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インド洋航空戦 上

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(1)

覇者の戦塵1944

インド洋航空戦 □

谷 甲州

Koshu Tani

(2)

挿  画  佐 藤 道 明 地  図  ら い と す た っ ふ D T P  ハ ン ズ ・ ミ ケ

(3)

覇者の戦塵

1944

インド洋航空戦

目次

(4)

序 

章 

昭和一九年一月

インド洋東部

10

第一章

強行偵察

22

第二章

モールメン/ビルマ南部

53

第三章

ンコマ

軍港

79

(5)

第四章

第一五軍司令部

118

第五章

特設巡洋艦報國丸

154

転 

章 

次の戦

194

あとがき

206

(6)
(7)
(8)
(9)

覇者の戦塵

1944

インド洋航空戦

(10)

10 11 序章 昭和一九年一月 インド洋東部

序章

昭和一九年一月

インド洋東部

  指定された海域に到着したのは、日没の直後だった。   まだ西の空には、かすかに 明るさが残っていた。赤道に ちかい 低緯度帯だから、日没後の残照は長くつづかない。西の水平線を 背後から照らしていた光が、急速に失われていくのがわかる。   機関出力を落とした特設巡洋艦 報 ほうこく 丸は、環礁の縁にそって低 速航行をつづけていた。いまのところ海上は平穏で、外洋に 大き な うねり 0 0 0 はなかった。海上見張り電探が、波浪を艦影と誤認する 気づかいはない。   艦橋外の張り出しに立った 鎌 かま 中尉は、先ほどから針路前方の 監視をつづけていた。艦橋の周辺には、中尉の他に も大勢の見張 りが配置されている。全員が押し黙ったまま、周囲の水平線に双

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10 11 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 眼鏡をむけていた。   いつの間にか空は暗さをましていた。今夜の月齢は下弦に ちか く、月の出は数時間後になるはずだった。それまでは、星明かり だけが頼りだった。闇に閉ざされた海上を、中尉は丹念に捜索し ていった。   電波探信儀を搭載しているとはいえ、この場合は目視に よる見 張りが欠かせなかった。ことに 彼 の艦船が行き交うこの海域で は、敵味方の迅速な識別は何よりも重要だった。わずかな油断が、 命取りになりかねない。   見張り員 ば かりではなかった。報國丸の全乗員が、敵との遭遇 にそなえて警戒体制をとっていた。戦闘配置についた兵たちの緊 張が、艦橋にまでつたわってくる。   電測員からの連絡があったのは、西の空が完全に 暗くなるころ だった。針路前方の海上に、反応があったといっている。   艦橋の周辺に緊張が走った。そちらに双眼鏡をむけたものもい たが、誰も艦影を発見できずに いた。もどかしそうに 、双眼鏡を

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12 13 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 左右にふっている。他の見張り要員は姿勢をくずすことなく、担 当する方位の捜索をつづけていた。   ―― 海上に突出した岩礁を、艦影と誤認したのではないか。   そんなことを、ふと思った。環礁といっても小規模なもので、 人が住めるほどの陸地はない。さしわたし数キロ程度の範囲で、 隆起 珊 さん 礁が環状にならんでいるだけだ。海図も整備されていな いから、電探だけを頼るのは危険だった。   見張りの一人が声をあげたのは数分後だった。前方の水平線上 に、マストらしきものがみえるといっている。ただし一本だけら しい。しかも、あまり高くはなさそうだ。   その言葉で、艦橋の空気が微妙に変化した。状況からして、商 船とは思えなかった。まして大型の水上艦でもない。潜水艦の可 能性がたかかった。この海域で 邂 かいこう を予定している伊二七潜かも しれない。   やや遅れて、鎌田中尉もマストを視認した。間違いなかった。 日本海軍の潜水艦が装備している短波無線檣のようだ。電探や逆

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12 13 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 探が装備されているから、浮上中は高く突出させるのが普通だっ た。   時間がすぎた。最初の艦影を視認した兵が、艦型をつたえた。 やはり潜水艦らしい。一〇ノットをこえる速度で、浮上航行して いるようだ。彼我の距離が、急速につめられていく。   すぐに艦長の 宇 大佐が、識別信号の発信を命じた。光量を 落とした発光信号が、明滅しながら闇の奥に のびていく。艦長を はじめ幹部は、 固 かた をのみながら反応を待っていた。   艦影からの信号は、やや遅れてもどってきた。すでに艦影まで の距離は、数海里程度に なっていた。眼のいい兵なら、眼鏡なし でも艦影を視認できるだろう。闇の奥で、控えめに信号が点滅し ている。 ﹁ワレ伊二七潜⋮⋮﹂   誰かが信号を読みあげた。その場にいた全員が、同時に息を吐 きだした。だが、まだ安心はできない。むしろ邂逅を果たしてか らの方が危険だった。これから先は、無防備な状態で補給作業を

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14 15 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 すすめなけれ ば ならないからだ。   それほど待つことなく、伊二七潜が闇の奥から姿をあらわした。 微速で航行する報國丸の後方に、寄りそうようにして接近してき た。   大型の航洋型潜水艦とはいえ、伊二七潜の基準排水量は二千ト ン程度でしかない。一万トンをこえる報國丸とくらべると、大人 と子供ほどの差があった。   環礁の風下側にまわり込んだところで、報國丸は投錨した。そ のさらに外洋よりに、伊二七潜が接舷した。 舫 もやい をとって、ふたつ の船体を固定していく。   環礁内に入りこめ ば 動揺を避けられるのだが、座礁の危険があ るから無理はできない。それに敵があらわれた場合には、逃げ場 がなくなる。波のせいで艦が動揺するが、外洋で作業するしかな かった。   すぐに補給作業が開始された。連続した作戦行動で、伊二七潜 は魚雷を消費している。報國丸に搭載された予備魚雷を、一本ず

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14 15 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 つ伊二七潜に積みこんでいった。   この時期インド洋東部には、第八潜水戦隊の潜水艦が何隻か行 動していた。連合軍艦船による英領インドと、オーストラリアの 交通を遮断するためだ。   だが潜水戦隊の母港であるマレー半島西岸のペナンから、作戦 海域まではかなりの距離があった。ときに はインド洋の奥深くま で進出して、アフリカ東海岸やマ ダ ガスカルから東航してくる艦 船を待ち伏せることもあった。   このため魚雷や他の消耗品の補給は、洋上でおこなわれること が多かった。作戦海域から母港に引きあげようとすれ ば 、かなり の日数が必要になるからだ。報國丸は洋上補給の担当艦で、艦内 に予備魚雷や航空燃料を搭載していた。   無論、報國丸自身も交通破壊戦を実施していた。第二四戦隊を 形成する他の特設巡洋艦とともに、かなりの敵商船を撃沈あるい は拿捕してきた。   ただ特設巡洋艦による交通破壊戦は、開戦当初ほど戦果があが

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16 17 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 らなくなっていた。昨年あたりから、連合軍の 戒体制が強化さ れたためだ。隠密行動の可能な潜水艦とちがって、水上艦艇がこ のような状況下で作戦を継続するのは困難だった。   その上に連合軍は、インド洋に有力な護衛艦艇群を配備しはじ めていた。特設巡洋艦の行動は次第に制約されて、被害も無視で きないものになっていた。   この状況をみた艦隊司令部は、水上艦艇に よる交通破壊戦の打 ち切りを決めた。もはや特設巡洋艦が活躍できる余地はなかった のだ。以後の作戦は、潜水艦のみで実施されることになる。   このときまでに他の特設巡洋艦は、作戦を終えてインド洋を去 っていた。最後に残った報國丸だけが、潜水艦に 対する補給任務 を継続していた。だがそれも、今回で最後に なるはずだった。今 後は特設運送船に船籍変更されて、後方の輸送任務に あたること になる。   鎌田中尉にとっては、不満の残る結果に なった。途中で何度か 中断はあったものの、報國丸は開戦以来かなりの期間をインド洋

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16 17 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 で行動している。それなりの戦果はあげたものの、戦略的な目標 ―― オーストラリアの孤立化が果たされたという実感はなかった。   そんな中途半端な状態で、前線から後退するのはやはり釈然と しない。しかも残された潜水戦隊も、この後はむしろ英領ビルマ ︲インド間の交通遮断に重点をおくときいている。   これはあきらかに戦略の後退であり、インド洋に おける日本海 軍の劣勢を意味する。   そうなった理由は、はっきりとしている。艦隊司令部がインド 洋に、充分な戦力を投入しなかったからだ。   最盛期でも一〇隻に満たない潜水艦と、数隻の特設巡洋艦が行 動していただけだった。当然のことながら、そのすべてが作戦海 面にあったわけではない。母港で整備中の艦もあったし、作戦海 面までの往復にも時間がかかる。   実質的に行動していたのは、半分以下だったはずだ。戦力とし ては、充分なものではなかった。   本格的にオーストラリアをしめあげる気なら、相当規模の戦力

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18 19 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 をインド洋に張りつけておくべきだった。潜水艦隊や特設巡洋艦 ば かりではない。空母をふくむ有力な艦隊で、インド洋の交通を 遮断するのだ。   実は開戦当初に、具体的な計画もあったらしい。真珠湾とミッ ドウェイを攻略した機動部隊をインド洋に投入し、所在のイギリ ス艦隊を 殲 せんめつ する作戦だったときいている。   ところが機動部隊の損害が予想外に大きく、計画は実施されな かった。その結果、英領インドおよびアフリカ東部のイギリス艦 隊は大被害をまぬがれた。   もちろん一度の作戦で、イギリス艦隊を一掃できたとは思えな い。制海権を継続的に確保しようとすれ ば 、有力な艦隊を常に 張 りつけておく必要がある。現実的にいって、それは無理だった。 海軍の主戦闘正面は太平洋であって、インド洋ではない。   それでも別の展開はあったはずだ。もしも連合艦隊がインド洋 作戦を実施していれ ば 、状況はかなり変化していたのではないか。   制海権の絶対的な確保は無理にしても、一時的に イギリス艦隊

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18 19 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 の活動を封じることはできたのではないか。少なくともインド洋 北東部 ―― アン ダ マン海は、日本海軍の支配下に おかれた可能性 がたかい。   そんな状況になれ ば 、陸上戦闘にも影響が出てくる。緒戦の勢 いに乗じて、陸軍が英領ビルマを占領することも可能だったはず だ。   英領ビルマはインド亜大陸と陸続きだが、アラカン山系に よっ て陸上の交通はさえぎられている。英軍がアン ダ マン海の制海権 を失え ば 、ビルマの維持も困難だったのではないか。熟柿が落ち るように、ビルマは日本軍の支配下におかれていたものと思われ る。   気配に気づいて、鎌田中尉はふり返った。   伊二七潜の 山 やま 艦長が、連絡のために乗艦してきたらしい。宇 津木艦長はじめ他の幹部たちが、威儀をただして潜水艦長を迎え ようとしている。   鎌田中尉もいそいで艦橋内にもどった。姿をみせたのは、山瀬

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20 21 序章 昭和一九年一月 インド洋東部 艦長と先任将校だった。長期間の作戦行動がつづいているせいか、 二人とも 精 せいかん そうな印象を受けた。   陽に焼けた報國丸の乗員にくらべると、凄味さえ感じるほど顔 色が青白い。艦橋内の淡い光に照らされて、二人の顔だけが幽鬼 のように浮かびあがってみえる。   山瀬艦長は時間を無駄にしなかった。型どおりの挨拶を終えた あと、性急な口調でいった。 ﹁セイロン島南方海面で、敵空母が行動している可能性がありま す。陸上基地からかなり離れた海域で、艦載機とみられる機影を 確認しました﹂   艦橋にいた幹部たちは、驚いて顔をみあわせた。そんな情報は 入手していなかった。インド洋に おける空母の存在自体は確認さ れていたが、作戦海面はアフリカ東海岸に かぎられていた。マ ダ ガスカルからせいぜい中部インド洋までが、行動範囲だったはず だ。   その空母が、セイロン島の近海にまで進出しているという。貧

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