早稲田大学博士論文概要書
中止犯論の再検討
鈴木 一永
序章
序章では、本稿の問題意識について明らかにする。
従来、中止犯論は、いわゆる減免根拠論において刑事政策説と法律説を対置して議論して きた。その中でも、法律説を主としつつ刑事政策説的な考慮も無視できない、という立場が 多数説を形成していたように思われる。そのような見解からは、違法減少説ないし責任減少 説という減免根拠論に基づいて要件解釈が行われるが、違法減少説においては故意という 主観的違法要素の放棄という構成がとられたこともあり、いずれにしろ主観的事情を重視 し、要件論としては任意性が中心に論じられる傾向にあった。
これに対して近時、要件論において中止行為の性質に着目した研究が盛んになった。また、
減免根拠論においては奨励説という意味における刑事政策説が有力に主張されるようにな った。この減免根拠論は、中止行為を危険減少ないし違法減少行為とする理解に親和的なも のであったといえよう。
このような刑事政策説からは、従来の多数説であった法律説に対して、違法ないし責任と いう法律要素は、中止行為という事後的な事情によって減少という形で変更されることは ありえない、という批判が向けられた(事後的変更批判)。この批判は確かに無視できない 正しい一面を有している。とはいえ、刑事政策説が奨励政策の観点を強調するあまり、従来 の法律説が有していた未遂犯としての当罰性を失わせるが故に刑が減免されるという観点 を軽視しすぎてはいないか、懸念される。
また、要件論をみると、従来中止犯論の中心的論点を担ってきた任意性論は言うまでもな く、中止行為論における中止行為の態様判断の問題を中心に、議論が整理されていない部分 が残っているように見受けられる。またいわゆる中止意思や失敗未遂といった、新しい概念 が取り入れられているが、これらと、従来の要件論との関係も必ずしも明らかとはなってい ない。
本稿は、このような問題意識のもと、従来、減免根拠論において多数説を形成していた法 律説を、量刑論の知見を取り入れて再構成することを試みたい(第1章)。その上で、中止 行為論(第2章)、任意性論(第3章)の要件論を整理してゆくこととする。その後、ある 未遂犯に中止犯が成立する場合に、既に成立しており、罪数上は当該未遂犯に吸収ないし包 括されるものと考えられている既遂犯(内包既遂犯)の扱いについて検討する(第 4 章)。 ここでは、罪数論と中止犯論のそれぞれの観点が交錯する場面となる。最後に、既遂後の行 為による刑の減免規定について検討する(第5章)。具体的には、わが国では被拐取者解放 減軽規定、自首・自白による減免規定が問題となり、ドイツでは行為による悔悟規定が問題 となる。これらは、既遂後という点で中止犯とは異なるが、なお終局的な法益侵害前の時点 での行為者の行為によって刑が減免される点で、盗品返還や損害賠償といった犯罪後の事 情ともまた異なっている。中止犯の検討により得られた知見を活かしつつ、検討を試みる。
まず第 1 章では、中止犯の減免根拠について分析する。まず従来の法律説が体系的位置
づけ論と根拠論とを併せて論じるものであったことを明らかにした上で、刑事政策説、法律 説の内容について、特にそれらの併用のあり方に注意しつつ確認した。そして、近時の動向 として、奨励説の意味における刑事政策説が有力化しつつあり、あわせていわゆる「裏返し の理論」が用いられるようになっていることが指摘できる。
この「裏返しの理論」は、中止犯規定は通常の犯罪規定を「裏返し」たものと理解する。
これには、刑罰による犯罪抑止と刑の減免による中止促進という政策レベルでの「裏返し」
と、犯罪の成立要件である違法ないし責任に対して中止犯において「逆違法・逆責任」を要 件とするという、要件レベルでの「裏返し」という2種類がある。政策レベルでの「裏返し」
を行う奨励説は、未遂犯の当罰性を「犠牲」にすることで奨励目的を達成しようとするもの であるが、中止は未遂犯の当罰性そのものを減少させると考えるべきである。もっとも、中 止行為に着目した要件レベルでの「裏返し」という思考方法は、奨励説のみならず未遂犯の 当罰性の低下に着目する立場にとっても、要件論の明確化という観点から有益である。
また、実行行為に対する違法・責任評価は中止行為によって事後的に減少するものではな い、という批判が法律説に対してかねてより向けられていた(事後的変更批判)。これに対 しては、可罰的責任や答責性、また積極的特別予防の必要性といった形で犯罪論内において 刑事政策的考慮を組み入れるもの、実行行為と中止行為を一体として評価対象とすること で事後的に変更するものではないとする全体的考察や刑罰目的説、中止犯固有の違法責任 を考えるものなどの対応がみられる。本稿は、未遂犯そのものの当罰性の減弱に着目する点 で全体的考察に基づく法律説ないし刑罰目的説の方向性を支持しつつ、事後的変更批判は 個別行為責任に基づく違法責任概念を維持する限り免れがたいと考える。したがって中止 犯は、「自己の意思による中止」という違法関連的事情、責任関連的事情を生じさせること で、実行行為により生じた未遂犯の当罰性を、障害未遂に比べて軽くする法定量刑事情であ ると主張した。
そこで、量刑事情における中止犯の位置づけを考察すると、中止犯は行為者による中止行 為がある点で、障害未遂に比べて危険結果の量が類型的に軽いとみることができる。結果の 重大性は、違法関連事実の中核として犯情の中でも最も重要視される要素であることから、
障害未遂よりも寛大な法的効果を設定して法定されたものとみることができる。なお、犯罪 が既遂に至った後の盗品返還や弁償などの量刑事情も、特に経済事犯では犯罪結果そのも のを軽減する要素として重要視されることからすれば、なお既遂前で結果発生に至る過程 において問題となる中止犯はまさに直接的に結果を軽減する事情というべきである。法定 量刑事由説に対しては、中止犯のみが特に優遇される理由が明らかではなく、また中止の奨 励という政策面を捉えていない、と批判がなされる。しかし、わが国の刑法が既遂処罰を原 則とし、未遂処罰は例外的に可罰性の限界を前倒することで犯罪が既遂に至ることを防ご うとするものである。中止とは、まさに未遂の段階において犯罪が既遂に至ることを行為者 自身が阻止するものであるから、特に法定化して奨励することに合理性が認められるので ある。このように理解する限りで、奨励の観点を等閑視しているわけではない。
そして、法定量刑事由としての中止犯は、違法関連的事情、責任関連的事情の減少によっ て基礎づけられ、付加的に特別予防の必要性が減少していることが考慮されることで、刑の 必要的減免という効果が設定されたと理解できる。これは、刑罰目的論的には、相対的応報 刑論を裏返したものとみることができる。したがって、違法関連的事情、責任関連的事情の 減少によって中止犯の成立が基礎づけられ、減軽か免除の区別、最終的な刑の量定に際して、
悔悟していたか、真摯に中止したか、などの特別予防の必要性を減少させる事情が考慮され る。減軽と免除の区別の基準については、違法減少・責任減少の程度が著しい場合にあくま で有罪判決としての免除を認めることができる。
第2章では、中止行為論について検討する。まず第1節では、近時、新たな要件として意 識されるようになっている中止意思について、その位置づけと内容を検討する。第 2 節で は、従来、中止行為論の中心的問題であった中止行為の態様判断を論じる。ここでは、現在 通説的な地位を確立したように思われる因果関係遮断説の意義について明らかにしたい。
第 3 節では、判例における中止行為の態様判断の基準について検討する。当然のことなが ら、判例においては判断の内実、基準が判決文にすべて表れているとは限らない。言及され ている内容から基準を読み取るだけではなく、言及しなかったことについても、可能であれ ばその理由を明らかにしたい。第 4 節では、ドイツで一般に用いられる失敗未遂の概念に ついて、わが国の中止犯論における位置づけを明らかにすることを目標に、検討する。
第 1 節は、中止意思の中止犯成立要件論における位置付け、及びその内容を検討するも のである。伝統的には中止犯の成立要件論は、中止行為と任意性という二つの要件によって 検討されてきた。それが近時では中止行為論の発展とともに、この二要件では解決できない とされる事案(たとえば、殺意をもって発砲し、被害者に実際には弾は命中していないもの の、命中して致命傷を与えたと誤信し、それ以上の発砲をしなかったような場合)が提起さ れ、中止意思という要件を論じる必要性が主張されるようになった。
もっとも、中止意思として論じるべきとされる内容は従来の要件論においても論じられ ていなかったわけではない。中止意思が果たすべきとされる役割に着目すると、中止行為の 態様(実行行為の終了時期)の議論において、客観説を基本としつつも行為者主観を考慮す る見解は、中止意思を要件としてたてる立場と同様の問題意識を持っていたとみることが できる。また、主観的違法要素の減少を認める違法減少説、あるいは責任減少説は、任意性、
あるいは中止行為の要件において中止意思の存在を当然の前提としていることが読み取れ る。また、中止犯を「犯罪が裏返されたもの」と捉えるいわゆる“裏返し論”の見地から、
犯罪論における故意の裏返しとして中止意思が論じられるようになったことが、中止意思 論が盛んになった契機のひとつである。これらいずれの立場からも、中止意思の内容につい て共通の議論を行う基礎が存在することが確認できる。
中止意思の内容としては、「行為の続行必要性の認識」と「行為の続行可能性の認識」と
が必要であると論じられることが多かった。しかし、結果発生の危険についての客観的状況 に行為者の錯誤がある場合を念頭に置いて検討すると、これらがない場合であっても中止 犯の成立を認めるべき場合があることがわかる。そうすると「行為の続行可能性の認識」や
「行為の続行必要性の認識」を中止意思の内容の必要条件として要求することは、中止犯の 成立範囲の不当な制約につながる可能性があるといえる。また、中止意思の内容として「危 険消滅の認識」を要求する見解がある。この見解は、中止の奨励という観点から「認識され ていない危険消滅にまで特典を与える必要はない」として現実の危険消滅の認識を要求す る。しかし、中止の奨励の観点からすれば、行為者の危険の客観的状況についての認識に錯 誤がある場合には、その(誤った)認識に応じた結果回避意思をもって行為することで足り るというべきである。
そうすると、結局、中止意思の内容とは、行為者自身が認識した危険の状況に応じた結果 回避行為の認識で足りると考えられる。
第2節で検討する、不作為態様の中止行為で足りるか、作為態様の中止行為が必要か、と いう中止行為の態様の区別をめぐる学説は、主観説、客観説といった実行行為の終了時期を 基準とする学説から因果関係遮断説へ変化がみられる。本節ではまずこの学説の変遷の意 義を明らかにし、さらに通説的地位を確立したといえる因果関係遮断説の意義を明らかに する。
まず、実行行為の終了時期に関する学説と因果関係遮断説を整理し、未遂犯の処罰根拠に ついてわが国では客観的未遂論がとられていることとの整合性などから、中止行為の成否 が問題となる時点における客観的事情に基づいた判断が妥当といえる。
その上で、実行行為の終了時期に関する学説から因果関係遮断説へ、という枠組みの変化 を検討する。因果関係遮断説を支持する論者は、中止行為の態様の問題を考える上では、「中 止行為といえるか」という点からの検討をすれば足り、実行行為の終了時期の問題とは切り 離すべきと主張する。しかし、「中止行為といえる」ということは、当該行為が減免根拠を みたす行為であることを意味し、他方で実行行為の終了時期に関する学説もそれぞれの減 免根拠論に適合する行為を中止行為としていると考えられることから、両者は必ずしも対 立関係にはないことが明らかになる。
そして、この変化の過程では、中止行為の主観面である中止意思と客観面である態様の問 題を併せて論じる実行行為の終了時期に関する学説と、これを分離して客観面を対象とす る因果関係遮断説とが、要件論の枠組みをめぐって無用の対立を起こしている。いずれの立 場からでも、最終的な中止犯の成立要件としては中止行為の主観面、客観面のいずれも考慮 せざるを得ないのであって、要件論の「引き出し」の違いで争うのは生産的な議論ではない。
その上で因果関係遮断説が中止行為は不作為で「足りる」とする場合には、不作為態様でも 作為態様でもよい、あるいは作為態様ならさらによい、との理解がなされていることが読み 取れる。したがって、同説は中止行為の態様を作為か不作為かに特定する基準として用いら
れていない。しかし、作為態様の中止行為にはしばしば「真摯性」あるいは「積極的な努力」
という要件が付け加えられることで中止犯の成立範囲が狭められかねないことを考えれば、
不作為で足りる場合には不作為態様の中止行為を認めることで中止犯の成立を認めるべき である。その場合に作為態様の部分は、法的効果が減軽にとどまるか、免除に至るか、とい ういわば「量刑」レベルで考慮されるべき事情である。
以上のように、因果関係遮断説は、従来の実行行為の終了時期に関する学説とは要件論の
「引き出し」を異にする学説であって対立関係にはなく、中止行為の客観的な問題である態 様を特定する基準として用いられるべきことが明らかとなる。
第3節は、中止行為の態様について判例の傾向を分析・検討するものである。多くの判例 は、事案が不作為態様の中止行為で足る着手未遂か、作為態様の中止行為が必要となる実行 未遂かを判断しているが、その区別基準は必ずしも明確ではない。また、この区別自体を明 示しない判例もみられることから、判例を検討することによって、そもそも中止行為の態様 を区別することの意義にも示唆が得られることが期待される。
まず、区別を明示する判例からは、大きく分けて中止行為時における結果発生の危険と、
当初の行為者の意図ないし計画を、区別の判断要素として考慮していることが読み取れる。
ただし、この意図ないし計画が考慮されている事案の中には、危険が並列的に考慮されてい るものがある。また、これらが単独で考慮されている場合であっても、危険を基準とする場 合と結論に違いがでるものはほぼ見られない。したがって事実上、裁判例においては危険を 中心とした判断基準が用いられていると理解できる。
もっとも、この危険を事前的・一般人基準によって判断するか、事後的・客観的基準によ って判断するかによって中止犯の成立範囲に差異が生じる。多くの判例は事後的基準によ っているとみることができるが、一部「一般人」に言及する判例は、事後・客観的には危険 が存在しないが、一般人基準からは危険が存在するとみられる事案であるため、結果的に中 止犯成立範囲が狭くなっている可能性がある。
実行未遂の事案において不作為態様の部分に言及し、他方、着手未遂の事案において作為 態様の部分に言及する判例がみられるが、任意性(の認定)との関係でこれを取り上げるこ とには一定の意義が認められる。ただし、作為態様の積極的結果回避措置が存在する事案で は、(危険による態様の区別基準に反してでも)作為態様による中止と構成されることによ って、成立要件として真摯性が必要とされることが考えられる。一部の判例が、真摯性に過 度の要求をしていることを考慮すれば、結果的に中止犯の成立範囲が不当に制約される恐 れがある。
また、態様の区別に言及しない判例もみられる。これらは作為態様の中止行為が認定でき る事案であれば、あえて区別を論じて態様を特定する必要がないと考えていると理解でき る。行為者が作為態様による結果防止行為を行っているのであれば、それ以上の実行行為を しない、という意味における不作為態様の中止行為も同時になされているといえるから、判
例の態度は正当なものと評価できる。
第4節では「失敗未遂(fehlgeschlagener Versuch)」の概念について検討した。行為者 がもはや結果を発生させることができない、と判断した場合が(主観的)失敗未遂と呼ばれ、
中止犯がもはや成立し得ないことになる。近時のドイツでは、中止犯の成否を検討する際に、
まずこの失敗未遂に当たるかが確認され、失敗未遂にならないことが確認された後に、着手 未遂か実行未遂か、さらには任意性の検討が行われるのが一般的となっている。
失敗未遂について、中止犯の要件を検討する前に「あらかじめ」あるいは「はじめから」
中止の可能性を排除するものとして説明がなされることがある。しかし、失敗未遂概念を用 いることに賛成する論者が述べるように、失敗未遂とはさらなる行為を「放棄」あるいは「阻 止」することができない場合である。そして、失敗未遂概念に反対する論者も、一般に失敗 未遂とされる事案について中止犯の成立を否定する結論はほぼ変わらない。その帰結を、任 意性を否定したり、いずれにしろ単なる放棄では中止行為とならない終了未遂に事案を分 類することで導いたりするに過ぎない。
このような失敗未遂論は、前提とする未遂論の違いもあり、そのままの主観的失敗未遂と して導入する論者は多くない。もっとも近時のわが国では、中止行為の違法減少ないし危険 減少という性質に着目した中止行為論が発展するとともに、中止行為をする前提として危 険がすでに存在しなくなっている場合を特に客観的失敗未遂と呼び、中止行為要件が欠け るために中止犯が成立しない場合として意識されるようになっている。
もっとも、この概念を用いるか否か、は根拠論における立場が大きく影響しよう。刑事政 策説をとり、奨励という観点を重視すれば、危険が存在しない場合には中止行為はそもそも できない、としてこれを客観的失敗未遂と呼ぶことができる。これに対し、責任減少説をと れば、純客観的に危険が存在しない場合であっても、行為者がこれを認識していないのであ れば責任減少が認められ、中止犯の成立が認められうるのであって、客観的失敗未遂という 領域を設ける意義は少ないといえる。
構成要件外の目標達成事例については、これを失敗未遂とパラレルに論じるか、論じない かという対立があるが、ここでは被害者保護という刑事政策的考慮の内容およびその重視 の程度によって結論が分かれるものとみることができる。
第3章は、任意性について検討を加える。まず第1節において学説の議論状況を整理し、
対立軸を明らかにする。その上で、第2節では、判例における任意性の判断について、特に その認定の仕方に焦点を当てて分析した。
第1節では、任意性に関する議論の状況を分析した。
まず任意性と他の要件との関係を整理した。まず第2 章第1節で論じたように、行為者 の客観的な危険の状況についての判断に応じた危険消滅の認識を内容とする中止意思に、
従来議論されてきた任意性と異なる独自の意義を認める立場からは、任意性判断の対象た る中止行為の主観的要件として中止意思を整理することが妥当であるように思われた。ま た、いわゆる失敗未遂論については、第2章第4節で論じたように、中止行為論の進展に 伴って、従来漠然と任意性の枠内で論じられてきた議論の一部が中止行為論に移して論じ るものであり、その限りでは妥当な一面を有する。もっとも、そこで論じられる危険の理解 は論者により一致しておらず、任意性において論じられていた規範的判断を先取りしてい るように見られるものも存在している。そのような判断が妥当かは、中止行為論で論じるか、
任意性論で論じるかという引き出し論とは無関係に、いずれにせよ検討が必要となる。
引き続き、任意性に関する学説を整理する対立軸を抽出した。任意性に関しては、従来、
主観説・客観説・限定主観説が並列的に比較されて検討されてきたが、ここでは自由意思な いし非強制性の判断が行為者基準で行われるか一般人基準で行われるか、という判断基準 における対立軸と、中止の動機ないし目的を考慮に入れることで規範的限定をかけるか否 か、という対立軸が混在していたというべきである。さらに、自由意思ないし非強制性の内 容が物理的強制か心理的強制も含むか、という対立軸も存在する。これら 3 つの対立軸を 組み合わせることで 8 通りにこれまでの学説を分類して整理し、任意性の判断プロセスの 明確化を試みた。
第2節では、判例における任意性の認定について検討した。任意性の認定に影響を与える 要素を分類し、位置づけを整理したが、特に、驚愕等の犯行を一時中断させるに過ぎない事 情と、犯行中止の動機となる事情とを区別すべきことを指摘した。驚愕等があっても任意性 を肯定する判例も一部存在し、それはこのような意味で肯定的に評価できる。また、反省・
悔悟と共にいわゆる広義の後悔に含まれるとされることのある被害者への同情、憐憫は、そ れ自体責任減少ないし特別予防の必要性が低いことを示すものとは言い難く、驚愕同様に 翻意するきっかけとして考えるべきことを指摘した。
また、判例が一般人や通常人に言及する点は、必ずしも客観説を採用するものとは即断で きないというべきである。判例は一般人基準のみによって任意性を肯定ないし否定してい ないことからも、行為者の主観を裏付ける客観的状況として言及しているに過ぎない可能 性を指摘した。また、広義の後悔については、これを必要条件とする限定主観説をとってい るとはいえない。広義の後悔が認められる場合には、行為者の主観が外部からの強制的影響 を受けていないことを示すことができるのである。さらに、量刑上有利な事情であるため、
これを認定することは、減軽と免除の区別、さらには宣告刑を量定する際の狭義の量刑事情 として認定することに意味がある。
また、中止行為の態様と任意性認定の関係についても整理した。まず、着手中止の場合は、
基本的に犯行を中断した部分について行われ、その時点で任意性が認められれば、その後の 不作為の中止行為に任意性が肯定されると見ることができる。さらに積極的な救助行為な どが存在する場合には、それを指摘することで継続して任意性を裏付けることができる。こ
れに対し実行中止の場合は、積極的な作為における真摯性が判断される場合が多くある。真 摯性が肯定される場合には、通常任意性も認められると考えられるため、これを併せて認定 しているとみることもできよう。
第4章は、ある(未遂)犯罪の中止犯が成立する場合に、単独で考えればすでに既遂に達 している犯罪(内包既遂犯)に対し、中止犯の効果がどのように及ぶか、という問題につい て検討する。典型事例としては、殺人の意思で実行に着手し、一定の傷害結果を生じさせた 後に、その殺人未遂を中止する場合が考えられる。この場合、行為者に対する刑罰を決定す る上で、すでにそれ単独で考えれば既遂に達していると考えられる傷害罪は、何か役割を果 たすのであろうか。
わが国の旧刑法制定の過程では、内包既遂犯を独立して処罰する文言が存在していた段 階もあった。しかし、実際に制定された旧刑法は、単に可罰的な障害未遂のみを112条に規 定し、中止犯は障害未遂に当たらない場合として不可罰になるとされた。内包既遂犯に関し ても明文規定はないものの、均衡論的観点、罪数論的観点から独立して処罰されるという解 釈が一般的であった。
ドイツにおいては、明文規定はわが国同様存在しないが、内包既遂犯を独立して処罰する 解釈が通説的地位を占めている。これは罪数関係が法条競合(法条単一)関係にある場合で も同じである。その理由としては、中止犯は「未遂を理由としては罰せられない」と規定す るドイツ刑法24条の法文上の根拠、および均衡論といった中止犯論的な観点が挙げられる。
以上の議論を踏まえてわが国の現行法下での議論状況をみると、内包既遂犯は独立した 犯罪としては扱われず、不処罰とするのが通説である。その理由づけとしては、罪数論によ るものと中止犯論によるものとがある。
まず、罪数論的観点としては、中止犯が成立する場合、当該未遂犯は犯罪として成立して いるため、そこに吸収される既遂犯は独立した法的な評価対象たりえない、という主張がな される。もっとも、結合犯、不可罰的事後行為の議論などを参照すると、法条競合の関係に あったとしても内包既遂犯は犯罪として成立しないわけではないため、罪数における形式 的処理にとどまることなく中止犯の内実を考慮した実質的な理由づけが望まれる。
そこで中止犯論固有の観点を検討すると、中止犯の法的効果である必要的減免が犯罪を 中止したことによる一種の「応報」ないし「褒賞」であるという内在的制約、および、中止 犯の法的効果として「犠牲」にすることが許される範囲という外在的制約を考慮すると、中 止犯の法的効果が及び、不可罰となしうる範囲を、中止犯となる犯罪と本来的一罪の関係に なる範囲としている現在の判例、通説の立場は妥当なものであるということができる。
なお、近時、内包既遂犯を中止犯の成立要件である中止行為要件に織り込んで考慮する見 解がみられる。しかし、中止犯の減免根拠における論者の基本的立場からみても、中止犯成 立に過大な制約を課すものであり、妥当でないと評価できる。
第5章では、既遂後の行為者の行為による刑の減免規定について検討した。わが国におい ては被拐取者解放減軽規定及び各種自首減免規定があり、ドイツではいわゆる行為による 悔悟と呼ばれる規定が各則に多く規定されている。これらは、既遂後の行為である点でいう までもなく未遂犯である中止犯とは異なるが、事後的な結果(拡大)回避への一定の行為が 有利に扱われることを法定することで、実質的な法益保護に資する場合があるという理解 に基づいている点で、中止犯と共通しているとみることができる。
ドイツにおける行為による悔悟が規定されている犯罪類型は、予備罪、企行犯、危険犯と いった、実質的にみれば「既遂」とされるべき法益侵害の前段階を、独立の既遂犯の形式を とりつつ可罰的な範囲に取り込むことによって、早期の法益保護を図るものといえる。これ らは、既遂犯であるがゆえに中止犯が適用されないが、なお実質的な法益侵害が未発生であ る場合に法益保護の手段として規定されるのが行為による悔悟である。一般的な成立要件 としては、行為者の積極的な行為、悔悟行為による実質的な法益侵害回避結果、悔悟行為の 任意性が要求されている。
わが国の自首減免規定、被拐取者解放減軽規定の根拠については、中止犯の場合と同様、
刑事政策説と法律説が対立している。もっとも、これらの規定が既遂後の事情であること、
各則の規定であることなどから、中止犯の場合よりも刑事政策説が強く主張される傾向に ある。これらの規定はたしかに既遂後の事情であるとはいえ、行為による悔悟規定と同様、
最終的な法益侵害からみれば前倒しして既遂が設定されている犯罪類型に設けられたもの であることから、自首自白行為、被拐取者の解放行為は違法減少的性格が認められ、またそ のような行為の自発性が要求されることから、責任関連的事情の減少も認められるといえ、
このような当罰性の減少が減免の根拠になっている点は、中止犯と同じであるといえる。
わが国の既遂後の行為による刑の減免規定の多くが総則自首規定の特則として理解され、
自首が要件とされている点については、さらなる法益侵害の防止というこれらの規定の根 拠と、自首の減軽根拠とされる捜査の容易化とは、解釈上相反する帰結を導きうるといえる。
刑法の最大の目的である法益保護という観点からすれば、行為による悔悟としての性質を 重視した解釈が望ましく、さらにはわが国においても自首を要件としない、純粋な行為によ る悔悟規定を活用することで、法的効果の設定の面からも柔軟な規定が可能であるように 思われた。
終章では、本稿で得られた帰結を簡単に確認し、残された課題について言及した。
以上