実験用 ラッ トの歴史につ いて考 える
西 川 哲 日本エスエルシー㈱
よ く 「モルモ ッ トがわ りに云々」 と言われ る様 に実験動物 とい うとモルモッ トを連想す る人が 多 いが,実際に実験動物 として使 われているのはマ ウスとラッ トが主である。 筆者 は以前,新入社月 か ら
,
「マウスが大 き くなるとラッ トになるのです か」 と云 う質問 を受けたが,両者は分類学的には 同 じネ ズ ミ科 に属 していて も属 と種 は異なってい る。又,実験動物化 された歴史 も同 じではない。実験用マウスについては これ までに 多 くの研究者 がその成立過程 について種々の面か ら検討 を加 え ているが, ラッ トについてはそれ程 ではない様 で ある。 そこで今 回は実験用 ラッ トの歴史について
‑ 枚数に制限があるので多 くを語れないが 一 考 え てみたい。
実験動物 としての ラッ トとマウス
実 験 動 物 と して我 が 国 で用 い られ る ラ ッ ト (Ruttusnoruegicus)の使用匹数 はマ ウス (Mus musculus)に次いで2番 目に多 く, 日本実験動物 学会調査 ワー キンググループ と理化学研究所 ライ フサイエンス研究情報室が共同 して行 なった「1988 年度実験動物使用数調査」によるとマ ウスの約409 万 匹に次 いで約212万匹 と報告 されてい る (Exp.
Anim.Vol.39 No‥1 P129‑135.1990)。これ は, その13年前の1975年度に文部省科学研究費特 定研究 「実験動物の純化 と開発」実験動物数調査 班が調査 した約161万匹に比べ約1.3倍 の増加 とな る。 これは,何 れの調査時点で も3番 目のモルモ ッ トを大 きく引 き離 している。 因みに,後者の調 査でのマウスの使用 匹数は約967万匹 と報告 されて いるので約10年の間にマ ウスの使用 匹数 はほぼ半 減 し,一方, ラッ トの使用匹数 は着実 な伸 びを示 していると言えよう。 この様 に両者では使用 匹数 に増減はあるものの,実験動物 としての価値は今 後 とも不動の地位 を碓保 してい くもの と思われる。
そこで,マ ウスが実験動物 として広範な分野で最 も多数匹使用 されて来 た背景 を考 えてみ ると,1.
体型が小型で飼育す る労力, スペースに無理が な く,取 り扱い易 い。又,人工環境下 で も年 間を通 して良 く繁殖 し,世代交代が早い。2.日本や 中 国,英国では数百年前か ら愛玩用 (ペ ッ ト) とし て飼育 されてお り,人 との関わ りが深 く,種々の 特性が古 くか ら良 く知 られていた。又,1800年代 頃か らヨー ロッパでは毛色等についての遺伝 の実 験に用い られていた様 であ り, その後,1900年代 に入 るとその他 に発生学,腫蕩学等の分野で も用 い られ る様 になった事か ら実験用動物 しての背景 デー ターが良 く整備 されている。 3.遺伝学研究 用の素材 として早 くか ら用い られて きた事か ら, 近交糸,交雑群, クロー ズ ドコロニー系, コンジ ェニ ック系, リコンビナ ン ト近交系,疾患モデル 系等の遺伝的に統御 された系統が早 くか ら開発 さ れ,豊富にあるので 目的に合 った系統 を選択 出来 る等の理由による。他方, ラッ トが実験用動物 と して使用 された歴 史は,マ ウス と同様 に古い(1800 年代 の半ば頃か ら実験に用いられたとされている) に もかかわ らず,1.マ ウスに比べ て体型が大型 であ り,飼育す る上 で制約が有 る。(著者 自身マ ウ ス とラッ トの両方 を飼 っているが, 同 じ50ケー ジ と云 って も両者では労力, スペース等の面で雲泥 の差が有 る。)2.実験 に用い られた分野が,生理 学,心理学,栄養学等が主であ り,遺伝学の分野 ではマ ウス程 には用い られなか った事か ら系統 と しての確立や統御がマ ウスに比べ て進 まなか った 事があげ られ る。 しか し,体型が大型であ る事 は 血液 ・尿等の試料 を経時的に しか も,マ ウスよ り は多量に採取 し易 く,叉,肝臓,腎臓等の臓器の 移植 もマウスよりは容易に行 なえる利点 ともなる。
更に,近年,農 ・医薬品の人体‑の安全性が重視 され るに及び,毒性 ・催奇形性試験等の前臨床試
験 での使用匹数が増加 してい る事 か らも今後,更 に, その重要性 を増す もの と思われ る。 ただ, そ の為 には既 にマ ウスで成 されて きた様 な遺伝学 を 始め とす る種 々の特性の解析や,系統の整備 が更 に進展す る事 が必要 であ る。
実験動物 と しての ラ ッ トの歴史
実験用のマ ウスが野生の‑ ツカネズ ミを飼 いな らして育成 された様 に (愛玩用に飼 われていた も のが その起源 とされてい る),実験用の ラッ トも野 生の ドブネズ ミが人為 的に飼 いな らされた もので ある。 その野生の ド711ネズ ミは中央ア ジアが原産 地で,18世紀の半 ば頃 ヨー ロ ッパに侵入 し, その 約40年後に新大陸に渡 った とされてい る。人間に よって飼 われ る様 になったのは,マ ウスの様 にペ ッ トとしてでは な く, イギ リスや フランスで1800 年代 の初期 に流行 したrat‑baiting(犬 を放 って, 囲いの中に入 ってい る ドブネズ ミを殺す までの時 間 を賭け るゲー ム)の為 に多数 の ラッ トを捕獲 し, 飼育 したのが始 ま りであ る。 そ して, それ らの集 団中に居 た と思われ る白色 (アル ビノ)の ラ ッ ト が繁殖 されて現在 の実験用 ラッ トの元 となった と 思 わ れ る。実 験 に 用 い られ た の は,1856年 に Philipeauxが副腎の機能 を調べ る為 に摘 出実験 を 行 なったの を皮切 りに,Savory(1863)に よる栄 養学,Cramp(1877)の繁殖生理 に関す る報告, Steward (1898),Kline(1899),Small(1900),
らに よる心理学に於け る使用 と続いた。 その後, 1900年代 に 入ると他の分 野で も使用 され る様 にな
り,実験動物 としての地位 を碓保 した。 その際,
全生涯 をラッ トの研 究に捧げたHenryH.Donald‑
son(1857‑1938)と, 日本 を含む全世 界の研究者 に 自家繁殖 したラッ トを供給 したWistar研究所 の果 た した役割 は極めて大 きい。Wistar研究所 は 米国東部 のPennsylvania州 の大西洋岸Philadeト phia市にあ るPennsylvania大学の構 内に,大学
とは独立 した研究所 として1892年に「TheWistar instituteofAnatomyandBiology」 と云 う名 で 設立 された。研 究所 の名前は Pennsylvania大学 の 解 剖 学 の 教 授 で あ っ た CasparWistar
(1716‑1818)の名 を記念 して付け られ,解剖学 を中心 とす る医学 ・生物学の研究所 として活動 し た (米国の解剖学会誌 American Journal of Anatomyの表紙 に OriginallyFoundedbyThe Wistarlnstituteと記 されてい る事か らもその果 た した役割が分 か る)。Chicago大学の神 経学の教 授 であった Donaldsonは1906年 に Wistar研究 所の研究部長 として招かれ, その時4ペ アーのア ル ビノラ ッ トを持 ち込 んだ。 これが その後全世 界 に広が る.所謂「Wistarラッ ト」の起源 となる訳 であ る。HelenDean.King(1869‑1955)は,1907 年か ら42年 間に渡 ってWistar研究所 で研究活動 を続けたが,最 も大 きな功纏 は,1909年か ら, こ のアルビノラットの兄妹交配を開始 し,KingAlbino
と呼ばれた近交系 ラッ トを作 出 した事 であろ う。
その後 Kingの飼育 した ラ、ソトは Aptekman, Bogdenに引 き継がれ,現在 はPAと命名 されて いる。 又, このPAの亜系 としてWKA (Wistar KingAlbino)や,MargarettR.Lewisが King の後 を継 いで作 出 したWistarLewis(現 在では 単 にLewisとのみ呼ばれ る)が有 る。 その他,柿 究所外, 国外 で もWistar研究所か ら供給 された ラッ トを基に して多数の近交系 ラッ ト系統か作出 されてお り,現存す る約100‑150系統の近交系 ラ ッ トの半数近 くがその作 出の過程 で,何 らかの形 でWistar研究所 由来の ラ ソトと係 わっていると 言われてい る。この様 にDonaldsonを実験用 ラッ トの父 とすればKingは, その母 と言 えよ うか。
筆者は1985年 にWistar研究所 を訪れ る機会 を得 たが.現在 は, その名 も「TheWistarlnstitute」 と改 め られ,1957年 か ら所 長 を努め る Hilary Kaprowskiの指導の下,1960年 には ラッ トの繁殖
図2 現在のウイスター研究所の外観。壁にTheWistar lnstjtuteの文字が見える左側の建物が新館,真申の 建物が1892年に建てられた創立当時の建物。
コロニー と販売権 を全 て動物 業者 に譲 り,所 内で の半世 紀 に渡 る, ラ ッ トの生産 活動 は終 了 した。
現 在 で は,最 先端 の分 子 生物 学 の手法 を駆使 した r?ィル ス学 を中心 とす る研 究所 とな ってお り,創 立 当時 の建 物 の一角 か わずか に博物館 と して残 さ れ「Wistarラ ッ ト」の歴 史 を, しのばせ てい るに 過 ぎなか った。
近 交系 ラ ッ トの系統 の成 立過程 とその特 性 現在 ,系統 として確 立 して い る近 交系 ラ ッ トは, 1.Wistar研 究所 で,も し くは研 究所 よ り供 給 さ れ た ラ ッ トか ら確 立 され た もの (当然,雄 あ るい は雌 の どち らかのみ か研 究所 由来 の場合 も含 む)0
2.Wistar研 究所 由来以外 の ラ ・・ノトか ら育成 され た系統 の2つ に分 け られ るO 後 者 の代 表 が New York市 にあ るColumbia大学,Crocker癌研 究 所 (TheCrockerInstituteorCancerResearch) でMaynieR.Curtis(1880‑1971)とWillhelmina
図3 博物館の一角にあるラットに関する展示 コーナー。
成長に伴 う骨の標本や分娩子の標本等が展示されて いる。
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図4 ラットのコーナーにあるHelenD.Kingが飼育 し ていたラノトに現れた毛色突然変異個体の説明パネ ル。このパネルの上に実際の個体の剥製標本が展示 されている。
F.Dunning (1904‑ ) と云 う2人の著名 な女性 癌学 者 に よって作 出 された近 交系 ラッ トであ ろ う,
これ らの近交 系 ラ ッ トは2人が条虫卵投 与に よる
肉腫誘発の研究 を行 なっている内に異なった販売 業者が納入す るラッ ト間でその発症率 に差が有 る 事に気付 き,1919年 に Fischer,Zimmerman, Marshall,Augustと云 う4軒の業者か らラッ トを 購入 して兄妹交配 を行 なった結果,作 出された。
これ らの内ではF344,ACI,Z61等の系統が良 く 知 られている。 この他 に も,Yale大学で作出され たOM,Albany医科大学で作 出されたALB等 の系統が有 る。 この他,野性の ドブネズ ミか ら作 出された系統 としてBN,LE,NIG‑ⅠⅠⅠ,IS等が あげ られ る (後4着は雌雄 の どちらか一方だけが 野性 ドブネズ ミ)が,マ ウスでは野性の‑ ツカネ ズ ミか ら多 くの近交系が作 出され優 れた生物素材 として活用 されている事か ら, ラッ トに於 いて も 最初の項で述べ た種々の系統の整備 を計 らねばな らないのは もちろんの事,その他,野性の ドブネ ズ ミを既存の実験用 ラッ トが持 っていない,新 し い遺伝子資源 として注 目してい くべ きであろ う。
稿 を終 えるにあた り,代表的な近交系 ラッ トに ついて簡単 に紹介 してお く。以下,系統名,毛色 とその遺伝子型,系統の作 出過程,報告 された特 性について記 した。
ACl:野生色,A,B,C,hl,Columbia大学の CurtisとDunningがAugustとCopenhagenと 云 う2軒の動物業者か ら導入 したラッ トを交配 し て作 出 した。脳下垂体,副腎等の 自然発生腫壕に 関す る報告がある。 強健 で飼 い易 い。
BN:褐色,a,b,hi,KingとAptekmanが 飼育 していた野生 ドブネズ ミの褐色変異系 を Siト versとBillingham が系統 として確立 (1958)0
勝朕,降職,脳下垂体等に 自然発生腫癌が発生す る。 お とな しく取 り扱い易 い。
DA:野生色,A,B,C,COP(CurtisがCopen‑
hagenと云 う業者か ら導入 して作 出 した系統)が 起源系統であるとされている (Palm andBlack, 1971)が詳細は不明。国内ではあま り馴染みの無 い系統だが,英国,米国では移植免疫分画での使 用頻度が高い。強健 で,繁殖良好。
Donryu:アル ビノ,a,B,C,h,1950年,佐藤 隆一が動物商か ら購入 した 1対の雑系アル ビノラ ッ トにその起源 を持つ。1956年か ら兄妹交配開始。
吉田肉腫,腹水肝癌 (AscitesHepatoma)等に高
感受性 を示す。
F344:アルビノ,a,C,h,Columbia大学のCurtis が1920年 に飼育 を開始。長期飼育試験に適す る(平 均寿命,雌 で675日,雄 で725日)0
IS:野生色,A,B,C,H,1968年WM/Msの 雌 と野生 ドブネズ ミの雄 との
F
lか ら作 出された。先天的に後側轡症 を発症す る。 動作は俊敏。
LEW :アル ビノ,a,B,C,h,Wistarstock か らLewis
へ
。 F20でAptekmanとBogdenへ
(1954)。 F31でSilvers(1958)‑ 0 thyroxine, insulin,growthhormone等の血清含有量が高い。
生化学的遺伝子に亜系間で変異有。
」0∪/M,」0∪/C :アルビノ,C,Louvain大学 で Wistar起源 と思われ るものか ら Bazin と Beckers が飼 育 を行 い,plasmacytoma の高
(LOU/C),低(LOU/M)の2方向に選抜 した系 統。
SHR:アル ビノ,a,B,C,h,北大のWistar/
Mkが京大 ・医‑ (1951)0 Okamotoらによ り高 血圧症系 として確立 された。
WKA:アル ビノ,A,C,h,Wistar研究所のラッ トを1909年か らKingが兄妹交配 を始め,F148で 北大 (1953)と遺伝研‑。生化学的遺伝子の違 い か ら,前者 をWKAH,後者 をWKAMと称 して いる。最 も近交係数の高いラッ トで現在F200代 を 越 えている。
WKY:アルビノ,a,B,C,h,Wistar研究所か ら東大 ・農へ (1938),北大 ・理‑ (1944),京大 ・ 医‑ (1956)0 SHRの対照系統 として用 いられ る。
なお,北大 ・理か ら遺伝研へ導入 (1951)された 系統はWM/Msと呼ばれている。
本稿 を善 くにあた り以下の文献 を参考にした(順 不同)。
参 考 文 献
1)Henry∫.Baker,∫.RussellLindsey& StevenH.
Weisbroth(eds.):TheLaboratoryRatVolume1. BiologyandDiseasesAcademicRressリ1979 2)Edmond∫.Farris,&JohnQ.Griffith,Jr.(eds.):The
RatinLaboratoryinvestigation.HafnerPublishing Company,1971
3)RoyRobinson:GeneticsofTheNorwayRat.Per‑
gamonPress,1965
4)Michael F. W. Festing:Inbred Strains in BiomedicalResearch.TheMacmillanPressLtd., 1979
5)石橋正彦,菅原七郎,高橋寿太郎,安 田泰久編 :実験 動物. ラッ ト,講談社,1984
6)石橋正彦,菅原七郎,高橋寿太郎,安 田泰久踊 :実験 動物.稔論,講談社,1985
7)猪 貴義 :実験動物.養賢堂,1982
8)黒 田行昭編 :動物遺伝学実験法.共立出版,1989 9)川俣順一編 :実験動物学‑の招待.蟹書房, 1984
10)田嶋嘉雄編 :実験動物学.各論,朝倉書店,1972 ll)森脇和郎,DonaldW.Bailey編 :マウス免疫遺伝学 一
技法 と展開 ‑ ソフ トサイエンス社,1988 12)山田淳三 :コロンビア大学痛研究所 と近交系 ラッ ト.
ラボラ トリーアニマル,Vol.2, Na4,1985 13)松本耕三 :遺伝子マー カーによる近交系 ラッ トの同定
と比較. ラボラ トリーアニマル, Vol.4,No.1,1987 14)二階堂浩子, 山田淳三 :デン粉ゲル電気泳動法による
近交系 ラッ トの標識遺伝子の検索.免疫実験操作法Ⅹ, 3061‑3073,1981