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「シャ-ロット・ブロンテの生涯」 ; 5

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(1)・プ ロ ン テ の 生 涯 』 『 シャー ロ ッ ト (5). ギ ャス クル夫人. 著. 和. 訳. 知. 誠之助. 第. 8章. 1). 2). ク リスマス の休暇 にな り, シ ャー ロ ッ トとア ンは 牧 師館 の 楽 しい 家族 の も とへ 戻 った。 そ こでの み彼女 たちの本性 は開 かれたが,他 の人 び との 間 で は多 かれ少 なかれ 縮 み こん だのであ る。実 際 , この姉妹 と交 わ った他人で. ,. そのよ うな結果 を生 じなか った のは,一 人か二 人 だけだ った。 エ ミ リとア ン は,双 子 のよ うに生 活 も関心 も結 び つ いて いた。 エ ミリは控 え 目か ら,ア ン は内気 か ら,家 族 以外 の人 び ととの交友 や親交 をす べ て避 けた。 エ ミリは他 の影響 は受 けな い人 だ った。彼女 は人 び との考 え には け っ して耳 をか さず. ,. 正 しく適 当だ と 自身 で 決定 した ことを 自分 の行為 と態 度 の法則 に し,誰 に も それ に干 渉す るのを 許 さなか った。 シ ャー ロ ツトが彼女 を愛 したよ うに,彼 女 はア ンに愛情 を注 い だ。 しか し 3人 姉妹 の 間 の愛情 は死 よ りも生 よ りも強 か った。 エ レンは 3人 を訪 問 した時 は いつで も,シ ャー ロ ッ トか らは非 常 に歓迎 さ れ ,エ ミリには気 軽 に受 け入 れ られ ,ア ンには親切 に応 待 され た。 そ して こ の ク リスマス に彼女 は訪間を 約束 して いたが,次 の手紙 に くわ しく述 べ て あ. 1)第 8章 の後半 で あ り,「 甲南女子大学英文学研究』第14号 に続 くものである。 2)1836年 。.

(2) 「 シャーロット・ブロンテの生涯』. イδ. るよ うに,ち ょっ と した家庭 の事故 で彼女 の訪 間を延 ば して も らわね ばな ら なか った。 3). 1837生. 「. 12メ 129日. ず つと前 にお約束 した手紙 を 出 しませんで したか ら,き っと私 を大変怠 慢 だ とお考 え にな った ことで しょう。 しか し大変悲 しい ことだ けれ ど十 分 弁解 がで きます。家 に帰 って 数 日後 に昔 か らの忠実 な タ ビー に事故 が起 こ った ので す。 彼女 は何 かの使 いで村 に行 き,急 な通 りを下 っていた時 ,氷 の 上 で足 をす べ らせ 倒 れ ま した。暗か った ので,少 した って うめ き声 が通 り がか った人 の注意を ひ くまで 誰 も彼女 の 災難 を知 らな か った ので す。彼女 は抱 き上 げ られ ,近 くの薬剤 師 に連れて いか れ ま した。 そ して診 断 の結果. ,. 片足 がす っか り砕 かれ て脱 日を してい る ことが わか りま した。不幸 に も外 科 医 に翌 朝 6時 まで診 て も らえ なか った ので,そ の時 まで 骨折 を直 して も らえな くて,今 大変不安 な危 険 な状態 で 家 で寝 て い るのです。 もちろん. ,. 私 たちはみなそ の事情 を非 常 に悲 しんで い ます。彼女 は家族 の一 員 の よ う だ ったか らで す。 その事件 以来 ,私 たちはほ とん どお手伝 い な しでや って い ます一一 骨 の折 れ る仕事 には時 々一 人来 て くれ ていますが,ま だ常雇 い の 召使 いは得 られ ませ ん。 そのため タ ビーの看病 とい う余分 の務 め と同様. ,. 家事 がす べ て 私 たち 自身 にかか るのです。 このよ うな状態 な ので,少 な く 心配 な い と言 われ るまで,無 理 に も訪ね て来 て下 さい と言 えな と も彼女 が ノ いのです。 そん な ことを言 った ら身勝手 す ぎます。伯母 は この ことを もっ と前 にあなたにお伝 えす るよ うに と言 い ま したが,父 と他 の者 はみ な事態 が もっ と落 ち着 くか ど うかわか るまで遅 らす よ う望 み ます し,私 自身 あん な に長 く楽 しみ に して いた楽 しみを全部諦 め るのは非 常 に気 がすす まなか 3)S.H.B。 は この手紙 は1836年 の ものとして いる。 ショーターや Fo E。 ラッチュフォ ー ドさえもタ ビーの事故を1837年 12月 に起 きたとして いるが,W。 ジェランはこの手 紙 はサウ ジィの 手紙 と同 じ日に書かれ たとしている。 前後 の手紙 の 内容 か ら見 て 1836年 の ものとして いる S.H.B。 およびW。 ジェランの方 が正 しいと思われ る。. ,.

(3) ギ ャスケル夫人著・和知誠之助訳. イ/. ったので,一 日一 日と延期 して しまい ま した。 しか しあなたがお っ しゃっ た こ と,す なわち あなたは私 た ち の決定 よ り高 い神 の決定 に事態 を委ね. ,. 神 の決定 が ど ぅで ぁろ うとそれを甘受 して 服従 す ると心 に決 めてお られ る こ とを思 い 出 して,私 もまたそれ に従 い沈黙 せね ばな らな い と思 い ます。 何 ご と も天 の配剤 で す。 も しこの厳 しい天候 の間 ここにお 出で下 さって い た ら,ち っと もあなたのため にな らなか ったで しょ う。 なぜ な らば荒野 は 雪で閉 ざされ,け っ して 外 には 出 られ なか ったで しょ うか ら。 このよ うな 失望 の あ った後 ,私 は楽 しみを確 実 に当て にす ることは三 度 と しません 。 まるであなた と私 との 間 に何 か不運 が立 ちはだか って い るかのよ うに思 え るか らで す。私 は あなたにふ さわ しいほ ど立派 では あ りませ ん。 だか らあ なたはあ ま り親 し く交 わ って 汚染 され な いよ うに して い なければな りませ ん。で も私 はお 出で下 さい と頼 み たいので す一― 懇願 し,押 しつ けた いの です一― しか しあ なたがお 出で下 さって い る時 に タ ビー が万 が一 死 ぬ こと があれば,私 はけ っ して 自分 を 許 さないだろ うと思 われ ます。 そ うで す ./ け っ してそん な こ とにな って はな りません。 それ に気付 くと,種 々の面 で 私 は とて もひ ど くくや しくが っか りします。 そ してが っか りす るのは私 だ け で はないのです 。家族 中 の ものが皆 あなたのお 出でを非 常 に楽 しみ に し て い ま した。 父 はあなた との交 わ りに大 いに賛成 し一生 続 け ることを望 ん で い ます。. ブ ロ ンテ家 の良 き隣人一― 利発 で 知性 に富 む ヨー クシ ャー婦人 で,ハ ワー スで 薬屋 を して いて ,職 業柄 や経験 とす ぐれ た良識 か ら,村 の女医 と看護婦 の立場 に あ り,あ た りの家庭 の幾度 もの災難 ,病 気 ,死 の時 の良 き友人 だ っ た一― 彼女 が タ ビー の足 の骨折 に関 して特色 あ る小 さなで き事 を話 して くれ た。 ブ ロ ンテ氏 は本 当 に物惜 しみ しない人 で 当然要求す る権利 の あ ることは. 4)エ. リザベ ス・ハーデ ィカーのことで,ハ ヮースで は「 ベテ ィ」 と呼ばれていた。. その店 は教会 の入 日の向かい 側 にあ り, ブランウェルがのちに阿片を買 ったのはこ の店 で ある。現在 は前 ブロ ンテ博物館長ハ ッ トン女史が書店を経営 している。.

(4) 48. 「 シャーロツト・ブロンテの生涯」. す べ て尊 重す る人 だ った。 タ ビー は彼 らの家 に10年 か12年 過. ご し,シ ャー ロ. ッ トが述 べ たよ うに「 家族 の一 員」 だ った。 しか しまた一方 で は,彼 女 は年 い とって 大変激 しい仕事 はで きな くな ってお り,そ の事件 の 時 には60す ぎ と い る間 に うよ りも70歳 に近 か った。彼女 には村 に妹 がお り,ま た長年仕 えて ためた貯蓄 は,彼 女 の 階級 の者 には十分 な財産 にな って いた。 また,も しこ の病気 の時 ,何 か 楽 しみが必要 とな って もそれが得 られ な い ことがあれば. ,. いが,慎 重 な 牧 師館 がそれを与 え る ことがで きた。心配性 と言 うほ どで はな ロンテ氏 の資 力が限 られ 伯母 , ミス・ プ ラ ンウェル はそ う判断 を下 した。 プ て い る こと,姪 たちが未 来 の備 え も され てお らず ,そ の上 タ ビー をず っと看 護 して 休暇 の くつ ろぎさえ失 って い る ことを配慮 した ので あ る。 ミス・ ブ ラ ン ウ ェル は,昔 か らの 召使 いが急 に死 ぬ恐 れがな くな るや否 や. ,. プ ロンテ氏 に 自分 の意見 を強 く勧 めた。初 め,彼 はそ の注意深 い忠告 に耳 を 貸 そ う とは しなか った。 それ は彼 の寛 大 な性質 と相 容 れな. い ことだ ったか ら. であ る。 しか し ミス・ ブ ラ ンウ ェルは屈す ることな く経済 的 な動機 を主張 し の の と ころへ 彼 の娘 たちへ の愛 を強調 した。彼 は譲歩 した。 タ ビー を彼女 妹 にはプ ロ ン 移 し,そ こで看病 と世話 を して も らい,彼 女 の 財産 が欠乏 した時. ,. テ氏 が援助す るとい う ことにな った。 この決定 は少女 たちに伝 え られ た。 あ の冬 の午後 ,ハ ワー ス牧師館 の小 さな構 内で ,静 かで はあ るが不屈 の反抗 が に 現 れた。彼女 たちは心 を合 わせて粘 り強 く抗議 した。彼女 たちは子供時代 いた タ ビーの世話 にな った。 それ で他 の誰 で もな く,彼 女 たちが病弱 で年老 彼女 の世話 をす るべ きだ。 お茶 の時間 に彼女 たちは悲 しみ黙 して , 3人 とも のこ 食事 には全然手 を つ けなか った。朝食 の時 も同 じだ った。彼女 たちはそ とで あれ これ と言 う ことは しなか った が,話 した言葉 は どれ も重 みが あ った。 彼女 たちは,そ の決定 が取 り消 されれ るまで食事 の「 ス トライキ」 を し,体 の 自由 の きかな い病人 の タ ビー は,そ の ままず っと彼女 たちにたよ り切 りの ままで い る ことを許 された。 シ ャー ロ ッ トの性格 の基礎 には義務 が快楽 よ り ま さるとい う強 い感情 があ るが ,そ れが ここに最 も明 らか に現 れた ので あ る。 前 に見 た よ うに,彼 女 は友 と一 緒 にいた い と切望 したが ,そ のため には彼女.

(5) ギ ャスケル夫人著・和知誠之助訳. イ9. が正 しい と思 う ことを しないでお くしか なか った。 しか し彼女 は どん な犠 牲 を払 う ことに な って も正 しい と思 うことをやめ ることは け っ してなか ったの で あ る。 彼女 には,そ の年 の ク リスマス に心 配事 が も う一 つ あ った。デ ューズ ベ リ. 0. ム アの空気 は,彼 女 自身 そ こでの生活が いか に健康 に影 響 を 及 ぼ してい るか ほ とん ど気付 いて い なか ったが,前 述 したよ うに彼女 に合 わなか った。 しか しア ンが休暇 の ち ょうど前 に病気 に な りか けて いた。 シ ャー ロ ッ トは,野 性 の動物 が 自分 の子供 に危 険 が迫れ ば 自分 の性格 さえ変 え るほ どの油断 の ない 用心 さで妹 たちの面倒 を見 て いた。 ア ンは軽 い咳を し,横 腹 に痛 みを感 じ. ,. 苦 しい息使 いを した。 ミス・ ウラー はそれを 普 通 の風 邪 とあ ま り変 わ らな い と思 ったが, シ ャー ロ ッ トは今 は亡 きマ ライア とエ リザ ベ スの ことを思 い だ して,初 期 の肺結核 の徴候 がす べ て現れ て い ると思 い,胸 を突 きさされ る思 い だ った。 この小 さな妹 に対 す る気 がか りで悩 ん だ彼女 は, ミス・ ウラー が ア ンの健 康状 態 に対 して無 関心 だ と思 って,先 生 を非難 した。 ミス・ ウ ラー は これ ら の非 難 に深 く心 を動か され , ブ ロンテ氏 にその こ とで 手紙 を書 いた。 [彼 は す ぐ大変丁重 な返事 を書 き, シ ャー ロ ッ トが妹 へ の不安 と心 配 の あ ま り,非 常 に興奮 した言葉 で恐 怖 の念 を述 べ たので はないか心 配 してい ると述 べ た。 ミス ・ ウラーの親切 な思 いや りによ って,ア ンは身 内 の ものが思 って いた ょ り 1年 長 く学校 にいた。 その学期 の終 わ りに]5、 ス .ゥ ラー は互 いに説 明 し 合 う機会 を求 め,そ の結果 ,「 忠実 な友人 が 仲 たがい して も, 愛 によ って回 復す る」. とい う ことに な った。 そ してそ こで シ ャー ロ ツ トと情 け深 く親切. 7) な ミス 0ウ ラー との初 めてで最 後 の唯一 の不和 は終 わ った。. 5)E ]の 部分 は,初 版 では次 のよ うにな っていて,第 3版 では書 き改め られたわけで ある一― 「 彼 はす ぐ子供たちを迎えにや り,子 供たちは翌 日デ ューズベ リ・ムアを去. 自 分自 身も 教 ふ土 塁 品[Lを 蔦乏 芯Lモよ 具 ど 鍬 彗 鷲 緯鍾≧ 鶏 6)古 い諺 で リチ ー ド・エ ドワーヅ ャ (1523?-1566)が その詩 に用 いている。 ンとシ ャー ロ ッ トとは1837年 12月 にデ ューズベ リ・ムアを去 '」 り, ア ンは行かな はク リスマスの休暇がすむ と再 び学校 に帰 るが,翌 1838年 5 貧 尼侮奪Ъ そ象羅鷺をよ. 7)ア.

(6) 5θ. Fシ ャーロッ ト・ブロンテの生涯』. それで も彼女 の心 は,ア ンが弱 い ことに気 づ いて ショ ックを受 けてお り. ,. この休 暇 の 間中,烈 しい愛情 を こめて心 配 しなが ら妹 を見守 ったが ,不 安 の ため に急 にひ ど く悩 ん だ りした。 い <ミ ス・ ウラー は彼女 に休 暇後帰 って くれ るよ う頼 み,彼 女 は同意 して た。 しか しこれ とは別 に>エ ミリはハ リフ ァックスにあ る学校 の勤 めを,困 の を回復 で 難 な試練 の 6カ 月 が終 わ ると健康 を害 して止 めて いた。彼女 健康 ビーの きるものは,荒 地 の さわや か な空気 と 自由 な家庭生活 の み だ った。 タ いたか ど 病気 は家族 の財源 を苦 しくして いた。 ブ ラウ ェル が この 頃 自活 して で を勉強 ぅか は疑 わ しい。何 か は っき りしな い理 由で,彼 は王立美術院 絵画 て いなか った。 す る考 えを断念 してお り:)将 来 の見 通 しは不定 で ,ま だ決 ま っ の な生 そ こで シ ャー ロ ツ トはふ たた び 教 師 の重 荷 を黙 々と背負 って以 前 単 調 活 に民 るほかな か った。 死 ぬ まで進 んで仕事 をや ろ うとす る雄. 々 しい心 よ/. 彼女 は仕事 に戻 り. ,. の わな か った。 次第 に募 って きて いた弱 さを克服 しよ うと望 んで 何 不平 も言 この頃彼 女 は,不 意 に大 きな音 がす るとい つ も気分 が悪 くな って体 が震 え ,驚 いた時 は叫 び声 を押 え る ことが ほ とん どで きなか った。 これ は,ふ. つ う非 常. そ に 自告1し てい る人が恐 ろ しいほ ど肉体 的 に弱 くな った ことの現 れだ った。 ことにな った医者 は して ミス ・ ウ ラーの願 いをいれ てや っと診察 して も らう によ ると,彼 女 はあ ま りに も座 彼女 が牧 師館 へ 帰 るべ きだ と主張 した。医者 やわ らかい夏 の風 った ままの生活 を し過 ぎであ り,彼 女 の家 の まわ りを吹 く. ,. や ,愛 す る人 び とと楽 しく共 に過 ごす こと,解 放 , 自分 の家族 の 中での 自由 こで しば らくの 間彼 な生活 な どが ,理 性 や生命 を救 うのに必要 とされた。 そ い る神 が指令 を下 され た い 女 が緊張 をゆ るめ るよ うに,彼 女 よ り高 ところに の に従 って,彼 女 はハ ワースに戻 った。 そ して一時 まった く安静 にさせ た後. 8)彼 は1835年 秋 にた しかに ロン ドンヘ行 ったようだが,. 王立美術院を訪ねることは. で しなか った。 ロン ドンで見 た偉大 な絵画 に 自惚れを打ち砕 かれたよう ,結 局数 日を ハ ワースに帰 った。 この間 の事情 無為 にす ごし,酒 場 で金を使 いつ くし憔然 として は彼 自身未刊 の物語 で語 って いる。.

(7) ギャスケル夫人著・和知誠之助訳. 5ゴ. 彼女 の父 は,彼 女 にメア リとマ ー サ (テ イ ラー)と の二 人 の友 との交 わ りで 心 を 引 きたたせ よ ぅと した。 当時 よそに行 って いた エ レンに書 いた次 の手紙 の終 わ りには,若 い人 び との楽 しい集 いの美 しい情景 が十 分 眺 め られ ると思 う。 そ して思 考 や感 情 の描写 とは 明 らか に異 な って,手 紙 の 中 での行動 の描 写 は,今 は完全 に無 くな って い る昔 の情景 が 陽気 で あればあ るほ ど人 を悲 し ませ る もの だが,こ の手紙 もそ うで あ る。. ハ ワー ス 1838年 6月 9日 水曜 日にあなたか らの速達便 の小包 を受 け取 りま した。 2, 3日 ハ ワー スに滞在 して い るメア リとマー サが持 って きて くれた ので す。 お二 人 は今 日お 帰 りで す。 この手紙 の 日付 け に驚 かれ るで しょ う。 私 はデ ューズ ベ リ・ ム アにい る筈 な ので す 。 しか しで きる限 りとどまって い ま したが , つ い にそれ以 上 おれ なか った し,お る気 に もなれ ませんで した。 私 の健康 も気 力 もす っか り衰 え,私 が診 て も らった 医者 か ら,生 命 を大切 にす るな ら家 に帰 るよ うに 申 し渡 され ま した。 それで私 は家 に帰 りま した。 そ して土 地 が変 わ るとす ぐに元気 にな り落 ち着 きま した。 そ して 今 はた しか に元通 り にな りか けて い ます。 あなた のよ うな穏 やかで 落 ち着 いた人 には,今 お便 りを差 し上 げ てい る す っか り駄 目 にな った哀 れ な人 間 の気持 は思 い もよ らな い もので しょ う。 幾 週 間 もの 間精神 的 に も肉体 的 に も言 い表 しよ うの な いほ ど苦 しん だ後 に 私 には心 の な ごみ のよ うな ものがふ たたび現れ始 め ま した。 メア リ 0テ イ ラーの健康 はち っともよ くあ りません。彼女 は息切れが し,胸 に痛 みがあ り,高 熱 で 顔 が赤 らむ ことが よ くあ ります。 これ らの徴候 で私 は言 い よ う の な いほどつ らい思 い を して い ます。 どん な薬 の力 で も救 え なか った二 人 の姉 の ことが 強 く思 い 出 され ます。 マ ー サ は今 とて も健康 で,こ こにい る 間 たえず上 機嫌 で,そ れ で とて も人 を引 き付 けま した。 …… 彼 らが まわ りで騒 ぎたてて い ます ので, これ以上書 けません。 メア リは ピア ノをひいて お り,マ ー サ は小 さな舌 の まわ る限 り早 口に しゃべ ってお.

(8) 52. 『 シヤー ロット・ブロンテの生涯』. り,ブ ラ ンウ ェル は彼女 の前 に立 って彼女 の陽気 な のを笑 って い ます。. シ ャー ロ ッ トは,わ が家 での この静 かで幸 せ な期 間 にず っと健康 にな った。 の 彼女 は折 々二 人 の親友を訪 ね ,ま た彼女 たち もハ ワー を訪 れ た。彼女 たち 家 の どち らかで ,彼 女 は次 の手紙 で 触 れ て い る人. 9)に. 会 った ので はな いか と. ・ 思われる一一 その人は,『 ジェイン・エア』 の最後の巻の中の「セント ジョ ン」 の性格 に少 し似たところのある人で,同 じように牧師だったo. 1839年 3月 12日 …… あ の人 は愛想 よ く気立 てが よ い人 な ので,私 は好感 を持 ちま した。 しか し彼 のためな ら喜 んで死ん で もいい,と い った熱烈 な愛情 は持 たなか った し,持 つ こと もで きませ ん で した。 も し私 が結婚 す る ことが あ るな ら そのよ うに崇敬 の念 で大 を見 るよ うでな くて はな りませ ん。十 中八九 , こ ん なチ ャ ンス は三 度 と こな いで しょう。 で もか ま い ません。 その上 ,あ の 人 は私 の ことを ほ とん ど知 らな いので ,誰 に手紙 を書 いて い るか意識 して い るはず はほ とん どな い ことを知 って い ま した。 だ って/ 家 でのあ りの ロマ ン ままの私 を見 た ら,あ の人 は驚 くで しょう。私 を ほん とに野性 的 で テ ィ ックな激情 家 だ と思 うで しょうo夫 の前 で ま じめな顔 を して 1日 中座 って い るなん て ,と て もで きません。 笑 った り,あ て こす った り,何 で も べ し夫 頭 にまず初 め に浮 かんだ ことを しゃ った りす るで しょ う。 そ して も が利 口な人 で 私 を 愛 して くれ るな ら,全 世界 といえ ど も,夫 の最少 の望 み と くらべ て も,空 気 のよ うに軽 い ことで しょう。. レンの兄 , ヘ ン リ 0ナ ッシー師 。 彼 はその頃サ セ ック ス州 ドニ ング トンの牧師 ロ 3月 5日 付 け 補 を して いたが, 1839年 2月 28日 に シ ャー ッ トに求婚 した。 彼女 は ン・ つ で で 拒否 の手 紙を直接送 ったが, 次 の手 紙 はそれ に いて の 釈 明 あ り, ジェイ ヘ ン リはその 6カ 月後 エ アが セ ン ト・ ジ ョン の 申込 みを断わ った情況 を思 わ せ る。. 9)エ. に他 の人 と結婚 した。.

(9) ギャスケル夫人著・和知誠之助訳. 53. そ こで その こと一― 彼女 へ の最初 の結婚 の 申込 み―一 は穏 や か に断 られ. ,. 片 づ け られ た 。 彼女 の生 活設計 の 中 に入 って いたの は結婚 で はな く , 立派 で健全 で真剣 な仕事 だ った。 しか し,ど の方 向 に力 を用 い るかの問題 は まだ 決定 して い なか った。文学 において は 自信 を失 って いた。着想 を表現 しよ う と思 って細密 な絵 を練 習 したため ,視 力 も衰 えて い た。 この頃 の彼女 に とっ て は,い つ の時代 において もたいていの女性 に とってそ うで あ ったよ うに. ,. 教職 が 自活 で きる唯 一 の方法 のよ うに思 われた。 しか し彼女 も妹 たち も生来 子供 好 きではなか った。彼女 たちには,子 供 とい う象形文字 は未 知 の言葉 で 理 解 で きなか った。彼女 たちは 自分 たちよ りも年少 の子供 と一 緒 に過 ご した こ とはあ ま りなか ったか らで あ る。彼女 たちは また,他 の人 に知識 を伝 え る 巧 みな こつ を心 得 ていなか った よ うに思 われ る。他 に知識を伝 え る こ とは. ,. 知識を習得す る能力 とは別 の才能 のよ うに思 われ る。 それ は子供 の心 にお け る理解力 を妨 げ る困難 , しか も非 常 に漠然 と して いて形 をな して い な いので. ,. 未熟 な表現力で は言葉で説 明 で きないよ うな困難 を本能 的 に知覚 す る一種 の 共感 的な こつ で あ る。 従 って非 常 に幼 い子供 を教 え ることは, 3人 の ブ ロン テ姉妹 に とって はけ っ して 「楽 しい仕事」 で はなか った。 もっ と年上 の,大 人 に近 い少女 とな ら,特 に 向上 を望 んでい る者 とな ら,彼 女 たちは もっ と う ま くや ったか も しれ な い。 しか し村 の牧師 の娘 が受 けた教育 では,ま だ上級 の生徒 を担 当す る資格 は与 え られ て い なか った。彼女 たちは フ ラ ンス語 を少 ししか知 らな か った し,音 楽 に堪 能 で もなか った。 シ ャー ロ ッ トが楽器 の演 奏 をで きたか ど うか疑 わ しい。 しか し彼 女 たちは皆 ふ たたび元気 にな ってお り,と もか くも シ ャー ロ ッ トとア ンは熱 心 に仕事 に取 りかか らね ばな らな か った。娘一人 は家 に必要 で,四 人家族 の若 くて活動力 の あ る一 員 と して,ブ ロンテ氏 と ミス ・ ブ ラ ンウェル と一 緒 に家 に居 なければな らなか った。 その 家族 の 3人 一 ―父 ,伯 母 お よび忠実 な タ ビーーー は,中 年 を過 ぎて いたか ら で あ る。 エ ミリは,ハ ワー スを離れ ると姉 や 妹以上 に苦 しみ弱 るので,彼 女 が残 ることに決 まった。 ア ンの職 が まず見 つ か った。.

(10) 『 シャーロット・ブロンテの生涯』. 5イ. 1839年 4月 15日 お望 みの週 に手紙 を書 くことがで きませ んで した。 その頃 ア ンの 出発 の 0ゝ. ゎ ぃそ ぅに/ 準 備 で非 常 に忙 しか ったか らで す∫ ゝ. 妹 は先週 の 日曜 日に. 家 を 出ま した。 誰 も同行 しません で した。一人 で行 かせ て欲 しい と自分 で 望 んだのです 。 自力 でや るほかな くな った場合 の方 が うま くや って ゆ け る し,一 層勇気 もで ると考 えたか らで す。妹 が 出か けてか ら,手 紙 を 1通 受 11)は. け取 りま した。 妹 は非 常 に満足 して い る し,イ ンガ ム夫人. 非常 に親切. だ と言 って い ます。上 の二 人 の子供 だけが彼女 の世話 を受 け,他 の子供 は 子供部屋 にいれ られ ていて,妹 とは全然関係があ りませ ん。 ……妹 が うま くや って くれれ ば と願 って い ます。妹 は驚 くほ ど思慮 あ る賢 明な手紙 を書 くので,心 配 にな るのは話 をす る面 だけで す。 しか しイ ンガ ム夫人 が 妹 に は生 まれ つ き言語障害 があ ると推測 す ることもあ るので はな いか と,本 当 に心 配 にな ります。私 の方 は ど うか と言 えば,失 職 した女 中 の よ うにまだ 「職 を求 めて」 い ます。 つ いで なが ら私 には洗濯 ,炉 の掃除 ,部 屋 の掃除. ,. ベ ッ ドを整 え ることな どの才能 がかな りあ る ことを最近発見 しま した。 だ か ら,も し他 の ことがす べ て うま くゆ かない場合 は,あ ま り骨 お らな くて も充分賃 金 を払 って も らえ るな ら,そ んな ことを手 が け られ ます。料 理人 にはな りた くあ りません。料理 をす るのは嫌 いで す。子守 りに も小 間使 い に もな りた くあ りませ ん。 ま して貴婦人 のお 相手役 や,婦 人服 を作 る人 や. ,. 簡単 な手細 工 の 内職 もや りませ ん。女 中以外 にはな りた くあ りませ ん。 … 12)へ. … ゴマー サ ル. の訪 間 に関 して は,ま だ招待 を受 けてい ませ ん。 しか し. 招 かれ ると,断 わ るのに非常 に 自制 せね ばな らな い と思 い ますが,や は り ンは4月 8日 か らヨーク シ ャー州 マー フィール ド (ロ ウ・ヘ ッ ドの学校 のある 村)に あるブ レイク・ホールのイ ンガム家 (こ の邸 は こわ されて今 はない)の 家庭. lo)ア. 教師 になった。子供 は全部 で 5人 いたが,ア ンが教えたのは, 6歳 の ジ ョシュア・ カ ン リッフと 5歳 のメア リの上の二人だけだ った。『 アグネ ス・ グ レイ』 にこの時 の経験が多 く記 されて いる。 11)初 版では「一一 夫人」 と名 は伏せてあ る。この手紙の後 の部分 で も同様。. 12)メ. ア リ・ テイ ラーの一家 の住んでいた所 。.

(11) ギ ャスケル夫人著 0和 知誠之助訳. 55. そ うす ることに決 心 しま した。 もっ と も,テ イ ラー家 の人 た ち との交 際 は. ,. とて も刺戟 的な楽 しみの一 つ で すが。 さよ うな ら,最 愛 の エ レン。 追伸一― 「最 愛 の人」 とい う言葉 を消 して下 さい。 たわ ご とよ。 そん な ことを 言 った って 何 の役 に立 ちま しょ う。私 たちは,か な りの 間お互 いに 親 しくしていて ,好 意を持 ち合 って い る し,そ れで充分 で す。 この手紙 の あ と幾週 間 もたたな い うち に, シ ャー ロ ッ トもまた家庭教 師 に 雇 われた。私 は現 存 の人 び との名前 は 出 さないよ うに注意 しよ うと思 う。 そ. ス トーン・ ガップ邸 (1977年 7月 撮影) の人 たちについて不愉快 な事 実 を述 べ た り, シ ャー ロ ッ トの手紙 か ら厳 しい 所見 を 引用 しなければな らな いか も しれな いか ら。 しか し,い や しくも「 抵 抗 され た もの」 の力 を理解 し得 るため には,彼 女が種 々の生活で遭遇せね ば な らな か った 困難 を公正 に 知 らせ ることが 必要 で あ る。 あ る時私 は彼女 と. 『 アグネス・グ レイ』一―彼女の妹のアンがかな り正確 に,家 庭教師として の 自分の経験を描写 した小説―― について話 してお り,特 に親鳥の前で小 さ 13)1839年 5月 にスキプ トンの近 くのス トー ン・ガ ップにあるジ ョン・シジウィクの家 に行 った。(こ の家は Fジ ェイ ン・エア』 の「 ゲイツヘ ッ ド邸」 のモデル にな った。 ).

(12) 5δ. なかえ りた ての雛 に石 を投 げ る描写 に触れ ていた 。 彼女 は次 の よ うに 言 っ た,家 庭教 師 の職 を経験 した者 に しか「立派 な」 人間性 の暗 い面 は実感 され ないのであ り , 罪 へ の大 きな誘惑 を受 けて い るのではないが , 毎 日わが ま まで気むずか し くな り,つ いに は教 え子 に対 す る態度 が,横 暴 にす るよ りさ れ る方 を望 む ほ ど横暴 にな ることもあ る。 そのよ うな場合私 たちは,雇 用者 の誤 ちは,生 来 の残酷 な性 質 のため よ りも,物 わか りが鈍 い ためや共感 しな い ためであ って欲 しい と思 うのみで あ る。 それ と同 じよ うな ことを彼女 は い くつ も話 して くれ,私 はよ く覚 えて い るが,そ の 中で 次 の ことはか つ て彼女 自身 に起 きた ことで あ る。 彼女 は,両 親 が 日帰 りの旅行 で不在 の 間, 歳 の男 の子. 3, 4. の世話 をゆだね られ,と りわ け馬小屋 に近 づ けな いよ うに命 じ. られ ていた。 8,. 9歳 で ミス・ ブ ロ ンテの生 徒 では なか ったそ の子 の兄. が. ,. その小 さな子 をそそのか して禁 じ られ て いた場所 に入 れた。彼女 はつ いて行 って その子 をそ こか ら離れ させ よ うと したが,そ の子 は兄 に け しか け られ て. ,. 彼女 をめが けて石 を投 げ始 め,石 の一 つ が 彼女 の こめか み に非 常 に激 しくあ た った ので,男 の子 たちは驚 いて 言われ るままに した。翌 日家 族 が皆集 ま っ て い る時 に,母 親 が ミス・ ブ ロ ンテにど う して額 に傷 がで きたのか尋 ね た。 彼女 が 「奥様 ,事 故 で す」 とだけ答 え ると,そ れ以上 聞 かれ なか った。 しか し子供 たち (兄 弟 も姉妹 も)は そ こに居 て ,「 告 げ 口」 しなか った ことで 彼 女 を尊 敬 した。 その時 か ら彼女 は,彼 らそれぞれの性格 に応 じて幾分異 な っ たが,す べ て の子供 たちに影 響力 を持 ち始 めた。 そ して彼女 は彼 らの愛情 を 徐 々に得 るにつ れ て,彼 らに対 す る彼女 自身 の 関心 も次第 に増 しか けていた。 しか しあ る 日,子 供 たちの晩 さんの時 ,例 の馬小屋 へ 行 った小 さな子 が少 し 感情 をあ らわ に 出 して片手 を彼女 の手 にお き,「 僕 はあなたが好 きです , ミ ス・ ブ ロンテ」 と言 った。 す ると母 親 は子 供 たちみんなの前 で 叫 ん だ,「 家 庭教 師 を好 きだなんて ,ま あ.ノ 」 と。. 14)こ. れ は ジ ョン・ ベ ンソ ン・ シジウ ィクの こ とで,彼 は1835年 8月 2日 生 まれ なの. で,当 時 はまだ 4歳 にな って いなか った 。. 15)ウ. ィ リア ム・ シ ジウ ィク (1829年 4月 25日 生 まれ )は 10歳 だ った。.

(13) 57. ギ ャスケ ル 夫 人著・ 和知誠之助訳 16). 彼女 が初 めて は い った家族 は,富 裕 な ヨク シ ャー州 の工 場 主. の家族 だ っ. た と思 う。 この頃 の彼女 の手紙 か らの次 の抜粋 は,新 しい生活様 式 の東縛 が いか に彼女 を痛 ま しく圧迫 したかを明 らか に しよ う。最初 の ものは,エ ミリ ヘ の手紙 の一 節 で あ り,「 たわ ごと」 で あ るが , 彼女 が よ く用 いた愛情 こ も. ゞltt矢 った語句の一つで始まっている。「Ъ先 1ヽ. て ごごき 活が美じξし. け の言葉 で あ る。 人」 とい うのが, この愛す る妹 に対す る彼女 の呼 びか `「. 1839年 6月 8日 新 しい職 に満足 しよ うと一生懸命努力 して きま した。前 に も言 った よ う に, この地方 ,家 ,庭 はす ば らしい。 で もあ あ ……。 まわ りにあ る美 しい べて もの一一 気持 よい森 ,白 い道 ,緑 の芝生 , 日の輝 く青空一一 な どがす 見 られ るけれ ど,そ れ らを楽 しむ ため の 自由 な時間 や 自由 な考 えは持 てな いので す。子供 たちが いつ も私 と一緒 な のです。破 らを叱 る ことは問題外 だ とす ぐ気 づ きま した 。 好 きなよ うに させ ま しょう 。 母親 へ 不平 を言 っ て も,恐 ろ しい 目を向け られ て ,子 供 たちをかば うため の不 当な不 公平 な 弁解 を され るだけです 。 子供 たちを一度 叱 ってや ると , 非 常 に効果 て き めんだ った ので , も うこれか らは叱 る ことは しな いで しょう 。 この前 の 手紙 で (シ ジ ウィク)夫 人 は私 を理解 しな い と書 きま した。今わ か りか け た ことだ け ど,彼 女 には私 を理解 しよ う とす る気持 はな く,私 の ことで気 にす るのは, ど う した らで きるだけ働かせ られ るか とい う ことだけで ,そ のため に私 に 山 のよ うな針仕事 を与 え て 困 らせ ます。何 ヤー ドもの亜麻布 の縁 ど り,モ ス リンの ナイ トキ ャ ップ作 り,そ れ に特 に人形 の着物作 りな ど。彼女 は私 の ことを少 しも好 きでな い と思われ ます。私 は これ まで 次 々 と変 わ る見知 らぬ顔 に取 り巻 かれ て きま したが, このよ うにま った く新 し. 16)ジ. ョン・ベ ンソン・シジウィク (1800年 生まれ)は ロザーズデイル地 区での紡績. 工場主だ った。 ャスケル夫人 は, この手紙 の中の非難めいた言葉を省 いた り激 しい言葉を書 き 改めた りしている。 この次 の文 も省かれている。. 17)ギ.

(14) 「 シャーロット・プロンテの生涯」. 58. い場面 で は恥ず か しが らず にはい られ な いか らです。 ……以前 よ く上流 の 人 び との社交界 の興奮 の 中 にお りた い と考 えた もので したが,も うた くさ んです一― 傍観 し,耳 を傾 け るのはわび しい ことで す。 これ まで以上 に 明 らか にわか るのは,家 庭教師 には生 活 はない し,果 たす べ き退 屈 な義務 に 関係す る以 外 ,理 性 の あ る人 間 と考 え られ ること もな い とい うことで す。 …… ここで 過 ご した最 も楽 しい午後 の一 つ 一一 か りに も楽 しい と言 え る本 当 に唯 一 の午後 ―― は (シ ジ ウィク)氏 が子 供 たち と散歩 にでか け,少 し 後 を つ いて くるよ うに命 じ られた時 で す。彼 が片側 に大 きな ニ ュー フ ァ ン ドラ ン ド犬 を連 れて野原 をぶ らぶ らと歩 く時 ,い か に も率直 で裕福 な保 守 党 の紳士 らしく思 え ま した。彼 は会 う人 び とに気軽 に気 取 らず に話 しか け ま した し, 自分 の子供 たちには気 ままに させ ,彼 自身 にひ ど くうるさ くし て もそ の ままに させ ま したが,他 の人 び とをひ ど く侮辱 す るのは許 しませ んで した。. (友 人 あ て に鉛筆 で書 いた もの). 1839年 7月. 18). 応 接間 へ 行 かな い とイ ン クが 手 に入 りませ んが,そ こへ は行 きた くあ り ませ ん。 ……毎 日あなたのお便 りを待 ち,お 便 りを下 さ らな い こ とを不思 議 に思 い悲 しんで い るので なか った ら,ず っと前 に手紙 を さ し上 げ て,最 近 私 が 投 げ こ まれ た全 然新 しい場面を詳 し くお知 らせ した ことで しょ ぅ。 なぜ な ら,覚 えて い らっ しゃるで しょ うが,今 度 はあなたが手紙 を下 さる 番 だ ったの よ。 前 の手紙 で 大 げ さな こ とを書 いたので はないか と思 い ます が,私 の悲 しみで あ ま りお悩 ませ して はな らな いの で す。 も しあなたが そ ばに い らっしゃ るな ら,何 もか もお話 した くな り,ひ と りよが りにな って. ,. 家庭教 師 の最初 の職場 での試練 と苦難 の長 い身 の上話 を さん ざんお話 した くな るか も しれ ませ ん。 だが実際 は近 くにい らっしゃ らな いので,大 勢 の. 18)シ. ョーターは日付を 6月 15日 とし,後 の他 の書 では 7月 1日 としているが, S.. H.B。 は 6月 30日 付 けとして い る。.

(15) ギ ャスケル夫人著・和知誠之助訳. 59. 家族 <一― くじゃ くのよ うに高慢 で ユ ダヤ人 のよ うに富裕 な一一 >の ま っ ただ 中 にす ぐに投 げだ され , 彼 らが と りわ け陽気 で 一一 その家が人 び と 一 ―知 らな い人 ばか リーー 顔 を見 た こと もな い人 び と一一 で い っぱ いの時 の,私 のよ うな遠慮 がちなあわれ な者 のみ じめ さを想 像 して とお願 いす る だけです。 この状 態 で私 は,わ が ままな甘 やか された乱暴 な子供 たちを任 せ られ ,彼 らを教 え るの と同様 ,た えず楽 しませ ることも期 待 されて い る ので す。 いつ も大 いに元気 を 出 して い るよ うに要 求 され るため,元 気 もす っか りな くな って しま った ことに間 もな く気 づ きま した。 時折 ,私 は憂 う つ な気分 に な リーー また,そ のよ うに見 えた と思 い ます。驚 いた ことに. ,. その ことで私 は (シ ジ ウィク)夫 人 にほ とん ど信 じ られ な いほ ど厳 しくま た荒 々 しい言葉 で とがめ られ,あ ほ うの よ うにひ ど く泣 きま した。 泣 かず にはい られ なか ったのです。 初 め,す っか り気力 をな くしま した。 それ ま で気 に入 るよ うに最善 を つ くし一一 全精力 を注 いでいたのに,私 が 内気 で 時 々憂 うつ だ とい うだけ の ことで,そ ん なふ うに扱 われ るとはひ ど過 ぎる と思 い ま した。最 初 は,私 はす べ てを諦 めて家 に帰 ろ う と思 い ま した。 し か し,少 し考 えて み て,あ る限 りの精力 をふ るい立 たせ て嵐 を切 り抜 けよ う と決 心 し,わ が 身 に言 い 問かせ ま した,『 一人 の友 も得 ず に どこかを去 った ことは今 まで にない。 逆境 は良 い学校 で あ る。貧 乏人 は苦 労す るよ う に生 まれ つ いて お り,雇 い人 は耐 えね ばな らな い』 と。私 は耐 え しのび感 情 を押 え , す べ てを受 け入 れ よ う と決 心 しま した 。 試練 は何週間 も続 く ことはないだろ う と思 い,そ れ は きっと私 のため にな るだろ う と思 い ま し た。柳 と樫 の木 の寓話 を思 い 出 し,静 か に身をか がめ ま した。 今 や嵐 は私 の上 を吹 き過 ぎて い ると確 信 して い ます。 (シ ジ ウィク)夫 人 は感 じの良 い人 だ と一般 に考 え られ ていて ,事 実 一 般 の交 際 で はた しか にその通 りで す。 <夫 人 は健康 で,と て も元気 で,そ のため 陽気 に人 と交 わ ります。 し か し,お お/. だか らとい って ,繊 細 な感情 や一一 や さ しく思 いや りあ る. >夫 人 の私 に対す る態度 情感一一 の欠如 の埋 め合 わせ にな るで しょ うか。 は,今 で は最初 よ りは幾分丁寧 で,子 供 たちは少 し扱 いや す くな りま した。.

(16) 「 シャー ロッ ト・ブロンテの生涯』. 6θ. しか し夫人 は私 の性格 を知 らな い し,知 りた い と も思 って い ませ ん。私 は 夫人 とは,叱 られ て い る時 は別 に して , ここに来 てか ら 5分 以上話 し合 っ た ことはあ りませ ん。 あなた以外 の人 に同情 された くあ りませ ん。 も しあ なた と話 を して い るのな ら,も っと もっとお話 で きるで しょ うに。. (こ. の 頃 ,エ ミリにあてて ). わが美 しきい と しき人 ,お 便 りを い ただいて なん と も言 えな いほ ど うれ しか ったわ 。家 か らの消息 は,本 当 に純粋 に嬉 しい ものなので,就 寝 時間 まで取 って お いて ,ひ とときの静 け さと休息 の得 られ る時 に,完 全 に楽 し むの。 書 け る時 は いつで も書 いて ね。 で きる もの な ら家 にいたい。工 場 で 働 きたいわ。心 の 自由を感 じた い。 この東縛 の重荷 を取 り去 って ほ しい も のだわ。 しか し休暇 がや って くるわね。「勇気 を。」. この気性 の合 わ な い家族 に彼女 が雇われ たのはつ かの 間 で あ り,彼 女 は こ の年 の 7月 にはそ れをやめた。 それ まで に精神 と体 力 へ の絶 え 間 な い緊張 は. ,. ふ たたび彼女 の健康 に影 響 を及 ぼ して いた が , このひ 弱 さが 動悸 と息切れ に 現 れ た時 も,そ れ は見せか け―一 うん と叱 ると追 い払え るよ うな仮病 の状態 だ とみな された。 彼女 は感傷 的 な放縦 なや り方 で とい うよ りは,む しろ スパ ル タ式忍耐 のや り方 で育 て られて いたので,黙 って 多 くの苦痛 に耐 え,多 く の希望 を放 棄す ることがで きたのであ る。 彼女 が家 に帰 って 1週 間程 た った時 ,友 人か ら,楽 しみ だけを 目的 と した 小旅行 に一 緒 に行 こ うと提案 された。初 め は,彼 女 はその考 え に飛 び つ いた が ,彼 女 の希望 はその ままで ,や がて衰 え,ほ とん ど消えか けたが,何 度 も 延 ば した後 に実現 された。彼女 の短 い生涯 の 間 で は,空 気 の泡 が何度 も彼女 の 目の前 で 踊 り,楽 しみ よ りむ しろ厳 しい現 実 にな ることが 多 か ったが,つ. 19)1839年 7月 。. 20)シ. ャー ロ ッ トのシジウィク家 での勤め は1839年 5月 か ら 7月 までの 2カ 月足 らず. である。.

(17) ギ ャスケ ル夫人著・和知誠之助訳. δゴ. いにこの計画が実行 されると,そ れ と相似 た場合 の うち,そ れは彼女 の短 い 生涯での好 ましい例 となった。. 1839年 7月 26日 1)に. あなた の提案 で 私 はほ とん ど,「 まった くの浮かれ騒 ぎ」. な りま した。. も しその貴婦人 らしい表現 がおわか りにな らな い な ら,お 会 いす る時 その 意 味をお尋 ね にな らな くて はな りませ ん。 ほん と うはあな た と一 緒 の旅行 な ら,ク リー ソープ. ヘ で もカナダヘ で も どこで も,二 人 だけな ら非 常 に. 楽 しいで しょ う。 た しか に行 きたいのですが, 1週 間以上留守 は許 して も らえ な いので,そ れではあなたには ご都合 が悪 いで しょ う。 そ うす るとそ れを ま った く諦 めね ばな らな いので しょ うか。 とて も諦 め られ な いよ うな 気 が します。 これ までそ う した楽 しみの機会 に恵 まれ た ことは あ りませ ん。 本 当 にお会 い し話 し合 い一 緒 に居 たい もので す。 いつ行 こ うと思 って い ら っ しゃるの ?. リーズでお会 いで きますか。 ハ ヮー スか らバ ー ス トール ま. で二 輪馬車 に乗 るとな ると,私 には とて も大変 な出費 の増加 にな ります し. ,. た また ま今現 金 が非 常 に乏 しいので す。 ああ/. お金持 は,私 たちが締 め. ノ 出され て い る多 くの楽 しみを思 いの ままにで きるよ うで す。. しか し ぐち. は禁止 。 いつ お行 きにな るかお っ しゃって 下 さると,ご 一 緒 に行 け るか ど うか は っき りご返事 で きるで しょ う。 そ う しなけれ ばな らな い し一― そ うす るつ も りで す じ―― 今 そ うす る ことに決 め ま した。 がん こにす べ て の反対 を克 服す るつ も りで す。. 追伸―一 上 の ことを書 いて 後 ,伯 母 と父 が 2週 間 リヴ ァプ ールヘ 私 たち す べ て を連 れて 行 くこ とに決 めた ことを知 りま した。 しか しそのため に私 は ク リー ソー プヘ 行 く計画 を諦 めね ばな らな いので す。 しぶ しぶ従 い ます。 21)二 五として ス コ ッ トラン ド,ゴ ヒイ ングラン ドで用 い られ る語。. 22)イ. ングラン ド東部 リンカー ンシャー州の,ハ ンバ ー河 回の港。.

(18) 「 シャーロット・ブロンテの生涯』. 62. この頃 ,ブ ロンテ氏 は健康 の衰 えか らか,教 区 の人 び との増加 のためか ら か,牧 師補 の助力 を受 ける必要 に気 づい たよ うで あ る。少 な くとも この夏 に 書 かれ た手紙 の 中 に,そ の後 ハ ワー ス牧 師館 につ ぎつ ぎとや って来 て ,そ こ に住 む娘 の一 人 の心 に印象 を与 えた一連 の牧 師補 たち. の最初 の もの につ い. て述 べ られ てお り,そ の娘 は彼女 の受 けた印象をかな り明 白 に世 に伝 えて い る。 そのハ ヮースの牧 師補 は,近 辺 の牧 師友 達 や 隣人 たちを連 れ て きたが. ,. しば らくの 間 は,牧 師館 の お茶 の時間近 くに彼 らが や って くると,そ こでの 静 か な生 活 に変化 が生 じ,時 には愉快 な,時 には不愉快 なで き事 が起 きた。 次 の手紙 の最 後 に記 録 されて い る小 さな 冒険 は,た いていの女性 には珍 しい こ とであ り,こ の場合 は シ ャー ロ ッ トが一― 顔立 ちは きわめ て 平凡 だが一一 家庭 の幸 福 と 自由 の 中 に居 る時 に持 つ異常 な魅力を証 明 して い る。 24). 1839年 8月 4日 リヴ ァプ ールの旅行 はまだ話 の種 にな って い るだけで,一 種 の空 中楼閣 の よ うな もので す。 しか し内緒 で すが,そ れが もっとは っき りした ものに な ることがあ るか ど うか は とて も疑 わ しい と思 い ます。伯母 は一一 他 の多 くの年配 の人 び との よ うに一一 そのよ うな ことを話 す のが好 きです。 しか し実行 に移す とな ると,む しろ引 き下 が ります。 そのよ うな事情 で すか ら ,. 他 の人 び ととは別 にあなた と私 が一 緒 に どこか へ 行 くとい う 最初 の 計 画 をあ くまで 実行す る方 が良 い と思 い ます。私 は 1週 間一― せ いぜ い 2週 間 一 一 それ以上 はだめ で すが一一 お伴 して もよい との許 しを得 ま した。 どこ 25). へ い らっしゃ りた いで すか。 メア リの言葉か ら判断 して ,バ ー リン トン. 23)プ ロンテ氏 の牧師補 は全 部 で 5人 一一 (1)ウ ィ リア ム・ ホ ジソ ン,1835-38,(2) ウ ィ リア ム・ ウ ェイ トマ ン氏 ,1839-42,(3)ピ ーター・オ ーガスタス・ ス ミス 1842-44,(4)ア ーサ ー 0ベ ル・ ニ コルズ氏 ,1844-53,お よび 1854-61,(5)デ ・ ,. レンチ氏, 1853-54。. 24)エ レン・ ナ ッシーあての手 紙 。 25)ヨ ーク シ ャー州 イー ス ト・ ライデ ィ ングの東 海岸 にあ る有名 な保養地 で,現 在 は プ リッ ドリン トン。.

(19) ギャスケル夫人著・和知誠之助訳. δ3. が他 の どこよ りもよ さそ うで す。 いつ 出発 しますか。 万事 ご都合 の良 い よ うに取 り決 めて下 さい。 私 はなんの苦情 も申 しませ ん。海 を見 られ ると 思 うと一― 海 の近 くに行 き一― 静寂 の 中で あろ うが嵐 の 中で あろ うが一一 日の 出,入 り日,月 光 ,真 昼 な どによる変化 を見 られ ると思 うと,私 の心 は一 杯 にな り満足 で す。何 ご とに も不満 を抱 か な いで しょう。 その時 ,私 が一 緒 にい ることに な るのは,何 の 関係 もな い人 び と一一 厄介 で うん ざ り させ られ るよ うな人 び と一― で はな く,私 が好 きで よ く知 ってお り,ま た 私 の こ とを よ く知 って くれ て い るあなただけだか らです。 奇妙 な こ とをお話 しま しょ う。大笑 いの準備 を して下 さい/ 師 の (ホ ジソ ン)氏. 26). 先 日,牧. が牧師補 を つ れ て 私 たちの所 ヘ ー 日を過 ご しにや っ. て来 ま した。 (ブ ライ ス)氏. 27)と. ぃ ぅ名 のその牧師補 は,ダ ブ リン大学 を. 出たて のアイル ラ ン ド人 の若 い牧 師 で す。私 たちは誰 も彼 に会 ったのは初 めてで したが,彼 はいか に もアイル ラ ン ド人 らしく,す ぐに気 楽 にふ るま い,会 話 の 中 にす ぐに性格 を現 しま した。 機 知 に富み陽気 で 熱 心で才気 も あ りま したが,イ ギ リス人 の持 つ威 厳 と慎 重 さには欠 けて い ま した。 家 で は私 は気楽 に話 し,け っ して 内気 で はな く一一 他 の所 な ら私 を苦 しめ圧 迫 す るあのみ じめな「 はにかみ」 に悩 まされ 苦 しめ られ ることはあ りませ ん。 そ こで 私 は このアイル ラ ン ド人 と話 し彼 の冗談 を笑 い ま した。彼 の性格上 の欠点 に気 づ いて い ま したが,彼 の奇抜 さがお も しろいので欠点 を大 目に 見 ま した。 その夜遅 くな る頃 には,私 はほん とに少 々冷静 にな り引 き締 め て きま した。 彼 が私 の あ ま り好 きで な いアイル ラ ン ド人特有 のお世辞 をす こ し会話 に添 え始 めたか らで す。 しか し彼 らは去 り,そ の後彼 らの こ とは 何 も考 え ませ んで した。 2, 3日 後 ,私 は 1通 の手紙 を受 け取 りま したが. ,. 見慣 れな い筆蹟 だ ったので私 あて なのに当惑 しま した。 明 らか にそれ は. ,. 26)一 時おそ らく自発的にブロンテ氏の牧師補を勤めた ことがあったようだが,. この. 時 はランカシ ャー州 コウ ンの牧師 だった。. 27)こ の牧師補を「 プライス」 としているものもあるが,(デ イヴィ ド・)ブ ライスが 正 しい。.

(20) 「 シャー ロット・ブロンテの生涯』. δイ. 私 の唯 一 の文 通 者 で あ るあなたか らで もな くメア リか らで もあ りませ んで した。開封 して読 んでみ ると,そ れ は例 の賢 明な る若 いアイル ラ ン ド人 が ノ 燃 え るが如 き言葉 で表現 した愛情 の告 白 と求婚 だ とわか りま した。 ど う か大笑 い して下 さい。 これ は胸 お どるよ うな体験 ら しくはな いで しょう。 8Ь. マーサ 方に似つかわしいことです。私はきっと老嬢になることを運命 づ け られているのです。気に しないで下 さい。12歳 以来 その運命を覚悟 し ているのです。 だけど,一 目惚れ のことは聞いたことがあるけれど, これはそれどころ ではないわ, と思 い ました。私 の答 がどうだったかは ご想像 におまかせ し 29). ます。 あな たが間違 った推測 はな さ らな い と確信 して。 30). 8月 14日 に彼女 はまだハ ワー スか ら手紙 を 出 して い る一一. 楽 しみ に して い る旅行 のため旅行鞄 を荷造 りした り,あ らゆ る準備 を し ま したが無駄 で した。 た また ま今週 と来週 は乗物 が手 に入 らな いので す。 ハ ワー スで賃 貸 しす る唯 一 の二 輸馬車 は今 ハ ロギ ィ ト に あ り,お そ らく 父 は,私 が乗合馬車 で行 って バ そ こにい ることにな りそ うだ との ことで す 。 ー ス トール まで歩 くことには っき りと反対 します。私 には きっと うま くや れ るのですが。伯母 は天候 や道 やあれ に も これ に も文句 を言 い ます。 そ こ で 私 は進退 きわ まって い ます し,さ らに悪 い ことには あなた もそ うな ので す。 この前 のお手紙 (つ いでなが らそれ は絵 文字 のよ うな書 き方 を されて いたので,最 初急 いで読 んだ時 は, 2語 と続 けてはほ とん ど理解 で きな い ほ どで した)を. 2, 3度 読 み返 してみて,も しこの旅行 を木曜 日まで ほ っ. てお くとお そ過 ぎる ことにな るとほのめか して い られ る ことに気 づ きま し. 28)メ. ア リ・ テイ ラーの姉 マーサは情熱的 な人だ った。. 29)ブ ライス氏 は翌1840年 1月 17日 に29歳 で急死 した。 30)エ レン・ ナッシーあて。 31)ハ ワースの東北約20マ イル にある町。.

(21) ギキスケル夫人著・和知誠之助訳. δ5. た。非 常 に ご迷惑 をおか け した ことと悲 しんで い ます。 しか し私が行 ける 見込 み はあ ま りな さそ うなので,金 曜 日とか土 曜 日とか 今 申 し上 げな くて もよいで しょ う。年上 の方 た ちは, この計画 に心か ら同意 して はいなか つ たので,ど の段 階 で も障害 が 出始 め るよ うにな ると,反 対 を一層 は っき り とさせ ます。父 はほん と うに,私 の好 きなよ うに させ て くれ るで しょ うが. ,. この優 しさのため,か え って それ に頼 って いいの か ど うか疑 間 にな ります。 それで,伯 母 の不満 と争 い抜 くことはで きて も,父 の寛 大 さには負 け て し まい ます。父 は日には 出 しませ んが,私 が家 にい る方 を望 んで い る ことは わか ってい ます。 そ して伯 母 もお そ らく善意 か らだ ったで しょ うが,あ な た と私 の間 で万事 きまるまでは っき り反対 だ と言 わず にいた こ とが腹立 た しいので す。私 を も う当 て に しないで下 さい。私 の ことは あなたの予定 か ら除外 して 下 さい。 おそ らく,初 めに十 分慎重 に して,そ ん な楽 しみを期 待 しないよ うに 目をふ さいで , 自分 で望 みを持 たないよ うにす べ きだ った ので す。 あなたを失望 させ たので すか ら思 う存分 お怒 り下 さい。 そん なつ も りで はなか ったのです。 そ して , もう一 つ だけ言 う ことが あ ります一一 も しす ぐに海 にお行 きにな るのでな ければ,ハ ヮー スの私 たちの ところへ. ブ リッ ドリン トンの海岸 (1977年 7月 撮影 ).

(22) 「 シャーロット・ブロンテの生涯」. δδ. 来 て下 さい ませんか。お招 きす るのは私だけではな く父 も伯母 もです。. しか し,も う少 しが まん し,も う少 し遅 れ て 彼女 は非 常 に望 んで いた楽 し みを味わ った。彼女 と友人 は, 9月 の後半 に 2週 間 イー ス トン ヘ 行 った。 ここで 彼女 は初 めて海 を見 て 感動 したのであ る。 33). 10月 24日. エ レン,海 を今 まで に も う忘 れ て しまわれ た の ? でお ぼろげにな った の ?. 海 はあなた の心 の 中. そ うで なけれ ば黒ず んだ,青 い,緑 の,そ して. 泡立 つ 白 い海 を まだ 目 に浮 べ,風 の強 い時 あ らあ らしくと どろ き,穏 やか な時静 か に突 進す る音 を聞 くことがおで きにな るで しょう。 ……私 は必要 なだけ元 気 で,非 常 に太 って い ます。何度 も何度 もイー ス トンの ことを思 い 出 します。 それ に りっば なH氏 35)へ. ル キ ン森 や ボイ ン トン 36)と. チオ ン. 34). の ことや,親 切 な奥 さんの こと,ハ ー. の楽 しい散歩 ,楽 しく遊 んだ 夕 べ ,小 さなハ ン. ふ ざけまわ った ことな どを 。 も し私 たち二 人 が 長生 きすれ ば. ,. この時期 は,長 い間楽 しい思 い 出 の種 にな るで しょ う。 H氏 へ のお手紙 の 中 で私 の眼 鏡 の ことにふれ て下 さったか し ら。眼鏡 がないので非 常 に不便 なの。 それがな いので,気 楽 に読 み書 きも絵 を描 くこと もで きないのです。 夫 人 は眼鏡 をお返 し下 さる ことと思 い ます。 … … この手紙 が短 いの をお 許 ークシヤー州 ブ リッ ドリン トンの西 2マ イル にある。エ レンはシ ャー ロ ッ トが 馬車 でハ ワースまで迎えに行 って連 大 きな失意状態にあ るのを心配 して, 自分か ら′. 32)ヨ. れて行 ったのであ り,イ ース トンに 203週 間 (1カ 月間 とす るもの もあ る),さ ら にブ リッ ドリン トンの海辺のがけの上 の下宿 に 1週 間滞在 した。初めて海を見た時 のシャー ロ ツ トの感激 は強烈 で, この旅行 についての鮮やかな思 い出がエ レンの筆 で残 されて いる。. 33)1839年 。. 34)ジ ョン 0ハ ドソ ン氏。二人 はイース トンにあるこの農場主の家に泊 った。 35)ど ち らもイース トンのす ぐ近 くにあ る。 36)実 名 はファニ ィ・ ウィツプ。ハ ドソン氏 の姪か養女かで当時 8歳 位だ った。.

(23) ギ ャスケル夫人著 0和 知誠之助訳. δ/. し下 さい。 1日 中絵 を描 いて いて ,日 が非 常 に疲れ て 書 くのに とて も骨 が 折 れ るか らな ので す。. しか し,こ の楽 しみの鮮 明な思 い 出が うすれ た頃 ,一 つ の事件 が起 きて現 実 の生活上 の義務 が しば らくの 間幾分重 々 しい圧迫 とな った。. 37). 1839左 12メ ]21日. 「. 私 たちは今 かな り忙 しい し,先 日もそ うで した。 とい うのは,そ の 間使 い走 りをす る小 さな女 の子以外 の召使 いが いなか ったか らで す。かわ いそ うに タ ビー はひ どいび っこにな ったので,つ いに私 たちの ところを去 らね ばな らな くな りま した。 彼女 は 2年 前貯金 で買 った 自分 の小 さな家 に妹 さ ん と一 緒 に住 んで いて,大 変安楽 で何 の不足 もあ りませ ん し,近 くにい る ので私 たちは彼女 に とて もよ く会 い ます。一 方 エ ミリと私 はアイ ロンか け を した り部屋 を掃 除 した りし,エ ミリはパ ンを焼 き台所仕事 を します。私 たちは とて も奇妙 な しろ もの なので,新 しい人 に来 て も らうよ りこの よ う なや り方 の方 が好 きなのです。お まけに,タ ビー の戻 るのをあ き らめて い な いので,彼 女 のいない間 に見知 らぬ新 しい人 を代 わ りに来 させ ることは しませ ん。私 は初 めて アイ ロ ンか けを した時 ,洋 服 を焦 が して 伯母 を怒 ら せ ま したが,今 は もっと うま くやれ ます。人 間 の感情 とい うものは妙 な も ので す。私 はわが家で ス トー ブを黒鉛 で みが き,ベ ッ ドを整 え,床 を掃除 して い る方 が,他 の どこかで 貴婦人 のよ うな生 活 をす るよ りず っと幸 せ な ので す。 ユ ダヤ人 へ の寄付. は実際 やめね ばな りませ ん。 それを続 け るお. 金 が な いか らで す。 この意 向を前 に 申 し上 げ てお くべ きで したのに,寄 付 して い ることをす っか り忘れて い ま した。家庭教 師 とい うものは,考 え る だけで もいやで,大 嫌 いで すが,職 につ けるな らど う して もまた家 庭教 師. 37)エ レン・ ナッシーあて。 38)お そ らくユダヤ人のための慈善協会へ の寄付 であろう。.

(24) δ8. 『 シャーロッ ト・ ブロンテの生涯』. にな るつ も りで す。私 はそれをせね ばな りませ ん。 だか ら家庭教 師 とい う よ うな もの を必要 とす る家庭 があれ ばお 知 らせ 下 さるよ う心 か ら望 んで い ます。. (未 完 ).

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