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ほとけへの道について

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Academic year: 2021

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信ずる。こ典から考える。 型徳太子といえばふしぎな人である。現代っ子には誰よりも彼れよりも親しまれ汗と垢とにもみくちやにされたほ ど民衆に生きた確かな影像であった。それまでに至る千五百年の間には、それほどの正確さはないにしても工裟技術 の柵神として、あがめられ祭られてX﹄た。大工のサシガネにも左官のコテにも日本全脚の山海辺地に広く心から拝ま れてきた、之もたしかに蛎実である。梢神文化としての怖教・仏教を、しっかりと確実に受け容れようとされたの も、港のまL否定できぬ事実である。その受容された姿勢とか態度ということについても、私は思う、思い切ってい えよう、自らの伝統をよく自覚した日本人としての素購らしさがあったということ“之は、或は多少災諭があるかも しれないがQそれは異縮の余地かあるというよりも、そういう人もあるらしいと思うだけである︾しかし港の人々 は、火和魂ということばを知っているだろうか。日本という国号の起源をどう考えるだろうか。私には今、現に、貨 、、、、、、、 につぼん 弊のお札に、姿を浮べられた太子よりも、強くせまるものがあるやまとだましいということばにも、日本。じゃばん

﹁世間脹仮唯仏進其﹂とは、哩徳太子のおことばだと伝え聞いている。たしかに事実らしい“内容も典突であると

ほとけへの道にっ

室住妙

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だから。また追慕讃歎の情︲ 感慨無量の一句なのである。 彼はたしかにすぐれた知識人、文化人、思想家であった。しかし一面強い民族魂の持主であった。ことばは便利 だ、知識人文化人なら都合によりどんな形容詞も、美辞麗句もいえようが、この語句は、そんなものではないのだ。 働突であり祈願である。それは知識人であったほど広い範囲からしぼられた。それは文化人であられたほど深刻であ 、 、 った。それはまた思想家としての自覚に立っている。正に自覚に立ってこそ、唯といL、真と断じたのだ。 一体そんなことが、この語句からどうしていえるのか。 きけば、確実な著述の中の句ではないが、現になま21’しい実物、天寿国まんだらの刺繍字。即ち太子の蕊後、王 、、、、 妃橘大女郎が、太子と太子の母后との往生した天寿国の状態を、想像して画かせ、之をぬいとりして、追懐のよすが としたもの。もと法隆寺にあり、二帳あったが、中宮寺に移り、今は断片数個を遺しているに過ぎない。太子が生 前、折にふれてつぶやかれたおことばを、漢字で表現したものであるという。それは今なお残る八字の語ではある が、太子御平常のしみ入、したつぶやきであった。それを何らの野心も情実もない、た夏の純情から記し留めたもの だから。また追慕讃歎の情とはいえ、ともにその時代社会に生き、その人格に琿境に同情できた人々の語句である。 世間とはいうまでもない現実の一切の縦横の関係をいう。民族の伝統、国際及び国内政治の表裏暗斗をいう。観念 的知識にとrまらず、現に血を流す戦争、内乱陰謀までもふくんでいる。それらが、我々凡俗のいじけたひねくれた とってはなおさら不審であろう。 る。こLらの考証は今は省略して、それほどの太子が、前掲の二句八字をどんなお心持で云われたのか。現代っ子に ・やぼん・じゃっぶとか、世界的に通称される語源にも、太子のみ魂の脈博が、ひ蛍さ伝わっていると思えるのであ (44)

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感傷や熱情とちがって、大きな高い立場で、健全に敏感に体系的に触れてきたものだ。いうにいえないものが強く脈 うっていたであろう。すべてに背かれる恨みがましい事態も、たのむに足りないあらゆる事象も、自他ともに流れ去 り消え去るべき刹那の生である。何ものでも慰することのできない、厳粛な運命を、人間世界という主体でうけとめ たとき、虚しいという、仮りのものという。この虚仮の二字こそ、真実という二字の対語である。真と実という二字 一語の唯一の主体性がない限り、出て来ない虚仮である。また虚と仮という事態で、よびさまされないかぎりいつま でも眠っているであろう真実である。論理の上では当然すぎること、知識としてはもう充二分のことがらであるが、 太子のこの語句は、そうしたたrの知性でも、淡い感傷でもない。いわば人間が尊いという尊さが、何かどうかした という尊さというよりも、生きたということの事実が、どんなにか尊いのではなかろうか。そうした生命の尊さに直 結する自覚を、この虚妄・真実がよんだのである。唯仏廷典とは、太子の仏性のめざめであり、孤々の声であるとも いえようか。 知るは愛の初めとかいう。疑は知識の母ともいう、生じいの知は疑をまねき憂をよび迷を増す。しかしそれを通過 しなければ、人間は誰でも、自己を見出すことがない、虚妄、迷妄、苦悩こそが真実と覚悟と歓喜とを生み出す父母 なのであろうか。我々の知識はまことに浅薄である微少である。特にこの私は自分で専門だと思うている仏教の知識 も、全くおはずかしいほどの貧弱さである。そんなことはどうでもい典として、大事なことは、その僅かの知識をど 、、 う扱うかではないか。どうというのは、ともかく偶然か確然か与えられた知識は、仏教という善知識である。善知識 一 一

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といえるかどうかは、味わい方にある。扱い方にある。これにすぐとどうつながるか、よくはわからぬが、知識とい うことよりももっと重要なことは、生きるということ、どう生きたかということ、生のイミとかカチとかの問題では なかろうか。聖徳太子が、我々の祖先として、あの往昔にあの業賦をあげ学識をまとめられたことは尊いのだろう 、、、、 、、 が、・私にはそれよりももっと、生きたというめざめが大切だと思われる。真実というものにめざめた事実こそが、何 よりも期して尊いのではなかろうか、太子御自身にとってもである。いや、之は世界万人にとってもそうではなかろ うか。そのための仏教ではあるまいか。現に三宝という三つの宝財は、かけがえのない宝である。無形文化財であ る。有形文化財を産み出す精神文化財である。実はそんなものはどうでもい典位、絶対的尊厳な文化財という意味の 世尊であり、三宝なのではあるまいか。たしかにそうであろう。であろうというより、たしかにそうであると断定し たい.断定したいというより、断定しなくてはな品。lというような命題の希望、蓋然必然、当然等の方向と 段階が、或は仏教学的な問題領域ではなかろうか。ともかく、仏教とは全世界に唯だ−つの絶対的尊さを、保証する 教えである。それをやわらげていえば、世尊の教えを本とした三宝という。篤敬とは全人類当然の態度である。なる ほど、こLまではごく平面的にまたスムースに流れてくるかもしれない。漠然であり、希望があり、蓋然があり実然 がある。仏教の教況は、大体古来、そういう風に我国の夜明け前から流通してきたようにも思える現に太子の場合が みつ崖智 正にその当時である。きけば、太子の父帝の御代、国際儀礼の貢としてさ上げられたるに始まる三宝なのである。そ れは彼の国の例にならっての崇拝ということは、た度の儀礼としても、スムースには受け容れにくいであろう。すで に千年も純潔に近い民族の結晶国である、島国だけになお、強い風習に宿る信念がある。だから文化政治家たちにと 、、、 って、なかノ、、許容しがたいしこりの伴うことはいうまでもない。現に物、蘇両氏が、論争どころか戦争にまで発 (46)

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のは、種々の市 帝十二年四月︶ のは、種々の事情のうちにも、太子の自覚的達見と指導に与って大きな力があった。篤敬三宝の理由として、︵推古 展したとしても、或は当然かもしれない。それらはともかくとして、後世の仏教受容は消極的より種極的に進転した ﹁三宝とは仏法僧なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何の世、何の人か、此法を貴ばざる。人として尤も悪

すぐなま

なるは鮮し。能く教えば、之に従はむ。其れ、三宝に帰せずんば、何を以てか柾がれるを直さん。﹂とある。 明治の教育勅語の、﹁之ヲ古今二通シテァャマラズ、之ヲ中外二施シテモトラズ。﹂よりももっと広大に人類及び 生類に及び、祇極的教化の力、緋神的根拠としてお認めになったものである。 さてその仏教とは何ものか。その教を創説したというシャヵ、ゴータ一、とは何者なのか。 、、、 、、、 、、、 まづ、ばとけという語の通俗的なまりを排除しよう。死人をほとけというのも、おひとよしをいうのも、しらいが 、、 、、 仏というのも、そんな考証は街略するとして、ほとけという語源は凡そ仏陀の教えを泰ずる一家というイミに発する その仏陀というのは、梵語の、覚者のイミをもつブッドハの音訳である。 、、、、 めざめたる人、自覚者、大自覚者ということに違いないとして、それは勿論、朝雌さて顔を洗ってめざめたという 心理学的の覚醗以上の問題である。朝のめざめは、伽としての生理心理体系の自意識の党であり、自覚も大覚もやは りこの個の自覚意識を出発点としなければなるまいが、それがどのような超越であるのか、または無関係なのか。 ようだ。 三

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まづ覚意識あって始めて、我々日常の常識としての世界がひらけてくる。そこの判断主観は、諸の雑多な感覚を統 一し乍ら、特異な意味を見出だし、創り出してくる。それを表現しようとし、それによって行動しようとし、または 記憶していく。昨夜の夢の意識さえも記憶さえも、そうした過程のうちに捨象され抽象され再椛成されていく。こう して幼少青壮と年々生長していく。社会・文化・歴史・国家・世界・宇宙等の意識にまで拡充していく。これらはや はり個意識にふくまれてる内容の意味連関に外ならぬ、無限の無尽の問題がうずまいている。戦争とか平和とか神と か実在とか歴史とか将来とか⋮:云々される古今の聖慨英雄豪傑の生命がけてとっ組んだ問題も実は、佃意識の実在 にちがいない。実在一般を今しぼろうとせば、個の自覚におけるこの実点であろう。それはそうだが、佃の意識の絶 えたときすべては消え去ってしまう。すべては消え去るとはいうものの、その内容や意味が全くの無になるとは言え 筈であり、また行く筈である。 それでは世界人類すべてが絶滅したとしたら全くの虚無の淵に没し去ったとしたら、どうであろうか。 、、 こ塾に幾万年の暗の中に灯をともしてみたら発見した、或るものが有るとする。灯が消え去って、もとの暗黒にか も、 えったとしても、まさか、そのものが無くなったとはいえまい。また同時に、枯尾花を幽瀧にみたからとて、幽霊が 存在したともいえまいし、幽溢はないものとしても幽霊だと思ってさわいださわぎは認められねばなるまい。・・・⋮そ のように、自覚とは認評と実在に関することにちがいないが、果してその証明は何とすべきだろうか。今世紀におけ 個の実在といL、生活的存在は、隣群社会民族中の単細胞的な実存に外ならぬ。個の意識自覚も実はやはり、社会 的生の意識の流れに形成されたものである。個が消えたとしても、その社会や民族の存続のうちにうけつがれてきた 切れまい。 (48)

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る我々の断片的知識で考える、’幾億光年という空間に、幾億年の時間中にかように戎思う故に伐在りと想う存 在、︵それが原子・素粒子的体系の実在から、いかに形成されたか、︶l全人類の身元証明書が作られたとしたら それもそれなりに有り難いことである。その証明書の作成も証印も、それは証明される人類以外の神ではない。人類 自身なのだ。自分の見る目を、自分の目で見るように、自分たちの乗っている戦せられている地球自体の重さを測り 得るように、そういう広大な微妙な場があるとする。それが、自覚・大覚の場なのではあるまいか。︵今は一応こ& に止めておく。若し証明の必要があれば、新ためて考究せねばならぬ。︶ 仏は大覚者である。そのまえに、たしかに自覚者であった。即ち自覚が確実に内包した宇宙大の大覚であろうと推 する。はじめ、佃に徹し、めざめた人、自己をよく知った人。そういえば、我々も亦、幾分は当り得るかもしれな い。自覚というだけでも、仏のそれとは明暗・強弱・浅深と、無限の次元、格差があろうが、しかし、我も人なり釈 迦も人なり、釈迦も生死した、我も今生き、また当に死すべき者である。我も感覚し、釈迦も感覚した。我またかく は自覚し、釈迦は自覚大党した、たしかに。 こうした対照表を作って自覚大覚の次元を吟味しようとするのではない。また及びもつかぬことだ。グにもつかぬ ことだとしてもしかし、我々一般人間釈迦との対比は永遠に人類の個々に課された問題なのではないか。エジプトの スフィンクスが、問いかけている謎は本当に釈迦仏より外に解いた人はないのだろうか。あらゆる問題や謎を善くほ 、、、 どいた人をほとけというのではなかろうか。ともかく、もっと、究明をす生めてみよう。 四

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、、、、、 あらためて今、問題としてみる。此現代人︵我々の今日︶にとって、果して釈尊は何なのか。Ⅱなぜ釈尊といえる のか。︵彼にその黄格があるのか、認めているだけなのか。︶もっとせめてみる、なぜ仏陀なのか。その仏陀とは何 なのか。その今いうところの仏陀の本性︵実定義︶とは、我々にとって一体どんな関係があるのか。利益とか辛橘と か等、その他の形而下又は形而上的価値的つながりがあるというのか。これらの問題をこめて問おう。 釈尊は我々に対し何かという、自覚とか大覚とは何なのか。同時にこれは、我々は果してそれに対して正備に取り 組めるのか。誰か鷲問うたように、﹁あなたはどこまで正常か。﹂ということ。よくいはれ負いや今日の国会で も、﹁どこか狂ってる﹂ということばの、うめきもきいているではないか。﹃どこか狂うている﹂と口ぐせにしなが ら、平気でいた我々は、今やまったく足元、膝元にせまった。揃えてみれば我が子なる非行の幼少年群、一種の流感 的現象としても、実は、水い人類史のうちに、人間人顛自体のこの正備性の問腿を、果して誰が迩迫の問題として提出 してくれただろうか。現代の今日まで、あまりにも、尊い重大問題を、経蔵のうちに閉じこめてきた私たちであった。 釈尊が型徳太子に仰がれ、しっかり受けとめられたのは、約一千年後であるとして、今の我々はそれからまた降っ て、一千五百年後である。この、水い年代、一体どれだけ、人類の自覚の場か、浄められ、壁められ、拡められてきた のだろうか。lこれは、どえようによっては相当、意味ふかいことだろうが。ともかく﹁全人類﹂という名実が、 今やその真価を問われ、いや、息の根を何ものかによって留められようとする時だ。おどろくまいことかその恐ろし いその元凶犯は、人類自らの自覚らしい。とせば、﹁我の自覚﹂はまさに﹁禁断の果実﹂のお誠めを証明したのかも しれない。この世紀にかくノ、︲の因縁によって、この典剣な公場に於いて、大覚世尊と呼び奉ろうではないか。 聖徳太子は、氏族の先頭に立ち乍らも、而も万国の意識と、群生と全人類の折りを以て、勧諦された。たしかに (50)

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自覚・大党の場とは、執念ぶかい知性の蜘蛛の巣ではない筈、それはすでに、赤箭の聯でさとされている﹄しか し、現実はしっかと見定めておくべきだ。実に今、われノ、Iはかくの如く想い、かくの如く書き、かくの如く読み、 そしてかくかくの如くに想うていくであろう。それをめぐった広大な社会・世界、同じ生きもの、人間群・禽獣群 の、いかにあはれに四群八苦していることか。たとい多くのものは、むしろ、いかにも、のんきに棚をうたい、夕べ をおどり、愉しみ悦ぼうとも、かれのゆくえは、果してどうなのか。もしも明日を考えないでい典というなら、正常 性にかかわる。とせば、お互いの生きものとしての呼吸が、いつ・どこで。いかに、ねらわれているのか。そして刻 々に老いは自身にせまり、病いは身内の者を捕えて放さぬ。自身、あと、幾日をかぞえる余命なのか。死という、え たいの知れぬ黒い怪物は大口をあいて待っている。その期限を知らされいまLに、愚かにも怠慢にも、衣食に恵ま れ、無病にあやされてうかノ、6として暮らしている。省みれば、あわれなものである。たぽ、与えられた信仰にすが 、、、 り、凱安めにならされた数十年の習慣が、その心魂のさ﹂えとなっているに過ぎない。断じてそれ以上ではない。 ﹁四生の終帰・万国の極宗﹂とは、まさにその証文である。 我々は、もはや、単なる談歌はやめよう。華やかな儀礼もひかえよう。あの菩提樹の下に坐して、忠をとめ、念を こらして、八万四千の脳波をた上かわされた、この大覚者を、もう一度、この地球上に喚びたてまつろう。自覚・大 覚者としてのみ、釈尊をよぶのでなくては、却って彼をけがすもの恥しめるものであろう。卑屈でなく、﹁セヶンコ ケ・ユイブッゼシン﹂と念調し、浄められた合掌でお迎えしたい。 五

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適当な題として出してみる。有名な宗教学者がある。世界あらゆる宗教の裏も表も科学的に研究された人である 由。一旦死病の宣告をうけてから、大苦悩を感じ、病よりは死との斗いをつ堂けられた。その記録、﹁死をみつめる 心﹂は、多くの人々の心胸をうっている。その人も苔いているように、古今東西、多くの宗教信者は、それ人、特定 の教義信行によって、充分にはたらき、安楽に往生していく。科学の洗礼をうけた、裸の知性人には、大へんな苦痛 懐悩を味わ典なければならない、その苦悶を切りぬけるためには、なほ一胴、課わされた社会的職務に忠実に、生命 をも惜しまず働いた。それでそれなりに染満な死を迎えられたということである。 なるほど、﹁生活の智恵﹂というTVの番組もあるが、多く古来の宗教信仰は、たしかに生活の智恵の中でも、か けがえのないものらしい。之をいわば、安心立命というのであろう。仏教も宗教といわれる限り、いや応なしに、こ の﹁生活の智恵﹂の役目を課わされ、幸か不幸か、生活に密着した年中行事や俗習の殻が重たくまといついて、本来 の何かがわからなくなったのではないか。﹁釈迦という大ばか者が世に出でて多くの人をまどわせにけり。﹂もどう 実際はどんな宗教でも哲学でも、人生問題社会問題孟魂問題に関せぬかぎり、そは無川の長物かもしれぬ。仏教で はこの点、正に血みどろな人生探求の宗教だ。人生を一括して苦と断定したことは、よほどの大鵬さか、迷見か。生 老病死の四苦に附加された四苦は、或は後人の解説かも知れないが、一応、逐一考えてゆく。求不得とは黄困、愛別 離と怨憎会は感情的な宿命、五陰盛苦は、色心要素の不調とか、欲求不満とみてよかろうか。或は又今日的問題のス タミナのはけぐちに関するとしての非行青少年は、五陰盛のことばに合いそうである。この四苦は社会文化のす﹄ん だ現代にはなお一脳深刻に思われてくる。但し、苦という概念は苦痛とか苦悩とか個人的に強く意識されてきたよう も本当らしいではなかろうか。 (52)

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だが、広く逼迫される問題性という意味にとれば、いよノ、1適切に使はれる概念であろう。即ち貧乏の問題、富めば いよ,!∼貧る知能犯、生理心理的調和の問題精神衛生問題から個人的愛憎、家族的不和から民族、人種的偏見となる と、かなり大きな国際問題に及んでくる。思想・主義もかなり、趣味や人間形成に関係がある。社会観。何々史観 も、実は大きな人間の生成に左右されている。 生老病死の四は個人の宿命であるとともに、人間一般の、いな生類一般の宿命であろう。しかし、文明文化の恵沢 は、勿論人間に関する限り老病の二苦は、かなり感覚的精神的にも軽減されるに至った。しかし乍ら、生と死の二だ けは、これこそ、のっぴきならぬ、そしてなかノ11解決しようのない本質問題なのではあるまいか。死とは、たしか に生の終末である。他に何者でもないであろう。が然し、死に至る病なのか、死が招く病なのか、死とは恐怖そのも のの正体なのか。ともかく本能に根ざす恐怖である。えたいの知れない恐怖を不安というのか。その死に二、三度直 面してみれば、之も肚ができてよいのか。他人の死を見なれておれば、それほど恐れなくてもいLのか。実は之は解 決ではない、馴れ合いというものだろう。生も死も、なれあいや、八百長的に、糊塗するのは、之は或は大きな罪な のかもしれまい。男女の性に関して貞操とか純潔とか云われる、むしろそれ以上に、いわば絶対者に対する圓演なの まいか。 かも知れない。 してみると、いわゆる安楽死とかいうものも、自殺他殺同様に罪悪視されるのだろうか。死の恐怖や、苦痛を除く のは、死の厳粛性を減らすから悪いともいわれそうだ。或はそんなことよりも、実は死後の問題が重要なのではある

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さて、死後というとも、現在生きているものにとっては、生きることが先決問題である、優先事興である。死後は 死ののちに自づと来る。死はまた生の終末なら、生の途中において死を考えなくともよかろうし、まして死の後など 、、、 は全くの、とりこし苦労というものではないか。たしかにそれも一のりくつにちがいないcそれにしても 実はその死はいつくるかわからぬ。生そのものが老と病と天災と事故とを七つ道具のように、しよっているのであ る。そんなことを考えるのも余計なことなのだろうか。いや時限爆弾ならぬ不時限だけに心配だともいえる。いつい つという宣告を受ければまた恐怖となるのかもしれない。いや死をみつめる心こそ、それこそ生き甲斐のある心なの ある。 ではあるまいか。 さ出すのではあるまいか。 本能的に生をねがい、死をいとう。死の恐怖と死後の不安と。生きていることの苦患も、生きることの無意味も、 みんなこLに襲撃してくるようである。 よく考えてみると、生死の問題は、考えるから出て来たのではあるまいか。人生苦は意識がはたらくからではない そういう苦悶こそまたノ、O得がたい恵みなのではあるまいか。有り難い試練、生きるということの本当の光輝が閃 若しも事と次第によると、死ぬに死ねず、生きるに生きられない、昔もあるようである。 その上に愛悩や求不得や、五陸盛にせめさいなまれて、しかも死をみつめていく、ずい分と念の入った苦悩なので 一 ハ (54)

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まづ求不御、つぎ怨と愛と、つぎ五陰、次に病、次に老、次に生。生をとれば残るは死、生あっての死で、生のな い死はない。生焔は一つである。今という今は、生である、死をせをっている。刻々に死を迎えっLある生である。 生死の一線をたどっている自分ではないか。忠をはずませて、たえ人、に、平静に、現に今、考えている。生死の一 線は、生死の一塊でもある。生死の一点でもある。宇宙内の一点にちがいない。全宇禰的一点であることはまちがい ない。そのとき全宇宙的風圧を受けている。その脚は浄い。耐えて、きたえられて強靭となる。八苦に迩迫されて、 真劒の白刃を渡る者こそ自覚の場に立つのであろう。これが釈尊の通ではなかろうか。 どこから来たのか。それは今はわからないとして、人間が、正常性において考えるその中に、問われている、要求さ か。そうだとしても今更、故為に否定することはできない。与えられた仕事は果さねばならぬらしい。その当然性は

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