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比例代表制の展開と正当化の理論 : 第一次大戦前の比例代表制論について

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比例代表制の展開と正当化の理論

一第一次大戦前の比例代表制論について一

武 永 淳 は じ め に        1)  今日,わが国において比例代表制が注目を集めるに至っている。しかし,そ れは,「議会における民意の公正・正確な反映」という比例代表の基本思想が 評価されてきたというのではなく,比例代表制の採用による「金のかからない       2) 選挙の実現」といういわば付随的効果が期待されてのもののようである。さら に比例代表制の導入が,必ずしも全体としての議会の民意との比例性を保障 1) 参議院全国区制の改革問題は,故大平総理大臣の私的諮問機関である航空機疑惑問  等等防止対策協議会が,1979年9月,政治浄化対策の一環として「金のかからない選  挙を実現するため,国会及び政党と緊密な連携のもとに,現行の個人本位の選挙から  政党本位の選挙に移行するための選挙制度の基本的あり方,選挙費用の党費負担,選  挙運動規制のあり方について検討する」ことを提言し,鈴木総理も改革に意欲を示し  たのを受けて自由民主党選挙制度調査会において検討が進められていた。そして81年  5月12日最終的に改正案がまとめられ,同党の議員提案として5月26日第94国会に提  出された。同法案は第94国会においては審議未了・廃案となったが,第95国会におい  て再び提案(10月7日)され,継続審議となっている。辻田好和「『選挙』本年の回  顧」,選挙34巻12号,28頁。   同法案について詳しくは,同誌同号,32頁以下参照。同法案をめぐる憲法上の論点  については,佐藤功「比例代表制の憲法問題一参議院全国区制改革案の問題点」法学  セミナー220号(1981年10月)20頁以下が詳しい。なお,教授は,同改革案は当不当  の問題は別として,違憲であるとはいえないとされている。 2)西平重喜『比例代表制』 (!981年,中公新書)においては,「金がかかるから比例  代表制にしよう」との考えおよび「第一院の選挙制度に手をつけないで,参議院全国  区の選挙法の改正からとりかかる」ことについて批判がなされている。同書186頁以        i  下。

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       比例代表制の展開と正当化の理論  89 しないという懸念すら存在する状況でもある。r比例代表制」という言葉から 受ける「民意の公正・正確な議会への反映」のための制度という印象にもかか わらず,その制度の導入がそのような結果をもたらすとは限らないのである。  本稿では,比例代表制の生成・展開の歴史および20世紀初頭のドイツにお けるその国法上の位置づけについて検討することを通して,今日の比例代表制 および選挙制度のかかえている問題の原点ともいうべき部分の解明を試みた 3) いo 1 比例代表制の歴史について  1 前   史        1)  比例代表制の起源ぱ,大革命前のフランスに求められるとされている。1770 年フランスの数学者ド・ボルダ(de Borda)ぱ,王室学士院(Acad6mie Royale des Sciences)において学士院会員の選挙に関して単純多数代表制を排して一 種の逓減連記制(System der graduierten Stimmgebung)を採用すべきことを

     2) 3)

提案している。また,コンドルセ(Condorcet)は1785年に論文を発表し,多数 代表制の不完性への批判から出発し,確率論に基づいて,一選挙方法を考案し 3)拙稿「ワイマール比例代表選挙制の成立過程」 ((1)法学論叢108巻6号,(2)・完同  109巻2号)は,比例代表制のドイツへの導入について政治的側面を中心に検討を行  っているが,本稿は,第一次大戦前の比例代表制自体の発展史およびその理論的位置  づけを扱っているという点では.前事の補論的i生壁をも有する。 1) Karl Braunias, Das Panlamentarische Wahlrecht, 1[, JPand, Berlin und Leipzig  1932,S.195.なお,邦訳としては,国政研究会訳『議会選挙法』 (1936年)がある  が,参照するにとどめた。 2)Braunias, a. a.0., S.195, S.204f 逓減連記制とは,選挙人の指定した順序に従  いその投票の価値を逓滅して計算し,数の多い者から順次当選させる方法である。そ  の逓減の度合は種々定めうる。ボルダの例では,定数1の選挙区で,21人置選挙人が  いてA,B, C3者が立候補したとする。遠隔の8人の選挙人はAを第1位とする  が,そのうち1人はBを第2位,7人はCを第2位とする。乙党の13人は.そのうち  7人はBを第1位,6人はCを第1位とし,全員Aを最下位とする。単純多数代表制  であれば,A=8票. B;7票, C 6票でAの当選となるが,それはAが13人もの選  挙人によって忌避されていることを無視することになる。そこで,選択の順位に価値

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 90 彦根論叢第214号 たが,彼にもそれは極めて複雑な方法と思われたので,1793年には実行可能な より簡単な方法を提案している。しかしながら,その方法は選択投票制(alt− ernative vote)や有限投票制の一種というべきものであって,今日いう比例代        4) 衷制ではなかった。  ボルダもコンドルセも,比例代表制そのものを案出したのではなく,多数代 表制の改良および少数代表制の一一19を案出したにとどまるのであるが,後の比 例代表制の登場との関係では,代表選出における投票計算手続の重要性を認識        5) していた点が注目される。  他方,革命期においては,後にしばしば比例代表の思想を表明したものとし て引用されるミラボーの1789年1月30日の演説が登場する。その演説において 彼は,「議会(le 6tates)は,国民(nation)にとって,物質的広がり(6tendue physique)に対応する縮尺図(carte r6duite)なのであり,部分においても全体        6) においても模写は常に実物と同様の割合を持たねばならない」と述べている。 しかし,彼がcarte r6duiteと6割引ndue physiqueとの間に求めた比例性は,諸 身分の適切な代表という有機的保守的性格のものであり,必ずしも第三身分の 圧倒的な数的優位の下での数的に正確な議席の配分率を主張するものではなか  の差をもうけ,第3位=1,第2位;2,第1位=3とするとAは37,Bは42, Cは  47を得,Cが当選することになる。水木,前掲書,253,281−2頁参照。 3) この論文におけ’る提案について詳しくは,Adolf Tecklenburg,1)ie Entzvicklung  des Wahlrechts in−Frαnkreich seit 1789, Ttibingen 1911, S.50ff.を見よ。 4)Braunias, a. a.0.,1f. Bd., S.195.コンドルセは,憲法委員会に彼自身参加して作  成した1793年のジロソド憲法草案において2つの選挙方法を提案している。一つは,  議会についての選択投票制である。もう一つは,第一次集会における陪審員および役  員についての有限投票制である。陪審員については,現在いう大選挙区単記非移譲式  投票法であり,役員については2名に限って連記しうる綱限連記投票法であった。  Axel Misch,1)as Wahlsystem xwzschen Theorie und Taktik, Berlin 1974, S.24f.森  口繁治『比例代表法の研究』(1925年)91一一2頁,552−5頁参照。水木,前掲書,242  −6頁参照。 5) Misch, a. a. O., S. 27. Braunias, a, a. O., ll. Bd,S. 205f. 6) Misch, a, a, O,, S. 13.

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       比例代表制の展開と正当化の理論  91   7) つた。        8)  また,シェイエスは,特権の否認と市民の平等の権利を主張し,さらに「代 表団体は……常に国民自体に代わるべきものなのである。その作用においては        9)〔国民と〕同じ性質,比率および規則を保持しなければならない」と述べてい た。彼は,原則的に人口に比例した代表者選出を主張したとされるが,彼の平 等の主張は反封建反特権という次元であり,必ずしも代表者選出の方法として の比例代表制と結びつくとはいえない。彼の場合,比例の原則は,選挙区配分 のレベルに関係しうるのみであり,代表者選出にあたっては,多数決原理を当 然のこととレていたのであった。従って,この両者を比例代表制の思想的先駆       ユの 者と位置づけることは必ずしも適切とはいえないのである。  さて,19世紀も甲某となると本格的に比例代表制の提条が登場してくる。比 例代表制には,一応系統を異にする二つの方式が存在するので,次にそれぞれ につきその発生と展開を追うことにする。  2 単記移譲式比例代表制  単記移譲式比例代表制の基本思想は,早くも1821年イギリスのヒル(Thomas       11) Wright Hi11)により示唆されており,1855年には,デンマークの数学者で当 7) Ebenda, S. 13. 8) 大岩誠訳『第3階級とは何か』(1950年)岩波文庫,114頁以下。 9) Braunias, a. a. O., 1[, Bd., S. 194. 10) Misch, a. a.0., S.15f.森口,前掲書,549−552頁。 11) ブラウニアスによれば,ヒルの提案は以下のごとくであった。   「各出席メンバーからは,上部に自分の名前を書き,下部に委員会において自分を  代表すべきメンバーの名前を書いた1つの投票用紙が投ぜられる。このようにして投  ぜられた票は議長に渡され」議長はそれを整理し,各被指名者に投ぜられた票数を会  議に報告する。5票を得た老は委員となる。5票以上得た場合には過剰票は(抽選に  より)元の選挙人に副えされ,当該選挙人は他の候補者を指名する。この手続が,過  剰投票が無くなるまで,すべての無効票が当該選挙人に返されてしまうまで繰り返さ  れる。」Braunias, a. a.0.,亘. Bd., S.207.また,患子のローランド.ヒル(Rowland  Hi11)による説明については, Enid Lakeman, How Demoracies.Yote(London,  1970), pp. 108−9.

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 92 彦根論叢第214号 時大蔵大臣であったアンドレ(Carl Christoph Georg Andrae)によって具体       12) 的な制度として提案され,議会(Rigsraad)の選挙の一部に採用されている。  しかし,この単記移譲式比例代表制の理論づけとその普及に最も貢献したの は,イギリスの弁護士ヘア(Thomas Hare)であった。ヘアは,1857年「代表 の機構(The Machinery of Representation)」を,また,1859年「国会議員と 地方議員の選挙(The Election of Representatives, parliamentary and mun− icipa1)」を発表し,単記移譲式比例代表制を選挙制度改革の構想として提案し たのである。ヘアの提案の内容は,全国を一選挙区とし,各選挙人は1名の候 補者を選挙することができるが,その票は選挙人によって指定された優先順位 によって他候補者へ移譲が可能であり,当選基数(Quota)に達した候補者が 選出されるとするものであった。ヘアは,この当選基数に,総投票数を議員定 数で除した商をあてており,それはヘア式当選基数:(Hare quota)と呼ばれて  13) いるQ  ヘアの提案は,J. S.ミルによって熱心に支持された。ミルは「代議政治論 (Considerations on Representative Governmbnt)」においてその第7章をへ 12) アンドレの方法では,選挙区毎に投票総数を議員定数で除した商を当選基数とし,  過剰投票を選挙人の指定に従って順次移転させる。しかし.少数得票者の得票は移譲  されない。過剰投票の分配の結果,当選基数の半数以上を得た候補者の中の最:多数者  から順番に当選とし,なお定数に充たない場合には比較多数によって決定し,同数の  場合には抽選により決定した。(Georg Meyer, Das pαrlamentarische VVahlrecht,  Berlin 1901, S.633)この方式は.1855年10月12日の憲法において一院制の議会の一  部に採用された。すなわち,その80名の議員中20名は勅任議員であり,他の60名が公  運i議員であったが,その30名は県会によって選ばれ,30名が直接人民によって選ばれ  た(当然普通選挙ではない)が,HolsteinおよびLauenburgは「国王の議会」に  議員を派遣することを拒み,またSchleswigは小選挙区制をとり,5名を選出した  ので.以上の3県を除き,45名の議員選挙の適用されたのみである。最初の方法は8  年間行われた後一旦廃止されたが,1866年憲法改正により,二院制を採用し,上院   (Landsthing)の議員の間接選挙に再び比例代表法を適用する旨規定され,1867年7  月12日の選挙法により以前とほとんど同一の方法が採用された。森口,前掲書120−  121頁。なお,Braunias, a. a. O.皿. Bd., S,207ff.参照。 13) 森口,前掲書,123−4頁。水木.前掲書,266−7頁。

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       比例代表制の展開と正当化の理論  93 ア方式の説明に費やしており,その中で,ヘア方式では,「すべての選挙人は, ……I挙人自身の意見を最:もよく表現するか,選挙人が最も尊敬し,信頼する に足ると考えるかするゆえに当該候補者に投票するのであり……。〔議員は〕 町の煉瓦やモルタルを代表するのではなく,人を代表するのであり,少数の教       14) 区委員もしくは地方的名士ではなく投票者自身を代表する」と主張した。ミル は,1867年には自ら議会にヘア方式を基礎とする選挙法改正案を提案したが,       15) 拒否されている。  そして1884年には,ヘア比例代表制の運動は,「英国比例代表協会(British Proportional Representation Society)」に統合されるのであるが,同年運動自 体は終東へと向かうことになる。それは, 「今や多数老が選挙権を保有し,以 前比例代表制を擁護していた議員も幸いにも自らの選挙区:を持つことができた からである」。そして,「1884年一85年には若干の例外を除いて複数幸区は廃止       ノ され」,小選挙区制が以後イギリス本国において定着することとなった。しか し,ヘア式比例代表制は,当時の大英帝国内の諸国を中心に各国の比例代表制 運動に影響を与え,若干の地域において採用されるに至っている。  ヘア自身の方法には幾つかの点で大きな欠陥があった。第一は,ヘアが全国 一区の選挙区を設定していた点である。実際には,選挙人が,数百事の候補者 全部に順位をつけることは困難であり,ヘアの後継者たちは,全国一選挙区の        17)思想を放棄し,「3名程度の議員を選出する選挙区」を採用する例が多かった。 !4) J, M. Robson ed., Collected Works John Stuart Tttill XIX, Essays on Politics  and Society(Toronto,1977), p.455.ミルの選挙制度についての見解については,  山下重一『J.S.ミルの政治思想』 (1976年)193頁以下参照。 15)森口,前掲書,122頁。 16)Braunias, a. a.0., IL Bd., S.197L 1884年には,67年の改革において都市選挙区  において認められた家屋所有者および年価10ポンド借家人という選挙人資格を訪韓  挙区にも適用し,占有選挙権(occupation franchise)が全国的に統一され,有権者  は,260万人から440万人となり人口の12.3%となった。さらに85年「議席再配分法   (Redistribution of Seats Act)において,定員2人の22都市及び若干の大学選挙区  を除き全国を通じて都市と郡との別なく,1区1人の小選挙区制を採用し,人口と議  席の均衡を是正した。」水木,前掲書,22頁。 17) Braunias, a. a O., S. 211.

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 94 彦根論叢i第214号  第二は,当選基数の問題であった。ヘアの当選基数(Q)は,投票総数(V)        V       であり,全員一致による議 を議員定数(M)で除した商,すなわちQ=        M 員の選挙という考え方をとっていたため,議席の配分の際に当選基数が大きい ことから,多くの配分しえない残余議席が生じるという難点があった。ドルー       Vプ(H.R. Droop)は多数決原理に基礎を置く, Q==       +1というドルー        M十1       18) プ式当選基数を提案し,その緩和を図っている。  第三は,投票の移譲の際に生じる偶然性の問題である。これについては, オーストラリアのクラーク(Clark)およびグレゴリー(Gregory)によって, 投票を専ら抽象的な移転価値によって取扱う方法が案出され,最終的に移譲の        ユ9) 際の偶然性は除去された。 18)Ebenda, S.210f.当時の当選基数の理論づけについては,上野岳彦「19世紀後半に  おける初期比例代表制について」早稲田政治公法研究第9号(1980年)参照。 !9)Braunias, a. a.0., ff. Bd., S.211f.ヘアの方式では,まず,各候補者の第!順位  票を集計し,当選基数以上の老を当選者とする。当選基数以上の剰余票は,選挙人の  指名に従い第2順位の候補者に移譲される。第2単位に指名されている候補者がすで  に当選している場合には,第3順位に移譲される。第2順位の候補者が,移譲された  票を自己の第1順位票に加えて登熟i基数以上となれば当選老となり,剰余票は第3順  位の候補者へ移譲される。同様の手続を繰り返して剰余票を全部移譲し終ってもなお  当選者が定数に満たない場合は,最低得票者を落選者とし,同様に選挙人の指名に従  って移譲していく。それでもなお定員が満たされない場合には比較多数で決し,同数  のときには抽選で当選者を決定する。   以上の場合,高得票者については,剰余票のみが移譲されるので,全得票中どの部  分を剰余票とするかにより第2順位以下の結果は大きく影響を受けることになり,偶  然性に支配されることになる。   この欠点を除去するために,クラークは,剰余票を有する候補者の全得票を調査し  その中から移譲不能票を除き,各第2順位の票数に剰余票と移譲可能票の比率を乗じ た数酪第・順位候儲勒す・・ととした鰹騰籔一覆棄順・移護耀票).  第3順位についても同様の手続を繰り返すのであるが,最初の手続の際第3順位まで  調査していないため偶然性の介在の余地は残されている。この方法は,ヘア=クラー  ク式移譲法と呼ばれ,1896年にはタスマニアにおいて採用されていた。   グレゴリーは,ヘア=クラーク式の偶然性を除去するため,移譲のあらゆる段階で  常に第1順位にまで遡って全投票を調査し,各選択毎に移譲可能票と剰余票の比率で

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      比例代表制の展開と正当化の理論  95  3 名簿式比例代表制  名簿式比例代表制は,投票の移譲に関して,単記移譲式とはその原則を異に している。単記移譲式にあっては,どの候補者にその票を移譲するかは選挙人 自身が投票の際に決定した順序による。しかし,名簿式では,選挙前に各政 党・政治グループに候補者名簿を提出させ,選挙人は原則としてその名簿に対 して投票するのであり,各候補者名簿毎に候補者は一体をなし,名簿の獲得し       20) た票は,原則として当該名簿の候補者のためにのみ役立てられるのである。  名簿式比例代表制は,コンシデラン(Victor Consid6rant)による比例代表制 運動にその「発生の萌芽を有するもの」とされている。彼は,空想的社会主義 者として知られるフーリユの弟子であり,1840年代の初めにパリの雑誌に,選 挙区からではなく,選挙人が任意に構成する選挙人団から議員を選出すべきで あるとの主張を発表した。コソシデラソは,その後ジュネーブに移り,1846年 には議会に公関状を送り,それを「代議制の純粋性または真正選挙の陳述(De la sinc6rit6 dn gouvernement repr6sentatif on exposition de 1’61ection v6rid− ique)」と題するパンフレットとして頒布した。  コソシデランは,選挙と決議とは全く性質を異にするものであり,決議の場 合には決定することが目的であるから多数決が適切な方法であるが,選挙の場 合はできるかぎり選挙人団を反映するよう議員団を構成することが目的である とする。従って,真の選挙にあっては,選挙人の中に存在する種々の政治的思 想をその程度に応じて代表させることおよび各選挙人団がそれぞれ最も有能か つ尊敬に値すると考える人物を選出することができるようにしなければならな いとする。そして,彼は,そのために次のような方法を提案した。  (1)選挙人を縛る地域的選挙区:を廃止し,選挙人に自由に選挙人団を形成させる。すな  わち,全国を一つの選挙区とし,便宜的に投票区に分割するにとどめる。(2)各選挙人に  投票の移譲を行い,移譲を投票用紙ではなく,抽象的な移譲価値によって行うことと  した。このグレゴリー式移譲法は,1907年タスマニアで採用され,1909年南アフリカ  連邦上院,1922年アイルランドにおいて採用されている。水木,前掲書,275−281頁。  森口, 前掲書, 149頁0 20)森口,前掲書,149頁。

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 96 彦根論叢第214号  自由にその政見に基づく集団を作らせるため毎年3月1月に各政党により一定数の選挙  人の署名を付して選挙管理人に対し政綱を提出させ.選挙管理人はそれに番号を付して  公示する。選挙人は,3月15日に投票所において各自の欲する党派の番号を投票し,そ  の投票数に比例して各党に配分される議席数が決定される。㈲8日後選挙人は,各党派  の番号を付した投票用紙を用いて自己の欲する候補者の氏名を記載し投票する。そして       21)  各党に配分された議員数分について最多数の票を得た候補者から順次当選者とする。  コンシデランの以上の案には,名簿式比例代表制の基本的原理が明白に認め られる。彼の案自体は受け入れられなかったが,その影響はスイスにおいて存 続し,1865年には,秘密投票主義の確立と比例代表制の導入をめざす「選挙法 改革協会(1’Association r6formiste)」が,ナヴィル(Ernest NaviUe)らを中 心に結成された。この協会は,スイスの伝統的な連記投票法を受け継いだ名簿 式比例代表制の発展に貢献した。スイスにおいては当時一般的に大選挙区連記 制が行われていたため,しばしば政争の激化を招くことになっていたが,1889 年選挙におけるティチーノ・カソトソでの騒乱の解決策として1891年比例代表 制が採用されたのを最初として多くのカントンの選挙に比例代表制が普及して   22) いった。 21) Ernst Cahn, Das Verhdltniswahlsystem in der modernen Kulturstaaten, Berlin  1909,S.18f.森口, 有霞掲老, 561−565頁。 22)Cahn, a. a.0., S.24ff.1889年3月のティチーノ・カントンの議会(GroBen Rat)  において保守党は12,783票で77議席を得たのに対し,自由党は12,166票で35議席を得  たにとどまった。不満が爆発し,連邦軍隊の出動によりょうやく秩序の回復がなされ  るという状態となった。連邦政府の勧告に基づき,選挙法改正のための制憲議会を比  例代表制により選出するための法律が議決され(1890年12月5日),その選挙が91年  1月11日に行われた。91年2月9日に,カソトソ議会,制憲議会およびゲマインデ議  会の議員の選挙を比例代表制に基づいて行う旨の憲法改正が決議され,91年3月18日  の人民投票により11, 29!対10. 764で承認された。同年5月22日.カントン議会は,比  例代表制に基づくゲマイソデ議会議員選挙法を制定し,11月27日には,比例代表制に  基づくカソトソ議会およびVerfassungsratの新選挙法が制定され,92年3月には同  法によるカントン議会選挙が行われた。同法ではヘア式当選基数が採用され,残余議  席は最大多数の投票を得た政党に与えられるものとされていた。森口,前掲書,175−  6頁,581頁以下参照。スイスの当時の政治状況と選挙制度の関僚については,Lake・

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      比例代表制の展開と正当化の理論  97  一:方,ベルギーでは,1878年ドソト(Victor d’Hondt)が「選挙問題,政党 の比例代表(Ques亡lon 61ectorale, La representation proportionelle des partis)」 というパンフレットを発表し,81年には,ブリュセルにおいてド・スメト(de Smedt)らを中心に「ベルギー選挙法改正協会(1’Association r6formiste belge)」 が設立され,比例代表制の思想の普及にあたった。82年には,ドントは「比例 代表の実際的およひ理論的組織(Syst6me pratique et raisonn6 de■epr6sentation proportionelle)」を発表し,ドント式比例代表制を提案した。そして1899年に       21) 至りようやくドソト式を基礎とした比例代表制が議会を通過することになる。  スイスおよびベルギーにおける名簿式比例代表制の採用は,以後ヨーPッパ 各国に多大の影響を与えた。  さて次に名簿式比例代表制の技術的発展について述べる。コソシデランは,

当蹉数については・Q一考一という一・式胴じものを教ていた・従・

て,当然残余議席の配分について問題が生じるが,彼の後継者たちは,いわゆ  mann, oク. cit., pp.179一一184参照。また,各カントンの選挙制度については, Karl,  Braumas, Das Parlamentarische VValtlrecht, 1. Band, Berlin und Leipzig 1932,  S.5!6ff.参照。 23)森口,前掲書283頁以下。Braunias, a. a.0.,1. Bd., S,!2ff.ここで採用された比  例代表制の特微は,(1)単純拘束名簿式,②各名簿へのドント式による議席配分,(3)各  名簿においては得票の最多数の者から当選とし,同数の場合は名簿上の順位によると  する点である。   ベルギーにおいては,民族的な対立(フラマン人とワロン人)が19世紀を通じて国  家的統一を脅やかしてきた。ユ899年までの多数代表制では,フランダースからカトリ  ック党を,ワロニアからは一部を除いて自由党を,94年からは社会党を選出するとい  う結果を生んだ。各州の内部では,中央政治あるいは地方政治においてすら代表を持  つことを望みえず,不満を有する飛地を形成する小数派が存在していた。また議会   (S6nat=SenaatおよびChambre des Repr6sentants=Kamer der Volksvertegenw−  oordigersからなる2院制)には,国の半分においてそれぞれ排他的に多数派を代表  する2つの固いブロックがあり,両者はベルギーが非宗教的国家であるべきか否か,  フランス語が行政法律および教育上占めている特権的地位により生じる問題につき  和解しがたい意見の相異を有していたとされる。Lakemann,砂. cit.,pp.184−5.ベル  ギーの選挙制度の展開につき詳しくは,Herausg, von Dolf Sternberger und Bernhard  Vogel, Die WaJzlert der Parla7nente or.nd anderer Staatsorgane一一Eine Handbuch,  Band 1 Europa, Erster Halbband, Berlin 1969, S. 77ff.

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 98    彦根論叢i 第214号 る最大剰余方式をとったとされる。しかし,この方式では,極めて小さい政党        24) にも議席が配分されることがあり,比例性が害されるとの指摘がなされた。  この点に関してドントは,一議席の代表する選挙人数が最大となるよう議席 を配分することを提案した。すなわち,各名簿の得た票数を1,2,3,…… の数で除し,その商の最大のものから順次議席を配分する方式である(ドント 25) 式)。  この方法は,議席が多数の場合は計算時間がかかることから,ハーゲンバッ ハ・ビショフ(Hagenbach−Bischoff)は次のような計算方法を提案した。   「我々が適正な方法を導き出すための唯一の原則は,すべての投票権ある市民は同権  であるということである。このことからより多数である票がより少数である票よりも一  層重要であるという多数者の特権が生じる。この命題を1つの集会が1人の代表を指名  しなければならない場合に適用すると,その選挙には過半数の票で十分である。つまり  その残余は常に半数より少なく,当選老は他のものよりも多くの票を獲得したのである  から。では,前記の命題では集会が複数の代表者を選挙しなければならない場合にはど  うなるのか。この場合,各選挙人は全代表を要求してはならないというのは容易に理解  され,異論の余地はない。さもなければ,代表者の数を選出体の大きさにかからせてい  ることは無意味となってしまおう……。選挙によって登場した代表者は,集合して代表  体を形成し,代表体は,万人の同権を考慮して全選挙人団の思想に相応しなければなら  ない。……   1代表者の選出には,我々が当選基数(Wahlzahl)と呼ぶ一定数の票で十分である。  それは,選挙人数を代表者数に1を加えた数で除し,得られた商に最も近い整数を取る  ことにより得られる」と。       V       +x(0<x≦1)というドループ式と同様の当選基数  こうして,Q=         M十1 を理論づける。そして,全投票数をこの当選基数で除すのであるが,この場合 も全議席が必ずしも配分されないことがある。彼は,この点につき各名簿の得 票数をすでに各名簿に配分された議席数に1を加えた数で除し,その商の大き 24) Braunias, a, a. O., II. Bd,, S. 212f. 25) Ebenda, S.213f.森口,前掲書,180頁以下。 Meyer, a. a.0., S.635f.

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      比例代表制の展開と正当化の理論  99 い名簿から順に残余の議席を配分することを案出した。この方式はドソト式と 同じ結果となるのであるが,議席数が多い場合は,ドソト式よりも計算は簡単     26) なのである。  ドント式は,最初に当選基数を設定せず,従って剥余票を無視するため,不 公平な結果を生むことがある。すなわち,切り棄てられる剰余票の比率は通常 小政党の方が大きいため大政党に有利となる傾向があり,この点で最大剰余式 の対極をなすといえる。これらに対し,1874年にすでにチューリヒのビュルク       のり(Karl Binrkli)が自働方式=固定当選基数方式の提案を行っている。  さらに,名簿式比例代表制にとっては,名簿の方式をどのようにするかは重 要な問題となる。名簿方式は,厳正拘束名簿,単純拘束名簿,自由名簿に分類 でき,当選する人物の決定について選挙人が行使する影響力の程度を異にす る。第一次大戦前の時点では,単記単純拘束名簿はベルギーにおいて採用され ており,連記のそれはスイスの一部のカントンにおいて採用されており,自由 名簿は,州または国の議員選挙のレベルでは,スイスのバーゼルおよびフィン        28〕 ランドの1906年選挙法で採用されていた。  最後に選挙区の大きさの問題であるが,単記移譲式の場合と同じく名簿式の 初期の主張者は,全国を一選挙区とすることを構想していたが,現実の比例代 表制の導入においては,旧来の選挙区を受け継いだものが多く,この点でも議 席配分の比例性は制約されていたのである。選挙区段階で生じた剰余票を,選 挙区連合あるいは全国選挙区に移送し,そこで利用することにより全体的な票 数と議席数の比例性の確保を図る試みは,第一次大戦後に登場することにな る。 26)Braunias, a. a.0.,豆. Bd., S 214ff.ハーゲンバッハ・ビショフ方式の提案は,彼  の,,Die Frage der Einftihrung einer Proportionalvertretung statt des absoluten  Mehres“,(Base1!888)という論文においてなされた。 27)Ebenda, S.216f.森口,前掲書,193頁以下。水木,前掲書J 325頁以下。 28)Braunias, a a. O., IL Bd., S.217ff.森口,前掲書,157頁以下。当時のフィンラ  ンドの遜i挙法について詳しくは,Braunias, a. a.0.,1.Bd., S.140ff;Sternberger  und Vogel, a. a. O., S.4/3ff.参照。

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100 彦根論叢 第214号 皿 比例代表制の正当化の理論   一E・カーンの所論を中心に一  ブラウニアスは, 「20世紀が始まると共に比例代表制の精神的創造期は終焉    つを迎えた」と述べている。前章で見たごとく,19世紀の中葉に登場した比例代 表制の理論は,一定の技術的改良を加えられ,世紀の転換点においては現実に 採用可能なものとなるに至っていた。しかしながら,この段階ではまだ比例代 表制を導入した国の数はきわめて限定されており,また比例代表制に基づく選 挙の実施の経験も数少ないものでしかなかった。従って,19世紀の比例代表制 の展開を総括する位置にある20世紀初頭の比例代表制をめぐる擁i護論・反対論 は,「〔第一次〕大戦後比例代表制は驚くべき拡大を遂げ,それは,ほとんど        ヨ 一気に全ヨーロッパに普及した」とされる戦間期あるいは第二次大戦後と比較 して,一層の理念的性格を有していると思われる。その意味で,当時の議論は 比例代表制をめぐる論争の原点を示すものといえよう。以下では,ドイツで第 一次大戦前において比例代表制について最も詳細な検討を行っているE・カー ンの所論を中心に,国法理論との関係での比例代表制の根拠づけ=正当化の理 論につき検討を行うことにする。  1 代表権の担い手の問題  比例代表制の支持者は,多数代表制の場合と比例代表制の場合では,代表権 の担い手(Trliger des Rechts auf Vertretung)が異なっていることを強調す る。  クンヴァルト(Kunwald)によれば,両者の相異は,「多数代表と比例代表 というものではなく,選挙人の固定的編成と自由な編成,多数決による選挙と        全員一致による選挙,すべての選挙区の代表とすべての選挙人の代表」という ことであるとされる。  1) Braunias, a. a.0.,皿. Bd., S.200.  2) Ebenda, S.203.  3) Gottfried Kunwald, Ober den ei.aentliehen Grundgedanken des proportionalen   IVahlsystems, Wien 1906, S.27f.

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       比例代表制の展開と正当化の理論  101  また,ガグール(Gageur)は,「多数決原則の一つの重大な誤りは,それが 人間社会の自然的な分岐を誤認または無視していることであり,人民を種々の 重要グループに基づいて全体的代表の形成のために集めるのではなく,選挙区 により区画することによって,錯綜し,恣意的に混合された選挙民の群へと分       4) 割することによって人民を個々人の単なる寄せ集めへと解体することにある」 として,国民を選挙区に分割することを非難している。  カーンは,この問題を次のように整理している。   多数代表制の場合には,「地理的に限定された区域(Bezirk)の住民(Bev61kerung)  が一つの統一体とみなされ」,比例代表制の場合には,「何らかの種類の利益を,共通の  もの,自分たちを結びつけるものと感じている全国の住民の一部分が統一体とみなされ  る」のである。この出発点の椙異を確認するならば,いわゆる多数代表制と比例代表制  の基礎となる原理の相異が理解される。すなわち,「多数代表隷こおいては,選出母体  (Wahlk6rper)は,政治的統一体としての選挙区の選挙民であるが,比例代表制にお  いては,政治的意思上同じ利害から出発する自由に形成された選挙人集団である。」   従って,「前者においては区域が意思表明のために招集される。この場合には,全住  民の代表権は存在せず,ただ法体蝕こ確定された政治的組織体の選挙}勧ミ存在するのみ  である。住民は,選挙という目的のために地域的固定的に区分され,その選挙権はこの  固定的一区分内においてのみ行使しうる。従って,旧来の等族的原理の近代化した下窩       5)  が問題なのである」と。  以上のごとき主張は,カーン自身は明白に述べてはいないが,次のような結 論へとつながりうる。すなわち,近代憲法は,議員が全国民の代表であると規 定するが,選挙区による選挙においては,議員は全国民の代表ではなく,単に 選挙区の代表にとどまるので,憲法の規定に適合的とはいえないという結論で  6) ある。  このような比例代表制の支持者の主張に対して,G.マイヤーは次のような 4) Karl Gageur, Reform des Wahlrechts im Reich und in Baden, Freiburg i. B. und  Leipzig 1893, S. 41. 5) Kahn, a. a, O., S. 60ff. 6) Braunias, a. a. O. ]1. Bd. S. 193.

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 102  彦根論叢 第214号 批判を展開している。   「比例代表制の支持者は,選挙人を単にある政党の支持者とのみみなしている。彼ら  は,住民の国家的編成は地域<Provinzen, Kreisen, Gemeinde>に基づくものであるこ  とを無視している。その上にわが国の現行の選挙制度は構築されているのである。イギ  リスのHouse of Commonsは,その名前が暗示するごとく,まず地方団体(Kommun−  alverbande)の代表として把握されてきた。そしてその規定が時と共に後へと退き,反  対に国民代表(Volksvertretung)という見解が主張されてきたとしても,今もなお地方  団体は議席の配分の適切な基礎とみなされうるのである」とし,ガグールの主張は「全  く不当な非難」であるとする。「選挙組織の基礎を形成するGemeidenおよびBezirke        ヒ  は,けっして個人の悠意的な集合体ではなく,国家の自然的かつ憲法適合的基礎なので  あ」り,そして「国民代表議会(Landesvertretung)においては,政党の聞の闘争が戦  い抜かれるのみならず,地域的利益も論議されるのである。従って,そこでは政党のみ       7)  ならず,国の各部分もまた代表者を有するということが必要なのである」と。  ここでは,多数代表制=選挙人の地域的編成(選挙区制)==地域(選挙区) の代表,比例代表制寓選挙人の自由な編成=選挙人(思想・利益)の代表とい       8) うシェーマを確認することができる。しかし,比例代表制についてのこのシェ ーマは,すでに述べたごとく,初期の比例代表制論者の主張していた全国一選 挙区の場合にのみ一貫したものとして承認されうるのであり,そのかぎりで極 めて理念的な主張にとどまるものといえよう。  2 多数代表制と民主主義  比例代表制の反対論者からは,比例代表制は民主主義の基礎である多数決原 理を否定するものであり,反民主主義的であるとの主張がなされる。そして多 数代表制を民主制の基本原理から正当化することが試みられ,多数者が決定す 7) Meyer, a. a. O., S. 644f. 8)バジョットは.ヘアの比例代表制を批判するに際して,選挙区を「強制的選挙区」  と「自由選挙区」に分類し,それぞれの長所短所を検討している。Walter Bagehot,  “The English Constitution)’, in N. St. John−Stevas ed., The collected Tvorks of  Walter Bagehot, Vol, V(London,1974), pp.299−305.小松春雄訳「イギリス憲政  論」 (辻清明編『世界の名著60』所収)185−193頁参照。

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       比例代表制の展開と正当化の理論  103 る必要があるということが民主主義原理の帰結として主張される。 比例代表制の反対論者であるベルナツィク(Bernazik)は次のごとくいう。   「……万人が等しく賢命かつ有能である(それは周知のごとく非常に議論のあるとこ  ろではあるが.疑いなく民主主義の原則である)ならば,実際決議の価値についてはそ れに賛成するものの数以外の基準はありえない。   この基本思想を非難するものは,従って必然的に民主主義およびそれに関係するあら  ゆる混合形態,とりわけ議会主義を非難することになる。比例代表制論者は……多数決 原理を攻撃するつもりはなく,ただそれは選挙には妥当しないのであるという。……  〔しかし〕多数老が,国民においてであれ,議会においてであれ,決議,判決,法律を  多数であることによって正当化するのであるならば,なぜゆえに多数者は選挙してはな  らないのか。多数者はまさに民主主義においては支配すべきなのである。多数者が選挙  において支配権を行使するとしても,どうしてそれを嘆くことができよう」と。  そして彼は,比例代表制論者の学説は,彼らが一方では多数決原理を野蛮な 権力の表現であると非難し,他方では民主的平等の原理の自明の帰結として承 認しているのであり,そのことにより民主主義の基本原理と「非和解的対立」        9) 状態になっているとしている。  これに対して比例代表制の支持者は,反対論老が決議(BcschluBfassung)と 選挙との相異を無視していると指摘する。彼らは,コンシデランの「多数決は 決議の原則であり,比例は代表の原則である」との言葉を引用しつつ,民主制 においては,主として決議にあたっては多数決原理が働くのであるが,選挙は 決議とは異なり,決議機関を形成するためのものなのであるとする。そして, 多数者の意思が国民の意思でなければならないならば,議会における多数もま た国民における多数を背景としていなければならないのであり,それは,多数 代表旗においては常に保障されるとはいえないが,比例代表制にあっては常に        10) 妥当するのであると反論しているのである。 g) Bernatzik, Das System der Proportionalwahl, in: Gustav Schmoller (hrsg.),  」α励%oんμプGesetzgebung, Verwal伽9 und VoJ々swirtschaft勿Deutschen Reieh,  Siebzehnter Jahrgang, Leipzig 1893, S. 418f, lo) Adolf Tecklenburg, Die ProPortionalwahl als Rechtsidee, Wiesbaden l gos. S.

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 104  彦根論叢 第214号  3 比例代表制と民主主義  多数代表制が民主主義の原理から引き出されえないことが明白であるとして も,比例代表制が民主主義の諸原理から導き出せるか否かという問題は別に検 討される必要がある。  カーンは,比例代表制を民主主義的統治形態の基本思想から正当化しようと する理論を以下の四つに分類し,それぞれに検討を加えている。  (1)分有された主権(geteilte SouverEnittit)という視点からの正当化  「国家が1万人の市民から成りたっていると仮定しよう。……国家の各構成 員は,主権に完全に服従しているのに,主権の1万分の1の分前しかもたない  ユ  のだ。」  カーンによれば,このルソーの言葉を起源とするこの理論は,主権はすべて の市民,すなわちすべての選挙人に対し,すべての市民躍選挙民が当該主権の 一部を有しているという意味において分割されていると主張する。そしてす べての成人した国籍保有者は市民であり,すべての市民は選挙人であり,すべ ての選挙人は主権的であり,その権利は平等なのであるとする。分有された主 権が承認されるならば,多数者の選挙人の主権も少数者の選挙人の主権も議会 において代理人(Bevollmachtigte)によって代理されなければならないので  ユ   ある。  しかし,多くの近代民主制国家の決定形式をみると,そこでは市民は通常直 接には国家権力を行使せず,選挙によって代表団体を形成するのみである。と すれぽ,分有された主権は,選挙によって譲渡されているのであり,さらに命 令的委任の存在しない今日においては,代表団体は譲渡された権力を自らの権  21f. Braunias, a, a.0.,皿. Bd., S.193. Cahn, a. a. O., S.70f.なお, マイヤーも,  反対論者が,多数決原理は民主主義の原則であることを援用し,比例代表制論老が選  挙と決議とを区別することは首尾一貫しないと比例代表論老を攻撃するのは,民主制  において多数決原理が無条件に支配するわけではないので,適切な反論ではないとし  ている。Meyer, a. a.0., S.643f. 11) ルソー.『社会契約論』 (桑原武夫・前川貞次郎訳,岩波文庫 1954年)86頁。 !2) Cahn, a. a. O., S. 72.

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      比例代表制の展開と正当化の理論  105 利として行使しているのである。そもそも可譲的性格を有する主権は,主権の 本質と矛盾している。  またカーンは,選挙人を国民主権の一部の保持者とする分有主権論が少数者 である選挙人が多数者である選挙人と同様にその数に相応して議員によって代 表される権利を有していることを導き出すことができるとしても,逆にそれで は多数者によって形成された法律に少数者もまた服さなければならないという ことは説明できない。主権的であり,かつ他人の意思に服しなければならない ということは,最高性という主権の本質からいって矛盾である。  従って,彼は分有された主権という考え方は,支持することができず,それ        ユのによって比例代表制を根拠づけることはできないとするのである。  (2)人格的代表,全国民の縮図としての議会および政党の代表という視点か   らの正当化  人格的代表(Persdnliche Vertretung)の理論は,モンテスキューを起源と i4) し,スイスにおいて一般的に受け入れられたとされる。それによれば,民主制 においては市民が直接に法律に関して投票することが最も自然かつ望ましい が,相当の空間的広がりのある国家においては,全市民が集会し,法律に関し 13)Ebenda, S.73f.カーンは,主権の性質につぎ,イェリネクの次の言葉を引用して  いる。「主権は増減し得ない特性をもっている。主権は論理的には最高級であり.決  して分裂させられず,ただ同じ種類の同じ大きさのものが併存することを許すにすぎ  ない。それゆえに複数の主権国家は相互に併存しうるが,しかし決して同一の国家権  力の担手としては併存し得ない。それゆえに分割され,断片的な,低減された,制限  された,相対的な主権は存在しない。」Georg∫ellinek, Allgemeine Stαatslehre,3・  Auil. unter Verwertung des handschriftlichen Nachlasses durchgeseneh und erg5nzt  von Walter∫ellinek, Berlin 1922, S.496.芦部信喜他訳『一般国家学』(1974年)  403頁。 14)モンテスキューは,『法の精神』において,「自由な国家においては,自由な魂を  もっとみなされるすべての人間はみずからによって統治されるべぎであるから.団体  としての人民が立法権をもつべきであろう。しかし,それは大国では不可能であり,  小国でも多くの不都合を免れないから,人民はみずからなしえないことは,代表者に  よって行なわねばならない」と述べている。井上尭増配『法の精神」 (井上幸治編   『世界の名著28』所収)446頁。

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 106 彦根論叢 第214号 て表決をなすことは不可能である。そのため幾何学的縮尺の原理に基づいて全 選挙人団が縮尺される。それは,選挙人が,委託者の名前において法律を決議 する代表者を選出するために集められることによって行われる。議員は,市民 立法者(Bttrgergesetzgeber)が立法者意意の表明のために使用する伝声管であ り,市民の代理人,受託者(Beauftragten)である。議会は,単に小さいだけ の市民の総体なのであるとされる。この見解からはまさに比例代表が導き出さ れよう。  議会が国民の複写図(ein Abbild des Volks),国民の鏡であるとし,比例代 表制をそれを実現するための手段と考える理論も人格的代表の理論と基本的に        ら  同じものである。若干相異するのは,この理論が委任関係にあまり重要な価値 を置かないという点においてのみである。  議会に政党の代表をみ,比例代表制にその実現の手段をみる理論も実質的に 前二者と同じものである。議会における選挙人の代表者には,ただ選挙人の綱 領的意図(die programmatischen Ansichten der Wahler)を可能なかぎり正 確に反映する任務のみが帰せられる。議会に人民の複写図をみる理論は,議会 に様々の生活表現における人民の姿を反映できると信じているのに対し,政党 の代表の理論は,非常に重要な生活表現である人民の政党への組織化のみを取        エの り上げるのである。  カーンは,以上三つの理論を紹介した上で,これらの理論による正当化を次 のごとく批判している。   人格的代表の理論は,選挙人の中に本来の立法者をみるのに対し,議員の中セこは単に  代理人しかみないのである。こうした見解は近代代表制民主主義における選挙人の地位  および議会の本質を誤解したものである。選挙人は選挙の際に議員に何らの委託もなす  ことはなく,また議員は議会において選挙人の委託を遂行するのではない。選挙人は選  挙で議会において他の人物と共に立法に加わる人物を指名するだけである。議会におけ 15) この理論の起源とされるのは,1の1で触れたごとく,ミラボーとシェイエスであ   る。 !6) Cahn, a. a.0., S 75f.

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       比例代表制の展開と正当化の理論  107  る表決は,議員独自の権限遂行に基づいて行われるのである。議員と選挙人との関係は,  法的には選挙の終了と共に解消されてしまうのであり,議員は国家の機関なのであり,  表決においては,国家および国家生活の形成についての選挙人の意思ではなく,自らの  意思を表明する。議会は,選挙民の受託者の会議ではなく国家の機関なのである。純粋  な代表民主制においては選挙人の権能は,選挙につきており,選挙人は立法機関の形成       17)  のための単なる創設的機関なのであり,もはやそれ自身立法者ではないのである。  人格的代表の理論は,代表者についての古い等族的観念から出発している。 団体から派遣された代表者は,委任・訓令に拘束されるのであり,私法上の代        て ラ 理人(Stellvertretung des Privatrechts)と同様であった。しかし,近代国家に おいては,議員は全国民の代表であり,委託および訓令には拘束されない。選 出された代表者への命令的委任および召換権(Ruckberufungsrecht)el存在し ない。  人格的代表の理論は,命令的委任および召換権へと行きつくのであるが,こ れらの制度は, 「国民代表および議会の近代国法上の地位と矛盾する」のであ        19) る。従って,人格代表の理論は,比例代表制の理念の根拠づけとはなりがたい。  さらにカーンは,議会を複写図とする理論および政党の代表の理論につき, 次のごとく批判する。   議会への人民のあらゆる潮流・意見の反映,議員による選挙人のあらゆる思想,傾向  の反映は,全く不可能であることは確かである。人民全体は有機体であり,非常に大き  な多様性を有しているので,数百名の構成員しかもたない団体がそれを反映することは  できないのである。主要な精神的,政治的および社会的潮流の反映を追求するとして  も,人民の中のあらゆる潮流は明白な統一的形成物としては表現されず,むしろ,不明  確な,自己矛盾的ですらある観念の総体である場合が多く,それは不可能なのである。 17) Ebenda, S. 76f. !8)Jellinek, a. a. O. S.571.邦訳462一・3頁参照。 1g)Cahn, a. a.0., S.77f. vイヤーもまた,「議員は議会においてその選挙人の意見を  代表し.それゆえその意思を実行するために招集される」という比例代表制論者の主  張を「代表制憲法の基礎」を掘り崩すものとして批判している。Meyer, a. a.0。, S.  642.

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 108 彦根論叢 第214号  従って,議員が選挙人の意向にそって投票しようとしても,若干の問題では選挙人の意  向が一致していても,他の問題ではその意向は異なっているのであり,議員は同時に矛  心した態度を要求されることにもなるのである。  議員が政党の代表であるという見解も同様である。政党が,党綱領によって原理的に  確立された固定的組織であるとしても,綱領は,議会で議員が直面するすべての問題に  確固とした基準を提供できるほど詳細ではない。同一政党を支持する選挙人も大きな問 題では一致していても細かな問題となると意見は多様となる。議員は,せいぜいその一  部を反映することができるにすぎないのである。さらに,議会は当然選挙後においても  継続的に反映の機能を果すことが必要となり,その結果,命令的委任および召換刑をも  必要とされてくるであろう。従って,以上の理論は,「支持でぎず,比例代表制の思想       20)  のささえとはなりえない」のである。  しかしながら,カーンは,以上の理論中に少なくとも次の点で一定の意義を 認めるのである。すなわち,国民生活の中のすべての主要な潮流が適切に表現 されるのを援助することは,当初より,議会の設置によって意図された重要な 目的であり,比例代表制は,この目的を特に適切に遂行するための手段とみな       21) されるのである。  ㈲ 民主制の本質的メルクマールとしての治者と被治者との互換1生   (Wechselseitigkeit)とU・う視点からの正当化          22)  アリストテレス以来,あらゆる民主制の特徴として治者(Befeh工en)と被治 者(Gehorchen)の互換1生を認める見解が存在している。民主制国家において は,一方で市民は法律および国家の強制権力に服すが,他方では当該法律の形 成および権力の創設に対し,人民投票により直接にあるいは議員の選出により 間接に影響を与える。  比例代表制の支持者は,市民の一部を永続的に服従者としてしまう場合に は,この互換1生が失なわれるとする。そして,多数代表制にあっては,各個の 選挙区において少数者にとどまるすべての市民からは,彼らが有効に立法者の 20) Cahn, a. a. O., S. 78ff. 21) Ebenda, S. 80f. 22) アリストテレス,『政治学』(山本光雄訳,1961年,岩波交庫)285頁以下参照。

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      比例代表制の展開と正当化の理論  109 選挙に対して影響を与える可能性が奪われている。比例代表制は,逆にすべて の市民にその可能性を与える。従って,それは,治者と被治者の互換性という        23) 民主制の基本原理の首尾一貫した貫徹を意味するとする。  これに対し,カーンは次のごとき批判を紹介する。   多数代表制においても選挙人には,立法および国家権力の形成への影響力は,すべて  の他の選挙人と同程度に付与されている。自己の欲する代表者を選出することには失敗  する場合がある。しかし,それに成功し,当選に寄与したとしても,その代表者は,個  々の場合あるいは継続的に立法にあたって少数者にとどまり,当該選挙人の意思に反す  る法律が制定されることがありうるのであり,この場合,直接民主制におけるのと何ら       24)  変わりはないと。  そして彼は以上の批判の正しさは議論の余地がないとするが,しかし,比例 代表制の支持者の議論にも正当な点があるとする。すなわち,代表民主制にお いては,議員は,たとえ少数派であったとしても選挙人以上に法律の形成,支 配権への関与および法律の内容への影響力を有している。従って,すべての選 挙人が現実に選挙においてその欲する代表者を確実に選出することがでぎるな らば,代表者の選出への影響が偶然に依存している場合よりも権力への影響力 は一層強力なものとなる。このかぎりで,比例代表制は多数代表制以上に治者        おヨ  と被治者の互換性の原則にふさわしいとしている。  (4)多数決原理による正当化  民主制においては,多数が決定をなさねばならない。直接民主制において は,国民共同体の投票する市民の多数が決定するのであるが,代表民主織では 議会の議員の多数が決定をなすのである。広い領域と多くの人口を有する国家 では直接民主制は不可能となり,議会が登場するのであるが,民主制における 決定にはその背景に全体としての人民が存在する。それゆえ,代表者の多数は 選挙人の多数の意見をできるかぎり反映すべきであるとされる。 23) Cahn, a. a. O., S. 83f. 24) Ebenda, S. 84f. 25) Ebenda, S. 85.

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 110 彦根論叢第214号  この議論には,議会を人民の複:写図とみる見解に対するのと同様の批判が妥 当する。しかし,カーンはこの見解にも,比例代表制の理論的正当化の根拠と なる部分が潜んでいるとする。選挙人と議員とは基本的な問題では一致してい るとしても,比較的下位の問題では乖離することもありがちであるが,「双方 の多数」の一致をできるかぎり可能にする選挙制度が見出されるならば,民主 主義の観念の一部分の徹底的実現と考えられる。比例代表制においては,通常 選挙人の多数は議員の多数をなすので,双方の多数の一致はかなりの程度保障 され,そのかぎりで民主主義原理の徹底的実行とみなすことができるとするの    う である。  4 選挙権の平等と比例代表制  20世紀の初頭にはすでに多くの国で成年男子の普通平等選挙権が認められて いた。ドイツにおいても,帝国憲法20条には普通,直接,秘密の選挙権が規定 されていたのみであったが,ライヒ議会選挙について選挙権の平等は妥当して  27) いた。  選挙権の平等の目的は,いかなる有権者も立法団体の形成について他の有権 者以上の影響力を行使してはならないということである。比例代表制の支持者 は,多数代表制は,立法団体の形成について,選挙区において少数派にとどま り,そのことにより立法団体への代表から締め出されているすべての者は影響 力を有しないという点で,すべての選挙人の平等という原則に直接対立する, と主張する。そして比例代表制において初めてすべての選挙人の現実の同権が 作り出されるとし,権利の価値はその効果(Wirksamkeit)に存するのだとす 28) る。  これに対して比例代表制の反対論者は, 「万人の同権とは,代表民主制のす べての国家においては,等しく選挙に参加する万人の権利の中に存する」と主 26) Ebenda, S. 85f. 27) Ebenda, S, 90. 28) Ebenda, S. 91. Hagenbach−Bischoff, H. Studer und Raoul Pictet, Berechtigztng  und AUSプ翫1励α7一勧彦der ProPortional Vertretung bei観5θ紹πPolittschen I]Vahlen,  Basel 1884, S. 8f・ Gageur, a. a. O・, S・ 34, 85.

(24)

      比例代表制の展開と正当化の理論  ユ11 志する。そして,選挙では個々人は直接民主制の人民集会での表決における市 民と同様に敗北することもありうる。選挙する権利と議会にその意見を代表さ せる権利とは同一ではなく,混同されてはならない。r選挙人の同権は,賞品 の等しい分配ではなく,選挙・選挙闘争における万人の平等のみを意味する」   2e) とする。  カーンによれぽ,反対論者の主張は,普通・平等選挙権と結びつき,不平等 選挙権に対して平等選挙権を主張し,いかなる選挙人も他の選挙人以上の票を もってはならないということを主張するかぎりでは正当である。しかし,その ことは,選挙人の平等の権利をより一層実現することを妨げる理由とはならな いとする。そして,選挙人の平等の権利の徹底的実現という視点から次のよう に総括的に述べている。   多数代表制においては,選挙区において少数者にとどまるすべての選挙人は議会の代  表者の選任に参加していない。従って彼らは立法の形成につき影響力を実際には有しな  い。比例代表制においては,一致して代表者を選任しようと考える一定数の少数老であ  る選挙人が1人の議員を選出することができる。従って,すべての選挙人は可能なかぎ  り広範に,代表者の選任および立法の形成に対する影響力をもつのである。多数代表制  においては,すべての選挙人は,代表者の選任について協働し,それを通じて公的事項  に影響を与える試みを,その試みの結果を保障されることなく,平等に行わなくてはな  らないというかぎりにおいてのみ平等の地位にある。比例代表制においては,すべての  選挙人は最初からその試みの結果についての確実な保障が与えられているという点でも  また平等の地位にあるのである。  従って,前記のごとき事情の下では,比例代表制は選挙人の平等の権利の思       3a) 想の徹底的具体化とみなされなくてはならないとする。  5 小   括  以上,rk・一ソの所論にそって比例代表制の正当化の理論についてみてきた。 カーンの目的は,当時のドイツ国法学の主流であるイェリネクの代表理論を前 29) Eeyer, a. a, O., S. 643. Cahn, a, a. O,, S. 91f. 30) Ebenda, S. 92f.

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 112 彦根論叢 第214号 提としながら,その枠組内でも比例代表制を採用することが可能であり,また 望ましいということを論証することにあったといえよう。カーン自身の評価に よれば,比例代表制は多数代表制以上に民主主義的原理に考慮を払っているの であり,民主主義原理から比例代表制を正当化する試みは,(1)ないし㈲につい ては無理であるが,(4)の多数決原理による正当化の試みは,ある程度成功して いるとされている。このことは,彼がイェリネクの代表理論に基本的に依拠し ていることからは当然といえよう。そして,彼は基本的には選挙権の平等の原       ラ 理に比例代表制を導入する原理的正当性を見出している。この点は,選挙にお ける数的平等と結果価値の平等の問題として今日まで議論の対象とされてきて いる。カーンの主張は,選挙における結果価値の平等の主張の先駆といえよ う。  ところで,比例代表制の支持者の正当化の理論において念頭におかれている 比例代表制は,きわめて理念型的なもの,すなわち,初期の比例代表制論者の 主張していた全国一区の制度のごときものであることには注意を要する。そこ ではまさに多教代表制と原理的に対置された意味での比例代表制が問題なので       ヨのあり,具体的な制度の導入に伴う問題にはふれられていない。  しかしながら,当時選挙制度は多数代表制が当然であり,従ってそれが当時 の憲法秩序に適合的であることは自明のこととされていた中で,カーンは,比 例代表制が憲法秩序に違反するものではなく,そしてさらに憲法秩序に一層適 合的であることを示そうとしていたのである。憲法が本来予定している政治的 国家的秩序とそれにより適合的な選挙制度を原理的な次元にまで遡って解明・ 探究する作業は,今日でもまた重要といえよう。

結びにかえて

 比例代表制は,選挙区制を廃止し,自由に結集した選挙人集団から代表者を 書出しようという極めてラディカルな提案から出発したのであるが,それを現 31) Ebenda, S.96f. Verg1。 Braunias, a. a.0.,豆、 Bd., S.193ff, 32) Ebenda, S. 191f, 201ff,

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      比例代表制の展開と正当化の理論  113 実に適用するための技術の発展の一方で,それを議会選挙に導入するにあたっ て現実との妥協が行われ,一定の選挙区制を許容するものとなっていった。選 挙人の平等の影響力の確保,選挙人団と議員団との一致という比例代表の基本 思想と議席配分の技術としての比例代表制の問に分離が生じており, 「比例代 表制」という言葉が民意の公正・正確な議会への反映というプラス・シンボル としての機能を有すると同時に,現実にある種の比例代表制を採用したにもか かわらず,必ずしも比例代表的結果が実現されるとはいえないという事態が発 生しうる遠因がこの時点ですでに存在していたといえよう。従って,技術的に 比例代表制を使用しているから,当該選挙制度が「民意の公正な反映」を保障 しているとは即断できず,当該選挙制度の全体を評価・判断する必要が常に存 在するといえよう。  さて,正当化の理論との関係では,本稿で取扱った時期においては,比例代 表制はまだ「実現せらるべき正義の制度」「より民主的な制度」としての次元 で議論されていたのであり,第一次大戦後の比例代表制の実際的普及の前の, 理念的普及の段階,準備の段階にあったといえよう。従って,現実に採用され た比例代表制が,いかなる政治的・社会的問題を惹起し,その解決がどのよう に模索されたのかについては,戦間期以後の選挙制度の歴史的研究が必要で ある。  また,同時期には,比例代表制が一般的に実用の段階にはいると共に,議会 の地位の変化,政党国家的状況の出現等,議会制民主主義をめぐる新たな事態 の展開があり,比例代表制の擁護論,反対論双方ともより深化された形で展開 されることになる。以上の点の検討は稿を改めて行うことにしたい。

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