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企業予算制度と人間関係の問題

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企業予算制度と人間関係の問題

一 序 口  今日、経営学にとって最も大きな、また最も根本的な問題の一は恐らく人間関係論︵葺目窪邑註9・・︶のそれであろう。 それは、嘗って述べたように、単に経営組識論や経営管理論というよな部門経営学に対してばかりではなく、むしろ経営         学そのものの根本的立瘍乃至学問論的方法の反省を迫るぼどに深奥な意義をもつからである。  思うに、この人間関係論の問題は勿論一般的性質のもので考え方によっては相当古い問題ともいえようが、しかし経営 学に於てはむしろ薪らしい問題であり、しかもそれが特にアメリカに於てここ数年来盛んに取り上げられるに至ったとい うことは極めて興味ある事実といわねばならない。蓋し、それは、かの制度学派の人戸が立論の基礎となすところの、ア メリカ資本主義の発展に於ける経営の制度化の事実に対する反動を意味すると思われるからである。テーラー・システム やフォード・システムは労働過程の機械化を意籍し、そこでは管理過程や意志の決定まで機構化し、非人間化するとせら     れるが、かかる極端なる機械化的合理性の追求は明かに人聞性の否定であって、それが行き詰るのも明かであろう。いう までもなく、そのような機械化や機構学も実は人間関係を基礎にして行われているのであって、これをただ機械化とか制      企業予算制度と人蜘聞幽四係の問題        一

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     企業⋮予算劇関度と人闇岡臨閥係の問題      こ 度化と見るのは形式論理的な抽象的表面的見方にすぎない。それはともあれ、このような経営に於ける人聞性の否定が一 定の限界に達するや、その反動として或は行き詰りの打開策として、謂わゆる感情の論理とか非合理主義とかに立つとせ られる人闇関係論が擾湿し、注目せられるに至るのは寧ろ当然といわねばならない。それは、いわば今日の経営に於ける 、、、       ③ 人聞苦の表現ともいえるのである。  しかし、このような関係は如何なる岡垣から如何にして取扱い得るか。この点に関する反省が今臼なお如何に少いか、        驚ろくべきことである。それはどこからでも勝手に取扱ってよい問題ではないのである。立場の反省と転換とを迫るもの なのである。われわれが古くから繰返して近代経営学の認識論的立場を批判して、存在論的立場を主張するのは、単に経 営の抽象的一面観に止ることなく、これを生の根源から具体的に把握すべきことを思うからに外ならない。その意味にて       ⑤ この人間関係論の発展はわれわれの立場の正当性を正に存在論的に証明するものとして意義深きを覚える。われわれはこ れを経営学論の問題として別の機会に正面から詳論したいと思うところであるが、ここでは、経営学と人間関係論との根 本関係を考慮しつつ、特に予算制度と人間関係の問題を取り上げ、以て側面よりこの問題への接近を試みたいと思う。         われわれはこの問題につき上述の如き意図の下に拙著に於て一応の考察をなしたのであるが、なお不充分な点もあるの         で、それを補う意昧も含めて再考したい。その際、筆者は最近発表せられたピヤースの論文を参考にはしたのであるが、 ただ暗示に止ったから、ここではこれを中心にして問題を展開したい。これによって同時に今臼問題となっている謂わゆ る管理会計論の性質や学的帰属の問題についても更に明白な解答の与えられることを期待したい。  ①拙著、経営誉理論、一八頁以下滲照。  ② 朝誌。。冨督じd塗冨①ω。。bq旨一β﹃欝餌菖。♪一〇ω一・古川齢栄一bアメリカ経営学、参照。  ③ 馬場敬治、経営学と入間組織の問題、四八頁参照。  ④数少ない例外として馬場博士同上書をあげよう。

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拙薯︹b 公社企皿莱と現代経営学及︹び経眉営管理弧禰、 六頁以︸﹁滲照。 拙著、経営管理論、第十章参照。 頃9ぎρq・ゴこ日9ゆa撃けOoヨ$o陶b曉︸団宥養旦ゆロ・・ぼ¢。。醜ゆ¢ユ¢∼寓蔓,盲葛 二 お研蒔

予算制度の原理的反省

  i会計原則と人聞関係原則一

      ゆ  先ず、企業予算制度の本質は何か、企業予算制度研究の学的帰属如何の問題は、古くはマッキンゼイによって開かれ、          ゆ おが国では長谷川博士によって提起せられ、一の解決が与えられた。即ち、博士に依れば、企業予算制度乃至予算統制の 研究は会計学特に統制的会計学に属すと主張せられるのである。而して、長谷川博士によって﹁会計学の近代的革命﹂と 呼ばれ、謂わゆる正統派会計学たる回顧的会計学への反逆として成立すると考えられたところの、この統制的会計学なる 主張は、今日では管理会計または管理会計学として承け継がれ、ますます盛んならんとしている。即ち、謂わゆる正統派        ゆ 会計学乃至回顧的会計学といわれる従来の財務会計学に対して試みられる管理会計学の主張がそれである。管理会計の発 展は種汝の意味にて喜ぶべきではあるが、聞題はこの理論的性質、学的帰属の如何である。  財務会計と管理会計と対照して見ると、一見、如何にも明瞭に区別が出来、それぞれ会計概念に綜合し得られるかに見 えるが果してそうであろうか。いま、これを論評する予猶はないから、他の機会にゆずらねばならないが、それはともか くとして、企業予算制度乃至予算統制がこの管理会計の中心をなし、依然として﹁予算統制は会計学なり﹂という長谷川        博士の見解が基礎とせられているのは理論上承認し得られるものであろうか。予算制度を、マッキン。セイその弛のように ただ形式的、表面的に﹁会計的及び統計的組織﹂ ︵舞8⊆面一謎碧︵一の算一ωひ一。巴︵︶薫一三N9け一8︶などと解するならばともかく、こ れを実質的、根本的に先ず経営管理の原理的方法として行為的主体的に解するならば、そしてかく理解せねばならないの      企業予算制度と人問関係の問題      三

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      企業予算制度と人間関係の問題       四 であるから、如何なる会計学も、それが会計学である限りに於ては、これに堪え得るものではないというのが、筆者の根          本的見解である。事実、管理会計は会計学的であるよりは、寧ろ経営学的であり、特に経営管理論的であることは否定出 来ない。長谷川博士の口調をまねるならば、管理会計は経営管理論なりといわねばならない。  近時アメリカに於ける人聞関係論の立腰からする予算制度の原理的反省はこの筆者の古くから抱いて来た右の見解の正 当性を立証するものということが出来る。われわれは特にこれを上述のピャースの所論に見ることが出来る。   ピヤースはエイ・ビィ・デノソク・カンパニイの副社長であり.コントローラーで予算運営を担当している。彼ほ自ら予算制度に関し  て現われて来ている﹁消極的な調子の文献﹂ ︵き撃賦ぐ①み89ぎ①轟け霞①︶と呼ぶものを憤慨するが、同時にまた予算制度の誤用濫用が        ヘ  へ  も  事業家をして予算制度から離れしめたことをも理解している。ピヤースは立派な予算制度が現代のコント肩ーラー制度の急所であっ  て、経営がコントローラー制度の事業に齎らし得るその力をやっと解放し初めたにすぎないことを強く感じている。彼のこの論文﹁予  算も成年になった﹂ ︵司適しd巳覗90。暮ω9bσ9Φ︶に於けるこの点についての考えは、予算制度に対して積極的接近を希平する者に興  味あるところであろ5。彼はこの会社で二十年間予算運営を担当して来た上に.アメリカ・コントP丁ラー協会の執行委員会の理事で  あり会員︵鉾 昌帥肩口〇〇国一 山一胃OOけO弓 卸昌q 出PO三一びO目 Om け一P㊦ 国用ΦO口け一く① ︹膳05P昌一一rひOO O[ けげO OO昌け弓O一一〇弓。ロ H50ロ一一廿OσO O自 臨rbPO琴一〇卸︶でありb経営統制に  ついての評論家として知られている。以下に問題とする論文は、一九五三年十一月二十日、アメリカ経営協会の財務委員会︵葦昌鎚8  00口ま話口。Φo隔夢①b旨①注。貿冒騨葛σ身①日①馨b。。・。o包気当〇ロ︶に於ける演説に基づくものである。  さて、ピヤースはいう。﹁管理の如何なる技術も、その初期的誤謬が言々を十分に論争させ対立させた後、経営従業員 の基本的動機と調和する新たなる外貌と実践方法とを以て現われるとき初めて円熟せるものとなる。予算制度︵ぴ琶鵯葺お.︶ も今やそのよ5な形態転換︵§影暮琶ぎ。・ε を受けつつあるかに見える。それが書き起した撫乱の中から、より温和な、 より秩序だち、より積極的な接近が現われつつある。         ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ       へ も ヘ ヘ ヘ へ  予算制度は、会計の原則︵暑募島藺§§§σq︶とよりは寧ろ下闇関係の概念︵8暮書駐濯げ琵讐邑塑ぎ琶暑︶と共通にもつ

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へ も ヘ ヘ ヘ ヘ へ ところの諸原理︵℃昌昌琶邑 の上に立つという見解一これらの原理が適用されるならば実施の成功は疑いないという広        ⑧ く普及せる見解に重点をおかんとするのが、この論文の目的である。﹂  彼は特にこの論文の主張点を要約して冒頭に掲げている。曰く、 ﹁挿金なる予・算実施への凡ゆる方策はその根源を深く ヘ ヘ ヘ へ 人事管理のうちにもっている。 各方策は、窮極の分析に出ては、人事問題の反映である。﹂この立論にも寸地の問題はあ るが、ともかくこれをマッキンゼイの﹁会計的及び統計的組織﹂という考え方と比較すれば、予算制度も成年に達したと        ⑨ いう比喩も肯定出来るであろう。とすれば管理会計学の主張はむしろ時代錯誤ともいえないであろうか。

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冒。賊一易①ざ野qσq。蜜奨Q。β茸。rおNN魁。・家き帯電一陽b。8日目叶ぎ。。L認吟上善拙著、第八章b第九章、参照。 長谷川安兵衛,予算統側の研究、原板会計学,統制的会計︵改版管理会計︶その他諸論文、上福織詰第九章参照。 種一 Xの恥訊みがあるが、齢付に朝松本雅男、﹂管理ム本計の性格、 一個⋮志人学産業経7川口研究一肌編⋮、現代商 学の基本間憶測、 一四〇百ハ以下、諸井勝 之助.嘗理会計と財務会計。産業経理、二+九年+こ月号寒苦。 古川榮一、経営管理、一ご二四頁以下、山城章、管理会計論批判.産業経理、二十九年十二月暑参照。 この厘別と關明係については上揚拙薯 第九出早三一九廿貝以下参照。 上揚拙薯三一=頁以下滲照。 上揚拙著三四一頁以下参照。 勺①犀oρo麟9け二︾αGQ● 企業予算欄度に翻する最初の著書たるマゾキンゼイの予算続詰論が出たのは一九ニ猛暑のことであるから、それから算えて本年で 三十年余りになる。予算制農がいつ成立したか嚴密にいえば種々難しい問題亀あるであろう︵上福拙著算八章参照︶。しかしその成 立が大体上一九二〇年頃とすれば比喩的に見て日げ①しQ巳σqgOoヨ易。めb撃といえないことはない。そして入間関係論との交渉を 以て成人したとすれば、その見方は面白いといえよう。

      三 予算制度の運用の問題

   企業予算制度と人聞関係の問題      五

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     企業予管蛮刺︷皮と人間叩開係の問配題      六  1 制度の性質と運用の問題         われわれはこの問題については相当に深く研究を試み、次の如く述べた。 ﹁予算制度の心用とその効果については、先 ず予算制度そのものが制度として十全であるべきはいうまでもないが、それは既に述べた、から、ここでは寧ろ運用に当っ て充分なる効果をあげるための心構えについて考察しよう。⋮⋮われわれは予算制度の経営管理方法としての優秀性乃至 有効性については内外の例を引いて屡≧述べて来たが、そのような効果は果して無条件に承認し期待し得るであろうか。 われわれは予算制度の合理性従って原理的方法たることを認めるのではあるが、それは決して無条件にその有効性を承認 するものではない。何事でもそうであるように、そのものの本質を把握してそれを生かすときにのみ効果の期待し得るこ         とは説明を要しまい。それではそのような諸条件如何。﹂これに対して、予算制度の本質の把握、特にその効果の消極性、 有限性、相対性の理解を説き、継続性を条件とすることを述べたのであった。即ち﹁反覆継続し、漸を追って改善すると き初めてそのものの本質に躍進し得るのである。予算制度の如ぎ複雑な制度に於てはなおそうである。改善への絶えざる 研究と総力の発揮を通してのみ合理的な運用が可能となり、かくてその消極性、有限性、相対性をも克服し得るのである        アメリカに於ける努力がこれを示す。﹂このアメリカに於ける努力とは主としてこのピヤースの論文の示す諸事実を指した のである。  われわれは予算制度の運用については以上を以て尽ぎると考えるものであるが、しかしそれは﹁般的原理的に見てのこ とであって、特殊な問題としてならばいろいろな点が問題となるであろう。ピャースは上でわれわれが予算制度の相対性 として説くところを更に旦ハ体的に問題としている。つまり、予算と従業員との関係、或は経営者と従業口貝との予算をめぐ る人間的関係の問題として旦ハ体的に問題としている。興味ある点であるからやや詳しく研究しよう。  2 予算制度の悪用の問題

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      、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、㊤  彼は先ず予算の悪用や誤用に予防線を張ることが難問︵号ho塁ぼ§O。。ω  爵Φ貯。=σ︸o︶だとして大体次の如く論ずる。  多くの経営者達が建設的な予算制度を樹立してそこから事業経営に於ける均衡と指導の観念を導出することは疑いな い。上手に運用された予算制度を経験して来た事業家は誰もその価値を疑わないが、しかし現に行いつつある予算制度を 継続するよりも中止した方がよいかも知れないと迷っているより多くの経営者もあるのである。調査によれば、予算捌度 は帰休制度と同様に入麺があり、また予算方法の誤用から結果する損害が強調される。或る経営者はその予算方法の欠陥 を認め、 一層合理的な人間関係の適用によって改善し得ると告白する。  しかし問題はそのように単純であろうか。 人間存在や人間関係の科学が単純でないように、 問題は決して単純ではな い。われわれは否定的或は近視眼的態度の代りに、この予算思想を生気あらしめる仕事をどのように始むべきか。  われわれが何事にぜよこれを完成し得るのは、われらの多くが苦しい経験を通して、 問題に予防的接近 ︵留唾。易芝。塑等 箕。舘ロ︶をして来たという事実に直面するに至って始めてのことである。ここでわれわれは患想の奥深く一英語でいうア ソシエイシヨンズという言葉を特色づけるところの感情的誤謬︵。碁。菖書9巨ω8昌8℃寓。=︶の領域をも除外しないで一掘 り進まねばならない。何故﹁予算﹂と﹁従業員﹂とが互に反掌し合うのか。それらが結合されるとき、何故問題の概要を 暗示するのか。実際、何故、予算と従業員との問題への積極的接近を論ずることが必要であるのか。  このような不幸な反作用は従業員が一般に予算を好まないという事実から来る。われわれはフォアマンは第一に従業員 であり、第二に監督者であること、部課長や経営者も同様であることを思わねばならない。予算は制限を意味する。それ は学校のベルや月曜臼の朝と同じ範疇である。われわれの誰もただ学校の訓育で薄く渡金されながら、制限や束縛には原 始的嫌悪を抱いて実業界に這入って来たのである。  誰かこの予算思想をわれわれがこれを受け入れるよう建設的に示すべきであったのまたわれわれの経歴の最初から、予      企業予算制度と入間関係の問題       七

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     企業予算制度と人間関係の問題.       八

算がわれわれに手引や安定や力を与え、多くの面倒を免れしめる援助者であると語られてでもいたならば、われわれの応 答は全く異ってもいたであろう。  しかし、われわれの実際の経験はどうであるか。正当であるか否かはともかく、俸給引上げ要求の失敗が予算に負わさ れたとき、われわれの多くは事業予算に突き当らなかったであろうか。われわれの多くは、よりよい設備や実践のために 必要な金額であるにも拘らず、その使用を防ぐ盾としてのみ予算の利用されることを知らないであろうか。だから、多く の人汝の心の中で、予算が、計画や指導をよりは、寧ろ貧窮と吝座回とを連想せしめるのは虚ろくべきことであろうか。  しかし幸にして、現代の経営者の思考に於ける過誤を訂正することは必ずしも遅すぎるものではない。然らば、それは 如何にして行われるか。  3 予算制度の運用の態度       ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へゆ  予算制度の運用に於ける正しい態度が成功の鍵︵暮塁上$  夢。H^藷︶であることは直ちに明かとなるとして次の如く述 べる。従業員の態度が互に寛容であり理解的であって、相互に尊敬し合っているときには、経営の採用する如何なる技術 も成功し勝ちである。これに反して、人間的態度が不信、批判、勉め合いであるならば、どんな技術も無惨に失敗する。 こんな暗合、人間性の妙なひねくれによって、予算やこれを支持する人は、予算と全く関係のない、もっと根.本的な誤り に対する非難の矢面に立たされる。  予算制度は或る成果を完成するために実行の標準の必要を認めるような凡ゆる問題への教育的接近︵︹嚢冒・r・ジξ︷ぎ自 ・壱軽量島︶ である。だからそれはよい組織の基礎の上に採用されねばならない。そうでなければ、有利な態度も働らく機 会をもたない。しかしそれは同時に従業員の必要と能力とに対する絶えざる適応調節の雰團気のうちで生活出来るのであ る。それは完遂の表彰、個人の権利の考慮、フェヤープレイー換言すれば、従業員闇の理解ある関係︵c・忌担ぎさq昆警。午

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磁崖℃窪自σqb8覧Φ︶一の如き基礎の上で繁栄するのである。  さて、予算原理の探究に嘗て、第一に考慮すべきは、予算制度採用の動撫である。結局、何故予算制度を採用するか。 予算というものは、凡ての関係者が消費すべき標準金額をもち、その動作が便宜にではなく計画によってなされるために 作られる全般的計画制度︵。・務↑睾。h手打。ぐ霞官窪﹁昏お.︶の︼部であるのか。それとも、それは従墨湯里を一層大きな努力に騙 り立てるために企図された圧力的工夫︵筒霧。・霞。9話8︶であるのか。これらのうち何れが特定経営の態度を示すかを卒直 に決定するには些か吟味を要する。  先ず、両方の考え方が共に有力で、それは次の如き二本の捧で象徴される。即ち、一本は一ヤード尺で、明瞭に一イン チ刻み三十六に分割されたものであり、他は一方の端が鋭く尖ったものである。予算の計画概念を表象するのは一ヤード 尺で、それは例えばフォアマンによって、実行と費用との標準を立て、これとの関連によって実際の結果を測定するのに 用いられる。この意昧にて、それはフォアマンやボスの用いる道具である。これに対して、予算の圧力型︵奪Φ。。。。鴛①ぐ莞︶ を表象するのは先端の尖った棒で、それは威嚇的に職長や労働者の方に廻る監督者の手中に常に見出される。ヤード尺の 概念は部下に、その最良の仕事をするように自発的な努力をさせる。尖った棒は否応なしに要求される最小限の実行を強     要する。  ヤード尺的概念を選択する方が、原価の引下げによって予算道具からの成果を減少しないという証明は多い。圧力型の 凡ゆる努力に頑強に抵抗する原価高も、人垣性の基本的反応に適合する温かい接近によって溶解するであろう。かくて採 らるべき態度は、目的と方法とを完全に説明することによって、凡ゆる関係者を共通の努力に参加せしめることである。  以上の論述だけからでも、われわれは予算制度が単に﹁会計的及び統計的組織﹂としてではなく、経営組織の問題、少 くとも管理組織の問題を含む経営管理の方法として経営管理論の中心問題を形成することを理解し得るであらう。      企業予算制度と人問関係の問題       九

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  企業予算制度と人問関係の問題      一〇 拙著、三四八頁以下参照。 拙著三七七頁。 ,拙著三八○頁。 娼①冒。ρoや。騨﹂やαc。. これ。がこの節のタイトルであるQ ℃9塁ρo℃・9け二℃。㎝O・これがこの節のタイトルである。 この問題に関してわれわれは余り人々の注意をひかないけれどもO茜碍塑昌山Oげ頑な諺︸団。塁。口巴げ。豊①冨巳℃冒ぎ自評貯ざ一面Nαに 於ける夢。︸麺三野脳。︵先端の尖った棒に当る︶と蔓①。9馨。。剴。︵ヤード尺に当る︶ との調整をする管理作用の重要性を愚わずに は居れない。同書はこの点に於て興味深く今一度顧みらるべきものと考えられる。

四予算制度に於ける計画と統制

 1 予算制度の二要素説と三要素説          経営管理と統制とは如何なる時代にも離れ難き関係にあり、経営の大規模化と共にその作用は顯著となり重要となる。 しかし統制が重要だといっても、ただそれが勘とかコツとかというような個人的経験に基づく主観的な形態をとる限り、 それは学問上重要な意味をもたない。然るにその統制が何等かの標準に基づく客観的形態をとるに至って新らしい時代が        開け、学問的にも重要性をもつに至った。例の科学的管理法がそれであり、その発展としての予算制度がそれである。予 算制度︵σ箋σq9の凄。3︶とは統制の基準として予算を採用する管理方法であり、それに基づく管理が予算的統制︵ぎ8Φ3譲 8三邑︶と↓般に呼ばれる所以である。つまり、 一般には予算制度とは予算統制制度︵び&鷺掌8藍﹃9。。誘け窒︶に風ならない とされるのである。  このような通説に対して、筆者は統制という概念と実際に於ける統制という作用との相遠から、統制と批判とを明瞭に 区別し独立せしめて三要素説を主張するのである。つまり、予算制度とは予算統制の制度ではなく、予算統制批判の制度

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        ︵喜轟9−8暮容τ且け一ρ器。,繁零日︶に外ならないと考えるのである。  ピヤースは実際家であって、残念ながら依然として二要素説に立っているが、しかし実際家だけあって、それらについ て参考となる点が多く、予算と計画との関係についてもわれわれが指摘しておいたところを明かにしているのである。以 下この点に関する彼の所説を明かにしよう。  2 予算制度に於ける計画の問題       も  ヘ  ヘ  へ  ω 予算と計画  改めて説くまでもなく、予算制度に於ける予算は事業の一般的計画に依存する。だから、計画は基 カ  礎︵℃一9ゴβ一コ09   酔げO馬O曽⇔Ω塑鉱O昌︶である。  予算制度は事業の如何なる単位にも独立的に適用し得るけれども、それが全活動に対する綜合計画の基礎︵門8象器8濫 暮罐曇巴豆弩三お︶の上に立つとき遙かに有効である。本来の意味にて、それは計画の一局面にすぎない。計画思考が採 用せられて来たとき、予算−事業そのものに方向と動力とを与える思考の流れと同様に深い目的をもつた予算fが必 然的に現われて来る。  合理的な計画があるかないかは、予算制度の有効性如何に対する人汝の解答に驚ろくべき程反映している。この人々は 最高首脳者から第一線の工揚労働者に至るまでの凡てを意昧する。個人というものは、通常われわれが理解するよりもも っと直観的なものである。予算が健全な事業計画の上に建てられるとき、彼等は常にその理由を知ることなくしてその事 実に反応するものである。  回 計画の意昧  先ず、ピャースは計画とは会社のそれぞれの責任ある単位がそれによって指導され得るよう詳細に 定められた活動コースの予定︵胃。9け。量冨鄭重亀餌。。最ω。9窪憲8︶と規定する。それは販売の予測、生産の手順、経費予 算、生産費の見積り、手持在庫水準の見積りを含む。これは新製晶の開拓や紹介、販売方法、材料の手当、労働賃率に関      企業予算制度と入間関係の問題       一一

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     企業予算制度と人簡認開係の問題       一二 し予め決定することと意味する。要するに、計画は一定の期間一事業活動に関する限り、財務的及び開発的行為に対す るより長く、通常一年一事業の遭遇するであろうところの凡ての難問題を予め見透すことである。換言すれば、問題に       ヘ  ヘ  へ 直面して、問題につき前以て決定する︵後に必要な場合、修正を受けはするが︶ことである。  勿論、これらの決定は屡々予めこれをなすことが不可能に近いほど困難である。しかしそれは他の方法のなし得ない合 理的な純益を確保するのである。この計画的純益数字一−それは計画機構の頂点をなす  の上に、必要とする新資本を 惹きつけ、経営や株主に補償する能力が依存するのである。ここでこのような利益計画の重要性を展開する余裕はない。 ここではただ次の点の指摘に止める。即ち、予算制度が熟慮せられた計画という堅固な中心をもち、トップ・マネジメン ト、ミドル・マネジメント及び他の凡てのマネジメントがこれを支持するとき、予算恩寵は凡ての関係者に対して真の意 味をもつ。この基礎なくして、それが如何に彼等を利するかを知らない者には予算制度は全く気にいり得ないのである。  囚 従業員への影響  この計画週程のこれに関与する人汝への影響を検討しよう。特に先ず管理者層︵巴巨⇔翼曇密 噂8覧。︶ への影響を考えたい。蓋し、彼等の在方が結局に於てより大勢の管理者層以外の人汝の態度を決定するからであ る。職長、課長、部長へ作用する計画按術は何か。それは会社の将来への信頼を築き上げつつあるか或は破壊しつつある か。それは彼等の患想の独立、自信と能力に有利に作用しているか或は不利に作用しているか。  計画のみで十分な回答を与え得ないことは明かである。管理職員が計画制度の採用以前から﹁志気旺盛﹂︵σq。8・ま邑①︶ と呼ばれる情況を示しているならば、彼等の目を将来に向けさせ、よりよき完遂への計画を共に形成しようと申出ること は彼等を害しないばかりでなく、むしろ有益である。正当な説明を以てすれば、経営はよりよき履行、より大きな満足、 より十分な作業、そして結局は昇給への機会について合法的な束石もなし得るのである。  反対に、若し経営が不和のスタッフと争っているならばーーそれは恐らく入事管理のつまらない仕事から起るよい仕事

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への組織上の障害或は他の障害から起るのだが一平穏になり、秩序の回復するまで計画や統制の試みを延期する方がよ い。よく企画された予算制度も人事政策の欠陥の上に実施せられて崩壊した例は極めて多い。そして予算は廃止され、な れた古い慣行に立ち帰るのである。  3 予算制度に於ける統制の問題  しかし、上述の計画よりももっと人間の性質を試験するところの予算制度のいま一つの局面がある。それが統制である。 、、、、、、、、、、、、⑦ 統制は計画の永遠の補助者︵8暮﹃9  夢Φ8碁冨。日①暮︶である。計画も統制なくしては有効ではあり得ない。事業の最小単 位の予算も既に統制を含んでいる。  ω 予算の誤用  予算制度につき大きな誤りがおかされるのは統制の領域に於てである。予算制度についての素人が 部下に熟する不適当な訓練につき彼等自身が責を負うべきことを知らないで、却つに予算を越えたとてその部下を非難し たのはこの統制に於てである。下手な予算処理の下で計画が失敗に帰したので、凡ゆる手段を用いて実.際の結果を隠蔽し        てその予算を補綴して息抜きを与えたのはここである。スタッフ系統の者達がラインの権威を侵害し、予算限度の故を以 て当然行うべき昇給が否定されたり、予算報告を口実に悪口が監督からトップにまで齎らされたのはここである。かくの 如くして、誤用や濫用の例は無限にある。予算統制の間違つた方法は沢山ある。そして正しい方法は只一つである。肯定 的真理の確認は凡ての贋物を解消するであろうから、われわれは、これによって否定的接近を放逐したいと思う。  かくてピヤースはいう。統制とは簡単に計画に従う努力、或はそれからの乖離を説明する原理的な努力と定義してよか

  

ろう。その努力は自発的、統一的、協力的な自己訓練の形︵馬。弓膏9㎝9めムぎ邑冨㊦︶をとる。計画からの乖離は熟考され、 予知され、公認される。乖離が明かに避け得ないならばil例えば販売予算高に達し得ない揚合一少くとも出来るだけ 早くこれを照し出し、経営は如何なる措置をとるべきかを、指示するチャンスをもつのである。統制は古い﹁例外管理﹂      企業予算制度と人問関係の問題       ご︷一

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     企業予算制度と人聞関係の問題       一四 ︵日き四〇Q窪暮ξ。図。㊦三8﹁︶の近代的形態なのである。       ▼  勿論、多くの場合入間問題が現われるのは予算からの乖離の点に於てである。そしてこれは明かに予算制度全体系に於 ける中心点即ち説明、指示、決定、論議或は許される揚合には訓練をさえも要求するところの契機であり、管理の作用す る発火点である。  ㈲ 常識的出発  統制の従業員に及ぼす効果はこれに対する従業員の訓練と調整とに照応するのは明かである。彼等 がその意義と用法とを十分に理解するならば、彼等はこれを常識に照して見るであろう。彼等はこれを怒ったり恐れたり しないであろう。彼等はこれを予想通り建設的に用い、障害ではなく却って援助となるであろう。  この常識的接近︵。。日旨窪あ茸器重言。砦︸冒︶を解明する最良の方法は部課長がその下で予算を編成する典型的な情勢を検討 することである。この問題は日汝遭遇し、予算原理の知識と適用につき熟練せる経営者  即ち次の例に示すような立派 なる予算償行をもつ部課長と同じ態度をとる小数者iによって摩擦なく解決せられている。  広告任務をも負担する販売部長の場合の例一予算編成を命ぜられた場合..彼は先ず次期の販売促進計画と広告計画とを販売副部長 や他の責任者との評議に基づき注意深く完成する。採択し得る計画を樹ててから、彼は金額に換算して予算案の形にし、それは承認せ られて正式な予算となる。  彼はこの予算を自分で編成したのだから、これについては隅から隅まで知っている。それは広告紙面への挿入計画、郵送料の見積、 俸給表などの明細を含む。彼はこの予算の承認に必要な準備としてこれら凡ての項目について﹁上役﹂の諒解を得る。彼は計画や予算 が自分の力の及ぶ限り正確に近いことで満足する。  更に、彼は活動に対する指導線としてこの予算を受けとる意昧を知っている。それは承認を得ることなくしては越えてはならない。 その賞讃せらるべきは実行であり、彼は会社、彼の関連者及び彼自身に対する重要性を理解している。

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 しかし彼はその予算をとりまく情勢のうちに弾力性の要素を知っている。若し事惰が変化すれば、予算はその金額を上下に変えねば ならない。販売部長もその予測に不安がない訳ではない。彼は事情が展開すればかかる情勢を確認すべく単純に敏活であるべきである  陥る市場に余分の力を加えるべきチャンスが現われ、特別な指名郵便広告や地方新聞広告がよい販売成果を齎らす可能性があるとし よう。彼は単にその予算に組んでないからといって.そのような考えを無視してはいけないことを知っている。彼はかかる場合に如何 にすべきかにつき既に販売担当重役︵ざb。・巴塗Φ×。寒晒オ霧︶と明瞭な諒解を得ているのである。そこで彼は目論まれた行為、経費、予 想成果を含めて報告書を準備し、これを提示して、費用が予算限度を越すも適当の考慮の払われることを知っている。  ここで要重点は販売部長たるこの人が彼の考えを進めるのに当って如何なる種類の不正、非難或は反対にも負けないと いうことである。彼は計画と執行とを固執せねばならないことをよく知っている。しかも、会社の利益が予算を破ること によって最もよく実現されるならば、そうする許可が与えられるという保証をもつている。凡ての関係者は提案を審議し 決定された計画から乖離することを主張するチャンスをもつのである。  このような予算運営の態度の研究は如何にも単純なことである。常識による応答は如何にも円熟せるものである。だが しかし如何にしばしばこの常識が破られることか。  このような簡単直言な接近を職長i予算に計上されてはいないが、維持費や功労手当の増額を必要とする場合一へ 拡張しない理由が何かあるであろうか。予算に固有と考えられる摩擦、頓挫、その他の障害は同様に敏感な方法で根絶さ れねばならない。  29 本質的前提条件  以上述べたところ凡ては、勿論、問題となる監督者がその直接の上長と満足すべき作用関係に あることを前提とする。それは明瞭に規定せられた組織系統︵︵・お9巳舜ぎ嵩冒。ω︶や責任に沿って権限を委譲する処置に依 存する。      企業予算制度と人間関係の問題      一五

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     企業予算制度と人聞関係の問題       一六  更に、採用される会計原則がよく検討され、会計管理︵§8匿お鉾三塁け餌ぎ巳が勝れたものでなければならない。予 算勘定︵9︵だ。酔舘8舞錺︶の内容の決定やそれに対して行われる割当の決定は正直になされねばならない。監督者が統制を 行わない費用の割当ほど予算操作を混乱せしめるものはない。  最後の要素は予算の編成についての理解である。揮力的工瘍予算は特に複雑で論議の余地のあるものである。用いられ る要素は明確に説明せられ、その弱点につき+分な承認を得ねばならない。若し、例えば機械修理の如き︼費目が全部固 定的でも亦全部変動的でもなくて、予算目的によって異なる取扱いをなし得るとすれば、結果する予算数字の不足は卒直 に譲歩さるべきである。若しスクラップにする費用と再使用のための費用が職長問で論議さるべきときは、互譲妥協の態 度が必要である。如何なる工場管理もかかる問題についての職長間の激論を奨励し或は認容すべきものではない。

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上掲拙著第一章及び第四章参照。 拙著第八識早参照。 拙著第九章参照。 この計画、予測、予算の關係については、拙著第二章、九五頁以下特に四④参照。 勺①マ3”o℃■包ひ二b・αゆPこれがこの節のタイトルであるQ この点については拙薯二九二頁①を参照。 ℃①冒。P。麟9fb●ひO隔。これがこの節のタイトルである。 ラインとフタソフについては拙署一六二頁以下参照。 統制概念については拙著第二章二及四⑤参照。 五 予算制度とコスト・コントロール 1 予算制度の目標

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       も  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ  勿論、これについてはいろいろに考えることが出来る。われわれはこれを極めて一般的に経営.管理の原理的方法と規定     したが、更に具体的にいうならば積極面としてはプロフィット・コントロール乃至利益の増加を、消極面としてはコスト ・コントロール乃至コストの引下げをあげることが出来るであろう。この地墨で、予算制度の消極性も却って積極的意義       ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ  をもっことについて既に明かにした通りである。この点からしてピャースはコストの引下げ即ち予算制度の目標︵8。・げ弓? 魯註書一寄。騎・2︶と考え、これまで述べて来た予算運用についての態度はコスト・コントロールの領域に於ける予算の 有効性にとってもマイナスであるよりは寧ろプラスであるべきだとして、この領域に於ける誤謬の源泉とその匡救策とを 問題とするのである。  2 コスト・コントロールの隔根本問題  いうまでもなく、大抵の企業は好景気の時も不景気の時も當に激しい競争の圧力の下に経営を続けるのであるが、この ような競争こそ企業をして互にコスト引下げへの絶えざる努力に献身せしめるのである。予算制度の普及に動機を与えた のは、外の事情よりは寧ろこの事情なのである。そしてそれは疑もなく﹁強圧﹂︵喋り巨.㊦o慶こ慶ロ一、O︶という一般的標題の下に入れ られる予算誤用の源でもある。  このカテゴリに入れられる不平の言い分はこうである。即ち、予算はただコストの上に︵同時に従業員の上にも︶下さ れるハンマーとしてのみ用いられ、特に予算は絶えず切りつめられ、その承認服従が無差別的に強要せられるという点で ある。このような状態に於ける監督者の受ける印象は常によりよい実行の絶えざる固執、予算に応じ得ないことに対する 絶えざる叱責、その仕事に対する信頼の皆無ということである。そこでは予算は強圧の道具一監督者はこれに対して自 己防衛をせねばならず、然らざればその仕事を失うのである一−となる。  このように歪曲された様相を救う唯一の有効な方法は、早く従来の近視眼的な﹁これをやれ、然らずば﹂︵尋8琴詳霧      企業予算制度と人閤闘係の問題      一七

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     企業予算制度と人間國四係の聞一題       一入 ・羅.、︶という態度を﹁これをわれわれが協力してやろう﹂︵.・§.・。三下ざσ・㊦苗霞..︶という態度に取替えることである。前の強 圧的態度は工揚や事務所では経営が知っているよりももっと大きな根を張っているかも知れない。だから、このような態 度を矯正するには時間を必要とし忽耐を必要とする。しかし入間的思考に於ける消極的なものに積極的なものを取替える ことは決して不可能ではない。  コスト引下げの努力は競争制度の特質であり、大きな程度に於て高い生活水準の基礎をなす。予算は従業員を奴隷化す ることなく、かかる刺戟のために用いられ得る。それはコスト引下げの可能性を探求する標準を提供する。それは改善さ れた方法から生れる成果の測定を可能ならしめる。しかし実施についての態度は飽くまで正しくなければならない。  3 インセンテイブー真と裾偽  以上の考えは必然的にインセンティブ︵冨①寿賀・︶の問題に入り込む。生産監督者はコスト引下げのため如何なるイン センティブをもつているか。脅迫によるインセンティブ︵ぼ。㊦暮冒。ξ夢語鉾︶は確かに消極的であり、結局は効果がない。 直接的金銭インセンティブ︵爵㊦9日。器団ぎ。五一ぐ。︶は予算要素と関連せしむれば幾分価値はもつが、後に見る如く、いろ いろな問題を伴う。真のインセンティブは、数代に亘る経営経験の後に初めて明かとなるのだが、通常は﹁手で触り得な いものし︵葺きσ⊇琶。︶一勿論それは注意深く決定せられ、同情的に説明せられた賃銀制度によって補われる一である。  しかしその一としての直接的金銭インセンティブの可能性につき暫く検討しよう。睡る会社はこれを用いて弁護する。 ﹁若し単純な出来高払︵ロロ一日b一〇 眉︸OOO宅O胃犀︶が労働者に対する有効なインセンティブであり得るならば、同じ原理がフォアマ ンにも適用され得る。われわれは監督者ボーナスを作り、その計算の中に予算をそのまま実行し得たかどうかを測定する 要素を含ませるであろう。予算に対する節約は会社の利益となり、同時にフォアマンに酬いる基金を提供するであろう。﹂  この推理に於ける誤りは直ちに明かとなる。即ち、誤りは二つの源泉から起る。即ち、ω特に活動条件に於ける予測し

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得ない変化に照して見れば、この目的のため完全に正しく承認し得る予算を作成することの殆んど不可能なぼど困難であ ること、回必要な行為を害してまで予算執行に力を入れるというフォアマンの傾向。必要が急ではなく、支出が自己の給 与を減ずる揚合、そのまま持続することは明白な誘惑といわねばならない。  フォアマンが責任あるマネジャーの背丈に成長し、次第に増大する責任を独立に遂行し得るに至るにつれて︵これは今 日進歩せる経営の昌標である︶、予算要素に基礎をおくインセンティブ給与の問題は次第に扱い、難くなる。経験あるフォ アマンは訓練と自分の負担する仕事の理解とによってコスト引下げの重要性を知っている。彼は馬鹿げた一聯惜しみを褒 められるのを、必要の明白なとき予算を超過したとて罰されるのと同様に憤慨する。  マネジメント・チームの一役としての役割を熟知せる監督者にとっては、真のインセンティブは、最善の努力をしたこ と、そしてそれが財政的な承認及び上長者の態度や言葉による適切な承認によって知り得ることから来る満足である。経 営参与者凡てが決意すれば、監督者と他の管理層との間に積極的な理解を養成し得るのであるが、その積極的理解に代り 得るものは何もない。なお、コスト引下げ計画の成功を保証するのに前志堅固な態度と会社の昌的、要求、政策の理解を 有するフォアマンぼど大切なものはない。このような人聞に対しては、予算はそのりーダーシップに委ねられた従業員に 薄する刺戟であるよりは寧ろ共同活動を測定する用具となるであろう。

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1 拙著第九章参照。 拙著第十章四参照。 これがピヤースの払鯛文のこの笛岬の題目である。 六  予算制度とトップ・マネジメント 管理層の支持の必要   企業予算制度と人間皿開係の問題 一九

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     企業予算制度と人間関係の問題      二〇          多くの方法や制度が沈没するところの岩礁の一はトップ・マネジメントの支援を欠くことである。だから、予算制度に    も ヘ へ も ヘ ヘ ヘ へ も  於ても管理層の支持が必要︵轟昌謹言p。罫。。杉生雲一芸。器①餌︶なのである。これは管理層についての妙な評論である。蓋し、 アメリカでは管理層は通常従業員の動機にはその理解の極に達していると考えられているからである。それにも拘らず、 どこか肢で未熟な予算制度を検討して、社長窒に於て、如何に﹁鶏が棲木に止る﹂︵へへ〇三興9顎oo巳○閏。日08ぎ。馨..︶かを注意 せよ。もっと驚ろくべきことに、トップ・マネジメントの入汝が計画や統制の概念やそれを運用ぜしめる態度の相互作用 をざえ理解していないことが屡汝明らかとなることがある。従ってその予算制度に対する態度は試験的であり微温的であ る。絶えず用いられる方法を問い、本能的にその成果を信用しない。このような心情は組織中に滲透して、予算制度に対 する反対を助長し、これを主張する者を弱める。  如何なる予算制度もトップ・マネジメントの無条件の支持と理解なくしてはその潜在的価値を顯現し得ない。解決は通 常﹁教育﹂として知られる過程にある。実際、それ以上に深い。予算思想は拡大的、成長的概念で、通常ヴィジョンをも つた一人によって開拓される。徐汝に彼∼社長であれ、コントローラーであれ一は忍耐強く進歩的思想を彼の協働者 に注入し、遂に試みられ万人に受け容れられるのである。  2 コントローラーの誤り  予算制度の成功に対するいま︸つの敵がある。それは他の凡ての誤りを一緒にしたよりも大きな予算と従業員闇の摩擦 の原因となるといってもよい。それはコントローラー、予算委員、経理部員、その他この過程に関与するス汐ッフ系統の 役割についての誤りである。         コントローラーが営業員︵。隠冨ぎσ身bΦ話89︸︶ を予算を超過したからとて叱責するならば、彼は最悪のトラブルを招き つつあるのである。彼の任務は経営の情況を責任ある業務管理者︵。窟量二お白膜㊤㈹婁Φ暮︶に、必要ならば社長に、同一の

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数字と文言で通知することである。そこで、問題は社長とその業務系統の部下に帰する。問題は論議せられ、行動は直系 組織︵象属2二5①9.σ身餌巳玉江。昌︶に於て決定せらるべきである。如何なるコントローラーもかかる問題に対して祉長を代表す る地位t予算の承認や成果の否認の如き一に立つことは許されない。  この同じ原理が予算制度調整に参与する凡てのスタッフ系統一彼等がコントローラー、財務部長、工場会計・王任の何 れに報告するかはともかく一に妥当する。予算委員が余りにも熟心すぎてこの領域に於て大きな堂聖心を惹起し実質的に はその凡てを無用の物長にした実例がある。それは勿論個人の責任ではない。その救済方法はラインとスタッフとの関係 についての有害な誤った考えを根絶することにある。       ゆ  その第一歩は部課長またはフォアマンが自己の予算の編成を主張することである。彼は自己の潜在的実行力やその限界 を最もよく知っている。勿論、予算委員から専門的援助を受け得るが、如何なる揚合にも予算委員やコントローラーが予 算を作ってはならない。この原則を破るとき、予算執行に対する責任感の犠牲によって罰せられることとなる。  予算委員の犯す今↓つの誤りは彼等がコスト引下げに対する唯一の責任者であり、彼等だけが過当の無駄、省き得る超 過時聞、道具扱いの不注意などの如き費用の飾約に澱する機会を見出すことを期待されているとすることである。解る揚 合には、彼等はかかる事例を工場監督者或は責任者たる第一線監督よりは寧ろトップ・マネジメントにさえ報告するよう に指示されていることもある。よい人聞関係という基本原理をこれぼど完全に破るところの実行方法を思いつくのは困難 である。  3  ライン・オーガニゼーショ ン  ライン・オーガニゼーションがコスト・コントロールに対して完全に絶対的に責任を負うという事実を経営が確立し来 るや、この中世紀的混濁も自ら清澄となるであろう。周知の組織形態を用いて、副社長たる製造部長が製造費引下げ運動      企業予算制度と入間関係の問題       貼=

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     企業予算制度と人問関係の問題       二ご を指導する責任を負う葺合を明かにしよう。この場合、彼はその仕事が工瘍長に適すると見るとこれを彼に委譲する。工 場長は今度は工揚監督に委譲する。そして工場監督達はコスト・コントロールをフロントラインマンやフォアマンに依頼 するのである。  コントローラーや予算委員もなおこの構想に於て重要な地位を占める。即ち、ω彼等は予算制度を設置し、これを会計 や費用分析というような凡ての道具と調和せしめるためにおかれる。②彼等はその用法を営業員に教へる能力をもたねば ならない。③彼等は予算に対する実績について適時にしかも分り易い報告をしなければならない。 ︵この報告は勿論組織 階段の如何によって短縮せらるべく、例えばトップ・マネジメントにあっては、社長に所属する事項のみに限定する。︶  この領域に於けるス汐ッフ系統の態度は他の凡てのスタッフ任務に於けると同様に、ライン系統に対する最適の援助を するという態度である。この方法によってのみ予算係はフォアマンの信頼を得る。若し彼が費用飾約の考えを見出すなら ばこれがどのように利用し得るか、直ちにフォアマンに申出ねばならない。戻入的な信用は第一次的に考慮すべきもので はない。予算係の長はその値するだけの承認をそれに与える熱達した仕事を見出すに十分熟練したものでなければならな い。そしてかかる実行の基礎的証拠の一は営業部員との満足すべき関連性であろう。ラインが失敗や間違いを犯して、予 算係が成功するなどというのは本末顛倒も甚だしい。

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④ 予算刮度の実施に於て失敗や成功の原因については.拙著三八○頁以下参照。 これがこの節の見出しである。 これはば口㊦琶9を意昧し、ωけ9常旨。昌に対応する竜のと考えられる。も二日鶏網と を参照。 この予算編成の責任については、拙著三六三頁参照。 の08β創暫弓田との区別と亀見られる。 拙薯一籠二出早

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七  結 昌        ①  嘗って詳しく述べたように、予算制度の成立は古く、その普及は広く、その原理的理解も相当のところまで進んでいる といえよう。しかし予算制度は本来管理方法として実践過程から生れ出たものであって、常に新たなる発展が問題となら ざるを得ない。そしてその発展は予算統制の実践過程に於ける過誤や欠陥の吟昧改善として、根本的には原理の反省転換 として現われるのである。われわれがこれまでピャースの所論を通して問題として来たアメリカに於ける努力は正にかか る発展、即ち、従来の会計原則に立つ予算制度から薪らしい人聞関係原則に立つ予算制度への発展であり、その意味にて ﹁予算調度は成年に達した﹂こと上述の如くである。いま、上述せるピャースの改善策を項目だけ挙げれば次の八ク条と なる。 (6) (5) (4) (3) (2) (1) C8) (7) 予算制度を可能的爵m高の動機︵爵Φぼσqヴ霧けづ需獣露Φ一〇ぐ¢o陶暴。ナォ蝉諜。昌︶の上に建設することQ 予算制度を企業計画︵8巨冨昌覧導三謎︶という基礎の上に確立すること。 先ず統制の意義︵墓琶ごひq98冨窪9︶を確立してこれを実行に移すこと。 明確に規定された組織構造︵缶①鶏ゐ9自書三田凱。淵ω町・。ε富︶を必ず形成すること。 優れて常識的な会計︵8目営8あ曾ω。舘8§けぎσq︶と勘定科目の内容についての完全にして簡単迅速な説明書を準備すること。 コスト・コントロールの領域に於ては.予算をば、フォアマンの頭上への鞭としてではなく、その手に握られる道具として用いる こと。 トップ・マネジメントの予算制度への積極的参加を保証すること。 コントローラーとそのスタゾフが予算に関連して負担する責任に対して正しい態度を示すかどうか注意すること。  勿論、以上八ク条は別に新らしいことではないともいえるけれども、その凡てがその根を深く人事管理にもっこと、分 析の最後に而ては人事問題の反映であるとする根本見地に新らしい意味のあることは既述の如くである。何れにせよ、予      企業予算制度と人間関係の問題      二三

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     企業予算制度と人聞関係の問題       二四 算制度は予算なしでもなし得るところを予算を以.ては一層よくなし得ることを示す。計画と統制と批判とは制限と叱責の 道具ではなく、人間を自由にしてその最善の仕事をなさしめる工夫である。この原則を実現することが予算翻度について の新らしい見解なのである。        ②  なお、予算制度と管理組織の改善と発展の問題については更に古くバーチャが創案して、相当の普及を見、シュマーレ    ③       ④ ンバッハが新らしく取り上げたことを契機に注目されるに至った謂わゆる分権的管理組織或はフェールマンの謂わゆる自 主管理乃至自治組織の問題が、薪らしい人間関係論の立場から考え直さるべきであるが、別の機会に譲らねばならない。

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③ ④ 拙著第八章以下参照。 これについては種々な文献がある。Uoぐトご自計勺こピ。。。網の$貸。ゆ9欝9ω雷8昌綜ρ口。冨oo。。ω09銑①。。uΩ㊦昼門出〇ω9︵同︶蕩の団。・零圏切99琶餌 釜器ω。二巴脱着易葱鼻・£Φ♪ヨ.貞暮零墨茸89冨國§豹。閏壁q亜目筈。詳..哨。び蛋胃\聖母N一〇ωO︶℃ご9泓帥・9国こご、。①三途9ぎ§塁 しdA日℃舘記這ωω恥○畠g野”弓ぎ旨豪しu暮∫毛。言琶魁弓3§ぎおω∬Ug︸話=トr団・︸ご、。図2ぎざ号bコ鉾2勺9三訟一〇ωρ℃銘①≦。。︸Fq.℃壱 ピ.o舅σ⊇露巳鋸註oo警δ暮購一ρ器島ロ茸節ぐ巴r℃窪冨一〇ム。。・市原季一、プレチアーレ・レンクング史、PR弓隠巷第十一号参照。 oQJ日鎮§び舞﹃国こ℃話昏蒙Φ芝ロ・駐魯塑犀匹①鼻毒σq“Nしd導9℃器鉱巴。U窪碁昌㈹q目切g島。冨。。”bζ雪曇。守匡。ぎ一謹G。・土岐政藏b分権的経 営管理について︵シュマーレンバソバ研究︶.中村常次郎、賞與制分権的経営管理、PR第五巻第九号参照。 嘱①巨語9昌P出;oQ①ぎ。。才。弓託巴ε︼お巨魁霞q含①置。ぽ餐暮雪切ΦH.βお8●

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