始原生業民俗論III ―マスとトチ―
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(2) に地形図を入 れるべきではあるが、ここでは紙幅 の関係. 資料 とその分析の一部 である。本来ならば、調査地 ごと. ができた。小 論所収の内容は「 始原 生業民俗 論」 をなす. に加えら れなかった兵庫県・ 鳥取県の事例を加えること. 明治二十二年 生 く 、といったところだった。父、兼蔵 (. む 。食法は、塩焼き ・煮つけ• 塩引き保存したものを焼. が網持 ちをし 、 一人 が棒 で水中 • 水 面 を叩 いて追 い込. 網をつ ける。直径一・ ニ. を作り、それに矢をつかえたような柄をつけ、それに袋. 当地では笙 のことをドウと呼ぶ。小 魚•毛蟹 •カ ジカ. まれ)の代まではサケも上ったという。. 2101. ほどであ る( 写 真①)。 一人. で割愛した。 一• 岩手県久慈市 川代I 夏 井川. 後マスが上らなくなったが、その前年 まではマスを獲っ. ラである。以下は川代兼松さん(大正 十― 一年 生まれ)の. ④皮をむく↓⑤ ト ナガマ ( 大釜 )に入れ、灰水を注 ぎ、. た。①十日間ほど干す↓②湯を通す↓③ 十日間ほど干す↓. などはドウで獲った。. た。 春 マ ス は た ま に 上 り 、 秋 ま で 住 み つ く も の が あ っ. 七回ほど水を換える。食法はおよそ次の通りである。⑧ア. 真中 に円筒状 の底なしの籠即ちドウを人 れ、煮ながら、. 川代は夏井川河口 から一― キロほど渕上した左岸 のム. 狙った。漁具• 漁法はおよそ次の通りであった。 ①ヤス. た。秋 の彼 岸ご ろ マス が多 く 、 ホリに つ く そ の マ ス を. H ・マス漁. 1・シダミ. 当地 ではミズ ナラ ・コナラ・ クヌ ギの実を総称してシ. クヌキしたシダミを丸めてキナコをかけて食べる ® ァク. ダミと呼ぶ。これら をおよそ次のようにしてアクヌキし. ヌキしたシダミを茶碗 に盛り、キナコをかけて食べる↓. 昭和三十三年 の台風で山津波 が起 こって川が荒 れ、以. 五訳、昼は石 の下やクネ( 川岸の樹蔭)の下にひそんで. I 三本 ヤスで幅九 セ ンチ• 長さ十五セ ンチ ·柄は一・. ©アクヌ キしたシダミに麹を混ぜ甘 酒を作 って飲む 。. ナリ年 と裏年 がある。一年 に三斗ほど拾った。処理. 2• 栗. いる ので朝 と 夕 方に 狙 っ た。 ② 追 い込み 網ーー 川 下に 込む 。③ 袋 網| ー竹 またはイ タ ヤカ エデ で弓 型 の口 枠. 幅一\ 一• 五認の網 を張って 川を塞 ぎ、上流部から追い. - 94 -. ロ・ 採集食物. 野本. 体験と伝承 による。. 始原生業民俗論111.
(3) 9巻1号1997. 12 文学· 芸術・ 文化. 食法は次の通りである。①水につける↓② 一週間から 十. た。兼松 さんの祖母の時代には葛根・ワ ラビ根から澱粉. す。それを粉にしてから団子にするという食べ方があっ. き、 数珠つ な ぎにして半 月ほ ど川水 にさ ら してから 干. を採取して食 べる習慣 があ った という。「葛根・ワ ラビ. 日間ほ ど天日で干 す↓③湯を通 す↓④十日間ほど干す↓ 叩いて手でむ く方法と、臼で掲く方法があった。皮をむ. 根から 馬鈴薯へ」という流 れがあったと考えられる。. ⑤ オシクリと称して皮をむ く。皮をむく方法は、金鎚で いた栗は煮て団子の餡にした。ナマ栗を砂 と交互 に箱 に つ め、上問に埋めておき、冬これを食べることもあった。. ニ・岩手県岩手郡 雫石町 大村 _|l北上水系 南畑川. 当地は和賀 岳 (九 一三認)北東 斜面を水 源とする南畑. 3• 葛根・ワ ラビ根から馬鈴薯ヘ. 当地では馬鈴薯の椴粉を採った。径三尺 、深さ一尺 ほ. . .. 9 9. 一・マス・ヤ マメ ·イワナ漁. 年 生まれ)の体験と伝承である。. 川の谷である。以下は同 地に住む檜山善六さん (昭和 八. 蒋を入 れて腐 るまで放 置す. 殿粉 を沈 澱さ. て皮を棄て、. まで潮上してきた。夏 マス漁は七月・八月で夜突きであ. マスは梅雨期の大水 で堰堤を越え、 南畑川の大村 あたり. る位置に堰堤があり、そこにマスがたまっていた 。その. 雫石 川の御所ダムができる前その真中あたりに相当す. せてそれを保. われて く る マ ス を突 いた。 マス を突 く と同 時に柄 を放. る。一• 五屈ほどの柄の一 二本ヤスで、カ ンテラの光に誘. る。節で通し. 存し、 団子に. し、マスが弱 ってから 抑えて獲った。十五歳 の時獲った. す る。 そ の. 他、冬、馬鈴. なくな った 。 「霜莱英 が赤 く な る とマ ス が ホ ル」(産卵. のが初 めで、二十七歳 の時まで獲ったがそれ以降 は上ら み. 蒋を外 に出し. す る ) という自 然 暦 が 伝 えら れて おり 、 メ ス の マス に. しも ぐ. ておき凍ら せ てから皮をむ. - 95 -. どのハンギリ桶を河原 に おき、水を張ってその中 に馬鈴. ▲写真① 夏井川で使われていた マス用の袋網.
(4) いたりして獲った。. マス)漁は昼で、ガラスを使 ってヤスで突いたり棒 で叩. 黒くなっているのでクロコと呼んだ。ホリマス ( 産卵 期の. はオスのヤマメが群がっていた。その頃のヤマ メは色が. では早く雪が溶けて早 く花が咲 くため遅霜にやられるこ. そ んな時プナは不作になる。しかし、総じて山の低い方. を歩く。春、プナの花か 遅霜にやられ ることがあるが、. 実であり、 シノビ猟師はプナの実がたくさんあるところ. とが多いが高いところは花が遅いので霜の害は少い 。シ. ナ林でシノ ビで一四0キ ロの熊を捕 獲した。しかし、熊. ノ ビの熊狩は高いところのプナ林をめぐることになる。. の胆はカ ラだったという。盛 んな摂餌 活動 で胆汁を使い. ヤマ メはヤス漁で七月から卜月t 旬まで、イワ ナ漁も. マスの食法はナマの塩焼き•塩漬け•味 噌漬などだっ. ャスでこれ は十月中旬まで行った。カ ジカ 漁は七•八月. た。ヤマ メ ・イワ ナは塩を まぶして干し、飯と山椒の葉. 果たしていたのである。冬眠前の秋熊は総じて胆汁が少. 平成 七年 はブナの実のナリ年で、檜山 さんは毒 ヶ森のプ. を混ぜてスシ漬けにした。スシは平素も食べたが、正 月. 汁の残存率 が高いという。檜 山さ んの体験によるとナラ. いのであ るが、プナ林の熊に比 べてナラ林の熊の方が胆. でヤスである。. ることもあった。ヤマ メ ・イワ ナは別に串焼きにしてベ. 林の熊の胆it の残存率 は五0%ほどだという。シノビ猟. には必ず食べた。正月には飯が溶 け、魚が酢 くなってい ンケイ ( 迎 筒 )に挿し、囲炉裏の上に保 存しておき随時. ね四 月十五日であ るが、 「 雪崩が起 こると熊 が穴から 出. 毒 ヶ森•駒 頭山の熊が冬眠を終え、 穴から出るのは概. まで近づ くことができる。 兎で― -”10. 件は熊も兎も同 じであ る。向い風だと、熊で五•六屈、. 雨が強いほ ど獲物に近づ きやすくなる。シノ ビウチの条. るからであり、向い風を条 件としなければならない 。風. は追い風 で熊を狙うことはできない。人の臭いが風に乗. ロ・狩猟. 食べるという方法もとった。. 1•熊狩 熊 狩 の 狩 場 は 毒 ヶ森 ( 九 一九 計 ) ・駒 頸 山 ( 九 四〇. 熊が冬眠の穴ごもりをする冬至前までである。穴ごもり. はシノビと呼ばれ る単独行でこれは、十一月十五日から. る」と言い伝 えている。雪崩が起きて雪がなくなったと. 財 )であ る。猟 期および狩猟 法には二種があ った 。一っ. 前の熊の摂餌活動は盛んで、熊が最も好むものはブナの. - 96 -. 野本 始原生業民俗論IJI.
(5) 9巻1号1997. 12 文学・ 芸術・文化. \―1 0人 のセ コが並び、おのおの雪かき ヘラで木を叩き. 兎狩は雪上共同狩猟である。山のヒラ(斜面)に一0人. 2・兎狩. 一人 がどちらかの尾根筋につき 、いま一人 が 対岸の山腹. の春熊 猟は、一 二人 組で行うものである。谷の下 方から 、. な がら 「ホイホイ」と大声 をたてて谷筋に向かって横 進. ころに出 て遊んでいる熊を狙 うのが春熊猟 で、檜山さん. につき、もう一人 が川筋につく。こうして上流に向 かっ. 現れたところを狙 撃するのである。兎狩は宿を決め、参. 加 者は獲物を持ってその宿に集る。囲炉裏に二 斗鍋 をか. する。射手は谷の対岸にひかえていて兎 が谷筋の斜面に. けて兎の肉を煮るのであるが、残 肉のついた骨もマナ 板の. て谷をつめてゆき、捕獲するという方 法である、これを 作 った カ ン ジキ を履 く。昭 和 六 0 年 から は ト ラ ン シ ー. 上にのせ、詑の背で叩いて団子とし 、これも煮て食べた。. 「サンペー を張る」と呼ふ。雪山な のでクロモジの木で. バー を使うようにな ったので行動が迅速にな った。シノ. ロ・採集. ビウ チもサンペー も、熊狩の時には絶対熊以外の獲物は 狙わな い。銃の音な どで熊が逃げるからである。. 九 月下 旬から 十月間ほ どの間に国 有林で、 四俵 ほどの. 1• 栗. 進物にしたりした。熊 肉を煮る時は長い時間をかけて煮. 栗を拾 った。鎌とハ ケゴ (手箱)と布 袋 ( ―斗人 り)を. 熊の 肉は町内 の得意先 へ 売ったり、自 家用にしたり、 るのがコツである。熊 肉は 、味 噌漬•塩 漬にして保存す. が一杯 にな ると袋 に移 し た 。 栗の 処理 方 法には二 つ の. 持ち、鎌で草刈りをしな がらまずハ ケゴに拾い、ハ ケゴ. 型 があ っ た。® 干し 栗i. るが、他人 に贈 る場合 は朴 の葉 に包 ん で贈 る習 慣 があ 年 まで、秋田県北秋田郡 阿仁町・同 仙北郡 西木村の薬種. 蒸す↓④再度干す↓⑤カ マスに入 れて天井に保存する。. ②一週間から十日ほどムシロにひろげて天日で干す ③ v. る。熊の胆と熊 の頭は薬 用として珍重 された。昭和 六〇 関係者 が買いとりに来た。山で解体する際に 、熊の血も. 食法は、③ 皮をむいてそのまま食べる ⑮皮をむいて煮. ①水に つ け虫 喰 いを除 く ↓. 自 家用薬として確保した。入 山の際、カ タクリ粉または 米の粉を持って行き 、熊 を解体する時 、カ タクリ粉•米. ①五 日 間水 に つ ける. ② v あげて水きりをす る↓③ 五日間水につ ける v あげ ④. ⑧ ナ マ栗. る. ©栗飯 にする. の粉に血を吸 わせ、それを固めて持ち帰るのである。. �97�.
(6) 支流. 三• 岩 手県 和 賀郡 湯田町 長松ー ー北上 川 水系 和 賀 川. 湯田町 長松は八戸のムラだったが冬季の学童 通学が困. ④ 木の 上 に の せて お. 難だったために解村し、高橋 家も昭 和 四九 年に湯之沢 へ. ⑦ 土 の 中 に埋 め る. て水きりをする↓⑤ 五日間水につける↓⑥水をきってカ. く。こうしておいて必 娑に応じて鍋 で炒って食べた。ナ. 転居した。高橋 仁右衛門さん(大正九 年生まれ)は長松. マス に 入 れ. 栃の実・楢の実を食べたという伝承はあるが、善六さ. 二反歩 の農業を営み 、そ ろ高橋 家では水 田八反 歩・焼畑 一. 渓流漁拐・採集活動の経験も豊かである。昭和十五年ご. に生まれ育ち 、長く熊狩のシカ リを務めた人 で、併せて. マ栗は春先まで、干し栗は次の年の栗が出るまであった。 ん の代にはもう食べなかった。. 2・根茎類. れに狩猟 ・渓流漁拐・採集などを複合 させていったので. カ タクリは花が終ってか ら 根に玉がつくと伝え、六月. 頃掘り、洗って袋 に入れてつぶしてから搾る。澱粉を採. ある。. H• 河川漁携. り、風邪• 腹痛の時練って食べた。 馬鈴薯を臼で拇 いて. 布 で濾過 して澱粉を採り、餅とり粉や食用にした。善六. 長松の人 びとの主たる漁場は和賀 川本流でも湯之沢 川. l・マス漁. でもなく、 JR北上線和賀 仙人 近くで、和賀 川左岸に注. さんの妻、順子さんは岩手県 紫波郡 都南村からこの地に コロ ( 小 )ともに採取して、よく煮てからオヤツとして. 嫁 いだ人 であるが、 都南では ア マド コロ ( 大 )・ ニガド. ぐ 北本苗 川と当楽 川だった。マスは柳の芽の出る頃雪代. ければハケゴの耐久性がなくなる。 ケラ即ち蓑はマダ即. て、二、 三人 の仲 間 で 漁 場に夕 方到 着 する時 間 を見 計. のようにしてきた。 旧盆前で、出水のひけた頃を ねらっ. 魚の確保だった。昭和 十五年か ら 三十五 年までおよそ 次. (ヤマメ)をも対象とした本格的な渓流漁拐の第一は盆. で 上 った。 マス をメ ルク マー ルと し、 イワ ナ ・ ヤナ ベ. 食べる風があったという。 3 •樹皮. ちシナの木の内皮で編んだ。これも六月中 旬までに剥が. ハ ケゴは山葡萄の蔓皮で編む。六月中 旬までに剥がな. なければならないと言い伝えた。. ら って三時間前に出発する。漁具はカ エリなしの 四本 ヤ. - 98 -. 野本 始原生業民俗論m.
(7) 9巻1号1997.12 文学・芸術・文化. サワ グルミでこれは漁場についてから伐ってつける。夜. スで、幅一 0セ ンチ、 長さ十ニセ ンチ、柄は長さ一 二尺 の. ゴンボ ーマスとも呼んだ。牛 努のように色が黒くなって. た。産卵を果たしたマスを ホッチャ レマスと呼び、また. われた。 正月 用のスシに漬けるためのものだった。. 一の遠出は十月、イワ ナを対象として行 渓流漁携の第―. いるからである。. 一人 当りマス一. ― -本、イワナ・ヤマベ五0匹ほどの漁. 漁であるためカ ンテラを持って行く。 一晩 夜漁をすると. 獲があった。獲ったヤマベを現地で焼いて食べるのも楽. た、なるべく新鮮な魚を持ち帰るために朝 涼しいうちに. であるが、体の熱が魚に伝わらないように注意した。 ま. 一種類 があった。前者は、川 の産卵期の漁と寒中の漁の―. クキ漁は和賀 川で行ったのだが、五月下旬から六月上旬. この地ではウグイのことをハヤ・ クキなどと呼んだ。. 2 ・クキ漁. ―一時間で来ても、帰りは五時間ほど 出発した。来る時は一. る方法とヤスによる夜突漁があった。 ホリバ即ち産卵場. しみ だった。獲った魚は一斗罐 に入れて背負って帰 るの. 、、っ こ° t カ カ マスは一 二枚におろして身は刺身にし、 頭は ニン ニクと. は、 径 一寸 ほ どの 石 を中 心 に、一寸 前 後の石 を積 ん で. ら 長くおけないのだという。盆魚としてイワ ナは焼いて. れずにスシ漬けにした。 麹を入れて潰けると潰かってか. ほどもつという。持ち帰ったヤマベは一斗樽 に 、麹を入. ともある。 麹を入れないで漬けると漬かってからニヶ月. ば川岸 などに魚を追いつめ、そ こで氷に穴をあけるので. 雪を 次々と流し込み、氷の下 でも獲りやすい方向、例え. グイの漁法は、川の中で氷の張っていない所から大 量の. 匹 も入った。この時期のクキはサシミにした。冬 季のウ. 作 った。 ホリバに群れるクキに投網を打つと一度 に四〇. 瀬に高さ八寸 、一 間半に八尺 のホリバを作って投網で獲. 塩を混ぜて 叩きにして食べる。 またマスをスシにするこ. 弁慶 ( ワ ラット)に挿したものを食べ、余りはそのまま. を 「 ジャ ガ ケ」 と呼 ぶ。 冬 の ウ グ イ の 食 法 は 塩 焼 き. そ れ を 獲 る の で あ る 。 こ の い か に も 雪国 ら し い 漁 法. あ る。 する と 、 魚 が 穴から あふ れる よ う に出 て く る 。. ある。この地では産卵期のホリマスは食用としては獲ら. であ る。. 「漆の菓が落ちるとマス がホル」という口 誦自然暦が. に保存する ことになった。. ないがマスの卵を使ってヤマベを釣るという方法があっ. - 99 -.
(8) l. の地では狩猟集団、即 ちマタギの棟梁のことをシカ リと. 対岸山で熊の動き かよく観察できる位置にいて、熊の動. 呼 ぶ か、シカ リかメアテを務めること が多い。シカリは. 当地の熊狩は春熊狩のみ である。春熊狩も四月十 日か. チトが狙撃しやすい位置に移 動するよう大声 で指示を送. きを観察し、熊 かなるべくホ ンマチ トに近づ き、ホンマ. 1•熊猟. ロ・ 狩猟. ばかりの出遊 びの熊を狙 う。春土 用から 五月五日までの. る。もとより、ワ キジ リ ・オイ コと呼ばれるセ コの追 い. ら 春土用までの間は 概ね「捜し山」と称して穴から出た 間が本格的 な春熊狩となる。高橋 さんは、春熊の単独猟. チトに近づ けるよう注意して行動する。熊がホンマチト. 立 てで熊が動くのであり、 オイコも、 熊をうまくホンマ. の位置からそれてカ ミハ ギの方に向かっていった場合 に. と巻 狩を 「雪あんばい」即ち、雪の条件から 次のように 雪の 湿り 気 雪上 を歩いてみ て 雪 が嗚る ( ( 単 独 猟)」 、「. 熊をホ は、 メアテは、カ ミハ ギに対して、声 を出して 「. 伝 え る。「雪上 を 歩 い てみ て 雪 が 嗚 ら な い 時 は 一人 猟 が 増 し て い る 時 は巻 狩 ( セ コ がつ く 集 団 狩 猟 ) を す. ンマチトの 方 へ追い 返せ」と大声 で指 示する。風が強く. 模倣して熊の移動 方向をホンマチトやハ ギに伝える。ホ. て声 がと どか ないような場合 には、 メアテは熊の動作を. ンマチト・ハ ギは、熊の気配のみならず、 対岸 山のメア. る。」 、当地の集団狩猟の布陣は 第 1図の通りである。狩. とをホンマチトと呼ぶ。ホ ンマチトの補助としてつ く狙. やすい位置で、 最も腕のよい猟 師か持つ 。その猟師のこ. テの発する声や メアテの動作にも注意 していなければな. 場の中 心 、熊 が寄る確率 が最も高く、しかも最も狙 撃し. 撃者のことをハ ギと言 う。熊は谷の下流部から 追うので. ンマチトやハ ギが配される斜面の対岸 斜面中央の高位置. 手 ・西低位につ くハ ギをシモハ ギ ・ ニシハ ギと呼ぶ。ホ. 本格的な入 山に際しての豊猟を祈顧する。猟師達は宿を. などを獲り、 血のついたものを山の神様に供え、春 熊の. 時期でもある。マタギ一同 はそ の 日狩に出て野兎• 山鳥. 四月十 二日は山の神祭りの日であり、春熊猟 の 始まる. らないのである。. に メアテを配する。 メアテは山全体のこと、熊の習性な. もちまわりにして宴を開く。. 位置するハ ギをカ ミハ ギ ・ヒガシハ ギと呼び、逆に、下. あ るが、上手 が東に当る場合、ホ ンマチトの上 手低位に. どを熟知していてしかも声の大きい 者 がこれに当る。 こ. -100 -. 野本 始原生業民俗論l 1.
(9) となっている。山で解体する場合 が多かったが 、家まで. た猟帥は大声で「サチオイ サチオイ 」と叫 ぶのが決り. さて、前述の 布陣によって熊を仕止めた場合 、射止め. 艇 に胆汁がたくさん 入っていることを祈る。 肉• 熊の胆. を剥ぐ 。 肉を裂く 前に胆涎の位置の上 に神洒を上げ 、胆. 次に右前 足、続いて左後 足、右 後足の順に刃を人 れて皮. 対 称に. が左右. 月の輪. ら人れ. た 際、血を家に持ち帰る方法として 、腸詰め にす る方法. こともある。血は 油こく 、少し塩気がある。山で解体し. があるとされている。熊 の血は、解体 時にそのまま飲む. が 、必要に応じてこの団子を砕いて粉にし て飲む と効用. 丸餅状に固めて干しあげる。神経衰弱• ノイローゼの者. て 、その粉と熊 の脳味 噌を混ぜて練り 、径 五 センチ程の. 熊 の頭蓋 骨は邸で蒸し焼きにしてから 粉にした 。そし. ように. 割れ る. 中 央か. は平等に分配される。解体が終ると、肝臓 ・心 臓をナマ. 東 上・. メアテ 0. 切り 、. み のする人 などが食べた。熊 の血を吸 わせた半紙は 、紙. のは産後の肥立ちの悪い女性 、血圧の低い人 、立ちく ら. と和紙に血を吸 わせる方法とがあった。腸詰めにし たも. を ちぎ っ て 傷 口に貼 る と 血止 め にな る と伝 えた 。 現 在. 進 め. る。 次. すぎると酔うと言 い 、一度の 分屈は 盃に半分ほ どが適当. は 、血をストー プで乾燥させ 、粉にし て保存する。飲み. 肌まで. に仰位. 当 地 には 、熊 猟 師 につ いて 次の 伝 承が あ る 。. {ノ. '゜. 母. だという。熊の脂は 、アカ ギ レ・火傷 ・痔の 薬になると. にて 左 前足の. 先から 中 へ、. - 10] -. 運ん で解体することもあった。 家ではまず神棚に神酒を. ● ホンマチト. 0 ハギ 丘 ). オイ コ 0. ワキジリ. (万. ヽ_/. 下・ 西. 第 1 図 岩手県楊田町長松 • 高橋仁右衛P'i. さん. の熊狩布陣. で食 べあい、ガラ ( 骨)汁を作って宴会を開く。. ノ‘. あげ猟 のお礼をした。解体に際し て は 、まず刃物を顎の. ガ ミ. シハ ハギ ギ. 晨. ヒヵギ. ― / �. 9 巻 1 号 1 997. 12 文学 ・ 芸術 ・ 文化.
(10) 熊を隙つと 仔 か親 に タノ ッ ク (し がみ つく) 。 そ の 様子. ロ ・採 集. シダミ(ミズ ナラ)を採取し、よく干してから 臼で掲. m ・シダミ. 1・幣果類. 続けるかの分かれ道だ。 ここで銃を捨てることができな. を見れば誰でも心 を打 たれる。その時が猟 師をやめるか ければ一 生猟師を続けることになる。. き、 皮を除く。実を粉化し、桶に水 を張って 澱粉を沈澱. なめ. 猟 に出る時は犬の皮を背皮として着 た。犬皮を鞣すに. さ せた。 澱粉ができると、小麦粉 と混ぜて団子にしてか. ②•栗. らスイトンに人 れて食べた。. 個人 持 ちの 雑 木 山が 二 0 町歩 あ っ たの で 栗 は そ こで. はコヌ カ を炒って脂を除くという方法をとっ た。戦前は. くてよ か っ た。 戦 前 は 冬季、 犬 の 背皮 を 着 る老人 が多. 拾っ た。九 月下旬、夜 強い風 が吹くと 翌早朝カ ン テラ を. 栃の実は保存か効くと言 われ、高橋 家には十五俵ほ ど. ろに出るが上の方が早く、徐 々に下へと 下った。ワ ラビ. 山菜の採取も盛ん だっ た。ゼンマ イは雪崩のつくとこ. - 102 -. カ モシカ の皮を 背皮 にし た。猟 に出 て山で泊るとき暖か. か った。マタギは狩猟 中 メア テの 指示とオイコの追 い声. •大 豆 ・昆布•山百合 の根 ・シ ミ 大根 ・牛芳を煮つけた. 以外は声を立ててはいけないので、意 思 伝達には 「 オソ. 高橋 さんは熊の他に 、兎 ・雉 子 ・山鳥 ・バンドリ(ム. ものを食 べた。九 月 十三日の栗名月には栗を一升枡に入. 持って栗拾いに出かけ た。毎 年二俵 ほど拾い、土 の中に. ササビ)を狩猟対 象とし た。中 で、 バンドリは皮が高値. れて供える。. り の 雲ぎ れ を よ し と し て 行 う の で 、 旧暦の 卜 日から 二. りうまい時期だとされ た。肉は香ばしく、シミ大根 ・ナ. は五月 下 旬から八月 下旬まで採れ、同 じと ころで何度も. 2•山菜とキノ コ. 貯蔵されていたが仁右エ門さんの時代には食べなかった。. したり 、 ソバの出 しとして使 っ たり し た。. マ人根とともに煮て食 べた。雉子 ・山鳥の肉はサシミに. のであるが、ト一月から一月の間はムササ ビの 肉が兎よ. 十日の間に出猟し た。皮を売るためにムササビ猟 をした. 2• バンドリ猟. で た れ た。ム サ サ ビ猟は 月光を たよ り に 、 し か も 薄 蛤. を立てる」と称して 口笛で合 図をし た。. 野本. 埋 めておき、必要に応じて出して 食 べた。正月には、栗. 始原牛業民俗論IU.
(11) 9 巻 1 号 1 997. 1 2 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 闘・ 焼畑. 焼畑は毎年 一反歩ほど拓いた。夏の土用前にヤプを伐. だと 言うが、 最 後. には細くなるともいう。同様にキ ノ コ採取も盛んだか 、. ソバ、 二年 次•三年 次に大豆•小 豆を栽瑞した後休閑さ. り 、位 燥 さ せて お いて卜 川に 火人 れをし た 。 一年 次に. 採れる。そ れは、「畑の ようなもの マ イタケにはシロ ( い 千代 ) ・ トラ ( 中 牛) ・クロ (晩 生). 圃•山の神祭り. し た。. せた。なお、定畑では赤蕪•白無•大 豆 ・粟などを栽培. などの種類がある。サワモ タセは丁度稲刈りの時期と重 なる。. 3 ·加 工素材ほ か. 四月+二 日に春熊の山 入りともいうべき山の神祭りが. 樹 皮 や 草 木 な どの加 工素 材 に は 次の も の が あ った 。 プ ド ウ 蔓 • ア ケビ 坐は ハケゴ 用 、 マン ダ ( シ ナ) は ケ. あったことにつ いては先 に ふれた通りであるが、当地に. 月 十 二 日・ 旧暦八 月 十 二 日・ 旧暦ト ニ月十 二 日がそ れ. おける山の神祭りはそれとは別に三 回行われる。 旧暦六. 系 の 素 材 、 ウ ル カ ( ウ リハ タカ エ デ ). i座. で、 し か も 、六 月 十 二 日は 山 の神 が 田の神 に 転 換す る. も 簑の 素 材、菅 •岩菅 は 縄の 素材であ る。. ラ ( 簑)、 莫. 馬料 の萩刈りは九月中旬で、実が人 る頃のものが良い. 日、ト ニ月十 二日は 田の神が山の神にもどる 日だと伝え. と さ れ た 。 屋 根葺 素 材 の 萱(薄)は、九 月下 旬 以 降 に 刈ったが、遅いほ ど根が強くなると伝えた。菩場はムラ. ている。長松では、その十二月十 二日に 「 裸参り 」と称. して男達が 真裸になって川に入る儀礼があったと伝えて. いる。これは、単なる水垢離ではなく、猟期に先立 ち、. 4•根茎類. 共有地で八町 歩あり、 五月末に火人 れをした。 萩を刈る草山に山百合 が牛えた。山 百合の根は 、秋、. たと考えられる 。 因• 閲辿資料. 猟 師達が豊猟 を願って山の神に男根を呈示する儀礼だっ. 湯田町 甲子出身で現在沢 内村太 田に住む 照井 次雄さん. ら採った澱粉 のことをネ バナと 呼 ぶ。葛根掘りは仁右衛 門さんの父兼古さん ( 明治 .. | 四年牛まれ)の時代まで. ( 人IL.が冗守まれ)の体験と伝承を以下に参考資料とし. 葉が落ちて茎か 立 って残っている頃に掘った。葛の根か. あ ったという。. は盛ん で、ー ネ バナ 一升と 米 三升’と いった 交換 比率 が. - 1 03 -.
(12) 一十一 円か ら 三卜 日の間 は兎と紹を対象にした。鉱 11 ヽ.. 日 か ら 二十 日の間 に 行った 。 し た か って 、一 日 から 九. 父勇 .郎 明 ( 治卜年生まれ)の時代には和賀川右岸注. れなくなったものだという。当時、 バン ドリ一匹 の皮の. 山で働いていても、 旧暦十 日をすぎるとじっとしていら. て記す。. という。 甲子には甲子鉱山という銅の鉱山があり 、次雄. 値 段 が 鉱山 の 日当 の 三 日分 に 当 った という。 照井 さ ん. ぐ支流筏之巣 川にもマスか 潮上し、 それをヤスで突いた さ ん は青年 時代鉱山で働いていたが休み の日は狩猟 ・ イ. 跳躍をして寝床 へ入るものだという。 豹を獲るには、夜. 己の姿を隠し、外敵から身を守るためにト ッパネ という. は、獣のト ッパネ ( カ クレ 足)について語る。獣はみ な. 二寸 、柄 は鉄で 四尺 だった。六 . 二本 分 、長さ は一 幅 は指 一. のトッ パネの幅は約 三尺、平均 二、三跳 ねする。兎は幅. 雪が降 って朝 あがった 、という状態 が良い。そんな時紹. イ ワナ漁はヤス突きで、ヤスは、カエ リなしの 四本 、. ワナ漁• 山菜採りなどに精を出した。. 七•八 月に獲り、食 法は、麹人 りのスシ漬けまたは串焼. 四尺、熊 は 五尺だという。兎狩は ト ッ°ハネをたよりにし. 醤油つけだった。狩猟 対象獣は、熊 ・バンド リ ・兎 •豹. だった 。熊 狩は、 ま ず 阻月の初 めに 単 独 猟で穴 熊 を 狙. ある。 兎は皮を売り 、肉は食べた。 内臓のことをウチと. て行う単独猟 と、ボ イコとプチ テが組んで行う巻 狩とが. 五、六人 で行った。出熊は、穴から出た日から Hごとに. い、 次い で春 土 用過 ぎ に 出 熊 を狙 った。 出 熊 は巻 狩 で. 呼ぶのだか 、肉とウチ、それにシミ大根を人れて長時間. 時代は舶用食 品としてゼンマイの需要が高く、仲買人 が. 踏む 範囲を仏けてゆく。布陣は前述の高橋さんの場合 と. 前金を置 いてゆくほ どで、ゼンマイ採りのために田植が. かけて煮るのがよいとされた。熊の肉はナマでも食べた. んな時 に は米・味 噌を持って行った。雪の消えたところ. できないほどだった。 ゼンマ イ採取の季節には飯を炊く. が牛芳と煮るのがよいと言われていた。 照井さんの青年. で天然 を ワサビ を 採 り 、夜味 噌で揉 ん でおい て朝 食 べ. 暇がないの で アマ イコで済ませた。 アマ イコとは、粥の. 熊 の共同狩猟を行う際には山に泊りこむことがあ り 、そ. た。 照井さんの青年時代の猟 期は十月十五 門から で、そ. 中 に麹を混ぜたもので 、照井家では、六升鍋で アマ イ コ. ほ ぼ同じである。 皮 ・胆は金にかえて平等に分配した。. バンドリ猟は夜間 、月光を頼りにして行うので、 旧暦 十. の 日か ら 二月までは、 バンド リ ・兎•紹を対象とした。. - 1 04 -. 野本 始原生業民俗 論 III.
(13) 9 巻 1 号 1 997. 12 文学 ・ 芸術・ 文 化. うにして 田に水を迎えるか 、その稲作灌漑技術 ·設備に. たため上ってこなくなった。稲作 にとって欠くことので. はまことに多様なものがあった。佐藤隆 男さん 達が、 鳥. きない水をどのようにして田に引くか 、河川か ら どのよ. シ ダミ・栃の実は俵に人れ て保存した。ともにアクヌ. を作 った。他に、コゴ ミ・ ワラビ・ ウド・スドケ・ ホン. キをして餅にした。シダ ミは、碩き臼で粉化した。プナ. 海町 牛越の 田に笹了川から水を引くために川の流れの中. ナなどの山菜 も採 取した。. の実はナマで食べたり、干して お いて炒り、菓子の代り. シ バナ ガ テ」と呼 ばれるものであっ に 設誼した設備は 「. 牛越は 笹子川ぞいの稲作のムラ で戸数は七戸である。. 四 •秋田由利郡 鳥海町 牛越 l 子吉川水系 笹子川. セ ンチ、長さ五尺ほ どの栗または楢 Ti れ るもので、径 一F. わせによって作られていた。その ―つは ヨツ ワクと呼ば. わすための堰のことで、それは、 二つの構成物の組み合. た。シ バナ ガ テとは、流水を堰き止めてその水を田にま. に食 べたりした。. 同地の佐藤隆男さん ( 附和 三年生まれ)は稲作 のかたわ. の真直な丸太を 四本 用意し、それ を五尺平方角 に柱のよ. 楢の貫を通して柱を 二本ずつ繋ぐ。さらに、その二本ず. ら河川漁榜にも力を入れ てきた一人 である。同家に伝 承. つの柱を立 方状に固定するために、員の位置が重 ならな. うに配し、柱の上下か ら おのおの一尺の位置に栗または. 牟良君』にみられる行事と一致しており、それ は注目す. いようにしてあらたに井桁状になるよう貰を入れる。こ. され る稲作関係の年中 行事の多くが菅江貞 澄の 『 比 遠能 べきものである。そうした、稲作 民俗を確かに伝承する. うして概 ね五尺 立 方の木の骨組ができあがると上下二 本. の貫に栗または楢の杭状の棒 を縦に並べて隙間 な く結わ. (4 ). だったことも注目される。以下は佐藤さんの体験と伝承. ムラで、 一方においてマスを中心 とした河川漁携が盛ん. による。. えつ けてゆく。このような構造物を ヨツ ワクと 呼 ぶの で. るのである。牛越のシバナ ガ テでは川幅内に ヨツ ワク を. あるが、尖際にはこの枠の中に石を詰めものを指してい. マスは雪代水の中 を潮上してきた 。昭和 四十五年まで. ー ニ個設ける。シ バナ ガ テを完成させるためには ヨツ ワク. 1 •稲作 収水堰堤 ーーシバナガ テ. H•河川漁榜. は樵獲することができたのだが、それ 以後は堰堤ができ. - 105.
(14) シ バ ナ ガ テ ・ ヨ ツ ワ ク の残骸 ―秋 田 県鳥浦町牛越 • 笹 子川 一. と ヨツワ クの. きの必要がなくなると、柴を除 き、水を放流し てシバナ. 作 成を行い、田に水を引いた。そして、九 月上旬、水引. ガ テ の 役割 を 解 く の で あ る 。 柴 垣 の 部 分 は 仮 設性 が 強. 間 、 ヨツワ ク. と岸の間を柴. く、毎年 とりかえることになっていた 。写 真②は牛 越 の. クの残骸であ る。こうした水 田灌漑の 設備や慣 行に関す. 笛子川に佐藤さん 達が敷設し たシバナガテ、そ の ヨツワ. る調査は決してじ ゅうぶん行われてきたわけではない 。. を止めなけれ. ばならない。. そ うした中で湘漑の近代化が進み 、土 着的な 工法 ・慣 行. 垣で慇ぎ、水. 長さ四尺ほ ど. が忘れ去ら れてゆくのであ る。. 又の部分を川. 春マスの季節であ る。マス を主体とし て見れば、 シバナ. マスの渕上 期と一致する。マスの味 か最も良いとされる. であ る。シバナ ガテを設置する季節は四月末、そ れは、. - 1 06 -. 垣の支柱には のウルシまた. 2・ シバナガテとマス漁. 底に固定し、. ガテは、マスの潮 上を 阻む障害物にほかならない。マス. さて、長 々と シ ハナ ガテに関して述べてきたのは、当. はクルミ の. マッカ を三 尺間隔ほ どに立ててゆく。マッカ とマッカ 、. は当然 、シバナ ガテの下のたまることになる。そ のよう. マ ッ カ (又. マッカ と ヨツワ クの 間を二本の横木で固定する。この横. 地のマス漁がこのシバナ ガテと深くかかわっているから. 木に柴をビッシリと隙間 なく括りつ けてゆく。こうした. な春マスを獲る方 法 が 二つ あった。そ の 一っは投網であ. 木)を使 う。. 柴垣を 二重 二重 に董 ねることによって止水効果を高める. 、長さ �げ という巨大な が中心 である。ドウは 口径 一2い. 答)だった。両者のうちではド ウ り、いま ―つ はドウ (. もので、女竹を縄で編みつ けたものだった。そ のドウの. 備であり、マッカ も耐久力がある。毎年、代かきが始ま る前の四月末 日にム ラ中 総出で ヨツワ クの修理、 柴垣の. のであ る。シバナ ガテの中 で、 ヨツワ クは長期 耐用の 設. ▲写真②. 野本 始原生業民俗論 m.
(15) 設置位置 は、シ バナガ テの岸杏り真下 で、 口を下流に向. る共同 春マス漁が可能になったのである。. げることはできず、三、 四人 であけた。獲物は必ず毎日. 毎日あげてみ るのが常だった。マスが人 ると二人 でも上. かけた。シ バナ ガ テがあっても梅雨期の大 水などではマ. 間に、笹子川上流部の清水 淵• 研 世子方面 へ夏マス漁に出. 第 1表にも示した通り、 七月下 旬から 八月 末 日までの. 3• 夏マス漁. 分配した。公平を期するためにマスを切り分け、紙引き. る。清水 淵までは ―ニキ ロ、笹子までは一七キ ロもあっ. スは上流に 洲上し 、山中の渓流で産卵にそなえるのであ. けた。牛 越七戸共 同で、 二個のドウ を仕掛けるのだが、. ス漁が稲作灌漑の シ バナ ガ テと深くかかわっている点は. 庭. X - i. -. A爪 ー_↓WV. m 7、 v. l. ト. 7'. 翌 _ ↑>. ↓ 収. ―. 一. →. →. 十. -. 一. [. →. H8. H8. [. HI. 叶. 辻`. K. K. ド'. ド. ド. 廿. 合(. g\ 忘 疵. K. 淀. た。 里から山中 へ夏マスを求めて分け入ったということ. 虐 ↑v. 一. 7 mト 上爪小_ _ _. Ar. ―. _. _. 小. 7. V. H. ぶ. 見逃し難い。シ バナ ガ テの存在によ って初めてドウによ. I. ← , -4 、 ヤ _ 八 _ - m卜 , 八. -. ー ミ9" , ;↑. +. -. ―. 八. 9. _ 心ュ. く. > -. T. Z, 4‘. ―. v. ― 詈 ―. ― 咲RD = ) ミ 初Hi 姦_ 濫 送 ・證 " 一 71[11 逹 虚. 堅 u― X咲 料 [渫 8 l. ['--... /ヽ. ド. ギ. 心. - 1 07 -. した。勝った者 が頭を取るのである。牛 越における 春マ. 一. ―― _ ― ― ― ― ― ← ヤ ← ― ― ― ー. 什. 位い t4. _ 一 7�ドそ N4. 叶q小 ↑ー立 _. 一 川卜 上. [3'6. 川4 hャト ・m卜 ' -.K 4' 沢 -. I HI. ( や 冊近 g苫 咲智 ) 零 4要 一 ― =足S ( tk悩糾 出. �. I {\. □ 口門 _ 皿. →---. 9一――. し← —← —一. ふ. 9 巻 1 号 1997. 12. 文学 · 芸術 ・ 文 化.
(16) マ ス突 き ヤ ス を持つ 佐藤隆男 さ ん. 牛越 まではサケも潮上した。九月下旬から十月 末 日ま. での 間オチ ア ユを 対象とした梁を掛けたのであるが、そ. 投網などでサケを獲った。. の梁にサケがあがった。 十 一月の上旬にはヤス ・カ ギ・. この地ではウグイ のこ とを ザッコ と呼ん だ。「スモモ. の花が咲く とザッコが ホル」と伝え、四月下旬から五月. 上 旬 に か けての ウ グイ の 産卵 期 に 投網 で 獲った 。 浅 瀬. に、カ ケと呼ばれる産卵床を作 った。カ ケは、 一間 四方. に高さ一尺 ほ ど砂 利を積むのである。 産卵のためにそこ. に集まるウグイのことをカ ケザッ コと呼び、それを投網. で獲った。焼いて食べることもあったが、サッコナ マス. 同地の豊島利吉さん (大正三年 生まれ)によると、マ. になる。山へ の交通手段は、初めは徒歩、次は自転車、 出かけたのである。山へは、六、七人 の仲間 で人 った。. スの尾鰭を V字型 に、 尾を上にして流し場の桁に並べて. と称して酢味 噌で食べることが多かった。. 上流 部に巻 網を設置し、網引き役を二人 つ ける。水中 眼. と呼ばれる一 屈余のマスを獲ったこともあったとい う。. 貼りつ ける習慣があったという。また、マスの オオス ケ. と合 して赤 川となる。現在、朝 日村七 五三掛に住む 渡辺. ( 九九 一、二 討)東斜面などの水を集めて落合で大烏川. 梵 字 川 は 協 殿山 (1H O O認) の 西斜 面、 八 久 和 山. 赤川水系梵字川. ながら 追い込むのである。 ャスは三本ヤス、幅 六セ ンチ •長さ― ― ―セ ンチ (写 真③)である。 獲ったマスは塩漬. 4•秋マスその他. •味 噌潰にした。. 五•山形県東田川郡朝 日村三栗屋. 鋭をかけヤスを持って潜る者が 四• 五人 、ヤス突きをし. さらに自動車へとか わった。投網•巻 網 ・ヤスを持って. ▲写真 ③. 「漆の葉が赤くなるとマスが ホリホル」と伝え、この. 秋マスは投網で獲った。. -- 1 0 8 -. 野本 始原生業民俗論 m.
(17) 渡 辺家 へ入婿したのは昭和一六年のことであった。三栗. 亀吉さん (大 正二年 生まれ )が同村 一 二栗屋の佐藤家から. 子(船 頭 ) 、 一人 が艦、 一人 が紬に乗 って枠を使い、 ニ. 艘あった。マス舟一艘には五人 がかかわった。 二人 が舟. 水マス漁 と があった。 昭和初年、 三栗屋にはマス船が二. 象として舟で行う投網漁と、夏 マスを対象として行う潜. 人 が網打ちを担当した。舟には綱がつ けら れており、 残. 屋は梵字 川ぞいにあり、戸数 一六戸、農業と養蚕に力を. 10 年 ご ろ、 水 田 一 町 三 反 歩 ・ 定 畑 六 反 歩 • カ ノ. をした。亀吉さんは、 大正 末から 昭和初年 にかけてその. りの一人 が岸の岩などの上に立ち、 綱を持って押し出し. 入れていたか、 河川漁拐も盛んだった。佐藤家は、昭和 ( 焼 畑) 一反 歩を作る農家で、 併せて養蚕にも力を入れ. ド. ヽ k ド 合` / H\淀疵. k. 4. 経験豊かな長老がマスの集まる場所に見当をつ けて網を. つ は夜である。夜の漁は、 暗くてよく見えないの だが、. を出しても危険がない という状態の 昼、 そして、 いま一. 種 があった。増水し、 川 が濁った後、川に舟 昼•夜の 一.. 押し出しをしていたのである。舟を使ってのマス漁には. ていた。亀吉さん は入婚前、農業のかた わら 河川漁榜に. も力を入 れた人 である。以下は、亀 吉さんの体験と伝承. ―. HI. - 10 9 -. による。 H・マス漁. ― 二栗屋のマス漁には、第 2表に見る 通り、春マスを対. Kギ . 乙 -. >_. 八_ > ハ K4 .$ [ \ ・ - K4 .0迄} _ ―. _ 八. ―. _. ―. 一. HV [ H8 [ H8 [. ミ、. 1•春マスとサナプリ. m4 _ _ _. -m卜' -・至. 一V. 「. ベ キ ・妥ほ. ―巳. m卜 '•安 Y ―門 □. 1. ―八 門 co-. _ i桜祖K)総要一 ( [ 母忌品Ro 定Q ( tF悩岨母 8届K)2 ( 、初梱紆図超 ・諏丑墜朕川認 m蓉配1 淫二 1 照 8総. [:{ 6. に こ □ 口[]g. 八 「. I U8. 十、 キ. �. ァ、. ふ. 9 巻 1 号 1997. 12 文学 ・ 芸術 ・ 文化.
(18) ス) 。柄は、鉄で、長 さ 二尺の もの をネ ジで六 尺につ な. と カ サ か ヤス が 離 れ る よ う に な っ て い た ( 離 頭 式 ヤ. セ ンチ、カ サにはゴム紐と麻紐がつ けら れ、マスを突く. ブリには必ずマスを食べることになっていた。佐藤家初. は、幅― ニセ ンチ •長さ一 五セ ンチほどのカ エシつ きの. げるようにしてあった。岩穴の中に隠れたマスを突くの. 初マスは必ず家のエビス様に供えた。田植終了のサナ. 打つというものであった。. てきていたのでその早乙女達にもサナプリにはマスを食. ャスで、柄はナラの木 •長さ三尺 ほ どだった。. め、どの家にも山手のムラから 万、八人 の旱乙女か やっ べさせるのが常だった。一六戸の家の家族と 早乙女達が. マス のホリは一 0月から ―一月上 旬までだったがホリ. 3 ・ ホリサケの囮漁. なうことができた。マス舟に参加 していない家では、漁. マスは獲ら なかった。 三栗屋あたりまではサケも潮上し. - 11 0 -. 食 べるマスの総量は大鼠に 及んだが二 艘のマス舟でまか 師から サナプリのマスを買ったのだった。春蚕の棚上げ. 使 って獲ったのであるが、それは、 匝を使って獲る方法. たが、 マ ス 11八 に 対 し て サ ケ II二の 割 合 だった 。そ れ. であった。この方法を展開するにはまずサケのホリバ即. も、大正時代から 昭和初 年までのことで、サ ケの ホリは. 頭を 庖 丁でハ ヤシ ( 細かく 刻む ) て ニラ. ガラ H ー し叫や 廿ま です ぺて 入 れて 作 っ た 味 噌 汁 ・ ヒ. プリのマスは焼くか煮るかであったが、煮る場合にはネ. ズ ナマス. ち産卵 所を人 工的に 設置することから 始めなければなら. の範囲に設ける。径四\ 五セ ンチほ どの天然の砂 利を生. ない。 ホリバは、 川岸に寄せて幅一間 半、長さ三間ほど. 七月下旬から八月末 日までの間 は夏マスを獲った。漁. のところ の 二間ほどの間 に大石を牝べ、石の頭が水面か. ら一0セ ンチ程巾るようにする。あらか しめ牛けどりに. かし、水 深尺 五寸 ほ どの深さで平らにする。最も岸寄り. 人 が上流部からセ コになって追う 力法だった 。この時使. しておいたオスのサケの恥に麻糸を通して牛の島輪のよ. 現)して獲る方法、 二人 が下流 でヤス を持って待ち、四 ぅャス は、 二本 ヤスのカサ ヤスで幅八セ ンチ、長さ一八. 法は淵に入っているマスを巻 狩のように( 亀吉さんの表. 2• 夏マス漁. は七月上旬だったが、その折もマスか 求めら れた。サ ナ. を混ぜ酢味噌で味 つ けしたもの、などがあった。. JO月上旬から― 一月末日まで、その間 主として投網を. 野本. ギを人 れた。その他、マスの食法としては、サシミ・ ド. 始原生業民俗論Ill.
(19) 9巻 1 号 1997. 12 文学 · 芸術・文化. オス の サケをホリバの中に泳がせておく 。こうしてメス. うにし、それに麻糸をつ ないだ。一 間余の麻糸の端を岸. る魚の群のことをス ダチと呼ぶ 。ホリマスはヤスで突い. オス をはじめ、ヤ マメやイワナがつ いた。このように集. 秋の彼 岸頃マス かホリにつ いた。 メスのマスの周りに. 海 へ 帰れ ば 尾鰭がなく なって いるもの が多か った が 、ぷ. た。産卵後のマスのことをホッ タレと呼ぶ。 ホッタ レは. 側の上流部の大 石または杭などに結びつ ける。そし て 、 を呼び寄せて投網で獲ったのだった。サ ケは 、味 噌の 一. 2・ヤマ メ・イワナ漁. いなかった。. 直る 」と いう言い伝えもあった 。ホッタレを食べる者は. 夜づ けにして焼いて食べるのが一番うまかったという。. ノ戸川. 六• 福島 県 耶麻郡 山 都町 高 野原 ーー 阿賀 野川水 系 一. ヤマ メ・イワ ナは雪どけ水が終ると太った。 藤の花ざか. ヤマ メ・イワナは五月から九 月中 旬にかけて釣った。. りには花に虫 がつ く。その虫が落ちてくるのを待ってヤ. 以下は同地の佐藤不二 男さん (大正 二年生まれ)の体. H・ 渓流漁榜. マ メ・イワナが跳びあがった。川へ 入ると魚に足を喰 わ. 験と 伝承である。 l. マス漁. のよい者 は鶏の腰の羽を使って作った毛針を使 い 、視力. の 落ちた 老人 達は ミ ミ ズ を 餌 と し て 釣 った 。ヤ マ メ・. れ るのではないかと 思 われ る程魚が多か った。若く て眼. イワ ナ は 焼 い て 食 べた が 山椒 の 葉を混 ぜ て 塩 漬 けに も. マスのこ と をヒメマスと呼んだ。最初にマスを獲った. 潜水 で、カ ギまたはヤス漁だった。マス は腹をさわって. 発電所ができたのでマスか潮上しなくなった。夏マスは. した。. のは十八歳の 時で、 一 十 二歳までマス を獲った。以後は. も逃げないが背中にふ れるとすぐ 逃げた。カ ギは幅 二 寸. だ。藤の 花の盛りがアカ ハラの産卵の盛りである。夏は. 屁) と 呼 ん ウ グ イの こ と をア カ ハラ また は フ ェー (. 3 •ウグイ漁. はど だった。潜水に際して は 、水中 メガネをか けた。夏. で返し かつ いており 、幅 斤寸 、長さ六寸ほど 、柄は五尺. 投網で獲り、冬は 川虫 ミミズ で釣った。カジカ は八月 、. h分ほ どで柄は一 f尺で桐の木で作った。 ャスは三本ヤス. マスは切って串焼きにした。. - 111 -.
(20) " IVという大きなも. Iv•長さ 二. し、かつては多様な生業を複合 させて暮らしをたて た ニ. 岸、 栃 尾の 合 流 点 か ら ニキロ ほ ど下 った と こ ろ に 位置. 神通川となって富山 湾に注ぐ 。上宝村 田頃家は高原川右. 宝村栃尾で合して高原川となり、それは、宮川と合して. 源とする前田川と乗鞍山塊の北斜面を水源とする川が上. 柏 ヶ岳 ( 三一八〇屈) 西南斜面、穂高山塊西斜面を水. 神通川水系高原川 七 ・岐阜県吉城郡上宝村田頃家 ー ー. 半月で、その 間、セ ギとウエの管 理は 言い継ぎ、交替で. ウエを設置する期間は五月末日から 六月一五日までの約. いたのである。そ れは第3表によっても確認できよう。. ず、焼 畑を中 心とした畑作 物の蒔きあげの祝いを兼ねて. だった。六月 五日は単に月遅れの端午の節句にとどまら. つ け て 食 べた 。 そ し て、 残 り は 切り 分 けて 分 配し た の. あり、そこ でマスを共食した。切り身を焼 いてタマリを. 端午の節句の御馳走だった 。六月五日にはムラの宴会が. ある。ウエに入ったマスの第一 の使 用目的 は、月遅 れの. ので、こ れを二個作り、 口を下流 にむ けて設置したので. て藤坐で編ん だもので径 り. 五戸 のムラである。第 3表は同 地で長く 始原 的 な生業を. 112 -. 夜ヤスで突いた。ア ユは七 ·八月に友釣りをした。. 続けた故消水牧之助さん ( 明治 四0 年生まれ)の生業 暦. などの雪溶けの水が下り、それが梅雨と重 なり、川の水. 行われた。何ゆえにウエ漁を六月半ばを以って終えなけ. H・ マス漁. 量が極度に増すからである。北ア ルプス の山々 は田頃家. である。以下に、この生業暦にそいなから 牧之助さんの. 高 原 川に マス が 潮 上し て き た の は大正 九 年 ま で だっ. の人 びとに様々な影楔を与えた。雪溶け水 もその―つで. ればならないかというと、六月半ばから槍 ヶ岳•穂高岳. た。栃尾の合流 点がウ オガエシ ・ウ オガエ リなどと呼 ば. あるが、方名を硫黄 ヶ岳とする焼岳は大 正九 年の大水害. 体 験と伝承を記す。. れるマスド メだった。マス漁は共同 漁榜と個人 漁 携かあ. 北から 南へ流れれば天気が悪くなる。雨降りが近くなる. 煙を天候の指標とした。煙か南から北 へなびけば晴れ、. 各戸 から一名が出て堰 •ウエの準備、設置をした。堰と. と煙が多くなると伝えた。牧之助さん は雪代の箪は次の. の前、盛ん に噴煙を発していた。田頃 家の人 びとはその. ウエは第 2図のように設置した。ウエは女竹 を素材とし. り、 共同 漁榜はウエ ( 答) 、 個人 漁 榜は投網 だった 。当. 野本. 時田頃家の前の川幅は一六間と言 われていた。五月末 日. 始原生業民俗論 [[!.
(21) ④焼. まで迎えに出た。親が買ってくるみ やげの黒砂糖をもら. q. 四fl rl に ラ の 旦那衆 は 正月の買いもののために神岡の 四. ③ 涸沢岳. 順だったという。 ①槍 ヶ岳. 出かけた。正月用の買いものの中にシオ ブ リが入ってい. ②穂高岳. 岳、そして、乗鞍の四 ッ岳の残雪が馬の形になったら苗. た。帰りは午後八時 ご ろになるのだ が、f供達は笹島塙. ハ月のマスの他、九 月ド旬から 'O月にかけ マスは、」. 代を作 るとも伝える。. が一 ―一人 いた が、熊の 肉は ムラ中 にゆきわたった。熊の 肉. う楽しみ があったから である。迎えに出ることのできる. は雪の中 で凍らせて保存すれば四月中 旬までもった。そ. 漆の葉が赤 くなるとマス が フケ ル」と 言い伝えた。産 「. あ っ た と い う。 マ ス の 頭 は. の熊の肉も飽で突いたのである。熊の 肉は食 べす ぎると. 子供は 五、六人だけだった。正月 川の シオブリの 頭もナ. 「 ナマスカ ンナ 」と呼ばれる. マスカ ンナで刻まれたのである。当時、田頃家に熊猟師. 飽で細かく削ってから 大根・. 酔うと言 い伝えた。. べる風もあった。一番遅くは、明治 節の頃拾 ったことも. 人 参• 里芋な ど と煮て 食 べ. ネをはめこんだもので、これ. 寸 x尺五寸 の朴 の台木にハガ. た。ナマスカ ンナは 四寸 Xニ. である。. り、しかも、儀礼食とし、頭まで有効に利用していたの. の人 びと が毎年時を定めて渕上 してくるサクラマスを獲. 宮山湾から約 八0キ ロ湖卜した、椋高七fi o認 の ムラ. マス以外には、六月上旬、オチバ エと称する三年 目の. を平桶の中に立てて突いた。. 刃は 鍛 冶 屋 で 打 っ て も ら っ. 猥った。これを釣るこ ともあった。 五月四 [は山の神が. 畑 や田に下る日だとして、この日には朴 の菜に焼いたオ. マスの子 ( 体長約五寸 )が梅へ下るとこ ろをサカ ウエで 頭•熊の肉・カ モシカ の 肉・. チバ エの笹巻きを盛ったものを 二_ つ作 って田の 畦に供え. た。ナマスカ ンナで突いたも. 兎の肉などだった。焼 畑の出. た。牧 之助さ んの少年 時代、清水 家には 一畝の 田があ っ. のは、マスの頭の他、プリの. 作り小 屋では蛇で刻ん だ。 ム. 1 13. 卵を終 えたマスをオオザ レマスを呼び、これを拾って食. l. 水 流. 岐阜県上宝村田 頃家で行われた 春マス用の答 第2図. 9 巻 1 号 1997. 1 2 文学 ・ 芸術・ 文 化.
(22) 始原生業民俗論 川. 岐阜県上宝村 田頃家 ・ 清水牧之助 さ ん ( 明冶4 0 年生 ま れ) の生業暦 (大正末~昭和初年). 第3表. 1 月 1 2 月1 3 月1 4 月 1 5 月1 6 月1 7 月. 生業要索/月 マ ス 揆. 闊. ウ. チ. オオザレマス オ チ バ エ イ グ コ チ. チ. 卜 堅 ク 木 果. リ ラ. ナ. ャ. ヵ. ク ル ミ 実 の ヤマプ ドウ 他 ヤ マ ズ ミ. 山. キ ノ. 集. コ. コ. ゴ. ヽ. ゼ ン マ イ ビ ワ ラ マ イ タ ケ. モ 夕 セ ヤマ ド リ モ タ セ. ノ ド ヤ キ 植繊 イ ラ ク サ ナ 維 シ 物 系 ヤマプ ドウ. 根 茎 卜. 燃 料 ハ. 下 準 伐. 底 '"'. ナ. コ. ル. 刈. ロ. キ. .. I I I. ア ミ I. 人. 瑞 大 小 牲. 半栽培 山. 蕪 麻. ' ' 'I I I I. '. I. '. I. ,. ' ' , '. '. , I I. , I. '. 椒. , ' , '. ' , , I. , ' ,. ' ' ' I I. I I. ウ ェc,, .-.. ' '. I. , '. ' I ' I. I I. '. I. ' '. I I I. ' , '. '. ' , ,. I. ' I I I. '. ,. ヽ. ,. 豆 豆 麦. '. I. れ. ^. 雙. ,. '. 備 刻み ・ タ ナ. 火. I. り 木. 稗 粟 黍 焼 栽 カ ラ ベ ー ギ. 業. ,. ノ ボ リ マス. イ ワ ナ ・ ヤマ メ キ ジ ・ ヤマ ド リ I、',1 ボイ1: ウ サ ギ ウ サ'ギボイ,!,. の. 野本. ,. ' I. '' , I. I I. ' '. ' '. '. I. '. , , '. I I. I. ' '. '. ' ' '. I. ,. ' ' , , '. ' '. '. '. '. I. ' I. ' , ', '. :. I I I. , '. I. I. , , ,. ''. ' ' ' ' ' '. ' '. <". ’←» , ' ,. , ' '. I I. ' ' I. , ,. I. ' , ' ' I. I. < •. «—_ ,,. '. → 'i. '. + 1i.. '. ' .. ,, .,.I; 11. ' 'I 酎 1i.. .,i、,;'',. ' . .. !, 11. I. `,i.li'. '. ii#. >. ' ' ' ' '. ' I. '. I. , ' ,. , ' '. ,. I I. ,<. ' '. ,. I I. ' '. '. ' ' ,. '. I. ,,. I. ' ,. I. ,. I. ' ' ,'. I. I. I I. '. l. ,, ,. , ,. I I. ' ,. I. I I. ' '. ’. > I I I. , ` '. '. ' ,�. '. ,. I. ' ,. ; <. .—. ,. ' '. 雷. I I. 9. I. < —>. '. ' �,I ,. ,, �v ,,,. ' ' , ' I. '’’. ' I. '. I. I I. , I. ' ' '. I I I. ’ , ,, ' '. '. ......, �'l·. '. '\! , �. '. I. I. , ' , ' '’ ,,. 」. I. ''. '. , '. ' '. I I. I. >I '. ' , .,._., �V, ' ' � ,,' V ,. I. I. I. I I I. I. , , ' '. I I. ' ' I. '. I I. I I. .' I. '. I. I. ' '. I. I. I. +→ , ,<’. I. , ' ,. I. '. I I. ' '. '. I I. I. ' I ,. - 114. ,. I. ,. < >I I. I I. I. ,. <. , ' ' ' '. I I. I. ·�-. '. I I. ' .. '. I I. I. I I. , '. I I. I. ' , '. , ,. l. , ,. '拾+い一�!. I. I. ' ' ' , ' ' '. I. I. I. I. ツリ. , ' '. ' , ' ,. '. I. '. I I. ,. I. '. , I. I I. I. 11.!、. ,_. ;. ウ エ,,!. ,l.. I. I. I s 月 1 9 月 1 1 0 月 1 1 1 月 1 1 2月. ' ' ,<ウ エ, ( }..- ,1: 9 年主で) ' I I I. ' '. '. I. I. >. I. '. I. '�g ", そ I , !取. 取. :. , , ' ' I.
(23) 9 巻 1 号 1 997. 1 2 文学 ・ 芸術 · 文 化. か らであ った。一月 二月には寒ウ グイを網で獲り 、 二月. た。 田頃 家で本格的に水 田が開かれたのは昭和 に人って. 沓) ・ハイ プ ソ ( 手袋 ) カの手足の毛皮を使 って テッコ (. 毛皮を敷いて寝ると ノミに喰 われないと伝えた。カ モシ. ロ .採集. も作った。ハイプ ソはワ ラジとともに使 っていた。. は時なしで釣 った。. 下旬にはチチコをアガリウエで獲 った。アマゴ・イワナ. どを山か ら追い出す。 四人が四か所で見張り 、― 一度追い. で鳥ボ イをした。 鳥は雉子・ 山鳥である。 一人 が山鳥な. 一月下旬から二 月末までの雪雨まじりの 日、五人仲間. 袋 を持 ってゆく。栃の実のアク ヌキ法・ 食法には次の二. 拾いに出た。コザと呼ばれる、 シナで編んだ 斗 人りの. 街年 集会で決 められ 、その日は一軒から一人ずつ 栃の実. あ けは わの 日向、北ボラの木によく実がついた。山の 11. 栃の実は九 月下旬か ら一 0月上旬に拾 った。栃は谷ぎ. 1・栃の実. たてると疲れて弔 コ の中 へ突 っこむ 。そこを捕えるのであ. ロ・ 雉子山鳥猟. る。山鳥の残肉つきの骨は石の上で金鎚を使って叩き に. A・ ト チの コザワ シ. 種があ った。. ③ v 旅の上 に v 臼などで実をつ ぶす ②. ①そ の 年 拾 った ナ マの 栃の 実. 1. し、団子汁にした。三月になると鳥肉がまずくなると称. を割り、皮をむく. して三月 には鳥ボイをしなか った。. 鳥ボイ と同じ時期に兎ボイもした 。兎ボ イは、小 学生. 良くなる と言い、 次の口 誦句を 口にした 「双六の娘はな. 布 を敷き、その上に栃の粉をの せて三\四 日潜水をおと. 」 ぜ 器贔が良い か。ト チの コザワ シを 食 べるがゆえ に。. や消防団員がボイ コになって猟 師がマチバにつき 、鉄砲. 牧之助さん は鉄砲猟 は行わなかったが父は火縄銃の猟. 食べた。牧 之助さんはト チのコザワ シを食べると器昴が. を行 っていた。 田頃家の人びとは猟 師でなくてもカ モシ. これだけの 処 理で栃の実を食べることができるか否. してさらす。これをト チのコザワ シと称して飯にかけて. カ の毛皮で作った袖なしや腰皮を使 っていた。袖なしは. か疑問があったので確認したところ、牧之助さん は、確. で撃 った。当地では 「骨か じり」 と称して熊 や兎 の骨を. .頭で一着、腰皮は一 頭で 三枚 とれた。カ モシカ の毛皮. かにこうして食べたことがあると語 った。. 煮もののダシに使う習慣があった。. •熊の毛皮を敷蒲団の代りに使う習慣 があり 、こ れらの. - 1 1 5 --.
(24) ナ. ナ. ア ラ. ソ. 赤 ゞ. プ. ギ. 豆. 豆 カ ;Jヽ. 小越. ラ. 荏 へ コ 1 マ. g_. ① ト チ ク ジ リ で 皮 を む く ↓ ② 身を 一 日 水. カ ・. る。二 斗樽 の中に栃を入れ、 アク汁につ ける。一週間以. 上つ けておき、以後必要に応じて出し て使う↓④ 栃 一. 、. 三割、 モチ粟七、八割の比率で餅にする 。清水 家の年間 「 栃 の トウ (花) が 立 ち ゃ世 の 中良. の栃の実採 取 羅は約 一斗 であった。. な お、当 地 に は. い。」とい う 口誦がある 。栃の 花がたくさん 咲け ば世の. 中 が良く幸い か多 いというのである 。なお、山の神様は. 2 ・ミズ ナラの実. 栃• 栗•桂の巨木に宿るとする伝承もあ る。. ミズナラの実は一0月上旬 ·中旬に拾った。処理および. 備 こ く. と よ. 考 を. 〗. □な が責. よ. ろ も. ふく. で揚く v ③ 灰を入れ身を ―― 斗釜で煮. る 。この時釜 の中に巻 き箕(底なし. の籠)を入 れ、その中にたまった者�. 汁 を― 二回汲み を出して新しい水に. 変える。 こうし て アク ヌキしたミズ. ナ ラ を を 次 の ように し た。③ ナ ラ. 餅 状 に し、 塩 味 をつ けて 間 食 に し. コー ズ キ 11小豆とナラを拇 き混ぜて. と言立てをした。なお鏡餅は下が米、上が粟だった。. 1 き こんでクリまわしの艮い ように 栗と柿を供える、 掻. した。 これは ハレの 日の食物であ る。正月、鏡餅の横に. である。⑮栗オコワ IIモチ粟の中に栗を混ぜてオ コ ワに. る。®栗飯 II 稗五 向 木 五の比率で飯にした。 これは褻の食. げて神岡の 町 へ売った。自家用栗の食法は次の . 一種であ. わった 。清水家では毎年 iQ俵拾い 、う ち斤俵はFしあ. ムラの栗林があったので山 の 口明けを決め、 フレがま. 3·来の実. 熊と競合した。. た 。ミ スナラは毎年 一俵ほど採集した 。ミ スナラの実は. 11 アク ヌキしたナラと稗を混ぜて飯にし. 選 し\. た。⑮ナラ メシ. で. フ. 豆 プ. 〗 黍少 •. さ ん 助 之 牧 県 阜 岐 上 村 第 水 清 表 宝 4• 験 治 0 体 年 か 畑 焼 明 四 生 ( ) れ た し. 悶 力. コ マ. 関 粟. 大. ・. 力. につ ける↓③大安の 日に囲炉裏の灰を取り、 アク汁を作. B・ 栃 餅. 力. 食法は 次の 通りであった 。①干す↓②栂き屋のバッ タリ. 1 1 6 --. ソ ノゞ. ギ. 豆 月.、lj. 関 稗. ①. I. 荏今. I. ギ. ②. 大. フ 立. 悶. ナ. ③. プ. 大 ベ. , 野本 始原生業民俗論 II[.
(25) 9巻1号1997. 12 文学 ・ 芸術・文化. 4• 棚の実. いとわかってからそれを埋めあ わせる程の面積 をあらた. に焼くこともあった。. 八 ・岐 阜県 山県 郡美 山町片狩 ー— 長良川水系 神崎川. I. O日ほ ど上に坪めて外 0 H ·J. 梱の実は九 月下旬から一0月上旬の間に採った°遅く. ー. 皮を腐ら せ、さらに 三、四日灰汁につけてから 茄でて干. 美 山町 片 狩 は 長 良 川 支 流 武 儀 川 上 流 部 神 崎 川 左 岸. なると猿にやられた0 し た。クルミも一 ヶ月 はど土 に埋め 、外皮を腐ら せ、洗. 高は約一五〇 認である。同地の山 口仙松さん ( 昭和 一 一年. のムラで 河 口から約三0キロ潮 上し た山間に位置し 、標. 四 ・焼 畑. い 、大 日で千し た。. 生まれ)は川漁• 山猟 などでこの地の伝統を継承し てい 日・ 渓流漁拐. る。以 下は 山 口さんの体験と伝承による。. 清水 家の焼畑地は田頃家の東 裏にあたる笠谷で焼畑の 合 計面積 は 五、六 反歩はあった。当時では焼畑のことを ナギと呼び、出作 り小 屋のことをナギ小 屋と呼ん だ。牧. 1 ・カワ マス ( サ ッキマス)漁. み 、母が折々通った。う ち、夏 は家族で小 屋 へ通った。. 川マスの渕上 が極端に 減ったのは昭和 三 四年 の伊勢湾台. だったという。昭和一九年 には一年 に七0 匹も獲れた。. 今でも潮上 するが、最盛期は昭和 一五年 から 二五年 の間. 当地ではサ ッキマスのことを川マスと呼ぶ。川マスは. 裏山を越 えての小 屋までの道は 片道 二時間かかった。牧. 母 屋に 住 み 、春 か ら 秋 まで は 父親 が ナ ギ小 辰に 泊り こ. 之助さんは自らナギ小 屋で育ったと 語る。俎父母が家の. 之助さんの体験した 焼 畑は第4表の通りであり 、秋伐り. 釣った。夏マスは六月中旬から八月末までで 、戦前には. 風の翌年 から だった。オス は鼻も顎もとがっているが、. この期間すべて ヒ ッカ ケ漁で狸ったが 、現在 ヒ ッカ ケは. メスは丸いという。 三月末から 四月初めに雨で川が増水. に ソバ• 赤カ プ・越前カ プラ 、荏ゴマ 、黍なども栽培し. 八 月― 二日から し か 許 可 さ れて い な い 。 ヒ ッカ ケは 現. し た時潮上し てくる。 こ れ を 春 マ ス と 呼 び 、ミ ミ ズ で. という 11誦があ った。 不作. シ コクビエ)一俵 、他 俵 •小豆一俵 ・カ ラベー ( ハ 五 、し. L. 春焼きのアラナギは主穀型で他に 、カ プナギ ・ソバナギ 俵•ウルチ粟 ―俵• 大豆 ・ も拓いた。稗 'O俵 ・モチ粟 ―. の年がないからである。 ソバナギは、他の穀物が穫れな. カ ラベー は身t直し た。 ー. -117 -.
(26) &�0· � 3 8頴国 、 四 ⇔ 渥 江 S が か $ 内 1\--- &� 3 '2'- 味 口. 内容(\-- ( -:::: , , , > 菜 ) '1,->... )。定繋江 帷 、 '-4\ \.' rビ冴汁こ俄如. 巨苫逹 。汗 7 丑 内 苫 ( I ベ C- 1\--- � ー 4. G * 。J荏衿斗 I I r;1 氷琴祁訪ド 、 '-4\ \_' rt 匡 . I 江睾i G 逹 。か. u�. &- r;1 G c--- 汗 ← 活回 内斧 I I r;1 r 幻 又, � ;j- 江 害 。が &- r;\ G 生業要素/月. |. )II. 118 |. 漁 携. ア. ア. マ. ゴ. ユ. ウ. グ イ. ウ. ナ. ド. ン. 1月. I ' I I. ,. I I. 猟. キ. ヌ. ツ. :. I I I I. 'I. ギ. I. コ. `�`. I. I 4月 >ス ノ< ヽ )レマ. s月. i<J. I I I I. 本 流. ' I I. こ.. キ. ヽ ヽ. ネ. -饗 I I. :c> ,I 也-:J き '. 合. l. 'l I I I. ' 'I I I. I. I I '. 'I I I I ' I I. I I I. ' '. _,_. 'I. I. I I I. ' 'I ' '. サクラ ⇔. ご. I I I I. s月. I. 1月. ナツマス. I. I. s月. I '' ''. ヒ ッ カケ. I I ' I I '. I. I I. I I. 5月. '. り. I I I. -,. ン. マ. I ' I ' 'I I ''. 、 泳] り ・ ミ ミ ズ 釣 り ・ ド ン コ の卵 :. ヤ マ ド リ タ. 2月. ,,. イ ノ シ シ. フー. 岐阜県美山 町片狩 • 山 口 仙松 さ ん (昭和 2 年生 ま れ) の生業暦 (昭和3 0 年前後). 本. 、流. I 1 0月. 9月. I. '. I I. 釣 り • If,廿天一J I I虫 ( ヒ ラ タ ) , 雨天 ( ミ ミ ズ). -. フ ジ. I I I. , I. I. :. l. 友釣り ' ''' I < ク テ> 1 投網 オ. '' 'I'. l. 流 し 針 ・ ( ド ン コ , ハ エ) I 、 l I 夜 ス キ ( タ モ) ' I I ' I I 'I I ' ' I I I I 'I '' I I ' ' I I '' I I I I I I ' I I '' 'I I I I I ' I I I ' I I I I. I. 有害駆除 (檻 ワ ナ ). I. -. I. '. : ' :. I l,. -,. I 1 1月. ス リ マス 投網. :. ⇔. I. 本流 ・ 小谷. 12 月. I ', ', I I. 荏荊合縣畑{翌苛三 嘩f 沃. 季節 川 マ ス 河 (サ ッ キ マ ス) 漁法 漁場. 第5表. ヽ � '><.. � ).J ;,J 三 江 ベ. 凡虹X 乞 べ 苫 ざごiベ C-1\---�溢←や Uべ 吋 令 µ 吋 、全. I. � lO 20 /. I. ``. I I I ' I I '. -� ,. ヽ l I. I I I I ' I. 'I I ' I I. I I I 」 I. '. ‘. I. ' I I. I I I I I I. ' , I. ,ヽ I. ,� I I. -. ,-. '. : I I.
(27) と 反対側の糸の端にはコハ ゼと呼ばれ る五 ミリ x八セ ン. プの先 端から 鉤を結ん だ糸を入れ、 この穴から出す。鉤. ら 三•五セ ンチの位置に図 3 のように穴をあける。 パイ. つないだもので、鉄の部 分が 五 四セ ンチ、その先端部か. る。鉤に 魚か かかった場合には、 魚が 逃げる力で糸か 引. く、 鉄パイ プの先に鉤がしっかりと 固定され た状態にな. ゼを挟ませて止めるのであ る。その 際、 糸のたるみ はな. 竿と並行にして下端を固定させて結 ぶ。この竹 片にコハ. てゆくのである。川マスを主対 象にして いた頃には、幅. コ ハゼ. 第3図 ヒ ッ カ ケ模式図. マゴのことを 「 コ ヒロイ 」と呼ぶ。マスのオス. オスの アマゴがつく、体が黒くなったオスのア. の実を入れた。産卵期、 メスの川マスの周囲に. ミか煮 つ けだった。スリマスを煮る時には山椒. らなかった。春マスは煮て食 べ、夏 マスはサシ. 卵を終 えたマスをホ ケマスと呼んだがこれ は獲. スをスリマスと称し、これ は投網で獲った。 産. 鉤をまわして 引くのがコツである。 産卵期のマ. ヒッカ ケは、 岩かげに ひ そむ 川マスの腹の下に. 二 • 五セ ン チ の 一本 鉤 を 使 っ て い た と い う 。. かれ、その勢いでコハ ゼがはずれて、 魚が動く間に弱 っ. プ. チ程の竹 片がつけら れている。鉄 。ハイプを受 けてつない. イ. 』. - 119. だ長さ五八セ ンチの竹 竿の上部にコハ ゼド メの竹 片を竹. ° 、 ー. 岐阜県美山 町 ・ 山 口 仙松 さ んの ヒ ッ カ ケ ▲写 真④. 9巻 1 号 1 997. 1 2 文学・ 芸術 ・ 文 化.
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