樵谷惟僊と塩田和尚の史料集成と注釈
舘
隆
志
は
じ
め
に
本 論 は、 鎌 倉 中 期 か ら 後 期 に 活 躍 し た 信 州 塩 田 ( 長 野 県 上 田 市 別 所 ) の 樵 谷 惟 僊 と、 同 じ く 信 州 塩 田 で 鎌 倉 中期に活躍した塩田和尚に関する史料を収集し、注釈を加えて研究者への便宜を図ることを目的とするもの である。 樵 谷 惟 僊 は、 鎌 倉 中 期 に 入 宋 し て 天 童 山 の 別 山 祖 智 ( 一 一 九 三 ~ 一 二 六 〇 ) の 法 を 嗣 い で 帰 朝 し、 信 州 塩 田 の崇福山安楽寺を開山した僧として知られている。また、塩田和尚は、鎌倉中期に入宋し、渡来僧の蘭渓道 隆 ( 一 二 一 三 ~ 一 二 七 八 ) が 来 朝 す る 際 に 同 船 に て 帰 朝 し、 そ の 後 も 道 隆 と 交 流 を も っ た こ と が 道 隆 関 係 史 料 によって知られている。この塩田和尚も信州で活躍した僧であったため、塩田とは信州塩田の地名に因んだ 呼称と想定される。そして、入宋時期がともに鎌倉中期であり、信州塩田という活躍場所の一致、さらに樵 谷惟僊も蘭渓道隆との交流があったことから、樵谷惟僊と塩田和尚は別々の人物ではなく同一人物であると する見解が玉村竹二氏によって出されたのである。 そ の 後、 こ の 玉 村 説 ( 同 一 人 物 説 ) を 否 定 す る 見 解 は 一 度 だ け あ っ た も の の、 基 本 的 に は そ れ を 肯 定 し 踏襲する形で研究が積み重ねられ、この二僧を同一人物とする見解は現在の通説となっている。この研究史に つ い て は、 拙 稿「 樵 谷 惟 僊 と 塩 田 和 尚 に 関 す る 考 察 ― 信 州 塩 田 安 楽 寺 の 開 山 を め ぐ っ て ―」 (『 駒 澤 大 学 禅 研 究所年報』二八、二〇一六年予定) にてまとめる通りである。 樵谷惟僊と塩田和尚は、鎌倉中期の入宋僧ではあるが一般的にはほとんど無名に近いと言ってよいだろう。 しかしながら、渡来僧や入宋僧の少ないこの時代では、樵谷惟僊や塩田和尚の動向は、草創期の禅宗の展開 を知る上で貴重な情報源であり、その解明は日本禅宗史においては重要な課題として扱われたのである。そ して、この課題に関する研究は、日本禅宗史においては恐らくは最も論じられてきた回数の多い研究の一つ となり、玉村説を踏襲した形での研究は今なお積み重ねられ続けているのである。 この玉村説を中心とする同一人物説に疑問をもつに至り、提示された史料を詳細に読み下し、注釈を付し て内容を精査した結果、活動年次に明らかな矛盾が見られた。考察の結果として、玉村説を踏まえた上での 同一人物説は成り立たないことが判明したのである。この研究経緯については、前掲拙稿に示す通りである が、この際の史料蒐集と注釈を提示し、その判断を仰ぐものである。 凡 例 ■本論で紹介する史料は、これまでの樵谷惟僊や塩田和尚に関連する論文に提示されたすべてのものとする。これらの先 行研究の中で、新たに史料が提示されたものは以下の通りで、それぞれ『信濃史料』五巻(信濃史料刊行会、一九五四年、 九 二 ― 一 〇 九 頁 ) は[ 信 濃 史 ]、 太 田 博 太 郎「 樵 谷 惟 僊 に つ い て 」( 『 信 濃 』 第 十 四 巻 第 一 号、 一 九 六 二 年、 六 六 ― 六 九 頁 ) は[ 太 田 一 九 六 二 ]、 玉 村 竹 二「 信 濃 別 所 安 楽 寺 開 山 樵 谷 惟 僊 伝 に つ い て の 新 見 解 」( 『 史 学 論 集 対 外 関 係 と 政 治 文
化 』 吉 川 弘 文 館、 一 九 七 四 年、 一 三 七 ― 一 六 二 頁 ) は[ 玉 村 A ]、 玉 村 竹 二「 信 濃 別 所 安 楽 寺 開 山 樵 谷 惟 僊 伝 に つ い て の 私 見 」( 『 日 本 禅 宗 史 論 集 』 上、 思 文 閣 出 版、 一 九 七 六 年、 五 八 三 ― 六 〇 九 頁 ) は[ 玉 村 B ]、 玉 村 竹 二「 蘭 渓 道 隆 と 樵 谷 惟 僊 と の 交 友 関 係 の 変 遷 ― そ れ を 物 語 る 二 通 の 尺 牘 ―」 (『 山 田 無 文 老 師 喜 寿 記 念 禅 学 論 攷 』 禅 文 化 研 究 所、 一 九 七 七 年、三二七―三四二頁)は[玉村C] 、村上博優『塩田方丈樵谷惟僊禅師概考』 (財団法人龍洞院保存会、二〇〇〇年)は [ 概 考 ]、 菅 原 昭 英「 江 南 に お け る 四 川 僧 と 日 本 僧 の 出 会 い( 結 )」 (『 宗 学 研 究 』 第 四 十 二、 二 〇 〇 二 年、 二 〇 一 ― 二 〇 六 頁)は[菅原二〇〇二]と略称を用いる。 ■提示する順番は、研究に登場した順番ではなく、表記や意味内容を踏まえて項目を設け、 「塩田和尚関係史料」 「樵谷惟 僊 関 係 史 料 」「 安 楽 寺 方 丈 宛 」「 仙 字 を 有 す 僧 侶 」「 そ の 他、 並 び に 不 明 の 史 料 」 の 順 に 配 し た。 拙 稿「 樵 谷 惟 僊 と 塩 田 和 尚に関する考察」 (『駒澤大学禅研究所年報』二八、二〇一六年予定。以下は[舘二〇一六]と表記)を参照。 ■最初に翻刻を載せ、次に語注を載せた。出典など細かい注については補注として最後に一括し掲載している。なお、注 釈においては、花園大学国際禅学研究所所長の野口善敬先生のご指導を賜った。 ■書誌情報は、それぞれの語注の冒頭に記した。最初に初出された先行研究を提示し、次いで当該史料を掲載する書籍を 紹 介 す る。 主 立 っ た も の と し て、 『 建 長 寺 史 』 編 年 資 料 編 第 一 巻( 大 本 山 建 長 寺、 二 〇 〇 三 年 ) 以 下 は[ 建 長 編 ]、 『 禅 林 墨蹟』は[禅墨] 、『続禅林墨蹟』は[続禅墨] 、『禅林墨蹟拾遺』は[禅墨拾]と略称を用いる。また、影印が掲載されて いる書籍がある場合にはその書籍名も記した。 ■史料名の表記で、手紙は「書状」で統一した。所蔵先については個人所蔵の場合は、 「個人所蔵」で統一した。 ■使用する漢字は、常用漢字を基本とし、旧字体は新字体に直し、適宜、句読点訓点を付した。 ■出典に用いた史料のうち、主立ったものの略称は以下の通り。大正新脩大蔵経=大正蔵、卍続蔵経=続蔵、蘭渓道隆禅 師全集=蘭渓全、五山文学全集=五山全、五山文学新集=五山新。
塩
田
和
尚
関
係
史
料
[史料 1]『蘭渓和尚語録』巻下「普説」 「塩田和尚至引座普説」 塩田和尚至、引座普説。 覚 空 空 覚 之 妙、 妙 在 二変 通 一、 明 了 了 明 之 機、 機 先 鑑 徹。 空 不 ㆑覚、 覚 不 ㆑空、 未 ㆑為 二至 妙 一。 了 不 ㆑明、 明 不 ㆑了、 安足 ㆑呈 ㆑機。直須空覚頓亡、了明無 ㆑所、然後、於 ㆑無 二所有 一、垂 ㆑手接 ㆑人、拽将過来、自不 二粘綴 一。誠所謂、 以 二我 之 覚 一而 覚 ㆑他、 他 無 ㆑ 不 ㆑覚、 以 二我 之 妙 一 而 妙 ㆑彼、 彼 無 ㆑不 ㆑ 妙。 彼 既 妙 而、 他 亦 覚、 宗 旨 法 幢、 何 患 ㆑不 ㆑立也。到 二這裏 一、更説 二甚等覚妙覚 一、以為 二至極 一哉。塩田長老、夙有 二霊骨 一、安強為 ㆑之。自 二大宋 一同帰、 所 ㆑負 非 ㆑浅。 欲 下以 二 浩 然 之 気 一掃 二 去 妖 精 一、 令 二信 心 人 一 知 ㆑有 中 不 伝 之 妙 上。 只 此 不 伝 之 妙、 非 ㆑ 覚 奚 知。 若 謂 二有 ㆑覚 有 知、 又 匪 二不 伝 之 妙 一。 所 以 古 人 到 ㆑此 不 ㆑奈 二其 何 一。 乃 云、 恁 麼 也 不 ㆑得、 不 恁 麼 也 不 ㆑得、 恁 麼 不 恁 麼、 総 不 ㆑得。 建 長 与 二塩 田 一各 拠 二一 刹 一、 或 百 余 衆、 或 五 十 衆、 皆 是 聚 ㆑頭、 要 下学 二仏 法 一学 ㆑禅 学 道。 有 二 道 念 一 者、 又 被 二 仏 法 禅 道 四 字 障 礙 窒 塞 一 不 ㆑ 得 二 自 由 一。 無 二 道 心 一 人、 又 如 二 触 ㆑ 藩 之 羊、 進 不 ㆑ 知 ㆑ 前、 退 不 ㆑知 ㆑後、自牽自絆、掣断不 行。有者纔聞 三人挙 二揚此事 一、却不 ㆑審 二其端倪 一、便来張 ㆑眉弩 ㆑目、抗論在 ㆑前、 此 是 此 不 ㆑是、 彼 非 彼 不 ㆑非、 不 ㆑決 二一 疑 一、 千 疑 競 起、 徒 成 二闘 諍 一、 平 白 風 波。 末 代 叢 林、 斯 者 極 盛。 哀 哉、 自不 ㆑達 ㆑源而、話 二彼源之浅深 一矣。可 二怜愍 一、有来乞 ㆑示 二其源 一、又不 ㆑知 二其源之所在 一。過帰 ㆑誰歟。上古達道 之 士、 始 発 二信 心 一、 継 聞 三知 識 挙 二一 言 半 句 一、 便 向 二這 裏 一、 咬 而 復 嚼、 吐 而 又 呑。 至 二於 呑 不 ㆑得、 吐 不 ㆑出、 咬 不 ㆑破、 嚼 不 ㆑爛 之 時 一、 忽 然 咬 二破 舌 頭 一、 便 知、 此 味 具 足。 只 這 具 足 之 味、 非 二世 所 知。 昔 日、 永 嘉 禅 師 道、 若以 ㆑知知 ㆑寂、此非 二無縁知 一。如 三手執 二如意 一、非 ㆑無 二如意手 一。若以 二自知 一知、亦非 二無縁知 一。如 二手自捉 拳、非 二是不拳手 一。亦不知知 ㆑寂、亦不自知知、不 ㆑可 ㆑為 二無知 一。以 二性了然 一故、不 ㆑同 二於木石 一。如 三手不 ㆑執 ㆑物、 亦 不 二自 作 拳、 不 ㆑可 ㆑為 二無 手 一。 無 手 安 然 故、 不 ㆑同 二於 兎 角 一。 後 来、 寂 音 尊 者 云、 永 嘉 止 説 二悟 後 之 病 一。 若 拠 二建長所見 一、不 ㆑悟之時、固有 二多病 一、既悟之後、焉有 ㆑病乎。殊不 ㆑知、永嘉正為 二後代人 一説 二做工夫体究精 微 之 語 一。 自 是 時 人、 不 根 而 蹉 過。 諸 人、 在 二此 巨 福 山 中 一、 居 二彼 塩 田 刹 内 一者、 咸 欲 ㆑究 二無 上 妙 道 一。 且 妙 道 如 何究。諸兄弟、若以 二永嘉之語 一、坐臥経行処、返返復復、推而再思看、是甚麼語話。是与 二自己 一相応耶、不 二 相 応 一耶。 恍 然 看 得 透 時、 永 嘉 之 語 倶 為 二剰 言 一。 雖 ㆑為 二剰 言 一、 欲 ㆑覓 二剰 言 一而、 了 不 可 得。 山 僧、 道 徳 行 解 孤 陋寡聞。若論 下古時列刹相望称 二善知識 一者 上、 予千不 ㆑及 ㆑一。雖 ㆑不 ㆑及 ㆑一、然無 ㆑愧 二於今時 一者、不 ㆑可 三不挙 二 似 諸 人 一。 十 余 年 前、 熱 火 焼 ㆑心、 抛 脱 不 下。 一 日、 得 二些 半 合 之 水 一澆 ㆑之、 熱 火 稍 滅。 火 稍 滅 已、 便 覚 二四 肢 其 気 通 暢 一。 或 時 要 ㆑坐、 縮 ㆑足 由 ㆑予、 或 時 要 ㆑行 動 ㆑脚 在 我。 所 二以 伸 ㆑之 縮 之、 不 ㆑仮 二他 力 一。 到 ㆑此、 仁 者 見 ㆑之、 必 謂 二之 仁 一、 智 者 見 ㆑之、 必 謂 二之 智 一、 臨 ㆑期 応 用。 是 以、 信 ㆑手 写 将 去、 信 ㆑口 道 出 来、 不 ㆑渉 二思 惟 一、 只 憑 二這 箇 一。 塩 田 長 老、 向 日、 雖 下在 二大 唐 中 一同 出 同 入 上、 然 未 三曽 与 挙 二此 伸 縮 之 語 一。 恐 未 二相 信 一時、 伊、 別 有 二妙処 一。苟無 二妙処 一、安得 下信州一境、慕 二其名 一而 中稽顙 上哉。間有 二執 ㆑笻荷負遠遠来帰者 一、不 ㆑知、是為 ㆑持 二 仏戒 一耶、是為 ㆑聴 二説経 一耶、是為 ㆑求 二玄妙 一耶。若為 ㆑求 二玄妙 一而来、喚 二何物 一為 二玄妙 一。若為 ㆑聴 二説経 一而来、 吾祖道、不立文字、直指人心、見性成仏。何説経之有。若為 ㆑持 二仏戒 一而来、戒即是心、心即是戒。心無 二形 相 一、寧有 二戒而可 持。信州一境内、或僧或俗之中、有 下具 二正信決烈之志 一者 上、 聞 ㆑挙 二是事 一、忽然領 二在言前 一、 撒 ㆑手還 ㆑家、笑示 二眷属 一。如 甲龐居士道 乙有 ㆑男不 ㆑用 ㆑婚、有 ㆑女不 ㆑用 ㆑嫁。大家、団聚 ㆑頭、共説 乙無生話 丙。到 二 此 田 地 一了、 便 知、 不 殺 生 中、 有 下弗 ㆑露 二鋒 鋩 一能 断 二人 命 根 一底 一 著 子 上。 不 偸 盗 中、 駆 二耕 夫 之 牛 一、 竊 二飢 人 之 食 一。 不 邪 婬 中、 終 日 混 二在 婬 坊 一、 何 妨 二放 恣 一。 不 妄 語 中、 指 ㆑槐 罵 ㆑柳、 以 ㆑実 為 ㆑虚。 不 沽 酒 中、 槽 粕 雖 ㆑無、
遼天索 ㆑価。不説四衆過中、訐 二露他非 一、更不 二遮掩 一、令 二傍観者趣向無 門。不自賛毀他中、常自点胸、果無 二 人及 一。不慳貪中、両手把定、争肯付 ㆑伊。鬧市叢中、奪 二貧人物 一。不嗔恚中、仏来也打、祖来也打。生鉄面皮、 無 二人近傍 一。不謗三宝中、不 二著 ㆑仏求 一、不 二著 ㆑法求 一、不 二著 ㆑僧求 一。聞 二仏一字 一、嗽 ㆑口三年。明 二得這箇道理 一、 便 知、 法 身 者 是 衆 生 之 性、 報 身 者 是 衆 生 之 智、 応 身 者 是 衆 生 之 行。 性 智 行 彰、 無 二往 不 利。 如 ㆑是 挙 唱、 人 人知 ㆑是、持 二自己之戒 一、説 二自己之経 一。若要 二法界衆生平等利益 一、須是別施 二手段 一始得。且手段、如何施。只 如 下吾宗旨有 中玄中之玄・妙中之妙 上、 未 二説持以為 人。畢竟如何吐露。莫 下是提 二起話頭 一回光返照是玄妙 上麼。 錯。 莫 下是 咬 二定 牙 関 一不 ㆑起 二一 念 一是 玄 妙 上耶。 錯。 莫 二是 庭 前 柏 樹 子 洞 山 麻 三 斤 是 玄 妙 一耶。 錯。 莫 下是 離 二心 意識 一参、絶 二聖凡路 一学是玄妙 上耶。錯。只此四錯、有 ㆑口難 ㆑言。郷談未 ㆑暁、問 二取塩田 一。錯。記得、蒙庵嶽 禅 師、 初 領 二浄 衆 一往 持。 道 過 二鼓 山 一、 承 二竹 庵 珪 禅 師 請 一為 ㆑衆 説 法。 竹 庵 引 座 云、 鼓 山 三 十 棒、 要 ㆑打 二新 浄 衆 一。大衆、莫 下是未 ㆑入 ㆑門時、合喫 中此棒 上麼。咄。莫 三是已入 ㆑門時、合喫 二此棒 一麼。咄。莫 二是鼓山盲枷瞎棒、 胡打乱打 一麼。咄、咄。若是我臨済児孫、便請、単刀直入。下座。蒙庵便登 ㆑座云、鼓山三十棒、要 ㆑打 二新浄 衆 一。 大 似 二話 ㆑驢 得 ㆑驢、 話 ㆑馬 得 馬。 浄 衆、 今 日 到 来、 要 ㆑騎 便 騎、 要 ㆑下 便 下。 而 今、 突 二出 人 前 一、 未 ㆑免、 弄 ㆑真 像 ㆑仮。 拈 二主 杖 一云、 今 朝、 暫 借 二主 杖 一、 与 二大 衆 一抜 本 去 也。 復 放 云、 休 休。 将 謂 胡 鬚 赤、 更 有 二赤 鬚 胡 一。便下座。 師云、鼓山以 ㆑杖探 ㆑水、幾 二乎没 身。蒙庵見 ㆑義便為、何妨慶快。建長、不 ㆑能 下与 二塩田 一横 ㆑拕倒 拽、且要 二 正 視 直 行 一。 聞 知、 瑩 巌 袈 裟 角 上 裹 二得 些 子 塩 田 塩 一、 来 要 丙使 下具 二信 心 一人 上識 乙此 厚 味 甲。 沾 二此 味 一已 令 ㆑伊 到 二大 安 楽 処 一去。 遂 顧 二視 大 衆 一云、 衆 中、 沾 二此 味 一者、 固 不 ㆑在 ㆑言。 如 未 ㆑知 ㆑之、 請 二塩 田 一求 二此 厚 味 一。 下 座、 請 二塩田和尚 一為 ㆑衆挙揚。
[訓]塩田和尚至る、 引 いん 座 ぞ の 普 ふ 説 せつ 。 覚 かくくう 空 空 くうかく 覚 の 妙 みょう 、妙は 変 へんづう 通 に 在 あ り、 明 みょうりょう 了 了 りょうみょう 明 の機、 機 き 先 せん に 鑑 かんてつ 徹 す。空にして覚ならず、覚にして空ならずんば、 未だ 至 しみょう 妙 と 為 な さず。了するも明ならず、明なるも了せずんば、 安 いずく んぞ機を呈するに足らん。 直 じき に 須 すべか らく 空 くうかく 覚 頓 とみ に亡じ、 了 りょうみょう 明 するに所無くして、然る後、 所 しょ 有 う 無きに於いて、手を 垂 た れて人を接し、 結 ひ き 将 も ち 過 す ぎ 来 き たり て、 自 ら 粘 ねんてつ 綴 せ ざ る べ し。 誠 に 所 い わ ゆ 謂 る、 「 我 が 覚 を 以 て 佗 を 覚 す れ ば、 佗 は 覚 せ ざ る 無 く、 我 が 妙 を 以 て 彼 を妙にすれば、彼は妙ならざる無し」なり。彼既に妙にして、佗も亦た覚せば、 宗 しゅうし 旨 の 法 ほうとう 幢 、何ぞ立せざる ことを 患 うれ えんや。 這 しゃ 裏 り に到りて、更に 甚 なん の 等 とうがく 覚 妙 みょうがく 覚 を説いて、以て 至 し 極 ごく と為さんや。 塩 えんでん 田 長 ちょうろう 老 、 夙 つと に 霊 れいこつ 骨 有 り、 安 いずく んぞ 強 し いて 之 これ を 為 な さん。大宋より 同 とも に帰れば、 負 お ふ所は浅きに非ず。 浩 こうねん 然 の気を以て 妖 ようせい 精 を 掃 はら い 去 さ り、 信 しんじん 心 の人をして 不 ふ 伝 でん の妙有るを知らしめんと欲す。 只 た だ此の不伝の妙は、 覚 さと るに非ざれば 奚 なん ぞ知らん。 若 も し 覚 有 り 知 有 り と 謂 い わ ば、 又 た 不 伝 の 妙 に 匪 あら ず。 所 ゆ 以 え に 古 人 は 此 に 到 り て 其 そ れ を 奈 い か ん 何 と も せ ず、 乃 すなわ ち 云 く、 「 恁 いん 麼 も も 也 ま た 得 え ず、 不 ふ 恁 いん 麼 も も 也 ま た 得 ず、 恁 いん 麼 も 不 ふ 恁 いん 麼 も 、 総 す べ て 得 え ず 」 と。 建 長 と 塩 田 と 各 おの お の 一 い っ さ つ 刹 に 処 お り、 或 いは百余衆、或いは五十衆、 皆 み な是れ頭を 聚 あつ めて、仏法を学し禅を学し道を学せんと要す。 道 どうねん 念 有る者は、 又た仏法禅道の四字に 障 しょうげ 礙 窒 ちっそく 塞 せられて自由を得ず。 道 どうしん 心 無き人は、又た 藩 まがき に触るるの羊の、進むに前を知 らず、退くに後を知らず、自ら 牽 ひ き自ら 絆 つな ぎ、 掣 せいだん 断 して行かざるが如し。 有 あ る者は 纔 わず かに人の此の 事 じ を 挙 こ 揚 よう するを聞かば、 却 かえ って 其 そ の 端 たんげい 倪 を 審 つまびら かにせず、便ち来たりて眉を 張 は り目を 弩 は りて、 抗 こうろん 論 、前に在り、 此 こ れは 是 ぜ なり、 此 こ れは是ならず、彼は 非 ひ なり、彼は非ならずとし、 一 いち 疑 ぎ 決せずして、 千 せん 疑 ぎ 競 きそ い起こり、 徒 いたづ らに 闘 とうじょう 諍 を成して、 平 へいはく 白 に風波す。 末 まつだい 代 の 叢 そうりん 林 、 斯 か くのごとき者極めて盛んなり。 哀 かな しい 哉 かな 、自ら 源 みなもと に 達 たっ せずして、 彼の源の 浅 せんしん 深 を 話 かた る。 怜 愍すべし、有るいは来たりて 其 そ の源を示さんことを 乞 こ うも、 又 ま た 其 そ の源の 所 しょざい 在 を知
らず。 過 とが は誰に帰するや。 上 じょうこ 古 達 たつどう 道 の士、始め 信 しんじん 心 を発し、 継 つ いで 知 ち 識 しき の 一 いちごん 言 半 はん 句 く を 挙 こ するを聞き、 便 すなわ ち 這 しゃ 裏 り に向かって、 咬 か みて 復 ま た 嚼 か み、 吐 は きて 又 ま た 呑 の む。 呑 の み 得 え ず、吐き 出 い だせず、 咬 か み破けず、 嚼 か み 爛 ただ けざるの 時に至りて、 忽 こつねん 然 として 舌 ぜっとう 頭 を 咬 こう 破 は し、 便 すなわ ち知る、此の味の 具 ぐ 足 そく せることを。 只 た だ 這 こ の 具 ぐ 足 そく するの味は、世 の 知 る 所 に 非 ず。 昔 日、 永 よう 嘉 か 禅 師 道 いわ く、 「 若 も し 知 を 以 て 寂 じゃく を 知 ら ば、 此 こ れ 無 む 縁 えん の 知 に 非 ず。 手 に 如 にょ 意 い を 執 と る が如し、 如 にょ 意 い の手無きに非ず。 若 も し 自 じ 知 ち を以て知らば、 亦 ま た 無 む 縁 えん の知に非ず。手にて自ら拳を 捉 な すが如し、 是れ不拳の手に非ず。亦た不知にして寂を知り、亦た不自知にして知るも、 無 む ち 知 と為す可からず、性 了 りょうねん 然 た るを以ての故に、 木 ぼくせき 石 に同じからず。手に物を 執 と らず、 亦 ま た自ら拳を 作 な すが如きも、 無 む 手 しゅ と 為 な すべからず。 無 む 手 しゅ に し て 安 あ ん ね ん 然 な る が 故 ゆえ に、 兎 と 角 かく に 同 じ か ら ず 」 と。 後 ご 来 らい 、 寂 じやくおん 音 尊 者 云 く、 「 永 嘉 は 止 た だ 悟 後 の 病 い を 説 く のみ」と。若し建長が 所 しょけん 見 に 拠 よ らば、悟らざるの時、 固 もと より 多 たびょう 病 有るも、既に悟るの後、 焉 いずく んぞ病い有らん や。殊に知らず、永嘉は正に 後 こうだい 代 の人の 為 ため に 做 さ 工 く 夫 ふう の 体 たいきゅう 究 精 しょうみ 微 の語を説くことを。 自 も 是 と より時人、 不 ふ 根 こん にし て 蹉 さ か 過 す。諸人、此の 巨 こ 福 ふく 山 さんちゅう 中 に在り、彼の 塩 えんでん 田 刹 さつない 内 に 居 お る者、 咸 み な 無 むじょう 上 の 妙 みょうどう 道 を 究 きわ めんと欲す。 且 か つ 妙 みょうどう 道 は 如 い 何 か んが 究 きわ めん。 諸 しょ 兄 ひんでい 弟 、 若 も し永嘉の語を以て、 坐 ざ が 臥 経 きんひん 行 の処に、 返 へんへん 返 復 ふくふく 復 し、推して再び 思 おも うて 看 み よ、 「 是 こ れ 甚 な ん 麼 の 語 ご わ 話 ぞ。 是 れ 自 じ こ 己 と 相 あ い 応 おう ず る や、 相 あ い 応 おう ぜ ざ る や 」 と。 恍 こうぜん 然 と し て 看 得 透 す る 時、 永 よう 嘉 か の 語 は 倶 とも に 剰 じょうげん 言 と 為 な らん。 剰 じょうげん 言 と 為 な ると雖も、剰言を 覓 もと めんと 欲 ほっ するも、 了 つい に 不 ふ 可 か 得 とく なり。山僧、 道 どうとく 徳 行 ぎょうげ 解 は 孤 こ 陋 ろう にして 寡 か 聞 もん なり。 若 も し 古 こ じ 時 の 列 れっさつ 刹 相 あ い望むときに 善 ぜん 知 ち 識 しき と称する者を論ぜば、予は千が一にも及ばず。一 に及ばずと雖も、 然 しか も 今 こん 時 じ に 愧 は づること無き者、諸人に 挙 こ 似 じ せざるべからず。十余年前、熱火は心を焼いて、 抛 ほうだつ 脱 し 下 え ず。一日、 些 いささ かの 半 はんごう 合 の水を得て之を 澆 そそ ぐに、熱火 稍 や や滅す。火 稍 や や滅し 已 お わりて、 便 すなわ ち 四 し し 肢 に 其 そ の 気 き 通 つうちょう 暢 することを覚ゆ。 或 あ る時は 坐 ざ せんと要して、足を縮むることも予に由り、或る時は行かんと要して
脚を動かすことも我れに在り。之を伸べ之を縮むる 所 ゆ 以 え は、他の力を仮らず。此こに到りて、 仁 にん 者 しゃ は之を見 て、必ず之を仁と謂い、 智 ち 者 しゃ は之を見て、必ず之を智と謂い、期に臨んで 応 おうよう 用 す。是こを以て、手に 信 まか せて 写し 将 も ち去り、口に 信 まか せて 道 い い 出 い だし来たり、 思 し 惟 ゆい に 渉 わた らず、只だ 這 しゃ 個 こ に 憑 よ る。塩田長老、 向 む か し 日 、大唐の中 に在りて同出同入すと雖も、 然 しか も未だ 曽 かつ て 与 ため に 此 こ の 伸 しんしゅく 縮 の語を 挙 こ せず。恐るらくは未だ 相 あ い 信 しん ぜざる時、 伊 かれ 、 別に 妙 みょうしょ 処 有らん。 苟 も し 妙 みょうしょ 処 無 な くば、 安 いずく んぞ 信 しんしゅう 州 一境、 其 そ の名を 慕 した いて 稽 けい 顙 そう するを 得 え んや。 間 まま 、 筇 つえ を 執 と り 荷 か ふ 負 し て 遠 え ん え ん 遠 と し て 来 らい 帰 き す る 者 有 り、 知 ら ず、 是 こ れ 仏 ぶ っ か い 戒 を 持 じ す る が 為 な る や、 是 こ れ 説 せっきょう 経 を 聴 き く 為 な る や、 是 こ れ 玄 げんみょう 妙 を求むる為なるや。 若 も し 玄 げんみょう 妙 を 求 もと むる為にして来たらば、 何 なにもの 物 を 喚 よ んで 玄 げんみょう 妙 と 為 な す。 若 も し 説 せっきょう 経 を 聴 き く為 に し て 来 た ら ば、 吾 が 祖 道 いわ く、 「 不 ふ り ゅ う 立 文 もん 字 じ 、 直 じき 指 し 人 に ん し ん 心 、 見 けんしょう 性 成 じょうぶつ 仏 」 と。 何 の 説 せっきょう 経 か 之 これ 有 ら ん。 若 も し 仏 ぶっかい 戒 を 持 じ するが為にして来たらば、戒は即ち是れ心、心は即ち是れ戒なり。心に 形 ぎょうそう 相 無ければ、 寧 いずく んぞ戒として持つ べき有らんや。信州一境の内、或いは僧、或いは俗の中に、 正 しょうしん 信 決 けつれつ 烈 の志を具する者有りて、 是 こ の 事 じ を 挙 こ す るを聞き、 忽 こつねん 然 として 言 ごんぜん 前 に 領 りょうざい 在 せば、手を撒して家に還り、笑いて 眷 けんぞく 属 に示せ。 龐 ほう 居 こ じ 士 が「男有りて婚す るを用いず。女有りて 嫁 とつ ぐを 用 もち いず。 大 み な 家 、 団 まど かに頭を聚め、共に 無 むしょう 生 の話を説く」と 道 い うが如し。 此 こ の 田 でん 地 ち に到り了わらば、便ち知らん、 不 ふ 殺 せっしょう 生 の中に、 鋒 ほうぼう 鋩 を 露 あら わさずして 能 よ く人の 命 みょうこん 根 を断ずる底の 一 いちじゃくす 著子 有り。 不 ふちゅうとう 偸盜 の中に、 耕 こう 夫 ふ の牛を駆り、飢人の食を 竊 ぬす む。 不 ふ 邪 じゃ 婬 いん の中に、 終 しゅうじつ 日 、 婬 いんぼう 坊 に 混 こんざい 在 するも、何ぞ 放 ほう 恣 し なる を 妨 げ ん。 不 ふ 妄 もう 語 ご の 中 に、 槐 かい を 指 し て 柳 やなぎ を 罵 ののし り、 実 じつ を 以 て 虚 きょ と 為 な す。 不 ふ 沽 こ 酒 しゅ の 中 に、 糟 そ う は く 粕 は 無 し と 雖 も、 遼 りょうてん 天 に 価 か を 索 もと む。 不 ふ 説 せつ 四 し 衆 しゅ 過 か の中に、他の非を 訐 けつ 露 ろ して更に 遮 しゃ 掩 えん せず、傍観の者をして 趣 しゅこう 向 するに門無から しむ。 不 ふ 自 じ 賛 さん 毀 き 他 た の中に、常に自ら 点 てんきょう 胸 し、果たして人の及ぶこと無し。 不 ふ 慳 けん 貪 とん の中に、両手にて 把 はじょう 定 し、 争 いか でか肯えて 伊 かれ に付せん。 鬧 どう 市 し 叢 そうちゅう 中 に、貧人の物を奪う。 不 ふ 嗔 しん 恚 に の中に、仏来たるも 也 ま た打ち、祖来たるも
也た打つ。 生 さんてつ 鉄 の 面 めん 皮 ぴ 、人の 近 きんぼう 傍 する無し。 不 ふ 謗 ぼう 三 さん 宝 ぼう の中、仏に 著 つ きて求めず、法に 著 つ きて求めず、僧に 著 つ きて求めず。仏の一字を聞かば、口を 嗽 すす ぐこと三年す。 這 しゃ 個 こ の 道 どう 理 り を明らめ 得 え ば、便ち知らん、 法 ほっしん 身 とは 是 こ れ 衆 しゅじょう 生 の性、 報 ほうじん 身 とは是れ衆生の智、 応 おうじん 身 とは是れ衆生の行なることを。性・智・行 彰 あらわ れて、 往 ゆ くとして利 せざる無し。 是 か くの如く 挙 こしょう 唱 せば、人々、是れを知りて、自己の戒を持し、自己の経を 説 と かん。 若 も し 法 ほっかい 界 の 衆生をば平等に 利 り 益 やく せんと 要 よう せば、須らく是れ別に手段を施して始めて 得 よ し。 且 か つ手段は、 如 い か 何 んが施さん。 只 た だ 吾 わ が 宗 しゅうし 旨 に 玄 げんちゅう 中 の 玄 げん ・ 妙 みょうちゅう 中 の 妙 みょう 有るが如きは、未だ説持して以て人の為にせず。 畢 ひっきょう 竟 、如何が 吐 と ろ 露 せん。 是れ 話 わ 頭 とう を 提 てい 起 き して 回 え 光 こう 返 へんしょう 照 するは 是 こ れ 玄 げんみょう 妙 なること 莫 な きや。 錯 しゃく 。 是 こ れ 牙 が 関 かん を 咬 こうじょう 定 して一念起こらざるは是 れ玄妙なること 莫 な きや。錯。是れ 庭 ていぜん 前 の 栢 はく 樹 じゅ 子 し 、 洞 とうざん 山 の 麻 ま 三 さん 斤 ぎん は是れ 玄 げんみょう 妙 なること 莫 な きや。錯。是れ 心 し ん い し き 意識 を離れて参じ、 聖 しょうぼん 凡 の 路 みち を 絶 ぜっ して学ぶは是れ 玄 げんみょう 妙 なること莫きや。錯。只だ 此 こ の 四 ししゃく 錯 は、口有るも言い難し。 郷 きょうだん 談 未だ 暁 あき らめざれば、塩田に 問 もんしゅ 取 せよ。錯。 記 き 得 とく す、 蒙 もうあん 庵 嶽 がく 禅師、初め 浄 じょうしゅ 衆 を 領 りょう して 住 じゅうじ 持 す。道のかた 鼓 く 山 ざん を 過 よ ぎ り、 竹 ち く あ ん 庵 珪 けい 禅 師 の 請 しょう を 承 う け て 衆 の 為 ため に 説 せ っ ぽ う 法 す。 竹 庵、 引 いん 座 ぞ し て 云 く、 「 鼓 山 が 三 十 棒、 新 しん 浄 じょうしゅ 衆 を 打 う たんこと要す。大衆、是れ未だ門に入らざる時、 合 まさ に此の棒を喫すべきこと 莫 な きや。 咄 とつ 。是れ 已 すで に門に入り し時、 合 まさ に此の棒を喫すべきこと莫きや。咄。是れ鼓山の 盲 もう 枷 か 瞎 かつ 棒 ぼう 、 胡 こ 打 だ 乱 らん 打 だ なること 莫 な きや。咄、咄。若 し是れ我が臨済の 児 じ 孫 そん ならば、便ち請う、単刀直入ならんことを」と。 下 あ ざ 座 す。蒙庵、便ち座に登りて云く、 「 鼓 く 山 ざん の 三 十 棒、 新 浄 衆 を 打 た ん こ と を 要 す。 大 い に 驢 ろ を 話 かた り て 驢 ろ を 得、 馬 を 話 り て 馬 を 得 る に 似 た り。 浄 衆、今日、到来して、 騎 の らんと要すれば便ち騎り、 下 お りんと要すれば便ち下る。 而 に 今 こん 、 人 にんぜん 前 に 突 とっしゅつ 出 し、未だ 免 れ ず、 真 を 弄 ろう し 仮 け を 像 かたど る こ と を 」 と。 主 丈 を 拈 じ て 云 く、 「 今 朝、 暫 く 主 丈 を 借 り て、 大 衆 の 与 ため に 抜 ばっ 本 ぽん し 去 ら ん 」 と。 復 た 放 ち て 云 く、 「 休 や み ね、 休 や み ね。 将 に 謂 おも え り、 胡 こ し ゅ し ゃ く 鬚 赤 と、 更 に 赤 し ゃ く し ゅ こ 鬚 胡 有 り 」 と。 便 ち 下 座
す。 師 云 く、 「 鼓 山 は 杖 を 以 て 水 を 探 り、 身 を 没 す る に 幾 ちか し。 蒙 庵 は 義 を 見 て 便 ち 為 す、 何 ぞ 妨 げ ん、 慶 快 な る ことを。建長、塩田の 与 ため に横に 袈 ひ き 倒 さかしま に 結 ひ くこと 能 あた わず、 且 か つ正しく視て 直 なお く行かんことを要す。 聞 もん 知 ち す、 瑩 えいがん 巌 は 袈 け さ 裟 角 かくじょう 上 に 些 さ し 子 の 塩 えんでん 田 の塩を 裹 つつ み 得 え て、来たりて 信 しんじん 心 を具する人をして 此 こ の 厚 こう 味 み を 識 し らしめんと要す。 此 こ の 味 に 沾 うるお い て、 已 に 伊 かれ を し て 大 安 楽 の 処 に 到 り 去 ら し む 」 と。 遂 に 大 衆 を 顧 こ し 視 し て 云 く、 「 衆 中、 此 の 味 に 沾 うるお う者は、 固 もと より言に在らず。 如 も し未だ之を知らずんば、 塩 えんでん 田 に 請 こ い 此 こ の 厚 こう 味 み を求めよ」と。 下 あ ざ 座 し、塩 田和尚に請い衆の為に 挙 こ 揚 よう せしむ。 ○『蘭渓和尚語録』二巻は鎌倉中期に南宋で刊行され、鎌倉後期に覆宋五山版として再刊された。本論で用いている ものは建長寺所蔵の覆宋五山版『蘭渓和尚語録』である。詳しくは、拙稿「 『蘭渓和尚語録』解題」 (蘭渓全一)を参 照されたい。初出[信濃史五・九五~一〇一] 、影印[蘭渓全一・八四b~八八b] 、掲載書籍[大正蔵八〇・七九b ~ 八 〇 c ]。 ○ 蘭 渓 … 臨 済 宗 大 覚 派 祖 の 蘭 渓 道 隆( 一 二 一 三 ~ 一 二 七 八 ) の こ と[ 補 1 ]。 ○ 塩 田 和 尚 至 引 座 普 説 … [補 2]。○塩田和尚…信濃(長野県)塩田の僧[補 3]。○塩田…信濃(長野県)の地名[補 4]。○引座…他寺の尊 宿などが寺に来た際に高座に案内して説法を請うこと。○普説…普く人々に法を説く意。多数の僧衆を一堂に集め、 略式で行なう説法。○覚空空覚…空を悟り、空にして悟る。空の道理を徹底し究める。○変通…情況に応じて自由自 在に変化・適応してゆくこと。臨機応変なさま。○明了了明…明らかに悟ること。悟りの明らかなこと。本来の自己 を徹底して明らかにする。○機先…機前とも。物事の起こらない時。物事が起ころうとする直前。○鑑徹…しっかり と見貫いてしまうこと。○至妙…究極の妙処。この上ない悟りの境地。○呈機…はたらきを示す。自己の全力をはた らき出すこと。○空覚頓亡、了明無所…空も覚もすっかりなくし、了も明も所在がなくなる。悟ったという意識すら 捨て切ったこと。○垂手接人…手を垂れて人のためにする。衆生済度すること。○粘綴…ねばりとどまる。滞ること。
○所謂、以我之覚~彼無不明…出典未詳。○宗旨法幢…仏法の旗印。仏法の根本の教えを建立すること。法幢は説法 があることを知らせるために立てる 幟 のぼり 。○等覚…仏の悟り。平等一如の悟り。大乗菩薩の五十二位の中の第五十一位 の位。三賢・十聖の上。等正覚。○妙覚…真の悟り。仏の無上の悟り。菩薩の修行最後の位、菩薩の第五十二位。等 覚の上。○至極…極限・極致に達していること。この上ないこと。○霊骨…霊妙な骨相。非凡な姿。すぐれた精神的 な修行力の意。○自大宋同帰…蘭渓道隆が寛元四年(南宋淳祐六年、一二四六)に渡来する際に塩田長老が南宋から 同船で帰国したことをいう。○浩然之気…天地の間に充満している大きく強い気。これが人間に宿ると何物にも屈し な い 道 徳 的 勇 気 と な る と さ れ る[ 補 5]。 ○ 妖 精 … 怪 し い 精 霊。 人 を 惑 わ す 怪 し い 化 け も の。 ○ 信 心 人 … 仏 の 説 い た 三宝や因果の理法を信じて疑わぬ人。○不伝之妙…仏祖でさえ伝えることができない妙なる境地。○恁麼也不得、不 恁麼也不得、恁麼不恁麼、総不得…[補 6]。○建長与塩田各拠一刹、或百余衆、或五十衆…[補 7]。○各拠一刹… 蘭渓道隆が鎌倉建長寺に住し、塩田和尚が信濃塩田に存した寺院に住していたことを指す。○百余衆…この時、建長 寺の修行者が百余人いたことを指す。○五十衆…この時、塩田に存した禅寺に五十余人いたことを指す。○聚頭…多 くの修行僧が一カ所に集まること。○道念…道を思う心。仏道を求めようとする気持。○障礙…さまたげ害する。さ またげる。○窒塞…塞がる。詰まる。○道心…悟りを求める心。菩提心。○掣断不行…引きちぎって行けない。動詞 の後の不は不可能を表す。○此事…このこと。仏祖の大道。仏法の一大事。○挙揚…取りあげること。取りあげて人 に 示 す こ と。 ○ 端 倪 … 物 事 の 初 め と 終 わ り。 事 の 始 終[ 補 8]。 ○ 抗 論 … 対 抗 し て 屈 す る こ と な く 議 論 す る。 ○ 闘 諍 …戦い争うこと。言い争うこと。○平白…理由なく。わけもなく。○末代…末世。末法の世。○叢林…樹木の繁茂す る林。禅宗寺院。禅の修行道場。○怜愍…憐れむ。不憫に思う。○上古達道之士…往古に仏道に達した人。○知識… 善知識のこと。正しい師匠。○一言半言…わずかな言葉。一言半辞。片言。隻句。○咬而復嚼…じっくり咬みこなす。 文字を詳しく味わって読む。○吐而又呑…吐き出してまた呑み込む。じっくりと消化させる。○忽然…突然に。たち まちに。○咬破舌頭…舌を咬み切る。言葉で表現するのを断ち切る。○具足之味…本来具わっていた味。本具の仏性 に た と え る。 ○ 永 嘉 禅 師 道 ~ 故 不 同 於 兎 角 …[ 補 9]。 ○ 永 嘉 禅 師 … 六 祖 下 の 永 嘉 玄 覚( 六 七 五 ~ 七 一 三 ) の こ と
[補 10]。○無縁…誰のためというような対象の区別がなく、すべて平等と観すること。絶対の慈悲の境地。○如意… 僧の持つ道具の一つ。もともと孫の手として用いた。○自知…自分で知ること。真理を自ら知ること。○捉拳…作拳 に同じ。握りこぶしをする。○了然…はっきりとよくわかるさま。○木石…木と石。心のないもの。○無手…手に何 も持っていないこと。○安然…安らかで落ち着いているさま。○兎角…兎の角。現実に存在しないもののたとえ。○ 寂 音 尊 者 云、 永 嘉 止 説 悟 後 之 病 …[ 補 11]。 ○ 寂 音 尊 者 … 臨 済 宗 黄 龍 派 の 覚 範 慧 洪( 一 〇 七 一 ~ 一 一 二 八 ) の こ と [補 12]。○悟後之病…悟道した後に起こる禅病。○多病…多くの病。ここでは修行中における禅病の類。○殊不知… 全く知らぬ。実は~であった。○做工夫…工夫をなす。修行努力する。○体究…道理を体で会得する。まるごと究め る。○精微…詳しく細かい。緻密なさま。○時人…その時代の人々。○不根…仏法僧を信ずる信根のないこと。○蹉 過…すれ違う。うっかり見過ごすこと。○無上妙道…この上もない最もすぐれた道。仏道のこと。○坐臥経行…行住 坐臥と同じ。坐臥は静止。経行は動作。日常の起居進退。○返返復復…何度も繰り返す。○恍然…うっとりするさま。 ここでは精神が統一されて散乱せぬさまか。○看得透…奥底まで見透す。見抜く。○剰言…無用の語。余分な言葉。 剰語。○不可得…求めても得られないこと。○道徳…仏道を修めて身についた徳。○行解…修行と理解。実践と理論。 ○ 孤 陋 寡 聞 … 孤 陋 は ひ と り よ が り で 頑 な な こ と。 寡 聞 は 見 聞 が 狭 く 浅 い こ と。 卑 下 謙 遜 し た 表 現[ 補 13]。 ○ 列 刹 … 諸寺院。連なる禅刹。○善知識…人々を仏の道へ誘い導く人。○挙似…話題を提示すること。○十余年前…蘭渓道隆 が本師の無明慧性のもとで悟道したときのことか。あるいは、塩田和尚と共に明州(浙江省)の天童山に在ったとき のことか。○半合之水…宋元代の一合は約〇・九五デシリットル。○熱火…熱い火。かっかと燃える火。○抛脱不下 …投げ捨てられない。抛脱は放棄。抛捨。○四肢…両手と両足。また体のこと。○通暢…よく通ること。とどこおる ことなく行きわたること。○仁者見之必謂之仁、智者見之必謂之智…仁者はそれを見て必ずそれを仁だといい、智者 は そ れ を 見 て 必 ず そ れ を 智 だ と い う[ 補 14]。 ○ 仁 者 … 憐 れ み 深 い 人。 儒 教 の 説 く 仁 徳 を 備 え た 人。 ○ 智 者 … 知 恵 の すぐれた人。道理に精通した立派な人。○臨機応用…時に応じて適宜に働かせ用いる。○信手…手にまかせて。手当 たり次第に。○信口…口にまかせて。言い放題に。○思惟…考える。思量分別する。○向日…先の日。過日。○大唐
中…中国の中で。実際には大宋国であるが、あえて美称として表現する。○同入同出…一緒に出入りする。修行を共 にしたことをいう。○伸縮…足を伸ばしたり縮めたりすること。○未相信時…互いに知り合いになる前。○妙処…き わめてすぐれた場所。すばらしい悟りの境地。細かく微少なもののたとえ。○信州…信濃(長野県)の異称。○稽顙 … 頭 を 地 に つ け て 敬 礼 す る。 稽 首。 ○ 筇 つえ … 竹 の 杖[ 補 15]。 ○ 荷 負 … 荷 物 を 背 負 う こ と。 ○ 遠 遠 来 帰 … 遙 か に 遠 く か ら や っ て く る。 ○ 仏 戒 … 仏 が 制 定 し た 戒。 『 梵 網 経 』 に 説 く 大 乗 菩 薩 戒。 ○ 説 経 … 経 典 の 意 味 や 内 容 を 説 い て 聞 か せ る こ と。 説 教 と も。 ○ 玄 妙 … 奥 深 く 微 妙 な 道 理。 ○ 吾 祖 道、 不 立 文 字、 直 指 人 心、 見 性 成 仏 …[ 補 16]。 ○ 吾 祖 … 初 祖達磨のこと。○不立文字…文字に依らない。真理は文字や言葉によってではなく、体験を通して心で悟るものであ るとする禅の立場。○直指人心見性成仏…人に直接に指し示し、自己の心性を徹見して仏と成らせる。○形相…姿・ かたち。○正信…仏法を信じる心。正しい信仰。○決烈…堅固で毅然としたさま。○是事…一切事。いろいろなこと。 ○領在言前…言葉以前のところでとらえる。○撒手…手を即座に放すこと。○眷属…血筋のつながっている者。身内。 ○ 如 龐 居 士 道、 有 男 不 用 婚、 有 女 不 用 嫁、 大 家 団 聚 頭、 共 説 無 生 話 …[ 補 17]。 ○ 龐 居 士 … 馬 祖 下 の 龐 蘊(?~ 八 〇 八)のこと[補 18]。○男…龐居士の息子。○女…龐居士の娘、霊照(霊昭)のこと[補 19]。○無生話…生滅変化を 離れた絶対の真理についての話。仏法の話。○田地…心境。境地。○不殺生…生きものを殺さない。○鋒鋩…刃物の 切っ先。相手を追及する激しい気質・気性のたとえ。○命根…いのち。生命。○一著子…囲碁などの一手。向上の一 句。○不偸盜…盗みをしない。人のものを盗まない。○駆耕夫牛、奪飢人食…農民の牛を追い払い、飢えた人から食 べ 物 を 奪 い 取 る。 人 情 に 左 右 さ れ な い 厳 格 な 接 化 を あ ら わ す[ 補 20]。 ○ 不 邪 婬 … 男 女 の 間 の 品 行 を 正 し く 守 る。 不 倫な性的行為をしない。○婬坊…遊郭。遊女屋。○混在…入り交じる。交じりあって存在する。○放恣…ほしいまま。 気ままでしまりがない。○不妄語…うそを言わない。偽りの言葉を口にしない。○指槐罵柳…槐の木を指して柳の木 を の の し る。 あ て こ す り を 言 う[ 補 21]。 ○ 不 沽 酒 … 不 酤 酒。 酒 を 売 っ て 人 々 に 飲 ま せ な い。 ○ 糟 粕 … か す。 酒 の し ぼりかす。○遼天索価…法外な値段を付ける。遼天は空一面。○不説四衆過…不説過に同じ。比丘・比丘尼・優婆塞 ・優婆夷の四衆の過失を言いふらさない。他人の過ちを説かない。○訐露…あばき出す。人の秘密を採り挙げてあば
く。○遮掩…さえぎり覆う。○傍観…かたわらで見ること。そばで何もせずに眺めること。○趣向…目的を定めてそ れに向かう。○不自賛毀他…自分を誉め他人をけなし謗ることをしない。○点胸…胸を指で突く。自信があるときの しぐさ。○不慳貪…不慳法財に同じ。法施と財施を惜しまない。教えを垂れたり金銭物品を施すことを惜しまない。 ○両手把定…両手で握り締めて離さない。○鬧市叢中…鬧市叢裏とも。さわがしい市。町中。○仏来也打、祖来也打 … 仏 が 来 て も 打 ち、 祖 師 が 来 て も 打 つ[ 補 22]。 ○ 不 嗔 恚 … 不 瞋 恚 に 同 じ。 怒 り の 心 を 起 こ さ な い。 怒 り 憎 し む こ と を し な い。 ○ 生 鉄 面 皮 … 非 常 に 強 固 な 面 の 皮 の た と え[ 補 23]。 ○ 近 傍 … 傍 ら に 近 づ く。 近 づ き 寄 り 沿 う。 ○ 不 謗 三 宝…仏法僧の三宝を謗らない。○不著仏求、不著法求、不著僧求…[補 24]。○聞仏一字、嗽口三年…[補 25]。○法 身…仏の三身の一。永遠不滅の真理そのもの。理法としての仏。ここでは人々本具の仏性を指す。○報身…仏の三身 の一。因位における無量の願行に酬いて成れる万徳円満の仏。阿弥陀仏や薬師如来などがこれに当たる。○応身…仏 の三身の一。化身。世の人を救うため、それぞれの素質に応じてこの世に姿を現した仏。世に出現した仏。○性智行 …仏性と智慧と修行。○挙唱…口に出して唱える。古則や公案を提示し、唱える。○平等利益…一切衆生を平等に益 する。○玄中之玄…臨済三玄の一。あらゆる相待分別を離れた玄妙なるありよう。真理そのもの。○妙中之妙…徹底 した妙有の世界。悟りを経た上ですべてが肯定されるありよう。○吐露…心に思っていることを、隠さずうちあける こ と。 ○ 話 頭 … 話 の い と ぐ ち。 話 題。 古 則 公 案。 ○ 回 光 返 照 … 自 己 の 智 慧 の 光 を め ぐ ら し、 自 ら を 省 み る こ と[ 補 26]。 ○ 咬 定 牙 関 … 歯 を く い し ば る。 牙 関 は 奥 歯 の こ と。 咬 定 は 歯 を 食 い し ば る こ と。 ○ 不 起 一 念 … 妄 想 分 別 の 一 念 が起こらないこと。○庭前栢樹子…「庭前栢樹子」の公案[補 27]。○洞山麻三斤…「洞山麻三斤」の公案[補 28]。 ○ 洞 山 … 雲 門 宗 の 洞 山 守 初( 九 一 〇 ~ 九 九 〇 ) の こ と[ 補 29]。 ○ 心 意 識 … 心 と 思 慮 と 認 識。 思 慮 分 別。 道 元 の『 普 勧 坐 禅 儀 』 に、 「 停 心 意 識 之 運 転、 止 念 想 観 之 測 量 」 と あ る。 ○ 聖 凡 … 悟 っ た 人 と 迷 っ て い る 人。 智 慧 あ る 者 と 道 理 に 暗 い 者。 聖 者 と 凡 者。 ○ 郷 談 … そ れ ぞ れ の 地 方 で 用 い ら れ る 言 葉。 こ こ で は、 日 本 語 の こ と を 指 す[ 補 30]。 ○ 問 取 … 問 い 掛 け る。 ○ 記 得 … 記 憶 す る こ と。 覚 え て い る こ と。 ○ 蒙 庵 岳 禅 師 ~ 更 有 赤 鬚 胡 …[ 補 31]。 ○ 蒙 庵 嶽 禅 師 … 臨済宗大慧派の蒙庵思嶽(不詳)のこと[補 32]。○浄衆…福州(福建省)龍渓県の浄衆寺のこと[補 33]。○鼓山…
福 州( 福 建 省 ) 龍 県 の 鼓 山 湧 泉 寺 の こ と[ 補 34]。 ○ 竹 庵 珪 禅 師 … 臨 済 宗 楊 岐 派 の 竹 庵 士 珪( 一 〇 八 三 ~ 一 一 四 六 ) の こ と[ 補 35]。 ○ 三 十 棒 … 師 家 が 学 人 に 対 し て 与 え る 棒 打。 徳 山 の 棒。 ○ 新 浄 衆 … 新 た に 浄 衆 寺 に 開 堂 出 世 し た 蒙 庵思嶽。○咄…叱咤する叫び。舌打ちをする音。○盲枷瞎棒…でたらめに首かせをはめる。めちゃくちゃに棒で打つ。 ○胡打乱打…でたらめに打つ。胡乱はいい加減。むやみやたら。○臨済児孫…臨済義玄の法を受け継ぐ遠孫。○単刀 直入…一人で敵陣に切り込む。直接に要点を突く。ずばりとけりを付ける。○話驢得驢、話馬得馬…驢馬の話をした ら驢馬が現われ、馬の話をしたら馬が現われた。○突出…突然に姿を現す。○弄真像仮…まことをうそに見せかける。 逆は弄仮像真。○抜本…元手をすってしまう。ものごとの原因となるものを抜き除く。○将謂胡鬚赤、更有赤鬚胡… [補 36]。○将謂…将に謂えり~と。~とばかり思っていた。思い違いをしていた意を表す。○慶快…快ぶ。満足する。 ○横拕倒拽…横に引っぱったり、さかさまに引っぱる。好きかってに使いこなす。○正視直行…正しくまともに見て 正しく行なう。○聞知…聞き知る。○瑩巌…塩田長老の道号か[補 37]。○袈裟角…袈裟のすみ[補 38]。○些子…す こしばかりの。ちょっとの。○具信心人…仏法僧の三宝を信じて疑わない心を持った人。○厚味…濃厚な味。○大安 楽処…大いなる安楽の境地。心に憂いがなく身も安穏である悟りの境地。○顧視…振り返って見ること。かえりみる こと。○挙揚…取りあげること。取りあげて人に示すこと。 [史料 2]「蘭渓道隆書状写」川口市長徳寺所蔵『大覚禅師語録掌故』 冒頭「道隆」 塩田和尚至引座云々。延宝伝灯録巻三〈十三丈〉宋明州天童別山祖智禅師法嗣、信州崇福山安楽寺樵谷惟僊 禅 師、 航 ㆑海 南 遊、 方 来 四 十 余 載。 上 堂、 挙 下曹 山 辞 二洞 山 一因 縁 上曰、 云 云。 又 本 朝 高 僧 伝 二 十 一〈 四 丈 〉 大 仝 二伝 灯 一。 育 王 観 物 初 贈 ㆑偈 曰、 三 応 声 中 密 意 通、 分 明 飯 布 褁 二春 風 一、 休 ㆑論 親 切 不 親 切、 巨 舶 回 程 至 二海 東 一。 又有 ㆑讃、云云。又仏灯録、有 下門人為 二樵谷和尚 一請 中拈香 上。又禅師和南呈 二似前塩田方丈 一之書、真蹟現 二在肥
前州小城円通禅寺什龔 一焉。書中可 ㆑見 二梗概 一。 道隆和南。自 ㆑至 二日本 一後、博多京城、於 二同衣中 一、 聞 二尽万千謗訕 一、 見 二尽多少是非 一、 如 二不聞不見 一相似、已 経 二十五年 一。 若不 下依 二宿縁 一住 中此一刹 上、 想道隆亦為 二蠹類之属 一。 今雖 ㆑在 ㆑此、同心合力者、眼底全無。此国之 人、 水 土 浅 薄、 無 二久 長 意 一、 遞 相 妬 、 以 二無 実 一相 伝、 使 二人 風 波 不 止。 此 乃 眼 見 耳 聞 之 事、 令 二人 退 志。 此 亦 檀 那 信 二不 ㆑良 者 讒 言 一之 咎 也。 道 隆 望 ㆑空 発 ㆑誓、 念 念 只 欲 下於 二深 山 窮 谷 一、 畬 二一 片 田 一待 死 而 已。 於 二此 国 中 一、 与 ㆑人 較 二何 是 非 一耶。 只 如 ㆑兄、 同 在 二長 庚 一、 道 聚 已 二 十 年。 一 旦 聴 二人 不 実 之 語 一、 掣 肘 便 行、 更 不 二回 顧 一。 如 ㆑此 有 二力 量 一者、 尚 且 如 ㆑斯、 況 他 人 乎。 今 雖 ㆑不 ㆑及 ㆑古 以 二譬 喩 一為 ㆑辞。 巌 頭 雪 峰、 拳 踢 相 交、 何 曽 有 二離散之説 一。 始終道愛、彼此洞明。今時闘 二合是非 一、 妄造 二虚語 一、 無 ㆑出 二於扶桑之人 一。 以 二大地 一作 ㆑紙、亦書 不 ㆑能 ㆑尽。 以 聞 三兄 欲 ㆑下 二鎮 西 一。 不 ㆑知 二果 否 一、 若 果 発 足、 可 下以 二一 切 無 実 事 一、 棄 二之 肚 外 一、 訪 中来 寺 中 上。 三 五 日 却 起 程、 亦 無 ㆑害。 何 必 抱 ㆑恨 不 ㆑顧 而 去。 以 出 家 人 今 日 相 打、 明 日 如 ㆑然。 道 隆 如 ㆑是 写 呈。 想 亦 不 ㆑愜 二高 懐 一、 非 下以 二飾辞 一冒涜 上、 乞 二高鑑 一。 仍以 二拙字 一奉献、希 二恕責 一。 七月二十一日 道隆和南 前塩田方丈 ○寧将 二熱鉄 一灌 二喉嚨 一、 争使 二扶桑背後弓 一。 二十余年傾蓋事、如何一旦尽成 ㆑空。 此一段書翰乃祖之真筆、在 二肥之三間山円通禅寺 一。 [ 訓 ] 塩 田 和 尚 至 引 座 と 云 々。 『 延 宝 伝 灯 録 』 巻 三〈 十 三 丈 〉 に「 宋 の 明 州 天 て ん ど う 童 別 べ つ ざ ん 山 祖 そ ち 智 禅 師 の 法 はっ 嗣 す の 信 州 崇 そうふく 福 山安楽寺の樵谷惟僊禅師は、海を 航 わた りて南遊す。 方 ほうらい 来 四十余載。上堂して、 曹 そうざん 山 、 洞 とうざん 山 を辞する因縁を 挙 こ して曰く、云云」と。又た『本朝高僧伝』二十一〈四丈〉は大むね『伝灯』に 仝 おな じ。 育 い 王 おう の 観 かん 物 もっしょ 初 、偈を
贈 り て 曰 く、 「 三 応 の 声 中 に 密 みつ 意 い 通 じ、 分 明 に 飯 はん 布 ぷ 春 風 を 褁 つつ む、 論 ず る を 休 や め よ 親 切 な る か 不 親 切 な る か を、 巨舶の 回 かいてい 程 海東に至る」と。又た讃有りて云云と。又た『 仏 ぶっとう 灯 録 ろく 』に、門人、樵谷和尚の 為 ため に 拈 ねん 香 こう を 請 こ う有 り。又た禅師 和 わ 南 なん し前塩田方丈に 呈 てい 似 じ するの書、 真 しんせき 蹟 肥前州 小 お ぎ 城 円通禅寺の 什 じゅう 龔 きょう に現在す、書中に 梗 こうがい 概 を見 る可し。 道隆和南す。日本に 至 いた りて 自 よ り後、博多・京城にて、同衣中に於いて万千の 謗 せんぼう 訕 を聞き尽くし、多少の是非 を見尽くすも、 不 ふ 聞 もん ・ 不 ふ 見 けん の如く相い似て、已に十五年を経たり。 若 も し 宿 しゅくえん 縁 に依りて此の 一 いっさつ 刹 に住さざれば、 想うに道隆も 亦 ま た 蠹 と 類 るい の属と 為 な らん。今ま 此 ここ に在りと雖も、同心合力の者、 眼 がんてい 底 に全く無し。 此 こ の国の人、 水土 浅 せんぱく 薄 にして、 久 きゅうちょう 長 の意無く、 遞 たが いに 相 あ い 妬 と し しつ 、無実を以て相い伝え、人をして 風 ふう 波 は 止 や まざらしむ。此 れ乃ち眼に見て耳に聞くの事、人をして志を退かしむ。此れ亦た檀那、良からざる者の 讒 ざんげん 言 を信ずるの 咎 とが な り。道隆、空を望み誓を発して、念念 只 た だ 深 しんざん 山 窮 きゅうこく 谷 に於いて、一片の田を 畬 あらた にして死を待たんと欲するのみ。 此の国中に於いて、人と何の 是 ぜ ひ 非 を 較 こう すや。只だ 兄 ひん の如きは同じく 長 ちょうこう 庚 に在りて、道聚すること已に二十年。 一旦、人の 不 ふ 実 じつ の語を聴きて、 掣 せいちゅう 肘 して便ち行き、更に 回 かい 顧 こ せず。 此 かく の如き力量有る者 尚 な お 且 か つ 斯 かく の如し、 況 いわ んや他人をや。今、 古 いにし えに及ばずと雖も 譬 ひ ゆ 喩 を以て辞を 為 な さん。 巌 がんとう 頭 ・ 雪 せっぽう 峰 、 拳 けん 踢 てき 相い交わるも、何ぞ曽 て 離 り 散 さん の説有らん。始終道愛せしことは、 彼 ひ し 此 洞 とうみょう 明 なり。今時、是非を 闘 とうごう 合 し、 妄 みだ りに 虚 きょ 語 ご を造ること、 扶 ふ 桑 そう の人を出ずる無し。大地を以て紙と作すも亦た書きて尽くすこと能わず。以て兄の 鎮 ちんせい 西 に下らんと欲する を聞く。 果 か ひ 否 を知らざるも、 若 も 果 し発足せば、一切の無実の事を以て、之を 肚 と 外 がい に棄てて、寺中に訪来す可 し。三五日にして却って起程するも亦た害無し。何ぞ必ずしも恨みを抱いて顧みずして去らん。 以 おも うに出家 人は、今日相い打ち、明日も然るが如し。道隆、 是 かく の如く写し呈す。想うに亦た 高 こうかい 懐 に 愜 かな わざらんも、 飾 しょくじ 辞
を以て 冒 ぼうとく 涜 するに非ず、 高 こうかん 鑑 を 乞 こ う。仍って 拙 せつ 字 じ を以て 奉 ほうけん 献 し、 恕 じょせき 責 せんことを 希 こいねが う。 七月二十一日 道隆和南 前塩田方丈 寧 むし ろ 熱 ねってつ 鉄 を 将 もっ て 喉 こう 嚨 ろう に 灌 そそ ぐとも、 争 いか でか扶桑の背後の弓を使わん。二十余年 傾 けいがい 蓋 の事、 如 い か 何 んぞ一旦尽く空 と成らん。 此の一段の書翰は、乃ち祖の真筆なり、肥の三間山円通禅寺に在り。 ○ 川 口 市 の 臨 済 宗 建 長 寺 派 の 長 徳 寺 に 所 蔵 さ れ る『 大 覚 禅 師 語 録 掌 故 』 は、 第 九 冊 目 の み が 残 る 零 本 で あ る が、 「 塩 田和尚至引座普説」の注記として樵谷惟僊の記事を収め、樵谷惟僊の記事として「蘭渓道隆書状写」を収録している。 初出[玉村c] 、掲載書籍[建長編一・一一八~一一九] 。○塩田和尚至引座云々…[史料 1]参照。○延宝伝灯録~ 云 云 …[ 史 料 14] 参 照。 た だ し、 本 来 は「 航 ㆑海 南 遊 也。 於 二 別 山 智 和 尚 輪 下 一 罷 二 参 詢 一。 帰 開 二安 楽 寺 一、 接 二衲 方 来 一、 四 十 余 載 」 と あ る も の が、 「 南 遊 」 か ら「 方 来 」 ま で の 間 が 省 略 さ れ て い る。 ○ 本 朝 高 僧 伝 …[ 史 料 16] 参 照。 ○ 育 王観物初…[史料 22]参照。○有讃…『本朝高僧伝』の樵谷惟僊章に卍元師範による讃文が収録されていることを指 す。 [ 史 料 16] 参 照。 ○ 仏 灯 録 …[ 史 料 6] 参 照。 ○ 禅 師 … こ こ で は 蘭 渓 道 隆 の こ と。 ○ 和 南 …[ 梵 ] vandana の 音 写。目上の人に敬意を表してその安否を尋ねる語。口に唱えながら、深く首をたれて礼をすること。礼拝。敬礼。稽 首。 ○ 肥 前 州 小 城 円 通 禅 寺 … 三 間 山 円 通 寺 の こ と[ 補 1]。 ○ 什 龔 … 什 襲。 幾 十 に も 包 む。 大 切 に 秘 蔵 す る。 ○ 梗 概 … あ ら ま し。 大 略。 ○ 博 多 … 博 多 の 円 覚 寺 の こ と。 蘭 渓 道 隆 は 来 朝 か ら 一 年 の 間 こ の 寺 に 滞 在 し た[ 補 2]。 ○ 京 城 … 京 都 東 山 の 泉 涌 寺 来 迎 院 の こ と。 蘭 渓 道 隆 は 来 朝 二 年 目 に こ の 寺 に 滞 在 し た[ 補 3]。 ○ 謗 訕 … 悪 口 を い う。 ○ 多 少…どれほどの。多くの。○是非…紛糾。ごたごた。○十五年…蘭渓道隆が日本に来てからの年月。○宿縁…宿因。 前 世 か ら の 因 縁。 ○ 蠹 … 蠹 は き く い む し。 食 物 や 衣 服 を 食 う 虫。 悪 害 を な す 人。 ○ 同 心 合 力 者、 眼 底 全 無 …[ 補 4]。
○同心…目的・志などを同じくすること。○合力…力を合わせて助けあうこと。○眼底…眼中。○水土…その地域の 風土。国土。○浅薄…あさはかなこと。○久長…ひさしくながい。久遠。○遞相…遞も相もたがいに。○妬 …嫉妬。 ねたみそねむ。○無実…正味がない。実がない。○実相…すべてのものが真実の現れであること。○風波…世の中の 争 い ご と。 ○ 檀 那 信 不 良 者 讒 言 之 咎 …[ 補 5] ○ 檀 那 … 北 条 時 頼( 一 二 二 七 ~ 一 二 六 三 ) の こ と[ 補 6]。 ○ 讒 言 … 人を落とし入れるための告げ口。○念念…いつも心に思い続ける。○深山窮谷…山里を離れた奥深く静かな山と谷。 ○ 較 … く ら べ る。 し ら べ る。 ろ ん ず る。 ○ 長 庚 … 天 童 山 景 徳 禅 寺 の こ と[ 補 7]。 ○ 道 聚 … 一 緒 に 修 行 す る こ と。 ○ 二 十 年 … 蘭 渓 道 隆 が 塩 田 和 尚 と 同 参 し て か ら の 年 月[ 補 8]。 ○ 掣 肘 … 辞 書 的 に は「 他 人 の 管 を 傍 ら か ら 引 く。 他 人の行動を妨害する」の意味だが、ここでは「掣臂」と同じく「腕を振り切る」の意であろう。○回顧…後ろを振り 返 る こ と。 ○ 譬 喩 … た と え る。 ○ 巌 頭 … 青 原 下 の 巌 頭 全 奯 ( 八 二 八 ~ 八 八 七 ) の こ と[ 補 9]。 ○ 雪 峰 … 青 原 下 の 雪 峰義存(八二二~九〇八)のこと[補 10]。○拳踢相交…拳踢相応とも[補 11]。○道愛…仏道を深く信じること。○ 洞明…明らかに知る。よくわかる。明らかに見通す。○虚語…うそ。虚言。○扶桑…中国の東方海上の島にあるとい う神木の名。日本を指す。○鎮西…九州の称。○発足…旅に出かける。旅立ち。○訪来…来訪。たずねて来ること。 ○ 起 程 … 出 発 す る こ と。 旅 立 ち。 ○ 何 必 … 何 も ~ す る と 限 っ た こ と は な い( す る 必 要 は な い )。 ○ 飾 辞 … 言 葉 巧 み に 飾り立てる。○冒涜…尊厳なものをけがすこと。○恕責…恕罪。罪をゆるす。○奉献…物をたてまつること。○熱鐡 … 熱 し た 鉄。 ○ 喉 嚨 … の ど。 ○ 傾 蓋 … 初 め て 会 っ て、 旧 友 の よ う に 親 し く な る こ と[ 補 12]。 ○ 一 旦 … わ ず か の 時 間 に。○肥之三間山円通禅寺…肥前の三間山円通禅寺のこと。 [史料 3]「蘭渓道隆書状」建長寺所蔵 冒頭「雲緘」 雲 緘 到 来、 兼 以 二佳 茗 一 大 箱 一為 ㆑賜。 感 無 ㆑可 ㆑言。 非 ㆑面 莫 ㆑謝 候。 当 時 之 様、 如 二夜 暗 中 行 一、 不 ㆑知 二方 所 一。 未 ㆑ 委 二 善 後 之 計 一。 何 如。 紙 上 難 ㆑ 書 候。 近 聞、 再 主 二 塩 田 一、 重 興 二 宝 社 一。 即 十 方 衲 子 所 ㆑ 望 候 也。 毫 楮
不 ㆑能 二尽申 一。伏祈 二永亮 一。 十二月初六日 [ 蘭 (方印) 渓 ] 道隆 [訓] 雲 うんかん 緘 到来し、 兼 か ねて 佳 か 茗 めい 一大箱を以て 賜 し と 為 な す。感言う 可 べ き無し。面するに非ずんば謝すること 莫 な く 候。当時の様、 夜 や 暗 あん の中を行くが如く、 方 ほうしょ 所 を知らず。未だ 善 ぜん 後 ご の計を 委 つまびら かにせず。 何 い か ん 如 。紙上に書き難く 候。近ごろ聞く、再び塩田を主り、重ねて 宝 ほうしゃ 社 を 興 おこ すと。即ち 十 じっぽう 方 衲 のっ 子 す の望む所に候なり。 毫 ごうちょ 楮 にて尽く申 す能わず。伏して 永 えいりょう 亮 を祈る。 十二月初六日 [ 蘭 (方印) 渓 ] 道隆 ○ 建 長 寺 所 蔵「 蘭 渓 道 隆 書 状 」 と さ れ る も の で あ る。 [ 信 濃 史 五 ] の 元 徳 元 年( 一 三 二 九 ) 七 月 条 や[ 玉 村 A ] で も 建 長 寺 所 蔵 と 明 記 し て い る。 た だ し、 現 在、 建 長 寺 に は こ の 書 状 は 見 あ た ら な い。 [ 建 長 編 一 ] で は 某 氏 所 蔵 と あ り 詳しくは触れないため、現在の所蔵先が不明である。初出[信濃史五・一〇三] 、掲載書籍[建長編一・一二八] 。○ 雲緘…手紙の別称。○佳茗…上等なお茶。○賜…恩恵。与えるもの。○方所…方初。場所。空間。○善後…失敗の後 始末をする。後日のための良い計画。○塩田…塩田と称する寺院。安楽寺の前身寺院か。○十方…あらゆる方面。す べての所。○衲子…衲衣(袈裟)を掛けた僧。禅僧。
樵
谷
惟
僊
関
係
史
料
[史料 4]「蘭渓道隆書状」 冒頭「再留」 再留 二前堂首座 一上堂挙、 黄 蘗 在 二南 泉 会 下 一作 二首 座 一。 一 日 持 ㆑鉢 拠 二南 泉 位 一而 坐。 泉 入 ㆑堂 見、 遂 近 前 問 訊 云、 長 老 幾 年 行 道。 蘗 云、 威 音 王 以 前。 泉 云、 猶 是 王 老 師 児 孫 在。 下 去。 蘗 遂 帰 二本 位 一而 坐。 拈 云、 当 時 若 是 建 長、 見 下蘗 拠 二師 位 一時、 但 持 ㆑鉢 入、 首 座 位 中 而 坐 上、 教 二這 漢 一 生 転 動 不 得。 雖 ㆑然、 饒 人 不 二是 癡 漢 一、 有 二箇 頌 子 一、 挙 二似 大 衆 一、 急流灘上按 二葫蘆 一、 転処難 三将入 二画図 一。 試問 二福山樵谷 一看、却言好事不 ㆑如 ㆑無。 [ 不 (方印) 明 ] [ 蘭 (方印) 渓 ] [訓]再び前堂首座を留めるの上堂 挙 こ す、 「 黄 おうばく 蘗 、 南 なんせん 泉 の 会 え か 下 に 在 り て 首 しゅ 座 そ と 作 な る。 一 日、 鉢 を 持 ち て 南 泉 の 位 に 拠 よ り て 坐 す。 泉、 堂 に 入 り て 見、 遂 つい に 近 前 し 問 もんじん 訊 し て 云 く、 『 長 ちょうろう 老 、 幾 い く ね ん 年 か 行 ぎょうどう 道 す 』 と。 蘗 ばく 云 く、 『 威 い 音 おん 王 おう 以 前 』 と。 泉 せん 云 く、 『 猶 お 是 れ 王 おう 老 ろう 師 し の 児 孫 な り、 下 り 去 れ 』 と。 蘗 ばく 、 遂 つい に 本 位 に 帰 り て 坐 す 」 と。 拈 ねん じ て 云 く、 「 当 時、 若 し 是 れ 建 長 な らば、蘗、師位に 拠 よ る時、 但 た だ鉢を持ちて入り、首座位中に坐するを見るに、這の漢をして一生 転 てんどう 動 し得ざ ら し め ん。 然 り と 雖 も、 饒 たと い 人、 是 れ 癡 漢 な ら ざ る も、 箇 こ の 頌 じゅ 子 す 有 り、 大 衆 に 挙 似 せ ん、 「 急 流 の 灘 たんじょう 上 に て 葫 こ ろ 蘆 を按ぜば、転ずる処 将 もっ て 画 が ず 図 に入るること難し。試みに 福 ふくざん 山 の 樵 しょうこく 谷 に問うて看よ、却って言う、 好 こう 事 じ も 無きに 如 し かず」と。 [ 不 (方印) 明 ] [ 蘭 (方印) 渓 ] ○「蘭渓道隆書状」は、 『本光国師日記』に収録された「蘭渓道隆書状写」として紹介されたのが初出である。 『本光 国師日記』は黒衣の宰相と呼ばれた以心崇伝(一五六九~一六三三)の日記であり、以心崇伝が大覚派であったこと から、道隆の書簡を書写蒐集していたらしく、同日記には道隆の書簡がいくつか収録されている。このうちの元和四 年十一月八日条に収録された書簡の写しであるが、落款があったことを記すのみで、蘭渓道隆の手紙であったかを確 定 す る 記 述 は な い。 こ れ を、 内 容 か ら 道 隆 の も の で は な い か と 推 定 し て 提 示 し た の は、 [ 玉 村 A ] で あ る。 こ の 書 状