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涙 (ベトナム歩道 第13回)

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涙 (ベトナム歩道 第13回)

著者

寺本 実

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

251

ページ

44-44

発行年

2016-08

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00002900

(2)

寺本 実

第13回 涙

連載

  ベ ト ナ ム に は、 ﹁ 決 し て 別 離 で は な か っ た よ うに⋮﹂ ︵ Như chưa hề có cuộc chia ly ⋮︶ 、﹁金の 牛 鈴 ︱ 多 く の 故 郷 を 繋 ぐ ︱︵ Lục Lạc Vàng Kết nối những miền quê ︶﹂ と い う テ レ ビ 番 組 が ある︵執筆時点、以下同様︶ 。   ﹁ 決 し て 別 離 で は な か っ た よ う に ﹂ は、 ベ ト ナムテレビの1チャンネル︵VTV1︶で毎月 一 回 土 曜 日 の 夜 八 時 一 〇 分 か ら 放 送 さ れ て い る。第一回放送は二〇〇七年一二月一日。一時 間ほどの同番組では、 ジャーナリストのトゥー ・ ウェンが司会を務める。トゥー・ウェンは二〇 一五年にベトナムテレビ勤続二五年を迎えたベ テランである。   ベトナムは幾多の戦争、困難を経て今の時代 を迎えた。戦中、戦後の混乱など、さまざまな 事情で生き別れとなった人達が、番組スタッフ の追跡取材、視聴者から寄せられた情報などを 元に、再会を果たす。番組は各ケースの情報提 供を視聴者に求めながら進行される。番組に要 請 し て 探 し た 側 と 期 せ ず し て 探 し 出 さ れ た 側。 長い時を経て再び巡り会えた人達の多くは、涙 を堪えきれない。   ﹁ 金 の 牛 鈴 ︱ 多 く の 故 郷 を 繋 ぐ ︱﹂ は、 同 じ VTV1で毎週日曜日の夜八時五〇分から四五 分の枠で放送されている。初回放送は二〇一一 年六月一二日である。   同番組では、農村を訪ね、国の定めた貧困基 準︵二〇一六∼二〇年の貧困基準は、農村部で 収入七〇万ドン/一人/月、都市部では収入九 〇万ドン/一人/月︶に合致する貧困戸である こと、小学生三年生以上の子供がいることなど ︵二〇一五年一月一〇日付番組文書︶ 、いくつか の 基 準 を 満 た す 家 族 の な か か ら、 当 該 農 村 の 人々の同意が得られ、番組によって選ばれた六 つの家族に雄雌の牛一頭ずつと当座の飼育費を プレゼントする。これら種牛を養育し、種をつ け、出産の世話をし、その子牛を売ることを通 して、当該家族を貧困から抜け出させようとい う目的を持つ。   現場で司会役を務めるチー・チュン︵二〇一 六年四月二四日放送分から。長く現地司会を務 めてきたミン・ベーオは不祥事で降板した︶が スタッフとともに当該農村を訪問し、村人と直 接交流する。六家族のなかから選ばれた一家族 の代表者は、ホーチミン市内の番組撮影会場に 招かれる。会場では村での暮らしの様子が上映 さ れ、 司 会 を 務 め る タ イ ン・ タ ー オ の 進 行 で、 出演者は自身の日常を語る。タイン・ターオの 問いに答え、画面に映る子供など肉親の様子を 目にするうちに、生活の苦しさ、辛い経験、思 いが胸に去来して、多くの出演者が目を赤く腫 らす。   これまで、福祉関係の調査でベトナムの人達 にお話しをうかがっていて、涙を流されること も幾度かあった。   北 部 西 方 地 域 の ホ ア ビ ン 省 で 調 査 を 行 っ た 際、共に一九五〇年代生まれのご夫妻にお話を うかがう機会があった。夫はベトナム戦争中に 中部北方地域のクアンチ省ケサンで戦闘に参加 し、枯葉剤に直接被災した。奥様は元教員。三 人の娘に恵まれ、 長女は大学を出て教員となり、 次 女 は 農 業 に 従 事 し、 そ れ ぞ れ 家 庭 を 持 っ た。 しかし、ベトナムでドイモイ路線が採択された 一九八六年に生まれた三女は障害を持ち、枯葉 剤被災者として認定された。 筆者が訪問した時、 三女は入院中で不在だった。夫の話をうかがう ことが目的で訪問したのだが、奥様が入院中の 三女のことを心配して腕と手で何度も涙を拭わ れた。   先述のご主人が戦闘に参加した中部北方地域 のクアンチ省でも人々の涙をみた。   ベトナム戦争中に地元でゲリラ活動に参加し た一九五〇年代生まれの女性は、戦争終了時二 三歳であったが、その後中学に通い、村役場の 幹部を務めた。女性は、刑務所で看守をしてい た 夫、 末 の 息 子 と 暮 ら し て い た。 話 の 流 れ で、 女性が亡くなった父親の話を筆者に伝えようと した時、 突然息をぐっと吸い込み、 言葉に詰まっ て場の空気が止まった。父親はベトナム戦争中 にこの家で敵兵に殺害されていた。   南部東方地域のホーチミン市郊外を訪ねた時 にも涙があった。両手両足に障害を持つ二歳の 女の子の状況を母親にうかがった時のことだっ た。 夫 は 工 員 で、 長 女 は 小 学 校 に 通 っ て い た。 女の子の父方、母方の両祖父はベトナム戦争で 従軍した。父方祖父は地元でゲリラ活動に参加 し、母方祖父はカンボジアにも行った。木造り の家。壁の板には穴が空いた箇所があり、板と 板の間には隙間もみられた。路上で偶然会った 越僑から寄贈された車イスに乗り、女の子は母 親の仕事である宝くじ売りに同行する。   イ ン タ ビ ュ ー を 進 め、 ﹁ 最 も 心 配 な こ と は な んですか?﹂と尋ねた時、母親が突然泣き出し た。同行した支援組織の若者が厳しい目線をこ ちらに向けていた。   自身ではどうしようもない歴史的な事由や事 情によって影響を受けてきた人達がいる。日本 でも原爆、終戦関連の式典が挙行され、平和へ の祈りが捧げられるこの時期、 涙の理由︵わけ︶ をしっかりと考えたい。 ︵ て ら も と   み の る / ア ジ ア 経 済 研 究 所   東 南 アジアⅡ研究グループ︶ アジ研ワールド・トレンド No.251(2016. 9)

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