アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
10
『
無
縁・
公
界・
楽
』
や『
異
形
の
王
権』など、網野ファンならおすす
めの本がいくらでもあるはずだ。
そ
れ
な
の
に、
筆
者
は
な
ぜ
こ
の
本
(
残
念
な
が
ら
絶
版
で
あ
る
)
に
注
目
するのか。
ある意味で、この本は網野の研
究者としての原点を示している。
それも本人にとって、とてもとて
も苦い原点である。この本を読む
ことで、はじめて読者は網野がな
ぜあのような歴史研究を行ったの
か、またいかなる経緯で彼が職場
を転々としたのか、わかるはずだ。
網野は若い頃、渋沢敬三によっ
て創設された日本常民文化研究所
の所員をしていた。渋沢栄一の孫
にして大蔵大臣、かつ民俗学の偉
大なパトロンであった渋沢の思い
でつくられたこの研究所は、戦後、
漁村調査に乗り出し、多くの古文
書を日本各地から借り受けること
「
研
究
者
が
薦
め
る
三
冊
」
と
い
う
のが、お題である。といっても、
本誌の読者はアジアについての地
域研究にご関心をもつ方がほとん
どであろう。ヨーロッパの政治思
想史を勉強する筆者が、いったい
どのような本を推薦すればよいの
か、ふと迷ってしまう。
おそらく、専門分野にこだわら
ず、およそ学問をすることの意味
と難しさについて、考えさせてく
れる本がいいだろう。そう思って、
自分の本棚をみて回り、選んでき
たのが次の三冊である。
●
網
野
義
彦
『
古
文
書
返
却
の
旅
―
戦
後
史
学
史
の
一
齣
』(
中
公
新
書
)
いわずと知れた、日本史研究を
一新し社会史ブームを起こした著
者であるが、その一冊という場合、
この本をあげる人は少ないだろう。
になる。網野もまた、この事業に
従事した。ところが、戦後の混乱
と不幸な事情からこの研究所は組
織再編され、実質的責任者の死去
もあって、事業は頓挫してしまう。
結果として、多くの古文書が返却
されないままになってしまったの
である。
このことは網野にとって、重い
心の負担になった。彼自身が借り
た史料ではなかったにせよ、善意
で史料を預けてくれた人々に対す
る背信であることには変わりがな
い。なんとか定職についた網野は、
日本各地を回り、返却と謝罪の旅
に出かけることになる。本書はそ
の顛末を描いたものである。
この旅は、網野にとって、自ら
の歴史観を問い直す機会にもなっ
た。かつて、マルクス主義的な歴
史観に固執していた網野は、あら
ためて自分が読み取れていなかっ
た古文書の意義に目覚めることに
なる。最終的に、日本常民文化研
究所を引き取るために、網野は神
奈川大学へと異動していった。
この本はまず、研究者としての
信義について考えさせてくれる。
借りた史料を返却するのはあたり
前としても、研究者は自分の研究
対象に対して、どうすれば信義を
はたしたことになるのか。自らの
独
善
的
な
枠
組
み
で、
対
象
と
な
る
人々の暮らしや記録を裁断してい
な
い
か。
研
究
に
協
力
し
て
く
れ
た
人々の期待を裏切っていないか。
これらのことを考えると、およそ
人間社会を研究することの難しさ
を考えてしまう。筆者自身、この
ことを岩手県釜石市で行った慣れ
ない地域研究で、痛いほど実感す
ることになった。その意味もあっ
て、この本をまずおすすめしたい。
●
エ
ド
ワ
ー
ド
・
ギ
ボ
ン
『
ギ
ボ
ン
自
伝
』(
筑
摩
書
房
)
正直いうと、この本も図書館で
探すか、中古本として入手してい
た
だ
く
し
か
な
い。
「
こ
う
い
う
本
ば
か
り
あ
げ
る
の
は、
い
か
が
な
も
の
か」という批判がやってきそうで
あるが、どうかご理解を。
ギボンというと『ローマ帝国衰
●
特
●
集
本の森への道案内
新
・
学
問
の
す
ゝ
め
宇野
重規
[西洋政治思想史]
11
アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
亡史』で知られる。といって、こ
の自伝はけっしてとっつきにくい
ものではない。それではなぜ、一
八世紀イギリスのカントリー・ジ
ェントルマンが、このようなロー
マ史の大著を書くに至ったのか。
それも彼は職業的な学者でも歴史
家でもなかった。旅をしたり、恋
をしたり、家庭内のことで苦労し
たりする、ごくごく普通の人間で
あった。そんな人間が、なぜこの
ような大きな仕事を始める決意を
したのか。
一八世紀はアマチュア歴史家の
時代であったといえば、それまで
である。当時、多くの教養ある家
庭の子女はギリシア、ローマの古
典に触れ、学習の仕上げとしてグ
ランド・ツアーと呼ばれる旅に出
かけた。古のローマの地を訪れ、
悠久の歴史を思うのが、その目的
であった(日本の修学旅行の原点
もこれにあるはずだが、だいぶ趣
旨
が
違
っ
て
い
る
)。
ギ
ボ
ン
の
場
合、
その趣味が昂じて、ついには自ら
歴史の大著を執筆するに至ったと
いうわけだ。
それにしても、ギボンが本の最
初の着想を得た瞬間は感動的だ。
一七六四年一〇月一五日の夕暮れ
時、ローマのカピトリーノの廃墟
のユピテル神殿にいたギボンは、
フランシスコ修道士が
晩 ばん
禱 とう
を唱す
る声を聞く。その瞬間、彼は『ロ
ーマ帝国衰亡史』を執筆する決意
を抱いたのである。もちろん、執
筆には以後何年もの準備が必要で
あった。しかし、彼がそのスター
ト時点に立ったのは、間違いなく
夕暮れの神殿の廃墟で修道士たち
の声を耳にしたその瞬間であった。
現代の日本に生きる私たちにす
れば、遠い世界の話にしか聞こえ
ないだろう。とはいえ、人が(食
べるためでなく)純粋に興味から
学問に関心をもち、その延長線上
に大きな仕事を成し遂げてしまう
瞬間がある。国立大学における人
文・社会科学系の存続がうんぬん
される今日だからこそ、このよう
な学問の「メルヘン」を想起させ
る本を読んでみることに、あるい
は意味があるかもしれない。
●
三
谷
太
一
郎
『
学
問
は
現
実
に
い
か
に
関
わ
る
か
』(
東
京
大
学
出
版
会
)
最後は、日本政治史の碩学によ
る学問論である。あまりそういう
ことを簡単にいいたくないのだが、
時間をかけて学問という営みを続
けてきた人に、ある種のオーラを
感じることがある。この本の著者
は、筆者にとってまさにそのよう
な一人である。
著者はまず福沢諭吉の『学問の
す
ゝ
め
』
を
と
り
あ
げ
る。
福
沢
は
「
学
問
」
を「
働
」
と
し
て
捉
え
る。
そ
の
場
合
の「
働
」
と
は「
心
身
の
働
」、
す
な
わ
ち
精
神
お
よ
び
身
体
の
活動であるという。つまり福沢は、
学問とは単にできあがった知識を
学ぶことではなく、精神、そして
場合によっては身体を用いて新た
な知識をつくり出していく活動だ
というのである。著者はこのよう
な福沢を受けて、学問とは「アー
ト」であること、さらに他者との
「
対
話
」
に
よ
っ
て
生
み
出
さ
れ
る
も
の
で
あ
る
と
説
く(
ち
な
み
に、
「
演
説」という言葉をつくったのは福
沢
で
あ
り、
society
と
い
う
言
葉
の
訳に「人間交際」を当てているの
も福沢である)
。
その後、学問論といえば定番の
マックス・ウェーバーをはじめ、
オルテガ・イ・ガセット、丸山眞
男などを縦横無尽に論じる著者の
議論を要約する余裕はここではな
い。ただ、本書に収録されている
「
学
者
は
ナ
シ
ョ
ナ
リ
ズ
ム
の
防
波
堤
たれ――国家を超える「学問共同
体
」
の
役
割
――」
の
末
尾
に
あ
る
「
学
者
は
直
接
国
益
に
奉
仕
し
た
り、
国民感情を代弁したりすべきでは
な
い。
「
学
問
共
同
体
」
の
建
設
を
通
してしか、問題解決に携われない
のではないでしょうか」などとい
う一文を読むと、おもわず昨今の
研究者が置かれた状況を考えてし
まうのである。
自分が「学問共同体」なるもの
にいかなる貢献をしているのか、
考え出すととたんに不安になる。
とはいえ、長い時間をかけて築き
上げられた「学問共同体」の末端
に属しながら、現代社会の諸課題
にどうにか向き合おうとしている
苦闘のなかで、本書はまさに「読
むと背筋がぴんと伸びる本」なの
ではなかろうか。
(うの
しげき/東京大学教授)