衆知の経営にかんする深層心理学的接近 -- 経営者意識論(8) --
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(2) 第48巻. 中,「素直」をキ ー ワ. ー. 第 2号. ドにした事項は, 23冊, 57項にわたっているが, それらを通読し,. 必要と考えられる内容を抜粋しながら, 理解をすすめたい。 もっとも別個に「素直な心に なるために」(昭和51年, PHP 研究所刊)の著作もあるが, ここでは生の声を聞くという 見地から, もっぱら発言集にしたがっていく。 そこで結論的にいえば , それは「素直哲学」 とさえいえる, 経営だけでなく人間の万般 についての考え方, 見方といえよう。 そういう意味では, 従来よくいわれる 「水道哲学」 と, どういう関係にあるのかも問題になろう。 このことについて, さきに簡単に位置づけ しておくと,. ユ ング心理学でいわれるタイプ論に比喩していうと,「水道哲学」は外向的で. あり, いうなら物理的な内容であるのに対比して,「素直哲学」は内向的であり, より心理 的な内容であるといえるかもしれない。 それらは一見して相反するようにみえるが, 内実 は相補的であり補完の関係にあるともいいえよう。 このような感覚をふまえて, 「素直哲 学」の内容を, つぎに概要だけみておこう。 まず「素直だったと思うこと」および「素直な心」そのものについて語っているところ をみてみよう。 少々冗長な物語になるかもしれないが, 実はそれが材料としての伏線であ り, 元来, 経営は物語によって内容づけられるのではないかという, いわゆる物語論的ア プロ. ー. チの序曲でもある。「週刊ダイヤモンド」に, 「これからの経営者の. ". ”. よりどころ 」. として, 当時のダイヤモンド社, 副社長, 石山四郎を聞き手にして語ったところを要約し ". てみよう(31。色々な語りの流れ, たとえば「安心感を妨げるもの」それにたいし よりどこ ”. ろ. として,「使命感に立つこと」「経営者の創意」などを訴えたあと, やはり「経営者に ". ”. 必要な 素直な心 」を説く。 それは未来戦略や未来学についての問いについて, こう答え る。 「未来学者といわれる方々が盛んに登場されていますが, こういう方々は経世家(世の中 を治める指導者)と立場が違う。 未来学者は過去を分析して, それによって将来はこうなる だろうと予測しているわけですね。 ”. しかし,経世家というものは人間の幸福のために,"こういう世の中をつくろう と想像す るわけです。経世家の未来学と学者の未来学には, おのずから違いがある。」 そして「未来を洞察しない経営者というのは. ほんとうの経営者じゃない」と喝破して いう。 「常識的な判断の上に. もう少し独創的な判断を加えて独特なものをつくりあげてい くというのが. 経営者の未来学というものでしょう。」そのためにも「素直な心」が必要と. しヽう。 (3). 発言集, 17巻 237頁以下,昭和44年 ('69) 5月。. - 2 (126)-.
(3) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近 (大森) 「私はよく. ". ”. 素直な心をもとう と言うんですが, 素直になったときは過ちがありません. ね。 素直な心が働いて, 素直にものが見える人は間違いが少ない。 だから, ぼくは素直にな む If. れる人は非常に偉い人だと思う。 つまり融通無碍ですな。 これが未来を見るのに, たいへん ". ”. 必要なのじゃないだろうか。 経営者は, せめて 素直な心 の初段にならなければいけませ んな。 」 その具体的な事例としてあげているのが,「素直だったと思うこと」として, 戦前の住友 銀行での融資の経験談である。昭和 10 年, 時代は世界恐慌か ら軍部ク. ー. デタ ー 2 ·26事件. への狭間で, 企業は順調に発展しつつあっても, 当時としては大金, 200 万円の融資を, 支 店長に説明して依頼したという。ところが再度, 重役への説明を求め られて,「あなたが話 をしてくれて, それでダメだった ら, この計画は時機尚早と思うか らやめる」と返答した という。このとき 「ぼくはほんとうに素直な心で話した」と回顧している。要約しすぎて, 前後の脈絡が希薄になっているが, 意味するところは了解でき よう。これが素直, その心 による,. 一. つの事実であり,. エ. ピソ. ー. ドであるというのである。. つぎに「素直な心」そのものについては, こういう。これは「世界の若き 社長と語る」(4) として, 昭和 58 年, ホテル. ・. ニュ. ー. オ ー タニ YPO 国際社長大学で話 された内容の一つで. ある。それは講演したあとの質問に答えて, つぎのようにいう。キ ー ワ. ー. ドは,「素直にな. れば真実が見える」と。「結局, 何ごとによ らず衆知によ らないといかんと思うんです。」 そのためにも「素直」その心が必要であると。 「それで, 私がいま一つ. 皆 さんに申しあげたいのは,. 常に心を素直にすること, 素直な. 心はあなたを強く正しく聡明にします. ということです。 みんな色眼鏡をもってものを見ま すから. いろいろな問題がある。 けれど素直な心で, 何ごとでも真実を見ようという考えが あれば. すべてのものがそのまま見える。 そうでありますから. 自分の欲望とか何とかを入 れて. ものにとらわれて見たらいかん。 とらわれない心になって. 素直な心になって見る。 そうすれば紙の裏表も分かるのです。 」 また「素直な心」は, PHP (Peace and Happiness through Prosperity) の言葉とし て, 種々の語句の一つとして取り上げ られて, 詳細に解説 され討議も され, 発言集の一巻 (第37巻)にまとめ られているが,恰好よくまとめ られて, かえって生の発言の実感がない 嫌いがある。これか らの行論で必要があれば参照していき たい。いいたいのは,「素直」そ の心についての語りが, これだけでないこと, 解り易い極く一部をとりあげていることを 断っておきたい。. (4) 発言集, 5巻 193頁以下。 - 3 (127)-.
(4) 第48巻. 第2号. このような基本的な事実や意味をふまえたうえで, さらに色々な展開というか応用を試 みる。 さきにもふれた具体的に,「素直な心になる方法」まで, 抽象的な,「素直な心と悟 り」や「真理」あるいは「適正な判断」そして「衆知」など, 多数の項目におよんでいる。 これらをここで, 個別にとりあげ,「素直」その心の傍証にするのもいいが, 序言としては 冗長で, これから「素直哲学」をもって経営を観ていく序の口の役割をはたせればいい。 あとは行論の展開にしたがって, 必要に応じて参照し援用していくことにしよう。. 2.. 内省的企業家. かなり以前のことであるが,松下幸之助を戦後の「日本の企業家 一経済立国の牽引者 一」 群像のなかで,「家電王国を築きあげた内省的企業家」として位置づけ, 性格づけたことが あった 151。 これから議論しようとするのは, 内省的企業家という性格づけについてである。 もっとも以前の議論の単なる蒸し返しでな<' 新たな剌激と示唆をえての展開になればと 期してのことである。 それは経営における物語論的アプロ ー チの論文16) による剌激と示唆 である。 その内容については追々参考にするとして,「複雑人モデル」との関係で引用され ているD.A. ショ. ー. ンの「内省的実践家」の語句であり, また内容として,「CEOに関す. る臨床心理学的な研究」から, 経営者が, たんに「行動のひと」であるだけでなく,「深い 思索と内省のひと」であることを紹介され, 評価し展開されているのを読んだことが契機 となっている。 つまりそうした文脈に支持されながら, もう 一 度, 考え直してみる気に なったということでもある。 また最近になって学際的というか, 経営学でなく心理学や社 会学など他の領域においての研究で援用しえる物語論的アプロ. ー. チ 17) があって, 示唆され. るところが多かったことにもよる。 さて, すでにふれたが, 松下幸之助のいう「水道哲学」は, 外向的で, 物理的と,. ユ. ン. グ心理学のタイプ論に比喩していったが, それはいうなら「行動の哲学」であり, それだ けでは不十分であり, むしろ前提になるべきは, 内向的, 心理的な, 思索というか内省と いえる, その内容が「素直哲学」であるといえよう。 これらは経営における両論であり補 完しあうもので, その関係や役割は, どうなっているのであろうか。 これを「素直」その 心と展開について, 羅列された多数の項目を眺めていると, 種々な意味合いや組み合せが (5) 「日本の企業家(4)戦後篇」有斐閣, 1980年刊。 (6) 金井壽宏「経営における理念(原理•原則)経験, 物語, 議論」神戸大学, 研究年報XLm, 平成9年刊。 (7) 浅野智彦「自己への物語論的接近」勁草書房刊, 平成13年。 - 4 C 128)-.
(5) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近 (大森) 浮彫りになるようである。それこそKJ法ではないが,「素直」その心と,「真理」とか「悟 り」のグル ー プが頂上に位置して, その土台というか基礎に「衆知」に関連する項目がグ ル ー プを形成し, そのなかで「適正な判断」が実践 されるという機能的なグル ー プが介在 する, 上下の二菫構造と, その相乗的な連結機能との関係としての構図である。つぎにあ げる「素直な心」関係図である。一応この見取図にしたがいなが ら,「素直哲学」の内容を み て, 「内省的な企業家」の検討の一歩としていこう。 まず「素直な心と真理」について, とくに真理の認識にかんして, つぎのようにい う。 「真理は宇宙根源の力」としたうえで, 問いに答え181 ていう。 それにはいろいろの研究が必要でしょう。 学問も大切ですし, 体験も必要です。 しかし何 といっても, 最も根本になるのは素直な心だと思います。素直な心が欠ければ真理を見失い ます。 またゆがんで認識します。学問をするにしても,素直な心が欠ければ. かえって真理 をゆがんだかたちでとらえて社会に害毒を流すことになります。 また体験をもつにしても. 素直な心でこれを味わうのでなければ, いたずらに体験ずればかりして,かえってかたくな になり. とらわれた考えに陥ってしまいます。 ですから. 何といっても大切なのは素直な心です。 素直な心になって初めて真理が認識で きるのです。いいかえれば, 素直な心は. 真理を映す最も正しい鏡といえるでしょう。 つづいて「素直な心と悟り」に関連して, つぎのように語る。それは「乱世を生きる指 191 導者の条件」 についてである。聞き手は,「指導者の条件」という著作を引合いに出して. 「なかでも重要なのは強い信念をもつこと,ものの見方が妥当であること.強い責任感をも つこと,素直な心をもつことだ,というふうにおっしゃっていますが, 企業のトップに要求 される資質もそういうことですか。」 と問うと, 答えていう。 「まあ.そういうことですな。なかでもいちばん大事なのは, 素直な心ですな。素直な心に なって. 衆知を集めないといかんですわ。人の言うことをよく聞かないといかんですな。し かも大事なことは,聞いてそれに流されたらいけませんな。流されんと吸収するんですな。」 さ らに聞き手は, 最後にダメを押すように, 経営のコツとかツボを会得することについ て問うている。それに答えて, 抜き書きになるが, つぎのように要約uoできる。. (8) 発言集, 37巻53頁以下。 (9) 発言集, 19巻91頁以下。 (10) 発言集, 19巻 106頁以下。 - 5 (129)-.
(6) 第48巻 第2号 「これはねえ,教えるに教えられないですよ。 (笑). 一. 種の悟りですからな,ほんとうは。 」. 「ですから多少, 具体的に分かりやすくいえば, 一つの仕事をした瞬間に, これは成功で あったなということを考える。 あるいはその瞬間に, これは成功やったけども, しかし完全 じゃなかったな, ということを反省する。 そういうことが無意識に考えられるということが 必要ですな。 」 「やはり素直な心にならないとね。 だから,なまじっか技術を知っている人間,知識をもっ ”. ている人間は, なかなか悟りにくいですよ。 時間がかかりますな。 "そんなことできません. というわけですわ。 けれども何も知らん人間は, "そうですか。 そんならー ペんやってみま しょう. ”. こうなりますな。 それでやってみると, できるわけです。 」. ここでのキ ー ワ. ー. ドは, 「教えるに教え られない」「無意識に考え られるということが必. 要です」 そして「やはり素直な心に」これ らを もう一度ここで吟味しておきたい。これ までみ てきた 「素直な心」と「真理」や「悟り」の関係は, どういうことであろうか。仮 説的ではあるが, つぎのように関係づけておいて検討していこう。この関係図ODか らすれ ば,®の関係について考察していることになる。このとき ,「宇宙根源の力」あるいは「自 然の摂理」ともいっている「真理」は, 言葉で「教えるに教え られない」 , まさに仏教でい われる「不立文字」で, ただ「悟り」しかない。 それには「無意識に考え られることが必 要です」, つまりユング心理学にみ た, とくに集合的無意識との対話であろうと考え られ る。それは自我を脱皮して, 自己への覚醒といわれ, いわゆる個性化の過程といえようが, そこに見出されるのが,「やはり素直な心に」なるという状態なのであろう。そこに湧出し. y ②素直な心. 「素直な心」関係図 真理. <-. り ;:. (物語). �. 衆知 ③. \ - > 適正な判断④. �. 注) 物語論的アプロ ー チについては 次節以降で検討する. 素直な心になる方法. (11). 「素直な心 」 関係図,参照。. - 6 (130)-.
(7) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近(大森) てくるもの, これがまず経営への物語論的アプロ. ー. チの原点であり, 起点であるが, その. 方法論的な検討については, つぎの節で考えてみよう。 それにしたがいながら, 「素直な 心」の関係図をふまえて,「衆知」や「適正な判断」との側面をとらえ物語の展開をみてい きたい。. 3.. マクロ物語一信条. 理念, 構想. ここでまず, 経営への物語論的アプロ. ー. チという方法論の問題について, みておこう。. とくに, すでにふれもした社会学からの学際的な知見を援用して, 経営についてどのよう に物語論的アプロ ー チが意味をもつのであろうか, 概括しておきたい。 いま経営について といったが, より厳密には経営のアイデ ンティティというか, その自己性, あるいは 個性 についての物語論的アプロ ー チというべきであろうか。 いうなら主たる対象である「私」 企業の経営について, その 個別的である「私」という現実について,「どのようにして産み 出され, 維持され, ときに変容していくのか」0� を「物語」の視角からとらえて理解しよう とするアプロ ロ. ー. ー. チである。 つまり経営それ自体の自己について物語る, 「自己物語」 アプ. チといえる。 そこでいえることは, たとえ人間の 個人であれ, その集団や組織ないし. 企業にしても, 個別的な「私」は, それ自体について物語ることをとおして, つまり「自 己物語」によって産出されるという 03。 また「自己物語」は, たえず「語り得ないもの」を 内蔵して, つねにそれを隠蔽しているともいう。 こうした「私」の「物語化の過程」は, いわば混沌状態のなかでの「選択, 配列過程」であるといえよう。 したがって物語の特徴 は, 少なくとも三つ, その 一つは語り手と登場人物の二甫奏の語りであること, その二は, 「諸々の出来事を時間軸に沿って構造化する語りである」0� こと, 第三は「本質的に他者に 向けられた語りである」ことという。 とくに最後の特徴は重要で, そのために「物語が納 得のいくものとして受け入れられ, 共有された現実になるのは, 自己と他者との現実の差 異が乗り越えられることによってなのだ」と強調される。 そのことは「聞き手(他者)を 納得させるように語る」ことであり, それは「潜在的にせよ顕在的にせよ, ある価値観が 正当化され, 伝承され共有されていく過程」でもある。 このことは裏返えせば,「物語に関 わる能力の衰退は当然自己のまとまりの解体をもたらすことになるのである」OSことを注. u�. 浅野著前掲書, (13) 浅野著, 前掲書, 04) 浅野著, 前掲書, (15) 浅野著, 前掲書,. 3 頁。 4頁。 8 頁以降, 10頁。 13頁。 - 7. (131)-.
(8) 第48巻 第 2 号. 意 しておかねばならない。 これがすでにふれた物語に内蔵され , 隠蔽されている 「語り得 ないもの」と関連 して , たえず自 己物語を 揺り動か し , と きには崩壊 し , と きには革新 ヘ の 導火線になる。 それはやはり人間 , 個人だけでなく , 集団と しての家族や , 組織と して の 企業だけでなく , 社会と しての 民族や 国家も 同然である。 ただここでは , これ以 上に方 法論的な議論に深 人りせず , 行論の 必要にあわせて補完 してい きたいと思う。 さてこう した物語論の議論をふまえて , 注目 したいのは, 物語の 類型とその関 連およ び 内容や役割についてである。 まず マ ク ロ 物語と ミ ク ロ 物語という 分 類と , それにたい し 会 話的物語と 再生的物語といえる 類型である。 これらを松下幸之助の経営の実践にお きかえ てみると , つぎのようにいえるのではあるまいか。 経営における マ ク ロ物語は, 250年にお よ ぶ構想をもったこと, それを直 感によったものであると語っている。 それに「水道哲学」 といわれる経営理 念や 信条な ども , そのなかに 含まれるであろう。 また ミ ク ロ 物語は, 五 ケ 年計画や 年度経営方針な どが , これにあたるといえよう。 これはまさに 巨視的と 微視的 と対比されるように , より 統合的なものと具現的なものとに比較で きる。 それにたい しも う 一方の 類型は , 内容的な 形成過程により , 会 話的物語というのが , 自己 , 語り手と登場 人物による意味のある 選択 , 配列の過程の物語で , 他 者, 聞 き手の納得をえようとする内 容であるから , 事 業 部制のもとでの事業 計画をは じめ , 朝会や 夕 会な ど TQC をふくめた 小集団活動の 場は , そう した 会 話的物語を多面的 , 重層的に生成 していく過程であろう。 ただ 全く 新 しい環境に遭遇 した組織 とくにその 末端や 周 辺においては, この 伝統的な物 語に 亀裂を 与えるような 機会や出来事を経験することは屡々ある。 む しろ物語が 本来は内 蔵する「語り得 ぬもの」と して隠蔽されていたもの , それは組織にとって例外的な エ ビ ソ ー ドであったり, いわ ゆる「 ユ ニ ー ク な 結果」といわれる , いわば 異 端的なものが, 組 織を 揺さ ぶり, 革新か 崩壊の契機を 生み出すことになる 。 これが 再構築的というか 再生的 物語であり, 歴史の変遷のなかで幾度かはかられる 危機脱皮の 改革 ス ト. ー. リ. ー. で , 命知創. 業をは じめ, 晩年の 熱海会 談といわれるものまで, 数多くの語り 継がれているものがある。 こう した経営の物語についての 枠組をもって , まずここでは マ ク ロ物語 一構想, 理 念, 信条な どについてみよう。 もっともそれらを 遂字的に内容を検討 しようとする意図ではな ぃ。 いうなら , すでにみた「素直な心」の図式によって , その 交流点に「物語」の 概念を 挿入 して , それらの関係や役割そ して内容を考えてみよう。 結論を 先取りするようである が , それは「真理 」 や「悟り」との関係(①—-©1) で紡ぎ出される物語であり, それを「素 直な心」がありのままに「天地自然の理 法」と して 描 き出 していく内容(①----(② = ®) で ある。 その物語は,「自然の摂理 」 を「素直な心」で 感受 し語り 明かす役割 (②一⑪!)をもっ - 8 (132)-.
(9) 衆知の経営にかんす る 深層心理学的接近(大森) ている。 それは 「衆知」への, C©2-----®) また 「適正な判断」の (⑪2---@), いわば 準拠基 準であるといえよう。 ところがこの理解は, マ ク ロ 物語の, 物語特性の一面 し かとらえて いない教条的な解で し かないところが問題である。 すなわ ち , いかに マ ク ロ 物語と し て統 合的な性格と機能をはたすといえども, やはり「語り得ないもの」「ユ ニ ー ク な結果」を例 外的なものと し て隠蔽 し ている限界に平穏時は気づかないのが当然である。 絶えない環境 の変化のなかで物語の保守, 維持の能力より, 変容, 革新の能力が肝要になる状況におい て, 経営のア イ デンテ ィ テ ィ , いうなら 自 己性あるいは個性の再生化の マ ク ロ 物語が必須 となるのである。 し か し これは言うは易 く 行い難 し , 必要は解っても, それに解答する 「素 直な心」の持主が経営者にいなければ , まさにこの図式は画餅にすぎないといえる。 ここ に 「素直な心」にいたる至難さがあるが, これには具体的に 「素直な心になる方法」を処 方箋と し て 6 ケ 所 にわたって語っているが, さて実行 し ている経営者はどうであろう。 ま た方法と し ては, すでにふれも し た ユ ング心理学における能動的想像法など深層心理学的 な知見を加味 し てい く ことも有効なように考える。. 4.. ミ ク ロ 物語一方針,. 目 標 計画. これまでみてきた マ ク ロ 物語は. 巨視的というだけに, 長期的であり, 鳥暇的で, 構想 とか統合という役割を担うのにたい し . それを具現化する物語が,. ミ ク ロ 物語であるとい. えよう。 それはすでにふれた松下幸之助のいう衆知にかんする物語でもあるといえる。 さ きに引 用 し たように 「指導者の条件」という著作のなかで. 素直な心で衆知を集めるのが 一. 番大事なことだと し ているが, その衆知にかん し て. つ ぎのように語っているOQ。 「まあ ぼ く は,お釈迦さんの考え は え らい衆知やと思う。 そ して英知になってお る と思う。 お釈迦さん は非常に個人知というものも高いけれ ども, 多 く の弟子の意見も聞 き , まあ風 の吹 く 音を聞いても, その音から何らかの暗示を受けてい る 。 そうす る と, その衆知 は 同 じ 衆知でも非常に広いものやな。 つま り いっさいの事物から知恵を得てい る 。」 し たがって 「第一段階の衆知は人間大衆の知恵」であるが, 「英知」にいたるまでは大変. Uり と し て, 「個人知」から 「衆知」そのうえ である。 そ し て 「知恵には四つ の種類がある」. に 「英知」さらに 「天知」があるという。. (16) 発言集, 43巻 127頁。 (17) 発言集, 43巻 202頁。 - 9 ( 1 33 )-.
(10) 第 48巻. 第2 号. 人間の古今東西の衆知, 昔と今のいろんな人の知恵を集めるという こ とは 完全には で き っ こ ない。 しか し その大部分を集めるという こ とは , ある程度で き る。 そ こ である程度の衆知, ある程度の英知を得る こ とがで き るというわけや。 しかし, 完全無欠な英知というものは , それになお, 万物の動作, 森羅万象の動 き という か, そういうものからある一つの真理を感得して, それを加えたものである。 そ こ までいけ ば, その英知にもとづく行動からは , 万能の神というが ごと き 現実の働 き が生まれる。 こ う いう ように解釈で き るわけやな°凡 とにか く 個人知では, いかに偉大であっても限界があり, 何事でもそ う であるが, と く . に経営については衆知が大事であるとい う 。 それも天知に通ず る英知にまで高める必要が あるともい う 。 もっともここで衆知とい う とき, 大衆の知恵をある個人が吸収 し たのは, 大いなる個人知かも し れないが, そ う でな く 大衆の主体性をそのままに合体 し たものをい う と強調 し ている。 ここに物語の基本的な特性をなす 「会話的物語」の意味が う かがえる よ う である。 ここで「会話的物語」 あるいは物語の会話的アプロ 築的」とい う か 「再生的」 アプロ う 。 まず会話的アプロ とい う キ ー ワ. ー. ー. ー. ー. チ, そ し てそれに関連 し て 「脱構. チと比較 し ながら, 物語の特性について検討 し ておこ. チとい う のは, すでにふれたよ う に 「 自 己物語が 自 己を構成する」. ドに し たがって, それは 「会話を通 し て 自 己は生み出され, 維持され, ま. た変化させられる戸 とい う 側面をい う のである。 それを経営についてい う なら, 経営の ァ イ デンテ ィ テ ィ , 自 己性を生成 し , 維持 し 変化させるのは, 物語のなかの会話的側面で あるといえる。 この会話とい う のは,. 一. 方において 「言葉を用いて意味を生み出すこと」. であり, し たがって 「 自 己もまた, 会話によって紡がれる物語と意味を通 し てその構造と 一. 貫性を得ている」とい う 。 つまり「言語的および意味的に構成される現象」である。 そ. れとともに他方では,「会話とは他者とのかかわりあい (相互行為)である」 とい う 。 これ らはすでにみた物語の特徴, 三つの う ち , 語り手と登場人物の視点の二重性をふまえた 「選択的構造化」 と, 聞き手である 「他者への伝達」 の二つの側面を強調するものである。 このことは物語そのもののもつ, 逆説的な二面性を示唆 し ている。 それは物語の 「選択的 構造化」 とい う 機能によって, 経験への一貫性や構造化をもたら し, それが「閉鎖性」と 「固定性」とい う 安定的な枠組を提供することは, 物語のもつ一つの固有の働きである。 と ころが 「他者への伝達」とい う 聞き手との関係において, 「流動的」 であったり,「開放的」 であったりすることによって, 物語そのものが変化 し てい く からである。 (110 発言集, 43 巻 128頁。 (19) 浅野著 前掲書, 103頁以下, 引 用文. 同様。 - 10 ( 134)-.
(11) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近(大森) これが「脱構築的」というか, 「再生的」ア プロ. ー. チに関連するところである。 すでに 自. 己物語は 「語り得ないもの」を内蔵し, かつ 隠蔽するとみたが, このことである。 ここで 「脱構築的」 ア プロ ー チというのは, 「 ド ミ ナ ン ト まうような エ ピ ソ. ー. ・. ス ト. ー. リ. ー. ドであるユ ニ ー ク な結果を梃子にして 自 己物語全体を書き換えていこ. ⑳ ものである。 これは経営の 自 己物語からすれば , うとする」. るド ミ ナ ン ト. ・. ス ト. の筋立てからはみ出してし. ー. リ. ー. あるときの主流となってい. から, 例外として排除され, 少なくとも周辺化された エ ビ ‘ノ. ー. ドとして隠蔽されたユ ニ ー ク な結果や事例が, 環境と時代の変遷のなかで見直され脚光を えて, ア イ デ ン テ ィ テ ィ そのもの, 物語全体が書き換えられていく過程である。 つまり再 生的物語という理由であり,. リ ス ト ラ ク チ ャ リ ン グというのも, その呼び名 の一 つ といえ. よう。 こうした議論をふまえて, あらためて衆知の経営について考察してみると理解しえると ころがある。 すなわ ち 衆知の 「よく聞く」という側面と, あわせて 「よく話す」という側 面, しかも両面とも 「素直な心」 でという脈絡である。 これにつ いての語り を もう一度 引 用 しておこう⑳。 「なかでもいち ばん大事なのは , 素直な心ですな。 素直な心にな っ て, 衆知を集めない と いかんですわ。人の言 う こ と をよく聞かない と いかんですな。 しかも大事な こ と は , 聞いて それに流されたらいけませんな。 流され ん と 吸収するんですな。」 まず そこでは衆知そのものの意味からしても, 「よく聞く」側面を強調しているが, そこ に「素直な心」を介人させることによって,「語り得ないもの」の例外を少なくしようとし, 物語の亀裂を避けようとする姿勢がうかがえるとともに, 流されず に 「よく話す」側面も 前提にしている。 これは物語の 「選択的構造化」の 自 己性, ア イ デ ン テ ィ テ ィ の側面であ る。 しかもそれが 「素直な心」によって, 表層的な 自 我の レ ベ ルにと どまるのでなく, 深 層的な 自 己の レ ベ ルにいたり, 衆知はかぎりなく英知へと高まっていくという。 これを経営の実践の場に適用 するなら, 方針の策定や 目 標の設定あるいは計画の立案と いう経営の機能を遂行する種々な局面において, まさに選択的に構造化された物語とし て, 「よく聞く」そして「よく話す」会話的な過程において形成されていく。 それは経営の 「 ミ ク ロ 物語」であるが, つ ねにその 「マ ク ロ 物語」のなかに包摂され, 統合された内容と 位置において成立っている。 したがって 「 ミ ク ロ 物語」は, つ ねに統合化されているとと. (20) 浅野著, 前掲書, 103頁以下。 仰 発言集, 19巻 97頁。 - 11 (135)-.
(12) 第48巻. 第2号. もに . それ ぞれは 一貫性と 斉合性をたえず維持するよう物語られる。 その形成過程の具体 的な内容については . あとで事業部制という 歴史的な組織の実態のなかで詳細にしていく として . ここでは「 ミ ク ロ物語」の 危機というか . 崩壊ないし再生についての, 経営的な 展開についてふれておきたい。 すでにみた「語り得ないもの 」 の側面への . 聞き手 . 他者. これは経営において . 重層 的にとらえられ . 組織の構成員はもとより, 利害関係者から, 今 日では 市場. 社 会 . 環境 へと広範にわたる人々との関係であり, 伝達それへの評価, 反応である。 それは例外 とし て 排除され隠蔽されても, やがて 暴露され, むしろ「 ユ ニ ー ク な 結果」として エ ビ ソ 化されて, それまでの経営の主流としての ド ミ ナ ン ト. ・. ス ト. ー. リ. ー. ー. ド. である自己物語に 亀裂. を入れ . 崩壊の 危機すら 招く。 それは絶え ざる 環境と時代の変化のなかにさらされるから である。 その転機を. いかに経営の 再生物語に脱構築化の過程として連動さしていくか . これは経営の 今 日的な 課題であるが, なかなか 有 効な サ ク セ ス. ・. ス ト. ー. リ. ー. は 書ききれて. いないようである。 こうした理解をふまえて . 語り手, 松下幸之助の 挑戦と 成功物語は . どのように読み解かれ . 語り 継がれるべきか, みていこう。. 5.. 会話的物語一事業部制 に お け る ラ イ ン物語. これまでみてきた マ ク ロと ミ ク ロ の物語は, 経営として 全社的な, 組織 全体にわたる領 域であり, 内容であったが, より 部分的というか集団的な物語の 積み 重ねによる 累積が具 体的な内容を 豊富にしていく。 それは現場からの物語 づくりであるといえる。 すでにふれ たように松下幸之助は, みずからの衆知の経営という考え方からしても, 早くから 分 権的 な自主責任の経営を構想して, 戦前, 昭和 8 年 (1933年)すでに我国で最初といわれる事 業部制を実施している。 これは「 水道哲学」との ちにいわれる事業の 使命を自 覚し, その 理 念にもとづいて 命知創業 第 一年とした 翌年のことである。 いうならその 使命, 理 念を具 現するための組織であり制度であったといえよう。 そしてそれを衆知の経営によって展開 せんと意図したものともいえる。 これについてその当時, こう語っている。 「業容は 小さくても, 全部を 任すということである。 これが松下電器の事業 部の 始まりで ある。 これには二つのねらいがあった。. 一. つは事業 部を作ってやることによって, 成果が. はっきりわかってくる。 責任経営になってくる。 だから事 業 部そのものも, はっきり 良し あしが検討される。. ……. こういうことから 何が生まれてきたかというと, 早くいえば経営. 者が 生まれてくる。 要するに, 経営者の 本当の試練の 場である。 幸いにして, 松下電器で - 12 ( 1 36)-.
(13) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近(大森) は 早くからこれをやったから, みな経営者として育ったわけである」四 と。 これはたしかに . そのの ちの 成果が実証するように, 十人十色, 三人三様の経営者を 育 て. しかも 「三人 寄れば文殊の知恵」の事業の成長をもたらしたのである。 それは要 約す れば衆知の経営であり, その現 場が事業 部であり, その縮図といえよう。 そこで事業 部の 現場において, いかに衆知による物語が 創られ 活かされて き たのかを検討してみよう。 まず事業 部の経営において, 各年度当 初に 全社的に発表される方針をふまえて事業 部計 画を 策定する。 この策定過程そのものが, 衆知を集める物語づくりの プロ セ スといえる。 それは全社的な方針をふまえること自体が, 組織として意味のある 選択的 配列の過程であ り, それにしたがった構造化がなされるのであるが, 他方においてより重要なのは, 事業 部それ自 身として, 事 業部長の考え方を 活かすだけでなく, 現 場の事業場 長やその構成員 の意見を 吸い 上げて結晶化させていく過程は, 衆知による 会 話的物語の形成プロ セ スとい えよう。 またその事業 計画の試案は, 本社の経理 スタ ッ フをふくめた討議をふまえ洗練さ れていく過程によって物語の緻密さを補完していく。 こうした事業 計画は . 事 業 部の直面 している 市場や環境の変化を取り込みながら, 経営のもつ理 念や方針を 活かしつつ, みず からの事 業 部の 成員の衆知を 結晶さした 会 話的物語といえよう。 そこには事業 部独自の ス ロ ー ガ ンやモ ッ ト. ー. も, ちりばめられ, 組織の 隅々まで 周知しえるよう物語の PR にも 創. 意工夫がこらされることになる。 そういう意味では, 物語の 周知 への 努力が. 双方向的に 衆知による物語の 形成の動力になっていることも注意すべ きである。 これは物語のすでに みた 第三の特徴である「他者 への 伝達」それによる評価, 支持の側面に関連することであ るとともに, 物語の 第 一, 第二の特徴に連動する側面でもある。 それは事業 計画という物 語の語り手 . 事 業 部長や . 登場人物である経営幹部. 参 加 メ ン バ ー にたいする好意と共感 の 第 一の特徴をは じめ. 物語の意味のある 選択的な 配列過程に主体的かつ 積極的に 協力し ていく. 第二の . 物語の 中心的な役割という特徴に. 大 きく貢献することになる。 こうした衆知による事業 計画という, いわば ラ イ ン物語は . 現 場という ラ イ ンのなかで いかに 日常的に語られ, 具体的に 活 きているのであろうか。 実際に事業 部の 一 日. 始業は 朝会といわれる場から スタ ー ト する。 それは事業 部内の 責任単位といえる事業 場 ごとの 毎 朝の集会であり, 経営の. ". ”. 遵奉すべ き 精神 の 唱和には じまり, 所属する メ ン バ ーの 誰か. が 所感を語り, 連絡を 話し . 社歌を合 唱してから, それ ぞれの 職場 . 職務につく。 そこに は「 宇宙の 根源」である真理からの メ ッ セ ー ジであるといえる理 念. 精神およ び社歌の心. 四 「 松下電器五十年の 略史」 松下電器刊, 昭和43年, 113頁。 - 13 C 1 37)-.
(14) 第48巻 第2号. 情的な共鳴と 所感, 連絡による時々にあわせた即興的な物語 , これは演劇, る 音楽効果のなかで リ ズ ミ カ ルに. ". 間. ”. ド ラ マにおけ. を 綴られた 小物語の編成の 日々の出 発, 起点であ. るといえよう。 そして 一 日の 終業は, ほ ぼ同様な 夕会でもって 一応の 区切りとされるが, 仕事 中は事 業 計画という物語の具現化の過程であるといえる。 そのなかでも製造現場では TQC による 提 案活動など , いわ ゆる組織の 隅々まで 小集団活動が ネ ッ ト ワ. ー. ク 化されているのが実態. であるが , これは 会 話的な 小さな物語 づくりの場であり, それらの物語が織り成す, より 大きな物語が , 事 業 部 レ ベ ルの事業計画であろう。 だがこうした 一見して 平穏な 状況も , しばしば不協和音に悩まされることがある。 それは物語の キ シ ミ の 音といえるかもしれな いが , そのことは事業 計画の実績との ズ レとして 表現され 予兆となる。 すでにふれた物語 の「他者への 伝達」による 評価と 反応であり, それは聞き手としての 環境や 市場からの 反 応でもあるし , 組織のなかで「 ユ ニ ー ク な 結果」を経験している 周辺の , あるいは異 端の メ ン バ ーという聞き手からの評価として 表現される 内容であるかもしれない。 それが 下手 をすると物語の 亀裂になり , やがて 崩 壊か 再生の 分 岐に直面するようになるかもしれな い。 むしろ物語は本来 , その特性として , すでにみたように亀裂の 危機を 内蔵しているので ある。 事業という経営物語にしても 同然であり , つねに危機を 内蔵しているといえる。 こ れについて 想起するのは, L . E . グ レ イナ ー による 企業 成長 発展モデル 四 である。 これ は , ア メ リ カの 巨大企業に成長 , 発展した プロ セ スの実態を 分 析して , そこに成長と 発展 の 段階モデルを 指摘している。 そのなかでいう 一つの重要な示唆は, ある成長の過程に, その 成長の ド ミ ナ ン ト な 要 因とされるものが , かえってつぎの 発展の 段階への 障壁とな り, まえの成長に マ イ ナ ーとして 内蔵されていた 要 因が , つぎの 飛躍の 梃子になるという ロ ジ ッ ク である。 しかもその成長と 発展の 段階過程は , 成長という 進化 プロ セ スと質的に 飛躍する 発展という 革新 プロ セ スは 回避しえない方向づけで , 回避すればただ低迷と , や がて衰退があるのみという ス ト. ー. リ. ー. である。. こうしてみると成長する物語も , かえって 成長するが ゆえに, その成長 要 因が 障壁とな り , 環境や時代の 推移とともに , 内蔵された「 ユ ニ ー ク な 結果」をもたらす 新たな 要 因が 梃子となって , 新しい物語への 発展を 促すのであろう。 そういった意味で , 事業 部の経営 物語である事業計画という シナ リ オも 同然である。 このことをどのように理解していけば 四 L . E. Greiner "Evolution and Revolution as Organization Grow" Harvard Business Review July-August 1972, PP. 37-4 6. - 14 (138)-.
(15) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近(大森 ) よい のか, 脱構築的 というか再生的物語 という キ ー ワ. 6.. ー. ドで検討していこう。. 企業家 と し て の ト ッ プ物語. これから 再生的物語について理解していこう と する のであるが . 行論 の 流れからする と . 事 業 部 レ ベ ルで の 脱構築的 , 再生的な経営物語からする のが 妥当であるが , コ ン ト ラ ス ト をつけ 劇的な比較ができるよう . むしろ マ ク ロ物語 として . 企業家 ・松下幸之助が 描 いた ト ッ プ物語について , まず語るこ とから 始めたい。 これまで松下幸之助はみずから の 人生を 振り返り , 企業家 として 三つ の 大きな 危機があった と 述懐した と 伝えられている。 そ の 第 一 の 危機は . 世界大恐慌に直面してから の . 昭和初期 の時代環境のなかである。 こ の ときは . すでにふれた「水道哲学」 といわれる経営理 念に 開 眼し , あわせて綱領や信条 さらに 遵奉すべき 精神な どを 策定し , また 250年にわたる経営 の構想を展開して . それ以後 の経営物語に とっては . 命知 創業 という ほ ど の 転機であり, まさに 再生的で, ただ 熱心で 尋常な 商人から の脱構築的な マ ク ロ 物語を語ったも の といえよう。 それは世界恐慌 という 社会的な 環境 と , たまたま参拝した 天理 教本 部 の 状況にふれたこ とを契機にして 洞察した 精神的な 転機 というか 回心であったようである。 ここらに内省的企業家 といえる素 質があ るようにうかがえる。 これは組織内の他者 というより, 社会的な他者 と の 伝達のなかで の 評価, 反応を内省し . 精神的に経営 の マ ク ロ 物語を企業家 として 書き 換えた というこ とで あろう。 ついで 第二 の 危機は . やはり 終戦前 後から の時 代環境に直面して のこ とだった という。 こ の とき , 昭和20年 (1945年), 50 歳で. 心理学的にいう 中年の危機 の時 期でもある。 もっ とも マ ズ ロ ー や ユ ン グな ど の 知見からする と自 己実現 や個性化へ の契機になる とき ともい える。 たしかに事 業経営について , い ちは やく経営方針 の発表や事業部制の再開に むけて 尽力しているが. それは 戦前 の正 常な とき の成長物語 の再現にす ぎないようにみえる。 む じろ 重要なこ とは. 翌2 1年に , PHP 研究 所を設立して . 日本 再建 と 繁栄の道を求めて . そ の研究 と 運動を展開していったこ とであろう。 それは. 「真 の人間 道を 求めて」 の旅でも あったようである。 そしてもう 一つあげる と すれば , 昭和26年. 早々に 欧米 の視察に 旅 立ったこ とであろう。 こ の時 期はある意味で の戦後 の 区切り となるように . マ ッ ク ア ー サ ーが 離 日し , 朝鮮休戦会議が 始まり , サ ン フ ラ ン シス コ対 日講和条約が 調 印される数 ケ 月 前 のこ とである。 それは やがて 翌年, 27年の , オ ラ ン ダ ・ フ ィ リ ッ プ ス社 と の提 携調 印 に結実するが . それから の エ レ ク ト ロ ニ ク ス. ・. メ. ー. カ. - 15 ( 1 39 )-. ー. として の 発展につながっていく。.
(16) 第48巻 第2号. これ も時 代環境という世界の激動 に対応しつつ . 精神的な真理の 道を深めつつ . 企業的 に 転換していく プ ロ セ スは . やはり再生的な マ ク. ロ 物語の 形成過程といえよう。. これ にたいし 第 三の 危機といわれるのは . 昭和39年 ( 1964年), すで に 会 長 職 にある 松下 幸之助が, 営 業 本 部長 代理となり, 率先垂範, 転機の 指揮を ふるう時 期で, 年令は69歳の 当時である。 このとき 昭和25年の 再建開 始以来は じめての 減収減益 になり, 販売会社. 代 理 店など 赤字経営が 激 増し , 1 70社のう ち, 順調なのは20数社という 状況にな っている。 こ れ に対処するため, 販売網の幹部と 熱海で 3 日間 にわたる 懇談会を 開き. その切実な 声を 聞いたのである。 これがの ち に 転機にな ったことからいわれる 熱海会 談であるが, 延べ 13 時間 も 壇上 に 立 っ て 苦情, 意見を聞いて , それこそ素直かつ率直 にといえる対策を 打つ。 それが 営 業 本 部長 代行 への 就任であり , 「事 業 部直 販制」を 中核にした 「新 販売体 制」 への 改革である。 だが前後の 推移そしてそれからの 長 期 にわたる成行きをみるとき . どう も 第 ーそして 第二の 危機からの 再生的物語と 相異する ものを 痛感する。 その理 由として . その 物語はたしか に マ ク ロであるが, その内容として 脱構築化の過程が 局所的で 微温的である 印象が強いからではなかろうか。 それは 外的 要 因としての 世界恐慌 や終戦直 後という時 代 環境 もさることながら, それ に対応する内的 要 因というか, 精神的な 転機. 回心といえる ほどの 再生とその 運動の物語の 盛り 上りがなか ったよう にみえる。 このこと について. もう少し掘り 下げて考えてみたい。 すで にみたよう に, 日常的な経 営は, ミ ク. ロ 物語のなかで ,. しか も 会 話的な物語の営みとして行なわれ , 語り 継がれてい. る。 ところが, 物語の 本来その もの に 内蔵されている「語り得ない もの」としての「 ユ ニ ー ク な 結果」 や, 例外として 排除されたり, 異 端として隠蔽されている ものが. おかれてい る環境と時 代の変化 にさらされて 露呈してくる。 つまり ド ミ ナ ン ト 物語 に 亀裂が入 っ てくる。 そこ にいままで マ イ ナ ソ. ー. ー. ー. リ. ー. としての. ドを梃子 にして ド ミ ナ ン ト な物語の 転換というか 書き 換えが 始まる。 これが 会 話的な. で に ふれたところである。 しかしこれはあくまで, ー. ス ト. な「 ユ ニ ー ク な 結果」であ っ た エ ピ. 物語から, 脱構築的な 再生的物語 への 脱皮の プロ セ スであり,. ト. ・. リ. ー. ロ. ジ ッ ク であること も, す. ミ ク ロ 物語での範囲で 展開される ス. の 書き 換えである。 これを経営の実態からすれば, 成長の過程 に おける 改良. 改. 善といわれる , いわば 進化 (evolution)1241 の 段階といえよう。 たしか にこれは, ミ ク. ロの. 会話的物語の パタ ー ン について語られるべき 段階といえよう。 そしてあくまで仮説的では あるが . すで にみた 松 下幸之助の経営の危機 に対応する 三つの 転機は . これ にたいしてい. (24) 前掲, 「 グ レ イ ナ ー. ・. モ デ ル」 - 16 ( 1 40 )-.
(17) 衆知の経営にかんする深層心理学的接近(大森) かに位置づけられるであろうか。 まず 第一の. 世界恐慌に直面した戦前の危機は. 経営の 自 己物語の質的な大転換 と いう 内容からする と . それまでの ミ ク ロ 物語を脱構築化するだけに と どまらず . それがマ ク ロ 物語の再生的なプロ セ ス にいたったパタ ー ン と いえるであろう。 その再生的なマ ク ロ 物語 の転換をふまえながら, マ ク ロ の会話的物語の形成 と , それにつ づ く ミ ク ロ の再生的そし て会話的な物語づ く りへ と 日 常化されてい く 図式を描 く こ と ができそうである。 また第二 の, 終戦前後からの危機につ いては. すでにみた よ うに直面している状況は相異するが, その対応の質的な様相は. かなり類似しており, むしろ同然 と いいたいパタ ー ン である。 いうなら第一 のパタ ー ン を, 第二のそれは. 質的によ り深化し, 量的にも拡大した. マ ク ロ な再生的物語の構築になった と いえ よ う。 それは外的要因 と してみれば , 世界恐慌 と い う時代的な環境が, 戦後の世界経済の動乱の状況へ推移している。 そのなかでの内的要因 と しては, 貧乏への 「水道哲学」 と いう理念的な経営活動が. さらに社会的に拡大され, 精神 的に深化され. 繁栄への「PHP」 思想へ発展し. よ り マ ク ロ な再生的物語を再構築し て, 社会活動そして経営展開をはかる よ うになった と いえ よ う。 と ころが第三の, いわゆる熱海会談を契機にした新販売体制の改革 と いう, 危機への対 応は, どのよ うに拡大して理解しても, 組織内の範囲が濃厚であり外的かつ内的な要因か らみても経営 と して社会的に オ ー プ ン と いえる内容ではない よ うである。 これをどの よ う に理解し, 位置づけるかであるが. つ ぎの よ うに考えてみ よ う。 この第三の危機の対応の 経緯や内容につ いては. すでにみているので繰返さないが, 経営の物語の流れからする と . ミ ク ロ の再生的物語が. 第 一や第二の危機の対応の と きの よ うに, マ ク ロ の脱構築化への 流れにならず , やがて マ ク ロ の会話的物語の形成へ と 微温的な流れに転化してしまい, そ こから ミ ク ロ な会話的物語へ 日 常化していったのではなかろうか。 したがって経営物語のパタ ー ン を, ここで一応ま と めておけば . 四つ あげられるのでは あるまいか。 いうまでもな く 第一のパタ ー ン (®) は, ミ ク ロ な会話的物語の世界 と いう か経営の場である。 つ ぎに第二のパタ ー ン は.. ミ ク ロ な会話的物語 と いう経営の場から脱. 皮して, ミ ク ロ ではあるが脱構築的な物語を形成して, つ ぎの ミ ク ロ な会話的物語 と いう 経営の場へ 日 常化してい く 往復 コ. ー. ス を辿るプロ セ ス (®) である。 そして第三 と 第四の. パタ ー ン は. さきに危機の対応でみた よ うに, ミ ク ロ の脱構築的物語を契機にして. マ ク ロ 物語へ転化するが.. 一. 方は会話的な内容の形成プロ セ ス ヘ流れ, それが ミ ク ロ の会話的. 物語の展開へ と 日 常化するパタ ー ン (©) と . 他方はマ ク ロ な脱構築的な再生的物語ヘ シ フ ト し. そこからマ ク ロ な, そして ミ ロ ク な会話的物語へ と 推移するパタ ー ン (⑪) であ. - 1 7 ( 1 4 1 )-.
(18) 第48巻. 第2号. 物語の フ レ ー ム ワ ー ク マ ク ロ 物語. ミ ク ロ 物語. 会話的物語. ← ----. ---i---------------!. <(;-----------. -----―ー プ ©. -/. - / /. -. ー /. -. -. ―. -. _. +. T. ,. _,,-'. J. :. ------------—+------. , ,. I. / //. ノ. /. >. /. 再生的物語. ▲’’__1ー11トーーー1199. ®. -- - ---------- -- -�---------- ----_,. ⑪. ®= ミ ク ロ 会話的物語プ ロ セ ス ®= ミ ク ロ 再 生的物語プ ロ セ ス ©==マク ロ 会話的物語プ ロ セ ス ⑪=こマク ロ 再生的物語プ ロ セ ス る。 このような, マ ト リ ッ ク ス で表現 されるサ イ ク ル 図式を最後にまとめて, これについ ての経営的な検討をつぎに議論してみ たい。. 7.. 結語一イ ノ ペー シ ョ ン の諸相. これまで経営のイノベー ションについて は. シュ ンペ ー タ. ー. の五つのパ タ. ー. ンの理解を. はじめ. 種々な見解がある。最近の知見で剌 激的なの は, C. M. ク リ ス テン セ ンが「イノ 凶 な どで展開する, 持続的イノベ ー ションと破壊的イノベ ー ショ ベ ー ションの ジ レ ン マ 」 ンの概念であり, その事例的な分析の成果である。 その重要な示唆の一つ は , 経営の成熟 が, 懸命な持続的イノベ ー ションの結果であること, それ は市場に忠実であろうとすれば するほど. その ジ レンマ に はまり. 破壊的イノベーションに成功しないことを教える。こ のこと は. すでにふれた L. E. グ レ イ ナ. ー. のいう成長. 発展モ デル と重ね合わせると, つ. ぎの発展への質的な飛躍 は. 破壊的イノベ ー ションしか梃子にな らないというように も 理 解しえよう。 そこでグ レ イ ナ. ー. ・ モ デルの いう成長過程 は. ま さに進化のプ ロ セ ス であり. それ は さ. き の「物語の フ レ ー ム ワ. ー. ク 」 にみ る, 日 常化 された ミ ク ロ の会話的物語の営み ® ( ) を. ふまえなが ら, その再生的物語をたえず積み 軍ね るように付加しなが ら語りつづけていく 四. C. M. ク リ ス テ ン セ ン 「 イ ノ ベ ー シ ョ ン の ジ レ ンマ」 (伊 豆 原 弓 訳) 翔 泳 社, 2000 年,. Clayton M. Christensen "The Innovator's Dilemma" 1997.. - 18 ( 142)-.
(19) 衆知の経営 に かん す る 深層心理学的接近 (大森) 過程で あ り , 経営 に と っ て は改良, 改善 の活動 (@) で あ り , こ れ を累積的 ( イ ン ク リ メ ン タ ル) イ ノ ベ ー シ ョ ン と い っ て よ い で あ ろ う 。 だ が そ れ は, い か に い ま ま で 「語 り 得な い も の」 と し て の 「ユ ニ ー ク な 結果」 を採 り 込ん だ と し て も , こ れ ま で の マ ク ロ 物語 の ド ミ ナ ン ト. ・. ス ト. ー. リ. ー. を書 き 換え る ほ ど の 転機 に は な り え な い 。 こ れ が通常 に い う 経営 の. 成長物語 で あ り , そ こ で は経営 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と い え る 自 己物語 は 不易 で あ る 。 し か し よ り 以上 に 一般 的な の は, 平凡な 経営物語 (@) を維持す る こ と で あ ろ う 。 な ぜ な ら 本 来的 に か な ら ず 「語 り 得な い も の」 を 内 蔵す る だ け に , 環境 と 時代 に さ ら さ れ る な か で, 物語 は亀裂を生 じ , そ の 裂 け 目 か ら , た え ず崩壊の危機 に 直面す る か ら で あ る 。 し た が っ て結果か ら す れ ば, 平凡 な経営物語 (®) の 営 み は, 衰退へ の 道 で あ り , グ レ イ ナ ー. ・. モ. デ ル の 教え る よ う に成長物語 (@) を選択 し 語 り つ づ け る し か道 は な い と い え よ う 。 こ れ に た い し 第三の道 は持続的 イ ノ ベ ー シ ョ ン の方向 と い え る 。 こ れ は さ き に み た よ う に ミ ク ロ 物語 の 脱構築的 ス ト. ー. リ. ー. は, マ ク ロ 物語 の 会話的 な 内容 に イ ン パ ク ト を与 え,. 影響 を お よ ぼ し , や が て マ ク ロ 物語 の会話的 な 内容 の 選択 と 配列 の 過程を変化 さ し て い く プ ロ セ ス (©) で あ る 。 し か し こ こ ま で の 道 は, や は り 成熟化へ の 方向 と い え そ う で あ る 。 そ れ は松下幸之助の経営危機へ の対応や 松下電器 の 当 時 の経営史 を み る と き , そ う 理解 し え よ う 。 つ ま り 破壊 的 イ ノ ベ ー シ ョ ン の 道 は, 松下幸之助 の危機対応 に み ら れ る 戦前 と 終 戦の と き の パ タ ー ン で あ ろ う 。 そ れ は ミ ク ロ の脱構築 的 な 物語 を 契機 に し て, マ ク ロ の再 生的物語を構築 し て い く 過程 (⑪) で あ る 。 そ の と き , 「語 り 得 な い も の」 の な か で, た だ 「 ユ ニ ー ク な 結果」 や例外 と し て排除 さ れ た り 隠蔽 さ れ た 異端だ け で な < . よ り 広 く と い う か, よ り 深 く , 市場 と い わ ず, 社会へ, さ ら に 自 然へ宇宙 ま で も , 思 い を い た し , 真理 と い う 眼 を も っ て再構築す べ き 物語 を 創 ろ う と 心血 を そ そ ぐ 。 そ こ に は じ め て迂遠 な よ う だ が, す で に み た 「素直 の心」 を 中心 に す え た 「真理」 や 「悟 り 」 の 関係図が活か さ れ て く る よ う に お も う 。 し た が っ て衆知 の経営の関係 も , た し か に ミ ク ロ 物語 の会話的 ま た 再生 的な ス ト. ー. リ. ー. づ く り に は 有効 で あ る か に み え る が, や は り マ ク ロ 物語 の 脱構築化 に は. ’. 卜 ッ プ の 悟 り や真理 と の対話を必要 と し て い る の で は あ る ま い か。 こ こ に 松下幸之助 の い う , 「素直 な 心」 と 「適正 な 判断」 の 関係 が重要 と な ろ う 。 こ れ に つ い て は, す で に ふ れ た よ う に 「250年経営計画」 を構想す る と き は, 「直感」 と 答え る と と も に , 日 常的 に は つ ね に 迷 い が あ り , そ の と き 「衆知」 に よ る 経営が大切だ と も 語 っ て, つ ぎの よ う に い う 究. ⑳. 発言集, 9巻, 33頁。 - 19 ( 143)-.
(20) 第 4 8巻. 第2号. 時々刻々, 迷いとい う も は つ いてまわ り ます。 その迷いのと き に, 自 分は 自 分で判断いた し ます。 なるぺ く 素直に判断 しよ う とい うことを心がけてまい り ま した。 そ し て, この仕事 は し て も いい仕事だと 自 分が考え, これに対 し て 強い確信が も てたと き には , 私は 幹部の人 に話を し て 「こ う い う よ う に や り たいと思 う 。 間違いないと 自 分は 思 う が, 諸君は ど う か」 とい うことを き く わけです。 どうもやはり 「素直な判断」が必要であり, 「素直な心」で聞く姿勢が大事である。 こう し た 判断の問題については, あらためて詳細にするとして, ここでは 「直感」による判断 と 「衆知」によるそれがあり, マ ク ロ の再生的物語の構築には 「直感」が, それにたいし ミ ク ロ の会話的物語の判断には 「衆知」が活かされているようである。 そのとき, いずれ も大切なのは 「素直な心」でのぞ むということである。 これをさらに掘り下げて考えてい けば , これまで検討してきた深層心理学的な領域と接点をもつように思える。 それは 「素 直な心」 が, 自 我から 自 己への覚醒であり, 個性化の過程をへ た 状態と考えるなら, 「直感」 はその状態における集合的無意識からのイ メ. ー. ジ であり, メ ッ セ ー ジ であり, 創造性のエ. ネ ル ギ ー となる。 それにたいし 「衆知」というのも, ただ表層意識的な知としてだけでな く , 深 層の無意識に共感され た 知としての, ある意味での組織的な ユ ン グのいう共時性 (Synchronicity) を表現するものとも理解しえる。 ここにみた 松下幸之助の事例をふまえ ながら, 経営における物語論的なアプロ. ー. チと, それを深化する た めの深層心理学的な,. これまでの知見を援用した 検討を, さらにつぎの段階ですすめてみ た い。. - 20 ( 1 44)-.
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