― 33 ― 地学教育と科学運動 83号(2019年11月)
吉中康展**・福地朝男**・平野和夫**・目良 恂**・鈴木敦子**・髙橋茂友**・
髙橋陽子**・田中かをる**・東海林勝代**・吉中裕子**・小山春雄**・松岡喜久次***
埼玉県飯能市名栗川沿いに分布する石灰岩質角礫岩で造られた
石造物と石材の採石地の推定
* はじめに 名栗川(入間川の上流部)は埼玉県飯能市の西端にあ る大持山(1294m)などを源とし,関東山地を東に流下 して,飯能市街で平野に出る河川である.私たちは2014 年から名栗川の地質及び生物の調査を行ってきた(小山 ほか 2016,吉中ほか 2017). 調査の途上,2015年 5 月にたまたま立ち寄った飯能市下名栗の楞りょうごんじ厳寺で,参 道の石段が石灰岩質角礫岩で出来ていることに気が付い た.これをきっかけに,地質・生物の調査と並行して石 造物の石材調査を行ったところ,石灰岩質角礫岩で造ら れた多くの石造物を見出した.今回,石材である石灰岩 質角礫岩の岩相と含まれるフズリナ類を報告し,石材の 採石地を推定する. 調査方法 調査は,主に埼玉県飯能市の名栗川沿いで,一部は隣 接する東京都青梅市の成なる木きがわ川沿いで行った.寺社・墓地・ 道端などにある墓石・石仏・塔などの石造物の石材を調 べ,石灰岩質角礫岩で造られたものについて,数とそれ ぞれの大きさ,刻まれた年号および石灰岩質角礫岩の岩 相を記録した.石灰岩質角礫岩は著しく角礫質で,多く の場合その礫が溶食により凹んでおり,礫の周囲のわず かな基質が網目状に浮き出ていることから,目視で容易 に判別が可能であった. 調査結果 石造物をつくる石灰岩質角礫岩の岩相と含まれる化石 楞厳寺の石段は,第1図aに示したように石灰岩質角 礫岩で造られている.石段は37個の直方体に切り出さ れた石灰岩質角礫岩で造られ,それらの大きさは,大き なもので高さ18cm,幅79cm,奥行41cmである.石灰 2019年 6 月20日受付,2019年 9 月 9 日受理. * 地学団体研究会第72回総会(市原)で一部報告 ** 豊岡高校開放講座OB会:連絡先 吉中康展 [email protected] *** 埼玉支部 第1図 a:石灰岩質角礫岩で造られた楞厳寺の石段. スケールは1m(20cmのところで折ってある). b:楞厳寺石段の近接写真.スケールは5cm.吉 中 康 展 ほか ― 34 ― 第2図 楞厳寺石段に含まれるフズリナ類 a:Pseudofusulina vulgaris. b:Neoschwagerina craticulifera. スケールは3mm. 第3図 石灰岩質角礫岩で造られた石造物 a:墓石. b:戒壇石.スケールは10cm 第4図 石灰岩質角礫岩で造られた石仏 a:地蔵像. b:不動明王像.スケールは10cm. 岩質角礫岩の岩相は,石灰岩の礫径が0.5∼10cm程度, 円磨度は多くが亜角から亜円で,淘汰度は悪い.石灰岩 以外には玄武岩の礫(礫径最大 8 cm)やチャートの礫(礫 径最大 2 ㎝)を含むことがあり,基質は極めて少ない(第 1図b).石段は,長年に亘って人々に踏まれることによって, 表 面がきれいに磨かれており,石灰 岩 礫に含まれる Pseudofusulina vulgaris globosa(Schellwien,1909)(第2 図a)やNeoschwagerina craticulifera やや (Schwager,1883)(第 2図b)などのフズリナが多数確認できる.他にも,サンゴお よびウミユリの化石が観察される. 石灰岩質角礫岩でできた石造物の分布 名栗川に沿い,下流の原市場地区から上流の上名栗地 区にかけて,石灰岩質角礫岩で造られた墓石(第3図a), 戒壇石(第3図b),石仏(第4図a,b),無縫塔,庚申 塔など120以上の石造物が確認できる(第5図).なか でも下名栗地区の楞厳寺では,墓石,無縫塔および石碑 第6図 飯能市下名栗浅海道の石灰岩質角礫岩 a:露頭.スケールは1m. b:近接写真.スケールは20cm.
飯能市の名栗川沿いに分布する石灰岩質角礫岩の石造物 ― 35 ― を合わせて15,石段を含めると52が確認できる.他に も同地区では,墓石と無縫塔を合わせて43が確認でき る寺など,多くの場所に石灰岩質角礫岩の石造物が存在 する.原市場地区に隣接する上かみあかだくみ赤 工地区より下流では, 石灰岩質角礫岩の石造物は確認できない. 石灰岩質角礫岩でできた石造物の造立年代 石灰岩質角礫岩で造られた石造物に刻まれた造立年代 は読み取れないことが多い.読み取れたものとしては, 地蔵では寛保 3 (1743)年と文化13(1816)年,墓石 では寛保(1741∼1744年,年不明),慶応(1865∼1868 年,年不明),明治19(1886)年である. 石灰岩質角礫岩の露頭調査 石灰岩質角礫岩で造られた石造物の石材の供給地を求 めると,藤本(1933)が入間郡名栗村浅あさ海かい戸ど(現飯能 市下名栗浅海道)で「著しく角礫質な石灰岩」を報告し ている.そこで,藤本(1933)の報告による浅海戸付 第5図 名栗川沿いの石灰岩質角礫岩で造られた石造物の分布と石灰岩質角礫岩の露頭の位置 丸数字は石灰岩質角 第 名栗川沿 岩質角礫岩 造られた 造物 分布と 岩質角礫岩 露頭 位置 丸数字は 岩質角 礫岩で造られ石造物の位置と数を示す. は,石灰岩質角礫岩の露頭の位置を示す. 近を調査したところ,第5図の星印で示した位置に石灰 岩質角礫岩の露頭(第6図a,b)を見出した.露頭は, 幅 5 m高さ 3 mほどで,四海橋より数m下流の名栗川左 岸の道沿いに位置している.この露頭の石灰岩の礫は礫 径が数mmから数cm程度,円磨度は多くが亜角から亜 円で淘汰度は悪く,フズリナ化石を含有しており,基質 は極めて少ない. 考 察 本報告により,石灰岩質角礫岩で造られた石造物は名 栗川に沿って分布し,主に下名栗地区に多いことが明ら かとなった.これらの石造物の石灰岩質角礫岩の岩相は 礫径が0.5∼10cm程度,円磨度は多くが亜角から亜円で 淘汰度は悪いなど,藤本(1933)により報告された浅 海戸の石灰岩質角礫岩の岩相と類似している.楞厳寺の 石段の石灰岩礫に含まれるフズリナの示す地質年代はペ
吉 中 康 展 ほか ― 36 ― ルム紀であり,藤本(1933)が報告した石灰岩質角礫 岩も同時代のフズリナを含む.さらに藤本(1933)が 報告した浅海戸の露頭の位置は,石灰岩質角礫岩で造ら れた石造物の分布域のほぼ中央にある.これらのことよ り,浅海戸の露頭で切り出した石灰岩質角礫岩が,石造 物に使われた可能性が高いと推測される.松岡(2018) も石造物を造る石灰岩は地域により異なる特徴がみら れ,それぞれの地域に分布する石灰岩体から採石された と考えている.この石灰岩質角礫岩の露頭で石を切り出 した跡は見出せていないが,露頭は県道70号沿いにあ り,切り出し跡は道路工事などで消失した可能性も考え られる. 松岡(2018)によると,名栗川流域の石灰岩で造ら れた石造物の造立年代は,貞享(1684 ∼ 1688年)から 嘉永(1848 ∼ 1855年)である.今回,石灰岩質角礫岩 で造られた石造物で読み取れた造立年代は,寛保 3 (1743)年,寛保(年不明),文化13(1816)年,慶応(年 不明),明治19(1886)年であるから,石灰岩質角礫岩 は石灰岩と比べやや遅い時期まで石造物に用いられてい たことになる. おわりに 私たちは,飯能市名栗地区で名栗川に沿って分布する, 多くの石灰岩質角礫岩で造られた石造物を見出した.石 造物に関する報告は数多いが,ほとんどが歴史的あるい は民俗学的な報告であり,石造物の材質についての記載 は少ない.秋池(2010)は,関東地方の墓石の材質を 報告しているが,石灰岩あるいは石灰岩質角礫岩に関し ては言及していない.中(2001)は,日本の石仏200選 の中でその約8割の石仏の材質を報告しているが,その 材質は花崗岩,凝灰岩及び安山岩が多数を占め,石灰岩 あるいは石灰岩質角礫岩の記載はない.飯能市教育委員 会(1989)は,飯能市の石造物に石灰岩が使われてい 文 献 秋池 武(2010)近世の墓と石材流通.高志書院,270p. 藤本治義(1933)関東山地東部の地質学的研究.地質雑,40, 1-15. 飯能市教育委員会(1989)飯能の石仏.飯能市教育委員会, 294p. 小山春雄・鈴木敦子・高橋茂友・高橋陽子・田中かをる・東海 林勝代・平野和夫・福地朝男・目良 恂・吉中康展・吉中裕子・ 松岡喜久次(2016)入間川上流部(名栗川)の流域調査.地 学団体研究会第70回川越総会プログラム・講演要旨,101. 松岡喜久次(2018)埼玉県小川町∼東京都青梅市の寺院にあ る石灰岩でつくられた近世の石造物.地学教育と科学運動, 81,73-78. 中 淳志(2001)日本の石仏200選.東方出版,181p. 吉中康展・鈴木敦子・髙橋茂友・髙橋陽子・田中かをる・東海 林勝代・平野和夫・福地朝男・目良 恂・吉中裕子・小山春 雄・松岡喜久次(2017)入間川上流部(名栗川)の流域の 地質と生物調査.地学教育と科学運動,79, 17-23. ることを報告しているが,石灰岩質角礫岩には言及して いない.最近,著者の一人である松岡(2018)は,埼 玉県の小川町,越生町から飯能市を経て,東京都青梅市 までの関東平野の西縁部に石灰岩で造られた石造物が分 布していることを報告したが,石灰岩質角礫岩に関して は除外されている.したがって本報告は,石灰岩質角礫 岩で造られた石造物を詳しく調査した初めての報告であ ると思われる. 石灰岩質角礫岩は,風化しやすい上に見た目も美しい とは言えず,必ずしも墓石や石仏に適しているとは思わ れないが,飯能市教育委員会(1989)も言及している ように経済的な理由で,地元でとれた石を石造物に使っ たものと思われる. 謝辞 本報告において,フズリナの鑑定をしていただい辞 た長谷川美行氏,および,たびたび境内の調査に協力い ただいた重照山楞厳寺の皆様に深く感謝する.