に よる, 作品解釈の試み
一 西
崎
専 一 -< 研究 ノ ー ト>
宗教的象徴表現 と し て の詩 と音楽
ク ローデ ル/ オ ネ ゲルの 「火刑台上 のジ ャ ン ヌ ・ タ ル ク」
一 一 一 一 一 ( それでは ヴェ ー ト ヴェ ソはつ んぼだ ったた めに幸福だ った とい う こ とtこな り ますね… …) 私はため らわずにそ う断言し ますね。 彼のつんぼは, 彼を外界から切 り離し , い って みれば, 彼 自身の内部で仕事をす るのを許 し, も し 彼の耳が早 くか ら閉ざされていな か っ た な ら , - し たが って外界の潮流か ら守 られてい なか った ら, け っ し て き き と ら なか った と思 う よ う な ものを き き と らせた のです。 ア ル チ ュ ール ・ オ ネ ゲル 1 ポール ・ ク ローデルの台本, アルチ ュール ・ オ ネ ゲルの作曲に よ るオ ラ ト リオ 『火刑台 上のジ ャ ン プ ・ タルク』 は, 1938年に。バーゼルにおいて初演され, 以後近代オラ ト リオの 傑作 と し て, フ ラ ンスにおいてばか りで な く , ク ローデルの文学 と オネ ゲルの音楽を受容 す る世界各国において高い評価を 受けつづけてい る。 このオ ラ ト リオの創作は, まず舞踊家であ り女優で もあった イ ダ ・ ルーピ ンステ イ ン夫 人の発案に よっ て進め られた。 多 く の芸術家と の協力に。よ り 自身の表現領域を拡大し 続け て きた こ の女優が, フ ラ ン ス史のなかで最 も ドラ マチ ッ クな史実 と神秘的な魅力に。富んだ 少女を 演 じ てみたい と考えた こ とにはなんの不思議も ない。 ただ, 「ジ ャ ン タ ・ タ ル ク」 の舞台化に あた って, ク ローデルの台本 とオネゲルの音楽が必要で ある と彼女が考えた こ と は, そ こ に どのよ う な経過が介在 し たに し て も, 結果 と し て まさ に天 の配財 と い っ て よ い もので あ った。 このふた りの協同に よって, 詩 と音楽の理想的な関係が達成さ れ, カ ト リ ッ ク神秘主義 と プ ロテ 7、タソ ト敬虔主義 ・ 人文主義, フ ラ ン ス的感覚主義 と ゲルマ ン的 精神主義の融合が実現 し , ドラ マ表現の具象性 と音楽表現の抽象性 との一体化が実現し た。 イ ダ ・ ルー ピンステ イ ン夫人を め ぐる当時の芸術状況の中で, この組み合わせ以上に, 象 徴表現 と し ての音楽 ドラマを実現す る可能性をはらんだ関係はなか った。I 一 一 一 一 イダ ・ ルーピンステ イン夫人から もち こ まれた 「ジ ャン プ 。・ タルク」 の舞台化の話に, ク p- デルは当初, あ ま り乗 り気ではなか った。 彼 自身のこ とばに よれば, この舞台化の プラ ンが彼を取 り込んだのは, ヒ ト ラーの台頭を告げる新聞記事を読んでいた と きに沸い たひ とつのイ メ ー ジ, 「ふたつ の縛 り合わされた手が十字を切 っている姿」 であ った。 モ の瞬間作品は完成し た, と ク ローデルは述懐し ている 2. 「その瞬間作品は完成し た」 こ と の意味はなんであろ うか。 まず, すべては 「ふたつの 縛 り合わさ れた手が十字を切っ てい る姿」 か ら ドラマ全体のパースペ クテ ィ ブを構築する こ と。 つ ま り, ドラ マの場はこ の姿の置かれた位置, ジ ャン プの 「火刑台」 に限定される のであ り, すべて ドラ マが ジ ャ ン ヌ の殉教か ら そ の意義を 吸収す る こ と であろ う。 も と よ り火刑台上の死を 描 く こ と な し に ジ ャ ン ヌ ・ タ ル クの ドラ マを 構成す る こ とは不 可能である。 と く に ク ローデルのよ う な カ ト リ ッ ク信者に と っ て, 描 く べき は 「聖ジ ャ ン ヌ」 であ り, 殉教の事実だ げが彼女に聖人 と し ての資格を与え る。 殉教, つ ま りジ ャン プ が神のお告げを 聞き, それに忠実で あ っ た こ と に よっ て死に。いた ら し め られた こ と の前で は, それ以外のすべて の事実は相対化さ れる。 ジ ャ ン ヌ の生涯における輝や きは, シ ノ ソ と ポ ワチエ で の審問, オル レア ンの解放, ラ ソスでの皇太子 シ ャルルの戴冠, とい った劇的事実に・あるのではな く , ク ローデ少自身が 語る よ うに, 殉教の事実そ のも のにある。 ドラ マは, それを英雄的な行動の結果 と し て描 く のではな く , ジ ャ ン ヌを 生んだ世のはらむ必然的な悲劇 と し て提示 し なければな ら ない。 そのため, ジ ャ ン ヌ の受難の ドラ マは, 物語の経過を追 って進め られ るのではな く , 殉 教の場に視点をすえて描かれなければな ら ない。 イエ ス ・ キ リス トの受難の物語でいえば, バ ヅハの 『マ タ イ』 『 ヨ ハネ』 の両受難曲の よ うに では な く , シ ュ ッ ツの 『十字架上の七 つ の言葉』 のス タ イルで表現 さ れなければな ら ない。 シ ュ ッ ツのオ ラ ト リオにおけ る ドラ マの集約を 可能に し た のは, 文字 どお り, キ リス トが十字架上で語 った七つ の言葉であ り。 それは 「聖書」 に。よ っ て保証 さ れてい る 3. ジ ャ ン プの受難の物語に こ のよ う な集約を可能にし たのが, ク ローデルに与 え ら れ た 「ふたつの縛 り合わ さ れた 手が十字を切 っ てい る姿」 の イ メ ージで あ っ た。 こ の鎖 と十字 を切 る手の イ メ ージほ ど, 単純ではあ っ て も直接に殉教を 象徴す る 「図像」 はない。 そ し て, 「鎖 と十字を 切る無垢の手」 のイ メ ージは, 少女ジ ャ ン ヌの場合, 「殉教」 のための象 徴的 「図像」 であ るだけで な く 。 500年以前にルーア ンで現実に起 こ った歴史的場面 と 重 なる ( と考え られてい る) 。 そのため, こ のイ メ ージがジ ャン プの物語に よっ て具体 化 さ
II 宗教的象徴表現 と し て の詩 と音楽 れる と き, そ の表現は 「象徴のなかの象徴」 とな る。 つ ま り, 表現が視覚的な直接性に。よ って満た さ れているため, 宗教的象徴をめ ぐる形而下のシンボル体か ら形而上的のシンボ ル内容への感覚的飛躍が, 最小限に留め置かれ得 るので ある。 つ ま り, 「万人のための象 徴」 と な る可能性を も ってい るので ある。 それでは, 「鎖 と十字を切る手の イ メ ージ」 は どのよ う な象徴作用を実現す るのだ ろ う か 。 一 一 一 ○ 「ふたつ の縛 り合わ された手が十字を切 ってい る姿」 のイ メ ージは, ク l= - デルに一気 に台本を 完成 さ せた。 そのn の情景か ら な るテ キス トは, い う まで も な く 「火刑台上のジ ャ ン ヌ」 の場面に・始ま り, 同じ 場面に終結す る。 ( 今 日, 最初の場面に先立 って演奏 さ れ る プ ロ ロ ー グが, 全体の構成が完了し てか ら付け加え られた ものであ る こ とは, 十分に。注 意 さ れて よい こ と であ る) 。 そ し て こ の11の情景は 6 つに分類す る こ とがで き る。 ( A ) 「1. 天の声」 か ら 「2. 一冊の書」 まで, ( B) 「3. 地の声」 か ら 「4. 野獣たちに引き渡さ れた ジ ャ ン ヌ」 まで, ( c) 「5. 火刑台のジ ャ ン ヌ」 か ら 「6. 王様たち , また は カル タ遊びの工夫」 まで, ( D) 「7. カ ト リー7 と マルグ リ ヅ ト」 か ら 「8. ラ ソ スヘ向か う王」 まで, ( E ) 「9. ジ ャン ヌの剣」 から 「10. ト リマ ソ ( 五月の歌) 」 まで, ( F ) 「11. 炎の中のジ ャ ン ヌ ・ タ ル ク」 この う ち , 実質上のプ ロローグで ある ( A ) と フ ィ ナーレの火刑 と昇天 ( F ) が作品の ワク組を つ く り, これに挟 まれた部分が 4つの ドラ マを構成す る。 それは コ ーシ ョ ンのシ ャン 列 こ対す る裁判 ( B) , ジ ャン ヌの捕縛 ( c) , ラ ンスでの戴冠への道 行 き ( D) , ジ ャ ン タへの神のお告げ ( E ) であ る。 こ の ドラ マの構成の特色は, シ ャ ン 7 の生涯の行実 の な か で シ ノ ソ と ポ ワチエ での審問 と オル レ ア ンの解放が除かれて い る こ と と, 歴史的 な時間順序 と はまった く 逆に進め られ る こ と で ある。 まず, シ ノ ソ と ポ ワチ エ で の審問 と オルレ ア ンの解放が除かれてい る こ と。 い う まで も な く , シ ャ ン 刈 乙フ ラ ン ス救国の少女 と し ての資格を与え るのは, フ ラ ン ス軍を率いて イ ギ リス軍のオ ルレア ン包囲網を打ち 破 った こ と であ り, そ の前段階 と し て, フ ラ y ス救国 の神命を受けた少女 と し てジ ャン プを認定するための審問があった。 シ ャ ン 7 の奇跡が実 現 し た のは こ の一連の史実におい て で あ る ( そ の行為の前提 と し ての, ジ ャ ン ヌが天か ら の声を聴いた とい う主張は, 15世紀 とい う時代背景を考えれば, と く に異常な こ と とす る にあた ら ない) 4。
も し , ジ ャ ン ヌの火刑が これ ら の史実に因っ て行われた とすれば, それは祖国に殉 じた こ と ではあっ て も, 神命に殉じ た こ とにはな らない。 神命が イ ギ リスを打破す る こ とを告 げた とい う主張の神学的あや う さ は, コ ーシ ョ ン の下で のシ ャ ン 7 異端裁判です でに指摘 されてお り, ク ローデル もそれを熟知し ていたに違いない 5. ジ ャ ン ヌの殉教は, あ く まで も異端 と し て祖国の宗教裁判に繋がれ, 教会を 迫放された 結果の火刑台において実現 し た のであ り, そ こに武勲潭を盛 り込む こ とは, 殉教の ドラ マ の核心を著し く曖昧にす る。 そのために ク ローデルはこれら の武勲潭を ドラ マから排除し , さ ら にその殉教が祖国への忠誠 とはまった く 別の問題で ある こ とを, 「8. ラ ソ スヘ向か う 王」 の末尾での台詞において, 狂言回し の ド ミ ニ ク師に。次の よ うに語 らせてい る。 ジ ャ ン ヌ 「王様を お ま も り し て ラ ン スヘ入場 し た のは私 です。 フ ラ ソ スを救 った の は私です。 全 フ ラ ン スを も う一度ひ とっ に結び合わせた のは私です」 ド ミ ニ ク師 「ジ ャ ン ヌ。 ジ ャ ン ヌ, 御身が乙女の汚れな き血を 捧げた のは, 生き身の 王のた めだ っ た のか ? 」 こ の問いは, ジ ャン ヌの殉教の意味を 明確にす るため と同時に, カ ト リ ッ クの象徴派詩 人であ り同時に フ ラ ンス政府の高級官僚で もあった ク p - デル自身の, こ の ドラマへ向け る視点の明確化 とい う意味を も帯びていたに違い ない。 次の, 歴史的時間に逆行す る ドラマ進行の問題は, ク ローデルの劇詩作法の特徴を よ り 具体的に提示す る。 逆行す る時間は, まず この ドラマが リア リズムの原理から まった く 掛け離れた と ころ で 成立 し てい る こ と を示す。 これは ク ローデルがサ ンボ リ スムの詩人で あ り, そ の ドラマ も 象徴詩 と し ての性格を つねに確保 し てい る こ とか らすれば, 当然す ぎ る こ と である。 ただ, 時の リア リズムの破壊は, それが徹底されるな ら, 時間進行の秩序の破壊 と し て表象され るべ き で あろ う。 し か し こ の劇詩の時は, ほぼ正確に逆行し て い る のであ り, そ こには順 行す る時間を逆に読む とい う ドラ マ ト ゥルギーが働いて いるのである。 こ の ド ラマ ト ゥル ギーの読み方が, こ のオ ラ ト リオ解釈の鍵のひ とつ と な ってい る と いえ よ う。 こ の劇詩を構成す る11景の中で, ドラマ と し て の確実な リアル ・ タ イ ムを有し ているの は, 最後の火刑 と昇天の場だけである。 そ の他の情景はすべて現実 と幻想 と回想のなかを 行き来し ながら進行す るにす ぎない。 プロ ローグが終わ って ( あるいはプ ロローグの途中 で) 最初の場が開 く と き, 火刑台上に。据え られた シ ャン 刈 ますでに意識を失 っ て お り, 「1. 天の声」 の音楽はこ の意識の混濁を世の暗さ と と もに表現す る。 モ の後の ドラマ は, この失われた意識下で進行す るが, こ の意識下の意識を 開 く のが, 狂言回し と し て登場す る ド ミ ニ ク師の呼び掛け で あ る 6. ド ミ ニ ク師は 「2. 一冊の書」 におい て, 彼 自身の図象上の特徴に し たが って一冊 の 書 二 〇 九
Ⅲ 宗教的象徴表現 と し ての詩 と音楽 を抱え て登場し 7, ジ ャ ン ヌの裁判記録を紐解き なが, ら ジ ャ ン ヌを火刑台に登 らせた裁 判が どの よ うに し て行われたか, そ し て彼女を裁判に繋いだ コ ン ピ エーニ ュでの捕縛が ど うい う経緯で行われたかを 語る。 こ の語 りに導かれて, ジ ャ ン タは記憶を逆に。遡 っていき, やがですべて の発端 とな った, 神の声を聴いた17歳の春の日に戻 り, 少女の歌 った素朴な 春の歌( ト リマ ソ) へた ど りつ く 。 こ の転換を導 く わずか十小節の 「10. ト リマ ソ」 におい てシ ャン 刈 ま初めて, そ し てオ ラ ト リオ中ただ一回だけ歌 うが, この歌に前後する情景に おいて ジ ャ ン ヌの意識は現実へ と回帰し ( そ のために師父 ド ミ ニ クはこ こ で消 え る) , 場 面は最後の火刑台上の死, そ し て昇天へ と劇的に転換す る。 も と よ り, ド ラ マ の各場面をつ な ぐ間奏的な部分, 「3. 地 の声」, 「5. 火刑台のジ ャ ン ヌ」, 「7. カ ト リー ヌ と マ ルグ リ ッ ト」, そ し て 「9. ジ ャ ン ヌの剣」 の前半は, ジ ャ ン ヌ と師父 ド ミ ニ クの対話を核 と し て進められてお り ( こ の対話に。よっ て ジ ャ ン ヌの記憶は遡 って行 く ) , ド ラマの基本的な場が こ の対話の場, つ ま り火刑台上に ある こ とは明らかで あるが, 演出上の場面設定 と は別に, こ の逆進す る時間構成に。よっ て, ドラ マ の進行は火 刑台上を 中心 とす る循環構造を形成す る のである。 さ らに こ の ドラマを, ジ ャ ン プの救国活動やそれを め ぐる取 り引き と し ての捕縛 とい っ た史実それ 自体の リアルさか ら引き 離すため, ク ローデルは この ドラ マに取 り上げた 3 つ の歴史的場面, つ ま り 「異端裁判 ( 4. 野獣たちに引き渡さ れた ジ ャ ン プ) 」。 「ジ ャ ン プの 捕縛 ( 6. 王様たち, またはカルタ遊びの工夫) 」, 「 ラ ソ スでの戴冠 (8. ラ ンスヘ 向 か う 王) 」 に関し て は, 徹底 し た戯化表現を試みてい る。 この戯化の試みは ドラマの象徴的表現をつ く りあげる上で決定的な意味を も っているが, その手法上の特質と と もに, 次章で詳細に検討し たい。 なぜな ら, ク p- デルはこの 「火 刑台上のジ ャ ン タ ・ タ ル ク」 の台本制作において, ドラマ表現の基本的な性格を よ り明確 にす るために, 戯化の試みを 含めて, 細部の構成に。さ らに手の込んだ ドラ マ ト ゥルギーを 展開し てい るが, その特徴は音楽表現 と の密接な関わ りにおい て発想 さ れてい るか ら であ る 。 二 〇 八 ク ローデルが, 音楽劇 と し て完成 さ れ るべき作品の ドラ マ化に際し て, そ の台本 の細部 を音楽表現の リアルかつ克明な イ メ ージを背景 と し て書き込んでい った こ と はよ く 知られ てい る。 これは作曲者 と の打ち 合わせの上 で ドラ マを 進めてい く とい った こ と ではな く , ク ローデル自身の音楽的イ メ ージが場面設定, 情況説明と し て台本の中に。具体的に指示さ れ て い る ので あ る。
これは当然作曲家の音楽的 イ メ ージを 制約 し , 場合に。おいては音楽的創意 のほ とん どを あ らか じ め規定す る こ とに も な りかねない。 ただ, ドラ マが語 ら れ, 歌われ, 響 き 出され る ものである以上, そ の響きそのも のも ドラ マ表現それ 自体に密着し た ものであ る と理解 す る詩人 と っ ては, と く に異 とす るにあた ら ない こ と で あろ う。 と く に ク ローデルの詩の特徴は, 一行の音節数を 規定す る よ う な外面的な定型を排し , 「し か し , 内在的な厳格な規則に従 う とい う も ので, そ の音節数を規制す るのは, 内面的 な 『呼吸』 の感覚のよ う な も ので, - とい う こ とに なれば, それは朗唱のための詩句と な り, し たがっ て戯曲の台詞 と も 自ずか ら通ず る こ と と な る」 8 この 「 ク ローデル的 ヴァ ルセ」 といわれる詩句の性格について こ こ で検討す る余裕はな いが, こ の 「内面的な呼吸」 の音楽化に対 し て, こ の 「呼吸」 の主で あ る詩人 自身が関与 す る こ と は少し も不思議ではない。 しか し , その関与を 台本のレ ヴェ デで実現す るためには, 詩人 自身が音楽的実践に対す る認識 と, 詩人の専横を受け入れかつ 自身の音楽的イ メ ージの構築を進める こ と のでき る 作曲者 と の協同が不可欠であ る。 ク ローデルは, ダ リ ウス ・ ミ ョ ー と の親交を通 し て, と く にオペ ラ 『 ク リス ト フ ァ ー ・ コ ロン ブスの書』 のための台本の制作を通 じ て, 詩 と音楽 との関わ りにの実践に習熟し ていた 9. また オネ ゲルは, 語 りの美し さ を施律の上に移し と る こ とに, メ ロデ ィ ー制作上のテ ーゼを おいてい る作曲家であ ったlO。 詳細な音楽的指示を含んだ ク ローデルの台本に。よる ア ソ リ ・ オネゲルの音楽化の作業は, ある意味では, 戯曲自身が内在 し て いた詩 と音楽 の総合の具体化 であ った と い っ て よい。 こ の総合の具体化の結果を, 場面を 追っ て考え てゆ きたい。 「プ ロ ローグ」 このプ ロ ローグの性格は, ドラマ の全体の中で最 も意味を理解し に く い も ので あろ う。 オ ーケ ス ト ラ と コ ー ラ ス, そ し て 「天の声」 に よ っ て歌いかつ 語 りだ さ れ る テ キ ス トは, ジ ャ ン ヌが登場す る以前のフ ラ ンス の状態, ふたつ の勢力に。分割 さ れ, かつ イギ リスに噪 國さ れてい る フ ラ ソ ス の状態を 嘆き , 祖国の救済 と統一の旗手 と し て のジ ャ ソ ヌ を待望す る思いを切 々と表現す る。 も し これに続 く ドラ マがジ ャ ン ヌの祖国の救済の戦いを 英雄的 に描 く も のであ るな ら , こ のプ ロ ロー グは当を 得た も の といえ る。 し か し ド ラ マ の最初の 場においジ ャ ン ヌはす でに火刑台に。つけ られて い るので あ り, 続 く 展開の中で少女を火刑 台につけた 国家 と教会の欺隔が徹底的にえ ぐ りだ さ れ る こ とを 考え る と, こ のプ ロ ローグ か らは ドラマ とは異質な印象を受け ざるを得ない。 す でに述べた よ 引こ, こ のプ ロ ローグは こ の音楽劇の最初の構想にはなか った ものであ る。 こ のオ ラ ト リオは1935年に完成 し たが, 翌年に予定 さ れた パ リにおけ る初演は実現せ ず, 3年後にバーゼルで初演さ れた後, ルーア ンを初め とす る各地を巡演し た。 時はまさ 二 〇 七
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宗教的象徴表現 と し ての詩 と音楽 に・第 2 次世界大戦勃発前夜であ り, ドイ ツの近隣諸国はヒ ト ラ ーの影に覆われつつあ った。 こ の民族主義的な プ ロ ロー グはそ う し た世相の反映 と考え て良いで あろ う。 従 っ て, こ のオ ラ ト リオ本来の性格か ら考えれば, 必要のない ものも の と考え るべき だ ろ う。 音楽の面で は, オラ ト リオ本体のモチ ーフが盛 り込 まれて い るため, 台本におけ るほど の異質 さ は感 じ られない。 た だ最初の a [ 暗黒のモチ ーフ] がパ ッサ カ リア と し て執拗に 繰 り返さ れるための表現主義的濃厚さ は他の部分 と異な る点であ り, また b [ ジ ャン ヌの 召命 モチ ーフ] が こ こ で現われて い るため, 本来最初に打ち 出さ れるべき 第 7 曲での効果 が失われ るな ど, 少な く と も音楽的に もい く つかの疑問を感 じ さ せ る。 諸例 l a [ 暗黒のパ ッサカ リア ・ モチ ーフ] b [ ジ ャy ヌの召命のモチ ーフ] 二 〇 六 「1. 天の声」 幕開き の 「情景」 であ り, つ ぎ の 「2. 一冊の書」 と と い こ実質的な プ ロ ローグを構成 す る。 言葉は発せられず, 音楽だけが表現を進める。 ただ し , ク ローデルは作曲家の イマ ジネ ーシ ョ ンに制約を与え るほどに音楽の性格を詳細に規定し てお り, ク ローデルの台本 が音楽 の在 り方を実際に想定し て書かれた ものであ る こ と を 如実に示す部分で ある。 この 事情を, い さ さ か長 く な るが, オネ ゲルの言葉を 引用し ながら確認し てみたい。 「多 く の文学者だち とは反対に, ポール ・ ク p- デルは, 音楽にたい し て大き な関心を 示し てい ます。 彼の意見は, おそ ら く 音楽家たち を少々当惑さ せ るか も し れない。 …… 劇におい て も, かれはテ クス トの上演に。対し , 音楽が何の役にた ち, どの く らい力に。な るか よ く 心得てい る。 彼が関心を盛 っているのは本来の意味でのオペ ラ, ないし は抒情 劇 ではないー と言 うのは, 彼は, 舞台の上では万事が, 歌われるべき でない ものまでb [ 森の夜の声たち] 6(, cca cAi usa l? So1・ 6 ゛VV り g Q 1 1 ● μg 仙 a l りりi V 乙 べ l l 亀丿 肖
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p i・ X? へ !!二こ 1゛ 1●J 一 一 / 譜例 2 a [ あざけ り, 符い声] が, 歌われるべきだ と考え られて きた あの因習のおかげで, (詩 と音楽が) し ゃ に むに 同じ小部屋に押し 込め られているあ りさ まを嘆いているのです。 彼は劇が舞台芸術のす べてを総合し , し か も各要素がそれぞれの本来の位置を 占め るべきだ と望んでい る。 彼は私に・情景の一つ一つを指示 し た のですが, それはほと ん ど音楽の構成を一行一行 示し て く れた とい って もいい く ら いで し た。 彼は私を雰囲気に浸らせ, その密度や, 彼 の望む旋律の輪郭を感じ さ せた。 しか もそれを私の言葉で表現 さ せる よ う気を使 って く れた。 ( 彼は) 「火刑台上のジ ャ ン ヌ ・ タ ル ク」 の第一場にたい し てつ ぎのよ うに暗示し て い る 。 く 第一場 一 天井の声, 夜の闇の中で, 犬のほえ る声が闇 こ え る。 一度, 二度。 二 度めに管弦楽が一種のすす り泣きか不吉な笑い声 と な ってそ の声に まじ る。 三度 目に, 合唱。 それか ら沈黙。 それか ら 『森の夜の声たちJ, これに, 多分非常に弱 く , ト リ マ ソの歌 とナ イチ ン グールの透明な感じ が まざる。 それか ら, また新たにハ ミ ン グの合唱。 ク レ ヅシ ェ ソ ド, デ ィ ミ ニ ュエ ソ ド, それか ら はっ き りし た 声 で, 『ジ ャ ン ヌ ! ジ ャ ン ヌ ! ジ ャ ン ヌ ! 』 … … … 音楽的雰囲気はす っか り作 り出さ れ, ス コ ア もき まっ てい るので, 作曲家は, その音 楽的素材を現実の音 と化す よ 引こ自分を導い てい き さ えすれば よい」11. オネゲルはこれら の音楽的提示を次のよ う なモチーフや旋律に よ って実現し た。 A S 二 〇 五
f [ ハ ミ ン グの合唱] 心 6 暴 り & & 為 』 心 〃l ご ● U ミ 饗 「・ ・ -亀J 6 ? 〃 l l 心 ● I I xm - ● ● l I J J 丿 ゛
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6 ? , ノ 7 ¦ 八 J ● l fl k二 J ● ● - ・ I X y 1 皿 ●I Aァ7 F
ごぺ --● X 皿 ・ ● ● ● 1 W T ・二 - ● -l l A 宗教的象徴表現 と し て の詩 と音楽 C [ 夜のテーマ] d [ ト リマ ソ] JEANNE C加 アZXざ B ただ, これ ら の音楽的実現が, ク ローデルの指示を単純に音に置き換えた結果ではない こ と も明らかで, オネゲル自身の創意は, 例えば, b [森の夜の声た ち] の旋律構成に。つ ぎの よ う に良 く 見る こ とがで き る。 こ の [ 森の夜の声たち] の旋律は C [夜のテ ーマ] の前半部分の圧縮か ら で きているが, このモチーフは第 9 , 10曲において歌われる春の歌の旋律 d [ ト リマ ソ] を大幅に圧縮す る形に。よ っ て で きてい る。 そ のため こ の第 1曲に。おい ては, 指定さ れた [ ト リマ ソ] の旋 律そ のものは現れない。 またナ イチ ン グールも C [夜のテーマ] の後半部分に。かな りデフ ォデ メ・さ れて 登場す るに過 ぎない。 二 〇 四 S A T「2. 一冊の書」 狂言回し と し て の ド ミ ニ ク師の呼び掛けに よ って ドラ マが動 き 出す。 こ の ド ミ ニ ク師 と は, い う まで もな く , 13世紀の初めに フ ラ ン スのプ リ ュ イに清貧, 無所有の托鉢修道会で ある ド ミ ニコ会を拓いた聖者である。 こ の劇詩にあける ド ミ ニ ク師の役割を, 受難劇にお ける エ ヴァ ソ ゲ リス トに比較す る見方 も あるが12, エ ヴ ァ ン グ リス トが文字 どお りの語 り 手で あ るのに対し て, ド ミ ニ ク師が こ の ドラ マにおいて果たす役割は巡かに重要で ある。 最後の火刑 と昇天の場において 「聖処女 (聖母マ リ ア) 」 がジ ャン ヌを天に導 く ま で, ド ミ ニ クはジ ャソ ヌの精神の導き手であ り, ジ ャ ン タ を ( 死を前に し た) 絶望 と ( 祖国の救 済の旗手である とい う) 傲慢から遠 ざけ る役割を果たす。 こ の ド ミ ニクはジ ャ ン ヌのカ ト リ ッ ク的= 神学的保護者であ り, そ の存在のために。ジ ャ ン ヌはまさ に神秘性を排除し た少 女の リ ア リテ ィ のま 劃 こ描写 さ れ得 るのであ る。 ジ ャ ン ヌ はこ の場 では 自身がなぜ処刑 さ れなければな ら ないのかを知 ら ない。 ド ミ ニク はその図像に。よって携えてい る 「一冊の書」 を 「ジ ャン プの書」 と し て読み進めながらそ の事情を語 ってい く が, それに先立 って, 「父 と子 と精霊の名に よる」 祈 りが捧げ られる。 この場面に このオ ラ ト リオのイ メ ージの中核 と な る 「ふたつの縛 り合わ さ れた手が十字を 切っ てい る姿j が示 さ れ る。 こ の部分の ド ミ ニ ク と ジ ャ ン ヌの対話は, すべて地の台詞に。よ っ て進め られ る。 こ う し た音楽劇では一般に レシ タ テ ィ ーヴ ォに よっ て歌われるべき箇所であるが, それが用いら れなか った理由は, オネゲルの次の よ う な言葉の う ちに読み取れる。 こ のこ と は, ク ローデルの指示に・対す るオ ネ ゲルの対処の仕方を 端的に示 し てい る。 台 本上の指示がそのまま音画的に。なぞ られ るのではな く , 展開可能なモチ ーフ と し て の表現 を与え られ る こ とに よ っ て, ド ラマ の展開が言葉だ けで な く , 音楽に。よ っ て も リア ルに伝 え ら れる可能性を 帯び る こ と に な る。 そ し て こ の例で語れば, 全体の音楽的背景を 作る [ 夜のテ ーマ] が, ジ ャ ン ヌが子供の 頃に歌 った 「春の歌」 から取られて いる こ とに よっ て, この ドラマ の究極的発端がジ ャン ヌを 巡 る史実の数 々にあ るのではな く , 幼い 日に故郷で 聞いた天か らの 「声」 に あ る こ と を, 象徴的に示し 得てい るのである。 わた し はただ フ ラソ 7、(7) 歌を そ の本然の姿に帰 し た い と 思 った だけ なのです。 私は本 当の意味でのレシ (語 り) を書いた こ とがない, ただ はや く 歌われる メ ロデ ィ ーを, こ とに あん ま り速いので メ ロデ ィ ーではない と思 う 人が多い く らい のも のを 書いた のです。 一般に, 皆遅い メ ロテ ィ ーを尊重し ます。 美し い旋律 とはア ダージ ョ の速さ と言 う こ と 二 〇 三
S A T 宗教的象徴表現と し ての詩 と音楽 に。な る。 これは馬鹿げてい る。 ただ習慣に よ って尊重さ れてい る愚劣事だ13. つ ま り, フ ラ ン ス語は, 美 し く 語 られ るな ら それ 自体が メ ロテ ィ ーな ので あ り, 語 られ る言葉 と歌われる言葉 とのあいだに。中間的な存在 ( レシ タ テ ィ ーヴォ) を挟 まないほ うが, それぞれの表現力を確実な ものにす る とい う主張であろ う。 こ の発想は 「一冊の書」 の冒 頭 で早 く も示 さ れ, 「天の声」 の末尾での天か らの呼び 掛 け ( 和声づけ られた旋律) が ド ミ ニ クの語 りに転換す る こ と で, 「天」 から 「地」 への場面の転換を あ ざやかに提示 し て い る 。 譜例 3 「ジ ャーソ ヌ……ジ ャ ン ヌ。 ジ ャ ン ヌ」 6 が _ 6 -W W W J W W Jeannel Jeanne ! Jeaxm e! Jりαyl y Xijαn / ,yb4 yl / JeaJlne! Je2 nne! Jea nne! 亀X Jean. ne JOan_ Jean. ue へ 狸 ゐOCCa CM USα - I ーj l lW Jean. ne JOan _ Jeaa . 11e a 即 W Jean . ne Joan _ Jean. ne ・砂 ・φ g l J XV S ・J Je;;;ごne Joan_ Jean. ne 即 Jean . ne Joan _ Jeaa . ne Jean o ne J oan_ Jean. ne ろOCCa CM USa ら g X - B l ニ ミ また対話がすべて地の台詞に よって進められる こ とに よ り, 最後の ド ミ ニクの祈 りから 天の声 まで の音楽化 ( とはい っ て も こ こ では台詞に。リズムが与え られ, また和声づけ られ てい るだけ で, 音の抑揚は一切ない) が際だ った 印象を与え る こ と と な り, これを 背景に 演 じ られ る ジ ャ ン ヌの 「ふたつ の縛 り合わさ れた 手に よ る祈 り」 に音楽的スポ ッ ト ラ イ ト が当て られ る効果を作 り出し ている。 そ し て これは, 音楽はその最 も控え 目な使用にあい てその最大の効果を発揮す る こ との見事な例で もある。 二 〇 二 「3. 地の声」 これは次のジ ャ ソ ス異端裁判の場への橋渡 し の部分である。 合唱の象徴す る大衆がジ ャ ン ヌを 「魔女, 異端者, 背教者」 と非難の声を上げ, そ の声に押し 出さ れ る よ 引こ異端裁 Jean。11e
B DiV 判の情景へ と移 っ て い く 。 もし こ のオラ ト リオを バ ッ ハの受難曲 と音楽的に比較す る とすれば, 最大 の類似点は合 唱の扱いである。 合唱はジ ャ ン ヌを 罵倒す る大衆の声 と ジ ャ ン ヌを称え励 ます 天の声の双 方を直接的な リアルさ において表現 し, シ ャ ン 対 こたいす る天 と地 と の評価 の振幅の大き さを適確に示す。 し かし バ ッ ハの場合と は違っ て, 合唱の役割 も常に ドラ マ の流れの中で 規定 さ れ, ドラマに対す る感情移入を, まるで聴衆を代表するかのよ うに, 外側か ら叙述 した りはし ない。 それが このオラ ト リオの劇的な性格を強調し , オペ ラ化への視点さ え生 まれた理由であろ う ( たた, フ ィ ナーレの賛美の合唱は唯一の例外であ る) 。 また こ こ ではジ ャ ン タ を罵倒す る大衆の声がっ ねに。テ ノ ール独唱の煽動に。よ っ て上げら れる こ とに注 目し なければな らない。 こ のテ ノ ール独唱の 「声」 は次の裁判の場では, 裁 判長の 「豚」 と し て登場す る。 こ の 「豚」, つ ま り ポーヴェ ー司教 ピ エール ・ コ ーシ ョ ン は, ブルゴーニ ュ公から ジ ャ ン プを 引き取って以来, ジ ャ ン プ異端者説を積極的に流した 張本人 と見なさ れていた。 従 って, 異端裁判の前提 と な る この場で 「 コ ーシ ョ ンの声」 を 世論煽動者 と し て登場さ せた こ とは, ジ ャ ン ヌの史実に精通し てい る聴衆にはただ ちに理 解さ れ得る技法であ る。 こ こ に も ドラマ の抽象的な展開に史実の暗喩をひそ ませる ク ロー デル/ オネゲルの見事な才気が感じ られる といえ よ う14。 モチ ーフ操作の面では, 合唱がジ ャン ヌを糾弾す る叫びが a [ 弾劾のモチ ーフ] と し て 全曲に渡 って使われ る こ と, また裁判官の登場 での [ 獣の登場のモチ ーフ] が [夜のモチ 譜例 4 a [ 弾劾のモチ ーフ] b [ 獣の登場のモ チ ー フ] 二 〇 一
「4. 野獣の手に委ねられたジ ャン ヌ 」 ク p- デルの戯化の力はこ こ で最大に発揮さ れる。 ジ ャ ン ヌの裁き 手たち はすべて人 と し て ではな く , 獣 とし て描かれる。 それ も最初に指名された 「虎」 「狐」 「蛇」 は任命を拒 否し , 進んで裁判長, 陪審員, 書記の職に着 く のは 「豚」 「羊」 「 ロバ」 である。 シ ャ ン 7 が人知 と徳に。よっ て裁かれた ので もな く , また獣におけ る勇気 と 知恵の象徴に よっ て裁か れた ので も な く , も っ と も愚かで無定見な存在の象徴に よ っ て裁かれ, そ し て こ の愚かで 無定見な存在がこの世に。おいては聖職者 と し て の宗教的権威を振 るっ てい る こ との実態を, このカ リ カ チ ュアは少し の暗喩を挟む こ と な く 打ち 出す。 こ のカ リ カ チ ュアに。よ って , ジ ャ ン ヌの異端裁判は, 世俗の最 も理性 と知性か ら遠い存 在に よ っ て進め られ, はじ めか ら愚かに仕組 まれた 手続き に よ っ て死が宜告さ れた こ とが リア ルに え ぐ り 出さ れ る。 も し 神につ ら なる究極的な存在が人間の有限 さ に関わる表象に。よっ ては直接打ち 出せな い とすれば, その事情は逆の最も悪魔的な ものに関わる存在の表象において も 同じ であろ う。 聖職者の愚行が, ひ と の愚か さ と し て ではな く , 野獣のなかの最 も愚かな も ののに よ る カ リチ ュアに よって引き 出さ れ る理 由である。 音楽 も また こ のカ リ カ チ ュ アの精神を徹底し てすすめ, 陪審の発言を羊の泣き声の直接 的な描写に置き換え る な ど, ク ローデルの精神に完全に寄 り添 った解釈を 示し てい る。 し かし , 死刑が宣告さ れる最後の場面において, 音楽はこのカ リ カチ ュアの精神を放棄 し , これ ら獣の意匠を被せられた聖職者の内面の, 地獄の暗黒を呵責な く え ぐ り出す。 宗教的象徴表現 と し ての詩 と音楽 - フ] の前半部分から発想されてい る こ とに も注意を 払わなければな らない。 こ のモチー フは次の場面への橋渡 し を勤め る。 「5. 火刑台のジ ャン ヌ」 これは次のジ ャン ヌ捕縛の場への橋渡し の情景である。 前の場面から継 く 凄 まじ い地獄 の叫びが一段落す る と, 前半はバス独唱の語る 「地 の声」 と合唱の語る大衆の声が密やか に。ジ ャ ン プへの告発を響かせるなか, ジ ャ ン プ と ド ミ ニ クの台詞に よる対話 と な り, こ こ で ド ミ ニ クはジ ャン ヌの裁判を 司った教会 と神学の権威が悪魔に魅入られた技 で し かない こ と を強調し , ジ ャ ン タが捕縛さ れた事情を語 り出そ う とす る。 「6. 王た ち , またはカ ルタ 遊び の工夫」 ク p- デルはジ ャ ン タ の捕縛 と売 り渡し の事情を , カ ルタ遊びの結末になぞら え, ふた たび カ リ カチ ュアの精神を も っ て描き 出す。 ただ, 今回の対象は, 裁判の場 とは違 って聖 二 〇 〇
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. . ● ● ● ゛ レ i k i 職者ではな く 世俗の王侯貴族であるため, 裁判の場における よ う な徹底し た象徴的展開は 必要 と されず, 登場人物はすべて実名であげられる。 また, ジ ャ ン ヌ捕縛の実行者 と, 彼 等を影で操 った権力者 も 明確に描き分け られる。 こ の権力者 と は, イ ギ リス王, フ ラ ンス 王, ブルゴーニ ュ公 であ り, 彼等を 統括する 4 番 目の王が 「死」 である。 また これ らの王 にはそれぞれ, 「愚か」 「奢 り」 「貪 り」 と名付け られた后が従い, 彼女 らを 「死」 の后で ある 「快楽」 が統括す る。 ゲームのルールでは, こ れ ら の后は状況次第で どの王 と も結び 付 く こ とがで き る。 歴史認識 と象徴的表現を見事に一体化させた この設定は, ジ ャ ソ フが戦った 「イギ リス, フ ラ ンス対峙の状況」 の実態を一 目でふかんさ せる機能を果た し , また ゲームの背景 とな る音楽のサ ロン風の足取 り も, ジ ャ ン ヌ の捕縛 と売 り渡 し が支配者達の権力バ ラ ン ス の上 でい と も気薬に発想さ れた ものであ う る こ とを示し てい る。 また, 王た ち の呼び出し を彩 る甘 く , 不気味な音楽 も彼等の世界の面妖さ を 示すが, これな ど詩 のカ リ カチ ュ アに対す る音楽に よる リ ア リテ ィ の付与 とい った協同の, 見事な実現の例 といえ るだ ろ う。 音楽表現ではまた, カ ー ドを 切る ジ ャ ッ ク達を指弾す る ジ ャ ソ ヌ の台詞を 伴奏す る [ 戦 いのモチ ー フ] に注 目す る必要があ る。 ク ローデルはそ の台本のなか に ジ ャ ン ヌ の戦いの 描写をついに持ち込 まなか ったが, オネ ガルは, めだだ ない よ うにではあるが, ジ ャン タ の勇姿を こ こに忍ばせた とい う こ とがで き るだ ろ う。 詩は語 り音楽はモれを 装飾す る とい った詩 と音楽 と の結び付き の逆転が, こ の第 6 曲ではみご と な効果を上げて い る。 譜例5 [ 戦いのモチーフ] 一 九 九 「7. カ ト リ ーヌ と マ ルグ リ ッ ト」 カルタ遊びの終 りに 「焼 き殺せ」 とい う台詞が まるで祈 りの言葉のよ うに歌われ, 舞台 が再び闇に閉ざ さ れ る と, どこ から と も な く 鐘の音が響い て く る。 ド ミ ニ ク は こ れを 弔い の鐘だ と説明す るが, ジ ャ ン ヌ は幼い 日の教会の鐘を 思い起 こ し , 「 イエ ス, マ リア」 と い う祈 りの言葉が心に浮かび, やがて聖 カ ト リーヌ と マルグ リ ッ トがジ ャン ヌに呼び掛け た 「ジ ャ ン ヌ, 神の娘 よ, 行け」 と い う命令を 思い起 こす。 こ の第 7 曲でのオネ ゲルのモチーフ操作の冴えには, まさ に感嘆せざ るを得ない。 まず
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e [ ジ ャ ン ヌへ の召命 のテ ーマ] Jean . ne Jきa n . ne Jean M a. rie! C 乱 heo rinp! Mi、rgueritel d [ ジ ャ ン ヌの呼び掛け] Jt; . SUS! 「8. 王, ラ ンス ヘ向か う」 このオラ ト リオ中, ジ ャ ン ヌの楽光を 扱った唯一の楽章であるが, そ の扱われかたはや は り歴史的な状況に密着 し た も のではない。 つ ま り シ ャルル王の ラ ソ スでの戴冠を描いた ものではな く , 王のラ ソ スヘ の道行きを 見守る民衆のざわめきを ク ローズア ッ プした, い わばプ ロセ ッ シ ョ ンの場面であ り音楽である。 こ のプ ロセ ッ シ ョ ソにおいて まず注 目し な ければな らないのは, ク ローデルに よる民衆エ ネルギーの描写である。 ク ローデルは, フ ラ ソ シ ・ ジ ャ ムのよ う な 田園詩人ではも ち ろ んなかっ た が, 「その使 用する言葉には, 太陽の光や麦の穂や葡萄畑のイ メ ージが象徴 と し て ではな く 直接的に用 いられ, 干し 草や風の香 りが濃厚に漂 っ てい る」 といわれる16. こ の場面ではも ち ろ んそ う し た 田園詩 の登場す る余地はないが, 自然描写を 交えた民謡 風の賛歌を登場 さ せた り, また民衆のバカ騒 ぎを登場さ せて, 地方色豊かなエ ネルギ ッシ ュな祝祭風景を描 き 出し てい る。 この躍動的な光景に刺激さ れて, ジ ャ ン スは王を ラ ン スヘ導 く 自負を高らかに歌 うが, それ と と もにジ ャ ン タへの弾劾の叫び も強ま り, ついに ド ミ ニ クに よる ジ ャ ン タへの諌め が語 ら れ る。 オネゲルの音楽は, ク ローデルの詩のエネルギー感を 生かし なが ら, そ こに可能なかぎ りの宗教的威厳 と高揚感を盛 り込 も う とする。 最初の a 「ク ローバーのし とねに寝た ら」 にはまだ民謡調の素朴な手触 りが感 じ られるが, 次の b 「石臼と っつあん, し っか り粉引 け」 の合唱は堂 々た る プ ロセ ッ シ ョ ソの音楽に仕上がっ てあ り, 全曲中最 も晴れやかな感 動を呼び起 こす。 これに続 く c 「 ク リス マス の聖歌」 は, 対照的に グ レ ゴ リア ソ風の清謐 さ を たた えた美し い も ので, 形式 も応答 をふ まえた セ クェ ン ツ ィ ア, 児童合唱が メ リスマ を まじ えた装飾的表情を ふ り ま く。 やがて ジ ャン ヌの高ぶ りを伝えるかのよ 引こ行進曲風のテ ンポに入 り, ク ローデルの指 一 九 七 ne F11. 1e de D ieu χuI va! . va !_
C [ ク リス マスの聖歌] lon A S . pi IS , k I W 亀J H eUr . te . ∂j・j 71 . dQ 11n . de 1 ● ● ・ ● b1 . S e r? 猛s . ty ! VVin . del W T r ou - ve que f 171dj M αj lA∂ D Ur Stig ・ 1 l l la fa . sdci s ヅ macht das I - ● l l ●J レ ゛ W ・ ¦ 宗教的象徴表現 と し ての詩 と音楽 示に し た が っ て, ジ ャ ン ヌの 自負 と弾劾の語 りが劇的にぶつけ られ る。 譜例 7 a [ ク ローバーのし とねに寝た ら] fS l l l l ● I 冒 〃● I I ● I I I I I I -X I l i l l tJ ・φ ゛ V ou . l ez - vcusman W iy14Zj yot4 Xa c l (7 VViUst zur M ahl. zeit
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b [ 信仰の勝利のテ ーマ] こ こ で ク ローデルの詩の美し さ はそ の田園的な美し さ を遺憾な く 発揮し , 美し い春の情 景, 鳥たち, 花 々な どを ち りばめた豊富な情景描写が披露さ れ, ジ ャ ン ヌの愛の強さ を美 し く 装飾す る。 オネ ゲルの音楽 も こ こ でモ の叙情的な表現力の頂点に達す る。 まず最初のジ ャ ン ヌ と ド ミ ニクの対話の背景で, [ 鐘のモチーフ] が [呼び掛けのモチ ーフ] へ と繋が り, [夜のテ ーマ] も静かに反復さ れて, 比類無い音楽的情景を描き 出す。 そ し て幻想の中に響 く [ ジ ャン タ の召命のテ ーマ] はジ ャ ン タ の陶酔し た表情を 引き出し , これは音楽的な高揚感 と し て, 性的な恍惚感の直前に。まで 引き 出さ れ る。 そし て こ の恍惚感の直後に歌われる児童合唱の 「 ト リマ ソ」 の清澄さ と の対比の見事さ は, 宗教感情を 作 り出すふたっ の極の, 音楽的提示 と もいえ る も ので あ る。 そ し て b [信 仰の勝利のテ ーマ] が歌われ, [ 呼び掛け のモチ ーフ] と [ ジ ャ ン ヌ の召命 の テ ーマ] が 交錯す るなか, c 「ジ ャ ン タ の祈 りの言葉」, 「今私は神を感 じ ます」 とい う語 りかけは, 歌い出す寸前に まで, 音楽的に規定さ れた表現力を示す こ と に な る。 [ 弾劾のテ ーマ] も これまで と 同じ 様に時折姿を 現わすが, す でに激し く攻め上げるだけ の力を失っ てい る。 譜例 8 a 「 ト リマ ソ 」 Quand vous cou .
chez vot゛_ bel eno fantQuandvous cou
一 九 五 「10. ト リマソ ( 五月の歌) 」 ド ミ ニ クのし めす 「ジ ャ ン ヌの書」 に導かれなが ら記憶を 幼い 日に まで遡 らせてきた ジ ャ ン ヌ の意識は, こ こ で現実の火刑台へ と戻 っ て行 く 。 遠い 日に まわ り の子供た ちに。い っ ll y a la foi C 「ジ ャ ン ヌの祈 りの言葉」
b [ 炎のモチー フ] P o co n l e n o n l o s s o 「11. 炎のな かのジ ャン ヌ ・ タ ルク」 フ ィ ナ ーレの, 殉教の場である。 [ 信仰の勝利] の確信に達し た シ ャ ン 7 へ向かっ て 聖 母マ リアが直接呼び掛け, し たがっ てそ の役割を終えた ド ミ ニ クはすでに姿を 消し ている。 ジ ャ ン ヌはなお死に怯え, またひ と り世俗の教会を代表する聴聞僧だけがジ ャ ン ヌを攻め 立て るが, 人 々の賛美の声に支え ら れて ジ ャ ン ヌはそれを乗 り越え, 清めの火に焼かれた シ ャ ン 7 は, 鎖を断ち切 って, マ リアに。導かれなが ら昇天し , 賛美の声が天に。こだ ます る。 こ こ で合唱ははじ めて ドラマ の進行の外にてて, ジ ャン タ の大いな る愛を 聞き手に向かっ て語 り掛け る。 これに。よって, ク ローデルはジ ャ ン ヌに対す る 「福音書記」 の役割に転じ , こ のオ ラ ト リオはキ リス トの受難の物語 と同じ よ う な, 全人類へ向けての語 りかけの うち に閉じ られ る こ とにな る。 音楽的に。は こ こ で も諸種のモチ ー フが使われるが, a [ 聖母マ リアのよびかけ] は [ ジ 譜例 9 a [ 聖母マ リサのよびかけ] 宗教的象徴表現 と し ての詩と音楽 し 八こ歌 った 「五 月の歌」 の余韻に さ そわれて, ジ ャン ヌは初めて歌 う。 こ の歌の 2 節 目 に。おいて ( 「すて きな蝋燭を 買って き て, マ リアの御前に火を と もす」 ) , ジ ャ ン ヌの思い はその信仰の核心である聖母マ リアへの愛へ と回帰し, 彼女の殉教の栄光を支える精神的 背景が整 う こ とになる。 それ まで音楽的に規定 された語 りを続けて きた ジ ャン ヌは, こ こ でそ の 「語 る こ と」 と 「歌 う こ と」 と の相剋の緊張から解放 さ れて, 子供の自然さ で, 死を前に し た思いを伝え る 。 一 九 四 ¦- ・● - -- -r X y
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I V ヤン ヌの召命のテ ーマ] を拡大し た もの。 やがて b [ 炎のモチ ーフ] が現れ, 徐 列 こ勢い を まし て炎の燃え上が りを表現す る。 そ し て [信仰の勝利のテ ーマ] に よる合唱がシ ャン 7 を称えて壮大に展開する。 しかし全てが語 り尽 く さ れた後, ジ ャン タの消えた殉教の場 を彷徨 う よ うに, [ 夜のテ ーマ] の前半部分がゆっ く り と現れ, し たがっ てそれは早 口で 歌われた 「 ト リマ ソ」 のよ うに も響き, その余韻のなかに曲を閉じ る。 ク ローデルが最後 に 「聖ジ ャ ン タ」 の宗教的威厳に到達し だ のにたいし , オネ ゲルはあ く まで もひ と りの少 女 と し てのジ ャ ン ヌ の追想に徹 し た ご と く である。 一 九 三 このオラ ト リオ全体をふかんし て強 く 印象づけ られ るのは, 内容 と形式の両面での, 表 現意図の明瞭さ である。 こ のオ ラ ト リオを支配し てい るのは宗教的気分 とか神秘的雰囲気 ではな く, 表現すべき ものを直截に打ち 出そ う とする 「意思」 であ り, そのためには余分 な挟雑物を 一切排除 し よ う と い う姿勢であ る。 ドラマの面ではまづ強 く 印象づけ られる のは, 教会の権威に対する ク ローデルの異常な までの嫌悪感の表明である。 教会は終始, シ ャ ン 刈こ対する敵対者 と し て, 徹底し て世俗 的権力の行使者 と し て描かれ る。 フ ィ ナ ー レの殉教の場においてす ら, ただ僧侶だ けがジ ャン プへの棄教を促す存在 と し て, 聖母マ リアに。対す る唯一の敵対者 と し て, 栄光の賛美 から除外さ れる。 ク ローデルのジ ャ ソ スの物語に対す る手法は, すでに述べた描写対象から の救国英雄物 語の排除 と ドラ マ進行の時間的逆進を 除けば, 個 々の場面の展開手法は基本的にオ ーソ ド ッ クス な会話を 中心 と し た も ので, それ もい さ さ かパ タ ーン化 さ れた も のである。 このパ タ ーン, つ ま り殉教を策謀し た ものとそ の犠牲にな った もの との二元的相剋の構図は, オ ラ ト リオの流れ全体において常に明瞭であ り, こ の図式の上に。 「教会」 と 「ジ ャ ン ヌ」 の 位置は固定 され る。 こ の両者の間にはいかな る仲介者 も準備 さ れてい ない。 ク ローデルは, こ の ドラマにあけ る唯一の 「直接的な象徴」 を , それを必要 とす る唯一 の対象, 教会の徹底し た反キ リス ト性の表明のために集中さ せる。 前章でのべた 「獣」 に よる宗教裁判の場面設定がそれで あ る が, こ の徹底性は, 「聖母マ リア」 に よる天上の無 垢のシ ソボルに地上の教会の世俗性を 対立 さ せ るための, 必須の手段 であ っ た。 世俗性を 根底か らえ ぐりだすためには, 人間 とい う中間的存在は徹底し た象徴体 とはな り得なかっ た 。 カ ソ リ ッ ク と し て の ク ローデルは, こ の 「獣のシン ボル」 に よ っ て地上の教会の権威を 葬 り去 った変わ りに, 人間の宗教的尊厳を救お う と し たのであろ うか。 つ ま り, 裁判長 コ
ド ミ ニ ク 「あ まえは誰にはな し かけて いる のか」 ジ ャ ン ヌ 「あれが聞 こ え ない のですか, 『神の娘, ジ ャ ン ヌ よ, 行け』 と い う 声が」 宗教的象徴表現 と し ての詩 と音楽 - シ ョ ン司教は, 人ではな く , 豚であ った と。 こ の 「直接的な象徴」 に よ っ て, 当然のこ と ながら, ドラ マから歴史的な リア リテ ィ は失われ, 構図は限 り な く 明瞭化 され る と 同 時に, 表現の微妙な陰影は殺 ぎ と られ る結果 と な る。 こ う し た危険な 手段を あえて と らせ るほ どに, 教会に。対する ク ローデルの怒 りは大き く , また人 と信仰に対す る哀惜の念は深 か っ た と い う こ と であろ うか。 ド ミ ニ クの登場は, ジ ャソ スの精神的な導き手である と同時に。, おそ ら く 地上の教会の 天へ の と りな し の象徴で もあ る。 し か し , フ ラ ンスに伝導の礎え を築いた こ の清貧の聖者 も結局は異端か ら の ローマ ・ カ ソ リ ッ ク体制の擁護者であ った ご と く , つねに地上 の教会 にお け る 「善 き も の」 と し て の制約の中で処理 さ れ る。 一例 と し て, ド ミ ニ クの耳には, ジ ャ ン ヌ弾劾の叫びは聞え るが, 天か ら の呼び掛けは聞え ない17。 一 九 二 ド ミ ニ クの描写は 「豚 = コ ーシ ョ ン」 のそれに比べて, そ の象徴を 介 し た透徹性の分だ け, 存在感を 欠 く ばか り でな く , 場を 追っ て精彩を失 って行き, 殉教の場ではそ こ に参加 す る こ と さ え許 されない。 こ のあ た り, 「人」 の有限性に対する ク ローデルの判断は明快 であ る。 そ し て, こ の 「人の有限性」 の描写は, 教会を巡る人間にだ け適応 さ れるのでは な く , す でに。述べた よ 引こジ ャ ソ スモ のも のの扱いに も同じ よ 引こ染み込んでいる。 そ し て, こ の地上の教会を 表象する, 究極的な シ ンボル体は, シ ャ ン 7 の手に巻き付い た鎖 であ る。 「鎖に・結ばれた 合わ さ れた両手が切 る十字架」 が こ の ド ラ マ の根源的 イ メ ー ジで あ る と ク ローデルは述べてい るが, こ のイ メ ージ のシ ンボ ラ イ ズす る も のは, 結局, 教会 と信仰の相剋以外のものでは有 り得ない。 フ ィ ナーレにあいて, 聴聞僧は信仰の放棄 を書 き記すた めに。鎖を解 こ う と誘 うが, ジ ャン ヌは 「鉄の鎖」 よ り強い 「愛 の鎖」 に。支え られてい る こ と を宜明す る。 こ の瞬間に教会 と信仰の相剋の ドラマは終結し , 教会的な も のは, ド ミ ニ クを含めて, 全て姿を消し , 鎖は引き ち ぎられ, 殉教のシ ャン 刈i 昇天す る。 第 2 曲の, 全体のプ i=・ i=・- グの場面で 「の鎖に結ばれた合わさ れた両手」 の祈 りは完結す る 。 ある意味では, ジ ャ ン タ の歴史性の描写を全て犠牲に。し て, こ の 「信仰の勝利」 を 明確 に・提示す るた めに, こ のオ ラ ト リオの全体は仕組 まれてい るのであ り, そ う 解釈 し た と き に, 詩人の カ ト リ ック と し て の地位は作品を通 し て あ らわに。さ れ るので ある。 『「芸術」 作 品が 「精霊」 の成す こ と と競争し て も勝ち味はないし , 私に。し て も, 輝かし い殉教を前に, 不成功の名誓を あいた く はなか った』 と し て, 当初劇化を ため ら っ ていた ク ローデルであ
る こ と を考えれば, こ の帰結はあ る意味で当然で も あ っ た。 ク ローデルが ドラ マの次元で実現し た表現の明晰さ は, オ ネゲルの音楽において も, 正 確に確保 さ れて いる といえ る。 表現の明晰さ を得るためにオネゲルが試みた こ と は, まず第一に言葉表現 と音楽表現の 区分であ る。 よ り正確にい えば, 言葉表現そ のも の, 音楽づ け られた 言葉表現, そ し て音 楽表現そのものの区分であ り, さ らに音楽づけられた言葉表現におけ る, 音楽的に語られ る言葉 と歌われる言葉の区別である。 言葉表現そのものは地の台詞, 音楽表現そ のものは オーケス ト ラ と言葉のない合唱が分担 し , そ の間に。リズム的に規定さ れた 台詞 ( 合唱のも のを含む) と旋律化さ れた 台詞が位置す る, とい う区分であ る。 この区分は, なに よ り も音楽表現が言葉の伝達機能を曖昧に。し てはな ら ない, とい う主 張に基づいてい る18. そのため, シ ャ ン 7 と ド ミ ニ クの対話を中心 とす る言葉の情景説明 的な機能が優先す る箇所では地の台詞が優先し, 叫びや訴え とい った響き の性格を伴 った 言葉の提示では リズム的に規定 さ れた台詞が, 気分や情緒の表現を も った言葉では旋律化 された 台詞が使われる。 こ う し た言葉の音楽化の階層化に よ っ て, こ のオ ラ ト リオ では音楽に よ っ て生 じ る言葉 の意味の伝達の疎外が最小限に く い とめ られてい るだけ ではな く , 言葉表現のゴッ ドラス トの豊かさがかえ って音楽的陰影を強める結果 と も な っ てい る。 と く に感情の高揚に よっ れる 「語る こ と」 から 「歌 う こ と」 への転換は, 「歌 う こ と」 の根源的意味を改めて 導 か て感じ さ せる。 また 「語る こ と」 への注視は, 旋律に置ける ア クセン トの重要視につなが り, 短い モチ ーフ の表現力の強化 ( 「ジ ャ ン ヌ の召命のテ ーマ」 にみ られる よ り に) や, 旋律線の明瞭化にっ ながる。 この旋律線の明瞭化の問題は, 音楽表現そ のも のの形成の問題 とむすびつ く 。 こ の点で 最 も顕著なのは, ラ イ トモ チ ーフ の多用であ る。 す でに見て きた よ う に こ の ドラ マの重要 なポ イ ン トの表現にはある特定の旋律が充て られ, それ らの情景や概念を代表す るモチー フやテ ーマが, ド ラマ の展開に応 じ て引用さ れる。 こ の よ う な モチ ーフ の使用法は, ある 意味で音楽言語の設定であ り, モチ ーフ相互の関係の在 り方に よっ て, 音楽的表象の具体 性が引き 出さ れる。 こ う し た旋律作法は, 確かにオネ ゲルのゲルマ ン的性格の現われであ り, おそ ら く ワー グナーに対す る傾倒の産物である と思われる。 し かし , オネゲルにおけ るモチーフの使用 は, ワー グナーにおい てそ う で あっ た よ う な, 言葉 と音楽 と の究極的融合を 目指 し た もの ではな く , 歌われ るモ チー フ と 奏さ れる モチ ーフ とが完全に区別さ れて いる こ と か ら も分 かる よ う に, 音楽 と言葉 と が競 う こ と な く それぞれの領域を確保す る こ とを 目指 し てい る。 具体的には, ワーグナーのラ イ トモチーフのよ う に, 長い旋律線 と し て反復 され るのでは 一 九 一
宗教的象徴表現と し ての詩 と音楽 な く , 文字 どお りモチ ーフ的な簡潔な旋律の抑揚の抑制さ れた使用法に通じ る。 た と え ば, フ ィ ナー レで の 「炎のモ チ ーフ」 は否応な く ワー グナ ーの 「ワルキ ュー レ」 のフ ィ ナ ー レを 思い起 こ さ せ るが, そ の簡潔な展開は, あ く まで もそれが ド ラ マ の背景描 写を担 う とい う枠の中に止められてい る点で, 「 ワルキ ューレ」 のすべて を圧倒す る 音 楽 効果の導入 と は一線を画す る。 これはオネ ゲルの音楽の特徴であ る, 聴覚的な明瞭さ を 生み出す19. 旋律 も, 語 り も, 各 々が ク リア ーな造型性を もち , それは ワーグナ ー的混沌 の克服につ ながる。 これを オネ ゲルのラ テ ン的な性格の発露 と解釈す る こ と も可能であろ う し , また 「オネ ゲルにはデュ のニ ソス的な面 と アポ p的な面があ り, これが どこ まで も緊密に結び付いている こ と も彼 オす ぐれた血のし から し む る所 であろ う」20とい う仕方 で ま とめる こ と も でき る。 こ のオ ラ ト リオのなかには, 恐ら く 近代の劇音楽が獲得 し た あらゆる手法の開陳がある。 言葉の多用で厳密に意味付け られた表象, ラ イ トモチ ーフ に よる音楽的具象性の獲得, 音 楽に よる象徴的な情景描写の入念さ , 卓越し た オーケス ト レーシ ョ ンに よる擬声的な模倣 効果のな ど。 そ し て これら の手法のどれ もがオラ ト リオ全体を支配する よ う な イ ェ シ ャチ イブを持たず, それら の対比の効果が, こ のオラ ト リオに卓越し た劇的な奥行き を与えて い るのであ る。 こ のオ ラ ト リオのなかに, 一聴し て忘れ難い よ うな魅力的な旋律が不在に もかかわ らず, その強い集中力で人を 引きつけ るのは この音楽的展開を支え る コ ン ト ラス トの豊か さ で あ る。 そ し て こ の音楽的 コ ン ト ラ ス トの豊か さ , 音楽的な 多様性 こそ, オネ ゲルの人間理解の 多様性の反映 と考えるべきだ ろ う。 彼の思想の中には, 対話編 『私は作曲家である』 のな かで世界の終末 と音楽 の暗い未来について語っ ている よ 引こ, 濃厚なペ シ ミ ステ ィ ッ クな 色彩が宿 って いる。 ただ彼の音楽の多 く が, 暗 く 悲観的な情緒を基調にあき ながら, 明快 な旋律や躍動的なパ ッ セージの もた らす 肯定的な力強 さ を 常に・合せ持 っ てい る よ うに, そ のペ シ ミ ズムの背後には消し難いオ プテ ィ ミ ズム, 人間に・対す る信頼感が宿 っている。 オ ラ ト リオ 「火刑台上のジ ャ ン ヌ ・ タ ルク」 は, モ の題 材か ら し て も, オ ネ ゲルのペシ ミ ズムと オ プテ ィ ミ ズムと の相剋が も っ と も よ く 示さ れた 作品 とい って よい であろ う。 も ち ろ ん音楽的純度から いえばこ のコ ン ト ラス トは交響曲群に。も っ と も端的に。現れてい るが, その表現の直截性においてはこ のオ ラ ト リオが抜きんでて いるのである。 そ し て この相剋 は, 芸術作品 と し ての完成のためにはペ シ ミ ズムの圧倒の うち には終 り得ない よ うに, オ ネゲルの音楽において も, 悲観のお く にある希望の輝きや救済の予感が最後の基調となる。 これはま さ に 「ジ ャ ン ヌ」 的世界観 と オ ーバー ラ ッ プす る。 オネゲルのこの複層し た人間表現は, ク ローデルの台本に・置け る聖 と俗 との二元論を止 一 九 〇
揚す る。 それはまた言葉の厳格性 と音楽 の融通性の絶妙の結び付き であ り, また カ ト リ ッ クの リ ゴ リズムと プ ロテ ス タ ン トのヒ ューマ ニズムの幸福な結び付きの現われである と結 論づけて, 大 きな誤 りはないであろ う。 註 ( 1) Roland-Manuel rPlaisir de la musique』 ( p ラ ソ ・ マ ニ ュエ ル編 『音楽の楽 し みJ II 吉田秀和訳 白水社 p. 212』 ( 2) 『イ ダ リ レビン シ ュ タ イン夫人, フ ラス スの舞台が大きな恩恵を 受けてい る こ の偉大 な 芸 術家は, 1934年のこ とだ っ た と思 うが, そ の聖な る姿に と りつかれて, シ ャ ン 7 ・ タル クに ついて の台本を 私に求めた 。 彼女は こ のこ とに ついて, アルチ ュ ール ・ オネ ゲル と 話し 合っ て くれ とい って きた。 われわれ二人が話し 合った結果, 私のほ うが断る こ と にな っ てし まっ た。 「芸術」 作品が 「精霊」 の成す こ と と競争し て も勝ち味はない し, 私に し て も, 輝 か し い殉教を前に, 不成功の名誉を おいた く はなか った 。 し か し な が ら , 私 の意に反 し て, その 考えは, わた との想像力の中に入 り込んで いて, ブ リ ュ ッセルに向か う 列車の動揺に身を任 せなが ら読んでいた新聞の, 当時話題にのぼっ ていた ド イツのさ る怪物の手柄話に対す る興 味を少 しずつ失わせた。 突然, 逃れがたい シ ョ ッ ク, 思いついたのだ ! 二つの縛 り合わさ れた手が十字を切 っている姿。 作品はで き た, あ とは書 く ばか りだ った。 それは数 日の うち にできた。 ( ク ローデル 『「火刑台上のジ ャ ン プ ・ タル ク」 への序』 1950 Salabert, フ ェ シ ョ ッ ト著 「アルチ ュール ・ オネゲル」 ・ 天羽均訳 音楽の友社 p. 167) ( 3) この七つ の言葉は, 4つ の福音書の記載から 合成 されて成立 し ている。 拙稿 「ハ イ リソ リ ッ ヒ ・ シ ュ ッ ツの 『十字架上の七つの言葉』」 ( 名古屋音楽大学研究紀要 ・ 創刊号) を参照い ただき たい。 ( 4) Jules M icheletrJeanne dArc」 ( 森井真他訳 中央公論社) ( 5) 1431年 3 月17日の裁判記録 ( 高山一彦編 「ジ ャン ヌ ・ タル ク処刑裁判」 白水社 p. 167) よ り。 「神は イギ リス人を 憎み給 うのか と聞 く と , 神が イギ リス人を 愛される のか憎まれ るのか, また彼等の霊魂が ど う扱われるのかは分か らな いが, フ ラン スで戦死す る ものを 除けば, 彼 等はすべて フ ラ ン スの外に追い出さ れ る こ と, な らびに神はフ ラ ン ス人に勝利を, イギ リス 人に敗北を 与 え る こ と は明 らかな こ と だ と 答え た」 ( 6) 天か ら の呼び掛けが ド ミ ニ クに伝わ り, それを 受けた ド ミ ニ クの呼び掛けに よ っ てシ ャン ヌは 目覚める, とい う設定であ る。 ( 7) ド ミ ニ クは図像的には, 次のよ うに描かれる。 ド ミ ニコ会修道士の黒い上着 と 白い衣, 松 明を口にした犬を従え, 額に星をいただき, 片手に百合, 他の手に書物を持つ。 これらはす べて ド ミ ニ クを め ぐる古事に由来 し ている。 ( 8) 中村真一郎 「ク ローデル 『三声のカ ン タ ータ』 につ い て」 (世界名詩集 18 「ジ ャ ム/ ク p - デル」 平凡社 1)。218) ( 9) ダ リ ウス ・ ミ ョ ーはポール ・ ク ローデルの秘書 と し て ブ ラジルに赴任す る ( 1916年) な ど, 両者は仕事上の密接な 関係を保 っていた。 ( 10) 「ある テ ク ス トに音楽を付ける必要があ る と, 私はそれを作者に読ませ てみ る。 若し そ の 作者が読むのが下手な とき は, 良い俳優な ら どんなふ うに読むか, どこに主要な ア クセン ト を 置 く か, そ のや り方を想像 し てみる。 一つのフ レーズで, そ の中に二つない し三つの鍵に 一 八 九