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左手の演奏家研究序説 : 障害と芸術の関係についての検討 利用統計を見る

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Academic year: 2021

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(1)左手の演奏家研究序説 -障害と芸術の関係についての検討- 長 谷 部. 覚. (山梨大学大学院). Ⅰ.はじめに. 本小論では障害と芸術の関係,特に障害のある演奏者について考える。研究対象には, 障害が演奏に直接的に支障をきたす上肢の運動障害とピアノ芸術の関係を選択した。研究 の都合上,より正確な楽譜が存在し,演奏に支障が生じやすく,他者との関わり合いの必 要性の高い,クラッシック音楽の作品に限定する。 片腕※という障害は,後天性である場合が多く,芸術家生命に大きな影響を与える。代 表的な原因は,脳血管障害などの疾患,事故,戦争による負傷などである。片腕の著名な 奏者には館野泉,パウル・ウィトゲンシュタインらがおり,いずれも片腕演奏のための作 品を自ら書く。 楽曲提供時に奏者の希望が叶えられるのか,作曲時の制限,作曲者と演奏者との関係に ついて整理する。 この作業によって,全ての人にとって芸術の喜びを得る機会が平等であることを再認識 し,障害のある人のために芸術がどうあるべきか考える。. Ⅱ.方法. 障害と芸術との関係を考える最初の段階として,作品と人物とに視線を向ける。. 1.対象 (1)作品 本研究では,主に左手での演奏を前提とした作品を中心とする。以下に,村木(2008)と 館野(2007)を参考に選択した対象を列挙する。 ○. ラヴェル:『左手のためのピアノ協奏曲』(パウル・ウィトゲンシュタイン委嘱,初演). ○. プロコフィエフ: 『ピアノ協奏曲第4番』(ウィトゲンシュタイン委嘱,ジークフリート・ラップ初演). ○. ヒンデミット:『管弦楽を伴ったピアノ音楽(左手のための)op.29』 (ウィトゲンシュタイン委嘱,レオン・フライシャー初演). - 48 -.

(2) ○. シュミット:『2つのピアノ5重奏曲』(左手ピアノ,クラリネット,弦楽3重奏). ○. コルンゴルド:『ピアノ5重奏曲op.15』. ○. スクリャービン:『左手のための2つの小品』. ○. 間宮芳生:『風のしるし』. ○. 吉松隆:『ケフィウス・ノート』. ○. 池田悟:『planetarium(右手のための)』. (2)人物 ○. パウル・ウィトゲンシュタイン(1887-1961). ○. 館野泉(1936-). 2.分析の観点 以上の対象を分析する際,次の3つの観点にて記述するが,本小論では(3)の観点を重視 する。 (1)作品分析 片腕への配慮(音域,役割,譜めくりの利便など)と作曲家へのその影響,芸術性,制 限の影響,ダンパーペダルによるカバーの効果の検討。 (2)演奏分析 表現,奏者の比較,芸術性,片腕という制限の影響,片腕であることを気付かせない演 奏,また気付かせまいとする必要性や前提に関しての検討。 (3)演奏家の事例研究 楽曲に纏わる演奏家,障害をもった経緯,障害の部位や程度,障害が後天的であるか否 かについての検討。 Ⅲ.パウル・ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein, 1887-1961) オーストリア生まれのピアニスト。第一次世界大戦で右腕を失ったが演奏活動を続け, 多くの作曲家に左手だけで演奏可能な作品を委嘱した。 ウィトゲンシュタイン家は,パウルの父系で3代前,母系で2代前にキリスト教に改宗し た。しかし,ユダヤ系の強い家系であり,ニュルンベルク法ではユダヤ人と分類されてい た。ナチ党の政権掌握,1938年のドイツによるオーストリア合邦に伴い,パウルは彼の2 人の姉妹にウィーンを離れるように説得する(弟のルートヴィヒは数年前からイギリスに 渡っていた)。2人の姉妹は出国を渋っていた。彼女らは自分たちの家に深い愛着を感じ, また,ウィトゲンシュタイン家のような著名な一家に危険が迫っているとは信じなかった。 パウルはナチス政権によりコンサート活動を禁止されていた。パウルは1938年にアメリカ 合衆国へと出国した。パウルとルートヴィヒは海外から,既に国外に移転していた一族の 資産と法律家たちへの「コネ」を利用することで,姉妹の「非ユダヤ人」認定を得ること - 49 -.

(3) に成功した。 パウルは1946年にアメリカ合衆国の市民権を取得し,余生を同国で,主にピアノ教育者 として過ごした。1961年にニューヨークで死去した。. 1.生涯と仕事 実業家カール・ウィトゲンシュタインの息子としてウィーンに生まれる。2歳年下の弟 が哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインである。 ウィトゲンシュタイン家には多くの文化人が出入りしていた。その中には作曲家ブラー ムス,マーラー,リヒャルト・シュトラウスらもいた。若きパウルは彼らと連弾で演奏も したという。パウルはマルウィーヌ・ブレーに,後にポーランドの巨匠テオドル・レシェ ティツキに師事し,1913年にデビューを飾る。演奏の評判は概ね好意的なものだった。 翌年,第一次世界大戦が勃発し,パウルは召集される。彼はポーランド戦線で戦傷を負 い,ロシア軍の捕虜となる。この戦傷のため右腕を切断しなければならなかった。傷の回 復後,彼は左手だけで演奏活動を続ける決心をした。終戦とともにパウルは行動を開始す る。様々な作品を左手だけのために編曲した。かつての師ヨーゼフ・ラボール(ラボール 自身は盲目であった)がパウルのために作曲した作品を習得した。こうして再びコンサー ト活動を再開したパウルは多くの人々に愛された。彼は多くの作曲家たちに,自分のため の楽曲提供を依頼した。ブリテン,ヒンデミット,コルンゴルトらがその求めに応じた。 モーリス・ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』は,奏者であるパウル・ウィトゲン シュタインとともに後世に残ることになった(しかし,初演時にパウルはピアノ・パート を大幅に書き換え,ラヴェルといさかいを起こしている。だが後年に他人の演奏を聴いて から,自分の非を認め,作曲者の判断が正しいとした)。 プロコフィエフもパウルのために『ピアノ協奏曲第4番 変ロ長調』を作曲している。パ ウルは「一音符たりとも理解できない」とまで言い切りこの曲を好まず,公開の場で演奏 することはなかった。パウルは作品を書いてくれたプロコフィエフに「作品を書いて下さ り有り難うございます。でも私には演奏出来ません」という旨の礼状を出している。 リヒャルト・シュトラウスの作曲した『家庭交響曲余録』に対するパウルの感想は「左 手一つで四管編成のオーケストラと渡り合えるのか」という批判的なものであった。 パウルが依頼した作品は左手のピアニストに限らず,両腕のピアニストにも演奏されて いる。. 2.年譜 1887. 5月11日,ヴィーンに生まれる。. 1897. テオドール・レシェティツキの助手,マルウィーヌ・ブレー からピアノを習い始める(-1907)。. 1903. ギムナジウムに入学。. 1908. オーストリア軍の義務兵役に就く(-1909)。. 1910. テオドール・レシェティツキにピアノを師事。同時期にヨーゼフ・ラボーアにも師事。. - 50 -.

(4) 1913. 12月1日,ヴィーン楽友協会大ホールでのコンサートでデビューする。リストの『協奏曲変ホ長 調(第1番)』などを演奏。(同年1月20日,父カール没). 1914. 3月30日,ヴィーン楽友協会大ホールにて第1次世界大戦前最後のコンサート。8月,軍務に就く。 おそらく直後,ポーランド(当時ロシア領)のザモスク近郊での戦闘の際に負傷。ロシア軍の 捕虜となる。軍病院に収容され,右腕を切断。その後,シベリアの捕虜収容所に移送される。. 1915. 11月,捕虜交換により,国際赤十字の保護のもとスウェーデンに移送される。12月,ヴィーンに 帰還,切断後の右腕の予後が悪かったため,再び切断手術を受ける。直後からピアノの練習を再 開。. 1916. 12月12日,ヴィーン楽友協会大ホールにて復員後初のコンサート。ヨーゼフ・ラボーアの新作, 変奏曲形式による『コンツェルトシュトゥックニ長調』を世界初演。. 1917. 志願し,夏頃から軍務に復帰(-1918)。. 1918. 11月3日,戦争終結。. 1923. この頃から左手のための作品の委嘱を始める。11月29日,ボルトキエヴィッチの『ピアノ協奏曲 第2番作品28』を世界初演。. 1924. 2月2日,フランツ・シュミットのベートーヴェンの主題による『協奏的変奏曲』を世界初演。9 月22日,コルンゴルトの『ピアノ協奏曲嬰ハ調作品17』を世界初演。. 1925. 10月6日,ドレスデンにてR.シュトラウスの家庭交響曲の『パレルゴン作品73』を世界初演。. 1927. 4月26日,シュトゥットガルトにてフランツ・シュミットの『5重奏曲ト長調』を世界初演。. 1928. 1月16日,ベルリンにてR.シュトラウスの『パンアテネ行進曲作品74』を世界初演。. 1930. 10月21日,コルンゴルトの『組曲作品23』を世界初演。. 1931. 新ヴィーン音楽院のピアノ科教授に就任(-1938)。. 1932. 1月5日,ラヴェルの『左手のための協奏曲』を世界初演。. 1933. 3月16日,フランツ・シュミットの『5重奏曲変ロ長調』を世界初演。(ドイツ共和国にてナチス 政権の成立). 1934. ピアノの生徒だったヒルデ・シャニアと結婚。カナダ・アメリカへ楽旅(-1935)。ラヴェル,R. シュトラウス,コルンゴルト等を演奏する。. 1935. 2月9日,フランツ・シュミットの『ピアノ協奏曲変ホ長調』を世界初演。. 1938. 3月のナチス・ドイツによるオーストリア併合を受け,イギリスにルートヴィヒを訪ねた後,ス イスとキューバを経由しアメリカに亡命。ニューヨークにピアノのスタジオを構えて個人的に レッスンを行うかたわら,ラルフ・ウルフ音楽院でも教える(-1943)。. 1939. 4月,ベルリンにてウィトゲンシュタイン家の財産のナチス側への引渡しに関する交渉が始まる。 7月,ニューヨークにて,ルートヴィヒらを交えて交渉。8月20日,チューリヒにて交渉妥結。ド イツ帝国内に残された財産のほとんどがドイツ帝国銀行に引き渡される。フランツ・シュミット の作品の二手用編曲の許可に関して,作曲家の未亡人マルガレーテを告訴。12月12日,フリード リヒ・ヴューラー,フランツ・シュミットの『5重奏曲イ長調』を二手編曲版のかたちで世界初 演。第2次世界大戦勃発。). 1940. マンハッタンヴィル大学教授に就任(-1945)。フリードリヒ・ヴューラー,フランツ・シュミッ トのトッカータを二手編曲版のかたちで世界初演。. 1942. 1月16日,フィラデルフィアにてブリテンの『ディヴァージョンズ作品21』を世界初演。レシェ ティツキ協会の創立に関与。. 1945. 5月7日,ドイツ無条件降伏。. 1946. アメリカ国籍を得る。. 1949. レシェティツキ協会会長代理に就任(-1959)。フランツ・シュミット未亡人マルガレーテと和解。 戦後初めてヴィーンでコンサートを行う。. 1952. 4月,イスラエルへ楽旅。. 1956. 9月5日,ジークフリート・ラップ,ベルリンにてプロコフィエフの『ピアノ協奏曲第4番作品53』 を世界初演。. 1957. 2月12日,ニューヨークのオーストリア協会にて「一手のピアノ演奏について」と題して講演,. - 51 -.

(5) コンサートを行う。『左手のための教本』全3巻をウニヴェルザールから出版する。 1958. 6月5日,フィラデルフィア音楽学校から名誉音楽博士の学位が授与される。. 1961. 3月3日,ニューヨークにて没。. 2001. 妻ヒルデ没。. 2003. 3月22日,膨大な量の楽譜を含むパウルの遺品がサザビーズで競売に付される。. Ⅳ.館野泉(たてのいずみ,1936-). 東京出身。父は武蔵野音楽学校出身で,母は明治維新まで7代にわたって仙台藩の能楽 を司っていた家系の出である。戦災を避けて栃木県に一家で疎開し,そこで敗戦を迎える。 慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校を経て東京藝術大学を卒業する。 妻のマリア・ホロパイネンはソプラノ歌手。息子のヤンネ舘野はヴァイオリニスト。弟 の舘野英司はチェリスト。妹の鍋島晶子はヴァイオリニスト。晶子の長女の鍋島真理は音 楽学者である。. 1.生涯と仕事 1964年よりヘルシンキに在住し,シベリウスをはじめ,フィンランドの近現代作曲家の 作品に取り組み続けている。日本シベリウス協会会長を務めている。 若い頃からセヴラックに惹かれ,自身のレパートリーに組み入れている。2002年には日 本セヴラック協会を作り,顧問を務めている。 1968年,メシアン・コンクールで第2位を受賞する。同年より国立シベリウス・アカデ ミーの教授を務める。1981年よりフィンランド政府より芸術家年金を与えられる。教職を 退いて演奏活動に専念している。 2002年1月9日,フィンランド・タンペレでのリサイタル中に脳血管障害で倒れ,その後 遺症として右半身に麻痺が残る。リハビリを経ても右手が不自由のままであったが,2003 年8月のオウルンサロ音楽祭で復帰を果たす。その中でスクリャービンやリパッティによ る左手のためのピアノ作品を演奏した。それをきっかけに,本格的にこの分野を開拓する ことを決意する。翌年,日本で左手のピアノ作品によるリサイタルを開き,マスコミにも 大きくとりあげられた。以後,演奏会,録音ならびに新作委嘱などを通して,左手ピアノ 曲の普及につとめている。. 2.著書『左手のコンチェルト』 (1)館野の人柄 館野(2007)の記述をもとにして検討を行う。本書を取りあげたのは,作曲家と演奏家の 関係を,障害のある人とない人との側面で考えるのに適切であると判断したためである。 館野は非常に温厚で,作曲家の友人が多く,委嘱作品がとても多い。古くからの友人の 間宮芳生(30数年前に彼のコンチェルトを演奏して以来,彼の作品はほぼ全て演奏してい - 52 -.

(6) る),ペール・ヘンドリック・ノルドグレン(ヴァイオリン奏者・作曲家。30数年間,館 野のために楽曲提供。館野が左手になってから彼の楽曲の演奏機会が多い。『ピアノコン チェルト3番』は左手のための作品。)をはじめとし,末吉保雄,ソールデュル・マグヌッ ソン,コバ(アコーディオン奏者),吉松隆(『吉松隆の風景』という吉松プログラムの コンサートが既にフィンランド,フランス,日本各地で30回程行われている他,三手連弾 の作品や左手用コンチェルトを書く。),林光,谷川賢作,他,多くの作曲家が登場する。 館野は本書中に「作曲家と演奏家の縁と絆のこと」という項をおくほど多くの作曲家との 交流を大事にしてきたようである。病から立ち上がって3年間,常に新作を委嘱し,新し い作品を弾いて演奏活動をしてきた。 吉松隆の「先に館野泉という個性があって,その個性を作曲家が大切にして,どう生か すべきかを考え,具体的なイメージをもって曲が生まれるのであり,単に左手のピアニス トという偶像から左手の作品,と言う風には生まれない」との表現から,作曲者も館野と の関係を強く意識していたことがわかる。 館野の人柄を証明するように,ファンクラブ(クラッシックの演奏者のファンクラブは これが日本初)に関する記述があり,その存在が復帰の精神的な支えでもあったと書かれ ている。 (2)象徴的なエピソード 間宮の作品を演奏する際のエピソードである。間宮は自己にも作品にも非常に厳しい人 物で,作曲に妥協を許さず,かける時間も人一倍長く,コンサートの直前まで譜面の変更 が絶えなかった。フィンランドのオーケストラが初演したコンチェルトの時には,前日, 前々日のリハーサルにも譜面のFAXが届いたとある。館野の「作曲家とは最後まで妥協を 許さぬ生き物だ」「左手のための作品というのが容易な物ではなく,イメージが如何に湧 いても,譜面にあげるのは並大抵ではない」の記述が象徴する。 この点から,ウィトゲンシュタインが委嘱して結局演奏しなかった作品についても,そ の経緯を詳しく知ることなしに,ウィトゲンシュタインの人物像を特定してしまうのは危 険である。館野の記述はフィンランドや日本の友人である音楽家や家族のことがほとんど である。友人関係から発展して一緒に仕事をすることが多く,その関係を大事に生きてき た人柄であると考えられる。なお,本書中にウィトゲンシュタインや他の片腕の演奏者ら の記述はまったくなかった。 (3)館野と障害 館野は委嘱作品ばかりでなく,代表的なラヴェルのコンチェルト等も多く演奏する。復 帰のきっかけは息子の持ってきた,フランク・ブリッジの作品『3つのインプロヴィゼー ション』であった。この作品はダグラス・フォックスという戦争で片手を失った友人に向 けてかかれている。このような経緯と考えられるが,片腕を失った若きピアニストのため の募金活動,同時に自身が作品委嘱する際の資金集めも行う。作品委嘱を重視するのは, 左手のためのデュエット作品やアンサンブル作品は少なく,自身のために作品を委嘱する - 53 -.

(7) ことで音楽界全体が潤うためであると考えられる。なお障害によって演奏者に必要な援助 が異なることも述べている。 館野は世間一般の障害への無理解について述べている。それらは穏やかで,批判的な文 章ではない。「ただ,自分は自身の生きやすいようにやってきただけで,結果的にまたピ アノを弾いていたし,一手であることはテクニック面の不自由さこそあれ,音楽を不完全 には決してしない。」と述べている。脳血管障害で倒れた直後は,両腕が使えてこその復 帰を考え,左手用の楽曲には見向きもしなかったという。現在は片腕になったことで作品 委嘱が増え,未知の世界に挑戦する機会が多いのを喜ばしく思っているとの記述がある。. Ⅴ.まとめ. 本小論で対象をクラッシック音楽に限定した主な理由は,演奏家と作曲家の関わり合い に着目するためであった。今回の検討で,研究対象の人物両氏共に作曲家との個性的な関 わり合いが見られた。 今後の課題は,「方法」にて示した観点(1)と(2)の側面からの検討,および左手以外の 運動障害のある奏者とそれらを想定した楽曲の検討である。. ※ 「片腕」という表記と「左手」という表記について。本小論では上肢(片腕)の運動障害について, 特に左手の機能が保たれた演奏家とそのことを前提にした楽曲に特定している。右手の機能が保た れた著名な演奏家やそのことを前提にした楽曲はほとんど知られていない。これについて,左右脳 の機能に関わる説や,左手で演奏される低音部による倍音の効果を活用するピアノという楽器の特 性(の機能が重要)に着目する説があるが,一定の結論は得られていない。そのため,本小論では, 特定の個人や楽曲に関する文脈では「左手」,障害か健常かという文脈では「片腕」と表記している。. 文献 1)館野泉(2007)左手のコンチェルト.佼成出版社. 2)シュミット村木眞寿美(2008)左手のピアニスト.河出書房新社. 3)ウ・カプスン(2008)二本指のピアニスト.新潮社.. - 54 -.

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