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東陽房忠尋の著書に就いて

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束陽房忠苓の著書に就いて

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東陽一反忠尊師の著書と一試はれるものを先づ諸古書目録に就きて検するに、その記事の異説紛々たるに驚かざるを得 在い。少数の共通書目を除いては、出入甚だしく従って何れを蓮揮すぺきかについて信擁するに足るものは殆ん

E

稀 で あ る と 一 一 言 っ て よ い 。 一往それ等を摘記して吟味することにしよう。 ま づ 弘 化 二 年 ︵ − M −

3

八月拾遣の﹃日本闘天台宗章疏目録﹄によると、

O

東陽房忠尊 西塔北 相承義集 二 大 部 骨 目 帖 枕費紙 玄義書合 四十ケ保事書 止観書 A 口 別紙抄 文句書合 東陽房忠等の著書に就いて

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東陽房忠等の著書に就いて

右の如く七部をあげてゐる。ともに容教を記してゐないのは兆一だ遺憾である。而して玄義、文句、止問の各書 A H と 一 足 ふのは現存してゐたい。或は所前﹃漢光類豪﹄を指すものではないかとも思はれるが、﹁同十ケ篠宮帝室ごとあるから同 舎でなきととは明かである。﹃コ一犬部骨日﹄もその名に於いては現存しない。とれは﹃コ一大部七百科﹄ならややと考へ るが、未だ確設は得られない。弐に﹃相承義集﹄であるが、とれは﹃相倖義一集﹄を指すものであらう。﹃別紙抄﹄は未 詳 で あ り 、 ﹃ 枕 鶴 見 紙 ﹄ の み は 現 侍 さ れ て ﹃ 莞 心 集 ﹄ と も 一 去 は れ て ゐ る 。 弐に﹃本朝ム口組理求密部書目﹄の﹁中古明匠連作﹂のもとには、 法華五部九容 東 陽 房 座 主 巾 山 苓 高漢徳玉砂 向 上 七百科 三 大 部 向 上 牧 師 見 紙 の阿部をあげてゐる。とれまた調容を記してゐない。然し右阿部は共に現存してゐる黙に注目に慣ひする。 ・弐に﹃天台霞標﹄の諸組理控目録のもとに於ては. 。忠寺和尚 法 華 五部九巻 高漢徳王抄 三大部七百科 枕草紙

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疏詑紗 十 巻 日 ’ 文 京 少 H V ト ポ み 守 U 担 A C S 巻 犬諭義紗 玄義紗 雑々集 と九部の著作をあげてゐるのであるが‘初の四部の書目は前拍の﹃本朝台組撰謹密部主日目﹄に司令∼く等しきものであり 後五部の者口はその上に附加されたととが看取されるが、い雪だそれ等に就いては詳にするととを得ない。うち﹃雑

々集三十念﹄とあるが、心柴師に﹃雑々齢三十巻﹄の現存をみるがいまだ忠尊師の撰名のもとにるるを同かない。 共 に 北 山 詞 肋 間 制 押 龍 堂 編 輯 に な る ﹃ 山 家 諸 徳 撰 越 一 回 目 集 谷 下 ﹄ に は 左 の 如 く 記 載 さ れ て ゐ る 。 東陽房間梨忠尋撰 大論義紗 法華五部九谷 高漢徳王紗 枕壁紙 ニ 大 部 七 百 科 琉記紗十容 間 数 顕 紗 三 品 位 小泉砂川忠一尋の著書に就いて

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東陽房山仙尋の著書に就いて

O 問 巳上七部天台霞標震兵部仁快撰。五大院関梨安然捜以七部、得忠零細 V 、 茜 誤 也 。 今 即 記 之 、 天 正 録 仁 快 撰 主 主 泉 抄 一 部而己。今依之、後賢思之。 玄義抄十巻 暁 一 々 集 三 十 巻 漠 光 額 楽 四 品 位 と。即ち龍堂の設によれば、大論義抄以下の七部を﹃天台霞標﹄は仁快師の撰とたし、安然師の七部を以って忠尊師 の撰としてゐるのは誤であり‘天正録によれば仁快師の撰越は一部のみである。とて﹃霞標﹄の誤謬を指摘してゐる のであるが、現行﹃霞槙﹄に於いてはその所論の如きととろは全く見出し得歩、即ち﹃霞標﹄の諸組撰越目録のもと に前掲の如く忠尊師の著作費目をあげ‘仁快帥のもとには﹃玉泉抄﹄ 一 品 容 を 記 載 し て ゐ る の み で あ る 。 尚 ほ そ の 他 に 書自に闘しては右に設営する記事を見出し得・泣い。されば龍堂の右の記事は全く蹄に落ちぬものと言はねばたらねの で あ る 。 以上、阿目録に就きて忠尊師の著作書目に闘するの部分を検したが‘それ等に於ては全く参差出入甚しく、また仮 令忠骨骨撰として記載されてゐるもの L 中にもそれが果して異撰なるや疑問を抱かざるを得在く、明かに仮托偶警と判 ぜられるもの L 含 ま れ て 居 り 、 ま た 重 要 著 作 の 飲 漏 を 見 出 す に 於 て は 一 夜 古 輩 出 J目録等には何れも直ちに信頼するに足る ぺしとはされ得左い。斯の如く古書目録の上に於ける著作の考察には、甚だ碓貫性に乏しく危険を伴ふととを知る O である。悲に於て現存資料に方向を替へ、忠等撰名に在る古書を各所の軽減に探ねて、それ等の一 k k 直接蝿れると とに依り考察 bL 進め検討するととの安堂安全たる遣をとらざるを得・ない。

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法華略義見聞三谷 毒 うt いま忠尊師撰名に・なる現存者籍を渉諭してそれをあぐる・ならば立の如くである。 蔵 ︵ 仰 全 ︶ 正 法華略義聞書一容 同 法華文句要義聞書 残閥四巻 同 漢光類楽四巻 同 正 晶 抗 議 生 源 寺 正 教 蔵 大 谷 大 島 a 正教歳、岡県如厳 身 延 歳 、 無 動 中 十 寸 萌 麟 正 敬 識 正 教 歳 叡 山 文 時 正 敬 戴 法華五部九巻書一巻 無縫目一軸 天台宗秘決要集一審 聖歌隠形一巻 枕壁紙一巻 相停義集二会 天台法門名決集一容 叡 山 文 ニ 大 部 七 百 科 三 年 一 叡 山 文 蜘 伴 算 影 響 径 一 傘

I

司 国頓戒脈譜口決一巻 同 菩薩戒口決一巻 数山手文 文 金剛秘密山王停授大事 論巻不同 正 叡 正 東陽房忠等の著書に就いて ド 司 か

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同 庫 庫 蔵 庫 戯

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東防目即応尋の著書に就いて

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六 弘仁口決一審 正 手文 蔵 右十七部が忠尊師撰名に於ける現存書籍であるが、なほとの他にも秘蔵せられてゐるものがるるかも知れぬが、小木だ 遇

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の機・を得・ない。また嘗って存在し現存せねものがあるかとも思はれるが、それに就きての考許証現在のととろ不 能といはざるを得ない。何となれば未だ忠導師の著作に封する確貫註文献は上越の如く存在せぬからである。前拐十 七部中﹃大日本僻敬全寄﹄所牧の四部以外は言ふまでもなく悉く古詩本であって‘従来秘庫の健民に珍蹴せられ所前 唯授一人の殿誠にはあらざれど−容易に披見を得ぬものであったのである。 一往それ等の書籍に就きて概略分類してみ る と 、 A 、諸多の口停を雑然と記述したもの 聖救隠形 無 縫 目

B

.口倖思想を体系的に記述したもの 枕 壁 紙 天台法門名決集 轄隼影響巻 法 華 五 部 九 森 重 同

c

.七筒法門に閲するもの 天台宗秘決要集

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弘仁口決

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、三大部中心のもの 法華時義見聞 法華略義問書 法華文句要義聞書 漢光類棄 一 大 部 七 百 科

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、論義に闘するもの 相倖義集

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、国戒に闘するもの 菩藍戒口決 固唄戒脈譜口決 G 、山王紳遣に闘するもの 金剛山王秘特情授大事 右の如く大体七種に分類するととが出来るが、勿論斯る分類は便宜上よりするものであって、内相外相より厳密にす ればその蝿属にも亦移動を来し、単純に決定するわけにはゆかたい。伺って筒々の考察に於てその文撃的形態の上よ り.勝亦思想内容より分析批判されるべきであるととは論を侠たたい。 東陽房忠専の著書に就いて

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東限目貯忠尋の著書に就いて

O 八 併して上掲十七部の警は全てその捜名を﹁忠等﹂となすものばかりでるる。然らぽ右の書鰐の全てを東陽房座主忠 尊師の畏撲として取扱はるべきであらろか、亦その奥害等の記事によって、会的にそれ等を信撮すべきであらうか、 窓に重要−なる研究を必要とされて来るのである。由来中古の書籍は偲托偽撰の雲霧に深くとざされて一として明確に 貫閣が、なりと断定を許され得るものは頗る稀である。いま忠尊師の著書に於ても亦その傾向を多合されてゐるのであっ て、それが先聖をして斯︿も雑多の書目を羅列せしめた C とにも想到すれば容易に背背しうるであらう。さればその 考詩検討には最も巌密に行はれねばならぬと考へるのである。 いま前掲書籍を逐弐考察するにさきだち‘まづ序文、奥書、刊記等の明かに存するものを摘出して年代順 K 配記す るとまた左の如きでるる。 無 縫 目 奥 ヱミ 保安元年︵ H 4 g ﹀五十六才 天台宗秘決要集 序 一 五 保安二年

Q

a

c

五十七才 聖歌隠形 奥 一 足 大治元年︿ H g o ﹀六十二才 法華五部九巻書 序 一 足 同 法華文句要義聞書 奥云 同 漢光類豪 奥云 大治三年︵ H 4 ∞ ∞ ﹀ 六 十 四 才 右の六部となるのであるが‘此等の六部に就きではさきに忠尊師の偉記的考察︵大崎製報第八十七観、棲紳第ご十一 競殻表︶のもとに於て多少言及するととろがあった、が更に筆をあらためて文献接的に委細に検討し、資料としての 慣偵如何を定め、思想敬理の究明を行はねばならない。以下前掲十七部の一々に亘ってそれを進めることにしゃう。

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ハ但し紙撤の都合上本競にはそれ等のろちまづ﹃無縫目﹄及び﹃天台法門名決集﹄のご書に就いて費表し、余他は競を 選ふて掲載するととにする︶

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いま所見の﹃無縫目﹄は

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敬灘本と大谷大串圃書館臓本との二本である。との﹃無縫目﹄の所離は余の寡聞か右二 本のほかに存するをきか註い。而して正敬擁本は烏子の巻子本であって、馬本年時筆者等の明記がない。文字頗る精 確 立 慌 た る も の で あ る 。 元 来 一 生 教 臓 と 一 民 ふ の は 、 元 晶 昭 一 兵 褒 巳 後 叡 山 再 興 の 気 遣 高 ま る と 共 に 敬 撃 の 復 興 も 随 っ て 企 て られ‘諸聞に散在された書籍の書馬牧拾につとめられた時、江州芦浦観音寺舜興師の一大蒐集にか L るものを、西塔 北谷正敬坊に所擁せられたに名づ︿るのである。現在は台麓岡敬寺の秘蔵するととろと怠ってゐる。とんにち日本天 台研究に闘する資料の最も豊富に識せられ、また筒々の臓書の模戚ある点に於いて民如擁ハ叡山東塔南谷賓臓坊﹀と 共に饗壁とされてゐるのであって、舜興師はその努力辛苦により蒐集された書籍の一々には、必・ヂ書官柿せしめ

L

年時 及び所識年月日と共に自署名するを通例としてゐる。然るに本書の如きは舜興帥の奥書もも仏︿勿論また何等の書馬年 代の記載もたきはまったく稀左るととろである。或は表装等の破損せるよりみてその部分の舵落したものかとも思は れるが確誰はない。然しその紙質書風等の古色より考察して相営歳次の間ぜるととを知るのである。 +引に大谷大事圃書館所描本に就きてみるに‘とれは墨付二十需の窮本であって他に﹃慈費大師一心三翻﹄等の阿部 東陽房忠専の著書に就いて

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東陽房忠世帯の著書に就いて 一 一 O と合本の普通袋綾大本である。その窮本年時に闘する奥舎を摘記すると‘ 寓治元暦歳晴月下旬初五辰四明商塔北漢天政醗朋之。 古 本 民 量 町 商 品 位 本 也 . 震 営 用 鴛 関 本 草 堂 問 。 裏 書 依 慮 黒 字 朱 字 蹴 書 、 殊 裏 書 営 底 前 後 凱 書 、 後 見 徒 者 得 事 堂 町 一 可 見 一 足 云 云 。 子時寛文十辛亥九月二十八日求之。 筆 者 編 幅 沙 門 伊 藤 松 恵 坊 。 とある。即ち寛文十年包

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﹀の寝本にかりその原本は高治元年

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2

3

の害窮にたるものであった。との奥舎の註 詑によれば元来は巷本の良書であったのを寛文の寝本に際し営用のため開本草委とされた事情が看取される。されば ﹃無縫目﹄は古くは巻子本の形に於いて相侍され来ったととが推知されるのであって、したがっていまの正敬蔵本に古 色をうかがはれ資料としての債値をも認められるのである。なほ右二本を封校するに後者に誤字脆字等の多くの誤謬 を存するを着出した。仰って正敬臓本を第一資料として研究をす L めて行くとと L す る 。 谷大本の表警には﹃忠草口決﹄と大害されてゐるが.正教臓本は倉本でもありその部分の岐損によって覗ふととが 出来・ない。内題はともに﹃無縫白﹄である。内題下には五敬臓本は﹁東陽忠零﹂とあり‘撰名を出してゐるが.谷大 本に於ては﹁私云古本巻物也﹂とあって撰名を詑してゐたい。とれは恐らく脆漏と思はれる。序文は南本土ハに存した ぃ。内容についてみるたらぽ、﹁無縫目第こより﹁第九﹂にいたる九節より・なってゐる。市してその各節々は何等組 織的体系化の錆のもとに別けられた

ρ

で は 友 く 、 但 に 一 一 組 目 に 針 す る 口 俸 を 記 述 す る を 以 っ て 、 一 節 と ・ な し て ゐ る に すぎない。また註疏的でも怠ければ教法的でもない。軍要左る口決を併列的に記述されたとよりみざるを得ないので ある。書中指圏三面るり.また諸所に裏書されてゐるのである。︵谷大本にては裏警は註虫汗されて本文の傍に挿入さる﹀

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末尾に忠草削の奥書がある。掲出すると、 沙門忠尊謹集代々口決以鵡無縫目。山家相承四ぷ保義恐末由宇猶可滞。或伺重浩九巻抄、以決共大旨。或散自心之醸昧 粂思令法久住之利生。翼諸怖菩薩哀感給。 子時保安元年庚子四月十五日始草之同六月十九日害賠畢 ο 右が忠尊師自らの奥舎といふものでるる。忠等研究に於いて重要なる一費料であると一去はねはたらたい。即ちとの一 篇の書は忠尊師が代々の口決を謹集して左れるものでるり、とれに題して﹃無縫目﹄と名付けたとの縁起が記され、 なはまた山家相承四ケ深義は末代の曲学者には甚探難解の法門でるるから重ねて﹃九巻抄﹄を造りその大旨を徹底さし ひいては白心の鴻めに、令法久住のために擬せんとの意をのべてゐるのである。と L に於いて持してとの奥舎のいふ ところに従がひとれを忠尊師の虞撰とし信撮すぺきであるか。更に吟味するの必要がある。 まづ乙の警の著作された年弐はとの奥書によれば保安元年

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a

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って、四月十五日より起草にか L り六月十 九日には害馬を経へてゐるのである。よってその間二ヶ月の日子を.喪してゐるととが知られる。該警の著作としては 相∼憾のものといってよい。而して保安元年は四月十日の改元であるから改元直後の執筆であり、二ヶ月後の完成でる るからとの点に於いても何等の矛盾を見出し得たい。恰も忠等帥は丘十六歳であった。さきに忠尊師の会生涯に封す る全面的考察のもとに於て論究した如くハ大崎製報八十七蹴︶師の五十三歳より六十二歳に至るその聞は内面的思想 組織時代とも一五ふべきであって、前期の過渡的緊張期に於ける向外的果敢た活動は.との期に入るに従って向内的と たり‘静観的扶態のうちに思索し、思想の整理に努めた結果、そとにそれ等の託銀がなされ‘著作時代を現出するに いたるのである。斯る生命現象の過程に劃する考察の結巣よりするも‘との五十六歳所産はまた何等詩しむに足りな 山 車 防 房 巾 仙 等 の 著 書 に 就 い て

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東陽房忠尊の著書に就いて

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弐にすこしく内容の方面より考察をすると‘さきに記した如く本警は現存資料の刊記を有するもの L う ち 最 初 に 刷 局 するものであるととに注目して、書中の思想を検するに、特異の形態としてそこに隠然と破続思想の存するととであ る。︵三輯破の思想に封する救理史的考察は後に取扱ふ︶との思想の存するととはとりも友ほさ十此書の著作されし時 期の特性を遺憾なく物語るものであって、即ち前期に於けるその積極的活動は封外的奮闘に向けられそとに鞍弱点守︿一五 東密に属す︶に封する改宗問題にまで交渉を持するにいたらしめた。斯る事件の後に来れる内面的躍進期の思索時代 に入って.先づ執筆されたとみらる L 本警に斯る思想的反影の麗らされるはまた必然の散と言はねぽ友らぬでるらう。 さればこの破密の思想は忠尊師の思組救撃の上に於ける一大特色であると共に、それが記越されたる﹃無縫目﹄の此 期に於ける所産たるを首肯するに見る詮左ともたるのである 0 ・更にまた該書中の語句の上に就いてみるに、人名に闘 して左の如ぎがある。 畳 超 遺 告 一 耳 第二ノ下 勝範随分大事也 同 勝 範 口 倖 一 足 同 蓮宜房勝範 第三ノ下 長豪口偉云 第二ノ下 私 一 再 長 豪 最 後 口 偉 一 試 第三ノ下 先師或口傍云 同

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先師長豪口倖日

I

弓 等であって、此外に﹁停救大帥﹂があり稀に﹁慈短大師﹂﹁忠信﹂﹁慈一息大師﹂﹁恵心先徳﹂﹁寛印﹂等があって﹁宰海﹂ の 名 が 二 箇 所 に 出 て ゐ る の で あ る 。 誌 に 於 て 故 も 注 目 し ・ な け れ ば な ら ぬ の は ﹁ 先 師 長 豪 口 侍 一 五 ﹂ で あ る 。 山 平 に ﹁ 宏 一 川 ﹂ と言ったととろもあるが長豪帥を指して﹁先帥﹂と呼びその口博口決を記越してゐるととろより見て﹁私一五:::﹂の 主人公はとりもなほさや忠尊師となるのを知る。なほ﹁忍云長豪最後口博一式﹂はその間に於ける探史性を充分にふ円有 するのとして、接削長豪と山山手師との閥係を明確に物語れる貴重なる資料といはねばならない。誌にいたって最早や ﹃無縫目﹄の一書、応尊師の著作として何等の疑備もなく信擁するに足るであらう。なほ長豪帥に向ってすでに﹁党師﹂ と呼び﹁ H 恐慌口倖﹂とあるによって此の﹃無給臼﹄の執筆された以前に玩に長豪師は示寂されてゐたととをも者取さ れるのである。また、体 J一・窓一先・一読売・慈忍・恵心・売超・寛印・勝範・長豪等の師名のあるのは白らその思想系 統のようて来るととろを指すものとし℃注

H

されるべく、これがやがて所前悪心流出ナ祇系統を組織してゐる点に於て も大いに着目したければならたい。﹁宰海﹂は三省般に於ける所破の人としてあげられてゐるのである 0 ・ な ほ 末 尾 の 奥 舎に記されてゐる如く、豆ねて﹃九巻抄﹄なるもの L 製作乞告げられてゐるのであるが、その後大治元年に至って﹃法 華 瓦 部 九 巻 虫 1 ﹄が著述されてをり現存してゐるところよりみて‘また何等の偶点もない。以上の諸理由よりして﹃無 縫目﹄は忠尊師の真撰・なりと誌に断定を下すものである。 東陽房息詰ザの著書に就いて

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東防房巾山尋の著書に就いて 一一問

3

以上に於て﹃無縫

H

﹄が応寺師の著作としてその確寅性を把握することを得た。引き積き本書の内政壮に﹂就きて思怨 数理の特異性或は重要性を荷するとみられる一三百問題を提怒し論述するとと L す る 。 本吉川論の中に於いて先づ以って注目すべきは色心二貰相諭に倒す思想である。心宜相、色質相、及び色心米八刀貨 相は忠尊敬撃に於ける大綱をなすものであって、本建二門救四の捌きを種々なる角度に於て話されてゐるが、との色 心二質相が故も特色をたすものと言ってよい。いま﹁無縫目指六﹂﹁同第七﹂にはそれが共体的、綜合的の岡現に充営 されてゐるから、まづそれを紺介するととにする。

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圃 〉

‘都世立相広

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:唱昭

『S惜 し

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君主主巻賓多

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叫伊ぷ+一

4 キ ﹄ 百 一 − 同 町

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.・一義

主 務に

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右のうち

A

岡 は 心 質 相 固 で あ り .

B

圃 が 色 質 相 固 で あ る 。

A

圃は八葉九隼を中央に慌に五輪・五大を表し、

B

闘 は 竪 に五輪・五大を現し‘ともに多賓の妙塔を頴現せるものである

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A

圃は行者の心性、胸中八葉の功徳を示し・とれは 謹門理観である

OB

聞は行者作作の営相すたはち佐行向地等妙費であって、本門事観の意の現れであるとする。而して 約機情・有色心得悟。約僻本意、本遮未分一一貫相理。約心賓相‘八葉功徳、色質相謹‘法界塔婆。 と言ってゐる如く、右の色心二宮相は所謂機情の得悟に約したものであって・それに封し悌意に約せば本議未分の一 賓相理であると説くのである。また、 ニ 身 、 四 土 、 依 正 二 法 、 但 是 行 者 一 心 異 名 。 と 述 ペ ﹁ 正 形 表 、 即 有 情 形 。 有 情 形 色 亦 園 土 相 ﹂ ・ な り と て 己 身 塔 婆 . 法 問 外 一 塔 婆 を 示 し ‘ 友 ほ ﹁ 偉 敬 相 承 鏡 像 口 決 ﹂ な る も の ・ を 詑 越 し て ゐ る 。 す な は ち 、 心名天、色名地。色心鉢一、是名心鏡。心名本費‘身名本理。此色心者、非僻譜非人天作.法爾自然天民法‘故心 鏡明、故現像名鏡。心像本有、是名無作三月如来。昆虚遮那身土不二、名常寂光、故自然所成三身成道。三身相即. 四敬互兵、故名一家八敬法門。

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一具故不定、不定故秘密、漸頓二敬、其意可知。乃被接名別義、只是無作三身本功 徳 也 。 ーとて色心天地鉢一にして.本莞の心、本理の身、共に法爾天然天毘調朗たり‘五時八救の法門また無作三身の本功徳 − た り と 怠 す 。 斯 く の 如 く に し て 本 建 未 分 ‘ 悌 意 の 境 界 を 主 張 し て ゐ る の で あ る 。 ・ な ほ ‘ 被慈恵大師随分大事也。停戦慈畳御在生時‘唯有口停‘不書偉之。末代昼者、可信輯之、勿軽漫実。 と 述 べ て ゐ る 。 東陽房忠専の著書に就いて 七

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東陽房忠尋の著書に就いて 一一八 以上の如くに色心二宜相闘を顕すのであるが、本室内に於ては更に詳細なる論詩的記述をされてはゐ・泣い。元来﹃無 経 日 ﹄ 一容は、種々在る法相を筒翠・なる口偉的形式のもとに開示されたぽかりであって、いまの資相岡本亦然りであ る。然るにとれと閥聯をもっととろの﹃法華五部九品付帯﹄には﹃無縫臼﹄の思想をしてより一皆委細に詳述せるもの がある。よってとの賓相固の組織的並びに理論的方両に関する作者の意も、設舎を考究するととによって白から明と なるからいまはそれに譲って略するとと L す る 。 さ れ

E

認に注目したければならぬのは、本語雨門の理設を機情に約して斯の如く県慌の塔婆に象徴し、救理の犬綱を 具体的に同現したそれについてである。とれは言ふまでもなく密教に於ける雨曇現園の思想より成れるものであって とりもなほさや聞宗教撃の密敬的表現と言はざるを件ない。否・なむしろ、その敬皐史上に思想史的考察を以つですれ ぽ、輯敬の上に立たんとする国宗教皐の事翻成立への段階にあるとみ・なければ・ならぬであらう。とれにつきではまた 後に論やるととにする。在ほ本固に於いて更に注目さるべきととは‘その八葉九珍の中傘に犬通知日勝悌を配せる点で ある。同伸四菩薩の八葉も通詮の密教諸傘を羅列せ守、殊に中傘大日如来たるべきを排して、大通怖をもってせると とろ、民言密敬より逸股せる法華同宗思想への顕揚荊たるものがある。とれ忠等師の救皐をして日本天台史上に最も 意義あらしめる重要素と言はざるを得たい。先きに一行開師によりて法華経観の締敬化が計られてより、弘法大師に ﹃法華問題﹄あり、また慈畳・智詮・安然等の上古天台諸師等が、ひとしく斡賭をもって法華の経回目をうかがひ﹃講揖 法華儀﹄等の如きが製作されつ L 全く密散化するにいたってゐたのであった。然るにそれ等密教化されし言家の法華 経視に封して、いま本書は全く趣を異にし、法華の救主を飴伸にからや、偏へに一経の旨趣をもって首尾一貫制作成せ んとしてゐるととが看取されるのである。され

E

その教主たる尚ほ未だ遮門三千鹿貼の大通怖にとどまり、本門書 4 1

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開顕の久遠本僻如来も十六王子として覆講を飴・説たくされてゐる。本書は斯くて顕本論史上にもまた好川の一資料を 興へるものとして重要醐さるべきであらうと考へるのである。

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共に本書に於いて重要なる思想として看取されるのは‘その破密思想の鮮明に顕現されてゐると一疋ふととである。 即ち前記色心二宜相闘を表示したる後に於て斯の如くある。 有色心貰相八葉五大、於諸経中都無顕詑。唯在法賓塔品中明了説。三者救輩、良法花経多賀妙培、己成宗義。︷市中山 堅執顕筏不同、迷文滞義、慢高見深。門人亦復如是。未代感一者勿信於斯、可映可咲。︵無縫目第六︶ と。即ち前述の如き色心宜相、八葉、五大の詑は諸経の中に全く頴註されては民守、唯だ法華経費塔品に於いてのみ 明さる L 至 上 の 法 円 で あ る 。 然 る に 民 言 三 総 ︷ 一 不 の 輩 は そ れ を 取 っ て 己 が ん 一 歪 訴 を 成 じ て ゐ る の で あ る と な し 、 尚 ほ 槙 い て空海師を所破としてその顕省不同義を難じ、さては﹁漫高見出、可映﹂と断じてゐる。なほいま一交を掲出すれば 川 合 一 五 、 多 賀 悌 塔 都 無 密 敬 、 唯 一 借 法 花 賓 塔 中 所 設 、 建 立 三 密 宗 義 六 大 法 門 。 とて三密の︷一不義、六大法門の救義は法華賓塔中の所設を借り来って建立するととろのものであり、元来彼家に所販さ れるに非やと断じてゐるのである。 斯くて法華経多賓の妙塔を以って諸経不詑最勝の教法たるを顕揚し、それによって色心八葉五大の誌を立て、以 9 て民言秘救の六大三紛の教法を成したのであった。而らばその所破の密哉とは台東雨家の何れにあるかといふに、さ きに摘出したる文についてみれば‘所破人として空海師があげられてをり、また六大法門を所政法とせられてゐると 東陽房忠尋の著書に就いて 一 一 丸

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東陽房忠尋の説明書に就いて

O とろより考察すれば、世帯ら東留をのみその封照としてゐる如くみられるのである。然るに二世相同に於いても言及し た如く‘偏へに法華の敬法を顕揚するに勤めて街救的制空戒を刷ひ歩、殊に中命大日如来を抗して犬、通仰とせる思想よ り考察すれば‘締じて台東南街をもその所破の封照としてゐるであらうととを推測するのである。本書一筋首尾一貫 して法華思想の本門的糟解に経始し、殆ん H ζ 密敬の教理は影を断ちて依川されてはゐたい。誌を以ってしでもその所 破の雨抵の上に及ペるととを背肯し得ると思ふのである。されどとれを以って直ちに忠導師には全く密殺的要素を排 除し謹せるかと一一百ふに闘うではたい。前にも一一一目した如く、既に斯る二宮相闘の表示されたるは胎金雨量現凶の待攻 思想にその基底を置くものとみなければ・ならない。また忠寺師の他の著書の上に於いても密教上の別語を以って友現 し密禅乞加へられてゐる場合も不砂芳一取されるのである。向ほ前掲文にもある如く‘顕密不同義を破せる半面にはま た掛省一致の理を肯定せるかにも推測され得る。されば全然密救を排除し謹すを以って忠導師の根本的態度とされた とはならないのである。されどその破密思想の炭存するのは既に斯の如く歴然たるものであって、誌にこそ忠尊師の 日本天台史上に於ける特異性を見出すと共に・その重要なる位置たるととを示すと言ふべきである。日蓮上人は既に 忠尊師の此黙を道破して如斯言はれてゐる。 華巌真言等の人 K の 即 身 成 悌 と ・ 巾 シ 候 は 、 依 艇 に 交 は 候 へ H とも共益はあいてなき事なり‘僻事の起リ此也。弘法慈畳 智 ・ 詮 等 は 此 法 門 に 迷 惑 せ る 人 ・ な り と み 候 。 何 況 や 共 己 下 ノ 古 徳 光 徳 等 は 一 吉 ふ に た ら や 。 但 天 台 ノ 第 四 十 六 の 座 主 東 陽 の 忠等と申ぇ人とそ此法門はすとしあやぶまれて候事は健へ。然れども天台ノ座主語畳の末をうくる人・なればいつわり をろかにてさてはてぺき。︵犬同女房殿御返事司−

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と。即ち上人は韮・殿、由民一言に於ける即成の法門は有文無義・なるを指摘し‘弘法・慈畳・智詮等の諸帥は此の法門に迷

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惑し、絡に理同事異、理同事勝より事現倶勝にまで進み‘顕劣緒勝思想を以って法華を墜し、同県言容宗をして強盛な ら し む る に 至 っ た 僻 事 の 費 砕 を た す も の と 破 し て 、 そ れ が 法 械 を 汲 む 末 師 に 封 し で は コ 一 一 員 ヲ に た ら や ﹂ と て 極 一 百 を も っ て破折を加へられてゐるのである。然るに唯だ忠尊師に針してのみは加携人としての態度を以って望んでゐられる。 それは即ち﹁忠尊ト申 λ 人とそ此法門はすとしあやぶまれて候事は候へ﹂とて、斯る密敢に封する疑惑不信より破密思 想の抱懐されてゐた賠を懇示されてゐるによるのであって、とりもなほさや本警に於ける忠尊師の斯る思想を目され しと思考するのである。然るに向ほ評されて、その慈畳末流なるが故に徹底的破折の鉾を真言救の上に振は・なかった 黙をも、言葉巧みに表現されてゐる。乙れまた忠等師の諸著作の上に遺憾なく看取されるととろである o 如斯上人の 問眼は早くも忠尊師の思想を遺岐して飴すととろが友く、その含蓄多き寸言裡一に印象深きものが賭されてゐると推さ れる。然るに古来右の土人の御文に封してその典蟻を探ねて出典を明示されたものは一っとしてない。棒蒙講師すで に何等の言及するととろなく、諸典また未詳としてゐる。以って本勢の秘襲され来り本易に外見を得ざりし結果を物 立 川 る 一 設 左 と も た る と 一 吉 ふ べ き で あ ら う 。 斯の如く忠等仰に歴然として破鰐思想の存したととが看取されたが、蕊に注目さるべきはその天台敬些史上に於け る重要性である n 由来密教は侍救大師入臨時四︷一京相承して止観遮那雨業を建て、もって山修山撃の畑範とされ、また定 海師入唐.東密を建立するに至り、国民言密殺は吾岡に僚原の大火の如き勢を以って横まり.その三絡事相は時代人心 を姉へて千安文化の基礎を築きつ L あった。天台救皐またそれが影響を蒙らざるを得なく、国仁・岡珍・安然の各師 輩同して一は東緒への拾抗の矯め. 一一は倒宗擁護興隆の魚めに専ら密救思想組織へと続度を高めるに至って、その結 果 は 安 然 帥 の 四 一 十 門 の 蹟 汎 ・ な る 台 密 敬 感 を 休 系 付 く る に 至 っ た と と は 一 史 ら に 多 言 を 一 安 し ・ な い 。 日 本 上 古 天 台 史 は 斯 東陽房忠尋の著書に就いて

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東陽房山仙尋の著書に就いて

くて得救中心の時代と言ふべく、 一行問師に費したる顕密一致の思想は、誌に全く天台法華宗をして真言総敬三焼事 相 の 宗 と 成 る に 至 ら し め た と 言 ふ も 過 一 一 一 同 で は ・ な か っ た c 然るに慈悲大師に及んで叡山伸救は一劃期をなしたのである。 師の功業の敷々はその政治的手腕と共に徳行を讃へられてゐるが、就中、買嬰 a竪義の論義制度を確立するに至って法 韮・同宗の救単一か勃興され、出判救中心時代より同宗中心時代への限界を在してゐると言ふべきである。犬師の法資また 額一拾雨殺に百匠を輩出して、密敢に於いては事相の大成を賢らし台密分祇の形成を将来し、それに封して源信・問沼運 雨帥を義組とする恵憎の雨皐抵は顕救国宗の復興を顕揚し来って、所謂中古口侍法門の如きが醸成されたのであった。 斯の如くにして時代は営さに顕教同宗中心へと移動されて行ったのであったが越に鎌倉新興悌殺の結成を迎へるに至 って、密教は漸くその形骸を残して衰運をみるに至ったのである。されど天台救皐史上にあっては未だ全く密殺思想 の喪失されたと言ふわけではなく、依然としてその底流をなしそれ等の殺事の推移の裡に媒養素の役割を演じて存し て ゐ た と と を 芳 一 過 し て は な ら ぬ の で あ ゐ 。 然 ら ば そ の 段 階 に 於 い て 、 ・ 者 救 は 如 何 な る 収 扱 を さ れ た で あ ら う か 。 前 述 の 如 、 く 良 削 帥 は 同 宗 一 牧 島 一 ゐ 勃 興 , に 努 力 ミ れたとは言へ、決して密教排除に勤められた如き形跡は認められない。或は後世よりそれを回顧して共底に締救を疎 速ならしめた結果を見出さんとするととも必やしも不能ではないが、さればとて積極的岐密の思想は良源師に到廃認 容され得ぺくもない。然るに法資息心院源信帥に至つては、その救皐殆んど﹃封救思想を蝉慨して偏へに顕救国宗の極 理を以って浮土念悌思想の護揚に勤めたのである。されば帥の﹃枕鶴見紙﹄には左の如く越ぺてゐる。 我 姐 帥 天 台 大 師 立 ム ハ 即 伸 。 我 位 一 寸 今 境 問 三 諦 名 字 、 知 我 即 真 如 、 六 即 巾 踊 之 者 、 営 名 字 即 始 。 荒 以 此 解 在 、 心 不 忘 ‘ 候 使室手杜口、徒行住坐臥、朝起一恭眠宰雄港年月歳数、 一 乗 組 韓 日 念 K 増進、自然出入薩婆若挺突。

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と。即ち文中﹁安手杜口、徒行住坐臥:::﹂とあるのは所謂三輯事相を察しくしてとれに蟻ら・?とも、只管賓披を唱 するととにより我即真如、我即法界 b L 知り、自然に薩漆一君海に流入するととを得るであらう、とて身口意三密業を修 せざるととを表明してゐるのである。蕗に於て源信師の特敢に封する態度は既に悌概されてゐるととを費取する。師 にまた一部の密敬開係の著作も蔑されてゐたいととはそれを物語るととるの一誰左でもあらう。然るに師に於いて尚 段未だ顕露に破密の義を設かれてはゐたく、巧みに続敬 k 義を聞宗の敬撃に鹿用し来り、本畏思想を純織し高潮せし めてゐるのであるが‘其鹿には最早や三斡事相の現賓的具象的威力は全く喪失されて問題とされては民・泣い。されば とて密敬への積極的破折的態度をもとられや、只向日繭陀法にのみ出離の要道を求めためである。斯くてその後、山山等 師に来るに及んで悲に始めて積極的破密の思想が顕然として設かれたのでるった。師は.その事国世の考察に於て論及 した如く良航、長豪雨師より持躍を受け、殊に行玄師と共に三昧流の費墜とされてをり‘また岡崎方・千妙寺法流の 組とされてゐる。然るにも不拘帥には亦一部の密敬闘係の越作を見出すととが出来や・剰さへ如上の破密の言酔を顕 設するに於いて、寧ろ師の封密敬思想の等常訟らざるを看取するとと既越の如くであった。然らぽ如何たる事情に起 因して斯くも師をして三昧流

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匠たらしめたかを考へるに、それは後世事相分板上に蟻列を極めるに至った結果敢

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末械の拾抗がもたらしたととろと解されるのである。とまれ師の思想の全般的考察の上に於ては、三密事相の排除の 跡が歴然として存し、積極的破密の言癖をさへ吐露されてゐるのを看過してはならぬのである。然るにまた斯の如く 忠 尊 師 に は 破 密 の 思 想 存 す と は 一 一 一 − 一 口 へ 、 さ れ ば と て 全 く 密 教 思 想 を 離 脱 せ る も の か と い ふ に 直 ち に 爾 ろ は 駈 ぜ ら れ 友 い 。 その日偉法門の組織の上に盛に密敬敬撃の臆用されてゐる黙に、源信師に相似たるものがあるのである。とれ上古以 来樹密一設を以って台密の宗是とするととろ、何人も依麗し遵奉して詩しまぬものであって、忠尊師の封密敬思想も 東陽房忠等の著書に就いて

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東陽房忠専の著書に就いて 一 二 四 未だ完全に此の基礎を覆するものではなかったのでるる。悲に日蓮上人の前越の如き翻察も下されるのであって、合 蓄多き批判の諸に傾聴せざるを得たいものがある。斯くて日蓮上人に玄り陀羅尼臓経一の部協も判ぜられ、統一的受茶 羅の一元化もはかられ純正法華思想の確立と共に初めて絶封的破密の思想が成立されたのであるが、それに趣く過程 に於て、忠導師の如き思想把持者の存するととは.また大いに注目されねば左らぬと考へるつ師の法孫にまた慢範、 静明、心賀等の如きハ二帖抄等︶破密思想家の輩出するのも理の趣くととろたりと言ふべきであらう。 以上に於て﹃無縫目﹄に含有されたる問題を捉へてその重要性につき吟味し考察をした 0 ・ な ほ 論 究 す ぺ き 問 題 も あ るが割愛するととにして、いま一書‘忠等師撰と言はれる﹃天合法門名決集﹄に就きて鷲表するととにしゃう。

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本書には賓に重要たる問題が多合されてゐるのであって.それ等に就いて未だ充分なる研究も果し得守、従って蕊 に考詮の結果を詑越し批判するととは避けねばならぬのであるが、 いまは一とまづ本書の概要を略記し紹介するに止 めて、後日を期するとと L す る 。 所見は叡山文庫天海蔵。調倉一冊。奥書皆無。寓本↑年時等不明でるるが、天海師所斑本であるととろからほぼ営時 の馬停のものと推測され得る。まづ内題提名を摘記すると、 天 台 法 門 名 雲 市 町 一 蹴 ⋮ 諸 大 ・ 文 大 章 也 。 沙門忠苓詑

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と記されてゐる。落に於て第一に注目されねばたらぬのは、題下に﹁行満相承四筒大事﹂の割註され、なほその下に ﹁大文大章也﹂と記載されてゐるととである。しかも撲名は﹁抄門忠幸記﹂とたってゐる。市して容中に限をやれば三 十二丁に﹁依経要門決﹂と記され、また四十八丁には﹃大乗止観決﹄と掲載されてゐるのである。伺ってその内容方 商より考察するに、初丁より三十二丁までは玄義に闘する分、﹃依経要文決﹄のもと十七丁は文句に、﹃大乗止観決﹄の もと三丁は止観に闘する分であるととを看取するのである。斯の如くに本警は三大部それぞれ忙封する口倖口決より する末疏たるととを知り得る。而して巻頭初一帯は序分ともいふべきものであって、口偉法門の組織並ひに本書の位 置に閲して詑越されてゐるのである。いまそれを摘記すると、 高 師 慨 貞 元 廿 三 年 一 渡 漢 山 皆 、 遇 二 師 偉 宗 義 、 道 迭 し 附 一 広 一 心 三 観 ・ 心 境 義 ・ 止 観 大 旨 ・ 法 華 探 義 、 皆 、 山 此 問 要 、 衆 義 遇 措 。 胃一四まづ右の如く詑せられ、道遼帥相承﹁四要しの名目をあげ、共に捷いて、 行満師云宗有四筒惣倖.我師智者大師以四惣義過決諸義。共同義者、 一偉大師所設三部害義.二体義語、三偉観心 四授生死一大事一言。 とて行満師相承四筒惣侍なるもの h 名目をあげ、そしてその連交に、 初 本 堂 7 1 停者‘此亦有種々別倖。 一 本 書 通 決 別 義 、 七 両 相 承 是 、 如 別 説 、 二大文大章、三章段別意決、此本書惣別 積 倖 也 。 と記述されてゐる。即ち行満師相承四間惣俸の第 ﹁犬師所説三部害義﹂または略して﹁本書偉﹂と云ふに三侍ある ととを一不し、その名目をあげて前四の惣偉なるに針してとれは﹃ニ簡の別倖であるとの意を記されてゐるのである。つ いで﹁三部総起﹂に就きてまた略記されてゐるのであるが、以上が第一需に述べられてゐるととろの大要である。因 東陽房忠君守の著書に就いて 一 二 五

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東陽一傍忠尋の著書に就いて 一 一 一 六 み に そ れ を 同 一 不 す れ ば 、

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道 逮 師 四 要 法 止 心 、 ー ・L..

観 境 義 観 大 ヒ2 !cl ず長 1雪 ミ 義

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一、本書誼決別義 一

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一、偉大師所説三部主義

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一二‘大文大荒 1 一 二 、 倖 設 題 ﹁ 三 、 章 段 別 意 決

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行 満 師 四 筒 惣 侍 ! 一 一 三 、 倖 翻 心 ﹁四、投生死一大事二 一

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一 、 三 部 同 意 決 ﹁‘:八文大京決 斯の如くであって、なほ﹁本書題決別義﹂の下に註して﹁七回相承是、如別註﹂とある o 伺ってとの別傍三向の中の初 偉に閲してはまた別に存するととを知る。市して木舎の﹃天台法門名決集﹄は宜にとの第二停に属するものであるの である。その内題下に、﹁大文犬幸也﹂と特記されて居り、また第二丁の本文胃踊の何は﹁大文大北円十億者:::﹂に始ま ってゐるに牒しでもそれが明かに看取されるのである。而して四惣義の第二、三、間各停に閲しては本書中には何等 取り扱はれては居なく、たど特山尾に於て簡翠なる註書をされてゐるにすぎたい。それを摘記すると、 弐義過者、十七筒五十二重敬和、震本圃制

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と﹁義遇偉﹂に関する依目をあげ、弐に﹁翻心偉﹂に就きて、

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弐 翻 心 者 、 一 家 行 分 也 、 一 心 三 棚 、 一念三千、乃至、事相別行等制別 とあり、共に﹁生死一大事﹂に閥しては‘ 共 生 死 一 大 事 者 、 一安心行者有三類︵巾略︶・二五堪三遠山博訓別、三諦経一時時拝行・法花生死一大事妙行也。 右の如く記されてゐるのみでるる。﹁如別記﹂と註書されてゐるととろよりみて.それ等は各々別本をなして存したも の と 知 る 。 斯の如く最澄削入唐して遺遼師より﹁問要﹂を相悼し‘行渦師よりは﹁問惣義﹂を相承した、而して﹁四惣義﹂の ﹁本書倖﹂にはまた三筒の別傍があり、第二停の﹁大文大章﹂とそいまの﹃天台法門名決集﹄である。との所説が空間 然一尾の二筒問の仔辿によって明らかに看取されるのであって、落に於て先づ本書の口博法門に於ける組織的位置が、 また明らかにされてゐるのを知らねばなら左い。 されば如上の記事並びに本支等に就きて、次に重要なる諸問題を提問躍することとする o まづ第一に注目されねばなら ぬのは‘最澄師入守して遼渦二帥に偶ひ‘道遼師より﹁問要﹂を相侍したといふそのことは‘日本天台口億一法門の通 絡であって、諸書共通の皐訟でもあるのは今夏費言を一安しない。それが原醸はまた倖説大師著と倖へられてゐる﹃修 開 寺 決 ﹄ 位 一 寸 に 費 す る と と も 就 に 周 知 で あ る 。 然るにいまその遼川相承﹁凶要﹂に劃して、行浦川の﹁四惣義﹂︵亦名 四筒惣倖・四義︶なるもの L 相俸を立て L ゐ る と と で あ る 。 併 か も ﹁ 凹 惣 韮 ﹂ の も と に 一 二 位 向 の 別 倖 £ 開 い て 、 惣 別 ム 口 して七筒の俸をなしてゐる口さればこの組織はとりもなほさヂ遼帥相承の﹁康博凹前大事 L のもとに﹁時停三筒﹂を 開き﹁七筒法門﹂を立つると相釘的・なるに注目されねばなら・ない。即ち﹁逮師七筒法門﹂に封して﹁湖帥七筒法門﹂ が誌に存するのを知る。従来﹁悪心流七筒法門﹂なるものは﹃修蹄寺次﹄﹁決光類楽﹄﹃二帖抄﹄並びに﹃等海口侍﹄ 市 胤 陽 房 山 山 尋 の 著 書 に 就 い て 七

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東陽房忠専の著書に就 v て 4 − 4 E

− − − ,

等により、遺逮師相承弘仁七簡の法門として、その閣牢祇的組織休系の存在は重大観されて来てゐたが、行満帥相偉に 斯る組織的口停法門の体系の存するととは何等知られてゐなかった。いまとの﹃天台法門名決集﹄に於て斯の如き整 然たる組織形体を持つもの L 存したのを鷲見した次第であって‘蕊に本書の草要性乞まづ提奉せねば・ならねのである a 失に問題となるべきは、別偉三筒のうち初停たる﹁本書通決別義﹂のものとに寸七回相承是訓別﹂と記山題されてゐ る離にある。﹁七回相承﹂とは倖散大師撰として﹃一二大章疏七面相承口訣﹄たるものが全集に牧載されてゐるが、それ が恐らくはいまの﹁別詰﹂たるものと考へるのである。他に斯る抄物の存在するを未だ鷲見し得や、また雨ぎの内容 を検するに同一思想傾向にあり‘緊密なるものが存するのを見出すからである。果して然りとすれは雨者は所謂姉妹 結であるととを認めねばたらたい‘との賠に於てまた本書の重要性を看取するのである。 次に本文の内容に就きて一併するに、その文体、用語の上に於て直ちに感受されるととろのものは﹃修蹄寺決﹄と 酷似する貼、また﹃漢光類緊﹄とも共通する貼の多々存するととである。いまそれ等に就きて一− R 典蟻を懇ぐぺきで あるが繁に亘るを以って割愛し他白金き研究の成果・を期するとと h す る 。 上記の諸賭と関聯して、より重大性を趨してならねのは本書の撰者の忠尊師とむってゐる貼でるる。従来忠尊師は 患心流中古の名匠として、また事宜上の恵心流曲申祇岨として認容され来ったととは是れ亦多言を要しない。而して車 心流とは、その曲申涯的解樺に於いて‘道遼師相承の思想体系に基底付けられ、出穫してゐるとされてゐる。とれに封 して檀那流は、働立和尚行浦師相承の法門に在りとされてゐるのであるが、此の由宇祇的解轄の建前を般に肯定すると せば、蕊に本書の如き行浦師相承の法門に封する著作に﹁忠苓詑﹂とあるのは甚だ首肯され難いとと L − な る の で あ る 然るに立撮を縛換して考察するたらぽ、斯る恵檀雨流皐抵の根擁を遅滞二師別俸に出張するとする皐設は、其慮に何

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等の歴史性を持た歩、それは後世の皐祇封立期に於ける専ら恵心流の所産なりとして眺める場合.ひいては忠尊師の 製紙的存在に封してまでも自由なる観察を下され、従って斯る行渦相承法門の著書に封しでも狛ほ撰名の如く忠等詑 たるを骨定されて然るべきとなるであらう。持して此等雨説に於てその決定を如何にすべきかど本書に課せられたる 宜に京要たる問題である。 向ほ再度言及し注目を喚起すぺきは、本書と﹃三大章疏七回相承口決﹄とを一共姉妹捕と認められたる結、﹃修師寺 決﹄と相似たる賄、並びに﹃漢光顕楽﹄と閲係を持すると見らる L 貼 J 斯る諸賄より考察して此等の書は或は同一系 統の所産に属するたらんと推測される結にである。而して一は道遼師相承に般り、 一 は 行 満 師 相 承 に 、 一 は 倖 救 大 帥 に 似 托 し 、 一一は忠尊師撲とする。内容の上に於てまた一は侍法問筒決、七箇大事であり、 一 は 四 箇 惣 体 、 七 筒 法 門 ︵ 七 面口決﹀である。斯の如く雨者相封的部両の多々含有する賄によって、此等雨者には必やや緊密なる閥係の存するで あらうことを想定せざるを得ないのでるる。されば該書等の間の閥係交渉並びにそれ等の撰者、時代等に就きての究 明は、騰で日本天台口偉法門耐究の上に、持亦恵檀雨流皐祇護生史的研究の上に、根本的解決を粛らす一資料として 最重要性を持うものと断言して樺らない。今はたど本書の如さが存すると.また斯る草要性を内包する問題を提来す るに止めて他日の究明をまち詳論を期する共第でるる。︵績︶ 東陽房忠尋の著書に就いて 一 二 丸

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