いわゆる「二重の錯誤」について
小 池 直 希
はじめに
Ⅰ 二重の錯誤という法現象 1 二重の錯誤の定義 2 広義の二重の錯誤について 3 狭義の二重の錯誤について 4 用語法の整理
Ⅱ (狭義の)二重の錯誤の諸類型 1 狭義の二重の錯誤のバリエーション 2 構成要件に関する二重の錯誤 3 正当化に関する二重の錯誤 4 禁止に関する二重の錯誤 5 その他の(狭義の)二重の錯誤 6 小 括
Ⅲ 構成要件に関する二重の錯誤 1 問題の所在
2 学 説 3 検 討 4 判 例 5 小 括
Ⅳ 禁止に関する二重の錯誤 1 議論の実益
2 違法性の意識の可分性
はじめに
刑法学において「錯誤」といえば、行為者( 1 )の認識と現実の事象との不一致 を指し、さらに、免責方向の錯誤について論じられるのが一般的である。
そこでは、行為者があるひとつの事項について錯誤に陥った場合(「一重の
(einfach)錯誤」)に、刑法上なんらかの免責効果がもたらされるのかとい うことが検討されてきた。しかし、我々が現実世界を正確に認識することは ほとんど不可能であることからすれば、複数の事項について錯誤に陥ること もまた想定される。ところが、そのような場合の刑法上の処理について、日 本ではこれまでほとんど検討がなされてこなかった。その一方、ドイツで は、こうした問題は「二重の錯誤(Doppelirrtum/doppelte Irrtum)」と呼 ばれ、議論が積み重ねられている( 2 )。本稿はこの二重の錯誤を検討対象とする ものである。
もっとも、二重の錯誤が一重の錯誤の単なる組み合わせの問題にすぎない なら、議論されるべきはもっぱら一重の錯誤の法的効果についてであり、二 重の錯誤を取り立てて議論する必要はないということになるかもしれない。
しかし、二重の錯誤を検討してみると、一重の錯誤の検討では十分に意識さ れてこなかった視点が前面に出てくる場合がある。それゆえ、二重の錯誤の
3 違法性の意識についての質的考慮 4 〔事例 6 〕の処理
5 小 括
Ⅴ 正当化に関する二重の錯誤 1 問題の所在
2 故意の有無について 3 違法性の意識の有無について 4 小 括
おわりに
検討によって得られた知見をフィードバックさせることで、故意や違法性の 意識の検討に有益な示唆を得ることができるものと思われる( 3 )。
とはいえ、二重の錯誤の法的効果を確定させるためには、一重の錯誤の法 的効果がその前提をなすこともまた事実である。「錯誤論は、最も困難で複 雑な、そして果てしない刑法理論( 4 )」のうちのひとつであるといわれるよう に、多様な学説が対立する論点である。本稿でそうした錯誤論の全容を明ら かにすることは不可能であり、それゆえ二重の錯誤の問題を終局的に解決す ることもまた困難である。そうすると、二重の錯誤という「これまで欠けて いた錯誤論の体系全体に不可欠な最後のピース( 5 )」について語るきっかけを提 供することが、本稿の目的ということになる。
Ⅰ 二重の錯誤という法現象
1 二重の錯誤の定義
二重の錯誤という法現象について語るにあたっては、まずその概念を定義 しておく必要があるだろう。日本ではほとんど議論が存在しないのは前述の とおりであるが、二重の錯誤の議論の母国であるドイツにおいても、その定 義については一致を見ていない。
二重の錯誤をどのように定義するかということは、とりもなおさず二重の 錯誤をどのような問題領域と捉えるかということを意味する。まず、二重の 錯誤をその現象面に着目して定義するなら、「行為者が同時にふたつの事項 について錯誤に陥っている場合」と定義できよう。本稿ではこれを「広義の 二重の錯誤」という。
これに対して、二重の錯誤とは、「第一の錯誤が第二の錯誤によって再び 修正され、その結果全体として 差し引きして見ると 意識と現実とが 再び合致する( 6 )」場合であるという定義も存在する。この定義は、免責方向の 錯誤と負責方向の錯誤( 7 )が重なり合い、相互に打ち消し合う場合だけを対象と し、先ほど見た広義の二重の錯誤よりも対象が限定される。本稿ではこれを
「狭義の二重の錯誤」という。狭義の二重の錯誤は、後述のように、二重の 錯誤の独自性に着目した定義ということができるだろう。
2 広義の二重の錯誤について ( 1 )双方向性が欠ける場合
広義の二重の錯誤にはあたるが狭義の二重の錯誤にはあたらないものの例 としては、まず、急迫不正の侵害を誤想した(第一の錯誤)うえで、過剰な 反撃に出たが、相当性についての解釈を誤り、自身の過剰な反撃でもなお正 当防衛にあたると思っていた(第二の錯誤)という場合が挙げられる。この 例では、第一の錯誤も第二の錯誤も、ともに免責方向の錯誤であることか ら、狭義の二重の錯誤にはあたらない。ドイツでは、このような場合を二重 の錯誤と呼ぶ用語法もみられる( 8 )。
しかし、二重の錯誤の問題領域を広義の二重の錯誤まで広げることが、二 重の錯誤の検討に際して有意義であるかについては疑問がある。上の例で は、結局のところ行為者は違法な事実を認識しているのであって、禁止の錯 誤が問題になるにすぎず( 9 )、両錯誤が互いに影響しあっているわけではない。
それゆえ、ふたつの免責方向の錯誤の重なり合いという現象は、Kuhlen も 指摘しているように(10)、二重の錯誤として強調して論ずるに値しないように思 われる。よって、二重の錯誤が独自の意義を持つためには、免責方向の錯誤 と負責方向の錯誤という相異なる方向の錯誤が重なり合っている必要がある
(双方向性)。
( 2 )相殺性が欠ける場合
しかし、免責方向の錯誤の錯誤と負責方向の錯誤が重なり合ってさえいれ ば、すべて二重の錯誤として論じる価値があるというわけでもない。
Roxin は、「二重の構成要件の錯誤(doppelte Tatbestandsirrtum)」と して、択一的構成要件についての錯誤(Irrtum über die Tatbestandsalt-
ernative)を持ち出す(11)。そこでは、たとえば、ドイツ刑法123条の住居侵 入罪において、住居(Wohnung)に侵入した行為者が、錯誤により店舗
(Geschäftsräume)に侵入したと思った場合が挙げられている。確かに、
このような錯誤は、広義の二重の錯誤の定義に当てはまるだけでなく、客観 的には存在している住居の不認識という免責方向の錯誤と、実際は存在しな い店舗の認識という負責方向の錯誤が重なり合っているとみることもできる ため、双方向性も有している。しかし、このような択一的構成要件について の錯誤は、日本でいうところの抽象的事実の錯誤の問題にすぎず、二重の錯 誤としての特有の性格を有しているわけではない。なぜなら、店舗の認識と 住居の不認識は表裏の関係にあるというだけであり、両錯誤にそれ以上の連 関を見出すことはできないからである。以下でみるように、二重の錯誤がそ の特有の性格を現すのは、第一の錯誤と第二の錯誤が重なり合うことで、両 者が打ち消し合うような場合であるように思われる(相殺性)。それゆえ、
択一的構成要件についての錯誤も、本稿の検討対象外とする。
3 狭義の二重の錯誤について
二重の錯誤を独自の意義を有する問題領域として設定するという観点から は、狭義の二重の錯誤の定義が用いられるべきである。狭義の二重の錯誤 は、免責方向の錯誤と負責方向の錯誤が重なり合う(双方向性)ことで、両 錯誤が相互に打ち消し合い(相殺性)、結果として何事もなかったかのよう な心理状態に立ち戻る点にその特徴がある。狭義の二重の錯誤は、その双方 向性と相殺性ゆえに独自性を有し、広義の二重の錯誤と区別される。後述の ように、狭義の二重の錯誤にも複数の類型が存在するが、そのいずれにおい ても、問題となるのは、両錯誤を分離して考察すべきか、それとも一体とし て考察すべきかという点である。こうした問題は一重の錯誤の検討では現れ ないものであり、ここに二重の錯誤の特徴を見出すことができよう。このよ うな観点から、本稿は二重の錯誤のうち狭義の二重の錯誤を検討対象とし、
以下、本稿で「二重の錯誤」というときは、狭義の二重の錯誤を指すものと する。
4 用語法の整理
錯誤論においては様々な用語法が見られるところであるが、本稿では、主 にドイツの議論を参照することから、便宜上、構成要件の錯誤/禁止の錯誤
/許容構成要件の錯誤/許容の錯誤という用語を用いる。これは、それぞ れ、日本の議論でいうところの(構成要件該当)事実の錯誤/違法性の錯誤
/正当化事情の錯誤/正当化事由についての違法性の錯誤におおむね対応 するものであり、ドイツの通説によれば、構成要件の錯誤/許容構成要件 の錯誤はドイツ刑法16条により故意(ないし責任)が阻却され、禁止の錯 誤/許容の錯誤はドイツ刑法17条により錯誤が回避不可能な場合に限り免 責されることになる。また、上記 4 つの錯誤はいずれも免責方向の錯誤で あるが、負責方向の錯誤については、ドイツの議論に倣って「裏返された
(umgekehrt)〇〇の錯誤」と称する。
Ⅱ (狭義の)二重の錯誤の諸類型
1 狭義の二重の錯誤のバリエーション
二重の錯誤を狭義の二重の錯誤、すなわち「第一の錯誤が第二の錯誤によ って再び修正され、その結果全体として 差し引きして見ると 意識と 現実とが再び合致する」場合と定義したとしても、第一の錯誤と第二の錯誤 にいかなる錯誤を組み合わせるかによって、そのバリエーションは多岐にわ たる。以下では、ドイツの議論における分類を参照し(12)、二重の錯誤を、構成 要件に関する二重の錯誤(tatbestandsbezogener Doppelirrtum)、正当化 に関する二重の錯誤(rechtfertigungsbezogener Doppelirrtum)、禁止に 関する二重の錯誤(verbotsbezogener Doppelirrtum)の 3 つに大別し、そ れぞれ具体的事例を提示したうえで論点を整理する。
2 構成要件に関する二重の錯誤
構成要件に関する二重の錯誤は、そのなかでさらに〔類型A〕構成要件の 錯誤と裏返された禁止の錯誤(13)の組み合わせと、〔類型B〕裏返された構成要 件の錯誤と禁止の錯誤の組み合わせの 2 つに分類される。
( 1 )〔類型A〕構成要件の錯誤×裏返された禁止の錯誤
〔類型A〕の例としては、二重の錯誤の典型例としてよく知られている、
Baumman の創作によるイタチ事例が挙げられる(14)。
〔事例 1 〕イタチ事例(Mauswieselfall(15))
密猟者 W はイタチ(連邦狩猟法によれば狩猟の対象とされる動物であ り、それゆえドイツ刑法292条の意味における猟獣である)を捕獲した。
彼はイタチをネズミだと思い(第一の錯誤)、しかしネズミは狩猟対象の 動物であり、それゆえドイツ刑法292条の意味における猟獣であると思っ ていた(第二の錯誤)。
ドイツ刑法292条(密猟罪(16))は、猟獣(Wild)概念を直接指示する規定 は置いていないが、解釈において連邦狩猟法(Bundesjagdgesetz)を参照 することとされている(17)。連邦狩猟法 2 条 1 項は狩猟権に服する動物の種類 を規定しており、そこにイタチ(Mauswiesel)も含まれているが、ネズミ
(Maus)は含まれていないことから、ネズミは連邦狩猟法上狩猟対象の動 物ではなく、それゆえネズミは密猟罪の客体としての猟獣にもあたらないこ とになる。
〔類型A〕では、行為者はまず、第一の錯誤として構成要件の錯誤に陥っ ており、それだけならドイツ刑法16条により故意が阻却されるはずが、同時 に第二の錯誤として裏返された禁止の錯誤にも陥っていることから、第二の
錯誤が第一の錯誤による誤った表象を再び修正し、結果としてあるレベルで 意識と現実とが再び合致している(〔事例 1 〕であれば狩猟対象の動物とい うレベルでは正しい認識に到達している)。それゆえ、〔類型A〕では、両錯 誤を分離して観察してドイツ刑法16条を適用し故意を阻却するのか、それと も両錯誤を一体として観察して故意既遂犯の成立を認めるのかが争われるこ とになる。
( 2 )〔類型B〕裏返された構成要件の錯誤×禁止の錯誤
〔類型B〕の例としては、〔事例 1 〕を変形した、裏返されたイタチ事例が ある。
〔事例 2 〕裏返されたイタチ事例(umgekehrte Mauswieselfall(18)) 密猟者Wはネズミを捕獲したが、誤ってイタチだと思い(第一の錯誤)、 そのうえさらに、誤ってイタチは狩猟対象ではなく、それゆえそれを捕獲 してもよいと考えていた(第二の錯誤)。
〔事例 1 〕とは異なり、〔事例 2 〕では、そもそもWがネズミを捕獲した行 為は密猟罪の客観的構成要件に該当しない。前述のように、連邦狩猟法上、
ネズミは狩猟対象の動物ではなく、それゆえ密猟罪の客体としての猟獣でも ないからである。そのため、〔事例 2 〕では、未遂(ただし、ドイツ刑法292 条は未遂処罰規定を欠く) となるか幻覚犯となるか(19)が問題となるにすぎない。
このように、〔類型B〕は、客観的構成要件を実現していない類型である ことから、そこで問題となるのは、行為者の主観において構成要件を実現し ているという誤想が可罰的か否かという、(ドイツでは可罰的となりうる)
不能未遂と幻覚犯の区別である(20)。〔類型B〕は、定義上、狭義の二重の錯誤 にあてはまるものの、故意ないし違法性の意識の問題ではない。それゆえ、
〔類型B〕は、本稿の検討対象からは除外することとする。
3 正当化に関する二重の錯誤
構成要件に関する二重の錯誤とは異なり、正当化に関する二重の錯誤で は、行為者は自らが実現しようとしている構成要件該当事実については正し く認識している。正当化に関する二重の錯誤とは、その名の示す通り、正当 化事情に関して 2 つの打ち消しあう錯誤に陥っている場合であり、 2 つの類 型が存在する。ひとつは、〔類型C〕許容構成要件の錯誤と裏返された許容 の錯誤との組み合わせであり、もうひとつは〔類型D〕裏返された許容構成 要件の錯誤と許容の錯誤との組み合わせである。
( 1 )〔類型C〕許容構成要件の錯誤×裏返された許容の錯誤
〔類型C〕の典型例として検討されてきたものとして、おもちゃのピスト ル事例がある(21)。
〔事例 3 〕おもちゃのピストル事例(Spielzeugpistolenfall(22))
精神病患者Aが、おもちゃのピストルの銃口をBに向けた。Bは、自分 が本物のピストルで脅されていると考え(第一の錯誤)、防衛の意思でA を射殺した。その際、Bは、法は精神病患者に対する正当防衛を許してい ないと思っていた(第二の錯誤)。
〔事例 3 〕において、Bは、正当防衛状況を誤想したにもかかわらず、精 神病患者に対する正当防衛は許されないとの錯誤にも陥ったことから、結果 として、自己の行為は許されないという認識の下で行為に出ている。通説に よれば、日本(23)でもドイツ(24)でも、責任無能力者に対する正当防衛は許されると 解されている。それゆえ、第二の錯誤は、本来ならば正当化されるはずの事 情を誤って許されないと解した錯誤であり、裏返された許容の錯誤である。
このように、〔類型C〕では、行為者は、①客観的には正当化されない状
況で、②正当化される事情を誤想し(第一の錯誤)、それだけなら(通説に よれば(25))故意が阻却されるものの、同時に、③誤ってそのような状況では防 衛行為は正当化されないとも思い込んでおり(第二の錯誤)、結果として自 己の行為は許されないとの認識の下で行為に出る。こうして、〔類型C〕で は、第二の錯誤が第一の錯誤による誤った表象を再び修正し、結果として自 己の行為の違法評価に関する限りで、意識と現実とが再び合致するのであ る。そして、〔類型C〕では、両錯誤を分離して観察して許容構成要件の錯 誤として処理し故意を阻却するのか、それとも両錯誤を一体として観察して 故意責任を認めるのかが争われることになる。さらに、故意の有無とは別 に、違法性の意識の有無についても検討されなければならない。
( 2 )〔類型D〕裏返された許容構成要件の錯誤×許容の錯誤
〔類型D〕の具体例としては、偶然防衛状況下での許容の錯誤が問題とな る、懲戒事例と呼ばれる事例がある。
〔事例 4 〕懲戒事例(Züchtigungsfall(26))
Yは他人の子どもKによって攻撃されたが、攻撃が重大であることを認 識していなかった(第一の錯誤)。そのかわり、Yは、懲戒権に基づいて Kを懲戒することが許されると誤信し(第二の錯誤)、懲戒権の行使とし て攻撃を撃退した。
〔事例 4 〕では、Yは、Kにいたずらをされている程度にしか考えていな いため、急迫不正の侵害の認識が欠けている。しかし、それに加えて、Y は、懲戒権に基づいて K を懲らしめることが許されていると考えており、
それを実行した結果、偶然にもKの攻撃を撃退することに成功している。通 常の偶然防衛の事例とは異なり、〔事例 4 〕では、行為者は他人の子供への 懲戒権という実際には存在しない正当化事由を念頭に置いているため、自己
の行為は許されると考えて防衛行為に出ている。なお、懲戒権について付言 しておくと、懲戒権とは、親などが教育上の理由から自身の子供に対し懲戒 を行い、身体的な侵害を与えた場合の正当化事由(27)のことであり、それが刑法 上の正当化事由となるかということ自体に争いがあるが、本事例では他人の4 4 4 子供に対して懲戒権を行使しようとしているため、仮に懲戒権を正当化事由 として認める見解に立ったとしても、〔事例 4 〕では客観的には正当化事由 は存在しないことになる。
〔事例 4 〕に代表される〔類型D〕では、行為者が客観的には存在する正 当化事情を見落としているものの、別の存在しない正当化事由を念頭に置い ていることで、結果として自己の行為が許されているという認識に至り、
自己の行為の違法評価に関する限り、意識と現実とが再び合致する。〔類型 D〕の処理を考えるにあたっては、その前提として、偶然防衛の処理が問題 となる。まず、偶然防衛について無罪説(28)を採る場合、〔類型D〕の第二の錯 誤は免責方向の錯誤であるから、第二の錯誤が付け加わったところで無罪と いう結論に影響はないだろう。これに対して、問題となるのは、偶然防衛に ついて既遂説(29)もしくは未遂説(30)を採る場合である。とりわけ、行為無価値の残 存を理由に偶然防衛の可罰性を肯定する見解(31)からは、免責方向の錯誤である 第二の錯誤が付け加わった場合に結論に影響が出ないかということが検討さ れなければならないものと思われる。
このように、〔類型D〕は、許容の錯誤によって違法性の意識が欠けるも のの、主たる論点は偶然防衛における行為無価値性判断であると思われる。
それゆえ、 〔類型B〕 と同じく、 〔類型D〕 も本稿の検討対象からは除外する。
4 禁止に関する二重の錯誤
ここまでみてきた構成要件に関する二重の錯誤や正当化に関する二重の錯 誤でも、禁止の錯誤や許容の錯誤が組み合わされることはあったが、禁止に 関する二重の錯誤と呼ばれる類型では、事実についての錯誤は登場せず、も
っぱら禁止の錯誤ないし許容の錯誤(32)だけが問題となる。それゆえ、禁止に関 する二重の錯誤は、二重の禁止の錯誤(doppelter Verbotsirrtum)と呼ば れることもある。禁止に関する二重の錯誤の類型としては、〔類型E〕禁止 の錯誤と裏返された禁止の錯誤の組み合わせと、〔類型F〕許容の錯誤と裏 返された許容の錯誤の組み合わせがある。
( 1 )〔類型E〕禁止の錯誤×裏返された禁止の錯誤
〔類型E〕の例としては、叔父事例と呼ばれる事例が典型例として議論さ れている。
〔事例 5 〕叔父事例(Onkelfall(33))
Oは、15歳のMの叔父であり、彼は、Mと性交したが、その際年少者と の性交は禁じられていないと誤解していた(第一の錯誤)。しかし、同時 に、彼は、叔父と姪との間での性交は可罰的であると誤解していた(第二 の錯誤)。
〔事例 5 〕では、ドイツ刑法182条の少年に対する性的虐待の罪と、ドイツ 刑法173条の親族との性交の罪が問題となる。ドイツ刑法182条によれば18歳 未満の者との性交は処罰される一方で、血族ではない卑属との性交はドイツ 刑法173条によって処罰されることはない。それゆえ、Oはいずれの条文の 解釈においても錯誤に陥っており、結果として、自己の行為が可罰的である という限りでは意識と現実とが再び合致する。
このように、〔類型E〕では、行為者は、自己の行為が、実際には該当す る犯罪については法に反しないと思うと同時に、実際には該当しない犯罪に はあてはまると考えている。このような場合にも行為者は禁止の錯誤に陥っ ているといえるのか否かが、〔類型E〕の論点である。
( 2 )〔類型F〕許容の錯誤×裏返された許容の錯誤
〔類型 F〕の検討に際してよく用いられているのは、コート泥棒の事例で ある。
〔事例 6 〕コート泥棒の事例(34)
Aは、精神病に罹患した泥棒Eと路上で遭遇した。Eは、数日前に、A からコートを盗んでいた。Aは、コートを取り戻すために直ちにEを殴り 倒した。彼は、正当防衛がこの時点においてもなお許されると考えていた
(第一の錯誤)。同時に、Aは、精神病患者に対してはそもそも正当防衛が 認められていないと考えていた(第二の錯誤)。
二重の錯誤の問題として〔事例 6 〕を論じるうえでは、まず、自救行為の 成否は考慮の外とされており、もっぱら正当防衛に関する錯誤が検討対象と されていることに注意を要する(それゆえ、本事例においては客観的には 正当化事情が存在しないことを前提としている)。そのことを念頭に置きつ つ〔事例 6 〕を検討すると、AがEからコートを取り返した時点では不正の 侵害から数日が経過しており、すでに急迫不正の侵害は終了しているため正 当防衛状況にないにもかかわらず、Aいまだ正当防衛が許されると考えてい る。しかしながら、それに加えて、精神病患者に対する正当防衛は許されな いとも考えている。前述のように、通説によれば、責任無能力者に対する正 当防衛は許されると解されている。それゆえ、Aは、第二の錯誤では、実際 には存在しない正当化を打ち消す事由を仮想していることになる。
このように、〔事例 6 〕に代表される〔類型F〕では、正当化事由の解釈 を誤って正当化されると考えたうえで、さらに存在しない正当化を打ち消す 事由を仮想することで、結果として自己の行為は許されていないとの認識に 至り、再び意識と現実とが合致することになる。このような場合にも行為者 は許容の錯誤に陥っているといえるのかということが、〔類型F〕の論点で
ある。
5 その他の(狭義の)二重の錯誤
以上見てきたものが、これまで二重の錯誤の問題として議論されてきた事 例群であるが、本稿が整理した〔類型A〕から〔類型F〕までの類型化は、
必ずしも網羅的なものではない。理論上は、このほかにも、(狭義の)二重 の錯誤の類型として、構成要件阻却事由についての二重の錯誤や、免責事由 についての二重の錯誤も観念しうることが指摘されている(35)。また、Xが眼前 の人物をAだと思い、その人物に向けて発砲したが弾丸が逸れて予想外の人 物に当たった(第一の錯誤)ものの、実は眼前の人物はAではなく、弾丸が 当たった人物がもともと殺そうと考えていたAであった(第二の錯誤)とい う、方法の錯誤と裏返された客体の錯誤の組み合わせも考えられる。
しかしながら、そのような二重の錯誤に関する議論の蓄積はほとんど見ら れないことから、本稿では検討の対象外とする。
6 小 括
ここまでの整理を経て、本稿で取り扱うべき二重の錯誤の類型が明らかと なった。二重の錯誤のうち、故意や違法性の意識が論点となるのは、〔類型 A〕・〔類型C〕・〔類型E〕・〔類型F〕の 4 つである。後述のように、上記類 型の処理を検討することは、故意や違法性の意識について有益な示唆を得る ことができるように思われる。それゆえ、以下では、上記 4 つの類型の処理 について具体的に検討していく。
Ⅲ 構成要件に関する二重の錯誤
1 問題の所在
まず、〔類型A〕構成要件の錯誤と裏返された禁止の錯誤の組み合わせの 具体例である、〔事例 1 〕(イタチ事例)の処理から検討する。
〔事例 1 〕の行為者は、捕獲したイタチをネズミと勘違いしているもの の、ネズミも狩猟対象の動物、すなわち密猟罪の客体である猟獣であるとの 錯誤にも陥っている。密猟罪の構成要件は、「他人の狩猟権を侵害して猟獣 を捕獲する」ことである。そして、行為者は二重の錯誤の結果として、「他 人の狩猟権を侵害して猟獣を捕獲する」認識の下で行為している。このよう に考えると、行為者は構成要件該当事実の認識を有しているということがで きるようにも思われる。
他方、自身の捕獲した動物はイタチではなくネズミであるという第一の錯 誤だけを単独で取り出せば、構成要件の錯誤として故意が阻却されるはずで ある。それにもかかわらず、第二の錯誤が組み合わされることで、第一の錯 誤の故意阻却効が相殺されてよいのであろうか。
2 学 説 ( 1 )故意阻却説
学説上の多数説(36)は、〔事例 1 〕において密猟罪の故意を阻却する。すなわ ち、両錯誤は別々に4 4 4考慮され、第一の錯誤は構成要件の錯誤として故意を阻 却し、第二の錯誤は幻覚犯として処理される。そして、密猟罪には過失犯処 罰規定が置かれていないことから、結論としてXは無罪であるとする。な お、第二の錯誤について、未遂犯規定のある犯罪が問題となる場合には、不 能未遂として可罰的であるとする見解もある(37)。
故意が阻却される理由としては、たとえば、Plaschke は、たとえ二重の 錯誤の結果、行為者が「猟獣」という正しい構成要件要素の認識に至ってい るように見えたとしても、それはうわべだけのものであり、行為者の妄想に すぎない第二の錯誤によっては、第一の錯誤による表象の欠落を補填するこ とはできないと説明している。第二の錯誤は、単独でみれば不可罰の幻覚犯 にすぎず、それが第一の錯誤を修正することによって可罰性をもたらすこと はないというのである(38)。
また、Schlüchter は、故意の内容を法益侵害性の認識に求める自身の立 場から、〔事例 1 〕において故意が阻却されることを、以下のように説いて いる(39)。刑法292条の行為客体である猟獣という構成要件要素にどのような保 護法益を見出すかについては、猟獣の健全な存続に関する公共の利益(das Allgemeininteresse an einem gesunden Wildbestand)とする見解と、狩猟 を行う権利の先取権(das Aneignungsrecht des Jagdausübungsberechti- gten)とする見解とがあるが、このうち前者の見解によるなら、〔事例 1 〕 では行為者は実際には猟獣ではないネズミを捕獲すると思っているのである から、行為客体における法益に関する部分の認識が欠け、故意が否定される ことになるという。また、後者の見解、すなわち密猟罪は狩猟を行う権利の 先取権を侵害する財産犯であると考えたとしても、〔事例 1 〕では故意が阻 却されるという。確かに、〔事例 1 〕では、イタチという構成要件要素の法 益に関する部分である狩猟を行う権利の先取権を侵害するという認識は認め られるが、Schlüchter によれば、イタチという構成要件要素は法益保護を 限定する部分という側面も有しており(40)、行為者は「猟獣」という構成要件要 素によって特定した事情の意味の一部、すなわち法益保護を限定する性格を 十分に認識していないことから、故意を欠くことになる(41)。
ほかにも、第一の錯誤の結果、故意の構成要件関連性を欠くことを理由 に、〔事例 1 〕で故意を否定する見解もある(42)。髙山佳奈子は、〔事例 1 〕につ いて、端的に「そもそも構成要件該当事実の認識がない」ということをもっ て故意がないと指摘している(43)。髙山によれば、〔事例 1 〕では「犯罪事実と ならない事実しか認識していない以上、これを誤って違法だと思ったからと いって故意があることになるわけではない(44)」。同様の理解は、ドイツの学説 にもみられるところである。たとえば、Schroth は、「行為者は、仮に自身 の表象が真実であった場合に刑法292条が充足されるであろう表象をまった くもって有していない(45)」という理由から、〔事例 1 〕で故意の阻却を認めて いる。また、Plaschke も、〔事例 1 〕の行為者の「不法の意識が292条の構
成要件全体に関連しているとしても、〔客観的構成要件要素に〕対応する何 らの主観的表象も存在していない(46)」と指摘している。いずれも、髙山と同様 の視点から故意阻却を導いているものと解することができよう。
( 2 ) 故意既遂犯説
これに対して、錯誤の存在にもかかわらず、故意既遂犯の罪責を認めよう とする見解(47)も有力に主張されている。
この故意既遂犯説は、二重の錯誤の結果、行為者が構成要件要素(〔事例 1〕であれば「猟獣」)を正しく認識しているという点を重視している。故 意既遂犯説の論者によれば、「イタチ」や「ネズミ」といった事項は構成要 件要素そのものではなく、「猟獣」という構成要件要素を基礎づける事実に すぎないため、その錯誤は重要ではない。それゆえ、故意の有無にとって決 定的なのは、構成要件要素の認識だけであり、〔事例 1 〕では、両錯誤を全4 体として4 4 4 4観察すれば、「捕獲した動物が狩猟対象であること」の認識、すな わち「猟獣」の認識が認められるため、故意既遂犯の罪責が問われることに なる。故意既遂犯説は、第一の錯誤を第二の錯誤によって清算することか ら、「差し引き理論(Saldotheorie)」とも呼ばれる(48)。
( 3 )Walter による分析
故意阻却説と故意既遂犯説の対立は、どのような相違から生じているの であろうか。この点、示唆的なのが、Walter による分析(49)である。彼によれ ば、両説の対立の背景には、ドイツ刑法292条の「猟獣」要件に関する解釈 の相違がある。故意阻却説は、「猟獣」要件を白地要素として、連邦狩猟法 1 条および 2 条を充足規範として理解している。このように理解すると、連 邦狩猟法 2 条において狩猟対象として列挙されていない動物を行為者が知覚 した場合には、刑法292条の故意を欠くことになる。これに対し、故意既遂 犯説は、「猟獣」要件を法制度上の要素(rechtsinstitutionelles Merkmal)
として理解している。この理解からは、行為者が連邦狩猟法 1 条および 2 条 の法的効果、つまり「狩猟対象であること」を知っている場合には、故意に とって十分であり、結局、錯誤は〔事例 1 〕においては顧慮されないことに なるというのである。
確かに、「猟獣」要件を白地要素として理解するなら、白地充足規範であ る連邦狩猟法によって規定されている個々の狩猟対象の動物の認識(〔事例 1〕では「イタチ」の認識)が故意に不可欠の要素となるように思われる。
ただし、「猟獣」要件についてドイツ刑法292条は明文で連邦狩猟法を指示し ているわけではないから、白地要素として理解する必然性はない。そして、
解釈において連邦狩猟法を参照するにとどまるというのであれば、「狩猟対 象の動物」との認識に至っていれば足りるという故意既遂犯説の論理に接近 するであろう(もっとも、後述のように、故意にとっては最終的な構成要件 要素の認識だけが決定的であるとする故意既遂犯説の理解には異論もある)。
以上のような Walter の分析に従えば、〔事例 1 〕は、錯誤論固有の問題 ではなく、当該要素が白地要素か法制度上の要素かという、個別の犯罪要素 の解釈の問題に収斂されることになる。
3 検 討
しかし、問題となっている犯罪要素が白地要素ではない場合であっても、
なお故意阻却説に至る余地はあるように思われる。このことを、以下のよう な規範的構成要件要素に関する二重の錯誤の事例を題材に検討する。
〔事例 7 〕
日本語が不得手な外国人Xは、語句Aはわいせつでなく(第一の錯誤)、 語句Bはわいせつである(第二の錯誤)と考えて文書を頒布した。しか し、実際には、語句Aはわいせつであるが、語句Bはわいせつではなかっ た。
〔事例 7 〕は、二重の錯誤の結果、行為者は最終的に刑法175条の構成要件 要素(「わいせつな文書」)の認識に到達しているという点では、〔事例 1 〕 と同様である。しかし、〔事例 1 〕とは異なり、〔事例 7 〕は他の法規範を参 照する性質は有さないため、白地要素の問題は発生しない。〔事例 7 〕は、
わいせつな文書という構成要件要素を構成する下位の要素である語句のわい せつ性を正しく認識できなかったものの、瑕疵ある過程を経て正しい構成要 件要素の認識を獲得したという事例である(50)。
最終的にXがわいせつな文書の認識に至ったとしても、〔事例 7 〕で故意 を認めることに違和感はないだろうか。〔事例 7 〕では、行為者は意味の認 識を有し、故意の構成要件関連性も満たしているように思われる(51)。そうだと すると、その違和感の正体は、構成要件要素(わいせつ文書)と、それを構 成する下位の要素(語句A)との関連性の認識が欠けていることに求めるし かないであろう。このように、〔事例 7 〕の分析から明らかとなるのは、構 成要件に関する二重の錯誤における問題の核心は、行為者が構成要件要素の 認識を獲得する過程に瑕疵があるということである。そして、〔事例 7 〕の 解決にあたっては、故意犯を認めるためにそのような過程の無瑕疵性が要求 されるべきか否かが問われねばならない。
ありうる選択肢のひとつは、最終的に構成要件要素の認識に至っていたか 否かという点が故意にとって決定的であって、構成要件要素の認識を獲得す る過程には瑕疵があってもよいとする理解である。Puppe は、〔事例 1 〕を 念頭におきつつ、「構成要件が法律関係を要素として含む場合、行為者はた だこの法律関係が物ないし人に関して存在することを知らねばならないので あって、行為者はこの法律関係の事実上の成立条件を個別の事例において知 る必要もなければ、法規がこの法律関係をどのように成立要件に結び付けて いるかを知る必要もない。というのも、両者は法律関係の概念内包それ自体 に属していないからである(52)」と主張する。このような理解によれば、構成要
件要素の認識を獲得する過程の瑕疵は問題とならず、〔事例 7 〕では故意が 認められることになるだろう。これはまさに〔事例 1 〕における故意既遂犯 説の思考枠組みである。
しかし、このように理解には異論もある。Jakobs は、「所為事情の不適 当な基盤からの推論は、なんらの故意も生じさせない(53)」と明言する。たとえ ば、行為者はその内容が無神論であったことから文書がポルノグラフィであ ると思ったが、実際にはその文書のひどくサディスティックな傾向が文書の ポルノ性を基礎づけており、それについては知らなかったという場合には、
行為者には故意がないという。また、Bindokat も、「故意犯は、客観的要 因と主観的要因の等質性、すなわち行為の外的側面と内的側面の間の実質的 な連関を必要とする(54)」から、行為者が自身の行為を法秩序と外的に一致する かたちで偶然にも違法とみなしていたとしても、故意は認められないと主張 している。これらは、構成要件要素の認識を獲得する過程の無瑕疵性を要求 する見解ということができよう。
なお、故意論における認識を獲得する過程という点につき、未必の故意に 関する議論ではあるものの、故意の判断において認識形成プロセスに着目す る見解が主張されていることが注目される。大庭沙織は、行為者が自身の 不合理な思考によって犯罪実現の可能性を過大評価した事例に関して、故 意は、犯罪実現の可能性についての最終的な判断だけに着目するのではな く、「犯罪実現の可能性が高いとの認識を形成するプロセス全体として4 4 4 4 4 4 4 4 4把握 されるべきである(55)」(圏点原著者)と主張している。大庭は、その理由とし て、「行為者が憶測や妄想に基づいて行為に出た場合には、その行為を『選 択した』とはいえず、故意犯としての強い非難を行為者に向けることはでき ない(56)」と説明する。この論拠は未必の故意を念頭に論じられたものではあ るが、認識を獲得する過程の無瑕疵性を要求するという限りでは、前述の Jakobs や Bindokat の見解と共通の基盤に立つものではないだろうか。
もっとも、こうした構成要件要素の認識を獲得する過程の瑕疵性に着目す
る見解も、完全な4 4 4無瑕疵性までは要求できないものと思われる。このこと は、錯誤論における従来の議論と比較すれば明らかである。具体的事実の錯 誤において具体的符合説に立つ場合であっても、客体の錯誤では故意を阻却 しない。また、因果関係の錯誤に一定の意義を認める見解も、溺死させよう と思って橋の上から人を突き落としたが、意外にも橋桁に激突して死亡した という事例では、主観と客観の齟齬は重大ではないとして、故意既遂犯の成 立を認めるのが一般的である。このように、錯誤論において一定程度結果や 因果経過の具体化を要求する見解であっても、法的に重要な限りで主観と客 観が符合していれば足りるとしているのであって、主観と客観の完全な一致 までは要求していない。そうだとすれば、構成要件要素の認識を獲得する過 程で主観と客観になんらかの齟齬があったとしても、そのことから直ちに故 意が阻却されることにはならないはずである。
では、主観と客観にどの程度の齟齬があれば、故意が阻却されることにな るのであろうか。本稿でこの点について明確な基準を提示することは困難で あるが、〔事例 7 〕に関していえば、文書のわいせつ性がどの記載に基づい ているかという、行為の法益侵害性に直結する箇所について錯誤に陥ってい ることからすると、その錯誤が法的に重要であるとして、故意を否定する余 地もあるのではないだろうか。
4 判 例 ( 1 )事実の概要
ドイツでは、判例においても、二重の錯誤が問題となったとされているも の(BayObLG NJW 1963, 310)がある。この判例の事案を本稿の分類にあ てはめれば、構成要件に関する二重の錯誤(〔類型A〕)にあたることから、
ここで紹介する。事案は以下の通りである。
被告人は、ある機械を購入したが、納品書には所有権留保についての注意 書きがあり、実際には当該機械はなお売り主の所有権の下にあった。しか
し、被告人は、所有権留保についての注意書きを見落としていた(第一の錯 誤)。ところが、被告人は、自らの生活経験に基づいて、購入価格の支払い をしていないことから所有権がなお売り主に残っているという誤った想定(57)を したことにより、自らは当該機械の所有権を有していないと思っていた(第 二の錯誤)。このような事情の下で、被告人は当該機械を第三者に譲渡した ことから、横領罪(ドイツ刑法246条)の故意、とりわけ物の他人性の認識 が問題となった。
( 2 )判 旨
バイエルン上級地方裁判所は、「行為者は、第三者が所有権者であること を想定しており、この想定が結論において正しいならば、彼は、的確な法的 評価によれば行為者が所有権者になる事実を錯誤によって表象した場合に も、横領の罪責を負いうる」として、被告人に横領罪の故意を認めた。
( 3 )検 討
本判決は、故意既遂犯説と同じく、結論において構成要件要素(本件では 物の他人性)を認識していれば足りると解しているものと思われる。本判決 に対しては、好意的な評価(58)と否定的な評価(59)がそれぞれ向けられているが、ど のように理解されるべきだろうか。
まず、本件では故意の構成要件関連性が欠けるとの理解がありえよう。本 件被告人は物の他人性を基礎づける所有権留保についての注意書きを見落と しており、実際に物の他人性を基礎づけている事実の認識を欠いている。そ のうえで機械の引き渡しを受けた認識があることから、被告人の表象が真実 であるとすれば、所有権は売り主から被告人に移転していることになる。そ れゆえ、被告人は、犯罪事実とならない事実の認識しか有しておらず、故意 の構成要件関連性を欠いているように思われる。
また、故意の構成要件関連性の点を措くとしても、本件被告人が物の他人
性の認識を獲得する過程における瑕疵は重大であるように思われる。被告人 は、購入価格の支払いをしていないことから所有権がなお売り主に残ってい るとの誤った理解に基づいて、最終的には物の他人性の認識に到達している が、物の他人性がどのような事情によって基礎づけられているかという、行 為の法益侵害性に直結する箇所について錯誤に陥っていることからすると、
本件被告人の認識では横領罪の故意を基礎づけることはできないと解する余 地もあるのではないだろうか。
5 小 括
以上みてきたように、構成要件に関する二重の錯誤では、結果として法定 の構成要件要素の認識に到達していればよいとする「差し引き理論」の是非 が問われている。より具体的には、構成要件要素とそれを構成する下位の要 素との関連性の認識の有無、いいかえれば構成要件要素の認識を獲得する過 程の瑕疵の是非が問われることになる。この点を解決するには、故意の構成 要件関連性を要求する根拠に立ち返った検討を要するが、こうした問題は一 重の錯誤を巡る従来の議論では十分に意識されてはおらず、ここに二重の錯 誤を論じる第一の意義を認めることができよう。
Ⅳ 禁止に関する二重の錯誤
1 議論の実益
次に、〔類型E〕および〔類型F〕の処理について検討する(〔類型C〕の 処理は〔類型F〕の処理を前提とするため、正当化に関する二重の錯誤に先 立って、禁止に関する二重の錯誤について検討する)。両類型では、二重の 錯誤の結果、行為者が現実の違法性の意識を有しているか否かが問題とな る。現実の違法性の意識の有無は、それを故意の要件とする厳格故意説に立 てば故意の有無と直結するが、責任説に立つ論者にとっても、故意の有無に は影響しないものの、違法性の意識の可能性を判断する前提として、また日
本では刑法38条 3 項ただし書の適用対象の問題としても、実践的意義を有す る。
2 違法性の意識の可分性
( 1 )議論の前提:違法性の意識の可分性について
まず、〔類型E〕に属する、〔事例 5 〕(叔父事例)の検討から行うが、そ の前提として、「違法性の意識の可分性」とよばれる論点の議論状況につい て確認しておく。
実際にはA規範で禁止されている行為をB規範で禁止されていると誤信し た場合、その行為者には違法性の意識は認められるであろうか。かつてのド イツの判例では、違法性の意識は「不可分」であるとして、そのような場合 にも違法性の意識が認められていた。たとえば、BGHSt 3, 342は、継娘と 性交渉を持った被告人が、被保護者姦淫罪だけでなく、近親相姦罪も実現し たという事案で、被告人は継娘との性交が近親相姦になるということを知ら なかったにもかかわらず、姦通(ドイツ刑法旧172条)の不法を意識してい たことから、違法性の意識の不可分性を理由に、現実の違法性の意識を認め た。
日本でも、中野次雄は、「実際にはA行為規範で禁止されている行為を B 行為規範で禁止されていると誤信する場合(たとえば、道路交通法上の指定 制限速度があるのにそれを知らず、法定速度に違反していると思ったような 場合)」には「違法の意識をもって行為したことには変わりがない(60)」として いる。
しかしながら、その後、判例上も学説上も、違法性の意識の可分性(61)を認め る見解が優勢となる。ドイツにおいて判例上違法性の意識の可分性の原則が 採用されたリーディング・ケースとして知られているのは、連邦通常裁判所 がその立場を改めた、BGHSt 10, 35(62)である。本事案は、ユーゴスラビア出 身の継父がその継娘に性的関係を強要し、被保護者姦淫罪と近親相姦罪に問
われたというものである。なお、継父の出身国であるユーゴスラビアでは法 定近親に対する相姦は処罰対象ではなかったため、自己の行為が近親相姦罪 によって禁止されているということは知らなかった。連邦通常裁判所は、不 法の意識は個別の構成要件に関連づけられていなければならないとして、近 親相姦罪につき継父の違法性の錯誤を認めた。本判例は、当時すでに学説上 支配的であった違法性の意識の可分性の原則を採用することで、かつての違 法性の意識は「不可分」であるとの理解を改めたものである。ドイツでは現 在、学説上違法性の意識の可分性を認める見解(63)が支配的であり、日本でも、
学説上、違法性の意識の可分性を認める見解が多数を占めている(64)。
違法性の意識の可分性を認める見解の論拠は、「およそ、抽象的・一般的 法規範違反が存在するのではなく、行為の侵害する価値に応じた個別的な違 法が存在するのみ(65)」であるとの規範理解にある。そこから、違法性の主観面 への反映である違法性の意識についても、何らかの不法を犯すという抽象的 な意識や、他の構成要件に関連づけられた違法性の意識では足りず、当該構 成要件に関連づけられた違法性の意識でなければならないとされるのであ る。構成要件によって枠づけられた不法のみが可罰性を有するということに 鑑みれば、違法性の意識の可分性を認める見解は妥当であるように思われ
(66)る
。
( 2 )〔事例 5 〕の処理
〔事例 5 〕は、こうした違法性の意識の可分性の問題の適用例にすぎない と考えてよいだろう(67)。前述の違法性の意識の可分性に関する判例では、ひと つの行為で同時に複数の犯罪を実現する場合(観念的競合型(68))が問題とな ったが、〔事例 5 〕では、実現した犯罪はひとつ(少年に対する性的虐待の 罪)であるが、第二の錯誤によって別の犯罪(親族との性交の罪)の違法性 の意識を抱いていたという点が異なる。しかし、違法性の意識の可分性の原 則からすれば、第二の錯誤によって「自己の行為は法に反している」との意
識を有していたとしても、それは実現した犯罪の不法内容から導かれたもの ではない(違法性の意識の構成要件関連性を欠いている)から、〔事例 5 〕 でも違法性の意識を欠くということになるだろう。「 幻覚犯(裏返され た禁止の錯誤)として評価される 引き続く誤表象との結びつきでは、禁 止の錯誤を帳消しにすることはできない(69)」のである。
実際、現在のドイツの多くの学説は、〔事例 5 〕で行為者に禁止の錯誤を 認めている(70)。
例えば、Rudolphi によれば、「刑法上の責任の要件としての不法の意識 は、行為者の態度の実質的な不法内容のなかに、すなわち、その社会倫理的 価値違反性・社会有害性のなかに、またそれが公共の法的平和を攪乱するも のとしての性格のなかに、自己の態度の具体的な違法性を見いだし理解する ことを必要とする(71)」が、〔事例 5 〕においてはそれが欠けている。〔事例 5 〕 では、「Oには174条 1 項の価値内容を通じてそして同条項の価値内容に従っ て自身の態度を規定する可能性(自由)が欠落している。彼の態度はその限 りで不自由であり、それゆえ、自身の態度がまさに174条 1 項の指向する価 値の侵害を理由として不法であることをOが知り得た場合にだけ、彼の態度 は責任非難を正当化する。この欠落した具体的不法の意識にある不足は、O の妄想表象を持ち出すことによってでは補填されえない(72)」。
また、Roxin も、〔事例 5 〕の行為者は「『誤った』不法の意識を有して いる。つまり、彼は存在しない禁止を思い浮かべており、実際に存在してい る禁止については認識していないのである。構成要件に固有の不法の意識が 欠けているため、これは禁止の錯誤である(73)」と説明している。
日本でも、山中敬一は、二重の禁止の錯誤の問題として、「ある外国人 が、18歳の姪と性的関係をもつことは、日本では近親相姦として違法である と信じていたが、都道府県の淫行処罰条例に違反することについてはまった く知らなかった」という、〔事例 5 〕に相応する事例を挙げ、淫行処罰につ いての違法性の意識はないとしている(74)。
かつては、〔事例 5 〕の行為者に禁止の錯誤を認めない見解も主張されて いた。この見解によれば、〔事例 5 〕の行為者は自己の違法な行為を的確に も違法であると判断しており、自身の意思形成を損なう錯誤は存在しておら ず、(行為の違法性に関する)「適切な判断の可能性は、行為者が行為の時点 における照会の際に『私は違法に行為していない!』と主張したであろう場 合にだけ、禁止の錯誤を理由として制限される(75)」。この見解に対しては、違 法性の意識の可分性を認めない旧来の立場が前提とされており、不適切であ
(76)る
との批判が向けられている。違法性の意識とは法に対する形式的違反を意 識することではなく、構成要件に関連づけられた具体的不法から導かれる禁 止を意識することである、とするのが違法性の意識の可分性の内容であるか ら、この批判は正鵠を射ているといえよう。
このようにみてくると、違法性の意識の可分性を認めることを前提とすれ ば、〔事例 5 〕で行為者に現実の違法性の意識を認めることは困難であるよ うに思われる。
3 違法性の意識についての質的考慮 ( 1 )〔事例 5 〕と〔事例 6 〕の相違
次に、〔類型F〕に属する、〔事例 6 〕(コート泥棒の事例)の処理につい て検討する。従来、〔事例 6 〕については、違法性の意識の可分性にかかわ る事例のひとつとして、〔事例 5 〕の延長線上の問題として議論されてき た。確かに、〔事例 5 〕も〔事例 6 〕も、行為者は評価の前提となる事実に ついては錯誤に陥っておらず、ただ禁止ないし許容についての錯誤が問題と なっているにすぎないという限りでは共通している。また、両事例がともに 違法性の意識の可分性の問題として議論されてきたのは、議論の嚆矢となっ た Hirsch の設例(77)において、〔事例 5 〕と〔事例 6 〕が併記されていたこと とも無関係ではないだろう。
そして、違法性の意識の可分性の観点からは、〔事例 5 〕と〔事例 6 〕の
異質性を強調する見解、すなわち、二重の錯誤において問題となっている保 護法益が同種か別種かという点に着目する見解が有力である(78)。Walter が指 摘しているように(79)、そのほかの事例と異なり、〔事例 5 〕では、ふたつの異 なった犯罪が問題とされている点で特徴的であり、それゆえ違法性の意識の 可分性が問題となった。そこでは、行為者は親族との性交の罪の不法内容か ら違法性の意識を獲得したが、実際には、少年に対する性的虐待の罪の不法 内容が実現されている。これに対して、〔事例 6 〕では、問題となっている 犯罪はひとつ(傷害罪)であり、傷害自体は正確に認識しているが、正当化 事由について 2 つの錯誤が重なり合っていることから、行為者の違法性の意 識の存否が問題となっている。それゆえ、〔事例 6 〕は違法性の意識の可分 性の原則の射程の外にあり、完全な故意犯の罪責を負うことになるというの である。
確かに、〔事例 6 〕では、ひとつの保護法益しか問題となっていないこと から、違法性の意識の可分性の原則は問題とならないように思われる。もっ とも、違法性の意識の可分性の原則を判断する基準を、固有の法益侵害だけ でなく許容の持つ固有の意味にまで広げれば(80)、なお違法性の意識の可分性の 問題となりうるかもしれない。ただ、一般に承認された違法性の意識の可分 性の原則は、そのように拡張された意味では使われていない。違法性の意識 の可分性が「違法性の意識の構成要件4 4 4 4関連性」と呼ばれることがあるのは、
その証左である。そうだとすれば、少なくとも違法性の意識の可分性の観点 からただちに〔事例 6 〕で禁止の錯誤を認める帰結を導くことはできないよ うに思われる(81)。
しかし、〔事例 6 〕は、単に違法性の意識の可分性の原則の射程にあるか 否かだけが問題なのだろうか。〔事例 6 〕で違法性の意識を認める Hirsch に対して向けられた、行為者は第二の錯誤によって虚構の判断をしているに すぎないとの異議(82)は、違法性の意識の可分性の原則とは別の規範的観点か ら、なお検討の余地があるのではないか。
( 2 )符合意識と違法性の意識についての質的考慮
違法性の意識の内容については、そこでいう「違法性」の内容については 争いがある(83)ものの、「客観的に妥当している何らかの規範が義務づけている 価値要求に対して、自己の具体的行為が『符合』しているか否か(84)」という符 合意識を問題としているという限りでは一致しているといえよう。
確かに、このような符合意識が、違法性の意識の前提をなす心理状態であ るであることに争いはない。〔事例 6 〕では、二重の錯誤の結果、行為者は 自己の行為は法に反していると考えており、符合意識を有していることは明 らかである。しかし、刑法上重い非難の対象となる(85)現実の違法性の意識は、
「自己の行為が法に反している」という単なる心理状態をもってただちに肯 定されるのであろうか。
この点、符合意識が刑法上の可罰性と結びついた意味での違法性の意識と 評価されるためには、一定の価値内容を伴っている必要があるとする見解が ある。たとえば、小林憲太郎は、「行為者が合理的な根拠なく『判例が自己 に不利に変更されるかもしれない』と予測していたり、警察その他の公務所 から適法であるとの教示を受けたにもかかわらず『いまいち信用できない』
と不安に感じていたりしても(いずれも爾後、裁判所が行為を違法と判断し たものとする)、それはここにいう『現実の違法性の意識』とは評価しえな
(86)い
」とし、「自己の行為が法に反している」と考えているだけでは、なお現 実の違法性の意識と評価できない場合があることを指摘している。小林に よれば、「現実の違法性の意識といっても、当該の具体的な状況において、
行為者が法尊重態度を備えれば到達しうるそれに限られる(87)」。小林は、さら に、「責任無能力者が行為の違法性を認識しているように見えても、生理的 な原因により法尊重態度の具備が阻害された状態においてのことである以 上、それもまたここにいう『現実の違法性の意識』とは評価しえない(88)」とも 指摘している。
ドイツでも、たとえば、Pawlik は、「確立された裁判実務に合わせて行為 する以上のこと4 4 4 4 4を、いかなる市民にも期待することはできない」から、「自 らの行為を是認する判例が存在するにもかかわらず、その違法性を前提とす る行為者は、規範的に重要な不法意識を有していない(89)」として、同様の結論 に至っている。
このような、符合意識では足りず、さらに違法性の意識の質を問う見解 は、注目に値するように思われる。臆病な行為者が合理的根拠なく「自己の 行為は違法かもしれない」と考えたり、精神病患者が幻覚・妄想にもとづい て「自己の行為は法に反している」と考えたりしたような事例でも、符合意 識があることから現実の違法性の意識を認め重い非難を向けるとするなら ば、合理的な判断から違法性の意識を獲得する以上のことを国民に要求する ことになるだろう。しかし、それは過度な要求であると思われる。刑法が行 為規範を定立し反対動機を設定するのは、国民にその反対動機を受け止めて もらうことで犯罪行為に出ることを差し控えてもらうことを目的としてい る。そこでは、合理的な判断により反対動機が形成できる国民が想定されて いるはずである。それゆえ、不合理な判断や幻覚・妄想に基づいて行動する 国民までも射程において反対動機を設定していると解すべきではないだろう。
こうした考慮は、非難される側の視点からは次のように説明可能である。
責任非難を立場の交換可能性と解する(90)理解からすれば、非難されるいわれが あることを追体験可能であることが、責任非難を正当化する条件となる。行 為者が符合意識を獲得する過程に瑕疵がなかった場合、その意識のもとであ えて違法行為に出たならば、重い非難を向けられることに対して「言い逃 れ」ができない。そのような場合には、現実の違法性の意識に対する重い責 任非難の追体験が可能といえる。これに対し、行為者が符合意識を獲得する 過程に不合理性・偶然性が介在する場合、「刑法規範による禁止の趣旨を正 しく理解していなかった」との「言い逃れ」を許すことになる。不合理性・
偶然性の介在は、行為者が合理的4 4 4判断によって反対動機を受け止め、自身の
態度を規定する自由を欠落させる。それゆえ、現実の違法性の意識に対する 重い非難を正当化するのに十分な追体験可能性が認められるか疑わしいよう に思われる。これに対しては、その原因はどうあれ、「自己の行為は法に反 している」と考えつつ行為したのなら、違法性の意識の存在を認め重い非難 を向けるべきであるとの反論があるかもしれない。しかしながら、刑法上の 責任判断が意思決定規範違反の追求にある(91)とするならば、刑法が行為者に対 して意思決定規範を向けた趣旨を無視して責任を判断することはできないよ うに思われる。前述のように、行為者が不合理な推論や幻覚・妄想によって 違法性の意識を獲得することを刑法が予定しているとは考えられず、上記事 例では、刑法が向けている意思決定規範から4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4行為者が反対動機を形成するこ とには失敗しているといわざるをえない。刑法上の責任は法的責任であり、
事実的な反対動機を抱いていたというだけではなお責任非難の対象とはなり えない(92)。このように考えてみると、違法性の意識の有無は、符合意識という 事実的な心理状態だけで確定するものではなく、刑法上の非難を向けるに相 応しいかという規範的評価を経てはじめて確定すると解することもできよ う。なお、先にみた「違法性の意識の可分性の原則」も、違法性の意識の質 を問うひとつの視点と整理することもできるが、違法性の意識についての質 的考慮は可分性に尽きるものではない。
以上のような違法性の意識について質的考慮を加える理解からは、〔事例 6 〕 はどのように処理されることになるのであろうか。筆者の分析によれば、
規範の捉え方によって、以下のふたつの考え方がありうるように思われる。
4 〔事例 6 〕の処理
( 1 )違法性の意識を欠くとする考え方
〔事例 6 〕の行為者は、禁止の認識を獲得するに際して、①傷害は禁止さ れている(正しく認識)→②正当防衛状況なので許される(許容の錯誤:第 一の錯誤)→③精神病患者に対しては許されない(裏返された許容の錯誤: