岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号(2010 ll)
和辻風土論の再検討一地理学の視点か ら‑
Re c o ns i de r a t i ono fWa t s u j iTe t s u r o' s FudoThe o r y (
風土論)f r om t heVi e wpo i nto fGe ogr a phy
高 野 宏
Ⅰ は じめに
近年、哲学 倫理学の分野 において、和辻哲郎 に対す る回顧 や再評価の動 きが盛 んであるQそ こで は、和辻が長年 をかけて提示 した倫理学 (以下、「和辻倫理学」)や、そこにおける諸概念 (空、法、国 家等) に対する再検討 を中心 として、彼 自身のライフコースや時局 との関わ りまでを含んだ広範な談 論が展 開 されている
02 0 0
1年以降、和辻 を主題 として著 された著啓 は、津田( 2 0 0
1)、市倉( 2 0
05 )
、リ‑ ダーバ yハ
( 2 0
06 )
、富川( 2 0 0 8 )
等が挙 げ られる。それでは、今 日の和辻や和辻倫理学 に対す る回顧 ・再評価 の動向は、何 に起困 しているのであろう か。た とえば、佐藤
( 1 9 9 9)
は、以下の ように述べている。「和辻の死去時、すなわち一九六〇年の時よりは今日の方が、和辻の思想およびその多彩な深耕の税極的怒味が 語 りやすくなっていると言えるのではないか O一九六〇年当時の日本の思想状況、それは、 左瓢陣眉と 自由主轟陣営との間での、さらにそれのみならず、マルクス主義内部での イデオロギ‑対立の時代であると ともに,実存王並の隆盛の時代 、理論実証王穀の哲学が 登場 した時代でもあった。そのなかで和辻の思想 は、 いかにも生温く、時代遅れの朝を呈 していたように思われるOその r倫理学jも歴史的著作も、 公然 たる天皇制擁護の姿勢に示されるような政治的保守性という理由から4EZE祝され、さらには、唯物史観の滋味で の 「社会科学」の立場から否定的に評価されたo Lかし、今EL イデオロギーの終帯が語られ、近代の価値 が 「ポス トモダン」の立場から問い直されている思想状況にあって、様相は一変してきたというべきではない であろうか.(佐藤
1 9 9 9
ll)1)」つ ま り、「近代」 における政治的言説の構 図が崩壊 ない し相対化 した こと、それに伴 って、従来の和 辻研 究 を取 り巻いていた思想史的状況が転換 したことが要 因 として指摘 されている。
さて、 こうした和辻哲郎 に対す る再評価 の動 きは、決 して中心的な議題ではないにせ よ、地理学 に おいて も見受け られる。周知の ごとく、和辻 は r風土一 人間学的考察
‑
1( 1 9 3 5
、以下 r風土j)
にお いて、モ ンスー ン ・沙漠 ・牧場か らなる風土類型論 を展開 したOそれは、「自然 一人間」関係、 とり わけ風土 を主要なテーマ とす る地理学の著暫 論文 において繰 り返 し言及 され、批評が加 えられて き た。一例 を示す と、千葉( 1 9 7 9 )
で王張 された 「科学的風土論」は、「風土J を中心 に展開 された和辻 の風土 に対す る考察 (以下、和辻風土論) の批判的検討の うえに成 り立 っている。しか し、山口
( 2 0 0
7)
によれば、 「( 1 9 4 0‑1 9 6 0年代 にかけて)飯塚 (浩二)が和辻風土論 を環境決 定論 だ と繰 り返 し論断 したため、和辻風 土論 は地理学内部 においてす ら敬遠 され、本格的に検討 され
3 1 3
る機会が失われて しまった (山口
2 0 0 73 5
、括弧内は筆者)」 とされている。確かに、地理学の著作 に は、和辻風土論 (とくに r風土J )
に対する記述 批評が多数見 られる一方で、その理論的な側面につ いて詳細 な検討 を加 えているものが、ほとんど存在 していない.従 って、同論文が主張するように、和 辻風土論 を単なる環境決定論、ない しは過去の著作物 として等閑視するのではなく、豊かな地理哲学 地理思想 を内包する可能性のあるもの として対象化 し、今 日的意義 を探 ることが課題 となる.なお、1 9 8 0
年代以降、A
ベルクが和辻風土論における風土性 を再解釈 し、西洋哲学の成果 を踏まえることで、独 自の 「風土学」を展開 している (ベルク
1 9 8 8 . 2 0 0 2
など)。これらの諸成果は、和辻風土論再検討の 意弟、ならびに展開の可能性 を示す充分な証左であるO本稿 の 目的は、以上の問題青書削こ基づ き、和辻風土論 を地理学の立場か ら再検討することである。
従 って、それは哲学や倫理学からなされるものとは趣 を異にしているO さらには、筆者の理解力のな さに起因する誤解 もあろう。先学諸賢の方々のこ批正 を乞 う次第である。
本稿の構成 としては、第Ⅱ章において和辻哲郎の経歴について簡単に述べる。第Ⅲ章では、和辻風 土論 として最 も有名な r風土」の意図や、同譜で展開された風土横型論 をみてい く.続 く第Ⅳ章 第
Ⅴ輩にて r人間の学 としての倫理学
」r
倫理学Jの記述に検討を加え、和辻風土論の理論を抽出する.和辻風土論の再検討 という目的か ら、本稿の重心は具体的な第Ⅲ章 よりも、第Ⅳ章 第
V
章に置 きた い。そ して、以上の結果を踏まえた うえで,和辻風土論の地理学における今 日的青森、風土研究上の 問題点について言及する (第Ⅵ章)。なお、本稿で用いる原資料 (底本) として、「風土j (ワイ ド版岩 波文庫、1 9 9 1
年版)、r人間の学 としての倫理学J
(岩波全書、1 9 3 4
年版)、r倫理学j (上 ・下の全2
巻 構成、1 9 6 5
年版)の合計4
冊 を用いる1)。Ⅱ 和辻哲郎の経歴
本章では、和辻風土論に対する検討作業に先立って、彼 自身の偉歴 を簡単に述べる。それによって、
本稿で原資料 として攻 う替物の成 り立ちを理解できる。
和辻哲郎は
、1 8 8 9
(明治2 2 )
年、兵庫県神崎郡砥堀村仁豊野 (現 ・姫路市)に、医師 ・和辻瑞太郎 の二男 として生れた。1 9
01 (明治3 4 )
年に県立姫路中学校 に進学.節‑高等学校入学に際 して上京す るまでは、同地に両親 とともに住んだ。幼少期から西洋の文物に対する憧れが強かったとみえて、中 学時代 にはバイロンやテニソン等、1 9
世紀のロマン派詩人たちの作品に親 しんでいる。また、夏 目淑 石の作品 も熱心に読んでいるが、それは 「新帰朝者夏 El淑石」に 「何かの期待 をかけていた」 という のが、そ もそ もの切 っ掛けであった (和辻1 9 6 33 1 2
、傍点は筆者)。1 9 0 6
(明治3 9 )午,1 7
歳で第‑高等学校 に入学。その三年後には,東京帝国大学文科大学哲学科 に 進学 したD東京帝国大学卒業後は、高瀬照 と結婚、同大学大学院に進学する( 1 91 2
年)Dr
ニイチェ研究」
( 1 91 3 )
、rゼエ レン キエルケゴオルj( 1 9 1 5 )
を立て続けに出版 し、 日本の思想界に実存主義哲 学 を 「驚異的に早い段階で」 (佐藤1 9 9 9
ll)紹介 した。かかる先見性の背後には、幼少期から培われ岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号 (2010ll)
た西洋の文物 に対す る憧 れが深 く関与 してい よう。
3 0
代 に入 ると和辻 は、まず東洋大学教授 とな り( 1 9 2 0
年)、法政大学教授の併任( 1 9 2 2
年) を経て、京都帝 国大学講師 (のちに助教授 ・教授)に着任 している
( 1 9 2 5
年)。 この頃か ら彼 は、美術史な どの 文化 史、 と りわけ 日本文化史に対 して強い関心 を示す。事実、京都帝国大学への着任 は、西田幾多郎 の強い要請 を幾度か斬 った末,「広 く文化 史に対する講義が許 され」たことか ら実現 したものであった (市倉2 0 0 57 )
0 「古寺巡礼J ( 1 91 9)
や rEl本精神史研究J ( 1 9 2 6)
は、そ うした関心の もとに著 され、研究の過程 で和辻の思想 には一つの転換が もた らされた。宮川
( 2 0 0 8 )
によれば、その起点 となった のは、 「日本精神 史研究」 に所収 された 「沙門道元」( 1 9 2 0 ‑ 1 9 2 3 )
であ り、和辻 は 「「我」 を抜 き去 る 一貫性」の 「上 で級密 に発展 した一大哲学体系」、「西洋近代哲学 に桔抗 し、あるいはそれを凌鞘す る哲学体系」 を仏教思想のなかに 「発見」 した (宮川
2 0 0 8
90)
O以上 の文化史 (仏教思想)に対す る関心の高 ま りが和辻の第一の転機 だ とすれば
、1 9 2 7 ‑1 9 2 8
(昭 和2‑3)
年の ドイツ留学 は、第二の転機 となる ものであったOそれは、東京帝B]大学転任( 1 9 3 4
年、4 5
歳)ののちに著 わされた r風土Jの 「序言」に記 されている。「自分が風土性の問題を考えはじめたのは、一九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデ ッガーの r孝;と時間」
を読んだ時である.人の存在の構造を時間性として把捉する試みは自分にとって非瑞に興味深いものであったo Lかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに,なぜ同時に空間性が,同じく根源的な存在構造 として、活かされてこないのか、それが自分には間超であった。 主里 も主査毘蛮力三見免に見地
逃し
拝引ii】耽り細密旦分析亡三
着払
込ん
だ白倉をこち̲1主とさ淫
をまのP j:10
)EJl毅に・Uと 充
を旦Iitn li=1=めであク をむも知れぬ
.」(風 4、7掛 ま雑著)す なわち、留学経験がハイデガーの r有 と時間」 に空間性 に対する考察の欠如 を見出 させ、風土論 を 展開す る機縁 を与 えたo r風土J をす ぐれた 日本人論 としてみる立場か らすれば、留学経験が彼のなか の 日本文化 を相対化 し、世界諸文化のなかに位置付ける動機 を形成 したのか も知れない。いずれにせ よ、(丑西洋哲学 とは異質な哲学体系 の探究 だけでな く、(参人間の存在構造 としての空間性 (‑風土性) の探究 とい う新たな問題系が、ここに出現 したのである。
そ して、上記二つの問題系は、戦中 戦後 を通 じて著 された r倫理学] (上 中 ・下巻
、1 9 3 9 11 9 4 9 )
において結合 されるc r倫理学j は和辻の主著 と目される ものであるO まず、上巻 と中巻( 1 9 6 5
年版で は上巻 に該 当)では、主 に r人間の学 としての倫理学J ( 1 9 3 4 )
で模索 された人間存在の議論 (仏教思 想 に基づいた哲学体系)が一層深め られ、和辻倫理学 を形成す る理論が詳細 に記述 されている。それ に対 して、下巻では、かかる談論 を土台 として r風土」で展開 された風土類型論 (モ ンスー ン 沙漠 草原の三類型)が、7メ リカ ステ ノブの二類型 を加 えて刷新 されているO両者の関係 を端的に表現 すれば、「上 中巻 ‑理論、下巻 ‑具体事例」 とい うことになる。1 9 4 9
(昭和2 4)
年3
月、ち ょうど r倫理学j下巻が刊行 された年の春 、和辻 は停年( 6 0
歳)を迎 え、1 5
年間勤務 した東京大学 を退官する。以後 は、当時学習院長であった安倍 能庇の誘い も断って教壇 に315
和辻風土論の再検討一地理学の祝古から‑ 祐野 宏
は立 たず、午前 中は一切 の面会 を謝絶 してまで、 自宅の書斎 にて執筆活動 にいそ しんだO こうした生 活のなかか ら、晩年の r鎖 国
j( 1 9 5 0 )
や r日本倫理思想史」( 1 9 5 2 )
な ど、 日本文化 を見つめ直す著 作群が生み出されていったo Lか し、「自宅での心 身を労する執筆生活」が影響 してか (吉沢2 0 0 61 8 )
、1 9 6 0
(昭和3 5 )
年 に心筋梗塞 で この世 を去 っている.享年71
歳であった。Ⅲ r風土」 の意図 と風土類型論
本章 では、和辻風土論 の理論 に注 目す る まえに、一般的に和辻風土論 を代 表的す る著作 とされる r風土」 の内容、すなわち同書 に込め られた意 図、な らびに各風土の記述 について整理するO この作 業 を通 じて、和辻風土論 に対 してある疑問が浮かぶ ことになる。
(
1 )r
風土J に込め られた意図「風土jの大半は、類型化 されたそれぞれの風土 に対す る具体的な記述 によって占め られ、理論的な 説明は冒頭の ご くわずかである (原資料 では
2 8
頁)。それゆえ、同番の記述 だけで和辻風土論の理論的 構造 を詳 しく知 ることは困難である. しか し、和辻が風土類型論 を展開 した意図は充分 に読み取ることがで きるO幾つか関連す る個所 を引用 してみ ようO
(丑 「ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、i天敵などの総称である。」(風 9)
② 「我々にとって問題となるのは日儒直接の事実としての風土が果たしてそのまま自然現象と見られてよいかと いうことであるO自然
」(風 9110、下線は簿者)
( 卦
「(現代の趨勢は
)具体的な風土
の現象から人間存在あるいは歴史の製桟を洗い去 り それを重なる自然現嘆と る0人Juは単に自然環境に規定されるのみではない、逆に人間が風土に 働きかけてそれを変化する、などと説かれるのは、皆この立場にほかならない。見ていないのである。」(風 ユ
7
、下線は矩者)(彰 「このfHのEl Eざすところは、人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすることである。だから、ここで は自然環境がいかに人間生活を規定するかということが間濁なのではないO」(風 3)
⑤ 「我々は風土において孜々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。
我々は先祖以来の永い間の了解の蓄稀を我々のものとしているのであるO」(風
1 5 )
これ らか ら、和辻が r風土j で対象 とす る風 土 とは、一重的には 「ある土地の気候、気象、地質、地 味、地形、景観 な どの総称」 として走去 されるが (①)、自然科学の立場か ら捉 え られるような、人間 存在 と切 り離 されて存在 (外在)する 「自然現象」ではないことが分かる (②)Oそれは 「人間存在の 構造契機」 とい うごとく、個人や人間典 団の 自己了解や 自己形成 と不可分 の関係 にあるはずの もので あった ((む ⑤)Oそれゆえ、「自然現象」 として風土 を捉 え、それ と対置 される人間活動 との相互関 係 を説 こうとす る近年の方法論では、「真 に風土の現象 を見」ることはで きない とされている ((杏)Oす なわち、和辻が r風土J で意図 したことは、個 人や人間集団を取 り巻いている空間を、彼 らの自己7
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号 (2010ll)
解 自己形成の在 り方 (あるいは、それ らの歴史的な蕃枝物 〔⑤〕) として捉 え直 し、世界各地での実 例 を示 しなが ら、存在論的にアプローチすることであったといえる。
( 2
)風土の3
類型r風土」 に実例 として登場する地域は、(1) イン ド 南洋、 (ll)ェジブ ト・アラビア半島、(lil) 南 ヨーロッパ (ギ リシア・ローマ)、 (1V)北 ヨーロ ノバ (イギリス ・フランス ドイツ)、 (V)中国、
(vl)日本の
5
つである.その うち、(1)はモ ンスーン的風土、(ll)は沙漠的風土,(111)は牧場的 風土の典型 とみなされる。 さらに、中国と日本はモ ンスーン的風土の、北 ヨーロッパは牧場的風土の 特殊的形態 として、それぞれ理解 されている。以上の枠組みで談論が展開されるが、r風土」の読者 において最 も印象に残るであろうことは、これ らの地域 ‑風土では、自然 ・人間・文化の三者 に密接 な関連性が指摘 されることである。ここでは、モ ンスーン的風土 と牧場的風土に対象を絞 り、両者 を対照的に紹介 してみよう.
まず、モ ンス‑ ン的風土 と牧場的風土 とでは、自然の在 り方が全 く異なる.前者で注 目されたのは、
「夏の季節風であ り、熱帯の大洋か ら陸に吹 く風」、とりわけ、そこに見 られる 「暑熱 と湿気 との結合」
であった (風 29)o また、南洋にみられる気候の単調 さ (風 33)2)、ならびに動植物の生命力 (繁殖 力)の豊かさも、「力の横溢の単調 さ」 (風
3 4 )
として注 目されている。それに対 して、後者におけ る自然の特徴 は、従順や明朗、合理的 といった言葉で説明された。第‑の 「従順」は、地中海の夏の 乾燥 によって 自然 (雑草)の繁殖力が抑制 された結果である (風8 4 ‑ 8 8 )
。第二の 「明朗」 も夏の乾 燥に由来する.和辻 によれば、空気が湿気 を含 まないことで 「預 うものなき明るさ」が生れ (風9
7)、「雲の色、山の色、土の色 とい うごときものが実に鮮明に, 表れて くる」 (風 94)。第三の 「合理的」
は、高緯度地方ゆえの降水童の少なさと、風雨のおとな しさによるoすなわち、地中海沿岸での降雨 は 「静かに大地を湿す」のみであ り、風 も一般的には弱いOそれゆえ、偏形樹が稀であるなど、「自然 は合理的な姿 に己れを現わ して来る」のである (風 92)。
次いで、このような各風土における自然の違いは、そこに住む人間の性格 にも影響 を及ぼすo暑熱 湿気 を特徴 とす るモ ンス‑ンの自然は、時 として大雨 ・暴風 ・洪水など、「人間をして対抗を断念 させ
るほどに巨大な力」 となって猛威 をふるう (風
3
1)。 しか し、一方では、その暑熱 湿気が豊かな生 命力の源 とな り、 自然は多大な恩恵をもた らす人間活動のゆ りかごにもなる。こうした厳 しさ ・優 しさの二面から、イン ドや南洋では 「自然への対抗」が呼びさまされず、意志の弛緩,忍従的 受容的 な性格 を特徴 とする人間が形成 された (風 29‑31)。 また、 自然の 「力の横溢
」
「単調 さ」 という特徴 も、人間において 「感情の横溢 (イン ドでは感受性の敏活
)
」、「激情に燃 えて常に輿懲 している人の 単調 さ」 として出現 した (風3 4 、3 6 )
O これに対 して、牧場的風土の項 目では、モンスーン的風土に おけるそれ とは全 く異なった人間形成の在 り方が説かれる。「自然が従順であることは 自然が合理的であることに連絡してくる0人は自然の中から容易に規則を兄いだす ことができる.そうしてこの規則に従って白餅 こ払むと、自然はますます従順になる。このことが人朋をして
317
和辻風土幹の再検討‑地理学の視点から一 前野 宏
9 2
、下鰍 よ年若)」か くして、南 ヨーロッパの人間は合理的にな り,歴史的には科学革命を成 し遂げたのである (風
9 2 )
。 さらに、明朗な自然の中にあっては、「「見えざるもの」「神秘的なもの」「非合理的なるもの」 を求め るとい う傾向が強 まらな」かったともされる (風9 7 ) 。r風土」では、いずれの風土の記述に しても、
自然 と人間との関係は.直接的な因果関係 (「自然がAだから,人間はBになる」)、ない し、憶暁の関 係 (「自然がAであるように、人間もまたBである」)で結ばれている。
澱後に、かかる方向性 をもった人間が作 り出す文化 も、自然の棟麿 を間接的に反映するものとして 措かれている。たとえば、インドの場合、文芸作品に しろ、「彫刻にしろ、絵画に しろ、建築にしろ、
細部の布 くべ き皇宮 さに比べて構図の統一はきわめて弱 く」、「明白さを欠」 き、「形象の横溢」に対す る陶酔 を特徴 とする (風 4243)。それは、モ ンスー ン的風土に生 きる人間の性格 (意志の弛篠、感情 の横溢、感受性の敏活) を直接的に反映するもの とみなされてお り、それゆえ、牧場的風土において 生み出される文化 とは異なる特徴 を多 く含んでいる。ギリシアやローマの人間は、明朗で合理的な自 然 を眺めるなかで、彫刻や建築 も 「内なるものをことごとく露わにせる」「明朗なる
「
形」」や 「幾何 学的な比例」を備 えた もの として生み出 したのである (風1 0 7 . 1 1 0 ‑ 1
11)
。(3)
r
風土J における矛盾前節では
、
r風土Jで展開された風土類型論について簡単に紹介 したが、それを本fr・第 1節で述べ た同むの意図 と対比 してみるとき、一つの矛盾点が浮かんで くるQすでにみたように、r風土」の冒頭において和辻は.属し土 を自然環境 として人間存在か ら切 り離 して しまうこと、また、切 り離 された両者の相互関係 として風土論を説いて しまうことを強 く非杜 してい た。彼 において風土 とは、人間や人間集EZlの自己了解 自己形成の在 り方 とい うごとく、主体的 実 践的なもの、存在論的なものであった。 しか しなが ら、r風土Jの本文にあたる風土類型論をみると、
世界各地にみられる人間 人間集団の性格の違いや、その文化の違いが、彼 らを取 り巻 く気候 を中心 とした自然環境の相違か ら、環境決定論的に説明 されているように しか思われない.い うまでもなく、
こうしたアプローチは、和辻 自身が非簸 していた、風土を自然環境 として捉え、それを人間存在 と分 離 ・対置する二元論的な視点によって可能になるのである。
事実、数名の地理学者は.この r風土JIにみ られる矛盾を問題 とし、和辻風土論 を強 く批判 した。た とえば,青野正敏は 「彼 (和辻)は、 「(自然環境が人間を) どう規定するか」 とい うことは論 じて いないが、底 を流れる態度は、人間存在の状態 を自然や社会 を含めた環境で説明 しているとしか受け 取れない。 これ (モ ンス‑ ン 沙漠 牧場)は単なる地域の呼び名で、かならず Lも自然現象の内 容を意味するものではない、と彼はいう。 しか し、この点においてすでに考え方に無理があった」と 述べる (青野
1 9
68333、括弧内は筆者)。 また、飯塚浩二は、従来の文化論 環境論においては、「(負 候一住民の気質あるいは性格一文化) とい う方向に特異性の追求」 を行い、国民性や文化に対する自 然の影響 を 「全 く樺械的にそ して直接的に求め」ることが定型化 していると指摘 した (飯塚1 9 7 61
83 )
。岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第30号(2010Ll)
その うえで、和辻風土論 も、そ うした短絡的な文化論 ・環境論に類するもので、社会環境や 「自然 一 人間」関係の歴史的側面を血視 した皮相的な談論 としている (飯塚
1 9 7 54 2 8
,飯塚1 9 7 63 5 4 ,1 8 5 ‑ 1
86 )
0 ちなみに、飯塚における 「自然 一人間」関係 とは、労働 を媒介 とし、生産をめ ぐる技術や社会的組織 の発達 とともに変化する、歴史的かつ社会的 ・経済的なものであった。経済史の立場か ら人文地理学 に接近 した同氏ならではの反駁 といえよう。それでは、和辻風土論は、上に挙げた
2
名の地理学者が指摘することく、当初の 目的 とは英腺に,早 なる環境決定論 に堕 して しまっているのであろうか。皮相的な文化論 ・環境論 として、いささかも今 日的意義 をもち合わせていないのであろうかO次章以下では、r人間の学 としての倫理学Jおよび r倫 理学Jの記述か ら、和辻風土論の理論 を抽出するOその後、この間題を考察 したい。Ⅳ 和辻哲郎の人間観 ・社会観‑和辻風土論の基礎一
和辻の風土類型論は、r倫理学j下巻において1rllk終的にまとめ られる.そ して、r人間の学 としての 倫理学Jで構想 され、r倫理学j上 中巻 (原資料では上巻)に結実 した倫理思想は、かかる風土類型 論に理論的根拠 を提供 している。和辻風土論の理論 とは、彼の倫理 思想その ものといえる。
本章以下では,この点をふ まえ、r人間の学 としての倫理学」 と 「倫理学」の記述 を中心に和辻風土 論の理論 を分析するO また、その際には、「和辻哲郎の人間観 ・社会観」 (本章) と 「歴史 風土に対 する認識 と分析方法」 (次章)の二つのテーマに分かち.前者では和辻風土論の基礎 をなす問題につい て、後者では同理論の中核的な部分について述べる。
(
1
)「間柄的存在」 としての人間a
近代西洋哲学における人間観の否定 和辻哲郎による人間観の提示は、近代西洋哲学において発 達 した人間観 (個人主義)を否定することか ら展開 される。周知のごとく、デカル トは r方法序説」
( 1 6 3 6)
において方法的懐疑 を試みた。彼は、自らの哲学の 基礎 を構築するために、疑 うことので きる一切の ものを否定 していった。他者の存在や肉体が感 じる 感覚などは、幻であった り、錯覚であった りする可能性があるので、哲学における真理 とはな りえな い。侵終的に、「思惟するものr e sc o gl t a n
S」 としての我 (精神)のみが、唯一疑 うことのできないも の として兄いだされたO こうしたデカル トの考 えは、以降 「力強 く近代哲学 を支配 した」(人1
87 )
0「哲学の初めは自我である。問いは自我か ら出る。他我はそれにもとづいて 「認識」せ られるものに過 ぎぬC これが恐 らく哲学的な常識 となった」のである (人
1 8 7 )
0こうしたデカル ト (従って近代西洋哲学)の主張に対 して、和辻は,①方法的懐疑における思考や 主張が個人に由来 しない言語によって媒介 ・展 開されること (上
5 2 )
、②彼の哲学的な問い自体が「学問」 という研究者が共有する場 を前提 になされていること (人
1 8 8 ‑1
89 )
、とい う二点か ら反駁す る。結果、和辻は孤立 した個人 とい う近代西洋哲学の主張 を否定 し、社会内存在 としての人間像 を強 く主張する.「人は生 まれるとともに一定の社会組紙のなかに組み込 まれるのであ り、その限 り他 との3 1 9
和辻風土静の再検討‑地理学の視点から‑ 高野 宏
関係の中に立っている」 (上 252)等は、彼の主張 を端的に示 しているo
b
「間柄」の主張 和辻が人間存在 を捉 える基礎概念 として提示 したのが 「間柄」である。彼 によれ ば、人間は孤立 した個 人 として, 自己の 自由な認識や判断に基づいて行動 しているわけではない。生 得的に自我 を礎得 しているので もないO個人の行動 を律 しているのは、それぞれの行為者が属 してい る社会の行為規範であ り、行為規範 を柁 まえた個 々の行為者が形成する主体 間の 「実践的行為的連関」としての間柄である。 この社会 的行為 において、人間は自我 を獲得する。
た とえば、ある人は、ある社会 において教 師 として生活 している。 この場合、社会 は彼/彼女に教 師 としての地位 (「資格」)を与 え、一定の行為規範 を課 している。そ して、彼/彼女は、 この行為規 範 を踏 まえて行動 しつつ、特定の他者 とのあいだに 「教 師 ‑学生」 とい う間柄 を日々の実践 において 作 り上げるO教 師 として生 きる限 りは、それを再構築 し続 けな くてはな らないOなぜ な ら、社会 をし て彼/彼女 に教 師 としての位置 を与 えているのは、 この間柄 にはかならないか らであるO こうした社 会内部 における間柄 の形成 ・再構築の過程 において、彼/彼女は他者に我 を兄いだす とともに、社会 的人格 (ペルソナ) としての 自我 を獲得する。
もちろん、如上のプロセスは、彼/彼女の他者 に対す る一方的な働 きかけによって達成 されるので はない。 自己は他者 においては他者であ り、他者は他者 においては自己である。かかる他者 との関係 性 に依拠す る王体 同士の対時 において、間柄が成立す る。和辻 は、「我れの志向がすでに初め より相手
によって規定 され、またi削 こ相手の志向 をも規定」す る相互依存 関係 を間柄 と定義 している (上 5
4 )
0 また、「間柄 的存在 においては互いの意識 は浸透 し合 っている」 (上7 3 )
ともい うOこうした視点か らは、社会 とは、構成員相互の実践的 双方向的な行為 によって形成 される間柄が 無数 に蓄積 した結果である と同時 に、かか る間柄 の形成や間柄 の形成 ・再構築 を通 じた 自我 (人格) 形成の基盤で もあるとい うことになるO特定の地位 に付 随する行為規範 も、結局の ところは、間柄の 総体 たる社会が社会内存在たる各人に対 して課す もの とみな され よう。
(2)個人 と社会 の関係
a
個人 一社会の二重構造 しか しなが ら、この ような和辻 の主張 は決 して 目新 しい ものではない。社 会 名 目論 に対す る社会実在論 (方法論 的集合主義)の一種 とみれば、古典的な主張 ともいえるO実際、和辻 も自身の主張 に際 して、次の ようにアリス トテ レスの一節 を引いている。
「(アリス トテレスの)主張は、孤立人の立場 を根本的に覆す ような仕方で行なわれている。彼はい う、
「ポリスは本性上家族及び個人よりも先である。なぜなら、全体は必然に部分よりも先だからである。 個人は ポリスに対 して全体に対する部分の関係に立っていることであるo社会の内に生きることのできぬもの、ある いは白足せるがゆえに社会を必要とせぬものは、ポリスの成員ではなくして、神か獣である
o J
」(人57) こうした古典的な社会実在論 における人間観 と、和辻倫理学 における人間観 とを分かつポイン トは、個 人の独創性 と社会の全体性 との関係性 の規定 にある。すなわち、前者が社会 の全体性 を重視す る立 場か ら個人の独創性 を否定 して しまうのに対 して、後者 は個人の独創性 を人間存在の欠 くことので き
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ない一契機 として、社会の全体性 と同等に位置づけているのであるO
和辻によれば、人間は社会に対 して常に従属 しているわけではない。 もちろん、社会は構成員の行 為 に対 して一定の強制力 をもっている。 しか し、その一方で構成員は、この社会の強制力 に対 して常 に 「背 く」可能性 を有 しているO「個人は有機体の細胞、機械の歯車のごとく、単純に全体‑服従」 し ているのではないO「た とい極端 な抑制の下に一切の背反が弾圧せ られたとして も、その弾圧の力の強 さはち ょうど個人の自覚の力の強 さを反映 している」 と、和辻はいう (上
2
97 )
0かかる考察ののちに提唱されるのが、社会 と個人とを人間存在の二様態 として捉 える見方である。す なわち、特定の社会で生活するある人の認識や行為が、その社会の目ざす方向性 (価値基準 行為規 範) と一致 している場合、彼/彼女 らは人間の共同態 として社会その もの となるOそこでは、個人の
自発性や独創性 を示す人間の私的性格 は否定 され、構成員である彼 と我 とは完全に合一するO反対 に, 彼/彼女 らは、社会の価値基準 ・行為規範か ら逸脱 して行動することも可能であるO この場合、彼/
彼女 らは社会の公共性 (全体性)を破壊 し、私的存在 (個人)としてそこから背 き出ることになる。こ うした社会 と個人との表装一体の構図は、人間存在 における 「個人的社会的二重構造」 (下
5 )
、「二 重性格の弁証法的統一」 (上 17)などと表現 されている。なお、和辻 は私的性格の否定 (社会への合一)を
「 蕃
」 と呼び、公共性の破壊 (個人としての自己 把持)を 「悪」 と呼んでいる。 しか し、彼は後者 を滅すべ き悪だとは位置づけていない。「独立化の運動はその背反的な性格においではあらゆる悪の根源で あるが、背反さえなし得ずして停滞する人 間存在は、また還妬;‑もなし得ぬOすなわち悪に堪え得ぬ者は督をも実現し得ない。独立化の通勤を停止して共 同性のEPに眠るのは、畢党人閃存在の白光的本質の蛮尖であり、従っていわゆる 「畜群」への節落であるO」(上 143)
このように、和辻倫理学において人間とは、社会において他者 と主体的 実践的に関わ り間柄 を形成 する過程で、公共性の実現 を生活上の目標 としつつ も、現実には 「個人 (悪) 一社会 (善)」の二極を 行 き来する存在 として描かれるO社会での完全なる公共性 は、この動態により実現 されない.
b 社会 における入れ子構造 以上の観点に立ち、和辻 は諸個人の共同によって実現 されるべ き公共 性のことを 「人倫」 と称 し、そこに至るための道筋 を 「倫理」 と称 している。 さらに、公共性 を実現 するための組織 とい う意味合いを込めて、社会のことを 「人倫的組織」 と呼んでいるO本章の殺後に、
この人倫的組綴たる社会の構造について、彼の主張 を整理するO
和辻は、現実の社会 を観察すると、その内部には 「共同存在の実現段階」 (上 334)に応 じてさま ざまな段階の人倫的組織が確認 されるとする
。
r倫理学J では、家族 ・親族 ・地縁共同体 .経済的組 綴 ・文化共同体 ・国家が具体的に検討 されてお り、それ らを成立 させる結合原理や,そこで実現され るべ き人倫がそれぞれに示 されているO規模の小 さいものか ら順 にみていこうoまず、家族 とは、いわゆる 「家の族」 として 「日常生活の衣食住 をともにする」ための組織 (上 430)である。そこには、さらに三つの関係性 (人倫的組織)が含 まれる。第一は、一組の男女からな
321
和辻風土論の再検討一 地理学の視点か ら‑ 高野 宏
る夫婦関係
(
「二人共同体」)
であるOそれは 「ただひとりの相手以外のあらゆる他の人の参与を拒む」
(上 335)ことで成立 し、「徹底的な相互参与」 (上 374)が 目指 される3)。第二は、子の誕生によって 生 じる親子関係
(
「三人共同体」)である。それは、夫婦関係 を 「子に媒介せ られた 父 と母 との関係 に」止揚する (上 388)。親の子に対する 「慈愛」 と子の親 に対する 「孝」を通 じての、世代間の共 同存在の形成がこの関係での 目標である (上 397)。第三は、兄弟 (姉妹)関係 (「同胞共同体」)で ある。それは、父母に対する共通認識に媒介 された 「三人共同体の複合化による立体的な関係」(上 404)であ り、そこでは徹底的な相互参与 ・存在共同よりも、友愛の実現 (控 え目な態度によるかばい 合い)が善行 とされる (上 408‑409)0これに対 して,親族は家族 を含み、家族 を成立 させる人倫的組織である。和辻の説明を引けば、「家 族は 「家」によってその範囲を制限 したQ 日常的な衣食住が家族的共同体の媒介 となる。それに対 して親族はいわばその制限を受 くる場面 となっている」 (上 436)。この親族における結合原理は、血 縁関係 よ りむ しろ、成員数の不確定な兄弟関係である。それは婚姻関係によって倍加するO結果、「同 胞共同体」 と同 じく、友愛 (家族間での相互扶助)が人倫 となる (上 442‑443)O
そ して、兄弟関係は比職的な使用によって、家族や親族の範餌を超えることが可能であるOその結 果生み出された人倫的組織の一つが、土地 .労働 ・技術の共有 を妓介 として生み出される地縁共同体 であるOそこでは,家族的変か ら区別 される 「博愛」の実現が 目指 される。そのため
、
「「己れの子 と の間の特殊の愛の合一」 とい うごとき、構成員の私的性格は、地縁共同体が活動する場面においては 止揚 されな くてはならない (上 465)。各構成員が控 え目に して、相手の個性 を尊重することが、隣 人 としてなすべ き道である4)Oただ し、地縁共同体は交通によって範囲を制限 される。徒歩 ・騎馬で 一 日に往復可能な範Bilが、地線共同体の可能的な広 さである (上 459)0経済的組織 と文化共同体は,地縁的組織が抱える範囲の制約 を超えて広がる、兄弟関係に基づいた 人倫的組織である。 まず、前者の結合 を媒介するのは経済活動である。商品を媒介 とする広範囲にお ける 「相互奉仕」の実現、欲望の充足 を通 じての 「人倫的合一」が経済的組織の最終的な目標である (上 489)。そ して、後者 を媒介するものは言語である.共通の言語によって、人々は 「相互了解性 を 表現する感覚的形象」 (上 533)をともに し、緊密な間柄の形成が可能になるC結果 として、芸術 学問 ・宗教 ・道徳 などが比較的広い範囲で共有 される。ただ し、その広が りは当該言語が通用する範 臥 すなわち民族の分布によって制限される (上 547‑549)5㌔
最後に取 り上げ られる人倫的組織は国家であるO国家 は、家族から文化共同体に至る全ての人倫的 組織 を内包する、癌大規模の人倫的組織 とみなされている6㌧ さらに、国家は 「法」 を通 じて、それ ら下位の人倫的粗放 に対 して国家内部における位置 を与 えるOそれゆえ、種 々の行為規掛 ま、諸個人 の主体的 .相互的な実践 (間柄)によって形成 される一面があるが、滋終的には国家によって規定 さ れている. これによって人々は国民 として組織 されるとともに、国家か ら与えられた自由 (住居の自 由 通信の自由等) を用い、各段階の人倫的組織 において公共性 を実現 しようとする。
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以上、r倫理学) における諸人倫的組織の記述についてみた。 これにより,和辻の社会観で重要な点 を示す.第‑には、社会が 「家族⊂親族⊂地縁共同体⊂経済的親戚 文化共同体⊂国家」 という人倫 的組鼓の入れ子構造 として捉え られていることである。この場合、下位の人倫的組毅が上位のそれに 対 して私的性格 をもつ。公共性の実現 (私的性格の否定)が
「 着
」であったか ら、和辻が提示する社 会の方向性 とは、下位の人倫的組鼓が次々と止揚 されてい くことである。第二には、国家が各段階の 人倫的組織 を統括する 「人倫的親鼓の人倫的組耗」(下5
1)に位置づけちれていることである。 こう した観点に立てば、地縁共同体や文化共同体が国家 と一致する場合 を含め、国家が成立 しない場合に は社会が成立 しない。 さらにいえば、「国家 レベルにおける 「滅私」 ‑最大の公共性 (拳)の実現」 と い う帰結 ももた らされる (上6 0 6 ‑ 6
07 )
。これらの特徴 をもつ和辻倫理学の社会観は、一義的には、和 辻の全体主菜的傾向を示す もの として、二義的には、和辻が生れ、思想を育むことになった 「近代 (国 民国家成立期)」のエー トスを反映 したものとして理解で きる (中島2CO3).Ⅴ 歴史 ・風土に対する認識 と分析方法‑和辻風土論の中核一
本章では、和辻倫理学における 「人間存在の根本構造」の議論か ら始め、時間と空間 (歴史と風土) の問題、風土に対するアプローチ等の、和辻風土論の中核 をなす部分について考察する。
(1)人目liJ存在の根本構造
和辻倫fBE!学において、自我の根源は、主体的 実践的な間柄の形成に求め られた。和辻は、こうし た社会内存在 としての人間を直接 に指 し示す言尭 概念 として 「存在」を挙げる。すなわち、「存在」
とは、人が 「白光的に世の中にあること」であ り、「その世の中にあることがただ実践的交渉において のみ可能である点を強調すれば、 「人間の行為的連関」である」 (人 40)。 この意味において、人 間は自らの うちに自己を規定する何 もの も持ち合わせていない。彼/彼女は 「私はAである」 と述語 によって規定 されるはかな く、その規定要Eqたる述語Aを他者 との関係性のなかに、実践的交渉 を通
じて探 し求めなければならない。 これが 「存在」 としての人間の姿 となる。
しか し,このように人間の外部規定性 を主張することは.哲学的思考における起点を消失すること にな りかねない。なぜなら、自己が他者 との関係において自己を兄いだす ということは、かかる自己 と他者 との弁別的差異を作 り出す地盤、すなわち彼/彼女 らを含み、その私的存在を超えた一定規模 の社会 (人倫的鼠紘)が必要 とされるか らである。それは、個人的活動の レベルを超えて、さまざま な規模 をもって展開するという人倫組織 (前章第3節b)にもそれぞれ当てはまる。たとえば、家族 の確立 (自己認識)は、他の家族 との弁別構造か らなる親族や地縁共同体 を要求する。地縁共同体の 確立は、他の相 との弁別構造か らなる人倫的組織 (国家など) を要求する。「人倫的租鼓の人倫的組 織」 とされた国家でも,それは変わらない。国家は他の国家 との関係性の うちに自己認識 を持ち、超 国家的な活動の舞台 (人類)を要求する。同様に続けていけば、人類は動物 を、動物は生物 を、生敬 は宇宙 を、宇宙は宇宙以上の何 ものかを要求することになろう。要するに、哲学的思考の起点とな り
323
和辻風土論の再検討一地理学の視古から‑ 市野 宏
得 る ものは、探究の過程で無限の彼方 に遠 ざか らざるを得 ないのである。
そ こで、和辻が倫理学の起点 として設定 したのが、 自らの うちに全て を含 むことであ らゆる弁別的 差異の地盤 となるとともに、 自らは他者 を必要 としない絶対 的な全体性 である。それは公共性 を 目指 す
「
善」の運動の消尽点で もあるOそれゆえ、この絶対的な全体性 は、「有限相対 の全体性 を超 えた 絶対 的なる差別の否定」 として 「絶対 的否走性 (絶対空)」 と呼 ばれる (上 105)0かかる絶対的否定性 とい う起点 を想定す ることで、和辻の倫理学は大 きく転 回する。それは、人間 の立場 に立 った理論構築か ら、絶対 的否定性の立場 に立 った理論構築へ の転回である。それによって、
和辻が 「人間存在の根本構造」 と呼ぶ ものが主張 される。
「個人は全体性の否定であるというまさにその理由によって、本質的には全体性にほかならぬ。そうすればこの 否定はまた全体性の自覚であるC従って否定において個人となるとき、そこにその個人を否定して全体性を実 現する道が開かれるO個人の行為とは全体性の回校の運動であるO否定は否定の否定に発展するOそれが否定 の運動なのであるO ところで人間存在が根源的に否定の遊動であるとい うことは、入関存在の根源が 否定そのもの,すなわち絶対的否走性であることにほかならないo個人も全体もその窮相においては
「
空」で あり、そうしてその空が絶対的全体性なのである。この根源からして、すなわち空が空ずるがゆえに、否定の 運動として人間存在が展開するC否定の否定は絶対的全体性の自己遺恨的な実現運動であり、そうしてそれがまさに人偏なのである。」(上26)
「全体の立掛 ま、絶対的否定性の否定の否定、すなわち自己への還帰として成 り立つoLかしそれは個人が絶対 者へ没入するというごとき神秘的な体験を忠昧するのではない。否定の否定としての個人の独立性の止揚は、必 ず何らか人倫的な全体への帰属として行われるのであり、個人が投入するのは人倫的な全体であるOここでも それは家族、友人、社会、国家などのいずれかであってもよいo」(上
1 2 7 )
つ ま り、絶対 的否定性が 自らを限定す ることで、個 人 としての人間が誕生す る.その個人は自己の 否定、す なわち私的性格の否定 を通 じて、自らの本源である絶対的否定性へ と還 っていこうとする。 人 間存在 とは、かか る 「否定の通勤」である。家族 地縁共同体 ・国家 な どの人倫的組織 は、こうした 過程 の うちに現われて乗 る 「有限的全体」(
上 1 2 7 )
であ り、生 きた人間が維対的否走性への還帰 を 実現す る唯一の手段であるO絶対 的否定性への完全 な避帰 は、人間が他者 とのあいだに間柄 を作 り得 ない状態 になった場合、す なわち社会的人間の死 においてのみ実現せ られる (上71 、2
40 )
O この意 味 において、「善」 とは、「個人がその根 源へ呼ばれる声」 に導かれる避帰通勤であ り (上3
17 )
、「悪」とは、社会への背反のみな らず、「自己の根源への背反」である (上 140)o
なお、以上の ような全体性か らの立論 においでは、個 々の人間を形成す る肉体 に対する理解が問題 となるC なぜ な ら、 自然科学的な観点 に立てば、肉体 も精神 と同 じく、孤立 した個人の先行性 を支持 す る (絶対的否定性 か らの立論 を否定す る)地盤 とな り得 るか らである。ただ し、 ここでは和辻が現 象学的還元 を踏み越 えて、肉体 を含 む、物の存在 の独立性 を完全に否定 していることだけを指摘 して お きたい。要す るに、人間社会で 「ある」 と認識 されなければ、物 は存在 しないO反対 に、人間社会
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で 「ある」 と認課 されたものは、仮に想像上のものであったとして も存在する。物 (肉体)の物理学 的な側面は、人間の主体的・実践的な知鼓か ら引 き出された抽象的な共同知に過 ぎないのである7)。前 章でみた、「間柄的存在においては互いの意識は浸透L合っそいる」(上 73)といった自他不二の状 態、人倫的組織の各段階における諸主体の合一 も、これにおいて成 り立つ。
(2)時間と空間、歴史 と風土に対する認識
a
時間 と空間 上述の 「人間存在の根本構造」に基づ き、和辻は、時間と空間に独特の規定を与 え る。なお、歴史 と風土の問題は、この時間 ・空間に対する議論か ら導 き出される.まず、西洋曹学の伝統において空間は、人間の存在如何に関わらず外側に存在するものであ り、主 体である人間が活動に際 して知覚 ・認識する対象
(
「延長のあるものr e se x t e n s a
」)
である。それに対して、和辻は 「空間は主体的な人間存在の場面において兄いだされて くるのであって,逆に人間存在 が空間において構成 されるのではない」 (上
1 7 4 )
と主張する。これは、先の物の存在に対する見解 と符合する。つ まり、絶対的否走性の自己否定か ら多数の個人が生 じる。 この 「多化せる主体」(上1 6
4)
は相互に実践的な間柄 を形成 し、段階的に 「有限的全体」を実現することで、絶対的否定性へ還 帰 しようとする。空間性は、この うちの間柄の形成 と関係する。なぜなら、「多化せる主体」が間柄 を 形成するためには、主体間の隔た りを実現 しようとする公共性の規模 に応 じて超 えさせる、交通 ・通 信 ・報道等の連絡手段が必要だか らである。そこに 「「人間」の行動における王体的なひろが り 一切 の空間の根源 としての人間存在の空間性」が発生する (上1 8 7 )
。時間 も空間 と同 じく、人間から独立 した もの とされる場合がある。 しか し、和辻においては、これ も 「人間存在の根本構造」か ら出る。なぜなら、「人間の静動は,まさしく人間の交わ りの時閲的な展 開」だか らである (上
1 8 9 ‑ 1
90)
o さらにいえば、「人間の交わ り」は絶対的否定性への遼帰 (公共性 の実現)であった。それゆえ、人間における時間の行 き先は 「すでにあ らか じめ」決 まっている。「自 他不二において本来の全体性に 「来る」 ところの方向が未来であ り、その全体性が本来の面 目として 人間存在の 「本」である点においては過去であ り、その本に来る動 きが現前の自他対立 として現され る点においては現在」である (上1 9 8 1 1
99)
。ちなみに、こうした時間 と空間は相即不能である。人間 を静的にみた場合 には空間が、動的にみた場合には時間が現われる。以上が、和辻 による時間 空間に対する見解である。それ らは、人間から独立 して外部に存在 しな い。 しか し、時間と空間は人間に関する普遍 (抽象)であって、我々が EE常生活で認識できる特殊 (具 体)ではない とい う。我々が認識で きるのは歴史 と風土である。理論が事例 を通 じて しか証明されな いのと同 じく,時間 空間 という人間の普遍性 は、歴史 ・風土 という人間の特殊性 によって現出する ほかはないとされる。以下、これ ら歴史と風土について和辻の見解をみる。
b 歴史 和辻は歴史を、過去に起 こった無量無辺の出来事か ら取捨選択 された時間性の自覚であ り、
現在か ら未来に向けて再構成 され続ける一連の物語 とみなす。それは、未来に向けて行われる、個人 の行動 を定型化する鋳型 として創 り出された共同知でもある (下 4
2 )
。この点において.彼の歴史較325
は構築主義的 といえる。我 々は他者 (長老な ど)か ら歴史 を教 わることによって、 自らの時間性 を自 覚す るとともに、社会 内存在 として進 むべ き方向 を知 るのである。
この ような性格 を有す る歴 史の初めは,国家 による記録であるとい う。 もちろん、国家以前の人々 も歴 史に類似 した もの を形成 したが、それ らは単 なる奇怪 な出来事 に対する驚嘆の念 か ら出た神話的 な形式であ り、厳密 に歴 史 (時間性 の自覚) と呼 び うるものではなかった (下
2 8 ‑
29 )
。そ して、歴史 を出現 させ る噸矢 となったのは、超 国家的な場面、す なわち国家間における自他 関係の出現であるoた とえば、「葦 と夷 との区別が秦の万里長城 において大 げさな表現 を得 た後 に、初めてシナの史苔、司馬 遷の r史記」 がつ くられた」 (下 35) といった具合である。 この ように、狭義の歴 史 とは、国家間の 間柄形成 によって もた らされた、国家 自身による時間性の 自覚である。とはいえ、現実 を見渡 してみる と、家族 には家族 の記録があ り、地縁共同体 にはムラとしての記録 がある。それぞれの人倫的組孤 における過去の記録 は、全 てそれ らの出 自を説明す るとともに、未来 を指向 しているO ただ し、 こうした国家以外 の主体 による歴 史は、個別的な時間性の 自覚 として、国 家のそれか ら独 立 して存在す るとはみなされていないO
「一人の人の行為は家族の立場で行なわれた塊合 と、公共体の立場で行なわれた場合とでは、その記章那()価値を 異にするQ夫婦喧嘩は記録に価しないが、村会とか県会とかあるいは労働組合のJLL会とかでの喧嘩はおおやけ に記録せられるであろう。しかしこのような記録も、一つの宗教団体における教範の解釈の争いとか、一つの 学問の仲間における学説上の争いとかのごとき、文化共同体の立場での喧嘩の記録ほどには、歴史的唐衣を持 つことができないであろうOなぜなら、その公共性の大いさがはるかに異なっているからである。 姐 互換 ってさまざまな出 .;lJ.10
盤旦太生壁定まってくk
(
下5 2 .
下線 は耗者)」この一節 は、「人倫 的組織の人倫的組織」たる国家が法の力 によって各人倫的組織 の位置 を決定す るの と同様 に、それぞれの歴史 (時間性の 自覚) に対 して も重要 な決定権 を持つ ことを示 している。和辻 は、「歴 史がは じまった ときにはすでに多 くの国家の対立があった」 (下 68)とす る。すなわち、国 家的秩序が成立 していないならば、大小 さまざまな歴史 も形成 されないのである8)。
C 風土 和辻倫理学 における空間 とは、「多化せ る主体」 たる個人が交通 通信等 によって間柄 を形 成す る過程 で生 じた。 とはいえ、 この空間は普遍であ り、抽象的な観念 に留 まっている。我 々の実生 活 において空間性 は、具体的かつ特殊 的な内容 を含 んだ風 土 として 自覚 されるO
この風土 は、「いずれ もが載れ を中心 とす る環境的空間であって我丸 の立場 に立つ限 りこれを脱する ことがで きぬ」 (上 186)とい うごとき、人間活動 との関連で存立する主体 的 .実践的な空間であるO また、行動す る王体 において、あ らか じめ何 らかの意味 を有す るもの として出現す る、7フ ォー ダ ン ス (ギブ ソ ン1986)的な空間で もある。す なわち、ある花 は 「美 しい花」 として主体 に兄いだされる が故 に美 しいのであ り、一定の形状や色彩 を以て空間を占めるか ら美 しいのではない。客体 として観 察の対象 となるような純粋 な空間、近代西 洋哲学 にみ られる 「延長のあるもの」は、かかる風土か ら
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主体的 ・実践的 な意味 を抜 き去 ったのちに取 り出 された抽象物 とみ なされるO
さらにいえば、人間活動 とは間柄の形成であ り、聞主体的に行 われる ものであった。それゆえ,風 土はこうした人間活動の性質 を反映 して、きわめて社会的な生成物 としての恵美 を担 うことになるO和 辻 は、以下の ような村落での 日常生活の例 を挙 げる。
「村人たちは怒言放を持ちはじめた当初よりすでに稲とか安とか、あるいは概萄とかオリーブとかを 「作物」とし て尊重することを教わり、また牛とか羊とかを親 しい生き物として愛護することに慣れているOまず初めに単 なる自然物を兄いだし,後にそれの担う社会的価値を会得するというわけではないO物心のついたとき、すで に、稲の植えてある田は、誰かの9;力を敷き詰めてある土地として、かりそめにも粁み込んではいけない、タ ブーのかかった場所である。無心の子供たちがそこを自由な遊び場として感ずるのは、稲が刈 り取られて株の みが残っている時であろう。こういう仕力で田畑と交渉しはじめるということは、明らかに村落的な共同存在 の場面において田畑が出逢うということである。すなわち、村人としての王体的な間柄がEEl畑として姿を現わ してくるのである。」(下 1021103)
風土 とは、それぞれの人間において王体的 ・実践的な意味 を持つ空間であるが、その意味 は単 なる主 観 として、独立 した個人の実践か ら生 まれるのではない。人間が間柄 を形成 し、公共性 を実現 してい こうとする過程の うちに、風土の形態が、何 らかの共 同的な意味 を間主体 (観)的 に付与 された もの として現 われる (現 わされる)のである。 この創 こおいて、風土 とは人倫的組織 による空間性の具体 化 ない し表現であるO人間が特定の風土 に身を置 くことで しか 自己の空間性 を理解 で きない とする和 辻の観点に従 えば、 これが人間存在 における空 間性の 自覚 ともいえる0
この ように、風 土は人倫的組織 において生みだされる。そこには人倫 的組織 において形成 された間 柄が 、共同的な意味 を持 た された形態 として表現 されるOそれはまた、人倫的組織 における共通認識 や社会 的活動の地盤 とな り、間柄 の形成 再構築 においては一種 の 「道具」 として相互交渉の可能性 をも提供す る。それゆえ、風土 は必然的に、人倫的組織 ごとに異 なった様態 を呈す る。ある家族が住 む家屋の形状や家具の配置、部屋に置かれた小物類の意味 は、他家の者 には容易 には理解 されない。 ま た,氏神の境内に植 え られたばか りの苗木は村人 にとって意義深いが、「よそ者」 には単 なる若木に し か映 らないのだ.風土の地域的差異 もここに起 因す るD風土 は 「実に多種多様 な内容 を持 って」お り、
それは 「山一つ川一つ隔てて も著 しい相違」がみ られる (下 111)O
とはいえ、和辻 は多種多様 な風土 を、決 して複雑 なままには しておかない。ある統一的な視点か ら 読み解 こうとす るのであるOその視点 とは、「人倫的組紙 を貫 く統一の 自覚」や 「国家の 自覚」 と表現 される もの (下 111)、すなわち、国家 を頂点 とする人倫的組織の階層秩序である。風土 を形成する 活動は、 この階層構造 に依拠 しているO従 って、風土がい くら複雑であるといって も、国家 を最上位
とす る人倫的組織 の階層序列 に即 して整理す ることがで きる とされる。た とえば、
「国土 (国家の空間的白光、風土)の成立は一棟に広がっている土地のある一部分に一定の間有な位思、固有な 性格、固有な慾苑を与えるのである。それによってこの土地は.他の土地と勝手に取りかえることのできぬも
327
和辻風土論の再検討一地理学の視古から一 高野 宏
の、この位置、この形態において一定の人間存在と不可分の関係を有するもの、従ってこの人間存在に属せざ る人間をそこから排除するもの、として公式的に凍認されるOこのような土地の限定が人間存在のうちに醜し 出す構造こそ、風土性の問題にほかならないのである。」 (下 112)
「国土は 数多 くの家族や地線共同体や文化共同体などの具体的中味に統一を与える。家屋の形態、料理や食事 の仕方、衣服の作 り方、 さらに進んでは風景の感じ方に至るまで、たとい地方的にこまかな盤数の変化があ るにもせよ、大体において一つの国土の基礎的な様式が定まってくる。」 (下 118)
との記述がある。 さらに
、
「(
それぞれの風土は)共同体 の無数 を統一 して高次の人倫的組織 たらしめ ている ところの国家 をまって、は じめて出現 して くる」 (下 113)とあるように、風土 に対 して もB]家の先行性が主張 されるO国家的秩序が成立する以前 には,いかなる主体的活動 において も風土が形 成 されることがなかった とみなすのは,歴史 に対す る理解 と全 く同 じ内容であるO
(3)風土 に対す る研究方法
以上の ように、和辻 は、風土 を社会内存在たる人間が、人倫的組織 において主体的 実践的に関わ り合 う過程で 自覚する人間存在 の空間性であるとした。 また、それは人倫的組織 における間柄の表現 として、人倫的組織 自体の空間性 の 自覚で もあった。いずれにせ よ、風土 は当該 の社会鶴田、ない し は行為者 において主体 的 実践的な意味に満た された空間である。
和辻がかかる風土 を分析す る際 に依拠 したのは、解釈学であるO風土は人間に属する ものであるた め、理論上、当事者 たる人間 自身がそれを直接 に学 問的対象 とす ることはで きない (人 191)。それ ゆえ、客体 として外在化 された空間的事象 (建築 ・交通 通信 ・土地利用等) を手掛か りに、その王 体的 .実践的な意味 に接近す るのであるo「主体的なる 「者」 を主体的に把捉するためには、我々は人 間ならざる 「物」 を通過 しな くてはな らないO これが 「物」 を表現 として、すなわち外 に出た我 々自 身 として、取 り扱 う立場 である」 (人
2 0 0 )
O さらに、彼 は解釈学 に対 して強い信頼 と期待 を寄せてい るo解釈学が文学の解釈 か ら生れた当初、それは 「個人的技術 ・技楠であって、学問ではな」かった (人2
42 )
o Lか し、解釈 における技術 や決 ま りが整備 されるに従 って、学問 としての確立 を果た し、今や 「著者が己 自身 を理解 していた よりも著者 を理解す るのが解釈学的方法の最後の 目標 である」 と い うシュライエルマ ッヘルの言粟が標語 になっている とい う (人
2 4
1)0とはいえ、和辻 に よれば、「我 々の 日馬生活が実 に荘漠 たる表現の海であ」 ることか ら (人
2
31 )
、 ただやみ雲 に空間的事象 (物) を研究対象 として取 り上 げるわけにはいかない。そこで、彼が風土の 解釈学 を遂行する際 に留意 した こととして、次の2
点が挙 げ られる。(∋物が人倫的組織 の表現である限 り、その背後 には家族か ら国家 に至 る人倫的組縦の階層性が存在 している.それゆえ、我 々の生活環境 にはさまざまな物が溢れているが、それが どの段階の人倫 的組織 を主体 としているかを見極めれば解釈 は混乱 しない (人
2 3 3 ‑ 2
34 )
.②著名 な芸術家や建築家 による作 品は、その者 のみが な し得 た特殊的な表現ではない。著名な芸術 家や建築家 は、人倫 的組織 (民族等)の大多数が心 に抱 いているが、未だ形 に していない人間の
岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第
3 0
号(2 0 1 0l l )
空間性 を物 として具体化するがゆえに著名なのである。芸術家 ・建築家 をして、人倫組級が表現 をなさしめているとも言い換えられる。それゆえ、風土を研究する際には、広 く知れ渡った作品 を最 も重要な研究対象 として取 り上げな くてはならない (上
4 6
,人2
46)
Oとくに、(彰は和辻の芸術 に対する特徴的な態度であ り、彼の風土研究において大 きな理論的支柱 となっ ているO また、和辻の経歴か らみれば
、3 0
代から持ち始めた文化史に対する強い関心ならびに研究成 果 を、 自らが展開する哲学体系に接合する作業であったともいえる (第Il章を参照).Ⅵ 地理学における和辻風土論の今 日的意義‑ あわりにかえて‑
(1)人文主義的地理学の古典
本稿 の最後に、第Ⅱ章で提示 した問題へ と帰 りたい。つま り、(丑和辻風土論は単なる環境決定論で あるか否か、②地理学において今 日的意義を有す るか否か、 とい う二つの問題である.
第一に、(丑の問題 を考察する。 まず、環境決定論 においては、自然 を人間から独立 して存在するも の とする視点が必要であるOなぜなら、「自然 ‑人間」の二元論的な構図がなければ、自然の人間活動 に対する影響は説かれないo Lか し,和辻の風土は,かかる二元論における自然 とは異なるものであっ た。風土は人間存在の空間性 の自覚であるとともに、人倫的組織で活動する諸主体 において間主体 (戟)的かつ実践的な意味に満たされた空間であった。それは、人間活動 (間柄)に対 して従属 してい る。 さらに、和辻は現象学的還元 を踏み越え、物の存在の独立性 を完全に否定 していた。彼 によれば、
物の存在 自体が人間活動 に依存するのである。 これ らから、和辻風土論においては二元論的な構図が 成立せず、従って、環境決定論には成 り得ないことが理解 される。
第二に、②の問題 を考察するC和辻 による風土の捉 え方は、何 より人文主苑的 (現象学的)地理学 における 「場所
p l a c e
」の議論 を想起 させる.周知のごとく、地表面を客観的かつ統一的な尺度で計測 可能な均質空間(
「空間s p a c e
」)
として取 り扱 う地理学の潮流 (とりわけ1 9 6 0
年代 に起 こった計量革 令)への反発か ら、1 9 7 0
年代以降、人間の主体性 (主観性)に着 目した人文主義的地理学が発展 した。トウアン
( 1 9 8 8 )
や レル7( 1 9 9 9 )
は、人間にとっての空間性は、単なる物理的な広が りではな く、個 人や共同体のアイデ ンティティと深 く関わるものであると主張 したoそれは 「場所」 として、彼/彼 女 らの主体的 ・実践的な意味に満ちた 「生 きられる世界Le b e n s we l t
」を構成するQ このように、「場 所」 と風土のあいだには明 らかな類似が認められる.そ して、両概念の類似が、共通する問題意識に 起因することも特筆すべ き点である。すなわち、和辻は r倫理学」下巻において、古代か ら近代に至 る地理学の史的検討 を行 った (下1 41 ‑ 1
67 )
Oその結果、人間存在 と結びついた環切論の希薄化が問 題 とされ、「人間の地理学」 (下1 5 1 )
を目的 とした風土研究の必要性が説かれた。以上か ら筆者は、和辻風土論 を環境決定論でないとするのみならず、「人文主義的地理学の古典」 として位置付けたい。
少な くとも
、1 9 3 0‑1 9 4 0
年代 とい う早い段階で、 日本の研究者が王体的な空間性の議論を独 自に展開 した事実は、今 日において正当に評価 されてよいだろう0329