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クラーク大学教育学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題 : 1890-1900年を中心に

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(1)Title. クラーク大学教育学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童 ・教育問題 : 1890-1900年を中心に. Author(s). 千賀, 愛. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 59(1): 195-207. Issue Date. 2008-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/897. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. クラーク大学数青学科の児童研究と. マサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題 :1890−1900年を中心に. 千 賀. 北海道教育大学札幌枚特別ニーズ教育学研究室. Child−StudyintheDepartmentofEducationatClarkUniversity andEducationalProblemsinWorcester,Massachusetts:1890−1900 SENGA Ai. DepartmentofEducation,SapporoCampus,HokkaidoUniversityofEducation,SapporoOO2−8502. ABSTRACT ThisarticlefocusedonviewsregardingeducationalproblemsinWorcesterandHall’schild−Studyat ClarkUniversity.TherelationshipbetweenchildstudyatClarkUniversity,andschoolhygiene,physical trainingandtruantsinWorcesterareanalyzedinthispaper,aSareG.S.Halrspaper,theAnnualReport. OftheBoardofEducationWorcesterandtheRegisterandOfficialAnnouncementofClarkUniversity.. 1.問題の所在 2007年度より特別支援教育が制度化され,通常学級の様々な特別なニーズをもつ子どもの教育の実質的な 保障が課題となっている。日本で議論になっている所得格差の拡大や外国人子弟の増加,健康問題や学習困 難を抱える子どもの増加を含む多様な困難・ニーズをもつ子どもの公的保障の課題は,一世紀以上前のアメ リカにおいて近代的な学校教育の普及・成立の過程で顕在化していた。19世紀末から20世紀初頭のアメリカ では,急激な産業化・都市化と英語を母国語としない移民の増加を背景に就学人口が増加し,子どもの健康 問題や公衆衛生の整備,怠学や不就学,学業不振問題への対応が公立学校に求められていた(千賀:2003)。 宮本によれば,この世紀転換期に「公立学校は次第に多様な生徒を受け入れるようになり,その結果,学級 一斉指導と一斉進級の不合理さ」が露呈し,具体的には1900年前後の学校教育に「落第を繰り返す生徒(ラ ガード)と中途退学者の多さ」となって表れていた(宮本:2005;pp.20−22)。 1890年代後半から1907年までのアメリカの都市部の公立学校で落第を繰り返す生徒(Laggards)を検討 したAyresによれば,1900年代初頭のアメリカの公立学校では,おおよそ3割の生徒が“遅滞’’であると推. 195.

(3) 千 賀. 愛. 測され,それは「単に少数の発達不全(under−developed)や精神薄弱児の問題では済まされない」状況に置 かれていた(Ayres:1909,p.3)。 世紀転換期における学年制の学校において,「およそ三分の一の生徒が進級できず」,多くの生徒が低学年. に留まっていたのである(Deschenesetal.:2001,p.530)。落第や中途退学,学業不振についてDeschenes らは「生徒の問題として認識された社会的・文化的・経済的背景と学校構造の間にある不一致」(p.527) であると指摘している。. 本稿で検討するマサチューセッツ州Worcesterにおいても1880−1910年の間に就学人口は2.3倍に増加, 非英語圏の移民子弟の割合も4.7%から33.4%にまで急増し,無断欠席や離学,学校の不十分な暖房・照明・ 換気による弱視や難聴の増加などが問題となっていた。. さてこれまで筆者は,世紀転換期におけるジョン・デューイの教育学とシカゴの実験学校(1894−1904) を多様な困難・ニーズの子どもの観点から再評価する試みを行ってきた。デューイは都市部の貧困を背景と する子どもの健康問題や学業不振問題に対し,ハル・ハウスのセツルメント活動等を通して認識を深め,多 様な困難・ニーズをもつ子どもへの対応を公立学校の重要課題として引き取った(千賀:2003)。シカゴ大 学時代を含む初期のデューイの教育思想は,少なからず児童研究の影響を受けており,とくに「1897年には 児童研究運動を正しく推進するための批判的提案を行うように至っている」(大浦:1965,p.510)。しかし ホールの教え子であるデューイとの関係の解明の基礎作業となる多様な困難・ニーズをもつ子どもの観点か ら児童研究を検討することは未着手となっていた。. ホールは「児童研究の祖」と評されることが多いが,先行研究の評価はきわめて限定的である。Hen− dricks,J.D.(1968)は,1880−1910年代のホールやクラーク大学による一連の児童研究を詳細に検討し,児 童の発達特性に関する調査が教育の“科学的’’研究として取り組まれたが,児童研究運動はカリキュラム編 成や教材の問題に無関心であったとしている。すでに多くの論者が指摘するように,児童研究が衰退した1910 年代以降の心理測定や学校保健,臨床心理,調査・統計法などの諸科学の知見からみれば,当時は先駆的で あった19世紀末の質問紙調査法の研究は客観性に乏しく,発達の法則を人類の進化の過程に例えたホールの 反復説も批判を受けた。この相反する非合理的な志向性を菅野(2002)は,ホールの教育思想における「多 義性」と分析する。. ではなぜホールは反復説を唱える一方で,教育に適用するという理由で子どもの興味・怒り・笑い・嘘な どの具体的な事象,収集物,遊び,野外活動について詳細に調べ,さらに学校や教会から逃走を繰り返す無 断欠席児童の調査を事細かに行う必要があったのだろうか。公教育の普及とともに顕在化した遅滞児や子ど. もの健康問題に対する制度的な対応は1890年代の後半以降に始まったが,G.S.ホールは1880年代から学齢 の子どもの健康問題や発達の問題に先駆的に着手していた。ホールは子どもの発達や知能の有り様が未解明. の時期に,公立学校や幼稚園の教師,師範学校の教師を通して子どもの観察記録や小集団面談による質問の 回答を集め,多くの児童研究調査に取り組んだのである。 ホールが進化史・反復説の理論を援用することによって,対象とする年齢幅を広げ,精神障害や「白痴」,「盲」 「聾」および重複障害,優秀児を含めた視野の広い個人差の課題を調査の対象としたことについて,教育思想 における「多義性」という視角をふまえつつも,ホールの児童研究を分析しなければならないと考える。. さてホールはクラーク大学院生とともに大学の地元であるWorcesterの学校教員や施設の職員たちの協 力を得て様々な児童研究調査を行った(Zenderland,L.;1998,p.356)。本箱では,ホールやクラーク大学の 多くの児童研究調査の対象となったマサチューセッツ州Worcesterにおける当時の公立学校が抱える問題 の文脈に即して,ホールの児童研究が当時の学校環境や教育の問題に何を碇起しようとしていたのか,発達 や能力の個人差をどのようにとらえたのか,改めて問い直したい。. 196.

(4) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. 2.研究課題と分析の方法 本研究は,G.S.ホールが児童研究において「学業不振児」や「魯鈍(dull)」等の「低能児」を含む能力や 発達の個人差の要因をどのようにとらえていたのか,そのことが19世紀末から20世紀初頭の公立学校の問題状 況においていかなる意味を有したのかを明らかにすることを全体の目的としている。本稿では,G.S.ホール を中心に児童研究に取り組んだクラーク大学数青学科がWorcesterの公立学校の児童・教育問題に対してどの ような取り組みを行い,ホールはいかなる役割を果たしたのかを分析する。具体的にはWorcesterの公立学校 における学校保健・体育と無断欠席および怠学児の問題に関する教育委員会との連携に注目する。 分析の対象となる資料は,ホールの関連文献,クラーク大学の関連文書(Register),G.S.HallPapers. (ClarkUniversity,RobertGoddardLibrary,SpecialCollection)および1880年代後半から1900年までの Worcester市教育委員会年報(ReportoftheWorcesterSchooIs;以下“年報’’)である。. 3.Worcesterの公立学校の概況とクラーク大学の児童研究 3.1 就学人数の増加と校舎・設備の不足 マサチューセッツ州Worcesterは州内でボストンに次いで2番目の中規模都市である。表lは,1870年 から1900年までの5年毎の公立学校の就学人数(5−15歳)と出生国(アメリカ合衆国とそれ以外)の割合 を示した。Worcesterの公立学校における外国生まれの子どもの人数は年々増加傾向にあり,英語圏以外 の国で生まれた子どもには,スウェーデン,ドイツ,ロシア,イタリアなどの国が含まれていた。. 移民の流入に伴い毎年予想以上の就学人口が増加し,1890年の教育長A.P.Marbleによれば「発展しつ つある我々の市では,増加する学校施設への要請が常に行われ」,校舎の増築と暖房と換気の設備,衛生状 態の方法への興味が喚起されていた(年報,1900,p.i)。年度毎の出席率が高いのは春・夏学期よりも暖. 表1 Worcester市公立学校の就学人数と出生国の割合 出身国 アメリカ合衆国. 1870年. 1875年. 1880年. 1885年. 1890年. 1895年. 1900年. 2704. 3232. 3974. 5020. 5854. 7183. 8756. 387. 412. 830. 646. 848. 1230. 3339. 2888. 2802. 3293. 3692. 3233. 3136. 1752. イギリス. 257. 296. 354. 517. 681. 815. 923. ドイツ. 123. 138. 153. 204. 206. 237. 270. 56. 62. 73. 120. 157. 201. 239. 20. 126. 416. 924. 1684. 2555. 12. 69. 321. 713. カナダ アイルランド. スコットランド スウェーデン ロシア. 1. 39. 91. 137. 234. 357. 448. 766. 6454. 7053. 8941. 10861. 12329. 15255. 19133. 109.3%. 126.8%. その他※ 合計(人数). 就学人数の増加率. 外国出身児の割合 英語以外の母国語の割合. 121.5%. 113.5%. 123.7%. 125.4%. 58.1%. 54.2%. 55.6%. 53.8%. 52.5%. 52.9%. 54.2%. 2.5%. 3.5%. 4.7%. 8.0%. 12.6%. 17.6%. 22.5%. 出典:ReportoftheWorcesterSchooIs1890.p.105−107より作成。 ※その他はスウェーデン,ドイツ,ポーランド,イタ リア,ノルウェー,フランス,インド,トルコ,メキシコ,アルメニアなど。. 197.

(5) 千 賀. 愛. 房を必要とする秋・冬学期であり,不十分な喚起や暖房,薄暗い照明は進級して在籍期間が長くなるほど子 どもの健康を害するという問題を招いていた。. ここでWorcesterに適用されていたマサチューセッツ州の義務教育法について確認しておこう。1889年 6月7日に改正された教育法によれば,「8歳から14歳までの子どもは,少なくとも20週間は居住する市や 町における何らかの全日制の公立学校に通うべきであり,可能な限り2つの学期のうち連続する20週間は通 うべきである。この義務を逃れた人物に対して市や町は20ドル以下の罰金を課すことができる。ただし,私 立学校に通う期間は,法律によって公立学校で受ける教育としてみなすことができる」。その際,「身体的,. 精神的状態が出席に際して不適当または実行不可能であると認められる場合は」,その義務と罰則は課せら れず,障害や疾病に関する就学免除規定が設けられていた(年報,18錮,p.54)。その後,1890年には就学 年齢が8歳から5歳に引き下げられた(年報,1890,p.22)。また児童労働の規制は,14歳に達するまでは 就労資格を得ることができないとされていたが(年報,1890,p.23),実際には年間20週間の修学期間を証 明できれば,その他の期間は就学年齢児童でも仕事に就くことができた。 移民や就労する児童生徒に対してWorcesterでは夜間学校を設置し,全教員448人のうち62人,教員の1 割以上を夜間学校担当の教員を配置していた(年報,1892)。. 3.2 Worcester教育委員会とクラーク大学の連携 筆者は別稿(千賀:2007)においてクラーク大学数青学科で現職の教員が参加する土曜の午前中の教育に 関する講義(1895,1896,1897),土曜の午後に精神病院の診療所で行った演習(1893,1895,1896)が行 われていたことを指摘した。1897年の土曜の講義・検討の場には18名の通年特別学生が履修しており,この 参加者のうち10名が学校教師,2名が幼稚園教師,マサチューセッツ州立師範学校の副校長,Worcester. の教育長,Worcesterの教育長補佐,一般市民が2名であった。参加者の居住地のうち16名がWorcester であり,Bridgewater(Mass.)とBrookfield(Mass.)がそれぞれ1名であった(ClarkUniversity)。 教育委員会の年報においてクラーク大学とWorcester教育委員会との連携が確認できるのは,教育長が C.F.Carro11に代わった1894年以降である。その連携の内容は主に,教員向けの研修コース,身体検査等の 学校保健の調査協力と助言である。Worcester教育委員会主催の教員向けの研修では,1895年度に行われ たG.S.ホールの「最近の教育動向と改革」,ホールのJohnsHopkins大学時代の教え子でクラーク大学の. 心理学を担当するEdmundC.Sanfordによる教員50人向けの講演,JohnsHopkins大学の卒業生で生物学 と心理学を専門とするCliftonF.IIodgeによる幼稚園クラブでの講演など,この3名を中心に行われた。ま たその後もホールは1896年度の冬季研修コースで「自然と自然への感情に関する研究」「訓練の運動筋肉の 側面」「読み方と言語」「青年期」「栄養」「教育の一般原理と生理学」(年報,1897,p.9),1899年2月25日. には「感情と情動の教育(EducationoftheFeelingsandSentiments)」(年報,1899,p.10),1899−1900 年冬季の幼稚園クラブの研修コース「私の理想的な幼稚園」(1900年1月24日)の講演を行った。またClif− tonF.Hodgeは1899年5月11日に「5年生クラブ」で講演(年報,1899,p.10),1899−1900年冬季の幼稚. 園ラブの研修コースでEdmundC.Sanfordが「性格の心理学」(1900年3月6日)をそれぞれ担当した(年 報,1900,p12)。 このようにホールを中心とする3名のクラーク大学のスタッフが幼稚園や小学校の教員を中心にWorces− terの教員研修に関わっていたことが分かる。. Worcester教育委員会の研修を担当していたクラーク大学のC.F.Hodgeは,1899年1月に3名の委員か ら構成される「目と耳の保健委員会(CommitteeonIIygieneoftheEyeandEar)」の一員として,子ども の健康問題の取り組みに関わった(年報,1899,p.11)。Hodgeは,1899年1月に行われた教育委員会の. 198.

(6) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. 会議において,この委員会の設置を働きかけ,学齢児童の目と耳の保健に関する検討を進めることが正式に 承認された(op.cit.,p.68)。同委員会の視力・聴力検査の結果は次節で述べる。. Worcesterでは体育の教科が教育課程に位置づけられておらず,子どもの身体的な成長に合わせた身体訓 練(PhysicalTraining)が課題となっていたが,1897年にはクラーク大学から子どもの身体に関する調査項 目がWorcesterの体育主導主事AnnaG.Foleyに送られ,クラーク大学のG.E.Johnsonから体操ゲームの 活用に関する具体的な助言を受けた(年報,1897,p.67)。その後,1899年には「児童研究で大きな関心が 向けられている身体的な健康(physicalwell−being)」がWorcesterにとっても重要であるとされ,「クラー ク大学の専門家の協力のもとで」調査が行われるに至った(年報,1899,p.40)。. 以上のように,1890年代のWorcester教育委員会ではホールをはじめとするクラーク大学のスタッフが, 教員の研修と児童研究の一領域であった学校保健において一定の役割を担い,具体的な助言や調査協力を 行っていたことが確認できた。. 4.Worcesterの公立学校における子どもの健康と保健の問題 4.1 学校における子どもの健康被害と身体訓練の導入 1890年代のWorcesterでは体育専門の教員が全市で1名しか採用されておらず,この教員が指導主事を兼 ねて各学校を訪問して研修を行うという体制であった(年報,1894,pp.3ト32)。身体訓練は,教育課程に おいて毎日12分間が割り当てられていたが,実際には休み時間を兼ねた短い時間設定であった。「ほとんど の校舎において,子どもが庭へ出るまでに2分間」,「約6分間の遊びの後に,水を飲む」ことを除くと,実 際に体育を行う時間はごくわずかであった(年報,1896,p.44)。その後,体育指導主事のAnnaG.Foley が中心となり,身体訓練の時間は1895年には毎日10分間,1899年には20分間に拡大されるだけでなく,小学 校の第I学年からグラマー・スクールの第9学年の各学年および特別学校(SpecialSchool)の体操や身体 活動のゲーム内容が規定された(年報,1899,pp.63−65). 表2/ト学校と特別学校における身体訓練の内容(1899) 毎日20分間行う身体訓練(PhysicalTraining)の内容 ゲームと遊び:ランニングゲーム,. 小学校第Ⅰ学年. 小学校第Ⅱ学年. リングゲーム,お手玉ゲーム,行進,模倣遊び,模倣訓. ゲームと遊び:第Ⅰ学年と同様(リングゲーム,お手玉ゲーム,行進,模倣遊び,模倣訓練)。. ゲームと行進はより難しくなる。. 小学校第Ⅲ学年. スウェーデン式体操とゲーム:最も簡単なスウェーデン式体操。ゲームは第Ⅰ学年や第Ⅱ学 年よりも難しくなる。. 特別学校. 簡単な器具を用いないシリーズ。簡単なスウェーデン式体操。お手玉ゲーム。ダンベル・シ. (SpecialSchool) リーズ。行進。. 出典:ReportoftheWorcesterSchooIs,1899,pp.63−65より作成。. 1899年に示された小学校と特別学校の身体訓練の内容を表2に示す。いずれも成績評価を伴う他の教科と は異なるが,Worcesterで初めて体系的な教育課程の内容が編成された。この内容にはクラーク大学の Johnsonが具体的に助言した体操やゲームが多く取り入れられている。. 199.

(7) 千 賀. 愛. 4.2 学校保健の課題と身体検査 ホールは1880年代後半から子どもの身体や健康に与える学校環境の影響を問題視していた。 「多くの身体に関する文献が近代的な学校は子どもの健康を害し,発達を阻止して」いたため(1894b), 欧州などの例を挙げて照明や喚起,座席の改善,学校遠足,校庭,昼食,体育設備,健康診断などの導入を 提起したのである(1893a)。. 1890年代のWorcesterでは,校舎や教室の環境は常に問題となっていた。法的拘束力のある建築基準が 「建築家は教師のように常に校舎の実際的な必要を理解しているわけで. 設けられておらず,学校を設計する. はなく」,「規準を固定化する困難性は,校舎の暖房,換気,衛生,照明などの多くの問題があり,いまだに 解決していない」(年報,1891,p.25)。教育委員会は問題を認識していたが対応が追いつかず,1891年の 教育長は以下のように強い不満を呈した。. 「医師,健康調査官,保護者は,生徒のために危険性が取り除かれ,多くの生徒が学校で勉強している間 に健康を害し,危険にさらされることがないように,我々の学校に最善の物理的・衛生的条件を要請してい る。学校の教育の効果は,薄弱な健康を補うものではない。多くの学習や最善の指導は,それ自体は素晴ら しいものである;しかし健康と引き換えに得るようなものではない!」(年報,1891,p.26)。. Worcester教育委員会は,校舎の衛生状態の影響を調べるため,クラーク大学のFranzBoas医師の主導の もと,1891年春に「Worcesterの公立学校における約2000人から2500人の子どもの検査」を実施した。その内 容は,教育委員会の権限によって,名前,年齢,生誕地,父親の国籍,母親の国籍,父親の職業,居住地,兄 弟の数,姉妹の数,第一子または第二子など,視力,聴力,記憶,器量又は身長(靴は脱ぐ),指の届く幅, 座高,頭の長さ,頭の幅,顔の高さ,顔の幅,体重,髪の色,目の色であった。その結果,検査を受けた約10% の子どもの視力の異常がみられ,学習面で「不利な困難性が増大しており,生徒が愚かに見えたり,大胆さを 失ったり」することが危惧され,視力の低下に対して教師の努力が必要であるとされた(年報,1891,pp.40−41)。. 1891年の調査結果について,年報で詳しい報告は行われなかったが,8年後の1899年4−5月には,クラー ク大学のHodgeを中心に視力と聴力を検査し,男女の差や家庭の経済状況が異なる地域の差が比較された。 1899年の検査は,「個別で可能な限り静かで明るいホールや教室で行われ,一般の教室とは離れた場所」で 目と耳が同じ姿勢で調べられることになった。この時の検査表は,名前,年齢,性別,学年,学校名,右目 と左目,検査時のメガネの有無,対応(最近医師から受けた助言,治療などを含む)が記入された(年報, 1899,pp.68−70)。. 視覚検査は単なる調査目的ではなく「目の異常が見つかった場合には,子どもの親または保護者に情報を 提供し,医者の診断を勧める」こととされた。表3は視力異常に関する学年ごとの男女別の検査結果である。. 視力の検査は主に視力低下を中心とする視力異常,眼病等の発見を目的とするものであり,男子の平均は. 表3 視覚異常(defectiveeye−Sight)に関する検査結果 学 年 被検者数 男. 視覚異常者. 3. 1.∩6R 1,017. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 888. RR3. 7R3. 5R3. 541. 376. 6.139. 84. 81. 44. 982. 168. 192. 131. 123. 割合(%). 14.8. 16.5. 21.6. 14.8. 15.7. 14.4. 14.9. 被検者数. 982. 880. 817. 804. 772. 609. 533. 417. 5.814. 視覚異常者. 162. 188. 249. 181. 152. 145. 138. 84. 1,299. 16.4. 21.3. 30.4. 22.5. 19.6. 23.8. 25.8. 児 割合(%). Lli典:ReportoftheWorcesterSchooIs1899,p.72より筆者が改編して作成。. 200. 合計(人). 159. 児. 女. 2. 11.7 15.9(%). 20.1 23.3(%).

(8) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. 15.9%,女子の平均は23.3%という高い比率であった。男女差の要因は,男子の方が女子よりも外遊びが多 いためではないかと推察されたが,その要因を実証的に確認する作業は行われなかった。 また視覚異常の調査では,社会の貧困層の出身者が多い5つの学校と,裕福な家庭の子どもの割合が多い 5つの学校のデータを抽出し,地域間の比較を行った。表4に示すように,貧困層の地区と富裕層の地区で は視力異常に平均10%以上の差が生じており,学校の教室のみならず家庭の衛生条件や栄養状態,細かい作 業を伴う就労経験の有無なども影響している可能性が考えられる。なお聴力検査は視覚検査のように詳しく 報告されていないが,170人(2.9%)の男子と143人(2.3%)の女子に聴力低下が発見され,より詳しい検 査が必要であるとされた(年報,1899,p.78)。. 表4 貧困層と富裕層の地区における視覚異常者の比較 富裕層が多い地区の学校. 貧困層が多い地区の学校 学校名. 被検査者 視覚異常者. Providence. 502人. 184人. Ash. 197人. 63人. Ledge. 517人. 141人. Lamartine. 493人. Thomas 計. 割合. 学校名. 被検査者 視覚異常者. 割合. 36.6% Freeland. 288人. 67人. 23.2%. 31.9%. 426人. 88人. 20.6%. 27.2% 0Ⅹbrd. 255人. 51人. 20.0%. 104人. 27.2%. Downlng. 382人. 52人. 13.6%. 375人. 66人. 21.0%. Woodland. 721人. 65人. 9.0%. 2084人. 558人. 2072人. 323人. 15.5%. Winslow. 26.7%. 小 計. 出典:ReportoftheWorcesterSchooIs1899,p.76より筆者が改編して作成。. 5.Worcesterの公立学校における特別な教育的配慮とクラーク大学 5.1 無断欠席(Truants)と離学 1889年,「合法的な仕事にもつかず,学校に通わず,無学のまま成長して,公道や公共の場所を歩き回る 7歳から15歳までの子ども」は習慣的な無断欠席(Truants)とされ,州内の各市や郡では教育委員会の監 督の下で欠席調査官が任命された。欠席調査官の任務は,「正当な理由なく公道や公共の場所で歩き回るす べての無断欠席児を補導し学校に連れて行くこと」とされた(年報,18錮,pp.56−57)。 1890年のWorcesterでは,公立学校の「日常的な欠席率は10.5%」であり,このうち4−5%が「病気, 家庭内の事情,家族の人数が多いために働く必要がある」ケースであり,「正当な理由」とみなされて補導 や強い指導の対象ではなく(年報,1890,pp.22−23),州立の矯正学校(TruantSchool)へ送還されるこ ともなかった。実際にWorcesterの無断欠席の調査が教育委員会の年報に掲載されるようになったのは1897 年以降であり,この年に学校が報告した無断欠席の人数は2,334人であり,夜間学校を除く全日制の公立学 校の在籍人数の20,004人の10%以上であった。このうち家庭の事情による就労などの「正当な理由の欠席」 は1,770人であり,学校にも適わない行方不明者が111人であった。実際に補導された20人のうち,19人が Worcester内の州立矯正学校(TruantSchool)へ送還された(年報,1897,pp.134−135)。 矯正学校は怠学児や手に負えない生徒(男子)を対象とした教育機関であり,2年間から1ケ月余の間, 学校に代わって自己制御(self−COntrOl)や学習上の指導を行った。送還される「ほとんどのケースは,家庭 での指導を受けていない」か,「学年を頻繁に繰り返して自信を失った遅滞児(backwardchildren)である」 (年報,1900,p.58)。そのため「この施設の教育カリキュラムは,Worcesterの教育課程が適用されて おり」,この収容期間を終えて2年間後に学級に戻っても復帰できるように学力回復の機能も担っていた。「師. 201.

(9) 千 賀. 愛. 範学校の実習生がWorcesterの学年制学校と同様にOakdaleの矯正学校を支援しており」,絵画,音楽,そ の他の指導者の部分で特別な準備や個別の配慮を必要とする教科の指導に対して有効な任務を碇供した. (ibid.)。Worcesterの教育長Carrollは,矯正学校の生徒の実態は「低学年における遅滞男児(backward body)のための指導」の必要性を第一に示唆しており,間接的には産業やその他の訓練形態の必要性を示 しているとし,学習の遅れに対する早期の対応と適切な訓練や活動の導入の重要性を指摘した(pp.58−59)。. 5.2 クラーク大学教育学科の無断欠席児調査(1897)と学校批判 Worcester市内にキャンパスを構えたクラーク大学の教育学科では,学校保健や教育心理を担当したW. H.Burnhamや児童研究調査に取り組んだ大学院生とともに,1897年から1900年にかけてWorcesterの教育 長や学校の教師が,科目等履修生としてホールのもとで学んでいた(千賀:2007)。無断欠席児童の調査 (Truancy:1897)は,学校や教会から逃走した児童の事例を集め分析を加えたものであり,クラーク大学 のL.W.クラインと指導教官のホールの連名により調査を依頼し,1896年10月から1897年1月上旬にかけて 実施された(資料1)。. 先述したようにWorcester教育委員会では,1897年より無断欠席の調査を開始し,学校を欠席する者の 取り締まりを強化し始めていた。しかし,クラインの調査は,無断欠席した子どもや家庭に対する強い批判 や一方的に取り締まる姿勢とは異なっていた。この調査は,学校や家から逃走する無断欠席児童を対象に,. 子どもの側から逃走の背景や要因を心理学的・教育学的・社会学的に明らかにするこ. とを目的としていた点. が特徴的である。実際には,個々の無断欠席児童の事例について,家族構成・家族の経済状況・子どもの性 格や気質・関心のある動物や物・音楽や色彩の感覚・運動や身体の活動の有無・学校での適応状況・健康状 態・逃走の時期と状況などを含む詳細な記述が学校の教師や母親によって行われた。調査の過程では身体検 査を含めると延べ600人余のデータが検討されている。. 表5に示すように,学校から逃走した無断欠席の子どもの250ケースのうち,女児は25%,85%がアメリ カ人と最も多く,それ以外はアイルランド人,フランス人,スコットランド人,ドイツ人などであった。ま. 表5 逃走を伴う無断欠席児の家庭,両親と精神的特性の比較 項. 目. 逃走 201ケース. 無断欠席195ケース. 貸家. 46%. 41%. 両親と住んでいる. 81%. 76%. 十分な食べ物. 89%. 81%. おこづかいがある. 61%. 54%. 愛情深い. 60%. 44%. 年長児,末っ子,一人っ子. 79%. 83%. 短気である. 75%. 64%. すぐに笑う. 75%. 42%. 気前がよい. 70%. 62%. だらしない. 52%. 55%. 物の破壊. 68%. 61%. 女児. 25%. 19%. 出典:Kline,LinusW.(1897)TruancyasRelatedtotheMigratingInstinct,Ped(柳gical Semina7T,Vol.Ⅴ,pp.381−420,pp.397−398より筆者が作成。文献中のケース数の記載は割 合のみで内訳の人数は示されていない。. 202.

(10) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. た彼らの両親の大多数は十分な生活段階にあるが,子どもは逃走によって極端な貧困や裕福に類似した状態 に置かれた。対象児の16%が身体的欠損(PhysicalDefects)をもち,その多くは言語の問題,脊髄や腰の トラブルを抱えている(L.W.Kline,1897,p.286)。逃走を伴う無断欠席児の家庭,両親と精神的特性の比 較では「第一に,性別や身体的状態,親や家庭状況にかかわらず,無断欠席がすべての子どもに共通するこ とを示している。第二に,その直接的な要因は非常に多岐にわたることである」(ibid.,p.397)。つまり,家. 族構成や性格の特徴からは,原因を特定することができず,学校や家庭からの逃走は個別性が強く,様々な 要因を背景としていたのである。. 無断欠席や逃走の調査では,3−4歳の家などからの逃走(50ケース),4−7歳の逃走グループ(70ケー ス),8−12歳の逃走グループ(120ケース)の3つの年齢段階に分類し,複数のケースを次のように紹介し ている。. 5歳男児。自分なりの方法で常に走り回っている一落ち着きのない性格で,同じ場所に長く留まることがな い。近所の人と話している自分の母親の周りを素早く歩き,機会を得て逃げ出してしまう。. 11歳男児。リーダーだった。決められたことが何でも嫌いだった。その他は意欲的で仕事に対する不安を持っ ていた。自分の仕事を得るために家庭から逃走した。仕事は非常に厳しかったが,諦めることはなかった。両親 は彼の所在をつかみ,家に送り返した。“彼は3ケ月も離れて働き,自分でお金を稼ぎ,新しい洋服,野球のボー ルとバットを買った。彼の苦労は多かったが,非常に忍耐強く耐え抜いた。彼は大人になり,自分の経験が人生 において最善であり,自信をもつことを学んだと考えている。”. 10歳男児。10歳から逃走を始めており,それは正しい綴りを学ぼうとして不機嫌で怒りっぼい状態になったり, 彼が何かをしてしまい罰を恐れいる時だったようだ。ある時,搾乳の最中に立ち上がり,ミルク缶を倒した後, 逃げ出していった。 ある時は旅に出たが運河に落ちてしまい,数ヶ月後になってやせ細り,薄汚く,ぼろぼろになり,ほとんど凍 え死にそうになって戻ってきた。彼は計画的に旅に出たことが一度もない. 10歳男児。しばしば無断で遊びに出た。時々,食料雑貨店の周りに滞在していたが,いつもは一緒に遊べる仲 間を見つけて子どもの集団で遊んでいた。彼は本当のことと同じような素早さで嘘もついた。彼は優れた記憶力. を持っていた。いつも課題を良くこなし,すぐに学習してしまう。. 13歳の男児。魯鈍(Dull)。利発ではなかったが,良家出身で食べ物も十分にあった。身なりもきちんとして いたが,彼は勉強についていけなかった。. 上記の無断欠席のケースには,行動の衝動性や無計画性,学習の遅れも含まれたが,学校で優秀な子ども と勉強が苦手な子どもの両方が含まれており,その動機も「他の子どもと遊びたい」「身体を動かしたい」「外 に出て何かを見たい」といった一般的な動機の内容が確認された。 クラインの調査結果を概説すると,学校から逃走した子どもは家庭の経済状況を直接要因としておらず,. 逃走時は衝動的・無計画でありながら,森林や水辺等の野外での遊びに強い関心を示す場合が多い。これら の興味は一定年齢のすべての子どもに共通するとされた。子どもが野外で何日も過ごすことは危険も伴うた. め問題であるが,逃走や無断欠席はむしろ座学中心の「学校の教室という狭く人工的な方法に対する強烈な 異議申し立てである」とし,調査側は「教育学がこれらの根本的な本能や活動をより実際的に配慮する」必 要性を示唆した(p.417)。. このようにWorcesterで取り締まりが始まった無断欠席は,実際に逃走した子ども自身への調査によって,. 203.

(11) 千 賀. 愛. 子どもの自然な好奇心や活動性の表れであることが示され,学校に対する異議申し立てであるとする見解を 得たのである。. 5.3 通常の学級における遅滞児(backward)と特別学校(SpecialSchool) 1900年前後は,アメリカ各地の公立学校内で特別学級の開設が始まる時期であるが,Worcesterでは1898 年に特別学校を開設する一方で1900年になっても特別学級は設置されなかった。課程主義の学年制のもとで は留年を繰り返す児童が必ず出現して問題になるが,Worcesterも例外ではなかった。進級と留年の権限は, 各学校の教師と校長の判断に委ねられており,1892年には親や保護者に対する子どもの成績に関する月間・ 学期末の報告書が導入された。毎月の生徒の学習に関する成績(読み,綴り,書き,音楽,数学,文法,地 理,精神MentalA.,絵画,歴史),行動に関する評価(欠席,退席,品行)に評価の高い順に5から1を 書き込み,毎月親が署名する。進級は,定期的な出席と成績に4−5が多く含まれれば認められたが,学校 ごとに進級・留年の判断が行われていた(年報,1892,p.36)。しかし,離学や無断欠席の顕在化,学年の 進行に伴って在籍人数が大きく低下する実態は,移民と就学人口の増加によってますます深刻な問題になっ ていった。. 1899年,Worcesterのマサチューセッツ州を含むニューイングランド地方の教育長協会では,試験と進 級に関する検討が行われ,進級システムに弾力性をもたせる方針が確認された。これに伴い1899年に教育課 程の改訂が行われ,低学年の算数では機械的な計算を減らして「測定と比較」という実際の作業を伴う活動 が追加された。また教育課程は「最低要件」と位匿づけられ,子どもに合わせて「校長や教師による調整や 修正」が勧められた(年報,1899,p.26)。 就任後にクラーク大学のホールらを何度も研修に招き,自らも1897年にホールのもとで教育学と児童研究 を学んだWorcesterの教育長Carrollは,ニューイングランド地方の方針が出された翌年の1900年の年報の なかで,学年制における通常の学級における遅滞児や優秀児の問題と進級プランを次のように論じた。公立 学校の教育方針に関わる重要な指摘であるため以下に引用する。 画一的な教育方法においては,「優秀な生徒はしばしば遅い仲間によって妨げられ」,「迷い子どもは課題. が彼の現在のニーズに合っていないために混乱し」「非常に速い仲間の中では自分の能力を低く評価して」 意欲を失っている。「遅い子ども(slowerchildren)は小集団に置かれるべきであり,彼らが着実に成功す るようにするべきである。「彼らは同じ退屈するような類似の道を二度も三度も繰り返し通る」必要はない。 そもそも「個々の子どもは多かれ少なかれ基本的には当面の支援を必要としており,これに対してあらゆる 教授が個別指導の状態に非常に近くなってくるだろう」。その最善の例は,「無学制の田舎の学校」(郊外校). である(年報,1900,pp.37−39)。 つまり,能力の異なる子どもが学ぶ通常の学級への対策は,能力別学級編成や特別学級ではなく,可能な 限り通常の学級において柔軟な対応を行う一方で,無学年制の小集団を編成して適切な課題を用意するなど,. 特別な教育的配慮の観点から学校教育を改善すべきであると碇起しているのである。Worcesterでは1900 年に就学人口の増加人数が1887年以来で最も少なく,教室の確保などの物理的な環境が急務の課題ではなく なり,通常の学級に在籍する子どもの教育の改善が認識されるに至った側面も作用していると考えられる。 またWorcesterは師範学校の実習生を教室のアシスタントとして活用しており,教室内で複数の集団を形 成することも可能になっていた。. このようにWorcesterでは1900年になっても特別学級は編成されていなかったが,1898年から身体や言 語に障害のある子どもは,Worcester市内に開設された特別学校に通うこととなった。「個別の配慮を必要 とする生徒のための」2校の特別学校は,身体や言語に障害のある者,遅滞児(backwardchildren),道徳. 204.

(12) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. 的欠陥児などが対象であった。特別学校の開設に際して,教育委員会や担当の教員は事前に支援の方法の示 唆を得るために「ProvidenceやBostonを訪問し」,さらに「SpringfieldとWalthamの州立施設」の訪問 を予定していた(1900,p.57)。. 6.まとめと今後の課題 本稿では,G.S.ホールを中心に児童研究に取り組んだクラーク大学および同大学教育学科がWorcester の公立学校の児童・教育問題,とりわけ子どもの健康問題と無断欠席の問題に対してどのような役割を果た したのかを分析した。1890年後半以降のWorcesterの教育委員会に設置された特別委員会の健康調査や教 育長の報告を分析した結果,通常の学級内における遅滞児や優秀児などの個人差への対応方針においてホー ルやクラーク大学関係者が一定の役割を果たしたことが明らかになった。また無断欠席児童に関するクラー. ク大学の児童研究調査によって,無断欠席の児童の存在は学校の教育内容や方法に対する重要な問題提起で あるとする指摘をホールの当時の教え子が行っていたことが分かった。. しかし,教育長の方針が実際の学校現場の取り組みに反映されていたかどうか,1900年以降のWorcester の取り組みとクラーク大学やホールとの関係の解明は課題として残った。また,1900年噴からクラーク大学 で児童研究所の開設を試みた1909年前後を中心に,発達の個人差や学力差の要因,それへの対応をどのよう に論じたのか,ホールの教育学的著書“EducationalProblems’’(1914)を中心に,「低能児(subnormal)」 の教育や障害児教育へのホールの見解を分析することも今後の課題である。. 【付 記】 本報告は科学研究費(若手研究B)「デューイ教育学と多文化協同社会:子どもの多様なニーズに応じる 補償理論・実践の形成」(No.11730445:平成17∼19年度)および「G.S.ホールの児童研究と特別な教育 的配慮の理論と実践に関する史的研究」(No.20730563:平成20∼23年度)による研究成果の一部である。. 【文 献】 安藤房治(2001)『アメリカ障害児教育保障史』風間書房.. Ayres,L.P.(1909)L(脚rdsinourSchooIs:AStu4yq/RehlrddtionandEliminationinCi&SchooISystems.CharitiesPub− 1ication Committee.. Burnham,W.M.(1891)TheObservationofChildrenattheWorcesterNormalSchool,ThePedagogicalSeminary,1(2) pp.219−224.. CLARKUNIVERSITY,RegisterandOfEicialAnnouncement(1891−1900). Deschenes,S.,Cuban,L.andTyack,D.(2001)MismatchHistoricalPre坤ectivesonSchooIsandStudenis:Whodon’tFit Them,TeachersCollegeRecord,103(4),pp.525−547. Hall,G.S.(1893a)ChildStudy:TheBasisofExactEducation,Forum,Dec.Vol.16,pp.429−441. Hall,G.S.(1893b)TheHealthofSchooIChildrenasAffectedbySchooIBuildings.N.E.A.,JournalofProceedngsand AddressesSessionoftheYear1892.pp.682−689.. Hall,G.S.(1894a)AmericanUniversitiesandtheTrainingofTeachers,Forum,Vol.7,pp.148−159 Hal1,G.S.(1894b)ChildStudy,N.E.A.JournalofProceedingsandAddresses. Hall,G.S.(1894c)TheStudyofChildren,ReportoftheCommitteeofEducationfortheYear1893−1894,pp.366−470. Hendricks,J.D.(1968)TheChild−StudyA4bvementinAmericanEducation,1880−1910:AQuestjbrEducationalRdbrm ThoughAScienti71cStudydtheChild,IndianaUniversity,Ph.D.(UnpublishedDissertation).. 205.

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(14) クラーク大学数青学科の児童研究とマサチューセッツ州Worcesterの児童・教育問題. 【資 料】 資料1.無断欠席調査の依頼文書と質問項目(LinusW.Kline(1897)TruancyasRelatedtotheMigrating InstinctPedagogicalSeminary,Vol.Ⅴ,pp.381−386.より抜粋して作成) 学校や教会から逃走したケースについて,その動機,子どもの特徴,隠れ場所の様式についてできるだけ記述し てください。 それぞれのケースは以下の点に従って明記してください:. 1.年齢;2.性別;3.国籍;4.両親の職業;5.両親のうち一人,または二人とも一緒に住んでいるか?; 6.持ち家を所有しているか?:7.食事や衣服は十分か?;8.遊び;9.本;10.お小遣い;11.体調;12. その子どもに身体的な欠損があるか?;13.その子どもは一番年上か,一番年下か,一人っ子か?;14.短気な子 どもか?;15.過敏さ;16.感情をはっきり表わす;17.よく笑い,すぐに泣く;18.陽気;19.活発;20.寛大 ;21.遊び仲間を見つける,又は無口で一人を好む;22.他者を仕切ろうとしたり,指示には直ちに従うか?;23. 集団を好むか,避けるか?;24.暗闇を好むか,避けるか;25.動物;26.深い水;27.野外活動,木や野原など を好む;29.音楽を好むか,踊るか,;29.優れた色彩感覚;30.整理整頓や身なりを気にしない;31.ペットを 飼っているか,その動物に対して適切か?;32.物を大切にする;33.他者の権利を大切にする;34.物を収集し ている;35.課題をやり遂げる持続性はあるか?;36.好奇心が強く,話好きか?;37.練習をしたり,ゲームや スポーツをする豊富な機会が与えられていたか?;38.家庭で十分な身体や手を使う労働が行われていたか?;39. 家庭や学校で長時間に及ぶ座ったままの活動が行われていたか?;40.可能な限りそれぞれの出来事について年間 の時季を明記する;41.刊行,夜の外出,キャンプ,狩猟,遠足,ピクニックなどに対する過度の愛着。 G.StanleyHallまたはL.W.Kline宛てに回答お待ちしております。 クラーク大学,マサチューセッツ州Worcester市 1896年10月26日. 資料2.矯正学校(TruantSchool)における無断欠席児への質問内容 州立の複数の矯正学校に送られた5つの質問に従って,無断欠席の言い分の側面を確かめる。 1.あなたが無断欠席して遊んでいた理由は何ですか? 2.誰があなたを(逃走するために)手伝ってくれましたか? 3.あなたはどこへ行き,何をしていましたか? 4.あなたの教師や親には何と説明しましたか? 5.あなたの学校について,好きな事と嫌いな事は何ですか? 無断欠席児の学校の校長と教師は,言語の時間の中でこれらの質問に男児が答えるように依頼され,可能な限り 十分かつ自由に自分自身を表現するように推奨された。160通の解答用紙が集まった。このような方法で彼らは心 中をうち明ける機会を得て喜んでいるように見え,“率直でありのままの話”を話したとしている。. 207.

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