする︒. 目本は古くより伊勢︑紀伊︑土佐︑肥前などから真珠を産したことが︑記紀︑風土記に記載されている︒一例をあ. 得二一白石一団如二鶏卵一皇后安二干御掌一光明四出. 皇后大喜. 詔二左右一日. 是海神所レ賜. 白真珠也. 故為二. げれぼ︑土佐風土記の中で︑神功皇后がこの国に巡幸のみぎり︑吾川の郡︑玉嶋に船を泊め︑休息していたとき︑. 嶋名二釈日本紀巻十︶. もどこびと. の. わたつみ. Lらまた. ︑︑. かれ. いたく喜びて左右に詔りた童ひしく︑ ﹁こは海神の賜へる白真珠なり﹂故︑鳴の名と為す︒. 神功皇后に附会した伝承は︑巫女集団による神杜の由来縁起として全国到るところに広められたが︑これもその一. つであろう︒土佐のこの地において︑真珠の美玉が産していること︑しかも︑それは海神の賜物としての恵みであっ. ﹁白珠﹂と呼ばれるが︑今日われわれが. Lらたま. た︒︿白真珠Vは語を重ねていったまでである︒このような伝承は各地に伝えられており︑特筆さるべき神の恵みの またま. くしるしVとなり・したがって︑神宝として祀られもした︒真珠は﹁真玉﹂. 考える吉な意味でのあこや真珠だげで窪く︑磁撃称して︑飽から圭れ︑あこ養珠以上の美光姦っ︒真珠. をつくる貝は︑右の二つにかぎらず︑淡水産のかわLんじゅがいもある︒万葉集では淡海︵琵琶湖︶で採敢している. 959. ⁝白き石を得隻ひ莞まろきこと鶏卿のごとし・お震嚢纂差三に︑線四乏さしいでき︒皇后︑. 鳩.
(24) ことを暗示する歌が載っている︒. しづくしらたま. しらずして. こひせしよりは. 淡海々 沈白玉 不知 従恋老 今益︵巻十一︑二四四五︶. あふみのうみ. いまこそまされ. この場合︑恋情を歌ふ序とLて用いられている︒湖の底に沈んでいる真珠は︑まだ見ず知らぬうちはあこがれ恋ひ. ていたが︑あなたにお蓬ひした今こそ恋の心が一層つのりますの意︒貝の珠をつくるのは︑この他に小粒ではあるが. 蛤や蜆もある︒ただあわび玉やあこや真珠に比べて粗悪である︒真珠は後世には強壮剤として粉末にして薬用に供さ れたこともある︒. 淡水産をのぞいて︑大部分美麗な珠玉は海洋の清澄な内湾に産出した︒古代の表現をもってすれぽ︑海神の賜へる. もの︑恵みとして︑記念すべき出来事とLて︑まさに稀れに人間は手に入れることができたのである︒おそらく︑か. がやかしい美珠は︑神杜に神宝としておさめられたであろうし︑神聖たる存在︑家宝として一族から崇ぱれもしたで あろう︒. 真珠を人間が身に装飾する意識以前には︑むろん宗教性の上からこれにたいする応じ方があったとおもわれる︒人. 間の技術的た能力をまたず︑磨かずして自然のままでいわゆる七彩の色を映出する真珠は︑海のく清らなるものVの. 象徴であった︒さきにのべたように︑聖なる存在者の力と恵みにあづかるためには︑人間は溝浄でなげれ山ばたらぬ︒. おそらく玉依姪とか豊玉姫とか称する女性はくわだつみの神Vに斉き祀る神女︑巫女であったろう︒神はおそるべき. もの︑また恵みを施すものであるとすれ︑は︑清浄な身をもって近づき︑神意を受けとる人間は︑清きものを身につけ. なければならない︒それは一定の捷を守り︑その清浄の象徴を身にまとった︒神に仕える神女たちが︑頸や腕に−﹂の. 白珠を緒に貫いてまとったことは想像できないことではない︒真珠のかがやく清浄な美しさは︑わだつみの神の賜物. 960.
(25) 51. であり︑聖なる力が宿っているとすれぼ︑それを身にまとうことによって︑自己も清浄の美の分与を得ようとする︒. 真珠を身につける意味にはこのような思惟が働いていた︒美はあらわれであるとともに分与し得るものである︒この. ようなものの認識の仕方をわたしは対応の論理と呼ぶ︒猪の牙︑鹿の骨などの場合も力の分与への対応である︒ただ. 玉石類において︑美の自覚が一層明瞭とたる︒それゆえ︑頸飾りなどが魔除けであると見るのは︑一種のこの対応の否. 定的消極面であろう︒また︑自已をただ美しく粧うという人間中心的な考え方は︑美の根源的な存在との関係の対応. を忘れ去ったあり方である︒万葉集の時代は︑一方に美への人間的た開放が行われながら︑しかも他方では︑この美. の根源的な包括者である聖なる存在者への関係を断ち切っていないという︑複雑た様相をとっている︒おそらく︑大 あ ま 和の人々は︑稀なる美珠を深くかくしている海やこれを潜ってとる海人たちに異常た関心を寄せたであろうし︑同蒔. に︑海にくぐり入る人々は︑身を潔め祈念をこめての飽取りであったとおもわれる︒ついでにいうと︑万葉時代はあ 重た竜 こや珠︑あるいはあ・﹂やの真珠は︑飽玉と同一視されていた︒当時食用として美味であるために︑多くは飽とりが行. われたために︑今目のようには厳密に区別を立てていない︒さらに﹁あこや一の意義はまだ明瞭で恋いが︑倭訓栗前. 篇では﹁あこや︵阿古耶︶は地名︑尾張知多郡に在り︑・−あこは吾子の義︑愛寵の辞︑やは呼びかげ成るべし⁝﹂と. ある︒はたして︑︸﹂のまま受げ取ってよいかどうかは︑疑間がのこるげれど一くわが愛する子︑わがいとしむ老Vの. 意味があるとすれぱ︑真珠などにたいする人聞の愛着の強さを示すものであろう︒. ﹁出雲国造神賀詞﹂の中につぎのような言葉. くにのみやつこかむよごと. かがやく清浄の珠玉を身に飾る本来の意義を一警し得る材料として︑. がある︒﹁白玉能大御白髪坐︑赤玉能御阿加良砒坐﹂︵白玉の大御白髪まし︑赤玉の御赤らびましL︒清浄法るものを. 身にまとうことが︑そのものの分与を得ることになる︒天皇がかがやく白玉のように白髪の長寿を保たれ︑赤玉の赤. いように健やかに若々しくありますようにの意である︒出雲は玉類の産地であるから︑真珠の珠ではたいかもしれ. 96I.
(26) 52. ぬ︒またここに用いている玉はたんたる修節的な比楡ともとれる︒しかしこのような比楡を成り立たLめている背後 には︑人間の身によそほふものの聖なるカの分与の思惟があると見てよい︒. 奥浪. かしこきうみに. ふなでせりみゆ. 船出為利所見︵巻六︑一〇〇三︶. おきつなみ. 恐海余. た童もとむらし. 玉求良之. さて︑万葉集において真珠をどのように見ていたか︒ 海嬉嬬. あまをとめ. 伊由伎和多里亘. かづくちふ. 可豆久知布. やらむため. しらたまもがも. 之良多麻母我毛︵同︑四一〇四︶. つつみてやらむ. 都々美豆夜良牟︵巻十八︑四一〇三︶. おきつしまなる. 於伎都之麻奈流. あはびたまもが. 安波批多麻母我. この作著は葛井連大成で︑歌はやや硬い感じがする︒しかし︑海女の飽取り︵同時に飽玉を求めること︶に︑生真. 於伎都之麻. いゆきわたりて. 面圓すぎるほどの驚きを示している︒. おきつしま. ︸ご﹂ろなぐさに. 和伎母故我 許己呂奈久佐余 夜良無多米 わぎもこが. ︸﹂の二首は大伴家持が越前の国守として赴任し︑大和にのこした妻に真珠を贈りたいと願う長歌一首とともに詠じ. た作である︒家持は集中作品が多い︒教養もたかく歌に熱心であるが︑常識的で鈍ったような才能の持主である︒た. 1. しらずともよし. しらずとも. われししれらぼ. Lらずともよし. 不知友任意︵巻六︑一〇一八︶. だし綴集者としては有能であった︒この二首は︑故郷の妻へ︑何とかして真珠を手に入れて贈りたい︑妻を慰めたい という気持を歌っているのである︒. ひとにしらえず. 白珠者 人余不所知 不知友縦 難不知吾之知有者. しらたまは. この作品は元興寺の一僧の作といわれる︒世人の無理解を嘆きつつも︑白珠を自己の心に比している︒ここには牽. 962.
(27) 53. 厳経の摩尼珠のたとえも連想される︑とにかく︑人問の精神を珠に比している点︑前述の作品と異る︒白珠はむろん. とらずばやまじ. かづきするかも. 真珠をさす︒白の感覚は︑古代において︑現今の白色の意味でなく︑むしろ清浄感としてのものである︒ 海神 手纏持在 玉故 石浦廼 潜為鴨︵巻七︑二二〇一︶. いそのうらみに. うみはあるとも. 不取老不止︵同︑;二七︶. わたつみの てにまきもてる たまゆえに. 風吹而 かぜふきて. 海者雄荒. 海底沈自玉 しづくしらたま. いはひてとらむ. かぜなふきそね. 風莫吹行年︵同︑;二九︶. しづくたま. 斎而将採. わたのそこ 石着玉. みなそこてらし. 大海之 水底照之. おほうみの. これらの作品は︑警楡歌として︑︿玉に寄すVという題名がついている︒海神は民間伝承によれば︑海藻や貝類を. 身にまとい醜い神であるという︒これは時代がくだって低俗化した表現ではあるが︑しかし漁厨にとっては一種の実. 感をもっている︒なぜならば︑彼らは海中に潜水して︑海の底の漠然とした印象をこのように表わしたからである︒. 真珠は︿わだつみの神﹀が海深く大切に守り︑なかなか人間に与えない︒むろん海神の擬人化であり︑同時に海神に. 仕える神女たちの頸にかかげ︑手にまく祭儀からの逆表象でもあろう︒海の神から貴いあわび玉︑あ㌔﹂やの珠をあた. えられるためには︑身を潔め︑神を祀り︑呪い言をなして︑海にはいる︒そうした貴い白珠を得るための漁携の困難. を背景にして︑これらの歌は恋の比楡となる︒愛する人の親を海神にたとえ︑愛する女性を白珠になぞらえている︒. このような比楡が当時の人々に目新しい表現として歓迎され︑競って新しい相聞歌の中にとり入れられた︒. 深い海洋にかくされている白珠は︑その映発する自然の清浄性のゆえに︑聖化され︑身の清浄の象徴とたった︒そ. の貴重た宝としての価値は︑宗教的聖所にまつるところとなった︒そして︑人間がその美の嘆賞とともに身を守り︑. 963.
(28) 弘. たま. た圭. 身によ工しほふ宝となり︑その清浄の美は︑人問の精神の比楡となった︒目本語において霊はつねに珠︵玉︶と対応し. て用いられている︒どちらが先行的に存在した語であるかは間題ではたい︒また愛する子どもや恋人を珠に比するこ. とも行った︒もしつけ加えるならぼ︑恋愛はかならず清浄感をともなうものである︒かかる比職が成り立つのは︑こ. の点を除いてあり得ない︒優雅も︑愉悦も︑寂蓼も︑情熱もその他諸種の人問の美的価値は︑この清浄のあり方を待 って︑はじめて 生 き て く る の で あ る o. それゆえ︑珠玉は日本におげるく美しきものVの総称となった︒−﹂の点については詳しく実証し︑なるべく多くの. 例証をあげるのがよいとおもうが︑もはや紙数も超過しているので︑若干の実例を叙べて︑暗示するにとどめる︒藻. を玉藻︑鉾を玉鉾︑神事にかげるくたすきVを玉たすきと呼び︑人間の心を糸緒につらねた﹁玉の緒﹂という︒人の. 便りを﹁玉章﹂といい︑その他美しい衣服︑あるいは尊んで﹁珠衣﹂といい︑﹁玉くしげ﹂﹁玉くしろ﹂﹁玉かづら﹂. たど無数ある︒普通万葉の釈義家は︑︿たまVは美称であると簡単に片付げている︒一体なぜくたまVが美称となっ. たか︑その美の把握の態度を考えてみることが必要ではなかろうか︒むろん︑︐﹂こで論証したことがすべてではな. い︒中国においてく珠Vは貝の美玉︑︿玉Vは石製の美玉を意味しており︑日本の古典もそれを区別している︒当然. 海の真珠とともに︑山より掘り出して磨製する玉類も考察したげれぼたらぬ︒今回は海洋をとおしての間題に限定し. たために︑ふれることができなかったが︑しかし美意識の上からいえぼ︑結論はここにのべたごとくである︒ただ美. す. び. は多様な形をとって現象するから︑別個に考察することが望ましい︒. む. 万葉集の僅かた作品を例証として︑ここで目本における美意識の成立を考察してきたが︑ そ九は現代の西欧の美学. 964.
(29) の美の概念に毒されている人々にとって︑およそ理解に苦しむ点が多いとおもう︒わたしたちですら︑日本の美感を. ﹁幽玄﹂とか﹁さび﹂とか︑すでにそういった型で考えようとしているほどである︒そして人間の仔情の本質的意義. も︑人間のもつべぎ宗教性もじつは暖昧たままでいる︒万葉を好む人々は︑ただ現代のわれわれに共感をよぶ人問的. な側面だげをとり上げているにすぎない︒そうではなく︑万葉の拝情詩がなしとげた意味は︑その表現が示している. ごとく全体的た基礎としての﹁溝浄感一を彼らが身を以て生きたということ︑それは感覚的なものだけではなく︑全. 源におきながらも︑拝情をうち出すことによって︑精神に形を与えることができた︒しかも︑宗教性のもつ包括的な. 聖なる者とのつながりにおいて︑形を与えることができた︒それはじつは容易ならぬ重大な︐﹂とである︒したがっ. て︑彼らが自己の美意識を充分に自覚反省しなくとも︑彼らが創造していったあの旺盛な生命力は︑たんにさまざま. の美の対象だけにとど童るものでたく︑精神の方向性の聞題につらなってきていると断定してさしつかえない︒﹁溝. きもの﹂﹁さやかなるもの﹂の美しさは︑倫理としての美である︒彼らがく清らげしV︿さやげしV︿すがしVとい. うとき︑それは倫理として︑自己の行為のあり方をも示していた︒・﹂のような意味から︑万葉葉は︑多くの精神価値. を内蔵している︒よくいわれる万葉の人々は自由奔放であるというような・﹂とは︑根拠のない嘘であり︑現代人の自. 己満足からの解釈にすぎない︒万葉の人々が求めたのは︑むしろ美による人間への秩序︑自己に課する規範である︒. ︵未完︶. それは短歌という拝情形式の大きな課題でもあった︒かくして︑これらの蒔代の精神は︑優に唐の文化︑イソドの文. 化に比肩し得る普通的な古典となり得たのである︒. 965. 体的な﹁生﹂のあり方にかかわっているということである︒言葉をかえていえば︑万葉集の拝情はまさに宗教性を根. 砺.
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