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S.T.コールリッジの自然観について

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S.T.

コール リ ッジの 自然観 につ いて

On S. T. Coleridge's Concept of Nature

は じ め に 自然 と精神、外界 と人間の内的世界 は共通 の法 則に よって結ばれ 、そ こには一貫性があ るとい う のが ロマ ン派の詩 人たちが共有す る心情 であ った。 ワ-ズ ワース (William Wordsworth)は コー ル リッジ(S.T.Coleridge)との共 同労作 F拝情民 謡集』(LyricalBIllads)の1802年版 の序文 の中 で、 「人間 と自然 とは本質的に相適合 してお り、 人間の精神は 自然 の最 も美 しくまた興味深 い特性 (1) を映 し出す鏡であ る」 とい う確信 を表 明 してい る。 ワ-ズワースはまた「ブロスベクタろ」(aProspectus") の有名 な一節で こ ううた うo

How exquisitelytheindividualMind/日 . totheexternalworld/Isfitted:andhow exquisitely,too/Theexternalworldisfit -tedtotheMind;/Andthecreation(byno lowername/Canitbecalled)whichthey withblendedmigや2t,/Accomplish :thisis ourhighargument.

何 と微妙に も個 人の心 は外部世界 に適合 してい るこ とだ ろ う。 また、何 と微妙に も外界 は心に 適合 していることだろ う。そ して両者が力を合 わせ て成 しとげ るところの創造作用 (これ よ り 低いいか な る語に よ って もこの働 きは呼 ばれ る ことはで きない)- これ こそわれわれ の詩 の 高遠 な主張なのだ。 コール リッジの哲学的探究の主要な部分 は、 こ の 自然 と精 神の一貫性 とい うロマ ン派の心情 を、 理論的に解 明 し、構築す ることに 向け られた。そ して彼 はその仕事 を通 して、 ロマ ン主義文芸理論 の確立に少 なか らず寄与 した といえ よ う。

Ryoichi Funayama

1. (1) 主観 と客観の分離に悩み、イギ リス経 験論 、 なかんず く- - トレー(David Hartley)の観念連 合説 にみ られ る物質主義 に同調 しえなか った コー ル リッジに、解決の道 を さ し示 したのは ドイ ツ観 念論 であ った。新版 の F文学評伝』(Biog71aPhia Liteyaria)の編著、エ ンゲル(JamesEngell)と ベ -チ(W.Jackson Bate)は、コール リッジは ラ イプニ ッツ(G.Leibniz)以来 の ドイ ツ哲学 に、現 代科 学 と古典的価値及び宗教 とを結 びつけ る錠 を 兄い出 し

3: と指摘 してい る. コール リッジが探 して得たものは、とりわけカソト(ImmanuelKant) に始 ま り、フ ィヒテ(JohannG.Fichte)を経 由 し て シ ェ リング(Friedrich W.Schelling)に至 る ド ィ ッ先験論哲学 であ ったが誓本稿 ではなか で もシ ェ リング哲学 との関わ りにおいて コール リッジの 思想 を考察 してみた い。 コール リッジはネオ ・プ ラ トニ ックにひかれ る 生来 の観念論者であ ったが 、全 てを観念 のつ くり もの とみ るバ ークレー(G.Berkeley)流の絶対的観 念論 に与す るには、余 りに 自然科学が勃興 しつつ あ った時代の子 で もあ った'.5'我 々の意識 か ら独立 (6) して 「外界の事物は存在す る」 ことは、 コール リ ッジに とって 自明で抗 Lがたい命題であ り、その 客体 の総体である自然は、我 々の主体的 な ものの 総体 である自我 と相対立 して存在す るもめ であ っ た。 しか しこの両者は、共通 の原理 で結 ばれ てい るとい うのが ロマ ン派が共有す る心情であ り、そ の理論化を コール リッジに先がけて シェ リングが 「同一哲学」 として達成 していた。 (2) コール リッジは F文学評伝』 で シ ェ りソグの

(2)

哲学を、省略 した り説 明を加 えなが ら翻訳 し、ほ ぼ忠実に取 り入れ てい る。 ここに長年 の論争 の種 となって きた割窃(plagiarism)の問題があ る。 本 稿は この問題に詳細に立 ち入 るこ とはで きないが 、 コール リッジの思想を論ず る場合 に無視 で きない ことゆえに、私の基本的な立場 を明 らかに してお きたい。 コール リッジは F文学評伝』で剰窃だ という非 難がお きることを予期 して次の よ うに弁 明 してい る

「シ ェ リソグの F自然哲学』 や F先験 的観念 論の体系』の中には、私が骨を折 って発見 した も の との生来 の一致があ り、 また私 の今後 の課題に 大いに役立つ と思われ るものが含 まれてい ること には じめて気づ いた‥ .すなわ ち極めて著 しく類 似 してい ることの多 くは - 実際私の主要 なかつ 基本的な思想は - すべ てこの ドイ ツの哲学者 の 書物を-頁 た りとも播か ない うちか ら、私の心に 生 まれ熟 してい ったのであ るL

7

'ォ ーシニ(GianN. G.Orsini)は、1969年に著わ した Fコールリッジと ドイ ツ観念論』(Colen'dgeandGemum Idealism) の中で、 F文学評伝』第12章 お よび第13章 におけ るシェリングか らの出典の箇所 を表にして示 した上 で、 「これは、 F生来 の一致』 の結果の よ うには 殆 ど見 うけ られ ない - む しろ出来合 いのテキス トを巧みにあや つ った ものの よ うであ る」(This doesnotlookverymuchlike"genialcoinci -dence"- rather,a manlpulationofwritten

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.竿との判断 を下 してい る。 さ らにオ ーシニは、 コール リッジが しば しは彼 の思想 の先行性 (pri -ority)を主張 してい ることにふれ て、今 日編集、 出版 されてい る彼 の F備忘録』や F書簡集』 を読 めば、次 のこ とは明 らかであ るとしてい る。

Nowhereisthereatrace orthestupend()us intellectual feat involved in the antici_ pation,aubyhimself,ofthewholedevelop一 mentofGermanphilosophyfrom Kantto Fichteand to Schelling,even less orhis havinganticipated"allthemainandfunda -mentalideas".fthesethinkers(?) カ ン トか らフ ィヒテ 、 シ ェ リングに至 る ドイ ツ哲学 の全発展に、 コール リッジ自身が完全に 先立 っていた こ とを示す 人並みはずれた知的業 績 の跡 は どこに もない し、 ま して これ ら ドイ ツ の思想家 の主要かつ基本的な概念 に彼が先立 っ ていた ことを跡づけ るものは どこに もない。 オーシ二は、 コール リッジが 自らの思想 とシ ェリ ングの思想が一致す るのは、彼 らが共に カ ソ トや ブルーノ(Giordano Bruno)やべ - メ(Jakob Bldhme)等 の同 じ思想家に学 んだためであ ると主 張 してい ることを検討 して、その弁 明は彼 の思想 の経歴 とも矛盾す ることを指摘 し、 こ う結んでい る。

Whenallconjecturesandevasionsareset aside,whatremainsisthatColeridgewas the first and most brilliant disciple or Germanidealism inEngland.

The factthatColeridgeincorporated so muchofSchellinginhisownbook,either bytranslationoradaptation,simplymeans that,atthattime,heacceptedSchelling's argumentsandadoptedhisphilosophyO・印

あてず っぽ うや言 い逃れ をすべ て取 り去 った 後で残 るものは、 コール リッジは英国におけ る 最初 のそ して最 も優秀 な ドイ ツ観念論 の弟子 で あ った とい うことであ る。 コール リッジが彼 の書物の中に シ ェ リソグを 翻訳 あるいは改作 の形で大量 に取 り入れた とい うことは、一重に この時期彼が シ ェ リングの主 張 と哲学 を受容 した ことを意味す る。 私 も コール リッジの彪大 な著作の一部 を読 んだ 限 りでは、オーシこの以上 の見解に基本的に同意 せ ざるをえない。 なお この問題 を よ り詳細に検討 した、Fコール リッジと汎神論的伝統』(colen'dge andthePantheistTyiadition の著者 マ クフ ァー

ラン ド(ThomasMcFarland)は、そ の結論部分に おいて、 「シ ェ リソグは コール リッジの最 も深淵 な哲学的 で宗教的確信 とは関係のない ことを立証 で きるし、私 もそれ を立証 した い と思 ってい るの であ るが、 コール リッジはなぜ シェ リングの翻訳 を したのであろ うか'l"と述べているO マ クフ ァー レソは、 コール リッジが シ ェ リング哲学を翻訳 し て 自分 の著作に取 り入れた事実 を認めなが らも、 なおかつ シ ェ リングとは異な る コール リッジの思 想 の独 自性を信 じてい るよ うである。

(3)

(3) F文学評伝』第12章は、次章 で定義 され る想 像 力説 の哲学的準備 とな る章 であ ることが、冒頭 で コール リ・ツジ 自身 に よって 明 らか に されてい る。 この章 の主た る円容は、 シ ェ リングの F先験 的観念論 の体系』

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か ら採 られてい る. コール リッジの 議論 の展開 を追 ってみ よう`㌘ 認識作用 においては、意識 を有す る自我 と意識 を もたない 自然 の共同作業 が必要 とされ る。 この 客体 と主体 との関係か らな る認識作用 の可能性 と 必 然性を証 明す ることが、 コール リッジに とって の課題 であ る。それ には2つ の方法があ る。 1つ に は、客体的 な ものを最初 に考 え、そ こか らそれ と合一す る主体的な ものを説 明す るこ とであ り、 他 方は、主体的な ものを最初 に考 え、そ こか ら客 体的 な もの との合一 を説 明す ることであ る。 シ ェ リングに おいては、前者が 自然哲学 の、後者が先 験 哲学の方法 であ り、結局 この両者は同一 であ る ことが論証 され るのであ る。 本稿 の主題 である前者に関 して言 えば、 「あ ら ゆ る自然が知性及び 自己意識 とい うた いへん よ く 知 られた能 力 として人間の中に存在す るもの と本 質において同一 であることが立証 された とき」 自 然哲学の理論 は完成 された ことにな る。 他に依存 せずそれ 自体 に根拠 を もつ絶体的真理 は、客体で も単 な る主体 で もあ りえない。 なぜ な ら事物であ る客体は対立す るもの としての主体 な しでは存在 せず、単 な る主体である経験的 自我は、客体 と対 象的に区別 された限 りにおいて存在す るか らであ る

「この原理 は、主体だけで も客体だけで もな くて、両者 の合一 の中に兄 い出 され なけれ ばな ら ない」 ものであ るo こ うして コール リッジは、絶 対 的 自我(AbsoluteH の概念に到達す る。

Thisprinciple,andso characterised,mani -festsitselfintheSuMorIAM;whichIshall hereafter indiscriminately express by the wordsspirit,self,andself-consciousness.h tbis,andinthisalone,objectandsubject, being and knowlng areidentical,each i n-volving,andsupposlngtheother‥ ‥

I

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maybedescribedthereforeasaperpetual selr-duplicationofoneandthesamepower into objectand subject,which presuppose

eachother,andcanexistonlyasantitheses.3 この よ うに性格 づけ られ た原理 は絶対 -自我 (SUMまたはIAMの世界)とい うもの として顕 現 す る。そ してそれを、私は これか ら、精神 と か 自我 とか 自己意識 とい うよ うな言葉 で区別せ ず に表 現 しよ う。 この よ うな考 え方 を しては じ め て、それぞれたがいに他を含み他を想定 して い る客体 と主体、つ ま り、存在 と認識 とが一体 とな るのであ る..‥ そのことは、 おたが いを 前提 とし、正反対な もの としてのみ存在 し得 る 客 体 と主体 の中に入 り込む同一 の力の、永遠の 自己の二重化 として説 明で きよ う。 ここで述 べ られ て い る絶 対的 自我 と して の自己 意識 は、我 々一般 の経験 的 自我 とは区別 され る神 の地 位 まで高め られた 自己意識であ り、そ こでは 私が私 を知 るとい う行為 の中に、認識 と認識対象、 主体 と客体 の必然的な一致 をみ るとされ る。 カン トを継いだ フィヒテの自我は、非我 とは どこまで も相 入れ ない異質な存在 であ った。 シ ェ リングは この フ ィヒテの 自我 と非我の峻厳 な対立 を乗 りこ え よ うとして 「絶対的 自我」の概念 を提 出 した。 その概念 においては絶対者 のなす 「知的直観」は 認識 と認識対象が一つの形式であ るがゆえに、存 在 と認誠 、 自我 と非我、主観 と客観の同一 が達成 され る、 とシェ リングは唱えた。oDコール リッジは この シ ェ リングの 「絶対的 自我」 の概念 を F文学 評伝』 の中心的思想 として採用 している。 自己意識 であ る精神は 、 自己の同一性 を意識す るためには、その同一性 を 自己 と他者に分解 しな けれ ばな らない。 この ことは意志 を もって しかな され ない1つの行為であ る。 したが って 自己意識 的精 神は行為で もあ り、 また意志 で もあ る。 コー ル リッジが シ ェ リングか ら学 んだ この よ うな自 然概 念 は、客体 と しての単 な る事 物 や現 象では な く、 自分 の他者 を内に含 み、 自己二 重 化 の行 為 を もっ て 自己 を実現 してゆ く、現 実 の客 観的 事象 の底 に あ る意欲 として活動 す る原 理 で あ っ た。 コール リッジは

、「

2

つの対立 した正反対の 作用 を もつ不滅 の活動力」す なわ ち絶対者 につい ての理論 を、動的哲学(DynamicPhilosophy)と 称 して F文学評伝』 の末尾 に 「ロゴ ソフ ィア」

(`IJOgOSOphia')の章を起 こして詳述することを約束 したが、それは果たされなか っ長lo5'本稿 は この実現

(4)

されなか った コール リッジの 「ロゴソフ ィア」の 内容を、彼 の 自然観を中心に、残 された彼 の資料 の中か ら再構成す るこ とを以下 の課題 としたい。 まず F文学評伝』 の他 の章にそれ と思え る内容 が散見 され る。第12章 の哲学的議論 を引 き継 いだ 第13章 の前半には こ うい う記述があ る。 「先験哲 学者は

F

2

つの相反す る力を内包す るような 自然 を与 え よ。 1つは無限 に拡大 しよ うとす る力、 も う1つは、 この無限 の中 で 自己を感知あ るいは認 識 しよ うと努め る力、 この2つを内包 した 自然を。 そ うすれ ば私は、表象がすべて体系化 され てい る 知性 の世界 を諸君の眼前 に表わ してみせ よ う』 と い う‥ ..哲学者は知性 を発展段階 の中で考察す る。す なわ ち、その誕生 か ら成熟 にわた って、知 性 の歴史 を心に描いてい るぎ次いで コール リッジ は、 カソ トが哲学の中に負の数量を導入 した ことの 意義を問い、それは物体の相反す る方 向に働 ら く運 動力を表記す るのに有効 な概念であ ると論 じた後 で、 こ う書いている。

‥ .itwillthenremainforustoelevatethe Thesisfrom notionaltoactual,byconte m-platingintuitivelythisonepowerwithits two inherent indestructible yet counter -actingforces,andtheresultsorgenerations towhichtheirinter-penetrationglVeSeXist -ence,inthelivingprlnCipleandinthepro

-cessofourownself-consciousness‥ ‥ no otherconception ispossib一e,butthatthe product[orthecounteraction orthetwo rorces]mustbeatertium aliquid,orfinite generation.Consequentlythisconceptionis necessary.Now thistertium aliquidcanbe nootherthanan inter-penetrationofthetlTI counteracting powers,partaking ofboth. ‥ .われわれに残 され ている問 題は、本質的で 破壊す ることので きな い、 しか したが いに反発 しあ う2つの力を備 えた この1つ の活動力 と、 さらに この2つの力が相互に浸透 す るこ とに よ って生 じて くる結果す なわち生成 とを、われわ れ 自身 の 自己意識 の生 きた原理 と、そ の過程の なかで直覚的に観照す ることに よって、 この命 題を観念的な ものか ら現実的 な ものへ と高め る ことであ る‥ ‥ [これ ら2つの力の反作用の ] 結果は、第3の中間的 な ものか、有限 の生成 と い った ものに ちがいない と考 え る以外 に、いか な る考 えを当 てはめ よ うと思 って も不 可能であ る。 したが って必然的な結果 と して、 この第3 の中間的な もの とい うのは、たが いに反発 しあ う2つの力が相互に内部浸透 した ものにはかな らず 、それゆえ この2力が分 ち もつ ものなので あ る。 オー シニは、 ここで コール リッジが突然議論を 止めた理 由をい くつか推量 して、それは彼が シ ェ リングの観念論 の中心にあ るのは絶対的主観主義 で、それ は彼が放棄で きない人格神 に否定的であ ることを見て とったためであ る と判断 してい る。 そのために コール 1)ッジは、 F文学 評伝』 でこの 議論 には2度 と帰 らず、その後 の著作で シ ェリン グの観念論的主観主義 との長期 の闘 いに駆 り立 て (1S) られ ることにな った と述べてい る。 だが私は、 コ ール リッジが 『文学評伝』以後 、 シ ェ リングの哲 学 と枚 を分か ったのは事実であ るとして も、彼 が シ ェ リソグか ら学びえた中心的思想 であ る 「自我」 の概念や 自然観は、その後 の コール リッジの思想 の1つ の出発点 とな った のではないか と考 える。 それゆえに この時期 の コール リッジの思想に もう 少 し深 く分け入 り、探 ってみたい0

2

.

r文学評伝』 以外で、 コール リッジが シ ェ リン グの r先験的観念論の体系』 か ら翻 訳あ るいは改 作の形 で書 き著わ した ものに、未公 開の資料 であ るが大英博物館所蔵 の彼 のMSS.の中の 目録名 "the`Ⅰ川があ る。 この原稿 の紙 のす か しに1812と あ るので、 これ は コール リッジが r文学評伝EJを 準備 しつつあ った時期 にそれ と同 じ問題意識 と内 的欲求か らシ ェ リングに接近 してゆ き、その結果 生 まれた もの と思われ る。それ ゆえに これは r文 学評伝』 に盛 られた コール リッジの当時 の思想を 知 る上 で、 また コール リッジとシ ェ リソグの影響 関係を知 るために も必要で有益 な文献 と思われ る ので一 部省略 の上以下 に訳 出 してお きた い。 なお これ は入手困難 な資料ゆえに、 オー シニが rコー ル リッジと ドイ ツ観念論』に掲載 した文 か ら借用 させていただいた。 なお太字体 はオ ーシニが指摘

(

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-A す る コール リッジがつけ加えた部分 で

ある

(5)

THE"I"

"Theconception,∫,involvesafarhigher lsic]thanthemereexpressionofIndivi du-ality-itistheactofSelf-consciousness,ge -neticaHy,absolutely,Coinstantaneouswith whichtheconsciollSneSSOfIndividualitywill doubtlessintroduceitself,asitsShadowor Derivative,butwhich doth itselfcontain nothingIndividual.Forwearenow spe ak-1ngOrtheAbsoluteI-andthisisnoother thantheeternalActofSelf-consciousness initsuniversality- andfrom t

h

i

s,asfrom itscreativesource,all Individuality must bederived.

"StilllessundertheI,asPrinciple,must beunderstoodtheempirical(ixperl'enced)I, theIwhichpresentsitselftoanempirical ornaturalconsciousness.ThePuyleCOnSCious -nessvariouslydetermined,conditioned,and limited,givestheempirical-thelatteris differentiatedfrom theformerbyitslimits only-removethelimits,oroutHneof the empiricalI,andthereremainstheIabso -lute,IHustratedbyconcentriccircles.-

-◎

Butthepureself-consciousnessisanAct, whichliesoutof allTime,yea,itisthat whichconstitutesTime;whHethe emplrl -CalConsciousnessisthatwhichisself-gener -atedinTimeandinthesuccessionofrepre -sentations-FitetTac

i

t,cleatet.cl・eatur. TheydifferasTimeandEternity,asMan andGod.

"ThequestionwhethertheIisaThing(a rea一ity, TOloL'TWS・W L,)ora Phaenomenon

-Appearance.issenseless.Itisinnosense anything,neitherThinginitself,norPhae -nomenon,neitherSubstance,norApparition lAppearance erased],neither Body nor Soul- ltisSpirit....

``Itisforthisreasonthatwecannotsay ofthetruelthatitexists:for it is the G710undofExistence-itgivesexistence in allThings,butisnotitself.Theeternal1 AM,"ort,hetimelessActofSelf-affir

ma-土ion,needsnoBeingtosupportit,has no SubstanceorSubstratum,butself-upborne, self-sustained,revealsitselfobjectuely,as theeternalBecoming,Subjectively,as the INFINITE PRODUCING!" 「自 我」 自我の概念には、単な る個体性の表現以上の ものが含 まれ る。 自我は発生か らして絶体的に 自己意識の行為であ り、それに伴 って個体性 の 意識がその影あるいは派生 として入 りこんで く る ことは疑 いが ない。 しか し自己意識 そ のも のには個別的な ものは少 しも含 まれない。 とい うのは ここで問題にな るのは絶対的 自我 であ り - これは普遍性を もつ 自己意識 の永遠 の行為 に外な らない- 、この創造的な始源であ る絶 対的 自我か ら全ての個体性が導 き出され なけれ ばならないか らである。 原欝 としての自我 の もとでは、 亡個別的な自 我 が]考えられないのは もちろん、経験的ある いはあ りきた りな意識において現れ る経験的 自 我 も考えられない。純粋意識が様々に規定され、条 件づけられ、制限されて経験的意織を生み出す- 後者は制限されていることでのみ前者と異なる-その制限、すなわち経験的自我の外郭を取 り除けば、 同心円で示せる絶対的自我が残る:- しか し純粋自 己意識は1つの行為であ り、あらゆる時間の外に存 在する、のみならず時間を構成しさえする。他方経 験的意識は、時間の中で、表象の継起の中で産出さ れ るものである- かたや作られかたや作 る、かた や創造 しかたや創造 される。 自己意識 と経験的意 識 は、時間 と永遠、人間 と神のごとくに異なる。 自我が物 自体 (実在的な もの)であ るか現象 であ るか とい う問は、無意味である。 自我は決 して物 ではない、物事体で も現象でもな く、実 体 で も仮象 [現象が消去 された] でもな く、物 体 でも魂 で もない。それは精神である‥ ‥ この [物には適館 るいかなる賓辞 も自我に は適合 しない とい う]理由で、我 々は真正の自 我についてそれが存在す るとい うことがで きな い、 とい うのは自我は存在 の根拠であ るか らで あ る- 自我は全ての ものに存在を与 え るが、 存在その ものではない。永遠 の 「絶対的 自我」、 す なわち時間に制約 されない 自己証明の行為は、 それが支えられ るところのいかなる存在者 も必 要 としない。 自我は実体 も基底 ももたないが、

(6)

自らを育み、 自らを保持 しつつ、客観的には永 遠 な る生成 として、主観的には無限 な る生産 の 行為 として現れ る。 ここで コール リッジが シ ェリソグの絶対者 の概 念を同心 円で図示 してい ることは、彼 の シ ェ リン グ受容のあ り方 として注 目され る。

3

.

コール リッジの死後14年にな る1848年に出版 さ ⊂コ れた F生命論』 (TheTheo7yOfLlfe)は、 F文学 評伝』 と同時期 の1816-17年 の作 と推定 され る㌘ また これは コール リッジが畢生 の作 と意図 した rロ ゴソフィア』 の一部 をなす もの として構成 された C-ll とみなす ことが で きる。 この書は、フォーグル(氏. H.Fogle)が指摘す る ように、全 く文学的内容を 持たないが、 コール リッジの思想が異な る広範囲 の領域において同質性 を もつ ことを例証す るもの であ り、 また彼 の文芸批評 との精密な照応関係を もつがゆえに、特に重要視 され る㌘ コール リッジの生命論は、 「自然 の生命」(the LireofNature)論であ り、それゆえに これ まで み て きた彼 の 自然 観 と軌 を一 にす る。 彼 は生物 と無生 物 を区別 す る通 念 に異 議 を唱 え、両者 を 統一す る普遍 的原理 と して の生 命 論 を提 唱す る (p21)。とは いえ、生 命 を神 秘的 に説 明す るこ とには反対であることを、 コール リッジ 自身が明 言 してい る(p33)。 彼 は 「生 命 とは何 か」 とい う問に、端的に 「真か与実在す るもので生命でない ものがあろ うか」(What,isnotlifethatreally is?)と答 え る。 これは当時支配的 であ った機械 論的生命論に対 して根本か らの見直 しを迫 る定式 であった。 コール リッジは、彼 の生命論 の核心を次の よ う に比愉を用 いなが ら説 明す る。 Thatthese degrees willthemselvesbring forthsecondarykindssufficientlydistinct rorallthepurposesorscience,andevenfor commonsense,Willbeseeninthecourseof thisinquisition:forthisisoneprooforthe essentialvitality ornature,thatshedoes notascendaslinksinasuspendedchain,but

asthestepsinaladder;orrathersheatone andthesametimeascendsasbyaclimax

,

andexpandsastheconcentriccirclesonthe lakefrom thepointtowhichthestonein itsfallhadgiventhefirstimpulse(p.41).

これ らの (低位 か ら上 位 にわた る )程 度 が、 科学 のすべ ての 目的に とって、 また常詔如ことっ て も十分なだけ の区別を もった二 次的な種類 を 生み出す ことは、本論 の探究 の過 程で明 らかに され るであろ う。 自然が本質的に生命的 であ る ことの一 つの証拠は、 自然がつ り下 げ られた鎖 の環 の形ではな く、梯子 の段 々の形 で発展す る ことであ る。 自然は1つ の クライマ ックスに達 して上昇す ると同時に、同心円を な して拡が る といった方が よいか もしれ ない。 ち ょうど湖に 投げ られ た石が、最初に力 を与 え られたその場 所か ら、同心円の輪 を拡げてゆ くよ うに。 前項でみた絶対的 自我 の同心 円的発 展が、 ここで は 自然の概念に適用 されて繰 り返 され てい る。 自然 の進化は、万物が同一 の原理 に基づ いて、 下位 の程度か ら上位の程度- とひ とつひとつ昇 っ てゆ く、ない しは拡が ってゆ くプ ロセスにあ ると 考 え られ てい る。 この拡大上昇す る自然 の原理が コール リッジの 「生命」 の理念 であ り、それは 口固 体化 の傾 向」(thetendencytoindividuation)と 呼ばれ る(p49)

「生命」 の理念 は また物体や現象 の内的繋辞(internelcopula)であ り、それ ゆえに 「多様 の統一」(unityinmulteity)としても顕れ るが(p42)、口固体化の傾向」 は この コール リッジ の中心思想であ る 「多様 の統一」 と同一 の概念 で あ る。 「生命」の理念 の もとでの部分(parts)と 全体(thewhole)の関係は こ う述べ られて い る。 Iflife,in general,bedefinedPisabintro,

cuju

s

propn'um estcoadunweplurain7'em

lEnicam,qllant17m estyleSunica; theunity willbemoreintenseinproportionasitc on-stituteseachparticularthingawholeofit -self;andyetmore,aga

l

n,lnproportionto thenumberandinterdependenceoftheparts, wbichitunitesasawhole.Butawholec om-posed,abintra,ofdifferentparts,sofar interdependent that each is reclprOCally meansandend,isanindividual(p44).

(7)

「生命」とは内か らの力であ って、複数の ものを 1な る ものであ る限 りの1な る ものに統一す る ことがそれに固有 の ものであ る と定義 され るな らば、生命体 の もつ統一性 は、 「生命」が個別 的な ものをまとめてそれ独 自の全体 を構成す る につれ て、 さらに言えは、部分 の数 とその間の 相互依存性が増すにつれ て、一層強固 とな る。 「生命」 はその よ うな部分 を統合 して全体 をな すのであ る。 しか し内か ら様 々な部分 を構成要 素 と して作 られ る全体は、その部分 のそれぞれ が相互 に手段 とな り目的 とな る よ うに依存 し合 ってい る場合に 「個」 とな りうるのであ る。 コール リッジが用 いる 「個」(individual)とい う語は、 1つひ とつの部分が相互 に手段 であ り日 的 とな る よ うに有機的に結合 してい るところの全 体 を意味 してい る。 してみ るとこれ は、 シェ リン グの用語 であ る 「有機的組識化」(Organisation) と同 じであ り、 コール リッジ自身 の造語 で 「全-な ものに形成す る」 とい う意味 で用いられるese m-plasticCOと類似の放 念であ るこ とがわか る

「個体 性」(individuality)は、部分の全体-の依存が、 全体の部分への最大限の依存 と結 びつ く場合に最 も強 くな る。 とはいえ、有機体理論 の信奉者であ る コール リッジにおいては、馳 (wholeness) の観念 は支配的であ り、部分 の全体への依存 は絶 対的であ るb44)O最後に コール リッジは、部分 と全体 の関係を こ う要約す る

「生命 の力は、全 体 としての個が最大数の構成部分 を内包す るとき、 さらには これ らの構成部分 自身が、互 いに相互依 存度 を高め るのに従 って、 占有空 間におけ る全体 的性格 を最 も強め るとき、最大 になる」(pp.44-45)0 カン トは F判断力批判』 の中で、 自然 の客観的 合 目的性 を主張 し、それは有機的存在者において 論証で きるとして こ うい う

「有株的存在者は、 た とえ我 々が他の者に対す る関係を一切無視 して、 これ をそれ 自体だ として考察 して も、なおかつ 自 然 の 目的 として可能 であ ると考 え ざるを得 ない唯 一 の存 在者 であ るJなぜな ら有機的存在者は、部 分 が全 体に関係す ることに よってのみ可能 とな り、 いかな る部分 も他の一切 の部分 お よび全体 のため に存在 している。換言すれ ば、 「自然 の有機的所 産 とは、そ のなかにおいては一切 の ものが 日的で あ ると同時に手段 となるところの もの」だか らで あ る0.0ヵン トのこの よ うな 目的論的な有機体理論 は、彼 以降の ロマ ン派的 自然哲学 の基調 とな った。 シ ェ リソグは、 フ ィヒテの硬 直 した 自我 と非我 の 対立 を、有機的生命 を手がか りに 自然 と精神 の同 一 を証 明す ることで乗 り超 え ようとした。 シ ェ リ ングに よれば、有機的生命 は 自我 であ るとともに 非我、観念的であ るとともに実在的 であ るもので あ る。 なぜ な ら 「有機性 の根本性格 は有機制が校 械制か らいわば取 り除かれ て、単に原因 もしくは 結果 としてではな く- 何 となれば有機制は 自分 自身 で同時に両者 であ るがゆ えに- 自分 自身 で 成立す ることであ る」か らであ る。つ ま り従来の 独断論者は、客観を我 々の外 にあ るもの とし、そ れ を我 々に外的な原因 と結果 として説明 した。 し か し有機的生命は この よ うな機械論に反駁 し、 自 己 自身が同時に生産者であ り所産 であること、す なわ ち主客 の同一を証 明 してい る、 とシ ェリング ¢8) は論 じている。 コール リッジの 「個体化 の原則」 (theprincipleofindividuation)は、以上の よう な カ ン トお よび シェ リングにみ られ る ドイ ツ ・ロ マ ン派哲学 の有税体理論を下敷 きに成立 してい る。 コール リッジは 「生命」 の理念 を 「個体化の原 則」 と定義す るが、それ は また 「単に所与 として あ る全 てを、部分が前提条件 とす るところの全体 - と、結合 し変化 させ る力」(the power which unitesagivenallintoaa)ll0lethatispres up-posedbyallitsparts)(p42)であるとされ る。

この 「力」の概念 を コール リッジは こ う説 明す る。

Thisassumedasexistinginkind,itwillbe required to presentanascendingseriesof corresponding phenomena as involvedin, proceeding

f

7

1

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,andsofarthereforee x-plainedby,thesuppositionofitsprogres -siveintensity andofthegradualeIllarge -mentoritssphere‥ ..In other words, thetendencyhaving beenglVeninkind,it isrequiredtorenderthephenomenaintelli一 gibleasitsdifferentdegreesand modiri -cations(pp.36-37).

これ (刀 )が、種類をもって存在することが想定 され るか ら、一連の上昇す る生命の理念 に対応す る諸現象を、次第に強度を増 し活動範囲を漸次的 に拡大す る生命の理念 を仮定 し、そ こに含 まれ 、

(8)

そ こか ら生 じ、それゆえにそれで うま く自らが 説 明 され るもの として提示す ることが必要 とな る‥ ‥ 換言すれば、個体化 の傾 向はすでに種 類 を もって存在す ることが判 明 して いるのであ るか ら、諸現象を 「生命」 の理念 の異な る程度 や変 化 として理解 しうるもの とす るこ とが必要 であ る。 「生命」 の理念は、 「個体化 の傾 向」 あ るいは 「力」 として、梯子 を一段一段昇 るよ うに徐 々に 自己を実現ない し顕在化 させてゆ く

「個体化の 傾向」 の程度に従 って、万物の 自然界に おけ る地 位(rank)と段階あるいは クラス(class)が決定 され、 檀(species)を形成す る。 クラスが もつ性質が種類 (kind)であ り、 「程度」か ら 「種類」を抽出すること が哲学の第-の仕事 とい うことになる(p.41)。以上の ことか ら、無生物か ら生物 まで自然界のすべての現 象は、 「生

の理念の実現の程度におけ る各段階の その現象化 として説明され る。 この能産的な自然 の 生命 の理念がnaturanaturansであ り、その現象 形態がnaturanaturataであ る。 この説は現象だ けをみ る横桟論的 自然観を排 して、両者 の統一 を もって 自然 とみ る立場を表明 してい る。 「個体化の傾 向」は 自然界において、種 であ る 各 クラスが媒介的に連な り上昇 してゆ く(anascend -ingseriesorintermediateclasses)(p.42)姿で 現れ る。 いまだ機械的な力 と区別 で きないが、そ れで も総合的な質を有す る低位のクラスか ら、有機 的組識化が最 高度に実現された クラスまで、 「生命」 の力は本質的には同 じ性質を もち、それ ぞれ の ク ラスは、 「個体化の傾向」の程度 の差異 としてのみ 存在す る

「下位 の力が上位の力に使用 され る (employed)のみではな く、同化される(assimilated)」

血 4

3

)

として、各段階において働 ら く力の同質性 が強調 され る。 こ うして 自然界 の万物は、 「生命」 の理念 の現実化の程度 、す なわ ち有機的祖語化の 程度 に よ り階層的(hierarchical) 秩序体系に位置 づけ られ る。 コール リッジが F生命論』 で苦心 し た ことは、神 と被造物、人間 と動物、生物 と無生 物等 のキ リス ト教 の伝統的な階層 的秩序 の観念 と、 「自然哲学」が説 く万物の同質性 の概念 を、 とも に成立 させ統一的に把捉す る道 を探 るこ とであ っ

0

.gその試み の1つ として コール リッジは、先に みた拡大上 昇す る同心円のモデルを提 案 してい る。 「多様 の統一」であ る 「個体化 の傾 向」には、 2つ の相対立す る力が内在す ると コール リッジは 考 え る。 1つは個別化す る(toindividuate)力で あ り、他方 は結合す る(toconnect)力であ る。双 方は1組の相対立す る極 として互 いを構成す る。 それ は遠心力が求心 力の存在 を 自己 の必要条件 と す るの と同 じであ り、 また 「磁石 の生命は、両極 の統一 の中に在 るが、それ は両極の闘争(strife) に よって活動 し、 自らを顕在化 させ る」 の と同様 である

「個体化の傾 向」 は こ うして内在的に対 立す る2力 の闘争 と統一 を繰 り返す 中で、最 も包 括的で高次 の 「個体性」すなわ ち有機的全-性 を 生み出す こ とへ と進む

.

「ここに F自然』のただ 1つ の偉大 な 目的であ り、究極的 な 目標があ る」

(ThismustbetheonegreatendorNature,her ultimateobject)ことを コール リッジは確信す る (pp.49-50)0 コール リッジは、 この 「個体化 の傾 向」が内含 す る対立す る2力の統一 を、 「生命」 の最高の法 則、最 も一般性 のあ る形式 とみて、 これ を 「極性」 (polarity)す なわ ち自然 の本質的二重性 と定義す る. この こ とを説 明す る次 の引用文 は F生命論』 の中で も重要 な部分 であ る。

Thetendencyhavingbeenascertained,what isitsmostgeneral law?Ianswer-

po

l

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, Ortheessentialdualism ofNature,arlSlng outoritsproductiveunlty,andstilltending toreaffirm it,eitherasequilibrium,indif -ference,oridentity.Inits

♪r

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power

,

ofwhichtheproductistheonlymeasure, consistsitsincompatibilitywithmathemat -icalcalculus.‥ .Life,then,weconsideras thecopula,ortheunityorthesisandan -tithesis,positionandcounterposition,-Lire itselfbeingthepositiveofboth;as,onthe otherhand,thetwocounterpointsarethe necessaryconditionsofthe

ma

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ori.ire.These,bythesamenecessity,unite inasynthesis;whichagain,bythelaw or dualism,essentialtoallactualexistence, expands,or

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itself,from thepoint intothe

l

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,inorderagaintoconverge,as

(9)

theinitiationofthesameproductivepr o-cessinsomeintenserform ofreality.Thus, intheidentityofthetwocounter-powers, Lifesubsisls;intheirstrifeitcons由ts:and intheirreconciliationitatoncediesandis bornagalnintoanew form,eitherfalling backintothelifeofthewhole,Orstarting anew intheprocessofindividuation(押.50

-52). 「個 体化 の傾 向」 が確 かめ られた ところで、 最 も一般性のあ る法則 は何であろ うか。私はそ の間に- 「極性」すなわ ち 「自然」の本質的 二重性、 と答え る。 これは能産的統一か ら生 ま れ、均衡や無差別 としてあ るいは合一 としてそ の統一を再び確固 とす ることに向か うものであ る。 この能産的な力は、その結果 をただ程度 と してのみ表わすが、機械的な合算 とは異な る性 質を有す る‥ ‥ そ こで 「生命」は、定立 と反 定立、定位置 と反定位置の繋辞ない しは統一 と 考え られ るが、 この場合の 「生命」は相対立す るもの双方の肯定であ る。他方、相対立す る2 点は 「生命」が 自らを顕現す る必要条件であ るO 対立す る両者は、同一 の要求か ら、 1つに統合 す る。それは再 び現実に存在す る全ての ものに 必須 の二重性の法則に よって、拡張 し自らを生 み出 し点か ら線- と向か うが、それは今一度両 者が1点に集結す るためであ る。 こうして同一 の能産的過程におけ るよ り強い現実態 の形式が 始 まる。か くして相反す る2力の同一の中に「生 命」は存在 し、それ らの闘争の内に 「生命」は 在 る。相対立す る2力の融和の中で 「生命」は 終息 Lかつ新 しい形式で生 まれ るが、これは「生 命」が全-なる姿に帰 るかあるいは個体化の過 程を新 しく始め ることであ る。 「極性」 は 「自然」の本質であ り生命であると コール リッジは考えているが、それは彼の次の一 連 の言葉か らも窺える。

Physiologically contemplated,Nature be -glnS,proceeds,andendsinacontradiction; forthemomentorabsolutesolutionwould bethatinwhichNaturewouldceasetobe Nature,1.e.aSChemeorever-varylngrel a-tions;andphysiology,intheambitiousat

-tempt to solve phenomena into absolute realities,woulditselfbecomeamerewebor verbalabstractions(p.53). 生理学的に考察すれば、 「自然」は矛盾 の うち に始 ま り、進展 し、終結す る ;とい うの も、矛 盾 を絶対的に解決 して しまえば、「自然」は 「自 然」であることを、す なわ ち不断に変転す る連 関 の体系であることを止めて しま うものだか ら。 生理学が、現象を捉 えて絶対的実体 とす る野心 的試みか らなされれば、単な る抽象的な言葉の 網 状体にな って しま うであろ う.

Irwepasstotheconstructionofmatter,we finditastheproduct,orteylium aliud,of antagonistpowersorrepulsionandattrac -tion.Removethesepowers,andtheconce p-tionofmattervanishesintospace- c

on-ceiverepulsiononly,andyouhavethesame result(p.58). 転 じて物質の成 り立ちについて考えれ ば、それ は斥力 と引力 とい う敵対す る2力の産物、第3 の別な ものだ とい うことがわか る。 これ らの2 力 を取 り去 って しまえば、物質の概念は雲散 し て しま うであろ う- 斥力だけを取 り上 げれば、 や は り同 じ結果になるであろ う。

Thatnothingrealdoesorcanexistcorre -sponding toeitherpole exclusively,isi n-volvedintheverydefinitionofaTHINGaS

thesyntlleSisoropposlngenergleS.Thata thing

l

S

,lSOWlngtOtheco-inheren(記there -inofanytwopowers;butthatitisiluZt particularthingarisesfrom theproportions inwhichthesepowersareco-present,either aspredominan?eorasreclprOCalneutraliz a-tion(p.69). 現 実的な もので一方の極にのみ対応 して存在す る ものはない し、存在す ることができないとい うことは正に 「物」を対立す る力の統合 と定義 す ることに関わ ってい る。物があ るとい うこと は、何 らかの2つの力の内にある共通 の固有性 に困る ものであるが、 しか しその物は また、こ の2つの力が、どち らかが優勢であった り、ま た は相互に中立を保 った りして共存す る、それ らの力の割合いか ら生ず るのである。 これ らの コール リッジの「極性」あるいは 「自然」 の本質的二重性についての思想は、主に シ ェ リン

(10)

グ哲学に 由来す るもの である。 シ ェ リングは F先 験的観念論 の体系』 の中で、 「所産は対立せ る活 動 の共 通 の所産 であ る。 従 って いず れ の活動 も 他の活動 を廃棄す るこ とはで きない。両者は とも に、決 して同一的な活動 としてではな く、それ ら があ るところの もの と して、すなわ ち相互に平衡 を保 ってい る所 の反 対 の活動 として、所産 の中に 現れなければな らないOJD'と論 じていた。確かに コ ール リッジは、 F文 学 評伝』や F生命論』 を著わ した後 まもな く次第 に シ ェリングか ら離れてゆ き、 1818年9月のグ1)-ソ(J.H.Green)宛の書簡にみ ら れ るよ うに F文学評伝 』に余 りに多 くシ ェ リング 哲学か ら採 り入れた こ とを後悔 し、その思想を批 判す る立場に移 ってい った ことは事実であ aOol'し か しモデ ィアノ(RaymondaModiano)も指摘す るように、 コール リッジが機械論的哲学 に対す る 批判的見地を確立す ることに寄与 したのは シ ェ リ ングの動的哲学 であ り、その核心 とな る 「極性 の 法則」 であ った ことも否定 しえないのであ aOoB コール リッジの研究 者 の問で議論が分かれ てい ることの1つに、彼 の 「多様の統一」の原理 と「対 立す る ものの融和」(reconcO3)iliationoftheoppo -sites)の原理 の関係が あ る。議論の もつれの1因 は コール リッジ自身 の暖味な言 い方 にあ ると思わ れ るが、事 の真偽は別 として、 F生命論』 の文脈 か らすれば、私は次 の よ うに、判断せ ざるをえな い

「多様 の統一」 は 、右横的組識化であ る 「個 体化 の傾 向」 と同一 の概念であ る

「個体化 の傾 向」はそれ 自身の うちに拡張す る力 と収縮す る力 とい う相反す る2つ の 力を内在 させ てい る。 この 「傾 向」が拡大上昇す る連続的なプ ロセス として 現れ るのは、 この相反 す る力の相互作用 の結果 で あ る。 この よ うに 「多 様 の統一」 と 「相反す るも のの融和」 は、全 く別 々の法則 として抱 え られて いるのでは な く、共 に 「自然」 の同一的本質 の2 側面なのであ る。換言すれば、 「多様 の統一」の 原理 は 「相反す るもの の融和」 の原理 を内合 し、 後者 は また よ り高次 の前者、す なわ ち有機的祖語 化をめ ざ して進展 してゆ くとい う関係にあ るとい え よ う。 コール 7)ッジは F生 命論』で、以上みた よ うな 「極性」を含んだ 「個 体化の原則」か ら自然 の生 命を詳述 してい るので あ るが、それ を簡単に まと めてお こ う。 コール リッジは当時 の 自然科学 の発 達をふ まえて、無機物には磁気力(magnetism)、 電気力(electricity)、 化学親和力(Chemical af -finity)の3つの基本的な力が働 らき、有焼物には それに対応 して、「再生力」(reproduction)、 「感応 力」(irritability)、「感受力」(sensibility)が働いて いるとみた。無機物の最低の レベルにある金属か ら 結晶、次いでさんご礁へ と進む。 この段階では動植 物の残津が認め られ、無放物 と有機物 の中間的性格 を有す るとされ る。有機物の世界では、植物 と動物 は相対立す る存在 であ る。 コール リッジは動植物 について、 ポ リープか ら軟体動物、昆虫類、魚類、 鳥類、晴乳類 を経 て人間に至 るまで該博 な知識 を 披渡 しつつ説 明 してい る。 人間は 「自然 の啓示」 (revelationofNature)として有税的姐識化が完 全に達成 された神に最 も近 い存在 とされ てい る Q)p.46-86)

0

4

.

先にみた F生命論』の中でコール リッジは、 「自 然」 の本質的二重性であ る 「極性」 について、「相 対立す る2力の融和の中で F生命』 は終息 Lかつ 新 しい形式 で生 まれ る」(pp.51-52)と書 いていた。 さらに同書 の他 の箇所 で、構成要素 を単に算術的 に合算 して生物体 を説 明す る機械論 を 「死」 の哲 学 と批判 して こ う言 うQ

InLi

r

e,andintheview oravitalphiloso -phy,thetwocomponentcounteトpOWerSaCtu -allyinterpenetrateeachother,andgenerate ahigherthird,includingboththeformer

(p.63). 「生命」 の理念においては、つ ま り生け る哲学 の見地か らすれば、全体 を構成す る相対立す る 2つの力は、実際に互 いに浸透 し合 い、その結 果一段 高い第3の力を生み出す。 それには前二 者が含 まれ る。 「生命」 の理念は2つの相対立す る力の中にのみ 存在 しえ る。対立する2力の相互浸透 によって 「生 命」 は、一段高い次元に達 し、 これ を繰 り返す こ とに よって 「個体化の傾 向」が進 展 してゆ く。す なわち先にみた同心 円をな して拡大発展す る 「生 命」 の理念 の原動力は、相対立す る2力の相互浸

(11)

透にあ る とい う説 こそ、 コール リッジが F文学評 伝』第12章でのちの記述 を約束 した動的哲学 の中 心的概念 であ った と思われ る。 この説は確かに、 対立物 の止揚(aufheben)に よって一層高次 の段階 に達す る とい う意味の--ゲル的弁証法 と同 じでは な いが、1つの自然の弁証法 と取 ることがで きよう。 コール リッジは シ ェリングの 「同一哲学」 の立 場か ら自然 と精神、主観 と客観 の一致を考 えてゆ くが、 この ことを可能に したのは シェリングの 「絶 対的 自我」 の概念 であ った ことは先にみた。 この 概念に よれば、 「自然」は絶対者 であ る叡知 であ り、 自然界の全現象は 「自然」の理念の自己運動の 歴史 におけるそれぞれの段階においてのその顕現 と みな され る。次の引用文はそのことを表わ してし、る.

ButNatureneverloseswhatshehasonce lear

n

t,thoughintheacquirementofeach new powersheintermits,orperformsless energetically,theactimmediatelypreceding. Sheoftendropsafacul

t

y,butneverfailsto pickitupagain.Shemayseem forgetfuland absent,butitisonly to recollectherself withadditional,aswellasyleCrm'tedvigour

,

in someafterandhigherstate;asifthe sleep ofpowers,aswellasofbodies,were theseason and condition oftheirgrowth (p.82). しか し 「自然」はか って修得 した ものを失 うこ とはない。新 しい力を得 るたび ごとに直前 の段 階でな した働 きを一時 中断 した り、 よ り労 力を 用いずになす とい うことがあるとしても

「自然」 は能 力を低下 させ ることは よ くあ るが、必ずや その能力を取 り戻す

「自然」 は失念 し、ぼん や りしているとみえ るときが よ くあ るが、それ はただその後の一層高 い段階 で、活力を補給 し、 付け加 えて 自己を取 り戻 すためであ る。 それ は 体 も力 も眠 っている間に成長が準備 され促 され るの とあたか も同 じよ うであ る。 これは 内在的な2着 の永遠 の対立 と合一に よって 自己実現 ない しは 自己開示 の歴史 をた どるとい う 絶対者 の概念か ら自然を把 えてい るものであ る。 この自然観に よれ ば、 natura naturataである 所産的 自然は、 natura naturansであ る能産的 自然の展開過程におけ る産物 ない しはその現象化 としてあ る。 この見方は、 自然界 の全てを 「精神」 の 自覚史 とす る立場か ら把捉 した- -ゲル と基本 的には同 じ構想 をそれに先立 って示 してい る。 コール リッジが想像力を定義 した有名な一節 、 「第一 の想像力はあ らゆ る人間の生 きる力であ り、 また その知覚の一番最初 の作動老であ ると私は主 張す るが、それ は また絶対的 自我 (IAM)におけ る永遠 な る創造作用 を、有 限の心 の中で反復す る ものであ る・

-3

心は、以上 みて きた 自己展開す る 絶対者 の概念 を基礎に打 ち出され ていた ことがわ か る。 コール リッジが シ ェ リングに学んで、 自然 と精 神 の一致 とい うロマ ン派的心情 を理論化 した 思想には、 この よ うに全 ての ものを不断に変転 し 発展 して止 まない相 の もとに とらえ るとい う見方 が含 まれていたのであ る。

1 William Wordsworth and S.T.Coleridge, LyricalBallads,ed.R.L.Brettand A.R. Jones(London:Methuen,1968),p.259.

2 Wo7dswo71hPoeticalWo71ksed.T.Huchinson (0Xrord Univ.Press,1969),p.590."The EX-cursion"の序詞から。

3 S.T.Coleridge,BiographicLiteraria,2vols,ed. JamesEngeland W.Jackson Bate (Prince -tonUniv.Press,1983),introd.I.1ⅩⅩii. 以 下BLと略す。なお同書から引用した箇所の訳は、 桂田利吉訳 『文学評伝』 (法政大学出版局ー1976)

を一部変更の上使わせていただいた。

4例 えはー学友 Charles Lambはー12-3才の

ColeridgeがよくChrist'sHospitalの廊下でネオ・ プラトニス トのPlotinusやIamblichusを声高に 読んでいたことを回想している。Charles Lamb

,

TheWorksofCharles Lamb,6volsed・E.V. Lucus(Macmillam,1913)

,

Ⅰ.

pp.24-5. 5例えはーColeridgeは当時の化学者SirHumphry

Davyと深い親交があったことを彼の書簡集が示 し ている。E.L Griggsed.CollectedLetleysof pS.T Coleridge,6voJs(Oxford,1966),I.p.557,

‡.

p.727.以下CLと略す。渡辺正雄編 Fイギ リ ス文学における科学思想』 (研究社ー1966)に所収 の小黒和子 「ワ-ズワースと科学」ー 「コウル リ,, ジと科学」を参照。

(12)

6 BL,I.p.259. 7 Ibid.,pp.160-61.

8 Gian N.G.Orsini, Coleridge and Germen ldealism,(Southen Ir llinoisUniv.Press,1969) p.216.

9 Ibid.,p.217 10Ibidり p.219

llThomasMcFarland,ColeridgeandthePantheist Trad2'tz'on(Oxford Univ.Press,1969),p.40. 12BL,I.pp.232-94.

13Ibid.,pp.272-73.

14 F.W.

J.

Schelling, System Des Trensze n-dentalen Idealismus (Reclam,1979),p.36, 15BL,I.p.263. Kathleen Coburn,ed.The

Notebooks of S.T. Coleridge (London: Routledgeand Kegan Paul,1957-1973),Ⅱ. 4226.CL・,Ⅳ.p.589. 16BL,I.p.297. 17Ibid.,pp.299-300. 180rsini,pp.214-15. 19Ibid.,pp.209-ll.対応す るSystemDesT71anS・ zendentalenldealismus pp.41-42を掲げてお く。

Esistebendarauszuersehen,daβ ihlBe -griffdeslchetwasH6heresalsderbloβe Ausdruck derZndivl'dualitdtliegt,daβ es derAktdesSelbstbewZLBtseins iiberJwuPt

ist,nitwelchem gleichzeitigallerdingsdas Bewuβtsein der lndividualitat eintreten

mu

O

,deraber selbstnichtsIndividuelles enthalt.- Nurvon den lchalsAktdes SelbstbewuBtseinsliberJlauPtisthisjetztdie Rede,undausibm ers上muβalJelndivi dua-1itatabgeleitetwerden.

Ebensowenlg alsunterden lch,alsPri n-2)p,das individuelle gedachtwird,wi rd dasempirische-im empirischen BewuBt -sein vorkommendelchgedacht.Dasreine Bewuβ・tseinaufverschiedeneArtbestimmt und eingeschrankt,gibtdas empirische,

beidesin°alsobloβdurchihreSchranken verschieden:HebtdieSchranken desem_ plrischen auf,und ihrhabtdasabsolute lch,Yonden hierdieRedeist.-Dasreine

Selbstbewuβtsein istein Akt,derauβer -halbal1erZeitliegtundalleZeiters tkon-stituiert;dasempirischeBewuβtseinistdas nurinderZeitundderSukzessionderVor -stellungen si°h erzeugende.

-Die Frage:ob daslch ein Ding an sick odereineErscheinung sei- dieseFrage istan sich wi dersinnig.Esistdberhaupt kein Ding,wederDing ansi°h noch Er -scheinung- ‥

DadenlchauchkeinesvondenPradikaten zukommt,dieden Dingen zukommen,So erklartsich darausdasParadoxon,daβ manvom lchnichtsagenkann,daPesist.

Mankannnamlichvom lch nurdeswegen nichtsagen,daB esist,weilesdasSein selbstist.Derewi ge,inkeinerZeitbegrif -fene Aktdes SelbstbewuBtseins,den wi r

Ichnennen,istdas,wasallenDingendas Daseingibt,wasalsoselbstkeinesandern Seinsbedarf,γon den esgetragen wird,

Sondernsich selbsttragend undunter-stut -zend, objektivalsdasewt'ge werden,s ub-iektiv alsdasIEnendliche Produzieylener -scheint. 20System DesTranszendentalen IdealismltSと照 合 して補 った0 21System Des TranszendentalenZdealismusと照 合 して補 った。

22S・T・Coleridge,HintstowwdstheFormationof aMo71eComprehensiveTheo7yOfLlfe,ed.Seth B.Watson(London,1848).以下 ー同書か らの引 用は真数のみを文中に示す。

23Trevor H.Levere,Poet7y realized in natuTle

(CambridgeUniv.Press,1981),pp.43-44. 24 Ibid.,p.216.

25Richard HarterFogle,TheIdeaofColen'dge's Cnltcism (1962;rpt.Greenwood,1978),p.18. 26BL,I.p.168. 27I.カソト、篠田英雄訳 F判断力批判』 (岩波文庫、 1964)-下巻 pp.38-39. 28System Des TTm7SZendentalen ldealismus, pp.151-52.

(13)

OfNathure(Macmillan,1985),p.149. 30SystemDesTranszendentalenIdealismw,p.99. 31CL,IV.p.874.

32Modiano,p.168.

33Fogle,p.19. Fogleは 「対立物の融和」 と 「多 様 の統一」 の関係につ いてー統一 は結局融和 であ る か らt両者は太質的 に同一 であ るとみ な している. さ らにFogleはその注にお いて次の紹介 をしている。 G.McRenzieの説ー 「有機的統一は対立物の融和 と い う三幅対の体系(thetriadicsystem)か ら発展 ・分 岐 して きた ものであ る

」;

Ren昌Wellekの説ー

2

つの原理 の問に厳格す ぎる区別 を設け ることは 誤 りであ ると思 う。対立物 の弁証法的融和 はー有機 的原理か ら発達 した ものであ ってーその反対ではな

」 (p.166)

0

34 BL,I.p.304.

(追記 ) ColeridgeのTheo7yOfLlfeを複写 して 譲渡 して下 さった早稲 田大学の小黒和子先生 にt記

参照

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