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近世養生思想における呼吸法と丹田

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Academic year: 2021

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緒言 近世に限らず呼吸法や丹田に関する歴 的研究は、 白隠の丹田呼吸法、また平野重誠『養生訣』及び『病 家須知』を対象として試みられてきた。しかし、それ ほど多く蓄積されているわけでない。鎌田茂雄は『気 の伝統』の中で、白隠の丹田呼吸法、貝原益軒『養生 訓』、平田篤胤『志都之岩屋』、平野重誠『養生訣』を 取り上げ、これらの呼吸法が、近代の岡田虎二郎の岡 田式静坐法や藤田霊斎の調和道へと、継承・発展され ていると見ている 。笠井哲は、白隠の丹田呼吸法につ いて、その武芸思想への影響を指摘し、『天台小止観』 から良寛、平田篤胤への系譜をみている 。山崎律子は 『病家須知』を対象として呼吸法の構成を整理してい る 。 「丹田」は、辞書的には「へその少し下のところで、 下腹の内部になり、気力が集まるとされる所」とされ る。能や武道などにおいて重視される「丹田」は、腹 (肚)を心身の中心と捉える日本の伝統的な身体観を典 型的に表しているものでもあろう。この「丹田」の概 念が、日本において歴 的にどこまでさかのぼること ができるのか、またその歴 的な変遷については、 なる研究の蓄積が待たれるところである。近世の武芸 論や養生論を見てみると、それらの中に丹田の充実、 下腹部の充実を理想とする身体観を探し出すことがで きる。具体的には、多くの場合呼吸法の記述の中に、 それを指摘可能である。「調気」「調息」とも表現され る呼吸法は、四肢をひきのばしたり、身体の各部位を 擦ったりたたいたりするなどの刺激を与える、導引術 とともに、道術の一つと捉えられ、養生の方法の一つ として養生論の中に記されていた。 ただし、貝原益軒『養生訓』(1713)以前の養生論に おいては、「臍の下」、「丹田」、という用語が殆ど登場 しない。生命の根源的な力の在処としての、心身の調 和を基礎づける中心、技芸の中心としての丹田という 捉え方は、それほど登場していない。白隠の『遠天羅 釜』(1749)、『夜 閑話』(1759)の出版は十八世紀中 頃、貝原益軒『養生訓』(1713)は十八世紀前半である。 日本の養生論の中で、呼吸法が記述されていくのは、 十八世紀以降であり、多くは十九世紀である。十八世 紀以降とくに十九世紀の養生論において丹田が着目さ れている。 そこで本稿では、丹田を重要視する身体観の形成に ついて、とくに近世養生論における呼吸法の記述を手 がかりにしながら、その見取り図を示してみたい。 1 導引術と丹田 十七世紀までの養生論に登場する呼吸法は、多くの 場合、導引術の中に含まれている。導引術は、道家が おこなった修養法、道術である。道術には、房中術、 辟穀、服食、 丹などがある。房中術は男女の性行為 に関する技法を言い、辟穀とは五穀を摂取しないこと により身体を清らかに保とうとすることである。服食 は薬物・食物の摂取による養生法、 丹は不老長生す なわち仙人になることを目的とし丹薬(神仙を目的と する薬)を錬成することである。導引術の歴 は古く、 紀元前二世紀の馬王堆漢墓出土にも「導引圖」がある。 五つの動物の動きを基にした導引術である「五禽戯」 は、伝説的には、『三国志』にも登場する華陀が 案し たものとされている。具体的には、導引術は、現在で いうストレッチやマッサージ、全身をつかった体操、 身体の部位を軽く叩く事により刺激をあたえるなどの 動きである。近世の養生論には、辟穀、 丹は殆ど入 っておらず、房中術はその技法というより禁欲を奨め るというかたちで述べられることがある。 道教における丹田に関して確認しておこう。「 ・水 銀等を用いて丹を作る外丹に対して、体内の精気を循 環させて体内に丹をつくること」 を内丹術というが、 その内丹術により、丹を製造し貯蔵する部 を丹田と いう。丹田は、上丹田、中丹田、下丹田に けられる。 上丹田は「泥丸」である頭の部 、中丹田は(見解が かれるところもあるが)胸の部 、下丹田は臍の下三寸 の部 である。「丹田」とのみ表記される場合は、下丹 田のことを指す。 前述したように、呼吸法は多くの場合、導引術とと

近世養生思想における呼吸法と丹田

Breathing Method and Tanden on the Personal Health Care in Eearly Modern in Japan.

片 渕 美穂子

Mihoko KATAFUCHI

(和歌山大学教育学部保 体育)

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もにその技法が記述されている。そこで、日本初の導 引の専門書として出版された林正且、喜田村利且『導 引體要』(1713)における、丹田に関する記述を見てお こう 。『導引體要』には、附録として「八段錦」、「華元 柁五禽法」、「陳希夷導引図」、「左右睡功」、「天竺按摩 の法」、「十八羅漢導引図」、「達磨大師の法」の技法が 図をつけて掲載されている。導引の技法中の丹田は、 八つの一連の動作からなる導引術である八段錦の段四 段、第六段の中に各々一カ所ある。 第四腎堂を摩するの説…右の法、気を閉じ手を み熱 せしめて後、腎堂を摩すること数の如くし畢って、仍 お手を収め握固し、再び気を閉じ心火を用って下、丹 田を焼かんことを想う 。 腎堂(腰骨の両側、腎 の経 のこと)を摩ってのちに、 手を握りしめ、心の火(五臓の心は五行の火に対応して いる)を用いて丹田を焼くことをイメージするという ものである。 第六双関轆轤の説…右の法、両肩並びに 撼し三十六 数に至りて、火、丹田より双閑に透り脳戸に入らんこ とを想う。鼻清気を引きて後、両脚を伸ぶ 。 ここでいう双関轆轤は、座位の姿勢で両手を一緒に轆 轤のようにゆっくりと回し、火が丹田から上丹田であ る脳の中に入っていくことを、イメージするものであ る。 6、 7どちらも丹田と火をイメージして、気 の流れを活性化しようとしている。丹田は、五臓でい う腎を中心とするシステムである。腎は五行の水に対 応する。火をイメージするというのは、水と火とを 流させることによって、根源的な気を生み出すことに ある 。中国養生書からの採ったものであるため当然で あるが、ここでの丹田は、体内の精気を循環させて丹 をつくる道教の内丹の技法上に位置づくものである。 呼吸法に関しては、呼吸法そのものが単独で述べら れていることはなく、導引の動作とともに行うものが 多い。例えば、「陳希夷導引図」では、二十四節気 に応 じた二十四の導引術の技法が示されているが、「叩歯、 吐納、漱嚥」は、二十四節気すべてに登場している。 叩歯は歯を噛み合わせること、吐納は呼吸、漱嚥は唾 液を飲むことである。その他、呼吸に関しては、八段 錦に次のような記述がある。「両手を相揉んで当に呵す べし。五たび呵して後、手を叉しわし、天を托し、頂 を按すこと、各々九次。」 呵とは、手に息を吹きか けるような呼吸である。五禽戯には、「気を閉じる」と いう表現が七回登場しているが、いずれも息を止める という意味ではなく、身体内に流れている物質的エネ ルギーとしての気を閉じるということを意味している ように思われる。気を閉じるということと呼吸とは不 可 とも えられるが、明らかに呼吸を意味している のは、次の通りである。 第一虎勢圖…切に気を放つこと莫れ。身を平かにし気 を呑んで腹に入れ、気をして上に注ぎて下に復さしめ、 腹中雷の鳴行するが如きを覚ゆること五十七次。気脈 調和し精神爽美に百病消除す 。 腹式呼吸を持続的に行うと「腹の内部が動いている」 「腹が鳴る」ことが自覚できるが、「腹中雷の鳴行する が如きを覚ゆる」というのは、このことを述べている。 「十八羅漢導引圖」 には「気を閉じ」という表現が一 カ所ある。「両手掌を伸べ気を閉じ、口に満たして力を 用いて廻顧す。左右十八次」 。この場合は息を止める ということであろう。『導引體要』における「丹田」と いう用語に関すれば、それほど多く登場するものでは なく、登場した場合は道教における内丹の技法上のも のであった。呼吸法に関していえば、「腹」という用語 が登場しているのは一カ所と少なく、「臍」という用語 については皆無である。「運レ気」(気をめぐらす)とい う表現や「気を閉じる」という表現が比較的多く登場 している。「気を閉じる」といった場合に、明らかに呼 吸を止めることを意味している場合もあれば、呼吸と は直接的には関係なくイメージとして気を閉じている 可能性が高い場合もある。 『導引體要』が出版されたのは、正徳期であるが、 元禄・正徳期は、多くの養生論が出てくる時期であり、 ほぼ同時期に貝原益軒『養生訓』(1713)や香月牛山『老 人必要養草』(1715)などが出されている。当時、導引 が実際どれほど行われていたのかについては、従来の 研究では殆ど手が付けられておらず、不明なままであ る。少なくとも言えることは、導引術を記述内容に含 ませる著者たちは「導引が廃れている」と感じていた ということである。『導引體要』は、導引按摩が賤技と みなされていることを嘆いている。 況んや按摩を為す者、多くは是無芸の瞽者、無学の卑 俗、恒産無き者之を業とす、故に世を挙げて按 を以 て医中の賤と為す。我が曹ら実に嘆ず可きか 。 「導引」という用語は、按摩と区別なく 用される場 合もあった。例えば『導引口訣鈔』(1713)は按摩に関 する内容であるが、書名には「導引」という用語が 用されている。そして、石原によれば、「導引按摩」が 盲人や婦女子の専業となった結果、いやしむ風潮があ ったという 。導引術をいやしむ風潮があれば、導引術 の広がりの中で、呼吸法や丹田の重要性を追求するこ とは登場しにくかったのではないだろうか。次節では、 平易なことばで書かれた、庶民の読者を想定した養生 論を検討してみたい。

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2 近世前期養生論における丹田 近世養生論は、十七世紀前半以降多く登場するよう になるが、すでに十六世紀末から登場している。「日本 医学中興の祖」とされる曲直瀬道三やその養子の曲直 瀬玄朔は、専門的な医書だけではなく、養生に関する 著作も残している。曲直瀬道三は、漢方の名医とされ、 多くの門人を輩出させ足利氏、毛利元就、細川晴元な ど当時の戦国武将達と 流を持っている。道三は、養 生の方法、心構えを百二十首の和歌の形式により綴っ た『養生誹諧』を、毛利輝元に献上している 。この百 二十首を 類してみると、心得が最も多く、食養生、 飲酒、養育法、睡眠、医療的対処、などが続いている。 『養生誹諧』の百二十首の中に導引術に関するものは、 三首が含まれているが、呼吸法に関するものはない 。 曲直瀬道三は、村上義明に「養生の要諦三か条」、「一 般的心得十七首」そして「世上の慎み七首」から構成 される『養生和歌』(1866)に伝えているが、この中に は導引術、呼吸法に関するものはない 。 言行篇、飲食篇、房事篇の三篇から成る曲直瀬玄朔 『 壽撮要』(1599)は、近世養生論の嚆矢ともされ、 その後何度も版が重ねられ、近世を通じて広く読まれ たと思われる。貝原益軒『養生訓』などが、家に関係 づけられた社会性の「身」に即した四民に応じた家業 を推奨するなど、実践道徳を展開しているのに対して、 『 壽撮要』は、医書にもとづく養生の方法が中心的 に展開されており、実践道徳的な語りは殆どなされて いない。言行篇の中に、道術に由来する「導引按摩」 の項目が立てられており、その中に呼吸法が記述され ている。 夜半の後。或は五 。或は時にかゝはらす。無事閑座 空腹の時帯をとき。衣をくつろげ。腹中の濁氣を微々 に呵出する事九通。或は五六通。其後心をしつめ目を 閉て をたゝく事。三十六遍すへし。神をあつめ。牙 根をかたくする也。其後大指の背にて目のまかしらま なしりを拭こと九度すへし。目を明にして風をさる也。 又鼻の左右をおしする事七度。次に兩手を摩合せ。き はめて熱せしめ。口鼻の氣を閉て面を摩すへし。皺を 去て面に光ある也。又耳根輪を摩すへし。聾を治する 也。其後舌にて唇 をすり。津唾口中にみつれは呑 こと三度。一口を三次にのみて。三口を九次にのむへ し。虫を殺し虚を補ふ也。又常に唾を吐へからす。唾 は身のうるほひと成。腎の根源に帰る。尤おしむへき ものなり。又左右の手に腰をうら。又足のうら。涌泉 の を摩すへし。氣血を流通し。風 を去て腰脚を病 なかるへし 。 五 の時間(夜中すぎまたは午前四時)、空腹である状 態の時に帯をいて、腹の中の汚れた気を口から少しず つ吐き出し、眼を閉じて歯を叩く(かちかちと音をたて ることだと思われる)と、五臓を統制する「神」を静め るという。五臓は、臓器ではなく、肝、心、脾、肺、 腎と名付けられた身体の機能やシステムであり、その 機能やシステムは身体的かつ心理的・精神的でもある。 両手をすり合わせて熱をもたせて顔を摩るときに、口 鼻の気を閉じるとは、息を止めることを述べていると 思われる。その後、耳根をすり唾液を出して三回に けて飲むとしている。『 壽撮要』では、この引用箇所 だけではあるが、導引術と組み合わされた呼吸法を揚 げている。 曲直瀬玄朔には、「諸書の説を引用しつつ道三流の主 義主張を述べたもの」 である『十五指南書』(1642)の 著作もある。この中の十四、十五番目が、それぞれ「療 養指南篇」、「攝要指南篇」であり、医書からの引用と いうかたちで綴られているが、これらの中に導引や呼 吸法は登場しておらず、「臍下」や「丹田」に関する言 及もない 。 尾道益『養生俗解集』は上巻に「引導按 摩之法」の項目を立てている。立野了木『養生簡 録』 (1678)は上下巻によりなっており、下巻が薬方中心で あり、上巻が養生法に関するものである。上巻は十八 の項目をたてており、導引に関するものは八「津唾」、 十一「 髪」、十三「按摩」、十四「導引」である。こ の内、十四「導引」中に導引術を紹介している。 荘子ニ曰吹嘘呼吸メ故ノヲ吐キ新ヲ納ル熊ノ如ニ鳥ノ 如ニ伸ルハ壽ヲ為ル而巳此レ導引之士、形ヲ養フノ人 彭祖ハ壽 者ノ好ム処ナリ是ニ由テ之ヲ論スレハ導引 ノ術ハ上世より伝て其ノ来ル 「荘子ニ曰吹嘘呼吸メ故ノヲ吐キ新ヲ納ル」と、呼吸 法に触れているが、具体的な記述はなされていない。 十六世紀末から十八世紀までの養生論では、中国医 書の引用という形式をとった竹中通庵『古今養性録』、 貝原益軒『 生輯要』が、呼吸法を掲載しているが、 中国医書の引用という形式をとらない、平易なことば で書かれ庶民の読者層を想定した養生論には、あまり 登場していないということである。導引術は、呼吸を 伴って行われる場合もあればそうでない場合もある。 先に引用した曲直瀬玄朔『 壽撮要』は呼吸法をとも なう導引の方法が揚げられていた。医書の引用という 形式をとらない、平易な言葉で書かれた一般向けの養 生書には、丹田という用語も殆ど登場することはなか った。生命の根源的な力の在処としての、心身の調和 を基礎づける中心、技芸の中心としての、丹田という とらえ方は、十八世紀初頭までの近世の養生論におい てはあまり登場しておらず、臍下に意識や力を込める というあり方も、示されてはいない。 これまで見てきたように、十六世紀末から十八世紀 に入るまでは、養生論においては、丹田や臍の下の重 要性は、それほど語られてはいない。呼吸法は導引術

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と組合せられることが多いが、導引術も養生法の中の 一つの重要な技法ではあるが、それを内容として含ま ない養生論もそれなりに多くあり、不可欠というわけ でもなかった。さらに、中国養生書から引用される導 引術自体が、それほど価値あるものとして捉えられて はいなかった。 3 貝原益軒『養生訓』における呼吸法と丹田 周知のように、近世の最も代表的な養生論が貝原益 軒『養生訓』(1713)である。後に続く養生論に言及さ れることも多い。呼吸に関しては、主に「 論二」に おいて述べられ、その中で「丹田」「臍の下」の言及が ある。『養生訓』における呼吸の要点をあげるなら、「静 かな呼吸」、「古く濁った気を口から吐き出すこと」、「丹 田に気を集めること」である。 気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみあ りにうごかすべからず。ゆるやかにして急なるべから ず。言語をすくなくして、気をうごかすべからず。つ ねに気を臍の下におさめて、むねにのぼらしむべから ず。是気を養なふ法なり 。 気を「臍の下」におさめて、胸に上らせないようにす る、これは、後述するように、白隠の内観法に登場す るいわゆる「上虚下実」と同義である。 時々鼻より外気を多く吸入べし。吸入ところの気、腹 中に多くたまりたるとき、口中より少しづつしづかに 吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。是ふる くけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入る 也。新とふるきとかゆる也。是を行ふ時、身を正しく 仰ぎ、足をのべふし、目をふさぎ、手をにぎりかため、 両足の間、去事五寸、両ひぢと体との間も、相去事を のをの五寸なるべし。一日一夜の間、一両度行ふべし。 久し(くし)てしるしを見るべし。気を安和にして行ふ べし 。 千金方に、常に鼻より清気を引入れ、口より濁気を吐 出す。入るる事多く出す事すくなくす。出す時は口を ほそくひらきて少吐べし常の呼吸のいきは、ゆるやか にして、深く丹田に入るべし。急なるべからず 。 調息の法、呼吸をととのへ、しづかにすれば、息やう やく微也。弥久しければ、後は鼻中に全く気息なきが 如し。只臍の上より微息(の)往来する事をおぼゆ。如 レ此すれば神気定まる。是気を養ふ術なり。呼吸は一 身の気の出入りする道路也。あらくすべからず 。 一節でみたように、益軒『養生論』以前の養生論が、 導引術の動作と組み合わされていたのに対して、益軒 『養生訓』が示した呼吸法のうち、 24は導引と組み 合わされているが、それ以外の 23、25、26は、導引 と組み合わされない呼吸法である。貝原益軒『養生訓』 では、「丹田」もしくは「臍下」、「腹」が、充実した生 命、安定性と成熟した精神性、技芸成就の要として示 されている。貝原益軒『養生訓』は、その後の養生論 において丹田や臍の下、腹を要所として捉えることの 先駆けとなったように思われる 。以下に示しておく。 臍下三寸を丹田と云。腎間の動気ここにあり。難経に 「臍下腎間の動気は、人の生命也。十二経の根本也」 といへり。是人身の命根のある所也。養気の術つねに 腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸を しづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気 をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、 丹田に気をあつむべし。如レ此すべし。もしやむ事を えずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、 浮気ならずしてあやまりなし。或(は)芸術をつとめ、 武人の槍・太刀をつかひ、敵と戦ふにも皆此法を主と すべし。是事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡 (そ)技術を行なふ者、殊に武人は此法をしらずばある べからず。又道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆 真気を臍下におさむる法なり。是主静の工夫、術者の 秘訣なり 。 『難経』を引いて、丹田が十二本の経脈の根本である 腎間の動気がある場所だと述べている 。腎間の動気 とは、二つの腎臓の間の気である。「腎臓は先天的な精 気の宿る空間」 、また「腎の気は水気であって、体内 の陰気を象徴するもの」 であり、丹田の重要性は、腎 臓の中枢性と関与している。ここで「腰を正しくすゑ」 として、姿勢を正すことを確認し、十二本の経脈へと 通じるがゆえに要となる丹田に気を集めるようにと述 べられている。そして効果として挙げられているのが、 精神的な安定性であり、武芸など技芸の実践に不可欠 であるということである。道士や比丘の坐禅も真気を 臍下におさめることだ、と付け加えている。 既に益軒は『養生訓』より約三十年前に、漢箱からの 抄出編集という形式による『 生輯要』(1682)という 資料集的性格の養生書を出している。『養生訓』はこれ を基にして書かれ、両者の間には極めて密接な関連が あるとされる 。この『 生輯要』の「巻之四 導引調 氣」に、ほぼ同様の内容が記述されている。 28はこ こから文章を起こしたのではないかと思われる。 隣レ臍三寸。謂之開。道者常到氣於開。是謂要術。難経 曰。齊下腎間動氣者。人之生命ナリ。十二経之根本也。 故名曰原。趙 鼎 望。天機者。臍下一寸三 也。難 経 云。臍下腎間動氣者丹田也。人之性命也。丹田性

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命之本。道士思レ神。比丘坐禅。皆聚二真 於臍下一。良 由レ此也。口鼻只是呼吸之門戸。丹田為二氣之本一 『難経』 より、丹田が腎間の動気であること、人の 性命であること、道士の神を思うこと(存思法)もまた 丹田に気を集めることだと述べているわけであるが、 『 生輯要』と『養生訓』との記述を比較してみると、 益軒は、『養生訓』において丹田に気を集めることに関 して、技芸とくに武芸上の効果を加えたことになる。 4 武芸思想と丹田 武芸修練上、臍の下、丹田に意識をおくことの重要 性は、よく知られていることであった。例えば、禅剣 一如を説き武芸思想に大きな影響をあたえ、剣豪柳生 但馬守の師であった沢庵の『不動智神妙録』(不詳)で は、ある質問者に対して次のような回答がなされてい る。 或人問ふ、我心を兎角余所へやれば、心の行く所に志 を取止めて、敵に負けるほどに、我心を臍の下に押込 めて余所にやらずして、敵の働により転化せよと云ふ。 尤も左もあるべき事なり。然れども仏法の向上の段よ り見れば、臍の下に押込めて余所へやらぬと云ふは、 段が卑しき、向上にあらず。修行稽古の時の位なり 。 ここでいわれる「心」は「気」と置き換えて えるこ とができよう。気は物質的エネルギーとされるが、そ れは心理的でもある。質問者の、剣術の際自 の心を 臍の下にとどめておいて敵の動きに応じて、動かすの が良いのかという問いに対して、沢庵は当然なことで あるが、臍の下に押し込めておくというのは、最高で はない、稽古修行の段階である、と述べている。沢庵 の主旨は、臍の下に心を置くことが最高の状態ではな いということであるが、本稿での関心に側せば、それ が修行稽古の段階においては、当然なことであると述 べていることを指摘したい。 武芸の技の伝授は、師匠と弟子の間での非 開の文 書化されることのない形式もあったが、出版され 開 されるものもあった。 開された武芸書の中には臍の 下へ息や心を引き下げておく、といった指導がなされ ている 。臍下への意識化は、修練度が非常に高く研鑽 を積んだ上で、極秘に伝えられるような技法上のこつ や知識といったものではなかった、ということである。 先の沢庵の発言も勘案すれば、臍の下に心をおく、気 をおく、ということが武芸においては共通理解をされ ていた事柄であったとも言える 。臍の下は丹田とい うことになる、そしてその丹田に心をおくこと、気を おくことは、自ずと呼吸を感じることになる。 近世養生論や武芸思想における丹田や呼吸法におい て大きな役割を果たしたのは、白隠の内観法である。 白隠の内観法は、白隠の『遠羅天釜』(1749)や『夜 閑和』(1757)に記述されている。これは、白隠が過度 の修行によりいわゆる禅病に陥った際、京都白川の二 百歳を越えるという白幽老人から、数息観や軟 の法 の技法とともに授かったとされるものである 。 其未だ睡りつかず、眼を合せざる以前に向て、長がく 兩脚を展べ、強よく蹈みそろへ、一身の元氣をして臍 輪氣海、丹田腰脚、足心の間に充たしめ、時々に此観 を成すべし。我此の氣海丹田、腰脚足心、總に是我が 本來の面目、々々何の鼻孔かある。我が此の氣海丹田、 總に是我本 の家郷、々々何の消息かある。我が此の 氣海丹田、總に是我唯心の浄土、々々何の莊巖かある。 我が此の氣海丹田、總に是れ我が己身の彌陀、々々何の 法をか説くと、打返へし常に斯の如く妄想すべし。妄 想の効果つもらば、一身の元氣いつしか腰脚足心の間 に充足して、臍下瓢然たる事、いまだ篠打ちせざる鞠 の如けん 。 臍輪、気海、丹田、腰脚、そして土踏まずまで、とり わけ丹田を観想して、下半身に気を充実させ、「上虚下 実」の状態に至ろうとするものである。そのことによ って胸はおのずからすっきりとして、思慮 別も迷妄 もなくなるというものである。白隠は、この内観法に よって様々な病を回復させることができたと語る。こ の内観法は、「氣海丹田」を繰り返し観想するものであ る。白隠は、内観法によって病を治すだけではなく、 さらなる修行、精進をすすめるわけだが、いずれにし ても丹田を、心身の安定性回復の決定的な根幹と捉え ている。『夜 閑話』には、丹田に気を充実させること の医学上の効果や有効性が、天台智 『摩訶止観』や 道元を引き合いに出されながら説かれている。「物事の 本質をあるがままにとどめる心」が臍輪気海の間にす わっているならば、少しの迷いも起こらない、山のよ うに動かず大海のように広い心が据わるとされる。ま た疲れることもなくなるという。 時期を示すことは難しいが、近世を通じて、丹田を 鍛えることによって心身の状態が改善され、安定性と さらには精神性が高められ、それらと不可 の技芸上 の修練にもつながるという見方が広がっていった。丹 田は呼吸法と結びついている。養生論における丹田の 重要性の高まりは、中国医書の引用中に丹田という用 語が存在しなくても、呼吸に関する内容であれば、そ こに丹田を見いだしていくことにもなった。その例を 次にあげよう。白隠『夜 閑話』にも取り上げられて いる彭租の「和神導気法」は、本井了承『長命衛生論』 (1812)にも登場している 。『長命衛生論』は医家の本 井了承により平易な言葉で書かれた養生書である。『長 命衛生論』は彭租の「和神導気法」を引用した上で、 さらに平易に言い換えている。以下は「和神尊気法」

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の引用部 である。 彭祖曰、和レ神導元養レ氣、當得二密室一、閉レ戸安レ床煖レ 席、枕高二寸半、正 身臥、瞑レ目閉レ氣、於胸膈中以二鴻 毛鼻上一而不レ動、三百息、耳無レ所レ見、必無レ所レ思、 如レ此則寒暑不レ能レ侵、蜂 不レ能レ毒、壽三百六十 歳 。 この引用中には、丹田、腹、臍、気海、いずれの言葉 も登場していない。本井は、「三百息」の部 を省略し て、代わりに「心氣を丹田へ納める」と変えている。 彭祖が曰、神を和気を養には、密室狭所に居て戸を閉、 枕の高二寸五 身を 臥、目を瞑心を鎮、胸中に鴻の 毛程のかるき事も、鼻上に不動して息を寛出入りさし て耳に聞所、目見る所なく、心におもふ所なくして、 氣の散ざるよふにして、心氣を丹田へ納るやふにして、 居るならば寒さにも暑さにも侵事なく、毒虫の毒にあ てらるゝ事なしといへる也。 ここでいう神とは心理的なことをいっているのか神々 のことをいっているのかは判然としない。とにかく、 静かな呼吸の繰り返しは、丹田へ心気を納めるという 理解へと変化している。さらに本井了承『長命衛生論』 は、寝る前に胸から腹にかけて摩る導引術を紹介して いる。その効果は、臓腑が調い長命となるということ に加えて、説明のための絵をつけて腹の形もよくなる と述べている(図一)。 臓腑よく調ひ、壽を長くすべし是五臓を調ふ一傳なり。 朝起きれば、心下へこみ上、氣の重き性あり、其人此 術をなせばよく治す、腹形あしき人も、上よく透、下 豊、淺き臍も奥へ入、此臓腑よく調ふしるしなり 『長命衛生論』は十九世紀初頭に出されているが、 この時期には、心身の安定性をもたらす上で、丹田が 要となると捉えられていたことになる。 5 理想の丹田−充実と中心− 前述したように、白隠は内観法を続けていくと「臍 下の 然たる事、いまだ篠打ちせざる鞠の如けん」と 臍下が瓢 のような形になり、鞠のようになると述べ ていた。丹田の重要性が認知されていくと、身体上の 特徴、特に腹部のかたちに目が向けられるようにもな る。膨らんだ下腹部、やわらかい鳩尾、固い小腹、こ れが良き丹田の状態であるとされる。丹田自体は、特 定の臓器でもなく、物理的に規定可能な身体上の位置 でもなく、漠然としているが、臍の下であり、下腹で ある。単に存在するというわけでなく、常にそこに意 識を向け、呼吸を通じて気を集めることによって、そ の効果が出てくるようなものである。それでも、充実 した丹田を表す身体上の特徴がある。図一を再度見て みよう。相対的に手が大きく描かれていることからす ると、手や指の位置を示すことが主意だったのかもし れないが、下腹部が丸くふくらみをもって描かれてい る。『長命衛生論』に載せられた絵は、胸から胸へなで さすり臍の を人差し指で抑える導引術のものである。 36でみたとおり、その導引術により体幹部の上の部 が薄く下の部 が豊かになり、臍が内に入るという 形態になると述べていた。臍が内に入るということは、 腹部全体が丸みを帯びているということである。こう した腹のあり方は、臓腑が調ったことの標だとされる。 東洋医学では、五臓六腑は七情と対応すると えられ る。丸く大きい下腹部は、五臓六腑の調和の状態を示 しているのであり、同時に精神的安定をも示している ことになる。 逆に、つり上がり上向いた胸では、気がぬけて消化 も悪くなり様々な病をもたらすという。腹部の丸みや 太さが理想とされ、胸の厚みは否定的に捉えられる。 槃老人『 壽帯効用略記』(不祥)は、丹田に気がみ ちていないことの典型的な姿として、上向いた胸の男 の絵を載せている(図二右側)。そこに付けられた説明 文はこうである。 耳目鼻の慾のつりいとにて身体を上のかたへ引きあげ てむねそりいだし心下つかへ臍よりしたの気のぬけた る状すべてかくのごとし 肩があがり胸が反った姿勢は、耳、目、鼻の欲から来 ているという。それは臍下の気が抜けた状態だという。 そして息を調えることによって改善されると述べる 『 壽帯効用略記』には、効果的に下腹を充実させる 方法として、胸のあたりに帯を結んで行う呼吸法が掲 載されている。肩と手をだらりと落として、下腹をは りだすような呼吸を日に三、四百回から千回、一万回 行うという。その結果、鳩尾が柔らかく腹は固くなり、 疾病による苦痛も消え思慮も定まり、さらにはいかな る悪魔も災害も近づかないという。ここで載せられた 図一 本井了承『長命衛生論』

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絵の男は、丸く大きく突き出た下腹をしている(図二 左側)。同様の帯を用いた呼吸については、平野重誠『養 生訣』にも登場している。そこに掲載されている絵も また下腹部の膨らんだ男である(図三)。こうした大き く膨らんだ下腹部が、病苦のない、心身の安定とさら には精神的な強さ、熟達した技芸の持ち主であること の象徴となる。 白隠の内観法は、平田篤胤『志都能石屋』(1811)、 平野重誠『養生訣』(1835)にも登場し、天真流の兵法 家白井亨にも引き継がれる 。武芸思想と養生論とを 横断して、技芸をもたらす心身の中心として丹田を捉 えているのが、平野重誠『養生訣』である。 體容を正して、後に気息を調和すといふは、周身の気 息を臍下に充實て、其四肢を軽虚にし、頭面肩背中胸 腹四末に、毫も氣の礙滞ところなく、物を提にも事を 行にも、すべて臍下の力を用るやうにせんとの教なり。 この臍輪以下丹田の地は、人身の正中にて、肢體を運 用ところの枢紐なり 。 姿勢と呼吸を調和させると、四肢が軽くなり、気の滞 りもなくなるという。丹田が動作を行うときの中心で あると述べられている。知識上の理解や観念的な説明 ではなく、具体的な図をつけて、実践的な場面を示し てみせている(図四、図五)。とくに図四は、線が引か れており、丹田が動作を行う上でもっとも安定をとる ことができる中心であることが示されている。 丹田は動作上の中心であるが、それは天地ともつな がっているものでもあり、中心である丹田から上下左 右偏りなく気を運用できれば、超人的な能力、「不可思 議の妙用」も持つことができるとも述べる 。 それ日月星辰の中天に繋も、地界の万物と載て重とせ ざるも、悉皆その枢軸の運轉あるに由てなり、人も亦 かくのごとく、身體を運轉べき大氣を、この中心の丹 田より て、上下左右平等にして周遍ときには、自天 賦の機関に合がゆゑに、求めずして不可思議の妙用を 具へ、變化自在の徳を有るにもいたるべし 、 天地と身体との連続性は、近世の養生論においてしば しば登場するものではある。しかし、野村が指摘する ように、平野は、天地と身体とをつなげる中心的な軸 として、実践的な場面に即して丹田を捉えている 。こ れは、それまでの養生論にはなかったことであった。 おわりに 十七世紀の養生論における呼吸法、呼吸法について、 それが養生論においては主要なテーマではなかったこ と、生命の根源としての、技芸の中心としての、さら に、精神的な要所としての「丹田」には、行き当たっ ていなかった。近世の最も代表的な養生論である貝原 益軒『養生訓』は、その後の養生論において丹田や臍 の下、腹を要所として捉えることの先駆けとなったよ うに思われる。丹田や呼吸法において大きな役割を果 たしたのは、白隠である。近世を通じて、理想的な丹 田は充実した下腹部によって象徴され、心身と技芸と 図二 平野元亮『 壽帯効用略記』 図三 平野重誠『養生訣』 図四 平野重誠『養生訣』 図五 平野重誠『養生訣』

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の中心であり、天地との対応の軸として捉えられるに 至った。心身の安定の中心としての丹田は、解剖学的 な知識の導入により養生論ではいかに変容していくの か。体操や教練などでは、下腹部ではなく胸に意識を おくことが求められ、胸がその身体的活動の中心とし て捉えられる。このような身体の近代化を促す諸実践 の中で、丹田を獲得しようとする呼吸法は、いかに引 き継がれ、どのような社会的な位置を与えられるのだ ろうか。こうした問題を残された課題として指摘して おきたい。 注 1 鎌田茂雄『気の伝統−調息法を中心にして−』人文書院、 1996 2 笠井哲「白隠禅の武芸へ の 影 響」『印 度 学 仏 教 学 研 究』 43(1)、1994 pp.180-183. 笠井哲「白隠の丹田呼吸法の系 譜」『印度学仏教学研究』51(2)2003pp.688-693. 3 山崎律子「平野重誠の呼吸法に関する一 察−江戸時代後 期の著『病家須知』を中心に−」『福岡県立大学看護学部紀 要』8(2)2011pp.61-66. 4 『道教事典』平河出版社、1994、p.388. 5 近世において最も充実した導引術をまとめているのは、竹 中通庵『古今養性録』(1692)であろう。二十四種が図ととも に掲載されているが、本稿では扱うことができなかった。今 後の課題としたい。 6 喜多村利且編著(坂出祥信、小林和彦編注)『導引體要』谷口 書店、1986、p.111. 7 同書、p.115. 8 石田秀実『気めぐる身体』平河出版社、1985、p.79. 9 節、一年の「気」の変化を十五日づつに けて、それぞれ一 気とし、一月を二気、一年を二十四気とする。喜多村、前掲 書、p.132. 10 同書、p.117. 11 同書、p.122. 12 この導引図が何にもとづいているかは不明。 13 喜多村、前掲書、p.215. 14 同書、pp.90-91. 15 石原保英著、早島正雄編『東洋医学通 』自然社、1979、 p.161. 16 詳しくは、山崎光夫『戦国武将の養生訓』新潮社、2004を参 照。 17 山崎、前掲書を参照。 18 宮本義己『戦国武将の 康法』新人物往来社、1972、pp.29 -41. 19 曲直瀬玄朔『 壽撮要』(大塚敬説、矢数道明編『漢方医学 書集成6曲直瀬玄朔』名著出版、1979、pp.421-422.) 20 大塚敬説、矢数道明編『曲直瀬玄朔』(漢方医学書集成6)、 「解説」名著出版、p.19. 21 曲直瀬玄朔『十五指南篇』大塚敬説、矢数道明編『曲直瀬玄 朔』(漢方医学書集成6)pp.393-421. 22 立木了木『養生簡 録』杏雨書屋所収。立野了木は他に『日 用食性』を著している。 23 貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』岩波書店、1961p.58. 24 同書、p.60. 25 同書、p.60. 26 同書、p.60. 27 同時期の芝田 祥『人養問答』(1715)にも次のような記述が ある。「用事しげつく心せわしき時は胸より腹を撫でさすり て氣をくだすべし、斯のごとくする時は物に退屈せず腹中 に積塊を生ぜず」(三宅秀・大沢謙二編『日本衛生文庫第五 輯』日本図書センター、1979p.89) 28 貝原益軒『養生訓・和俗童子訓』(岩波文庫)岩波書店、1961 pp.56-57. 29 『難経』は、『黄帝内経素問』『黄帝内経霊枢』とともに東洋 医学の三大古典医籍とされる。中国戦国時代、斉の医者秦越 人の著と伝えられているが、内容の形式はさらに新しい時 代のものである。八十一章からなり、経脈の生理病理、それ に基づく診断法、及び鍼灸の経 について主として論じら れている。十二経とは、手の太陰肺経、手の陽明大腸経、足 の陽明胃経、足の太陰脾経、手の少陰心経、手の太陽小腸 経、足の太陽膀胱経、足の小陰腎経、手の 陰心包経、手の 小陽三焦経、足の小陽胆経、足の 陰肝経である。 30 石田秀実『気ながれる身体』平河出版社、1985p.73. 31 同書、p.73. 32 麥谷邦夫「中国養生文化の伝統と益軒」『貝原益軒−天地和 楽の文明学』平凡社、1995pp.241-242. 33 貝原益軒『 生輯要』(1682)(益軒会編『益軒全集巻之七』 益軒全集刊行部、1910p.821.) 34 沢庵宗彭『不動智神妙録』たちばな出版、2011p.67. 35 例えば、弓術書である寒川辰清『武射必用』(1731)には、臍 の下へ「息と心」を引き下げておくことの記述がある。「息 と心とを臍下へこむべし。はれの時などは帯を少し堅ふし て肌ぬきたりとも余り前をふさぐべからず。扨、平常は只臍 の下に息と心を心得べし」(今村嘉雄編『日本武道大系第九 巻』同朋舎出版、1982p.503)。 36 近世の武芸における丹田の重要性については、前林清和『近 世武芸思想の研究』人文書院、2006、前林清和『武道におけ る身体と心』日本武道館、2007 37 軟 の法は、近世後期臨済宗の僧侶、良寛も行っていた。笠 井前掲論文(2003)、立川昭二『江戸人の生と死』筑摩書房、 1993pp.183-185. 内観法、数息観や軟 の法の技法については、中国の道教思 想から明るみにされてきている。例えば、野村英登「白隠の 修養法と道教の錬金術」『花園大学国際禅学研究所論叢』1 号、2006pp.247-265。芳澤勝弘氏により訳注をつけられた 『白隠禅師法語全集』(禅文化研究所)の第四冊『夜 閑話』 (2002)、第九冊『遠羅天釜』(2003)も、引用された文献の検 証がなされている。 38 白隠『夜 閑話』禅文化研究所、pp.84-87. 39 八百歳を生きたとされる殷の賢大夫。 40 本井了承『長命衛生論』(三宅秀、大沢謙二編『日本衛生文 庫第四輯』日本図書センター、1979)p.392. 41 同書、(三宅秀、大沢謙二編『日本衛生文庫第四輯』日本図 書センター、1979)p.391. 42 『江戸時代女性文庫43』大空社、1996 43 平野重誠『養生訣』早稲田大学古典籍 合テータベース 44 これは 槃老人『 壽帯効用略記』が明治20年に平野元亮 『重版 壽帯効用略記』として出されたものである。この図 は、平野元亮『重版 壽帯効用略記』のものである。国立国 会図書館近代デジタルライブラリーより転載。 45 早稲田大学古典籍 合データベースより転載。 46 白井亨は江戸後期に剣術流派、天真白井流を開いている。天 真白井流における丹田については、前林が取り上げている。 前林前掲書(2006)、一八四頁、前林前掲書(2007)、pp.278-284. 47 平野重誠『養生訣』(早稲田大学古典籍 合データベース)

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48 ある種の超人的な能力の由来するところとしての丹田とい う捉え方は、近代以降の霊術家と呼ばれた 康法や心身鍛 錬術とも通じるように思われる。 49 平野重誠、前掲書(早稲田大学古典籍データベース) 50 野村英登「丹田で歩く−身体イメージがつなげる哲学、信 仰、養生、芸能−」夏目、師、李、大地、野村、山田『から だの文化−修行と身体像−』星雲社、2012 pp.184-222. 51 早稲田大学古典籍 合データベースより転載。 52 早稲田大学古典籍 合データベースより転載。 本研究は、平成23年度科学研究費助成事業採択、基盤研究C課題 番号23500691の成果の一部である。

参照

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