[資科コ
1930年代における作文教育実践<6>
牧戸 章
右まじめもこ
本稿では、1930年代における作文教育実践の記録として、東京市で行われた会(「第四
国見重文の粗方の含」)での指導案(「綴方指導案附指導経過」)を取り上げる。
昭和九年十一月十六日(金) 東京市第三大島尋常小筆校 第四回兄重文の 親方の合における 綴方指導案附指導経過 舎 順 授第 地 質 ,A 第 ︵ 批 食究 童研 Ⅱ Ⅲ 一 一 二 三 二 四 五 六 一 業時年年年時年年年 ︵ ︵ 九橘書星一 一 田 千 ヽ 五千 代稔治 瑞代 五 − ヽ ○入江 道 雄
柳 内 達 雄水野 静 雄
一〇、〇〇) 一一、〇〇) 一、〇〇 一二、〇〇) 評 舎 (一二、〇〇 二、〇〇) 1 畢校長挨拶 2 指導者の指導経過報告並反省 3 倉見の批評 4 御「講 評 藤 野 重 次 郎 先生 五 味 義 武 先生 田 島 眞 治 先生 5 石黒城東区長御挨拶 Ⅳ 児 童 文 の 戟 方 (二、〇〇 四、〇〇) 千 葉 春 雄 先生 −33−目 次 御 挨 拶 尋一初費の綴方責践記録 専一指導案 詩の出費における指導経過 尋二指導案 尋三における詩指導経過 尋三指導案 詩指導途上の雑感 尋四指導案 尋五指導経過抄 尋五指導案 綴方の稜極性 尋六指導案 高田校長 橘 千代 富田瑞穂 星 千代治 入江道雄 柳田達雄 水野静雄 ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ 2 5 8 0 5 8 0 3 8 1 2 e U l p U l l 1 2 2 2 3 3 3 ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ ︵ 御 挨 拶 学 校長 高 田 隆 書 この命も二、三と敦へて既に四回を重ねました。年こそは重ねて来たものゝ、 私達一同何分の不束者揃ひ、幸に一日の細来遊によって、授業に、作品に、忌憎 なき御批評と御指導を賜はらば、一同の何よりの歓びで御座います。尚本日の御 教示によって、一同益々精進、国民教育の質を奉げたい覚悟で御座います。 尋一初費の綴方貰践記録 橘 千 代 指導 の 主 敲 「児童がその影響する環境から取材した材料をあるがまゝに見る如く表現してくれるこ とを」主眼として指導の第一歩をふみ出した。 綴方指導の第一時、綴る時の指導 よい文例を探したが見嘗らないでゐる時、讃本の「アサガホ」を指導した。その時児童 は互に自分の家の朝顔について語り合ってゐたので「アサガホ」について書かせることに した。 綴る前の指導 朝顔について児童と話し合った。兄童の大半は「家にあること、花の色について、又植 ゑてある場所植ゑた人、誰が手人する」とか喜んで費表した。そこで「アサガホ」につい て綴方を書くことを詮告し、次の事を調べる仕事を命じた。 △ドンナイロノバナガサイテヰルカ。 △イクツサイテヰルカ。 △ツポミヤタネハド ゥカ。 △ミヅヲヤルノバダレカ。 綴る日の指導(第一回作九月十七日) 児童は私の顔を見るなり「先生朝顔見て来た何時善くの」「早く書かせて」と大さわざ である。 (1)、最初に花の色、敦、菅、種子、手人する人等について問答。(2)、原稿用紙
配布。(3)、文題「アサガホ」を記入すること。(4)、名前の記入。(5)記述。 わからない字は聞きに来ること、書けたら讃みなはすこと等注意して愈々書き初めた。 凰剣に一字々々大きな饗で拾ひ読みしつゝ書いてゐる。中に書かない者数名(みて来なか ったと云ふ)居るのでそれぞれ昨日見て来なくても前に見たことを書くやうに指導、早く 書けた者に個別的に「誰が植ゑたか」「貴女は何をするか」等入鹿的な交渉について問答 し、書きたすように指導。作品を整理して △何も書いて無いもの、書いてあってもよめないもの(十二) △花の色と敦だけしか書いてないもの(二十三) △膏、種子、手入する人等迄書いたもの(十三) △比較的よく観察して書いたもの(七) 第一回作品はかくの如くで僅かに一行書いた者が大半であった。如何に児童がうかつで あって、積極的の態度のないのに驚いた。で私は次の文例によりよく観察すること、戟た ことしたことをくわしく書くことの指導に移った。 文 例(1) ウチこアカイアサガヲガ三十七サキマシタ、アシタサクツポミガ五ツアリマス、キノフ アヲイアサガホガ四ツサキマシタ、マイニチミヅヲヤリマシタ、タネハ六ツアリマシタ。 (アメミヤテルコ) この文に射して昨日今日明日と気かついて書いた所よし、毎日水をやると朝顔がどんな になるかそれを書くやうに指導。 アサガホガ四ツアリマス、イロバアカトムラサキトシロトアヲガアリマシタ、ソイデ四 ツアリマシタ、カヘリニミタケドミンナカレタノバカシデシタ。 (ツカバラヤスコ) 辟りに見て萎れてしまったところを書いたのよし、なは苦、種子、手入する人等書くこ と。 アサガホガサキマシタ、六ツサキマシタ、タネガ三ツサキマシタ、ウチノオトウサンガ ウヱマシタ、ウヱキバチ二八ツウヱマシタ。 (カリヤミネコ) 種が三つ咲いたはおかしい。何となはしたらよいか、お父さんが植ゑたことを書いたの よし、朝早く起きて水をやる時の気持も書くこと。 ワタクシノウチノウラノカキネニアサガホガアリマス、ハジメハバナモオホキカツタガ イマパオシマイニナツタカラ、ハナモアカクナツテハナモチイサクナツテ (タカナシトシコ) はじめから今迄を綜合的に書いたことよし、終わり迄書くこと。 この四つの文例によりよい綴方を書くためにはよく物をみること、観たらそのまゝをく わしく書くことを指導した。未だ講書力のついてない児童多敦のため、これだけの文を読 むのがなかなか困難らしい。 文 例(2) ネ ズ ミ ウチニハネズミガタクサンヰテタマリマセン。ウチノイチラウパオカツテヘネズミガク ルトオコリマス。ネズミハアナノナカへハイツティキマス。オカツテノゴミイレノナカへ ハイリタクテタマラナイノデス。ダイコンノカバガハイツテヰルトハイリタクモハイレマ −35−
セン。ワタクシバミテオモシロクナリマス。ワタシガミテヰナイトハイリマス。ワタクシ ガイクトアナノナカへハイリマス。 この文例によりよい文を作らせるには、生活に封する態度が出来てなくてはならないか ら、生活反省の指導としてよく物を観ることの指導をした。 指 導 要 項 △作者はねずみの行動をよく観てゐること、 △鼠の行動と自分の行動とを聯囲的によく書いてゐること、 △鼠の行動のよく表現されてゐるところ、 今後の指導方面 △身連のもの(人、鼠、兎、猫、犬、人形等)をよくみるやうにする。 △見たことをそのまゝ書く。 △見てゐる時考へたことも書くこと等、 第二回作品(九月二十八日) 文例ねずみ指導後、ねずみ、猫、犬又は兄弟等に就き費表させて綴文させた。 題材の分類 家の人のことを書いたもの(二三) 猫(十一) ねずみ(三) 犬(二) 鳥(一) 書かないもの(一〇) よめないもの(同上) 作品の傾向 △第一回作品より長文が多く出たこと、 △ねずみの文の影響か表現に「ワタクシガミテヰナイトナニヲスル」「ワタクシバオモ シロクナリマス」等と書いた児童が非常に多い。 △行動をやゝくはしく書くようになった。 △重複して同じことを何度も書く。 第一回に比較して飴程進んだ。 参 考 文 ネ コ マへダ トヨミ ネコハアバレマス。タマツテユウナマエデス。ウントアバレマス。オミセノホンヲシツ カキマス。ワタクシガオコリマス。ワタクシガオコルトネコハナイテオモテドホリここゲ ティツテ、ウラノアキヤヘニゲマス。 この児童は朝顔を書いた時には「アサガホガニッサキマシタ」と書いただけだが今回は 右のやうな作品を出した。 優秀な作品 宇田川和子「ウチノヤスヲ」弟の悪たれの様子、村上和子、「ウチノネコ」 猶のあばれる様子、島村和枝、「ネコ」鼠になやまされたが猫が鼠をとってくれて感謝し てゐる気持。 文 例(3)一省略一 宇田川和子「ウチノヤスヲ」村上和子「ウチノネコ」により何か特徴をとらへてそのこ とをくわしく記述する指導をした。 第三回作品(十月十五日) 月曜日に日曜の遊びの調査をした。一番好きな遊びについて「ドンナアソビ」「ダレト アソンダカ」「アソピカタハドンナカ」等を費表させて綴らせた。
作品について 指導者の準備が足りなかったのか、又は兄童が日曜といふ観念にとらは れてか日昭一のことをだらだらと書き冗漫に流れた文が非常に多かった。「マゝゴト」 「オニンギヨウゴッコ」等一つ遊びについて書いた者は二十七名だった。遊びに伴ふに感 情を書いた者は谷和子だけである。この児童の文はきれめがないので文のきり方指導した。 今回の作品にはいさゝか停滞の感がある。打開策として、更に物をよく観る指導として作 業の伴ふプリントを用意することにした。 第 四 回 作 十三夜の前日左の印刷物を渡して記入することを命じた。 「何をお月様にあげたか」「誰と男ひに行ったか」「どこへ供へたか」「お月様は何虚 から出て来たか」「どんなになって出て来たか」「どこから、だれと見たか」「その他 燈ったことがあったら書くこと」「お月見の槍を重くこと」記人後課外に家で作らせた。 作品について四五名の劣等児童を除く他は相嘗書くやうになった。が月を見るといふこと が既に児童を傍観的な立場にをくのであまりよい文は出なかった。積極的に物をみる指導 がまだまだ足りない。 文 例(4)一省略一 綴方のおけいこ専一の中の「オツキミ」の文による指導「分析し、簡単な間に答を記入 すること」「表現の良い所に○をつけること」「作品の給窒化」、等により内容の取扱 ひに作業をもり込む指導をなした。 文 例(5)一省略一 宇田川和子「ウチノオニイサン」により月見と同様の取扱ひをなし、生活反省の指導を なす。 文 例(6) ヱンソク アメ ミヤテルコ キノフハヨウチエンノヱンソクデ、オトウサントオネエサントワタシガヨウチエンへイ ツタトキハ、モウジカンガナイカラゾロゾロキマシタ、ヨウチエンノコドモタチトオツキ ヨヒノカタヤアタシタチヲマゼテ十六ニンヰマス。 ムツミトイフトコロニイキマシタ。オイモトクリガタクサントレマシタアタ。シバクツ シタガアカツチニナツテヰマシタ。オイモパオクノバウニハイツテヰルカラワタシタチニ ハナカナカトレマセン。オイモヲーバンサキニトツテキタ人バクリガタクサントレタノデ スアトカラクルヒトバクリガソウオツコツテヰナイカラ、ソウトトレマセンデシタ。アタ シタチハイツバイトレタノデス。タイティノ人ハハンケチこ一パイグラヰトレマシタデセ ウ。 この文により生活反省の指導として、内容にふれながら作業(遠足に行って何をとって きたか、おいもはなぜなかなかとれないか、表現の良い所に○をつける)をさせ後給に色 をぬらせた。 今迄は生活を反省なさせる指導として物をよく観る態度をつける指導を敷篤の文例によ りなした。今度は方向を少しかへて題材を持物の中より見出して持物を中心とする生活表 現の指導を試みようと思ふ。 尋常科第一撃年国語科綴方指導案 指導者 橘 千 代 ー37−
昭和九年十一月十六日 第一時 −、題目 持物を中心とする生活表現の指導 二、日的 「長靴」の文を機縁として持物の中から題材をみつけ、文を生み出す指導をな すのである。今迄は題材が自分の兄弟や父母、飼ってゐる動物、経験した遊び 等でそれによって取材したものの生活反省の指導をしてきた。今回は取材の方 向をかくの如く一部分にとゞめず、各方面に向ける指導の第一歩として自分の 道具、持物も題材になること、それを題材とした生活表現の指導をなしたいと 思ふ。 三、指導区分 第一時 持物についての問答 第二時 参考文「長靴」の取扱ひ(本時) 第三時 記述 第四時 作品の批評及び整理 四、本時の指導 1、教材「ナガグッ」 2、主眼と教材軌 この文は、長靴を中心とした生活表現が貨によく書かれてゐる。 長靴を買って貰って早くはきたいが雨が降らない、待ってゐた雨が降った。喜んでは いて登校した。鋳りに水たまりに入ったが靴の中に水がはいらない。得意になり深み にはいって遂に靴が水につかってペロンと見えなくなる護りが如何にも如質にかいて ある。また長靴を買って貰った賭しさが如何にもよく現はされてゐる。このやうに長 靴も題材になることの指導をしたいと思ふ。 3、準備 文例プリント 4、指導順序 ィ、作品配布 ロ、読み(自由讃、指名讃、範讃、追諭) ハ、内容、表現についての問答、作業 ○何のことを書いたか ○誰に買ってもらったかくプリント三の答に記入) ○買って貰った時の気時は 〇両が降ってはじめてはいた気持は(四の答記入) ○締りにどうしたか ○水たまりに入った時はどんなだかった ○どんな気拝になったか ○とくいになってどうしたか ○靴はどうしたか ○書きぶりのよい所はどこか(文に○をつける) 二、線茎化(文と槍と照し合せて彩色させる) 文 例 ナガグツ (五の答記入)
コノアヒダオカアサンカラナガグッヲカツテモラヒマシタガ、アメガードモフリマセ ンデシタカラ、ハヤクハキタクテタマリマセンアメガフリマシタカラ、ナガグッヲハイ テガツカウヘイキマシタ。ガツカウカラカヘルトキミヅタマリニジャフジャブハイツテ ミマシタ。ドコカラモミヅガハイリマセンノデトクイニナツテコンドパフカイトコロこ ハイリマシタ。 スルトナガグッガぺロントミエナクナツテ、ナカニミヅガハイツテシマヒマシタ。 一、なんどもオヨミナサイ 二、オモシロイブンデセウ、ジプンノシタコトヲソノマ、カイテアリマスネ、カウイ フプンハキツテウマクデキテヰマス 三、タレガナガグッヲカツテクレマシタカ、 四、ナガグッヲハジメテハイタトキハドンナココロモチデシタカ 五、ナガグッヲハイタノデジマンシタヤウナトコロバドコデワカリマスカ、 六、プンイノイイトコロへハ○ヲオツケナサイ、 詩の出費における指導鮭過 言 H 瑞 穂 童謡や韻文の悪い影響をうけてゐる兄童は、すなはに自分の感情を蓉露しようとしない。 たいてい物を概念的に見ることが多いやうである。質感を書かない。質感といふのは、一 人の個人が、ある時の限定に於て、かく感じたといふ底質をもたねばならない。それがな い以上、表現された詩に個的な生命はないわけである。だから、私は、第一期の指導とし ては、つねに、新しい単級の児童に接する時、リアルに即けるといふ態度をとる。ここに は、現在の児童と共に歩いてきたその仕事の一端をとゞめることにする。 (−)リアルに即く指導 リアルに即ける指導をするといっても、作品例がなくては指導は出来ない。私はつねに、 作品の鑑賞をなしつゝ、兄童の生活をリアルに即ける態度をとってきた。鑑賞をさせるこ とによって、一は、リアルに即ける作用とし、一は、児童の情操の陶冶をはかる作用とし た。児童詩を指導する目的はいろいろ各方面から目的づけられてゐるが、廣い意味でいへ ば、情操教育にはいると思ふ。児童の感性をみがき、間隔を新鮮にし、生活を豊富にする 作用の一部面を捨督してゐるといってよい。その作用が、鑑賞することによって深められ、 創作することによって深められていくのであらうと思ふ。私は、先づ、ここでは、如何に、 −39−
銭貨の作用をしてきたかについて述べる。創作については、児童各自の家慶の自由作とし てきてゐるから、一次に鑑賞させてきたその腐過を記さう。 例(1)日の丸、二年 井上みのる(鳥取) 日の丸が ひらひらしとる 日の丸のゑをかきなさい 風がやむと すぐすぼむ 風がふくと ばたばたいふ 空にはつばめが とんでゐる 例(2)三日月 古川房子(兵庫) 三日月が
君の芸藍三千ことにrことを見たままに、正直
に轟いたのだといふことを児童に話した。そして、大島の町の兄童の生活環境に積極的に 注意して、物をみたり慈じたりするやうにした。 例へば 1、こうばの中からきこえる物音をきいで、ふっと思ったことがあったらかさませう。 2、こうばの中のやうすを見てかきませう、 等のやうな問題によって、生活をその方向へ意識的に向けさせるやうにした。 例く3)じゃくろ 遭をとはって上を見ると じゃくろが 火のやうにわれてゐた。 この例については次のやうに指導した。この潟をかいた子が歩いてゐる時、上をみたら、 じゃくろが、火のやうにわれてゐたのに、バツと嵐がついたのでせう。『あゝ火のやうに 赤く、われてゐるなア』と思ったのでせう。(感じたといふ方が通常だが、二年生には感 じたといふ言責はわからないから思ふといふ言嚢を使ふ)それをかいたのです。 例(4)くさ くさにとまったとん ぼ はねが あみであんであるや これをかいた子はとんぼのは ねを何のやうに見ましたか。うだ 例(5)たいそう たいさうしてゐるとき 空を見たら くもが かにのやうだった。 くもは何のやうに見えました か。 例\4)「くさ」については、作者がとんぼの羽が網であんであるやうだと感じたとこ ろの賞感をとりあげて指導した。即ち、作者が、ある瞬間に、封象によってよびおこされ た美意識を重要な指導の要素としたいのである。物に俄れて、かく感じたといふことは、 作者のある一瞬における精神の眞賃である。この眞質があるとないのとによって、詩の債 値がきまるといってよい。例(5)によれば、作者が、雲を蟹のやうに見たといふところ にこの作者の感じ方の面白さがある。詩の出費に於ては、このやうに、児童がある一瞬間 に、ある対象に解れて、かく感じたといふ意識の艮質に即くやうにしなければならない。 物に即く、リアルに即くとはこの謂である。 このやうに作品の鑑賞を機縁として、創作へのヒントとして、「何か見て、バツと思っ たことをかくやうにしよう」といって詩的感動の把握に射して、簡単に指導言を輿へてき た。さういふ指導をする中に、ほっほっ児童の生活感情が文字によって表現されはじめた。 (二) 比喩による生活感情表出 私は詩を書かせることをすべて兄童に強要することなく、つねに感性の新鮮さを養ふと か、情操の陶冶をするといふ立場を強調して、作品を生み出すといふことに焦操しなかっ た0若し作品が出た場合には、感性が「かく進化した」といふやうに見た。その結果とし ての必然の所産として見た。だから、若し秀れた作品でなくとも、兄童の昨日の現質と、 今日の現質に進化さへ見れば先づそれで満足した。そして、今日の現質に進化することを 意圏した。ここに初期の拙い作品を奉げてみる。 A あまだれ 高橋 博 のきしたにあまだれが ちょうちんみたいに たくさんならんでゐる B でんしんぽう 飯岡幸四郎 ぼくがでんしんばしらの上をみると おまはりさんが 三人のってゐるやうだ。 C あまだれ あまだれが とよのところで まりをころがして あそんでるやうだ。 D おうと 高橋 博 柴崎 良夫 −41− F けむり 伊藤 英樹 けむりが くものうごくやうに むくむくと はたのやうな 火をだしながら うごいてゐる。 G くも 及川 毒 まとからみたら くもが やまのやうだ。 H ひかうき きのふのばん ぼくはそとをみたら 山田ひろし
ぼくが はらつばへいくと ひかうきのあかりが星のやうに みえました。 おうとが とんぽのやうだった。 E あまだれ 伊藤 英樹 あまだれがおちてくる ぎんのたまのやうに くるくるまはって おちてくる。 これらの作品は決して、現今の二年生の詩では佳いとはいはれない。けれども児童が物 に封する態度がリアルに即き、対象によって購脅された感動を比喩によって表現しようと してゐることが看取さえる。指導者の誰でもが一度は通過するであらう拙い作品時代であ る。また個的なものが不足してゐるかもしれない。でこの時代に他校の佳い詩を材料とし て鑑賞した。 花火せんこ しゅう しゅう 花火せんこ ぱちぱち まつばぼたんのやうだ。 やつでのはに ぴかぴかと光った。 かういう作品によって、AよりHに至る素朴な詩の展開に資する材料とした。 (三) 生活感情具象化時代 「何々は何々のやうだ」といふやうに表現することのみに停滞してゐると、生活感情の 固定化を来す。而して、費想上の一のマンネリズムとなる。だから、だいたい、リアルに 即く態度が確立しはじめたら、今度は 「瞬間における詩的感動の把捏」に封する積極的態度へと進化した方がよいと思ったの で、瞬間における詩的感動をとらへてるやうに態度づけはじめた。児童詩の特質にはいろ いろあるであらうが、その特質に即くために私は次のやうな理接によって貿按をLやうと 思ってゐる。 (1) 児童詩は、児童の現寮に於て、その瞬間の生活感情を現質の一瞬に於て裁断し たもの (2) しかもその生活感情は詩的感動なるが故にそれ自身として橋立する。(これは 大人の場合と同じだが)だから散文に費展性がない。 (1)は指導実践に於て、詩的感動把握への具憶的方法へと費展すべきである、(2) は直接ここには必要ないが、散文と詩との区別への審判へと費展するから指導案の詩を視 る根本的態度となってくる。私は、現在の児童が、生活感情の中から、詩的感動をとらへ るやう指導する階梯として、今、その指導に、最も効果的な作品を鑑賞することにしてゐ る。
尋常科第二単年国語科綴方撃習指導案 指導者 吉田瑞穂 −、題目 詩的感動把握より詩作へ導く指導 二、日的 児童の美意識の表現が、今までは主として、比喩によることが多かったが、それは、 リアルに即く手段の一階梯であった。比喩によって、封象を具象化することそれ自身 にも猟特の債値はある。しかし、それのみに停滞することは、児童生活感情の表出の 一局部に止ることになる。だから、生活感情をよく把えた詩を鑑賞させ、それによっ て、児童の生活の考察(過去の生活)をなさしめ、進んで今後の生活中に、かゝる生 活感情があった場合、それを意識して、文字によって表現するやうな態度を養ふ。 三、指導区分 第一次 比喩による封象把握の詩と生活感情の詩との比較考察 第二次 生活感情表現の佳い詩の考察(本時) 第三次 第一次第二次の畢習による結果として制作されたる詩作品の批評研究。 四、本時の指導 1、教材 キク「外六篇」 2、主眼 作品を鑑賞しなから、作品の制作された瞬間の精神の状態を考察し、児童の 生活中にふっと、つよく感じたことをとらへさせ、それを文字化するやう稜極 づける。 3、準備 プリント 4、方法 (イ)例(1)「キク」の取扱 ・よみ ・作品の面白さ、佳さの貴兄 ・どういふ時かいたものか。 生活の考察。語らせる。 ・ある瞬間における生活感情把握へのヒント。 ・よみ。 (ロ)例(2)十しまつ ・よみ、 ・十しまつについての問答 ・十しまつの卵を見て何と思ったか ・生活の考察 (ハ)例(3)「お父さん」 ・よみ、 ・この詩をかいた子は、何時のことをかいたの(夜中か…・) ・その夜はどんな夜だったか(風が戸をたゝいてゐた) ・誰のことをかんがへたか ・お父さんやお母さんが、よそに行かれたやうな時に、ふっと、何か考へるよ やうなことはないか く生活反省) ー43−
(ニ)例(4)けむり ・(この材料によって、けむりをみた時のあらゆる感情をかくやう示唆す) ・よみ ・どんなにかんがへたところがおもしろいか(かぜがなければ、そらまで、と どくほどたかくあがります) (ホ)例(5)けむり ・(この材料は、みたまゝをかいて、家の中の情景をよく描いてゐる) ・さかなのやける音をかいたのはよい、 ・とけいがうすぼんやり見えたとかいたので、けむりが、へやにひろがってゐ ることがよくわかる。 ・方法は前に準ず。 (へ)例(6)「すずめ」 ・よみ ・面白さの蓉見 ・せ中をふくらませてゐるのを見て、何と思ったか、 ・せ中をふくらませた雀を見たことがあるか。 ・すずめのくらしてゐるやうすをみて、思ったことを、かくやうにしよう。 (ト)例(7)「きんぎょ」 ・よみ ・一番よいと思ふところはどこか、○をつけよ。 ・金魚はよろこんで、何によってきたか。 ・月夜に、金魚の池に、月がうつつてゐるのをみたことはないか、(語らせる)。 ・生活感情の把握へのヒント ・檜重化、 作品例(1)キク バケツノ中に キクガイレテアル ポクガミヅヲイレテヤツタラ イキイキシタヨ 例(2) 十しまつ 二年 十しまつのたまご あかいよ。 十しまつの子が でさうだ。 例(3) お父さん 二年 私が 夜なかに目をさましたら 風が とを たたいてゐた 例(5) けむり 二年 さかながぢいぢい やけてゐる けむりが どんどん とんでくる はしらどけいがうすぼんやり見えた。 例(6) すずめ 二年 でんしんせんに すずめが うれしさうに せ中をふくらませてゐる。 例(7)きんぎょ 三年 みかづきさまが きいろくひかつてゐます うちのきんぎょいけにひかつてゐます
お父さんは まだおきなかった。 例(4) けむり 二年 えんとつのけむりよ かぜがなければ そらまで とどくほど たかくあがります。 ほしがぴかぴかひかつて きんぎょがよろこんでよってきます。 尋三に於ける詩指導の経過 星 千 代 治 綴方教育に於ける詩指導は、重要なるその一分野を占めて居り、こえが必要は夙に認め て箕戌にあたってゐるが、卑践なる経験浅薄なる素養が基にして、その効果は遅々として 上らない、日夜向上を希求しつゝも、これぞと思ふ作品は容易に得られなかった、あせれ ばあせる程停清逆進の道を辿るのみである。 この四月始めて受持った現在の児童は男女共撃の、しかも新に分散集合して出来上った 蔚制番の組であり、前挙年にあって詩の指導を受けた児童も若干は含まれてゐるが、大多 敦の子は詩については全く未経験の集りであったので、初歩の第一課から手掛けねばなら なかった。のみならず私自身、詩について正しい見解、深い造詣を持ちあほせなかったこ とは、困難な道を一層難波なものにした。誇張ではなく、勿論謙遜ではなく初費の第一歩 をどうして踏み出してよいか、その道に迷はざるを得なかった。混沌たる指導意識から秀 れた作品の生れやう筈のないことを知るとき、一時は躊躇しようかとさへ考へた。 兎に角、鑑賞指導から制作へといふ漠然たる計剣の下に、詩への出費をしたのは四月下 旬であった。散文の詩的表現摘出、自然登生作品の推敲添削等から入る方法もあるだらう が、自分はその方法が最も進み易い捷径だと考へたからである。教材はこの地方の鬼童の 生活に最も即した作品をとり上げて、畢習能率の良好を期したことは言を侠たない。その ためには本校の児童の作品に取材することは理想な詩だが、難易の程度などの関係もあっ て、案外多くの作品例をとることは出来なかったことは遺憾である。 1、作品例鑑賞 2、文語 3、制作 4、児童作品の批評鑑賞 5、感覚指導及び感 情表現の指導 四月から五月中旬にかけては主として基礎工作に追はれて作品らしいものは見ず、やつ と五月末から六月上旬になって誇らしいものを作るやうにかけてなったが、未だに散文を 短く改行して書いたやうなものが大多数を占めてゐた。昔時の作品例はそのまゝ取っては あるが、紙数の制限もあるし、わざわざこゝに例示する必要もないから省略しておく。兎 も角時間に追はれながらも一撃期中、どうやら詩らしい作品を少数ながら得られたことは 凡べて徒労ではなかったといへる。七月に入っての作品を二三記して参考とする。 いえん 松本革一 一45−
となりのめつきこうばの えんとつから、 いえんがとんできた。 雨のやうだった。 (九・七・一七) とり立てゝ賞讃する程の作ではないが、初費の物の観方においてリアルに即いてゐる鮎 買ってやるべきであると息ふ。いえん勿論ゆえん間運ひ、「となりの工場」といはず、 「となりのめつき工場」と現はした所具健性があってよいと思ふ。 めざか めざかは人がくると あめのように にげていく (九・七・一四) これなぞも多少物足りないところもあるが、瞬間的の感兜を捉へて描いてゐると恩ふ。 「めざか」は「めだか」である。 だが、反面仲々散文的傾向から抜け切れないものも相昔に多く、仲には全然散文とも区 別のつかぬものもあった。散文的な例としてはこんなゐがある。 ポクハトカゲヲトリ マシタ。 ポクハトカゲノシツポヲ トリマシタ。 これなどは詩的感動がない、散文的といふよりも寧ろ散文である。かうした傾向の多い 同時に、初費以来、如何なる原因が、従来の所謂童謡韻の著しく現はれた作品の姿がしつ こくつきまとって来た。 ネズミ チエウチユウチユウ ネズミノ オニゴツゴ チユウチユウチエウ カケマワル オカマノマワリヲ カケマワル このやうなことについて、散文指導と適度の均衡を保つことに留意しながら指導を進め た。右の中制作即ち作詩の作業は概ね家庭に於てやらせることにしてゐる。 前述の如くして、曲りなりにも作品が生れるやうになってからは兄童の作品を鑑賞批評 或は添削指導の教材として採用したが、たとひ愚作であっても、作者が児童の身連近く存 在するといふ一事でも何等かの意味で効果が多かったではないかと考へられる。革質、作 の優劣を間はず、教材として作品を取りあげられた作者は心中喜悦と袴を党えてゐるかに 見うけられた。 これなどはその著しい例である。指導一二ケ月の間、多くの児童は、「童謡と詩」の区 別をなし得ず、このやうな作品を優秀なものと答へるやうな状態だった。 九月になった この月はどこでも同じだと息ふが、運動会その他の行事が重って、見逃そうとしても見
逃すことの出来ない、兄童のそはそはした落差を放く気分のため専心詩の指導に没頭する ことは出来なかった。それに今年は逮悪く天候と運動場の土盛のため運動合が十月下旬に 延びたので、それが終るまでそんな状態が植捜した、勿論その間もどうやら詩の指導を績 行するにはしたが息はしい成果の上る筈はなかった。最近になってやつと平常の沈静を取 戻し得たとはいへ、容易にその結果が詩作品の上に現はれる辞はない。これも何等かの参 考まで左に二篇の作品を示しておく。 でんき 鈴木マサ子 私かごはんを たべてゐると でんきがばっとついた ごはんが 朝 山澤健蔵 朝、僕おきると やねが ゴソゴソしてゐる あ またあめか。 きいろくなった 以上趣く簡単ではあるが、本草年に於ける詩指導の経過を述べたつもりである。 尋常科第三挙年国語科綴方畢習指導案 指導者 星 千代治 昭和九年十一月十六日 第二時 一、題目 物象を如質に捉へるための感覚指導 二、日的 児童は詩とはいはず散文といはず、ともすればその表現がリアル性を放き、 概念的乃至は抽象的な語句の排列に終ることが多い。これは畢尭するに物象を 観察する態度の誤りから来るものと思はれる。例へば、雨はすべて「さらさら」 と現はし、鍛冶屋の音はみな「トンテンカン」と形容するやうな類である。こ れを矯正し、これを善導して正しい観照をなさしめることは、文の習練上その 種類の如何を間はず極めて重要な仕事の一つである。故にこのやう概念的表現 から飛躍して、物象を偽りなく、自己の正しい敏郎から眺めてこれを表現する やう心懸けさせ、併せて視覚、聴費、嗅覚等凡ゆる感登を存分に働かして詩的 感動を受け入れる態度を養成したいと息ふ。 三、指導区分 第一次 表現のリアル性について文語並に、音、匂、色彩、等を採取することの指導 第二次 前述の文語によって生れた記述の批判検討 第三次 前記各項に該嘗する鑑賞教材による指導 第四次 特に音及び光を取材した作品の鑑賞(本時) 第五次 これら指導後の作品鑑賞批判 四、本時の指導 1、教材 2、本時の主眼 音・光を素材としてかゝれた作品の鑑賞によって、感じ方のリアル性を持たせる と共に、これから派生する表現上の諸種の技巧について指導する。 3、準備鑑賞教材のプリント及び板書 4、指導方法 ィ、プリント配布 ー47−
ロ、文語、音、光の敵方のリアル性について ハ、鑑賞 ○全憶通読(自由に) ○例(1)の自由講及指名讃 ○何をかいた詩であるか ○汽車はどんな音をしてうごいたか △「ゴトン」といふ所へ赤線を引く ○そのとき作者はどうしたか ○気拝はどうだったか △「それでもうれしかった」のところへ線を引く ○そのとき作った詩か、それとも後で思ひ出して作った詩か ○例(2)と封照させる ○例(3)(4)の取扱(時間があればくわしく) ○例(5)の形容の面白さについて ○例(6)奔讃 ○同じく指名讃 ○その詩は何時頃作った詩か ○何をかいてゐるか ○作者はどこにゐるか ○どんな気拝か 〇日はどんなふうにてってゐるか △「つよくきびしく」に赤線を引く ○それからどうなったか ○例(7)(8)の取扱 △各々光の形容のところに赤線を引かせる <作品例> (1) 思ひ出の汽車 四年 本を見てゐたら 汽車がゴトンとうごいた 僕はあたまをごつんとうった 僕はそれでもうれしかった これからゐなかへいくのかと・‥・ (2) ふでいれ 五年 ゴトン ふでいれがおちたよ。 二つにわれた。むねがドキンとした。 (3) ぼくのふな 二年 ぼくのふなは二三かい ぐるぐるまはって ぶりきのはこの中へはいっていった 以上 (6) 木かげ 四年 涼しいな 僕は 松の木の下に居る 日がつよくきびしくてってゐる 松が風でぎゅっといがんだ 光があたけにさした そこだまあつかった (7) 海 波がうつなあ ウグロ島に 波が白い 大きな披 およいだら 四年
すこしたつとまたはこの中からでて ちいさいくちをあけながら せんめんきの水を かぶりかぶりのみながら ぐるぐるまはってあそんでゐる ぼくはあんなにかはいいふなが しななきやいゝとおもってゐる (4) いもはり 四年 いもをむしると 白くあくがついた 頚に臼がてる あたまをなでたら 手もあつかった 波音 ととんどとん ときこえた (5) 田の中の水 二年 あらしのあった つぐ日は 田の水が ゆつさんこゆつさんこ うごく_。 畠の上へ あがりさうに 波をたてゝゐる、 詩の指導途上の雑感 波からよせられるだらうな 青い空 海が きんきん光ってゐる およぎたいなあ (8) ペコニヤ 息の白い朝 布をしいたやうに白い霜。 六時のサイレン 凍ったやうに、ひゞくよ、 こゞまった指先 石のやうににぷい。 庭先のペコニヤ、 ぴちぴち光ってゐるよ。 入江 道雄 綴方の仕事として、詩の指導が重要なる一環であることは、今日では充分に認識せられ て居るけれども、一過二時間の綴方時間の中に系統的・組織的な詩の計重案を織りこまう とすれば、散文の指導の額域を限定する結果になる。私は、綴方の主流的な仕事としては、 いふまでもなく散文を定位させ、詩の指導の多くは、課外の仕事として計蔓する案を立て てゐる。 然し、課外に児童が作詩をなすことは、自然に放任する意味であってはならない。矢張 り確然たる指導意識の下に、あらゆる創作過程を含めて、方向づけて行かなければならな い。そのためにはどうしても、指導の根紺が必要である。そして、それによって、素材把 捉の方法や、技術・作品の観方等の関心を堪えず高めて行くことが必要である。私は此の 必要を充すためには、「詩の旗」といふ指導機関誌を毎週一回乃至二回霜輯して児童に配 布することにしてゐる。これが内容の異性については、後で詳述することにする。これは、 機紺を介在させることによる間接的な方法であるが、直接的な畢習指導が必要なことは勿 −49−
諭である。それは、一の単元をとって、一つの指導題目を教室に於て畢習させる記述・鑑 賞・批評・詩話の方法であるが、これは固より一時間を線定することがのぞましいことで あるけれども、それでなくても効果がないことはない。私は、なるべくその機会を多くと るがいいやうに思ふ。それで時間の終とか、雨天の重体とか、時間の始とか、短い時間に よって、一つの作品、一つの鑑賞詩話を絶線的に行ふ方法をとってゐる。ほんの二分乃至 三分位を線定すれば、ある一鮎を指導することが出来ると思ふのである。 本時の教案の指導単現を見られると、四次に匿劃されてゐるけれども、これは指導系統 上の一釣であって、すべて、一時間の仕事にあてて居るわけではない。中には、−篇乃至 二篇の作品によって、五・六分位の時間で指導してゐるものもあり、また同じく此の添削 指導の題目が、単線的に経起されるわけでもない。それ等のことを行ふ間にも、臨時に、 その指導の必要を充すための、他の色々な指導を織り込もわけである。たゞ原則として、 主要な.指導上の題E=まその各区動を繚起させる方が効果を高め得るやうである。そして一 度畢習した事項は、その後の詩の敵方の基本的な道具として、日常化するために、あらゆ る機会を捉へて練習させることが必要であるし、また、日常生活の中から詩の核心を裁断 して来るための方法として、質践化されなければならない。これらの方法によって、その 方向を是正し、作詩の関心を高め、技術を深めつつ、その絶えざる影響の下に、見童には 課外の作詩の仕事が行はれるわけである。自由作品は、随時に提出し、教師は綿密に作品 を検討して、逮刻児童に返却しなければならない。その折普通の作品は、約束された符競 によって、その作品による児童の仕事要求しておくのでみるが、特殊な作品には短評を附 しておくのが効果的である。これは、頗治な仕事であるけれども、詩の指導は、基本的に は、これらの方法による個への接鱗によってこそ、児童の上にその影響が強化し具健化し て行くのである。尚或る特定の場合には、直接に個の児童との含話によって指導する必要 がある。これにも、教師の方で、特に或る児童を指定して、その作品を材料として話合っ て行く場合もあれば、積極的に児童の方で相談に来る場合がある。第二の場合には、主観 的に教師が、どんなに多忙な息をして居やうとも、直ちに児童の要求を充足さすべく懇切 に指導しなければならない。そうでなかったら、児童のよき要求を導いて、それを日常化 することが出来ない。教師の方で都合のよい時だけ、相談に来いと言っても、児童はなか なか来るものではない。そしてこれは多くは放課後の仕事である。鬼童は、その作品を厳 正に批判され、方向を輿へられる本質的なものに、大きな期待をもってゐることがわかる。 其の場限りの、いいかげんなはめ言葉等で、偽賭しやうとしても駄目である。厳正なる批 判と方向の指標を絶えず行って行きさへすれば、兄童は決して作詩の関心を中絶したり、 興味を喪失したりするやうな事はないと私は信じてゐる。このことは、普通の状態に於て は兄童にとって最もいやな教科であるとされて居る散文の指導でも同じである。不可鉄必 須の要件は、「創作」するとの意慾を内に起させることである。児童に先づ「好きになら せる」ことが出来なくして、教師は何物もなすることは出来ない。 次にそれ等の作品は、教師の指導材料として豊富に蒐集しておくことが必要である。こ れは、児童にも清書の形式をとらせて要求すべきである。一定の用紙をそのためには準備 し、且つ正統なる記載法等はその機会を輿へて指導すればいい。教師の方で指導材料とし て、選持する條件は (1)優秀なる作品(2)その過程の指導上一般に必要なる作品(3)特殊作品
等の諸鮎である、優秀作のみを集めて置くことも必要であるが、寧ろ日常的な指導材料 は第二、第三の項目に多分に含まれて居る。尚、教師は、自分の撃級の詩を集録するのみ でなく、廣汎に各兄童之集等により、その中から材料を集めておく必要がある。 (二)以下の「詩の旗」によって、具線的に指導の跡の二三を語ることにする。 (註一)観察指導(十月十二日費行、詩の旗の一部) 物をよく見るといふこと あまだれ (牧野正一) あまだれが ものはしぎをについてゐる す−と走った ふLに行きあたって ぽつんとおちた 読みかた これは細かに物を見てゐる詩です。これもただここにかいてあるあまだれのことだけで なく、もつとひろくかんがへて見るのです。書いてあることは、あまだれのことだけれど も目の前にただ、雨だれだけがあるのではありません。雨上りですから、一ばいぬれた家 々の屋根や、電信柱や、ぽつんぽつんおちるのきの雨だれの音や、水たまりや、空の雲の 動き方や風や、色々なものが思ひ出せるせう、それらのたくさんのものの中から、牧野君 はただ雨だれだけを切りとって雨だれから詩をとってゐるけれども、諭む人はやはり一度 は、他のほうにも注意して、考へて見なければならないのだ。そして、心のそこから雨あ がり気持になって、あまだれの詩が諌む人のむねに生きてくる。 見たところ 詩では、見るのは見ておっても、書くときに書きおこすことがたいてい多い。たとへば、 ものはしぎをといふのはちゃんとそう見てゐるのだけれども、牧野君が、ただ「さを」と いってゐたなら、雨だれのついてゐたば所が、ぼんやりして来るでせう。「ものはしぎを」 とはっきり言って、はじめてその場所もはっきりして来るのだ。ここを書きおとさなかっ たのはたいへんよい。また、そのつゆはすーっと走って、ふLに行きあたっておちたのだ から、はっきりと、「ふし」といふことばを入れたところはよい。これを「とちゆうで」 などといったら、ぼんやりしてくる。これはなぜおちるかと、ふかく注意して見たから 「ふLに行きあたっておちる」やうすも見えたのだらう。またせっかく、そのいいところ を見て知っておきながら、書きわすれて、「とちゆうでおちた」などといへば、つまらな いものになる。 「ぽつん」といふことばは、よく、その時のつゆのおちるやうすをあらはしてゐる。 「ぽつん」といふことばがいいのではない。このことばが、よくその時の、つゆのおちか たをあらはしてゐるために、いいのだ。つゆのおちかたをよく見て居ったから、こんなこ とばが出てきたのだ。も一度、よく詩を読み直して、このことをふかく考へて見て下さい。 (註二)詩の敵方の指導(六月十九日費行・詩の旗の一部) すずめ (杉野正男) よしのはに すずめが −51−
とまると よしがまがるので すずめがびっくりしてとび上る 次の薬にとまる だんだんむかふの葉にとまる すずめをよく見てゐます。よしの葉には、すずめはとまれません。よしの糞は、うすく、 やはらかいから、すずめのやうな重いものは、のせきれません。すずめが、それを知らな いで、ちょっととまってはとび上り、またとまっては、とび上りしてゐるところをよく見 てゐます。「すずめが」と「とまる」とはつづけて一行にした方がよいのです。 かや (小川子之一) うちのかやは古いです きずだらけのかや あちらこちらぬひつぶして ある あっぼったく 電気の光はくろいです かがないて かやのまはりをまはります 心をいつはらずに、古いかやを古いと見る心のかまへ方は大切です。そこにこの詩のい のちがあります。 あらはし方には、もつと気をつけませう。 (杉野正男) 雨がふったら傘もってこいと お父さんが朝いって出た 六時になるからもって行かう 「母ちゃん行ってくるよ」 さあいかう 「父ちゃん傘もってきたよ」とよろこぼせるんだ お父さんの、朝のことばを思ひ出して、傘を持って、おむかへに出るときのこころがよ くあらほれてゐます。お父さんがよろこぶのをたのしみに、ちっともいやでなくおむかへ に出るこころもちがそのまま出てゐます。外は雨が降ってて、大へんきたないでせう。 花 火 (石原春治) ぽん ぽん 花火があがる 赤と青と黄色が くらいやみにひろがって すーっときえる まつくら よく見てゐます。花火がひろがったところと、そのあとのやみがはっきり出てゐます。 (註三)詩の心を読む指導(九月十二日詩の旗の一部)
あかんぽう (武藤健蔵) どうして泣くんだかわからない めそめそ泣くあかんぽう わけのわからない あかんぼう (後敢行喝) この詩を読んで、ただあかんぽうがないてゐるといふだけのことを知っても、まだ演み があさいのです。詩の中にあるその時の武施君の心がわかって、はじめて、ふかく詩を議 んだことになるのです。武藤君が、とてもこまってゐるやうすが此の詩にはあらはれてゐ ます。いくらあやしてやつも、どうしてもどうしてもあかんぽうが泣きやまない。どうし てこのあかんぼうはこんなにわけがわからないのだらうと、にくらしいとさへ思ってゐる やうです。その心もちが「どうして泣くんだか」や「めそめそ泣く」や「わけのわからな い」といふことばに出てゐます。その心がわかってはじめてこれらのことばが生き生きと むねをうってきます。 さかなのにはひ (森 一雄) 夕方になった 家へはいるとき さかなのにはひがした 此の詩なども、ただ、「さかなのにはひがした」ことだけわかつても、深い詩のわけが わかったとは云へません。此の子供が、今まで何をしてゐたかを先づ考へてみることにL やう。すると、夕方まで、どこかで、あそんでゐて、あそぴつかれて自分の家までかへつ て来たことがわかるだらう。はらはもうぺこぺこだ。それでこのやうなことがわかると、 家には入った時「さかなのにはひ」が、うまさうに、はらにしみわたったことがうなづけ るはずです。そして、家にかへりついた心のやすらかさとあたたかな家のくらしとが思は れます。 ○ 以上二つの詩は心がそのおくにあって、おもてからは見えない詩です。それで、おもて に出てゐるだけの言葉をてがかりにして、またそのおくの、心にまで読みがとどかなけれ ばほんとうの読みとはいへません。 (六月十六日詩の旗の一部) か に
(加藤政賃)
穴のロにはひ出した かにが 小さなはさみで おいでをしてゐる そばへよったら あわてて穴にかくれてしまった かにが、小さなはさみをふりまはしてゐるのが、ちゃうどおいでおいでしてゐるやうに 見えたのですね。そして、かにをつかめてやらうとか、いぢめてやらうとか思って、かに のそばへよって行ったのではないでせう。おいでをしてゐるから、かにのそばにただあそ ー53−びに行ったのでせう。それなのにかにの方ではびっくりして、穴の中に、にげこんでしま ったのです。おもしろい詩です。わらはせるところを持った詩です。 尋常科第四畢年国語科綴方畢習指導案 指導者 入江道雄 昭和九年十一月十六日 金曜 第二時 一、題目 戟方を深める詩の添削指導 二、日的 素材が輿へられて、詩の核心が附興される内部の営みが、表現にまで持ちき たされる過程には詩の技術が介在する。子供は折角いい素材を載り採って居る 場合にも、言葉に封して充宜を放くために、表現を歪めてゐる場合が多い。よ って、ここでは、それらの作品により、心のありかを見直すことによって、言 葉を是正する技術の関心を深めたいと思ふ。 三、指導区分 第一次 不用意の言葉を省略する畢習 第二次 不備の言葉を附加する挙習 第三次 封象に即かせる言葉の畢習 第四次 本時 四、本時指導 主客の革質に不合理な言葉の畢習 1、教材 児童詩作品「夕方」他五篇 鑑賞作品一篇 2、主眼 表現を吟味享受することによって、主客の姿のありかたに不合理な言葉を 探り且つその庭理について考察させる。 3、準備 兄童詩作品印刷 4、畢習傾く1)鑑賞作品読み磨かせ (2)物のありかたを如賃に観る 材料「やかん」「てつぴん」(一部分) の比較による (3)時の分裂 材料「すずめ」「牛」 (4)リズムの乱調 材料「てふてふ」 『註』ここではそれを知らせて、心の用意をもたせるだけでよいと思ふ。 (5)不用意に使はれてゐる言葉の反省 材料「夕方」 (6)畢習要鮎をまとめる文話 (7)線告 5、備考 各篇鑑賞させた後で批判にうつらせる。材料はすべて最近の作品よりとる。 (教材) (2) <物のあり方> やかん 加藤 政賃 れんたんの上の やかんがにたって ふたが ゆげにおしあげられてゐる 以下三行削除(十一月五日作) (4) <リズムの宵L調> てふてふ 菊の花に てふてふがとまって まきひげをのばした 花びらに針のやうにちくちくさ した
てつぴん 武藤 健蔵 展赤な火の上に てつぴんの上に ぴんぴんうなってゐる 以下二行削除(十一月五日作) (3) <時の分裂> すずめ 鮎瀬 昇 朝起きるとき すずめが 前の家のやねによってきて ちゆちゆとないてゐた ちやうど すずめか かはらの敦を かんぢやうしてゐるやうだ (十一月六日作) 牛 牛がのはらで 草をたべてゐた 牛のせなかに はいがとまって うるささうにたべてゐる 註 はいははへ(十一月六日作) 五年指導経過抄 花の中に はいらうとしても 花びらがぢやまなのではいれない そばでおどかしたら びっくりして まきひげをくるりとまいて にげちゃった (十一月五日作) (5) <不用意な言葉> 夕方 牧野正一 工場の電気が ばっとついた 川の中にもかげがうつつてる 波がよせても 光のすぢはきえない ぎざぎざになってつづいてる 船の中にもあかりがついた 船のあかりも水にうつつた 柳内達雄 1 詩 詩作態度を撃ばせることを第一に心がけて五年になるまで自由詩をしらなかったこの組 に、詩を指導したのが四、五、六月の三月間で時間の約三分の一を割いた。詩作態度を重 視する理由は知的に硬化しつゝある五年生から「純粋な作品」をのぞみ得ない気がしたか らである。詩作によって、正しい物の敵方、素直な態度、観察力、患党性を畢ばせること が、文製作の根本態度を培ふによしと信じたからである。それからまた一般に児童の陥っ てゐる創作態度を培ふによしと信じたからである。それからまた一般に児童の陥ってゐる 創作態度の誇張的な傾向も匡正し易いためで、私は詩を手段的に指導した偏向を見る。と もあれ、初期の作品を見ると知的なお、論理的な構成が目立つものゝ夏休近くになって、 やゝ見るべき作品の現れてきたことは、私の初期の考へに反した気がしないでもない。し かし、単なる観察の詩でなく、生活をつかんだ児童性の濃い詩にまで行かねばならぬ。今 後も時間の飴裕をみて指導を進めたいと考へる。くけむり詩(五年)参膿> 2 記 述 −55−
詩の指導と並行して「こまかにみることを」要求したが、「こまかにみること」は「く ほしくかくこと」になって精叙することはたしかに文を具億的にする。第一撃期樽概念的 な文から具臆的な文へ、観察眼の練磨によってひたすら梧叙させた。しかし素材の切断に 児童の選拝が働いて初めて精叙は有効になる。この素材の切断は第二畢期に至って取り扱 ったが、記述方法の系統的な指導は五年後半を費やして行ふ汝定である。作品の記述は、 まづ下書によって材料を整頓し、しかる後、清書して提出させてゐるが(九月以降)表現 形式上の鉄鮎を少なくする効果があった。 3 日 記 貰用性といふことばかりでなく、表現力の修練、記述能力の増進、裾線的な観察、生活 取材の貴兄等にいゝので項目を愛へては家庭作業として命じた。 七月一日(日)(中等兄) 今朝早く起きて、ごほんをたいてゐると父ちゃんも起 きて二人でごはんをたいた。朝早くだったので涼しく、とても元気で仕事をした。い つもなら、そう話さないけど、今朝は父ちゃんと、ごはんがおいしくできた、とうれ しい話をしなから、ごはんをたべた。 夏休みには、或る一つの事件、事物を絶繚的に記録させたが、一般に「日記」を課した 結果、文が地について材料と表現がやゝぴったりしてきたこと、記述速度を増したこと、 題材が豊富になったこと、生活を反省する傾向のあらほれてきたことなどがあげられる。 4 課題作品 課題の必要はいまさらとりたてゝ言ふことはないけれども、貿用性と、生活考察から、 現在迄の課題作品と自由題作品の比率は三封二である。 「五年生になった」「私の家」「家の人の言葉」「私」「遠足」「友達」「先生」 「一撃期をふりかへる」 以上は第一撃期課題。この外に「日記」がある。 「清潔整頓日記」七日分、「大風」「遊びに関する文」「葉書文」「運動会」「遠足」 以上は第二畢期課題。 かうした課題作品によって児童文にあらはれる生活態度を測定することが出来る。作品 の鑑賞及び批評によって生活態度を向上させ、一方、生活への視野をひろめて兄童意識を 高めたいと思ってゐる。 5 調べる作業 文の目的意志から表現力を強化させる手段として調べる作業が必要とされてくる。「私 の家」「家の人々の言葉」「大風」は調べる作業を課したが初歩的な漠としたもので技術 訓練の第一歩として行ったにすぎない。「私の家」ではこの題目に含まれた材料の項目を 列挙させて、各自決定した項目によって取材したが、この中「家の見取園と構造」「職業」 の二つに目的意志にかなった作業の効果が見られたが、勿論、初歩の程度を出ないもので あった。なは「私の家」の植綾的な意味での「家の人々の言葉」はその表現方法として言 葉の速記を課した。 「お父さん」の言葉 (村中書美子) とだなへいれちやふ。もういはないか。ぽうやはひるねしなかったの。そうか。きみ 子、ふとんへねかしてやんな。机の上にあるまくらをもってきな。ばうやっていはな いでやってやんだよ。きみ子ラヂオとめな。上野の山がいゝな。象よりキリンのがい
いな。はつ子ちゃんはキリンのところでうつつたって、うまく寓眞うつつてゐるか。 ぢや、ボール紙つけないで十銭で買ひなよ。十銭羊や安いな。きのふラヂオドラマよ かったな。こゝにはいってゐたよ。これはじじしんぶんぢやないか。どうりでちがふ と思ったよ。<五月二十四日後八時> 児童の書寓の速度はたうてい会話の速度について行けないから、想像で補はねばならな い。この「言葉の神経」と、文に会話を入れて「封象をより具健化した文」を作ること が課題の理由であった。「お父さんの言葉」はお父さん風に韻ませ、その言葉に即いて 作者以外の鬼童に、お父さんのその場の行動、性格、環境などを考察させたが、これは 兄童の興味もあって愉快な効果があり、その後の作品に自然な会話を含むやうになった。 「大風」は九月、飴風が鬼童の家の附近にあたへた損害状況と、新聞紙に現れた近畿地方 の殺害状況を総括させたが、調べる作業はまづ相箇分n材料をあつめてくるが、その整理 にいたって甚だ混頓たるものを示した。調べる作業によって集めた材料は資料たるべく、 取捨遠拝されねばならぬ。こゝに綴方の計重性が必要されてくる。材料の整理、内容の統 一、構想叙述方法に一貫した日的意志と計童性がなければならぬ。 6 自由題と計量詩 自由題作品においては一般的に最も多く取材されるものは身連的経験であって、鋭い観 察、すぐれた内容をもって生活をうつし、人間をとらへたものは極めて少なく、大部分が 常套的経験の羅列なのである。 児童の意慾が取材封象に働きかけても、そこに積極的な取材態度即ち計蛮性がなければ、 作業倒れの作品になってしまふ。課題作品においては指導者の題材の提示によって、幾分 救ひ得られるが、自由題作品においては兄童自ら積極的態度をとることが必要である。こ の項、簡単で意をつくせないが、五年後半はこの方向へ進んで行くつもりである。 尋常科第五単年国語科綴方畢習指導案 指導者 柳内達雄 昭和九年十一月十六日 第二時 一、題目 綴る前の仕事によって計童性のある文を生ませる指導。 二、日的 自由題作品は殆ど身連雑記経験の羅列的内容に限られてゐて取材態度に省察 がない。児童の取材態度をいつまでもここにとゞめておいたのでは綴方の費展がない ばかりか行きづまってしまふし、綴方の目的から云っても積極的な態度をもって計重 性のある文を生ませる必要がある。さうした取材指導を初歩的に果さうと息ふ。 三、指導区分 第一次 作品「昭和幼稚園」検討<本時> 第二次 各自決定の題材にて綴る前の作業<家庭作業> 第三次 記述 四、本時の指導 1、教材 児童作品「昭和幼稚園」 2、主眼附教材観 児童の目的意志を持つ文を生ませたい、それには第一に封象物に興味を持ち、綴る前 の仕事によって封象への認識を深めなければならぬ。この作品は自由作で、再度の専 一57−
き直しを経たものである。初めの作品は材料に統制がなく記述もあいまいだったので 整頓するやうに注意した。書き直す際、作者は幼稚園を改めて、調査といふほど秩序 だってはゐないが、見聞し直し、その材料を整理したことは事寮である。消極的な調 べる綴方といふべきものであらう。作品は 1、幼稚園の外観 2、幼稚園の内容 3、園児の様子 4、感想 といふ構園で目的意志はあるが児童の興味から出費した計垂性のある文としてはまだ 満足すべきものではなく、観察を的確緻密に、3、4などはもつと精叙すべきである。 この児童の作文力は91鮎、感情の稀薄な傾向を示してゐる。尚、児童の希望もあっ て、この作者と他二名の共同作で幼稚園を質地調査し目下作製中である。− 3、準備 作品プリント 4、指導過程 ィ、作品配布 ロ、作品研究<以上前日家庭作業> ハ、作品研究<本時> 1、作者讃 2、作者に質問 3、作品検討(内容、表現の吟味順序は前後する) 一、作者は何を書かうとしてゐますか。 二、どこの幼稚園ですか 三、前作品「運動会」の材料とのちがひがありますか。 四、どういふ風にちがひますか<取材方向の指導> 五、「昭和幼稚園」を書くためにどんな材料をあつめてありましたか。 六、作者のあつめた材料の外によい材料がありますか。 七、書きぶりはこれでよいか。 4、本時畢習の要項をまとめる文語 5、橡告 昭和幼稚園 山崎和子 家の前に昭和幼稚園がある。家は教室二つにわかれ、一つは先生のいらっしゃる所で、 庭はせまい。この幼稚園はつくりが畢校ほどがんじように出来てゐない。屋根はとたん で雨がふるとうるさい。庭にはスベリ量、おすな場、きかい健操(棒)、シーソーボー ル位なものである。しらない人が通ると「こゝが幼稚園ですか」と言っておどろく。ち ょっと見ると工場にやうに見える。だがすぐわかるのは、どこの幼稚園でも屋根の上に、 ちょこんと立った先がとんがった物がある。 人数は五十人までだが、四十六人位しかゐない、毎月(げっLや)は、二園二十園だ さうで、近所の人々はあまり高いのではいらないのでせうといってゐる。先生はお二人 ゐる。岩本美智江先生のお年は、二十七八歳位、顔を見るときつさうに見えるが、人に あいさつする時、ふつう生徒にはなす時書いてゐるとやさしい。もう一人の武井ゆき子 先生は女畢校一二年でおこると、とてもきつく、ふつうでもきつい。生徒は男女である。 青組、黄組、赤組になってゐて青が七歳で来年人草する子供、赤が五六歳でさらい年人 草する子供、黄が一番少さくて、三四歳である。づぐわ手工おべんたうの時は、いたの
まへ、ござをしいて細長い机をだしてすはってみんなでたべてゐる。 朝九時に始まって十二時におひる休みがあって二時におやつがある。三時頃かへる。 字は少しも教へない。唄、ゆうぎ、憶操、づぐわ、手工など。朝先生がくると、みんな お早やうといふが中に、さよならといった子供がある。それからおひる頃きて、お早や うといったりする。泣いたり笑ったりごちゃごちゃである。時間中、手工、づぐわの時、 ねむったりする子供もある。黄組の子供である。此の聞、健操を見たら、赤白にわかれ て二列になって先頭の子は女で男のぽうLと、はちまきをして日の丸の旗をもって、先 生のあいづをまってゐた。やがてふゑがなると、ニ列にならんだ、赤白の先の子が、一 番後を通って、まはってきてつぎの子にわたす。とんがった帽子をかぶった子が、かけ て行く、そっぽの方へいったりした。そのやうすが、いかにもむじゃ書であった。この 間は、男の子が先生から、みんな、づぐわをかへしてもらった時、その子は、おじぎを しないで、つつとるようにしたので、先生がやらないと、又、同じ事をやるので、園長 さんが、おしへて、ようようかへしてもらった。いつだか、お隣のお姉さんに「このづ ぐわ、ずいぶんよくかけてるわね」といったら、「うそよ、これは先生が形をつくって、 生徒がぬったのよ」といった。 おひるごはんの時、たペてしまふと、言はなくももいいものを、たべかけながら「先 生ごちそうさま」と言ふ。でも先生がならはしをつけたのだらうとも思はれる。こんな 少さい幼稚園でもようくみてゐると、規律、正しい。 児童の作品研究問題 1 わからないところはないかく作者に質問> 2 作者は何を書かうとしてゐま すか 3 どこの幼稚園ですか 4 前に作った「連動含」とくらべて材料は同じ ですか 5 どういふ風にちがひますかく文を作る時のことを考へて> 6 昭和 幼稚園を書くためにどんな材料をあつめてありますか 7 この外にいゝ材料がある かどうか、あったらかきなさい 8 かきぶりのよいところ 9 かきぶりのいけ ないところ 10 気のついたことをかきなさい 綴方に於ける積極性 水野静雄 1 綴方の猫自性 綴方の目的を「生活指導」におくことに異議はないにしても、教育そのものが「生活指 導」であって見れば、綴方に於ける「生活指導」は教育に於ける「生活指導」の中に臆臓 化されて其の濁自性を喪失することに気づくならば、私達は教育の一分野としての綴方に 「表現を機縁」としての生活指導の猫自性を附輿しなくてはならない。綴方に於ける科挙 性を高潮するにしても垂術性を主張するにしても、母性は常に生活にあるだらうし、目的 は「生活指導」の軌道を外れることはないだらう。然もそれは常に「表現」を機縁として 行はれることに誤りはない。 2 消極性と積極性 −59−